難聴の僕と盲目の彼女 (38)

僕の世界から音が消えたのは休み時間も終わろうとしていた頃だった。
 その日は席替えがあって運が悪いことに僕は一番前の席になってしまった。
休み時間に話す程の友人がいない僕はイヤホンをつけて大好きな音楽をいつものように聞いていた。
後ろから感じる怪訝そうな目線は気にしないことにした。
イヤホンから流れる音が止まってしまったとき、ついに壊れてしまったかとため息をついた。
もう2年も同じものを使っていてそろそろ変え時か、と思っていたからそんなに驚きはしなかった。
しかしイヤホンを外した時、教室が無音であったことに僕は驚くことになる。
もしかしたら次は移動教室で僕だけ取り残されたのではないかと考えた。
しかし確認するために後ろを振り向くのはためらわれた。
振り返った瞬間、皆の視線が自分に向いてしまう恐怖があったからだ。
 その後耐え難い頭痛が襲ってきて僕は椅子から転げ落ちた。周りを見る余裕なんてなかったけど、
視界にはいつも通り男子も女子もサルみたいに騒いでいる光景を捉えることが出来た。
先生がちょうど教室に入ろうとしていたみたいで慌てて僕の方へやってきた。
先生は口を大きく開けて何かを叫んでいたけれど僕には何も聞こえなかった。
僕が倒れたことで2-1の教室は本当の意味で静寂に包まれることになっただろう。

目を覚ました時、僕は病院にいた。隣にいた看護師が僕に目線を合わせて話しかける。
「なんて言っているのか聞こえない」と僕は答えたが自分の声すら聞き取れない。
物わかりの悪い僕でもその時、気付いてしまった。そうか、僕は耳が聞こえなくなってしまったのか。


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大変なのはコミニュケーションがほとんどとれなくなってしまったことである。
病院にいる看護師は耳が聞こえないことを知っているからいいけれどそれ以外の人とはまともに会話ができない。
手話もある程度は覚えたけど自分が障害者だと強く自覚してしまうのが嫌で必要以上に使おうとはしなかった。
 なにより僕を憂鬱にさせたのは音楽を聞くことが出来ないことだ。
どれだけ耳の奥にイヤホンを差し込んでもあの素晴らしい音楽は流れてはくれない。
BGMのように垂れ流しにしていたのはどれだけ贅沢なことだったんだろう。
こんなことならCDが擦り切れるくらいに聞いておくんだった。後悔してももう遅い。

それから3週間がたって僕の友達、というか知り合いがお見舞いに来てくれた。
きっと卒業したら連絡は取らなくなるだろうなーくらいの。
沢山のフルーツをどこかの漫画で見たようなバスケットに入れて持ってきてくれた。僕は素直にそれが嬉しかった。
 とは言えやはり友達とのやり取りは困難だった。
この3週間ずっと看護師と口の動きを見て会話をする練習をしてきたけど、3人の会話についていくのは難しかった。
楽しそうに会話をする3人を見て僕は愛想笑いを浮かべた。
同時に自分の耳が聞こえないことを強く自覚させられた。
 最初3人は僕の耳が聞こえないことに触れてこなかった。例えば芸人が浮気をしたとして、それをネタにされていじられるかいじられないかはその人の人柄によると思う。
僕はどっちかというと前者だったので自分の話になったときに耳が聞こえないことを軽くいじられた。
その行為は侮辱とかでは全くなくて、確かに普段僕をからかう彼らが耳が聞こえないことにいつまでも触れないのは逆に不自然ですらある。
だから彼の発言は場を和ませて、うまく僕を会話の輪に入れようとする100点満点のいじりだった。
でも今の僕にはそれを許す心の器がなくなっていた。
「うるさい!!帰れ!」と気付けば叫んでしまっていた。厳密にいえば『叫んだ』かどうかは僕には分からない。でも彼らの呆気にとられた表情を見れば大体予測はついた。
ついでに近くを通りがかった看護師さんが喧嘩かと勘違いして、僕の見舞いに来た3人は困惑した表情のまま帰らされてしまった。
きっと帰りの電車で頭がおかしくなったと言われるんだろうな。耳が聞こえないのに、うるさい、なんてそれこそ馬鹿にされそうなセリフだった。
戻りたい。本当なら人の歩く音やベッドが軋む音、外では蝉の大合唱に窓から吹き込む生暖かい風の音が聞こえるはずなのに。
なんで僕なんだ。やり場のない怒りをベッドにぶつけたとき初めて僕は涙を流した。
泣きじゃくる声はなるべく抑えたつもりだったけどそれが他人に聞こえる大きさだったかどうか僕には分からなかった。





僕が毎日のように枕を涙で濡らし、生きる意味のようなものを失いかけていた頃、
空きになっていた隣のベッドに彼女がやってきた。

隣に新しく入院してきた彼女の第一印象は最悪に近いものだった。
なんと隣にやってきた彼女はベッドに座ってイヤホンで音楽を聴いていたのだ。
なんとも幸せそうな顔をしていてそれが羨ましくてなにより恨めしかった。
彼女の前では決して泣かなかったけど、代わりに夜になると涙が洪水のように目から零れた。
彼女にばれるといけないから声は出さないように必死でこらえた。
今まで沢山泣いてきたせいか音を出さずに泣くことは容易になっていた
このときはまだ自分のことで精いっぱいで、何故彼女が入院しているかなんて考える余裕は無かった。
ただ足取りが重そうだったので足を怪我しているんだろうとその時は思った。

ある日のことだ。
いつものように隣を見れば彼女が音楽を心地よさそうに聞いていてそれを見て少しブルーな気持ちになる。もう見慣れた光景だった。
僕はトイレに行こうとベッドから降りてスリッパを履いた。
そして彼女のベッドを通りすがったとき、僕は袖を引っ張られた。
彼女がベッドから身を乗り出して僕の袖を掴んでいた。
「なにしてるんですか?」少し強めの口調で彼女に言った。すると彼女は笑顔で
「よかったら聞きますか?」と片方のイヤホンを僕に差し出してきた。
なんで慰められるようなことをされているのか?一つだけ心当たりがある。
きっと僕が毎晩泣いていた声が彼女に聞こえてしまったのだろう。
僕は耳が聞こえないことへの侮辱とも取れる行為と泣き声を聞かれていたことへの恥ずかしさもが相まって、
彼女にありったけの暴言を吐いていた。
彼女を罵倒しながら思う。彼女に怒りたかったわけじゃないんだと。
誰でもいいから難聴を馬鹿にするやつが出てきて、そいつを悪者扱いすることで自分を正当化したかった。
一通りの罵詈雑言を浴びせた後、僕は差し出された手をはたいた。
手を出すのは少しやりすぎたと思うけど後には引けなかった。
イヤホンが落ちてそれにつられて彼女の膝元にあった携帯がカラカラと音を立てて落ちた。
僕はそれを見てやっと我に返った。トイレに行きたかったことなど忘れて自分のベッドに戻った。
 僕にあんなことを言われてどんな顔をしてるんだろうとちらっと横を見ると彼女はひどく混乱しているように思えた。そりゃそうだ。
彼女は善意でイヤホンを差し出してくれたのにまさかキレられるとは思ってなかっただろう。
理不尽さで言えば優先席を老人に譲ったら『年寄り扱いするな』と返されるくらいには理不尽だ。
でも彼女が混乱していたのは、決して僕が怒りを露わにしたことではなかった。僕はそのわけを目撃してしまう。
――彼女はぺたぺたと手を床につけて携帯の位置を模索していたのだ。
ちょうど彼女の真下にある携帯を彼女は見つけることが出来ずにいたのだ。
そして物わかりの悪い僕は気付いてしまった。

彼女は目が見えないんだと。

「私も悪いことをしました。でも耳が聞こえないなんて初見では分からないですよ。私は暴言を吐かれることに慣れているからいいですけど、ほかの女の子ならトラウマものですよあんなことされたら」
「ちょ、ちょっと待って」慌てて彼女の言葉を遮った。彼女は柔らかそうな物腰とは対照的に口がよく動いていた。
「もう少しゆっくり喋ってくれないか?僕は耳が聞こえないんだって」
「そうでしたね。こ、れ、く、ら、い、の、は、や、さ、な、ら、だ、い、じょ、う、ぶ、で、す、か?」
「もう少し早くても大丈夫だけど、まだ口の動きで言葉を読み取るのに慣れていないんだ」
「分かりました」
「それでさっきはなんて言ったんだ?」そういうと彼女はため息を吐いた。
「一つ条件を呑んでくれたら許してあげるといったんです」
「ああ、耳の聞こえない僕にできることなら」
「ええ、耳の聞こえないあなたにしか出来ないことです」僕は彼女の言葉をうまく飲み込めなかった。
耳の聞こえない人間が出来ることは耳が聞こえる人間なら出来ることであって、
僕はその劣等感に日々悩まされてきたのだ。僕にしか出来ないことがあるならそれはひとつの救いだ。
そして彼女の提案はまさに耳を疑う提案だった。
「あなたの耳が聞こえないことを馬鹿にしたいんです」僕はその言葉の意味を必死で考えた。
「えっと、やっぱりまだ怒ってるの?」
「いえ、そういうわけではないですよ。もっと具体的に言えば毎日私が寝る前に子守歌のように言ってくれたらいいんです。耳が聞こえないのはこういうとこが不便だ、不幸だ、って」
「そしたら君は『やーい、つんぼつんぼ』って僕を馬鹿にするのかい?」
「そんな小学生みたいなことはしませんけど、まぁ似たようなもんです」彼女の言っていることは理解しがたかった。
「普通はハンディキャップを抱える者同士頑張ろうってなると思うんだけど……」
「そんなこともう何十回としてきました。でもそれは傷の舐めあいにしかならないって気付いたんです」確かに中途半端な優しさは返って人を傷付つけることはある。耳が聞こえないつらさは耳が聞こえない人にしかわからないし目が見えないのも同義だ。だから本質的なことを言えばお互い頑張りましょう、なんてただの綺麗事に過ぎないのかもしれない。
彼女は最後にこう締めくくった。
「誰かすっごい悪い人間が現れて私にこう言うんです。『目が見えない人生なんて死んだ方がましなんじゃないのか』って。そしたら私はその人に今まで溜め込んできた負の感情を全部ぶつけることが出来る。でも私の周りにそんな人はいない。皆私を憐れむか、陰でめんどくさがるか。だからこれはあなたにしかできないことなんです」
僕も彼女に暴言を吐いた時に同じ事を思ったから彼女の言うことは納得できた。
「分かった。確かにそれは僕にしか出来ないことだ」
「今日はしゃべりすぎて疲れました。では明日の夜からお願いしますね」そう言って彼女は横になって眠っていった。

こうして僕と彼女の間に契約が結ばれ、おかしな関係が出来上がってしまったのである。

隣に新しく入院してきた彼女の第一印象は最悪に近いものだった。
なんと隣にやってきた彼女はベッドに座ってイヤホンで音楽を聴いていたのだ。
なんとも幸せそうな顔をしていてそれが羨ましくてなにより恨めしかった。
彼女の前では決して泣かなかったけど、代わりに夜になると涙が洪水のように目から零れた。
彼女にばれるといけないから声は出さないように必死でこらえた。
今まで沢山泣いてきたせいか音を出さずに泣くことは容易になっていた
このときはまだ自分のことで精いっぱいで、何故彼女が入院しているかなんて考える余裕は無かった。ただ足取りが重そうだったので、足を怪我しているんだろうとその時は思った。



ある日のことだ。
いつものように隣を見れば彼女が音楽を心地よさそうに聞いていてそれを見て少しブルーな気持ちになる。
もう見慣れた光景だった。
僕はトイレに行こうとベッドから降りてスリッパを履いた。
そして彼女のベッドを通りすがったとき、僕は袖を引っ張られた。
彼女がベッドから身を乗り出して僕の袖を掴んでいた。
「なにしてるんですか?」少し強めの口調で彼女に言った。すると彼女は笑顔で
「よかったら聞きますか?」と片方のイヤホンを僕に差し出してきた。
なんで慰められるようなことをされているのか?一つだけ心当たりがある。
きっと僕が毎晩泣いていた声が彼女に聞こえてしまったのだろう。
僕は耳が聞こえないことへの侮辱とも取れる行為と泣き声を聞かれていたことへの恥ずかしさもが相まって、彼女にありったけの暴言を吐いていた。
彼女を罵倒しながら思う。彼女に怒りたかったわけじゃないんだと。
誰でもいいから難聴を馬鹿にするやつが出てきて、そいつを悪者扱いすることで自分を正当化したかっただけなんだ。
一通りの罵詈雑言を浴びせた後、僕は差し出された手をはたいた。
手を出すのは少しやりすぎたと思うけど後には引けなかった。
イヤホンが落ちてそれにつられて彼女の膝元にあった携帯がカラカラと音を立てて落ちた。
僕はそれを見てやっと我に返った。トイレに行きたかったことなど忘れて自分のベッドに戻った。
 僕にあんなことを言われてどんな顔をしてるんだろうとちらっと横を見ると彼女はひどく混乱しているように思えた。そりゃそうだ。
彼女は善意でイヤホンを差し出してくれたのにまさかキレられるとは思ってなかっただろう。
理不尽さで言えば優先席を老人に譲ったら『年寄り扱いするな』と返されるくらいには理不尽だ。
でも彼女が混乱していたのは、決して僕が怒りを露わにしたことではなかった。
僕はそのわけを目撃してしまう。
――彼女はぺたぺたと手を床につけて携帯の位置を模索していたのだ。ちょうど彼女の真下にある携帯を彼女は見つけることが出来ずにいたのだ。
そして物わかりの悪い僕は気付いてしまった。

彼女は目が見えないんだと。

 目が見えないのに勇気を出して僕に話しかけてくれたとか、
音楽しか楽しむことがないのではないかとか、
心無いことをいってしまったとか、
とにかく自責の念が体の内側から溢れてきた。
僕は携帯を彼女に渡してひたすらに謝っていた。土下座をして床に何度も頭を叩きつけて謝った。
どれだけ誠意を体で伝えたって目の見えない彼女に伝わるはずがないのに。でもそうしないと気が済まなかった。


「私も悪いことをしました。でも耳が聞こえないなんて初見では分からないですよ。私は暴言を吐かれることに慣れているからいいですけど、ほかの女の子ならトラウマものですよあんなことされたら」
「ちょ、ちょっと待って」慌てて彼女の言葉を遮った。彼女は柔らかそうな物腰とは対照的に口がよく動いていた。
「もう少しゆっくり喋ってくれないか?僕は耳が聞こえないんだって」
「そうでしたね。こ、れ、く、ら、い、の、は、や、さ、な、ら、だ、い、じょ、う、ぶ、で、す、か?」
「もう少し早くても大丈夫だけど、まだ口の動きで言葉を読み取るのに慣れていないんだ」
「分かりました」
「それでさっきはなんて言ったんだ?」そういうと彼女はため息を吐いた。
「一つ条件を呑んでくれたら許してあげるといったんです」
「ああ、耳の聞こえない僕にできることなら」
「ええ、耳の聞こえないあなたにしか出来ないことです」僕は彼女の言葉をうまく飲み込めなかった。
耳の聞こえない人間が出来ることは耳が聞こえる人間なら出来ることであって、僕はその劣等感に日々悩まされてきたのだ。僕にしか出来ないことがあるならそれはひとつの救いだ。
そして彼女の提案はまさに耳を疑う提案だった。
「あなたの耳が聞こえないことを馬鹿にしたいんです」僕はその言葉の意味を必死で考えた。
「えっと、やっぱりまだ怒ってるの?」
「いえ、そういうわけではないですよ。もっと具体的に言えば毎日寝る前に子守歌のように言ってくれたらいいんです。耳が聞こえないのはこういうとこが不便だ、不幸だ、って」
「そしたら君は『やーい、つんぼつんぼ』って僕を馬鹿にするのかい?」
「そんな小学生みたいなことはしませんけど、まぁ似たようなもんです」彼女の言っていることは理解しがたかった。
「普通はハンディキャップを抱える者同士頑張ろうってなると思うんだけど……」
「そんなこともう何十回としてきました。でもそれは傷の舐めあいにしかならないって気付いたんです」確かに中途半端な優しさは返って人を傷付つけることはある。耳が聞こえないつらさは耳が聞こえない人にしかわからないし目が見えないのも同義だ。だから本質的なことを言えばお互い頑張りましょう、なんてただの綺麗事に過ぎないのかもしれない。
彼女は最後にこう締めくくった。
「誰かすっごい悪い人間が現れて私にこう言うんです。『目が見えない人生なんて死んだ方がましなんじゃないのか』って。そしたら私はその人に今まで溜め込んできた負の感情を全部ぶつけることが出来る。でも私の周りにそんな人はいない。皆私を憐れむか、陰でめんどくさがるか。だからお互いにどれだけ不幸か言い合って馬鹿にし合おうじゃありませんか」
僕も彼女に暴言を吐いた時に同じ事を思ったから彼女の言うことは納得できた。
「分かった。確かにそれは僕にしか出来ないことだ」
「今日はしゃべりすぎて疲れました。では明日の夜からお願いしますね」そう言って彼女は横になって眠っていった。

こうして僕と彼女の間に契約が結ばれ、おかしな関係が出来上がってしまったのである。

すいません。10書き間違えましたので飛ばして読んでください。

「夕食も済ませましたし、では話しますか」
「うん、確か耳が聞こえなくてつらいことを言えばいいんだよね」
「そうです。その話を聞いてもちろん私は容赦なくあなたを罵倒するつもりですが」
「一応この間まで自殺を考えていたくらいだしお手柔らかに頼むよ」僕は苦笑いを浮かべた。
「冗談ですよ」と彼女は返した。

「そうですね。テンプレな質問ですが耳が聞こえなくて一番つらいことでも話してもらいましょうか」
「音楽が聴けないことかな」僕は即答した。
「いやいや、もっとないんですか。コミニュケーションがとれない方が痛手でしょう」
「そもそも会話をする友達がほとんどいないからね。話した文字数で言えば君が一番多いんじゃないかな」
「私に暴言を吐いたとき、かなり文字数を稼ぎましたからね」
「その節はすいませんでした」

「そうだなぁ、僕は思ったよりつらかったことがあって」
「そうそう。そういうエピソードを待ってたんですよ」
「耳が聞こえなくなって初めて、たくさんの音が聞こえてたってことに気付いたんだ」
「まぁ……そりゃあそうでしょうね」
「耳を塞げば言いたいことが分かると思う。セミのやかましい音はもちろんだけど、小鳥のさえずりとかも全部聞こえなくなるんだ。後は……スーパーのBGMとか、体育館で聞く雨の音とか。そういう今までなんとなく聞いていたものが聞こえなくなるのってすごく寂しいことだって気付いたんだ」
「探せばもっとあるでしょうね」
「まぁ一番は音楽が聞けないことなんだけど」
「まだいいますか。それにしても耳が聞こえなくなるのはやっぱり最悪なことですね」
「そう言えば僕のことを馬鹿にするんだったね」
「あなたが呑んでくれた条件ですから」
「それもそうだ」


「次は僕が質問してもいい?」

「はい、どうぞ」

「目が見えなくて一番つらいことは?」

「オウム返しとは卑怯な」

「だってこれしか思い浮かばなかったから。というか大体答えは予想できるけど」

「ぜひ言ってみてください」

「ずばり素敵な景色が見えないことだ」

「残念、はずれです」

「外を出歩けないことだ」

「確かにつらかったですけど、もう慣れましたねー」

「無敵なのか君は」

「よく言われます」

「それじゃあ君を馬鹿にできないじゃないか」

「無理に馬鹿にしなくていいんですよ」

「負けず嫌いだからね」

「今日はそろそろ寝ますか」時計を見ると11時を回っていた。

「もうこんな時間か。お休み」

「また明日お願いしますね」会話の終わりは至ってシンプルだった。


「そういえば昨日から、向かいにいるロボットが機械音を発しているんですが」

そう言われてロボットの方を見たけれど、ベッドにもたれかかっているだけで特に動きはなかった。

「どんな音がするの?」

「『プログラム更新中』『プログラム更新中』って私たちの会話を聞くたびに言っているんです」

「壊れかけているからね、なんせ首元からバネが飛び出てるし」

「そうなんですか。壊れているなら仕方ないですね」

「もしかしたら失ってしまった感情を必死に取り戻そうとしているのかもしれない」

「だとしたらかわいそうですね」

「確かに悲しい話だ。きっともう戻りはしないのに」

「いえ、そうではなくて」

「どういうこと?」

「ロボットが必死に得ようとしている人間の情報が、私たちだってことですよ。明るくて、献身的で、生産的な話なんてひとつもないのに」

「それもそうだ」

僕たちには直すことが出来ないし、放っておけば大丈夫だろうと二人は気にも留めなかった。

それから一週間もしないうちにロボットの『プログラム更新中』は『プログラム実行中』に変わった。
その言葉と同時に世界は天変地異が起きたように変化してしまうこととなる。

僕が目を覚ましたのは11時を超えた頃だった。いつもは看護師が9時に起こしてくれるが今日は来てきれなかったんだろうか。それとも僕が二度寝をかましてしまったんだろうか。

隣にいる彼女をみると目が合った。というより彼女がずっとこっちを見ていた。目が見えていないはずなのに何かを訴えかけられているような気がして
「どうしたの?」と声をかける。こんな朝っぱらから話をするのは、初めてのことだった。

「さっき聞いたこともない音がしたんです」

「多分それ、僕のいびきじゃないかな。昔はよくうるさいって怒られたんだ」僕の渾身のジョークも彼女は意に返さない。
こんな焦った彼女を見るのは初めてだった。

「なんというか『ドン』って天地がひっくり返ったような音がしたんですよ。最初は地震かと思ったんですが揺れている気配もありませんし」

「そういえば今日は看護師が起こしに来なかったな」

「それどころか音がしないんですよね。他の患者や看護師さんが通りすがる音がいつもしていたのに」

…………

「ちょっと病院内の様子でも見てくる」彼女は二回こくこくと頷いた。

そして5分後息を切らして戻ってきた俺は興奮気味の声で彼女にこういった。

「人がいなくなってる!」

人が消えていたのは病院内だけではない。外に出て周りを見渡しても、
人でごった返していたスクランブル交差点や3車線を慌ただしく走る車だってそこには無かった。

ベッドに戻ってから僕も彼女も言葉を発そうとしなかった。事態の重さを頭で必死に飲み込もうとしていたんだと思う。僕が足りない脳みそで考えていたことはなんで人が消えたか? ではなくこれからどうなってしまうのだろうということだった。
僕を見て彼女は口を開いた。

「ひとつだけ心当たりがあるんですけど」

「心当たり?」

「昨日ロボットが珍しく大人しいと思っていたら『プログラム更新中』じゃなくて『プログラム実行中』って言ったんですよ。その時は気にも留めませんでしたが」

僕はそういえば朝から混乱してロボットを全く意識していなかったことに気付く。そしてロボットに目をやったとき前とは姿が明らかに違った。バネは体の四方八方から飛び出て首もあらぬ方向にへし曲がっていた。そしてあり得ない仮説が浮かぶ。

『もしかしたらロボットが人を消し去ってしまったんではないか?』

彼女はさらに僕の仮説にたたみかける。

「確かプログラムを更新し始めたのって、『人類が後1日で滅亡したらどうするか』って話をし出してからなんですよね」

もしかして僕たちのどうしようもない話を聞いてそれが全人類の願いだと勘違いしたのだろうか。あらゆる技術を使って、人智を軽く凌駕した速さで計算して人類を消す方法を編み出してしまったんではないか。力を使って体がボロボロになってしまったのではないか。

まぁどちらにせよ人類が消えたのは僕にとって喜ぶべきことであることに変わりはなかった。

僕たちが間接的にではあるが人類を消してしまった、ということは考えないことにした。答えは誰にもわからない。

「人類が消えたらやってみたかったことがあるんだ」と僕は彼女に言う。

「へぇ、なんですか?」と大して興味なさげに彼女は返す。

「車道に大の字で寝転がって、星を見ながら眠るんだ」

「寝心地悪そうですね、それ」と彼女は笑った。こんなときでも彼女は現実的思考だ。

「君は何かやってみたいことないの?せっかく人類が消えたんだし」そういうと

「あ、な、た、が、い、る、の、で、で、き、ま、せ、ん」と返された。

僕は自分を人類の一人としてカウントしてなかったからなんだか嬉しかった。こんなことを言われて喜々としてしまうなんてなんてみじめなんだ。でも仕方ない。うれしいものはうれしいのだ。

「僕は君が何をしたって失望したりしないさ」そういうと少し彼女は考えて

「そういえばひとつだけやってみたいことがあるんでした」といった。

そして彼女は大きく息を吸い込んで、シーツを力いっぱいに握ってできる限り、叫んだ。
ありったけの声で彼女は叫んだ。

「なるほど、大声を出すってことか。確かにそれなら僕がいても出来るね」

「やってみて思ったんですが、結構すっきりするもんですね」と彼女は満足げだった。

僕は遠回しに耳が聞こえないのを馬鹿にされたはずなのに彼女の顔を見て、僕の顔も思わず綻んでしまった。




そして彼女は何かを決意したように切り出した。

「私と勝負をしませんか?弱音を吐いた方が負けのゲームです」

「どういうことだ?」

「具体的には今から旅をするんです。」

「なんだか恋人みたいだな」

「セクハラで警察に訴えますよ……って警察もいないんでしょうけど」冗談を混ぜつつ彼女は続けた。

「きっと人間がいなくなった外の世界は素晴らしいんでしょうね。精一杯私たちは満喫することが出来るでしょう。でもだからこそ嫌になってくるんです。目が聞こえないことが、耳が聞こえないことが」彼女は鬼気迫る表情で話を続けた。

「私達は散々お互いを馬鹿にしあってきましたけど、本当に負の感情を抱いているのはどっちか白黒つけようってことです」

「それは面白そうだ」同時に実に彼女らしい提案だと思った。

「負けたらどうなるんだ?」

「負けたら潔く死にましょうか」

「重いな」

「勝ったらどうなるんだ?」

「私は目が見えるようになる。あなたは耳が聞こえるようになる、でどうでしょう」

「そんなこと僕も君も出来ないじゃないか」

「私たちは無理でしょう。でも人類を消したロボットならそんなこと造作もないと思いますが」

「確かにそうだけどそのロボットはもうボロボロで動きそうにもないよ?」

「いえ、さっきそのロボット『プログラムを更新中』と言い出しましたからたぶん動くことはできるはずです」

「なるほど」

「だから仮に私達の会話や感情からプログラムを更新しているなら、私たちの勝負をジャッジして、負けた方を殺して、勝った方の障害を取り除くことくらい造作もないはずです。なんせ私達が願っていた通りに人類をあらかた消しちゃったんですから」

「確かにその通りだ。負けても恨みっこはなしだよ」

「もちろんです。では準備ができ次第、出発しますか」

「分かった」と僕は返した。

世界で二人だけになったからロマンチックな関係になる、なんてことはないのだ。僕と彼女の関係はあくまでお互いの足りない部分の埋め合わせに過ぎない。利用して利用される便利な関係。その関係についに終止符が打たれる時が来た。
ただそれだけのことだ。だから僕はこの勝負に全力で挑むことを胸に誓った。

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