P「Warp」 (43)


P「……」カタカタ
小鳥「……」カタカタ

 閑散とした事務所に、打鍵音だけが響く。
日が傾き、赤くなる少し前。

P「……」カタカタ
小鳥「…………あ」カタ

P「? どうかしました」カタカタ

小鳥「……パソコン、止まっちゃいました。あー、私の一時間を返して〜」

P「いい加減、新しいPC買ってもらいましょうよ」

小鳥「まだこの子は戦えるんですぅ!
   事務所移転したら新しくなっちゃうんだから、それまで使い倒してやらないと」

P「で、今日も残業っと」

小鳥「そこは、ほら、優しいプロデューサーさんが
   『仕方ないな小鳥、付き合ってやるよ。夜までな』
   的な!」

P「妄想するのは勝手ですけど、自分を巻き込まないでください。今日は定時で上がります」

小鳥「あ、最近美味しい海鮮料理のあるお店見つけたんですよ〜。日本酒も種類があって〜」

P「……仕方ないな」

小鳥「小鳥って呼んで! 小鳥って!」

P「やめろ!」


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小鳥「……経費精算はすぐ出してくださいねって言ってるのに、月末に出す人のせいですよ、ね」

P「…………悪い人間が居たもんですね!」

小鳥「開き直った!」

 必要な物をほぼ全て移転先に移した事務所は、二人の声だけが響く。

小鳥「……明日でこの事務所ともお別れですね」

P「……さみしい、ですか?」

小鳥「はい。すこし。
   みんなで過ごした場所ですから」

P「そうですね。……色々ありましたからね」

 空を見る。ガラスにはもう「765」のテープはない。

P「まあ、人も増えたし、ここじゃもう手狭でしたからね。
  所属アイドルだけでも3倍近く増えたのに、設備は何も変わってなかったですから」

小鳥「みんなにはいい環境でレッスンして欲しいですからね。
   いい事務所、いいレッスン場、いいトレーナさん。そしていいプロデューサーさん。ね」

P「……3人が限界です」

小鳥「なっ! 9人同時プロデュースを成し遂げたアイドルマスターがそんな弱音を!」

P「若かったんですよ自分も。全員の面倒はみれてもプロデュースは出来ないですよ」

小鳥「若か、若かった? 若かった?! 過去形!?」

P(あ、地雷踏んだ)

小鳥「…………………………お茶、入れます?」

P「お願いします」

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 温められた急須からお茶が注がれ、湯呑が湿った音を立てる。
狭い事務所で、その音はよく響いた。

小鳥「はい、どうぞ」

P「ありがとうございます」

小鳥「ふふ。雪歩ちゃんみたいに上手には入れられませんけど」

P「いえいえ。……雪歩も今年で二十歳か」

小鳥「はたちかー。お酒が飲める子が増えてきましたねー」

P「雪歩は弱そうですけどね。響と貴音は強そうかな」

小鳥「響ちゃんと貴音ちゃんには同意しますけど……。
   わかってない、わかってないですねぇ」

P「何がですか?」

小鳥「雪歩ちゃんはお酒強いと思いますよ」

P「妄想は一人で」

小鳥「はい。
   元気でしたか? 雪歩ちゃん」

P「変わらず元気でしたよ。もう穴も掘りませんしね」

小鳥「いいな〜、会いたいな〜……なんでプロデューサーが増えても事務員が増えないんですかね?」

P「……社長に言っておきます」


小鳥「忙しくてみんなとゆっくりお茶も出来ないですよ〜。あ、プロデューサーさん」

P「なんです?」

小鳥「春香ちゃんとは連絡とってますか?」




「プロデューサーさんっ。これからも、ずっと私といてください! お別れなんてイヤです!」



 チクンと、胸に何かが刺さった気がした。

P「……ええ。たまにメールしてますよ」

小鳥「そう、ですか。最近は……」ピリリ

小鳥「あら、電話。はい音無です」

 空を見る。ガラスにはもう「765」のテープはない。
765プロのメンバーも、あの時のメンバーではない。




 春香は、あの日から、俺の手を離れた。
その選択が良かったのか、今の俺には分からない。



小鳥「え? 春香ちゃん?!」

P「!」

小鳥「うん、久しぶり! うん……うん、そうなの事務所移転するって、あ、もう聞いてたのね。
   誰から? 真ちゃんからか〜。うん……ええ居るわよ。私とプロデューサーさんだけ」

小鳥「うん明日から……ええ、ちょっと待ってね。
   プロデューサーさん、すいませんちょっと外出てきますね」

P「え? ああ、はい」

 控えめな音が鳴り、アルミサッシの扉が閉まると、事務所は静寂に包まれる。

P「…………」

P「……」

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 外に出ると、高かった日がもう落ちかけているのがわかる。
空はその色を変える一歩手前。

小鳥「ええ、直ぐには帰らないと思うわよ。私もプロデューサーさんも
   ……悲しいことに」

小鳥「なあに改まっちゃって。え? ……うんいいわよ」

小鳥「……そう。頑張ってね春香ちゃん。
   うん、またね。」

 横を駆ける車に、髪をさらわれる。
耳には、決意に満ちた声が、その響きが残っている。

 話したいことはたくさんあった。聞きたいこともたくさんあった。
でも、聞くのは野暮だと思った。

小鳥「……頑張ってね、春香ちゃん」

 笑顔のような太陽に祈る。
進む少女に、幸あれ。

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 一人にされた事務所。
秒針の足音だけが響く。

 スリープ状態になったパソコンのランプが赤く光る。
なんとなく、その赤いランプを眺める。

 聞こえるのは時計の音、シークの音。




 ガチャリ。
錆び付いたドアノブを開ける、鍵を開けるような音。

 キィッ。
油の注していない蝶番が悲鳴をあげる、扉を開く音。




春香「天海春香、ただいま戻りました〜」



 昔と変わらない笑顔が、そこにあった。
何かのスイッチが入る音がした。

P「お帰り、春香」

春香「……え〜、プロデューサーさん何か普通過ぎません?」

P「それ、春香が言う?」

春香「特徴の話じゃありません! 元765プロトップアイドルが凱旋ですよ。凱旋!
   もっと感動的な迎え方とか〜
   『綺麗になったな、春香(キラッ)』
   的な!」

P「……音無さんと言ってること変わらないぞ春香」

春香「乙女の妄想くらい叶えてくださいよ〜」

P「乙女の夢を叶える仕事なもんで」

春香「……………………」

P「……………………」



P「……………………プッ」

春香「……ふふっ、変わらないですねプロデューサーさん」

P「失礼な、変わったさ。もうペーペーのPくんは居ないんだぞ。
  今春香の前に居るのは海千山千の敏腕プロデューサーさ!」

春香「だったら、変わってないですね。
   だって私は最初っから、そう思ってましたもん」


P「……照れるな」

春香「じゃあプロデューサーさん! 私はどうですか? 変わりました?
   綺麗になったね。とか綺麗になったなとか。前より綺麗になったとか!」

P「変わらないな」

春香「即答! ぎぶみー考慮する時間!」

P「え? リボンが前と同じだろ?」

春香「本体はそこじゃありません! 叩きますよ!?」

P「お約束だが、殴ってから言うのは辞めよう。策の考じようがないじゃないか。
  あと鎖骨は地味に痛い」

春香「乙女の純情を弄ぶからですよ、もう」

 簡素な作りの事務椅子に腰掛ける。
小さな息遣いが聞こえた。

春香「事務所、変わっちゃうんですね」

P「ああ、所属アイドルも増えたし、これも、な」

春香「大仏様に祈ったんですか?」

P「あれはな、親指と人差し指で輪を作ってるんだ。有難いお話をなさる時の印なんだぞ
  ……遠まわしに俺が俗物だって言ってる?」

春香「そんなことないですよー」

P「もうセリフに括弧棒って書いちまえ。この演技派め」


春香「それはもう、トップアイドルですから。
   今は何人プロデューサーしてるんですか?」

P「今は3人だよ。そろそろ軌道に乗ってきたかな」

春香「どんな子ですか?」

P「そりゃ皆いい子だよ。
  未来は元気だし、静香は仲間思いだし、星梨花は可愛いし」

春香「……なんか一人だけ形容の仕方が違う気がするんですけど〜」

P「……愛玩?」

春香「それはそれでダウト!」

P「大丈夫だよ、春香もかわいいから」

春香「片手間に言われてる気がするんですけど!」

P「真剣に言って欲しいのか?」

春香「え?! あ、……あの、そういうのは……その、えっと」

P「冗談だ」

春香「………………プロデューサーさん」

P「……ごめんなさい」

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「必要ですよぉ! ここまで来れたのも、全部プロデューサーさんのおかげですし、それに……」



春香「……改めて見ると、事務所って広かったんですね」

P「ほとんど物がないからな。そりゃ広く見えるさ」

春香「そう、ですね。……うん。きっとそのせいです」

 逆光でよく見えないが、その横顔は少し、さみしげに見えた。

P「……そいえば春香は何しに来たんだ?」

春香「あ、そうでした! 忘れ物を取りに来たんです」

P「忘れ物?」

春香「はい、デビュー前のCDなんですけど、事務所に置きっぱなしだったみたいで」

P「……あるかな? 物はほとんど向こうにやっちゃったからな」

春香「一緒に探してくださいよぉ」

P「しょうがないな」

 体から椅子を離す。
肩の下から懐かしい微笑みが浮かぶ。

P「ほんとに、変わってないな」

春香「? どうかしました?」

P「なんでもないよ。じゃあ事務所を案内するか」

春香「……案内するほど広くないですよ?」

P「言ってくれるな」

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P「ここが給湯室。ここにCDあるんじゃないか?」

春香「あったら私泣きますよ?!」

P「ほら、カラス避けとかさ」

春香「(´;ω;`)」

P「うわっ! 冗談だよ! 冗談!!」

春香「言っていい冗談と悪い冗談があります! 私の始まりのCDなんですよぉ!」

P「ごめんごめん!」

春香「……」

P「そ、そうだ! 最近旨い海鮮料理のある店見つけてな。日本酒も種類があってな!」

春香「………………ふふっ」

P「……この演技派め」

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P「ここが社長室。とは名ばかりの会議室」

春香「半ばフリースペースとかしてましたもんね」

P「椅子がいいからだな」

春香「椅子がいいからですね」

P「ホントなら、ここにありそうなもんだけど、資料とかは全部移動しちゃったからな」

 棚に視線を移す。積み上げられていた資料はそこにはない。

春香「プロデューサーさん、こっちこっち!」

P「お、あったのか?」

春香「ぶー、違います。ここ、座ってください」

 社長用の椅子を示される。
そこに腰掛けると、少し偉くなった気分になる。

P「…………なんだ?」

春香「えへへ、そのままそのまま」

 座っている自分と、中腰の春香。目線がほぼ同じ位置。
翡翠のような視線に、魅入られたように動けない。

春香「………………」

P「………………」



春香「…………」

P「…………」



春香「……よし、ありがとうございました」

P「……どういたしました」

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P「ここが、休憩所」

春香「……ソファー、前のままなんですね。ボロボロ」

P「……捨てるに捨てられなくてな。ボロボロでも」

 勢いよく腰掛けるとソファーがくぐもった声を上げる。
長いスカートがやわらかそうにゆれる。記憶より長い髪がなびく。

P「髪、伸ばしたんだな」

春香「ぶー、気づくの遅すぎます。直ぐに褒めてあげないとダメですよ?」

P「……でも外ハネは変わらないんだな」

春香「褒めてないです!」

P「……私服のセンスはちょっと良くなったな。シャツの色は変わってないけど」

春香「……プロデューサーさんの辞書に褒めるって言葉はないんですね。
   作ってきたお菓子、あげません」

P「はるかわいい!」

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P「ここが俺の城」

春香「ちっちゃいお城ですね」

P「即答ですね春香さん。早くクッキーをください」

春香「……」

P「いいにおいだなー。春香が俺のために作ってきてくれたクッキーだからおいしいんだろうなー」

春香「……」

P「……」

春香「……お手」

P「……わん」

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「も、もし、よかったら……私のこと、今より、もっと近いところに、置いてほしいなって」




 鼻の奥を、少し粉っぽい匂いでくすぐられる。
市販ではなく、手作りのやさしい匂いに思わず溜息がもれる

P「はぁ、懐かしい匂いだな」

春香「甘いもの好きでしたよね?」

P「きらいなわけないだろ」

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「全然、ヤバくないです! だって、これって自然に湧いてきた気持ちだしっ!」



 夕色に染まった日が、昔の記憶を運んでくる。
遮るものの少なくなった事務所が、時間を、距離を縮める。

春香「……昔に戻ったみたいですね」

P「…………そうだな」

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「それぐらい……プロデューサーさんのそばにいたいんです……」



 軽風が通り過ぎる。
ごちゃ混ぜの気持ちが対流して、離れ離れになった。

春香「プロデューサーさん……」




「え、どうしてです? わ、私じゃ……ダメってことですか?」



 桜の舞うような凱風。
もしかしたら

春香「プロデューサーさん」




「いつか、アイドルを辞めたら、戻ってきても、いいですか?」



 斜日が時間を止める。
忘れ物ってそれじゃないの?

春香「プロデューサーさんっ」




「はいっ! 今日まで……、今まで、本当にありがとうございましたっ!!」



P「春香」

春香「えっ! あ、ぷ、プロデューサーさんっ!」

P「春香。……お疲れ様」

春香「………………はい」

P「疲れたか」

春香「…………はい」

P「大変だったか」

春香「……はい」

P「……楽し、かったか?」

春香「はいっ!」

P「そっか」

春香「……プロデューサーさん、い、痛いです」

P「え? あ、ご、ごめん」

春香「……プロデューサーさん、泣いてるんですか」

P「泣いて、ないよ」

春香「泣いてますよ」

P「……春香だって」

春香「わ、私は笑ってるんです!」

P「そうだな。笑ってるよ」

春香「く、くすぐったいです」


P「春香のその顔、久々に見た気がするよ」

春香「プロデューサーさんのせいですよ」

P「泣き虫春香」

春香「いじわるプロデューサー」

P「頑張ったな」

春香「……プロデューサーさんのせいですよ」



春香「プロデューサーさん。あの、あの時の」

P「忘れ物、か」

春香「………………はい」

P「忘れてたつもりはないぞ」

春香「…………はい」

P「……」




「ああ。その時は、この話の続きをしよう。もし、気持ちが変わっていなければ」

「変わるわけないですっ。プロデューサーさんは、今も、そして、これからも……」





「私にとって、生涯ただひとりの、代わりのきかない人ですから」



 君さえよけりゃ あの時の答えを今言うよ

P「いっしょにいてほしい」




「ずっと いっしょにいてほしい」



 B'z 25th Anniversary BEST ALBUMは6月12日発売ですよ、発売!
……まあWarpは収録されてませんが。

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