マミ「QBかく語りき」 QB「君らしいね」 (318)

ワルプル前
地の文


まどかは夢を見ていた。






ようやくワルプルギスの夜を滅ぼすことに成功した。

マミと杏子が犠牲になった。

二人で示し合せてソウルジェムを暴発させたのだ。

それが魔女への最後の攻撃となった。

二人の死を目の当たりにしたまどかはショックで動けず、巨大な魔女の崩壊に巻き込まれそうになる。


「危ない!」


それに気づいたほむらがまどかを安全な位置まで避難させた。


「マミさん……杏子ちゃん……どうして」


崩れ落ちていく魔女を見上げながらまどかが呆然とつぶやいた。

どうしても納得がいかない。

彼女たちのグリーフシードはまだ残っていたはずだったから。


「こんなことって……」


そんなまどかのソウルジェムをほむらが取り上げ、浄化した。


「ほむらちゃん……やり直さないの?」


まどかが尋ねた。


「ええ」

「それは……私が生きているから?」

「まどか、聞いて」


ほむらがまどかの手を取って輝くソウルジェムを掌に包ませた。

まどかは己が魂である宝石に目を落とす。

浄化されたばかりのそれは美しいきらめきを見せているが、まどかはそれが不思議で仕方がない。

なぜ魂が浄化できるのだろう。こんなに心が混乱しているのに。


「あなただけじゃなく、あなたのご家族も生きている。
あなたが願って人間に戻した美樹さやかも。もっとひどい結末を私はたくさん見てきた」

「ひどい、結末」

「魔法少女が二人犠牲になっただけ。最善ではなかったけれど上出来だと思う」


(だけ?)


ピシリと音がした。誰にも聞こえない音、心にひびが入る音が。


(…………そう)

(ほむらちゃんが正しいのだと思う)

(でも私は)

(……たえ、られ、、ない……っ)


まともに思考ができたのはそこまで。身体が震える。

何も見えない、何も聞こえない。

壊れていく。

浄化したばかりのソウルジェムがあっという間に黒々と光るグリーフシードに変わった。

クリームヒルトが出現する。

そんな場面で目が覚めた。


「ええと……」


あまり寝起きはよくない方で少し頭がぼうっとする。


「……マミさんと杏子ちゃんが死んじゃって……私も、壊れちゃった……」


まどかはここ二週間程、毎晩欠かさずやけにリアルな夢の数々を見続けている。

最初の夢を見たのはほむらが転校してくる前の晩だった。

得体の知れない巨大な何かと戦う一人の少女。

夢の中の自分に話しかける猫ともウサギとも言えない謎の生き物。

もちろん今はもう「ほむらちゃん」と「QB」だったとわかっている。マミや杏子とも現実世界での邂逅を果たした。

予知夢というやつなのだろうか?

それにしてはあまりにも多くのパターンがあった。


(どうなっているのかな)


転校生、暁美ほむらのことを考えた。

初日に受けた警告について。

(魔法少女になってはいけない。そういうことだよね)

(多分ほむらちゃんとしっかり話をした方がいい……と思う……)

(けれどなんて?)

(毎晩ほむらちゃんが夢に出てくるんだけど、どうして? って聞いてみる?)

(……おかしいよね……)

(夢はしょせん夢だしね……)


夢の中だと仲間として、あるいは親しい友人のように接しているほむらだが現実はまったく違った。

大変近づきがたい雰囲気を放ち、いつもひとりでいる。昼休みはどこにもいないし放課後もすぐに姿を消す。

そんな彼女と初日以来まどかはほとんど話をしていない。

日々は確実に過ぎていく。

QBやマミらとの接触も増え少しずつ夢の内容に意味が通っていった。


(……私このまま何もしないでいていいのかな……?)


疑問と焦燥を募らせているうちにさやかがQBと契約を交わしてしまう。


「いやあ~ごめんごめん! 危機一髪ってとこだったね~」


魔法少女となったさやかによって命を救われた時、まどかは親友への深い感謝とともに激しい後悔に見舞われた。

まどかが本気になった。




「佐倉杏子」

「どこかで会ったか?」


またほむらの新たな一ヶ月が始まったが今回はいつもと少し勝手が違った。

佐倉杏子が見滝原に最初からいた。

半年ほど前、見滝原の急激な魔女増加を危惧して巴マミが呼び寄せたということだ。

杏子にしてみれば絶好の狩場と住み家、なにより三食が保証されるというので二つ返事だったらしい。

マミの部屋に入り浸ってゴロゴロしているようだ。

おかげで問題の多いマミの無茶企画、まどかとさやかを魔女結界内に入れて連れ回す「魔法少女体験ツアー」は一度も実行されなかった。

杏子が頭から反対したと聞いた。

「素人を連れ回すなんて正気なのか?」という正論に押されてしぶしぶマミが引いたという。

二人の代わりに杏子がマミと一緒に行動している姿をよく見かけた。

結果マミはほむらと険悪な関係になることはなかったしお菓子の魔女に殺されることもなかった。

問題はさやかだ。またしても彼女の契約を止めることができなかった。

さやかの件でまどかと話す機会があった。

彼女の方から話しかけてきたのだ。

魔法少女になったさやかとの共闘を願うまどかに「美樹さやかはあきらめて」と告げる。

これはいつも通りのことだったが。


「あの……ほむらちゃんは本当にそう思っているのかな?」


これまで聞いたことのない返しがきた。


「私がどう思っているのかは関係ない。
美樹さやかは助からない。
そしてあなたはQBと絶対に契約するべきではない。
もういいかしら」


ほむらとしては噛んで含めるように説明してから返事を待たずにその場を離れようとした時、まどかがほむらの制服の袖をつかんだ。


「待って!」


ほむらは無言で向き直り、まどかに正対する。強く出てくるまどかは珍しい。

それだけさやかのことを心配しているのだろう。

目を合わせるとまどかの瞳が揺らいだが視線は外されなかった。

「ええっと……あの、ほむらちゃんは、その……」

「?」

「なんなのかなって」

「!」

「ちょ、ちょっと待って、今のなし! そうじゃなくてあの
私に何か言っておくこととかない?」

「言いたいことはさっき全部伝えたわ。手を放してくれる?」

「あ、ご、ごめん……」


歩き去るほむらの後姿を無力感に沈みながら見送った。


(……これじゃまるで私こそが本物の電波さんだよ)


まどかは彼女の笑顔も泣き顔も見たことがあるし、やさしい気遣いを受けたことも憶えている。励まし合って一緒に戦ったこともある。何度も何度も助けてもらった。

ただしすべて夢の中でのことで、現実とのギャップに驚いてしまう。

ただ心の奥底で「夢で見ている世界も正しい」と主張する自分がいる。


(どうなっているんだろう)

(……考えなくちゃ、私に何ができるのか)



尊敬してやまない巴マミの説得にすら、さやかは耳を貸さなかった。

マミが「お願いだから使って」と手に取らせようとしたグリーフシードも頑として拒み、うなだれるマミを残してふらふらと街に消えた。

そしてゆっくり衰弱していった。

近日中に魔女化するだろう。

ほむらは自分でも気づかないまま小さなため息をついた。

これまで見てきた数多の時間軸においてさやかは魔女に変貌を遂げている。

そもそも彼女が叶えた他者のための願いが魂を蝕む危険をはらんでいるのであり、最初から詰んでいるとも言える。


(惜しい)


この時間軸には大きな可能性があった。

戦闘力の高いマミが生きていて険悪な人間関係もない。

だがさやかの魔女化によって杏子が消え高確率でマミも失われることになる。

この流れは何かの呪いのように固着している。

以前の時間軸で彼女らに繰り返した無駄な説得を思い出す。

またほむら一人でワルプルギスの夜と戦うことになる。

まどかはどこかの時点で契約してしまうだろう。

ワルプルギスの夜より遥かに巨大なあの魔女を見上げることになるのだろうか。

その前に苦しむまどかのソウルジェムを砕くことになるのか。

(もうたくさん)


ほむらは考える。ここからまどかを救える未来について。

ワルプルギスの夜はあまりにも強大だ。

ループを繰り返すうちに戦力としてマミと杏子が生き残っている状態というのが、ワルプルギスの夜越えに成功するギリギリのラインだと確信するに至っている。

だがその最低限にすらなかなか辿り着くことができない。

もしも現状からさやかの死を止める方法が見つかればどうだろう。

この先のループにおいても早い段階でのデッドエンドルート突入を避けられるようになるかもしれない。

本気で彼女の魔女化を止めようとしたことはあっただろうか。


(もちろんある)


まどかに対するほど真摯に対処しただろうか。


(……否)


さやかへの苦手意識がどこかでほむらの行動を邪魔している。


(認めたくはないけれど、私の力では無理ね)


早々に判断したほむらは難しい顔で街をうろついていた佐倉杏子を自宅へ招き入れ、単刀直入に協力を求めた。

「さやかのために?……あんたが?」


杏子はほむらの用意したインスタント麺を口に運びながら、胡散臭げではあったものの最後まで話を聞いてくれた。


(美樹さやかを救えなければどうせ失敗ルートになる)


そんな多少ヤケクソめいた思いもあってほむらは全てをぶちまけてみたのだった。


「だからまずあの子を助けたい」


杏子はなぜか目を輝かせて「いいよ。協力してやる」と即答した。

更に何かさやかを助ける理由めいたことを言い募ろうとしていたほむらが一瞬不安に駆られた。


(なぜ食い気味で来るの……?)


念のため聞いてみる。


「私の話は理解してもらえたのかしら?」


荒唐無稽な時間遡行のストーリーを。


「当たり前だろ?」


何がおかしいのかニッと笑う。苦笑だったかもしれない。


「魔法少女当人が魔法を信じないわけないじゃんか。
あんたは時間を繰り返した。
そしてあたしらが死んでいくのを何度も見てきたと」

「ええ」

「なるほどね。じゃあ思い出せるだけのパターンを話してもらおうか」

「それはお断り。うんざりするほど長くなるから」

「そこは面倒がらねーで話せ! 協力してやるんだからさ」

「どうして」

「情報はいくらでも欲しい。当然だろ?」


(テレパシーを使ってもいいわよね)


「なぜわざわざ余計な魔力を使うんだ?」


(早いし近い距離で使うと五感も少し通じ合える)

(なんだと?)

(やり方次第、あるいは相手次第だけど)

(へえ?)

(負担が大きいから辛いようなら遮断して)

それはほむらの物語。

幾たびも巻き戻される世界。

膨大な数のエピソードと感情が杏子になだれ込んできた。


渦を巻く喜怒哀楽

徒労感

無力感

焦燥

混乱

諦念

それから底なしの罪悪感

根底にあるまどかへの想い

不用意に感覚を晒したせいで杏子は一瞬耳元で大音響がしたような衝撃を味わったが、その後は精神の濁流を比較的あっさりと受け入れた。ほむらが拍子抜けする程だった。


(波長が合うというのもあるし、あなた意外と度量が大きいのね)

(それ、ぜったいバカにしてるよな!?)

(いいえ驚いただけ。わかるでしょう)


テレパシーで嘘をつくのは難しい。

それから「とにかく、わかった」と杏子は言った。

額にうっすらと汗をかいていた。頭を打った時のような吐き気を微かに覚えて口に手を当てた。


(さやか…………くそ)


杏子は身を削って無茶な魔女退治を続けているさやかに思いを馳せる。

初めて会った時はまどかとセットで「こいつら相当うぜえ」と嫌悪に近い気持ちを抱いた。住む世界が違い過ぎた。とにかく反感を持った。

魔法少女候補というが、杏子から見ればただ素質があるというだけの二人だった。

「なるかならないか迷うくらいなら最初からやめておけ」と噛みついたがマミがやんわりと杏子を制した。


「もう少しよく私たちを知ってから判断するといいわ。
一生に一度のチャンスなんだから」

「チャンスぅ? 寝ぼけてるのかマミ。あたしは反対だ。
おい、全部忘れてとっとと帰っちまえ。二度とツラ見せんなよ」


二人を睨み付けると気の強いさやかはまどかを背中にかばいつつ睨み返してきた。

そんな馴れ初めだったがマミの家でよく顔を合わせるようになると立場を越えて打ち解けるのは早かった。

口も態度も悪いという自覚はあったので疎まれるだろうと思っていたら、さやかはともかく大人しそうなまどかまでがなぜかまったく警戒心なく接してきた。

普通にニコニコと話しかけてくるし、さやかに至ってはバシンと肩をはたいたりおやつを横取りするなどの無遠慮っぷりを見せた。それを怒ると喜ぶ。

皆で一緒に街をぶらついたりマミの部屋で意味もなく一日を過ごしたりもした。

正直楽しい思いをしたし信頼関係を築けたとも思っていた。

だからこそさやかが魔法少女になったと知った時にはその願いの愚かさに逆上し、わざわざ学校帰りを捕まえて罵倒した。

仲裁しようとするまどかの努力も虚しく、かつてないほど激しい言い争いになる。

そうやって言い合ってみると考え方がどこまでも頑固で幼くてあきれた。

次いで内面のもろさと強がりが見てとれて正直なところ可哀想にも思った。

それからいきなり直感を得て背筋を寒くした。


(こいつ、長生きできない)

(魔女と戦わせてはいけない)


実力の程度を思い知らせて戦闘の恐怖を叩き込もうと人目のつかない場所まで誘った。

日没直後の高速道路に架かる大きな橋の上、そこでトラブルが起こった。

変身しようとしたさやかのソウルジェムをまどかが突然奪って橋から投げ落とすという暴挙に出る。

下を通りがかったトラックの荷台に乗ったさやかのそれはみるみる遠ざかっていった。


「さやかちゃん、ごめん」


やってのけたことの割に冷静なその発言の直後ごくごく小さな声がつけ加えられたのを杏子は聞いた。


お願いほむらちゃん。


ほむらの耳には届かなかったろう。

しかし杏子はほむらが血相を変えてさやかのソウルジェムを取り戻しに行く瞬間を目の端に捉えた。

直後唐突にさやかの身体が生存のための全ての機能を停止した。

ただの物質と化して動かないさやかを見て自分の心臓がドクンと嫌な感じに跳ね上がった。

現われたQBを問い詰めてソウルジェムの正体を知った時、考えるより先に手が動いてQBの身体を四散させた。

自分の魂の在りかを知ったさやかは、それから自暴自棄な戦闘を繰り返すようになる。

そのうち落ち着くだろうとこっそり様子を窺っていたが増々荒れていった。

そして狂気の沙汰とも言えるような領域にまで入っていき、杏子が内心かなり頼みにしていたマミの説得すら拒んでしまった。

そろそろ限界だろうとやきもきしつつも取れる手がなくて歯噛みしていたところだった。

だから「さやかを助けたい」というほむらの申し出は渡りに舟の思いがした。

「おまえはもうあいつを諦めているんだろ?」

「ええ。こうなるとどうやっても美樹さやかは魔女になる」

「それはおまえがどうやっても、だな」

「あなたならなんとかできると言いたいの」

「そうは言わないけど。でもそれを期待してあたしを選んだんじゃないのか」

「そうね」


食うかい? と差し出された棒菓子をほむらが遠慮すると自分で包装紙を破いて一口大きくかじった。

何か考えながらもぐもぐしている。


「ああそうだ。まどかはどこまで知っているんだ?」

「なぜ? あの子は何も知る必要はない」

「だってあいつ、ソウルジェムがあたしらの魂だって聞いても驚かなかった。
悲しんではいたけど。あんたが教えたんじゃないのか?」

「いいえ」

「まどかはどうしてソウルジェムを投げ捨てたんだろうな?」

「あなたたちのケンカを止めたかったのでしょう」

「まどかはあんたの能力を知っているのか?」

「まどかは私について何も知らない」

「そうか、ふうん。まあいいけどさ」




重い足を引きずって帰ってきた。

さやかはもうあまり物を考えない。常に疲れている。限界が近いのがわかる。

眠ると決まって夢を見た。

コンサートホール、演奏者たち、ふらふらとゆっくり左右に揺れる大きな鎧。

その姿は醜悪だが、どこか魅かれた。

流れ続ける音楽に自分が融けてしまいそうになる。

目が覚めている間にも旋律が耳に響いてくることが増えた。

そう、ちょうど、今まさに弦が重なり高まっていく、大好きな箇所にさしかかって………

ほとんど無意識のうちにドアノブを回して自室に入ると杏子の姿が目に飛び込んできて、心を埋め尽くしていた音楽がピタリとやんだ。

何日かぶりに会う魔法少女の先輩はさやかのベッドに座って所在無げに腕を組んでいる。


「おかえり。遅かったな」


さやかはただ(じゃまだな)と思った。

早くそこをどいてほしい。横になりたい。だるい。


「なんか用?」

「な? だから魔法少女なんてなるもんじゃなかったろ」

「あんたが……あたしに説教できる立場なの?」

「ああ、頼むからトゲトゲすんな」

「またケンカしにきたの? ヒマなの?」

「様子を見にきたんだ。マミも気にしてる。
最初に自分が誘ったせいだって落ちこんでる。
お人好しだからな」

「マミさんは関係ない。あの人のせいじゃない」

「そう言ってんだけど納得してくれないんだよね」


消耗しきったさやかを上から下までジロジロと眺めがら杏子が続ける。


「それにしてもさあ」

「なに」

「おまえメンタル弱すぎ。そんなになっちゃうのは絶対おかしい」

「はあ?! おかしいってどういうことなの、おかしいって!」

「って思ってたんだ。ごめんな」


今度はさやかが杏子を注視した。


「……なにそれ」

「今なら少しわかる。いやすごくわかる。必死だったんだよな」

「なに言ってるのかわかんない」

「いいからソウルジェム出しな。グリーフシード持ってきた」

「それは使わない。って、ちょっと何すんのよ」


まあまあとさやかをなだめつつ腕を引いて隣に座らせた。そして彼女の指からソウルジェムのリングを抜こうとする。

さやかは抵抗するが杏子は易々と取り上げた。

「そんな疲れ果ててちゃ何もしたくないだろ。いいから楽にしてなよ」

「おせっかいはやめて。あんたそんなヤツだっけ?」

「まあいいから。な?」


本来の形態に戻してみるとやはり危険なほど変色しているのがわかった。

青く澄むまでグリーフシードを使ったがすぐさまジワリと濁り始める気配がある。


(なるほどね。これは厳しい)


「ほらね? もうだめだって」


あっけらかんとさやかが言う。薄ら笑いを浮かべている。


「見て、どんどん濁っていく。自分のことだもん、わかるんだ。
もう壊れてるよソレ」


杏子は二個目のグリーフシードを取り出した。さやかが笑いを引込めた。


「やめなよ。無駄になっちゃう。もったいないよ」

「おまえはまだ壊れてない」


ほむらが見せてくれた幾つもの場面を思い出す。

怒りに任せてお互いの魔力をぶつけ合ったこと。

さやかをひどく傷つけてしまったこと。

失敗に終わった話し合い。

自分のすぐそばで魔女へと変わるさやか。

いくら呼びかけても応えない魔女。

さやかの遺体を抱いて運ぶ自分の姿。

魔女と一緒に死んだこと。


「少なくともまだ生きてるだろ」


幾分優しい声で言う。


「生きてるなんて言えないよ、こんな身体」


吐き捨てるようにさやかが言った。

その間にもごくゆっくりとソウルジェムは濁りを溜めこんでいく。


(魔女にだけは……あんなの絶対にイヤだ)


「こうして体温もあるし心臓だって動いてる。脳ミソもあるからいろんなことを考える。
生身の身体とどう違うんだ」


ソウルジェムを返してさやかの肩に手を回した。


「近い!」


さやかは小さく抗議するが杏子は気にしない。ちょっとやそっとでは逃げられないよう、がっちりホールドする。

心中までした仲だ。無理心中だが。

間近でさやかの横顔を見ながら続ける。


「思い通りに動かせるし腹も減るしさ」

「まがいものでしょ。だから痛みだって消せる。人間じゃないよこんなの。
ゾンビじゃん」


さやかの声に抑揚がない。

だが杏子は会話が続いていることに手応えを感じている。

肩を抱く手に少し力を込めた。


「さやかは、すごいな」

「は?」

「死にそうになるくらい心が傷つくなんてさ。
今までどれだけ幸せな人生だったんだ」

「……ねえ、もう帰ってくれないかな」

「いやだね。どうしてそんなに自分を大事にできないのか教えてくれよ」


(そんなのこっちが知りたいよ!)


さやかは自分の心をコントロールできない。

こうまで簡単に絶望する自分の脆さにさやか自身が驚いている。

なぜこんなに弱いのか。どうしてここまで傷つくのか。

後悔や悲嘆で自縄自縛になってどうしようもない。




“だったらあんたが戦ってよ”


“あたしと同じ立場になってみなさいよ”




まどかにまで毒を吐いてしまった。その毒が自分自身を侵食していく。

行き着くところまで行くしかないように思う。


(最低だ……あたしなんかもう……どうなったって)

「いいからもう帰って。あんたに八つ当たりしそうだよ」

「好きなだけ当たってくれて構わないけど?」

「ねえ、もう何も考えたくない。黙って帰って。
首根っこつかまれて放り出されたいわけ?」

「へええ~やれるもんなら」

「笑うな!」


さやかは杏子の手を無理矢理ふりほどいて立ち上がりドアを指差した。


「今すぐ出て行って!」

「落ち着きなよ」


杏子が立ち上がってドアに向かう。

さやかはホッとしたが、杏子は魔力を使ってドアを封じてしまった。


「ちょっと何してんの?!」


久しぶりに出した大声は響かずに掠れた。


「いや、家の人が心配するだろ? 防音と念のため封印しとく」

「あんたが帰れば済む話なんだってば!」

「用が済んだら帰るさ、もちろん」

「グリーフシード使っても無駄だってわかったでしょ?」

「さやかを元気にしたいんだよ!」


いきなり直球が来てさやかは不意を突かれた。思わず素直に打ち返してしまう。


「ムリだよ……」

「なあ。ほんとはわかってんじゃないのか? このままだとどうなるか。
あたしは知ってるんだ、この先あんたがどうなってしまうか! しっかりしろよ」


杏子がじりじりと詰め寄ってくる。さやかが気圧されて後ずさった。


「………どうなんの?」

「とぼけんなよ! 薄々わかってんだろ、死んじまうんだよ。
なあ、もっと自分を大事にできないのか」


音楽、コンサートホール、鎧、剣。


(ああそうか、あたしは)

(…………魔女になるんだ)

「あんたには関係ないでしょ」

「いや、関係ある」

「ないじゃん!」

「あるんだ……ああ、なんだかほむらの気持ちがわかってきた。
頑固だなほんとに!」

「どうしてそこであの子が出てくるのよ」

「おまえのことをなんとかしてくれって泣きついてきたのはあいつだし」

「ウソだって丸わかりだよ」

「ちょっとウソだけど大筋ではそんなとこなの!」

「もういいよわかった。疲れてるんだからもう帰れ。何回言わせんのよ」

「埒が明かないな。おまえが自分を大事にできないって言うなら」

「……?」

「私が大事にする」


くぐもった声で言うが早いか杏子はさやかの両肩を掴んで抱き寄せた。

少し乱暴に胸がぶつかった。


「杏子?」

「ほら、ドキドキしてるのわかるだろ。まがいものだって?
これが実感できないってのか、ふざけんなよ」

「ね、ねえ杏子、さっきからなんでそんなに必死なの?」

「ふうん、QBなんかの話はまともに聞くのにさあ?
あたしの真剣な話はそうやって受け流すんだ。
それじゃいくら話してもムダみたいだから仕方ないな」


一旦距離を取ってさやかと目を合わせ、そのまま唇を合わせた。

顔を傾けながら押し付け、一瞬だけ舌先でチロリと相手の唇に触れてからゆっくり顔を離す。


「好きにさせてもらう。死ぬ気だろ? もうどうでもいいんだろ?」

柔らかいそれが触れ合った瞬間さやかは頭が真っ白になった。

意識がそこだけに集中して時間の感覚を引き延ばす。

ぬめりと相手の舌先が唇をなぞる生々しい感触に愕然とする。

いきなり未体験ゾーンに放り込まれてさやかはあっさりショートした。


「自分を捨てる気でいるんなら、丸ごとあたしにくれ」


身体はただ硬直している。


(どうして思い通りに動かないんだろう)


杏子に何か答えようとは思うが言葉が見つからない。


(なんて使い勝手の悪い頭と身体なんだろう)


杏子は少なくとも拒否はされなかったと解釈してわずかに開いた口にもう一度唇を合わせる。

今度は舌を入れた。さやかの身体がピクリと小さく跳ねた。

逃げられたくなくて肩を掴む手に力が入った。口腔内を遠慮なくまさぐる。

さやかが足をもつらせて腰がストンと落ちた。それを支えながら軌道を少し変えてベッドに着地させてやる。

そのまま重力にまかせて覆いかぶさり、さやかの目を覗き込む。


「そんなに怖がることないだろ」

「あ……べ、別に……その………なんか……ちょっ、近い!」


なんとか出した声がひっくり返った。


「怖がらせたくなんかないんだけどさ」


軽く触れる程度のキス。


「……やめる気はないから」

「……ば、ば、ばかなの??」

「そうかも」


お互いの息が交わる距離で会話する。

「あ、あのさあ? 杏子?」

「言っとくけど、大真面目だから私」

「あんた変だよ? 杏子はそんなことしない……しないでしょ? おかしいよ!」


やっと身体を動かせるようになり、ぐいぐいと杏子を押しのけようとする。


「けどさやか、あたしのこと好きじゃん?」

「は? えええっと、なんで?」

「そんくらいわかるし」

「どういう勘違いさせたんだっけ?」

「あ、自覚なし? じゃあいいや、逆でもいいや」

「だからなに言ってんのか本当にわかんない。怒るよ?!」

「あんたのことが好きなんだよ」

「杏子、どうしたのよまじで!」

「やっぱりまともに答える気はないんだな。
じゃ、もっかいしよう。ほら気分転換だと思って」


手足をジタバタさせ始めたさやかを軽くいなしつつ、なだめるような軽いボディタッチを行なった。時々すうっと胸や腰に手を滑らせる。


「ちょっt?」


反射的に身をよじるその動きに杏子は煽られた。


「ほらな、やっぱりどうでもいいなんてことないじゃん」

「な、なんのこと」

「まがいものなんかじゃないだろ」


顎を捕まえて杏子はもう一度キスをする。

(こ、こんなに人の話を聞かない子だったっけ?)


さやかは半ばパニックに陥りつつ考えている。何か考えていないとどうにかなってしまいそうだ。

強引なキスが続いた。


(こんな杏子は、知らない)

(杏子は)

(ぶっきらぼうで口が悪いけど優しくて楽しくて、からかい甲斐のある子で、
笑顔がかわいく、て、やさ……し、あ……………)


顎にかけられた指をどうにか外して顔をそらすと頬や目蓋、口の端などにぞっとする程やさしく唇が降ってきた。

触れられた場所から思いがけなく快感が押し寄せてくる。

頭を両手で包まれて正面を向かされ、またも唇が重ねられた。

侵入してきた舌にさんざん蹂躙されたが悔しいことに決して不快ではない。

それどころか心の奥底からもっとこうしていたいという圧倒的な願望が溢れてくるのを自覚してうろたえる。

相手の身体の重みがどうにも心地よい。

逃れようとしてもがいているはずだったのに全身がこすれ合う感覚に刺激される。

キスの合間に切なげな息を吐いているのをさやかは自分で気付いていない。

目は閉じられ両腕は杏子の背中に回されて服をギュッとつかんでいた。

そうやっていつしか相手の動きに夢中で応えていたさやかがハッと我を取り戻す。

「杏子、わかった!」


叫んだ。


「なにが?」


そう問う杏子の呼吸も早い。


「わかったよ、頭が冷えた! 気分転換できたできた完璧できた!
もうわかったから!!」


早口でそんなことを喚きながらジタバタと杏子の身体の下から逃げようとするが、ぜんぜん力が入らない。


「だから離れてよもう!」


このままいくと大変なことになる気がする。


「何をわかってくれたんだ? ほら楽にしてなって」


構わず杏子は行為を進めようとする。


「な、いや、無理しなくていいってば杏子。アンタそんなキャラじゃないでしょ?」

「キャラってなんだよ。無理なんかしてないけど?」

「いやいやいや、私のためにこんなことしてくれたのがわかるよ。
うん、単純だな~私も。びっくりしすぎて頭の中がリセットされちゃったみたい。
笑ってよ、ほ、ほら、ほら見て、あははは」

実際、いろいろ吹っ飛んだ。きれいさっぱりと。

ソウルジェムを見せる。ひと目でわかるような濁りの進行は止まっている。


「ね。もちこたえてる」


それをチラと見やってすぐに視線を戻した杏子が言う。


「服が邪魔だから脱がしていいよな?」

「は? あれ? いやいや……杏子聞いてる? どうしちゃったの? もう大丈夫だってば。
なにその真剣な顔! ほんっとにあんたこわいよ?」

「やっぱ着たままだとまずいよな? 制服だもんな」


そう言いつつ杏子はぷちぷちと二箇所のスナップでくっついているネクタイをむしり取り、首元近くのボタンから外していこうとする。


「待って待って、なんで?」

「そうしたいからに決まってんじゃん。んなこともわかんねーのか」

「わかんないよ!!!」


そう返しつつも先程から明白になりつつある心境の大きな変化に渋々気付く。

杏子の顔を今日初めて見たような気がした。


(なにこれ……意識がすごくはっきりする)


なにかハイになる脳内物質でも出ているのだろうか。

しつこく心を苛んでいた失望も、後悔も、大きな悲しみも今はどうしても感じることができない。


(こんなに簡単に消えてしまうようなことだったの?)

(どういうことよ。自分の心が謎すぎる)


「なーこれどうやって脱がしたらいいんだ?」


手こずった挙句そう尋ねる杏子の顔をまじまじと見た。

「杏子はその……つまりあたしとそういう関係になりたいと」

「うん」

「なんで?」

「いいから早くしよう」

「なんで?」

「したい」

「か、簡潔に言えばいいってもんでもないでしょうに?」

「んーと、こうか?」

「こら 開くな引っ張るな破れる! めくるな!」

「だってさやかが」

「だってじゃないでしょ? 話を聞きなさいよ」

「なんだよ?」

「こんな風に強引に持って行かれるのはイヤなの!」


杏子の動きが止まった。


「一方的だったか? さやかもぜったい気持ちよかったろ?」

「あああああんたねえ」

「あたしはめちゃくちゃ気持ちよかった。だからもっとしよう?」

「無理矢理は嫌だ」

「え、ちょっとは強引だったと思うけど……」

「気持ちよきゃいいってもんじゃないの!」

「よかったてのは否定しないんだな?」

「うるさい。だから」


すうと息を吸い、吐いた。


「………杏子、あんたが先に脱ぐ」

さっきまで押しのけようと必死になっていた身体がいそいそと離れてベッド脇に立ち、スルスルと服を脱ぎ始めた。

さやかはのろのろと起き上がり、はだけていたブラウスを合わせ、めくれあがっていたスカートの裾をおろした。

杏子がしなやかで均整のとれた裸身を晒してこれでいいかという風にさやかを見た。


「あんた隠すとかまったくしないね?」


(ジタバタしてる自分がバカみたいだよ)


「目障りか?」

「ん、いや」


近づく杏子を「ちょっと待って」と制止する。


「自分で脱ぐから」

「手伝う」

「いいからちょっと待ってて!」


つい声が大きくなった。

さやかはもそもそと脱ぎ始めた。隣にすとんと杏子が座る。


「ねえあんまり見ないでくれる?」

「無理」

部屋の電気が消された。

暗がりの中で杏子がさやかを抱きしめる。

さやかはおずおずと抱き返したが、こんな状況になってもまだ


(どうなんのコレ?)

(なにやってんのあたし?)


などと思っている。

杏子は記憶が少々混乱していた。

やっと生きているさやかを抱きしめてやることができて嬉しくてたまらない。


「その、あのさ。念のため聞くんだけどさ」


さやかは黙っていられなくなっておしゃべりを始める。


「こういうの経験あるの?」


ちゅ、と小さな音を立ててこめかみにキスされた。


「あるわけないじゃん」


耳朶にキスされたかと思うと軽く歯が立てられた。


「んあっ………ねえ、アンタってこんなんだったっけ?……だいたい、いつから…ん」


唇にキスされた。


「なんかすごく恥ずかしいっていうか……ム……」


深く口づけられた。



なんらかの形で、必ずゆがみは出る。一方を整えればもう一方がゆがむ。

そういうバランス感覚は長い繰り返しの中で培われてきたもののひとつだ。

杏子によってさやかの魔女化が防げるとしたらツケは巴マミにくると踏み、ほむらは巴マミの動向に注意を集中する。

特に彼女とQBの接触をチェックしていた。

インキュベーターは魔法少女の不運や不幸のトリガーとしてタイミング良く的確に動いてくる。

この時期まどかはさやかへの心配で気持ちが大きく揺れており、危機に瀕した親友のために契約に及ぶことが今まで何度もあった。

本来ならなるべくまどかから目を離すべきではないのだが


「ああ、あいつは大丈夫。心配ならフォローはしておくよ。
あんたよりマシにできる」


杏子にそう言われたので任せた。妙に確信を持っているようだった。

誰がやるかが問題ではない。まどかが無事ならそれでいい。

ただ気がかりはあった。


(この世界のまどかは何かが違う)


杏子も気付いているようだったが、たぶん何かを知っているか見聞きしている可能性がある。

そのことで事態がどう動くだろう。

気にしながらも結果として放置状態にあった。


「さやかはいい匂いがする」

「……そうなの?」


自分ではよくわからない。


「ずっと嗅いでいたい感じ」

「……よくわかんないけど、こうしているのは気持ちいい……かな」


さやかが杏子の頭を抱き寄せると杏子の唇が首筋を這った。

時々強く吸われたので痕が残るかもしれない。

杏子のすべすべした背をすうっと撫でると、さっと肌が泡立った。

そのざらつきに興味深く触れた。

腰骨のほんの少し上の辺りを探ると妙に感じる部分がある。

同じことをされてわかった。

皮膚が重なるすべての部位から熱と快い刺激が伝わる。

折々に様々なキスを交わした。

しばらくそんな身体の会話に没頭した。

暗い部屋に目が慣れてきたのと距離が近いせいでお互いの表情はわかった。

多少は緊張しているのだろうか。杏子は終始真面目な顔をしていてさやかにはそれがとても好ましかった。

この状況でもし杏子がこちらを気遣うような笑顔でも見せていたら一瞬で気持ちが冷めたかもしれない。

長い髪が解かれて杏子の顔をふちどっている。初めて見た。妙に大人びて見えた。

杏子は杏子でさやかの顔に見とれている。


「なんでそんなふうに見るの?」


視線に耐えきれず目をそらしながらさやかが聞いた。


「さやかの身体も顔も大好き」


ほてった顔がますます熱くなった。


「声も」


杏子の手が中心部にあてがわれ、指がそっと割って入った。中はもう充分に潤っている。

一瞬息を詰まらせたさやかの耳に「ぜんぶ好き」という声が聞こえた。

熱のこもった声と一緒になにかが身体の中に送り込まれて強烈に感じた。ぞくぞくする。

器用な指が鋭敏な部位をぬるぬると行き来し、指の動きに伴って湿った音が聞こえる。

他人の指がこんなに気持ちのいいものだとは知らなかった。

勝手に腰は動くし、それと共に自分の声とは思えないような声が出る。


「気持ちいい?」


杏子が聞いた。

さやかは答えない。わかってるくせに、と思う。

耳孔にぬるりと舌が差し込まれて背筋にぞくりときた。

悲鳴みたいな声を出してしまった。

体内に浅く潜って小さく上下していた指先が抜かれ、ふくらんだ突起に当てられた。

柔らかく押し潰し、揉みこむような動きを始める。


「あっ、ちょっ、きょ、杏子!」


跳ね上がる身体はやさしく抑え込まれてしまった。

「なに?」

「……っ、だめだよ、それ嫌だ。い、いっちゃうってば」

「いいじゃん」

「だ、だめなんだって」

「なにが?」


要するにイッてる顔や姿を見られるのが恥ずかしいのだが杏子は構わず、さやかの反応を窺いながら動きを微妙に変えて一番効果的な場所と力加減を探した。


「んっ、……あっ、杏子」

「こう?」

「う、うん、じゃなくて、だめ、お願い、ちょっと待って、って」

「イヤだ」


さやかの呼吸が早くなる。

うねるような腰の動きがたまらなくて、さやかの肩のあたりに少し強めに歯を立ててしまった。

さやかの背中がこわばり、明らかに痛みからだけではない「あっ!」という喉にからんだなまめかしい声が聞こえた。


「ううっ、……杏子、お願い」

「なに?」

「もういきそう……見ないで、お願い」


さやかが杏子にしがみつく。


「さやか、かわいい」

「あっ、あっ、、あ……!」


ほどなく杏子の執拗な愛撫によってさやかが達した。

快感に身悶えるさやかの声を杏子はうっとりと聞いた。


「っ…………ん、んっ…………」


足指の先まで行き渡る絶頂感は長く続いた。

それからじんわりと身体の緊張がほぐれていき、やがて心拍と呼吸が徐々に元に戻る。

疲労を溜めこんでいたさやかはここで急激な睡魔に襲われ、逆らうことができずに眠りに落ちた。

杏子は上体を起こしてさやかを楽な姿勢に整えてやった。

さやかのソウルジェムを確認する。穢れの進行は止まっている。

杏子は安心して大きく息をつき寝入ったさやかの汗ばんだ首筋に鼻をうずめた。


(さやか)


返事はないがこうして生身のさやかと過ごすことができて満足だ。



「やあ、まどか」

「QB」

「少しいいかい? 君と話をしに来たんだ」

「少しなら……」

「ありがとう。まあ、またいつものお願いなんだけどね」

「私、魔法少女にはならない方がいいと思うんだ」

「さやかを助けないのかな」

「私ならさやかちゃんを人間に戻してあげられる……」

「それくらい造作もないことだよ」


(それくらい、かあ)


「ねえ、奇跡ってQBが叶えてくれるの?」

「僕の、というか僕たちの力だね。そういう仕組みになっている」

「仕組み?」

「魔法少女になってくれたら教えてあげるよ。
それより、そろそろさやかが危ないようなんだ。彼女を助ける気はないのかい?」

「QB」

「なんだい?」

「もっとよく考えてみたいかな」

「うーん誰かに入れ知恵をされたのかな? ほむらかい?」

「………」

「まあいい」


会話を終えるとQBはいつものように愛想よく挨拶をして部屋から消えた。

まどかはベッドに倒れ込んで目をつぶる。


(杏子ちゃんならきっとさやかちゃんを助けてくれる)



久しぶりに熟睡した。

眠りの深さのあまり目覚めた一瞬は自分が何者かもわからなかった。


「わあっ」


すぐあれこれ思い出してさやかは勢いよく裸の上半身を起こした。


(! 身体が軽い)


「よ、おはよ」


当たり前のように杏子が隣にいた。


「って、あ、あんたずっとここにいたの?」


視線を感じたので掛布団を引き上げて上半身を隠す。


「いたよ。気分は?」

「……うん、よくわかんない」


杏子の顔を直視できない。


「もう起きるね。学校に行かなきゃ。けっこう休んじゃってる。
まどかも心配してるだろうし」

「まだ暗いよ? 早起きなんだな」

「ゆっくりシャワー浴びたいし、心の準備もしたいし」

「その前にちょっとだけ昨日の続きしよう?」

「冗談でしょ?」

「冗談なんか言わない、こんな時に」


そっと抱き寄せられた。


「杏子?」

「すごくよく寝てた」

「そう?」

「うん」

耳の側でぼそぼそと話しかけられているので非常にくすぐったい。


「早く起きないかなって思ってたんだ」

「そっかそっか、さみしかったか」


そんな軽口は相手にされず、今しがた身体を覆ったばかりの布団が剥がされて胸から太腿の上部まであらわになった。

とっさに腕を上げて身体を隠そうとする仕草に杏子が反応した。


「隠すことないじゃん、今さら」


手首をつかまれる。


「ええっと……あんまり見られるのはちょっと嫌かな」

「慣れて」


言いながら身をかがめて乳房に吸い付いた。

舌で乳首を起こされ転されて快感に耐えていたら、いきなり歯が立てられた。

適度な痛みが下半身への強い刺激へと変わり、自分の中が一段と湿り気を帯びたのがわかった。


「今の声すごくかわいかった」


(声なんて立てたっけ?)


気付かなかった。


「もっと聞きたい」


ベッドに押し戻され、自然に迎え入れる姿勢になった。


(…………まあ、いいかな……時間もあるし……)


ここで流されたのがいけなかった、とさやかは後で反省することになる。


「さやか、いい匂い」

「そればっかり」



教室でまどかが仁美と昼休みを過ごしているとQBを介したテレパシーでマミが話しかけてきた。


(美樹さんは今日もお休み?)

(はい)

(QBは何も知らないの?)

(僕は何も聞いてないよ)

(そう。佐倉さんも帰ってきていないの。
美樹さんを探して話をするって出て行ったきり)

(杏子ちゃんなら昨日私のところへ来てくれて少しお話ししました。
さやかちゃんの家に行くって言ってましたけど……)

(そう? 二人が一緒にいるなら心配いらないわね。
あの子はあんなだけど、頼りになるから)

(はい)

(そういえばQB)

(なんだいマミ)

(この間、美樹さんのソウルジェムを見たの。
彼女、穢れを溜めるばかりでまったく浄化しようとしないのよ)

(そのようだね)

(ソウルジェムが穢れを限界まで溜めてしまうとどうなるのかしら?)

(元に戻らなくなる。使い物にならなくなるよ)

(まあ大変)

(そのとおり。君たち魔法少女にとってはとても大変なことだよ)




「……ぁれっ?……私また寝てしまってた??」

「あー………ふたりとも寝ちゃったんだな。まだ学校行くつもりなのか?」


あくび交じりに杏子が聞いた。


「……昼過ぎから登校できるわけがないでしょうよ……」

「じゃあもういいじゃん、ゆっくりしよ?」


うつ伏せの背中に杏子が上半身をかぶせた。


「いい加減にしなさいよ」


うなじに唇が当てられ片手が胸の下に潜り込む。

これだけで芯にじわっとくる感覚があった。


(なんか、どんどん感じやすくなってる気が……)


もぞもぞと相手の腕の中で身体を反転させて向き合うと顔を合わせた杏子がニカっと笑い、軽く体重をかけてきた。

その背中をなでてやる。


「杏子はほっそいなー」

「さやかは……めちゃくちゃ気持ちいいカラダしてる」

「そう? そりゃよかった」


ぎゅうっと抱きしめられた。


「すっごい、いい」

「わ、わかったから」


ちょっと苦しくて気持ちがいい。



「ほむらちゃん、ちょっといい?」


下校時、教室を出ようとするほむらにまどかが声をかけた。


「急いでいるのだけれど」


相変わらず木で鼻を括ったような答えが返ってくるが、めげることなくほむらとコンタクトを取ろうという試みを続けている。

そっけない態度にもだいぶ慣れてきた。


「そうなんだ……あの、ぜんぜん時間ない?」


こうして多少食い下がることはできるようになった。


「ごめんなさい」

「ちょっとだけでも?」

「……」

「わかった。じゃあまた明日ね」


引き際が肝心、あまり深追いはしない。


(あせらない。少しずつ少しずつ)


自分が野良猫と仲良くなろうとする時の心得だったが対猫用規範に則って行動している自覚はない。

今日はここまでかなと踵を返した背中に声がかけられた。


「ちょっと待って」


あわてて振り向く。

「あっ、なに?」

「魔法少女に関わる話?」

「うん」


大きく頷くまどかを見てほむらが少し怪訝そうにした。

この時間軸においては二人の間にほどんど親交は無い。少なくとも相談事を気軽に話せる相手ではない。

魔法少女絡みの話をしたいのであればマミも杏子もいて二人の方がほむらよりよっぽど親しい。

これほど頻繁にほむらに話しかけてくるのには何か切実な理由があるのかもしれない。

だが。


「ごめんなさい。今はどうしても時間が取れないの」

「わかったよほむらちゃん。
あ、今日マミさんがQBにソウルジェムのことを聞いていたよ」


それは危険だ。


「巴さんが?」

「ソウルジェムが限界を迎えたらどうなるのかって」

「QBはなんて答えたの?」

「良くない、元に戻らなくなるって」

「そう。ありがとう」


ほむらは急ぎ足で教室を出て学校帰りに単独で街を巡回するマミを追う。



「日が暮れちゃった……」


さやかが長いため息をついた。

結局一日のほとんどをベッドで過ごしてしまった。


「だな。腹減ったな」

「自分が信じられない……こんだけグタグタできるとは……」

「たまにはいいじゃん」

「何時? ありゃ、もうすぐお母さん帰ってくる」

「……じゃあそろそろ退散するか」

「うちのごはん食べていきなよ」

「えっ! いいのか?」

「もちろん」



マミは夕刻から夜半にかけて街で行動し、特に成果もなく部屋に戻った。

ソウルジェムの穢れについて考えていた。

その才能と実力のおかげで今までまったく気にすることなく過ごしてこれた。

ソウルジェムについてはただ単にそうしなければならないものとして淡々と浄化し、それを習慣にしてきた。


(魔力を消耗し尽くすとどうなるか)


魔力の源だと説明されていたそれが実は自分たちの身体から分離された魂そのものだという。


(ソウルジェムが濁りきるとどうなるか)


少し考えてみるとどうしても認めたくない単純な一つの答えに思い至る。


(魔女がどうやって生まれるのか)


なぜ今まで気付かなかったのか。

ソウルジェムとグリーフシード。

仲良くひっくり返る頭文字。


「QB。そうなの?」


QBから全てを聞いたマミはしばらくぼんやりとしていた。

力を持たない魔法少女の大半が一体の魔女すら倒すことなく殺されたりあるいはあっさりとソウルジェムを濁りきらせているという事

実をマミは知る。

そうして魔女になった魔法少女を数限りなく狩ってきた。


「なら、こうするしか……」


つぶやいて変身しソウルジェムを無造作に放り投げたかと思うとそれに向けて発砲した。

ほむらが部屋に入ってきた。

時間停止空間内、放たれた銃弾は目標のすぐ手前にあった。

魔力の発動を察知してすぐアクションを起こしたが、マミの変身から攻撃までのスピードが恐ろしいほどに早いために危うく間に合わないところだった。


(この人は思い切りが良すぎる。危なかった)


ソウルジェムを取り上げてその場を離れる。

能力を使いながら百メートルあまりを一気に逃げ切りひとまずマミの自殺は阻止できた。


「マミを返してくれないか」


すぐにQBがやってきた。


「君は何を企んでいるんだい?」

「企んでいるのはあなたでしょう。話すことは何もない。消えて」

「やれやれ。何も教えてもらえないのかい?」


その姿は腹立たしいほど悠々と闇にまぎれた。

急いでマミのマンションに取って返す。

血流が途絶えて五分もすると脳の神経細胞が壊れ始め、治癒が大掛かりになる。

マミの心拍と呼吸を魔力でスタートさせ、寝室まで運んでベッドに横たえた。

杏子と二人がかりでマミの説得を行なう心積もりだったが昨晩から杏子が帰ってこない。

もうすぐ日付が変わろうとしている。



「杏子、いつ帰るの?」

「さやかが眠ったら帰るつもり」

「一日中ダラダラしてたからあまり眠くないよ」

「じゃあもっかいしてもいいよな?」

「なんで聞くの?」

「一応」

「断ったらどうすんの?」

「困るけど、イヤならしないよ」

「ふうん、そう。じゃあ一切何もしないで」

「え? 怒った? 怒ってるよな? なんで?」

「さーね」

「なんであたしの手首縛ってんの?」

「何もできないようにでしょ」

「この目隠しも必要なのか?」

「うん」

「何をどうしたらいいんだ?」

「何もしないで」

「わけがわからないよ」

「モノマネやめて」


仰向けに倒され、縛られた両手は頭の上に押し上げられた。

「ふうん、さやかってこういう趣味もあんの?」

「口も塞いどかなきゃダメだったかなあ」

「え?」

「余計なことは言わないでってこと」

「んーーーー!!!!」


キスされつつ鼻をつままれた。


「ぷはああっ! 死ぬだろ!」

「うん、いいや。塞いじゃったら杏子のいい時の声聞けないもんね。さてと」

「は……………!?………うわわわわ!!!!」

「気持ちいい?」

「う……うぅ、ど、どうやってんの?」

「こんな感じ?」

「ちょ、うわっ……、あ、さ、さやか」

「なに?」

「見たい! 今すごい見たい!!」


さやかは動きを止めない。


「だ、め」

「せめて触らせて!」

「あとでね……杏子は身体がやわらかいね、っと」

「さy????あr?g!!」

「うん、かわいいじゃん杏子」


夜は更けていった。



朝の登校時間、まどかと仁美はいつもの通学路上にさやかの姿を見つけた。

向こうも二人に気付いて照れくさそうな笑みを浮かべながら小さく手を振っている。

仁美は涙ぐみまどかは泣きながら走って行って抱きついた。


「さやかちゃんっ!」

「ごめん、ほんとにごめんね、まどか」


万感の思いを込めて受け止め、ギュッと力いっぱい抱き返す。


「あたしがバカだった、ほんっとうにごめん!」

「さやかちゃん、さやかちゃん、ううううっ!」

「ねえまどか、あたしを力いっぱいひっぱたいてくれない?」

「ぜったいにイヤだよう!」

「あーこのちっこさと肉づきがたまりません。
抱き心地はまどかが一番だよ」


そう言って抱きしめたまま指を立てたのでまどかは「くすぐったいからやめてよ、さやかちゃん!」と笑いながら抗議した。


(……ん?)


泣き笑いのまどか越しにほむらを見つけた。かなり遠いが目が合った。


(尾行してんの?)


呼びかけは無視された。


「さやかさん、どうかされました?」


まどかのすぐ隣で二人のいちゃつきぶりを邪魔しないよう空気になっていた仁美が不思議そうに聞いた。


「あ~おはよ、仁美……えっと」


恭介のことも何もかも、もう気にしなくていいと後で伝えよう。

「お身体の具合はもうすっかりよろしいのですか?」

「ありがと、もう大丈夫だから。
……その、いろいろ心配をかけまして。ごめん」

「いえ、そんな、わ、私の方こそ」

「さやかちゃん……よかった、ほんと元気そうだよ」


ニコニコとまどかがその顔をのぞきこんだ。


「っていうか、すごく楽しいことがあったみたいな顏してるよ?」

「えっ。あっ、いや。ええ? ほんと? そう見えるの?」

「見えるよ。何があったか聞いていい?」

「うーん? なんだろう?」

「変なさやかちゃん!」


(よく助かったわね)


ほむらが話しかけてきた。二人の魔法少女は黙って会話を始めた。


(どうも。なんか用があるんでしょ。何?)

(巴マミのソウルジェムを私が預かっている)

(どういうこと?)

(自分のソウルジェムを砕こうとしたから)

(マミさんが?! なぜ?)

(知ってしまったから。あなたも直前まで行ったのだからわかるでしょう?
魔法少女がどうなるのか気付いているのよね?)

(……魔女になるんでしょ。どうして最初に教えてくれないのよ)

(あなたは私の話を聞かなかった)

(じゃなくてQBが。なんで教えないのアイツ)

(さあ。契約する子がいなくなるからじゃないかしら)

(で、それを知ってたアンタもそれを黙ってた)

(話してもあなたは私の話を信じなかった)


少し考えて(うん、たぶん信じなかった)と認めた。

どんな話を聞いたとしても自分がやりたいようにやっただろう。


(よく引き返して来れたわね。私は諦めていた)

(……強引に連れ戻してもらったかな)

(どうやって)


言えない。


(……マミのことでQBが何かあなたの不安を煽るようなことを
言ってくるかもしれない。相手にしないで)

(それは大丈夫。あの白いのにはだいぶ耐性がついてきたから)

(ならいいけれど)


ほむらは続けた。


(それから今朝、杏子に会った時)


「な、なに急に」


思わず声に出してしまい、隣で話していたまどかと仁美が驚いてさやかの顔を見た。


「あ、ごめん、ちょっと思い出して。なんでもないよ!」


手をぱたぱたさせながら笑って誤魔化す様子を見てまどかは察したらしく、そっと周りを窺った。


(見たことがないくらい幸せそうな顔であなたがもう大丈夫だと教えてくれた)

(……そう)

(拾ってもらった命、大事にしなさい)

(あんたって普段喋んないくせに口を開くと一言多いよね)


ほむらの気配が消えた。


「だれ?」


小声でまどかが聞き、ボソっとさやかが答えた。


「ほむら」


きょろきょろとその姿を探し始めたまどかに「もう行っちゃった」と告げる。


「そっか」


(さやかちゃんが生き残ってくれた……ということは
ほむらちゃんが一人で戦う可能性はかなり少なくなったって、ことかな)


「えへへへへ」


まどかが嬉しそうにさやかの腕に絡みついた。


「わははっ、なぁに~?」

「あら、まどかさん。今朝はずいぶん甘えん坊さんですのね」

「だって嬉しくて」

結局朝になるまでさやかの部屋にいた杏子がマミのマンションまで戻ってみると、どことなく憔悴した感のあるほむらが待っていた。


寝室ではマミが魔力で生命を維持されて眠っている。


「……遅かったわね……」

「帰るタイミングを逃しちまって……って、どういう状況なんだこれ?
なんであんたがいんの?」


ほむらが事の次第を話す。


「ふーん……ああうん……マミらしいや。で、どうすんだ?」

「この人には生きていてほしい。説得する」

「あんたが?」

「いえ、あなたが。私は何があってもいいように側で待機」

「……気の動転したマミはちょっと(どころじゃなく)苦手なんだけど……
まあいいか。じゃ、さっそく始めようぜ。マミのそれくれ」


ソウルジェムをよこせと手を差し出す。


「その前に美樹さやかはどうなったの?」

「ああ、さやかはもう大丈夫だ」


杏子がその時見せた全開の笑顔にほむらはかなり驚かされた。


「……本当に?」

「ウソついてどうすんだ」


ほむらは何か考えていたが「少し待っていて。マミをお願い」

そう言い捨てて部屋を出て行った。


(なんだ、あいつ)

夜を徹してほむらが施していたマミのケアを杏子が引継ぎ、ほむらが戻ってくるのを待った。

使うのは僅かな魔力だが慣れていないこともあって持続に神経を使う。ほむらがくたびれていた理由がわかった。

当人は顔色も良く眠っているようにしか見えない。


(けど確実に死んでるんだよな)


さやかには見せたくない光景だ、と思った。

やっぱりゾンビだとか何とか言ってまた落ち込むかもしれない。


(あたしらってほんとに魔力で生きているんだな。
だからなんにもしない時も濁っていくのかソウルジェムは)

(魔女になるか、殺されるか、自分で死ぬか、か)

(……まあ、まともではないけど)

(でもマミのやつ……自殺を考えるなんてやっぱ、わからないな)

(そういや、あたしだって何度も自分から死んでるんだっけ?)

(どうせならグリーフシードになってやってもいいかもな。
残ったやつのためになるし……ん? でも何人も殺しちまうかもしんないのか)

(それはいやかな)


そんなことを考えているうちにほむらが戻ってきた。


「早っ! メシ食ったり寝たりしてくりゃいいのに。徹夜したんだろ?」

「今まであんな風になったさやかは必ず魔女化していた。
どうしても自分の目でどんな状態なのか確認しておきたくて」

「わざわざご苦労なこった」

「まだ信じられない。あの頑迷な子をどう説得したのかぜひ教えてほしいわね」

「参考にはならないよ。あんたと違ってあたしらには次回なんてないんだ。
キッチリ終わらせろよな」

「誰よりもそうしたいと思っているのだけれど」

「うん。さ、始めようぜ」

「変身しないの?」


問われて一瞬、胸元の赤いソウルジェムを打ち抜かれる悪夢の様な光景を思い出して身震いする。


(初動がめちゃくちゃ早いんだよなぁ……)


「しない。もしマミが攻撃してきたらあんたがなんとかしてくれ。
ていうか、それに専念してくれ」


ソウルジェムを掌に触れさせるとマミはすぐ意識を取り戻し、それを握る手に力がこもった。

マミは情況を大体察して身体を起こし、無表情にほむらと杏子を見た。


「そう……やり損ねたのね」


杏子は緊張を隠したおだやかな声で話しかける。


「マミ。自分で無理矢理幕引きってのはないんじゃないのか」

「あなたも体験してみる? いろいろと実感できるわよ」


相手が予想に反してかなり落ち着いているので杏子は心底ほっとした。


「遠慮しとくよ」

「無理におすすめはしないわ」


返却されたソウルジェムを目の高さに掲げて眺める。


「まったく。まさに消耗品なのね」

「マミ?」

「大丈夫、もう自分で終わらせようとはしないわ。
少し衝動的すぎたと思っているの」

「聞き分けがよすぎてなんか気味が悪いんだけど」

「ずいぶんな言い方じゃない? 正直、見事に失敗したから
もう一度試す気にはなれないわね」

「いい知らせもある。さやかのソウルジェムは浄化できたよ」

「ほんとうに??」


マミの肩から力が抜けて、顔付きが一瞬で明るくなった。


「………よかった、ほんとうに」

「まったくだよ。早まらなくてよかったろ」

「ごめんなさい。あなたも、暁美さん」


黙っていたほむらをマミが見た。


「どうしてあなたが私の命を救おうとしてくれたの?
他人に干渉しない質だと思っていたから意外だわ」

「あなたに知っておいてほしいことがあるの」


マミは無言で先をうながす。


「もうすぐワルプルギスの夜がくる。一緒に戦ってほしい」



(マミさんは大丈夫かなあ)


さやかは自室の机の上にソウルジェムを置いてしげしげと眺めた。

青い輝きを保っている。


(不思議だな)


一番酷い時には何もしていなくても濁っていき、更に絶望を深めていたのだったが。

時々頭の中を占拠していた音楽も一切聞こえなくなり、主旋律もきれいに忘れてしまった。どうしても思い出せない。

それにしても今一つ納得がいかない。

絶望というものはただ誰かとああして身体を重ねるだけで消えてしまうものなのだろうか。

納得いかないのはQBも同じらしい。


「あれほどのスピードで心身を消耗させていたのに君は急に自分を取り戻した。
あまり前例がない。何があったのか参考までに教えてくれないか?」

「何も話したくない」

「そうか。じゃあほむらがマミとトラブルを起こしたことを知っているかな?」

「詳しくは知らないけど聞いてるよ」

「マミの様子は?」

「直接マミさんに聞けばいいんじゃないの?」

「ほむらが一緒にいてね。手立てがないわけじゃないんだが」

「ふうん? 悪いけどあたしもよく知らないから」

「なんだ君も蚊帳の外なのか……おっと杏子が来た。
彼女にもすっかり嫌われてしまってね、気まぐれに個体を減らされてしまうんだ。
無駄なことだよって何度も教えているんだけどね」

QBはヒョイとどこかへ消えた。

まどかの所へ行くのだろうか。

魔女化についてはありのままを教えて絶対に契約しないように念を押してある。

その時のまどかの反応は不思議だった。

あまり戸惑ったり驚いたりせずにただ「ああ、そうなんだね」と深く頷いたのだ。

そして不意にさやかに抱きついてきた。


「さやかちゃん、本当によかった!」

「まどか?」

「さやかちゃんがどこかに行ってしまいそうで本当にこわかった」。

「……うん、ごめん」

「もう一人で抱え込まないでね?」

「心配かけちゃったんだなあ、あたし。ほんとごめんね」

「うううん、私もね、もうちょっとがんばってみるね」

「へ? なにを?」


答えてくれなかったなあ、などと思い返していると杏子からコンタクトがあった。


(さやか)

(うん、部屋にいるよ)

(遅くなっちゃった。これでも早くさやかに会いたくてすっ飛んできたんだ)


くすぐったいような、恥ずかしいような気がする。


「いいから、さっさと入ってくれば」


カチリと音がして施錠していた部屋の窓が開き、するりと魔法少女姿の杏子が入ってきた。

「へへ、やっと会えた」

「マミさんは大丈夫なの?」

「大丈夫。マミと二人でほむらの家に行ってさ、いろいろ打ち合わせしてきた。
あ、おまえも知っとかなきゃいけないことだから後で地図のコピーもらっとこう」

「なんのこと?」

「もうすぐワルプルギスの夜が来る」

「ん? なにが来るって?」


杏子はこれから見滝原を訪れる規格外の魔女とほむらの事情についてある程度の説明をした。

ほむらにされたようなテレパシーを使って記憶を移しこむテクニックは使わなかった。

マミに対してもほむらはそれを行なわなかった。

彼女らにとっては余分な情報が多すぎて精神的な負担が大きいのと、何よりほむらにしてみると真情の吐露そのものであるためどうしても相手を選ぶ。

話を聞いたさやかがきまりの悪そうな顔をした。


「どうした?」

「や……ほむらには悪いことしたのかな?」

「悪いことって?」

「そんな子だったなんて知らなかった。知ってたらもうちょっとさあ……
こっちも取る態度ってもんがあったのに、って思ったんだ」

「……ほむらがあんな風なんだから、どうにもならなかったんじゃないか?」

「けどそんなの知っちゃったからには私、まどかに全部しゃべるよ。
魔女化して地球を滅ぼすなんてあの子が知ったら何が何でも絶っ対に契約しないよ」

「いいんじゃないの? 話してやれば?」

「じゃ今から電話して」

「あ、ちょい待て。それは明日にしてもう少し聞いてくれ」


ワルプルギスの夜出現まであまり時間がないこと。

とにかくグリーフシードを集めておく必要があること。

「収集は私とマミ、ほむらでやる。
さやかはなるべく魔力を消費しないでいてほしいんだ」

「当日までなにもするなってこと? そんなにあたしって役に立たない?
何体かやっつけてるよ?」

「身体能力そのものは高い方だし破壊力も文句ないレベルだけど
なんせ経験が足りない。
あたしらとの連携は難しいし、遊撃に回るのはもっと無理だ。
サポートを専門にやってもらうつもりなんだ」

「うーん。役立たずってそこまではっきり言われると全力で反発したくなるなー」

「役立たずなんて言ったか? おまえの力は貴重なんだ。
治癒得意なやつ、おまえしかいないんだから」


(それに……)


偶然の積み重なりにより、全員でワルプルギス戦に挑めたこともあるにはあった。

その場合近接攻撃のさやかから消えていく。

一人欠けると早い。続いて杏子、マミと続く。


「今度の戦いでは何を置いてもまず、誰も死なないようにしたいんだ」

「ねえ、そんなにヤバいやつなの?」

「今までのとはまったく比べもんにならないな」

「そんなに?」

「けど四人がかりなんだ。なんとかなるさ」

「なってもらわなきゃ困るよね」

さやかがふと尋ねた。


「あのさ、今まで魔法少女として生き延びた子っていなかったのかな」

「いきなりなんだ。マミより長く続けているやつは知らないな、今のところ」

「絶望さえしなきゃ長生きできるかな? なんて思うんだけど、どう?」

「どう? 実際に危なかったおまえがそれを言う?
それがどんなに難しいか思い知っただろ?」

「結構悲観的なんだね、意外~」

「現実的なの!」

「ほむらはほんと、よく絶望しないなー。
ワルプルに何回も負けてループしてんだよね?」

「まどかを救う方法があるうちは絶望なんかしてられないだろ。
おかげで事前にワルプルギスの情報を得られたし、こうしてちっとは対策も立てられる」

「ああ、物は考え様だね」


それからしばらく真面目なのやそうでもないやりとりを続けた後、杏子は入ってきた窓から飛び出して行った。

手を振って見送った後つい「あれ?さみしいぞ?」とつぶやいてしまう。


(じゃあ明日の朝この埋め合わせするから)


思いがけなく返事があって、ドキッとした。


(独り言に返事するのはやめろ!)


笑い声が聞こえた気がした。

そして一夜明けて、さやかは自分の隣でスヤスヤと寝息を立てている杏子を発見して飛び起きた。


(埋め合わせってまさかこれですか杏子さん!?)


夜通し活動したのであろう杏子は前後不覚の眠りの中にいる。


(ま、びっくりはさせてもらったよ)


横顔にかかった髪をそっとよけて頬を軽く突いてみる。


(うん。嬉しい気持ちもあるよ)


見ているうちに何かいたずらがしたくなり、とりあえず長い髪をゆるいツインテールに仕上げてみた。


(おー、杏子じゃないみたい。まるで普通の女の子に見える)



杏子の姿を見たマミが珍しくお腹を抱えて笑っている。


「これ、そんなにおかしいか?」

「ち、違うの、似合っていてとてもいいの、でも」


笑いの発作で息が苦しい。


「そうじゃなくて、あ、あなたが、好き勝手にそんなことをされているあなたがおかしくて」

「そういうもんか?」


ひとしきり笑い転げてから、マミはやっと顔を上げた。


「あーあ、笑わせてもらったわ。美樹さんと仲がいいのね」

「いいよ」


にこやかに答えた。


「ねえ。なんだかいい感じになってるわよ佐倉さん」


笑い過ぎで滲んだ涙を指先で拭いて、改めて杏子を見つめる。


「どう言ったらいいのかわからないけど、時々まるで人が違うわよ? いい意味で」

「マミは腹をくくったってツラしてる」

「そう?」

「なにか吹っ切ったろ?」

「どうかしらね」

「そういうとこ話さないよな」

「聞いたらドン引くかなと思って話せないの」

「まじで?」

「冗談よ」

そんな他愛のないやり取りをしていると、ほむらが玄関のドアを開けて部屋に上がってきた。


「いらっしゃい暁美さん」

「おまえはコレに反応がねーな」


杏子が両手でツインテールをパタパタしてみせた。


「?……違和感があるけど似合うと思う」

「ふつうだなー」


てきぱきと元の髪型に戻しながら部屋の時計を見た。

この三人はグリーフシード収集のため完全に昼夜を逆転させている。


「さてと。さやかは納得したぜ。あいつは完全に回復役に徹してくれる」

「助かるわ。標的近くを素人にうろつかれると本当に困るから」

「攻撃力だけならけっこう高いぞ」

「ええ。そして最前線で磨り減って、真っ先に死んでいく」
            
「ふん。死なせやしないけどな」

「あなたも気を付けて。ワルプルギスの夜を前にして
誰かをかばう余裕なんて持てないわ」

「わかってるよ!」

「戦闘が始まったら鹿目さんの契約は誰も止められないわね」


杏子の短気を目で諌めながらマミが口を挟んだ。


「まどかは契約しないよ。最終的にどうなるか知ったからな」


QBが部屋の隅からやってきた。


「興味深い話し合いをしているね」

「マミ。こいつ部屋に入れないように頼んだろ」

「せっかくだからいろいろ聞いておきましょう。
QBは少なくともウソはつかないわ」

「ウソつかなくても事実を隠すだろ。たちが悪いぜ」

「QB、ワルプルギスの夜という魔女はなぜそれほどまでに強いの?」


マミが尋ねる。


「あれはいくつもの魔女の集合体だ」

「じゃあグリーフシードもザクザク落としてくれるのか??」

「どうだろう。あれを倒した魔法少女はいないから確かなことは言えない」

「一応聞くとくけど弱点なんてのはねーんだな?」

「あの魔女についてわかっていることは少ないよ」


そこでふと言葉を切った。


「ただ、君たちは群れるのが好きだろう。魔女も同じなんじゃないのかい?」

「ああ? なんか不愉快だな。テメーやっぱ消えろ」

「気に障るようなことを言ったかな。君たちはやはりよくわからないね」


杏子がソウルジェムから出現させた攻撃的な形状のエネルギー体を見て素早くQBは消えた。


「あら。もっと聞きたいことがあったのに」

「のらりくらり話をかわされるだけよ」とほむら。

「聞き方にもよるのよ?」


その時玄関のドアがノックされ、返事をする前に開かれた。


「マミさんお邪魔しまーす! まどか連れてきましたー」

声と同時にさやかが三人のいる部屋に姿を見せ、その後ろからひょっこりまどかが顔をのぞかせて会釈をした。

学校からそのままやって来たらしく、二人とも制服姿で通学かばんを下げている。


「おじゃまします」


完全に想定外だったまどかの出現に虚をつかれたほむらがさっと杏子に視線を移した。


「ああ、あたしが呼んだ。話したいことがあるって、あんたに」

「私に?」


マミは新たな客をもてなすために台所へ立つ。


「話って何かしら」


さやかと隣あってテーブルにつくまどかを見ながらほむらが尋ねた。


「ほむらちゃんなかなかつかまらないし、みんながいる所だったら
ちゃんと会話してくれるかなって」

「ちゃんと会話? ほむらは普段まどかにどんな態度なんだ」


まどかの天然かつシビアな発言に杏子が思わず突っ込みを入れた。

さやかが応える。


「ん、誰に対してもこんなんだよ。
ただ、まどかのことは距離を取りつつ目で追ってる感じ?」

「ストーカー一歩手前みたいな状態だな」

「事情を知っても共感し辛いっちゅうか
やり方をもうちょっと考えてほしいところですなあ」

「暁美さんも試行錯誤の末にそうしているわけだから」


マミがニコニコと口を挟み、新客二人に香り高い紅茶を配った。


「「ありがとうございます」」


二人は揃って頭を下げた。

「用件をどうぞ」


落ち着かない心地で再びほむらが催促する。


「じゃあ、ええとね。ほむらちゃんはどうして
大事なことを私に直接話してくれないのかなって」

「どういうことかしら?」

「ほむらちゃんが私のために時間を繰り返してるって
さやかちゃんから聞いたよ。どうしてそれを私に直接話してくれなかったの?
話したくない理由があったりするの?」

「知り合ったばかりの私がどうこう言っても
信じてもらえなかったでしょう。あなたが混乱するだけ」

「そうとは限らないよ、ほむらちゃん」


(だって知ってたもん)


「それに、誰から聞いたとしても同じことだと思うのだけど……」

「それは違うよ、ほむらちゃん、うん……ええっとね……」


説明を始めようとしたところでようやく、当事者が集まっているところで出す話題としては大変よろしくない内容だということに気付いた。


(魔女との戦闘で悲惨な最期を迎えるマミさん)

(魔女になって私や杏子ちゃんを攻撃するさやかちゃん)

(さやかちゃんと一緒に死んでしまう杏子ちゃん)

(杏子ちゃんを撃ち殺すマミさん、マミさんを射殺す私)

(ワルプルギスの夜に全滅させられる私たち)


数限りなく繰り返される失敗と敗北、そして不運。


(だめ。ここでは、話せない……
やっぱりほむらちゃんだけに話すべきだったんだ。わかってはいたんだけど)

(と……さて、この場をどうしたらいいかな)


まどかが考え込み、沈黙が長くなった。

杏子が身体ごと向き直ってほむらを見た。


「おまえ、へたくそだな」


その時のほむらのいわゆる“ハトが豆鉄砲を喰らったような顔”がマミに笑いのツボをついた。吹き出しそうになり、慌てて自分の口を両手で塞ぐ。

さやかはほむらの困惑の様が珍しくて興味深げに眺めている。


「前から言わなきゃと思ってたんだ。おまえは説得も説明も
つか会話がめちゃくちゃ下手だ! 下手ってか不能レベルだ!」


(不能!?)


あんまりな言いぐさだと内心激しく抗議するが、口には出さない。

「だーかーらー肝心のまどかにハレモノみたいな扱いをされるんだ!
わかってんのか! それからまどか!」

「は、はい?」

「ほむらを全面的に、徹底的に信用してやってくれ。
こいつほんとただ色々不器用なだけだから。
バカって言ってもいいレベルだろ、これもう」

「杏子にバカって言われるほむらって」

「ねえ美樹さん、面白いけど私たちは黙ってましょ。
杏子のお説教なんて珍しい」

「どっちかっていうとされる方ですよね。あたしもですけど」

「二人うるさい。えっと、あのなまどか」

「はい」

「おまえにとっちゃ赤の他人みたいなコイツだけど
んで実感もさっぱりないだろうけどコイツはおまえの親友で
誰よりもおまえのことを考えて……って」


しゃべり過ぎに気付いて止まる。


「なんで私がこんなこと説明してやってんだ?
ほむらはなんでそこでちょっと赤くなる! 切れるぞいい加減おい」

「あ、誤解だよ杏子ちゃん。私ほむらちゃんのことすごく信用してるよ?」


「「「「えっ」」」」


まどかの一言にまどか以外全員の声が揃った。

各々が勝手に話し始め、場がざわつく。


「……まどか……あなたは一体?」
「なんで?! やっぱアンタって女神かなんかなの??」
「それなら話は早いじゃねーか」
「今、暁美さんでさえ“えっ”て言ったわよね?」


誰が何を言っているのか、お互いよく聞き取れなかった。

面白い
いい杏さやだわ、杏子ちゃんの頼りになりまくるメンタルいい
テレパシーで記憶まで送れるって設定も美味しい、これ出来たら本編みんなの対人誤解の八割が解決しそう
ほむらは近寄って親近感持たれるとそれが原因で契約されかねないにしても、この現状ならもうちょい近寄っていくべきよな

>>66 
杏さや書きたくて書いたのであったかいコメに泣ける
ありがとう



まどかは夢のひとつひとつを克明に覚えている。

一晩にいくつものエピソードを見ることもあった。

そうやって知識が増え、様々な謎が解ける一方でまたわからないことも増えていく。

ほむらへのアプローチもなかなかうまくいかず、たまりかねてある時とうとうQBを質問責めにしてみた。

警戒する気持ちは強かったがどう考えても一番事情に通じているのはQBだったし、そもそもQBがそれらの夢を見せているのかもしれないと思いついたからだ。

そうしてまどかから話を聞いたQBが出した答えが「ほむらは時間遡行者だ」というものだった。

まどかは面食らう。


「じかんそこうしゃって?」

「それはね」


QBの説明は簡素でわかりやすかった。


「えっと……じゃ、ほむらちゃんがそうだとして、だから?」

「なぜそんな夢を見るかというと、君の素質と彼女の能力が
共鳴したからだと考えられる。それはただの夢じゃないよ。
ほむらが繰り返した世界を君は見ているんだ」

「私はほむらちゃんの記憶を見ているの?」

「違う、記憶そのものではないね。夢にはほむらも出てくるんだろう?」

「うん」

「これは君が通常考えられない程の大きな素質を持っていることとも関係する」

そしてその原因になっている重ねられた因果についてQBの説を聞かされた。


「一人の魔法少女が入念に君を因果の糸でがんじがらめにした。
それによって君はもう半ば魔法少女だと言ってもいい。
自覚はないだろうけど、とんでもない量のエネルギーが溜まっている」

「それを無意識ではわかっているんだよ。夢くらい見るさ。
早く契約して君の魔女を解放してやるといい」

「そして世界を滅ぼすの?」

「君の力なら余裕だろうね。
でも宇宙が滅びるよりいいはずだよ?」

「例えば魔法のない世界にしてってお願いはできる?」

「どうしてもそれを願うというなら聞き届けるしかない。
どんな世界になるかは神のみぞ知るとしか言えないけれどね」

「じゃあ……もしも今いる魔法少女全員を人間に戻してって頼んだら?」

「それは簡単だ。君一人が魔女になるだけで一つの星から回収できる
エネルギー量としては充分すぎるくらいだから、僕としては助かる。
それにするかい?」


まどかが考え込む。


「まあゆっくり考えてくれ。まだ時間はある」


(時間?)


少し引っ掛かった。


「なんの時間?」

「ワルプルギスの夜が来るまでに契約を済ませないと
君は魔法少女として仲間を助けることができなくなるだろう?」

「とにかく契約だけは止めてほしいって言われているんだけど」

「だってみんなの命がかかっているよ?
君がいればどんな魔女にだって絶対に勝てるのに」

「勝っても結局は人類滅亡なんだよね?」

「些細なことだよ」

「些細だなんて、そんなことはないよ……うーん、あっ、それじゃあその
私のがんじがらめの因果の糸を断ち切ってって頼んだらどうなるの?」

「ほむらのしてきたことを無に帰すってことだね」


これは推測だけれど、と挟んでQBが続ける。


「少なくともほむらは今のほむらではなくなるだろう。
時間遡行の能力と記憶は失うだろうし、君は凡庸な魔法少女になるだろうね。
その場合ほむら並みに特殊な固有魔法を持ちそうだ。興味深いことではある。
ただせっかくの素質を無駄遣いすることになるね」


素質の無駄遣いとやらはともかくほむらの身に何が起こるのかはっきりしない点は困る。


「じゃあ例えば……」


実はこのところ誰よりもQBと会話を重ねてきているまどかだった。



「ほむらちゃんのことは絶対に信じてる。でもねほむらちゃん」

「何かしら」


まどかの目が真剣で、かなり思いつめたような表情に見えた。


「私、ほむらちゃんと二人でちゃんとお話をしなきゃいけなくて」


そしてまた少し考えてから言葉を継いだ。


「だから、突然でごめんなさい。
もうあまり時間がないみたいで私ちょっとあせってて。
ほむらちゃんをお借りします」

「まどか?」


情況を今一つ把握しきれていない一同に向かってそう告げると無表情のまま激しくうろたえているほむらを連れてまどかは部屋を出て行ってしまった。

それを見送ってさやかがポツリと呟く。


「まどか、がんばるって言ってたの、このことかな……?」

「まあ、あいつらは話し合うべきだろ。
なんでほむらはまどかを避けてんの?」

「さあ? どうしてあんな秘密ばっかり抱える暗い人に
なっちゃったのかねえ、ほむらって」

「元々の性格だろ。誰かさんも悩むと黙る方じゃん」

「悩んで口数減るのは極めて普通ですよね、マミさん?」

「ええ」

「マミ! 無理に話を合わさなくていいんだからな!」



「まどか、私は逃げないから手を放して」

「あ、うん、ごめん」


並んで歩く。そのことがほむらの遠い記憶を呼び覚ます。


(こうして一緒に歩いていてもあなたはいつも私を置いていく)


気持ちが沈む。


「ねえ、ほむらちゃん」

「まどか」


何か言おうとしたまどかを遮った。


「なにかなほむらちゃん?」

「杏子に話すといいわ」

「え?」

「杏子はだいたいのことを知っているから」

「そうなんだ」

「ええ。事情を話してさやかを助けてもらったの」

「そうだったんだ。ありがとう」

「あなたのためにしたことではないわ」

「私にはお礼を言う理由があるんだよ、ほむらちゃん」

「とにかく杏子ならあなたの力になってくれる」

「ねえ、私はほむらちゃんと話したくてこうしているんだよ」

「私でなければならない理由があるの?」


まどかがほむらの前に回り込んでその顔を見上げた。

その表情の変化を見逃さないようにしっかりと目を覗き込む。


「あるんだよ、ほむらちゃん」


静かな声だ。


「約束したのは私とほむらちゃんだよね?」


(私を支えるもの。私の道標)


驚愕の表情を浮かべたほむらをホッとした様子でまどかは見た。


「よかった。信じてはいたけれど自信は持てなかったから安心したよ」


こみ上げる嬉しさから満面の笑顔になって、さっき放した手をまどかからもう一度つなぎ直した。


「行こ!」

「あの」


ほむらはもう何も言えない。されるがまま、まどかに手を引かれていく。

なにかすごく大事な会話を交わした気がするが、頭の中が先程のまどかの笑顔でいっぱいになっている。



部屋に夕日が差し込んできた。


「さてそろそろ忙しい時間になるわね。お開きにしましょうか」

「そですね」

「あ、マミ。今日もこいつん家に泊めてもらうからメシはいいよ」

「そう? あちらのお宅にご迷惑のないようにね」

「迷惑なんかかけてないってば。
さやかん家のおじさんもおばさんも朝早く出かけて遅くに帰ってくるんだ。
誰も家にいない間こいつのベッド借りてるだけだし」

「あなたたち、ちゃんと食べてるの?」

「あ、うち共働きだから常備菜とかおかず冷凍したやつとか
チンして食べられる物いっぱいあって、ご飯さえ炊けばいつでも食事できるから大丈夫です!」

「すごいんだ。冷蔵庫に食べ物がギッシリ入ってて感動しちまった。
手作りの即席みそ汁とかあるし」

「あれ味噌玉っていうんだよ」

「楽しそうだからそのうちお邪魔しようかな?
手土産はお米とデザートでいい?」

「歓迎しますよ~!」

「マミは意外と食うぞ」

「あなたほどではないと思うけれど」

「杏子は食べっぷりがよくて餌付けのし甲斐がありますよね」

「まったく同感よ、美樹さん」

「力いっぱい同意してるけどあたしとほぼ同じ量食うじゃねーか!」

「あなたみたいに四六時中間食してません!」

「あ、やばいマミさんがかわいい」

「あのな、おまえらの前だとちょっと作ってっからマミのやつ」

「ちょっと待って」

「暴露話はしないでおいてやるよ」


笑いながら杏子が立ち上がり「行こ」とさやかに声をかけた。


「うん。マミさんお邪魔しました。楽しかったです」

「はぁい。佐倉さんはまた後で」

「はいよ」


さやかの手を引っ張って立たせるとそのまま二人は手をつないで帰っていく。


(それにしても)


急に静かになった部屋でマミが考えをまとめようとした。


(……それにしてもなぜなのかしら)


疑問がまだしっかりした形を取らない。


(一つの街を飲み込むほどの力を持つ魔女……)

(暁美さんは統計と言ったけれど、なぜこの街に?)

(街を消滅させ無数の命を奪って消える)

(そして時間をおいてまた現れる…)

(なぜ今?)

(どうしてこの見滝原なの?)

(ワルプルギスの夜は魔女の集合体)



君たちは群れるのが好きだろう?

魔女も同じじゃないのかい?



「まさか、私たちをめがけて出現するの?」


(十分にあり得る……どういう魔女なの……そして)


「どういう……魔法少女だったのかしらね」

「それがそんなに気になるのかい?」

QBが戻ってきていた。


人通りの少ない住宅地を、さやかの家に向かって二人は歩いていく。

さやかが話題を振っても杏子は全くのってこない。


「ねえ、さっきから変だよ杏子」

「さやか」

「なに?」

「ちょっとだけ黙ってて」

「はあ?」


さすがにむっとしてつないでいた手を解こうとするとぎゅっと握りこまれてしまった。


「一緒にいてくれ頼むから」


杏子が立ち止まり早口で囁いた。変に張りつめている。

彼女の切羽詰った様子に魔女の気配でもするのかと周りの様子を窺うが特に不穏な空気は感じ取れない。


「なんなの、もう」


杏子は手を放してくれない。そしてその場から歩き出そうともしない。



「そうね。気になるわね」


マミはQBを見つめる。

赤い双眸がマミの視線を真っ直ぐに見つめ返す。


「マミは何を知りたいんだろう」

「ちゃんと答えてくれるのかしら?」

「質問によるね」

「あなたはいつでも正直ではある」

「なるべく正確であろうとしているだけだよ」

「ワルプルギスの夜になった魔法少女をあなたは知っているの?」

「基本的に僕らインキュベーターは別固体でも同じ存在だ」

「つまり知っているわけね」

「最初はあれほど強力な魔女ではなかった」

「魔女になってから力をつけてきたということ?」

「まず、魔女になった彼女を助けようとした仲間の魔法少女十数人が
あれに取り込まれてそのまま魔女の力となった。
求心力のあった子で仲間が多かったんだ。それが本体の核と呼べるものになっているようだね」


「なぜそんなことが起こったの?」

「そういう力を持っていたんだろう。それから魔力を集める渦のような力場が発生して
それは徐々に大きくなっていった。ゆっくりと気まぐれに移動しながら成長していったよ」

「魔法少女を巻き込んで力にしてきた魔女……」

「出現頻度は低いものの、なにしろ破壊力が凄まじいからね。
昔から恐怖の的だった。そして魔法少女が複数いる場所に現われる傾向があってね」


魔法少女は魔女になる。


「あなたがワルプルギスの夜を呼んだのね?」

「いいや。あれは呼びかけに応えたりなどしないよ」


マミは目を伏せ、小さくため息をついた。

見滝原の魔女はある時点から異常な増加を始めた。

一人で相手をするのは負担が大きいと考え、風見野から杏子に来てもらった。二人の間にあった確執は時間が解決してくれていた。

そんな彼女らがフルに活動してもなかなか間に合わないほど広範囲に数多く魔女はいた。

ワルプルギスの夜を出現させるためにQBが仕事をしたのだとすればおそらく、短い魔法少女の時間を過ごした急造の魔女たちであったろう。

彼女らの絶望と恐怖を思うと胸が痛む。


(……知らなかったとはいえ、片っ端から狩っていった)

(せめて大切な願いを満足のいく形でかなえることができていればいいのだけれど)

(偽善ね)

(でもその犠牲がなければ私たちは存在していけない)


「魔法少女が殺されて取り込まれるの? それとも魔女になってから?」

「そんなの君たちにとってはどうでもいいことじゃないのかい?」

「死に方を選びたいのよQB」

「命を落とすという点においてはなにも違いがないよ。いいかいマミ」


QBが前脚を踏み揃えて身じろぎをした。こういったあたりはいかにも小動物らしく見える。


「魔法少女の力というのは魔女からきている」

「どういうこと?」

「魔法の源はなんだと思う?」

「ソウルジェムだとあなたに教わったわ、最初にね」

「もう少し詳しく言うと、ソウルジェムに内包された魂の核になる力だ。
これが魔法の源で、おもしろいことに君たちはこれに人格や様々な像をあてはめようとする。
スーパーセルフと呼んだりもするのかな」


(おもしろいことに、なんて。まるで感情を持っているかのように話すのね)


そう思いつつ口には出さず、マミは黙って聞いている。


「石造りの巨大な門や尖塔、変幻自在の影絵、映像を流し続ける箱、グロテスクな怪物や獣の姿など、
まあ形はいろいろだね。自覚の有無は関係なく、それは君たちの意識の底で育ってきたものだ。
君たちの常に揺れ動く感情をエサにして、且つ因果をまといながらね」


マミが驚きの表情を浮かべてつぶやいた。


「魔女!」

「そう。魔女こそは君たちの魔力の源だ。
僕たちは君たちが育てているその像を見ることができる。エネルギー量が多く、
かつシステムによく適合する人間を僕らはそうやって知る」

「見えているの? 魔女が?」

「見えるよ。それは君たちの根源的なエネルギーだ。
この星の中心にある高温の核みたいなものだね。荒々しい力そのものとしてただ存在する。
ただし心臓を自由に動かせないのと同じように好き放題アクセスして利用するということはできないんだ」

「それがあなたたちが必要としているエネルギーなの?」

「そうだよ。感情を持つ種族のみが魂に蓄積していくこの強力なエネルギーをなんとか僕らは利用したいと思った。
まず、魂をソウルジェムに移行させることで君たちが魔力として使うことができるようになる。
次に、君たちが希望から絶望への相転移を経る」

「こうしてやっと僕らは必要とするエネルギーを効率よく抽出できる。
魔女を無理やり引っ張り出してエネルギーとして便利に使うことはできないんだ。
そうするとただ君らごと消滅するだけだ」

「僕らとしてはそれはとても困る。
魔法少女システムはどうやって君たちからエネルギーを抽出するか試行錯誤の上やっとできあがったんだよ」

「感謝しろとでも言いたげに聞こえるのだけど?」

「君らにとっても宇宙の延命というのは決して悪い話ではないはずなんだが、違うのかい?
とにかくそうやって君らから首尾よくエネルギーを得られた結果、ああいった魔女が外の世界に具現化するわけだ。
ソウルジェム内に収まっていた時とは性質を大きく変えているけれどね」


「というのも魂の核としてあったエネルギー自体は根こそぎ僕らが収穫させてもらうからね。
結果、不要で粗悪なエネルギー体として形を持った魔女が残される」

「一旦魔女になると絶対に元に戻ることはできないのね」

「奇跡でも起こらない限り死者は蘇らない。単純だろ」

「その奇跡をあなたたちは取引に使う。
本当にあなたたちがその気になれば死者は蘇るし時間は巻戻る」

「奇跡は安売りできないんだ。僕らにしてもそれなりの代償を払っているよ」

「それに引き替え私たちは命を丸ごと取られるだけで済んでいるのね?」

「まあ、そう言わないでほしい。確かにシステムは君たちの命を奪う。
だから君が片付けてきた魔女たちは要するに残骸だ。
仲間を殺してきたわけじゃない。そう考えると気が楽にならないかい?」

「残骸が出る仕様にしているのよね?」

「不要なものが残るようになっているだけだよ。どこかには捨てなきゃいけない。
でも魔女との戦いは魔法少女の存在する仮の目的としてとても適しているし
おまけに魔女化は連鎖することもある。なにかと都合がよくてね」

「それに君みたいに長生きができる固体が現われるチャンスも生まれる」


こうして会話を成立させていながら両者の間には相互理解不能な深淵が横たわっている。

マミは滔々と話す異世界人を悲しい思いで見た。


「私たちがワルプルギスの夜に勝てる確率は?」

「今のところ君たちはワルプルギスの夜といい勝負ができると思うよ」

「いい勝負?」

「簡単に言うと、君と杏子、ほむら、さやか、四人の全魔力を一気に放出させると
それだけでワルプルギスの夜の半分くらいは消し飛ぶ」





「ちょ、杏子、手! 痛い痛い!」

「…………」



「何体集まっていようと所詮は残骸なわけだからね。
生きた魔法少女の力というのはなかなか大したものなんだよ」

「QBは私たちに自爆してほしいの?」

「そんなもったいないことはしてほしくない。
僕としては君のキャンデロロに会いたいよ」

「キャンデロロ?」


なぜか懐かしい響きがする。


「君の魔女の名前だよ」

「あなたが名付け親?」

「仕事のひとつなんだ」

「私は魔女を解放させる気はないわよQB」

「そして杏子」



「ちっ!」

「杏子!? ……あんた今、誰と話してるの?」



「別に知りたくはないだろうけど、君はオフィーリア。
僕らと君らの間で盗み聞きはムリだよ」


(黙って聞いていただけだ)


「いいけどね。ワルプルギスの夜の出現はいつでも僕らにとって大きなチャンスだった。
ずいぶん便利に使ってきたよ」

「一方でエネルギー回収前の魔法少女が大勢殺されてしまうという困った問題もあった。
僕らの取り分をあれに随分持って行かれてしまったよ。
しかもそれらを有効活用しているとはとても言えない。控えめに言っても酷い無駄遣いだ。
君たちが退治してくれるのならそれでもいい」


(マミ! 大丈夫なのか? そっち行こうか?)


「大丈夫よ佐倉さん。少し暗い気分にはなるけれど」

「しかしそれらの膨大なロスもまどかが契約してくれれば補うに余りある。
まどかを育ててくれたほむらには感謝だね」


(マミ、もうそんな胸糞悪い話に付き合うな)


「大丈夫だって言っているでしょ。
でも、そうね。聞きたいことはもうこれくらいかしらね。
QBありがとう。出て行ってもらって結構よ」

「ちょっと待ってくれ。マミにもう少し話がある。
君自身のことだから二人だけで話したい。結界を張ってくれるかい?」


(QB!マミにおかしな真似を仕掛けるな!)


「佐倉さん、私は本当に大丈夫。気遣ってくれてありがとう」


(マミ! 待てって!)


「遮断された。時々人の言うこと聞かないんだよな」

「マミさん?」

「うん。マミとQBの会話を聞いてたんだけどさ」

「それでずっと上の空か。さっさと説明しなさいよ」

「ごめん。こっから一人で帰れる?」

「もうすぐそこだから」

「先に行ってて。ちょっとマミのとこ帰る」

「うん、QBも平気でエグいことするからね」


さやかは痛覚遮断を行なうきっかけになった出来事を思い出して眉をひそめる。


(君があの魔女から被るはずだった本当の肉体的ダメージはこれくらいだ)


QBの前脚がひょいとさやかのソウルジェムに触れるとさやかの全身に激痛が走った。ソウルジェムと身体の関係について思い知らされたのだった。

声を上げることも出来ないほどの苦痛にもがいていたのはたぶん短い時間だったのだろうが気付いた時には少量ながら失禁していた。

努めて忘れようとしているが、うっかり思い出す度に不快な感情が蘇る。


「……」

「なんだその暗い顔!? 何されたんだ!? あとで教えろよ!」


杏子は変身し、猛スピードで行ってしまった。


「……いや、教えないからね?」


小さくひとりごちる。


部屋の前まで跳んではきたものの、中に入れないよう強力な結界が張り巡らせてあった。

槍をぐるんと逆手に持ちかえ穂先で軽く境界面に触れてみる。小さな魔法陣が浮かびあがり、微かな振動が伝わってきた。


(杏子、来なくていいって言ったのに)


マミが話しかけてきた。


「大丈夫なのか!?」


(一時間経ってもこちらから連絡がなければ結界を破ってもいいわ。
それまでQBと二人にしてね)


「三十分にしてくれ。あんたが心配だ」


(了解)


変身を解き、背中でドアに寄りかかって待った。


「杏子かい?」

「結界の外にいるわ。こちらが意図しなければ話が聞かれることはありません。
話したいことがあるならどうぞ。ただし手短にお願い」

「わかった。ねえマミ。君が魔法少女でいられる時間はあまり残っていない。
これを伝えておきたくてね」

「どういう意味かしら?」

「君はよく頑張ったよ。魔法少女として申し分なく働いてくれた」


それで? というようにマミはほんの少し首を傾けた。


「けれどシステムがそろそろもたなくなってきている。
もしワルプルギスの夜と戦って生き残っても、たぶん君はそう長くない」

「そうなの。経年劣化ってこと?」

「いや、時間が問題じゃないんだ。システムは……そうだね。
一、二世紀分くらいの時間は充分働き続ける。
ただ君という素体にソウルジェムが耐えられなくなってきているんだ。
平たく言うと成長期に服のサイズが合わなくなるようなものだね」

「つまりどうなるの?」

「ソウルジェムが壊れる」


「わざわざ自分で砕くことはなかったってわけね」


不思議と平静でいられた。


「ほら、それだよ。君はもう僕の言葉に動じない。
一時的な麻痺状態というわけでもないらしい。
精神的な成長が著しいね。君は今とても落ち着いているけれど
不安定な方がシステムは上手く働く。いわゆる魔女化が捗る」

「それを踏まえて君に提案がある」

「どうぞ?」

「完全な同意があれば、僕はソウルジェムをいじって君をただちに魔女化させることもできる。
ねえマミ、宇宙延命のために協力する気はないかい?」

「QB、本気で言ってるの?」


マミは笑いだしたくなった。


「もちろんだよ。君はとても良質な素晴らしいエネルギーを持っている。
きちんと相転移を経た方が回収効率は抜群にいいが、それはもう無理そうだ」

「鹿目さんがいれば量としてはどうでもいいようなものではないの?」

「彼女に比べたら取るに足らなくても君を失くすのは惜しい」

「バカねQB。宇宙延命のために魔女化を望む魔法少女などいない……と思うわよ?」

「提案は受けてくれないということだね?」

「ええ」

「もったいないな。君ほどの魔法少女がただいなくなるなんて。
せっかくエントロピーに逆らう力になれるのに、すばらしいことだと思わないのかい?」

「普通は思わないの。覚えておいてね」

「君たちは個を大事にし過ぎるね。では好きにするといい。悔いのないようにね」

「ええ。言われるまでもないわね」



さやかが珍しく早く帰宅した両親と共に居間でテレビを見ていると杏子から呼びかけがあった。

二人に「宿題残してるから」と声をかけて戻った自室では魔法少女姿の杏子が待っていた。浮かない顔をしている。


「マミさん、どうだった?」

「何があったか教えてくれなかった。ものすごく落ち着いててさあ。
一緒にメシ食った後、さっさとグリーフシード集めに行っちまったよ」

「良かったじゃん。なんでブーたれてんの?」

「QBの話に、なんかモヤモヤする。だけどうまく説明できない」

「どうモヤモヤすんの?」

「私らって、魔女なんだってさ」

「うん、まあ……そうなるって聞いたじゃん?」

「いや、そうじゃなくてさ。元々魔力ってもんが魔女からきてて
……………ってまあいいか? 考えてどうなるってもんでもないし」

「ん?」

「だからさ、明け方戻ってくるからまた隣で寝てもいいか?」

「もちろんいいよ。よしよしほーら杏子ちゃん」

「うー?」


杏子がとてもしょんぼりしているように見えたので、抱き寄せてぽふぽふと背中を叩いてやった。


「なんだよ?」

「甘やかしてんの。ワザワザ言わせないでほしいな。
身体の力を抜きなさいって、そうそう」

「……ねえ、誘ってる?」


杏子は両腕をさやかに巻きつけ、頭をその肩に軽くのせた。


「バカだね杏子は。知ってたけどね」

「はあ……もう今日行くのやめようかな」

「だめでしょ。マミさん一人に働かせる気?」

「さやか、今日もいい匂いがする」

「うん、やっぱあんたはバカ」

「スイッチ入っちゃった、バカバカ言うから」


さやかの背で杏子の指がそういう動きを始める。


「杏子、今しないできない」


手が止まった。


「……じゃあキスだけ」

「ん」


軽く唇を触れ合わせた。


「なあ、今度いつちゃんとできる?」


額をこつんと合わせて未練たらたらに杏子が聞く。


「わかんないよ、そんなの。さあさあ行った行った!」


照れもあり尻を叩くようにして部屋から追い出してしまった。

名残惜しそうに出て行く杏子を見送った後少し考えていたが、自分も街に出てみる気になった。

マンションのエントランスを出る際つい癖でまどかの姿を探してしまい「たはは」と笑いがもれた。


(まどか、ほむらとうまくやってんのかな?)



まどかに連れられてほむらは鹿目家を訪れた。

話は通してあったらしく一家団らんに混ぜてもらって夕飯を御馳走になり穏やかな歓待を受けた。

いつものような仏頂面も沈黙もしていられず、目の回る思いがした。

まどかの小さな弟が遊んでほしいとあの手この手で訴えてくる。かわいい。

それほど熱心に相手をしたわけではないが懐かれてなかなか離れてもらえなかった。


「ほむらちゃん、今日は泊まっていってね?」

「せっかくだけど何の用意もしていないし、ご迷惑でしょうから」


気疲れしたのですみやかに帰宅したかったのだが。


「大丈夫だよ。ウチお泊りセット常備してるから。
着替えも歯ブラシもあるよ」

「……」



さやかは少し前までパーサーカーモードで暴れまわっていた街の通りで魔力の気配を探してみる。

ベテランの魔法少女が三人がかりで魔女を狩っているだけあってソウルジェムでの索敵に何も引っ掛かってこない。


(もう見滝原に魔女って残っていないんじゃないの?)

(それはすごくいいことだけど……)

(でもさ、私たち的にはすごくマズイんじゃないの?)


その日繁華街の一角で使い魔を見つけたが、あまり気が乗らないまま追い回して結局逃がしてしまった。


(あ、しまった)

(あいつがなにか悪さをして人が死んだら私のせい)


「……いやいや、違うって。QBのせいじゃん」


(そして、誰か……私みたいなバカな女の子が命と引き換えに願った奇跡のせいなんだ)

(QBはちゃんとはっきりそう言うべきだった。
おまえの魂と引き換えになんでも願いを一つ叶えてやるって)

(まっとうな悪魔みたいにさ)


その時ふと、こちらを窺う他人の視線を感じた。

使い魔を追いかけている時からそこはかとなくつきまとう気配を感じてはいた。


(知らない魔法少女)


気になるのは敵意ともあるいは憎悪ともとれる負の感情がさやかに向けられていることだ。


(なにかしたっけ、あたし)

(ああ、もしかしたらあの使い魔が育つの待ってたのかな)


建物の陰から様子を窺っていた人物は自身の存在に気付かれたことを察してその場から遠ざかって行く。

急いで追ってみると後姿を捉えることがことができ、もう少しスピードを上げると見知らぬ魔法少女の前方に回り込むことができた。

眼前にいきなり現れたさやかのスピードに相手が息を呑み、戦闘態勢を取った。

段平とでも呼びたいような両刃の剣を片手に持ち、頑丈そうなガントレットをつけたもう片方の腕を前に垂らしている。


「とっとっと、待って待って! やり合うつもりはないし!」


あわてて声をかけ、手に持ったサーベルを地面に突き立ててぶんぶんと両腕を振った。しかし深緑のコスチュームをまとった相手は構えを解かずにさやかを睨みつけている。


「さっきのあれ、あなたの獲物だった? なら余計なちょっかいかけてごめん!」


返事は無く、どうやらじりじりと間合いを測っている。さやかは急いで言葉を継ぐ。


「あの、あたしってついこないだ魔法少女になったばかりの新米でさ、
なんか地雷踏んじゃったかな? だったら謝るし?」

「あんたのこと知ってる」


相手が初めてしゃべった。


「あの化け物じみたやつらの仲間だね」

「化け物って、あたし魔女の仲間なんかじゃないよ?」


(あーいや、同じようなもんなんだったっけ??)


「察しが悪くて苛つくよアンタ。化け物ってのは黄色いのと赤いののコンビだよ!」

「んえっ? もう一人いなかった?」

「あいつら、街中の魔女を片付けやがってさあっ」


(ほむらは別行動か)


「ま、まあまあ、あんまり頭に血がのぼってるとロクなことにならないよ?」


憎々しげな少女を見て、さやかは心配になった。


(かなり危ないんじゃない、この人……)


「ねえ、あなたのソウルジェム見せてくれない?
だいぶ苦しそうだよ?」


目の前の少女はさやかの言葉を無視した。


「あんたら、グリーフシードを独り占めしてる。許せない……!!!」

「QBなんにも言ってなかったなあ。あなたみたいな魔法少女もいるんだねえ。
あ、ソロ活動なの?」

「何も教えないよ」

「どうして?」

「この世界は弱肉強食、だよねえ?」


意味ありげに少女がさやかを窺った。


「私じゃあいつらの相手は無理だけどさ?」


じり、と少し距離を詰めてきた。


「あんた相手なら、なんとかなりそうな気がする」

「はあ? なにふざけたこと言ってんの?」


さやかも気の長い方ではないので、感情の赴くままつけつけと言い返した。


「ねえ、あたしを倒してなにがどうなんの?!
そんなことしたくて魔法少女になったの、あんたは?」


「うるさい!! 魔女とは戦えないんだから
魔法少女から奪うしかないでしょうがあ!」

「ううん、しょうがないっちゃしょうがない気もするけど」

「コイツ腹が立つ!!」


さやかはあわてて地面から引き抜いた細身の刀身で厚い両刃剣の打ち込みを受け止めた。金属同士が激しくぶつかる音がした。さやかの剣など折れて飛んでいきそうなものだが魔法少女の戦闘は必ずしも物理に則らない。


「ん? 意外とやさしいんだね?」


さやかの本音に少女ははっきりと驚愕の表情を浮かべた。彼女の渾身の一撃だった。


(ああ、この人すごく弱いのかも)


「ねえやめよう? 引いてくれないかな?」

「うるさい!」


刃の部分にガントレットをあてがって両手で力任せに押し込んで来ようとするが、長い鍔迫り合いにはならなかった。

さやかは力の拮抗点をずらして圧をいなし、相手のバランスが崩すのと同時に踏み込んで間合いを潰した。肩からの体当たりをまともにくらって相手の身体は大きく後退する。

短い攻防だったが少女はもう息切れしていた。さやかにはその状態に覚えがあった。ソウルジェムの穢れが進むと少し動くだけで激しい疲労を感じるようになる。

さやかは手持ちのグリーフシードを取り出して見せた。


「ほら。つまるところ、これでしょう?」

「よこしなさいっ!!!」


深緑の魔法少女が吠えた。


「いいよあげる。どうぞ? あと何回かは使えそうだよ。はい」


掌に載せて差し出す。

目をぎらつかせて近づいてきた少女がそれをひったくり、後方へ跳んでさやかを睨みつけた。


「どういうつもりなの?」

「ワルプルギスの夜って知ってる?」

「?」


これから見滝原を襲う厄災と、自分たちがそれと戦うつもりであることを簡単に話した。


「赤と黄色の人はその準備のためにグリーフシードを集めてるの」

「あははっはははは」


彼女はそれを聞くと笑い出した。


「ああ、おっかしい。どうだっていいけどさあ、もっとマシな言い訳ないの?」

「……はあ」


がっかりした。

頭から信じてもらえなかった。

見知らぬ少女はさやかの落胆のさまに哄笑をぶつけると、どこかへ行ってしまった。


(……帰ろっと)


そろそろ夜も遅い。さやかはトボトボと家路についた。



「ほむらちゃん、お湯加減大丈夫だった?」

「ええ、ありがとう。いいお湯でした」

「こっちこっち」


入浴後、ほぼさやか専用という水色のパジャマを着用して脱衣所を出るとリビングからまどかが手招きしていた。

招かれるまま行ってみると仕事で不在だったまどかの母が帰宅していた。


「君がほむらちゃんか、話は聞いてるよ。美人さんだなあ」


お邪魔しています、と丁寧に頭を下げると「まあゆっくりしていきな」と気さくに言って氷を入れたグラスをちょいと上げてカランと鳴らした。


「はああ、キレイどころがいると酒がすすんでたまんないな」

「ママ、飲みすぎないでね」


知久が心配そうに声をかける。


「そうだよ、朝起こすの大変なんだからね?」


まどかも父親に便乗する。


「わかってるよ大丈夫。これでおしまい」


両親におやすみなさいとあいさつし、ほむらもそれに合わせて頭を下げた。

まどかは自室へほむらを案内し「やっと二人になれたよ」と笑う。

そして「どこでもいいから座ってね」と自分は学習机の椅子の向きを変えて座った。

ほむらは以前のループで幾度かまどかの部屋を訪れている。懐かしく思いながらベッドのへりに腰かけ、膝に両手を置いた。

鹿目家に到着した頃はガチガチに緊張していたほむらだったが、いい加減それも一周半してしまった。今では少し眠気を感じるほどリラックスしている。


「ええと、何から話せばいいのかな。でもとにかく最初に」


まどかが居ずまいを正してほむらに深々と頭を下げた。


「ほむらちゃん、ごめんなさい」

「どうして謝るの?」

「私のせいで、ほむらちゃんを出られない迷路に閉じ込めてしまいました。
本当にごめんなさい。あやまって済むことじゃないのはわかっているけど
あやまらせてください」


(?!)


眠気は消えた。


「ちょっと待って……頭をあげて。一体さやかからどんな風に私の話を聞いたの?」

「え、さやかちゃん?……ああそうじゃなくてね。あのね、QBの言い方だと
私もう半分くらい魔法少女なんだって」

「?」


まどかは自身に重ねられた因果についてQBに聞かされたことを説明する。


「そんな……それじゃ私こそが元凶そのものじゃない!」


ほむらのショックは大きいが納得のいく話でもあった。

まどかの魔女。あれはループのたびに力を増していった。そのことを疑問に思ったのは一度や二度ではなかったのに。


「違うよほむらちゃん。元々は私のお願いでしょう。私、知ってるの」

「……何を?」

「QBに騙される前の、バカな私を助けてあげてくれないかな……だよね」

「まどか?! あなたは一体?!」


先程から驚きすぎて脈拍がおかしい。いつの間にか胸に手を置いていた。昔の最悪だった身体感覚を思い出す。少しの動作で疲れて動けなくなっていた。ほむらはそっと、細く長く息を吐いた。


「あのね、私いろんなことを夢で見ているの。
初めはほんとのことだと思わなかった。
でも、あまりにもはっきりしてるし繰り返し見るから
もう時々どっちが現実か迷うくらいになっちゃった」

こんなことがあった、あんなことがあった、と夢で見た出来事を挙げていく。


(何てことなの)


「間違いなくどれも実際にあった事ね……そんなことになっていたなんて」

「最初はほんとに何がなんだか全然わからなかったのに
そのうち色々と分かってきてちょっと怖くなったりして……
それで何度もほむらちゃんに相談したいと思っていたんだけど、難しくて」

「えっと、それであのね、マミさんのおうちでも聞いたけど
避けてたんだよね? 私のこと?」


親しくすることは避けていた。コクリと頷く。


「どうして?」

「今回は、つまりこの時間軸ではということだけど、私はあなたにとって
あまり必要な存在ではないの」

「どういうことかな?」

「私はいつもあなたを魔女にさせないために動いてきたけれど、ここでは私以外の人が
そうしてくれているし、あなた自身が魔法少女になろうとする意思をみせていない」

「うん。アレになるって知ってしまうとどんなことがあっても契約はできないよ」

「そうして今のところは、とてもいい感じに時間が進行している。
なにしろ誰も死んでいないわ」

「うん」


「奇跡を願わないでいてくれてありがとう。
だから私があなたと接触する理由がなくなっていた。
それでうまくいっているのだから、なるべくこの状態を崩したくなかった」

「けれど私結局こうして強引に崩しちゃったよね?」

「あなたなりにこうしなければならない理由があった。
私一人の思惑で物事をどう操作しようとしてもなるようにしかならない。
それはもうよくわかっているから気にしないで」

「考えてみると私も物事を操作しようとしていたみたい。
知ってしまうと誰でもそうならざるを得ないんじゃないかな」

「まどか?」

「ねえ、ほむらちゃん。私は私だよ」

「?」

「ほむらちゃんにとって私は、ずっとずっと友達だった。そうだよね」

「……ええ、私にとっては」

「私にとってもそうなんだってわかってもらえるかな?」

「あなたが私の事情について知っていたなんて思いもよらなかったから」


言い訳めいて聞こえるのは仕方がない。


「うん。嫌われてたって訳じゃなかったから、いいかな」

「決してあなたのことを嫌ってなどいない」


(あなたの存在が私の生きる意味、私の全て)


「よかった。ほんとはいろいろ言いたかったんだけど、うまく言えそうにないからもういいかな」


えへへ、と笑った。


「あなたの話をもっと早くに聞いておけばよかった。
逃げ回っていたのは謝るわ」


(機会はたくさんあったというのに)


「あはは……逃げ回っているっていう自覚はあったんだね」

「そうね」

「夢とのギャップがすごくて悩んだんだけど、理由がわかったからいいや。
それでね……ええと、あった。これ、見てくれる?」

まどかが一冊のノートをほむらに差し出したので受け取ってパラパラとめくる。

魔法少女のコスチューム案が描かれている例のノートだが衝撃的なものが目に飛び込んできて少し手が震えた。

写実的とは言い難いが、鎧姿と尾ひれ、二本の剣を持つ怪物の姿。


「これはさやかの魔女……!『オクタヴィア』?」


まどかの字でそう記してあった。


「うん、名前はQBに聞いたよ。
次のページのかわいいお人形さんみたいのがマミさんで」

「『キャンデロロ』?」

「隣のページが杏子ちゃん」

「……『オフィーリア』というのね」


ほむらは何度か遭遇している。


「そして次のが、よく知ってるよね。『クリームヒルト』だって。私だね」


「これは……これらの魔女も夢で見たの?」

「うん、そうだよ」

「あ、因みにほむらちゃんの魔女は見たことないの。
QBもよくわからないって言ってた。どう転ぶかで姿が変わるほど不安定で
とんでもないイレギュラーなんだってこぼしてた」

「待って。この世界ではまだ誰も魔女化していないわ。
QBはどうして皆の魔女の姿を知っているの?」

「魔女は元々私たちの中にいてQBにはそれが見えるし、
そのエネルギー量と性質からだいたいどんな形で出現するかがわかるって。
とても長い時間魔女化のパターンを見てきたから」


(それはそれはたくさん見てきたことだろう)


「ええとね、私たちの中にいるうちは希望の源だけど、
出てきてそれだけになってしまうと絶望になるって。
君にわかるようにってQBがそう解説してくれたけど、
説明が下手でごめんね」


(後でQBを問い詰めてみようかしら)


「でも私はね、それ聞いてああそうなんだって思ったの。
でなきゃ魔法少女じゃない私が魔法みたいな夢は見ないよね。
元からあるっていうから、ああそうなんだって」


あまりにも不明点が多いが、ともかくまどかの話を聞こうと思った。


「……そう」

「それで、何かできることがあるんじゃないかなって考えたんだけど」


ほむらはその言葉の意図がつかめない。


「できること?」

「うん」


肯いてまどかが続ける。


「でもね、私のやりたいことは私一人では無理なの。
ほむらちゃんの力が必要なの」

「私の?」

「もしかしたらなんにもならないかもしれないし、
ぜんぜん時間が足りないかもしれないし、危ないことかもしれなくて……」

「まず何をしたいのか教えて、まどか」

夜明け前、杏子がさやかのところに戻ってきた。

寝相が良くないのかそれとも気遣いなのか、さやかがかなり端の方で寝ているためセミダブルサイズのベッド上にはたっぷりスペースが残されている。

眠る彼女を起こさないようにそっと隣に潜り込んだ。

魔女を数体狩りグリーフシードも手に入れた。

戦闘を幾つも終えて疲れているのに気持ちが昂っており、なかなか寝付けそうになかった。

触れたいという欲求に逆らってさやかに背中を向け目をつぶる。


「おかえり」


声を掛けられてビクッとする。寝返るとさやかがこちらを見ていた。


「起こしちまったか? ごめん」


さやかはむくりと上体を起こして「んんん」と両腕を突き上げ、大きな伸びをする。


「ふう、何時なの?」

「四時を過ぎたとこ。まだ寝てな」

「あ、結構早かったねえ」


少しぼうっとしているさやかの頭を抱き寄せて額にキスをした。


(……やっぱり、いい匂いがするんだよなあ……)


「……ねえ、杏子」

「ん?」

「思ったんだけどさ、ワルプルギスまであと何日もないんでしょ。
こうしていられる時間ってもしかして、すごく貴重なんじゃない?」

「勝つからずっと一緒だ」

「うん……だけど違うってば杏子」


まどろっこしくなり、杏子の手を導いて自分の胸に当てた。

その指がすぐに先端を探り当てた。

固くなったところを指の間に挟みそのまま柔らかく全体を揉みしだく。

気持ちがよくて、はふっと息がもれた。

杏子は呆れるだろうか。笑われるかもしれない。その前に言っておこう。


「あのさ……笑わないでね」

「何を?」

「下着の中、今ちょっとすごいかもしれない」


杏子は自分の身体にさやかを巻き込むようにしてゆっくり押し倒した。

しばらくは何か冗談を言ったりふざけ合ったりもしていたが、すぐ行為に熱が入り始めた。

もどかしげに着ている物を脱ぎ、脱がされて抱き合い、もつれ合う。






いつかどこかの時間軸で。




見滝原の街は破壊し尽くされている。

魔力を極限まで使い切った瀕死の魔法少女二人が成す術もなく倒れている。


「一個残しておいたんだ」


まどかは、これまでどうしても使うことができなかったさやかのグリーフシードを取り出してほむらのソウルジェムを浄化した。


「まどか、どうして!?」

「私にはできなくて、ほむらちゃんには、できることがあるでしょう?」

「そんな……!」


グリーフシードを求めて虚しく盾の中を探る。

ほむらの目からポロポロと涙がこぼれた。

その時まるで中空から降ってわいたように新しいグリーフシードが地面に転がった。

盾から落としたのだろうか。急いで拾い上げ、まどかの危ういソウルジェムに当てる。

間に合った。

浄化されていく。

二人は大きな声で泣き、抱き合った。

みんな死んでしまったけれど。

街も守れなかったけれど。

お互いがいさえすればなんとか生きていける気がした。

また別の時間軸。






双刀を振り回してさやかがワルプルギスの夜の本体を削っていく。

さやかが素早く間合いを取ると、宙に浮いて待機していた何本もの剣が連撃を仕掛けていった。

戦闘法にはっきりと巴マミの影響がうかがえる。


「さやか! 無理すんな! あたしと交代しろ!」


さやかに対する諸々の攻撃を一手に引き受けていた杏子が辺りの使い魔を薙ぎ払いながら声を張り上げた。


「もうちょっと! もう、あとちょっとで落ちるよコイツ!」

「あせるな! 自分のケガの治療をしろよ!」

「大丈夫っ!」


さやかは増々激しく攻撃をしかけていき、そしてついに限界を迎えてしまう。

魔力を使い尽くしたさやかが魔女化してオクタヴィアの結界が出現した。


「さやか、ちっくしょお!」


杏子は全速力でその結界を脱出する。

できたばかりの新しい魔女結界は、目の前で古い魔女に吸収されてしまった。


「なんなんだよ、一体! さやかはどこだ?? くそっ!
マミ、グリーフシード残ってないかっ? こいつほんとにもう少しで落とせるのに!」


(こちらはゼロよ! なんとかもたせて!)


無数の使い魔を潰し続けるマミが応える。


(ほむらは?! 残ってないか?)


「使って」


ほむらが近くに現われた。

時間停止空間で杏子のソウルジェムが蘇る。


「恩に着る」

「無茶はしないで」

杏子がワルプルギスの夜に向かって行き、勝負どころだと察したマミも距離を詰めてきた。

追い詰められた魔女の笑い声が高らかに響き、更に大きな力をふるい始める。

杏子の雄叫びが聞こえてきた。

果てしなく続くかと思われた戦闘もようやく終わった。

避難所でみんなの無事を祈っていたまどかのところにほむらだけは帰ることができた。


「ほむらちゃん、ほかのみんなは?」


ほむらは小さく首を振る。


「そんな、……うそ……ぜったい大丈夫って……みんな」


泣き出したまどかの肩をそっと抱く。

ほむらはもう、この時間軸から移動する気はまったくない。

目的は達せられたと言っていい。


(今度こそ終わり……やっと……! でも)

(だけど)

(ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめん、なさい、ごめん……)


ほむらも涙を流し続けた。



また別の時間軸。





まどかは避難所を出てほむらを探す。


「ほむらちゃん、そのケガ!」


治癒に回す魔力はない。


「もうこの街はダメ。逃げるわよ。あなたは生きなければ」

「待ってほむらちゃん! みんな、パパやママ、タっくんもあそこにまだ!」

「どうすることもできない。運に任せるしかないわ」

「じゃあ私が契約しなきゃ!」

「ダメ! そうしたら本当になにもかもが終わりになる!」

「だけどほむらちゃん!!」


まどかを抱えて全速力でワルプルギスの夜の影響下から逃れようとする。

だが、逃げるつもりであったのなら行動を起こすのが少々遅かったようだ。

ソウルジェムの穢れが危険なほど進んでいる。


(まもなく魔女化する)


確実にまどかを巻き込んでしまう。

これ以上この世界には留まっていられない。


(……ここまでね)


残存魔力で時間遡行を発動させる前にふと盾を探る。

グリーフシードはとっくに使い尽くしてしまっているはずだったが。


(!?)


新しいグリーフシードが目の前にあった。

まるでなんの脈絡もなくただ空中にいきなり出現したかのように。

ほむらは疑問に思う余裕もなくそれを掴み、自身の浄化を行ってすみやかに街を脱出した。

スーパーセルはおびただしい数の人命を巻き上げて自然消滅した。

まどかは座り込んだままずっと泣いている。無理もない。

だがほむらはもう時間を遡ることはしない。絶対に。

おずおずと声をかける。


「まどか。私は何もできなかった。あなたに恨まれても構わない」

「ほむらちゃん……私、わかってるの。
ほむらちゃんが精一杯やってくれたんだってわかってる」


まどかがしゃくり上げながら言う。

ズキリと胸が痛んだ。


「恨んだり……するわけ、ないよ」

「まどか」


まどかの泣き声はやまない。

ほむらは立ち尽くす。

盾の砂はもちろん全て落ち切っている。もう二度と時間停止魔法は使えない。

一人で魔女に対峙することはもう難しい。近いうちに魔女にやられるか自身が魔女化するのだろう。


(それでもまどかは生きている)


それで充分だと思った。





また別の時間軸






また別の時間軸






また別の






また




まどかは自室のベッドで身体を丸め、眠り続ける。

両手でほむらのソウルジェムを包み込み、胸に抱いている。

魔力が発動しているらしく、まどかの身体全体をほのかな紫の光が覆っている。

ほむらの姿は見当たらない。

まどかは眠り続ける。

寝顔は穏やかで、小さな規則正しい寝息が聞こえる。

その眠りはかなり深いようだ。ピクリとも身じろぎしない。

その光でQBの影が部屋の壁に大きく浮かび上がった。




また






また別の






また、別の時間軸。


使い魔にかかりきりだったマミがワルプルギスの夜本体から伸びた影のようなものに勢いよくはじき飛ばされるのが見えた。

別の場所では巨大な鉄骨の構造物が今まさに崩れ落ちようとしており、落下の軌道上にほむらがいる。


「本当に勝てるの?」

「勝てるわけがない」


まどかの問いにはっきりとQBが答える。


「見ればわかるだろう。無理だ。二人とも気を失っているしソウルジェムも限界だ」

「そんな」

「彼女たちを助けたいかい」

「助けたい!」

「なら契約するしかない。魂をかけた君の願いを言ってごらん。
君ならどんな願いでもかなえられるよ」

「私は」


(この先、私はどうなってもいい)

(みんなを助けるには)

(魔法少女という存在を救うためには)



「私の願いは」

「君はどこから」


ふいにほむらが現われてQBの身体が爆ぜた。


「ほむらちゃん?」

「まどか、いけない」

「でも!」

「ワルプルギスの夜はもうじき止まる。お願い。信じて待っていて」

「虚しいものだよ。その場しのぎの嘘というものは」


無駄だとわかっているがQBの新たな一体にも実弾を数発打ち込む。


「そいつの言うことを聞かないで。お願いだから待っていて、まどか」

「……わかった。そういう約束だったよね」


まどかは頷いた。声が震えている。不安でたまらないのだ。ほむらは頷き返してその場から姿を消した。


(この世界の私は、直撃は免れていてケガは酷くない。ただ気絶しているだけ)

(まず巴マミの救出に向かわなければ)




ねえ、ほむらちゃん。

QBの言う因果っていうのを私たちでなくしてしまうことはできないかな。

私の見ている夢はただの夢じゃない。

そこは、いつかの現実なの。

ほむらちゃんは時空を行き来してきたんでしょう。

だったら私の見ている世界に干渉できないかな。

ひとつひとつ因果を解きほぐしていくことはできないのかな。


(あなたという人は……)


私は、ほむらちゃんならできると思う。


(あなたがそう言うのなら)

(私はなんでもできる)

(なんでもする)




二人の身体が重なっている。

お互いの脚の付け根で中心を圧迫し合い、貪欲に動いている。

腕はしっかり相手の背中に回され、しがみつくようにお互いをかき抱く。

さやかの片方の脚が下から蛇のように杏子に絡みついた。

さらにより強く密着するために。

昇りつめようとしつつある二人の荒い息遣いと忘我の声、ベッドが規則的にきしむ音がする。

さやか一際大きな声をあげた。

口が大きく開き、ぐんと身体がのけぞった。

背を反らした姿勢で硬直する。

両足先が伸びて丸まったつま先が微かに震えた。

そんなさやかの名前を呼びながら杏子もまたその時を迎えた。


(やばい)

(っ、すごいのきた……、つか、これ、は)

(……と…ぶ…)


杏子は「飛ぶ」、さやかにとっては「沈む」「落ちる」といった感覚だった。

真っ白いどこかにそれぞれ二人とも。


マミは瀕死だった。

わき腹から脊髄中心あたりまでを深く切られて気絶している。

彼女を中心に大きな血だまりができていた。痛覚遮断が間に合っていても、ここまで出血していては意識を保ち続けることは難しかっただろう。

ほむらの力で修復は可能だろうか? が、やるしかない。


「あれ? マミさん?」


そこへすたすたとさやかがやってきて、おもむろに治癒魔法をかけ始めた。

ほむらは呆気にとられた。自分が新しい都合のいい夢でも見ているのかと思った。

この世界ではワルプルギスの夜が来る前に魔女化によってさやかは脱落している。ついでに杏子まで魔女化してしまった。


「あなたはどうしてここにいるの?」

「え? なんで? いちゃダメなの?」


マミの身体がみるみる治っていった。


(……さすがね)


「美樹さんなの?……私は死んだのかしら」


意識を取り戻したマミはそう言おうとして、口の中に残っていた血液で少しむせた。


「こほっ」


手の甲で口を拭いながら、不思議そうにさやかを見る。


「美樹さん……なのよね? 幻覚?」

「やけにリアルな夢だなあ」


さやかが首をひねる。口調は場違いにのんびりしている。


「ねえほむら、あれが例のワルプルギスの夜ってやつ? こっちに向かって来てない?」


まどかが夢を見ている世界、現在進行形の時間軸のさやかだと確信する。


(どうしてこんなことが)


考えている暇はない。とにかくマミのソウルジェムを浄化する。

魔女が近づいてくる。避難所から離れた方向へ誘導するため三人は一斉に動いて魔女から大きく距離を取った。


「……まだ死んだわけではなさそうね」


マミが戦闘を再開する。視界を確保するために近くのビルの壁面を駆け登って屋上に陣取った。無数の銃が魔女と使い魔を狙う。


「あれ? 杏子だ」


やはり緊迫感のないさやかの声がした。ワルプルギスの夜に向かって槍を構えた赤い魔法少女が跳んでいくところが見えた。


「どうなっているの。私は夢でも見ているの?」


呟きつつ銃を構えたマミが集中力を高めていく。


(……助けにきてくれたのかしらね。幻でもいい。うれしい)


ワルプルギス本体から時折攻撃が届くが、こうなった彼女にもう当たることはない。


「そういえば、まどかに聞かれたことがあった」


不意にほむらの背後からQBの声がした。


「因果の糸を断ち切って、と頼んだらどうなるのかって。
まさか自分たちで試そうと考えるなんてね」

「邪魔しに来たの? インキュベーター」

「危ないことをする。元に戻れなくなるかもしれないよ」

「ん? あれえ? あそこ、杏子と一緒にほむらもいるじゃん……
ほむらが二人いるよ。夢にしたって滅茶苦茶だね」

「解せないのは君だ、さやか。杏子もいる。どうやってここに?」

「QBは大体いつも何を言ってるのかよくわかんないんだよなー」

「こういった特殊な空間にはね、ほむらはともかく君らが来ることはできないはずだ。
……そうだね、臨死体験に類する心身の極限状態やストレス、激しい性行為、あらゆる魂の危機の時に
迷い込む人間がまれにいるけれど」

「ああ、とぷん、って身体が全部沈んじゃったんだよね。
そしたらマミさんがケガしてて……ってあれ? そろそろ浮上しそう」


ほむらは試しに言ってみた。


「帰るのならQBも一緒に連れて行ってもらえないかしら?」

「あ? うん、いいよ」


さやかがQBの尻尾を鷲掴みにする。


そして一人と一匹の姿は忽然とこの世界から消えた。

時を置かず杏子の姿も消えた。

ほむらは二人のことをひとまず意識から消し、戦闘を続けるマミとこの世界の自分を影ながらフォローし続ける。

自らの作り出したまどかの因果をまた一つ解消するために。

こうした干渉でどれくらい解消できるかはわからないが。

ワルプルギスの夜が崩れていく。

マミとほむらは生き残り、避難所のまどかの所へ戻っていく。

ほむらはもう時間を巻き戻さない。






(お、落ちる! ………あれ?)


杏子が自分を取り戻す。

目の前には当惑顏のさやかがいて、その手にQBが握られている。


「なるほど」


QBがそう言いかけた時、杏子がさやかの手からその身体を真横に払いざまもぎ取り一瞬で蒸発させた。

二人で顔を見合わせる。


「ほむら、いたよな?」

「うん」

「なんだったんだろう」

「うーんと、因果の糸を断ち切るとかなんとか」

「まじか!」

「え、それでわかんの杏子すごい」


朝を迎える。

まどかが目を覚ました。

傍らでほむらがその目覚めを待っていた。


「おはようまどか」

「おはよう。お疲れさま、ほむらちゃん。これでうまくいっているのかな? はい」


握りしめていたソウルジェムを返す。


「もうじきわかると思うわ」


ぬくもったそれを受け取りながら答えた。


「これこそ才能の無駄遣いというものだよ」


二人が予期していた通り、どこからともなくQBが現われて文句を垂れた。


「せっかくの素質を削ってしまうなんて」

「ああよかった、効果あったみたいだね」


まどかがふわっと微笑んだ。


「やれやれ。まだ続ける気かい?」

「やれるだけ、ギリギリまで」とほむらが答える。

「まあ、いい。それで」


QBがまどかを見て小首をかしげた。


「最凶最悪の魔女は出現しなくなりそうだし、君にとって大きな心配事が一つ減ったというわけだ。
契約は考えてくれるのかな?」

「状況によるかなって」

「そうか、うん、わかった」


QBは姿を消した。



午後、さやかのベッドで目覚めた杏子は無人の美樹家を出てほむらを訪ねた。


「よ。起きてた? なんか食わしてほしいんだけど」


他人の家を訪ねて平気で食べ物を要求する杏子を謎の生き物を見るような目でほむらは見た。


(そう言えば)


多くの場合巴マミからは供され、美樹さやかには叩き落され、まどかには手渡す。


(杏子は食べ物で友好度が測定できる子だった)


そんなことを考えながら部屋に上がるよう促す。


「えっ? サンドイッチ? しかも手が込んでる!
絶対なんかまたジャンクなやつが出てくると思って気軽にメシ頼んだのに?!」


(ああ、そういうこと)


「まどかのお家の人が今日のお弁当にと持たせてくれたのだけど」

「あー、あの料理上手な親父さんか」

「量があるし一人で食べるのはもったいないから手伝って。
ご期待通りのジャンクなものも用意する」

「おおサンキュー!」


何種類かのサンドイッチと使い捨て容器に詰められたサラダが並べられた。


「すげーうまい卵サンド。ふわっとしょっぱいのなんだろ」

「アンチョビね」

「なにそれ」

「いわしの塩漬け」

「へ~魚なのか。肉もうまい。この葉っぱは味知ってるけどなんだっけ」

「野菜はクレソン、肉はローストビーフね」

「あーそれそれ。ん、これはわかる。カリカリベーコンとチーズ。
緑はアボカドだな。うまい」

「パンめくって見ないでよ」

「え、やんない?」

「ええ」

「パンがまたうまいよな」

「お手製らしいわ」

「有能だな」


鹿目家特製サンドイッチ弁当がみるみる減っていき、少食のほむらはほっとした。作ってもらったものを残さずに済む。

火にかけていたヤカンのフタがカタカタ鳴り出したので火を止めに立った。

ストックしてあった即席めんのカップに熱湯を注いでから二人分の飲み物を用意して居間に戻る。

カップめんと湯呑を杏子の前に置き自分の飲み物を手に取った。


「ありがと」

「いいえ」


楽しげに蓋を開け、割り箸でするすると平らげていく。



「今朝のあれだけどさ」


杏子が切り出した。テーブルの上はもうきれいに片付いてる。


「さやかに聞いたよ。因果の糸を切るってつまり、まどかの化け物じみた素質ってのを消そうとしているんだよな?
合ってる?」

「ええ」

「どうやってそんなことができたんだ? 過去を書き換えるなんてアリなのかよ」

「過去を書き換えているというのは違うと思う。 私にとっては過ぎてきた時間ではあるけれど」

「うん」

「過去に遡っているわけではないの。私は繰り返してるから、それは感覚でわかる。
もっとあやふやな移動のように思う……ごめんなさい、合理的な説明はできない」

「ああ、そんな詳しく聞きたいわけでもなかったし、いいんだけどさ。
聞いてもたぶんわかんねーし」

「考えてみるとワルプルギスの夜の出現自体も、因果の糸がまどか一点に重ねられるような異常事態に
少なからず影響を与えているのかもしれない」

「そいや、ワルプルギスの夜には魔力を集める性質があるってさ。
マミがQBから聞き出してたよ。求心力のある一人の魔法少女が魔女化して
そいつのたくさんいた仲間が根こそぎ魔女の力として吸収された……んだったっけな確か」


ほむらはQBから一度たりともそんな話は聞けなかった。


「巴マミはインキュベーターの扱いが上手いわ」

「あいつら付き合い長いから」


会話が少し途切れた。


「QBと言えばさ、気付いたら目の前でさやかがQBのしっぽ握ってて」

「……!」

「なんだよ?」

「激しい性行為?」


突然杏子が大きな音を立ててむせた。

ほむらが本気で謝ってしまうほど咳き込みは長く続いた。

口に当てるタオルを手渡して背中をさすってやりながら、QBの説をテレパシーで再生させた。


“こういった特殊な空間にはね、ほむらはともかく君らが来ることはできないはずだ。
……そうだね、臨死体験に類する心身の極限状態やストレス、激しい性行為、あらゆる魂の危機の時に
迷い込む人間がまれにいるけれど”


「はあ、やっと落ち着いた。な、何それ。さやかもそれ聞いたのか?」


平静を装っているが涙目になっている。


「さやかは、QBはいつもわけがわからない、と」

「た、確かにわけわかんないけどな」

「………」


(杏子とさやかが。まったく想像がつかない)

(……想像する必要もないけれど)


「……ともかく、あなたたちのお蔭で助かった。ありがとう。
さやかにもお礼を言っておいて。私では無理だった」

「こっちはボロボロになってのびてたあんたをひっぱたいて起こしただけだよ。
あたしを見て“なぜ生きているの?”って叫んでた。
魔女になったあたしをあんたが狩ったんだよな?」

「そう」

「後始末をありがとさん」

「いいえ」

「で、本題に入るんだけどさ」


杏子は少し言い方を考えている。


「んーつまりあんた、まどかを魔法少女にする気なのか?」

「まさか」


ほむらは即答し、表情が固くなった。


「それだけはない。なぜそう思うの?」

「気ぃ悪くしないで聞きなよ。あたしら全員が自爆攻撃をしたら
ワルプルギスの夜に大打撃を与えられるんだってさ」

「QBがそう言ったの? あなたはそれを信じるの?」

「うそはつかないだろ、あいつ」

「それで?」

「それ聞いて思ったんだ。つまり全員で無理すりゃ勝てる相手だ」

「そうね」

「その無理を支えるのがグリーフシードだよな? だからせっせと蓄えている」

「……」

「まどかを絶対に魔法少女にしないってんなら、ひょっとするとおまえのやっていることは
グリーフシードの無駄遣いにならないか?」

「まどかにあんなリスクを抱えさせておくわけにはいかないでしょう?」

「大事なグリーフシードを減らしてまでまどかの素質を失くさなきゃいけないんだな?」

「これで最悪の結果は避けられる」

「最悪ってのはまどかが最凶最悪のあの魔女になることか?」

「…………」

「とすると、まどかの契約を何かあった時のための保険に使える。
だってもうあんな入道雲のお化けみたいな魔女にはならないんだろ」

「保険ね。ええ、まどか自身もそれを考えているみたい」

「だろうな。まどかが契約しやすくなった」

「でも私はどんな手を使ってでもそれは止める」

「一応言っておくけど、私も基本的にはあいつを魔法少女にするの反対だからな」

「美樹さやかは正しいわ」

「は?」

「魔法少女になった時点で人としてはもう死んでいるのと同じこと」

「おまえそれさやかに言うなよ」

「だからもしさやかやマミが命を落として、それをまどかが契約で助けようとしても私はそれを止める」

「わかったよ。確認しときたかっただけだ」


そう答えた杏子の視線を一瞬受けてから、ほむらがわずかに目蓋を伏せた。


「なぜそんな風に言えるの。私はマミもさやかも助けないと言っているの」

「あたしはただ誰も死なさない気でいるんだ。そんだけだ」


「だいたいその辺はまどか次第だろ?」


余計なことを言ってるな、と自分で思いつつ杏子は続けた。


「まどかが決断したらあんたはどうやってそれを止めるんだ?
殴って気絶でもさせるのか? 協力してやろうか?」


ほむらは挑発に乗らない。


「この話に関しては立ち入らないでほしい」

「わかったよ」


杏子はあっさり引き下がる。この話は終わりだ。


「それから」


ほむらがわずかに言い淀む。


「……グリーフシードについてだけど」

「ん?」

「ストックは、まだかなりある」

「そうなのか?! いつもいつもアレがなくなってグダグダになるじゃねーか」

「グリーフシードが切れで失敗したことも多いけど、そうでない場合も少なくなかった」

「まあ確かに。失敗のバリエーションはちょっとしたもんだよな」

「以前私の記憶を見てもらったことがあったわね」

「ああ」

「虚偽の記憶を作って見せたりはできないけれど事実を隠すことはできるの」

「ん?」

「QBと同じよ。うそはつかない。でも秘密は持てる」

「どういうことだよ」

「一人で戦おうと決めた時、とにかくグリーフシードを集めようと思った。
どれだけあっても足りなかったから………だからグリーフシードを集めるだけの周回も作った。


ほむらは変身して盾の中からばらばらとユニットバス一槽分ほどのグリーフシードを積み上げてみせた。

このひとつひとつがかつて魔法少女だったものだ。別時間のマミも杏子もさやかもここにいる。


「お、おいおい、すげえな」

「一ヶ月間これと武器をひたすら集め続けて見滝原が壊滅してから時を戻す、というのを繰り返したの」


(まあ、そうでもしなきゃこんだけ貯まるわけねーよな)


「誰ともまったく接触しなかった。ワルプルギスの夜が来て街が消えるまで淡々と作業しただけ。
感情を持たないQBみたいにね。大抵の場合まどかの魔女は現われたわ。そんな世界を捨ててきた」



「私だって同じ立場ならそうしたと思うよ」


杏子がなんでもない風に言った。


(なんて顏をするんだよ)


「簡単に言うのね」

「けどさ、こんなにあるなら私らが今ガツガツ集める必要なくないか?
マミも私もこれほどじゃないにしろストックはあるぞ?」

「いいえ」


きっぱりとほむらが答えた。


「昨夜だけで八個ほど使った」

「一日でか、豪儀だなオイ」

「最終的にどれだけ残るかわからないし、戦ってみればわかるけれど
ワルプルギスの夜みたいな規格外と戦えばあっという間に魔力は減っていく」

「出し惜しみなんかできないんだろうしな」

「ええ」

「わかった、せっせと集めるよ」

「そうしてくれると助かるわ」

「うん」


杏子は腰を上げた。


「じゃあ帰る。余計なことしゃべらせて悪かったな」


ほむらは座ったままだ。


「んな顔すんなよ、ほむら」

「どんな顔をしているの?」

「まあ、またもし手伝えることがあったら手伝うから」

「……稀なことだとQBは言っていたわよ」

「かもしれないけどさ。ごちそうさん」


ひらひらと手首から先を振って杏子は出て行き、それを見届けてからほむらはぐったりと背もたれに身をあずけた。



QBは「魔法少女の力は魔女からきている」と言った。

魔力の源であり、そこに元からあるものだと。


(ではそれは、私の土台となっているもの)


私とはなにか。


(今の私は実質これ)


掌のソウルジェムを見る。

マミはこれのことが頭から離れない。

「壊れる」と聞いたあの日からずっと。


(私は魔法少女、巴マミ)


そして


(魔法少女である巴マミはこのソウルジェム)


かもしれないが


(ソウルジェムは私)


という認識は難しい。


(だって、ソウルジェムを見ている私は何?)


身体など単なるハードウェアに過ぎない、とQBは言った。

しかし自身が身体に在る、という確かな感覚を消すことはできない。

言葉を紡いで思考するのはこの身体なのだから。


“君たちは個を大事にしすぎるね”


(QBと私たちは違いすぎる)

(そしてQBは、ウソはつかない)


QBにとっては人間の身体はあくまでも単なる外殻にすぎない。

スペアをいくつも持つ彼らであれば、そう言うだろう。

(QBは身体を軽く見すぎている。身体が一瞬で失われるようなことがあれば
ソウルジェムだって無事なはずはないのに)

(どちらかを失えば私という個体は存続できない。魔法少女システムによって
本来不可分な身体と魂を分かたれた存在になってしまった……)

(私という存在に深く根を張り食い込んでいるこのシステムは私にとって極めて不自然なもの)

(ソウルジェムが私に合わなくなってきている、と言ったわね)

(システムが適合しにくくなってきている、と)


精神的な変化、思春期の終わり、すなわち成長がシステムの不適合を起こすのならこれは魔法少女すべてに起こり得る。

だが個人差はかなり大きいとみていいだろう。

ふと、暁美ほむらの気持ちが理解できる気がした。

出会った頃の表情の読めない張りつめた雰囲気を思い出す。


(話すべきことを話すことができない。そんな状況もあるのね)


魔法少女の終わり方について得た新しい情報についてはワルプルギスの夜が終わるまで自分の胸に収めておく。

だが、まだQBは大事な情報を隠している。

なんとなく彼女にはそれがわかる。

マミは何度かコンタクトを取ろうとしているがインキュベーターは姿を現さない。

今までこんなことはなかった。


“悔いのないようにね”


(もちろんよQB)


マミはソウルジェムを見つめ集中する。

「私」に集中してみる。

肉体による思考活動を放棄することで「私」であるソウルジェムそのものを感じ取ることはできないだろうか?

そんなことを考えていた。

だが思考を止めることは難しい。考えないでおこうとするとなおさらに。

そこで魔力を使った。

直後、マミの身体は肉体の五感を失う。



そして、破壊され尽くした街に立っていた。遠目にいくつか見える見慣れた人影は。

そして、いつか見たことのある魔女結界内にいた。魔女の気配を辿って結界内を歩く。

そして、父母と談笑し、学校に行き、戦い眠り食べ笑い泣き怒り悲しみ喜び



………を通り抜けると黄色い光に包まれた。

魂に深く食い込んだシステムという、彼女の持つイメージが形をとってそこにある。

特定の感覚に頼ろうとするとすり抜けていく、定まりきらない像をマミは追う。

ようやくピントが合ってきた。


巨大な輝く柱があり、その数か所に無機質の円盤が枷のようにがっちりとはめられていた。

円盤の大きさはさまざまだが、それらはごくごくゆっくりと回転している。

どうやら歯車のように思えた。

それ自体なにかを包み込んでいるらしくはちきれそうに膨れ上がっているのがわかる。近い将来、内側から歯車を割るだろう。


“合わなくなってきている”のだ。


それは本来喜ぶべきことのように思える。

問題は魂が身体から隔離されていることで、これがすべての元凶だった。

システムにより生成されたソウルジェムが破壊される。それは魂の消滅、生命活動の終わりを意味する。

しかし、なぜソウルジェムの破壊が魂の自由を意味しないのか。システムから解き放たれた魂はなぜ身体に戻らないのか?

元々それは不可分のはず。一旦離れ離れにされても、触れるだけで身体は意識を取り戻す。ただ触れるだけでそこに魂があると認識できるほど緊密なはずなのに。

つまり枷、というイメージは正しく枷であるのだろう。

枷から逃れられないままでいるから、魂はシステムごと破壊されてしまうのではないだろうか。

では自ら枷を破った魂はどうなるのか。

その時、マミの身体に集中を妨げる力が加えられた。



「ただいまあ、っておーい」


杏子がマミの部屋に戻ってきてみると、薄暗いリビングにマミがひっそりと座っていた。

ローテーブルの上に彼女のソウルジェムが鎮座している。

魔力を使用中らしく、柔らかな山吹色の光がランタンのようにぼんやりと辺りを照らしている。


「なにしてんの?」


電気を点けてやる。


「マミ?」


様子がおかしい。

目を半眼に開き、正座している。呼びかけに反応がない。


(まさか)


おそるおそる背中に耳を当ててみる。

心臓は動いているし静かに呼吸もしていた。杏子はホッとする。

耳の側で名前を呼んでみた。

やはり反応がない。

どうしたものかと考えていると、ごくゆっくりとマミが戻ってきた。

魔力の発動が消え、マミがふうっと息を吐いた。

当惑顔の杏子に気付く。


「あら、お帰り」

「ただいま……なにしてたの?」

「実験」

「はあ?」

「杏子」


名前を呼ばれると少し身構えてしまう。なぜか叱られそうな気がする。


「とりあえず、何も聞かないで」

「……なんだよ」


杏子にニコリと微笑みかけると、あとはどこまでも普段通りのマミだった。






日々は過ぎていく。



(どうやら、終わりのようね)


その日ほむらはいつものようにまどかの夢に入ろうとしてそれができないことに気付いた。

兆候はあった。

ここ二、三日エピソードを移動するたび、不安定な空間のゆがみを感じるようになってきた。昨夜などは途中でプツリと途切れて放り出されるように現実に戻された。

因果を刈りつくしたわけではないだろう。

たぶん、これまでは膨れ上がったまどかの素質によって異空間への移動が可能だった。因果が減じてそれができなくなったのだ。

予測はしていた。


(返してもらうわね)


まどかの手にある自分のソウルジェムを、指を解いてそっと取り上げた。


「おやすみなさい」


安らかな寝顔に小さな声であいさつをし、部屋を去る。

ワルプルギスの夜まであと三日。



「最近、QB見かけた?」

「ううん、見てない。まどかのとこにも来てないの?」


屋上でお弁当を食べながら、まどかとさやかが話している。


「うん来ないよ。マミさんの所にもいないみたい」

「杏子が一緒だからかな?」

「ねえ、杏子ちゃんとは会えてるの?」

「うん。今朝も顏見たよ。どうして?」

「グリーフシード集めが大変になってきてるみたいだから」

「だねえ、ちょっとぐったりしてた」

「うん、ほむらちゃんもそんな感じ」


見滝原とその周辺の魔女は狩り尽くされグリーフシード入手の難度は上がっている。


(あの子はどうしてんのかな)


さやかは数日前に出会った名前も知らない魔法少女のことをふと思い出す。

彼女について杏子に話すと「ああ」と心当たりがある風だった。もし遭えたら街を出るよう説得すると約束してくれたが、以来一度も見かけていないそうだ。

それも無理はない。ベテラン組は見滝原を出てかなり遠方まで出かけている。毎日帰りが遅い。

朝の登校時間頃になってようやく戻ってくる。


「ねえ、もしかしてさ。まどかは魔法少女になろうとしてる?」

「……場合によってはアリかな、って」

「やめてあげなよ。ほむらの苦労が水の泡になっちゃうよ」

「そうかな……ワルプルギスの夜がもうこれから一切出現しないようにってお願いはできないかなあ
なんて思っていたんだけど」

「あー、それできたらすごくいいなあ。
けどまどかまでこんな病気になっちゃダメだよ」

「病気?」

「ゾンビになる病気って思ってる。致死率百パーの」

「さやかちゃん……」

「最近よく思うんだ。もっと詳しくバカでもわかるように具体的にきっちりはっきり
説明してほしかったなって」

「……」

「あ、でもね、それでも契約はしてたと思う。あたしってほら、バカだし意地っ張りだし。
奇跡ってこう、抗いがたい魅力があるんだよねえ」


さやかは知らない。

上条恭介の身にその奇跡が起こった時、この世ならざる力が働いたことを彼はどこかで理解した。

そのため彼の心は歓喜ではなく、しばらくの間底知れない恐怖に満たされたのだった。

天才肌の人間が持つ直感で、彼の幼馴染とその恐怖が分かちがたく結びついてしまう。


「なんていうのかなあ、その人にとってどうしても手に入れたい物って
他の人から見たらなんで? みたいに思う物でも、死んでも欲しいって思うんだよ。
あ、別に言い訳してるんじゃないよ?」

「うん、わかってる……たぶんそういう風に思えるってことも魔法少女の素質なのかもね」


(そしてさやかちゃんは代償として命を、上条君はさやかちゃんを失う)


「つくづく、QBっていろいろと、問題あるよね……」

「まどか! 黒くなってるよ!」

「……黒くもなるよ、さやかちゃん」

「ま、奇跡を願おうにもQBが出てこないんじゃしょうがないけどね!」

「えへ、そうだよね。ねえ、さやかちゃんは今度いつQBが私の前に出てくると思う?」

「契約のチャンスってことだよね?
うーん……ワルプルが来て、みんながピンチ! ってなった時?」

「そんなに単純かなあ」

「た、単純でごめんね?? まどかってたまに辛辣だよ?」

「え、そうかな? けど、今の私って魔法少女としての才能がかなり目減りしてるはずだから
どの程度の願いが叶えられるのかな」

「そんなのほんとにQBにしかわかんないよね。もう夢って見ていないの?」

「すごくぼんやりした何かは見るんだけど……覚えてないんだ」

「そっかあ」


しばらく黙々とお弁当を口に運ぶ。


「あ、そうだ……ねえまどか」

「なに?」

「全然関係のない話だし、ちょっとアレな感じで悪いんだけど」

「どんな感じかな?」

「私におう?」

「え?」


少しの間言い辛そうに「やーえーと」と口の中でモゴモゴ言っていたさやかだったが、食べ終わった弁当箱を片付けるとキッとまなじりを吊り上げてまどかを見た。


「ど、どうしたのさやかちゃん?」

「あのさ。杏子が時々あたしのことなんかその、匂いがするって言うんだよね。
自分じゃさっぱりわかんないんだけど、私、体臭キツイ?」

「さやかちゃんとはさんざんくっついてるけど
……別に匂いってわかんないけど……?」

「ほんとに?」

「ほんとだってば」


お弁当の最後の一口と紙パックのお茶を飲み終えたまどかが「失礼するよ」とさやかの襟元あたり、ごく近くに顔を寄せた。


「……うん、改めて嗅いでみても……ふつうかなって」

「そう? そうかあ、じゃあよかった」

「んひゅ?」


ワシっとさやかがまどかの頭を胸に抱いた。


「ありがと! いやあ、なかなか相談しづらくてさあ、あははは」

「あっ!」

「な、なに、やっぱなんか匂うとか??」

「杏子ちゃんの匂いがする!」


さやかはパッとまどかを放して二メートルほど後ずさった。

血の気が引いて白い顔のさやかにまどかがニコッと笑って見せた。

さやかと密着した時、匂いというよりごく微かな気配のようなもの、さやかのまとう空気がふと杏子のイメージを喚起させた。


「あ、えーと」

「ちゃんと仲良くしてるんなら良かった」

「な、仲良くって、今日は出がけにハグされただけだよヤダなも~」

「わああ……今日はって……だけ、ってさやかちゃん……」

「教室戻ろ!」


さやかは本気のダッシュで逃げていった。

ワルプルギスの夜まであと二日。



「マミ、約束してくれ」

「何かしら改まって?」

「自爆だけはナシな」

「あら。あなたが言うのね?」

「あんた時々、こっちがヒヤヒヤするくらい思い切りがいいからな」

「そう? それはあなたにこそ言っておきたいわね」

「あたしら二人でドカーンってことがあったんだよ」

「それはいかにもありそうよねえ」

「だからあったんだって。約束してくれ」

「ん。でも最後のひとりになってしまったらその時は思い残すことなく」


言いながら掌をパッと開いて見せた。


「あ~そんならいいや。あたしもそうするし」

「ふふっ」

「笑いごとじゃねえっての」


あと一日。


「ちゃんと覚えたか?」

「もう何回も確認したし、こうやって実際に見てるんだからさあ」

「ほむらが言うにはかなりえぐいやつ仕込んでるそうなんだ。絶対に巻き込まれるなよ」

「わ、わかってるよ」


赤と青の魔法少女が二人で魔女出現予定地点の近くに来ている。

ほむらが仕掛けたトラップの場所を一通り巡り、九十メートルほどもある電波塔の上に並んで座って街を見下ろした。風が強い。


「この景色ももう見られなくなるのかなあ?」

「ああ。明日にはめちゃくちゃになっちまう」

「あたし、この街の景色が大好きだったよ」

「そっか」

「見納めかあ」

「すぐ元通りになるって、きっと」


もうすぐ日が沈む。どちらからともなく手をのばしてつなぎ合った。


「ねえ杏子」

「ん」

「あんたが好きだよ」

「………初めて聞いた」

「えっ、そうだった?」

「そうだよ」

「ええ? うそでしょ? 自分では好き好き言ってる気がしてたけど……」

「えっちん時だけな!」

「……そうだっけ? 酷くない私?」

「そーでもない」

「そうなの?」

「うん。さやかがさやかなだけで十分だから」

「どういう意味?」

「言った通りの意味」

「ふーん」

「でもさやかのおかげですごい幸せ」

「そう来るかー」

「大好き」


太陽はすっかり沈んでしまった。


「そっか、嬉しいよありがと……じゃあえっと、あたしのどんなとこが一番好きかな? なんて聞いてみたり?」

「そう言われて一番最初に思い浮かぶのは」

「うんうん」

「さやかのきれーなおっぱいなんだけど……」


冗談なのか本気なのか判断がつかなくて、さやかは隣に座る杏子の顔を覗き込んだ。

夕闇にまぎれてさっぱりわからない。


「あ、それからそれだけじゃなくてその……こう……脇から腰のラインとか
……すべすべした脚とか……見てるとたまんなくなる白い背中とか……」


らしくなくモジモジと杏子は続ける。

つなぎあった杏子の手の親指が届く範囲をすりすりとさすった。冗談でもなんでもない単なるド本気だった。


「ま、待て待て杏子! そういうことは聞いてない!」

「……えっ?」

「えってあんた……うぐぅ」


身体だけなのかとかなんとか突っ込もうと思ったけれど、痛いくらいに抱きしめられてどうでもよくなった。


「なあ、最近してないじゃん?」

「そうだっけ?」

「だからさ、今ここでしよっか? 脱がなくていいから」

「……やだよ、こんな吹きっさらしのとこで」


そう言いつつもさやかの腕は杏子の首に回された。


「けど杏子」


耳に口をつけて話す。


「あたしはあんたのそういうとこも好きみたい」


ごくりと杏子の喉が鳴った。


「えっと……前から思ってたけどさやかは相当やらしーよな」

「あんたがそんな風にしたんだっての」

「なに言ってんだよ」


露出した胸の上部に頬ずりしながら杏子が言った。


「最初っからそんなだった。知らないの?」

「そんなつもりはないんだけどな」



人同士の濃厚な感情の交わりを察知して彼女はよろよろとそれが強くなる方向へ歩みを進めた。

展望台のある広場はこの時間カップルが多いが感応したのは彼らではなさそうだ。

彼らのはまとまって大きくなり彼女の狭めた門には入らずにすべっていく。


(この感じ知ってる……あれだあいつ、すごく単純な青いの……あいつは楽だった……どこ)


感じ取ろうという意思を持ったことで感応力が強まった。入り口が広がった。


(しまった)


どうしようもない混沌がなだれ込んできた。激しい頭痛とこみあげる吐き気をこらえながら少女は滂沱たる涙を流す。冷や汗も止まらない。


(いたいいたいいたいたいいたい、頭がものすごくいたい)

(も、もうすこしこれの近くにいかないと)


門を閉じることはできない。少し狭くすることしかできない。



“願い事を一つかなえてあげる”

“だから僕と契約して魔法少女になってよ”



契約時に望んだことは「人の気持ちがわかるようになりたい」というものだった。

友達同士の関係に悩んでいて切実に「他人の気持ちを知りたい」と思っていた。

願いはかなってエンパシー能力を得た。

他者の感情を身体感覚で知ることができるようになった。

これで人間関係のトラブルから無縁になれると喜んだのだが、すぐに後悔した。

この力は彼女に苦痛しかもたらさなかった。


学校と家は特にひどかった。知ってる顔がいるところだと相当辛い。

魔法少女になって三日ほどで学校に行くのはやめた。

グリーフシードを手に入れるため一度結界に入ったことはあるが魔女本体に近づくことなど出来そうもなかった。

変身すると能力は何倍にも増幅されて結界内にいるだけで黒い濁流にすべてをもっていかれそうになった。

号泣しながら逃げた。

少しでも楽になる場所を探してみると知らない人間が大勢いる場所が少しマシだとわかった。

入りこんでくるものが多すぎて、門を狭めてさえおけば入って来れずに上っつらを滑って行く感じだ。

日がな一日雑踏で過ごした。警官や補導員、学校関係者を避けるのは簡単だった。

よろしくない目的で彼女に声をかける者もすぐにわかる。

魔法少女として力を使うことはほとんどないまま一ヶ月ほどが過ぎた。

魂の宝石とやらは日に日に濁っていった。


「これを濁らせてはいけないよ」


白い獣はそう言った。


「大変なことになるからね」


契約後のそんな言葉を最後にそれは一度たりとも姿を現さない。


展望台に近づくにつれ苦痛は薄れた。

ベンチに座りたかったが空きが無く、塔をぐるりと囲んだ芝生の広場に座り込んで膝を抱えた。


(たぶんこの塔の上)


快い感情の応酬、深いレベルの交感、目をつぶってしばしその流れの中で憩う。


(楽……それにあたたかい)

(どこも痛くない)


安堵の涙が出た。

鼻をすすりあげながら、青い魔法少女が与えてくれたグリーフシードを取り出してみる。

ソウルジェムの穢れは進行するにつれそのスピードを増したので、すでにもう何回か使ってしまっている。


(もうこれダメそうだな……)


どうしたものかと考えていると覚えのある空虚なものが近づいてきた。


「やあ」

「気味が悪いね。あんたはなんでそんなに空っぽなの」

「そうか君はエンパスだったね。僕らには感情がないんだ」

「そんな不気味なやつだって知ってたら契約なんかしなかったよ。なにしに来たの?」

「そいつを回収しよう。放っておくとそこからまた魔女が孵化する」

「あっそ。じゃあほら」


ぽいと投げてやるとグリーフシードはその背中に吸い込まれた。


「うげえ、ほんとにきもちわるい」

「そうかい?」

「私はどうして放っておかれたの? ほとんどなんの説明もなくフォローもなく」

「そうだね。聞かれたから答えるけれどもっと早くに君は魔女に殺されるか
あるいはソウルジェムを濁り切らせて魔女になるはずだったんだ」

「え……? 魔女になる?」

「君レベルの素質の子には本来契約を勧めないんだよ。ほとんどメリットがないからね」

「じゃあ、私はなぜこんな身体にされたの? 苦しくて仕方がないよ、これ」

「魔法少女を増やしてワルプルギスの夜を発生させたかったのと、力量のある子たちへのグリーフシード供給のためだね」


少女は肩を震わせて笑った。


「は……魔女へのマキエか魔法少女のエサってか。めちゃくちゃ有意義だね」


ソウルジェムが限界を迎える。


「ま、これでやっと楽になれるのかな」




「魔女?!」

「近い!」





「な、なんかずいぶんあっさりだったね??」

「………ああ、そうだな」



まどかの部屋にほむらがいる。

ほむらを一人にしたくなかったまどかがかなり強引に誘って連れてきた。


「グリーフシードはもういいの?」

「ええ。今夜はもう何もしない。みんなで手持ちのものは全て分け合ったの」

「足りそう?」

「充分にあるはずよ」

「絶対に死なないでね」

「大丈夫」

「みんなが帰ってこれるように祈ってる」

「あなたは何があっても絶対に契約しないでね」

「何度も聞いたよほむらちゃん!」

「ええ」


(私はそのために生きているようなものだから)


まどかの携帯が鳴った。


「あ、マミさんだ」


なんだろうね? とつぶやいてまどかが電話に出た。

ほむらは通話が終わるのを待つ。そう長くはかからなかった。


不思議そうな顔で携帯を閉じたまどかが会話の内容をほむらに伝える。


「今までこんなことあった?」

「ないわね」

「思い出したことがあるんだ。一度、マミさんと杏子ちゃんが一緒に自爆したことがあって」

「ええ」

「あれは私が弱すぎたと思うんだ。ごめんね」

「いえ、私の方こそ言い方が酷かったと思う」

「けれどまたあんなことがあったら、私きっと二人を助けてって願う。
それができない無力感もあって最終的にああなったんだ、きっと」

「そうかもね」

「あきれてる?」

「いいえ、鹿目まどかはそういう人だから。
私は結局いつもあなたを止めることができなかった」

「ほむらちゃん……なんかゴメン……」

「それでも言わせて。魔法少女にはならないで」

「……私、なりたいとは思ってないからね?」

「約束はしてくれないの?」

「えっと、破ることになるかもしれないから……」

「……」

「もし、私が契約したらほむらちゃんはまたやり直すの?」

「……」

「ほむらちゃん」

「そうなったら、あなたが魔女にならないように四六時中ずっと張り付くようにするわ」

「あは、ほむらちゃんもそんな冗談を言うんだね」


ほむらは曖昧に笑みを返した。


「………もう寝ましょうか」

「うん。おやすみなさい」

「おやすみなさい、まどか」


また光の柱を見ている。

柱を芯に歯車はゆっくり動き続けている。

中の何かが時々発光しているので、歯車全体がぼうと薄く光る。

特に柱の上の方にある円盤は中身が透けて見えるのではないかと思う程強く光っている。

柱に沿って下降する。

一番下段にある歯車はとても大きく、さらにその下方には脈動するコアがあった。

質量を感じられそうな大量の光。

これだ、と思った。

躊躇せずコアと同化し身を任せる。

広大な空間を感じる。

巴マミという個を保持しつつ広がり、これがキャンデロロだと理解する。

呼びかけてしばしの間言葉にならない会話を交わす。



それからマミ自身に戻ってきた。



ソウルジェムが外側から破壊されればシステムも魂も共に損なわれる。

しかしシステムのみ壊れるのなら、自由になった魂は勝手に身体に戻る。

希望が温かく胸のうちを満たしていく。

実際にその時なにが起こるのかはマミにはわからない。

ふと引っかかることがあった。

携帯を手に取りまどかを呼び出す。


(今言っておかないと明日はたぶんこれについて彼女と話す機会はない)


「鹿目さん? こんな時間にごめんなさい」

「大丈夫です、起きていました。どうかしましたか?」

「お願いがあるの」

「はい」

「あなたは今、一つだけ奇跡を願うことができるわね」

「はい、そうですね」

「けれど、何があっても絶対にそうしては駄目」

「ほむらちゃんにも散々そう言われています」

「QBを見かけた?」

「いいえ」

「私もよ。でも明日には会えるでしょう」

「はい」

「あの子の話に乗らないように。あの子は私たちと違い過ぎるの。
だから、もしもあなたの足元に死体同然の誰かが転がっても決して契約を交わさないで。
覚えておいてね。お願いよ」

「?……あの……はい、お話はわかりました」

「暁美さんによろしくね。ではまた明日」

「はい。おやすみなさい」




そしてワルプルギスの夜がやってくる。


(今度こそ)


ほむらは目を凝らし、強風が吹き荒れる見滝原上空に誰よりも早く巨大な魔女本体の姿を認めた。

地上に、空に、溢れるように使い魔の群れが出現し始める。


(打てる手はすべて打った。これ以上はない状態でこの日を迎えることができた)

(これでダメならもう何をしてもムダだとすら思えるほど)

(失敗したら今度こそ私は絶望してしまうかもしれない)


ほむらが文字通り時間の合間を縫って仕掛けたトラップが次々と作動していく。

自ら操作するものは操作し待ち伏せるタイプのものは最も効果的にそれが働くよう能力でタイミングを合わせ、あるいは場所を調整した。

魔力を帯びない通常兵器があまり効かないことは分かっているがほむらにはこれしかない。

爆発に次ぐ爆発、魔女を中心に次々と巨大な火柱が上がる。

やがて最後のトラップが発動を終えた。

全ての攻撃を受け切ってワルプルギスの夜が耳障りな笑い声を響かせる。


(そうでしょうね……でも、いくらかは削れたはず)


ここから先は他メンバーとの連携となる。

ほむらは最適の間合いを探しつつ跳んだ。


魔法少女は自身の性格や能力に最も適合する武器を持つ。

杏子の場合は槍だが、これほど扱いやすくて変幻自在で攻撃力の高い武器はないと密かに自負している。多節棍あるいは鞭、鉄鎖としても使うことができるが、これはリボン使いのマミの影響だ。

魔女が出現し、ほむらの攻撃が始まっている。

巻き込まれないよう最後のトラップが発動し終えるまで本体への攻撃は控えて使い魔の相手を続けている。

一際大きな爆発音がして地響きがしたかと思うと、天を焦がす巨大な火柱が上がった。


「おお、すげー!」


爆風が吹き荒れる。思わず声を上げた。

仕留めたのかと期待したがきのこ雲の中から魔女は笑いながら姿を現した。


「ちっ!……けど、そうこなくっちゃ」


担いでいた槍を脇にたばさみつつ高速で足元を薙ぎ、後方へ払いあげてから全速で振り下ろしてオーソドックスな槍の構えをとった。槍の重さをまったく感じさせない動きだった。穂先がぴたりと魔女本体へ向く。

その過程で辺りの使い魔は一掃されている。

とある古い流派ではこの一連の動作が正式な攻撃開始の宣言だが、そんなことは杏子は知らない。


「さて」


とん、と軽やかに踏み出して魔女本体へ向かって行く。

爆風が収まると雨が強く降り始めた。

魔女由来の大風がますます強まっていく。


予想される魔女の進行ルートは人が集まる避難所を直撃するため少し逸らせる必要があった。建設途中の高層ビルに陣取ったマミは

魔女本体から一番遠くに位置しつつ囮になる。


「出し惜しみはしないわ」


おびただしい数のマスケット銃が筒先を並べている。攻撃の意思を込めると先触れの使い魔が続々と集まって来た。

暴風雨の中、際限なく増え続ける使い魔を風や距離の影響を受けない魔法の銃弾が次々と捕えていく。

弾丸を潜り抜けてマミに近づく個体があれば視線すらやらずにリボンの餌食にした。

そうしつつも折を見て魔女本体と直接交戦を始めたほむらと杏子のために攻撃力を高めた弾で本体を狙撃した。

さらに大掛かりな攻撃を仕掛ける機会を待つ。使い魔の雲が晴れるタイミングを。


(今!)


二人にテレパシーを飛ばす。


(当たらないようにしてよ!!!!)


二人が使い魔を引き連れて左右に分かれたところに一斉射撃を行なう。


弾は魔女本体に集中し、巨体が微かに揺れた。マミのソウルジェムが一気に三分の一ほど濁る。すぐさま魔女本体から触手のような影が伸びてくるのをリボンを固めた盾でいなした。


「そうそう、あなたの敵はここ。こちらへいらっしゃい」


マミは自分が恐ろしく集中しているのを感じる。

眉間にチリチリと電気でも帯びたような感覚があり、五感が澄みわたっている。かつてないほど調子がいい。戦場がよく見えた。

ほむらの部屋にある資料で魔女の姿は知っていたが、こうして実物に遭遇してみることで改めてわかることもあった。

巨大な歯車に目を奪われる。


「なんとなくだけど、生前のあなたとは気が合ったんじゃないかしら」


(私には……その姿は冒涜のようにも思えるけれど)

(相転移、堕落、聖は俗に、俗は聖に……なんてね)


惜しまず魔力を使うのでソウルジェムはどんどん濁っていく。


(これほど魔力を全開にさせたことはなかった)

(これほどやれるとも……知らないことはいろいろあるものね)


役目を終えたグリーフシードを下の地面に投げ落とす。

恐怖はない。油断もない。わずかな緊張を保ち戦闘を続けた。


「それにしても大きいなあ」


夢か現か定かではない淡い体験ではあったものの、確かに一度それとは遭遇していた。


「とにかくこいつさえ倒したらいいんだよね」


戦意は高い。しかし轟音を響かせた大きな爆発の後、生身なら無事では済まなかった高温の熱波と荒れ狂う爆風が届いた時さやかはふと気持ちが怯んだ。

爆心地近くで鉄塔がいくつもグニャリと曲るのを見た。昨日杏子と昇った電波塔も大きく傾き倒れた。

マントが千切れそうにはためき、両肩があらわになった。

鉄骨や軽自動車並みに大きいコンクリート片がそこら中を恐ろしいスピードで飛んでいく。

掠っただけで致命傷を負うだろう。自身を守る不可視のシールドにそれらが時々接触し、その度に白い魔法陣が浮き出る。


(やっぱ怖い)


しみじみと思う。


(不思議だなあ。もう死んでいるようなものなのに、いざ死ぬかもってなると死ぬのは怖いんだね)

(生き残りたい)

(そしてみんなと生きていきたい)


さやかはいくら倒しても減らない使い魔を捌き続けた。

戦闘は始まったばかりで三人ともまだまだ余裕がある。

回復役である自分の出番は当分なさそうだった。それは幸いなことだ。

時々本体から攻撃が伸びてくる。使い魔のそれとは桁違いのパワーを感じた。

当たればひとたまりもないので、念入りに避ける。

雨で視界はかなり悪い。魔力で強化した眼で時々杏子とほむらを確認した。

と、その時二人が慌てたように移動したかと思うとマミの位置するあたり一面から射出されたとんでもなく高い魔力が魔女に届いた。

戦闘に入る前、必要な時以外はマミと魔女を結ぶ線上には不用意に近寄るなと口を酸っぱくして言われていた訳がわかった。


「うっわ、すごいねマミさん……!」


一瞬の眩しい光、それから轟音が響いて全身がびりびりと震える。

魔女の高笑いは止まない。


まどかは家族と共に指定の避難所にいた。


「ねえちゃ!」

「タっくん、ほらお口がよごれてるよ」


見知らぬ場所のせいで興奮気味のタツヤの相手をしてやる。大きなスポーツイベントにも利用される広いホールだが、避難している人々でいっぱいだ。

わずかに感じた地響きにふと顔を上げた。


「ん? また地震……じゃないな……
まさかコンビナートで爆発事故でもあったんじゃないだろうねえ」


母が呟く。


「どうしたまどか? 不安か?」

「え? うううん……人が多くてちょっと落ち着かない、かな」

「仕方ないさ」

「うん」

「あそぼーねえちゃー」

「わ、タっくん、いい子だから暴れないで」

「えへへへへ~」


まどかに体重をかけて甘えるタツヤを知久がひょいと抱き上げた。


「きゃーっ!!!」


嬉しそうに父の頭にしがみつく。


「限界だね。ぼくが少し散歩させて来よう。トイレにも並ばなきゃ。
おいでタツヤ」

「はいっ!」

「いい返事だね」


母と二人で手を振って父子を見送る。


「タっくんは元気だなあ」

「ちっちゃいまどかはおとなしかったよ。
こんな所に連れてきたらアタシに抱き着いて離れなかっただろうねえ」

「そうなんだ?」

「そうさ。ねえまどか」

「なあにママ?」

「なにか気になることでもあるのかい。ずっとそわそわしてるぞ」

「う、うん」

「そういや、さやかちゃん見ないな? ほむらちゃんはどうした? ここに来ているはずだろ?」

「うん……そうだ、ちょっと探してきていい?」

「ん?」

「その辺、見てくるね」


母の目を見ずに立ち上がり、出入口の方を向いた。

詢子は娘が何かを心に溜めこんでいることには気づいているが、口を出すことは我慢していた。立ち上がった娘を見上げて(大きくなったんだな)と思う。


「建物の外に出るんじゃないよ」

「はい」


ホールの外はゆったりした回廊になっていて、ぽつぽつと人がいた。疲れた様子で歩く人、備え付けの椅子に深く腰掛けてうつむく人、床に敷物を広げて壁にもたれかけている人もいる。

まどかはガラス張りになっている壁沿いに歩いた。荒れ狂う空を気にしながら進む。
建物全体に叩きつけられる雨の音が大きく響く。嵐は一向に収まる気配がない。


(みんなは……ワルプルギスの夜はどこだろう)


適当な所で立ち止まって外を眺めるが雨で何も見えない。


(確かあの辺に展望台が小さく見えたはずなんだけれど……)


そのまどかの側にとことことQBがやってきてちょこんと座った。


「やあ」

「QBってどこからともなく現われるんだね」

「そうかい?」


並んで外を見ながら話す。


「久しぶり。何してたの?」

「主に新たな魔法少女のスカウトだね」

「見つかったの?」

「うん。見滝原には僕の姿を視認できる子が多いんだ。
いろいろと因縁の集まっている土地なのかもしれないね」

「彼女たちはどんな願いをかなえたの?」

「おしゃべりしていていいのかい?」

「うん。教えて」


「自分を変えたい、病気を治したい、友だちと仲良くしたい、勉強ができるようになりたい、
死んだペットを生き返らせて、というのもあった。まだあるけれど聞きたいかい?」

「うん」

「歌が上手くなりたい、もう少し身長がほしい、あるいは体型を変えたい、
離婚寸前の両親を仲良くさせてほしい、何ヶ国語も話せるようになりたい、
それから特定の個人を消したいというのもあって、この子はすぐに大笑いしながら魔女になってしまった。既に狩られている」

「そんなに大勢……あの、そんなに魔法少女を増やしてどうするの? QBはその子たち全員フォローできるの?
それにただでさえグリーフシードが手に入らないのに、取り合いになっちゃわない?……のかな」

「そんな心配は無用だよ、まどか」

「どうして?」

「彼女らのほとんどが今日ワルプルギスの夜を見たことで魔女化している」


まどかは絶句する。


「何人かは魔法少女として育ってくれるとバランスが良かったけど仕方ない。
結局魔女との戦闘を経験した子は一人もいなかったんじゃないかな。
まどか、泣いているのかい?」

「私はその子たちを助けられない」

「君の力はまだそこそこ大きい。さっきの願い事の子たち全員を人間に戻すというのはなんとかなるよ」

「そうなの?」

「うん。そうするかい?」


とっくに決断していたまどかだが、ほんの少し逡巡した。


「……いいえ、しない」

「そうか。意外だね。この星を終わらせるような魔女にはもうならないよ?」

「わかってる。でも、しないよ」


絞り出すような声だった。


(あなたたちを助けません……ごめんなさい)


「賢明な判断だね。ほむらたちのことを考えるならその方がいいだろう。
グリーフシードは魔法少女の命綱だ」

「なんとかならないのかな?」

「なにがだい?」

「魔法少女から魔女になってあなたたちのためのエネルギーになるという仕組み」

「僕らのためではなくて宇宙のあらゆる生命体のためだ。それはともかく、
うん、それはどうにもならない。君にはもう魔法少女システムをどうにかできるような力はない」

「君は少し突飛なところがあるからね。もしかしたら君の力が減じたことは
システムを含めこの世界の維持存続には良かったのかもしれない」


願いによっては宇宙すら改変してしまえるほどのものだったから、とQBは続けた。


「聞きたいことはそれだけかい? ほむらたちのことは知りたくないかな? かなり健闘しているよ」

「わかるの?!」

「じゃあしばらくは彼女らの戦いを一緒に見守るとしようか」


QBに視界を与えられ、まどかは友人らの戦場を見渡すことができた。

誰も欠けていない。みんな戦っている。


「サービスがいいんだね?」

「営業活動だと思ってくれていいよ」

「ワルプルギスの夜がいる」

「そう。実際に見るのは初めてだったね」

「舞台装置の魔女、ワルプルギスの夜。本当の名前はなんていうの?」


(------)


頭に響いたそれはよく聞き取れなかった。


「えっと?」

「僕らの星の言葉で発音も表記も君たちの感覚器官ではムリだ」

「そうなんだ。ねえ、みんなに話しかけることはできる?」

「中継してあげたいが距離があるからやりとりは難しいかな。伝言なら承るよ」

「わかった。黙って見てる」



「にしても固ってーなあっ!」


杏子が苛立つ。文句を言いながらもその動きは早く鋭く疲れを見せない。突き、払い、切り落とし、抉る。それらを無限に組み合わせて切れのある体捌きを行いつつ槍をふるう。

後方からはマミの援護があって、痒い所に手が届く的確さで魔女の動きを阻害してくれていた。

何かよくわからない、しかし見るからに物騒な火器を構えたほむらがちらちらと視界の端をかすめる。

武器はとっかえひっかえしているようだ。姿が消えたかと思うと魔女本体の所々で派手な爆発が起こる。

魔女の攻撃パターンはいくつかあった。

建造物の巨大な一塊を魔法少女たちに向かって飛ばしてくるのと、本体からかなりのスピードで伸びてくる影のような触手が厄介だった。

それから無数に湧き出てくる使い魔たち。数で押してくるので単純に邪魔で仕方がなかった。本体に攻撃がうまく届かない。

たまにまとめて一掃するが、すぐ元の分厚さを取り戻す。

さらにここにきて魔女の攻撃パターンが増えた。

人間の形をした影がいくつも現われて襲ってきた。杏子とほむらを数人で囲む。

皆笑っている。


(こいつら、魔法少女だよな……?)


色は無いがさまざまなコスチュームに身を包んだ少女たちだ。


(撃てるかマミ?)


返事代わりに数発の銃弾が影の一つを貫いて消し去った。


(愚問だった!)


杏子は瞬く間にそれらを撃破していく。対人戦は得意だった。

ほむらは時間停止をタネとした瞬間移動を多用してじりじりと敵の数を減らしている。

ワルプルギスの夜本体への直接攻撃を担う杏子とほむらのところにそれらは重点的に出現したが、いくつかはマミとさやかをも訪れた。

マミに近づけた影は一体もいなかったが、さやかは敵が同じ魔法少女の姿をしていることに動揺してあっさり囲まれてしまった。

それを見たマミが援護を開始し、同時に顔色を変えた杏子がさやかのところへ飛んできた。

魔女本体に背を向けて。


((危ない!))


高所にいるマミと杏子の背後が見える位置にいるさやかからの警告で杏子は本体から伸びた触手を危うく避けた。


「うっわあぶねえっ」

「こらっ、こっちはいいから戻りなよ!」


さやかが叫ぶ。


「るっさい! ケガはないか?!」

「すぐ治してるからだいじょうぶ!」

「そもそもケガすんな!」

「無茶言わないでよ!」


杏子がさやかの周りの影を片付け始めたのをきっかけに視界を広げたマミが上空にそれを見つけた。


(二人とも上!)


ビルの数階分ほどの塊が杏子とさやかのいる位置に降ってくるところだった。


「うおっ真上から!」

「すみませんマミさん」


なんとか横っとびに避けることができた。



(絶好調じゃないか、マミ)

(QB、やっと出てきたわね)

(お待たせしたのかな? それは悪かったね)

(聞きたいことがあるの。先の短い魔法少女はもうサポート管轄外なのかしら?)

(まさか。なんでも聞いてくれ)

(ワルプルギスの夜はなぜ魂を縛るシステムとよく似た姿をしているの?)

(見たんだね。どうやって?)

(質問に答えてくれる?)

(あの魔女の核になった子は生前システムに並々ならぬ関心を持っていた。
君と同じようにそれを見て深く影響を受けたようだね)

(あの歯車は枷に見えたわ。何を拘束しているの?)

(拘束というよりは強化を目的としている。ギアというよりはハンドルだね。
コアを見たろう? キャンデロロには遭えたのかい?)

(ええ)

(さすがはマミだ。お世辞じゃないよ。君はほんとうに器用だね)


QBとやりとりをしながらもマミは手を止めない。

タイミングを見計らって魔力温存を全く考えない苛烈な一発を放ち、クリーンヒットさせた。

一気に濁りを増したソウルジェムを回復させ、マミはグリーフシードをまた一つ地面に投げ捨てる。


(下にいくつも落ちてるから後で回収しておいてね)

(任せてくれ)

(確認させて。システムから自由になった魂は身体に戻るのよね?)

(戻る。だがその過程でなんらかの不具合が起こることが知られている。
長い時間身体を留守にしていたためか、魂の定着に少々無理な力がかかるようなんだ)

(前例があるのね?)

(あるよ。なんの問題もなく身体と魂が結びついた例もある)

(確率的には?)

(システムから自由になろうとする魔法少女の数が少ないからね。正確な統計がとれない)

(何が起こるのか具体例を挙げてもらえないかしら)

(それはやめておいた方がいい。知ってしまうとそれに引きずられる)

(そういうものなの?)

(影響は少なからずあるね。聞かれれば答えるが知らない方がいいと思う)

(思い遣ってくれているみたいに聞こえるわ)

(僕はいつだって君たちのことを考えている)

(それはそうね)


武器を構えて目標を見据えたまま、マミは思わず苦笑いを浮かべた。



戦闘は続いている。

影のような魔法少女たちはあらかた消えた。復活はしないようだ。

使い魔の群れの一部に隙間ができてマミの大型砲による一撃がワルプルギスの夜を襲った。それに合わせて杏子も魔力を存分に込めた攻撃を放つ。魔弾と大槍が深々と魔女本体を抉った。


「へへっ、やっぱ魔力をケチってちゃいけないな」


(杏子)


ほむらが杏子に呼びかけた。


(どうした?)

(私の攻撃はほとんど効かない。サポートと使い魔の方にまわった方が効率が良さそう。
マミと二人で本体をお願い)

(じゃあ、さやかを……あ!)

(なに?)

(その盾はちゃんと防御に使えるよな?)

(もちろん……!)

(あんたがついてりゃ大丈夫だろ)



まどかは心配そうに戦闘を見守っている。


「あれはさやかちゃんとほむらちゃん?」

「ああ。いい判断だ。ほむらの攻撃はワルプルギスの夜のような大物にはそうそう効かないから」

「さやかちゃんは大丈夫なのかな」

「ほむらが防御と攻撃指示を担うのだろう。とても合理的だと思うよ」


ほむらと杏子が後衛のさやかのところへ行って一旦魔女から距離を取る。その間にマミは空を埋め尽くすように並べた大量の銃を一斉に発砲させた。

すべてを命中させて使い魔の霧が晴れたところですかさず本体への砲撃を行なう。並みの魔女なら一瞬で消滅するほどの魔力がワルプルギスの夜本体にぶつけられる。

一連の攻撃を二度繰り返すとソウルジェムがほぼぎりぎりまで濁った。

相変わらずの暴風雨と魔女の笑い声。しかし新たに湧き出る使い魔の数は目に見えて減ってきた。

マミがグリーフシードを使っていると、目の覚めるようなスピードで魔女に突っ込んで行く塊があった。

豪雨を切り裂き派手に水煙を上げて進む。使い魔も触手の攻撃も強引に突破していく。


(暁美さんと美樹さん。あれは必ず当たるわね)


二人とは少し違う軌道で杏子も続いている。


「やっぱ二人で飛ぶと早いんだ! パーマンと一緒じゃん! 知ってる?」


盾をかざすほむらの背にしがみついたさやかが大声で話しかけるが、ほむらにはほとんど聞こえていない。


(そろそろ止めるから絶対に離れないで)

(合点だ!)


盾がカシャンと小さな音を立て、景色が固まる。


「おおっ?! すごいっ全部止まってる!」


静かな空間を二人で飛ぶ。


「直近までこのまま行く。合図をしたら飛び出して思う存分にやってきなさい。
危険はない、防御もまったく考えなくていい」

「任せといて!」

「今!」

「でええええええええい!!!!!」


ゼロ時間で魔女との距離を詰めたかと思うとほむらからさやかが発射された。杏子の目にはそう見えた。

さやかが水煙の渦を作りながら錐もみに高速回転して魔女に突っ込み、当たった瞬間その衝撃で魔女が全体の軸ごと少し後ろへずれた。


「うらあああっ!!!!」


それと同時に杏子も渾身の魔力を込めた槍を投擲した。

的に当たるまでの間に巨大化した武器が深々と本体に刺さった。それから槍自体が意思を持っているかのようにずくずくと潜り込んだかと思うと身震いしながら強引に貫通する。


(マミ、全力で攻撃して。また止める)

(全力ね、仰せの通りに。ちゃんとみんなそこから離れてよ。危ないから)


「ティロ・フィナーレ!」


目一杯の攻撃を放つ。魂ほぼ一個分の全身全霊弾。

ほむらは時間を止める。

さやかと杏子に接触してフリーズ状態から解放してやり、三人で一緒に出来る限りのスピードで本体から離れた。

着弾直後、凄まじい熱と光が発生する。

いくつもの魔法陣が開いてワルプルギスの夜を囲み、熱と衝撃を閉じ込める。轟々と腹に響く音が届いた。

なんかQBがやけにユーザーフレンドリーね

>>170
言われてみれば

おや、こんなスレがRにあったとは

楽しみ


まどかもそれを体感した。

触れていたガラスがびりびりと震え、形容しようのない異音が聞こえた。


「もしかして倒したのかな?」

「いいや。まだだね」

「あれ?」


廊下の照明が落ちた。


「え? 停電?」


いきなりのことで館内にどよめきが起こっている。


「いや、これは停電じゃない」

「じゃあなんなの?」

「魔女結界が展開されようとしている」

「こんな所で!?……QB、みんなに伝えてくれる?」

「それが願い事かい?」

「いいえ、ただの頼みごと」

「わかっているけど一応聞いてみたよ」


マミの周りに三人が集まった。


「なんかあれ、結構ボロボロになってきたよね?!」

「そろそろ目処が立ってきたな」


マミのリボンに守られつつそれぞれソウルジェムを回復させていると


(今のはだいぶ効いたようだね)


皆にQBの声が届いた。


(それはそうと誰か来てくれないか。避難所に魔女結界ができた)


ほむらが飛び出そうとするのを抑えて「あたしが行くよ」と杏子が進み出た。


「おまえはここで早くアレを片付けてしまえ。もうひと踏ん張りで落ちるだろ!」


言い置いて飛び出し、すぐさま後姿が小さくなる。

魔女の方角から穂先を向けて槍が飛んできた。柄の真ん中辺りをキャッチして増々スピードを上げて消えた。


「じゃあ二人とも、さっきの要領でもう一度」


マミがワルプルギスの夜から目を離さずにほむらとさやかに言った。


「え、続けるんですかマミさん?」

「適任者が行ってくれたわ。きっと大丈夫。
暁美さんは鹿目さんが気になるのね?」

「避難所はかなり混乱しているはず」


阿鼻叫喚になっていても不思議ではない。まどかが契約してしまう。


「魔女発生はもう起こってしまったこと。それに対して手は打ったし、鹿目さんは自分の身を守る手段はある。
私たちはここでできることをしましょう。
目の前の魔女をどうにかしなければ契約をしようがしまいが鹿目さんが失われる可能性は高い。違うかしら?」


理詰めのマミに少し違和感を覚える。しかしとにかく避難所にはもう杏子が向かったのだ。


(ここまできて、またやり直しになるかもしれない)

(………見届けよう)


「行くわよさやか」

「アイサー! ……ん? どした?」



“どっちにしろあたしこの子とチーム組むの反対だわ”



隔世の感がする。


「なんでもない。急ぎましょう」


「ねえQB、この魔女結界ってなんだか静かだね? なんていうか、何もない感じ。
おかげでみんな落ち着いてるし……」


小さな声で話した。


「魔女が本格的に活動するまで少し猶予がある。生まれたばかりだからね。
時間が経つとそうもいかなくなる」

「そうなんだ」

「まあそうなる前に誰か駆けつけてくるだろう。しかし君には何度も驚かされている」

「どうして?」

「さすがに魔女結界に取り込まれたらすぐに契約を申し込むんじゃないかと思ったんだ。
犠牲者を出したくないだろうし、ましてやここには君の家族がいる」

「すぐ助けが来るかなって思ったから」

「僕が助けを呼ばない場合だってあったかもしれないよ?」

「そこまでして私に契約させたいの?」

「以前の君にならね。君が最後の魔女になるはずだったんだ」


何か小さなものがたくさん動いている気配がある。もちろん使い魔だろう。

できるだけそういうものを見ないようにしながら歩いた。


「そう、それが正しい」

「なんのこと?」

「結界内での歩き方だね。視覚や聴覚に惑わされず、恐れたりせず静かに歩くんだ。
戦意や負の感情を目掛けて魔女や使い魔は襲ってくる」

「怖がったり不安に思ったりしてない人には魔女は攻撃してこないってこと?」

「概ねその通り。しかし完全にそうするというのは君たちには無理だ。君たちは感情の生き物だから」


周りが急に明るくなった。景色が元に戻る。人々がほっとして話し始めた。



…………あ、停電終わったのか。

…………良かったあ、なんだか変な感じだったよね。

…………なんか、背筋がぞくぞくしなかった? なんだったんだろう?


「もう大丈夫だ、まどか」


声を掛けられた。


「杏子ちゃん! 来てくれたんだ!」


振り向くとパーカーのポケットに両手を突っ込んだ杏子がぶらぶらと近づいてきた。いつもの私服姿だ。


「そりゃ来るさ。そいつと契約なんてしてないだろうな?」


まどかの足元にいるQBに目をやる。


「してないよ」

「おっし間に合ってよかった。ほむらに殺されちまうとこだった」

「ほむらちゃんはそんなことしないよ?」

「ああ、おまえにはな。ん」


まどかの手に個包装のスナック菓子が押し付けられた。

この人は時々よくわからないタイミングで食べ物をくれる。


「ありがとう。これ好き」

「それは良かった。ん?」


まどかの顔を見て眉をひそめた。


「な、なにかな?」

「泣いた?」


ぎろりとQBを見る。


「ううん、なんでもないよ。それにしてもすごいね、いつの間に魔女を倒したの?」

「伊達に長いこと魔法少女してないって。こっちだ」


まどかの先に立って歩き出した。


「杏子」


何か言いかけたQBには構わず進む。

インフォメーションコーナーに大型ディスプレイが設置してあり、ニュース番組が流れていた。


(あれ?)


まどかは不審に思う。


「電波障害だかなんだかでテレビはまったくダメになってるってママが言ってたような……?」


アナウンサーが何か原稿を読んでいるが聞き取ろうと集中しても何を言っているのかさっぱりわからない。


「杏子ちゃん、どこに向かっているの?」

「まどか」

「杏子ちゃん?」

「あんまり驚かないで聞いてくれ。今見てる景色全部幻だから」

「魔法なの?」

「杏子の固有魔法だ。魔女戦にはあまり役に立ないが人間相手にはてき面に効くね。
さすがに見事なものだ」

「集団パニックなんか起きたらめんどうだからやったことだけど、
さっきの話だとこうやって安心させておけば襲われないんだろ」

「確率は低くなるね」

「おまえがいつも結界内をひょいひょい平気な顔で歩き回れる理由がようやくわかったぜ」

「じゃあこの杏子ちゃんも幻なの?」

「あたしは本物」


杏子は足を止めて低い声で言った。


「ここでいい。ああ、おまえんちのチビとおじさんもさ、ちゃんとおばさんのとこ帰ってきてるよ」

「ありがとう、心配してたんだ」

「ワルプルギスももうすぐ終わるから」

「うん!」


杏子の姿はかき消え、QBもいなくなっていた。


「あれ?」

「まどか? どうした?」


立ち尽くすまどかに詢子が訝しげに声をかけた。


「あれ、ママ?」

「ぼーっと帰ってきて、どうしたんだ。ほら突っ立ってないで座んな。
さやかちゃんやほむらちゃんはいたのか?」

「うううん」


首を振って答えた。


「でも杏子ちゃんに会えたよ」

「ねえちゃ? きょーこは?」

「また今度うちに遊びにきてもらおうね」

「きょーこうちくる?」

「うん」

「あ(や)ったーーーー!」

「たっくん。もうちょっと小さい声でお話ししようね、しー」

「ぁーぃ」


「さて。悪く思うなよ」


結界の奥にいた魔女はぼんやりした霧のような姿で蠢いてる。

穂先を下げて楽に構えをとった。

周囲のそこかしこに人がいるが、彼らは杏子の幻術の中にいて自分たちの見ているべき当たり前の風景だけを見ている。

ノロノロと徘徊する使い魔を人々は認識できない。使い魔もまた恐怖も敵意もない人間たちを補足できずにいる。


「何を望んだのかは知らないが、そいつは叶えられたんだろ? もう眠れ」


大きな魔法を発動させているので攻撃に魔力を割けないでいるが、そんな縛りはものともしなかった。

生まれて間もない魔女をあっさり切り裂いて滅するとたちまち結界がたたまれていく。

そして通常空間にぽつんと残されたグリーフシードを拾い上げた。


「さすがだね」


近寄ってきたQBに杏子が尋ねた。


「新しい魔法少女は他に何人いる?」

「今のでおしまいだよ。あとはみんな相転移を起こした」

「鬼畜生め」


避難所にいた一部の人々は周囲の空気が変わったのを感じとった。まどかもその一人だ。


(杏子ちゃん、ありがとう)


QBはちゃんと中継してくれた。


(あたしはもう行くよ。ちゃんとほむら連れて帰ってくるから待っててくれ。契約すんなよ!)

(うん!)

>>172
そうなのRなの

>>173
書き溜め終了につきこれより滞ります
でもその一言でがんばれるありがとう

台無しオチがないことを願う

>>182
ギクッとニヤッが半々
謝っとく

>>183
ありがとう


吹き荒れていた風が止み雨も小降りになってきた。

遠くで雷が鳴っていてどうやら急速に近づいてきている。

壁面がごっそり剥がれ落ちたビルの上階に彼女らはいて、もうほとんど形を成していない魔女を見上げた。

ワルプルギスの夜に勝った。

稲妻が光り、少し遅れて近くに落ちた。

その場の全員が皮膚表面にピリピリとした軽い痺れと強いオゾン臭を感じた。

空に幾筋もの稲光が走る。会話に支障をきたすほどの雷鳴の中でさやかが魔女だったものを指さしながら何かを叫び、杏子がそれに応

えている。


(信じられない)


ほむらは消えゆく魔女を凝視した。


(信じられない)


長い長い時間をかけてとうとう成し遂げた。

実感がわかないので何の感動もない。


「ワルプルギスの夜はね」


QBだ。

数えきれないほど潰しているが恐れ気もなく、むしろ親しげにこの獣は近づいてくる。


「特殊な魔女だった」


空気が変わったことにほむらと杏子が気付いた。


「おい、なんだこのおかしな感じ?」

「これは……」


ほむらには心当たりがある。時間遡行が始まる感覚によく似ていた。大きなエネルギーの動きがある。

トコトコとQBが倒れ伏したマミの元に歩んだ。


「マミ!」

「マミさん!?」


いつの間にかそうなっていた。誰もマミの状態に気付かなかった。

マミの変身は解けていて、近くに光を失ったソウルジェムが転がっている。

慌ててその身体に触れた杏子がハッとした。


「どういうことなんだ?」


マミは生きている。


雷が止み一帯は静かになっていた。

マミの身体を診ているさやかに杏子が聞いた。


「どうなんだ?」

「なんともないみたい」

「じゃあどうして意識が戻らないんだ?」

「ぜんぜんわかんない」


こんなの変だよ、とさやかは怒っている。


「おかしいよ! 治らないよ!? どうして??」

「病気でもケガでもないからね」


QBの返答にさやかが更に激高した。


「じゃあ、なんだっていうの!!!? いつもいつも説明が足んないのよ、わざとでしょこの耳毛!!!」

「ちょっと落ち着けさやか」

「起きて、マミさん、マミさんってば!」


ほむらはマミのソウルジェムを拾い上げて子細に見た。

ヒビひとつない。

ただ、空っぽになっていた。


「それはもう抜け殻だよ。ソウルジェムではなくなった」


QBが言い、ほむらはマミの爪を見る。魔法少女の刻印が消えている。


「こんなことが起こり得るの?」

「マミの魂は自力でそこから抜け出たんだ」

「どうしてマミさんは目を覚まさないわけ?」

「身体に定着するはずだった魂が時空間の隙間に引っ張られてしまった」


意味が解る者は誰もいない。ほむらが静かに尋ねた。


「ちゃんと説明して」

「ワルプルギスの夜は特殊な魔女だった」

「どう特殊なの?」

「次元間を彷徨うんだ。この世界に現われない時、あれは狭間にいた」

「狭間というのは、そうだね、忘却界とか時の間隙とかリンボと言えば通じるかい?
とにかく隙間だ。どこでもない場所だ」

「これを利用すると様々な場所や空間へ移動できる。ほむら、君には馴染みがあるんじゃないかな」

「さっきワルプルギスの夜は最後の力で間隙に飛び込もうとして半ば成功しかけていた」

「マミがそれを邪魔した。そして自分がそこへ吸い込まれてしまった」




ワルプルギスの夜を倒したという確信を得た直後マミはそこにいた。

システムの歯車がいきなり眼前でスパークした。

無機質なそれを割り砕き力を振おうとするそれ、見ていられないほどまぶしいそれは。


(花?)


眼で見ているわけではないのは分かっている。目蓋を閉じてもそれは見える。

回転する巨大な花弁の残像が心に焼き付いた。

いくつもの視界が広がっていく。





避難所

仲間たち

QB

過去

過去

過去

過去

過去



意味のありそうなもの、なさそうなもの。

そのうちの一つがとても気になった。

黒い影が暗い場所へ続くドアから逃げ出そうとしている。


(だめ。あれを逃がしてはいけない)


マミは滑らかな動作で発砲した。

影が千切れ跳び、空間全体が身震いした。


一気読みしてしまった
続きが気になる

Rにこんな名作が隠れているとは
わからんものだ

乙乙

>>188
ありがとう拝んでしまいそう
>>189
照れますわ
>>190
ありがとうありがとう


滞ってて申し訳ない思いでいっぱい


スーパーセルの襲来から早一週間が過ぎた。

被害の大きかった場所では形ある物がことごとく破壊されて更地になった。大小様々な瓦礫が暴風に乗って巨大な渦の形に積み上がり障壁を作って復興の厄介な妨げとなった。

また最も酷くダメージを受けた地点は更地どころか爆心地さながらに広く深く抉れ、その惨状に人々は恐怖した。


「そこは実際に爆心地だよ」

「それがバレないわけないし、いろんなもん落ちてるし、どっかできっと大騒ぎしてるんだろうな」


破壊の度合いに比べて死傷者が少なかったのは徹底した避難勧告が功を奏したのと、丸一日は続くと予想されていたスーパーセルの勢力がなぜか唐突に消え失せた幸運による。

ただこの災害をきっかけに市内の行方不明者が異常な数に上っていることが明らかになった。

数か月前からスーパーセル当日までの間にざっと七十名以上もの人間が姿を消している。しかもそのほとんどが女子中高生だとわかって大騒ぎになっていた。


「全員きれいさっぱり魔女になっちゃったよ」


ほむらの家のソファーを占領して毛布にくるまった杏子が朝のニュース番組を観ながら所々でつぶやいている。


(そんでもうほとんどがグリーフシードになってる)


未討伐の魔女はワルプルギスの夜が出現したことによって魔女化した数体のみ。今丁度モニターには災害による行方不明者として十名程の顔と名前が映し出されてる。


(できるだけ手っ取り早く後片付けはしてやるから)


そんな残存魔女とワルプルギスの夜の置き土産である使い魔が街中で盛んに活動している。

住む場所を失った人や持病を悪化させた人、ケガを負った人たちが次々と自ら命を絶った。仮住まいの部屋に灯油を撒いて火を点け、無関係の住人を大勢巻き込む最悪の自殺も起こってしまった。

災害後の自殺者は増え続け、これについてもニュースで大きく取り上げられていた。


「使い魔のやつらはキリがないな。地道に潰していくしかないけどさあ」

「そうこうしてるうち時間切れで何体かは魔女になっちまいそーだよな? エサはたっぷりあるし」

「使い魔から昇格した魔女はたまにスカがあってガッカリすんだよね」


昨日も夕方から夜半まで奔走していた杏子だった。


「しかし困るな、じっくり魔女を探す暇がない」


言ってからふわあと大きなあくびをした。


グリーフシードのストックはまだ少なからずあった。

あの日の戦闘で手持ち分を使い切ったのはマミだけだ。次々とグリーフシードを終わらせて、凄まじい攻撃力と攻撃量を見せた。

どこか突き抜けていた。持てる力の全て、否それ以上を出し尽くしてくれた。


(マミ、杏子、さやか)

(皆が事態について深く納得していること、お互いに理解があることが大事だった)


誰もが必要なピースだった。

果てしなく続くかと思われたループを終わらせて、ほむらにはやっとそれがわかった。

全か無か。

まどか一人を助けるというのは土台無理な話だったのだ。一番遠回りに見える道が一番の近道だった。よくある話だ。

そうやって今、ほむらは未知の時間を生きている。

そして新しい問題を抱えている。

杏子の独り言めいた話を黙って聞いていたほむらがやっと口を開いた。


「少しペースを落としましょう。思っていた以上に使い魔の数が多い。
どうしても長期戦になるのだから、ここで無理をするべきではないわ」

「こんだけ騒ぎになってんだ。さぼってらんないだろ」

「魔法少女が一日二日仕事を休んだところで、大して変わりはしない」


死者の数のことをそう言い切った。それを聞いて杏子が笑い声を上げた。


「やっぱりあんたは話が分かるね」


「それに、全滅させてしまう訳にもいかない。そうでしょう」

「ま、ある程度落ち着くまでだな」

「そんなに疲れて。さやかはあなたに何も言わないの?」

「あーさやかは……」


ワルプルギス戦を終えてからというもの、さやかのテンションは上がりっぱなしだった。


「……それどころじゃないかも」


杏子はなんとなく部屋を見回した。

ワルプルギスの夜に関するあらゆる資料は片付けられて部屋の印象はすっかり変わった。新しくダイニングテーブルが設置してあり、椅子は五脚ある。ほむらはそのひとつに腰かけている。


「普通の人間に戻れるかもってすごく喜んでる。心配なんだ。
だってさ、あんまりそういうの良くないって思わないか?」


さやかは良くも悪くも感情の振れ幅が大きい。


「素直に喜び過ぎなんだよ……」


ほむらの隣にはマミが無言で坐っている。

丁寧に梳かしつけられたゆるやかな癖のある髪がそのまま肩甲骨を覆うあたりまで流れ落ちている。表情はない。

彼女は見えている、聞こえてもいる。簡単な指示や介添えがあれば身の回りのことはこなすし、朝起きて夜眠る。

しかしそれだけだ。

魔法少女は条理を覆す存在だと言うが、最強の魔法少女は何もかもをひっくり返して人に戻った。

これが代償なのだろうか?


QBから今のマミの状態についての説明はあった。



“ソウルジェムに収められた魂は完全に君たちから切り離されている。だから距離を取れば君たちは全ての機能を停止する”

“マミの場合は違う。マミの魂はもう身体に根を生やした。この結びつきは簡単に切れることはないよ”

“だが空間の壁を越えることは簡単ではない。どこへ飛ばされたのかもわからない。ドアは閉ざされてしまったから”

“たださっきも言ったが身体と魂の結びつきは本来とても強い。彼女なら帰ってこれるはずなんだが”



「なんでこのマミを見て喜んでられるのか、わかんねー」

「帰ってくるって素直に信じているのでしょう、さやかは」

「ほんとに元に戻ると思うか? あいつ別に帰ってくるとは言ってないじゃん」


QBは“帰ってこれるはず”と言った。


「百パーセントの保証はしていないわね」

「考えたいことがいろいろあるってのに、忙しいしわかんねーことだらけだし、あーあ」


言いながらごそごそと身体に巻き付けた毛布の中に潜り込んでしまった。


「……もうちょっと寝てていーかな?」

「お好きに。でももうすぐ二人が来る」


ほむらは時刻を確認してから返事した。

学校は無事だったのでほむらも通学を再開している。

マミは災害後のPTSDでしばらく休学ということにしていた。他に何人も同様に休んでいる生徒がいるらしい。

一人では生活ができないので四六時中杏子がついている。

魔女退治及び使い魔の片付けは毎晩交代で行っており、杏子が出る日はほむらの家にマミを預けに来る。一通り仕事を終えると戻ってきてそのまま泊っていく。

杏子は単独で、ほむらはさやかと組んで出撃していた。

時間停止能力を失ったほむらと経験の浅いさやかが互いにフォローしあう形で、これは自然にこうなった。

攻守の役割りがはっきり分かれていることもあり、お互い意外とストレスにならないのはワルプルギス戦でわかっていた。


(一日おきの出撃を続けるのは厳しい……休養日は作るべき)

(けれどもさやかは毎日でも使い魔退治に出たい。増え続ける死者の数にプレッシャーを感じているから)

(さやかと話してみましょう。今のままでは杏子の負担が大き過ぎる)


椅子から立ち上がり、何かの番組が始まったテレビを消して身支度をしているとインターフォンが鳴った。


(開いてるから入って)

(はいよー)


「ではお邪魔しまーす、っはようほむら! マミさんもおはようございます!」

「おはようほむらちゃん。マミさんおはようございます」


ほむらを迎えがてらマミと杏子の顔を見に来たさやかとまどかが口々にマミに挨拶をするが目は合わないし返事ももちろんない。

わかってはいたが二人とも一瞬寂しい思いを味わう。


「これ、いつもの」


気を取り直してまどかがマミと杏子二人分のお弁当をテーブルに置いた。


「毎朝大変でしょう」


ほむらが気遣うとまどかは「これくらいしかできないから」と笑った。


「交代でやろうよって言ってるのにどうしても譲らないんだから。頑固者め」

「だってさやかちゃんも忙しいでしょ。テストも近いんだしお弁当くらい作らせて。
パパも手伝ってくれるから、私は平気だよ」

「ダメな時はちゃんと言ってよね?」

「もちろん」

「ほむら、杏子はアレ?」


ソファー上の毛布を視線で指してさやかが聞いた。


「ええ。さっきまで起きていたけれど二度寝してるかもしれない」

「昨夜、遅かったの?」

「かなり」

「無理すんなってんのに」


さやかは大股で近づいて「きょ~~~こ」と声を掛けながら杏子の側に坐った。


「おつかれさん杏子、起きなって。あたしらもうガッコ行くよ」


ぱたぱたと毛布越しに背中を叩くともごもごと声がした。


「起きてるってば」

「顔見せて」

「ん」


眠たげな首だけが出てきた。


「ねえ」


さやかはそれに顔を寄せて小声で言った。


「杏子さ、あたしを避けてない?」

「なんで?……んなわけないじゃん」


同じ様に小声で返す。


「だってさ」

「なんだよ」

「なんでウチに来ないの?」

「マミ放っとけないだろ?」

「放っておくわけじゃないでしょ……じゃあマミさんと一緒に来るとかさ」

「それはやだ」

「なんでよ」

「だってそりゃ」

「?」

「いや、いいよ」

「いいこたないでしょ」

「………!」

「………?」


ほむらは何か言い合っている二人を見るともなく見ている。

口達者な二人がそのうちケンカでも始めるのではないかと懸念していた。


(これ以上問題が起きないでほしい)


心からの願いだった。


(マミのこと、街に溢れる使い魔の始末)

(それから……QBの不在)


そんなほむらの横顔をまどかが見上げた。


「ほむらちゃんはなにか心配ごと?」

「え?」

「っておかしいね。心配ごとだらけだよね、ごめん」

「いえ……先に出ましょうか?」 


二人の話が長引きそうなのでそう提案してみるとコクンと頷く。


「マミさん行ってきます。さやかちゃん、先に行くよ? 杏子ちゃん、またね?」

「うん、わかった。すぐ追いつくよ」

「またな」


玄関に移動し、ドアを開いてまどかを先に送り出してからちらりと二人の様子を見たほむらがぱっと顔をそむけた。

ただ事ではないその表情を見て一旦外に出たまどかが中に戻ってこようとする。

ほむらは思わず身体で阻止し、勢いでまどかがよろめいた。ほむらがあわててそれを支える。


「あっ、ごめんなさい!」

「う、ううん大丈夫だよ」


挙動不審なほむらが珍しくてまどかは思わず微笑んだが、すぐに真顔になって聞いた。


「どうしたのほむらちゃん?」

「…………ごめんなさい」


ほむらの顔は真っ赤になっていた。


(ああ)


察したまどかがさっとほむらの腕をとって歩き出した。


「行こう?」













いつどちらからどうなったのか、二人ともよくわからないままお互いの気が済むまで。

長いキスになった。












「……二人が仲違いでもしているのかと、少し心配していたの」


ほむらの顔はまだ赤い。学校への道すがら、まどかにぽつぽつと思っていることを話した。

最近努めて考えごとを自分の中に溜めないようにしている。


「うん、それは心配要らなかったかも。見てても仲良いし」


ほむらはその辺りの機微に疎い。


「そうみたいね」

「もし、二人がお互いにどこか……なんだろ、つんけんというか……ぎくしゃく?
しているように見えたのなら、さ」

「見えたのだけど」

「たぶんそれは犬も食わないっていうあれじゃないのかなあ」


(今後はなるべく関わらないでおこう)


ほむらはそう決心した。


「ほむらちゃんが今一番気になっていることってなんなのかな?」

「一番?……そうね……」


ほむらが積極的に話そうとしていることがわかるので、まどかも質問をためらわない。


「巴さんのこと。それから、QBがいないこと……かしら」

「ああ……QBは気になるね」


ワルプルギス戦直前の日々、不在のQBはせっせと魔法少女を増やしていた。今もどこかでそうしているのだろうか。

あの日、嵐が止んで安全が確認された後、避難所からぞろぞろと大勢の人が自宅に戻っていく雑踏の中、QBはまたどこからか現れてまどかの肩に飛び乗り「マミを助ける気はないか」と言った。


「僕にも魔法少女にも、今すぐマミを連れて帰るのは無理だ。でも君の願いなら、それは可能だ」


その時まどかはマミの声をまざまざと思い出した。前の晩にマミからかかってきた電話の声。



“もしもあなたの足元に死体同然の誰かが転がっても決して契約を交わさないで”



(きっとこのことだったんだ)

(マミさんは自分に何かが起こるということがわかっていた)

(なら、私が取るべき選択肢はひとつだけ)


まどかが申し出を断ると、QBは「それは残念だね」とだけ言って消えた。

後からその話を聞いた時、ほむらはどっと冷や汗をかいた。

せっかくワルプルギスの夜を越えておいて、直後にまどかが契約してしまっては悔やんでも悔やみきれない。


「どこで何をしているのかとても気にはなるけれど、でもあいつがいないと心が休まるわね」

「え?」

「あなたが変な気を起こしても、あれがいなければどうしようもないから」

「やだなあ、ほむらちゃん。ほんとうに心配しすぎだからね?」

乙です
しっかり通じ合った杏さやだけでなく秘めまどほむまで入れてくるとは、これはできる作者
ワルプル以降を書くssはあまり見かけないだけに、ここまでのオリジナル要素がどう収束してくのか気になる


悪の魔王を倒したらすぐにめでたしめでたしとはならない辺りままならないものだな

乙乙( `・ω・)

おつー

【咲】京太郎「…………俺は必ず帰ってみせる」【安価】
【咲】京太郎「…………俺は必ず帰ってみせる」【安価】 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssr/1477320276/)

京豚は害悪です
あなたが好きな作品とキャラがレイプされるかも知れません

>>202
そしてマミさんが
いやなんでもないありがとうございます
>>203
とはいえそろそろ終わる方向に
>>204
なごむありがと
>>205
感謝!



(ここは?)


草のまばらに生えた地面の上で魔法少女姿のマミが目を覚まし、身体を起こした。

遠ざかっていく雷の音がかすかに聞こえる。

立ち上がって細かい砂埃を払いながら辺りを見回すと、少し離れた小高い場所に大勢の人間が集まっていた。ざわめきなどは聞こえてこない。

取りあえずそちらに向かって歩く。

自分の身体をチェックしてみた。どこも痛めてはいないし記憶も鮮明だ。最後に覚えているのは相手を確実に仕留めたという手応えだったが。


(あれからどれくらいの時間が経ったのかしら)

(私に何が起こったの?)

(……枷は破った、と思ったのだけれど)


しかし相変わらずの魔法少女姿だ。

ふと思いついて髪飾り、すなわち自分のソウルジェムの場所に触れてみた。


(ある……よくわからないわね)


遠目には人の集団に見えていたが、近づいてみると実際にはすべて等身大の魔法少女像だった。

皆晴れやかな笑顔で、それがざっと二百体以上はありそうだ。

石でも木でもないし金属でもない。彩色はされておらず全体に暗い灰色で細部まで作りこまれている。


(いえ、これは)


まつ毛、産毛、爪の形。見れば見るほどマミにはこれらがただの「像」だと思うことができなくなった。


(ここでは何らかの魔法が働いている)

(誰の魔法なの?)


魔法少女たちが集まったそこはなだらかな丘になっている。

少人数で固まって話す者、直立して見上げる者、腰に手を当てて振り向こうとする者、腕を組んで首をかしげる者、皆思い思いの姿勢を取りつつ一様に頂上の方に意識が向いていた。


(上に何が……)


嫌でも気になる。マミは少女たちの間を縫ってゆるい斜面を登っていく。


そして気付いた。


(この子、それに向こうの子も)


見覚えのある姿が幾つもあった。


(ワルプルギスの夜から出てきた影たち!)

(この集団がワルプルギスの夜の正体なの?)


改めて周囲の少女たちをまじまじと見る。


(ワルプルギスの夜に……)

(魔法少女が殺されて取り込まれるのか、魔女になってからなのかをQBに尋ねたことがあった)

(言っていたわね。私たちにとってはどちらも同じことだと)

(自分たちの得るはずだったエネルギーをワルプルギスの夜に持って行かれたと)

(控えめに言っても酷い無駄遣いだとも)

(ワルプルギスの夜が得たエネルギーは相当なものになるはず)

(魔法少女だけでなく、街をひとつ壊滅させて膨大な数の人命も奪っていくのだから)


そして、それらはどう使われていたのか。


「その答えがここにあるのかもしれないわよ、QB」


この場にいない異星人につい語りかけてしまった。


(QBがこう言ったああ言ったなんてことばかり思い出してしまうわね)


無理もないと思う。


(あの子がどういった存在であれ、長い間頼りにはしていたものね)


さく、さく、と乾燥して脆い感触の地面を踏みしめながら頂上に出ると、そこは丸くぽっかりと空間ができていて中央にはグリーフシードが直立していた。


(こんなところに)


なんとなく拾い上げようとした時(それは君には必要ない。触らない方がいい)という聞き慣れた声がした。


「えっ?」


(今の君は高エネルギー体だ。安易にグリーフシードに触るのは止めておいた方がいいよ)

(もっと早く言ってよ)


もう手にしていた。



目の前の動かぬ魔法少女たちと同時に始めのうちはぼんやりと、しかし次第にまったく違う風景が見えてきた。



…………神から与えられた大いなる力を振るって国中に跋扈していた魔を払い

…………圧政を敷いた前王を倒しその親族や臣下を説得して自らを正式な王と認めさせた

…………そしてこの荒地に一夜にして石造りの都市を作り出した



いつしかマミは大勢の人や荷馬の引く台車が行き交う石畳の通りに佇み、語りかけてくる異国の言葉を聞いた。

頭に情報が流れ込んでくる。

月を信仰するその古い国が建国以来初めて戴いた女王は即位当時まだ顔立ちに幼さを残した少女だったという。

少女は聡明で弁の立つ優れた施政者となった。国の大部分は肥沃な土地ではなかったが価値ある香料を産し、これを他国に売るための安全な交易ルートを確保したことにより巨大な富みを得た。

戦は好まなかったが無敵の武力を誇った。

臣民に慕われた。だが信じていた身内の裏切りをきっかけに身を滅ぼす。

悲壮な会話が聞こえてきた。



(ビルキースが悪魔に囚われてしまった)

(“使者”はなんと)

(女王はもう助からないと)

(だが女王はまだあれの中にいる)

(あの方が我々の呼びかけに応えないはずはない)

(女王は我々に約束したではないか)

(我々と共にこの力で千年続く王国を築き上げると)

(皆がいつも笑っていられる世界を作ろうと)

(我々が女王を取り戻す)

(必ず)



国の各地に派遣されていた女王直属の臣らが密かに集まった。皆女王と同じ年頃の少女たちであり“使者”の眼にかなって神の力を授けられていた。

そして魔女の元へ向かい、誰ひとり帰ってこなかった。

彼女らの顔と、丘の上でグリーフシードを持つマミを囲んだ少女たちの顔が重なった。


幻は終わり、マミはいつかのQBの言葉を思い出す。


“まず、魔女になった彼女を助けようとした仲間の魔法少女十数人が
あれに取り込まれてそのまま魔女の力となった”


「そう。今のが、あなたたちなのね……」

「何か見ていたようだが大丈夫かい?」


難しい顔で考え込んでいるマミの側にQBが近づき、手近な少女の肩に登ってマミと同じ高さになった。


「QB、あなた本当にどこにでも現われるのね?」

「それは回収しよう。君の役には立たないしここに置いておくこともない」


マミは心底あきれながら手に持ったグリーフシードをQBに向かって放った。吸い込まれていく。


「この人たちが魔法少女だった頃の姿を見ていたわ。一体どれくらい昔の話なの?」

「紀元前九百年頃かな」

「今のグリーフシードはワルプルギスの夜のものよね?」

「その中心になった女王のものだね」


長くなりそうだとマミはリボンで座り心地のよさそうな二人掛けのソファを作って腰を下ろした。


「まどかに君のことを頼んだのだけれど、断られてしまったよ」


(良かった、鹿目さん)


「いい加減鹿目さんのことは諦めてもらえないかしら」

「この場合はまどかになんとかしてもらいたかったところだ。でもそれももう不可能になってしまった」

「ここは何? 私はどうなったの?」


いろいろと引っ掛かるがマミは知りたいことをまず尋ねた。


「本来何もないはずの空間の狭間にワルプルギスの夜が作り上げた結界だ。
ここを存続させるために通常空間に出入りして魔法少女ごと街を襲っていたようだね」

「ただ闇雲に魔法少女を狩っていたわけではないのよ、この人たちは……」



“我々と共にこの力で千年続く王国を築き上げると”

“皆がいつも笑っていられる世界を作ろうと”



「どうやら救済のつもりでいたみたい。ここで仲良く過ごしていたのかしらね」

「救済? 魂だけの存在になって永い時を過ごすことがかい?
魔女の力となって魔法少女や魔女も取り込んでいくことが? 君らにとって救済だと言うのかな」

「絶望に塗れて涙にくれて死んでいくよりはマシかもしれないわよ」

「不合理じゃないか。ついでに無関係の同族を自分たちのためにごまんと殺していくんだからね。
しかしほんとうに勿体ない。これだけの数の魔法少女が無駄になってしまったなんて。そう思わないかい?」

「それももう終わり。そうでしょう?」


「それは間違いない。この先ワルプルギスの夜が出現することはない。そのうちこの結界も消滅するだろう」

「どれくらいの時間で消えるの?」

「さあ。大きいからね、時間はかかると思うよ。ところでそっちへ行ってもいいかな?」

「どうぞ」


ゆったりくつろぐマミの隣にQBが座り、くるんと自分の身体に尻尾を巻き付けた。


「この結界について、あなたたちはまったく知らなかったの?」

「大海原に浮かんだ小さなブイみたいなものをイメージしてくれればいいかな。気付かないよ」


QBの声がなんとなく憂鬱そうに聞こえたが、もちろん気のせいだろう。


「それにしても面倒なことになった。ここから脱出するのは難しいかもしれない」

「どういうこと?」

「通常空間につながる道が見えない。隠されているのかな。
それから君には本来の肉体に戻ろうとする強い力が働いているはずなんだけどそういった気配がないのも気になる。何か心当たりはあるかい?」


「ありすぎるくらい」


魔法少女たちは玉座についた新しい女王と“使者”を確かに見つめている。

マミにはそのように思えて仕方がない。

目を凝らすと彼女たちから自分とQBに伸びる不可触の黒い糸がうっすらと見えた。


「私たちこの場所に、この子たちに捕まっちゃったみたいよ。QBにはこの糸が見えないの?」

「見えないが、うん何かあるようだね。どうも感知し辛いな」

「情念? 恨みかな? 私たちにしこたま絡みついているわよ。
そう言えば、全員あなたとは知り合いなのよね」

「そういうことになるね」


なんでもないことのようにQBは返事した。

これだけの人数から一斉に恨みつらみを訴えられたら自分は耐えられない、とマミは思う。


(しかもみんな死霊なんだもの)


死霊という言葉を思い浮かべた途端身の毛がよだった。


(怪談は正直得意じゃないわ)


「どうかしたのかい?」

「なんでもないの。ところでQBはどうやってここに来ることができたの?」

「君が僕を呼んだからだね。何度も言うけれど、こんなものがあるとは想定外だった」

「私、あなたを召喚したかしら?」

「君が呼ばなければここには来れなかったよ」

「拒否できるでしょう?」


ワルプルギス戦が近づいていた頃、どれだけ呼んでもQBは姿を現さなかった。


「僕らを動かすのは探究心だ。拒否する必要はないと判断した。」

「QB。こういう時に君のことが心配だから来たなんて言っておくと女の子の信頼を得られるわよ」

「参考にしよう。しかし君も呑気だね」

「そう?」

「君は今、自分がどういう状態なのかわかっているのかな」

「いいえ」

「君の身体は今君の仲間たちと共にあってこの結界に魂だけが落ちこんでいる」


急に自分の身体のことが心配になった。


「あ、ちょっと聞かせて。その……私はあちらでどういった感じでいるのかしら?」

「君の身体かい? そうだね。終始呆然自失といったところかな」


(杏子にかなり面倒をかけているのかも)


もしここから戻れたら一週間くらい続けて杏子の好きなものばっかり作ってやろうと決心する。


(山盛りの駄菓子の方が喜ぶかな?)


のんびりそんなことを考えているマミに冷水を浴びせるような言葉が聞こえてきた。


「いつまでもここにいると魂は消耗していくよ。君はこの場所にとって願ってもないエネルギー源だ。ほんの少しずつだけれど今この瞬間も君は結界の燃料として減っていく。
そうなると現世の身体の方もただでは済まない。この結界がいずれは消えるにしてもその前に君が失われる可能性の方が高い」

「それは困るわね」


少し間が空いた。


「どうしたの、固まっちゃって珍しいわね」

「予想外の反応だったからね。あまり驚かないね」


(そろそろびっくりするのも疲れちゃってね……)


「今こうして私が操っている身体については、これはなに?」


身体の実感が確かにあるのが不思議だ。掌を開いたり閉じたりしてみる。


「僕の場合と同じだ。ここにある物質を使って構築した仮の肉体だね。ここの子たちもそういうことだよ」

「へえ、そうなのね」

「さっきから他人事のように話しているようだけれど、君は元の世界に戻りたくないのかな?」

「もちろん戻りたいけれど……ちょっと考えていたの」


マミは隣に座るQBを見た。


「ねえ、QB。あなたがずっとここにいたら、もう元の世界では魔法少女は生まれないの?」

「しばらくの間はね。すぐまた代わりの者がやってくる」

「あらそう」


少し宙を眺めるような仕草をして「じゃあ真面目に脱出のことを考えましょうか」と呟く。


「そうそう。私はもう魔法少女ではないのよね?」

「厳密には魔法少女ではないけれど、まだ完全に元に戻ったというわけでもない。
君が僕を認識できる間は付き合うつもりだよ」

「私がまだ魔法を使えるのはどういった理屈なの?」

「君がここで使っている魔法はシステムを利用しない君自身の力だ。肉体の制約がないのとこの場所の特異性によって使える。
システムによる強化はもちろん失われているが、難しく考えなくていい。夢の中では何でもありくらいの感覚でいればいいよ。限界は自分でわかるはずだ」

「いつもいろいろ教えてくれてありがとう。メンターと呼んでもいい?」

「どう呼んでもらっても構わないよ」

「冗談なのよQB」



マミが集中し始めた。すんなりと馴染みの光の柱を見上げる。

黒い糸が柱に絡みついていた。

柱を中心に白い花弁がゆるやかに回り続けて、まぶしく輝いている。

深く深くマミは意識の底に沈んでいく。

幾つものヴィジョンが開く。

それは現実世界にある彼女の身体に繋がる道だ。

たやすく自身と合一できるはずだったが、黒い糸が邪魔をしている。

回転が早くなっていく。

コアから汲み上げられた力が光の柱を昇りながら黒い糸を焼き切っていく。


「君はほんとうに器用だ」


マミのまとった仮の身体とそこにあったソファーが一瞬で細かく分散して空中に溶けた。



(マミ………さん? うううん、ちがう?)

(見たことがある。キャンデロロ………?)

(ちがう。魔女じゃない)


まどかにとってはどんな魔女もみな一様にどうしようもなく虚ろで怖ろしい存在だが、それは違った。

生命力に溢れ光りを発して躍動している。


(マミさん!)


その飛翔体はどこからか絡まりついてくる糸を何度も何度も振り切って飛んでいく。

だが後から後から糸は増えるばかりで、とうとう飛行は完全に止まってしまった。

それは羽をふるわせて懸命にもがく。


(がんばってマミさん!!!!)


まどかは力いっぱい叫んだ。

だがそれはとうとう力尽き、さらに増える糸に埋もれ、どこかへ引き込まれてしまう。

授業中、まどかの様子がおかしいことに隣席のほむらが気付いた。

目を見開き、前を向いたまま意識がここにない。


「まどか?」


小さく声をかける。反応はない。

完全にトランス状態にあった。魔女に魅入られた状態に似ているが何かに操られている気配はない。

ほむらが見守る中それは数分の間続き、終わった。意識を取り戻したまどかがすぐにほむらの方を向いてふたりの目が合った。

後で話して、と口を動かすとまどかが小さく頷いた。


「おや、うまくいかなかったのか」


中空から塵が集まってきてマミの形をとった。


「おかえり、マミ。だいぶ消耗してしまったようだね」

「かなり、手ごわいわよ」


マミは立っていられなかった。その場にへたり込んで目を瞑る。


「………寒い」

「それは錯覚だ。これは仮の身体だよ」


そう言いつつQBはマミの膝の上に乗り、それをマミが両腕で抱え込む。

魔法少女になったばかりの頃、不安や孤独を感じた時によくこうしてQBに触れていた。


「………温かい」

「それも錯覚だからね」


にべもないがマミは気にしない。

そこにある熱を確かに感じていて、それで充分だった。


「たぶん、だけど鹿目さんの気配を感じたわ」

「それはあり得るね。今の君と彼女の状態は似通っている部分がある」

「え?」

「まどかも以前、持っている素質の力で魔力を引き出したことがある。いや吹きこぼれたという方が正しいかもしれないね。
今の君と力の使い方が同じだ。呼応しているのかもしれない。それは個を超える力でもあるからね」

「ああ、あの……いろんな時間軸を夢で見ていたっていう……」

「少し眠るといい。多少は回復するはずだ」

「魂も眠るのね」

「眠るよ。おやすみ」


静かにゆっくりと黒い糸はマミとQBに降り積もっていく。


死人の作った楽園とか怨霊に取り付かれるとか本当に怪談話だ
でもよく考えたら魂の宝石とかいう時点でそっちの気は十分あったな

こんなスレがあったとは
Rだし内容の割にはレスが少ないような気がするが、見てるから頑張って完結してくれ

Rだからしゃーない
こういうのスコップできただけでじゅうぶんだわ

>>218
乙感謝です
本編からしてホラーじみてますし
>>219>>220
レスは意外ともらってるという感覚
コメント心強いありがとう


休み時間に入る度まどかの見た白昼夢について二人で話した。

以前行なったことを再現できるか、つまりまどかの夢を利用してマミの消えた“時空間の狭間”とやらに行くことは可能かどうかを探っている。昼休みには屋上に出て周りに気兼ねなく話し込んだ。


「あっ、居眠りしてたんじゃないからね? 突然始まったの。耳がきーんってなって」

「見た……というより見せられた?って感じがしたよ」 

「うん。姿は違ったけどあれはマミさん、それは自信あるよ。
ちょっと気になったのは、全体的にしっかりしてないっていうか」

「え、と。なんて言えばいいのかな……起こっていることを見ているというより、誰かの夢を覗いているみたいな?
うん、それが近いかも」


まどかは言葉選びに苦心しながらほむらの質問に答えた。しかし更に「もう少し感じたことを言葉にしてみてほしい」と頼まれると困ってしまった。


「感じたことかぁ……そうだねぇ……」


隣り合って座り、膝の上にそれぞれ自分の弁当を広げている。二人ともまだほとんど手をつけていない。


「とにかくこれを済ませて、それからにしましょう」


ほむらはまどかにそう声をかけ「食べながら聞いて」と話し始めた。


「具体的なイメージが欲しいの」

「?」

「他の人のことはわからないけれど、私自身に関して言えば魔法を働かせるにあたってそれが必要なの」


まどかが口を小さくもぐもぐさせながらほむらを見た。


「感覚の話よ。魔力を使う時はそれができるから、できるの……疑問の余地はない。
手足を動かすのと同じで自然なこと。時間を操作するような、どれだけ異常なことであってもね」


異常なこと。

魔法少女は世の理の外にある力を振るう。願いにより人ではなくなりその理から外れ、存在する為になおも力を願って理を歪め続ける。

願いは希望として歪みは呪いとして差引はゼロになる。ソウルジェムはグリーフシードになる。そうやってバランスは保たれる。


(しかし巴マミは人に戻った)

(どうしても彼女から話を聞かなくてはならない)

(もしも……魔法少女が人に戻ることができるのなら……それは……歪みはどこに出るの?)

(収支を合わせるなら巴マミがずっとこのままでもまったく不思議ではない。むしろ当たり前に思える)


そう考える自分自身に少しうんざりする思いだ。


「うん、わかるよ。魔法はただ当たり前にできるだけ、私もそうだったと思うよ」

「そう。あなたも夢の中とはいえ経験してきたことだものね」


まどかの応答に気を取り直してほむらは続ける。


「以前私はあなたの夢を別世界への通路として使ったけれど、その先にあるのは私の良く見知った過去だった」

「うん」

「だからとてもスムーズに魔法が働いたと思っている。でも今回は違う。
だからできるだけ詳しく知っておきたいの。同じようなことを何度も聞いてごめんなさい」

「うううん、いいんだよ。何回でも説明するね」

「ええ、お願いするわ。……さあ食べてしまわないと」

「だね。ちょっと急がなきゃいけないかな」


言いながらふとほむらの手元に目がいった。


「あ」

「どうしたの?」

「お箸の使い方がすごくきれいというか、優雅というか」

「そう?」

「うん。ほむらちゃんのお家はそういうの厳しかったのかな?」

「いいえ、むしろ甘い方だった。なにしろ病気がちの子供だったから」


そしてわずかに笑みを含みながら「今でも魔法で体力の底上げしているくらい。基本的に弱いの」とさらっと付け足した。


(コメントし辛いよほむらちゃん)


発言内容はともかくとして添えられた笑顔がまどかには嬉しかった。


「そう言えば最近はお弁当作ってくるんだね? 忙しいのに」

「ええ。経費削減」

「あ、それはちょっと意外だったかも」


今度は少し歯を見せて笑ってくれて、もっと嬉しくなった。


「手だけじゃなくて姿勢から何から全部整っててほんとに絵になるね。あれ?」


口からぽろぽろと転がり出た自分の言葉にまどかは驚き、耳に入れたほむらは息を詰まらせた。


「ごめん、ほむらちゃん。さっきまで頭がいっぱいいっぱいだった反動でちょっとタガが外れてたみたい」

「……いえ、別に」


(それ程おかしなことは言ってない……はず)


まどかは頭の中でそう確認してからついでに念を押した。


「からかってるとかじゃないからね?」


何か返事をしようとしたほむらに杏子の声が届いた。


(邪魔するよ)


タイミングのせいもあってビクッと全身で反応したほむらにどうしたのとまどかが目で尋ねた。


「杏子よ」


(あんたら携帯の電源切ってんのか。さやかが何回もメールしてんのに返事ないから直接来たよ)

(校内では切っておくのが決まりなの。さやかも知っているはずよ。何があったの?)

(マミがおかしい。だんだん動かなくなっちまった)


表情をこわばらせたほむらの横顔を心配そうにまどかが見た。


(動かなくなったってどういうこと?)

(そのまんま。朝はちゃんと歩いたり食べたりはできてたろ。それができなくなった。
さやかが言うにはとにかく色々弱ってるって)


彼女はもはや生身の人間だ。魂が抜けたまま存在し続けるのは難しいのだろう。


(……タイムリミットがあるということね。それで?)

(取りあえず、あんたが帰ってくるまであんたん家にいるから)

(わかったわ。家にあるものは何でも好きに使ってちょうだい)

(そうさせてもらうよ)


杏子はそのまま顔を見せずに行ってしまった。やりとりのあらましをまどかに伝える。


「まどかはどう思った?」

「どうって……それは……マミさんが危ないって、思ったよ」


QBの“魂の危機”という言葉が思い出され、ほむらは符号がいくつかカチリと合った気がした。マミが正にそんな危機の真っ只中だ。それにより起こるはずのないことが起こる場合がある。


“君らが来ることはできないはずだ”


あれは確かにそう言っていた。

魔法少女から人に戻ったマミと人でありながら魔法少女の力を溢れさせたまどか。

あり得る、とほむらは考えた。なんだってあり得る。


「あなたの見たものと今のマミの状態に関連はありそう?」

「あるよ。具体的なことは何もわからないけれど、でも」


まどかは両手を重ねて自分の胸の中心に置いた。


「思い出すとこの辺が重苦しくなる。私覚えてるんだ、前の時もこんなだったって。
私にできることがあるはず、やんなきゃ、ってずっと焦ってて、それでほむらちゃんに頼ったの」


“どうやってそんなことができたんだ?”


杏子に問われた時ほむらはろくな返答ができなかった。どうするかわかったからそうしただけだった。

改めてまどかを見る。視線は受け止められ柔らかくほむらに返された。


(この子は普段ほとんど断定的な言い方をしない)

(よく知っている。一度心を決めると本当に強い)


「早速今夜にでも試してみる?」


まどかの表情がぱあっと明るくなり、ほむらはなんとなく照れた。


「何もないところに君たちはこうして物を創りだす。
地上を模したこんな結界だったりこの寝椅子だったり。空白の状態に精神が耐えられなくなるようだね」

「何でもかんでも一緒にしないで欲しいわ」


相変わらずマミは過去の魔法少女たちに囲まれた丘の上にいて、新たに作ったソファーに思案気な顔で身を沈めていた。隣にはQBがいる。退屈を知らない生き物らしく同じ姿勢を取り続けている。

脱出失敗後の気絶するような眠りは急激に力を枯渇させたことによるハンガーノックのようなものだったらしい。回復して目を覚ました時、自分がQB共々黒い糸に埋まっているのを知って思わず悲鳴を上げ、腕の中のQBは抱き潰された。

マミを結界内に引きずり戻した大量の黒い糸は、今も身体中に纏わりついている。しかし彼女の動きを阻害しようとはしないし、見ないでおこうと思えば努力せずにそうできた。

振り払うこともできた。しかしすぐに絡みついてくるし切断はどうしてもできなかった。


「仕方ないわね。あまり気は進まないけれど」


元から断つべくいつもの古式銃を出現させて手近な一体の少女像に向かって発砲してみると、着弾した周囲が広く砕けて霧散した。続けざまに四、五体の上半身を消し飛ばす。


「ん……なるほど」


それらは壊れた先からみるみる復元していった。ワルプルギスの夜と戦った時とは違う。


「暖簾に腕押しね。まあこれらがこの人たちの本体で魂を宿しているということなら、そうなるわよね」

「かなり古い魂だけどね。もう僕らの役には立たない」

「それはどうでもいいの」


銃を消し、マミは肘掛にもたれて頬杖をついた。


「どうやら、ここを出て行くこと以外は好きにさせてくれるみたいね」

「それはそうだろう。君がいるだけで結界の延命は叶うわけだから」

「小屋でも建ててみようかしら? こうして大勢に囲まれているのも落ち着かないわ」

「あまり余計な力は使わない方がいい。君は無駄に凝りそうだしね」

「どうにも困ったわね。この子たちを一気にまとめて粉々にできれば復元する間に逃げられるかもしれないけれど、そこまでのことは今の私では無理」


ふうー……と長い溜息をついてしまった。


「手詰まり感が半端ないわ」

「今のところ君のできることは限られている」

「ええ。ヒマ過ぎてどうにかなりそうな心の平衡を保ったり、沸々と湧きあがる焦燥を抑えたり。
自分のメンタルケアに必死よ。……分からないでしょうけれど」

「うん。僕には理解できないが、それは大変だね」


「あなたたちって、本当に感情はないの?」

「君たちの思うようなものはないと断言できる」


マミは続きを待った。QBの話し方のリズムにすっかり慣れてしまっている。


「僕らに感情がない、ということが信じられないんだね」

「あなたと話していると感情を持っているとしか思えないことがあるの」

「感情はないよ。そう言うと君たちは僕らに心がないと受け取るんだね。不安定なことこの上ない自分たちの感情を心だとする。感情に支配されそのめまぐるしい変化が精神の状態に大きく作用する。本当に危うい生き物だね。
まあ、だからこそ得難いエネルギー供給源になり得るのだけれど」

「あなたたちの言う心って何?」

「思考活動のことだよ」


マミは少し食い下がりたい気持ちになった。


「驚きや悲しみや怒り、好奇心や喜びを感じることがまったくないの?
どうして生きていられるのか不思議だわ。あなたたちを動かすものは何?」

「前にも言ったと思うけれど、探究心が大きい」

「知りたいという欲求でしょう。それは感情とは言わないの? そして知り得た時の喜びや達成感もないの?」

「君たちのフィールドで、君たちの言語を使って僕らについて説明するのは無理がある。
相互理解の困難さについては常々思い知らされているよ。それでもなんとか使えるツールを最大限使って効率よく伝えようとしているんだけどね」

「はあ……あなたは何を言っているの」


額に揃えた指先を当ててマミがまたため息をついた。


「私たちと理解し合おうなんて思っていないのでしょう?」

「いいや、有史以来努力し続けているしこれからもそうするつもりだよ」

「宇宙の熱的死を遅らせるため?」

「そういうことだね」

「働きものなのよね、あなたたちは。そうやってコツコツといつまでも私たちの命を搾取し続けるの?
そんな生き物同士の間にどうして相互理解が必要なの?」

「必要だよ。これは取引なんだから」

「公平な取引ではないわ。あなたたちの取り分が大きすぎるもの」

「君たちがそう思うのも無理はないが、僕たちにとってはまったくそうではない。
君たちの望む対価を見合う分だけちゃんと支払っているじゃないか。それに君たちは数が多い。ダメージはごくわずかなはずだ」


「ねえ、そこじゃないわQB」

「どこだろう」

「群れとして見ないで。個々を見て。できないの? そういう生き物だとわかってきたけれど……でも」


マミは傾けていた身体を起こして膝に両手を置き、QBを見た。QBはマミを見上げる。


「やり方を変えてはもらえないかしら」

「例えば?」

「私たちは未熟なの。そこにつけこむのは止めてほしい」

「具体的にどうしてほしいんだい?」

「ちゃんと説明して。契約を迫る時、私たちに起こること、魔法少女システムのからくりを希望も破滅も包み隠さず全てを明らかにして。
確実に起こることだけでなく、可能性をも含めてどうなるかをきちんと示してあげて。相互理解というなら、それが必要だわ」

「魔法少女として生き長らえ、システムから脱した君の言葉を無下にはできないね」

「聞き入れてくれるの?」

「けれど、そうすると契約してくれる子がかなり減るかもしれない」

「ええ。ほとんどいなくなるでしょうね」

「魔女がいなくなる。グリーフシードが一層入手しにくくなるよ。君にはもう必要ないけれど」

「本当に酷いシステムだわ。それから素質の少ない子に契約させるのも止めて。悲惨過ぎる」

「それは約束しよう。僕らにとっても無駄が大きい」

「ではなぜ」

「この星はまどかの魔女化を最後に終わるはずだった」

「ああ……できるだけ搾り取ろうとしていたわけね」

「返す言葉がないね」


夕方、ほむらの家に全員が集まった。

まどかとさやかはそれぞれ一度自宅に戻って私服に着替えている。


「ちょっとのんびりし過ぎたというか順番を間違えたかもな。
マミを後回しにするんじゃなかった」


テーブルに頬杖をついて杏子が不機嫌そうに言った。


「けど待つこと以外できることなかったじゃん?」


マミの側についているさやかがそう応じると「無力だよなーホントに」と呟いた。

マミはいつでも誰でも様子を見ることができるように広々とした居間に敷かれた寝具に横たえられ、今は昏々と眠っている。


「手があるかもしれないわ」


そう言ったのはほむらだ。


「ほんとか?」
「ほんとに?」


杏子とさやかが離れた場所から同時に声を上げた。


「知っての通り以前まどかの夢を辿って異なる世界線に干渉したことがあった。同じことができるかもしれない」


その先をまどかが続けた。学校で見た白昼夢について話す。


「ただの夢とそうでないのって区別はつくのか?」


杏子が聞き、まどかが頷いた。


「それはぜんぜん違うよ。はっきりわかるよ」

「やってみてくれるか? 正直できることが何もなくて困ってる」

「そのつもりだよ」

「あっ。ちょっと待って、あたしうすぼんやりとだけど覚えてるよ」


さやかが口を挟んだ。


「それ、ほむらは大丈夫なの? QBがなんか言ってたじゃん」


ほむらももちろん覚えている。


“危ないことをする。帰れなくなるかもしれないよ”


「大丈夫よ」


特になんの根拠もないがすぐさまそう返事する。

まどかが不安気にほむらを見た。わけのわからない衝動に突き動かされ、ほむらの身に危険が及ぶ可能性について考えが及んでいなかった。


「ほむらちゃん、ごめん私」

「大丈夫。何度も同じことをしたでしょう? 一瞬たりとも危険を感じたことはないの。あなたもそうだったはず」


(ねえ)


眠るマミを見ながらさやかが杏子に話しかけた。


(言わなくていいことを言っちゃったかなあたし?)

(違う。出しとかなきゃいけない情報だ)

(まさかとは思うけど、ほむらまた時間を巻き戻したりしないよね?)

(そんなにバカじゃねーだろたぶん)

感情がないのと精神活動がないのは違う
ではなにを心と定義したらいいのだろう

これは面白い、一気読みしてしまった
マミさんがんばれえ

【ラブライブ】希「どうしてこんなことに…」理事長「ふふっ♪」
【ラブライブ】希「どうしてこんなことに…」理事長「ふふっ♪」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssr/1480308111/)

ごめん酉つけたままなの全然気づかなかった
続き楽しみにしてます

グロラ豚

>>231
このSS内でどうなのかというご質問でしたら特にきっちり定めてはおりません
>>232>>234
忙しそうなのに読んでくれてありがとう

少し投下


(こんなに上手くいった時間を簡単に捨てていったりしない……と思う)

(だよね!)


ほむらが時間遡行の魔法を発動させるということはほむらが、最悪の場合マミもがこの世界に戻ってこないことを意味する。

マミがいなければ魔法少女が人に戻った経緯を知る術がなくなる。

ほむらにしてもやっと抜け出せたループにまたもや嵌まり込むことになる。そんな事態をまどかがそのままにしておくとは思えない。彼女はまだ奇跡を願う力を持っている。

QBの不在がふと意識をかすめたが杏子は気にしないことにした。


(まどか次第だけど……万が一の場合にはあいつの契約ってのも考えに入れておくべきじゃないかな)

(それはダメでしょ。ほむらが承知しないって)

(うーん結果としてだけど、ほむらの意思ってのはけっこー通ってこなかったんだ)


その逆もまた然り。杏子はすれ違いを繰り返してきた二人を見た。額を寄せ合うようにして何か話している。


(でももう、こいつらは一番厄介なところは越えちまってる。大丈夫だと思いたいな)

(なーんからしくないんだよ杏子)

(そうか? 任せるしかないんだし)


さやかは漠然とした不安を消すことができない。


(あたし、なんでこんなもやもやしてんのかな)

(さやかはほむらを信じられないのか?)

(それもちょっとあるかもしれない……けど、違うなぁ……)


さやかはうーんと唸って首を傾げた。 


(あっ! そうだ、ほむらだよ)

(なに?)

(ほむらって今、時間停止で無双できてた頃と違うんだよ? 魔法での攻撃もほとんどできない子なんじゃん。
もやもやするに決まってるって!)

(それは今さら心配してもしょーがないだろ。ついてってやれるわけでもないんだ)

(それそれ!!!)

(なんだかわかんないけど、聞こえないのか? まどかが呼んでるぞ)


「……さやかちゃんってば」

「へ?」


はっと顔を上げるとまどかが不思議そうにこちらを見ていた。杏子は知らん顏をしているし、ほむらは台所にいるようだ。水音が聞こえる。


(何回も呼んでた)

(早く教えてよも~)


杏子との会話に集中し過ぎていて、何の音も耳に入ってこなかった。慌てて返事をする。


「ごめんごめん、ぼーっとしてた! なになに?」

「私もう帰るけれど、さやかちゃんはどうする? 一緒に帰らない?」


いつの間にかまどかは完全に身支度を整えていた。居間に戻ってきたほむらも外出準備は万端のようだ。


「あー、どうしよっかなー」


本当は迷ってなどいなかったので我ながら空々しかった。


「えっと、ほむら、あたしはここに居させてもらっていい? てか、泊まってもいいかな?
杏子ひとりにマミさんを任せておくのもなんだしさ」

「どうぞ好きにして」

「ありがとう。お礼に掃除くらいはしておくから」


放っておいてくれていい、とほむらが口を挟んだが二人は構わず掛け合いを始めた。


「そーゆーのめんどうだったから前はホテルに住んでたんだよなー」

「あ、詳しく聞いたらダメなやつだこれきっと」

「じゃあ反応すんなよ」

「開き直るなってえの」


聞き流しつつほむらとまどかは出ていった。


「仲間の心配はしていないようだね」

「心配? 何を」

「グリーフシードが不足するかもしれないことに不安はないのかな」

「すぐになくなってしまうわけではないし、あの子たちも私と同じことができるはずだから」

「僕の知る限り君は特別なケースだよ」

「いいえ。私は特別でもなんでもない。私ができることならあの子たちだってできる。
前例もあるのでしょう?」

「ある」

「教えてちょうだい。魂が身体に戻る時に起こる不具合について。
聞いてもいいわよね、もしかしたらこのまま戻れないかもしれないんだし」

「なら聞いても仕方がないんじゃないのかな」

「いいから」

「記憶に影響を及ぼすことがある。これは時間が経つにつれ治ることが多いようだ」

「記憶? 例えば?」

「極端な例だけど魔法少女についての一切をなくしてしまった子がいた」

「それは困るわね」


マミは自分の身に置き換えてみて思わずそう呟いた。実際、ものすごく困る。


(忘れてしまうのなら……そうなるくらいならいっそ……)

(ん?……いっそ? なに?)


何かが閃いた。とても気になったが尻尾を捕まえ損ねたので一旦完全にあきらめる。

QBの話は続く。


「心身にずっと障害が残った例もある。ただ社会生活が送れなくなるほど壊れてしまった子はいなかった。
変わったところでは魔法少女だった時に戦闘で受けた傷が人間に戻ってから改めて出てきた、というのがあったよ」

「戦闘時の傷?……その子はどうなったの?」


滅茶苦茶な戦い方をしていたというさやかのことが頭に浮かんだ。


「魔女との戦いで一度片足が根元から千切れたんだ。ちゃんとくっついてその後も支障なく動けていたのに、魔法少女ではなくなってからの生涯ずっと怪我した方の足を引きずっていた」

「ちょっと──今、生涯って言った?」

「システム破りを果たした子についてはその後のデータを取っている」

「私のデータも取るの? 一生?? そんなに手間ひまをかけるのね」

「時々様子を見るだけだし君たちの一生は僕らにとっては大した時間ではない。
もし君が自分の身体に戻ることができればもう僕の姿を知覚することはできなくなるから、あまり気にしなくていいよ」

「見えないんだから気にするなと言われても」


マミは厚い雲で覆われた空を見上げて「あなたたちって本当に……」と呟いた。


「以前あなたは私が知ることによって結果が変わる可能性について教えてくれたわ」

「何も知らない方が予後はいいかもしれないと僕らは考えている」

「私にどんな症状が出るか予測はできる?」

「君が想像した最悪のところに落ち着く可能性がある。
魔法少女に関わるあらゆる記憶を失う。してきたこと、起こった出来事、そして仲間たちのことを忘れる」

「冗談を言っているの?」

「そういう傾向があるんだ。言ったはずだよ、知らない方がいいとね。引きずられるんだ」


どうであれ知っておかなくてはならなかった、とマミは自分に言い聞かせた。


「……記憶ね。回復するとしたら、どれくらい時間がかかりそう?」

「数か月から数年といったところかな」

「それは困ったわねえ。貴重な時間が潰れちゃう。あなたには都合がいいわよね?」


仲間たちにマミという実例が示せる以外の何もできなくなってしまう。魔法少女の勧誘についてマミがつけた注文も当然のようになかったことにされるのではないだろうか。

QBから返答はなかったが、マミはそれを肯定と取った。

それからしばらくの間、マミは自分の考えに深く沈み込んだ。本人は気づいていないが、その姿は周りの少女たちとよく似たくすんだ色の彫像のようになっている。


「僕もこの星に長くいるけれど、君たちのような形態をとった魂と接触するのは初めてだ」


QBは寝椅子から飛び降りて一番内側の輪を作っている魔法少女たちに近づいた。


「シバ国の子たちだね、女王の臣下として働いていた。会話はできるのかな?」


返事は無い。


「君たちが何かを発しているのはわかるんだがマミの言う黒い糸、というのが僕にはどうにもはっきりしない」

「君たちはどうしてこんな場所に留まっているんだい? ワルプルギスの夜はもう終わったんだ。ここが存在する意味も無くなった。
君たちの教義では魂は同じ存在として居続けるものではなく、滅びては再生を繰り返すのではなかったかな。
一体何が望みなんだろう?」

「帰郷」


後ろから小さな声がした。マミの方から。QBは首を巡らせる。


「マミ?」

「だ、そうよ。その子たちが……伝えてきた」


色彩は元通りになっているが苦悶の表情を浮かべている。


「これは、私にはキツイわね……やめてくれない?」


そして安堵のため息をついたが、こころなしか青ざめている。


「止まった。……まったくもう、この子たちを刺激しないでくれるかしら」

「彼女たちと話せるのかい?」

「いえ、ちゃんとした会話ではなくて、感情が流れ込んでくるの。
そんなことより、知られてしまったわ」

「何をだい?」

「時間を遡ることができる魔法少女がここへ来る可能性について、よ」


「ねー杏子」


ソファーで新聞を広げていたさやかが杏子を呼んだ。ほむらとまどかが家を出てからずっとダイニングテーブルで組んだ両腕に頭を乗せ、何か考えごとをしていた杏子だった。


「ヒマそうだね。さっきの話の続きをしない?」

「まだなんかあんの?」


杏子はちょいちょいと手招きするさやかに近づき、隣に腰を下ろしてぐーっと伸びをした。(でっかい猫みたい)と思いながらさやかはチラシの束ごと新聞をたたんで台の上に置いた。


「新聞なんか読むんだな」

「眺めてただけ。ポーズですよポーズ」

「なんだそれ」

「あまりちゃんと見ないようにしてんの」


災害直後と比べるとだいぶ小さい扱いにはなったがそれでも一面に死亡者数と行方不明者数が載っている。

さやかは掌を上を向けて差し出した。ぽんと手が乗せられたので指を組んだ。


「なんかさやかから妙なプレッシャーを感じるんだけど。なに考えてる?」

「わかってんじゃん。そーなの。さやかちゃんはただいま杏子をぐいぐいプレス中なのだよ」

「はあ?」

「いい? マミさんはものすご~~く大事な人です。やさしいマミさんが大好きだよ」

「うん。知ってる」

「そしてほむらも大事なの。大事なまどかをずっと大事に思ってきてくれた子だから、どっちも失うわけにはいかないの。
だからできることはやんなきゃだめだと思うんだ」

「……うん?」

「本気出そう。魔法を使おうよ」

「なにを言って」

「待って、聞いてよ。できるよ。思い出せればいいんだよ」

「思い出せれば?」

「うん。一回できたことじゃん?」

「…………あれか」


(あの時は目の前に大けがをしたマミさんがいた)

(あの時は目の前に死んだように倒れたほむらがいた)


いきなり異世界に二人で移行した時のことだ。あれ以来一度もそういったことは起こらなかった。偶然の重なった結果だったのだろうと深く考えずにいた。

入り口が異常なほどの性的な絶頂体験だったということもあって、これまで二人の間で話題として触れられてこなかった。


「……あれを魔力でむりやり再現させればいい……のか?」


杏子は二人の間に落ちている手に視線を落としてちょっと力を込めた。深層まで伝えるテレパシーの応用で記憶の細部までをありありと相手に思い起こさせることは可能だ。


「そうだよ。あの時のことはよく覚えてる。もうひと押しあればいいと思ったの。
そこがあたしにはわかんないけど、杏子はベテラン魔法少女でしょ?」


杏子ももちろんよく覚えている。杏子は飛んだ。さやかは沈んだ。


((……死んだと思った……))


そこには僅かながら間違いなく死に近づいた恐怖があって、それすら強烈な刺激になった。今の今二人はそれを自覚した。


(あれに限りなく近づけば道がわかる)


杏子にはそう思えたし、魔法少女が可能だと考えるのであれば、それは成る。


「──なんでそんなこと思いついた?」


さやかの肩に頭を乗せながら杏子が呟いた。さやかも相手に体重を預けて頭をもたれさせた。


「杏子のことばっか考えてるからかな、なんてね~あははは」

「…………」

「ちょっと待ってよ、ちゃんと突っ込んでよ」


ボケ甲斐がないよと笑いながら言った。


世話好きさやかちゃん
恋人がいると精神の安定っぷりがすごいと思いました(小並感)

>>244
ほ、ほら、マミさんのためだから(震)



「たびたびお邪魔して申し訳ありません」


玄関でにこにこと出迎えてくれたまどかの父にほむらは頭を下げた。以前そうしていたように、夜になってからまどかの部屋にこっそり入れてもらうつもりでいたのだが、困ったような笑顔のまどかにやんわり断られた。


「よく来たね、さあ上がって」


知久がそう言うと父親にくっついていた三才児も少しはにかみながら声を張った。


「ねえちゃ、ほむら、おかえり!」

「こんばんは、タツヤくん」

「ただいまタツヤ、おねえちゃんたちと一緒に遊ぼーね」

「あそぶ! いっしょにおそといく?」


期待に満ちた大きな瞳を向けられてほむらの頬が自然に緩んだ。腰をかがめて膝に手を当て、タツヤと視線の高さを合わせる。


「お外はまた今度ね。今日はもう暗くなるからおうちで遊びましょう」

「うん、こんどね!」

「とってもいい子ね」


ほむらが誉めるとタツヤのみならずまどかまでもエヘヘヘと姉弟でよく似た笑い声をあげた。


「僕は夕飯の支度をしているからお客さんとタツヤの相手は頼むよ」

「任せてパパ。行こうほむらちゃん」


目一杯遊んだ。


「やれやれ」


QBはマミの隣に戻ってきた。


「君は暁美ほむらに何を期待していたんだい?」

「何って、そうね……ここへ来ることができそうなのが彼女だということ以外はあまり……ああ~」


頭を抱えた。


「この子たちが“叶うなら元の時代に帰りたい”って気持ちを持っていることがわかって暁美さんのことをふっと連想しちゃったのよ」

「君たちはそういう生き物だからね」

「どういう?」

「感情に流される生き物だということだよ」


それから何かを思い出した様子で「そう言えば」と続けた。


「ある魔法少女が僕を見て、なんでそんなに空っぽなのかって聞いたんだ。彼女はエンパスでね」

「人の感情がわかる能力ね。魔女戦にはあまり役に立たなそう」

「役に立つどころか邪魔になっただろう」

「あなたたちから見れば、どこまでも無駄な能力なのでしょうね」

「かなり苦しんでいたようだ」

「お気の毒に」

「それでちょっと思いついたんだ。君たちは水の中に、僕らは陸の上に住んでいる。そんな喩えではどうかな」

「それくらい異なる存在だと言いたいの?」

「逆だよ。君たちは常に水の影響を受ける。潰されたり流されたり茹ったり凍りつくこともある。
僕らはそうではない。『僕らの周りには水がない』と訴えても君たちはそんな生活環境が想像できないから『まさか』と驚く。『水で満たされていない、空っぽじゃないか気味が悪い』ってね」

「それで?」

「しかしながら水も空気も物質であることに違いはない。密度が違うだけだ。
つまり、存在として僕らはそれ程かけ離れてはいないということなんだが」

「うーん、どうかしら」

「分かり易いと思ったんだけどな」

きたか

生きてるならそんなにかけ離れた存在ではないというのがQBの主張なのだろうか

>>248
きたよ
>>249
話が終わってからでもいいですか
ひっぱるほどのことではないのですが

その日、特別な外出用のワンピースを着た。さやかはじいっと鏡を見て襟元のブローチをちょっと触った。

「もう出かけないと」と父の声がして母が「はーい」と返事する。

こうして家族で出かけるのは久しぶりだった。電車では座れなかったけれどドアの窓から外を眺めることができた。生まれてからずっと住んでいる街。見飽きない。

駅からそう遠くないコンサート専用ホールに到着した。入り口で記名を済ませ、パンフレットを受け取って広いエントランスを通り抜ける。あちらこちらで大人たちが挨拶を交わしている。

重い二重扉をくぐって会場に入り、席に着く。「ちゃんと座っていられるかな?」と母がさやかの顔を覗き込んだ。

かしこまった場所は苦手だし、じっとしていることも好きではないけれどもちろんさやかはちゃんとできる。小さな子供ではないから。

真面目くさってそう抗議すると両親は揃って微笑んだ。

開演ブザー が鳴り響くとざわめいていたホールが静寂に包まれた。さやかより少し年下らしい女の子が緊張しながら舞台に現れてお辞儀をし、バイオリンを奏で始めた。

少々危なっかしいところもあったがピアノ伴奏に助けられながら無事に二曲弾き終え、拍手で送られて退場していった。すぐに次の子の演奏が始まる。

三、四人が同様に弾き終わった頃さやかはとうとう退屈し始めた。

恭介の出番まであと何人分聴かなきゃいけないんだろう。


「なあ、これおもしろいのか?」


隣に座ったポニーテールの子が話しかけてきた。幾つかはわからないけれどさやかよりは確実にお姉さんだ。

なんだかとても嬉しそうにキラキラした目でさやかを覗き込んでいる。


「演奏中はお話ししたらいけないんだよ?」


小さな声で教えてあげた。(し~)と人差し指を顔の前で立てて見せる。


「ごめんごめん」


その子は声を落としたが、なぜかますます笑みを深めてさやかを見た。丈の長い黒のワンピース姿で、肩から胸を覆う幅のある白いカラーが鮮やかだ。首元に細いリボンをつけている。


「なんだかつまんなそうにしてたから」


にいっと八重歯を見せてそう言う。どこかで見た笑顔だな、と思った。そしてまったくその子の言う通りだったのでさやかは相手をすることにした。ひそひそと言葉を返す。


「あのね。みんなおんなじように聞こえちゃうんだよね」

「ん? どういうこと? あ、音楽きらい?」

「まさか!」

「なら、好きなんだな?」

「大好きだよ──あのね、今日はね」

「じゃあ楽しんでもらえると思うな」


今日は幼馴染が云々説明を始めようとしたのを遮って、その子はステージの方へステップでも踏むかのように軽々と歩いて行った。束ねられた髪とスカートの裾が踊る。


(出演者なの??)


呆気にとられて見ていると彼女は舞台に上がって一礼し、オルガンの前に座った。

それからもう一人、さやかと同じ年頃の女の子が緊張しながら袖から出てきてペコリとお辞儀をした。

さっきの子と似ている。姉妹かもしれないとさやかは思った。

ステージの二人が目くばせをしてタイミングを合わせるとちょっとのんびりしたような和音が響き始めた。


(へえ……)


小さな女の子が歌い始めた。


………glory, the glory of the Lord,


きれいな歌声が響く。演奏者が異なるパートを歌い始め、声が重なる。これも良く通る声で聴いていて気持ちがいい。


and the glory, the glory of the Load, shall be revealed,
shall be revealed,


and all fresh shall see it together,
and all fresh shall see it together,


the mouth of the Load
and the glory, the glory………


(すごい)


……けど。


(あれ?)


ここ、こんなに狭かったっけ? 座席ってこんな木製のベンチだったっけ?

人がぎっしり座っている。

ステンドグラス、燭台で煌々と輝く何本ものろうそく。

訳が分からない。眉を寄せて考えていると横からラフな格好をした誰かが話しかけてきた。


「よう。まだ寝ぼけてる?」


(んん?)


「チビさやかカワイイからもうちょっとこのままでもいいけど」

「きょーこ」


するりと口から相手の名前が出て、それからゆっくり思い出した。小さな姿のまま、さやかは隣に座るいつもの杏子を見上げて「はぁ~~~」と息を吐いた。


「………ナニコレ」

「さあ、なんだろうな。場所を聞いてるんならここはウチの教会」

「あれ妹さん?」

「うん。モモだ」


杏子の声が少し震えてる。


「どう? 何年も前のクリスマス礼拝。みんな喜んでくれたなあ、これは」

「いつもオルガンはお袋が弾いてたんだけど、あたしとモモでやらせてくれって頼んで」

「けっこう無茶苦茶だったんだ。モモがメロディー歌ってあたしが高いとこも低いとこも引き受けてさ。大勢で歌う曲なんだ」


さやかは──元の姿に戻っていた──杏子の手を握った。


「泣くな杏子」

「説明してるだけだろ、泣いてない」


あたたかい拍手に包まれてステージの二人は席に戻って行った。


「あれが恭介だよ」


いつの間にか二人は一緒に天才と称される幼い少年のバイオリンを聴いている。少年の演奏は間違いなくこの発表会における目玉のひとつだった。ホール中の観客が注目している。


「すごいでしょ。音が全然違う」

「さっきの子たちより明らかに音が大きいしきれいだな。それに迫力がある」

「音量についてはね、バイオリンの大きさが違うの」


身体と楽器の見た目のバランスが他の子どもたちと違う。楽器がより大きく見える。


「子供用のバイオリンのサイズって細かく幾つも段階があってね。身体の成長に合わせて変えていくんだ。
楽器が大きければそれだけ音が大きくなるし、響きもぜんぜん違うの。
恭介は腕も指も長い。あと、関節や筋なんかも柔らかくてね、上の合わないサイズでも弾きこなしちゃうの」

「へえ」

「先生やご両親は止めておけって言ったんだって。曲芸みたいなもんだからね。
でもあいつ、どうしてもこれじゃなきゃだめだって。音に拘りがあるんだ。
出せる音をちゃんと出したいって」

「ふうん」

「あはは……つまんない?」

「いいや、続けて」

「あたしが一番最初のファンなんだ。本人の前で宣言したもん」

「そっか」

「この日の発表会でファンをだいぶ増やしたと思うんだよね。
バイオリン辞めたくなった子もいたかも」

「そっか。すごいやつなんだな」

「うん。よく、知りたくて」

「ん」

「クラシックは聴きまくったし、本も読んだ」

「そっか」

「…………」

「泣いてる?」

「泣いてないってば。魔法少女になったことは後悔してるんだけどさ」

「うん」

「あいつの腕が治ったのはほんとよかった」

「そうか」

「あの天才の腕が失われるなんて人類全体の損だ、とか思ったもん」

「大ファンだな」

「これからもずっとね」

「そっか」


「お嫁さんになって近くで応援するんだって、小さい頃から思ってた」

「うん」

「どうしようもなく憧れてて、でもどっかでわかってたんだ。住む世界が違う子だって」

「事故があって………腕をやられたって聞いて真っ青になったよ。
大好きなバイオリンを弾けない恭介があたしはすごくかわいそうで」

「かわいそう、だったけど…………でも実際のところは毎日お見舞いに行けて嬉しかったな」

「誰はばかることなく二人きりで会えてこっちはウッキウキだよもう。
治らないケガだなんて知らなかったからさー」


ステージ上の上条恭介はもう幼い少年ではなかった。大けがを奇跡的に乗り越えて挑戦したコンクールの最終審査、実力を出し切った彼は応援に来ていた志筑仁美と目を合わせて穏やかに微笑んだ。


「仁美でよかった、本当に。ぴったりなんだよ」


言い訳でも僻みでもないよ、と前置きしてさやかは続けた。


「仁美が恭介を好きだって聞いた時は、こう目の前が真っ暗になったんだけど」

「絶対にかなわないってわかったし。すごくしっくりきたし。
恭介のこと一番わかっているのはあたしだって自信があったんだけど
そんなのただの勘違いだった」

「なんか、淡々と話すんだな」

「熱く語って欲しい?」

「そうじゃないけど」


握りしめられた手を見ると少し白くなっている。


「恥ずかしいんだ」

「何が?」

「こんな風に頭でわかってても、仁美にあたしの恭介を取られちゃった、ってなった自分が恥ずかしい。
みんなに八つ当たりしてた自分が恥ずかしい。なんにもわからず浮かれてた頃の自分が恥ずかしい。独りよがりでもういろいろと恥ずかしい。
あんたに世話を掛けさせたのが恥ずかしい」

「………ちゃんと整理がついているんだな」

「そうみたい」

「そっか……じゃあ、さ」


杏子は握られた手をしっかりと握り返して心で話す。



おねがいだからこうしていて。

たぶんこれからかなりひどくなるから。




お互いの記憶を行ったり来たりしている。なら、すぐ、アレがくる。

杏子は身体を固くした。




音もなく二人のいる場所の底が抜けた。

ゆっくり落ちていく。

お互いを拠り所にして。


朗読台で父が聖書を開いている。


「マタイによる福音書、第十四章十六節から──イエスは舟から上がって………」


日曜朝の礼拝時、家族以外誰もいないが父はきっちりと時間になると始める。どこかさびれた聖堂。杏子もモモも毎日掃除を手伝っているのに。

クリスマスが近い。


………for the Load, and the glory, the glory of the Load,………


もうあんな風にクリスマスを祝うことはないんだろうな、と思う。

教会を訪れる人が減っても日々の雑務は減らない。休日ともなると杏子も朝早くから手伝いを諸々こなす。ビラも配るしボランティアにも参加する。


(お腹が空いた)


空腹には慣れなかった。いっときましにはなることはなっても、食べるまでそれは決しておさまらない。

杏子は歯を食いしばり、両手でみぞおちのあたりを押さえた。妹はもっと辛いはずだ。あたしよりずっと小さいんだから。


(イエスさまは何千人もの人を食べさせてくれたけど、神さま。あたしはお腹が空いています)


どうしてうちはこんなに苦しくなったのか、と母に尋ねたことがあった。


「お父さんには考えがあるの」


それまで属していた教派を抜けて独立したらしい。何か教義の解釈について意見の食い違いがあったとかなんとか。父は異端となった。教会を訪れる信徒は激減した。

両親にしてみれば子供たちが飢えているなんて思ってもみなかったかもしれない。時間になればきちんと食事は出た。ただ、育ち盛りの子供たちにとってはその量は満足のいくものでは決してなかった。満腹になれるのは学校で出る給食の時だけだった。

食べ物のことを考えるのはつらかった。


「みんなが親父の話を真面目に聞いてくれるようにってのがあたしの願いだった。
単純に信徒が減ったからうちが貧乏になったって思ってたから」


空腹に苛まれる小学生の自分を見つめながら杏子がさやかに説明する。


「でも……考えてみるとさ」

「教派から独立、ってか破門されたんだけどそれは覚悟の上じゃん」

「信徒が減るのはわかってるんだから、その寄付だけで生活できるなんて甘いことは考えてなかったはずだ。
お袋は昼間働きに出てたよ。忙しそうだったな、親父のアシストも家のこともやるから。
親父はやさしい人だったけど……そんで毎日一生懸命教会のことをやってたけど……それじゃ食えない」


そして目の前すべてが炎になる。


「さやか」

「なに?」

「あたしは、どうして絶望しなかったと思う?」

「それはあんたが強いから」

「違う」


さやかは杏子の顔を見た。さやかは答えを知らされる。


「あたしのせいで両親が………小さな妹まで連れて死んじまったってのにあたしは」

「どこかで、ホッとしたんだ。自分が楽になれたって思っちまった」

「杏子」


杏子の声が苦しそうだ。


「ダメな…………親たちだなって…………思っていたんだよ…………」

「神父が……自殺するか? つれあいと子供殺すか? 魔女にやられてたんじゃないか? でもその魔女はあたしなんだ」

「あたしらが戦っているような魔女なんかじゃなくて、正真正銘本物のタチの悪い」


さやかは杏子を抱き寄せてやる。

燃える司祭館、消防車のサイレン。

ものが焦げた不快な臭いの充満する聖堂で泣き明かした。


マミにすっげー八つ当たりしたな。当たる相手があいつくらいしかいなかったし。
そっからは……やりたい放題だった。あたしくらい魔法少女に向いたヤツってなかなかいないよ。
好きに生きて野垂れ死ぬんだ。どうでもいいって思ってた。食えればいいやって。

でも。

でもそれで生きていけるほど単純じゃなかった。マミと再会してあんたらに会って……
ほむらから繰り返しの時間を教えられて。


またふたりの底が抜けてどこかへ落ちていく。



まどかはパジャマ、ほむらは魔法少女姿でベッドのへりに並んで座った。

まどかが手を伸ばしてほむらと手をつなぐと、相手がわずかに緊張したのがわかった。

少しの間まどかの熱で掌を温めていたほむらが、意を決したようにそっとそれを握り返した。


「これをお願い」


自分のソウルジェムをまどかに渡す。

まどかは受け取ったそれを胸に当てて少しの間祈るようにうつむいた。


「ほむらちゃん」

「なに、まどか」

「いけるよ」


口調にはっとしてまどかの横顔を見る。半眼になった目が異様に光を帯びている。


(まどか……あなた)

(いけるよ)


思わずテレパシーで話しかけると同じように明瞭に返ってきた。

ほむらは僅かに目を細めた。もう始まっている。


あれで潮目が変わった。あたしにとっては。

自分にとっても、とさやかは伝えた。

このままじゃいけないって、やっと思えたんだ。

炎がちらつく。

なんだろうこれ。まざっていくね。

草を渡る風の音。

波の音が近づいてくるね。

炎がちらつく。

声が聞こえる。


“…………魔法少女システムの一番ダメなところはね”

“絶望がそのまま死につながるというところよ”

“システムの一番肝心な部分と言っても差し支えないね”

“元々がダメなのね”

“エネルギー収集の効率を第一に考えられているからね”

“本来絶望は出発点なの。循環するのよ”


あれとあんな風に話をするのはあの人だけだと頷き合う。

くすくすと笑いがこぼれる。

笑いながら。

対流が起こる。

お互いの中に自分を見る。

それを目印に回る。

回る。


一人と一体は話し合いを重ねながらその時を待っている。


「煙幕のつもりもあったとはいえ、あなたとこんなにもおしゃべりをしたのは初めてじゃない?」

「確かにこの星の特定の固体と一緒に過ごした時間は君が一番長くなった」


マミはQBにひとつの提案をする。

QBは条件を出し、マミはそれを飲んだ。


「契約成立。契約書のタイトルはQBかく語りき。どう?」

「君らしいね」

「訳がわからないよって言うと思ったのに。私もまだまだね」

「しかし、君は本当にそれでいいんだね。後戻りはできないよ」

「何であれ、そんなものでしょう」


マミは意識を一点に集中する。


「来るわよ、QB」


まどかは見た。

マミとQBの姿を。

結界内に姿を現し、降下していくほむらを。

ほむらは黒い糸に絡みつかれたマミを目にして危険を知る。


「見えた。僕はお先に」


情念の黒い糸はQBを束縛しない。絡まる術がないかのように大量の糸がするすると解けていく。


「助かったよ、ほむら」


ほむらとすれ違ってQBは消えた。

大量の糸が迫ってくる。ほむらは手榴弾のピンを抜いて生き物のように伸びてくるそれらに向かって投げた。

しかしそれらは爆風を呑みこむほど大量に現れてほむらに絡みつき、その自由を奪った。

マミは魂の本性であるキャンデロロの姿となり、自分に纏い付く糸とともにほむらへ向かって飛んだ。

ほむらの姿はもうほとんど黒い雲に溺れているように見える。


(巴マミ。ここでなにが起こっているの?)


黒い糸に浸食されて記憶を探られる。ほむらの脳裏に過去が蘇る。


“何度繰り返すことになっても必ずあなたを守ってみせる”

──リセット


“私の戦場はここじゃない”

──リセット


──リセット


──リセット


──リセット


ほむらは激しい怒りを覚える。しかしなす術がない。

糸がほむらの盾を操作しようとしていることを知って死にもの狂いでもがく。

そのほむらにキャンデロロが飛び込んだ。文字通り。


(身体から切り離された魂と、魂を有さない身体が揃ったわ。あなたの身体を使わせて)


どこでどうしていても巴マミは巴マミだ、というようなことを漠然と思ったのを最後にほむらの意識は身体から切り離された。



突然まどかのトランス状態が中断された。ショックが大きかったようで彼女の口から「うぐっ」という

ような声がもれた。


「ほむらちゃん!!!」


いない。ただ輝くソウルジェムだけが彼女の手の中にある。


宙を舞うリボンが黒い糸をすばやく大量に巻き取っていき、ほむらの姿をしたマミが現われる。

完全に自由になった瞬間身を翻し、結界から離れて虚空を全力で飛ぶ。加速していく。


(道はわかる、見える。でも)


糸はしつこくやってきて、何本かが足に絡む。ほむら=マミのスピードが落ちる。

それを発端にまた大量の糸が身体に纏い付いてくる。


(どこまで伸びるの? キリがない!!)


その時どこからともなく巨大な槍が現れて糸の束を易々と断ち切っていった。輝く穂先が何度か往復するともう黒い糸はどこにも見えなくなった。

持ち手も槍の大きさに見合っていた。そびえる姿は首から先が炎に包まれ、動くと火の粉がぱあっと派手に散った。表情や顔かたちなどはっきりしないが、マミはそれの明るい哄笑と蹄の鳴る音を聞いた。徐々に薄れていく。


(ありがとう)


あなたのことをどれだけ頼りにしていたか。想像もつかないでしょうね。

いきなりグンと移動のスピードが上がった。身体が空間ごと進行方向へと流れていく。先へ先へと持って行かれる。

早い流れに身を任せていると、すぐ近くに大きな姿が見えてきた。気付けばほぼ向かい合って泳いでいる。これの作る水流に運ばれていたのだ。

銀色に輝く鎧とウロコ、はるか後方で一瞬尾ひれがひるがえった。フェイスガードの隙間からいたずらっぽい目の輝きを見た気がした。だんだんと消えていく。


(ありがとう)


私みたいな者に憧れてくれた。いつも場を明るくしようと心を砕いてくれていた。

どうやったのかは知らないけれどいろんな壁を越えてきてくれたに違いない。感謝の念で胸を一杯にしながら、ほむらの姿をしたマミは通常空間への道を行く。

雷の音が聞こえる。

おつおつ

Rにこんな良スレがあったとは

>>266
>>267
>>268
ありがとです


大きな存在からゆっくり別れていく。自分が自分としてまとまっていく。

少し名残惜しい気がした。


(じゃあ、帰らなきゃいいんじゃない?)


そんな気持ちにつけこむような囁きを聞いた。


「帰るよ。用は済んだ」

(わかってるだろうけど、あんたはこの先あまりいいことないよ?)

「かもね」

(さんざん好き勝手できたのも魔法があってこそだったじゃん)

「よくわかってる」

(あたしが代わってやってもいいんだよ)

「いやだよ」

(いい気分のままここで眠っていられるよ?)

「ごめんだね」

(面倒くさがりのくせに。少しは考えなよ)

「考えたよ」

(あの子がいるから帰るの?)

「うるさいな、それだけじゃないよ」

(あの子のどこがいいの?)


声に笑いが含まれている。


「うるさいよ」

(答えられないの?)

「うるさい」

(まあ、これ以上は足止めしないよ。せいぜいうまくやるんだね)


ずっとあたしと一緒にいた。捨てたと思っていたけれど、ある時は背中を押しまたある時にはブレーキをかけた。


「知ってる。あんたはあたしだ。わかってるから」

「だから任せろ」

「これからどうなったって、なんとかやっていくから」


もう返事はない。

杏子は帰る。

しかし着地はすんなりとはいかなかった。


何かが起こっている。

取り返しのつかない何かが起こりつつある。そんな思いで胸がざわつく。

まどかが見たのはマミがほむらと一体化したところまでだ。


(ほむらちゃんはマミさんと一緒にいる。マミさんの魂が帰る場所はひとつしかない)


もちろんマミの身体だ。ではほむらの身体は? どこからどうやって戻ってくるのだろう。

手の中のソウルジェムはきれいな紫色だ。


(無事……では、あるはず……)

(ほむらちゃんの色)


見ていると少し落ち着く。

遠くの方からゴロゴロと雷の音が聞こえてきた。気になって窓を開け、真夜中の空を見上げる。

空の一角で黒い雲が重々しく垂れ込めながら巨大な渦を形成しかけてた。


(あれは)


あの方角は──。

鼓動が早まる。まどかはほとんど無意識に一番手近にあった上着をつかみ、腕を通して家を飛び出した。


(行かなきゃ)


夢で何度も見た終焉の風景を思い出す。

あそこだ。

深夜の住宅街を彼女なりの全速力で駆けていくが、すぐに息が切れた。


(体力なさすぎ)

(情けないな)


しかし走ることを止めない。危機感がそれをさせない。

ぽつぽつと雨が降り始めた。


それは夢かうつつかはっきりしない。

部屋の中にQBがいる。

杏子は身体を動かせずにいた。ただそこに立って目撃している。

冷たい汗が背中を伝っていく。


(やめろ)


ほむらの家のリビングで眠り続けるマミのそばにQBが近づく。


(やめろ)


声が出ない。

見ていることしかできない。


(やめてくれ)


心の中で絶叫する。

QBが口を開けてマミの身体にかぶりつく。

まるで半固形物をすすりこむようにマミの身体を減らしていく。血は一滴も流れない。QBが頭を動かす度にマミの手足がぱた、ぱた、と力無く揺れる。着々と人の形を失っていくその一方でQBの見た目はまったく変わらない。


(なぜマミを)


QBが振り返って杏子を見た。


「なぜって、もったいないじゃないか」


マミの全てをその小さな身体に詰め込んで去って行く。


(待て!!!)


杏子は身動きできない。


(夢だ)

(絶対に、これは夢だ)


遠い場所から帰還を果たした。実りの多い旅だった。

そんな満ち足りた気分でさやかは目を覚ました。しかしなぜか自分が今、魔法少女の姿で路上を走っている最中なのを知って驚きの声を上げた。


「えっ?」


かなり本気のスピードだ。とりあえずペースを落とす。

街灯が照らす夜の道に人気はない。雨が降っている。


(なにやってんのアタシは……まだ夢かな?)


一体どこへ向かうつもりだったのかと悩む彼女に待ち望んだ懐かしい声が届いた。


(美樹さん)


さやかは言葉にならない大きな喜びの感情を爆発させた。高らかに鳴り響くファンファーレ、大量に打ち上がった花火のようなそれ。

今のマミにはさやかの純粋でダイレクトな歓喜が少し心に突き刺さる。


(マミさん! 戻ってきてくれたんですね!)

(おかげさまでね。それより──)


少しの間さやかの脳裏にある風景が映し出された。

豪雨、暴風、落雷、破壊された人工物が土砂と共に積み上がっている。


(マミさん、ここって)

(急いで、お願い。暁美さんを助けて)

(はいっ!?)


夜空にその中心がはっきりと見えた。巨大な黒雲の渦巻きがあり、それが所々光る。不穏な雷の音がする。

ちょうどあの真下あたりだ。

時折稲光で辺りが真っ白になった。数秒後にバリバリバリと雷鳴が追いかけてくる。雨風が次第に強まって行く中、人間には不可能なスピードでひた走る。あっという間に住宅街を抜け大橋を渡り、ワルプルギスの夜と戦った場所へと。


(あの日ほどじゃないけれど酷い天気……ん?)

(ちょっと、うそでしょ!?)


目を疑った。正面前方、自分と同じ方角へよろよろと進む見知った人影がある。


(まどか?!──っとっとっとっとおっ!)


急には止まれない。追い越してからかなりの距離を引き返すことになった。

駆け寄るさやかをまどかは不思議そうに見た。呼吸と動悸がめちゃくちゃでまともに声が出ない。


「さ、さ、さや」

「うわわ、まどか!」


つんのめって前に倒れかけたところを、さやかは危うく支えた。


(なにやってんの、こんなになるまで??)


眉をひそめて文句を言いかけたが、まどかが大事そうにほむらのソウルジェムを握りこんでいるのに気付いて黙った。


(ああ、そっか)


どれだけ慌てて家を出たのだろう。パジャマの上から厚手のカーディガンを着ているだけだ。雨水を吸い込んで全体が重そうに下がっている。足元はと見ると通学用の制靴だった。

下ろした髪はクセが完全に消えるまで濡れそぼっている。さやかは自分のマントを広げてまどかを覆い、わしゃわしゃと手を動かした。


「さやか、ちゃん、………び、、びっくりしたよ……!」

ゼイゼイと荒い呼吸の合間にまどかはなんとか言葉を発した。


「びっくりしたのはこっちだよ、も~」


ここから帰すこともこの場に置いていくこともできない。「ごめんね」と一声かけてひょいと抱き上げた。

すーっとまどかの頭の先からつま先まで青い光が走って全身がさっぱりと乾き、靴擦れで傷めた足が癒された。


「一緒に行くよ、まどか」

「すごいね、ありがと……正直、ものすごく、助かっ……ちゃった」


まどかはさやかのマントにつかまり、まだ苦しい息で礼を言った。


「いーんだって、これくらいなんでもないよ」


自分たちの周りを目に見えない流線形の風防ですっぽりと覆い、再び走り始める。


「さやかちゃんはどうして?」

「えへへ、マミさんにほむらを助けてって頼まれてさ」

「マミさん戻ったの!? 良かった……!」

「うん! 直接会ってないけどね。テレパシーが飛んできたんだ」

「テレパシー? マミさんはもう魔法は」

「え? あ、そうか。使えるわけないじゃん。てことはQBが仲介したってことだね」

「QBが……?」


高揚した気分が一気に落ちこんでしまった。


「たぶん、大丈夫だよ」

「え?」

「ほむらのこと」

「うん」

「マミさんがほむらと一緒だったのを見たよ」

「見たの?」

「正確にはほむらの姿をしたマミさんだったんだけど」

「うん」

「ほむら、ちゃんと行ってくれたんだなって嬉しかった」

「ほむらちゃんは義理堅いから。やさしいし」

「あはは、まどかはほむらが好きだねえ」

「当たり前だよ」

「ああ、うん、まあ」

「さやかちゃん、なにか言いたそう」

「なんでもないよ? あっと、マミさんが戻ってるんだからほむらは機能停止中か。
急がないとね、揺れるかも。酔わないでね?」

「平気、お願い」

「ん!」


気合を入れて加速した。


ひとりでソファーに横になっていた杏子が嫌な汗にまみれて目を覚ました。


(夢だった)


安堵感がこみ上げ、長い溜息を吐いた。

部屋の電気は点けっ放しで時間がわからない。妙に重く感じる頭を持ち上げて壁の時計を見ると、とっくに日付が変わっていた。

身体を起こして深く座り直し、組んだ両手に軽く額を乗せた。


(見て、ちゃんと確認しないと)


マミが部屋の居るべき場所にいるのかどうかを知るのが怖い。なんの意味もないただの夢だったと思いたい。

目を閉じて深呼吸をした。

そして。


「佐倉さん」

「────っ!」


近い距離で背後から名前を呼ばれ全身が激しく震えた。振り返って怒鳴った。


「う、後ろからいきなり声かけんな!」

「再会第一声がそれなの?」


杏子はソファーの背もたれ越しに笑顔のマミにとびついた。膝立ちの体勢で相手の両腕ごと抱え込む。捕獲のニュアンスも垣間見える抱擁だった。


「え、ちょ、ちょっと、珍しいわね?」

「みんなどんだけ心配したと思ってんだ!!」

「まあ……ありがとう」

「うっさい!」


疑念はひとまず脇に置いてマミを実感した。


「……もしかしたら、あんたにはもう会えないかもって思ってたっ」

「ごめんなさいね。──でも話は後」


その真剣な声音に促されて身体を離す。


「どうした」

「さっそくだけどお願いがあるの」




ひとり残されたマミは緊張した面持ちで宙に視線を漂わせる。

しばらくの間そのままでいたが、安心したようにふっと一つ息を吐いた。



目的地が近づいてきた。この辺りはもう街の明かりはほとんど届かない。さやかは視力を強化させる。

巨大な瓦礫の山──ビルがそのままの形でブロックのように積み上がっている箇所もある──が連なり始める大分手前に高いフェンスが張られていた。まどかを横抱きにしたまま一足で飛び越えると中にはプレハブの建築物と何台もの大型重機が整然と並んでいた。


(ん?)


さやかはフェンス内側に建ててあるポールに監視カメラが設置されていることに気付く。


(こんなとこ入ってくるやついるの?)


剣を飛ばしてポールごと切り落としておいたが、侵入の様子はばっちり録画されていそうだ。


(まあいいや、なるようになる。……はず)

(なにか盗んだり壊したりするわけじゃないし。友達を助けに来ただけだもんね)


ここを訪れるのはあの戦闘以来だ。様子はあまり変わっていないように思う。つまりは撤去作業がまだほとんど進んでいないのだろう。

脆くて険しい絶壁を駆け登り、跳び移り、飛び降りて一番内側へと急ぐ。

二人が辿り着いたそこは不自然な平坦に見えるが、実はすり鉢状の窪地だ。常識はずれのスーパーセルは建物を基礎ごと地面から剥いだ。

ここは魔法少女たちがワルプルギスの夜の進行を止めた場所、魔女があの日一番長く留まった場所だ。

さやかはまどかを地面に立たせて雷の音に負けないよう耳の近くで話しかけた。


「大丈夫だからね!」


こくこくとまどかは頷く。雷雲はしつこく頭上に居座り続け、次々と光っては轟音を響かせる。

さやかが魔力で防護してくれていることはわかっていたが、それでも身がすくんでしまう。


「絶対まどかには落ちてこないからっ」


その通りなのだろう。雨と雹が降りしきる中、身体はまったく濡れていない。不思議だ。


「う、うん、ありがと」


怖がりながらもまどかは何かの兆候を探して神経を尖らせる。雲が禍々しく光を籠らせているので周りの地面がぼんやり見える程度の明るさはあった。

大粒の雹が降り始めた。丸い氷の粒が地面に溜まっていく。


また光った。近い。直後の一際大きな雷鳴にまどかは絶叫してしまった。ほむらのソウルジェムを持ったまま頭を抱えるようにして両耳を塞ぐ。頬がぴりぴりする。


「よーしよし、怖くないよ~大丈夫だって」

「い、いい今の、今のすごくなかった? ねえ?」

「すごかったけど、でも大丈夫だからねホント」


涙目でカチカチと歯を鳴らす友人の肩を抱いて励ましているうちに、さやかは一帯になにやら異様な気配が近づいてくるのを感じた。

どんどん大きくなる。鳥肌が立った。


「うーん、どこからだろう、これ」


まどかも同じように感じていたが、それがどこからというなら何度も見た。ワルプルギスの夜はいつでも空から現れた。


「……そうだった……ねえ、さやかちゃん、上だよ」


まどかが震えながら空を見上げると「ん、なに?」とさやかも同じ方を向いた。

ほぼ同時に二人の頭上、雲の渦の中心から小さな何かが放出された。雷光が照らしたそれは人影らしい、という程度の認識しかできないものだったがまどかはぎょっとして叫んだ。


「ほむらちゃん!!」


さやかは彼女のこれ程必死な大声は聞いたことがなかった。

時間がない。


「ふんっっ!」

「ちょっっさやかちゃん?!」


まどかの手からソウルジェムを奪い、頭を下にして落ちてくるほむら目掛けて最小最速のモーションで投げた。

間をおかず直径三メートルほどの白く輝く魔法陣をほむらの落下線上に出現させる。

それ自体は厚みのない円盤が僅かな間隔を保って幾重にも層を成し、地上数メートルに浮かんで明るく光る円柱となった。

重力に逆らって飛んで行った小さな紫は目標を掠め、しばらく上昇してから持ち主に続いて落ちてくる。

ほむらは中心から少しずれて光の柱に吸い込まれた。まどかはそれをはらはらしながら見守りつつ、ソウルジェムの行方も懸命に目の端で追った。

本体はソウルジェムだと頭でわかっていても、どうしても身体の方を重点的に見てしまう。それを抜け殻などと思うことはできない。


完璧なコントロールで投擲されたソウルジェムが身体に触れた瞬間、ほむらが意識を取り戻す。

なぜか目蓋が開かない。身体が思うように動かせない。ただ高所から落下中だということはわかった。これまで幾度となく味わってきた感覚だ。

ソウルジェムが手元にないため変身できない。鹿目家で入浴後に着替えた部屋着姿だった。

とにかく頭から落ちるのは避けようともがき始めたところで何かの魔法が働いたらしい。固いゼリーの中を落ちていくように感じる。おかげで落下の勢いはかなり弱まった。

着地の瞬間に血肉の広がりになることはないだろう。息を詰めて衝撃に備えた。


「よーしいいよ、そのまま落ちてこいほむら。まどかは離れてて……そうそう、その辺」


ほむらが最後の魔法陣を破りながら背中を下にして落ちてくる。


「んぎっ!!!!!!」


さやかがほむらの身体を受け止めた。頭部と肩を胸にしっかり固定し、足のバネで衝撃をある程度吸収してから臀部、背中と丸く受け身をとった。二人まとまってぬかるんだ地面に押しつけられ、ぐしゃ、という音がした。


「っ………!」


まどかが悲鳴を呑み込んだ。二人に駆け寄りたいのを我慢して、ほむらより先に地面に落ちたソウルジェムを拾いに行った。辺りを明るく照らしていた魔法陣の円柱は役目を終えてゆっくり消えていこうとしていたが、辺りはまだ十分に明るい。

落ちた所は見ていたものの、大きな氷の粒の間で光を放つそれを無事に発見できた瞬間はへたり込みそうになる程ホッとした。


「あいてててててて、ほむら無事?」


さやかはクッションになって内側にめり込んだ肋骨を整復しながら立ち上がった。彼女なりに細心の注意を払った甲斐あってほむらの外傷は大したことがなさそうだ。


「ん? あれ? ほむら?」


どうも意識レベルが低い。全身が冷え切っている。顔にうっすら霜が張っており、上下まつ毛は閉じられたまま凍りついている。髪の毛や衣服もバリバリに固まって酷い有様だ。


「この子ってば冷凍庫にでも入ってたのかな。ちょっと待ちなよね……よっと」


身体の中心に熱の固まりを発生させるイメージでほむらの体温を上げてやる。温められた血液が全身を巡り、全身から白い湯気が上がった。徐々に顔色が良くなって目が薄く開いた。


「あ………」


小さな声が洩れた。


「よし。どう、ほむら」 

「ほむらちゃん、これ」


まどかが拾ったソウルジェムを手に持たせた。ほむらはすぐさま変身して体を起こし、まどかとさやかを交互に見た。


「……………あの」


情況が今ひとつのみこめない。まどかはそんなほむらに無言で抱き着いた。


「まどか?」


押し殺した嗚咽の声が聞こえてきてあたふたしたが、腕の中の温かさと柔らかさで我に返る。

待ってた
これでみんな帰還かな?

乙でした
冷凍ほむ

まだ

>>283
はい
>>284
コールドスリープで未来篇へ
>>285
ごめん


奇妙な圧迫感がどんどん強まっている。気味の悪い地響きがする。

全身で感じる空気の震えがただ事ではない。

さやかは我慢できなくなって、雷雨の中座り込んで抱き合う二人に声をかけた。


「ね、帰ろ。ここマズイ気がする。てか絶対ヤバイ。ぞわぞわする!」


まどかはほむらの肩口に埋めていた顔を上げ、手の甲で涙をぬぐった。


「うん……さやかちゃん、ありがとう。さやかちゃんのおかげだよ」

「んなこたない。まどかが頑張ったんだって」

「私からも。何があったか知らないけれど
あなたに助けられたということはわかる。ありがとう」

「あんたがまず礼を言わなきゃなんないのはまどかだよ。
まどかの格好見なよ。パジャマだよ?」

「……あ、うん、分かってる。私もう終わってるよね……あはは」

「あっ、まどか、ちがうそんなことが言いたかったんじゃなくてね?!」


しょげて力なく笑う友達をもう一度抱きしめて感謝の言葉をしっかり伝えたい。ほむらの両腕が少し動いたその時杏子のテレパシーが届いた。


(いつまでのんびりしているつもりなんだ)


二人の魔法少女がさっと周りを見渡す。


(どしたの杏子、迎えにきてくれたの?)

(あんたたちを見に行けってマミに頼まれてさ。
何やってんのそんなとこで。用は済んだろ? 早くここから帰れ)


同じ方向を黙って見つめる二人の視線をまどかも辿ってみた。何も見えないが「杏子ちゃん?」と聞いてみるとさやかが「うん」と肯いた。

ほむらは杏子の言葉にいたく興味をそそられた。向こうでマミに会って以降のことはほとんど不明のままだったから。

 
(では、巴マミは元に戻ったのね?)

(ああ)

(ちゃんと人間なの?)


なんてことを訊きやがる、と杏子は思った。


(ちゃんとかどうかはともかく、マミだったよ。
それより早いとこ動きなよ。そこ安全じゃないらしいんだ)

(マミはなぜ私たちの状況を把握できているの? ここが安全じゃないとは?)

(詳しいことは知らないけど、この辺り一帯がヤバイのはわかるだろ!)


ほむらはもっとあれこれ聞きたかったが、杏子の苛立ちに気付いて自制した。


「言う通りにしましょう。私たちだけならともかく、まどかがいる」

「おっ急にキリッてなった。調子出てきた?」

「えっと、ほむらちゃん? さやかちゃん?」


左右から腕を取られてまどかは二人を交互に見た。


「超特急で帰るからね、まどか」

「う、うん、よろしくね」

「それから、サイズ的にそれほど問題がないとしてもだよ」

「さやかちゃん?」

「ノーブラで全力疾走はもうやっちゃダメだからね、まどか」

「………さやかちゃん」

「ごめん、緊張をほぐそうとしたの、ほんとごめん。
でもこうくっついてると嫌でも判るじゃん? まったく触れないのもどうかと思って」

「そこは黙ってるのが正解だと思うよ」

「ほむらみたいに?」


知らん顔をしているほむらにもさやかは容赦なく話を振った。


「ほむらさっき、正面からだともっと柔らかかったよね?」

「さやかちゃん!!」


(おまえらいい加減にしろ!!!!!)


魔法少女たちはまどかを半ば抱えるようにしてその場から姿を消した。


(やっと行った。さて)


杏子は荒れた空に目を向けた。


(この感じ……ワルプルギス戦の後、マミがいなくなった時と同じだ。
ほむらが戻ったんだからそれで終わるんじゃないのか)

(何だ、あれ)


雲間からパラパラと何かがたくさん降ってくる。目を凝らし、それが人の形をしているのに気付いて思わず身構えた。


「あれらは人間じゃない。見ていればわかるよ」


側にQBがいた。相変わらず神出鬼没だ。


「QB、いつからここに?」

「まどかについて来たんだ。だからほぼ最初からかな」

「コソコソ隠れて見物してたってわけか」

「僕の出る幕はなかったよ」


人の形は空中でゆるゆるとほどけて崩れ、それでもひとかたまりのまま氷の粒で覆われた地面に達し、真っ平らに潰れた。

広い範囲にばらまかれた染みのようなそれらからぼうっと小さな光点が浮かび上がり、やがてまぶしいほどの光の群れとなる。


(蛍……じゃ、ない。あんなに明るいわけがない)

(それに……)


空耳かと疑う程に微かだが、忘れようのないワルプルギスの夜の笑い声が聞こえた。

集まってしばらくはふわふわと漂っていたが、四方八方に消えていく。不思議と心奪われる風景で、目が離せない。雨も雹もとっくに降り止んでいた。


「さっそくだけどお願いがあるの」

「出戻り祝いになんでも聞くよ」


杏子は相手に抱きつくような大仰な喜び方をしたことを恥じ、マミに背を向けてソファーの上で胡坐をかいた。

その肩にマミが両手を置く。


「今、美樹さんと鹿目さんが暁美さんを助けに行ってくれているの」

「あ? ほむら、まだ戻ってないの? あんたほむら使って帰ってきたんだろ?」

「ええ、助かっちゃった。お礼を言わなきゃ。もちろんあなたたちにも」

「もう聞いたよ。何回もいいよ水臭い」

「そうね。でも本当に嬉しかった」

「だから──」

「しつこかった? ごめんなさい。それより暁美さんのこと」

「ああ」

「境界に至る前に離れ離れ、というか元の状態に戻ったの。
私の魂だけが先にこちらに引っ張られたのね」

「ん? んー……それで?」

「つまり彼女の身体が空っぽのまま異空間に残されて」

「は? 待てそれって大変なことなんじゃ、うっ?!」


話をさえぎって振り向き見上げると思っていたより近くにマミの顔があってぎくっとした。


「落ち着いて」


両肩に置かれたままだった手に誘導され、杏子の捻じれた体勢が元に戻る。


「大丈夫、私の使った通路はしばらく開いたままだからあの子もちゃんと惰性で戻ってくる。時間差ができただけ。
あなたもすぐそこへ向かってほしいの」

「何をしに? 手が足りないのか?」

「いいえ、それもたぶん大丈夫。
ただ三人にいつまでもそこにいないように伝えてくれないかしら」

「危険があるのかい?」

「もしかするとね」

「あいつらに早く帰るよう言えばいいんだな」

「ええ、そういうこと」

「わかった。なんでもって言っちまったし、使いくらいするさ」

「よろしくね」

「あいよ」


マミは元気づけるように軽く杏子の背中を叩いた。わざと億劫そうに立ち上がった杏子が何か言いたげにマミの顔を見る。


「聞きたいことを、聞いていいのよ?」


そう助け舟を出したマミだが、杏子は「まあいいや」と首を振った。


「後にする。行ってくる」

「いってらっしゃい」


そしてマミはひとりになる。

彼女はもはや魔法少女ではない。できることはそう多くはなく、なまじ優秀だっただけにもどかしい思いもある。


(リボンが使えれば簡単だったのに)


──だが、この目はとても便利だ。

今、ほむらが無事に救出された。彼女は安堵の息を漏らした。


目?なにか得たのかマミさん
……邪気眼?


闇の中、小さな光はもうあまり残っていない。飽かずにそれを眺めていた杏子にQBが話しかけた。


「杏子、マミが君と話したいそうだよ」

「はあ? 話したいったって……ぜんぜん遠いじゃん。届くの?」

「うん。問題はないね」


(マミ? 聞こえるか?)

(ええ)


半信半疑で呼びかけたがちゃんと返ってきた。


(みんな無事だよ、めでたしめでたしってね)

(よかった、ありがとう)

(これができるんなら、コイツに頼めばよかったじゃん伝言くらい。
あんたの言うことよく聞くみたいだな?)


隣のQBにちらっと視線をやる。


(暁美さんとQBはもうちょっと落ち着いた環境で再会した方がいいと思って)

(ふうん? で、なんか降ってきたけどアレは何?)

(ワルプルギスの夜の残りもの)

(聞いたことのある笑い声がした)

(ええ)

(次から次へと湧いて消えてったぞ)

(あれはみんな魔法少女だったもの。特殊な形で存在し続けた魂よ)

(そうなのか)

(QBからすると宇宙の延命に貢献できず、無駄になってしまったエネルギー。
あなたと一緒に見送ってあげることができてよかった)

(んん? 見えてんの?)


マミは説明をQBに任せた。


「マミは僕を通して見聞きしている」

「あ? おまえ、そんなこともできんの? もうなんでもありじゃん」

「なんでもってことはないね」

「うさんくせえ」


(あの人たちは選んだのだと思う)

(何をさ?)

(どこでもない空間で朽ち果てるより、輪廻の輪に戻ることを)

(あー?)


杏子は深く考えることは止めた。


(詳しいことが知りたければ後で説明するわ。もう帰っていらっしゃい。
そこも多分危ないから)


光の点は全て消えてしまった。

それを待っていたかのように今度は湿った重そうな土塊が落ちてきた。大きいものは家屋ほどもある。どすんずしんと迫力のある音を立てて積み上がっていく。

杏子の立つ足場が揺れ、一部が崩れ始めた。


(わかった。今から帰る)

(暁美さんのお宅じゃなくてうちのマンションね)

(了解)


次々と大量に降ってくる。勢いは増していくばかりだ。スーパーセルが築いた脆い壁が押し寄せる土塊をせき止めてくれるとは思えない。杏子は瓦礫の連なりを外側に向かって素早く駆け抜けた。

来る時に越えてきたフェンスまで辿り着いたところで、多分とてつもない大きさの塊が落ちてきたのだろう。これまでとは段違いの衝撃音と激しい揺れが起こった。

土砂やコンクリートの固まりが重機を巻き込みプレハブをぺしゃんこにのしてなだれてくる。急いで逃げた。

>>292
あんだけ厳しい修行を乗り越えたので


また後程続き投下


家路を急ぐ三人の背後から地響きが追いかけてきた。地面が小刻みに揺れ始める。


「あっ……地震?」

「だね。あたし地震キライだなー。逃げ場がないから」

「私も、苦手」

「まっ得意な人はいないよね」


上擦った声のまどかに受け答えるさやかの顔も青ざめている。

ほむらがふたりに「急がないと」と声をかけたタイミングで大きな揺れにつかまった。ガクンと強烈に突き上げられてバランスを崩しながらも、間に挟んだまどかを支えて注意深く移動を続ける。

揺れはしかしあっけなく止み、地鳴りもおさまっていった。三人はようやく鹿目家の前に到着した。

いつのまにか雨は上がり雷雲も消えている。

未明の街はしんと静まりかえっていたがそれも短い間のことで、すぐに轟音と強い揺れに叩き起こされた人々のざわめきであふれた。救急や消防のサイレンも聞こえてくる。

鹿目家の玄関の明かりが点いた。

さやかは「またね、あたし一度家に帰るわ」と早口で言うと姿を消した。ほむらも変身を解く。

ドアから知久が顔をのぞかせた。


「まどか?」

「あ、パパ」

「いたいた、良かった。君たちが部屋にいなくて驚いたよ」


驚いたと言うがまるでそうは見えない。にこやかだ。


「ごめんなさい」

「すみません、二人で慌ててしまいました」


口々に謝った。


「いや、揺れが大きかったから無理もないよ。短く済んで良かったよね。
ちょっと散らかっちゃったけどガスも電気も水も無事なんだ。ラッキーだったよ」


(私が何時間も前に家を抜け出たことには気付いていない)

(パパは私がそんなことをするなんて、きっと思ってもみない)


ほむらはまどかの後ろめたい思いを見て取った。下を向くまどかに身体を寄せ、耳の近くで小さく「ごめんね」と言った。

まどかはびっくりし、微かに首を振ってみせた。


(そうだよ私は……)

(私はどうしても行かなきゃいけなかったんだから)


二人ともしおらしく知久について家に入る。台所の方からタツヤの泣き声とそれをなだめる詢子の低い優しい声が聞こえた。

部屋に戻って電気を点けてみるとぬいぐるみや本が散乱していたので、二人で簡単に片付けた。


夜明けまで少し時間がある。

まどかはベッド、ほむらはその隣に敷かれた客布団に横になってぽつりぽつりとお互いの情報を交換をした。


「では、まどかも巴さんとはまだコンタクトを取れていないということ?」

「………」

「まどか?」

「え、ごめん今なんて言ったのかな?」

「無理をさせたみたいね」

「……うん?」

「少し眠りましょう。続きはまた起きてから」

「うん……おやすみほむらちゃん」

「おやすみ」


相当疲れていたのだろう。すぐに寝息を立て始めた。

ほむらはふと、自分のソウルジェムを出してみた。魔力の消耗はあまり感じないが、何か全身に違和感がある。

普段まったく使わない部分を酷使して今そのしっぺ返しを受けている。そんな感覚があった。


(無理もないわね。他人に身体を乗っ取られていたのだから)


だがまどかの静かで規則正しい寝息が徐々にほむらのまぶたを重くした。


(巴マミに……会わなければ)


眠りに落ちる最後の瞬間それを想ったせいかもしれない。妙な夢を見た。

ほむらは一面の花畑をひとりで歩いている。空に太陽も月もなく、ただ薄明るい。夢だという自覚はあって、安らかな気分だ。

彼女の周りをふらふらとつかず離れず、蛍の群れが飛んでいる。

ほむらはそれらを蛍だと認識したが、都会育ちの上に病弱でほとんど野外活動の経験がない彼女は蛍という昆虫を実際に見たことはない。もし杏子がこの場にいたら「これは蛍じゃない。こんなに明るくも大きくもない」と指摘しただろう。


「大体、虫の姿が見えないじゃん」


しかし杏子はいない。ほむらはその正体について特に気にもしない。夢だから。

たくさんの光点と一緒に花畑の中を伸びる細い一本道を辿り、緩やかな丘陵を越えていくと眼下に大きな川の流れが広がった。

彼岸花の群生する土手から素朴な石段を使って広々とした河原に降り、流れの側まで歩いた。蛍の群れはそのまま対岸へ向かって飛んで行った。


(花畑、暗い川……縁起がいいとは言えないわね)


向こう岸は靄がかかっている。

中州があるようだ。と言うのも、川の中程に巴マミが立っているからだ。こちらに気付いて柔らかい笑みを見せ、水面を滑るようにやってくる。

ほむらは驚いて言った。


「浮いているのね。幽霊みたい、巴マミ」


そのほむらにマミは笑顔でこう答えた。


「きゅっぷい」


そうね。夢だものね。


「おかえり」

「ただいま」


杏子が土埃にまみれて帰ってきた。

マミはまず湯を張ったばかりの風呂に彼女を追いやり、さっぱりさせたところで空腹かどうかを尋ねた。腹ペコだというので用意しておいた軽食を並べた。

ラップフィルムでひとつひとつ包まれたおにぎりはまだ温かく何種類もあり、味噌汁は具沢山で手がかかっている。杏子は目を輝かせて「いただきます」と手を合わせ、ラップをむいてかぶりついた。

マミは同居人の健啖ぶりを嬉しそうに眺め、茶をそそいだり汁物のおかわりをついだりと世話を焼いた。


「マミは食べないの?」

「寝てばかりだったもの。簡単な物ばかりで悪いわね」

「いやいやじゅうぶん……あ、じゃこ梅もいいけど、おかかにチーズうまいねこれ」

「冷蔵庫の中身が賞味期限切れのものばかりになってて驚いたわ。
レトルト食品もほとんど減ってないし。何を食べていたの?」

「食べる物は主にさやかとまどかに世話になった。ほむらにも。
あたしは正直あんたの抜け殻を世話するので手一杯だったからさ」

「迷惑をかけたわね。あなたが大事に扱ってくれたお陰で不具合もなく助かりました。
あ、まだたくさんあるわよ? 五合炊いたから」

「食べる」


もりもり卓上の食べ物を片付けていく杏子に、どこでどうなっていたのかおおよそのところをマミは話して聞かせた。

杏子の胃が落ち着いた頃にはすっかり日が高くなっていて、マミが部屋のカーテンとガラス戸を開いて換気した。


「新しい山ができたわね。街の人もびっくりよ、きっと」


直接見ることはできないが、その辺りの上空をヘリコプターが何台も旋回している。騒音がひどいのですぐ窓は閉め切った。

結局、ワルプルギスの夜が何世紀もかけて溜め続けてきたものがああいった形でこちらに根こそぎ戻ってきたということらしい。


「あそこにあるごちゃごちゃしたもの全部きれいに覆い隠しちゃったな」

「ファフロツキーズって言うんだって」

「ふぁ、なんだって? またイタリア語?」

「またってことはないでしょ。Falls From The Skiesを縮めた言葉ね。
空から降るはずのないものが降ってくる怪奇現象のこと。魚とかカエルとか」

「へえ、やっぱり変なことには詳しいね」

「詳しくないわよ。調べたの」

「でもそいつら、なんでこっちに来る気になったのかな。
ずっと隠れててQBさえそいつらのこと知らなかったってのに」

「あの人たちはもう、遅かれ早かれ消えるしかなかった。
向こうにいてもただ無になるだけ。でもこちらに戻ればこの星の自然な循環系に参加できるでしょ」

「自然……? 死人ってそんなこと気にするか?」

「そうね。私たちみたいには考えないかもね。
生きた身体を闇雲に追いかけてきただけかもしれない。パニック映画のゾンビみたいに。
本当のところはわからない。知りようがないでしょ」

「紀元前九百年って言ったよね。シバの女王だろ、そいつ聖書に出てくるよ。
QBってほんっとに大昔から地球にいてずっと魔法少女を魔女にしてきたんだな」

「僕たちはそのための存在だからね」

「いたのかよ」


QBが割り込んできた。


「驚かせたかな?」

「いきなりしゃべりかけられると殺意がわく」

「ごめんなさい」

「なんでマミが謝んの?」


マミは「つい」と真面目な顔をした。


「そうだ、マミの携帯にさやかから何か連絡入ってない?」

「そう言えばさっき何か鳴ったかも」

「めんどくさがらずにこまめにチェックしろよ」

「あなたにだけは言われたくなかったわね」


充電中のそれをとりあげて画面を確認する。


「メールが一件。マミさんおかえりなさい、アタシは家で今から寝ます。起きたら遊びに行ってもいいですか。後でメールします、だって。いつでもどうぞって返すわね」

「うん」


あの部屋にはずっと訪れることができないでいる。今すぐ眠るさやかの隣に潜り込みたい。


「仲がいいのね?」

「えっ?」

「美樹さんと。あなたのそういう顔は見たことがなかった」

「なんだよ、どんな顔したんだよ」

「んー……切なげな、なんというかちょっと色っぽいというか」

「頼むからやめてくれ!!!」


たまらず叫んだ杏子に「ごめん」と笑いながらマミが謝った。


「いや自分で聞いたんだった……それじゃあマミ」

「ええ」

「本題に入るとするか」


マミはニコニコしている。


「なんでも聞いて。どう説明したらいいのかわからないの。
質問してもらえると助かるわ」

「うん、それじゃあさ」


一息置いて、気持ちを整えた。


「マミは、人間なのか?」

「単刀直入ねえ」

「ほむらにもそう聞かれた。マミはちゃんと人間なのかって」

「なんて答えたの?」

「マミだったって」

「そう」


どう言えば正確に伝わるか、マミは考えながら話す。


「人間だと自分では思っているけれど。
ところであなたはどうなの? 魔法少女は人間かしら?」

「人間だよ、間違いなく」

「良かった。揺らがないでね。その思いはとても大事なの」

「大事?」

「ええ、あなたたちが人間だということは、私と違って確実なの」

「あんたは確実じゃない?」

「ええ」

「つまり人間じゃない?」

「そうとも言えてしまう」

「じゃ、確実に人間ってのはどういうこと?」

「身体とその魂を持っていること、かな」

「分離されてっけどな」

「ええ」

「あんたはどう確実じゃないんだ」

「身体も魂もインキュベーターに属している。融合している、と言えば近いかしら」


何を言っているのか、理解できなかった。

今のマミさんは殺しても新しいマミさんがどこからともなく出てくるの?


「パパ」

「おや、早いねまどか。おはよう」

「おはようパパ」


台所で忙しく立ち働いていた知久だが、娘の様子がいつもと違うのに気付いて手を止めた。コンロの火を消してまどかと向かい合う。


「どうかしたのかい?」

「ほむらちゃんが熱を出してるの」


まどかは隣で眠るほむらの早い呼吸音で目を覚ました。声をかけても返事がなく、額に掌を当てて熱さに驚いた。


「それはいけないね。何度か計ってみた?」 

「八度九分。今日と明日は家で看病していいよね?」

「一人暮らしなんだよね。うん、うちでゆっくり休んでもらえばいい。
今からお粥を炊くから持っていってあげて。とりあえず、これ」


常備してあったペットボトルの経口補水液を数本とコップをのせたお盆を受け取った。


「少しずつ飲ませてあげるんだ。わかった?」

「わかった、パパありがとう」


そこはいつもの病室で、天上に部屋の中をまんべんなく見渡せる半球状のカメラがある。中で丸く赤い光がキョロキョロと動いている。

腕の内側に点滴の針がテープでしっかり固定されていた。そこから延びたチューブは点滴台にかけられたパックに繋がっており、決められた分量の薬液をほむらの体内に送り込む。

ドアが遠慮がちに開いて看護師が入ってきた。ベッドの足元から回り込んで点滴台のデジタル表示を確認し、手元のボードにさらさらと何か書き込んでトレイをベッド横のテーブルの上にそっと置いた。

部屋の窓は遮光カーテンが引かれて薄暗く、元々目も悪い。だから看護師の顔はよくわからなかった。ほむらは「今何時ですか」と尋ねた。


「あ、起こしちゃった? もうすぐ七時だよ
気分は? 喉乾いてない? お腹空いてない?」

「朝の?」

「もちろん朝だよ」

「そうですか」


優しそうな人だったので、ほむらは天井のカメラのことを頼んでみた。


「できれば、カメラを切ってもらえませんか? 気になってしまって」

「え? なんのこと?」

「天井のあれです」


(天井のあれって何? っていうかどうして敬語……?)


彼女が指差すなんの変哲もない自室の天井を見上げて、まどかは困ってしまった。とりあえず調子を合わせることにする。


「ええと、わかったよ、ほむらちゃん」

「ありがとうございます」


ほむらはそう言って身体を起こし、片手で枕元やそのもう少し広い範囲を探り始めた。


「どうしたの? 何かなくしたの?」

「あ、いえ……眼鏡が……ここに置いていたはずなんですけど……
おかしいな、ない……どこ……」

「ほむらちゃんっ!?」


まどかは衝撃を受けて少し声が大きくなってしまった。


「は、はい?」

「あのね」


(なんて言おう)


「何でしょうか?」

「ええと、今眼鏡がどうしても必要?」

「お手洗いに行きたいんです。眼鏡がないと足元すらぼんやりとしか、見えません」

「そうなんだ……じゃあ、連れて行ってあげるね」


あるはずのない眼鏡を探す間中ほむらは逆の腕を脱力させたままでいた。まどかの目にそれがとても不自然に映ったが、ほむらにしてみるとそちらは点滴針の刺さった腕なので自由には動かせないのだった。


「……お願いします」


チューブに絡まないように注意しながら立ち上がり手を引かれ、点滴台を転がして部屋を出た。


まどかが空になった一人用の小さな土鍋と取り皿を台所に下げに来ると、遅く起きた詢子がコーヒーを飲んでいた。知久とタツヤは買い物ついでに公園まで遊びに行ったらしい。昨夜の悪天候がウソみたいな晴天だ。


「やあ、まどか。ほむらちゃんは大丈夫なのかい?」

「大丈夫……だと思うよ」


練梅をのせた塩粥を「おいしいです」と時間をかけて丁寧に食べきってくれた。咳もしていないし、吐き気や腹痛、頭痛もないらしい。


「そっかそっか」

「でもさ、少し変なの。私のことがわかってないみたいで」

「あん?」


母親にほむらの行動について相談してみた。


「ああ……譫妄ってやつじゃないかな、そりゃ」

「せんもう?」

「熱で幻覚を見てるんだな。薬の影響とかじゃないのか?」

「わかんない、幻覚なのかな……それにしては妙にはっきりお話するんだけどな」

「入院してたんだろ? 今飲んでる薬があるんじゃないのかい?」

「んー、そう言えばそんなことを早乙女先生から聞いたけど……」


(多分、ちゃんと飲んでないんだろうなあ)


「担任なら知ってそうだな。和子に電話してみるか。
長患いの子ってのは血液型やら薬やらの情報をひとまとめにして携帯してたりするんだ、

保険証なんかと一緒に。いつ何があるかわかんないからな。
そういうの見当たらないか?」

「……うん、わかんない」

「いざとなったら持ち物ひっくり返して探してあげな」

「うぇ?」


(でもきっと、そういうのも持ってないだろうなあ) 


「まっ、もうしばらく様子を見よう。熱もびっくりする程高いってわけでもないしな。
ちゃんと食べて飲んで、また眠ったんだろ?」

「うん」

>>304
気になる?

>>309
気になる!

>>310
そうなんか(考)


次の1レスで今日のは終わり


「こんなこと言いたくないけど、あの子の親はどうしてんのかね?
病気の子を一人暮らしさせるってなんなんだろうな」

「……」

「ま、他人の家の事情なんぞ知ったこっちゃないが」

「……」


(そういや、ほむらちゃんてもうどれくらい自分のママやパパに会っていないのかな)


難しい顔で黙ってしまった娘に、思わず「ふふふ」と笑いがこぼれた。


「ほむらちゃんが心配か」

「当たり前だよ」

「いい子だろ?」

「はい、とても」

「あっ!」


まどかの背後に身支度を整えたほむらが立っていて、詢子にぺこりと頭をさげた。


「ほむらちゃん熱まだ下がってないでしょ、大丈夫?」

「起きて歩ける程度には大丈夫よ」

「よかった、元に戻ってる」

「元?」

「私と話したこと、覚えてない?」


一から説明されても全く身に覚えがなかった。思い出せるのは「きゅっぷい」までだ。


「ちょっと話さない?」


ほむらに椅子をすすめながら詢子が言った。不安そうにまどかが母親の顔を見ると心配しなさんな、とウインクが返ってきた。

おつ


ただの熱ならいいんだけど

乙でした

ほしゅ

保守

ho

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