――――きっと、あの出会いは運命だった【モバマス】 (44)


本来、ボクは“ご主人様”みたいなものを持つ予定はなかったんだ。

ボクを使う人とボクとの関係は基本的に1回限り。

多くても片手で足りるくらいの数が関の山だ。

まぁでも、それはボクに限った話じゃなくて、ボクの仲間はだいたいそんな感じの生涯を送ることが多い。

乱暴に扱う人もいるから寿命は長くてせいぜい3年か4年。

メーカー希望小売価格にして4000円ちょっとの消耗品だ。

そうだね。ボクについてはこんなところだ。それ以上でもそれ以下でもない。

だから、長々とボクについて語ってもつまらないだけだし、ある女の子の話をしようか。


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ボクがあの子と出会ったのはいつだったかな。

そうそう、朝と夜は寒くて昼は暑い。そんな中途半端な季節だった。

お前はモノなんだから、暑さも寒さも分からないだろう。って?

いいじゃないか、別に。たまには人間みたいなことを言ったって。

おっと、話が逸れたね。ごめんごめん。

次は、ボクとあの子が出会った場所。

それはね、当時のボクの家。狭いくせに空調の効きが悪い小さなライブハウス。

そこでボクとあの子は出会った。

ボクがそこにいる理由はボクがそこのモノだから、と言う他ないんだけど
あの子が来た理由はなんでも下見を兼ねた前日リハーサルだったかな。


◆ ◇ ◆ ◇



少しだぼっとしたブレザーにぴかぴかのローファー。

ああ、1年生なんだな。って一目で分かった。

そんなぴかぴかしたあの子はスーツの男に連れられてボクのうちにやってきた。

「明日お世話になる渋谷凛です。よろしくお願いします」

彼女はそんなような定型文をフロアのあちこちに散っている
うちのオッサン共の元へ行き頭を下げて回っている。

へぇ、凛ちゃんって名前なのか。

凛ちゃんはばか真面目に全員に挨拶をし終えると、オーナーのところへ戻っていく。
バイトにまで挨拶することないのにね。

それを受けてひげもじゃのオーナーは「これはこれはご丁寧にどうも」と言って、
はははと笑うと彼女をステージの方へ連れて行った。

「ここが君が明日歌う舞台ね。リハなら音源とかは君のプロデューサーさんにもうもらってるからいつでもいけるよ」

オーナーのその言葉を聞いた後、凛ちゃんはプロデューサーと呼ばれたスーツの男をちらりと見た。

その視線に気付いたプロデューサーはにっこり笑って一度だけ大きく頷いた。

「…じゃあ……お願いします」

彼女がそう言うとオーナーはぐっとサムズアップして大きな声を出した。

「リハやるぞー」

フロアの空気が変わる。

さっきまで談笑をしていたオッサン共も照明やら音響やらのそれぞれの持ち場へと着いた。
ボクとしては見慣れた光景だったんだけど凛ちゃんは面喰ったみたいでびっくりしてるみたいだった。


ピリッとした空気の中凛ちゃんとオーナーがボクのいるステージに上がってくる。

「マイクはワイヤレスじゃなくてスタンドマイクでよかったんだっけ?」

オーナーが問う。

「…………はい」

歯切れの悪い返事ではあったが、凛ちゃんもそう返した。

「じゃあちょっとマイクの前に立ってくれる? 合わせるから」

オーナーがそう言うと彼は留め具をくるくると回しボクの身長を少し下げた。

あ。気付いたかな。

実はボク、マイクスタンドなんだ。


そして、ボクの身長が彼女の口の高さに合うとマイクのスイッチがオンになった。

「軽く声出してみて」

「あー。あー」

簡単なマイクチェックの後にオーナーは会場後方のスタッフを見やる。

スタッフも視線で「音響問題ないです」と告げた。

「よし、こっちはおっけーだ。君の方で何かあるかい?」

「いえ、大丈夫です」

彼女は息を胸いっぱいに吸い込んでからそう言った。緊張してるみたい。

「よし、じゃあやろうか。おじさんは引っ込むよ。準備ができたらアイツに合図してやって」

オーナーはそう言って音響席にいるスタッフを指差し、ステージから降りる。

その後で凛ちゃんはまたプロデューサーをちらりと見たのがボクにも分かった。
ああ、アイツに見られてるから緊張してるのか。

そうして、「よろしくお願いします」と言う凛ちゃん。

緊張している彼女の気なんて知りもしないうちのスタッフのオッサンが
ぶっきらぼうに「うーっす」と言った直後、音楽がスタートした。


曲とほぼ同時に力強い歌い出し。
それと共に右手を天へと掲げ開いた掌を握りゆっくりと下ろす。
同じように今度はそれを両腕で行い、またしてもゆっくりと下ろす。
その直後、すぐさま左手を腰にあてがい、右手を右方向に突き出して人差し指で斜め上を示す。

このときまでは彼女はこの業界でそれなりに活動をしてきた子なんだろうな、と思っていた。
そう思わせるほどのオーラが彼女にはあったんだ。

しかし、そんなボクの勝手な先入観は数秒後に打ち砕かれることとなった。

振付がどんどん簡素なものになっていく。

片手はボクを握りしめ、もう一方の手で軽くリズムを取る程度だ。

あー、なるほど。分かった。この子、ダンスが苦手なんだ。


凛ちゃんがダンスが苦手であると察しがついた理由は2つ。

1つは振付のほとんどが上半身、それも腕のみで構成されており下半身が使われていないこと。
そう、彼女はその場でステップを踏むことすらしていなかったのだ。
それ故に必死に覚えたであろう手振りが、足の動かなさを際立たせてしまう。

もう1つはその振付が大きな舞台では見栄えが悪いであろうこと。
何の自慢にもならないけれどボクのうちは狭い。
うちのような小さいステージなら、まだ見られるものになるだろう。

しかし、振付とはどのような舞台でもある程度対応可能なように考えてあるものだ。
だからきっと彼女が今踊っている振付は本来のものではないはずだ。

もちろん、これはただの予想でしかない。
ただのマイクスタンドの戯言だ。


リハを終えると、凛ちゃんの元へプロデューサーがやってくる。

「お疲れ様。うん、この調子なら問題なさそうだね」

「……はい」

「渋谷はよくやってる。焦らないで」

「…はい」

「じゃあ俺はここの人と話してくるから。それでジュースでも飲んでていいよ」

男が凛ちゃんに小銭を手渡すと、凛ちゃんは小さな声で「ありがとうございます」と答えて行ってしまう。

凛ちゃんがフロアから出て行ったのを見計らって男はオーナーの元へと行く。

「…どうでしたか?」

「いいっすね。好きですよ、ああいう子。何より明日が初ライブだって言うのがまた驚きです」

珍しいこともあるもんだ。

うちのオーナーはめったに人を褒めない。

「ええ、私としては渋谷はゆっくり育てていきたいんですが…」

「分かりますよ。逸材ですもんね。…ただ」

「ただ?」

「うん。あの子はどうもそういうタイプじゃないと思うんです。初対面の自分が言うのもおかしな話ですが」

「…と、言いますと?」

「ゆっくり歩くのは性に合わないって言うのかな。そんな気がする」

「…そうです、ね。参考にさせていただきます」

「はい、っと。じゃあ今日はここらで。明日はいいライブにしましょう」

「こちらこそよろしくお願いします」

そう言うとプロデューサーは深々と頭を下げ、うちから出て行った。

プロデューサーと凛ちゃんが帰った後、しばらくしてスタッフ達も片付けを終え帰路に着く。

「あの子は有名になるね」

誰も居なくなったフロアのステージの縁にどさっと腰掛けながらオーナーはそう言った。

「お前さん、お婿に行くかい。なんてな」

オーナーはそんなよく分からないことを言いながらボクの足をこつんと小突いた後、
「よっこいせ」なんておじさんくさいセリフを吐きながら、立ち上がる。

どうやら彼も帰るようで、ばちんばちんと照明が落ちていき完全に消灯となった。

これでボクもやっと休めるというわけだ。


* * *



長い長い夜が明け朝が来る。

がらがらがらというシャッターの開く音がして、オーナーが出勤した。

ふふ。妙に気合入ってるなぁ。

ライブは夕方なんだからもうちょっと寝ていればいいのに。

彼は鼻歌交じりで裏手へ行き、荷物を置いて戻ってくる。

「手は抜けんよなぁ」

その後、彼は念入りに念入りに機材のチェックを進める。

これは凛ちゃんだから、ということではない。いつもこうなんだ。

高校生のイベントだろうがプロのライブだろうが同じ。

お金をもらっている以上は本気で、というのが彼のポリシーだった。


「ふぅー、こんなとこか」

額に汗を浮かべ、満足げな表情でオーナーは大きく伸びをする。

彼は腕時計を確認し「まだアイツら来るには時間あるな」と呟くと出て行ってしまった。

不用心だなぁ、鍵くらい閉めて欲しいもんだ。

幸い、オーナーがいない間に不逞の輩が忍び込む…なんてことはなかった。

彼はコンビニの袋を提げて戻ってくると「あっちいあっちい」などと言いながらフロアに座り込み
かしゅっ、と小気味の良い音を立てて缶コーヒーを開けると一気にそれを喉へ流し込んだ。


そんな束の間のブレイクタイムの後、ぞろぞろと他のスタッフも出勤してきた。

「はよざーっす」

「おはよう。気合入れてけよ」

「うっす」

挨拶こそ気だるげだが、誰一人としてそれを欠かすことはない。

変なとこが真面目なオッサン達がボクは大好きだった。


出勤してきたスタッフ達は各々の持ち場をいじり出す。
事件が起きたのはそんなときだった。

「大変です! すげぇ人だかりがウチの前に!」

あるスタッフが叫ぶようにして外の状況を伝える。

「はぁ? まだCGプロんとこの人らも来てないだろう」

「そうなんですが、何故だか…」

「開場まで2時間はあるぞ? …仕方ねぇか。応対するわ」

オーナーはそう言って出入り口の方へ向かって行った。

一体どうしたんだろう。


うちの前の人だかりは今日のライブのチケットを求めて来た客だった。

「…ったく。完売だよ、完売」

怒りながらそう言うオーナーであったが、どこか嬉しそうだった。

「当日券はまだあるかーっつって、人が来るわ来るわ」

「今日のっすよね? なんでまた、そんな有名な子でもないでしょうに」

「いやぁ、一応な。向こうさんから連絡はもらってたのよ。
少し大きめに宣伝するから、当日はチケットを買いに客が来るかもしれないって」

「へぇー、オレ難しいことは分かんないんすけど。すごいっすね」

「……お前に話した時間を返して欲しいね」

オーナーがはぁ、と溜息を零した。

では、どうして今日になって急にチケットが飛ぶように売れたのか?

その原因は程無くして明らかとなった。

凛ちゃんと彼女のプロデューサーがやってきたのだ。

「お疲れ様です。まさか、こんなことになるとは」

「お疲れ様です。何やったんですか。これ」

「ええ、ちょっと宣伝を」

「宣伝っつたって、無名アイドルのライブにこんなに客が来ますかねぇ」

「詳しく話すと長いんですが…」

そう前置きして凛ちゃんのプロデューサーはことの経緯を語り始めた。

なんでも駅前でゲリラライブをやったそうだ。

もちろん、無名アイドルのゲリラライブなんてそれ程人が集まるわけでもないので
ちょっとずるをしたみたい。

サクラを使ったらしい。

人だかりが出来ていれば興味本位で足を止めてくれる人間もいるだろう、と踏んでの計画だそうだ。

今日が初ライブの新人をどうしてそこまで信じられるのかは甚だ疑問だったけれど
結果としてこの計画は成功。

凛ちゃんの歌唱力と持ち前のルックスの高さがあって為せる芸当なんだろうな。


それで、うちにお客さんが殺到した理由は、ゲリラライブの締めくくりに
凛ちゃんが「実は人前で歌うのはこれが初めてです。
そして、今日ちゃんとしたライブハウスでライブをやります。
心を込めて歌うので、どうか応援よろしくお願いします!」と言って

その後、すかさず彼女のプロデューサーが
うちの場所とライブの詳細を記したチラシを配ったことが原因らしいとかなんとか。
全く抜け目がない。


「なるほど、ねぇ…」

「本当に申し訳ありませんでした。あんなに来てもらえるとは…」

「お宅は自分とこのアイドルを過小評価してたってわけかい」

「いえ、そういうわけでは…」

「はっはっは、まぁいいさ。そういう無茶は嫌いじゃない、どんと行こう」

「ご迷惑をおかけしてすみませんでした」

「まぁ開場まで1時間ほどあるんで。凛ちゃんのアップは済んでるみたいだしゆっくりしててくださいな」

オーナーはそう言うと手をひらひらとさせて奥へ引っ込んでしまった。

忙しい日になりそうだ。


凛ちゃんにとってこの1時間が短いものであったか長いものであったかは分からないけれど、
とうとう開場の時間がやってきた。

列の形成や入場の案内、それから手荷物検査は凛ちゃんのプロダクションが用意したらしい人間がテキパキとこなし
うちの狭いフロアはすぐさま人でいっぱいとなった。

オールスタンディング形式であるため、とんでもない人口密度だ。

お客さんのほとんどは男性だったが、ちらほらと若い女の子の姿も見える。同級生だろうか。

まぁ何にせよ、あとは開演を待つだけだ。

ボクはそれを一番近くで見届けさせてもらうとしようか。


安っぽいブザーが定刻を告げると、ステージが照明で照らされる。

黒のドレスに身を包んだ凛ちゃんが現れると客席からはまばらな拍手が起こった。

「今日は私のライブに来てくれてありがとう。精一杯を…届けます」

凛ちゃんのこの言葉が合図であったらしく、音楽が流れる。

リハでやった曲だ。


掴みは上々。

凛ちゃんの力強い歌声でお客さんの心を引き込むことに成功したようだった。

ラストもしっかりとポーズを決め、音楽が完全に停止すると凛ちゃんはボクから一歩下がってぺこりと頭を下げた。

「ありがとうございました。1曲目に聞いてもらったのは私の曲、Never say neverという曲です」

お客さん達は凛ちゃんのそんな言葉に大きな拍手やら指笛やらで応える。

「私だけの曲、はまだこれしかないんですが…みんなはCGプロダクションって知ってますか?」

凛ちゃんがそう問うと数人から「知ってるー」という声が上がった。

「じゃあ、分かるかな…お願いシンデレラっていって…うちの事務所の曲なんだけど」

お願いシンデレラ。凛ちゃんがその曲名を口に出した途端、会場はざわざわとし出す。

それもそのはず、この曲はCGプロダクションに所属するアイドルならば皆覚えさせられる曲だからだ。

故に、アイドル好きの間では一種の名物曲となっていた。

聞こえてくるざわめきのほとんどは「やっぱり新人さんでも覚えさせられるんだねー」というものだった。

本日のお客さんはどうやらそれなりに場数を踏んできたファンのようだ。

なるほど。ゲリラライブが成功した要因は事務所の持っているネームバリューも少なからずあったのか。

「みんな分かる…のかな? それじゃあ行きます。お願いシンデレラ!」


* * *



「夜はまだちょっと冷えますねぇ」

「すみませんね。エアコンがぽんこつなもんで」

熱気に包まれていたボクのうちを夜が冷ましていく。

「大成功、でしたね」

チケットの半券の束をぺちぺちと遊ばせながらオーナーはそう言った。

「本当にありがとうございました。うちの渋谷も気持ちよくスタートを切れたと思います」

「こちらこそ。トップアイドルのデビューしたライブハウスとして将来的に大儲けする予定ですんで」

「ええ、必ず」

ボクとしては「ねぇ、二人とも取らぬ狸の皮算用って言葉、知ってる?」とでも言ってやりたかった。

凛ちゃんはそんなオッサン二人の会話が終わるのを行儀よく待っていた。

「では、改めて…今日は本当にありがとうございました!」

プロデューサーさんがそう言うと凛ちゃんも続いて頭を下げる。

「うん、ありがとうございました。またよろしければ」

なんて簡単な挨拶の後、凛ちゃんとそのプロデューサーは行ってしまった。

面白かったなぁ。

実のところ、うちの利用者はミュージシャンがほとんどでアイドルの子が利用しても
だいたいがワイヤレスマイクだったからアイドルのライブはボクも初体験だった。

単純に演者と聞き手って別れるんじゃなくて、両方の協力で成り立つっていうのかな。それがまた素敵だった。


しばらくして、うちの前まで凛ちゃん達を見送りに行ったオーナーが戻ってくる。

「さぁて、腹も減ったし帰るかな」

そう言って、機材の電源が落ちていることをひとつひとつ確認しながら片付けをしていく。

鼻歌交じりでアンプからシールドをひょいひょい抜いていく姿はいつものことながら笑えてくる。

「いよっし。完了!」

オーナーは大げさに叫んで自分の両の頬をぱちんとはたき
「次にあの子を見るのはテレビの中だねぇ」なんて呟きながら帰る支度をしているようだった。

そんなときだった。

がしゃんがしゃんと外からシャッターを叩く音がしたのは。

オーナーは突然の訪問者と相見えるべく、手近なボクを取っておそるおそる玄関口へと向かう。

いやいや、武器にしたってもう少し何かあるよね…。

玄関口へと到着し、オーナーは意を決してシャッターを上げる。

「すみません、何度も…」

いたのは申し訳なさそうに頭を下げる凛ちゃんとそのプロデューサーだった。

斯くしてオーナーの先程の呟きは予想もしない形で裏切られることとなったのだった。


「ありゃ、どうしたんですか。忘れ物?」

あくまでも平静を装いながらオーナーがそう尋ねると、プロデューサーさんは「いえ…」と濁す。

「何か訳アリ? とりあえず話してみてくださいな」

「実は…ですね。そのスタンドマイクが欲しいみたいで…」

プロデューサーさんは言いながらボクを指差す。

「…んー。それはやっぱり初ライブの記念品って感じですかね」

「いえ、意味合い的には異なるんですが…概ねそんな感じです。
失礼なことを言っているのは存じております…。ご無理を言ってすみません」

ぺこぺこしながら語るプロデューサーさんを眺めながら、オーナーは自分のヒゲを撫でている。

こういうのはたまにいる。自分達の初舞台の記念を何か形で残したいんだろう。

しかし、まぁこの手のお願いをその都度聞いていたら
うちの備品がなくなってしまうのでキッパリと断るのが常だ。

よって、今回もキッパリとお断り…

「いいですよ」

しなかった。

「本当ですか!?」

「ええ、本来ならこういうのはお断りしてるんですが…」

そう前置きして、へっへっへと笑いながらオーナーはこう言った。

「ファンになっちまったもんでして」


* * *



こうして、ボクは凛ちゃんのものになった。

凛ちゃんがなんでボクなんかを欲しがったのかは分からないが、まぁ悪くないと思えた。

明日からのボクの家はCGプロの事務所になるらしいんだけど、今日は凛ちゃんの家にお泊りさせられるらしい。

その理由は、プロデューサーさんが「事務所寄ってると遠回りだし、俺が明日持ってくよ」と言ったところ
凛ちゃんが「じゃあ、私が持ってきたい。です」と言ったからだった。

ボクとしても男の家よりは女の子の家の方が嬉しいし願ったり叶ったりだ。
なんてマイクスタンドの癖によこしまな考えを巡らせていると、凛ちゃんが「ここで大丈夫です」と口を開いた。

どうやら家の近くに着いたみたいで、プロデューサーもその言葉に従って車を停めた。

「それじゃあお疲れ様」

「お疲れ様でした」

凛ちゃんが車を降りて、もう一度お礼として頭を下げると
プロデューサーは車を発進させ、どんどん小さくなっていった。

プロデューサーの車が完全に見えなくなると
もう気を張らずに済む、と思ったのか凛ちゃんは「ふぅ」と零していた。

左手には鞄、右手にはボク。そんな出で立ちで凛ちゃんは歩き出す。

ローファーでこつこつこつ、とアスファルトを鳴らすこと数分、凛ちゃんの家に到着した。


凛ちゃんの家はシャッターが下りていて
外観からは何かのお店らしいということしか分からなかった。

ポッケから鍵を出して、シャッターを上げお店の中へ。

目の前に飛び込んできたのはたくさんのお花だった。

なるほど、凛ちゃんの家はお花屋さんなのか。

「ただいま」

誰に言うわけでもなく、凛ちゃんは呟いて店の奥へと入っていく。
店の奥は居住スペースになっていて、廊下を経てリビングルームに行くとテーブルの上に置手紙を見つけた。

『ご飯はダイニングにあるからチンして食べてね。散歩に行ってます』

それを読んだ凛ちゃんはどうしてか少し顔を顰めるのだった。


その後に、ご飯には目もくれず階段を上っていき自室へ入るなり、
荷物をどさっと下ろす。
それからボクを壁に立て掛けると、そのままベッドへ倒れ込んだ。

「はぁ……」

長い長い溜息。

「………悔しい」

「悔しい」

「悔しい」

「悔しい」

呪いのように震える声で、そう繰り返す。

「………みんなができることができない自分が嫌だ」

「…私の曲なのに私より上手く踊れる人がいるのが嫌だ」

「……あんなのに頼らなきゃ、ライブができない私が嫌だ」

抑えていたものが嗚咽と共に溢れ出す。

一度外れたストッパーは、止まらない。

「…情けない、情けない、情けない」

「……………悔しい」

目を真っ赤に腫らして、ひとしきり泣いた凛ちゃんはぐしょぐしょのまくらに顔を埋めて眠ってしまった。

ステージではかっこいい凛ちゃんもまだ15歳、なんだよね。

“あんなの”呼ばわりされたのは少しむっとするけど…
新しいご主人様がボクを必要としなくなるまでは尽くしてやろう。

あの子に使われるならそんなに悪くないしね。


翌日、凛ちゃんは目を覚ますと寝転んだ姿勢のまま腕を伸ばしベッドの上で何かを探し出す。

「あれ。ハナコ…?」

知らない名前が出てくる。誰のことだろう。

凛ちゃんはそのハナコという人物が身の回りにいないことを察し、やっちゃったという顔で跳ね起きると
ベッドメイクもせずにそのまま部屋を出て行った。


数十分後、凛ちゃんはお風呂に入っていたらしく、ほかほかとした湯気を纏いながら部屋に戻ってきた。

クローゼットを開け、ぽいぽいと服をベッドの上に放り投げ、クローゼットを閉める。

それから、放り投げた服を身に付けていく。

その途中で、ドアをひっかくような音が飛び込んできた。

「下で待っててって言ったのに。もう」

凛ちゃんがそう言いながらドアを開けてやると、小さな犬が部屋に入ってきた。
犬は心底嬉しそうにしっぽをぱたぱたとさせて、凛ちゃんの足元をくるくると回っている。

ああ、この子がハナコか。

「分かった分かった。散歩だよね」

“散歩”と聞いたとたんにハナコのテンションは最高潮に達する。
飛んだり跳ねたり走ったりと忙しいやつだなぁ。

「はい、お待たせ。昨日は行けなくてごめんね、今連れてくからね」

その言葉を聞くや否や、ハナコはすごい速さで階段を下りて行き、続いて凛ちゃんも行ってしまった。

なるほど、朝夕の散歩は凛ちゃんの担当らしい。
道理で昨日顔を顰めたわけだ。


* * *



この部屋に凛ちゃんが戻ってきたのはお昼頃だった。

店の手伝いをしていたのか、エプロンをかけていて、ポッケには鋏が入っている。

そのエプロンを外してハンガーに掛けると、
今度はクローゼットからトレーニングウェアのようなものを引っ張り出した。

引っ張り出したそれと一緒に制汗剤やらタオルやらを紙袋に詰めると凛ちゃんはボクに歩み寄る。

そして、ボクを掴んで部屋を出た。

凛ちゃんがそのまま店を通って外に出ると、
家の前には黒ナンバーの軽自動車が停まっていて男の人がこっちを見ている。

凛ちゃんはその視線に気付くと、
車に駆け寄って後部座席に紙袋とボクを置いて、助手席に乗り込んだ。

運転席の男は凛ちゃんがシートベルトを締めるの確認した後、アクセルを踏む。

無言ではあるがそこに気まずさはないみたいだ。
どこへ向かっているかは未だ不明だけど。

あるとき、赤信号で停車した際、男の方が口を開いた。

「そういえば昨日は見に行ってやれなくて、ごめんな」

「ううん。私こそハナコの散歩代わってもらっちゃって…」

「まぁ、その、なんだ。凛がやっと見つけたやりたいことなんだ。うちのことは気にしなくていいよ」

「…うん。ありがとう」

いい人だなぁ。…ってお父さんだったのか。


それから、目的地に着くまでの間は終始無言だった。

何というか、二人とも口下手なとこが親子だなぁって感じ。

着いてからも「行ってらっしゃい」と「行ってきます」を交わしただけで、
お父さんは走り去ってしまった。

凛ちゃんはボクと紙袋を持って正面の建物へすたすた入っていく。

入口のところにいた警備のおじさんにぺこり、と頭を下げたくらいで
入館手続きみたいなものはなく、ずんずん敷地内を進む。

そうしてエレベーターを使って何階か上がり、アイドル課と表札が出ている部屋の扉を開けた。

「お疲れ様です。失礼します」

凛ちゃんがそう挨拶すると、気付いた社員の何人かが凛ちゃんに軽く会釈をしてまたデスクに向き直る。

そんなとき、蛍光緑の個性的なスーツに身を包んだ女性がこちらにぱたぱたと向かってきた。

「凛ちゃん、ですよね。おはようございます。どうかしましたか?」

「あ、えっと…これをプロデューサーに…」

「ああ、新しい備品ってマイクスタンドなんですね。話は伺ってます」

「はい。それで、これどこに持っていけばいいですか?」

「今、凛ちゃんのプロデューサーさん丁度お昼に行っちゃってて
確認取れないので、私でよければ預かっておきましょうか?」

「じゃあ、お願いします」

凛ちゃんの手から蛍光緑へとボクは手渡された。
これでしばらくは凛ちゃんとお別れになるのだろう。

「はーい。責任を持ってお預かりします。
それと、凛ちゃんはこれからレッスンよね?」

「ちょっと早く来過ぎちゃって、まだ時間あるんですけど…」

「それなら、トレーナーさんもういるかもしれないから連絡してみますね」

そう言って蛍光緑は胸ポケットから二つ折りの携帯電話を出すと、どこかへ電話をかける。

数コールの後に、電話は繋がった。

『お疲れ様です。千川です。今日、レッスン予定の渋谷さんなんですが…』

『はい。はい。ええ、本当ですか? はい。本人に伝えておきます』

『はい。ありがとうございます。失礼します』

一方の声しか聞こえないため、会話の内容は不明だが蛍光緑は千川というらしい。

「第二レッスンスタジオの予約、今日は凛ちゃん以外入ってないみたいです。
トレーナーさんも既にお昼済ませたみたいなので、いつでも来ていいそうですよ」

千川は電話をぱたん、と閉じてそれを仕舞うとにっこり笑ってそう言った。

「わざわざありがとうございます。では…」

「どういたしまして、じゃあレッスン頑張ってくださいね」

これで、凛ちゃんとはしばらくお別れ。

蛍光緑の千川はボクを倉庫のようなところに連れて行き、
ガムテープの上にマジックで[渋谷凛]と書かれているロッカーにしまった。


■ □ ■ □ ■ □ ■



何度か、凛ちゃんのライブに出た。

ボクと会うたびに、凛ちゃんはダンスが上手になっていて
最初のライブではボクが必要だった曲も、もういらないみたいだった。

それでもNever say neverだけは、ボクの出番だった。

もしかしたら、そもそもがボクの勘違いで、
元々あの曲はマイクスタンド使う曲なのかもしれない。

それならそれで、嬉しいな。と思った。

お役御免となることがないからだ。

しかし、そんな幻想は容易く壊れてしまうのだった。


ある日の話だ。

いつも通り、ボクはNever say neverのために、
ロッカーから引っ張り出されてコンサートホールへ連れて行かれた。

凛ちゃんがボクを使うのは1曲だけなので、最初は舞台袖で待機していることが多い。

今回もそうだった。


久々の大きい舞台で凛ちゃんに使ってもらえるなぁ、って内心うきうきして
ライブが始まるのを待っていたとき、事件が起きた。

風か振動か、何か分からないけど、ボクは倒れてしまって
舞台袖で伏していたんだ。

そこに台車を押したコンサートホールのスタッフがやってくる。

結果は想像通り。

ボクは真っ二つだ。

ボクを壊してしまったことに気付いたスタッフは大慌てで
凛ちゃんの控室にボクを持っていき、平身低頭して許しを乞う。

凛ちゃんは、謝るスタッフに
「すみません。集中したいので備品の話は事務所の方へお願いします」と言って
控室から追い出してしまった。


ライブ開始15分前、というところで控室に凛ちゃんのプロデューサーが来た。

「代わり、借りれたよ」

そう言ったプロデューサーが持っていたのは、新しいマイクスタンドだった。

「大丈夫だよ」

凛ちゃんは「だからそれは、いらない」と新しいマイクスタンドを突き返す。

「大丈夫って言ったって…スタンドマイクの方しか練習してないだろ?」

「この子がいるからね」

折れたボクを指差して凛ちゃんは笑う。

プロデューサーもそれ以上は何も言わなかった。


そして、定刻となりライブがスタートした。

凛ちゃんはボクを持ったままステージへ。

「今日のセットリスト、最初はいつものやつの予定だったんだけど
私のマイクスタンドが壊れちゃったんだ。」

言いながらボクを客席に見せて、それからステージの隅に立て掛けると
客席からは「えー」という声が上がった。

「心配しないで。マイクスタンドが壊れた、とは言ったけど
やらないとは言ってないよ。うん。誰も見たことないアレをやるよ。
マイクスタンドなしのアレ。みんな分かってるよね」

そう言って、凛ちゃんはマイクを客席へ向け声を張り上げる。

「せーの!」

「Never say never!!」

あの日と変わらない、力強い歌い出し。

大きなステージを最大限使ったあの曲の本当の姿がそこにはあった。


この日、ボクは久しぶりに、というか初めて会った日ぶりに凛ちゃんのライブの一部始終を見た。

歌もダンスも、MCも全部上手になってた。

それが自分のことのように嬉しかったけど、もう一緒にステージに立てないと思ったらすごく寂しかった。

これからボクはどうなるんだろうか。

もしかしたら捨てられちゃうのかも。なんてぐるぐると考えを巡らしていると

なぜか蛍光緑がボクを引き取りに来た。


倉庫に入れられるのかな、それとも捨てられるのかな。

嫌な予想が止まらなかった。

結果はそのどれでもなく、町工場のようなところに連れて行かれた。

折れた部分に熱い棒を押し付けて溶かして、それから冷やす。

不格好ではあったけれどボクの体はまたくっついた。

くっつけた部分を補強するため、鉄板やら何やらを付けられてしまい
とんどおデブさんになっちゃったけど、また仕事ができるならなんでもいい。

ありがとう蛍光緑。


■ □ ■ □ ■ □ ■



ボクが折れた事故が起きたライブからかなりの時間が過ぎた。

具体的には3年くらい。

その間、一度もボクの出番はなかった。

あー、そういえば凛ちゃん、もうボクなしでもNever say neverできるんだったよなぁ。

じゃあなんで直したんだろ。

毎日、毎日そんなことばかり考えてた。


■ □ ■ □ ■ □ ■



春が来て、夏が来て、秋が来て、冬が来た。

たくさんの季節をこのロッカーで過ごしてきた。

凛ちゃん元気かなぁ。

今、いくつだろう。

それよりボクがこのロッカーに入れられて何年経ったんだろう。

あまりに外に出なさ過ぎて、ボクはもう時間の感覚が分からなくなっていた。


このままボクは忘れられたまま朽ちていくんだろうな。

いつものようにそんな感じの暗い妄想をしていたとき、誰かが倉庫に入ってきた。

とはいえ、どうせ他のアイドルの子の備品を取りに来たのだろう。

そう思っていたところ、ボクの入っているロッカーが開けられた。


ロッカーを開けたのは、髪の長い綺麗な女の人だった。
翠の瞳に、高い身長とすらりとしたスタイル。

ああ、この子は凛ちゃんだ。

そっかそっか。もうそんなに時が流れていたんだね。

凛ちゃんはロッカーの中にボクを見つけると
にっこり笑ってボクを手に取る。そして、こう言った。

「よかった。まだあった」


◆ ◇ ◆ ◇



本来、ボクの仕事はボクの頭の部分にマイクをはめ込んで使われること。

マイクスタンド、って呼ばれるアレさ。

歌のお仕事なんかがメジャーだね。

ボクの仲間の多くの職場は、ライブハウスだったり、芸能プロダクションだったり
そういうとこであることが多い。

だから、まぁボクみたいなやつはレアケースなんだろう。

それもとびきりの。

職場は、個人の家。

ボクを大事にしてくれる素敵なご主人様だ。

それに歌も上手い。

まぁ、トップアイドルだったらしいから当たり前なんだけど。

業務内容は、頭の部分に不似合な帽子をかけられること。

ああ、気付いたかな。

ボクね。帽子掛けになっちゃった。



終わり

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