魔導士と少年 (47)

===

「俺を弟子にしてくれ」と、押しかけて来るなり少年は言った。

「そいつは無理な話じゃよ」と、押しかけられた魔導士は言い切った。
 
「どうしてさ」と魔導士を睨み付けるようにして、勢いよく少年が詰め寄る。

 
「金ならあるぞ。ほらっ! 俺は金貨を沢山持っているんだ!」

 
 身なりのよい少年は、肩から下げていた上等な革であつらえられた鞄から、
 腹いっぱいに膨れた小銭入れを取り出してそう言った。
 
 そして金貨の入った袋は言葉通りに、少年が手を振る度にジャラジャラと、気持ちの良い音を部屋中に響かせた。

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「……なるほど確かに、中身を見るまでも無い。それだけの量の金貨があれば、家の一件や二件だって買えるじゃろうて」

「そうさ! それだけの金がこいつには詰まってる。だけどそれでも足りないって言うのなら……
 ちょっと時間はかかるけど、すぐにもう一袋、いや! 二袋だってここに持って来るさ!」


 だが、老練の魔導士は顎に蓄えられた白い髭を触りながら、静かに、諭すように少年に言った。

 
「悪いがな、金の問題ではないのだよ。むしろこれは、魔導士としてのプライドの問題じゃ。
 例えこのちっぽけなあばら家を埋め尽くすほどの金貨を積まれたとしてもだね、
 年端も行かぬ少年に、死者を蘇らせるような魔法を教えるわけにはいかんのだ」

 魔導士の言葉に少年が、ぎくりとした態度を見せる。
 
「ど、どうして俺が、死霊術を習いたいって分かったんだ?」

「ワシとしては、むしろなぜ気づかれぬと思ったのか……そっちの方が、聞きたいところじゃなぁ」

 そうして魔導士はニヤリと笑い、「のう、首長の息子よ?」と言葉を続けた。

===

 年老いたこの魔導士の住んでいた小屋の中は狭く、雑多で、なんだかよく分からない匂いで一杯だった。
 
 壁に並んだ棚の中には小瓶や本が乱雑に押し込まれ、天井からは吊るされた薬草の束がいくつもぶら下がり、
 部屋の三分の一ほどを占拠した作業用の台の上には、錬金術で使うのだろう、様々な材料や器具、
 そして実験結果を書き留めておくための、羊皮紙のロールと羽ペンが散らかっていた。
 
 そんな中、こじんまりとした小さなテーブルと椅子に座って、魔導士はこの厄介な来訪者と対峙していた。

 
 パチパチと、暖炉の中で弾けた薪が音をたてる。魔導士は皺だらけの手を軽く上げると、
 
「いかにも。ワシの生業は魔導士であり、普段はここを訪れる客から金をとってはその悩みを解決し、生計を立てておる」

 そう、この老人は、何度も言うが魔導士だった。
 それもそんじょそこらの肩書だけの魔導士なんかとは、比べ物にならない程の知識と経験を備えた大魔導士だ。
 
 今年十三になる少年にとって、そんな彼が自分の住む地域。
 それも都の近くに居を構えていたのは、願ってもいない幸運だった。

 
「だから俺は朝早く、衛兵たちの目を盗んでここまでやって来たんだ。
 金さえ出せば、どんな願いだって叶えてくれるって評判のアンタに会うために! 
 なのに金はいらない、おまけに死療術も教えられないってどういうことさ!」


 少年が大声でそう叫ぶと、部屋の中に吊るされた、薬草の束がゆらゆらと揺れた。
 老人は髭を撫でつつそのゆれが収まるのを待ってから、
 
「ほっ! 御付きも従えずにここまで来たとな? 大したもんじゃ、外には野盗だってごろごろおるだろうに」

「そんなものは恐れちゃないさ!」

 少年が、ベルトに吊っていた一振りの剣をポンと叩く。
 
「俺には衛兵長直伝の剣技と、この剣があるからな。例え狼の群れに襲われたって、生き延びる自信がある!」


 それは魔導士からすれば、余りにも滑稽な回答であったが――彼は「ふむ」と頷くだけで、特に何も言わずにおいた。
 
 年寄りのお節介な忠告を、若い彼が素直に聞き入れないであろうことぐらい想像に難くは無かったし、
 なによりこの「小さな勇者さん」の機嫌を損ねることで、この静かな暮らしを無駄に騒がしくするのは馬鹿らしかったからである。

 
 なにせ、彼はこの地方を納める首長、その息子なのだ。

 まだ子供とはいえ、彼が父親に一声かければ、自分はたちまちこの地方を追われることになるだろう……
 そんな面倒事はハッキリ言って、避けられるならば避けたいものだ。

 
「それで、もう一回聞くけど。どうして俺に魔法を……いや、違う。死霊術を教えられないって言うんだよ。
 自慢じゃないけど、俺は剣の他に魔法だって使えるんだぜ? ほらっ!」

 言うが早いか少年が左手をかざすと、パチパチと燃えていた暖炉の炎がずずずっと形を変えて、
 その左手へと集まり出した――それは紛れもない魔法。炎の術の一種である。

 
 その姿を見た老人が、今度は「ほぉ……これは」と感嘆の声を上げる。
 
 そうして自分の思っていた通りの反応が返って来たためか、少年は満足そうにニヤリと笑って、
 
「どうだ? 王宮術師の先生は、これを見て俺には才能があると褒めて――」

 だが、少年が言い終わらないうちに老人が指を鳴らすと、
 
「わぶっ! な、何するんだよっ!?」

 暖炉の傍、火消し用に蓄えられていた桶の中の水が、渦となって暖炉の火を――そしてついでに少年の左手も――消化する。

 
「何をするも何も、こんな狭い部屋の中、火事を起こされてはかなわんからな。
 そういう魔法はもっと広い場所、それこそ大道芸や野営の余興なんかで使うもんじゃ」

「よ、余興だって!?」

 桶の水により、左半身をすっかり濡らした少年が言う。
 
「俺の魔法が見せ物だって言うのか!? い、いくらアンタが高名な魔導士だからって、ぶっ、ぶっ、無礼だぞっ!!」


 怒りでわなわなと肩を震わせながら少年が怒鳴ると、今度は棚の中の小瓶がカタカタ鳴った。
 
 老人はちらりと棚に目をやった後で、
 
「あぁ、そうだとも。お前さんが使ったのは、あくまで火の形を操っただけに過ぎん。
 ワシが指を鳴らして水を操ったのと、同じようにの」


 老人が再び指を鳴らすと、石畳の床の上に広がっていた水たまりが、再びぐるぐると渦を巻きながら桶の中へと戻っていく。
 
「魔法と言うのは本来、この世ならざる場所から何かを呼び出すものを言うのじゃよ……例えばそう、このようにな」

 三度目。指が弾かれた途端に、湿っていたはずの薪に火がついて、轟々と燃え盛る青い炎が現れた。

 
「『この世の事象を己の意のままに操るのが魔術であり、この世ならざる事象を呼び起こすのが魔法である』
 かの有名な魔導の入門書、その最初の一ページに書かれている有名な文句だったハズじゃが。最近の若い者は知らんのかな?」

 老人がそう言って、棚から一冊の本を取り出した。

 それはいかにも古そうな装丁で、表紙もボロボロ。
 紙を纏めていた糸がほつれたのか、中のページも幾枚か、端から少し飛び出している。

 
「ちなみに、この本の著者は何を隠そうこのワシじゃ。死霊術なんぞ邪法を教えることはできんがの、
 その袋の中に入った金貨と引き換えに、この本を譲ってやることならばできるぞい」

「そ、そんな本、見たことも聞いたこともあるもんかっ!」

 水に濡れた少年はそう言い放つと、持っていた金貨入りの袋を鞄に戻して、
 
「教えてくれないって言うんなら、もういいさ。けどな、役立たずな魔導士なんかこの都にはいらないって、
 そう父さんに進言してやるから覚悟しておけっ! 後悔したって遅いぞ! 俺はもう決めたからな!」

 そうして老人の止める間もなく、少年は来た時と同じで勢いよく家を飛び出した。

 
「やぁれやれ。最近の若いもんには、冗談すら通じんのかな」

 開けっ放しにされた扉を見ながら、老人がため息をつく。
 
 そうして彼が「よっこらしょ」と立ち上がると、木の扉がひとりでに、パタンと小さく音を立てて閉まった。

「……どれ、荷物でもまとめるとするか。ここは久しぶりに静かに暮らせる、良い土地ではあったんじゃがのぉ」

===

 城を飛び出した時には山よりも高い位置にあった太陽も、
 魔導士の家を出る頃には山の陰に隠れる程低くなっていた。
 
 そんな中、整備された街道を少年は走る。
 都は今頃、自分がいないことで大騒ぎになっているだろうか?

 
「くそっ! くそ、くそっ! あのケチな魔導士の爺めっ!」

 走りながら口から出るのは、あの老いぼれ頑固な魔導士に対する文句である。

 
「何が死霊術は教えられないだ! 何が俺の魔法は見せ物だ! 
 挙句の果てにはあんな古びた本を法外な値段で売ってやるだなんて、人を馬鹿にしたことまで言いやがって!」


 もうすぐ陽が、沈もうとしていた。石畳の街道が、夕陽で赤く染まり出す。
 
 彼が大きく足を前に出すたびに、鞄の中の袋がジャラジャラと小気味良い音を響かせる。

 
「俺がどんな思いでここまで来たと思ってるんだ! 畜生、ちくしょうっ!!」

 これでもかと奥歯を噛みしめて、怒りを吐き出すように両手を振って少年はただひた走る。

 少年の頬を流れる涙が、夕陽を反射して光っていた。


 ――さて。

 この後も話を続けるために、そもそもどうしてこの少年が、ここまで死霊術とやらにこだわるのか? 
 簡単にだが、その説明をしておかぬワケにはいかないだろう。
 
 さらにそのためにはここ数年、この国のあちらこちらで
 恐ろしい流行り病が猛威を振るっていたことも、予め知っておいてもらいたい。

 
 ……察しの良い人はもうお気づきであろうが、この流行り病は最近になってから、少年の住む地域にも分け隔てなくやって来た。
 
 何処からともなくやって来たこの流行り病は恐ろしい速さで地域全体に広がると、人も動物も関係なしに、
 多くの命を奪っては、また嵐のようにいずこかへと去って行った。
 
 そうしてその犠牲者の中には悲しいことに、少年の母親も含まれていたのだ。

 
「母さんが死んでから、妹はいつだって泣いている。
 父さんは俺たちよりも病気の後始末に忙しくって、そんな妹を気にかけてやる暇も無い!」


 そう、そうなのだ。

 病が去り、慌ただしい母の葬儀が終わった後で、少年は兄として、そして一人の男として、
 自分よりも幼い妹を守り、慰めようとそう心に決めたのだった。
 
 だがしかし、彼がどれだけ言葉をかけようと、どれだけ妹の気を紛らわそうと努力しても、
 彼女に笑顔が戻る気配は一向に無く、最近では自分の部屋に閉じこもり、外に出ることも滅多にない。
 
 そんな折、少年は風の噂に聞いたのだ。死者をこの世に呼び戻す術があることを。
 死した者の魂を呼び寄せて、会話することすら可能にする、禁忌の術があることを!

 
 けれども、その術の存在を知ったところで、少年が取ることのできる選択というのは限られていた。
 
 どこにいるのかも分からない、闇に生きると伝えられていた死霊術師と接触する方法など、彼は知る由も無かったし。
 魔法を教えてくれる先生が、そんな邪法とされる死霊術について教えてくれるとは到底思えなかった。
 
 むしろそんなことを訪ねれば、あっという間に父の耳に入り……何を考えているのかと、叱責されるのが目に見える。

 
 だから少年は、老人の元を訪ねたのだ。

 
 何でも悩みを解決できると評判の、大魔導士として知られている彼ならば、
 邪法とされている死霊術についても当然いくらかの知識はあるだろうと思えたし、
 何より彼の弟子になれたなら、自らの手で死者を呼び寄せることも不可能ではないかもしれないと考えたからだ。
 
 無論、一流の魔導士になるためには長年にわたる修行と研鑽が必須なのだが。
 まだ若く、ただ前だけを向いて進む彼には、そういった細かい事実を気に掛ける心の余裕など無かったのである。
 
 自分には才能があるのだから、人よりも早くなんだって出来ると、信じて疑いもしないのだ。
 
 実際に彼の父親お抱えの魔術師曰く、少年には人よりも少しだけ上等な、魔術に関しての才能があったのだから。

===

 少年の進む道の先に、夕陽を背にして二つの黒い影が立っていた。その影に近づきながら彼は思う。

 
 恐らくあれは、城からの使いじゃないだろうか? 
 きっと行方をくらませた、自分を探している衛兵か何かだろう――と。


 
 だがそれは、余りにも物を知らない愚か者の考えだ。
 良く言えば、人を疑うことを知らぬ者の考えでもある。
 
 徐々に目が慣れ、そこに立っていたのが何者なのか気づいたときには、既に少年は逃げ場を失った後だった。

 
「はっはっはっ! これはこれは……また元気の良い獲物が飛び込んで来たもんだ!」

 影の一人、荒々しい黒ひげをたくわえた屈強な大男がそう言って愉快そうに笑うと、
 
「耳元で大きな声を出すんじゃねぇ! 刻まれてぇのか、手前は」

 隣に立つ神経質そうな顔をしたやせっぽちが、手にしたナイフの刃を指でなぞりながら言う。
 
「おっと、仲間割れなら歓迎だぜ。ガキ一人なら俺だけでも十分だし……二人も減れば、その分取り分が増えるからな」

 後ろから聞こえてきた声に少年が振り向くと、道の傍、草むらからまた一人、ニヤニヤと笑う小男が姿を見せる。

 
「けっ、よく言うぜ! なりは小せぇくせに口だけはでけぇ野郎がよ」

「おっと、そう吠えるなよ。お前のキィキィした声は、酔った頭に響くんだから」

「がっはっはっはっはっ! 二人ともその辺にしとけって! 
 喧嘩なら獲物を片した後で、たっぷりとすりゃあいいだろうが!」

「だから、耳元で怒鳴るなって言ってんだっ!」


 自分を囲むようにして立つこの三人の男たちが何者なのか、その服装と会話から、ようやく少年も理解した。

「や、野盗だ……で、でも、なんで?」

 恐怖から強張る体。震える口からつい、疑問がこぼれ落ちる。
 するとナイフを握ったやせっぽちが、
 
「おい、聞いたかよ? こいつどうして俺達に狙われたのか、その理由が分からないらしいぜぇ?」


 小男がニヤニヤした顔をもっと歪めて、少年の方に指をさす。

「いやいやいや、そいつは傑作だ! このガキ、自分が俺達を呼び寄せたことに、気づいてないって言うのかよ!」

「はっはっはっ! こいつはとんだ大間抜けもいたもんだ!」

 そうして、三人は一斉に笑いだしたのだ。

 
「い、一体どういう意味だ!? お、俺がお前らを、その、よ、呼び寄せたなんて……!」

 それは張りも何もない、怯えた子供の空しい叫びだった。
 大男が、その太い両腕を組んで少年の鞄を顎でしゃくり、

 
「それよ! その鞄の中身が、俺達にここにお宝があるって教えてくれたのよ! 
 ジャラジャラジャラジャラ、聞いてて気持ちの良い派手な音でな!」


「音の出所探して見てみれば、身なりの良い小僧が一人、護衛も無しに道を走ってるじゃあねぇかよ」

「後は簡単。先回りして待ち伏せしたら、間抜けが自分から網に入って来たって言うわけさ!」


 スラリと、大男が腰にさげていた剣を抜いた。
 それを合図に他の二人も、少年との距離を狭めるように踏み出して、
 
「さぁて、どうする坊主? 大人しく鞄を渡すなら、命だけは助けてやっても構わんぞ?」

「だが、分かってるだろぅ? もしも反抗するなんて馬鹿な真似をした時にゃあ」

「道を自分の血で染めることになるぜ? ひひっ!」


 ――野盗に囲まれ、絶体絶命の危機に直面しているこの少年が、もしも普通の少年だったなら。
 
 彼は命惜しさに持っていた鞄を、素直に渡していたことだろう。
 
 だがしかし、さっきも言ったが彼は愚かであり、そして愚直であったのだ。

 
 少年は震える手でベルトの剣に手を伸ばすと、
 
「だ、黙れっ!」

 思い切りよく引き抜き、その切っ先を男たちに向けて構えて見せた。
 
「お、俺は首長の息子だぞっ!? やっ、野盗の脅しになんて、屈するものかよ!」

 瞬間、その場の空気が張りつめたものへと変化した。
 
 もはや男たちの誰も笑ってはいない。
 ただ、冷たい瞳でこの目の前に立つ震える少年を見ているだけだ。

 
「……おい、今ぁコイツなんつった?」

「聞き間違いかね? 確か首長の息子がどうとかってよ」

「そんじゃあこいつの鞄の中身は、元はと言えば俺たちの金ってわけだ……なっ!」

 大男が言い終わるやいなや、その蹴り上げた足が少年の腹をえぐった。
 
 余りの勢いに吹き飛ばされた少年の体が石畳の上に倒れると、
 固い地面にぶつかって、鞄の中身がけたたましい金属音を鳴り響かせる。

 
「首長の息子だぁ? それにこの鞄の中身……金ってのはやっぱり、貯め込んでるところには貯め込んでるだけあるんだな!」
 
「まったくふざけた話だぜぇ。あのくそったれな流行り病のせいで、
 俺たちゃあ明日の食い扶持もねぇどん底まで落ちちまったって言うのによぉ!」


 そうして倒れた少年の傍までやってきたやせっぽちが、少年の鞄を奪うため、ナイフでその紐を切ろうとした時だ。
 
「う、あああぁぁぁっ!!」

 一閃、光がきらめいた瞬間に、やせっぽちの伸ばした腕から鮮血が噴出した!

 
 やったのはもちろん少年! 
 彼は大男に吹き飛ばされながらも、その痛みに必死に耐えて、握った剣を手離してはいなかったのだ!

 
「うぉぉっ!? お、俺の腕があぁぁっ!!?」

 カランと、石畳の上にナイフが落ちる音が鳴る。
 
 予期していなかった少年による突然の反撃と仲間の惨事に、呆気に取られて動けない男たち。

 
 その隙をついて少年は、素早く鞄の中から金貨の入った袋を取り出すと、
 袋の口を縛っていた紐をほどきつつ退路を塞いでいた小男へ向けてその左手を突き出した!

 
「そんなに欲しけりゃ、こんなもんくれてやるっ!!」

 少年の叫びと共に、袋から地面へとばらまかれた無数の金貨が勢いよく小男めがけて飛んで行く。
 
 魔導士の家で少年が炎を操って見せた、あの魔法と原理は殆ど同じである。

 「この世の事象を己の意のままに操る」、形さえあるならば、術者の力量による制限はあれど、
 液体や気体と同じようにそれは物体だって動かせるのだ。

 
 そして勢いよく放たれた無数の金貨は、まるで「弾丸」のように小男の体にめり込むと、
 
「ぐふぅっ!」

 小男は小さな悲鳴を上げて、その小さな体を少年同様、石畳の上に倒れさせた。
 殆ど不意打ちに近い状態で喰らったのだ、恐らくはしばらくの間気絶して、起き上がることすらできないだろう。

 
「こ、この坊主、魔法が使えたのかっ!?」

 残るは、二人。しかもそのうちの一人はまだ、自分の腕を押さえてうずくまったまま。
 
 無傷なのは、警戒したように剣を構える大男一人だけである。


 だが、しかし。少年にとって二度も幸運が続いたのは偶然だった。

 一度目は相手が完全に油断していたから、
 そして二度目はこちらが魔法を使えるということを、相手が知らない不意をつけただけ。
 
「……舐めた真似しやがって」

 大男が剣の柄を握りなおしながら、じりじりと間合いを詰める。
 一気に飛びかかって来ないのは、少年の魔法を警戒してのことだろう。


 三度目の偶然が期待できないことは、明らかだった。

 少年はなんとかその場に立ち上がったが、もう逃げ出すだけの体力は残っていない。
 
 なにせ朝夕と街道を走り通し、なおかつ大量の金貨なんて「重い物」を魔法で動かした直後。
 火や水のような軽いものではないのだ、体にかかる負担はそれ相応に重くなる。
 
 それでもなお相手を睨み付けることができるのは、彼の誇り。
 そしてまだ、生きることを諦めたわけではなかったからだ。

 
 ……何か打開策があるはずだ、と。少年は辺りを見回した。

 
 魔導士に言った「狼の群れが相手でも生き延びる」と言うのは、伊達ではない。
 彼は若くとも首長の息子、場合によっては命を狙われることすらある。
 
 そのためにはいかなる状況でも生き延びることができるよう、剣の訓練を始める前、
 まず最初に教えられるのは「危険からの逃げ方」だった。

 
 街道の傍にあるのは点々とした小さな茂みと、少し離れたところには川が流れているのも目に入る。
 
 小男はのび、やせっぽちは見た限り戦うことはもうできまい……となると、やはり問題はこの大男だが、
 追手が巨体の男一人だけならば、上手くすればまくことだってできるかもしれない。

 
「ぐっ! うぅっ……!」
 
 しかし、しかしだ。
 
 踏み出そうとした足に走る、途方もない疲労感。

 直前の死を切り抜けた興奮の為か、もうそれほど恐怖は感じていなかったが、
 それでも街道を駆けてきた膝はがくがくと震え、とても力を込められるとは言えなかった。
 
 この足では相手の脇をすり抜けて逃げることも、来た道を引き返すのも難しい。
 一時的には距離を離せても、いつかは追いつかれてしまうのは明白だ。
 
 ダメ元で川に飛び込んで逃げるという手も考えたが――溺れるリスクを考えると、それは本当に最後の手段だった。

 
 ガシャリと、大男の踏み出した足元で、踏みつけられた金貨が鳴った。
 その音で、少年の意識も思考から現実へと引き戻される。
 
「どうやら……その疲れ切った顔は演技じゃあないらしいな」

 大男が、そう言って口の端をわずかに上げた。
 いつの間にか二人の距離は、思っていたよりも近づいていて。
 
 少年は残った力を振り絞ると、見せかけだけとはいえ、相手に向けて剣を構えて見せた。

 
 せめて最後に一太刀だけでも、浴びせてやるという覚悟。

 苦しそうに肩を上下させながらも、少年は大男から視線を逸らすことはしなかった。

「はっ、子供相手にマジになるなんて思わなかったが。魔法まで使えたんじゃ、立派に危険な相手だから……なっ!」


 大男が、構えていた剣を振りかぶって踏み込んでくる。

 だが、少年に残った力では、せいぜい剣でその一撃を受け止めようとするぐらい……
 もう彼の両腕には、重たい剣を持ち上げる力さえ残ってはいなかったのだ。

 
 衝撃が、痛みが来る!
 
 反射的に堪えようと、少年の両目が閉じる。
 鳴り響く金属音。辺りに散らばっていた金貨が派手な音を上げ、そして――。
 
「おおぉぉぉっ!!?」

 何か巨大な物が倒れる音がして、それきり辺りが静かになった。
 不思議なことに、覚悟していた衝撃も、痛みもやっては来なかった。

 
 一体、何が起きたのか? 

 少年が恐る恐る、閉じていた両目を開くと、
 
「ふぅむ。やはり戦いの最中は、足元には気をつけなくてはならん。特に金貨の上は、滑りやすいからのぉ」

 ……そこにいたのは、あの魔導士だった。

 白い髭を撫でながら、悠々と辺りに倒れる野盗たちを見回している。

 
「あ、アンタ……どうして!?」

「あぁ、その質問をするのはちょいと待っとくれ。まだ、仕事が残っとるもんでな」


 そうして老人が指を鳴らすと、辺りの茂みからするすると棘のある枝が伸びてきて、
 
「少々痛むが、我慢せいよ。縛るのに使える手頃な物が、あいにくこれしか見当たらんでな」

 枝が蛇のように野盗たちに巻き付くと、その体を締め上げていく。
 あっという間に、枝でぐるぐる巻きにされた野盗の完成だ。

 
「後は、ほいっと」

 次の瞬間には、辺りに散らばっていた金貨が一枚残らず老人の持った袋の中に吸い込まれていた。
 
 老人は手に持った袋をジャラジャラと鳴らしながら、
 
「ほっほっ、こうして手に取ると大分重たいの。だが少々血のついた、ばっちいのも混じっとるのが残念じゃ」

 そう言ってにこりと、少年に微笑みかけたのだ。

===
 
 ――もうすっかりと陽は落ちてしまって街道は闇に包まれていたと言うのに、
 道を歩く魔導士と少年の周りだけは、真昼のように明るいままだった。
 
 それは魔導士が手に持っていた何の変哲もないランタンが、その明るさの原因だ。

 
「こいつは魔法のランタンでな。学術者たちの間では、
 どんなに暗い所でも油代を気にせず勉強ができると評判の品でのぉ。

 じゃがワシ個人の意見として言わせてもらえば、
 夜は暖かいベットの中で眠り、ぐっすりと夢でも見ていた方がよほど体に良いと思うんだがね」

 けれど、魔導士が話しかけても少年はずっと難しい顔で下を向いたまま、にこりとも笑わない。

 
「他にも握っていれば、思ったことを勝手に紙に記してくれる羽ペンなんかもあるが……あれは使い物にはならんな。
 大事なメモの中に、余計なことまで書き込んでしまう。
 昔その羽ペンを使ってラブレターを書いたことがあるんじゃが、その内容と言えばとても相手には見せられないような――」

「……俺が知りたいのは、そんな話じゃない」

 老人の言葉を遮るように、少年がその重たい口を開いた。

 
「俺が知りたいのは死者を呼び寄せる方法で、後はどうしてアンタが俺を助けに現れたのか? 
 その理由が聞きたいんだよ。じいさんの恋愛の話なんて、興味ない」



 ぶっきらぼうな少年の物言いに、しかし老人は気を害した風も無く、
 
「それはの、忘れとったんじゃ」

「……忘れてたって、何を?」

「歳をとるとな、うっかり物忘れすることが多くなってのぉ。
 見物料をな、お前さんから貰うのを忘れとったんじゃよ」


 老人が自分のローブの懐から、チャラチャラと音のなる袋を取り出して見せる。
 それは少年が助けてくれたお礼にと、彼に譲った金貨の袋だった。
 
「お前さんに、ワシの家で水を操る芸を見せたじゃろう? その見物料を、ちょっとの」

「だったら……だったら俺だって、アンタに火を操って見せたじゃないか」

「おやおや、若いのにワシと同じで忘れっぽい奴じゃ。お前さんの魔法は、見せ物などでは無かったんじゃあないのかな?」


 揚げ足を取られた少年がぶすっとした顔になったのを、老人は愉快そうに眺めると、
 
「しかしまぁ……他にも色々と見せてもらったからの。
 金貨をつぶてのように飛ばしたり、野盗相手に大立ち回り。

 知らせを受けた時には間に合うかどうかちと心配じゃったが、
 お前さんが決して口だけではなかったということを、ワシもしかと見せつけられたわい」


 すると少年は驚いた顔をして、

 
「そ、それだよ! 危うく誤魔化されるところだったけど、アンタはどうして俺が襲われてるって分かったのさ!? 
 そ、それにあの大男だって、どうやって倒したのか……」


「だから、知らせを受けたと言ったろう? 
 ワシは客から代金を貰って、その悩みを解決することを生業としている大魔導士じゃぞ? 
 客の頼みとあれば西に東に……とはいえ大男の方は、まぁ、大したことはしとらんがね」



 老人が、袋の中から金貨を一枚取り出すと、
 
「奴が金貨に足を置いとったから、その踏んづけとる何枚かを横にずらしてやっただけのことよ。
 勿論、ワシぐらいの魔導士となれば人ひとり持ち上げることだってワケないが……
 あの巨体はちと、重たそうだったんでな。楽な方法を選んだわけじゃ」

 そうこうするうちに、二人の前に都を囲う石壁が見えてきた。
 そして街に近づくにつれ、いくつもの小さな明かりが右往左往しているのが遠目にも分かりだす。

 
「どうやら、今度は本物のお迎えのようじゃぞ。皆必死になってお前さんを探しとるんじゃあないのかね」

 老人はそう言って立ち止まると、少年を見下ろして言う。
 
「それでは、ワシはこのあたりで去るとしよう。衛兵に見つかって、あれこれ聞かれるのはかなわんからな」

「……それは、心配しなくってもいいさ。アンタは嫌味な爺さんではあるけど、一応命の恩人なんだから。
 む、むしろこっちが、アンタを城に招待したっていいぐらいで!」


「ほっ! だったらなおのこと、ワシは今すぐにでもおいとませねばならん。悪いがそういう堅苦しい席は、肌に合わんのじゃよ」

「で、でもっ! それじゃあ、助けられた俺の気が――!」


 なおも何か言いかけた少年の言葉をその皺だらけの手をあげて遮ると、
 老人は懐から一冊の本。そして一枚の手鏡を取り出して、

 
「別れる前に、これをお前さんにやろう。なぁに、代金はもう頂いておるから心配いらんぞ? 
 お前さんの機転を利かせた、見事な戦いっぷりも、見せて貰ったしのぉ」



 そうして少年の手に、老人は半ば押し付けるようにして本と手鏡、そして魔法のランタンを手渡すと、



「……運が良ければ、また会うこともあるやもしれぬ。しかしゆめゆめ忘れるでないぞ? 
 魔導の道は険しき道、慢心は即、死を招く――そうとも、この、ワシのようにな」


 少年が、息を飲んだ。
 
 ランタンに照らされた老人の顔は、まさに皮と骨――いや、骨そのものになっていて。
 
 白い髭が張り付いた、不気味な骸骨が影を纏ってカタカタと歯を鳴らす。

 
「では、な!」


 ふっ、と。ランタンの光がかき消えた。

 そうして一瞬の闇の後、再び光が戻った時には、老人の姿は影も形も消え失せており、
 どこを向いてももう二度と、その姿を見つけることはできなかった。
 
「……そうそう、お前さんの母上。中々の美人じゃあないか! 死してなお、余り心配をかけぬようにのぉ」

 どこか遠く、恐らくこの世では無い場所から、あの老人の声が響いてくる。

===

「……それで、どうなったの?」

 ふわふわとした豊かな髪をたくわえた少女が、身を守るように引き寄せた毛布にくるまって、恐る恐るという様子で少年に尋ねた。
 
 ここは城にある少年の妹の部屋であり、部屋には少年と妹の二人だけ。少年が老人と別れて城に戻った、数日後のことである。

 
「父さんにこってりしぼられた後、俺はこっそり人に遣って、あの魔導士の家を見に行ってもらったんだ。
 だけど、そこには確かに小屋があったけど……中は空っぽ。もう誰も、住んじゃあいなかったって」

 ベットに背中を預けた少年が、そう言ってため息をつく。
 
 少年のため息を聞いた妹は、それに不満と、どこか寂しさが混ざっているように感じられた。

 
「やっぱり、そのお爺さんは悪魔だったんだわ! お兄さん、もう少しで悪魔に連れて行かれるところだったのかも……」

「さぁ、どうだろうね。とにかくこの話はこれでお終い……あぁそうだ、忘れるとこだった」

 そう言って少年は物語を読み終わるように両手をパンと打ち鳴らすと、一枚の手鏡を取り出した。


 妹はすぐにその手鏡が、兄の話に登場した物であると悟ったが、
 
「これ、お前にやるよ。俺が持ってるより、お前が持ってる方が良いだろうからさ」

 それは細かい細工の施された、とても美しい手鏡で。
 これほどまでに精巧な作りの鏡を見たことが無かった妹は、驚きに目を丸くして兄へと尋ねる。

 
「凄く綺麗だけど……本当に、いいの?」

 鏡を渡され、妹が「ありがとう」とお礼を言おうとした時だ。少年がそっと片手をあげて彼女を制すと、
 
「ただし、条件がある。これからは余り部屋に閉じこもってないで、外に出て来いよ。母さんだって、心配してたぞ」


 ……一体、兄は何を言っているのだろう?
 
 妹が不思議そうに首を傾げながら、貰った小さな手鏡を覗き込むと、
 
「あっ……!? マ、ママッ!」

 手鏡に映る自分の顔の後ろ、鏡が映し出すその小さな隙間に、死んだはずの母親の姿が映っているではないか!

 
「どうもその鏡は、死んだ人を映せる鏡らしいんだ。でも、話すことはできないから……本当に、ただ見れるだけさ」

 しかしもう、妹は兄の言葉を聞いてはいなかった。
 ぽろぽろとその頬を涙で濡らし、鏡の中の母親の姿に見入っている。
 
 少年はそんな妹の姿に小さく肩をすくめると、静かに彼女の部屋を後にした。

===
 
 コツコツと、城の廊下を歩きながら少年は考えていた。
 
 老人の言った「知らせを受けた」というのは、恐らく母の霊のことだろう。
 彼女は死してなお、我が子のことが心配で、現世に残り続けていたに違いない。
 
 そうしてあの日、彼と共にあの魔導士の家へとやって来たのだ。
 思い返せば老人の家では、少々妙なことが起きていたじゃあないか。

 
 吊り下げられた薬草が風も無いのに揺れていたり、棚の小瓶がカタカタと震えたり。
 
 行きの行程で何事も無かったのも、もしかしたら自分の知らぬうちに、母が何らかの方法で守っていてくれたからかもしれない。
 
 少年はそんなことを考えながら自分の部屋にやって来ると、
 誰も中に入れないよう扉に鍵をかけ、ベットの脇に置かれたテーブルの上へと視線を移す。

 
 そこには、あの時老人から手渡された魔法のランタン。少年が、ポツリと呟く。
 
「魔導の道は険しく、そして孤独だ」

 少年が人目につかぬよう、丁寧に隠されていた一冊の本を机の上に取り出した――この世で最も経験豊富な魔導士が、
 その知識の全てを書き記した魔導の本――その魔導書の、一ページ目にはこう記されている。

 
 
 『この世の事象を己の意のままに操るのが魔術であり、

 
  この世ならざる事象を呼び起こすのが魔法である。
  
  そして相反する二つの事象を自在に操る者を魔導士と呼び、
  
  それゆえに死霊術とは、魔導の究極の形のことである――』

以上でおしまい。少しでも楽しんでいただけたなら、幸いです。
それでは最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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