財前時子「赤色の謎」 (29)

いろいろと拙いところが目立つかとは思いますが、どうぞよろしくお願いします。

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「ねぇちょっといいかしら」

 駅に向かおうとした僕を時子さんが呼び止めた。

「どうしたんですか時子さん」
「最後にもう一つ寄りたいところあるのだけれど」

 まだあるのか。口に出かかった文句の言葉をぐっと堪える。
 
 時子さんは赤みがかった長い髪を手で梳きながら、
 両手がふさがった僕をじっと見ていた。
 
 どうやらこの状況になんの疑問も抱いていないらしい。

 

「名古屋に来たついでに買い物がしたい」と言った時子さんに、
 名古屋は時子さんの地元だし、愛着のある品があるのだろう。
 と考え、軽い気持ちで返事をしたのが、間違いだった。
 
 誰もが聞いたことがあるであろう、高級ブティック店に時子さんは次々と入っていった。

 名古屋でのお仕事が終わったのは3時くらいだったはずなのに、
 気づけば、日は暮れていて、
 僕の両手はブランド物の袋を吊るすために作られた専用のハンガー掛けのようになっていた。

「まぁいいですけど、時間大丈夫ですか?」

 それとなく、行きたくないというニュアンスを含め、曖昧な返事をするも、

「明日は仕事もないし、問題ないわ。それに最悪、こっちで泊まればいいし」

 と一蹴された。こうなった女王様をとめることは僕にはできない。

「わかりました。でも絶対、今日中に東京に帰りますからね!
 時子さんが明日お休みでも、僕は仕事あるんですから!」


 不思議な建物だった。

 さっきまで買い物をしていた大通りから、一本、中に入った通りにその建物はあった。

 看板にでかく「酒場」と書かれているから、酒場なのだろうけど。

 壁はレンガが敷き詰められ、屋根には煙突まで備えつけられている。

 看板がなかったら、少し大きな、欧風の一軒家だ。僕が知っている大衆酒場とはまるで違う。

「ここですか?」
「ええ、そうよ。……まさか貴方飲めないの?」

 建物の雰囲気とこの状況に気後れしている僕を見て、時子さんは整った眉をひそめた。

「強くはないですけど、少しは飲めます」
「そう。ならいいわ」

 時子さんはそう言うと、ハイヒールを鳴らし、店の階段をあがっていった。

 まさか時子さんと二人でお酒を飲むことになるとは。

 本来、綺麗な女性とお酒を飲むということは、男性にとって喜ぶべきことなのだろうが、相手は時子さんだ。
 
 僕は素直に喜べなかった。果たして今日は無事に帰れるのだろうか。

 外観同様に店内も欧風な雰囲気が漂っていた。
 
 マスターの趣味か、
 壁面にはウィスキーのオールドボトルの空き瓶が敷き詰められていて、
 僕は西部劇の世界に出てくるような酒場を思い出した。

 なるほど。酒場とは日本の酒場ではなく、西欧の酒場のことのようだ。

「いらっしゃい。あら時子ちゃん久しぶり」

 扉の開く音で気がついたのか、初老のいかにも人のよさそうなマダムが僕らに声をかけた。

「ちょっと仕事で名古屋に来る予定があったので、立ち寄ったんです」

 いつものような刺々しさのない、丁寧な口調で時子さんが言った。
 
「そうなの。いつも通りカウンターでいい?それとも今日はテーブルの方がいいかしら?」

 そう言うとマダムは、時子さんが敬語を話せたことに驚きを隠せないでいる僕を一瞥した。

 どう反応していいかわからず、僕はマダムから時子さんへと視線を変えた。

「カウンターで大丈夫です」

 丁寧口調のまま時子さんが答えた。一瞬僕のことを睨んだ気がしたが、気のせいだろう。

「久しぶりだね。時子ちゃん」
「そうですね」
 
 カウンターに通されても、時子さんの口調は元に戻らない。
 
 マスターやマダムの反応を見るに、僕が知らないだけで普段はちゃんとした言葉遣いなのかもしれない。


「ところで隣の人は?もしかして恋人かい?」
「違います。仕事仲間です」

 時子さんは即答した。

「そっか。でもお似合いだと思うよ」

 と言ってマスターは微笑んだ。
 
「そうですかね?」と時子さん。軽く笑みを浮かべている。

「ははは。僕にはこんな美人さんもったいないですよ」と僕。笑顔がひきつる。
 
 時子さんに足を踏まれるのも、もう慣れた。

「それで何に致しましょう」

 カウンター越しにメニューを渡し、マスターが訊いた。

「ドライマティーニを」

 メニューを開かず時子さんが答えた。

「……わからないなら、私と同じものにしておきなさい」

 受け取ったメニューを開いても何もわからず、口が開かなかった僕に時子さんが言った。

「なら僕もドライマティーニで」
「かしこまりました」

マスターは後ろの棚からボトルを2つ取り出し、グラスに注いでからゆっくりと混ぜ始めた。

 カクテルの出来ていく様子を見ながら、僕はバーに入る前から感じていた疑問を時子さんにぶつけた。

「でもどうしてバーなんですか?」
「特に理由はないわ。なんとなくお酒が飲みたくなっただけ。悪い?」
「別に悪くはないですけど」

「お待たせしました。マティーニです」

程なくして出てきたマティーニのグラスを時子さんは手にとると、僕の方へと傾けた。

「乾杯しましょうか」
「乾杯ですか。何にですか?」
「もちろん私によ。私とお酒が飲めるなんて光栄に思いなさい」
「……わかりました。じゃあ乾杯」

 グラスをかつんと軽く合わせ、僕は透明な液体を口に運んだ。

 経験したことのない味だった。 そもそもカクテルを飲まないから当たり前なのだけれでも。

 透明感のある見た目からくるイメージとは異なり、
 キレもアルコールも強烈で、一口で僕の舌と胃は麻痺をおこした。

 マティーニのあまりの強さに思わずむせた僕を「情けないわね」と時子さんは笑った。

***

 カクテルとはなかなかに不思議なものだ。
 
 例えば、スクリュードライバー。

 名前を見ただけでは、何と何が混ざっているのかわからないし、
 ウォッカとオレンジジュースが混ざっていると言われても、味の想像がつかない。

 ウォッカとオレンジジュースなんて合うのか?と疑いながら、口に運ぶと、意外に飲みやすい。
 
 例えば、ルシアンとマティーニ。

 両者ともに、ジンというお酒が入っているらしいのだが、前者は甘いカクテルで、後者はすっきりと辛い味である。

 組み合わせが違うだけで、こんなにも味が変わるのだからなかなか興味深い。

 時子さんとアルコールの組み合わせは未知だったが、どうやら時子さんはいける口らしい。
 
 マティーニ、ルシアンとグラスを空け、今は平然とマンハッタンを飲んでいる。

「えらいすいません。ちょっとトイレ行ってきます」

 永遠のように思えたマティーニをなんとか飲み終え、
 時子さんに勧められたスクリュードライバーに口をつけていると、後ろから大きな声が聞こえた。
 
 振り返ると、僕らが来店した時からテーブル席で飲んでいた二人組の男性の若い方が
 上司と思わしき男に大げさに頭を下げていた。

 酔っているせいか、言葉遣いと自分の声量がわからなくなってしまったようだ。

 男が席を立ち、トイレの方へとおぼつかない足取りで歩いていくのを見届けてから、
 僕は視線をカウンターに戻した。

「時子さんは酔わないんですね」 
「そうね……」
 
 僕とほぼ同じタイミングでカウンターに向き直った時子さんはマンハッタンを揺らした。

「あまり酔ったことはないわ」
「すごいですね。羨ましいです」

 深く考えず、でも、素直な気持ちで僕は言った。だから、

「馬鹿ね」

 と時子さんが呟いたときは、思わず、えっ。と声が漏れてしまった。

「酔えるからお酒はいいのよ」
「そういうものですか?」
「そういうものなのよ」

 そう言うと、時子さんはどこか遠いところを見るような、物憂げな瞳でグラスの中の赤色を見つめた。

「……ちょっとトイレに行ってきます」

 情けないことに、この状況に何も言えなくなってしまった僕は
 仕切りなおすべく、一度トイレに避難することにした。

 この酒場の化粧室は男女兼用で一室しかないらしい。

 そういえば、さっき若い男性サラリーマンがトイレ行くって言っていたな。

 化粧室のドアを前に僕は立ち尽くしていた。

 普段ならトイレが空いていなかったら、一度席に戻り、再度タイミングを伺うのだが、今日は戻れなかった。

 仕切り直すには、あまりにも早すぎる。

 それに僕自身、お酒に強い方ではない。ここらで一度、酔いを冷まして必要がある。

 ぼんやりと赤色の状態になっている鍵を見つめながら僕は時子さんのことを考えた。

時子さんの担当プロデューサーになってから半年以上経つが、お互いに合わないのか、まだまだわからないことばかりだ。

 さっきはなんて言葉をかけるのが正解だったのだろう。

 僕はしばらく考えてみたが、アルコールだけが頭の中で空回りを続け、言葉は思い浮かばなかった。

 おかしい。かれこれ10分ほど、
 トイレの鍵が赤色から青色に変わるのを待っているが、一向に色が変わる気配がない。

 つい我慢できなくなって、扉を叩き、中に入っている人を急かす人もいるが、
 昔から両親に「人の嫌がることはするな」と教えられている。

 用を足しているときにいきなり叩かれたら、妙に緊張し、出るものも出なくなる。
 それに個室から出るとき、待っていた人と目が合うのはどうも気まずい。

 とりあえず、仕切り直すには十分すぎるほど、時間は過ぎている。

 僕は時子さんの元に戻ることにした。
 

 席に戻ってみると、時子さんのグラスの色が変わっていた。

「遅かったじゃない。大丈夫なの?」

 オレンジ色のグラスに口をつけながら、時子さんが訊いた。
 
 仕切り直し作戦はひとまず成功したようだ。

「大丈夫ですけど、お花を摘むことは出来ませんでした」

 時子さんは視線をグラスから僕へと向け、口調を荒げた。

「はぁ!?じゃあ貴方、何にそんなに時間をかけていたの?」
「いえ。そのですね。ずっと空くのを待っていたんですけどね」

 僕はさっと、テーブル席の方に目をやった。

「あぁ。で何?中の人が、もう少し時間かかるって言ってきたの?」
「言ってきませんよ。というかどうやって話をすればいいんですか?」
「扉叩けばいいじゃない」
「僕は平和主義者なので。それにしても長くないですか?」
「臆病者の間違いでしょう。……確かにそうね」

 時子さんは僕のことを軽く鼻で笑うと、グラスをテーブルに置き、口元に左手を添えた。

「時子さん?」
「ちょっと静かにして頂戴」

 何をかはわからないが、時子さんはいきなり考え込んでしまった。
 
 いつも以上に難しい顔で、顎を軽く撫でながら、ずっと一点を見つめている。

「マスター」

 1分ほどして、考えがまとまったのか、時子さんはマスターを呼んだ。
 
 なんだ。次に頼むお酒のことを考えていたのか。
 
 マスターも僕と同じことを思ったらしく、
 磨いていたグラスを置き、紙とペンを持って、こちらのカウンターまでやってきた。

 しかし、僕とマスターの予想を裏切り、時子さんの口から出た言葉はお酒の名前ではなかった。

「今すぐ化粧室の扉を無理やりにでも開けた方がいいわ。あと横になれる場所の準備を」


***

 アルコール中毒の初期症状だったらしい。
 
 扉を開けると、男性はトイレのフタにうつむせに寝ており、会話もままならなかったとのこと。

 ご迷惑をおかけしたお詫びとマスターがサービスしてくれたサイドカーを口に運ぶと、レモンジュースのさわやかな味が広がる。

 とても飲みやすいカクテルなのに、女殺しの異名を持つのだから
 改めて、お酒との付き合い方を考える必要があるのかもしれない。

「そういえばどうしてわかったんですか?」

 同じく横でサイドカーのグラスを傾けている時子さんに僕は訊いた。

「簡単なことよ……そうね貴方」

 時子さんは何かを思いついたらしく、グラスを持ったまま、僕の方を向き、にやりと笑った。

「なぜ私がわかったのか。あててごらんなさい」


 困った。予想外の返答だった。お嬢様は僕で退屈を潰そうとしているらしい。

 口元は緩み、つり目は輝いている。
 
「わかりません」なんてつまらない答えは許してもらえなさそうだ。

 振り返り、テーブル席の方に目を向けるが、二人組の姿はもうない。

 事件が発覚してから、
 部下と思しき男性は、椅子をつなげて作った簡易ソファで少し横になった後、上司の肩を借り、帰路についた。

 横になっている間はずっと眠っていたし、起き上がってからも口数は少なかった。

 上司の方はまさか部下がトイレで倒れているとは全く考えていなかったようで、
 
 部下が横になっているときは
「これ大丈夫ですかね?救急車とか呼ぶ必要ありますか?」とマスターに部下の安否を尋ねたり、
 
 部下を背負って帰るときも
「おい大丈夫か?つらくなったら、すぐ言えよ」と何度も部下の様子を確認し、
 終始、慌てふためいていた。

 さてどうしたものか。
 
 新しくヒントを得ようにも当事者たちがいないのだから、思い返すしかない。
 
 少しずつだが回り始めた頭で僕は考えを巡らせた。

「僕と時子さんが男性のグループを意識したのは2回。
 若い男性がトイレに立った時とトイレで倒れているのを発見した後でいいですね?」

「えぇ間違いないわ」
「で、今回重要なのは、席を立った時のことですね」
「あら。どうして?」

「だってそうじゃないと、
 時子さんがトイレで倒れている男性の姿を透視したか、タイムマシンで未来からきたことになります」

「まぁそうね」
 
 時子さんはくすりと笑ってグラスに口をつけた。ここまでの僕の推理は間違っていないらしい。

「男性は酔った口調で、上司にトイレに行くことを告げ、席を立った。
 そしてそのまま、千鳥足でトイレへと入った。これを僕と時子さんが見ていた」

「えぇ」
「それで……」
「それで?」

 言葉が詰まった。男性の背丈や恰好を思い返してみたが、
 どこにでもいそうな新卒の社員で、これといって気になるところもなかった。

 何か見落としていたのかもしれないが、初対面の男性をじろじろと見るような趣味を僕は持ち合わせていない。

「何かヒントをください」
「ヒント?そうね……なんて言っていたかを思い出してみなさい」
「確かトイレに行ってくるって言って席を立ったんですよね」
「ちゃんと思い出しなさい」

「えっと。えらいすいません。ちょっとトイレ行ってきますって」
「……貴方、そこまで言ってわからないの?」
「何がですか?」
「……貴方、出身は?」
「え?生まれも育ちも東京ですけど。それが何か関係あるんですか?」

 僕が訊くと時子さんは大げさに溜め息を吐いてから、言った。

「あの人はね。しんどい。すみませんが、トイレにいってきますって言ったの。
 えらいにはしんどいって意味があるのよ」

「時子ちゃんをよろしくお願いしますね」

「ヒントも貰って答えられなかったんだから、わかっているわよね?」と言った時子さんの分のカクテル代も支払い、
 早めの冬が訪れた財布の中を確認しているとマダムが言った。

「そんな、よろしくだなんて。僕がいつもお世話になりっぱなしですよ」 

 僕がそう答えると、マダムは首を横に振った。

「時子ちゃんは、時子ちゃんのお父様と来店して以来、
 お父様とか、1人でよくこのお店に足を運んでくれるようになったんですけどね」

 なるほど。この店は財前財閥のひいきの店らしい。

「いつも寂しそうにお酒を飲むんです。何杯かカクテルを飲んで、酔ったそぶりも見せず、ごちそうさま、って。
 だから私、今日はびっくりしたんです。時子ちゃんがあんなに楽しそうにしているの初めて見ました。
 ですから、これからも時子ちゃんのことよろしくお願いしますね」

 僕は出会った頃の時子さんのことを思いだした。

「この世の全ては暇つぶしよ」
 と言って、退屈しのぎにアイドルになった彼女。

  出会った頃から現在まで、口調も態度も変わらないが、
 どうやら僕達は案外上手く付き合えていて、時子さんも少しは僕のことを信頼してくれているのかもしれない。

 マダムに「また来ます」と声をかけ、僕は扉に手をかけた。

 外に出ると、辺りはすっかり夜になっていた。ネオンが名古屋の街を照らしていた。

 僕はスマホを取り出した。予定よりずいぶん遅くなってしまったが、なんとか日付が変わる前には家に着けそうだ。
 
「遅かったじゃない。私をこんな寒空の下で待たせるとかいい度胸ね」
「ちょっとマダムと世間話をしていて」
「そう。まぁいいわ。……あら?」

 新幹線の予約をと、スマホを覗き込んでいる僕の顔をじっと見てから、時子さんは言った。

「貴方、本当にお酒弱いのね。顔が赤くなっているわよ」



以上です。

次はもっとわかりやすい、綺麗な文章を書きたいと思った。遅れながら、時子さんデレステおめでとう! 依頼出してきます

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