美波「願い」 (23)


七夕の夜は、往々にして曇っています。
空を見上げても星々の瞬きは見えず、ただ、淀んだ雲が延々と広がっていました。
こんなに曇りが多い歳事は、七夕とお月見くらいじゃないかしら?

織姫と彦星が一年に一度だけ逢う事を許された夜。
天の川を見ながら、そんな二人に思いを馳せた少女時代が懐かしく感じます。


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夜とはいえ、7月ともなると気温は高く、じめっとした空気が肌に纏わりついて、不快な汗に蝕まれます。

けれども、私の表情は自分でも分かってしまうほどに晴れやかでした。
何故かって?
今日はお仕事が上手くいったんです。
歌番組の収録で、私のソロ曲を披露して、ディレクターさんにも褒められたんですよ。
私自身、一所懸命レッスンして、やっとモノにしたこの曲が認められたのはすごく嬉しくて、苦労した分、喜びもひとしおというか、頑張った甲斐があったなって。

「ふふふ、プロデューサーさん、なんて言うかな~」


今日の現場は全て一人でこなしたんです。
遅れないように現場に行って、挨拶して、収録をして、終わってからまた挨拶して。
全部。
沢山のアイドルを抱えるプロデューサーさんだから、小さな子達の現場と被っちゃうと、どうしてもそちらが優先されてしまうんです。
プロデューサーさんは、いつも申し訳無さそうに謝ってくれるけど、私は他の子達よりお姉さんだし、このくらい平気平気!

ちょっとだけ、寂しいって思うけど。

ううん、プロデューサーさんがいなくっても出来るって所、しっかり見せなきゃ。


えぇっと、明日のお仕事は……うん、オーディションね。
他の子達は……あ、みりあちゃんの収録がある。
となると明日も一人現場ね。

……いいな、みりあちゃん。

っと、だめだめ、平気平気!

――――でも、最後にプロデューサーさんと現場に行ったのって、いつだったかしら……?

手帳のページを遡って、二人で現場に行った最後の日を探します。
数ページめくってようやく見つけました。
どうやら二ヶ月前が最後のようです。

「そっか、もうそんなに経つんだ……」


気が付くと私の足は、家ではなく、事務所の方へ向かっていました。
会える訳でもない。
そもそも事務所に戻ってきている確証もない。
けれど私は、それでも行かなきゃいけなかったんです。

電車に乗って、しばらく揺られていると最寄り駅に着きました。
お城のような私達の事務所は、駅から少しだけ遠く、時間も遅かったのでタクシーを拾って、事務所の前に立ちます。
外から見ると、結構遅い時間でも、幾つかの部屋は灯りが点いていて、その中の一つ、私達の部署がある部屋の灯りも点いていました。

それを見た瞬間、堰を切ったように走りだして、事務所の中へ入っていきます。


「お疲れ様です!」

入り口の守衛さんへすれ違いざまに声をかけ、広いビルの中を駆け抜けます。
数分で目的地に辿り着くと、ノックもせず、息も上がったままドアを開きました。

部屋の中では、プロデューサーさんがデスクでお仕事をしている最中でした。
突然の闖入者に驚いたのか、私の方に顔を向けています。

「お、おぉ、なんだ美波か……どうした、こんな時間に? って、あれ、今日直帰だよな?」

久しぶりに会ったプロデューサーさんは、少しだけ、疲れているように見えました。
明確な目的も無く、ただ衝動に突き動かされただけの私は、何て言葉をかけて良いのか分からず、ただ入り口に立ち尽くしています。


「美波……? あ、そうだ今日の収録すごく良かったって、ディレクターさんが言ってたぞ」

そうですよ、プロデューサーさん。
私、すごく頑張ったんです。

「さすがは美波だな。一人にさせちゃって、いつもごめんな」

またそんな申し訳無さそうに。
私は、みんなのお姉さんだから平気なんですよ。
そう、平気なんです。


「でも美波なら一人でもそつなくこなせるって分かってるからさ」

そんな事、ないですよ。
たまには失敗だってしちゃいますし。
怒られることだって、あるんですよ……?

「もう美波には俺なんかがいなくても大丈夫なんじゃないかな~……って、み、美波……!?」

なんですか、それ。
俺なんか、なんて言い方しないでください。

「お、おい美波。だ、大丈夫か?」


大丈夫ですよ。
私は、一人でも。

大丈夫ですよ。
私は、お姉さんだから。

大丈夫ですよ。
失敗することもあるけど、なんとかこなせます。

でも、でも……!

「大丈夫なんかじゃ、ありません……!」

気がついたら私は、大きな声を出していました。


一人の現場は、いつだって不安で。
失敗したらどうしよう。
上手く出来なかったらどうしようって、不安で。
でも、私はみんなのお姉さんだから、私が頑張らないと、プロデューサーさんにも負担をかけちゃうから。
レッスンだって一人で。
お仕事だって一人で。
一番褒めて欲しい人はいつも近くにいなくって。
あとからメールや電話で褒められても、全然嬉しくなんか無くって。
そんな自分が嫌で嫌で、たまらなく嫌で。
いつもプロデューサーさんに見てもらえる他の子達に嫉妬しちゃう自分も嫌で。

私だって、皆みたいに、お仕事終わりに褒めてもらいたい。
私だって、失敗したらプロデューサーさんに怒ってもらいたい。
そんなアイドルにとって普通の事も望んではいけないんでしょうか?
お姉さんだから我慢しなくちゃいけないんでしょうか?

おおよそそんなようなことを言った気がします。
その間、プロデューサーさんは、俯いて、ショックを受けているようでした。


言うだけ言ったら、後にはもう嗚咽しか出てこなくて。
その場に力なく崩れてしまいました。

「……ごめんな、美波」

絞り出したような、プロデューサーさんの声。

「……い、いえ……っく……わた……私の方こそ……ぐすっ」

ちゃんと喋りたくても、高ぶった感情はすぐには鎮まらず、頬には絶えず熱いものが伝っています。


「俺、美波なら大丈夫だろうって、根拠もないのに思ってて、でも、そうだよな。美波だってハタチ前の女の子だってのに……。寂しい思いをさせて、本当にごめん!」

プロデューサーさんは、頭を下げて、心から謝罪をしているようでした。

「顔を……上げてください……」

そんな姿、見たくありません。

「別に、怒ってる訳じゃ無いんです、何か、気づいたらわーってなっちゃって、その……すみませんでしたプロデューサーさん……」

「美波は何も悪く無い。悪いのは全部俺だ。管理しきれてなかった。ごめん」

お互いに謝り合って、これでは埒が明きません。
何か、話題を変えないと。


そう思って室内を見渡すと、おそらく小学生組が持ち込んだのでしょう、笹の葉に、短冊が吊るされているのが見えました。

「わ、わぁ~、笹に短冊が吊るされてる~、懐かしいな~」

うぅ~、絶対今の棒読みだったよぉ……。
変に思われてないかな……?

「あ、あぁそれか。ちひろさんがな、ちびっこ達にって、持ってきてくれたんだよ」

持ってきたのはちひろさんだったんですね。
笹に近づいて、吊るされている短冊を一つ手に取ります。


「おねーちゃんみたいなカリスマアイドルになりたい☆」

これは莉嘉ちゃんのお願い事ね。
他にもたくさん短冊は吊るされています。

「これ、私も吊るしていいですか?」

「えっ、あ、まぁ、いいんじゃない、かな?」

笹の下に白紙の短冊がまだ置かれていたので、一枚拝借して自分の願いを書きます。
『弱音を吐かない』って、願い事と言うよりは、目標になっちゃったけど……。

紐で吊るして、私の願いも、皆の仲間入りをしました。


「プロデューサーさんも、書きませんか?」

そう言って、もう一枚短冊を取り、プロデューサーさんに差し出します。

「……分かった」

少しだけ考えてから、短冊を受け取り、すぐに何かを書き始めます。
何て書いてるんでしょうか……?
ちょっと、気になりますね。

「よし、これで」

こうして、2つの願い事が笹の葉に仲間入りしました。


「何て書いたのか、聞いてもいいですか?」

私が問いかけると、プロデューサーさんは一瞬困ったような表情になったけど、すぐに教えてくれました。

「『全員を分け隔てなくプロデュースする』って」

「ふふふ、それ、願い事じゃなくて目標ですよ」

私も人の事は言えないけど。

「美波は、何て書いたんだ?」

「ん~……。ナイショ、です」

何となく、恥ずかしい気がして。


「私が帰ったら、こっそり見てください」

「……分かった」

薄っすらとだけど、プロデューサーさんが微笑んだように見えました。

「じゃあ、私はこれで失礼します」

「あぁ、すまなかった」

「色々言ったらすっきりしちゃいました、だから、もう気にしてません」

「……そか」

「だから、プロデューサーさんも、もう気にしないでくださいね?」

って言っても気にしちゃうんだろうなぁ。
そこがいい所でもあるんですけど。


「あぁ。送ってこうか?」

「平気です。家はそんなに離れてませんから。それじゃあ、あんまり頑張りすぎないでくださいね?」

部屋を出る間際に一礼して、そのまま事務所を出ました。
外に出たらいつの間にか雲が流れて、少しだけど星が見えています。

願い事、叶うと良いな。
私のも、プロデューサーさんのも。
それに、みんなのお願いも。

「あ、流れ星」

流れるのが一瞬過ぎて、お願いなんて出来なかったけど、誰かの願いが叶いますように。



おしまい

終わりです。

新田ちゃんはそつなくこなすので色々溜め込んでるのでは無いだろうかと思います。

少しでもお楽しみいただけたら幸いです。
それではお目汚し失礼しました。

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