モバP「佐久間まゆの本心」 (38)

 彼女は好きだと言った。

 一目惚れをしてすべてを擲ってきたのだと。あなたのためならなんでもすると、あなたのためならどんな自分にでもなると、平然と言ってのけた。あるいは、彼女なりの覚悟があって、平常心からはかけ離れていたのかもしれない。そうだとしても、俺は困惑する外ないけれど。

 答えを得ようとしない告白は独白と呼ぶべきだろう。

 気持ちを押しつけるばかりで、相手の気持ちを理解しようとしない。悪いとは言わない。いっそ清々しいとさえ思う。他人事ならばと注釈をつければ。

 だから、これは気持ちの問題だ。

 俺は佐久間まゆの好意に困っていた。



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 外食から戻ると、昼下がりの第一プロデュース課第二プロデュース室は閑散としていた。

 部屋に入ると、書類を受け取りにきたと思わられるちひろさんに、可愛らしく微笑みかけられる。この人はどこの部屋にも現れる謎の事務員さんで、事実上の事務員の総括となっていた。

 この人の機嫌を損なうと俺の首が危険に晒されるので、できるだけ明るく微笑み返す。

「こんにちは。今日はまゆちゃんと一緒じゃないんですか?」

「こんにちは。ええ、今日はオフなんです。まあ、もしかしたら顔を出しには来るかもしれませんが」

「それはそれは。ラブラブですね」

 俺が応えるより先に、ちひろさんはうふふとわけ知り顔で出て行った。怖いから反論は控える。変な噂が立たなければいいけれど。

「いや、もう手遅れか」

 席に腰を下ろして、ぐっと身体を伸ばす。べきべきとこ気味いい音が鳴った。パソコンの電源を入れて、先日のライブ映像を呼び出す。イヤホンを挿し込み、再生。煌びやかなステージが小さく広がった。

 大規模なライブが終わり一週間が経過して、それぞれの日常に回帰したのだろう。十五あるデスクのうち座ってるのは俺を含めて四人だけ。ライブ前はアイドルがレッスン漬けなのもあって、各プロデューサーはそれぞれ企画書や報告書、プレゼン資料の作成を行っていた。今はアイドルの仕事に同行していたり、営業に駆け回っているに違いない。

 この部屋が賑わうのは夕方以降になってからなのだ。

 まゆのステージを観終わり、チャプターから島村さんのステージを呼び出す。

 俺の勤めるこのプロダクションは、アイドルに最適なプロデュースを方針としている。そのために彼女たちと密な関係を築き、柔軟にプロデュースをしていく。その特徴はマネージメント業をプロデューサーが兼任している点に現れる。

 プロデューサーひとり当たりの仕事量は多い。当然だ、他プロダクションでは分業しているものを、ひとりでこなさなくてはならないのだから。結果的に、ひとりのプロデュースできる人数には限界があり、この会社はその問題を人数で解決した。

 第三まであるプロデュース課は、序列や差異はなく、単に人数が多いから分けただけという理由でしかない。二百人近いアイドルが所属するのだ、プロデューサーの数も相当数必要になってくる。

 およそ時代に逆行する選択。しかし、業績が成功を語っている。このプロダクションは最大手であり、アイドル業界を独占する勢いは衰えない。

 問題があるとすれば、アイドルとプロデューサーの関係になるのだろうか。親密な関係は恋愛感情を刺激する。ただし、経営陣はそこまで計算済みなようで、外からスキャンダルを持って帰ってくるなら、内部で済ませてくれた方がマシだと考えているらしい。

 実際、アイドルとの恋愛関係は禁止されていないし、彼女たちが外でスキャンダルを起こしたなんてことはほとんどない。万が一プロデューサーとの関係を邪推されても「そういう方針なんで」と片付けてきた。便利な言葉である。

 流石に、露骨な恋愛をするプロデューサーはいないけれど。まあ、未成年な子も多いし、おいそれとはできないと言うべきか。なかには交際する奴もいるらしいが、それだって悩み抜いて、考え抜いてのことだろう。

 結婚を前提にしているとも噂を耳にしたことがある。真面目かどうかの判断は他人に任せよう。

 善し悪しを抜きにしても、感情は抑えつけてどうにかなるものでもないのだ。むしろ、締めつければ余計な問題を起こしかねない。障害は高いほうが燃え上がると、誰かが言った。

 しかし、

「俺には無理だよなぁ」

 目下、俺の悩みはまゆの好意にあった。彼女は好意をストレートに表現する。もう慣れたものだが、だからと言って何も思わないわけではない。

 宙ぶらりんになっている感じが嫌だ。しかし、好意がモチベーションに直結している節もあるので否定するのは憚られる。なにより、真偽は不明としても俺を追っかけてきたと言われれば、とても否定できないだろう。

「それが悩みなんだけど」

「どうかしましたぁ?」

 音の切れ目に割り込む甘い声。首筋に手が当てられる。生殺与奪権を握られる錯覚。イヤホンを外して振り返ると、予想通りまゆが微笑みを浮かべていた。

 目が合うとまゆはわざとらしく首を傾げる。肩にかかった髪が不穏に揺れた。

「他の子を見て楽しいですかぁ?」

「まあ、つまらなくはないかな。やっぱりライブの映像って見返すと別な発見があるし」

 ただ、好意を受け入れられるかと問われれば、また別な問題でもある。まゆの好意には懐疑的だ。頻度の問題でもある。顔を合わすたびに好意を向けられれば、疑いたくもなる。からかわれていると言われれば納得できるほどには。

 それに、俺はまゆが苦手だった。初めから。

 しかし、厄介なことに苦手は嫌悪と直結しない。基本的にいい子なのだ。基本的には。うん、たまに暴走するぐらいで。

「今のまゆに不満が……」

「不満じゃあない。それとこれとは別な話だよ。そもそも比較するものではないと思う」

 愕然とするまゆに微笑みかける。しかし、まゆは不満そうに目を細めた。表情としては笑顔に近い。それなのに威圧感を与えてくる。怖い。

「なら、まゆだけを見ていてください。まゆはプロデューサーさんの望むとおりになりますよぉ。だから、他の子なんて見ないで、まゆだけを見てください。プロデューサーさんの色に染めてくださいねぇ」

「いやね、俺たちはあくまで素材を活かしたり、新たな魅力を発見したりするのが仕事なんだよ? 染め上げたら別物になっちゃうよ?」

「じゃあ、やっぱりまゆだけを見てください。ほら、隅々まで……、新しい魅力、発見してください」

 なぜ照れる。意味合いが変わりつつある言葉は、犯罪の香りがした。三席離れた同僚が怪訝な視線を向けてくる。あとで誤解を解かないと。

「はいはい、今度な」

「うふふ、約束ですよぉ」

 俺はため息を吐いて、デスクに向かい直す。まゆは満足げに部屋を出て行った。

 やっぱりからかわれている気がする。

「やあ、いいタイミングだ」

 トレーナーさんとレッスン内容の打ち合わせを終えたあと、廊下で東郷あいさんに声をかけられた。彼女は爽やかに微笑む。その笑顔は大人の女性の品があり目を奪われる。

 俺はあいさんに憧れているのだ。人として、大人としての理想を体現しているように見えた。

「丁度、きみに話があったんだよ」

「どうかしました?」

「明後日ちひろさん主催の飲み会があってね、参加者を募ってるんだ。ほら、ライブ前に異動してきたプロデューサーがいるだろう。彼の歓迎会だよ」

「ああ、彼の。……参加はしたいんですが、明後日はちょっと」

 嘯く。ちひろさん主催の飲み会なんて恐ろしくて参加したくない。きっと他のプロデューサーにも同じように断られているのだろう。あいさんは予想していたのか、なんでもなさそうにそうかと応えた。

 一抹の罪悪感が胸に疼いたが、喩えちひろさん主催ではなくとも、俺は断るつもりなのだからこればかりは仕方がない。

「まだ予定ではないんですけど、一応、まゆを食事に誘おうと考えてまして」

 それでもこのままだと印象が悪くなりそうなので、みっともなく言い訳を並べる。あいさんは頷いた。

「ああ、気にしないでくれ。急だったからね。それに歓迎会と言っても建前だよ。結局集まるのはいつものメンバーだろうからね」

 後半、言いながら少しだけ遠い目をしていた。いつものメンバーとは大人組のアイドルたち、ちひろさんと異動してきた彼。そして先輩のプロデューサーを筆頭に数人が集まる。

 この面子は酒乱が多く、あいさんや彼が毎回苦労しているらしい。大半のプロデューサーは一度参加して、それ以来参加しなくなる。ちひろさんは怖いし、楓さんと早苗さんはわけわからないし、先輩は脱ぎだすし、なかなかな混沌具合なのだ。胃が痛くなるばかりで酔えやしない。

 ちなみに、俺も参加をしなくなったひとりである。

「すいません、また機会があれば」

「機会、作ろうか?」

 悪戯っぽく口角を上げる。こんな表情さえ様になるのだから、やっぱりあいさんには憧れる。格好いい。褒め言葉になるかは微妙なので口にはしないけれど。

「冗談だよ。それより、きみからまゆくんを誘うなんて珍しいね。好意を受け入れる気にでもなったのかな」

「いえ、ライブ頑張ってくれたんでお礼です。たまには良いかなって」

「ふむ、お礼か……あまり、こういうのは好まないが、その気がないならつき合い方を考えたほうがいい。お互いのためにもね」

 つき合い方、ね。言葉の意味はわかるし、理解もできる。実際、なあなあにしてきてしまったのは後悔が残る。しかし、俺はどうすればいいのだろう。

「正直、わからないんですよ。まゆがなにを思っているのかも、どうしたいのかも」

「彼女は難しい子だよ。まあ、あのぐらいの年齢なら往々にしてそういうものだが……あそこまで好意を素直に表す子は少ない。ただ、素直さと単純さはイコールでないと理解してあげてほしい」

「ええ、理解しているつもりですがね。だからこそわからなくなるんですよ、俺にはまゆの真意が読めない」

 あいさんは困ったように眉を下げた。

「なるほど、きみの悩みがわかったよ。でも、これ以上私が口を挟むとお節介じゃ済まなそうだから、最後にひとつだけ。きみは自分にも目を向けるべきだ」

 長々と悪かったね。そう付け足したあいさんは微笑み、颯爽と去っていく。言葉の意味を理解できない俺はありがとうございましたとだけ応えて、背中を見送った。

 翌日の午後、まゆはいつものようにやってくる。

 軽く挨拶を交わしたあと、そういえば、と彼女は話を切り出した。

「奏さんとそのプロデューサー、仲良いですよね。ふたりって交際しているんですか?」

「いや、そんな話は聞いてないけど……まあ、ほら、あのふたり色々と大変だったみたいだからね。相性がいいのもあるとは思うけど、それ以上に信頼し合ってるんじゃないかな」

「素敵ですねぇ、まゆたちも他人からはああ見えるんでしょうか」

 期待の篭る眼が向けられる。なんと答えたものか。否定はしないけれど、肯定もしづらい。速水さんとプロデューサー。あのふたりの関係は、俺たちとは少し違って見えた。

「どうだろうね。こういうのって自分たちじゃわからないからなんとも言えないよ。仲良くは見えると思うけど」

「うふふ、仲良くじゃなくて相思相愛に見られたいですねぇ。プロデューサーさん、まゆのこと、もっと好きになってくださいね」

「……まあ、善処するよ」

「まゆだけを見てくださいねぇ」

 ずずいっと顔が近づいてくる。近い。圧が半端ない。

「お、おう」

「まゆを置いてかないで下さいね」

「どこにだよ……」

 まゆの言葉は難解だった。比喩か暗喩なんだろうけど、最早暗号に近い。この微妙に噛み合っていない感じこそ、俺たちと速水さんたちとの違いかもしれない。

 ははっと笑って流すと、まゆは俺の頬を手を添えた。真っ直ぐ眼と眼が合ってたじろぐ。たれ目がちな目は、印象ほどおっとりしていない。

 その瞳はきらんと鈍く輝いた気がした。

「浮気したら赦しませんよ?」

「誰にだよ!? いや、そもそも浮気じゃないし!」

 ダメですよぉ。まゆはうふ、と笑って部屋を出ていく。

 やっぱり、わかりませんよ。苦笑いを浮かべて呟いた。

 まゆの言葉はチャンネルが違う。

 そう思わないとやっていけない。毎度のアプローチを真に受けていたら、仕事どころではなくなる。二百人近く女の子が在籍する職場では、他の子を見るなと言われても、物理的に難しいのだ。

 だから、意訳するしかない。

 喩えば先日の約束の一件は「ライブも終わって落ち着いたんだから構って欲しい」と意訳する。まあ、強ち間違ってはいないだろう。

 仕事を切り上げて、小レッスン室に向かう。合同ライブが終わったばかりだが、少し先に音楽番組の収録が控えていた。忙しないとは思う。でも、後続には虎視眈々とチャンスを狙っているアイドルとプロデューサーがいるのだ。うかうかはしていられない。

 五分ほど待つとドアは開いた。まゆは俺を見つけると、嬉しそうに駆け寄ってきてくれる。こうしていると可愛らしいのに、突然狂気が滲み出るのはどうにかならないものか。当然、口にはしないけど。

「お疲れ、このあと時間ある?」

「お疲れ様です。はい、プロデューサーさんのお誘いならいつでも時間作りますよぉ」

「いやいや、そこまではしなくていいよ」もちろん冗談だろうが、そこまでされると誘いづらいよなとも考えたり。「もし良かったら飯でもいかないか。ほら、ライブも終わったことだし」

「嬉しい……デートですね」

 質問というより断定だった。ただ、本当に嬉しそうに笑うものだから、水を差すのも野暮に思えてそれでいいよと応える。

 だけど、うふふと笑みをこぼすまゆは少しだけ儚げに見えた。

 プロダクション最寄駅から五分ほど歩いた、小洒落たカフェに入る。

 三ヶ月ほど前にプロデューサー課に異動してきた男から教えてもらった。しっかりした食事を提供しており、味もいいらしい。商業ビルの地下に広がる空間はそこそこ広く、秘密基地めいた入り口の先には落ち着いた雰囲気と、萎縮しすぎない気軽さがあった。

 客はカップルと若い女性が大半を占めている。夜なのもあってか、どのテーブルにも料理が並んでいた。ぱっと見る限り、量が少ないなんてこともなく、安っぽくもなかった。

 寄ってきたウエーターに二人と告げて、奥の席に案内される。着席してメニューを広げると、和の定食や丼もの、パスタにステーキ、カレーなど幅広い料理を取り扱っていることに驚く。悩んだ末に俺はカレーとアイスコーヒー、まゆは和風きのこパスタとアイスミルクティーを注文した。

「久しぶりですねぇ。こうしてふたりで外食するの」

「忙しかったからな。改めて、ライブお疲れ様。良かったよ」

「うふふ、ありがとうございます。ご褒美はくれないんですかぁ?」

「ご褒美か。ごめん、考えてなかったよ」

「上から二段目の引き出し……欲しいのはそこに入ってます」

「おい待て、なんで知ってるんだよ」

 合鍵の在り処がバレていた。以前外で失くして面倒な経験をして以来、会社にひとつ置くようにしている。

「大体、合鍵なんて持ってどうするつもりだよ」

「いつでも会いに行けるじゃないですか」

 独り暮らしの男の部屋に入るなよ、なんて突っ込みは無駄である。わかっていての発言なのだ。こちらの理性は試されている。

「あのなぁ、それは駄目だろ」

「茄子さんが言ってました。ちょっとぐらい羽目を外しても大丈夫ですよって」

「いやいや、確かに心強いけども……そういう問題でもないんだよ」

 はあ。ため息が漏れ出る。スキャンダルを理由に使えなくなったのは痛手だ。きっと他のプロデューサーも嘆いていることだろう。

「好きな人の家で手料理、女の子の憧れですよぉ」

 料理が運ばれてきて、俺の返答は遮られた。タイミングの良し悪しは判断に窮するところだ。カレーはコクがあって美味しかった。

 しばらく他愛のない話をして、カフェを出た。

 風が熱気と湿気を運び、じんわりと汗が滲む。夜であっても都心の夏は暑い。室外機の排熱と、温められたアスファルトの輻射熱が原因と聞いたことがある。文明の利器は快適さをもたらしたが、同時に不快さももたらしたとは皮肉な話である。

 まゆの提案で散歩しつつ寮へと向かう。都心の一等地なだけあって、この辺りは人と車が多く、街は明るい。子供の頃は遅い時間と感じたものだが、この明るさを目の当たりにすると時間の感覚が狂う。

 途中、隣を歩くまゆの視線が小さなアクセサリーショップに止まったのを気づいた。個人店だろう。店構えは質素で、大きな窓ガラスにアクセサリーを飾った棚を見せなければなんの店かわからない。

 これぐらいならいいか。俺は店の前で立ち止る。まゆも不思議そうに足を止めた。

「寄って行こうか」

「え?」

「ほら行こう」

 答えを聞かずに店の扉を開ける。まゆは焦ったようについてきた。

 俺より少し年上と思われるカウンターに座る女性は、明るくいらっしゃいと挨拶をくれる。俺とまゆはどうもと返答して棚を見て回る。とは言え狭い店内だ、ほとんど動く必要がなかった。

 まゆの視線がリボン型のキーホルダーを往復する。蝶結びされた形の赤いリボン。材質は金属だということはわかるが具体的にはわからない。俺はそれを手に取ってカウンターに持っていく。

「プレゼントですか?」

「ええ、似合うでしょ」

「はい、よく似合うと思います」

 会計を済ませて振り返ると、まゆは戸惑ったようにはにかんだ。店を出てキーホルダーを手渡す。

「えっと、あの、いいんですかぁ」

「うん、ご褒美。ライブ、ほんとに良かったよ。まだゆっくりはできないけど、一緒に頑張ろう」

 まゆの好意は苦手だ。初めから苦手だった。ちょっとした行動が思わせぶりな態度になってしまうし、言葉ひとつにしても選ばなくてはならない。一人相撲だとしても、そういうのは疲れる。

 嫌いではない。ただ、残念ながら俺は彼女の好意に応えられない。だからこそ余計に疲れる。

 まゆはアイドルだから。

 俺はプロデューサーだから。

 彼女は子供で俺は大人だから。

 恋愛感情以前の問題だ。

 それでも、感謝はしている。こんなプレゼントでも喜んでくれればいいと思った。

「ありがとうございます」

 微笑むまゆはどこか切なそうで、俺は落ち着かなかった。

 やっぱりからかわれていたのかな。

 ピンクのドレスを着て、フラッシュを浴びるまゆを眺めてぼんやり考えた。今日は都内のスタジオを訪れている。雑誌に載る写真の撮影だ。元々読者モデルをしていたまゆだけあって、撮影は順調に進んでいく。本来なら同行する必要はないのだが、彼女の希望もあって承諾した。

 もちろんそれだけではないけれど。

 確認のためでもある。

 一週間前の夜、アクセサリーショップを出たあと、大した会話もなく寮まで送った。まゆは沈黙を嫌うように時々口を開いたが、会話は続かずなんとなくギクシャクした空気が漂った。

 その日からまゆの様子はどこかおかしい。話しかければ取り繕うように微笑み、会話は一向に弾まない。

 冗談のつもりだったのに、思いの外乗り気になってしまった男に、困惑したのかもしれない。俺としてはそこまでの気持ちはないが、まゆにはそう見えたとしても不思議ではない。

 軽率だったと思う。無意識に浮かれていたのかも。

 好意を寄せられて俺は困惑している。好意の真偽を判断しかねるから。そして、返答できないから。でも、迷惑には思わないし、やっぱりどこかで喜んでいた面もあるのだろう。

 甘えていた面もある。

 がしがしと頭を掻く。みっともないし情けない。なにより申し訳ない。思考停止してたのか。少し頭を冷やそう。距離感は重要だ。特にまゆぐらいの年齢の女の子には。

 難しく考えすぎていたのかもしれない。俺とまゆは仕事のパートナーだ。プロデューサーとアイドル。改めて、その視点に立ち返るべきか。

 ため息がこぼれる。頭が重い。

「ぼうっとして……まゆのこと見てくれてましたかぁ?」

 気がつくと撮影は終わり、まゆが目の前にいた。どうやら俺は自覚していたよりも長い間ぼうっとしていたらしい。見ていないとは言えないので、うんまあと曖昧に応えた。

 まゆは俺の嘘を見透かすように微笑む。

「うふふ、プロデューサーさんはまゆだけを見ててくださいねぇ」

「プロデューサーだからね。もちろん、まゆを見てるよ。じゃあ、着替えて帰ろうか」

「待って……まだ感想聞いてませんよぉ?」

 上品にドレスを摘み上げるまゆ。貴族っぽい所作がよく似合う。演技臭さが余計に取り繕うようではあるけれど。

「似合ってるよ」

「ありがとうございます」

 その笑顔でさえ演技に見える。不安げで切なさを読み取ってしまう。俺の問題か、まゆの気持ちに陰りがあるのかはわからない。

 まゆの着替えを待ってから、ふたりで社用車に乗り込む。後部座席に座った彼女はしばらくして、おもむろに口を開いた。

「まゆはアイドルの衣装が好きなんです。アイドルをしてるなって感じるから。あなたのアイドルでいられるから」

「衣装を脱いだらアイドルじゃなくなるとでも?」

「そうとは言いません。……でも、プロデューサーさんの望むアイドルではなくなってしまう気がします。そうなったら見てもらえない、そんな気がして不安になるんです」

 アクセルを緩める。窓の外に流れる景色が輪郭を取り戻していく。信号が赤く灯った。停止線にぴったり止める。歩道から小学生の声が聞こえた。

「考えすぎだよ。俺はまゆがアイドルでいる限り、目を離すつもりはない」

「……ええ、プロデューサーさんはまゆを大事にしてくれますからね。そう信じてます。信じてますよ」

 ああと応えて、俺は運転に集中する。プロダクションに近づくにつれて道路は混みだす。静かな車内は居心地が悪くて、早く会社に戻りたかった。

 まゆを敷地内にある寮に送って、俺は会社に戻った。

 ロビーに入ると三ヶ月前に異動してきたプロデューサーと鉢合わせる。雰囲気からして彼も今戻ってきたらしい。俺の顔を認めてお疲れと声をかけてくれた。

「カフェどうだった?」

「あぁ、ありがとう、良かったよ」

「そっか、安心した。気になってたんだ」

 どうでもよさそうに言う彼。不思議な男だ。必要以上に踏み込んでこない。きっと気に入らないと答えてもごめんと一言応えて終わりだろう。感想を訊ねたのはそうするのが自然だからなのかもしれない。

 彼みたいな方がプロデューサーに向いているのだろうか。いちいち振り回されずにいられるのだとしたら、最適な対処ができる。

「なあ、ちょっと相談に乗ってくれないか」

「はあ? まあ、いいけど」

 なにか答が得られそうな気がしたのだ。外に出て隣接しているカフェテラスに入った。アイスコーヒーを二つ頼む。もちろん、俺の奢りである。席に着いて、いざ口にする場面になると躊躇うものがあった。

「あー、相談なんだけど……もしだよ? もし、アイドルから告白されたらどうする」

「こっちの気持ちと状況次第かな。好意があれば応えるかもしれないし、なければ断るかもしれない。まあ、好意があっても断るかもだけど」

 あっけらかんと言う。いやまあ、そのとおりではあるのだが、上手く伝わっていない気がする。

「そうだなぁ、じゃあ告白は告白なんだけど、そのあとの展望がなかったら?」

「それなら感謝して終わりだな、どうしようもないだろう」

「……じゃあ、その好意を信じられないときは」

 と、ここで彼はうーんと唸る。質問の意図を捉えきれていないのかもしれない。俺は脳内を探してみたけれど、いまいち当てはまる言葉が見つからなかった。

「それは、直面してみないとわからない。でも、ひとつ言えるのは、感情は独立しているわけじゃない」

「どういう意味」

「便宜的なんだよ、俺たちの言う感情は。好き嫌い嬉しい悲しい、その他諸々の感情は独立しているわけじゃない。矛盾しないんだ。好きだけど嫌い、嬉しいけど悲しいとか……自覚しているかは別にして、複雑に絡み合ってる」

「相手の好意を信じられないのは見誤ってこいるとか?」

 彼は思索するように視線をアイスコーヒーに落とす。

「そもそも相手の気持ちはわからないんだよ。まずはその前提に立つべきだ。信じられないことが悪いわけじゃない。ただ、自分の尺度を押しつけるべきじゃあない」

「つまり、俺には理解できない好意があるということか」

「うん、好意の真偽はわからない。それでいいんだよ。信じたくなったら信じればいい。そのときに手遅れであっても知らないけど」

 彼は悪戯っぽく笑った。その言い草があまりに無責任で、おかしくなって俺は噴き出した。

「無責任な奴だなお前」

「他人なんて無責任なものさ。俺の言葉を真に受けるほうがどうかしてる。自分で決めるしかないんだから」

 正論だった。大体相談しようにも具体的になんて言えるはずもないのに。俺は求めている言葉を代弁して欲しかっただけなのだろう。

 彼は言外に言う。甘えるな。自分で考えろ、と。

 見透かされているのかもしれない。あるいはまゆにも。

 俺はまゆをどう思っているのだろうか。

 それから数日、まゆは訪ねてこなかった。

 これはいよいよ拙いかな。そんなことを考えながら食事のために、俺はロビーへ下りた。今日来なかったら一度話し合うべきかもしれない。

 なにを話していいのかはわからないけれど。

 よくよく考えたら、話はまゆから始めることが多かった。気を遣ってくれていたのだろう。罪悪感が燻る。

 俺はまゆのなにを知っている。好意を信用できないのは、彼女のことを知ろうとしていないからではないのか。

 頭が重い。思考が回らない。身体と思考が切り離された感覚。だからか、身体までも重く感じる。

「ねぇ、ちょっといいかしら」

 ぼんやり外に向かって歩いているていると、ガラス張りのドアの前で、予想外の人物から声をかけられた。

 速水さんは裏がありそうな微笑みを浮かべた。

「時間あるならつき合ってくれない?」

 いいよと頷く。このタイミングだ。まゆについての話だろう。だとすれば、俺に断る理由はなかった。

 カフェテラスへ場を移す。今日は久しぶりにとち狂ったようにセミが鳴いていた。ここ数年、東京の夏にセミの声は減ったように思う。寂しく思うのは歳をとったからか、感傷的になっているからか。

 ビルの陰に入る席を選んで腰を下ろした。しかし、暑いものは暑い。近場のチェーンのカフェに入ればよかった。

 アイスコーヒーを一口飲んで、俺は口を開いた。いつまでも子供に気を遣われているのは嫌だった。

「あいつに見つかったら妬かれるな」

「あの人がこんなことで嫉妬すると思う?」

「わからないだろう。案外、穏やかではないかもよ」

「本当に」

「……いや、ないな」

 彼が嫉妬する画は思い描けない。もちろん内心はわからないけれど、表には出さない気がする。あいつは速水さんに負けず劣らずミステリアスなのだ。

「嫉妬するような人なら苦労はしないわ。あの人、私をからかって楽しむのよ。ひどいと思わない?」

 速水さんはわざとらしく口を尖らせた。それでも楽しそうに見えるのは、ふたりの関係が良好な証拠だろう。羨ましく思う。

「ほう、それは意外だな。あいつはもっと無関心な奴かと思ってたよ」

「……ふうん、そうなんだ。意外、ね」

 ほとんど独り言のように口にした速水さんは嬉しそうだった。なかなかどうして、大人びた容姿に反した反応は魅力的に見える。ギャップ萌えだ。

 視線に気づいた速水さんは、こほんとひとつ咳払い。恥ずかしがっているのだろう。可愛いらしいと思う。

「今は、私よりあなたの話。まゆとなにかあったの?」

「なんだ、あいつから聞いたのか」

 きょとんと首を傾げる速水さん。どうやら違うらしい。まゆの様子を見て訪ねてきたのか……まゆの方から相談したのかもしれない。

 素敵ですねぇ。まゆのふたりを指した言葉を思い出した。

「いや、なんでもない。……うーん、正直俺もわからない。特別喧嘩したみたいなことはないんだけど」

「なら、まゆの気持ちの問題かもしれないわね」

「気持ちの問題?」

「ええ。きっとなにか思うところがあったのよ。あなたのせいだとは言わないわ。でも、無関係とは言えないかもね」

 あの日の夜、まゆはなにを思ったのだろう。考えても考えてもちっとも想像できやしない。

 まゆに喜んで欲しかった。それだけなのに、どうしてこうも上手くいかない。

 傲慢なのは理解している。好意の上に胡座をかいていたのも。では、俺は、なにをすればよかったのか。

 まゆはどう思っているのか。

 なにを考えればいいのか。

 俺にはもうわからなかった。

「速水さんはあいつのこと、どう思ってるの」

 だから、浅薄にも参考にしたかった。自分ひとりでは答を見つけられない。それでも俺はまゆを考えなくてはならない。

 ヒントが欲しかった。答に似たなにかが欲しい。

 速水さんは困ったように笑った。

「あの人は不器用なりに見ててくれるの。私が辛いとき、弱ったときには手を差し伸べてくれる。だから感謝してるわ。彼のためにももっと輝きたいと思う」

 確信と決意の見える言葉。俺とまゆの関係に足りない、答そのものな気がした。

 ありがとうと応えると、

「ごめんなさい、お節介だったわね」

 速水さんは申し訳なさそうに言った。

 速水さんと別れて、俺は小レッスン室に向かう。小窓を覗くと休憩中だったのでノックする。中からどうぞと声が聞こえてから、中に入った。

「お疲れ。調子はどう?」

 トレーナーさんと挨拶を交わしてから、俺はまゆの傍へ寄って、なんでもないように訊く。まゆは気まずそうに俯いた。

「お疲れ様です。……あまり、良くはないですね。ごめんなさい」

「いや、気にしないでよ。そういう日もある」

「ごめんなさい、すぐにちゃんとしますから……あなたの望むまゆになりますから」

 痛々しいほど弱々しく、そして苦しそうにまゆは言う。どうしてこうなってしまうんだ。罪悪感と寂寥感が胸に渦巻いた。

「だから……そうじゃないんだって」

「でも、まゆはあなたの望む姿でいたいんです。あなたのまゆはもっともっともっと……綺麗で可愛いアイドルなんです」

「今だって十分可愛いよ。そんなに思い詰めないでくれ」

「これじゃダメ、あなたは見てくれない……私は、まゆは、あなたのアイドルは……」

 そこで言葉は途切れた。

 結局、俺の問題だった。まゆを見ていなかった。冗談だろうと、一笑に付して、真面目に取り合わなかった。見透かされていた。

 でも、俺は……まゆに笑っていてほしかった。あの日の夜、俺は本心からそう思ったのだ。

 刹那の沈黙を壊すように、トレーナーさんはレッスンの再会を告げる。まゆははいと応えて立ち上がった。トレーナーさんに促されて俺は退室する。

 レッスン室を出る直前、トレーナーさんは言った。

「お互い、もう少し冷静になってから話し合ってください」

 話し合って解決する問題なのだろうか。自問してみても答は返ってこなかった。

 身体を起こすと、世界が揺れる。

 関節の節々が熱く、それなのに背筋には悪寒が走る。目の奥に熱が篭り、自然と涙で目が潤む。口が渇いて喉が痛い。身体が重い、熱い、寒い。ベッドを出て這うように体温計を取りに行く。

 ベッドに戻って、体温計を脇に挟む。ピピっと電子音がなって、緩慢な動きで取り出して確認。三十九度二分。

「……まじかよ」

 声にならない声が出た。呼吸をするのも辛い。

 枕元で充電していたスマホを手に取り、会社に連絡する。電話に出たのはちひろさんだった。

「すいません、風邪ひいたみたいです。三十九度二分でした」

「あら、酷い声。わかりました、伝えておきます。ひとりで大丈夫ですか?」

「ええ……急にすいません。よろしくお願いします」

「大丈夫ですから、ゆっくり休んでくださいね。お大事に」

 電話を切ると同時に意識も落ちかけていく。瞼を閉じると涙が頬を流れた。

 物音で目を覚ました。

 頭が痛い。朝からほとんどなにも飲んでいないや。脱水状態なのかもしれない。水だけでも飲もうか。そう思って身体を起こして、額からタオルが落ちた。それを拾い上げて首を傾げると、枕元にスポーツドリンクが置かれていることにも気づいた。

 混乱する。俺は独り暮らしなのだ。

「おや、目が覚めたみたいだね。身体はどうだい?」

 声の主はキッチンにいた。料理をしていたらしい、彼女は火を消してから優雅にこちらを振り返った。俺の頭が熱でおかしくなっていなければ、その人はあいさんだった。理解不能な展開に目が回る。

「ああ、そうか。すまない、勝手に上がらせてもらったよ。ん? ……どうしてって顔をしているね。簡単な話だよ、ほら」

 あいさんが指差した先、俺の横にはまゆがベッドに突っ伏して寝ていた。

「きみの無事を確認して気が抜けたのだろう。ここのところ疲れていたみたいだしね」

 大袈裟な気もしたけれど、最後に会ったのはレッスン室だ。雰囲気も良くなかったし、悪い想像が過っても不思議ではないか。

「どうか怒らないであげてほしい。止められなかった私やちひろさんの責任だ。もっとも、来て良かったと思っているがね」

 声を出そうとして喉の痛みに遮られる。スポーツドリンクのキャップを開けて、三分の一ほど飲む。多少、痛みは和らいだ。

「今何時ですか?」

「最初の言葉がそれか」あいさんは楽しそうに笑う。笑い方ひとつとっても格好いい。「午後五時だよ。朝からずっと眠っていたみたいだね。とにかく今は水分補給だ。それと一応、雑炊を作ってるけど食べられるかい?」

「ええ、多分」

「それは良かった。ゼリーなんかも買ってきたから、雑炊が無理ならそっちを食べてくれ。解熱剤はそれからのほうがいい」

 言葉に従ってスポーツドリンクの残りを流し込んだ。緩くなっていたが、身体が熱いせいか食道を通る感覚がよくわかった。

 飲み干すのを見届けてから、あいさんは言葉を続けた。

「さて、じゃあ事情を説明しようか。プロデューサーくんとしても、気になるところだろう。とは言っても、きみが想像する以上の事情はないと思うけどね。

 想像通り、きみの体調不良を耳にしたまゆくんが心配してね、お見舞いに行くと言い出したんだ。初めは大袈裟だとみんなで説得していたんだが、どうにも切羽詰まって見えたんだよ。

 するとその場にちひろさんが来て、きみの容体は酷いという。結局、流石に未成年の子供をひとりで向かわせるわけにもいかず、予定の空いていた私に白羽の矢が立ったわけだ。

 きみの家は近いし、鍵はデスクにあるし、お膳立てされているようだったよ。

 部屋に上がってみるときみは唸ったまま起きないし、冷蔵庫はほとんど空だしで、焦ったね。いや、まゆくんに感服させられたと言うべきか。きみはどう思っているのかは知らないが、彼女はきみをよく見てる。これだけは認めてあげてほしい」

 ええ、頷く。いつだってまゆは俺を見てくれていた。見ていなかったのはこちらで。

 あいさんは買い出しに行ってくると部屋を出て行った。気を遣われたのかもしれない。今は甘えておこう。まゆを揺すって起こす。

「まゆ、まゆ、起きて」

 二三度揺するとまゆは目を覚ました。寝惚けているのか、周囲を確認して、状況を把握したらしい。俺の顔を見るその瞳は涙で潤んでいた。

「……ごめんなさい。でも、よかったです。あとでいくらでも怒られます。だから、今はゆっくりしてください」

 怒られることも嫌われることも覚悟しているのだろう。まゆは悲しそうに微笑んだ。

 ああ、そうか。

 間抜けにも、俺は今さらになって彼女の好意が本心なのだと理解した。都合がいい。弱ってるからそう思うだけかもしれない。

 自己嫌悪。でも、自分のことなんてあとにしよう。まゆに悲しい思いはさせたくなかった。

「ううん、怒らないよ。ありがとう。助かった」

「あの、まゆ……勝手に上がって」

「まゆが来てくれなかったら、俺は水を飲むのさえ苦労してたよ。飯だってなかった。なにより、心細かったんだ。だから、ありがとう。傍にいてくれて嬉しいよ」

 そう、嬉しい。俺はまゆといて、楽しかった。喜んでもらえれば嬉しかった。好意は苦手でも嫌な気持ちはしなかった。

 でも、応えられないもどかしさは苦手意識を植え付けた。最初から好意を寄せられて、それは今日まで持続していて。疑わしく思った。言葉にすれば安っぽく聞こえた。

 だから、俺は目を背けたのだろう。まゆの気持ちを甘く見ていた。彼女は本気だったのだ。本気で俺の望むアイドルを目指していたのだ。

「ごめん、俺はまゆをちゃんと見ていなかったらしい。お前の好意を誤解していた。からかわれていると思ってたんだ。冗談だと思ってた。でも違かったんだな」

 だとしたら俺は応えなくてはならない。喩えまゆが答を求めていなくとも、虫のいい言葉だとしても。

 はっきりと言葉にする必要がある。それが責任だろう。

「まゆはもう十分、俺の望むアイドルだよ。だから、気持ちには応えられない」

 アイドルだから。

 プロデューサーだから。

 感情とは別な問題だ。

 謝らない。失礼だから、まゆは知っているから。

 まゆは微笑む。目を奪われる、魅力的な笑みだった。

 容赦なく降り注ぐ陽射しに、アスファルトには陽炎が揺らいでいた。

 顔から汗が滴り落ち、コンクリートに染みを作る。雲ひとつない快晴は陰を作らない。病み上がりには辛い天気だった。

 熱が下がって三日が経った。医者曰く疲労が原因の高熱で、無理は禁物と言う。俺としては無理をしているつもりなんてなかったのだが、確かにライブ前後は忙しかった。そのあたりが効いたのだろう。

 まゆにも怒られたし、これからは気をつけよう。

 あれから、まゆとの関係は変わらない。依然、アイドルとプロデューサー。辞める気はないらしい。その言葉を聞けただけ安堵した。

 ただ、なんとなく気まずさは抜けきれなくて。

 それでも、以前のような停滞した絡みつく倦怠感はなくなった。多少は信頼関係を築けたのかもしれない。

 ブライダルの撮影が終わって、まゆの着替えを待つ間、外に出てぼんやりと空を見上げていた。なんとなく室内でじっとしているのが嫌だった。暑さには辟易とするけれど、暗くなりすぎないためには青空を眺めるぐらいが丁度いい。

 まゆの気持ちを断って、俺は身勝手にも寂しさを覚えた。まゆはなにも言わなかった。きっとこうなると理解していたのだろう。

 しばらくして、スラックスの右ポケットに入れたスマートフォンが震えた。まゆからのメールだ。チャペルで待っていますとだけ書かれていた。

 チャペルのドアを開き内に入る。私服のまゆは祭壇の前に、こちらに背を向けて立っていた。ステンドグラスによって色付けられた明かりが幻想的に室内を照らす。まゆの元へ足を進める。かつんかつんと足音が響いた。

 残り三歩ほどの距離になって、俺は立ち止まる。まゆはゆっくり振り返ってから微笑んだ。

「こんなことをして、子供っぽいと思われたかもしれないけど……迎えに来てくれて……本当にうれしいです……」

「迎えにいくよ、俺はプロデューサーだから」

「ええ、信じてました。……まゆが求めていたもの、わかりますか? まゆはたしかなものが欲しかったんです。……ものではありませんね。それはキズナ、シルシ。……知ってたんです。まゆたちは結ばれないって」

 まゆは理解していた。立場的にも、法的にも結ばれないと。だから、告白に答は求めなかったし、一線を越えるようなアプローチはしてこなかった。

「それでも、まゆはプロデューサーさんと一緒にいたい。ううん……悲しくなんてないんです。だって……私がアイドルならこれからもプロデュースし続けてもらえるでしょ……? だから、あなたの望むアイドルになりたかったの」

 前提からして違うのだ。俺は好意の目的を読み取れず、信じられなかった。しかし、まゆは好意そのものをどうにかする気はなかった。初めから目的なんてなかったのだ。

「本当は、想いを告げるべきではなかったのかもしれません。でも、どうしても知っていて欲しかった。まゆを見ていて欲しかった。抑えきれなかったんです」

 彼は、感情は複雑に絡まっていると言った。わかっていても、諦めきれないことだってあるだろう。誰だって一度は経験があるはずだ。

「食事をした日、プロデューサーさんのプレゼントは本当に嬉しかったんです。でも、同じだけ切なかった。叶わないのに、結ばれないのにって。それからなんとなくギクシャクして、会話も減って……すごく悲しかったのに安心もしました」

 嬉しくて切なくて、悲しくて落ち着いて。まゆは自分の感情に混乱していた。それだけ、俺を想っていてくれた。

「まゆはわからなくなったんです。私がどうしたいのかも、プロデューサーさんがどうしたいのかも。そして怖かった。プロデューサーさんがまゆを見てくれなくなりそうで」

 まゆの気持ちがわからなかった。好意を疑い、その言動に意図を見出そうとしていた。答は見つけられず、俺は途方に暮れていた。まゆを見ずに裏を見ようとしていた。

「でも、プロデューサーさんが倒れたとき、心配で居ても立っても居られなかったんです。他のことなんてどうでもよかった。ああ、プロデューサーさんのことが好きなんだな、そう改めて思ったんです」

 ふふ、とまゆは笑みをこぼす。

「だから、プロデューサーさん。ずーっと……永遠に、佐久間まゆのプロデューサーでいてくれるって……誓ってくれますか……」

 まゆの望む答は、同時に俺の望むもの答でもあった。まゆがそれでも隣にいてくれるのは、彼女の一途な想いがあってこそだ。俺は頷く。

「誓うよ。俺はまゆのプロデューサーだ。まゆは俺のアイドルだ。ずっと、永遠に」

 まゆのためにプロデュースがしたい。まゆのためのプロデュースがしたい。きっと、彼はこんな気持ちだったのだろう。

 まゆは嬉しそうに微笑んだ。

「浮気は赦しませんよぉ」

「しないよ。俺はまゆだけを見てる」

 向き合う。都合がよくても、虫がよくてもいい。よくはないけど、諦めよう。

 感情は複雑なのだ。悪いと思っても、一緒にいたいとも思う。

「でもひとつだけ」

「なんですかぁ」

「現実的に、もしアイドルを引退するときがきたら……そのときはきっと俺から告白する。もし、まだ好きでいてくれたら答を考えてくれ。一応、伝えておくよ」

 今はまだ、まゆの気持ちには応えられない。感情とは別な問題で、俺は彼女の好意を受け入れられない。

 今はまだ。

 まゆは驚き、それからおかしそうに笑った。あまりに楽しそうに笑うもんだから俺も笑う。

 多分、俺はこの瞬間、まゆに惚れなおした。

終わりです。
依頼してきます。

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