吉岡「サザエさんみてーな髪型の高校生に携帯電話パクられて10億の取引パーになった」 (34)


私の名は吉岡という。



M県S市杜王町に暮らすしがない会社員である。

いや……正確には会社員だった。


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1476962468


全ては一瞬の出来事だった。


私は社長直々に10億円の取引を任されていた。

取引を成立させるには、携帯電話を通じた指示に迅速に従う必要があった。


つまり、携帯電話が必要不可欠だったのだが、その大切な携帯電話を
バイクに乗った高校生(学生服を着ていたことからの推測)らしき若者に盗まれてしまったのだ。


取引はもちろんご破算となった。


もちろん私とて携帯電話を盗まれたことを主張したが、
そんな言い訳は「宿題はちゃんとやったけど誰かに盗まれた」と言い張るぐらい無意味なものである。

学校では通用するかもしれないが、社会では通用しない。


商売敵である同業他社は、私が仕損じたこの取引をウハウハ気分でゲットしたことだろう。


会社ももちろんクビになった。

上司からは罵られ、同僚からは呆れられ、女性社員からは冷たい目で見られ――
もし仮に解雇を免れたとしても、私に居場所はなかっただろう。


退職金は出なかったが、損失の賠償について問われなかったことはせめてもの温情といったところか。


こんな私に家族も愛想を尽かした。


元々妻と子供にも、半ば月給納入マシーンとしか見られていなかった私だが、
この件で決定的に見限られてしまった。

妻は二人の子供を連れ、実家に帰ってしまった。
離婚を前提とした別居、というやつだ。


判の押された離婚届が一人残された私の家のポストに届くのは時間の問題といえよう。


ようするに私は携帯電話を失い、信頼を失い、10億を失い、職を失い、家族を失ったというわけだ。


再就職先を探すも、この年齢で、しかも前職を懲戒解雇されているので、そう簡単には見つからない。

面接させてくれるところすら少ない。


受けては落ち、受けては落ちを繰り返し、次第にやる気は失せていき、
私は求職者から単なる無職へと変貌を遂げていった。



さて、そんな私が道ばたのベンチでカップ酒を飲んでいると――


二人組の高校生が歩いてきた。
体格がよく、肩で風を切って歩く、いかにも不良といったコンビである。

万が一にも絡まれてはかなわないと、私は目をそむけようとする。


だが、その時だった。
信じられない光景が我が目に飛び込んできた。


いたのだ。


あの時、バイクに乗って私の携帯電話を盗んでいった高校生が目の前にいたのだ。

不良コンビのうちの一人が、あの「犯人」だったのだ。


相手は二人、眼光は鋭く、体も大きい。
取っ組み合いの喧嘩などしたこともない私なんかが太刀打ちできる相手ではないことは明白だった。

だが、この時の私はそんな計算をするどころではなかった。



「私の人生をブッ壊したあの高校生にこの恨みをぶつけてやる……!」



その一念のみで、私は二人組に突っかかっていった。


私は携帯電話を盗んだ方の高校生に掴みかかり、怒鳴りつけた。


「お前っ……お前のせいでッ! この吉岡はッ! お前のせいッ! おまっ……お前ェッ!」


興奮しすぎて言葉にならない。


「いきなりなんだよ、おっさん? 落ち着けよ、なにいってるのかさっぱり分からねー。
 オレがおっさんになんかしたってのか? オレに吉岡なんて知り合いはいねーぞ」


まるで他人事のようなその言葉は、私をさらに激高させた。

私は声のボリュームを上げ、二人組に詰め寄った。


左頬に強い衝撃が走った。
グーで殴られたのだ。

口の中が切れたのか、私の舌は血の味を感じ取った。嫌な味であった。


「お、おい、億泰ッ! なにもいきなり殴るこたァーねぇだろうが!」

「こんなわけ分からねーオヤジはよォ~、殴った方が手っ取り早いんだよ!
 昼間から酒くせーし、酔っ払ってやがるんだろ!」


私を殴った高校生――「億泰」は、私に指を突きつけこう叫んだ。


「いいか、オレや仗助にまた絡んできたら、こんなもんじゃあ済まさねーからな!」


「行こうぜ、仗助ッ!」

「お、おう」


道ばたに座り込んだ私に背を向け、二人組「仗助」と「億泰」は行ってしまった。

なぜか、殴られたはずの頬や切れたはずの口の中からは痛みが消えていた。


二人組が立ち去ってから、どれくらい時間が経っただろうか。

この時、私が抱いたのは彼らに対する怒りではなく、自分への情けなさだった。

せっかく自分の人生を狂わせた張本人を見つけたのに、満足に恨みをぶつけることすらできない。
二人を追うことすらできない。
そんな自分がただただ情けなかった。


しばらく道ばたに佇んだ後、私がこう決意するのは当然のいきさつであった。


「死のう……」


近くにあった雑木林に入った私は、首を吊ることにした。
ポケットの中にあった就職活動に使っていたネクタイ、首を吊るのにはちょうどいい。

私は適当な太い枝を見つけ、ネクタイを固く結びつけ輪を作ると、その中に首を入れた。

あまり高い枝ではないので、体を斜めにして徐々に首に体重を預けていく。
それとともに、私の意識が遠のいていくのも分かった。


「これが、死か……」


こんなことを思いながら、私の意識は深い闇の底に落ちていった。


しかし、私は死ななかった。


「うう……」

「おいおっさん、大丈夫か!? しっかりしろ!」


意識を取り戻した私の横にいたのは、先ほどの高校生二人組のうちの一人「仗助」――
つまり私の携帯電話を盗んだ犯人だった。


「おっさんの様子が尋常じゃあなかったからよォ~、
 やっぱり気になって引き返して後をつけてたんだが、正解だったぜ!」


なるほど、仗助は私の自殺を止めてくれたのだ。

しかし、なぜ?
町中をバイクで暴走して、他人の携帯電話を盗むような人間が、なぜ私の自殺を止めた?


「携帯電話を盗んだ仗助」と「自殺を止めてくれた仗助」が、私の中で一つにならない。


「なんで、私を助けてくれたんだ……?」

「なんでっていわれても……説明しようがねぇーっスよ。
 強いていや、誰かが死のうとしてるのを見過ごしたら後味悪くなるからってとこっスかね~」


シンプルで分かりやすい答えだ。
私はこの仗助に好感を持ち始めていた。


「それより聞きたいのはこっちの方だぜッ!
 なんで死のうとした? さっきの『お前のせい』ってのは一体なんなんスか?」

「…………」


「オレみたいな若造に話したところで、あんたが『死のうとした理由』が解決できるとは限らねえけどよォ~。
 話せば楽になるっつーこともあるし……」

「いや……なんでもない……なんでもないんだ」


私はゆっくりと首を振った。


この時の私はすでに彼の罪を追及しようという心境ではなくなっていた。

一度死のうとしたことで、そういう気持ちがリセットされた?
仗助に助けられたから?
仗助を気に入ったから?

理由は私にも分からない。


「一つだけ……質問いいかな?」

「なんスか?」

「いつだったか、君はバイクに乗って町じゅうを走り回ってたけど、
 あれはなにか理由があったのかい?」


仗助は少し考えた後、こう答えた。


「ああ、ンなこともあったっスねぇ~。あん時はガムシャラだったからあんまし覚えてないんスけど、
 実はあの時、オレの知り合いの漫画家……まあムカつく奴なんスけど、そいつが死にかけてて、
 オレも『敵』に追われてて、バイクで走り回ってたんスよ。
 っつっても、その『敵』とは今じゃちょくちょくつるんでるんスけど……」


話はさっぱり分からなかったが、どうやら彼は「知人の命を助けるため」「敵を倒すため」に
バイクで走り回ってたということは分かった。

私の携帯電話を盗んだのも、おそらくその行動の一部だったのだろう。

仗助に好感を抱いた私の判断は間違っていなかったと分かり、私はホッとした。


それに、こうも思った。

携帯電話を盗まれてからの私に、彼ほどのガムシャラさはあっただろうか?



取引先に「もう一度チャンスを」ともっと強く訴えることもできたのでは――

私をクビにした会社と不当解雇だと戦うこともできたのでは――

実家に帰ろうとする妻子に、行かないでくれと泣きつくこともできたのでは――

再就職先だって、本当に本気で探しているのだろうか――

私は親しい誰かが死にそうな時、他人の携帯電話を盗んででも助けようとできるのか――



「もしも」が次々と浮かんでは消えていく。

少なくとも、私が今の境遇まで落ちぶれてしまったのは決して仗助一人のせいではない。
私自身の責任でもあることは事実である。


「あの……考え込んでるみたいっスけど、どうしたんスか?」

「いや……大丈夫だ。私はもう、大丈夫だ」

「ホントっスか? オレと別れた瞬間また首を吊って、明日の朝刊に掲載されてるなんてオチは勘弁っスよ」

「ハハハ……この吉岡に限ってそういうことはないよ」


しばらく軽口を叩いていると、私の荒んだ心も不思議と癒やされていった。
この仗助という少年には、なにか人を癒やすような力が備わっているのかもしれない。

もちろん、そんなことをいうと変に思われかねないので、口に出すことはしなかったが。


「元気になってくれたみたいでよかったっス。じゃあオレはこれで」

「ありがとう、仗助君」


私は決心した。
もっとガムシャラに生きてみよう。


どんな仕事にだってチャレンジしてやる。

妻と子にも恥も外聞もなく泣きついてやる。

もっとなりふりかまわず生きて抜いてみせる。



吉岡 元会社員

……再起可能







                                   ― 完 ―

>>21訂正
>もっとなりふりかまわず生きて抜いてみせる。

>もっとなりふりかまわず生き抜いてみせる。

失礼しました

このSSまとめへのコメント

このSSまとめにはまだコメントがありません

名前:
コメント:


未完結のSSにコメントをする時は、まだSSの更新がある可能性を考慮してコメントしてください

ScrollBottom