渋谷凛「ハナコ」 (30)


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五年生になりたい

3年2組 しぶ谷 りん

わたしは犬がかいたいです。
犬をかいたいのにお父さんもお母さんもだめだと言います。

お父さんは「りんが大きくなったらな」と言います。

お母さんは「まださん歩に一人でいけないでしょ」と言います。

二人ともいじわるです。

でも、わたしがおりこうにして、おみせの手つだいをしてたら
わたしが五年生になるころにかってくれるそうです。

なのでわたしはお手つだいをします。

犬は大きいのがいいです。

お父さんより大きいのがいいです。

大きい犬と公園でボールを投げて遊びます。

ちゃんとごはんもあげます。

早く五年生になりたいです。


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そうそう、凛と言えばこんな面白い話が

娘の小学校では毎年、決まった時期に授業参観がありまして

内容は、“夢”についての作文を書いて発表するという実にかわいらしいもので
娘が三年生の折にしたためたものがこちらとなります。

『五年生になりたい 3年2組 しぶ谷 りん』

この作文は周りの子達がプロ野球選手やパティシエなどと可愛らしい将来の夢を並び立てている中で
一際、異彩を放っていました。

悪く言えば、浮いていたとも言いますね。ふふふ。

それまで、娘が何か欲しいと駄々をこねたことはありませんでした。

犬にしても、一度「飼いたい」と言ったのみでダメだと言われればその場で諦めていたのです。

いえ、思い返してみればあれは諦めたとこちらが勝手に思っていたのでしょう。

事実、娘は諦めておらず外堀を埋める機会を待っていました。

「五年生になったら飼う」という父親の口約束を絶対のものへと変えるべく手筈を整えていたのです。

親バカだと言われるかもしれませんが、頭が良い子だなと逆に感心させられたのを覚えています。


しかし、まぁ小学生の言ったことです。

1年後には忘れているだろうな、とタカをくくっていました。

私はその1年後、認識の甘さを思い知らされることとなります。

そう、授業参観です。

この学校は毎年、この時期の授業参観では同じお題で作文を書かせるようで

なんでも、子供の夢の変遷を形として残すことで成長を記録するためだそうで、
またしても“夢”についての作文がお題となっていました。

生徒たちは五十音順に自身の作文を発表していき、とうとう凛の番がやってきます。

凛は「渋谷さん」と呼ばれると「はい」と答え、自信満々で原稿を持って教壇に上がります。

そして、大きな声で題名と名前を読み上げました。

早く犬のさん歩をしたい 4年3組 しぶ谷 りん……と。

……娘は忘れていないようでした。

そして、これが四年生の凛が書いた作文です


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早く犬の散歩をしたい

4年3組 しぶ谷 りん

ついに来年、うちに犬が来ます。

念願の犬です。

まず、なぜ犬が来るのかという説明ですが、
これはわたしがお父さんとした約束があるからです。

お父さんはわたしが三年生になったら犬をかってもいいと言いました。

でも、それはじょうけんがありました。

おりこうにしてることと家のお手伝いをすることです。

友だちの家に行くときはちゃんとおかしをおみやげに持って行くし、
おじゃましますも言います。

暗くなる前には家に帰ります。

家に帰ってからも手をあらいます。うがいもします。

それと、わたしはこの1年間たくさんお手伝いをしました。

店番をします。店番をするとおきゃくさんが来ます。

おきゃくさんが来たらお母さんかお父さんをよびます。

おきゃくさんは私をお手伝いできておりこうだね、と言ってくれます。

だからわたしはおりこうでお手伝いをする子だと思います。

つぎに、わたしは犬の勉強もばっちりです。

たくさんの種類を言えます。

ゴールデンレトリバー、ラブラドールレトリバー、フレンチブルドック

チワワ、ダックスフンド、トイプードル、シーズー、シベリアンハスキー

(中略)

ドーベルマン、ミニピン、ポメラニアン、しば犬、ヨークシャテリア。

こんな感じでたくさん言えます。

図書室で勉強したんです。

つまりあとは犬が来るだけで、わたしのじゅんびはばっちりです。

だから来年がとっても楽しみです。



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凛がそれを読み終えると、拍手と一緒に周囲の親たちがくすくす笑うのが聞こえてきて
私は恥ずかしくてたまらなくなりましたが、
同時にこの約束は大人として守らなければな、とも思いました。

そこで、私は夫に相談しました。

貴方が去年、凛とした約束をあの子はずっと覚えてるのよ、と。

初めは夫も、冗談と思ったらしく笑い飛ばしましたが
凛の原稿を見せると真実であると分かったようで真面目な顔つきに変わりました。

自分の娘が何を思ってこれまでの1年間を過ごしていたのかを知った夫は
そっか、そっか。としきりに頷いて、何かを飲み下しているようでした。

その後に「まぁ、いいんじゃないかな。飼っても」と言いました。

こうして、私達は娘である凛に完全敗北する形となりました。


そして、次に話し合わなければならないのが飼う時期と犬種です。

飼う時期についてはクリスマスがいいだろう、という結論に至りました。

しかし、犬種が決まりません。

凛は身長は高い方にしても、女の子です。

大型犬を飼っては引っ張り回されてしまうことでしょう。

けれども、あの子は3年生のときの作文で大型犬をご所望なのです。

さて、どうしたものか…と私が頭を悩ませていたところ、夫がこう言ったのです。

「凛はいい子だから、うちに来た子をいらないなんて言わないと思うよ」

ああ、なるほど。それもそうです。


そうと決まれば早いもので、話はとんとん拍子に進みました。

夫が知り合いのブリーダーさんと話をつけて、子犬をもらえる運びとなったのです。

犬はだいたい妊娠してから2か月程度で出産し、そこからさらに2か月ほどで乳離れが完了するそうで
7月から8月ごろに条件に見合った子がいたら連絡をくれることとなりました。


私と夫がそんな話をしてから数か月経ったあるとき、店の電話が鳴りました。

「はい。お電話ありがとうございます。渋谷園芸です」という、いつも通りの定型文を受話器に向かって吐くと

返ってきたのは何やらテンション高めの「見つかりましたよ!!」という声でした。

私は最初、何のことか分からず「……どちら様ですか?」と尋ねると、
声の主は「12月半ばに引き取り可能な子です!!」と言いました。

ここでようやく私はああ、そうか。と、犬を飼うということを思い出しました。

その子はヨークシャテリアとミニチュアダックスフンドのミックスらしく
ヨーキーと呼ばれる犬種だそうです。

まだ生まれてもいない子の話なのでオスかメスかも分かりませんが、
私と夫は少しずつ犬を飼う準備を始めました。

年齢に応じた餌からしつけの仕方まで、徹底的なまでに調べました。

何分、私も夫も中途半端を嫌う質であったので、その工程は苦ではありませんでした。

寧ろ楽しかった、とも言えます。


子犬を迎えるまでをそのようにして過ごし、とうとうその日がやってきました。

夫は凛が学校に行っている間に、ブリーダーさんの元へ行き、子犬を連れ帰ってきました。

初めてあの子を見たときの感動たるや、筆舌に尽くしがたくて、その可憐さに蕩けそうになるほどでした。

しかし、ここで問題が発生しました。

クリスマスまでの期間、凛にどう隠せばいいのでしょう。

流石に同じ家で生活するのに、何日も隠し通すのは無理があります。

ですから、私達は子犬をクリスマスプレゼントとするのを諦め、凛の帰宅と共にお披露目をすることにしたのでした。


しばらくして、私達が子犬と戯れていると、凛が学校から帰ってきました。

「ただい……………」

凛は子犬を見た途端に静止してしまいました。

そこへ夫は子犬を抱き上げ、裏声で「こんにちは凛ちゃん ハナコだよ」と話しかけると
凛もようやく現実に戻ってきたようでありまして、「……ハナコって名前なの?」と言いました。

それは私としても初耳でした。

てっきり、名前は凛に決めさせるものとばかり思っていたのです。

「いや、言ってみただけ。名前は凛が決めていいよ」

夫がそう言うと凛は「何それ」と言いながらも
「たくさん名前付けられてもハナコも困っちゃうから、この子はハナコでいいよ」と微笑みました。

どうやら名前はハナコで決定のようでした。

由来は、後ほど凛が夫に尋ねた際に知ったことなのですが
「花屋の子だから、ハナコ」という安直なものでありました。


この日から、渋谷家に増えた新しい家族、ハナコとの日々が始まりました。

ハナコを飼うに当たって、凛といくつかの約束を交わしました。

・ハナコが悪いことをしたときは、ちゃんとその瞬間に叱る。

・いいことをしたときや言うことを聞いたときは、ちゃんとその瞬間に褒める。

・人間の食べ物をむやみやたらにあげない。

・自分勝手な理由でハナコに迷惑をかけない。

などの様々な約束の一つ一つに、凛は真面目な表情で「うん。分かった」と答えました。


それからの凛はいつもハナコと一緒でした。

噛んだら叱る。

物を壊したら叱る。

お座りができたら褒める。

トイレを守れたら褒める。

凛は言いつけ通り、きちんとハナコを躾けます。

子犬の頃は歯が生え変わるため痒いようで、
家具やクッションなどをいくつもダメにしましたが、今となっては良い思い出です。


ハナコは、自分のことを一番に見てくれる人が誰か分かるのか、凛に付いて回ります。

凛が学校に行く際は店先までお見送りをし、学校から帰ってくると一目散にお迎えに行きます。

もちろん、私と夫もそれはそれはハナコを愛していたのですが、どうも凛には敵わないらしく
ハナコにとっては凛が最優先のようでした。

凛が自分の部屋に行くと、ハナコも必死に付いて行こうとするのですが
子犬のためか、まだ高い段差は登れず、階段の下で切ない声を上げます。

凛も凛で、放っておけばいいものをわざわざ抱っこして、自分の部屋まで連れて行くため
自然とハナコの寝床は凛のベッドとなり、私達が購入した犬用のベッドは無用の長物と成り果てました。

これが、渋谷家に新しい家族が増えるまでの話です。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



ハナコが4歳のとき、私は街でスカウトされてアイドルになった。

自分の曲を貰って、きらきらした衣装を貰って

私の歌や踊りに感動してくれる人達がどんどん増えた。

最初はうまくいかないこともたくさんあったけど、一つ一つ覚えていって
自分が成長しているのが分かったし、私はアイドルに夢中になっていったんだ。

そんな感じでどんどん広がっていく私の世界に対して、ハナコの世界は変わらない。

ハナコにとっての世界は私の家だけだ。

考えられないよね、ずっと一緒にいた子が勝手に遠くへ行って、その上楽しそうにしてるなんて。

もちろん、私だって少しでもハナコと一緒にいたくて朝夕の散歩はできるだけ欠かさないようにしたよ。

それでも、地方でのロケや撮影があって、家を空けることはざらで、
そのときは代わりにお母さんかお父さんが散歩に連れて行ってくれていたんだ。

代わり、って便利でずるい言葉だよね。

ハナコは私がお願いしたから、私の家に来た子なのにね。


だから。ってわけじゃないけど。

アイドルになってから9年経ったあるとき、私は引退を決めた。

純粋に自分の時間が欲しくなったんだ。

事務所との話し合いの結果、私の引退はしっかりと表明を出して
その上で引退ライブを行ってからということになったものの、引退自体は受け入れてもらえた。

こうして私はやっと、一息つける時間を手に入れる。

全力で駆け抜けた9年間だ。悔いはないし、欲しいものは掴んできた。

トップアイドルとなった今の私が望めば、大抵の話は通る。

だけど、私にもどうにもならないことは山ほどあって、
その中の一つが……

――――時の流れだった。


私が自由に時間を使えるようになるころには
ハナコは眠っていることが多くなっていた。

それでも、「ハナコ」と呼ぶと目をぱちぱちして
私の足元まで来てくれる。

昔のようにソファに飛び乗るような元気はもうないけれど
ハナコがまだまだ私を好きでいてくれることが嬉しかった。


自由になった私はハナコと出かけるために車を買った。

安い買い物じゃなかったけど、ハナコと昔みたいに冒険するのが楽しくて
毎日のように一緒に出掛けた。

海へ行った。

川へ行った。

山で星を見に行った。

どこへ行くにもハナコと一緒で、
小学生の頃はよくこうやって色んな所へ行ったなぁ、って
なんだか子供に戻ったみたいな気持ちだった。


1年くらいかな。
私はアイドルの私の燃えカスを使ってハナコと毎日毎日遊んでいた。

元々、物欲みたいなものはそんなになかったから
生々しい話だけど、貯金はいっぱいあったし、
まだまだハナコと遊んで暮らせるなぁって思ってたんだ。

でも貯金より先にハナコに限界が来た。

ハナコは自分で立ち上がれなくなった。


エサ皿にカリカリを入れる音で飛び起きて、跳ねまわる姿はもう見ることができない。

トイレにも自分で行けないから、排せつをするたびにハナコは汚れる。
その都度、ハナコを洗ってやると何やら申し訳なさそうに鼻を鳴らすのだった。

ハナコはなぜか舌を出して虚空を舐めるようになった。

その口元に私が手を当てると、数回ぺろぺろと舐めて、私がいることを確認しては安心するようだった。


ハナコとそんな生活をしていたあるとき、
私は明け方に目が覚めた。

ハナコが寝たきりとなってからは、
ハナコが不安にならないように私はソファで寝るようにしていため
変な時間に目が覚めることは珍しくなかった。

お茶でも飲んで二度寝しよう。
そう思って私はソファから体を起こす。

そこであることに気が付いた。

ハナコがいない。


いつも寝ているはずの犬用ベッドの上にいない。

私は焦って飛び起き、辺りをきょろきょろと見回していると
足元で、幾度となく耳にした、
それでいて、しばらく聞いていなかった懐かしい声がした。

「ワン!」

ハナコだった。

私は足元のハナコを抱き上げて、ソファに腰掛ける。

ハナコは私の膝の上で丸くなった。

膝の上のハナコを撫でながら、私は私が始めてもらった曲を口ずさむ。


―――ずっと強く そう強く あの場所へ 走り出そう


私の歌に合わせてハナコはしっぽをぱたぱたとさせる。


―――過ぎてゆく 時間取り戻すように


―――駆けてゆく 輝く靴


私が一節歌うごとにハナコのしっぽはぱたんぱたんと力を失っていく。


―――今はまだ 届かない背伸びしても


―――諦めない いつかたどり着ける日まで


―――目を閉じれば………


まだ、サビも歌えてないんだけどなぁ。

アンコールも準備してたんだけどなぁ。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



ハナコが亡くなった後、凛は一人暮らしを始めました。

なんでも自分の店を持ちたいそうです。

夫は本心ではうちの店を継いで欲しかったようですが、
凛の意志は固く、夫も諦めていたみたいです。

そして、丁度今さっき。

私と夫の渋谷園芸が取り組んでいる仕事のうちの一つが終わりました。

大きなフラワースタンドです。

残る作業はそのフラワースタンドの中央の取り付ける札に宛名を入れるのみ。

『御祝 フラワーショップ ハナコ様』と。



終わり

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