双葉杏が掃除をする話 (17)

・デレマスSSです。

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「たまには事務所の掃除でもするか」
 
 微睡みの中で聞こえたその言葉は、1分もかからず私の至福のひとときを終わらせた。

「杏、掃除だ掃除。ちょっと起きてくれ。ほら、早く」
 
 軽く肩を掴まれ、左右に身体を揺さぶられる。突然のことでまだ意識が朦朧としている私は、そのままお気に入りのうさぎのクッションから冷たい床にぐでんと倒れた。
 
「ぐえ」
 
 倒れた衝撃で変な声が出て、「まるでカエルみたいだな」とプロデューサーにカラカラ笑われる。乙女の失態を笑うとは失敬な。無礼千万だぞ。しかも揺らしたくせに何笑ってんだ。
 
 ひんやりした床を肌で感じるにつれて、意識も次第にはっきりしてくる。体温が冷たさと同化しないうちに、むくりと私は起きた。
 
 変わってないのは鈍い目つきと眠気だけ。欠伸混じりで寝ぼけ眼をこすりながら呟く。

「……まだ眠たい」
 
「俺が知る限り2時間も寝てただろお前。少しで良いから手伝ってくれよ」
 
 どこから用意したのか、真新しい雑巾をぽんと手渡された。「濡らして絞って窓でも拭けばいい」だってさ。正直、面倒くさくてやりたくない。
 
「えー、杏も掃除するの? プロデューサーだけで良くない?」
 
「これでもやるからしっかり働け」
 
 そこまで私が露骨に嫌そうな顔をしていたのか、呆れ顔のプロデューサーは次の手とばかりに飴玉袋を掲げた。

「まじで」
 
「まじまじ」
 
 眠気の混じった目が急に冴えてきた。なんだ、最初からそうすればいいじゃん。
 
 のそのそと私は適当に雑巾を水に濡らして、軽めに絞ってから窓拭きに取りかかる。
 
 139センチの妖精サイズのため、手元にあった椅子やら台座などを駆使しながらなんとか窓を拭く。ちっちゃい私にこんな慣れないことをやらせるなんて、やっぱりプロデューサーは鬼畜だ。
 
 さいわい、窓は見た感じそこまで汚れていなかった。窓を拭く自分の位置だけに四苦八苦しながら、だらだらと10分ほどで終了した。

「拭き終えたよ」
 
 綺麗かどうかは保証しないけど。
 
「本当に?」
 
「本当本当。実際あんまり汚れてなかったし」
 
「信じられんな」
 
 プロデューサーは私が拭いた窓をわざわざ確認しにきた。それもじっくりと。結婚後の嫁いびりが大好きな姑かよ。
 
 そのまま3分ぐらい経ったあと、彼は「まあいいか」と言って私に飴玉袋を渡した。

「やったー!」
 
 窓拭きの確認に3分も使ったのが気に食わなかったが、とりあえず私はめちゃくちゃ喜んだ。終わりよければ全てよし。私は自分自身の度量の広さを心の底から誇った。
 
 さっそく近くにあったソファーに腰を深く沈ませ、袋を開けて飴玉を口の中でコロコロ転がす。
 
 じんわりと飴玉は溶けながら、チョコのフレーバーが口いっぱいに広がった。うまー♪
 
「あ、せっかくだから俺のデスクもよろしく。さっきの雑巾使わずに新しいの使えよ」

 喜びはつかの間、彼はもう1枚の新品の雑巾を私の方へ放り投げた。
 
 唖然とした。意味が分からない。この男は人の至福に水を差す天才なんだろうか。

「いやだ。杏は拒否します」
 
「そこをなんとか」
 
「なんとかできません」
 
 私は端的に答える。できないことはできないし、やりたくないことはやりたくないのだ。

 
「うーん、仕方あるまい。しばらく飴抜きにするしか……。でも俺は杏が困るからこんなことしたくないんだけどなあ。どうしよう」
 
 穏やかな口調でプロデューサーはいかにもわざとらしく言う。完全に脅しのそれだった。
 
「お、横暴だー! 杏は抵抗権を行使する! 私は屈しないぞ!」
 
「その飴も取り上げるぞ」
 
 今度は率直に脅された。
 
「はい。拭きます。拭かせてください。お願いします」
 
 だめだ。逆らえない。勝てる気がしなかった。
 
 私は自分の天命を悟り、この男の運命を呪った。

…………。
 
「こんなもんかな」
 
 ひと通りやるべきことを終わらせたあと、私とプロデューサーは事務室の全体を遠目で眺めていた。
 
「あんまし変わってないね」
 
「だな」
 
 彼は私の言葉に頷く。
 
 まあ、掃除と言ってもやってたのは雑巾で色んな場所を適当に拭いてたのと、掃除機ウィンウィンかけてただけだしね。
 
「でも、スッキリした」
 
 新鮮な空気を味わうかのように、彼は深呼吸をして満足げな表情になった。
 
 つられて私も深呼吸をする。たしかに掃除をする前よりかは空気が綺麗になった気がした。本当に気のせいだと思うけど。あとやりがいもちょっとだけ感じた。

「さて、そろそろレッスンの時間だな。杏、準備しとけよ」
 
「えっ、今日レッスンだなんて聞いてないんだけど」
 
「掃除の前に入れておいたからな。トレーナーさんの都合が良くて助かった」
 
 クックッと笑いながら、プロデューサーは衝撃の事実を平然と言い放った。この男、絶対に悪魔だ。
 
「め、メーデー! メーデー! これはプロデューサーの職権乱用だ! 杏は断固拒否する!」
 
「何言ってんだ。早く行かないと遅れるぞ」
 
「いやだいやだ! 杏は働かないぞ!」
 
 こうなりゃもうヤケだ。私はできる限りの力をもって必死の抵抗をする。
 
「レッスン終わったらご褒美あげるからさ。今夜は寿司でも奢ってやるよ」
 
「す、寿司」

 その2文字に身体がピタリと止まる。魅力的すぎる言葉に思わずときめいてしまった。
 
「おう、寿司だ寿司。好きなだけ食っても良いぞ」
 
「マジか」
 
「マジマジ。大真面目よ」
 
「ぷ、プロデューサー……今の言葉、絶対忘れないでね。レッスン終わったら寿司だからね? 約束だよ?」
 
 念には念を入れて、プロデューサーに確認をとる。
 
「ああ、もちろん。俺は約束を守る男だ」
 
 胸を張って、彼はやや得意げに言った。

「や、や、やったー! わーい!」
 
 たぶん今日あたり一番嬉しい。両手を大きく広げて、私は今の喜びを精一杯表現した。
 
「じゃあ杏、レッスン頑張ってくるね。それじゃ行ってきまーす!」
 
 自分でも信じられないくらいに準備をテキパキと終え、私はすぐさまレッスン場へ向かった。
 
 昼寝を邪魔されたり、掃除させられたり、予定にないレッスン入れられたり、わりと散々だったけど。
 
 プロデューサーの一言ですぐに機嫌が直るあたり、なんだかんだ私もけっこう単純なのかもしれない。
 
 でもまあ、たまにはこんな日もいいかもね。

終わりです。依頼出してきます。

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