京太郎「未来と異世界とオレ」 (49)


 君の記憶から 消えないように

 白い闇の中から 見つめているよ

 ずっと ずっと いつまでも
 

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1466369924


 青い空の下、緑の草の上で、ウサギが駆けていた。
 前足を精一杯伸ばして駆ける姿は、何かから逃げているようにも見えた。

 私はその姿を、惹きつけられたかのように見ていた。

 一直線に駆けていたウサギが、進む方向を変えて、すぐ傍の木の陰に曲がる。
 その直後、ウサギは死んだ。
 石矢が、ウサギの胴体を貫通していた。

 振り返ると、金髪の、小さな少年が、弓を降ろして息をついていた。
 休んでいるように見えたのも束の間、すぐに少年は私の隣を横切って死体に駆け寄り、腐らないようにするための処理を始めた。


「……だれ」


 思わず口をついてしまった。
 かわいいと思ってたウサギが目の前で殺された事に、少し苛つきもあったのかもしれない。
 けれどすぐ後悔した。こんな口をきいて、この金髪の兎殺しに、自分が何かされないだろうか、ひどい事されないだろうか。という不安で一杯だった。

 少年は振り返り、私を見た。

 けがれのない瞳だった。


「オマエがだれだよ?」


「咲……宮永、咲です」

「そっか。おれは須賀京太郎」


「よろしくな。咲」




 それが最初。
 京ちゃんと私の、最初の出会い。



 京太郎 Kyotarow 異世界篇 

1. Godspeed My Light







 清澄村は、山の中にある。
 人口の少ない、のどかな村。
 この地に生を受けた者は、この地で過ごし、死んでいく。
 罪人でもなければ、この村を出る必要は無いからだ。
 私と京ちゃんも、そうだと思っていた。

 なんとなく一緒に過ごして、なんとなく一緒になるものだと……
 甘いだけの夢なんて、幻でしかないのに。

 布団の上で、私はずっと天井を見つめていた。
 起きてから、ご飯を食べる余裕もない。
 布団の上でずっと、物思いに耽っている。どうするべきか? と。
 こんなんじゃダメなのに……時は迫って、今日は、もうその日なのに。

「咲、いるか?」

 外から京ちゃんの声がする。私の住む小さな木造の小屋はよく外の音を拾う。
 京ちゃんに変声期が訪れて、ぐんと声が低くなったのも今は昔。
 体つきも大人っぽくなって、京ちゃんと目を合わそうとするといつも首が疲れるくらい。

「いるよ……何?」

「今日さ、村のみんなで集まるだろ? それでその……ちょっと"練習"に付き合ってよ」

「昨日やったので完璧って言ってなかった?」

「いざ当日になってみるとやっぱり緊張すんの! 頼む! 俺とお前の仲だろ? 咲」

「……まあ、断るつもりもないけど」

 声に味というものがあるだろうか?
 あるとしたら、京ちゃんの声は途轍もなく甘い……少なくとも私にとっては。
 はあ、変なことばっかり考えてる。

「ごめん京ちゃん。すぐ行くね。準備するから、少し待ってて」

「わかった!」

 寝癖のはねた髪だけでも、直さなきゃ。



「お待たせ」

「おはよ、咲」

「おはよう、京ちゃん」

 まだ、外は薄暗い。
 この時間は、普段、村の皆はまだ寝ている。
 そして私と京ちゃんは、今日だけは、はやく起きている。

「眠い?」

「ううん。私は大丈夫……京ちゃんは?」

「緊張で眠れなかったな、あまり。てか咲、寝癖はねてるぞ」

「えっ!? 嘘!」

 両手で頭を押さえる。ちゃんと直した筈なのに。
 京ちゃんは含み笑いをしながら、傍に落ちてた木の枝を拾うと、地面に記号を描き始めた。
 これは……

「ほら、前髪が∠こんな形になってる」

「こ、これは寝癖じゃない! チャームポイントなの!」
 
 京ちゃんは笑っている。全く、なんだというのか。

「悪い悪い。じゃ、ちょっと場所変えようぜ。とっととやんねーと、今日は早いから」

「……うん」

 "練習"は、いつも森に入ってすぐの少し開けた空間で行っていた。
 私と京ちゃんの二人で、大体一週間も前くらいから。
 今日の本番のための、練習。
 きっと、これが最後の。




「『以上で、私の言葉とします』」

 長いセリフを続けた後、京ちゃんはふっとため息を吐いた。

「どうだった、咲」

「……完璧、なんじゃない。私から言う事は、何もないよ」

 思った通りの感想を述べた。専門家でもない私の観点からすれば、直す点なんて見当たらないくらいだ。
 本当に緊張してるんだろうか。いや、相手が私だからかもしれない。村の皆の前で話すとなれば、やはり緊張するものだろうか。
 ともかく、これ以上練習する必要はないように思われた。

「……そうか? まだまだ、だけどな。もっと強調するところと平坦に話すところの感情の付け方を……」

「ちょっとちょっと、何それ? 京ちゃんどこまで拘るの? 政治家にでもなるつもり?」

「うるせえ。いいだろ、いくら練習したって、しすぎることはないんだし」

 本人がしたいというなら付き合うしかない。

「『わたくし須賀京太郎は、清澄村に生を受け、15年間、育ててもらってきました』」

「……」

 やはり、声の調子は悪くない。
 噛み噛みだった一週間前とはまるで違う。今日のは、決意のようなものまで感じる。
 
 "練習"を続ける京ちゃんの目を見た。
 不思議な感じだ。
 あの日から長い時が流れた。それなのにその目は、初めて出会ったあの日と変わらず、けがれない。

 その目でずっと、私を見ていてほしいのに……

「『緑の丘から眺める夕焼けはひときわ美しく』……さ、咲!!」

「っ! な、なに、京ちゃん?」


 京ちゃんの怒声。
 しまった。
 話の内容を頭に入れず、京ちゃんの目を見てぼーっとしてたのを見抜かれたかもしれない。
 恥ずかしいというか、悔しい。京ちゃんの練習に真面目に付き合ってないみたいに思われそうで……

 京ちゃんは厳しい目をした。思わず竦み上がってしまいそうな。
 ど、どうしてそんな目で私を見るの? 京ちゃん……ご、ごめんね、謝るから。
 京ちゃんは懐から短刀を取り出した。銀色の刃が太陽の日差しにあてられて鈍く光った。
 そのままずかずかと、こっちに寄ってくる。

「京ちゃん……!? ご、ごめ……」

「咲、じっとしていろ!」

 短刀が、私に向かって振り下ろされる。
 言葉の通り、じっとしているほかなかった。目をぎゅっと瞑った。息が止まった。

 ……聞こえたのは、短刀が肉を貫通する音だった。

 恐る恐る目を開ける。体に痛みは無い。
 横を見ると、京ちゃんが短刀で蛇を突き殺していた。

「……京ちゃん」

「よし、仕留めた。ん? 咲、何だ、そのカオ?」

「京ちゃんに、殺されると思った……」

「は、はあ!? どうしてそんな考えになるんだ? まあいいや。メシだ」

「食べられるの? それ」

「よく見ろ。いつも食ってる奴だろ」

「……ホントだ」

 ぐう。
 私のお腹が、鳴った。
 時が止まったように感じた。

 京ちゃんの笑い声で、時が流れ出した。

「ひぃー、ひぃー……俺のブンも分けてやるから、安心しろよ。オ・ヒ・メ・サ・マ!」

 うるさい。



「はぐっ。もぐ、もぐ……」

 殺した蛇を串刺しにして火を通して、噛り付く。
 品性があるとは言えないが、ここでは一般的な食べ方だ。
 昔、この村にやってきていた、桃色の髪をしたあの子は、この光景に目をひん剥いていたけれど……
 ……あの子の事を、どうして思い出してしまったのだろう。やはり今日が……

 京ちゃんが、ミヤコに向けて旅立つ日だから、だろうか。

「やっぱり、練習の必要、もうないよ、京ちゃん」

「ええ? でも……」


「聞きたくない。村のみんなにさよならを言う、練習なんて」

「……」


「私はもう、聞きたくないよ……」

「……済まん」

「こっちこそ、ごめん……別に、聞きたくないから練習はいらないって言ってるんじゃないよ? でも、もう充分だなって、思って……」

「……そうだな。なんか……」

「……京ちゃん?」

「いや、何でもない」

 会話が途切れてしまった。
 やってしまった。私のせいで、変な雰囲気にしてしまった。
 食事の咀嚼音だけが、場に響く。

 そう、京ちゃんは、今日、村を出る。

 都の大学に入学するためだ。
 たくさん勉強して、試験に合格した。都へ向かう馬も、村のみんなのお金を出し合って購入した。
 京ちゃんは馬なんて高価だから要らない、って言ってたけど、京ちゃんのお父さんや村の大人はお祭り気分でお金を出し合った。
 みんな、この小さな村の若者が国から有望と認められたのが、嬉しくてたまらないようだった。京ちゃんのためにできる支援は全て行われた。
 京ちゃんに村を出て欲しくないと思う人は、少なかった。

 京ちゃん、私は――…




「こんなところにいたか! 京太郎! 咲ちゃんも!!」



 大きな声が、響いた。
 振り返ると、正装した男性が慌てたように叫んでいた。京ちゃんのお父さんだ。


「お、親父!? どうして……出発の時間まで、まだあるだろ!?」

「違う! 違うんだ! げほげほ……」

「なんだよ走って来たのか? 草履も汚して……一体どうしたんだよそんなに慌てて?」

「消えたんだ……」

「何が消えたって?」

「馬だ!!」


 そんな。まさか。


「探さねばならん!!」

「マジか……申し訳ないけど、お金は出世払いで返すよ。馬がないなら、なおさら今日発たないと、入学式に遅れちまう」

「お金などどうだっていい馬鹿者! 違うんだ京太郎! わかるだろう!!」

 京ちゃんのお父さんは、慌てていた。顔には、大量の汗が流れていた。
 私は京ちゃんを見た。神妙な面持ちをしている。さすがに京ちゃんは聡明だ。お父さんの様子から、只事じゃないと悟ったようだ。
 私は既に一つの可能性を思いついていた。というか、それ以外考えられない。

「馬は丁重に管理されていた。逃げ出そうとしても無理なんだ。だれかが逃がそうとしない限り……」

 そうだ。馬が暴れても抑えつけられる才のある人物がこの村にはいる。

「馬丁は片岡家に任せてあったろう? しかし、大人二人は眠っていた。眠らされていたんだ。起こして問いただしたら、娘が、と」

「……まさか」

「そうだ! 優希ちゃんも消えていたんだ!! 優希ちゃんが、馬と共に消えたんだ!!!」



 京ちゃんのお父さんは事のあらましを京ちゃんに伝えると、足早に村へ戻った。
 村人みんなに伝えて、優希ちゃんを探さねばならない、と。
 私と京ちゃんはこの場に取り残された。

「蛇は、蟻にでも食わせるしかないようだな」

「探しに行くの?」

「勿論だ。お前もそのつもりだろ、咲」

「うん。でもあてはあるの?」

「……咲は?」

「ない……」

「どうするか……」

 京ちゃんは顎に手をあてて、思考を巡らせているようだった。
 私の内心は複雑だった。優希ちゃん、どうするつもりなの?

「オヤジは足跡を辿るって言ってたし、俺たちが闇雲に探しても仕方ない。何か手掛かりを見つけよう。優希の家に行くぞ」

「うん、わかった」

 優希ちゃんの家は集落の一角にある。何の変哲もない木造建築だ。
 この場所からそう遠くない。けれど京ちゃんは、走った。私は、ついていくのに精一杯だったけど、決して追いつけない訳じゃなかった。
 京ちゃんが本気で走れば私なんて追いつけない。速い、でも追いつける、って塩梅にしてくれているんだ。
 こんな時でも人を気遣える京ちゃんの優しさに、私は少し、恨みに似た感情を抱いた。



 そんな感情も優希ちゃんの家に辿り着いた頃には綺麗さっぱり消えていた。我ながら単純だと思いながら、京ちゃんの後に続いて家に足を踏み入れる。
 何度も来た事がある。優希ちゃんは、私の大事な友達だから。勿論、京ちゃんにとっても。
 親はいなかった。きっと責任を感じて娘を探し回っているのだろう。

「咲」

「何か見つけたの? 京ちゃん」


「見ろ。鍋が濡れている。草を煮込んでいたんだ。ほら、脇に草が少し残ってるだろ。何の草かは知ってるか?」

「わからない。何なの?」

「眠草の一種だ。俺が優希に教えた事がある。これにアウボヘビの舌や芋の根を混ぜて煎じれば催眠効果のある薬が出来上がる」

 まるで賢者のような物言いだった。
 京ちゃんは、大学入試に向けて勉強を始めてからあらゆる知識を身につけていた。
 近場で採れる材料でそんな効果がある薬が出来上がるなんて、ちょっと怖い。それを優希ちゃんに教えてるなんて。
 昔、お父さんから有害書物の焚書が行われたと聞いた事がある。知識を悪用されれば、秩序を乱すからだと。
 
「きっとこれで、馬の世話をしていたオジサンを眠らせたに違いない。優希の奴……」

 私は優希ちゃんの布団を調べた。奇妙な紙切れを見つける。
 書かれていたのは、京ちゃんが言ってた催眠薬の作り方だった。京ちゃんに教えてもらったことを、きっと、忘れないようにメモしていたんだろう。
 いずれ来るこの日の事を予見して。

 外に出て、村唯一の簡素な厩を見た。京ちゃんの馬一頭の為だけに拵えた小屋だけに、見るべき箇所は多くない。
 馬が暴れた形跡はなかった。専門家じゃないから断言はできないけど、京ちゃんが馬に乗る練習をするのをずっと見ていたから、多少はそういう事もわかるようになっていた。
 きっと優希ちゃんが馬に乗ったんだ。そして何処かに消えた。
 馬の足跡を辿ればわかるかもしれない。けれど京ちゃんのお父さんがすでに辿っているだろう。取り敢えずそちらに任せておこう。

 優希ちゃんは馬鹿な子じゃない。
 安い馬とは言え、小さな村の人々の収入からすれば相当に高価な馬一頭を、逃がすなんて軽率な事はしない。
 こんな騒ぎを起こしてる時点で軽率だって言われるかもしれないけど、優希ちゃんは決して、村のみんなの想いを台無しにしたい訳じゃない筈だ。
 ……多分ね。

 優希ちゃん……

「家の中は調べ終わった。他に有益な情報は無かった……そっちは?」

 私は見た事、考えた事をその通りに話した。

「優希の奴、何処に消えたって言うんだ……!」

「なにか思いつく場所はないの? 昔遊んだ思い出の場所とかさ」

「あっても、見つからないような場所じゃない。もしそういうトコに居るようなら、村の皆がとっくに見つけてる」

 声に棘が含まれている。
 当たり前に思いつく事をいちいち訊くなと、私を責めるように。京ちゃんにそんなつもりは勿論ないだろうけど。
 冷静になろうとしてるけど、なりきれていないのは明らかだった。
 対する私は、どうしてだか冷静だった。

「くそ。他に手掛かりは……」


「こうする事を、誰かに話したりしなかったのかな?」

 また私は、思いつきで適当な事を言ってしまった。
 苛立たせただろうか。じーっと、京ちゃんの顔を見つめる。
 意外と、考えの外だったのかもしれない。京ちゃんは目を見開いた。

「あれで結構抱え込むタイプだ。けれど他人に見破られない程演技派じゃない」

「……つまり?」

「染谷さんの処に行こう。優希と親しいだろ。何か知っているかもしれない」

「……そうだね。ねえ、京ちゃん」

「どうした?」

「私も優希ちゃんと親しいよ? 私には何か知ってるか、って、訊かないの?」

「え? じゃあ何か知ってるのか?」

「知らないけど」

「そういうコト! 咲も演技派じゃない」

 ……じゃあ、私の気持ちに気付いてるの?
 わたしは京ちゃんを睨みつけた。けど、もう京ちゃんは私に背を向けていた。染谷さんのとこに行くんだ。
 少し自分を恥じた。そうだ。今やるべき事を、やらないと。



「お、来たか京太郎。咲も。考えは視えとるぞ。大方、優希の事を訊ねに来たんじゃろう」

 染谷さんは、私たちと年齢は一つしか違わないけれど、村の食堂で立派に働いている人だ。
 愛想が良く、誰とでも分け隔てなく話すから、私たちとも親しく、優希はひときわ懐いていた。
 今日も朝早いのに身だしなみを整えて、食堂の机を拭いていた。

「そうです。何か知りませんか!」

 京ちゃんは声を荒げた。
 染谷さんは首を横に振った。
 どうやら有益な情報は得られそうにない――…


「一つ、優希がしそうな行動がある」

 ――…わけでもないらしい。

「……何ですって? 染谷さん」

「言っただけじゃ。優希がしそうな事を、思いついたとな」

「教えてください」

「そうじゃな。じゃがその前に……えらい疲れて見えるぞ、二人とも。お茶でも飲んできんさい」

 染谷さんは要領良く、机に茶碗を二つ置いた。
 やはりこの人もこうなる事を予見していたのかもしれない。すでにお茶が湧いてるなんて……

「ごくっごくっ……御馳走様です、染谷さん」

「これで京太郎がわしの店に来るのも、最後になるかのう」

「たまには帰ってきますよ」

「どうだか」

 けらけらと、染谷さんは笑った。正直笑い事じゃないが、表に出すのは堪えた。

「さて、こんな話をしとる場合じゃないな」

「染谷さん」

「優希がこういう行動に出た意味を、少し考えんといかん」

「考えてますよ、俺だって。でも何も……」

「優希はわれが大事なんじゃ。京太郎」

 言ってのけた。
 私も言えなかった事を、染谷さんは、易々と京ちゃんに言ってのけた。

「大事じゃけえ、馬を盗った。京太郎に、村を出て欲しくないからじゃ」

 京ちゃんは、言葉に詰まったようだ。
 薄々、気付いてはいたんだろう。それでも人に言われると、実感の程は違う。
 


「……そうだとして、優希の行先に手掛かりは……」

「気付いとらんのか?」

「えっ?」

「だから、気付いていないんか、と訊いとるんじゃ」

「す、すいません。一体――…」

「京太郎」

「は、はい」

 染谷さんが、言葉の色を変えた。
 真剣な話をする色だ。
 私も、固唾を飲んで、見守る。

「優希は京太郎が大事なんじゃ。村を出て欲しくない。けれども、わりゃぁ意思は固いじゃろう」

「はい」

「和の事もあるしな」

「それは――…!」

「優希はいい女じゃ。男の旅立ちを認められん女じゃない。ただ、感情を抑えられず、事に走った」

「……」

「きっと、京太郎と二人で話をしたい、感情をぶつけたい……それなのに、居場所の手掛かりを残さない由も無し」

「……!」

「優希が手掛かりを残せそうな場所など、幾つも思いつかん。きっと、京太郎の家が一番確率が高い」

「わかりました! ありがとうございます! 染谷さん!」

 京ちゃんは、店を出た。
 私も追って、店を出ようとした。
 


「咲。待て」

 呼び止められてしまった。
 振り返ると、染谷さんは厳しい目つきで私を見ていた。

「此度の事態、招いた一因があんたにもあると、どうやら自覚しとるな?」

「……見抜かれてましたか」

「訊いてもええか?」

「予想でしか、ないんですけど」

「おう」

「もうずっと、私が京ちゃんを独占していたからだと思います」

「何――…」

 今度は振り返らず、立ち止まらず、店を出た。
 先行してた京ちゃんと合流して、京ちゃんの家に向かった。
 途中、優希ちゃんを探してる村人を見た。
 京ちゃんに慰めの言葉を掛ける村人も見た。
 大変な事になったね、気負わなくていいからね……
 私がいてもいなくても言える事だ。優希ちゃんのはそうじゃない。

 そうだ。
 優希ちゃんが京ちゃんに、今日まで感情をぶつけられなかったのは――…

 私がそれを許さなかったからに、他ならない。
 



 京ちゃんの家に、それはあった。
 馬の足跡。
 優希ちゃんがここを訪れたのは、決定的だった。
 京ちゃんが家から出て来た。その顔には手応えがあると書かれていた。

「枕許に、果たし状みたいに手紙が置いてあったよ。『暗闇に待つ』」

「それって……」

「ああ。『獣の洞窟』の事だろう」

「嘘……!!」


 獣の洞窟。


 村の外れにある洞窟で、中には怪物が棲んでいるという噂があるため、村人は誰も近寄らない場所だ。
 勿論今回も、村人はそこを探せないだろう。
 でも、優希ちゃんは、そんなところにいたら……!?

「優希が危ない。俺はすぐに向かう」

「うん!」

 並ぼうとしたら、頭を手で押さえられた。むっ……

「咲は駄目だ!」

「どうして!」

「危ないからだ。未だにウサギも殺せないだろ」

「う……」

 けれど、私も行かなくてはいけない。
 その責任がある。たとえ、自分を曲げて生き物を殺す事になったとしても……
 覚悟しなければならない。どの道、一生このままではいられないのだから。

「私も行く。戦えるよ。お稽古だって毎日やってるんだから」

「……ウサギや蛇の比じゃねえ。危険な戦いになるんだぞ」

「わかってる。だから、京ちゃんと優希ちゃんを置いていけない……!」

「……そうかよ」

 京ちゃんは、笑った。
 私の全てを包み込むような、笑顔だった。
 



 森の奥に、その洞窟はある。
 この深い森の中じゃ足跡なんて、専門家でもなければ辿れないだろう。
 道中に村人を何人か見たけど、京ちゃんが全員引き返させていた。
 決着をつけると、その目が物語っていた。
 
 洞窟の入口には、やはり馬の足跡。
 優希ちゃんは、本当に一人でこの洞窟に入ったの……?
 確かに優希ちゃんは、生き物の扱いには慣れていた。狩りの成果は優秀だったし、剣の扱いも上手い。でも……!
 いまだに信じられない。でも信じるしかない。
 一人で入って、そしてまだ、無事であると。

「行くぞ。咲」

「うん……!」


 獣の洞窟に、足を踏み入れる。


 寒い。暗い。怖い。
 獣の洞窟は怪しい雰囲気を放っている。刺し殺されそうな威圧感を感じる。
 恐れ過ぎだろうか。この獣の洞窟の怪物なんて、所詮噂でしかないのかもしれないのに……

「来たぞ、咲。ドクキバコウモリだ。咬まれるなよ」

「うん!」

 毒牙蝙蝠。洞窟に棲むポピュラーな生き物だ。
 牙には毒があり、致死量は恐れるレベルではないが、体内に取り込みすぎると動きが鈍り、結果的に洞窟の脅威に殺される。
 動きが素早く、数も多いから、捉えにくい。

「夜を覆う白い闇――"松明"」

 京ちゃんが空間に魔法陣を描き、魔術を発動させた。
 京ちゃんの足許から光の影が地面と壁の隅々に伸びていき、辺り一帯を照らし尽くした。
 何度も見たことがある。この魔術に村のみんなも幾度となく助けられた。
 影の力から発動されるタイプの"松明"。文字通り、暗い処を照らし、明るくする。

「これでよく視える。殺せるか、咲」

「……う、うん!」


 京ちゃんは目を細めた。
 短刀を握る私の手が、震えているのをその目で捉えていた。
 
 毒牙蝙蝠が、私の頬をかすめて横切った。
 足が竦み、動けなくなる。
 毒牙蝙蝠が、私を咬もうと再度向かってきた。怖い。思わず目を瞑る……
 衝撃が、やってこない。恐る恐る、目を開ける。

 京ちゃんの手が、毒牙蝙蝠を掴んでいる事に気が付いた。

「ひっ……」

「安心しろ。こいつの殺傷能力は高くない。恐れるのはその名の通り毒のある牙だけだ。手のひらで掴めるサイズだし、一度掴めばゆるりと殺せる」

「……」

「殺せ、咲」

 京ちゃんが、その手に握った毒牙蝙蝠を、私の眼前に差し出した。
 気持ち悪い……怖い……でも、向き合わなければならない。
 私は優希ちゃんの事を考えた。

 優希ちゃんはこんな程度の生き物にいちいち怯えたりはしないだろう。
 ならば当然私は、この生き物を殺さねばならない。

 短刀を握る手は震えていた。それでも、構えた。
 目を開けて、短刀を毒牙蝙蝠に突き刺した。一瞬、暴れた。けど、幾度か剣を捩じると、力尽きたようだ。

 殺した……

「上出来だ、咲。これで俺がいなくなった後も安心だな」

「……ほんとに、そう、考えてる?」

「……ごめんな、咲」

「謝らないで、京ちゃん。来たがったのは私だから……先、進もう」

「……ああ。まだ蝙蝠はいるけど、相手にしていたらきりがない。向かってくる奴以外は、殺さなくていいからな」


 案じた通り、洞窟内部は危険だった。
 足場が悪くて、何度も転びそうになっては、京ちゃんに受け止めてもらってたし。いや、それだけではなく。
 毒牙蝙蝠は全体に生息していたし、小さな石に悪霊が宿って怪物化したとされるフユウツブテも厄介だった。
 京ちゃんは、浮遊礫の攻略法は、鋼鐡の刃だと知っていた。石に刃物なんて、と普通の人は考えるだろうけど、浮遊礫は単なる石ではない。石に見える怪物だ。
 私と京ちゃんは無我夢中に短刀を振りまくり、なんとか事なきを得た。

「その生き物を知っていれば、恐れる事はない」

 京ちゃんは道中、この言葉をよく口にした。
 知らない生き物は危険だが、知ってる生き物なら何とか対策を練られると。
 きっと、元々はあの子の言葉なんだろうな。そうなんでしょ? 京ちゃん。

「……あれは!」

 私たちは、立ち止まった。
 いた。
 馬が、いた。
 私たちは、探していた馬を見つけたのだ。

「カピー!! 無事だったか!!」

 京ちゃんは声を荒げて馬に駆け寄った。
 京ちゃんは自身の愛馬にカピーと名付けていた。理由を尋ねてもよくわからない、と。
 名付けようとした時、ふっとその単語が頭の中に舞い降りてきたらしい。全く、ただの思いつきを大袈裟に言い換えちゃってさ。

 カピーは怪我もしていないようだった。元気そのもので、しっかりと京ちゃんを認識している。
 それも頷ける。どうやらこの辺りには、不思議と危険な生き物はいないようだった。毒牙蝙蝠も、浮遊礫も、不気味なほどいない。
 さっきまで大量にいたのに、この辺りにはいないのだ。それは、この先が危険だという悪いしるしでもあった。
 さて。馬が無事だとわかったなら、正直、京ちゃんはこの洞窟を引き返せる筈だ……

「馬がいる。ってことは、優希も近くにいるって事だ。待っててくれよ、カピー」

 意外な事に、私は安堵した。
 そして私は、優希ちゃんの事を考えた。すぐ行くから、待ってて。どうか、生きてて。

「咲? どうした? 行くぞ」

「あ……ううん、何でもない。行こう」

 きっとすぐに会える。
 そんな予感は、的中した。
 



 洞窟の奥。
 通路のような空間の先、広場のような大きな空間に、私たちは辿り着いた。
 雰囲気でわかる。きっとここが、獣の洞窟の最奥なんだ。

「優希……いるか……!?」

 京ちゃんが叫んだ。
 洞窟内部によく響く。

「……返事が無い。いない、のか? バカな。この洞窟、一本道だったよな? もう行き止まりだぞ」

 その通りだ。道中探せる場所は隈なく探した。最悪の場合も考えて、隈なくだ。
 けれど道中では見つからなかった。この広場が行き止まりで最奥なら、可能性としては……怪物に……食べ……

 私は気分が悪くなり、その場に膝をついた。口許を抑える。
 さっき食べた蛇を吐き出さないように懸命に努力する必要があった。

「優希ぃー……!! 返事をしてくれぇー……!!」

「優希ちゃーん……!!」

 お願い……! 優希ちゃん……!



「全く、うるさい奴らだじぇ……」



 この声は……!
 広場の壁の、窪みになっているところから、優希ちゃんが姿を現した!
 やった!

「優希……!!」

 私たちは駆け寄った。
 しかしすぐ傍まで近付いた時、優希ちゃんの姿に息を呑んだ。


 優希ちゃんの体は、ボロボロだった。
 着ている布は裂け、肌には傷がいくつもついている。
 優希ちゃんの呼吸は荒く、結んでいた髪も解けてしまっていた。
 重症、ではなさそうだが、酷い状態だ……

「馬鹿野郎! 優希ぃ……!!」

 京ちゃんは、優希ちゃんを強く抱きしめた。

「い、痛い……京太郎……」

「! 済まん!」

 ばっ、と京ちゃんは離れた。
 優希ちゃんはふっと笑って、尻餅をつく。
 私はすぐに駆け寄り、肩を抱いた。
 
「ま、心配すんな……ちょっとバケモン討伐に手間取っただけだじぇ……」

「バケモン……? この洞窟に伝わる怪物の事か!」

「優希ちゃんが、倒したの?」

「すまん、盛ったじぇ」

「でも、なら怪物は……」

 優希ちゃんが、腕を上げて、広場の向こうを指さした。
 そこに、巨大な物体が転がっていた。大きな岩にも見えるけど。あれが、"そう"なの……?

「最初は、いける、と思ったんですケドね。ちょっと無謀だったみたいで……結局、眠らせただけに終わったじょ」

「眠らせた……?」

「余ってたからな。催眠の薬が」

「あっ……!」

 なるほど。親を眠らせる為に製作した催眠薬が、この怪物にも効いたと。
 それでも、良かった……!


「きっとあの怪物の正体は、オオイワモグラだな。図鑑の絵と説明と合致する」

「大岩土竜?」

 京ちゃんが、怪物の方向を見つめる。
 大岩土竜。
 京ちゃんの説明によると、極めて珍しい生き物……怪物らしい。
 土竜と名は付くが、超巨大な土竜が巨大な岩の中に潜っているような外見からそう呼ばれているだけであり、土竜要素はほぼ全くない。との事。

「へっ……無駄な知識だけは詳しい奴だな、京太郎……」
 
「無駄じゃないだろ。俺と咲が無傷でここまで来れたのは、俺が勉強してたお陰ってのも、まあ、多少はあるし」

「ふん。調子に乗るんじゃないじぇ。のどちゃん追っかけるフジュンな動機でべんきょうしてるくせに……」

「それとこれとは、話が別だろ……!」

 ……優希ちゃんが、割といつも通りすぎる。
 怪物と戦って満身創痍だった所為だろうか。
 それともやっぱり……私がいるから?

「まあいいや。とっとと村に帰るぞ。んで、沢山叱られて、ちゃんと治療を受けて、しっかり休め!」 

「……」

「優希?」

 優希ちゃんが、京ちゃんの腕を掴んだ。
 俯いて、前髪に、目が隠れる。

「おおいわナントカは、きっとすぐ目が覚めるじぇ」

「そうだな。危険だ。とっとと帰るぞ」

「私は、帰らない」

「……何言ってんだ!?」

「京太郎が、のどちゃん追っかけるの止める、って言わないと帰らない……」


 要するに、優希ちゃんは京ちゃんの旅立ちを意地でも食い止めるつもりのようだ。

 はぁ。
 成程なあ。
 それはずるいよ、優希ちゃん……
 はぁー。腹立たしいな……

「別に俺は、和を追っかけてる訳じゃ……!」

「村を、出て行かないでくれぇ……それか、私を連れて行けぇ……」

「それは……無理だ。困らせないでくれ……優希……」

「頼むじょ……頷いてくれないと、私はここで死ぬ……京太郎のいない世界なら、死ぬしかない……」

 優希ちゃんは、泣き出してしまった。
 こうなってしまったら、京ちゃんは弱い。
 私は京ちゃんの目を見た。ダメだ。
 そんな簡単に全てを水の泡にしちゃダメ……!

「わかった! わかったよ!! 優希が死ぬなんて考えられない! 俺は大学に行くのを止め――…ふがっ!!?」

 思わず、手が出た。
 まあいいや。京ちゃんの口を止める事には成功したし。
 私は精一杯、手を伸ばして京ちゃんの口の中に突っ込んでいた。
 
「ひゃ、ひゃひ!! ひゃひふーひゃ! ひゃひゃひへふへ!!」

 あはは。何言ってるかわかんないや。
 私の腕を、京ちゃんの手のひらが優しく叩く。
 でもまだ、引っ込めてあげないんだから。

 私は首を動かし、地面に座って泣いてる女の子を見た。

「優希ちゃんさあ!!」

 ……自分でも驚くくらい、荒げた声が出た。

「甘えないでよ!!!!」

「さ、咲ちゃん……?」 


「京ちゃんは死んだの!? 死んでないでしょ!! じゃあ、京ちゃんのいない世界にはならないでしょ!!!」

「……でもでもでも! 二度と会えないかもしれないんだじぇ!!?」

「うるさい!! 会える!!」

「なっ――…」

「会えるもん!!」

「さ、咲ちゃー―…」

「なのに京ちゃんに迷惑かけて……村のみんなに迷惑かけて……そんなんじゃ駄目だよ優希ちゃん!!
京ちゃんがどれだけ頑張ってたか、知ってるでしょ? この数年、どれだけ必死で勉強してたか。
あの子が置いてった本だけじゃ足りないから、徒歩で数日かかる町まで通って、勉強して……みたいな。
その努力が、実って、これからなんだよ? 京ちゃんがやりたいことは、これからなんだよ?
それを自分の卑しい欲求だけでさ、邪魔して、この場所に縛り付けて、何が面白いの? 想像力が足りないんだよ。
京ちゃんを不幸にして面白いの? 京ちゃんを虐めて、満足? 傷付いた京ちゃんを隣に置いて、果たして自分は幸せになれるって本当に考えられる?
どうして自分が努力して、って方向に行かないの? おかしいでしょ! 気持ち悪いよ! そういうの。私、虫唾が走る。
京ちゃんを堕落させてって方向に行くのはね、程度が知れるって言うんだよ!!
はい! 京ちゃんの隣に立つべきが誰なのか、わかる結果になったね!!!
泣いてないでさあ!! 謝ってよ!!!! 京ちゃんに謝って!!!!!!!!」

「うっ、うっ……」

「謝れ謝れ謝れ謝れ謝れ……!」

 私も、抑え込んでいた感情が爆発してしまったようだ。
 頭がうまく回らない。
 こんな事言ってどうするんだろう。八つ当たりに近い。京ちゃん、ドン引きしてるだろうし。もう顔見れないよ……
 でも、怒りは収まらなかった。

「謝る……謝るじょ……でも、ひぐっ……私も、文句言える立場じゃ、ないけど……咲ちゃんに、言いたい……」

「……はぁ。なに?」

「京太郎を、ひとり占めしないでほしいじぇ……」

「何が言いたいの?」

 優希ちゃんは、顔を上げた。
 充血した目が、私を睨んだ。


「京太郎を見つけると、いつも隣に咲ちゃんがいたじぇ」

「ま・仲良いですから」

「私が、隙をみて京太郎と話してるときも、すぐ嗅ぎつけて邪魔してくるし……」

「偶然でしょ」

「うそだ……」

 図星だ。
 優希ちゃんの指摘は、全てその通りだ。
 私は確かに、京ちゃんを一人占めできるよう立ち回ってきた。
 抗う事のできない運命の奔流に引き裂かれる、今日この日までは。
 
 自分でもずるいと思ってる。
 それでも許す事ができるだろうか? 自分の大切な人の目が、自分以外に向けられる事に。
 京ちゃんの重しにはなりたくない。けれど、記憶の片隅にはこびり付いていたい。
 それだけだ。私は小さな幸せを守ろうとしていただけ。
 本音を言えば、優希ちゃんがトロトロしてるだけだ。その気になれば私を跳ね除けて自分が京ちゃんの隣に居座る事もできた。
 修羅場を避けてきた結果、誰も彼もに迷惑をかける手段を取ってしまったのだ。それが私には許し難い。
 優希ちゃんのような、大切な友人なら尚の事……

「……ごめんね」

「咲ちゃん?」

「ごめんね、優希ちゃん。私……」

 私は、自分が涙を流している事に気が付いた。
 優希ちゃんの優しさにつけこんで、優希ちゃんを跳ね除けてきた記憶が蘇ってきていた。
 大切な友人にこんな事をさせたのは、私自身だ。
 謝るべきは、私のほうだ……

「ごめんね……」

「咲ちゃん……咲ちゃんに謝られたら、私……」

 この時、私たちはあまりにも呑気だったと言わざるを得ないだろう。
 優希ちゃんを見つけ次第、無理やりにでも引っ張ってこの場を離れるべきだったのに。
 感情のぶつけあいに我を忘れ、すぐ近くに怪物が眠っている事を失念していた。
 怪物は、目を醒ましかけていたのに!


「咲!」


 京ちゃんが、私の腕を強引に引っ張って自分の口から剥がした。
 瞬間、気配を感じ取った。


 グオオオオオオオオ……!

 形容しがたい邪悪な叫びが、洞窟に響き渡った。
 それは怪物が目覚めた証明に他ならない。
 頭のスイッチを切り替えて、私は叫んだ。

「優希ちゃん!」

「だ、大丈夫! 動けるじぇ!」

 逃げなければならない。
 すぐにこの場を離れないと。
 私は優希ちゃんの手をとって、通路の方へ駆けだした。

「京ちゃん!? はやく!」

「わかってる!」

 京ちゃんは私たちの盾になるように動きながら、大岩土竜を警戒している。
 大岩土竜の顔が、こちらを向いた。
 獲物を捕捉した獣の眼差しをしていた。


「やべえぞ……来る! 逃げろ!」


 一目散に、私たちは逃げ出した。
 しかしそう易々と大岩土竜が獲物を見逃してくれる筈も無し。
 通路に入り込もうとする私たちの目の前で、突如地面が隆起した。
 これじゃあ前に進めない……!

「何これ……岩の壁!?」

「大岩土竜の技の一つだ! 地形の岩を操って、壁を作る事ができる!!」

「高い……! よじ登ってる時間なんかないじぇ……!?」

 大岩土竜が足早に接近してくる。
 正直、私は死を覚悟した。


「戦うしかないみたいだな……」

 京ちゃんが声を搾り出した。
 そんな……あんな怪物と戦うだなんて……!?
 私は大岩土竜を見た。京ちゃんの背より高い全長。巨大で丸く、ごつごつした岩。岩から突き出すように伸びる手足と頭部。
 こんなのと……戦えるワケがない……!!

「優希! 催眠薬は……!」

「きらしちゃった……! さっきむだづかいしすぎちゃったじぇ……!」

「そんな……!? 京ちゃん、戦えるわけないよね……!?」

「……」

 京ちゃんは、振り向いて私たちを見た。
 口角を不自然に吊り上げた。作り笑いなのは明らかだった。

「俺が奴を引きつけ、時間を稼ぐ。その間にお前らは壁を乗り越えて、馬へ乗れ」

 大岩土竜はあと数歩の距離まで接近していた。
 至近距離。この間合いでは、もう、議論している暇などなかった。

「俺を信じろ、咲。すぐに行くって」

 京ちゃんは、剣を抜いた。
 どこかから粗悪品として清澄村に入荷され、京ちゃんが購入した、刃毀れだらけのなまくら刀。 
 剣先を、大岩土竜に向ける。

「うおお……!」

 雄叫びと共に、京ちゃんは刀を振った。
 大岩土竜には、傷一つ付いていないようだった。
 すぐに間合いを取り、私たちとは逆方向に駆けだす。

「咲ちゃん……! 加勢を――…!」

「行こう。優希ちゃん。私たちじゃ、戦えない」

「なっ、ほんき――…」

 私に反論しようとした優希ちゃんが、押し黙る。
 優希ちゃんの目は、私を見ていた。
 優希ちゃんは私の手を振り解き、岩壁にしがみつき、よじ登り始める。

「うおおお……!」

 京ちゃんは、どうやら上手く大岩土竜を引きつけてくれているらしい。
 お陰で、私たちはある程度落ち着いて事を運べる。 


 ――そうだ。
 京ちゃんは覚悟を決めたんだ。私たちを守って自分が戦うと。
 私たちが力も無いのに加勢すれば、さらに苦戦を強いられる。そしてそれ以上に、京ちゃんの誇りを汚す事になる。
 それは、あってはならない事だ。


「咲ちゃん、登れる!?」

 壁の向こうから優希ちゃんの声。無事に乗り越えられたようだ。
 私も岩壁の窪みに手をかけ、落っこちないように慎重に登り始める。

 がきん! がきん!

 戦う音が聞こえる。
 大丈夫。大丈夫……

 壁の頂上に登り、向こう側に降りるだけとなった。
 私は振り返り、京ちゃんを見た。

「京ちゃん……!」

 思わず叫んでしまった。
 戦いに茶々を入れるつもりではないけど、怪我をするのを厭わず懸命に戦う京ちゃんに、胸がはちきれそうな思いだった。
 京ちゃんはちらっと、私を見た。私たちが無事に岩壁の向こうに行けそうな事を確認すると、笑った。自然な微笑みだった。
 
「勝って……!!」

 私は岩壁から飛び降りた。
 着地に痛みが走る。でも大丈夫。優希ちゃんと合流できた。
 優希ちゃんは既に馬に乗っていた。私もすぐに後ろに乗る。
 京ちゃんの影の魔術はまだ有効のようで、道行く先まで明るかった。
 馬が鳴いた。
 そして、出口へ向かい駆けていく。
 京ちゃん一人を残して。

 お願い、勝って。京ちゃん。
 こんなところで死んだら、私はあなたを許さない……!!

 



 お前も 山の上に咲く花のように 強く――…

 






 ――…明るい日差しが、私たちを照らす。
 洞窟のすぐ外で、私は地べたに座り込み、なけなしの傷薬で優希ちゃんを手当てしていた。
 優希ちゃんは借りてきた猫みたいに大人しくなっている。

「咲ちゃんは、京太郎に告白するか……?」
 
「ぅえっ!? な、なんの話!?」

「私は、京太郎がぶじに戻ってきたら、するつもりだじぇ」

「……!!」

「いいか?」

「それ、私の許可を取る事?」

「人の優しさがわからない咲ちゃんじゃないはずだじぇ」

 優希ちゃんは微笑んだ。
 綺麗な笑顔だった。
 私は、認めなくてはならない。

「……好きにすれば」

「ありがとう!!」

 惚れてしまいそうな、笑顔だった。

「……それで、咲ちゃんは、するのか? 京ちゃんに、告白」

「! だ、だからなんの話! 私が京ちゃんの事をっ……とかって、思ってるの、かな……優希ちゃん……!?」

「なぜそこで動揺する? みんな知ってる事だじぇ」

「うう……」

 そんなの。
 考えないわけじゃない。
 でも、簡単に決められることじゃない……
 別に、私の気持ちなんか、伝えたいけど、別に、伝えたところで京ちゃんが都に行くの止めるわけじゃないだろうし、じゃ、別に。みたいな。
 伝える意味ある? みたいな。しかも今更? みたいな。今言われても、正直困るよね……とか思われたら?
 絶対無理!!


「咲ちゃん、だいじょうぶ?」

「ぅえっ! な、なにが!」

「いや……顔真っ赤にして頭を振って、いかれたんじゃないかと思ったじぇ?」 

「ぅ……」

 恥ずかしい。
 はぁぁ……ていうか、なんでこんな緊急事態に優希ちゃんとこんな話をしているのか。

「私の事情なんて、気にしないでいいよ……! 優希ちゃんの、好きにして?」

「ま、そうするつもりだけど……咲ちゃんのことも気になったから……」

「いいよいいよ、洞窟の中で言ってたのもそうだけど、私の存在に気を遣わなくたって……優希ちゃん、優しすぎるから……」

「どうだか!」

 優希ちゃんは、立ち上がった。
 怪我してるのに、痛い筈なのに、全然平気そうな雰囲気で。
 私の目の前に、手が差し出された。グーに握られた、優希ちゃんの小さな手。

「どういう結果になろうと、恨みっこなしってことで!」

 八重歯が光った気がした。
 優希ちゃんは、もう、自分のすべき事を見つけたようだった。
 それなら安心かな。
 ……でも。

「それは約束できないかな?」

「ええっ!」

「京ちゃん盗られたら、私も正気じゃいられないからね」

「う……咲ちゃん、怒るとメチャクチャこわいから、それはちょっと……さっきもキャラ変わりすぎてたし……」

「お、思い出させないでよぉ……悪かったって思ってるよ……」

「でも私は、本音言ってくれて、嬉しかったじぇ」

「そう、かな」

「うん! はやくみんなに謝らなくちゃ!」


「まあ、許してくれるよ村のみんなも。優希ちゃんが騒ぎ起こすのなんて、よくある事だしね」

「……なんか毒舌入ってきてないか? 咲ちゃん」

「き、気のせいだよ」


 鳥の鳴き声がする。
 見上げると、鳥が、自由に空を飛んでいた。
 きっと、私の祈りを届けてくれるだろう。遠くに住むあなたにも。
 これからもずっと。



 ざりっ!



 その足音は、はっきりと耳に届いた。
 振り返って、五体満足の京ちゃんが歩いてくるのを認識した時、私の世界は光に包まれた。
 京ちゃん以外、見えなくなって、駆けつけて、その体に飛びついた。


「おいおい、咲。そんな死体が生き返ったみたいな反応されると、正直困るぞ……?」


「実際おんなじようなものだじぇ。ま、私は信じてたけどな! てか、そういうトコがずるいって言ってるのに、咲ちゃん……」

 どう思われたっていい。
 今はこの喜びを、放出したい……

「おかえり、京ちゃん……」

しゃがれ声で囁いた言葉は、彼の胸に届いただろうか?

 



 村に戻る途中。
 馬に乗る京ちゃんの姿を見た。
 怪我はしてるけど大事には至らないみたい。良かった。
 そして、袋に詰めているのは、どうやら大岩土竜の遺骸の一部らしい。
 役立ちそうだから持ち帰ったと京ちゃんは言っていた。中をちらっと見たけど、血にまみれてグロテスクだったから、すぐに顔を背けた。

「どうやって京太郎は、あんなバケモンをぶっ倒したんだ?」

「大岩土竜は、体の大部分を占める岩は途轍もなくカタいが、手足は爪以外そうカタくないんだ」

「ふむ」

「時間を掛けて手足を切り落とし、動けなくなった大岩土竜の眼球から、ゆるりと脳髄を突き刺したんだ。それで絶命した」

「よくそんなことが……」

「まあ、対策を練れば何とかなるって事だよ。俺も相手の事を知らなかったら、多分死んでたし」

「またのどちゃんの受け入りを……」

「うるせえ。それよりも大岩土竜の死体から採れるモノは高値で取引される。錬金術の材料にもなるし、正直、この程度の怪我で持ち帰れたのは幸運だった」

「優希ちゃんのお陰だね」

「きっつい皮肉だじぇ、咲ちゃん。ごめんって!」



 村に戻って、大人たちに報告。
 優希ちゃんは、御両親にたっぷり叱られていた。怒鳴り声が村全体に響きそうな御両親の怒り。正直可哀想だった。いや、しょうがないし、しかも私が言えた事じゃないけど。
 後で聞いた話ではあれでも怪我して疲れてただろうから手加減してあげていたらしい。こわい。

「京太郎……! 怪我は……!」

 京ちゃんのお父さんは、事のあらましを京ちゃんから聞くと、少し泣いて、少し怒鳴って、京ちゃんを抱きしめた。
 お前は私の誇りだと、聞こえた気がした。
 京ちゃんは、この騒ぎでまた一つ株を上げたらしい。優希ちゃんに感謝しなくちゃね。

 そして、私たちは村の外れに移動した。
 当初の予定通り、旅立ちの儀が行われる運びとなった……

 



「以上で、私の言葉とします……」


 ほら。何の問題も無く喋れたじゃん。
 拍手が沸き起こり、村の大人たちは京ちゃんを讃え、儀を盛り上げた。
 

「京太郎。ちょっといいか?」


 優希ちゃんが京ちゃんを呼び出しているのを見た。
 きっと、自分の想いを伝えるんだろう。
 見たい。確かめたい。けれど、それは誠実じゃない。
 私は気持ちを押し殺して、林の中に消える二人を見送った。


 数分後、優希ちゃんが戻ってきた。
 私を見つけると、乾いたように笑った。
 そしてそのままどこかへ行ってしまった。

 まあきっと、そういう事だろう。フラれたんだろうな。
 正直、京ちゃんが優希ちゃんを女の子として見てるとは思えなかったしね。
 それでも、大切な友人を想うと、私は胸が締め付けられた。
 優希ちゃんは決着をつけたのだ。京ちゃんと。そして何より、自分自身と。
 頑張った……ね。私より、凄いよ。私なんかよりも、ずっと。

 京ちゃんが少し遅れて林から出てきた。気まずそうな表情をしている。
 私と目が合うと、すぐに逸らした。
 私がどう動こうか迷っていると、意外な事に京ちゃんがこちらに向かってきた。

「咲」

「きょ、京ちゃん……?」

「お別れだな」

 ……今度は私の番だ。
 私は、自分の気持ちを自覚している。
 伝えたい。でも……! 

「……そうだね」

 伝えるべきじゃない。
 永劫の訣れじゃないのなら。
 ここで伝えるべきじゃない……


「ねえ。また会えるんでしょ? たまには帰ってくるんだよね?」

「まあな。落ち着けばな」

「……勉強しにいくんだから、遊んでばかりいちゃダメだよ」

「咲に言われなくてもわかってるよ」

「特に女の子とね。都の女の子は綺麗な子も多いって聞くけど、惑わされちゃダメだからね」

「んー……嫁探しもついでにできれば、とか思ってるんだけど」

 ぴしり。

「……へぇ?」

「なんて、冗談だよ。女とか、あんまり興味ないし」

「ふーん……」

「咲こそ、ちゃんとしてろよ。ポンコツなんだから」

「む」

「テキトーに歩いて迷子になったりとかするなよ? 俺ももう探しに行けないんだから……そうそう、初めて会った時もさぁ、憶えてるか?」

 憶えてるに決まってる。
 森で迷子だった私を、助けてくれた時の事。

「あの時から、まるで変わってないからなあ……」

「ふん。おかげ様で、蝙蝠くらいは殺せるようになったから」

「はは。そうだったな」

 京ちゃんは、私の頭を撫でた。
 京ちゃんの手は、心地良かった。

 改めて、京ちゃんを見る。
 腰に差した刀と短刀。背負った石弓。普段絶対身に着けない草履と、被り笠。馬に括りつけてある様々な荷物。

 本当に、京ちゃんは行っちゃうんだね。

 拳を握る。滴る汗の感触。
 今しかない。
 京ちゃんに私の想いを伝えられるのは、今をおいて他にない。
 なぜか急に、そんな気がして。

「京ちゃん……! 私――…!」

 


「咲」



「……っぅえ?」

「そんな淋しそうな顔すんなよ。ずっとお前の心配してるから。ポンコツしないか」

「――…何それ。全然嬉しくないし。それと、淋しそうな顔もしてない!」



 ざっ……



「みんなに、よろしく伝えといてくれ」

「うん……」


 京ちゃんが、馬に乗った。
 都へ続く道を、進んでいくために。


「じゃあな。咲――…」


 ――…ありがとう

 



 京ちゃんの姿が次第に小さくなって、見えなくなっても、私は動けずにいた。
 ずっと地平線を眺めていた。蜃気楼が映る訳でもないのに。ずっと。地平線と、空の青さを。

 結局、伝えられなかったな。

 それでも、きっと良かっただろう。
 訣れの言葉で、京ちゃんを苦しめるよりよっぽど良い。

 これで良かったんだ――…

 ――…


  


 心にぽっかり穴があいた感覚。 
 私は優希ちゃんに、京ちゃんがいない世界とは、京ちゃんが死んだ世界だと言った。
 しかしながら、改めねばならないだろう。
 また会えるなんて、戯言だと私は気付いた。今の世の中、そう甘くはない。
 会えない距離に京ちゃんが居るという事は、即ち、別の世界に京ちゃんが居るという事だ。
 京ちゃんのいない世界では、優希ちゃんの言う通り、死ぬしかないだろうか?

「ふふ……その通りだったみたい」

 やはり、私もなんとかして、都に向かう必要があるようだ。
 その事がはっきりしただけでも良かった。
 生きる活力が漲ってきた。
 
 さて、都へ立ち入るには通行証が必要だ。
 当然、私にそれを貰えるあてはない。
 ならば私も京ちゃんみたく勉強して、入試に合格するか? 学生になれば当然通行証を貰える。
 不可能ではないだろう。でも現実的とは言えない。京ちゃんが膨大な時間を勉強に充てられたのは、京ちゃんの家が村で随一の富豪だからだ。
 庶民である私は、家業を手伝う時間に追われ、勉強に充てる時間を京ちゃんほどは作れない。そして合格する頃には間違いなくオバサンになってる。それじゃダメだ。
 そうだ、竹井さんに助言を貰いにいこう。あの人は人脈もあるし、何らかの手段を教えてくれるかもしれない。

 心が騒めいていた。
 この時は、私に生きる活力が漲っていたからだと思っていた。
 でも実際は、今後京ちゃんと私に身に降りかかる災いを、予感していたからかもしれない。


 そう。
 私は止めるべきだったのだ。
 きっとあの子が村へやってきたその瞬間から、全力で京ちゃんを守らねばならなかったのだ。
 それなのに、京ちゃんを、都へ向かわせてしまった。

  運命と呼ばれる濁流が、京ちゃんを呑み込んで、堕としてしまうとも知らずに。
 
   1. おわり

このSSまとめへのコメント

このSSまとめにはまだコメントがありません

名前:
コメント:


未完結のSSにコメントをする時は、まだSSの更新がある可能性を考慮してコメントしてください

ScrollBottom