モバP「千枝の吐いた息で呼吸したい」 (71)


「ダメなんです」

彼女は悲しそうに首を振った

そんな、まさか、冗談だと言ってくれ

私は不意に目の前が暗くなる


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千枝は可愛い子だった

短く整えられたその黒髪は瑞々しい

触り心地も良く、撫でると気持ちよさそうに顔を緩ませた

くりくりとした瞳は、いつも興味の対象を求めて輝いていて、その漆黒は宇宙のごとき底の深さで見る者を魅了した

頬の弾力や、輪郭の丸みは子供らしく柔らかで、触れるだけで時を忘れることが出来た



千枝は良い子だった

常識を弁えており、年齢不相応な知識や態度で、他の子の模範となることもしばしばあった

もちろん子供らしさが無いわけではなく、

仕事においてはその両面を共に活かすことに成功している



そして、千枝は悪い子でもあった

元々少しませた子ではあったが、気心が知れるにつれて様々なことをして来るようになった


教わった誘惑を披露したり、

俗語の意味を聞いてきたり、

趣味嗜好を根掘り葉掘り問うたり、

防犯ブザーを鳴らされかけた時はさすがに肝が冷えた



―――――いつ頃からだろうか

私が目で追う先にはいつも千枝がいた

彼女の周りだけはいつも輝いて見えて、

これはきっと医者の薬や草津の湯もかくや、というやつなのだ

他人事のようにそう思った


千川さん曰く、担当に惚れ込んでしまうというのは、わりとよくあることらしい

もちろんここまでなのは、なかなかあることじゃないですけどね

と、苦笑しながら付け足されたけれど


ともあれ、私は少し肩の荷が降りた


それはそうだ、輝かせるのだから、その子の魅力を一番理解しなくては、その役目は務まらない

そしてアイドルになる素質がある以上、それに当てられて、惚れた腫れたにならない方が不自然である


そう力説すると少し呆れられたが、

千川さんは、アイドル活動に支障のない範囲でなら好きにして構わないと太鼓判を押してくれた


くれぐれも法を破るのだけは止めて下さいね、と釘もしっかり差してくれた


そうして私は、思春期の中学生顔負けのおっかなびっくりさで、

恋愛というものに足を踏み出すことになった


しかし、華のない学生生活を送ってきた私だ、

こんな感情は持て余す他無かったのが、正直なところでもあった


恋愛とはこんな幸せな物なのか

まるで心に羽根が生えたようだ


聞いたような例えを思い浮かべつつキーを叩く

心なしかキーの音も軽快に感じる


今日も良い日になりそうだ


階段を上る音がする

少し駆け足で、リズミカル

最近買ったと言っていた、少し背伸びしたカジュアルシューズ

お気に入りなのだと嬉々として見せに来てくれていたのを覚えている


来た、来たのだ

私の天使が




「おはようございます、Pさん」



急に事務所の空気が澄んだように感じられた

我慢できず、つい深呼吸してしまう



肺に満ちる新鮮な空気

旨い、旨すぎる


恍惚としていた私は我に返る

そうだ、天使、天使に返礼しなければ

慌てて立ち上がり、目を向ける





膝から崩れ落ちた


今日の千枝は、お洒落さんだった


つばの短い麦わら帽子

青を基調としたワンピース

お気に入りのシューズ

そして、いつもつけているうさぎのヘアピン


私は特別洋服に明るくないが、常日頃からする格好ではなく、

いわゆる勝負服という奴だということは容易に想像がついた

しかも薄く化粧までしている

もう天使どころの騒ぎではない


「だ、大丈夫ですか!?」

慌てて近づいてくる女神(暫定)

まずい、近づかないでくれ、浄化されてしまう

そんな私の心配を他所に千枝は私の顔に手を当て、向き合わせる


「は、鼻血が出てます!!」


瞳の中は相変わらず無限の宇宙

しかもいい香りまでする

今なら死んでもいい


「待っててください!千枝がすぐ拭きますから!」

結局されるがままに、私は鼻血を拭かれた

いきなりこれでは、これからの1日デートなど保つはずもない



そう、今日はなんとデートの日なのである

デートと言っても仕事が昼頃に終わるので、その後気晴らしでもしないか、と誘った所御了承頂けただけなのだが

イロハが分からぬからと、極端に走る無知な大人の好例である


格好を見る限り、千枝も楽しみにしてくれていたようで、非常に喜ばしい

1人だったら確実に小躍りしていた


「それじゃあ、お仕事に行きましょうか!」


ティッシュをしまい、千枝が立ち上がる

今日の千枝は意欲的だ

いや、いつもが怠惰という訳ではないのだが

何にせよ、やる気があるのは良いことだ

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今日の仕事は公園で撮影会

素の千枝を出すために、あえて私服で撮影したいとの要望だった


私としては、素の千枝を出すことについて異論があるわけではなかった

沸々と湧いてくるドス黒い感情には、無理矢理蓋をしたけれど


遠くから見ても千枝はやはり素晴らしい

が、惜しむらくは仕事という枠組み故に、

ある程度構図が限定されてしまう所だろうか

私がカメラマンならもっと色んなアングルから攻めるのに


下世話なことを考えていると、千枝がこっちに走ってくる

撮影がひと段落したようだ

少し汗が滲んだ笑顔で駆け寄ってくる様は、私の鬱屈とした思考を吹き飛ばすには十分過ぎた

「Pさん!千枝、オトナっぽく出来てましたか?」


バッチリだ
とても可愛らしかった
私だったら彼女にしたい

矢継ぎ早に言うと、千枝は嬉しそうに、でも少し複雑そうに笑った



千枝は度々オトナであることに拘る


少しおませなだけなのかと思っていたが、どうやらそれだけではないらしい

周りの話を聞くに、千枝は大人びてしっかりしているとのこと

つまり甘えた一面を見せるのは私を含め極一部ということだ


これを知った時の私といったらもう

恐らく人様には見せられない様相だったに違いない


「あ、あのPさん!?また鼻血出てますよ!?」

千枝が献身的に拭いてくれる

うん、鼻血を出すのも損ばかりではない

冷えつつあるはずの頭でそんなことを思う

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撮影が終わる

本来なら仕事の出来栄えを熱心に確かめて、資料と称して個人用に何枚か分けて貰うのだが、

今はこの後の予定の方が遥かに重要である


「お待たせしました!実は千枝、行ってみたい所があって!」


案ずることはない

デートコースは10は想定してある

シミュレーションも完璧だ

念のため千川さんにチェックもお願いした

彼女はげっそりしていたが


さあ、何でも要望を言うといい











「千枝、ランジェリーショップ?っていうのに行ってみたいです!」



全て瓦解した




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「Pさん、これなんてオトナっぽくないですか?」

千枝が黒の上下揃いを見せてきた

どこをどう言えばいいのか分からないが、攻めに攻めている

うん、サイズ的にも千枝には大きい、将来的には分からないが



「千枝的には、こっちもオトナだと思うんですけど」


次に見せてきたのは紐

紐である、もはや服ではない、着方が分からない

そのくせお値段は異常に高い

買いに行くだけで勇者になれるシロモノだろう


なんとか宥めて、すかして、年齢相応より少しだけ大人びたものを選ばせる

あまり見ないようにして購入

そうでもしないと、ランジェリー千枝を想像して輸血パックが足りなくなる



それからの流れは、至って平和だった

洒落た喫茶店に入ったり、雑貨屋さんを冷やかしたり、洋服を色々試着してみたり、


私の想定していたデートに軌道修正出来て一安心である

今度千川さんに菓子折りを持って行かなければ

現ナマの方が喜びそうだけども


千枝はくるくると色んな表情を見せてくれた


慣れない喫茶店で緊張している顔

真剣にアクセサリーを選んでいる顔

試着した服を見せる時のはにかんだ顔


そのどれもが魅力的で私はシャッターを切るのを止められなかった

これでまた秘蔵の千枝フォルダが潤うことだろう

私は一人ほくそ笑む



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洋服を物色し終え店を出ると、陽はすっかり傾いていた

西日が千枝の顔を赤く染めて、

私はシャッターを切る


「Pさん」

千枝の声は鈴を転がしたみたいに清らかだ



「Pさんは、千枝を撮って楽しいですか?」

唐突に聞かれる


それはもちろん
いつまでだって撮りたいくらい


自信を持って答える


それを聞くと、千枝は顔を綻ばせ、手を絡ませてきた

「千枝も、Pさんに撮られるの好きです。ずっとずっと撮って欲しいです」

そんな嬉しいこと言われたら、結婚したくなるじゃないか

いや、元々したいけども

私は役所に向かいたがる足を必死で抑えた


それからしばらく、無言で歩いた

でも居心地は良くて、手の温もりも暖かくて

時々確かめるように、きゅっと握られて昇天しそうになる

この手は洗わずにいよう

私は深い決意を心に刻む



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いつの間にか、公園まで戻ってきたようだ

夕陽に照らされた公園は、なかなかに風情があって、鈍臭い私でもロマンチックさを感じる



千枝に連れられて、ベンチに腰掛ける

こんな時間になると、人も少ない

告白するなら絶好のチャンスである


どう切り出そうか、悩んでいると





「Pさん」



心臓が口から出そうになる

先手を打たれてしまった



「お膝に乗ってもいいですか?」


膝、ひざ?ひざくらいならいいか

千枝を膝に乗せるのは当たり前、そうでしょ?




混乱した私は生返事を返していたようだ

千枝が乗っかってくる




私達は近距離で向き合う

そっち向きとは一本取られた



「Pさんの膝、好きです。柔らかくて」


そして、握った私の手を頬ずりし始める

思考が停止する


千枝はうっとりした表情で言葉を紡ぐ


「Pさんの手、好きです。スベスベしてて」


千枝は止まらない
首に手を回して、耳元で囁く


「Pさんの耳、好きです。綺麗な形で」


甘噛みされた

死ぬ、血液が沸騰して死ぬ


千枝が私の耳を堪能する

意識、意識を、保て

こんな機会産まれて一度あるかないかだぞ

水音が耳に煩い




一しきり耳を弄ぶと、千枝は名残惜しそうに口を離した

唾液の橋が耳と繋がるとか前代未聞だ


千枝はおでこを付き合わせてきた

視界一杯の千枝



瞳の宇宙が襲い掛かってくる

無論私に抗う術などない




抗う気も、ない



「Pさんのこと、好きです」


「たとえ」





「千枝のお部屋をこっそり撮ってる盗撮魔でも」


「恋愛ごとは耳年増で実は奥手な女性でも」


「千枝のこと考えて毎日しちゃう変態さんでも」



「好きなんです」



背筋が凍りつく



バレていた

隠していたつもりだった

だが、私が想っている以上に、千枝は私を知っていた


私は、世間一般で言う変質者だった


千枝に溺れ、劣情を催し、盗撮したものでその欲求を満たしていた

だから、担当になれた時は、それこそテクノブレイクする程に興奮したものだ


千枝は子供だ

だが身近な人間の不審さに気付かぬ程子供ではなかった

そこまで考えなかったのは、私が色ボケしていたからとしか言いようがない


というか色々杜撰過ぎるだろう私


「ホントはPさんとは恋人になりたかったんです」


私を見つめる千枝


「もっと、色んなこと、したかったんです」


その目に宿るものを、私は知っている


「でも」


「ダメなんです」


彼女は悲しそうに首を振った

そんな、まさか、冗談だと言ってくれ

私は不意に目の前が暗くなる




「千枝、我慢出来ません」


言うな、言うな



「だって」









「千枝もPさんと同じなんですから」

いつの間にか出ていた鼻血を舐められる

その目に湛えるのは、淫欲の光


「一昨日の晩御飯、美味しそうでした。千枝もお家で同じメニュー作りましたよ」

「先週の火曜日、お風呂入るの忘れて寝ましたよね。翌日のPさんの匂いで、千枝たくさんしちゃいました」

「3ヶ月前の月のモノ、出血多くて大変そうでした。千枝も多いのでお揃いですね」

「1年前のあの日、私の担当になって帰った途端に私でし始めるPさん、可愛かったですよ。千枝はもっと前からしてましたけど」

「Pさんの鼻血ティッシュ、今日持って帰って使うんです。きっと最高だと思います」




「千枝は、Pさんのことずっとずっと前から見てたんです」


「ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずーーーーーーーっと前から見てたんです」



「ですから、Pさん」


「これからは」



「千枝だけを見て」


宇宙


「千枝だけを聞いて」





「千枝だけを嗅いで」


甘い


「千枝だけを味わって」


唾液


「千枝だけを感じて」


吐息










「千枝の物になって欲しいんでしっ」



この局面で噛むのか、惜しい


「こ、こほん、やり直してもいいですか?」

私は×印を出す

ウジウジいじけ始める千枝

なんというか色々台無しである



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つまるところ、私と千枝は似た者同士だった


どっちも同じ変態さん


そして私は千枝が欲しい

それはもう、狂おしいほどに

千枝は私が欲しいらしい


変態カップル、お似合いじゃないか

ならば、こうすれば良い



「記憶が無くなればやり直せないかな…志希さんとか持ってないかな…いや、それならいっそ刷り込みとか…」

「千枝」

ウジウジを通りこしてヤバい思考に入っている千枝に言う



「結婚しよう」

「……でも、女同士ですし」

「やりようはいくらでもある、多分」


ハスハスから出来助手まで居る事務所だ、誰か1人くらい解決策を持っててもおかしくない

パートナーシップ制度なんていうのもあるし

いざとなれば法律を変えてもらおう

千枝は合法



「Pさんは、千枝を自分の物にしたくないんですか?」

「もちろんしたい」

「だったら千枝は…」



「でも、同時に千枝の物にもなりたい」

「はい?」

珍しくポカンとした表情でこっちを見る

シャッターを切る手に淀みはない



「結婚すれば一緒に居られる」

「しなくても一緒です」

「でも、千枝を自分の物にした証とか欲しいし」

「千枝に残せばいいじゃないですか」

「それももちろんするけど」

「むー…Pさん、意外とワガママです」

「今頃知ったのかな?」



千枝は私のこんな一面すら知らなかった

私は千枝の抱えていた物を欠片も察せなかった

結局私達は、相手を視ただけで、すっかり知った気になっていただけ

そんな相手に恋慕しているとは、何とおめでたい脳みそであろうか



「今日は帰ろう、色々考えることが出来ちゃった」

「あの…友達のお家に泊まるって言ってきちゃいました」

「しっぽりムフフといくつもりだったのかね」

「Pさん、チョロそうですから」


やはりこの子は油断ならない

必殺の防犯ブザーが炸裂しないように気をつけよう


「じゃあ晩御飯食べて帰ろっか」

「千枝、ラーメン食べたいです!」

「ラーメン?珍しいね」

「演じていたんです、タイプに合うように」

「それ詐欺だよ詐欺」

「盗撮魔が言うことですか」

「鏡欲しい?買ってあげようか」






この日、天使は変態の恋人になった




――――――後日



「フヒ…あったぞ…チンチンハエルタケ」

「でかした!」

「ホントに食べるんですか」

「無論だ、ちひろ!」




「何か千枝ちゃんのプロデューサー雰囲気変わったっぽい?」

「はい、あっちが本性らしいです」

「にゃはっ!まあ楽しそうだからいっかー!」

「あ、ところで志希さん」

「んー?なにー?」



「感度が3000倍になる薬とか作れませんか?」

「えっ」

「もしくはips細胞下さい」

「うんそれ無理」


おしり

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