【安価】メルトホライズン (64)







人は生きた状態で産まれ落ちる。
幼子は産まれながらにして生を持ち、それを失わんと己を叫ぶ。
母を求め、空気を求め、庇護を求め、生を求める。
その産声に宿るものとは、生物であるなら誰もが持っていて不思議でないものであった。



はて。
では、いつからだろうか。







この島に生きる人々が、命の産声を捨ててしまったのは。



1 Day

level
plus 8m.









不思議な夢を見た。

その夢は、俺に何かを語りかけていた。

俺が夢を見たのか、俺の夢を誰かが見ていたのかは定かではない。



カーテンと、窓を開ける。

変わらない朝日、変わらない潮風。
変わりつつある景色。



「ん~。良い天気」



今日も良い朝だ、夢見の事を除けば。
隣の部屋の彼女に、それを伝えにゆこう。





ノックもせずに、ドアノブを回す。
既に起きた彼女は、同じように窓を開き潮風に吹かれていた。





「おはよう」

「……どうしたの、龍人」


振り向かず、声だけが返ってくる。


「どうもしないけど。もう少し取り合ってくれてもいいんじゃない、静流」

「ふぅ」



気だるそうな瞳。
陽光にきらめく長髪。
己の半身を持つ心。

振り返る彼女の仕草は、美しく、好きだ。




「おはよう、静流」

それが俺の姉の名。水島静流(みずしましずる)。


「おはよう、龍人」

呼ばれた双子の弟、その名を水島龍人(みずしまたつと)と呼ぶ。



静流「どうしたの、こんな朝早くに」

龍人「姉ちゃんだって。もう起きてるじゃん」

静流「そりゃ、習慣なんだからそうでしょ……」










昨日、俺たちは通っていた高校を卒業した。



時は8月。
桜の季節には遠い。



では、何故か。
それは、その学校は閉校となったからだ。



俺たちの住む島、常無島(とこなしじま)。
昨日までの学び舎であった常無校と共に、程なくしてこの島は海に消える。

2489年。世界は海に還ろうとしていた。




静流に並び、水平線を見つめる。
海の色はわずかに濁り、エメラルドに輝く。

静流「……もう、沈みはじめてるのね」
龍人「ああ」





その昔、古き伝承に「賢者の石」というものがあった。
万物を溶かし、金と成すための触媒とされる霊薬。



今、その名を「メルティウム」と呼ぶ。



海に漂う霊薬とされた物質は、地球のあらゆる物質を海中から緩やかに分解し、文明を静かに水に帰そうとした。

2世紀も前、初めに作られたメルティウムが大陸の河に流されたのがすべてのきっかけであったという。



メルティウムが賢者の石として例えられる理由。
それは、化学的な例外として特筆すべき性質を含むからである。


『メルティウムが溶かした物質は、ゆるやかな時を経て反応し、メルティウムと変化する』


元素からなる化学の概念を覆してしまった発明と、誰かが起こしたひとつの過ち。
成す術もなく広がる融解と、最初で最期の滅亡に直面して壊れる社会のシステム。
そして時は流れ、人は自らの文明を終着としてひとつに融解し、原初に還ろうとしている。



生まれた時から教科書に載っていた。その受け売りを覚えている『沈没期』の少年少女。



何故この時代に生まれたのか、選べない分からない双子は……たった18歳という歳で世界と海面に向き合っていたのだった。




静流「さ。いつまでも入り浸ってないで、ご飯」

龍人「ん」


………………
…………
……


階下に降りても迎える人は居ない。
この家屋には、静流との二人暮らし。
家と呼べるような状態ではない。

それでも、人間らしい暮らしを保っている自分たちはとても幸福であると言える。
ゆるやかにいつか訪れる世界の終わりと、不透明な海の中に沈む恐怖に精神を壊した者たちはあまりにも多い。


静流「たまご取って」

龍人「ん。……おーう、パン焼けたっぽい」


俺が無事でいられたのは、この傍らに居る存在のお陰であったと言える。




静流。
大切な俺の姉で、二卵性の双子。
とはいえ大きく性格がズレる事もなく、こんな世界で育ったせいか衝突もなかった。


静流「いただきます」

龍人「いただきます。……むぐ、しずる」

静流「……。お茶」

龍人「っく、ありがと」


愛想は無く、気力も乏しい。しかし面倒見はよく、互いを深く知っている。
愛を注ぐというよりも、俺の半身のような存在。




龍人「ごちそうさま」

やや俺が早くに皿を空けた。
あとから空く姉ちゃんのも、まとめて洗ってしまおう。



…………



龍人「静流、洗い終わったよ」

静流「ありがと」


学校に通っていた頃の習慣からか、静流は鞄を持ってどこかに出かける荷造りをしていた。

制服こそ着ていないが、いつも家を出ていた8時5分にふたりで目を向ける。



龍人「顔洗ってくるわ」

静流「……わたしも使いたいんだけど」

龍人「ちぇ。あいよ」



いつも制服を着ていた時とは違い、服を選ぶとなると多少は見てくれを気にする。
先にクローゼットをひっくり返し、猛暑に負けない半袖をチョイスする。

静流「……ぷは。空いたよ」

龍人「洗濯するから、かけといて」

タオルで顔を拭う姉ちゃんと入れ替わった。



……




龍人「よっと」ピッピッ

ごうん、ごうん、ごうん……



この島の文明は非常に古く、ちょうど4世紀ほど前に最新鋭とされていたような道具しか残されていない。
車やバイクは手動だし、テレビもリモコンがないと満足に動かないものだし、洗濯物だって入れておけば勝手に洗ってくれるわけじゃない。

それでも無くては困るものばかりで、生まれてこの方本州の文明とは縁がなかった。




静流「済んだ?」

龍人「洗濯機は回したよ。……姉ちゃん、その格好暑くない?」

静流「日傘」

龍人「あ、そ……」

日傘があるから平気よ、とでも訳せばいいだろうか。
淑やかなロングスカートは、熱を容赦無く吸うだろう。

でも、静流の私服は好きだ。

何故かと言われると分からない。強いて言うなら、女物だからだろうか。
静流を、失われた性の半身として見ているからだろう。こと静流の、女らしさに惹かれるのは。


静流「暑くて、しんどくなったら、龍人が持って」

龍人「うーい」

静流「あ、良いんだ? ん、お願いしちゃお……」


静流も、俺の男性を望んでいる節があったりする。




龍人「どこ行くかなあ」

静流「……ドア、閉めるよ」



鍵は閉めない。
海と空と緑の占める、この島の風土にはあまり似合わない。
物盗りの話など聞いた事もない。



結局8時40分になって家を出た俺たちは、習慣のままに足を運ぶ。
大遅刻ではあるが、あいつは怒らないに違いあるまい。

うだるような暑さのコンクリートが、徒歩5分の道のりを揺らす。

龍人「……あちい」

静流「そうね」



日差しは絵画のような赤ではなく、天気予報のようなオレンジでもなく、白。白も白。
蛍光灯よりも強い白の光が、日傘の中の静流をより際立たせている。

理由はないが、静流はいつも俺の右にいた。

だから荷物を左に持って、静流とときおり目を合わせたまま歩くのが、昨日まで通学路であったここでの習慣だった。




静流「着いた」

龍人「っと」

ピーンポーン……


目的の家のインターホンを迷いなく鳴らす。
その表札には「桧山」とあった。



「おお。龍人くんと、静流ちゃん」


龍人「おはようございます」

静流「透さん。愛さんはいらっしゃいますか?」




ドアから出てきたのは桧山透(ひやまとおる)さん、友人の父親。
妻を亡くした中で気丈に飲食店を経営する、明るいお父さんだ。




透「相変わらず、ごいごい寝てるよ……叩き起こしてくるかい?」

静流「お願いできますか?」

透「じゃあ、かわいい娘とプロレスごっこでもしてきますかね……」

龍人「ははは、お気を付けて」

透「了解、中に入って待ってなよ」



踵を返して階段を上がっていったのち、ドタバタと激しい格闘戦の応酬が音となって聞こえてくる。
こうして静かになった時はタオルケットを剥がされてしまった時だろう。
静流と顔を見合わせて、少し笑った。



静流「愛ちゃんは、学校が終わっても変わらないのね」

龍人「なに。俺たちと一緒じゃん」

静流「一緒?」

龍人「俺たちも変わらず早起きだったろ?」

静流「まあ、そうね」



学校があった頃は、ねぼすけな友人をこうして毎朝迎えに来ていたのだ。
パタパタと階段を降りてくる音も、昨日までと変わらないものである。


「しずちゃーん!!」


ガバッ!

静流「きゃっ! ……もう。おはよう」

「えへへへ、おはよー」


彼女の名前は桧山愛(ひやまあい)。この荒廃する世界で「明るさ」と「無邪気さ」という稀有な力を持つ、大変貴重な友人だ。



透「あらら。入ってて良かったのに」

静流「構いませんよ、すぐ出かけますから。それより、お店の方は大丈夫ですか?」

透「お、仕込みしてたんだったわ。じゃあ悪いね、愛をよろしく」

龍人「はい、任されました」

愛「はいはい、行ってきまーす」

透「暑いから、みんな気を付けてな」


……



愛「ほげー、あっついねえ……」

龍人「中央区抜ければ、木陰に出るから」

とりあえず、習慣からか俺たちは常無高校に向かう道に進んだ。
島は大きく3つの区画に分かれている。



発電や変電、水道などのインフラを賄う南部。

生活圏として桧山の店などが存在する中央区。

魚港や常無高校がある北区。



俺たちの家があるのが南区、ちょうど桧山を拾うのが中心区、今から目指すのが北区。
端から端まで移動するとはいえども、俺たちの家も常無校も中央区に寄っており、おおよそ20分も歩けば着いた。



愛「うっし! 涼しー☆」

静流「……置いて行かないでよ」

龍人「行かせとけ」


高校に続く長い登りの並木道を、桧山が勢い良く駆けていく。
どうせ校門で待っているだろう。



愛「あーっ!?」



声がデカい。

龍人「……ほらな」

静流「どういうこと?」

龍人「門ごと閉まってたんだろ、学校。とりあえず行こうぜ」

静流「分かった」



案の定、桧山は校門の前で途方に暮れていた。


愛「なんでなんで! 閉まってるし!」

静流「昨日、卒業したでしょ」

愛「知ってるわい! あたしまだこの中に用があるんだけどっ」

龍人「あー、例の計画?」

愛「そうだよ! あー無法しちゃう? あたし不法侵入しちゃう!? ゴー!!」



ショートパンツから覗く眩しい脚を見せつけ、校門をよじ登ろうとする。
その眩しい脚は拠り所を探してバタバタしていた。

そう、彼女はだいぶちっちゃい。
同い年のはずなのだが、150無い系の女子である。



静流「誰も来ていないのね」

龍人「そりゃ、そうだろうな」



島の全人口は400人ほど。
その中で常無校にいたのは11人。

そして、昨日の卒業式に居たのは、たったの3人。

俺と、静流と、桧山だけ。



学生だけじゃない、島もそうだ。
全人口400人と伝えられていたこの島からは、ここ一年の間に次々と人が抜け出ていって、もう四半数を残していない。

人間シリに火が点くと生まれも育ちもヘッタクレも無いもので、島が沈むと伝えられれば本州からの連絡船が来る度にその数を減らした。
早く移住しないと、住まいにしろ仕事にしろ向こうでまともな暮らしが出来ないからだろう。
世界各国で居住地を減らし始めてからは、より長く顔を出していられる土地の値段や人気が爆発的に高騰していた。

日本も国として地球から退場する前に、国民の受け入れ先を探しているようだったが、簡単では無い様子だ。



まあ、

龍人「これからは一日あいちまうなぁ」

愛「なに!? なんか言った!! 見てないでなんとかしてー!!」

静流「……まず、降りたら。汚れるでしょ」

今、この土壇場まで残っている人間たちには、そんなことはどうでも良いのだ。




龍人(とりあえず、今日はどうするかな)

静流も桧山も、何となく俺の言葉を待っているようだった。
もともと薄っぺらな戒律も失くした今、何か言い出せばそのように動くだろう。

>>+1
1.各自、家に帰る
2.学校に侵入してみる
3.ひとりで南に散歩しにいく
4.ひとりで漁港へ行ってみる




龍人「おーい桧山、手伝ってやるよ」

愛「龍人ー! お願いお願い!」



桧山の足首を掴み、校門に乗る高さまで押してやる。
華奢な体躯は軽々と上がり、そこそこ立派な門の頂に乗った。


愛「いえいっ。ありがと龍人!」

龍人「おうよ。あっ」
静流「!」


そのまま向こう側に着地する桧山……しまった!
静流も気付いたようだ。


静流「愛ちゃん。その門、鍵開けられる?」

愛「えー? 南京錠ついてるけど?」

龍人「やっぱりか……」


常無高校の敷地は広くないとはいえどもキチンと石畳やフェンスに囲まれていて、登るとしても一番この門が簡単な場所のはず。
それでも苦しかった桧山の事を考えると、俺は……。


龍人「静流。行くわ俺」

静流「……わたしは?」

龍人「傘持っては危ねえし、留守番頼んでもいいだろ?」

静流「別にひとりで登れなくはないんだけど」



愛「えー? なになにどうしたの」

龍人「バカ。今殴りに行ってやるからそこで待ってろ」



静流「ま、いいか。愛ちゃんよろしくね」

愛「あれ、龍人来るのにしずちゃん帰っちゃうの?」

龍人「しょうがねえよ。あと、俺いねえとお前。帰り登れねえだろ?」

愛「あっ。え、えへへ……」




愛「行くよ龍人、まず侵入経路を探さなきゃ」

龍人「そうだな、どうすっか」



桧山の目的を果たすには、まず学内に潜り込まなければならない。
当然めぼしいところは施錠されている筈なので、何か経路がないかふたりで考える。



愛「閉め忘れがあったら儲けものだから、考えながらぐるっと回ってみない?」

龍人「ん、分かった」



本当は両サイドから回って裏で合流すれば良い筈なのだが、俺たちのスタイルはそうではなかった。
常無の小学校の頃から友人として過ごしてきた彼女とは、いつも協力して物事をこなすのが日課となっている。

アイデアを出したり、原動力をくれたりする言い出しっぺがこいつ。桧山愛。
実働班として面倒を見たり、細かいツッコミを入れるのが俺、水島龍人の役割。

普段はそこに周囲への配慮や、目上への説明を担う静流がいるのだが、今日は居ないし必要も無いだろう。

……
…………
………………



龍人「次だ、次。なんか練るぞ」

愛「もう一周! もう一周しようよう! 絶対見落としたんだって!」

龍人「俺らが見落としてないように、先生も見落としてなかったんだっつーの! 暑いわ!」




だが、この「見落としていた」という指摘は案外間違いでもなかった。

ああでもないこうでもないという問答から5分、突如桧山が駆け出したからだ。


愛「そういえばっ!!」

龍人「あ、おい。なんか思い付いたのか……?」


桧山に追い付くと、彼女は1階の教室の隣でジャンプを繰り返していた……そうか!


龍人「上の窓か!」

愛「そうそうそう!! 龍人お願い!」

龍人「よし来た!」


桧山の腰を抱え上げ、そのまま太ももの下の方を抱き十分にリフトアップする。

彼女が鍵をチェックするのに合わせて横にスライドしていった。



ギシッ。
ガラガラガラ……



愛「開いたーっ!!」

龍人「はっはは、でかした! 行け行け桧山!」

愛「うんっ! あ、一旦おろして。脚持たれてたら無理っぽい」

龍人「肩乗るか?」

愛「うーん、怖いけど……いっか。お願い龍人」



さっき抱え上げた時もそうだが、この歳になって俺たちはまだ男友達のような付き合いをしている。
スラリとした脚も健康的な腿もその肌触りも、確かに軽々しく手を出せるようなものでないとも思うのだが、それ以上に桧山は俺を仲間として信頼してくれているのだ。

愛「せーのっ、」
龍人「せっ!」

今のように、諦めずに立ち向かい必ず答えを持ってきてくれる彼女の力を俺も信頼している。だからやましい事はなかった。



愛「んしょ、行けそ!! 行けあたしっ、ふんっ! ふんっ! はははっ、ふんっ!」

龍人「ははは、ガラス蹴破るなよ!」



……その脚とケツのライン、眼福でないとは言えないが。



愛「開けたよーん」

龍人「よし、バレないうちに中入ろう」


大きい方の窓を開けて桧山が迎え入れてくれる。

そのまま教室を抜け出ると俺たちは階段を上がっていった。


愛「ちゃんと、溜まってるかな?」

龍人「夜中に少し降ったくらいだからな。でも開けておいて良かったぜ」




鍵のない、屋上のドアを開く。
ビニールプール2つと水槽、それと雲ひとつない青空が俺たちを出迎えた。




愛「あつぅいいいい!!」

龍人「騒ぐな、チェックチェックチェック……」


海がメルティウムに侵されてから、人類にとって水というものはその価値を上げていた。
こうして雨水を集めて利用する文化は世界に普及しているが、ここにいる少女は更に新しい試みを始めているのだった。

海洋植物。
藻や、ワカメともいう。

ヒトより先にメルティウムに滅ぼされた海洋文化圏、その遺産。
現在も養殖こそされているものの、食用品としての価値は上がりすぎて嗜好品の枠を出ない。

愛「わっかめちゃん、わかめちゃん、おー元気ー!」

陽光と水分をしっかり受けている。健康そうな色だ。
常無島において公害を含む雨というものは降らないので、雨水を直接入れている。

龍人「水移すぞー。そっち手伝え」

愛「はいはーい」



キュポキュポキュポ……



給油用のポンプを伸ばし、ビニールプールの少ない水をワカメの水槽に足した。


彼女は割と馬鹿だ。これは小さい頃から桧山を見てきた率直な感想だ。
しかし、決して愚者ではない。


彼女は虐げられるものに敏感であった。
人であれ、想いであれ、何であれ。


明るく生きる事を選んだ彼女が、ぶち当たり続ける滅亡の壁。
明るくできる事で生まれてしまった、どこに居ても絶えない妬みの壁。
母を早くに失ってしまった事で背負った、死と生の壁。



愛「んゆ? どしたのこっち見て」



そして、それをひとりでどうにかしようと戦う。
本人は否定するかもしれないが、こいつは万に一つの才がある少女であった。
この時代でなければ発露しなかったといえば、何とも悲しいが。


このワカメも、海に対する彼女なりの取り組み。


龍人「良くやるよな、桧山は。海の為にだなんて」

愛「だって、かわいそうじゃん?」


言うに、皆から恐れられて憎まれて遠ざけられる海が可哀想だと言う。
しかし、陸に限らず自分の肉体ですら海は殺しに来ると分かっていて、彼女はそれを否定しない。

だから、海そのものを憎んでも遠ざけてもいないと。たったそれだけの為に「綺麗な海」「大昔の海」を水槽の中に作ろうとした。



上手くできたらソレを抱き締めてあげるのだと言う。
なんとも馬鹿であった。



愛「ささ、乾いちゃうからビニール被せて戻ろっ」

龍人「おうおう」


ゴミ除け+蒸発除けの大きなビニールを、ベッドメイクするかのようにふたりで被せていった。


……

…………

………………


ジャアアアアアア……


愛「たつと助けてえええ! タオルなーい!!」

龍人「ハァすっぱかよお前!? 俺のカバンから持ってけ!! んで後で返せ!!」


校内には男女別のしっかりしたシャワー室がある。
なんと電気と水道がキチンと供給されている事が判明したので、汗まみれの身体を流す事にしたのだ。

それは先生の馬鹿か阿呆かうっかりか、それとも諦観か。

俺は諦観だと思う。



愛「えー!? 龍人も使うの何かヤダ!」

龍人「どうせもう拭いてんだろテメエ! 俺、服着られねえじゃねえか」

愛「しょうがないなー、困るだろうしいっか」

龍人「今度は持ってこいよ」


キュッ、キュ。


愛「え、あ、出るの!? 待って待って、まだあたしタオルウーマンだから、着替えてくる!」

龍人「おせーよ、あくしろー」


ダッダッダ……


龍人「……今度は、か。」

次に学校を訪れる時も、俺の助けがおそらく必要となるだろう。断る理由も無い。
学校は終わってしまい、地球はそのうち終わり、島は遠くない未来に終わるが、まだまだ終わると決まってないものもある。

それは、俺の心にほんの少し色を付けてくれた。


愛「カバンの上に置いといたよー。オモテしか拭いてないから、ウラ使ってね」

龍人「うい、サンキュ」




龍人「……。ウラもオモテもなくビシャビシャじゃねーか!!」

愛「オンナノコは髪の毛拭くからしょうがないの。わかめと一緒に、龍人も天日干ししてくればどうでしょ?」

龍人「せめて絞ってから返せよ! あああカバン濡れてるし!! あとでぶん殴っかんな?」

愛「だって、龍人は良いかなーって。あたしと龍人の付き合いじゃん!」


まあ、あれだ。
服着たら真っ先に殴ったさ。


……………………



愛「いたーい」

龍人「今日が暑くてよかったよ、まったく」


あまり拭き切れていない頭を掻く。
桧山の髪や身体を拭ったタオルは、何となくいつもと違う香りがして長い事使ってられなかったのだ。


愛「ぼうりょくはんたいでござんすー」

龍人「悪かったよ」

愛「うわぷ。……」


殴った頭を撫でてやる。日課ではないけど、珍しい事でもない。
上から、優しく髪を梳く。


愛「……。」


桧山は首を竦めているだけで、身を任せていた。


龍人「じゃ、上げるぞー」


愛「せーのっ、」
龍人「せっ!」


愛「あっつ校門あっつ!!」

龍人「はよせー桧山!」

愛「あちちあちあちあたし焦げる! 焦げらっしゃー! うらー!!」

龍人「頑張れ鉄板焼き!」

愛「そんな肉付いてないもん! あとでシメっかんな!」



スタッ!



愛「ありがと龍人!」

龍人「じゃ俺も行くか……うおあっつ! 確かにあっつ!!」

愛「だから言ったじゃん!? はよしろ霜降り!」

龍人「赤身100%だっつーの!! むおおおお!!」

愛「おーかっこいー!!」



スタッ!



愛「鉄板焼きじゃないもん」

桧山の拳が空を切る。可愛いので屈んでやった。

ポカ。

龍人「いてて」

愛「えへへ」


とりあえず周りに人はいない。問題なく不法侵入を遂行した俺たちは並木道を戻るのであった。


……………………

…………

……



愛「さて、お昼にはちょっと早いけど、どうする?」

龍人「もう用事は無いんだな?」

愛「うん。だって、普段は学校じゃん」




思い付いた日課を頭の中に挙げてみる。
不確かで限られた日々の中、俺は何を選ぶのか。




(この選択は、少し重要な選択だ。おおごとにはならない)

>>+1
1.桧山の家にお邪魔する
2.家に帰り、静流のもとへ行く
3.ひとりで南に散歩しにいく
4.ひとりで漁港へ行ってみる



龍人「桧山、メシ時までお邪魔していいか?」

愛「あ、いいよ。おいでおいで」



桧山の家は先に述べたように、飲食店を経営している。
島の中で定食屋でない飲食店はここだけだったりするので、少なくなった島民からも重宝されていた。


愛「あ、それともあたし何か作ってあげよっか?」

龍人「マジで。ご馳走になっていいか」

愛「もっちろん☆」

龍人「お代は?」

愛「けっこーです。んふふ」


本格的に昇った陽をしのぐようにしながら、帰り道をゆく。


愛「なんかね。お父さん言ってるんだ、潮時だって」

龍人「潮時。とな」

愛「前に連絡船来た時、すんごいいっぱい食べ物買ってったでしょ? あれ頑張って使い切るんだとさ」

龍人「あー、運ぶの手伝ったっけなあ」


本州からの連絡船はおおよそ2週間に一本。
たびたび島民が本州に流れていくのと共に、多くの必要物資をかなり格安で提供してくれる。事前に役所へ連絡すれば取り寄せだって出来る。
俺たちみたいな身寄りの無い子供なら、役人のお目こぼしという形でだいたいタダだった。


今の『沈没期』において現金は大した意味を成さない。


愛「あたしね、その、ね」

龍人「……」

愛「わたしは……」

龍人「言いたい事があるんだな?」

愛「う、ん。その、」


桧山の頭へ、手のひらを乱暴に叩き付けた。


愛「へぶっ」

龍人「必ず聞く。お前が、話せるところへ行こう」




愛「うん……たつと」



カランコロン……


龍人「どうも、お邪魔します」

透「いらっしゃいませーって、ありゃおかえり。何名様ですか」

愛「おふたりさまだよーん。」


桧山の家に着いた。
俺も桧山もおじさんも、勝手知ったる様子で振る舞えるもので居心地がいい。
ブランチに来ていたお客さんも、サンドイッチを片手に軽く会釈した。



透「ならお客さんっ、2階のVIPルームが空いてますよ。……冷暖房からベッドまでバッチリ。どうですぅ?」

龍人「お、ルームサービスはセルフですか?」

透「はは、チャーミーなスタッフがついてくれてるんだろう?」

愛「つまりはあたしの部屋じゃんよー! そのつもりだったけど!!」



俺はこの気さくで楽しいお父さんが好きだった。
だから、これから聞く話はあまり気が進まない。
正直、進まない。



……





ガチャ。

愛「おいでおいで~。あたしお茶入れてくるね」

龍人「おう、サンキュな」

桧山が顔色を見せたくないように振る舞っているのは、気のせいなのだろうか。



パタパタパタ……

愛「おっまたせー!! お、ナイスエアコン」

龍人「扇風機も?」

愛「え……うん」



ブォーン。


龍人「ははは、うっせえなやっぱり」


桧山の部屋の扇風機は何かうるさい。
寝るにもくつろぐにも向かないが……


愛「……たつと」
龍人「お茶置けな」


秘め事には向く。


ブォーン……




龍人「喉乾いたからさ、まず落ち着こうぜ」

あ、麦茶のコップ。
入ってる量は一緒だけど、片方は麦茶の液量より大きく結露が付いている。
並々入れすぎて飲んだのか、案の定唇型の窓が出来ている。



俺が取るまで、桧山からコップを取る気配がない。



……俺は。

(重要な選択だ。おおごとにはならない)

>>+1
1.口のついてないコップを取る
2.口のついたコップを取る




平時の俺からすると、気が狂っていたとしか言えない行動だったと思う。



今朝、学校を失って滅びを感じた時に、俺はどこかで日常を諦めてしまったのかもしれない。
滅ぶと分かったら日常なんかもう要らないと、どこかで決めていたのかもしれない。
この時代で日常を捨てた人は、殺したり壊れたり死んだりする。たくさん見聞きしてきた。

俺にとってそれは、お茶を飲むという事だった。


カラン。


愛「ぁ、」


ごくっ、ごくっ、ごくっ。



愛「たつとっ、それ、あ」



俺は、桧山の唇に気付いていながら、飲み干した。
半円の窓、彼女の粘膜のあとに、触れ合わせながら。
なんで俺の喉が鳴っているのか、何を飲んでるのかもよく分からない。



龍人「ごちそうさま」

愛「ねえ、それ……」



桧山は知っている。
普段の俺はそんな簡単な事に気がつかない男じゃないし、気付いてたらまず飲まないと。





桧山は、よく分からない表情で俺を見ていた。
初めて見る表情とも言えた。

頬が赤い。目の焦点が合っていない。息が浅いか、止まっている。

そこに居る桧山は初めて見るもので、俺からすれば初めて知り合ったようなもので、友達ではなく熱っぽい女がそこに居る。





俺の飲んだお茶も、酷い動悸の作用を持つ飲んではいけないお茶だったのだ。




愛「あ、あたしが口付けたって、知ってた、よね……?」

龍人「ああ」



愛「そっ、それはダメな方のイタズラでしょ! まったく、もー」

龍人「……」

愛「う……」

龍人「……」

愛「そ、その顔、やめて? 笑うとかふざけるとかさー、ね? なに考えてるか分かんないよ、ねえたつとっ」

愛「ねえ、たつと……」



愛「ヤケクソになっちゃダメだよ……」



龍人「!!」

身体が硬直した。

愛「怖いのは分かる。辛いのも分かる。分かってないように見えるあたしかもしれないけど、そういう嫌な気持ち……あたしだってあるもん」



見抜かれた。
俺の気の迷いが、目的を見失った男女の欲が、何から来ているのかを。

愛「あたしも、ホントはボロボロなんだよ。分からないだろうし、そう見えるようにやってきたけど。ずっと龍人に助けられてきたんだよ」



愛「直球言うけど……龍人は、溺れるつもり?」



振り回されているように見えた桧山が、今度は俺に詰め寄ってくる。
思わずたじろぐが、それ以上に俺に踏み入ってくる。
彼女はにじり寄り、そして俺の肩に触れた。




愛「あたし、ダメだもん……」

愛「ねえ、おねがいだよ……」




よく、分からない。互いに頭が浮ついていて、話の内容も自分の気持ちも……よく。
何を、願われたのか。
俺は、どうするのか。

(非常に、重要な選択だ。)

>>+2
1.桧山に溺れる。
2.溺れては、いない。
3.謝る。




肩に触れた、彼女の手を取った。



愛「たつと」

取ってから、それは縋るように震えていたと分かった。

愛「あたし、あたし」



そのまま手を引き、彼女を抱き留めた。



愛「龍人ッ……!?」



そんな、絶望したような声で言わなくたって良いじゃないか。

俺は悲しいよ。

惹かれたって、惹かれ合ったって……。



愛「龍人ダメっ、あたし龍人のことっ、大事だけど今はッ!!!」








俺は桧山を更に抱き、うるさい口を胸元に沈めた。




愛「ん、んう……!」



抵抗はするけど、離れはしない。
俺もそうだ。初めて「体の為」に抱き締めた桧山の感触に戸惑いこそあれど、離しはしない。



龍人「大丈夫だ」
愛「……! ん」



何がだろう。
俺には分からない。



龍人「大丈夫だ……桧山」
愛「たつと……」



大丈夫だ、もう大丈夫。
このまんまで、全部大丈夫だ。



愛「龍人は、大丈夫なの……?」



いつの間にか胸から抜けていた桧山が、問う。



俺はと言えば、
普段の彼女からは想像も付かない猫撫で声や
ふるふると揺れるまつ毛が分かる程の距離や
両腕の加減ひとつで意のままに感じられる柔肌と温もり
そんな、彼女には非情な事で頭がいっぱいだった。



龍人「おう、大丈夫だよ。」



愛「ああ……」

諦めたような声音のあと、桧山が抱き返してくる感触を味わった。



目的を持って、女と抱きしめあう。
それは恐ろしくキモチのイイ行為だった。

愛「ん、んう……」

柔らかい肉体。
甘い媚香。
とろける体温。


女性としてのステータスが欠けているように見えていた桧山の身体は、いや、とんでもない。


小さな胸が潰れるごとに、心拍が壊れ。
柔らかい毛先が首元をくすぐり、背筋を焼き。
腰を挟むように圧をかける太ももが、男の性を爆発させる。


小さい頃からの友人と、睦み合う安らぎ。
女の体臭と、甘く甘く香り始める本能。
耳孔を浸し身体を包み、彼女から働いてくる愛情。





初めてだからと言えばそうなのかもしれない。
とにかく、なんてことはない。
興奮しきっていた。





龍人「ひ やま」

愛「あい、って 呼んで……」



「んんっ……!!」



そのままの格好で唇を擦り合わせた時、幸福感が爆発するイメージに包まれ、頭が溶けた。



愛「んんっ、んっ、にゅううっ、んんぅ!」


唇の裏側がかすってしまった瞬間、お互いの本能が乾きより粘膜を求めた。
あっという間に頭の中がにゅるにゅるする事でいっぱい。
舌どうしがグルングルンと回り合う時、絶頂していないのが不思議なくらいの悦楽に浸される。


そのまま1分か2分か脳みそが絶頂する。



愛「んぅ、んぅ、んぅ、ぁんん、ぅぅぅ……!」



お互いの頭がこれ以上壊れないで済む、決まった舌の軌道に落ち着いてくると、
頭を焼く幸福よりも、内側から疼く深い快楽が制御できなくなってくる。



愛「んぅ、ぃう! にゅ、んん! んっ! ふぅん!」



彼女が鳴くたび、身体がおかしい。
わななく程の快楽が走る。
繋いだ唇から、脳裏にだけ響く声が電気信号のように襲ってくる。
しかも、だんだん積み重なってキモチ良さが大きくなる。


声で感じるなんて、あり得ないだろ……


そんな感想を抱き、もっと求めた。

全裸待機勢に申し訳ないので、今日は宣言して落ちます。
あと、彼らの行く末は決定しました。果てをお待ちください。



半ば本能的に、彼女の首を更に寄せる。
唇は余すところなく密着し、体勢を崩した愛がこちらにもつれて、そのまま倒れる。


龍人「……!!……!」

愛「ぁ……」


ぐりっ、とめり込んだ愛の太ももが、俺の性器を甘く圧迫していた。



愛「♪」



愛の瞳に悪戯の色が混じる。
床にべったり背を付けた俺に、容赦なく覆い被さってきて……



愛「あん……ちゅ、う。ちゅう、ちゅ、ん、んむ、んふふ……」
龍人「……っ! ぅ、あ」



俺を抱き枕にしたまま、身体を揺する!
キスをする口内にも抜き挿しの刺激が混じり始め、女体からもたらされる上下運動は本能に抗いがたい。



愛「んっ、んっふ、んう♪ んにゅ♪ んふふ、ちゅぷ、」



ああ、声が笑っている。
この悦びがバレてしまっている……恥ずかしい。
気持ち良い。

気持ちが、良い。
甘い。やばい。
いつまでも味わいたい、続けていたい。

一緒に感じたい、愛と感じたい、
もっと気持ちよくなりたい、
求めたい、求めて欲しい、抱き締めたい、抱き締めて欲しい……!



愛「……! んっ、んう! ふ、ぁ、んにゅ! んっ!」



腕が自然に揺れ始める。
腰が勝手に揺れ始める。

愛の細い身体を揺らし、そのわき腹をすり、すり、とさする。性的に、情欲のままに。
優しく擦れると気持ち良いんだろ。俺も手のひらが気持ち良い。
密着してても気持ち良い。重みで潰れて気持ち良い。温もりだけでも気持ち良い。


お尻。
もも。
首筋。


愛「ぁあ、んっふ、ぁ! ぁう!」


思い付くやばいところを何度もさする。
密着した身体がぶるりと震えるたび、一緒に高まる気がしてくる。

愛の指先も、いつの間にか耳の裏側に侵入し、こそばゆく俺を掻き立ててくる。
意識が散漫になった唇に、愛情のこもったキスをせがんでくる。
そうだな、にゅるにゅるもたまらないな。気持ち良い、気持ち良くなれ、気持ち良い……!



愛「ん! ふっ、うっく、ふぅん! んんう!」
龍人「……! っ、う、!! っ、う!」


抱擁。
キス。
愛撫。


自分の悦ぶ事をして。彼女の喜ぶ事をして。
極上の3つを同時に味わい、5分もする事には、お互いとろけきって、切羽詰まって、疲弊していた。
これ以上このままだったら、身体も心も保たない。
この子とハグしているだけで、絶頂に連れて行かれそうなのだ。


龍人(もっと欲しい)


彼女が欲しい。
愛が欲しい。


愛「ぷは……ぅ」


お互いの舌から、つう、と糸が引く。
愛の潰れたおっぱいが、どっ、どっ、と鳴り始めた。
ああ、俺もだ。どうしようもなく興奮する。


愛「ねぇぇ……たつとぉ……」


背中から手を回し、愛の素肌に触れた。


愛「!!! あんっ!!」


愛は冗談みたいな声を上げた。
その時、俺の何かがプツンと切れた。


愛「あっ、たつとっ! ひぁ、ああ!! きゃ、ね、ねえこれ、うそ、あああ!!」


脱がす。
肌を揉む。
襲う。襲う。
脱がす。
愛する。
愛を注ぐ。
ねぶる。
抱き締める。
大切に想う。
愛しく想う。
腰を押し付ける。



……

頭が苦しい。

酸素を吸うと、ほんの少しだけ理性が返ってくる。

愛「たつとぉ……たつとぉ……」

そこには、裸に衣服を引っ掛けたままの、とろけきった愛がいた。

この甘い少女を抱いたら、どれだけ気持ちが良いのだろうか?

龍人「……!」

その疑問を抱いた時、俺は答えるより先に脱衣していた。もう制御が効きそうにない。

愛「ぁは……おっきい……♪」

愛が、俺の性器を物欲しげに見つめる。
おっきかったら痛いだろうに。
優しく、愛して抱こう。


そんな事を考えるので、人生最後の酸素を使い切った。




特に意識する事もなく、口の付いてないコップを取る。
喉を通る冷たさを、気持ち良く嚥下した。



愛「ほう、いい飲みっぷり」

龍人「たまらんねえ」

愛「んく、んく、んく」



桧山は腰に手を当て、コップを逆さまになるまで傾けていく。
うなじを堂々晒しながら、ごくごくと動く喉を見守った。



愛「ぷああ゛~っ!!」

龍人「やめい親父くさい」

愛「うえっへっへ、たまらんのう」

龍人「お前の親父像がそれだったら、透さん泣くぞ」

愛「知らんしあんなん!」


桧山は、飲んだものの代わりのように不満を吐き捨てる。
しかし、とても言いにくそうに口を開いた。


愛「お父さんがね。今週で店閉めて、次の連絡船で常無島出ようってさ」

龍人「……」

愛「本州で、やりくりするアテがみつかったんだって。借家も借りれるから、そこに行こうって」



俺や静流とは違った。
子供を守る事だけを考えている、親の鑑だった。
何を、怒る事があるのだろうか……?



静かに、深い怒りを湛えたまま、続ける。


愛「あたし、そしたら龍人としずちゃんにも予定を聞いてくるねって。一緒に行くって言ったの」

龍人「……桧山」

愛「でもね、お父さん」







愛「彼らは、ここで死ぬ気だよ」







愛「って。」

信じられない信じられないとでも言うように、頭を振る。

愛「そんなこと、ないよね。これからも、付いてきてくれるよね?」



静流と俺は、何も言わずとも、互いの事を知っていた。
振る舞い、オーラ、眼差しから、互いの覚悟を感じ取っていた。



俺たちはここで死ぬつもりで。
桧山とは、行けない。



愛「……」


桧山が怒っているのは、透おじさんがこれからも共に行けると思っていた俺たちの事を邪険にしたからと、そう感じているからだろう。

だが、静流と俺は違う。歴史からここでドロップアウトする。



龍人「桧山」

愛「……」

龍人「俺たちは、沈
愛「馬鹿言わないでッ!!!」



答えを告げた時、呆然とした様子も無く激昂したのは、既に答えを感じていたからだろう。
俺が、桧山が告げたがっていた事を察したように。



龍人「……悪いな」

愛「悪くない! 悪くなんてないから、理由を聞かせてよ!!」

龍人「永らえる事に価値を見いだせない。本州に蔓延る、今の常世で生きたくない」

愛「あたし、馬鹿なの。知ってるでしょ、分からないように言わないでよっ、逃げないでよっ」

龍人「沈む事に怯えて、誰かを下に引きずり下ろし、上へ上へと行きたがる。俺たちはそんな場所に移り住んだって……ダメなんだ」

愛「……蜘蛛の糸?」

龍人「馬鹿のわりにモノ知ってるじゃねえか……まあそれだ」

愛「龍人もしずちゃんも、人の糸にはすがらないし誰かを蹴落としたりはしない。あたしが保障する」

龍人「その糸は、まさに連絡船って呼ばれてるんだっつの。自分が滅ぶと分かって心を壊してしまった人たち皆が、死んでから掴みたいと分かった糸だ。」



龍人「桧山……きっとお前になら分かるだろ? 壊れてしまった人たちこそが、むしろ生きたかったんだ」



愛「……」

龍人「……」

愛「……………………」

桧山は顔を伏せ、動かなくなってしまった。





愛「間違ってる」


桧山が不意に静寂を破った。
強い言葉ながら、存外感情的な色が見えない。



愛「死んでから掴みたかった糸を知っているのに、どうして死のうとするの。おかしいじゃん」

龍人「死に急いでるのとはワケが違う! 誰かの筈の居場所を埋めてまで、移りたい世界が無いんだ!」

愛「……。そんなに、本州が怖いの?」

龍人「こわ、怖くなんかっ……!!」



いつの間にか、俺の息が荒い。
立場が先と逆転している。



愛「怖いよ。あたしも。」

愛「お父さんが連れてくれる新しい場所……どこかもわからないし、土地や住所の問題だけじゃなくて隣近所に何が居るかもわからない」

愛「お父さんの腕が外で如何程か分からないけど、あたしも働かなくちゃいけないかもだし」



本州の情報、情勢については島に届く限られた電波の中で知り得る事だ。
しかしながら、その限定的な情報でさえ崩壊・滅亡する社会のひずみをありありと伝えてくる。
桧山も知らないという事はないだろう。

まともに働いてまともに飯が食えるかも怪しい。
俺たちには力も無ければ自己も無い。
内外の混沌に耐える依り代も無い。


仮に一緒に行っても……俺は桧山の友人としてその依り代には成り得ない。弱すぎるのだ。


愛「そもそも。」
愛「龍人としずちゃんが似片寄ってるとは言えど、龍人の理屈の半分はしずちゃんの借り物でしょ?」

龍人「……。確かに、そういう見方もあるわな」

愛「あたしが見る限りはそうなの。しずちゃんも同じ、龍人の思う事言う事が半分は入ってると思うな」



訂正しよう。
この少女が馬鹿だなんてとんでもなかった。




愛「龍人。しずちゃんにもう一度聞いてみた方が良いと思う。ハッキリと、正直に」

愛「龍人としずちゃん、すごく近しいけど同じじゃないんだよ?」

愛「龍人もそう……しずちゃんの事を抜きにして、ちゃんと考えた方が良いと思う」



…………


桧山が部屋から消えて、飯を作って帰ってくるまで、俺は何も考えられずに呆けていた。



…………


透「お、もう良いのかい?」

龍人「はい、用は済みましたから」

透「今、外暑いから気を付けてね」

龍人「はい、お邪魔しました」





透「話したんだね?」

愛「どうして分かったの?」

透「ふたりの顔見りゃ、分かるよ」

愛「……。ピーク過ぎたでしょ、お皿洗ってくる」

透「はいはーい」



ミーンミンミンミン……


龍人「……」

せっかくの好物、桧山家のハンバーグも食った気がしない。



『しずちゃんの事を抜きにして、ちゃんと考えた方が良いと思う』



静流は……家に居るだろう。
この暑さの中、ひとりで出掛けるタチではない。



……ひとりで、か。
何をするにもというわけじゃないが、確かに俺の思考と静流が切って離された事はあまり無いのかもしれない。



さて、俺は南区と中央区の境で固まっていた。今は独りになりたいが、どうしたものか。


(この選択は、少し重要だ。おおごとにはならない)

>>+1
1.諦めて帰宅する
2.家を通り過ぎて、海へ散歩
3.北へ戻り、漁港の方へ
4.今だけは本当にひとりになりたい



ミィーンミンミンミン……


龍人「ぐぅ……」


流石に日差しが辛すぎる。
エアコンの効いた家は諦め、次善の策として気温の低い海岸へ向かうことにした。




……………………


ザァ……

今日の波は穏やかだ。
誰が空けたのかも覚えていない家屋の陰で、涼を取る。

コンクリートは熱いが、腰は下ろしたい。




「やっほ、お兄さん。涼みに来たの?」




静流とも桧山とも違う、友人の声がした。
汗が引くどころか増えかねない、ぞわっとした悪寒を伴って。



龍人「……ああ。久しぶりだな、白鳥」




振り向くと、そこには生気のない色白の少女がいた。
肩にツイてる。


「びっくりした?」

龍人「慣れたわ」

「手で払わないでよ。汚くないよ」


その少女は、白鳥由紀(しらとりゆき)と言う。
この辺に漂う地縛霊だそうだ。



足の先こそ無いが、同じように脚を伸ばして隣に腰掛ける。


由紀「どうしたの、お兄さん。元気ないね」

龍人「ああ……色々とな」

由紀「ふーん」



白鳥は俺の視線の先を追った。
不透明なエメラルドの海が、陽光を受けキラキラと揺れている。

俺はこのメルティウムと化した、劇物でもある海が……実は好きだ。



由紀「お兄さんにも悩み事ってあるんだ」

龍人「おい、失礼だな?」

由紀「だって、いろいろ頓着しないように見えるし」



白鳥は、2年前に自殺して亡くなった。
理由は……この世界でわざわざ言う事でも無い気がする。

彼女は、どうも俺にしか姿が見えず、声も聞こえない。誰かといるとどこかへフラフラ消えてしまう。
生きていれば丁度俺と同い年であったが、妹のように扱っていた。



龍人「バーカ。さっき、お前の事を話してた頃だよ」

由紀「うえっ? マジ?」

龍人「色々隠して、だけどな。」



壊れてしまった人こそが、掴みたかった糸。
あれは当てずっぽうな思想で口にした訳ではなく、先達者として佇む、隣の少女を思って出た言葉だ。




龍人「……沈み始めたな、白鳥」

由紀「そりゃ知ってますよーだ。わたしの方がずっと長く海見てるんだよ」

由紀「他に見るものないもん。せいぜいお兄さんくらい」



せいぜいとはなかなかだ。せっかく、少し心配したのに。

この地に囚われた彼女は、死の恐怖に怯える事のない代償として糸に縋る権利を失った。
命があるかどうかに関わりなく、すぐ沈むかいつか沈むかの選択肢を失う事は、この世界で苦しい事だと思う。



龍人「まあ、せいぜい困ったら言えよ」

由紀「……」



海と俺しか見ないのであれば、海に悩みを吐くわけにもいくまい。



由紀「そんなもやもや顔で、優しいっぷりして」

龍人「悩んでない奴なんかいない。俺もだ」



俺も逝くとは言わなかった。




龍人「お前さ、もしもだよ? 幽霊でも船乗れるとしたら、連絡船乗って本州行きたいか?」

由紀「えっ? 行きたいワケあると思います?」


……疑問系で返されてしまった。愚問なのだろうか?


由紀「まず向こうにわたしの欲しいものなんか無いですしー……えーと、落ち着ける土地も恐らくないし?」

由紀「今さら何かを見に行く事も無いし、興味もわきませーん。大体、本州が魔境だって知っての質問?」

龍人「ああ、悪いな。お前テレビ見てないだろうけど、お前が知る頃より更に酷くなってるよ」



ニュースで、自殺者数と殺害件数が折れ線グラフに出来るくらいには酷い。
こないだのピックアップされてた月は……31000人だっけか?



由紀「あらそうですか、バカですかー。もう。そんなところにおっ飛ばしたいだなんて、わたしお兄さんに嫌われてるのかな」

龍人「べっつに、そうじゃねえよ。お前となら船乗っても良いかなって思っただけ」

こいつが地縛霊なのは聞かされているので、この会話は最初から冗談だ。

由紀「あっ? え?」


それでも少し嬉しそうな顔を向けてくれた時、取り消すに取り消せなくなったのだ。


…………



龍人「んじゃ行くわ、ありがとな」

由紀「あ、行っちゃうの?」

龍人「悩みが晴れたわけじゃねえけどな。家に帰るくらいにはマシになった」

由紀「そっか、また来てねお兄さん」



手をヒラヒラさせて、踵を返す。



由紀「おにーさーん!」



幽霊らしからぬ大きな声。



由紀「お兄さんは、向こう行くのー?」



向こうに行く、か。
こっちに来るのとは言われていないが、究極的には同じだ。


重ね重ね、白鳥の姿や声は他の人間には認識できない。不審なので、大声で答えるのは一度きりだ。


龍人「……すぅ」





(この選択は、後出しジャンケンのようなものだ。おおごとにはならない)

>>+1
1.いくぞー!!
2.いくいく!!
3.(答えない)



龍人(……いや)


あらぬ誤解を与える必要はない。
吐くために吸った息を無駄に吐いた。




白鳥「……」

もう一度手をヒラヒラし、海辺をあとにした。


………………



白鳥「お兄さん……」

それも誤解を生むとは知らずに。



ガチャ


龍人「ただいまー。静流ー」


返事はない。
時刻は2時ごろ、静流は昼寝でもしているかもしれない。





階段を上がり、自分の部屋のエアコンをつけてから無造作に静流の部屋へ侵入した。





……





静流「す…………す…………」



静かな、ごくごく静かな呼吸。
静流は寝ていた。

龍人「……」

特に珍しい事ではなく、休日に暇であれば静流はすぐ寝てしまう。
体質に問題があるわけでもないので、単にベッドで安らぐのが好きなだけだろう。




静流「す…………す…………」




俺はベッドの横にもたれ、静流に背を向けながらその呼気を聴いていた。




……




龍人「……」

呼気が変わった。




もぞ。

静流「あ……いたの。たつと」

対して驚いた風でもない。

龍人「居たよ。ただいま」

静流「ん、おかえり……」



もそりとベッドから起きる静流。
長髪が立ち上がり、優美な曲線を描く。



静流「なに。待ち伏せでもしてた」

龍人「いんや、別に。」

そのまま起床しようという静流のお腹に手を置き、制する。

龍人「寝てたら?」

静流「な、なに。どうしたの」

龍人「なんもしないよ……」

昨日までは貴重な昼下がりで、今日からは毎日過ごせる昼下がり。
静流と過ごすのは悪くない。

静流「……嘘つき。なんかあったから、わたしの所に来たんでしょう」

バレていた。
まあバレるだろうとは思っていたが、やはり敵わない。





龍人「分かった、言い直す。そこに居て、姉ちゃん」

静流「ん」

この返事が好きだ。
何の感情も乗せず、肯定も否定もせず、ただ了解しただけの、静流の返事が。




閉じ込めた静流の体温が温かい。
ゆるやかに冷風を吐く部屋の中で、手を置いた布団だけが有機質である。

龍人「……」
静流「……」

何も言わなければ何も言わないでくれる温もりが、俺の疑問を拒むことがあるだろうか。
怖がらずに打ち明けてみる決心がついた。



龍人「静流」

静流「……どうしたの」

龍人「静流は……常無島に残るの?」



静流は、窓の外に視線を移した。
海が見える。


静流「どうしよっかな」


静流は少し困ったように、笑っていた。
蕎麦かラーメンか悩む程度のように。


静流「わたしも、まだ決めてない」

龍人「……」

静流「龍人?」


俺はというと、少し驚いたというか裏切られたというか、アテが外れたような気がして、呼びかけに応えるのに時間を要した。

静流は、俺と逝くのではなかったのか?


龍人「いや、なんか」

静流「……。どっちだと思ってた」

龍人「沈むものかと」

静流「まあ、そう見えるかもね」


かもではない。そう見えていたのだ。
俺が静流に理解されているくらいは、俺も静流を理解していると思っていた。
あるいは、理解しているが故に気持ちの隠し方も知っているのか。




静流「……龍人は沈むつもりなの?」

龍人「俺は……。……」

沈まないなら本州に向かうよりない。それは俺の望まない事だった。
しかし俺死にますと言うのは難しい。桧山には濁して言えたのに。

言葉に詰まると、静流の腹部に置いていた手に両手が添えられた。




静流「それじゃ、聞き方変える。龍人は沈むのが嫌?」

龍人「沈んで、それで、楽になるなら」



静流「違う。……じゃあいいわ、龍人死にたい?」



手がキュ、とわずかに握られる。
ふと、静流の顔を見た。硬い。

恐ろしい質問は、投げかける側だって怖くないわけがない。
その手から伝わる恐怖こそが静流の望む答えを示していて、俺が出すべき答えでもあった。


龍人「死にたくない」

静流「わたしも」



そこは双子だった。純粋な気持ちで言えば死にたい理由なんてどこにもないのだ。

龍人「ふふ、そうだったわ」

静流「そうよ」

これなら気楽に今後の事を話せる。






龍人「なあ静流、桧山ん家が次の船で出て行くとよ」

静流「え。本当?」

龍人「ああ。透おじさん、向こうでアテが付いたんだと」

静流「ついに、か……」


静流はある程度は予見していたらしい。
姉ちゃんは、俺だけでなく色んなところでどうにも察しが良い。



静流「それで、わたしたちはどうしよっかって?」

龍人「そう。現実、片方で動くわけにもいかないだろ」


片方。
自然にその言葉をチョイスした事が、桧山の言う通りである証拠なのかもしれない。


静流「そうね……」


静流は、俺と同じく思っているのだろうか?
逆に、桧山は何を思っているのだろうか、静流と何が違うのだろうか?





静流「喉乾いたから、下行かせて」

龍人「あ、ああ」

龍人も、もう少し考えたら。
そんな言葉を付け足され、それ以上の答えは先送りにされてしまった。

このSSまとめへのコメント

このSSまとめにはまだコメントがありません

名前:
コメント:


未完結のSSにコメントをする時は、まだSSの更新がある可能性を考慮してコメントしてください

ScrollBottom