神谷奈緒「分かってる。これも営業の一環なんだろ?」 (24)

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 そう言って、奈緒は仕方なさそうにはにかんだ。

「あたしが少し我慢するだけで、それでPさんの顔が立つっていうならさ。
 こんなことで、仕事が貰えるっていうなら……安いもんだよ」

 寂しそうな、悲しそうな、けれどもそんなことをおくびに出すまいと、
 下手な誤魔化し笑いをする奈緒の姿に、俺は何とも言えない気持ちにさせられる。

「あたしだって、馬鹿じゃないからさ。
 Pさんに誘われてアイドルになって、自分でも場違いだって思ってる芸能界って場所で仕事して。
 だからいつかは……いつかは、こんな時も来るんじゃないかって……日頃から、覚悟だけはしてきたつもり」

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「……奈緒」

 思わず俺が名前を呼ぶと、奈緒はジャケットのポケットに両手を突っ込んだまま、
 俺の向けた視線から逃れるように顔を背けた。

「けど、今ならまだ断れる! 引き返すのも、別のやり方を考えることだって――」

「いーや……駄目だ、Pさん」

 懇願するように言う俺の言葉を遮って、奈緒が静かに、けれども確固たる決意を秘めた声で言った。

 それから彼女は、小さな子を諭すような、柔らかな口調で言葉を続ける。


「分かってるだろ? 最初から、この方法しか無いんだ。
 そりゃ、あたしだって不安だし。今からすることのせいで、他の仕事に影響が出ないとは言えないけどさ
 ……なんでもかんでもやりません、できませんじゃ、この先トップになんて立てっこない。

 今、この瞬間にある小さなチャンスを確実に物にするのが、
 次の大きなチャンスを掴むために必要なことだって……そう、思うんだ」

「だからって、自分の体のことなんだぞっ!?」

 つい、力を込めて叫んだ俺に「まったく、大げさだなぁ」と、奈緒が苦笑する。


「いつかは、やらなきゃいけなかったんだよ。それが思ってたより早いか、遅いかってだけで」

 奈緒が、真っ直ぐに俺を見た。
 その視線に、迷いは無い――……。


「……すまない」

「別に……Pさんのせいじゃない」

「いや、完全に俺の力不足だ。もっとハッキリ断ることだって、できたはずなんだ!
  なのに、俺は、俺は……奈緒の優しさに、つい、甘えて……」

 そう、もっとやりようは……方法は、いくらでもあったハズなんだ。

 うつむき、奈緒に頭を下げる俺の脳裏に、つい先日に行った、打ち合わせの場面が蘇る。


===

「確かに、君のところの奈緒ちゃんは何も悪くない」

 奈緒を連れて向かった営業先で、相手方に言われたあの台詞。

「でもねぇ、こっちからお願いしておいてなんだけど、
 今のままの彼女じゃあちょっと難しい、厳しいかなーって、僕はそう思うワケ」

「……と、言いますと?」

「言われなくたって分かるでしょ? 君だってこの業界で仕事してるんだ。
 いくらアイドルとはいえ、引き受ける仕事の為には……時に、こういうことも必要だってこと」

 俺と一緒のソファに座り、「Pさん……」と不安そうな顔をする奈緒に、
 あの時、俺は何と答えていいか分からなかった。


「少し……考えさせては貰えませんか?」

「……まっ、そうなるよねぇ」

 だからお互いにとってよりいい方法を考えようと、
 そのための時間を少しでも稼ぐため、俺は回答を先伸ばそうとした。

 テーブルの向こう側に座る、今回の人選の決定権を持つ男が、頷きながら腕を組む。


「いいよ、二人で相談して決めてちょうだいよ。
 こればっかりは本人の意思を尊重……無理強いするもんじゃあないし」

「は……そう言って頂けると、助かります」

 そうして、ほっと胸を撫で下ろしながら席を立った俺達二人の帰り際、「ただ……」と男は言ったんだ。

「ただ……こっちもいつまでもは待てないからさ。二、三日中には返事が欲しいかな。
 じゃないと、他の子の手配とか色々あるし……分かるよね?」

===

「――いい加減にしろよなっ!」

 怒ったような奈緒の声に、俺の意識が、奈緒と二人でいる今に呼び戻される。

「い、いつまでもそうやってグチグチとさぁ……! 
 今回の件は、あたしが良いって決めたんだ! 他ならぬあたしが、自分の為に!」

 顔を上げると、彼女は不機嫌そうに口をへの字に曲げて、俺の顔を睨みつけていた。

「あたしは、自分が事務所の他の奴らに比べて、パッとしないのも分かってる!
 あ、あたしは、ほら……皆に比べて可愛くないし、歌も下手だし、ダンスだって上手くいかないことばっかりで……
 で、でも! だからってそれを理由に甘えたくないし、負けっぱなしでもいたくないっ!」


 いつの間にかポケットから出した腕を組み、うつむき加減で話す彼女は、
 恥ずかしさを我慢するように口を結ぶと、少しの間黙ってから、再び勢い任せに喋り始めた。


「だ、だって……そんなあたしでもやればできるって、少しは周りに近づけるって、
 じ、自信をくれたのはっ! あたしに教えてくれたのは……あ、アンタだろ!? プロデューサーっ!!」

「奈緒……!」

「だから! だから……こ、今度の仕事も、そう! これは仕事、仕事だから……あ、あたしは大丈夫だっ!
 ……ただ、ちょっと、不安が無いって言うと、嘘に、なる……けど……」


 最後の方は、もごもごと。

 少し聞き取りにくくはあったが、俺には、彼女の言いたいことがしっかりと伝わった。
 ……担当するアイドルが、仕事にたいして抱く不安を解消するのも、プロデューサーの大事な役目。
 
 俺はそれを、たった今、彼女から求められたんだ。
 ……なら、俺がすることは一つ……たったの、一つだけしかない。


「決心は……固いのか」

「……うん」

 ……それは消え入りそうな、小さな返事だった。

 俺はそっと奈緒の傍に近づくと、ライブ前、緊張をほぐす時にするように、
 彼女の頭をポンポンと優しく、撫でるようにして叩いて言った。


「奈緒なら、できるさ。なんたって、俺の自慢のアイドルだから」

「……本当?」

「ああ……本当だ」

 今にも泣きだしそうな潤んだ瞳で、奈緒が俺を見上げる。


「な、なら。あたしがこれからどんな風に変わっても、見捨てないでいてくれる?」

「ああ」

「からかわれたり、笑い者にされた時には、あたしのこと、守ってくれる? 庇ってくれる?」

「ああ、勿論だ」

「……約束」

 頷く俺に、奈緒がそう言って小指を立てた右手を見せる。


「指切りまで……するのか?」

「嫌か? 嫌なのか?」

「いや、嫌というわけじゃ……」

「なら、指切りぐらいしてくれよ! あたしの不安、消してくれるんだろっ!?」

「あ、ああ消すぞ、消すともさ!」

「なら、指切り。しっかり絡めて、ゆっくりハッキリ……さ、最後までっ、ちゃんと……だぞ?」

 奈緒の太い眉毛が、まるで不安で不安で仕方がないと言う子犬のようにハの字を描く。

 俺は差し出された奈緒の小指に自分の小指を絡めると、
 そのまま彼女の指示通り、ゆっくりハッキリとした口調で「指切り~」とやりだした。


「針、千本飲~ますっ」

「指切ったっ」

 ……だが、歌が終わっても俺たちの指は切れなかった。

 正確には奈緒がしっかと絡めた小指に力を入れて、指切りをさせてくれなかったと言うべきか。


「な、奈緒?」

「……ごめん。もう少しだけ、このまま」

 そう言う奈緒の肩は小さく震えていたが……俺はそんなか弱い少女を、
 抱きしめて安心させることも、優しい嘘で勇気づけることもできず。

 ただただ黙って小指を絡め続けることしかできないでいた。



「……じゃあ、行って来る」



 それからしばらく経ってから、奈緒はそう言って自分から小指を解いた。

 ……仕事の為、チャンスの為。いくら必要な犠牲なんだと綺麗事を並べたところで、
 今回奈緒が失うものは、大切にしてきた物は二度と元には戻らない。

 唯一、時間だけが解決策を知っていたが、それも何年先になるか。


 ……俺にくるりと背を向けて、奈緒が扉の向こうに消えて一時間と少し。

 ようやく外に出て来た彼女の姿は、まるで別人のように変化していた。


「……お待たせ、Pさん」

 そう言って奈緒が、先ほどよりもはるかに恥ずかしそうに、照れくさそうにはにかむ。

「……どうかな? これなら今度の仕事、上手く行きそう?」

「ああ……バッチリだ」


 ――……そこには、特徴的だったふわふわの髪をすっかり短くした、
 別人のように見違えた神谷奈緒の姿があった。


「それなら、きっと監督もオーケーを出すよ」

「へ、へへ……そう? そうかな?」

 今回の奈緒の仕事は、ベテラン監督が撮る新作映画の主演という大役。
 それも監督本人から奈緒を主演にしたいという、熱烈なラブコールによるものだった。

 しかし、喜び勇んで向かった打ち合わせ先において、監督の描いていたイメージに合わせるために、
 役作りを兼ねて髪を短くする必要があるという話が飛び出した……と、言うワケだったのだが。

「いやー! ここまで短くするのなんて、ホント久しぶりだったからさー! 
 直前まで不安で不安で、しょうがなかったけど……Pさんがバッチリって言うなら、バッチリだよなっ! うんうん!」


 奈緒は、この条件を提示されてから酷く悩みこんでいた。

 何といっても彼女の長い髪は、ある意味でアイドル神谷奈緒最大のチャームポイントでもあったのだから。

 それをバッサリと切り落とすことで、自分の印象がガラリと変わるのは必然。
 最悪、そのままイメージダウンに直結する可能性だってあった。


 けれども、今の彼女を見る限り――。

「……ロングも良いけど、ショートも似合うな」

「そ、そう?」

「ああ……とっても可愛いよ、奈緒」

「か、かわっ……!?」

 褒められて、みるみるその顔を赤くした奈緒が、俺のことを思い切り睨みつけて言う。


「バ、バカっ!! あ、あたしはそんな……可愛いとか言われるために髪を切ったんじゃ、ないんだからなっ!?」

「分かってる、分かってるって」

「いーや! 分かってない! Pさんのその態度は、全然ちっとも分かってないっ!」


 ――例え髪型が変わったぐらいで、奈緒の本質まで変わってしまうわけじゃあない。

 どんな髪型でも、どんな服装でも、どんなシチュエーションにあったって彼女は彼女。

 真面目で、照れ屋で、どこか抜けてて、アイドルとしては少しだけ口も悪いけど……。


「さっそく監督と……それから事務所に、奈緒が髪を切ったって連絡しないとな」

「や、止めろぉ! 止めろよぉっ!!」

「加蓮からの返事がもう来たぞ。写メ送れ……か」

「だからスマホをこっちに向けるな! 撮るな、撮るなって! こ、このっ……!」


 ――……それでも持ち前のひたむきさで、どんな壁だって超えていけると思わせる。



「このっ、ろくでなしプロデューサーっ!!」



 そんな最高に素敵で可愛い、とびっきりの女の子――それが、神谷奈緒なのだ。

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・2nd SIDEの「このまま抱きしめて」は、世界から争いを無くせるぐらいの破壊力だと思う。個人的に。

・ベットの中、奈緒の後ろ髪をスンスンしながら眠りにつきたい。
 絶対手触りとか匂いとか最高だと思うんだ。
 何ならお風呂で彼女の代わりに洗ってあげたい乾かしたい。
 そんでもって「……下手くそ」「もう、自分でやるから!」「こ、子供じゃ、無いんだぞ!!」と
 徐々に赤面していく奈緒を愛でたい。愛でたい。

・とはいえ一回ぐらいはショートの奈緒も見てみたいなぁ……
 後罵られたいなぁと思って書いたのが今回のお話です。

 それではお読みいただき、ありがとうございました。

このSSまとめへのコメント

1 :  SS好きの774さん   2016年10月26日 (水) 09:15:34   ID: iST4qcfp

知ってた(胸を撫で下ろしながら

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