姫川友紀「好きって気持ち、少しまえ」 (66)



 この気持ちって、ドキドキなのかな。
 

  ワクワクなのかな。



  それとも――




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 夕方、肌に張り付くような生ぬるい風を浴びながら、あたしはアパートの自室にたどり着いた。

 東京でも残暑は長い。事務所でシャワーを浴びてきたけど、また汗が噴き出してきた。

 部屋の中に入れば、快適な風が迎えてくれる――なんてこともなく、ぬるい空気が停滞しているだけだった。

 一人暮らしだから当然だ。むしろ迎えられたら……うう、電気代を考えると恐ろしい。

 明るい室内を――明るい?


(あっ、カーテン開けっぱなしだった)


 別に問題があるとは思わないけど……女子の防犯意識としてはどうなのかな、あたし。

 ま、いっか。

 荷物を畳の床に投げ出して、机の上にあったクーラーのリモコンでスイッチオン。

 涼しい風と共に吐き出されるカビ臭さに顔をしかめながら、そのまま畳にスライディング。

 先にシャワーを浴びなおした方がいいんだろうけど、その前に少し休憩。

 横を見ると、大きな猫のキャラクターがあたしと一緒に寝転んでいた。

 キャッツ球団のマスコット、ねこっぴーの特大人形だ。


「今日もあたしはお疲れだよー、ねこっぴー」


 ポンポンと人形の頭を叩く。返事はない。ねこっぴーもお疲れのようだ。





「うー」


 唸りながらあたしはゴロンと体を仰向けになる。

 クーラーも段々と効果を発揮。心地よい涼しさに頬が弛んじゃう。


「へへー」


 なんとなく頭をのけぞらせてドアの方を見ると、郵便受けになにかが入っていた。


「んっ?」


 朝は入ってなかったから、出かけている間に誰か入れたのかな。

 体を起こしてドアまで行く。細長い一枚の紙。配達の不在票だ。

 あたしじゃなくて、お兄ちゃん宛。


(こんなことをするのは)


 送り主を見ると、やっぱりお母さんからだった。

 前はお兄ちゃんと一緒に住んでたけど、お兄ちゃんが実家に戻ってからは一人暮らしだった。

 ネームプレートにはお兄ちゃんの名前がついたまま。

 女の一人暮らしが心配らしく、そうするように注意されていた。

 そこまでしなくていいと思うけど、取る理由もないので言われたとおり、つけたままにしていた。

 再配達の連絡をしてから、シャワーを浴びようとしてしたけど。


「おっと……いけないいけない」


 こういうエラーには気をつけなきゃね。 

 あたしは慌てて、開けたままのカーテンを閉めに戻った。









――



 ビールを飲みながら冷蔵庫に残ってたお惣菜を肴に、日課の野球中継観戦中。

 今日もキャッツは絶好調! 



  ……とは、いかなくて。


「っだー、勘弁してくれよー……」


 九回表、ワンアウト二塁三塁。一打同点。長打コースなら一気に逆転。

 ツーストライクスリーボール。

 フルカウントで手に汗握ってたのが二分前。

 ゲッツーに倒れて試合終了、テレビに怒鳴りつけたのが一分前。

 あたしも畳に倒れ込んだのは三十秒前。


「この時期に負けるなんてー……優勝はあれだけどさー、下位にも追い上げられてるんだから、CSだってこのままじゃ……」



 文句をいいながら仰向けのままビールを飲む。あ、ちょっとこぼれた。





「ティッシュティッシュ……」


 畳にあったティッシュで胸元にこぼれたビールを拭っていると、インターホンが鳴った。


「こんな時間に誰だよ~」


 文句言いながら立ち上がったけど、途中で再配達を頼んだのを思い出した。

 ほろ酔いな足取りで玄関へ向かう。感じのいいお兄さんが大きな段ボールを抱えていた。

 玄関の脇に置いてもらった。


「ここにハンコか、サインをお願いします」

「いいよー。いつかプレミアついちゃうからね?」


 きょとんとされた。どうやらあたしの知名度もまだまだみたい。

 ちょっとがっかりしつつ配達員さんから渡されたペンで、サラサラと受け取り署名。


「御苦労さまでーす」


 床の上をズルズル滑らせて部屋まで運ぶ。

 畳の上は滑りづらいので戸口のところで停止。部屋側に回ってから段ボールの前に腰を下ろした。






 伝票に書かれたお母さんの文字に懐かしさを覚えながら段ボールを開く。

 中身は、お米に缶詰、地鶏カレーのパックや冷や汁の素とか。


(保存食品ばかりなのは……いろいろ見抜かれてる感じ……かな)


 台所の方に目をやる。きっとそこの様子はお母さんの想像通りだろう。

 ねこっぴーのエプロンも、番組で使った以来ベンチを温め続けてる。


(料理も覚えた方がいいだろうけど……お仕事忙しいからいいよね?)


 後は地酒とマンゴーを使ったお菓子。

 地元色が強いのは、お母さんなりの思いやりなのかもしれない。


 底の方に小さな箱が入っていた。何だろ、これ? お菓子の空箱のようだけど。

 奇妙に思いながら、ビールを一口。

 箱の蓋をとった。

 中には封筒と、さらに別の小さな箱。

 封筒には『友紀へ』と、これまたお母さんの文字だった。

 書かれていたのはまあ、あれ。


  あたしの誕生日お祝いの言葉。バースデーカード、でいいのかな?







 嬉しいけど――誕生日、明日なんだよなー。


 だからこの言葉はちょっと早いね。嬉しいことには変わりないけど。

 小さな箱には誕生日プレゼント。ボールを模ったネックレスが入ってた。


「このセンスは……お兄ちゃんかなー」


 それとも意外なところで、お父さん? 

 そんな想像をしながら指からさげたネックレスを顔の前に掲げていると、自然と笑みが零れた。

 箱にしまい直してから、荷物のお礼に実家へ電話することに。

 なんとなく、自分で番号をダイヤルしてみる。久しぶりなのにびっくりするくらいスラスラと番号を押せた。

 やっぱ忘れないもんだな。

 なんて思いながら、あたしは呼び出し音に耳を傾けていた。




「あ、お母さん? 荷物届いたよー、ありがと。え? うん。大丈夫。
 でもあたしの誕生日って明日だよー。もしかして間違えた――あー分かってるよ。冗談だって……うん、ありがとね。

 お兄ちゃんは、まだ仕事? 
 うわー御苦労様だねー これじゃあしばらく彼女は難しそうだね…… 

 え?  あたし? 

 ないない。あたしも仕事忙しいもん。 
 でもまあ、ほら。いつか野球選手でも捕まえるって、ね? あはは。どーだろ?
 うん、明日も仕事だから。じゃあ、また」






 スマホを耳元から離すと、そのまま倒れる。

 天井からぶら下がる蛍光灯をぼんやり見ていた。

 クーラーの音が、嫌にはっきり聞こえる。寝たままビールを飲んで、また零した。


「ああ、服の中にまで……」


 今度はオヘソあたりまでたれたビールをティッシュで拭いてから、ねこっぴーのぬいぐるみにしがみつく。


 

 お母さんの声を久しぶりに聞いたからかな。ちょっと寂しくなった。


 一人暮らしも慣れてきたと思ったんだけどなぁ。








 前まではお兄ちゃんと一緒に住んでいた。

 お兄ちゃんが仕事の関係で東京に出た際、あたしもついて行きたいと言ったのだ。

 冗談だったんだけど、思った以上にお兄ちゃんが乗り気だった。

 近くの方が心配も少ないみたいなことを言ってたと思う。お兄ちゃんって結構シスコンかも。

 野球を生で見るには東京に出るのが一番便利だから、あたしもお兄ちゃんにひっついて来た。特に考えもなく。

 それであたしはアイドルにスカウトされた。

 それから、お兄ちゃんは仕事の都合で地元に戻って、あたしは一人になった。


 ここは元お兄ちゃんの部屋。
 
 前のあたしの奥の部屋は寝室にしたというか、なったというか……

 いやあ、布団は毎日ちゃんと片付けなきゃって思ってるんだけどね?

 ともかく、あたしは今この部屋に一人で住んでいる。

 
 気楽でいいけど、一人で住むには少し広い。






 さっきのお母さんとの電話を思い出した。



「だれか、いい人ねぇ……」



 正直、ピンと来ない。

 寂しいとは思うけど、誰かと言えば別にいないし。

 お母さんには野球選手とか言ったけど……うーん。

 たしかに野球選手は、子供の頃からの憧れだ。でも、今のところ憧れは憧れなんだよな。


 じゃあ、一緒に住む相手を想像して――お兄ちゃん?

 あたしも結構ブラコンかも。それとも単に子供なのかな。

 ほかの相手となると――プロデューサー?


「いやー、ないかな……」


 信頼はしてるけど、そういうのとはちょっと違う気がする。


「ま、考えても仕方ないか。今はねこっぴーがいるもんねー」


 自分に言い聞かせるみたいに、大きく独り言。

 強く抱きしめたぬいぐるみは、つぶれてちょっとぶさいくになった。

 少し早いけど、もう寝ようかな。

 ねこっぴーを抱えたまま、あたしは体を起こす。


「今日は一緒に寝ちゃう?」


 ねこっぴーに顔を近づけ、鼻をデコピン。頭が小さく上下に揺れた。


「いやあん、大胆だねねこっぴーは。じゃあ、今日は特別だよー」


  へへっと笑いながら、あたしはねこっぴーを抱えて隣の布団に移動した。





――――
―――




 上京したばかりの頃、あたしはドキドキしていた。

 ワクワクだったかな。

 どっちが多かったんだろう。たぶん、半々。

 何度も新幹線を乗り換えて、やっと着いて、それからお兄ちゃんの後についていって。
 
 人も電車も目が回るほどたくさんあって、どれに乗ればいいのか少し迷ったりもして。

 やっと乗った電車ではドアの前に立った。そこから見える景色に目を輝かせた。

 街がどこまでも途切れなく続いて行って、この街の一員になるのかってワクワクして、ドキドキした。



 あれからだいぶ経って、そんな頃の自分を笑える位にはこの街になじんでいた。

 あの時と同じように、あたしは電車の扉のそばに立って、流れゆく景色を見ている。

 ビルのばかりの街並み。最初の高翌揚感も、今じゃ退屈に置き換わった。

 焦点をドアに反射する自分に合わせる。

 首からは昨日貰った誕生日プレゼントのペンダントが提がっていた。

 
 今の自分の姿は、都会の人間なのだろうか。

 来たばかりのころ、繁華街のショーウィンドウに窓に映る自分を見て、あたしが都会の風景に交じっているのが不思議に感じたりもした。


 その感覚は、今でもたまにある。



(あ、枝毛)


 先端が二つに分かれた髪の毛をくるくる回していると、目的の駅にたどり着いた。





 事務所の入り口を抜けて、自分たちの部署の扉を開ける。

 事務所の中には、人影が一つ。

 ふっくらした緑がかった髪の毛を肩ぐらいに伸ばしていて、肌の色は羨ましいくらい白い。

 よく見れば色の違う双眸をあたしに向けると、それが見えないくらい目を弓なりにした。

 高垣楓さんだ。



「あら、友紀ちゃん。お疲れさま」

「お疲れ様でーす、楓さん!」



 元気印なあたしと違い、楓さんはとても落ち着いている。

 同じくらいの歳になったら、あたしもこうなるのかなー……なんて思ったけど、そうじゃない人もたくさん頭に浮かんだ。

 やっぱり人それぞれか。


「あら?」


 楓さんは頬に手を当てると、小首をかしげた。


「今日の友紀ちゃん、いつもより大人びて見えるわね」

「え、そうかな」

「なんだか、年齢が一つ大きくなったみたい」

「って、そりゃそうだって! 今日はあたし誕生日だから!」

「あら、そうだったの?」


 楓さんは目を丸くした。






「お祝いメッセージ送ってくれたじゃん!」

「ふふ、冗談よ」


 表情をほころばせた楓さん。大人っぽいけど、結構お茶目なんだよなー。


「おめでとう、友紀ちゃん。今度、お酒を奢ってあげるわね」

「今度じゃなくて今日飲みに行こうよー。実はあたし、今日の夜は暇なんだよー」

「あら、そうなの」


 驚いたようで目をパチクリさせていたが、楓さんは謝るように顔の前で両手を合わせた。


「でも、ごめんなさい。今夜は用事があるの。だから今度行きましょう」


 またであった。


「分かったよー。約束だからね?」

「もちろん。じゃあ、私レッスンがあるから、これで」

「うん、頑張って」


 ドアを出る前に楓さんはあたしの方に向き直って、小さく手を振ってきた。

 あたしも手を振り返す。同じ行動をしたのに、やっぱり楓さんの方が大人びた感じな気がした。






 楓さんを見送ってから、あたしは息をついた。

 誕生日だというのに、誘ったみんなこんな調子なのだ。

 みんな用事だったり、仕事だったり。タイミングが悪いというか。

 お祝いのメッセージはスマホに沢山届いていた。

 嬉しかったけど、いまいち気持ちが盛り上がらないのは、誰かとプライベートで会う予定がないからだと思う。


 みんなの仕事が忙しいのはいいことだけど、ちょっと寂しい。


「まっ、あたしも昼間は仕事だけどね」


 でも、現場まで送ってくれることになってるプロデューサーの姿はない。

 というより、楓さんが去った今、あたしの他に誰もいなかった。


(プロデューサー、まだ来てないのかな?)


 プロデューサーの机に目を向ける。出しっぱなしの書類や飲み終わった栄養剤が置いてあった。

 相変わらずちょっと汚い。


(感心しませんなー、ちひろさんにまた怒られるぞー?)


 あたしも自分の部屋の状態を考えたら、とやかく言える立場じゃないけどさ。

 よく見ると、椅子に鞄が置いてあった。ということは、今は事務所にいるようだ。


(んっ?)





 開いたままの鞄から、なにか袋が見えた。

 高いお店で買った時に貰えるような、作りのしっかりした紙袋。


(もしかして……あたしへの誕生日プレゼント?)


 周囲を見渡す。いや、誰もいないのは分かっているんだけど、万が一を考えて、ってね。

 忍び足で机に近づいて、また周囲をうかがう。時間も中途半端。誰か来る気配は、なし。


(ちょっと見るだけ~だから~)


 開けっぱなしでどっかにいったプロデューサーも悪いよね。

 鞄の中、書類のあいだで傾いていた袋をゆっくりと縦にして、口の片側をつまんで中を覗き込む。

 見えたのは落ち着いたオレンジ色の紙に包まれた細長い長方形。鮮やかな赤いリボンで飾られていた。


(おぉ、思ったより凄そう……ちょっと、期待しちゃうかも)


 やるじゃんプロデューサー。これは個人的バッテリー候補にいれていいかな。

 なんてね。

 ここまで来ると、中身も気になってきた。楽しみは待つべき、なのは分かるけど……触るくらいはいいよね。

 あたしは袋に手を伸ばそうとしたけど、扉が開く音に慌てて引っ込める。

 袋を鞄の中に押し戻して、背筋を伸ばしながら振り返った。





 やってきたのはプロデューサーだった。


「あー、あはは。お疲れさま、プロデューサー!」

「おう、お疲れ……って、どうかした」


 挙動不審なあたしにプロデューサーは不思議そうに瞼を瞬かせていた。


「も、もうお仕事に行く?」

「まだ時間あるだろ」

「あはは、そうだね……」

「? 気持ちが急かすのは分かるけど、もうちょっと待ってろよ。仕事残ってるし」

「はーい」

「……ところで、なんで俺の机の傍にいるんだ?」


 やっぱり気になるよねー。


「あーいや。ほら。プロデューサーの机にゴミが貯まってたから、こう……ゴミ箱ストラックアウトでもしようかと!」


 あたしは空き缶を手に取るとゴミ箱に向かって投げるそぶりをする。

 すると、中身が少し残ってみたいで、それが床に散ってしまった。


「あっ!」

「おいこらっ……まったく」


 プロデューサーは両手を腰につけると、肩で嘆息。給湯室の方を指さした。


「雑巾は向こうです」

「……はーい」


 あたしに掃除をしろということのようだ。自業自得なので大人しく従う。

 誤魔化せたみたいだからいっか。





 雑巾を手に戻ってくると、プロデューサーは鞄を机の上の隅に置いて、書類に目を通し始めていた。

 鞄は閉じられていた。


 ……一度見ちゃうと、やっぱり気になっちゃうなぁ。


「ねーえー、プロデューサー」


 床を拭き終わり雑巾を戻してきたあたしは、プロデューサーの背中に声を掛ける。
 
 プロデューサーは書類を片手に振り返った。


「どうしたんだ」

「今日はあたしの誕生日じゃーん。そのー、なにかないの?」

「ああ、そうだった誕生日おめでとう」


 ワザとらしい笑顔で言うとクルッ椅子を元に戻した。

 あたしは椅子の背を持ってクルッとこちらに向きなおさせる。

 眉間にしわを寄せてるプロデューサーを、あたしは満面の笑顔でお出迎え。


「いやいやいやいやー。そうじゃなくてさぁ」

「なんだよ、祝われて嬉しくないのか」

「言葉も嬉しいよー。でもー」


 前屈みになりながら、小さく両手を差し出した。


「ねえ、プロデューサー? なにか渡すものとかぁ……ないの?」

「あのなぁ……」


 言葉を濁したプロデューサーは、急に顔を背けた。

 なんだか顔が赤い。






「どうしたの?」

「ああ、いや……そんなペンダント、持ってたっけ?」

「これ?」


 あたしは胸元にぶら提げていた野球ボール型のペンダントをつまみ上げる。


「家族からの誕生日プレゼント。昨日届いた荷物に入ってたんだ」

「ああ、そうだったのか」



「……で、本当はどこ見てたのかなぁ?」


 ニヤニヤ笑いながらプロデューサーの顔を覗き込む。

 プロデューサーはあーと短く唸りながら体をそらした。


「バカ言ってんじゃないの」

「バカってなんのことかなー」

 プロデューサーの正面に潜りこむ。また顔をそらした。

 プロデューサーは手に持っていた書類を机に投げ出し両腕を組んだ。


「プレゼント、もう貰ってるならこれ以上はいらないだろ」


 あちゃ、意地悪をしすぎたか。




 本気で怒ってるわけじゃないだろうけど、ここはあたしも殊勝にならなきゃ。

 胸元で両手を合わせる。


「ゴメンってプロデューサー。プレゼントはいくら貰っても嬉しいんだから――」

「ああ、少し待ってくれ」

 あたしを手で制しながら、プロデューサーは懐からスマホを取り出す。着信のようだ。


「はい、――」


 電話に出たプロデューサーはがらりと変わった。すっかり真面目モード。

 お仕事の話みたい。

 会話をしているうちにプロデューサーは席を立つと、そのまま扉に向かう。


「え、ちょっと。プロデューサー?」


 振り返ったプロデューサーは電話口を手で覆った。


「悪い、また後で」

「でもプレゼントは」


 プロデューサーは緩い笑みを浮かべながら、肩すくめる。それで電話に戻った。


「はい、少しお時間よろしいですか、いま確認しますので――」


 なんて話しながら、廊下に消えてしまった。





「ちょっとー、プロデューサー……もう」


 残されたあたしは肩を落とす。

 仕事が大事なのは分かるけどさ、タイミングが悪い。


 また一人っきり。

 やることもないので、備え付けのソファーに座る。

 プロデューサーは鞄を置いていったけど、プレゼントに触る気も起きなかった。

 外で物音が聞こえたと思うたび、ドアの方に顔を向ける。
 
 でも、誰かが入ってくる気配はなかった。


 事務所のみんなも、仕事が忙しいのは分かる。

 だからってみんな予定が取れななんて、なんだか蔑ろにされた気分だった。



 もちろん、そんな意図がないのは分かってるけどさ。


「誕生日なのに……」


 呟くと余計に寂しくなって、あたしは背もたれに沈み込んだ。





 ――

 テレビでドラマの再放送を見ている内に、プロデューサーが戻ってきた。

 気がつけば出発時間だった。

 プロデューサーの運転で現場へ向かう。

 車の振動に身をまかせながら、あたしは車からの風景に目をやっていた。

 電車からみるのとは、また違う世界。
 
 お父さんの車の後ろに乗っていたころを、なんとなく思い出す。

 お兄ちゃんと野球選手クイズをしたり、中継があるときはラジオで野球を聞いて一喜一憂してた。

 家族が運転する車以外に乗ることはあまりなくて、初めてプロデューサーの運転する車に乗った時は落ち着かない気分だった。

 そんなあたしを気遣ってくれてか、プロデューサーから色んな話題を振ってくれたのを覚えている。

 今は、喋らなくても苦じゃなくなった。


「そういえば」


 なんて思っていたら、プロデューサーから声をかけてきた。

 でも、本当になにげなく。声音に他人行儀な気遣いはなかった。





 窓から顔を上げると、車は赤信号で止まっていた。

 バックミラー越しにプロデューサーと目が合った。


「友紀って、あまりピアスとかしないよな」

「あー、そうだね」


 あたしは耳たぶに指を添える。


 アイドルを始めたばかりの頃、ピアスの穴をあけた。

 お洒落に気を使った方がいいと思ったのだ。

 現場にも何度かピアスを着けていって、アイドルの衣装で着けることもあった。

 でも、アイドルの方向性なのかな。

 気がつけば衣装でピアスを着けることがなくなって、あたしも日常生活で着けるのをやめてしまった。


「嫌いじゃないけど、なんかいいかなって。髪伸ばしてるからピアス着けても結構隠れちゃうし。
 それにほら、あたしって結構ずぼらだからさー」

「自分で言うなよな……」

「だいぶ着けてないから、ピアスの穴も閉じかけてるんだよね」


 ピアスの穴を触る。穴は以前より小さくなっていた。






「でも、なんでそんなこと?」


 あたしが訪ねると、プロデューサーは僅かにうろたえたようだった。


「いや、ちょっと。参考に」

「参考? ってなんの」

「あー、ほら。女性でも好みがいろいろあるじゃないか。それでさ」


 てっきり衣装関係かと思ってたけど、なんだか違うみたい。

 気になったけど、聞き返す前に信号が青に変わった。

 プロデューサーは運転を再開したので、あたしも窓の外に視線を戻した。


 女性の好み、なんて妙に遠まわしな言い方が引っかかったけど、風景を眺めているうちにそんな考えはどこかへ行ってしまった。





 今日のお仕事はローカル番組内の駅周辺を紹介するコーナーだった。

 いつも担当している子が入れなくなって、あたしに代打が回ってきたのだ。


「お疲れ様でーす、今日はよろしくお願いします!」

 
 今回紹介する駅の名前は聞いたことはあった。でもこの辺りに来るのは初めて。

 そこまでお洒落じゃないし、風情ある下町というわけでもないけど、地に足が着いた町並みはこれはこれで好きだった。

 ロケ車の周りではスタッフさんがカメラなどの機材のチェックをしている。

 スタッフやプロデューサーと今日の流れを台本を見ながら確認した。

 商店街を歩いたあと、何個かの店を回る予定だった。

 お惣菜やご飯屋さんがメインだけど、それ以外のお店も回るみたい。

 オリジナルアクセサリーを作るお店もあるらしい。

 スタッフさんイチオシなのか、他のお店よりも店名の文字が大きく印刷されていた。


「ここでなにか買ってくれたら嬉しいんだけどなあ、プロデューサー?」

「来年の誕生日にでもな」


 軽くあしらわれてしまった。

 仕方ないか。今年のプレゼントはもう買ってあるんだろうしね。





 あとは撮影を開始するのを待つだけなんだけど、番組制作のスタッフさんは準備に手間取ってるようだった。

 今日も暑いし、あたしは一度プロデューサーの車に戻ることにした。


 プロデューサーが缶コーヒーを買ってきてくれたので、車の窓から受け取った。

 プロデューサーは車に寄りかかり、自分の分の缶コーヒーを飲む。
 
 あたしも開けたままの窓から顔を半分くらい外に出した。


「窓閉めろよ。冷房逃げるぞ」

「いいじゃーん、細かいことは気にしない」


 これの方がプロデューサーの顔もよく見えるしね。

 新商品の缶コーヒーは、程よく冷たく甘かった。

 コーヒーを傾けていたプロデューサーは懐に手を入れる。着信のようだ。

 画面を見ると渋い顔をした。車から離れて会話を始める。


(仕事の電話かな?)


 なんて思ったけど。


「ちょっと待てって……ああ……分かってる」


 砕けた表情や言葉遣いに、そうじゃないと分かった。

 親しげな様子だった。




 電話を終えたプロデューサーが戻ってくる。


「誰から電話?」

「あーいや、ちょっとプライベート」

「ふうん?」


 あたしがプロデューサーの顔を見上げていると、ぎこちなく視線の方向を変えた。


「それより、まだ始まんないんだな」

「だね」


 話を逸らすようだったが、あたしも同じことを思っていたので同意した。

 二人の視線の先には制作会社のロケ車があった。

 車の前では、スタッフさん達がなにか話をしているようだ。



「間が空いたからって気を緩めるなよ?」


 からかうようにプロデューサーは言ってきた。



「分かってるって、試合開始が遅れたからって、気が緩んだら打ち込まれちゃうからね」


 そこで誕生日プレゼントのことを思い出した。

 これはチャンスかもしれない。


「……あーでも、なにか素敵な物でも貰えたらもっと気が引き締まるかも」

「なんだよそれ」


 苦笑したプロデューサーだけど、あたしがジッと見上げていたら観念するように頷いた。


「分かったよ。まったく」


 運転席の扉を開けると足元を漁りだす。

 なにが貰えるんだろう。あの形、アクセサリーかな?

 ちょっとドキドキしていたあたしに、プロデューサーが差し出してきた。




 体の芯からサッと熱が抜ける。

 白いラッピングの小さな四角い箱。

 プロデューサーの鞄に入ってたものとは違っていた。




「……これは?」

「誕生日プレゼントだぞ」


 おずおずと箱を受け取ったあたしに、プロデューサーは首をかしげていた。


「なんだよ、どうかしたのか」

「……あのさ、プロデューサー――」

「すいませーん! プロデューサーさん。少しいいですか?」


 あたしの言葉を遮るように、スタッフが一人駆け寄って来た。


「なんですか?」

「ちょっとぉ、ねえ……」


 呼びとめても聞くはずなく。
 
 プロデューサーは飲みかけのコーヒーを車の屋根に置くと、ロケ車の方へ向かう。


 あたしは手の中の箱に視線を落とした。

 プレゼントを貰ったのは嬉しいけど……じゃあ、プロデューサーの鞄の中に入っていた包みはなんだったんだろう。

 単に、プロデューサーが自分に買ったもの?



 それとも、やっぱりプレゼントなのだろうか――あたしじゃない、誰かへの。





 プレゼントの包みを開けてみる。


 中身は、チョコだった。なんだかお高そうな奴。


 箱の中に藁みたいなのが敷かれ、色とりどりの包みで小分けに包装されていた。

 これもこれで嬉しいけど、まだプロデューサーの鞄の中に入っていた包みが気になった。

 別にあたしへのプレゼントでなくていい。他の誰かにあげたって。


 でも、あたしの誕生日にあげなくてもいいんじゃないかな。なんて。

 もしプレゼントだったら、あげる相手は誰だろう。


(あの、電話の相手かな……?)


 電話中のプロデューサーの気の置けない口調を思い出す。

 この仕事が終わったら、渡しに行くのだろうか。

 期待したあたしがバカみたいだった。


 チョコを一つ食べてみた。美味しいけど、缶コーヒーには合わなかった。





 窓の外を見ると、プロデューサーさんが戻ってくるところだった。

 表情が少し険しい。


「どうかしたの、プロデューサー?」

「いや、どうも連絡ミスがあったみたいで、相手方に撮影予定日が間違って伝わってたみたいなんだ」

「えっ」


 あたしは目を丸くする。それって結構まずい状態なんじゃない? 

 ロケ車の方を見ると、女性スタッフが今にも泣きそうな顔でこちらを見ていた。

 新人だと言っていたし、あの人が間違えちゃったのかもしれない。


「じゃあ、どうするの?今日は撮影しないの?」


 あたしも不安になった。あたしだって他の仕事がある。新しい日程だと出演できないかもしれなかった。

 そうなれば、代打の代打を出されてしまう。


「いや、ちゃんと今日やる。安心しろ」
 
 あたしを落ち着かせるようにプロデューサーは言った。


「今日撮影しなきゃ放送に間に合わなくなるらしいしな。
 事情を話したら、どの店も今日の撮影で問題ないって言ってくれたそうだ。
 ただ、お店も準備の手間とかあるから、予定はグチャグチャだぞ。それでもいけるか?」


 プロデューサーが確認してくる。

 撮影がおこなわれるなら、雨天だろうが嵐だろうが問題ない。

 あたしは力強く笑って見せた。


「任せてよ。どんな状況でも全力プレー!それがあたしのスタイルだからね!」





 そして仕事が始まった。

 とはいえ、やっぱり日にちが違うせいか、お店側も準備がかなり手間取ってるみたい。


 準備したかったのに、できなかったものもある。
最初のお惣菜屋さんはすぐに終わったけど、次の焼き鳥専門のお店は、仕入れの都合で珍しいネタを紹介できないことが不満げだった。

 そういうのは後撮りすることになるが、それがスタッフさんの間にも疲れを運んでいたようだった。

 時間もどんどん過ぎていく。
 
 予定時間の半分が過ぎても、まだ上の二つしか撮影できていなかった。


(まあ、あたしが焦っても仕方ないもんな)


 駅の近くにあった公園のベンチで両膝に肘をつき、あたしは頬杖を掻いていた。

 公園の前にあるのが、次の撮影するお店。慌ただしく働くスタッフさんたちを眺めていた。

 悲しいことに、あたしはこの後に用事はない。多少の遅れは問題なかった。

 遅くなって困るのは、ナイターを頭から観れないことぐらいか。

(相手はスター球団だし、問題ないでしょ)


 昨日の負けは忘れるに限る。ついでにあたしの誕生日のことも。






 焦っているのは撮影会社のスタッフさんだけじゃなかった。

 あたしはスタッフの合間にいるプロデューサーに目をやる。

 スタッフさんと話をしているプロデューサー。

 プロデューサーは一人になると、不安げに腕時計で時間を確認していた。

 この後に予定でもあるのかな。

 まだ仕事が残ってるとか言ってたけど。

 それともそれは嘘で、実は先客が?

 なんて想像しちゃのも、やっぱりあのプレゼントが気になってるからか。


「はあ……」

 
 ため息が溢れる。待ち時間が長いとそんなことばかり考えちゃう。


(こういうのは、らしくないと思うんだけどなー)






 誕生日だというのに、なんだか全部が噛み合わない。

 エースが好投して打線もヒットがたくさん出てるのに、得点圏で全然打てない感じ。

 で、こっちはしょーもないエラーや失投が積み重なって、一失点。


(0―1で敗戦ムード満載な感じだね)


 んーと唸ってて、眉間に皺が寄っていることに気が付いた。

 きっと今のあたしは、リリーフ投手が崩れた時の野球監督をみたいな顔をしてるだろう。

 あれだ、アイドルが仕事中にしちゃダメな顔だ。


「いけないいけない」


 表情を書き換える様に顔を両手で包むようにして揉んだ。


「友紀」


 プロデューサーが手を振ってくる。どうやらあたしの出番のようだ。

 細かいことを考えてる場合じゃない。
 
 負けてる時こそ、根性見せて気持ちで勝とうとしなきゃ!

 今は目の前の試合に集中。


「オッケー、行くよ!」


 あたしは立ち上がると、心のモヤモヤを吹き飛ばすように大きな声で返事をした。






――


 その後も撮影を続けて、残り一軒のところまでなんとかやってくることができた。

 ただ、そこで撮影終了の予定時間がやってきた。

 しかも最後の一軒というのが、あのオリジナルのアクセサリーを販売しているお店らしい。

 どうも、今日は用事で遠出をしていたらしく、こちらに戻ってくるまで、まだ三十分ほどかかるとのこと。

 それからの準備などを考えれば、一時間近くはオーバーするだろう。


「そんなにですか……」


 事情を説明されたプロデューサーは眉間に皺を寄せる。

 すっかり日が傾き、商店街は藍色のグラデーションが掛っていた。

 部活帰りだろうか、エナメルバックを持った女子高校生があたしに気が付いたようだ。

 こちらに向けて目を輝かせていたので、笑顔で手を振ってみると嬉しそうな声を上げた。

 彼女たちは何部なのかな、なんて考えながらあたしはプロデューサー達の話に耳を傾け直した。

 向こうのディレクターは困り顔の笑顔を浮かべていた。


「なんとかなりませんか。こちらの手違いでご迷惑をおかけしてるのは分かってますけど」

「もちろん、ならなくもないですが……」


 プロデューサーは口を結びながら逡巡させる。


「その店の紹介は、友紀抜きじゃいけませんかね」




「映像とナレーションだけで紹介することもできますよね」

「それもできますけど、こっちとしてもイチオシのお店なんで、やっぱり友紀さんに直接お願いしたいのですけど」

「ですけどねえ」


 渋るプロデューサーに、媚びるようなディレクターは笑みを浮かべたまま。

 その背後では、あの新人の女の人が怯えた様子でこちらを見ていた。

 先ほど、向こうのディレクターさんにすごい剣幕で怒られていた。思わずプロデューサーが止めに入ったほどだ。

 もしここで帰れば、また彼女は怒られるんじゃないかな。


「あたしは問題ないよ、プロデューサー」


 だからと言う訳ではないけど、あたしは口を挟んだ。

 嬉々が浮かぶディレクターさんと、安堵したようなアシスタントさん。


 
 だけど、プロデューサーはいい表情をしなかった。


「だけどな、友紀」

「いいじゃん。ここまで撮ったんだから待ったって」



 プロデューサーが急ぐ理由はなにかあるのかな。


 お仕事? それとも。






「遅くなってなにか困ることでもあるの?」


「それは……」


「それは?」


「……仕事とか残ってるし」


「それだけ?」


「……友紀だって今日は早く帰れた方がいいんじゃないか?」




 誕生日だから。そう言いたいのかな。

 オレンジ色の包みが頭の中でチラついた。






「気にしなくたっていいよ」


 あたしは誰かと違って


「どうせ予定なんかないし」


 待っている相手なんか誰もいないから


「いくら遅れたって」



 誕生日に一人で過ごすことに比べたら




「あたしは問題ないんだから!」







 ハッとなる。無意識に声を荒げていた。

 自分でもびっくりして、プロデューサーに顔を見た。


「友紀……?」


 プロデューサーは困惑したようにあたしを見下ろしていた。

 なんだか気まずくなって、あたしは顔をそらした。



「……だから、いいよ。プロデューサーに用事があるなら、先に帰っていいし」


 強がりから、素気なく振る舞おうとする。

 目を閉じてプロデューサーからの抗議を全部拒否。

 プロデューサーのため息が聞こえた。

 瞼を開けると、プロデューサーが頭を掻いていた。



「分かったよ……ちょっといいですか?」


 後ろはディレクターさんに投げた言葉。それから少し距離を取って、誰かに電話していた。


「……から……ああ、それで…………うん……」


 親しげ。仕事関係の口調じゃなかった。

 通話を終えたプロデューサーは、ゆっくりと戻ってきた。



「分かりました、こちらも問題ないです」





 それから、待ち時間は商店街の一角にあったコーヒーチェーンで過ごした。

 ほとんどプロデューサーと会話をすることはなかった。

 プロデューサーはなにか話そうとしたが、あたしの反応からか、今できる仕事を処理し始めた。

 あたしはスマホで野球の速報を見ていた。三回裏まで0対0。プロデューサーにばれない程度に息をついた。


 結局、アクセサリー店の店主がやってきたのは、四十分経ってからだった。

 若いお兄さんを想像していたけど、三十過ぎの優しそうな女性の人だった。
 
 こちらのミスだというのに怒った様子もなく、丁寧に頭を下げてきた。

 あたしまで申し訳なくなって、スタッフさんと一緒に頭を下げた。


 それからお店のシャッターを開けてもらう。

 スタッフさんが店内での撮影の準備をしている間、あたしは店内を見させてもらった。

 細い金属を曲げて形作られたアクセサリーの数々。

 でも、不思議と温かみがあった。





 写真ではもう見てたけど、実物だとより素敵だった。

 気持ちを伝えたくなって、奥の工房で一人準備を進めていた店主の元に行く。


「凄いですね、これ!」


 店主さんは照れくさそうに笑みを浮かべていた。


「そんな大したものじゃないですけど」

「カッコいいし、でも優しい感じがするし!」

「いえいえ、そう感じるのは、きっと貴方がそういう人だからですよ」

「えっ? いやー」


 あはは、と頭を掻いたけど。

 少し前の自分の態度を思い出して、気分が下向く。



「……どうですかね。そんな人じゃないですって、あたし。
 うまくいかないとイライラしちゃうし、八つ当たりだって。
 ……良くないって分かってるんだけど」


 口すると、テンションもどんどん下がった。

 溜息をついたあたしに、店主さんは穏やかな笑みを浮かべた。


「そんなものですよ。優しいからって、聖人君子じゃないんですから」

「でも、店主さんはすっごく優しそうじゃないですか? ぜったい怒らなそう」

「そんなことないですよ? 実は今も、はらわたが煮えくり返りそうですもん。日にちを間違えるなんて何事かーって」


 ふざける様に顔をしかめた店主さんに、あたしも思わず笑ってしまった。





 やがて撮影が始まった。店内での簡単な紹介の後に、アクセサリーを作っている工程を実演してもらった。

 真剣な眼差しで仕事に向かう姿に、あたしも見とれてしまった。



 そして撮影が終わった頃には、完全に当たりは真っ暗になっていた。
 

「お疲れ様でーす!」


 小さく息をつく。色々あったけど、このお店が最後でよかったな、なんて思った。


「ほら、行くぞ」


 ……そんなあたしの情緒を無視して、プロデューサーはあたしを急かしてくる。



「別にいいじゃん、もう仕事も終わったんだからゆっくりしても」

「そうは行かないんだけよ。もう待ちくたびれてるだろうし」

「それはプロデューサーの都合でしょ! あたしを待ってるのはねこっぴーぐらいだもーん」


 ふんっと腕を組んだあたしだが、そこでプロデューサーは懐に手を入れ、スマホを取り出した。


「噂をすれば……」


 と、プロデューサーは振動するスマホを差し出してきた。






「え、なに? プロデューサーの電話でしょ? プロデューサーが――」

「いいから」


 押しつけられたスマホに訝しく思いながら画面を見下ろす。『高垣楓』と浮かんでいた。

 楓さんから? あのプレゼントを渡す相手って、楓さん?

 プロデューサーはもう歩きだしていた。状況が呑み込めないまま電話に出る。


「か、楓さん?」

『あら……』


 少し驚いた様子の楓さん。
 
 その背後では騒がしく声が反響していた。どこかのお店にいるようだ。


『プロデューサーさん、ずいぶんと随分と可愛い声になりましたね』

「いやいやいや、あたし。友紀だよ」

『なにー? 友紀ちゃーん?!』


 聞き覚えのある大きな声が割り込んでくる。


「その声って、早苗さん?!」

『あたし以外誰だと思ってるのよー? お仕事終わったー?』

「う、うん」

『だったら早く来なさいよね~。みんな待ちくたびれちゃって飲みくたびれちゃってるよ~』


「待ちくたびれるって、うえ?」




 みんな用事があったんじゃないの。頭に? が並んだ。






『ちょっと、ごめんなさい……』


 後ろの騒音が小さくなっていく。どうやら楓さんは席を立ったようだ。


「ねえ、もしかして。用事があるのって、ウソ?」


 楓さんが移動する間に、あたしも状況がのみ込めてきた。

 確認するように尋ねたあたしに、残念そうに楓さんは言った。


『あらあら、サプライズ失敗みたい』

「サプライズ?!」

『そう、実はみんなの予定って、このサプライズだったの』

「そうだったんだ……でも、プロデューサーなにも……」

『秘密にしててってお願いしたの、サプライズだから。お仕事が伸びるのは予想外だったけど。
 予約時間が来ちゃってたから、先に始めさせて貰ってるわ。ごめんなさいね』

「それはいいんだけど……」


 肩からドッと力が抜ける。





『ええ。だから早く来てね、もうみんないい感じにお酒が回ってるから。
 遅くなると、みんなの介抱を友紀ちゃんがすることになっちゃうわよ』

「うん、分かったよ。大急ぎで行くから!」


 電話を終え、車の前にいたプロデューサーにスマホを返す。


「と言う訳だよ。話したかったんだけど、口止めされてて――」

「それは聞いたよ……でも、なにか一言いってくれてもいいじゃん!」


 これじゃあ、拗ねてた自分が馬鹿みたいじゃないか。

 頬を赤くしたあたしをプロデューサーは短く笑った。


「悪かったって。ともかく早く行こう。主役の登場は遅い方がいいって言うけど、今日はちょっと遅れすぎだ」






 プロデューサーの車に揺られて、あたしは自分の『サプライズ』パーティーが行われているお店に向かった。

 暗い車の中でも穏やかな空気が漂っていた。

 ラジオからは野球の中継が流れている。
 
 さっきまで負けていたけど、ちょうど同点打が出て思わず声を上げた。

 
 そこで車は、お店の入っているビルの前についた。

 もう少しラジオを聴いていたかったけど、これ以上みんなを待たせるわけにもいかない。


 あたしは車から降りる。

 だけど、プロデューサーは車から降りず運転席の窓を開けた。


「じゃあ楽しんで来いよ」

「プロデューサーは来ないの?」

「言ったろ? 仕事が残ってるって。もう少し早く終わったら最初だけでも参加しようと思ってたけどさ」


 苦笑したプロデューサー。オレンジ色の包みを思い出した。

 プロデューサーにもみんなと一緒に祝ってもらえないのは残念だけど、仕方ないよね。







「今日はごめん、プロデューサー。あたしのわがままで遅くなっちゃって」

「いいよ。向こうのディレクターさんも喜んでたしさ」

「もっと喜ばしたい相手は別にいるでしょ?」

「なんのことだよ」

「分かってるんだよプロデューサー。ほら、早く行ってあげなきゃ」

「行ってあげなきゃって……ちひろさんだってもう帰ってるぞ」

「へえ、あげる相手はちひろさんだったんだ?」

「はっ?」


 プロデューサーはまるでとぼけるように首をかしげた。

 あたしは窓枠に腕をつき、プロデューサーに顔を近づけた。

 体を引いたプロデューサーに、あたしは笑みを浮かべる。


「誤魔化さなくたって良いって。この後デートでしょ?」

「はあ?」


 大きく口を開けたプロデューサー。

 この期に及んで往生際が悪い。





「あたし、実は見ちゃったんだよねー。オレンジ色の包み」

「えっ」


 プロデューサーは言葉を詰まらせると、気まずそうにあたしから視線を反らした。

 図星だったようだ。


「あれは……その……」


 言葉を濁すプロデューサーに笑ってしまう。

 あたしの誕生日に他の人に会うのだから、少しはからかってもいいでしょ?


「いやあ、羨ましいですなあ。プロデューサーさんから素敵なプレゼントが貰えるなんて。
 きっと泣いて喜んじゃうよ、その人。ひいきの球団が優勝したときぐらいに!」

「……あのなあ」

 はあ、と深く息をついた。恥ずかしそうに頬を赤くしていた。

 それから、足もとの鞄に手を入れて、例の袋を取り出し、


「ほれ」



 ……ほれ?




 あたしは目が点になった。
 


 オレンジ色の包みが、あたしの前に差し出されていた。



「えっと……なに?」

「なにじゃないよ。素敵なプレゼント」

「チョコ、貰ったよ?」

「チョコだけでいいのか?」


 結局、あたしは押し付けられるようにプレゼントを受け取った。


「泣いて喜ばないのか?」

「……もう、からかわないでよプロデューサー。これ他の人にあげるのでしょ?」

「いいや、お前にだよ」


 あたしは笑ったけど、プロデューサーは笑わなかった。


「開けてみりゃ分かる」


 あたしは手の中の包みに目を落とし、真っ赤なリボンに手をかけようとして。 


「……良いの? 本当に」


 もう一度確認する。ごまかすために自棄になってるんじゃないだろうか。





 だけどプロデューサーは深く顎を引いた。


「ああ、早く開けろよ。誤解されたままは癪だからな」


 おずおずと、リボンを解いて包みを開く。



「あっ……」


 あたしは思わず言葉を漏らした。

 包みの中身から出てきた箱。


 その表面にはキャッツのマークが刻まれていた。


 箱を開けると、中からはキャッツのマスコットが二匹。

 ねこっぴーの顔を模ったピアスだった。


「これって……」


 見覚えがあった。キャラクターグッズのチラシに乗っていた限定商品だ。
 
 あたしは片方を持ち上げて顔の前に掲げる。

 ねこっぴーとプロデューサーの顔が重なった。






「なっ。お前専用のプレゼントだろ?」

「そうだけど……え、なんで?」

「なにが?」

「なんで最初からこれくれなかったの?」


 あたしが言わなければ、プロデューサーはこれを渡してくれないまま車を発進させたはずだ。

 プロデューサーは照れくさそうに頬を掻いた。

「いや、ほら……前に球場でラジオの放送やっただろう。その時にグッズ売り場行ったら見つけてさ。
 誕生日も近いし、友紀なら似合うかなって思って買ったんだけど、その後で気付いたんだ。
 友紀、最近ピアスしてるの見ないなーって……」

「……だからあんなこと訊いてきたんだ、プロデューサー」


 仕事場に行く途中の質問を思い出す。

 なにがちょっとした参考か。単にあたしに渡すべきか悩んでいたから、訊いてきただけだったのか。





「普段使わない物を貰っても仕方ないだろ? 使わなそうだからチョコにしたんだけど
 ……見られてたか、プレゼント」


 どうやら、チョコになったのも気遣った結果だったらしい。

 わざわざ二つもプレゼント用意しとくなんて、気がきくというか、気遣いすぎというか。

 おかげで意味もなく悩んでしまったじゃないか。

 力が抜けたあたしに、プロデューサーは苦笑する。


「まあ、貰っといてくれよ。いらないとは思うけど」

「いらなくないって! 嬉しいよ、すっごく嬉しい!」


 あたしはプレゼントを胸に抱え、ぶんぶんと首を横に振る。



「普段使いはしづらそうなデザインじゃないか?」

「まあ、そかもしれないけど……ほら、応援の時とかさ! つけてったら気合も入りそうだし!」




「そうか?」


 プロデューサーは頬に赤みを残しながら、はにかんだ。


「喜んでくれたなら、良かったよ」



 カッと顔が熱くなった。

 いつもと変わらない笑顔なのに、なんだか照れくさくなって直視できなかった。


「ほら、早くいけよ。楓さんたちも待ってるぞ」

「そうだね……プロデューサー」

「なんだよ」


 あたしは、手に持っていた箱を小さく揺らし、微笑んだ。


「ありがとね」

「ああ、こっちこそ。誕生日おめでとう」


 プロデューサーは窓を閉めて車を発進させる。
 
 その姿が見えなくなるまで、あたしはプロデューサーの車を見送った。






―――
――


「たっだいまー!」


 真夜中、真っ暗な部屋の中にあたしは近所迷惑も考えずに元気よく挨拶した。

 当然返事は返ってこない。返って来たら即座に110番だ。


 廊下の電気をつけて、陽気な気分で部屋に向かう。

 足もとふらふら、意識もふらふら。気持ちはふわふわ。

 思いっきり飲んでしまった。

 楓さんや早苗さん、志乃さんに洋子ちゃんやあいさんとか、色んな人集まってくれていた。

 プレゼントもたくさん貰って、大きな紙袋に入れて持って帰ってきた。

 部屋の明かりをつけて時計に目をやる。零時を過ぎて、あたしの誕生日は終わっていた。


「うー、楽しかったー」


 荷物を置いて、あたしは畳に倒れこむ。

 楽しくて飲み過ぎて、家の前まであいさんに送ってもらってしまった。


 次会った時はちゃんとお礼を言おう。覚えてたらだけど。




 畳部屋ではいつものように出迎えてくれたねこっぴーを抱きしめる。


「楽しかったよーねこっぴー!!」


 それから、少し離れてねこっぴーと見つめ合う。


「ほんと、今日は楽しかったなぁ。羨ましいでしょう?」


 えへへ、とあたしは笑う。

 夕方まではどうなるかと思ったものだったが、今はすっかりいい気持ちだ。


 思い返してみれば悪い日じゃなかった。

 代打で入った撮影も結果的にはうまくいったし、むこうのスタッフさんとも仲良くなれた。

 商店街の店の人たちも優しかった。今度、プライベートで行ってもいいかもしれない。


 最後は事務所のみんなに祝福されて、すっごい幸せだった。

 こんな誕生日も悪くない。この仕事を始めて、いろんな人に出会えて。


 なにより……




 ねこっぴーの顔を見つめているうちに、顔から笑みが抜けていった。

 ぬいぐるみを離し、ゆっくりと半身を起こす。

 あたしはプレゼントに目を向けた。

 紙袋じゃなくて、あたしの鞄の方を。

 ふらつきながら近づいて、中から貰った箱を取り出した。


 しばらく座ったままそれを見ていたけど、思い立って洗面台へ向かう。

 鏡の前で箱を開けると、ねこっぴーが二匹現れた。

 よく見れば、元からうちにいる子より凛々しい顔だ。

 
 あたしはピアスを着ける。

 久しぶりだからか、少し戸惑った。

 閉じかけた穴に無理やりいれた。

 鈍い痛みがじわりと広がる。酔ってるお陰か思っているほどではない。







 ヒリヒリとする耳に気を使いながら、見やすいように髪をかき上げた。


(うん……結構いい、かな?)


 鏡を見つめる。

 今は、ピアスを着けたあたしだけが写っていた。


(可愛いって、言ってくれるかな……)



 いつものように、褒めてくれるだろうか。


 いつものように、笑ってくれるだろうか。



     プロデューサー……――



「……ッ」



 胸の奥で何かが跳ねた。

 そこから生まれた小さな熱は、一瞬にして体中を駆け巡りあたしの体温を引き上げた。

 鼓動が強くなった。脈が速くなった。なんだか頭がくらくらしてきた。

 鏡の中の自分を改めて見る。




 あたしは、真っ赤になっていた。





「あ、あはは……お酒飲み過ぎちゃったかな?」


 額に手を当てながらあたしは苦笑した。


 どうやら羽目を外し過ぎたようだ。


「……今日はもう寝よ」


 外したピアスをテーブルに置くと、お風呂に入らないで布団に飛び込んだ。


 目をつぶる。まだ体の奥が熱い。


 いつものドキドキとも、ワクワクとも違う。

 酔っ払い過ぎたのか、それとも。
 

 そのなにかに気付くには、もう少し時間が必要かもしれない。


 じんと痛む耳に意識を向けながら、あたしは静かに眠りに落ちていった。





――姫川友紀「好きって気持ち、少しまえ」《終》

ハッピーバースデーユッキ。

過去作です。

【デレマス】姫川友紀「美羽ちゃん。あたし、プロデューサーのこと――」

【モバマス】奏「サマーインザミラー」
 
ゆかり「キューティーラジオ♡」杏「ラジ、オ?」


 よろしければどうぞ。


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