和久井留美「キッドナップナイト」(27)



 今日は出社最終日だった。ドラマでよく見るような段ボールを抱えて寂しく会社を
出ていくのは嫌なので、全て社内で処分していつもみたいにバッグ1つで胸を張って
帰る。こんな会社自分から辞めてやるわ!という自分なりの意思表示だった。

「ふん、せいせいしたわよ」

 だけど強がっていられたのはほんの少しの間だけで、これから先のことを考えると
だんだん気分が落ち込んできた。今まで必死で勉強して、誰もが羨む一流企業に入社
して、社長秘書として5年ほど勤めたけれど私には結局何も残らなかった。




「私の人生って、一体何だったのかしら……?」

 帰り道にふと立ち寄った寂れた公園で、目についたブランコに腰掛ける。スーツが
汚れようが気にしない。もう明日から着なくてもいいんだし、むしろこのまま砂場に
ダイブしてもいいくらいの気分だ。

「みっともない話ね。結局落ち込んでるじゃない」

 自虐的に笑ってブランコを漕ぐ。だけどうまく漕げなかった。思い返せば小さい頃
から勉強ばかりで、遊びらしい遊びをした経験がなかった。ブランコさえもまともに
漕げない自分が情けなくなって、自然と涙が溢れてくる。




「わ、私は、今まで、何をしていたの……!!」

 吐き捨てるように呟いて、下を向いたまま顔を上げられなかった。今の私は日本で
一番惨めな女だ。いっそこのまま消えてしまいたい。そんな事を考えながらしばらく
泣いていると、

「あの……」

 か細い声がどこからか聞こえてきて、視界の隅に白いハンカチがそっと現れた。
顔を上げると目の前には、生気のない青白い顔をした女の子が私を見ていた。




「……幽霊?」

「い、一応、まだ生きてます……」

 女の子は困ったように笑う。辺りはすっかり暗くなっていたのでぼんやりしか
見えないけど、ショートカットの似合う可愛い子だった。

「よ、よかったらこれ、使ってくださいっ」

 女の子はハンカチを私の手にそっと乗せた。そしてぺこりと一礼して、キャリー
バッグをごろごろ引いて去っていく。突然だったので呆気にとられてしまったけど、
すぐに我に返って慌てて後を追いかけた。




「ちょ、ちょっと、ちょっと待ってあなた!」

「はい?」

 女の子には公園を出てすぐの道で追いついたけど、呼び止めてからはっと気づく。
私、この子に何を言おうとしていたのかしら?とっさに体が動いて追いかけたけど、
自分でも何がしたいのかよくわからない。

「ど、どこに行くのかしら?子供が夜に1 人で出歩くのは感心しないわね」

 さっきまでめそめそ泣いていた自分を棚上げして、ひとまず立派な大人らしい事を
言ってみる。この子に慰められたくせに何を言ってるのかしら私は……



「はぁ…… バスターミナルですけど。夜行バスに乗って実家に帰ります」

「夜行バス?あんなの人間が乗る物じゃないわ。実家はどこなの?」

「鳥取、ですけど……」

「だったら飛行機で帰りなさいよ。鳥取にも米子にも空港があるし、そうしましょう。
 朝一の便で戻れるようにチケットを手配するわ。それと今晩の宿も必要ね。空港の
 近くにすぐ泊まれるホテルがあるから予約するわ」

「え、え?あの、その……」

「お金なら気にしなくていいわ。使い道がなくて沢山あるから」

「ええぇぇぇ……」

 一目見た時から気付いていた。この子は気が小さく押しにも弱い。だからこうして
強引に進めると絶対断らない。おろおろ困っている女の子を見て見ぬふりして、私は
スマホで手早く作業を進めた―――――





***


「はぁ……」

 時刻は午後10時。夜景を見渡せるホテルの一室で、私は窓の外を眺めながら大きな
ため息をついた。後ろには居心地が悪そうに、ベッドに小さくなって座っている女の子
―――白菊ほたるちゃんがいる。

「私は何をやっているのかしら……?」

 あの後タクシーでホテルに直行して荷物を置き、ホテルのレストランで夕食を済ませ、
部屋に戻って順番にシャワーを浴びた。未成年のほたるちゃんを1人で泊めるわけには
いかなかったので、保護者役として私も一緒に泊まることにした。




「これってもしかして、誘拐になるのかしら……?」

 ほたるちゃんとは名前を聞いただけで、夕食時もほとんど会話がなかった。大人しく
言うことを聞いてくれるけど、見ず知らずの女に振り回されて迷惑に思っているだろう。
おまけにそんな女と同じ部屋で一夜を過ごすなんて、もはや拷問である。

「あ、あの……」

「何かしら?」

 ほたるちゃんがおずおずと聞いてきた。今からでも頑張って、少しでもこの子が
リラックスして休める環境を作らないと……




「わ、和久井さんは、明日のお仕事は大丈夫なんですか……?」

「会社なら今日辞めたばかりよ」

「ご、ごめんなさい! 無神経なことを聞いてしまって……!」

 ほたるちゃんが涙目になる。余計に気を遣わせてしまった。これくらい容易に想定
出来たのに、どうしてこんな突き放すみたいな言い方しか出来ないの……




「……ダメな大人ね私は。よかれと思ってしたことが全部裏目に出て、結局あなたを
 苦しめているわ。本当にごめんなさい」

「え……?」

 体の力がふうっと抜けて、ほたるちゃんに頭を下げた。それからふらふらと近くに
あった椅子にへなへなと座った。今日は何だか疲れたわ……




「あなたに泣いている姿を見られて、あなたに慰められて、私は顔から火が出るほど
 恥ずかしかったわ。だから何とか挽回しようとしたの。いつもの私はこんなに弱い
 女じゃないって、もっと優秀で強い女だって証明したかった……」

 それは一流企業の社長秘書というくだらないプライド。デキる女だと思われたい
見栄の仮面。そんな自分を演じる事が当たり前になっていた。

「私は自分のことばかりで、あなたのことなんてこれっぽっちも考えてなかったわ。
 どうしようもなく身勝手で自己中心的で、本当に救いようがない……」

 再び目から涙がこぼれる。秘書時代はどんなに辛くても一度も泣かなかったのに、
今日だけで二度目だ。私はどこか壊れてしまったのだろうか。




「ごめんなさい…… 怖がらせてしまって…… 本当に…… ごめんなさい……」

 椅子からずり落ちるようにフロアにへたり込んで、私はがっくりと項垂れた。もう
警察でも何でも呼んで、どうにでもして頂戴……




「え、えいっ」

 その時ふわっと、柔らかくて温かいものに包まれた気がした。ほたるちゃんが
背中におぶさるように抱き着いていると理解するまで少し時間がかかった。

「あ、あの、よくわからないですけど、元気を出してください。私ならこの通り、
 大丈夫ですから……」

 ほたるちゃんは、不器用ながらも私を一所懸命励まそうとしてくれた。もっと
罵倒してくれてもいいのに、ストックホルム症候群かしら?




「迷惑だなんて思ってません。ちょっとだけびっくりしましたけど、和久井さんが
 私を元気づけようとしてくれたのは伝わってきましたから」
 
 そう言って、ほたるちゃんは作り笑いではない、本心からの笑顔を見せてくれた。
その瞬間、ほたるちゃんに生気が宿って、ぼんやりしていた印象がはっきりした。



 ―――――ああ…… そういうことだったのね。だから私は公園で、この子を
       慌てて追いかけたんだわ……





 幽霊と間違えそうになるくらい弱々しかったこの子を見た時、どうしようもない
不安に駆られた。あのまま公園で別れたら消えてしまいそうで、1人の人間として
放っておけなかった。だけどそれを認めるのが気恥ずかしくて、見栄っ張りな女の
仮面と嫌な女の仮面を被って自分をごまかしていた。

「こんなひねくれた女に付き合ってくれてありがとう。あなたのおかげで、ほんの
 少しだけ自分が好きになれたわ……」

 この子はきっと神様が私に寄越してくれた天使ね。今ならベッド脇に置いてある
聖書も楽しく読めそうだわ。

「お礼を言うのは私の方ですよ。本当に、ありがとうございましたっ」




 その夜は久しぶりにぐっすりと眠れた。隣のベッドで眠っているほたるちゃんの
寝息が心地よいBGMになっていたのかもしれない。

「そういえばこの子、どうして1人で東京にいたのかしら?」

 今更過ぎる疑問が頭をよぎったけど、まどろみの中で消えていった―――――





***


「これは朝ごはんの空弁ね。飛行機の中で食べなさい。それからこっちはお土産の
 お菓子よ。常温でも大丈夫だから心配しないで」

「わわ、いつの間に買ったんですか……?」

「相手に気付かれずにさりげなく準備出来るのがデキる女なのよ」

 翌朝早朝、鳥取行きの始発の便に乗るほたるちゃんを空港で見送る。一晩寝ると
頭がスッキリと冴えて、ホテルのチェックアウトから飛行機の搭乗手続きまで全て
時間通りに完璧に遂行出来た。よし、もう大丈夫ね私。




「こんな風に誰かに見送ってもらえるなんて思いませんでした。東京に良い思い出は
 あまりなかったんですけど、今はとっても幸せです」

 結局最後まで私達は自分の事について詳しく話さなかった。ほたるちゃんも言いたく
なさそうに見えたし、私も聞かせたくなかった。だけどそれでよかったと思う。




「また気が向いたらいらっしゃい。ただし私みたいな変な女に捕まっちゃダメよ?」

「はい、今度は頑張って逃げます」

 そう言ってお互いに笑い合う。空港内に鳥取行きの出発時刻を告げるアナウンスが
流れた。名残惜しいけどそろそろお別れね。




「それでは失礼します。本当に、ありがとうございました」

「ええ、さようなら。元気でね」

 ゲートに行くまで何度も振り返って頭を下げたほたるちゃんが見えなくなったのを
確認してから、私はくるりと空港の出口に向かって歩き出した。

「さてと、私も次の仕事を探しましょう」

 昨日と今日で私を取り巻く状況が何か変わったわけではないけど、不思議と気分は
晴れやかだった。




「今日は良い日になりそうだわ。まだまだ人生これからよね!」

 ほたるちゃんにとっても素敵な日になりますように。


終わり



和久井留美(26)
http://i.imgur.com/DmDrheC.jpg

白菊ほたる(13)
http://i.imgur.com/zlimGCp.jpg





 とある企画の条件「Pに出会う前のアイドルの話」で書いてみました。この後2人は
事務所で再会という展開になったら素敵だなと思います。それでは


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