凜「特別な、芸名」 (33)


……ああ、間違えちゃった。

提出したら苗字が変わる1枚の紙に、本名じゃなくて芸名の方を― 渋谷”凛” と、書いてしまった。
ボールペンで。


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・アイドルマスターシンデレラガールズ 渋谷凛の数年後の話


ーーー

小学生の頃に、国語だか道徳だかの時間を使って「自分の名前の由来を調べよう」って授業があってさ。
親や祖父母に自分の名前について聞いて、自分の名前の意味とか、生まれた時の話とかを一人ずつ発表するような授業。

みんな、自分やクラスメートの名前の意味には興味津々で、
もちろん私もそうだったから、その授業のことはずっと記憶に残ってる。


”凜”という名前。
クラスメイトにも”凜子” ”花凜” ”凜音”とか、”凜”の字をもらっている子は何人かいたけど、みんなおんなじ字だから不思議だったんだ。

テレビを見てると、《今年人気の名前》とかには”凛”の字があるのにな……
なんてことを、子供ながらに考えてたりしてたっけ。


”凜”/”凛”って言う字は、冷たさやひきしまった勇ましさ、頼もしさを表しているから、
気品のある美しさと、しっかりとした芯のある強さを持つ子に育って欲しい、っていう願いがこもってるんだって。

お父さんは、

『グレース・ケリーみたいなクール・ビューティーになって欲しくてね』

なんてことも言ってたけど。


禾(のぎ)の方か、示(しめす)の方かでずいぶん悩んだんだってさ。

お父さんは禾のほうが「イネのようにのびのびと成長するように」って意味があっていいと思ってたみたいだし、
お母さんは示のほうが「人に物事を示すような、影響力のある子に育って欲しい」として好ましく思ってたみたい。


だけど、私が生まれた頃はまだ”凛”の字が人名漢字として認められていなかったみたいで、結局”凜”の字にしたんだとか。


そうやって教えてくれたお母さんはちょっと寂しそうだった。
どっちとも良い名前なんだけど、一生懸命考えたのに「人名では使えない字だから」って言う理由で決めちゃってごめんね、って。


さすがに、発表の時にこの事までは言えなかったけど。


ーーー

スカウトされて、事務所にプロフィールを登録するときに、
芸名について一応、ってぐらいの感じで聞かれて。

『今じゃあ芸名なんて使ってる子あまりいないけど、必要だったりする事情があるなら』

とかそんなふうに。


別に誰かに隠してアイドルやるわけじゃないし、親にも反対されてないし……
って考えたところで、あの時の事を思い出した。

芸名、使いたいんだけど。


そう私が言った時、プロデューサーは少し驚いたみたいだった。


どんなヘンテコな芸名を使うのかって身構えたらしいんだけど、
名前を、それも旧字を新字に変えるだけってことにすこし混乱してたっけ。


それでも、私のその思い出話をちゃんと聞いてくれて。
そうして、私は渋谷”凛”としてデビューすることが決まった。

『素敵な名前を貰ったんだな』

って名前のことを褒めてもらったことも、ちゃんと覚えてるよ。



漢字のたった一部分だけの変化だから誰にも気にされないかも、なんて思ってたけど。

小学校の頃からの友達たちは結構気づいてくれて、新字の方の”凛”にしたんだね、って言ってくれる子も多くて。

中高で仲良くなった子たちはもちろんそのことを知らないんだけど、

『よくわかんないけど、スイッチのオンオフみたいでいいんじゃない』

なんて言ってくれたりもした。

どちらもみんな、アイドルとしての私を応援してくれて、普段の私ともいつも仲良くしてくれて。
今でも時々会ったりするし、ライブを見に来てくれたりする。


ーーー

改めて、書き損じた用紙を見る。

細々とした黒字の羅列と、いくつかの空欄。
証人の欄は明日、2人の実家をそれぞれ回って書いてもらう予定にしている。


左側、「夫になる人」の欄は既に彼の名前で埋まっていて。
今後私が名乗るようになる苗字。
ずっと「プロデューサー」ってばかり呼んでいたから、最近やっと呼び馴れてきた名前。

ちゃんと実印も捺してある。


だけど、書き損じは書き損じだ。
もう一回、書き直さないとね。


テーブルの上にはもう一枚、綺麗な用紙がクリアファイルに丁寧に折られて入っている。

2枚もいらないでしょ、って思ってたけど、まさかこうなるかもって見透かされてたのかな。
確かに本名を書くのは久しぶりのことだったけど。


あー、明日の朝もう1回書いてもらわなきゃ。
多分、『余分に貰っておいてよかっただろ?』ってドヤ顔するんだろうね。

まあ、間違えちゃった私が悪いんだけどさ。


ーーー

でも、本名を書き間違えたのは実はこれが初めてじゃないんだ。
これまでにも何回か、……少なくとも2回はやらかしてる、はず。


アイドルになってすぐの定期テストで、意識はしてたはずなのにやってしまって。
しかも、担任の先生の教科で。

そのことでしばらくは先生にからかわれたっけ。
良い先生で、アイドルやってることにも理解があって色々と応援してもらってたんだけどね。

この間の同窓会の時にまで言われちゃって、恥ずかしかったな。


短大の園芸学部の入試の時にも、
英語のリスニングの用紙だけ間違えたままギリギリまで気づかなくって焦ったっけ。

最後にもう一回、って気持ちで隅々まで見直したから気づけたけど、
もしかしたら不合格になってたかもしれないと思うとゾッとするかな。


そして、今回。


ーーー

人生の半分ぐらいをこの芸名と付き合ってきて、
それで覚えてる限りでは3回、って言うのは多いのか少ないのかわからないけど。

……そっか、そんなに長い間、私は渋谷”凛”でいたんだね。


私とこの芸名との付き合いは、そのまま私とプロデューサーとの付き合いでもあるから。
私はすでに、これまでの人生の半分近くを彼と一緒にすごしたってことになるかな。


……初めてLIVEバトルで負けた時、悔し涙を拭いてくれた。
疲れでふらついてステージ袖の階段で転びそうになった時に、優しく受け止めてくれた。

いつだって、そばにいてくれた。


ずっと一緒にいたんだ。
そしてこれからも、ずっと一緒にいられる。

そう思うと、今更ながら、明日にはおんなじ苗字になるってことがすごく不思議で、とても幸せだなぁ、って。


もう一度ボールペンを握り、今度は間違えないように、まっさらな用紙に1字ずつ丁寧に書いていく。
今日までの、名前を。

<fin>


誤字かよって怒られるかもしれないけど、
昔こういう話(凛の字は当初は人名漢字として使えなかったのでは?って話)をどこかで聞いたのを思い出したので
あと3年もしたら使えなくなるネタですが

本名だとはおもうけど芸名という可能性も面白いと思う

参考 http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/wp/2008/07/31/rin/


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