【モバマスSS】二十四人の島村卯月 (58)

モバマスSSです。

エロもグロも有りませんがアイドル死にます。
閲覧注意でお願いします。

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「はーい、それじゃぁ撮影開始しまーす。島村卯月さん入ります!!」


撮影助手のアシスタントがグラビア撮影の開始を告げる。

入念に仕事道具のカメラをチェックしていたカメラマンは、その日の仕事について思いを巡らせていた。


島村卯月。 


人気のアイドルで、過去に何度か宣材やCDのジャケットの写真を撮った記憶がある。


笑顔が印象に残る愛らしい少女だった筈だ。


今日は青年漫画雑誌のグラビアを飾る水着の写真との事だった。


健康的なアピールを前面に出して行こうかとイメージを固めていたが、
担当のプロデューサーを伴い撮影現場に入って来た卯月を見て、そのイメージは粉々砕けた。

過去に見た愛らしい少女のイメージは欠片もなく、涼しい目元から漂う雰囲気は少女の枠を大きく飛び出していた。

肩に羽織っていたバスタオルを隣の男性プロデューサーに手渡す一連の動作には、怪しい色気すら感じる。


何度かポーズを取らせてみて、ファインダー越しに覗いてみると、その印象は確信に変わった。


化けたな、この娘。カメラマンはそう嘆息した。


「卯月ちゃん、少し冒険してみようか」


と、声を掛け、少し挑戦的なポーズを支持してみた。


すると卯月は、薄く蠱惑的な笑みを浮かべると、挑発的なポーズを見事にこなして見せた。



これは素晴らしい仕事になりそうだ、
そう確信したカメラマンは、二ヤリと笑うと凄まじい勢いでシャッターを切り続けた。




「いやいやいや、どうしちゃったのPチャン。卯月ちゃん最近凄いじゃない~??」


業界人特有の馴れ馴れしさで今回のグラビアの担当ディレクターがプロデューサーの肩に手を回して来た。

内心閉口しながらも、

「ええ、新しい仕事にもどんどんチャレンジしてくれて、こちらとしても助かってます」

と、笑顔で返すプロデューサー。


「いや、元々ね、男好きのするボディは持ってたから、こちらとしても卯月ちゃんバンバン押していきたかったけどね??
子供っぽさが有ったからね、グラビアにはどうもね~」

「それが最近の卯月ちゃんどうよ?? あの雰囲気、股間にクルねぇ!!
これからこっちの仕事もガンガン入れてよ、ヨロシクたのむよ~~」

確かにそうだ、以前の卯月は愛らしい笑顔のアイドルでは有ったが、グラビアとなるといささかパンチ力に欠けた。

どうしてもそれ相応のボディを持つ他のアイドルが優先されるのだ。
このディレクター、発言は下品だが的確に以前の卯月の欠点を見抜いていた。

色気が足りない。 それがアイドル島村卯月の短所の一つである。

しかし、それも今日の撮影で否定されたも同然だろう。
業界屈指のディレクターにすら認められたなら、今回のグラビアの仕事も大成功間違いナシと言える。


このグラビアが掲載された雑誌が全国で発売されれば、卯月の新たな魅力は全国に広がるだろう。
そうすれば、グラビアを初めとしたビジュアル面でも大いに評価される筈だ。

そう思いながらプロデューサーは、

「ありがとうございます、ぜひよろしくお願いします」

とディレクターに頭を下げた。


その様子に満足そうにニヤニヤ笑っていたディレクターは、急に、ところで…と声を潜め、

「あの卯月ちゃんの変わり様…やっぱり「あの」事件が原因なの…??」

と、周りを憚る様に、口の横に手を添えて尋ねてきた。

あの事件。 

その件については彼の推測は間違っていない。 

だが、プロデューサーは沈痛な面持ちで即座に肯定も否定もしなかった。

軽々しく触れて欲しい出来事では無い、と、そう思ったからだ。


さて、どう答えようか……。

プロデューサーが頭を悩ませている傍らで、カメラの前では卯月がポーズを取り妖艶に微笑んでいた――

「はい、以上で撮影終了です。お疲れ様でしたー!!」

撮影助手がそう告げると、疎らにスタッフの拍手が降る中、卯月がプロデューサーの元へ歩いて来た。

「プロデューサー、どうだった?今日の私??」

尋ねながら卯月は、
プロデューサーが差し出したバスタオルを肩に羽織り、探る様に視線を投げかけてきた。


「綺麗だったよ。」


そっけなく一言で済ませたプロデューサーに卯月は不満顔で、


「もう…他にもっとないの??興奮したとか、反応…したとか」


いたずらっぽく微笑むその様子は、正に小悪魔的と言える。


思わずプロデューサーがたじろいで返答に困っていると、卯月は、

「ふふっ、冗談よ… そんな事より…今日のご褒美…頂戴??」

と、プロデューサーの身体をスタッフに見えないように壁の隅へと押しやり、
体をしな垂れかかる様に体重を預けてきた。


そのまま卯月は、長身のプロデューサーの首に腕を伸ばし、自分の方へと引き寄せ――唇を重ねた。

一連の動作に魅入られたように固まっていたプロデューサーと、唇を重ねたまま見つめ合う卯月。


至近距離で瞳と瞳は見つめ合い、卯月の長いまつげがプロデューサーの目に当たりそうだ。


しばらくの間、卯月はとろんとした目でプロデューサーを見つめていたが、一瞬、いたずらっぽい目をすると、
急に瞳を濁らせる。

プロデューサーが、あっ、と思った次の瞬間、
卯月は急にぱちくりとした眼つきになり、一瞬で真っ赤な顔色になり、慌ててプロデューサーの身体をを押し戻した。


「なっ、なんでっ、あ、あの、すいません!!プロデューサー!!
 わたしっ、あのっ!!か、奏ちゃん!!もうっ!!」


先程までの妖艶な雰囲気とは一転、あわあわと手を振り乱しながら必死に言葉にならない弁明する卯月。

それを見てプロデューサーは、


「あー、卯月…か?? 悪いな、俺の方こそ。 油断してた」


と、顎を掻きながら答えた。

「奏の方には今度俺の方から言っとくよ、あんまり人の身体で好き勝手するな、って」


卯月の肩をポンと叩き、うろたえる彼女を元気づけるプロデューサー。


「ううう…はい、よろしくお願いしますぅ…」


肩を竦ませ、真っ赤になりながら俯く卯月。


初めてだったのにぃ…と言う台詞を、プロデューサーは聞かなかった事にした。

「さて、次の仕事だけど、歌番組だな…。 卯月、今、「スポット」には誰が出れる??」


と、プロデューサーは気を取り直した様に卯月に尋ねた。


「は、はい!! …えっと…、歌なら…凛ちゃんと夏樹さん…後、楓さんも居ます!!」


卯月は頭に指を置くと、数える様に人名を読み上げた。


「そうか、楓さんに頼もうか。 卯月、頼む」
「はい!!」


言うと卯月は、急に瞳を濁らせ、ブツブツと呟いたかと思うと、次の瞬間、一瞬で顔つきから雰囲気、
佇まいまで別人の様に変えて、返事をした。

「お待たせしました、プロデューサー…。 さぁ、ミュージックショウにいそぎまショウ…? ふふっ…」


落ち着いた雰囲気でそう微笑み答えた卯月の顔つきは、先ほどまでの卯月とはまるで別人だった。

事の始まりは去年の夏休みの事だった。


一大イベントを大成功で終えた346プロは、慰労と夏休みを兼ねてバスを借り切り、
休みの取れるアイドル達を乗せて、泊まりで海へと向かう予定だった。

その途中、オーバーワークの運転手の居眠り運転が原因で途中の道の崖から転落、
バスは谷底に真っ逆さまに落ちて行った。


運転手をはじめ、乗車していたアイドル24名中23人が死亡すると言う芸能界未曾有の大惨事となった。


事故当時、レスキュー隊が現場に到着した時、はじめは生存者は絶望的だと思われていた。

だが、奇跡的に一名のみ、アイドルの一人島村卯月だけは軽傷で助け出された。


しかし、彼女が一人生き延びた事は必ずしも幸運だったとは言えなかった。

なぜなら、落下したバスの車内ほぼ即死のアイドル達の中、彼女はただ一人意識があり、谷底の暗闇の中、
救出までの数時間を仲間達の死体に囲まれて過ごしていたのだ。


落下直後はまだ息のあるアイドルも数名いたらしい。


その命の火さえ消えていく中、卯月は暗闇の中で一人取り残され――そして心が壊れた。

救助隊が現場に辿り着いた時は、目を疑う惨状だったらしい。


グシャグシャに潰れたバスの横に、卯月がたった一人で引っ張り出したであろう、
「まだ見られる」程度に損壊したアイドル達の遺体を並べた真ん中で、
涙の跡だけを頬に残した虚ろな眼差しの卯月が一人座り込んでいた。


一報を聞いたプロデューサーは余りの絶望に目が眩み、その場に片膝を付いた。

24人ものアイドルの休みを一辺にまとめて取ったので、スケジュール調整が間に合わず、
プロデューサーは仕事を片付けてから後から海に駆け付ける予定だった。

命が助かった、とは少しも思わなかった。 


なぜアイドル達と一緒に行かなかったのか、後悔だけが今も胸に押し寄せてくる。


例えそれで命を落として居たとしても、
今のこの張り裂けそうな胸の痛みに比べれば幾分マシとしか思えなかった。


実際、唯一生き残ったと言う卯月の話を聞かなければ、
比喩ではなく胸を引き裂いて死んでたかもしれない。


それほど最愛のアイドル達を一辺に24人も失ったプロデューサーの絶望は深かった。


卯月を一人にはしておけない、その使命感だけを胸に、プロデューサーは卯月が運ばれた病院へと向かった。



病院に辿り着くと、病室で病衣に身を包んだ卯月が頭に包帯を巻き、
頬にガーゼを貼った痛々しい姿でベットに虚ろな瞳で座り込んでいた。


目立った外傷こそないが、心に大きな傷を負っているのは明らかだった。


ベッドの脇で声を掛ける両親にも、横で見守る医師にも、駆け付けたプロデューサーにさえも反応を示さず、
前方の虚空を見つめるだけの卯月。


医師が一旦席をはずし、泣き崩れた母親を父親が廊下に連れ出した所で、部屋には卯月とプロデューサー二人だけになった。


脇のベッドに腰掛け、無事でよかったと呟くプロデューサー。

無論、卯月の反応は無い。


そんな卯月に語り掛ける様にプロデューサーは語り掛け続けた。

養成所で出会った時の事。

最初は二人きりでレッスンをしていた時の事。

二人でユニットのメンバーを探すために相談した事。


そして…初めてのメンバー、事故に遭ったアイドルの一人でもある渋谷凛を説得する為に、
二人で彼女の実家に説得に行った事…。


そこまで語ってプロデューサーは口を抑えて咽び泣き始めた。

あの日の事は一時だって忘れた事は無い。

あの日のセリフは今だって一言一句思い出せる。


あの時最初は迷惑そうに、だが最後には呆れた顔で説得に応じてくれた凛は、もうこの世に居ないのだ。

卯月と顔を見合わせ、大喜びする自分たちを見て見せたあの微笑みは、もう永遠に失われたのだ――。


足首から這い上がって来る絶望的な喪失感に、座ってさえ居られなくなったプロデューサーは、
卯月の座るベッドに頭を沈め、

「凛ッ…凛ッツツ……!!ッ」

と、声を絞る様に泣き叫んだ。


すると、そんなプロデューサーの頭をそっと撫でる手が有った。


「どうしたの、プロデューサー? 私は此処に居るよ??」


と―、聞きなれた凛の声が頭の上から聞こえてきた。


プロデューサーが驚いて顔を上げると、卯月がしっかりと前を見据えてプロデューサーを見つめている。


しかし、その眼差し、雰囲気、口調、それはまるで――


「どうしたの、プロデューサー。変な顔して。ふふっ。」

声は卯月だ。 しかし、長年過ごして来たプロデューサーだからこそ分かる。

この佇まい、正に――


「凛…なのか??」


一見、気が狂ったかと思われても仕方ない、頓珍漢な問い。

だが、その問いに卯月は――


「そうだよ、渋谷凛。 貴方のアイドルだよ」


そう、あの時と全く同じ微笑みで微笑んで見せた。

その卯月が目を覚ました日に――いや、正確には『卯月』は目を覚ましていなかった。


『渋谷凛』を名乗る卯月を意識が戻ったと駆け付けた医師と卯月の両親をプロデューサーが引き合わせると、
周りは疑いの目を向けてきた。

すると話を聞いていた卯月、いや凛は急に眼を濁らせ、
ブツブツ呟いたかと思うと今度は事故に遭った別のメンバー、本田未央に代わって見せた。

声こそ卯月のままだが、明るい表情と口調は生前の未央に生き写しだ。


それを見た卯月の両親は顔を覆って絶望し、医師は言葉を失った。


長年見てきたプロデューサーだからこそ分かるが、卯月はこんな器用に演技が出来るアイドルではない。


だからこそ、プロデューサーは困惑し、判断を医師の診断にゆだねた。


診察の結果は統合失調症――  古くは精神分裂病と言われる障害と診断された。

統合失調症は虐待などの強いストレスが原因で起こる。


事故の起きた時、暗闇の中、一人取り残された卯月のストレスは莫大なものだったのは想像に難くない。


多大なストレスの中、卯月の脳は自分の精神を守るために別の人格を作り出した。


それが周りで命を落としたアイドル達の人格だったのは偶然ではないだろう。

親友達の、仲間達の命が次々と消えていくのを認める事が出来ず、
自分の中に亡くなったアイドルの人格を作り出したのだとしか思えない。


自分の心を守るために。



とにかく意識を取り戻した翌日からの卯月の回復は目覚ましかった。

どうやら、自分の中に生まれた人格を、

「みんなの心が生きていて、魂だけが私に入って来た」と解釈したらしく、

精神的に安定し始めた。

本当はそんなスピリチュアルな話ではなく、あくまで卯月の記憶から作り出された卯月の人格なのだが、
日に日に精神的に安定していく卯月を見て、医師もプロデューサーも両親さえも、卯月に何も言えなかった。

医師は卯月に心の中にどういう風に他の皆が居るのか尋ねた事がある。


卯月曰く、暗い闇の中に24人のアイドルが立っていて真ん中にスポットライトの様な光が当たっている。

それをアイドル達が囲う様に立って見つめている。

そしてその中で一人、スポットライトが当たる真下に出ると卯月の身体を使って外に出てくるのだ、と。


これをスポットと呼び、出てくる人間を管理するのはアイドル達でも年長者である楓や志乃、瑞樹らが話し合いで決めているらしい。

めいめい勝手に卯月の身体を使うのは好ましい事ではないから。との事だ。

その後、病院では関係者や医師を集め、善後策が話し合われた。

結論として、先送りにはなるが、病状も安定している事ではあるし、一先ず経過を見る、と言う事に決まった。

卯月が回復して、精神が癒えたら一つ一つ人格を統合して行こう、と言う事で周りの意見は一致したのであった。


元々身体的外傷は奇跡的に軽傷だった為に、その後ほどなく卯月は退院した。

勿論通院しながらではあるが、アイドル活動すら再開したのだ。


プロデューサーも社の上層部も、卯月に無理はさせたくはなかったのだが、
一気に23人ものアイドルを失った今、346プロは当然の様に経営が悪化。


会社の経営は風前の灯と化した。


最早346プロが助かる道は、奇跡的に事故から生還した悲劇のアイドルとしての、
卯月への大量のオファーに縋るしか生き延びる道は無かったのである。

だが、ここで思いがけない誤算が起こった。


事故の前の卯月は高い水準を誇っては居たものの、飛びぬけたスキルを所持しているとは言えないアイドルだった。


しかし、事故後の卯月は違った。


歌番組では今までの卯月の音域からは考えられない澄んだ歌声で歌い上げ、
ダンスは難しいステップも余裕でこなし、
ドラマでは今まででは考えられない幅の役柄をハマり役でこなし、
バラエティではアドリブで気の利いたジョークをバンバン飛ばしていた。


余りの変貌ぶりに共演者が感嘆の声で、どうしたのか卯月に尋ねた事がある。

すると卯月は、

「私の心の中のみんなが、助けてくれるんです」

と、微笑んだという。


共演者はその発言に感激し、「いい話」としてSNSに投稿したり、番組で語ったりした。

卯月の人気は感動のストーリーと共に、更に急上昇を遂げた――


一方、346プロの千川ちひろは危機感を感じていた。

確かに事故から復帰した卯月の活躍は目覚ましい。

しかし、治療中である卯月をあまりにも酷使しすぎではないだろうか。


ちひろも卯月の人格交代は何度も見てきた。

確かに演技とも思えず、まるでそこに本当にアイドル達が生きているかと錯覚するほどだ。


しかし、あれはあくまで卯月本人である筈だ。


今の卯月は自分の中にある他のアイドルのイメージを実現するために、
脳内のアドレナリンなどを振り絞り、驚異的なパフォーマンスを発揮しているにすぎない。


今のチートの様な人格交代を続けていたら、卯月の脳の容量は限界を迎え確実に破綻は訪れる、とちひろは睨んでいた。

それなのに上層部はは人格交代による能力の上昇を神の恩恵の様に持ち上げ、このまま行けば我が社初のSランクアイドルも
夢ではない、などとはしゃいでいる始末だ。

頼りの綱のプロデューサーさんも最初はともかく、最近では卯月の治療に積極的ではない。

まさかとは思うが、彼も超トップアイドルを作り上げる魅力に逆らえなかったのだろうか。
そんな事、信じたくはないが…。


ちひろはため息をついた。

そして、しばらくは様子を見る為に卯月を注視していようと心に決めた。


周りがどう言おうと彼女に危険が見られたら身体を張って止めるのだ、と、心に決めて。

「なんかさ、アイツ最近調子に乗ってると思わない??」
メイクルームでメイク中のとある事務所のアイドルが、同じ事務所の同僚アイドルに憎々しげに声を掛けた。

「アイツってー??」

鏡を覗き込んでたアイドルが聞くと、アレよアレ、と、片隅にあるモニターに映っている卯月をメイク道具で指し示した。

「あー、島村卯月?? 最近色々出てんね」
「目障りじゃね?? 他のアイドルが死んだからって上から目を掛けられてさ、大した実力もないのに」

「いいよねー、周りが悲劇のヒロインって持ち上げてくれるから楽でー。
 そだ、あんた死んでくんない??私、仕事増えるから」
「ふざけんなよ、お前が死ねよ」


口汚く軽口を叩き合うアイドル達を横目に、765プロのアイドル佐竹美奈子は嫌な気分になっていた。

765プロと346プロの関係は良好である。

346プロがアイドル部門を立ち上げた時、軌道に乗るまで765プロのアイドルがレンタル移籍してきて、
力を貸していた縁もあり、未だにその時の友好関係は続いている。

最近は346プロも大規模になり、昔ほど親密と言う訳ではないが、
業界のトップを走る765とは良きライバル関係と言ったところだ。


しかし、765のアイドルの中には、事故に遭って無くなったアイドル達と仲のよかったアイドルも多数いて、
事故の起きた時はかなり事務所の空気が重かった事を美奈子は記憶している。

そんな訳で新人の美奈子は、直接的には事故に遭ったアイドル達とは面識が無いものの、
尊敬する先輩たちの悲しみを見て、事故には心を痛めていた。


しかし、このメイクルームのアイドル達は悼むどころか羨ましいとまで言った。
美奈子には全く理解できない。


確かに事故後の島村卯月のメディア露出は凄まじいものがある。

しかし、一度でもそのパフォーマンスを目にしたら贔屓などとは到底言えない筈だ。

それを妬む暇があるのなら、自分でも少しでもあの驚異的なパフォーマンスに近づく為に努力するべきだ、
と美奈子は思う。

彼女がそんな事を考えていると、

「確かにねー…面白くないよね。 あの子にそろそろキョ―イクしてやるべきじゃない、先輩としてさ」

話に乗って来たのは、961プロの中堅ユニットアイドルの3人組のリーダーのアイドルだった。

「ちょっと裏に呼び出してさ、シメとくべきじゃない?? あいつ大人しそうだし、アタシらが囲んでやれば何でもやるよ、きっと」
「下着奪っちゃってそれでステージ出させる?? キャハハ!悲劇のヒロインは露出狂とかチョー面白くね??ww」
「ちょっとーやりすぎー、問題になったらどうすんの??」

他所のアイドルが窘めるが、卯月を思っての事ではなく、あくまで自分達が被害を受ける事を考えてらしい。

その証拠に961のアイドルが、

「一気にアイドル大量に無くした346が何言ってもウチらの事務所に勝てる訳ないじゃん、文句言ってきても知らぬ存ぜぬっしょ」

と言うと、

「ふーん、確かに。 んじゃ、アタシも乗る乗るぅ!!」

と、アッサリ話に乗って来た。

そして961の3人組と別の事務所の二人のアイドルが、卯月を連れ出そうとメイク室から連れだって出て行こうとして、

「あ、アンタはどうする?? アンタも来る??」

と、美奈子にも声を掛けてきた。

「私は…いいです。」

美奈子はキッパリと断ったが、それを聞いて961のアイドルは

「やだよねー、765のアイドルはいい子ちゃんばっかで。 上が売れてるとおこぼれ回って来るから気楽なモンだよねーっ」

と、美奈子に悪態をついて部屋から出て行った。

美奈子はその足跡が遠ざかるのを聞いて、慌てて携帯電話を取り出し、自らのプロデューサーの番号を呼び出した。


私のプロデューサーなら346のプロデューサーに連絡が付く筈だ。


早く報せないと島村卯月さんが大変な事になる。


そう思った美奈子は、鳴り続く呼び出し音に一刻も早くプロデューサーが出てくれる事を祈り続けた。

「ちょっとアンタ最近調子に乗り過ぎじゃない??」

リハーサルが終わった後、卯月は共演しているアイドル達に囲まれてステージ裏の人目の付かない場所に連れ込まれた。

アイドル達は卯月が逃げられない様に円になって囲うと、口々に最近の卯月の活躍を理不尽に責め立てた。



卯月にしてみれば困惑以外の何もできないだろう。

ただ、ひたすらにみんなと一緒に頑張ってるだけなのだ。


それを調子に乗ってると言われても押し黙って俯くしか出来ない。

卯月がそうしているのを見て、業を煮やしたアイドルの一人のショートカットの娘が、

「何処見てんだよ!聞いてんのかよ!!」

と、肩を突き飛ばして来た。

「あっ・・・!」

よろける卯月を受け止めた他の長髪のアイドルが、

「もういいよ、こいつ剥いちゃおうよ」

と下卑た笑いを浮かべて卯月を羽交い絞めにしてきた。

アハハッと笑った別のウェーブヘアーのアイドルが

「いいねー、大恥かかせてやろうよー!」

と、足首を掴み卯月の下着に手を伸ばして来た。

その瞬間、周りでニヤニヤしていたアイドルの一人のツインテールの娘は、
無反応でなすがままの卯月の瞳が濁り、口元が二ヤリと笑ったのを確かに見た。

えっ、と思った瞬間、卯月の自由な方の足は跳ね上がり、足首を掴むアイドルの喉元に勢いよくつま先が蹴り込まれた。

反吐を吐きながら後方に吹っ飛ぶウェーブヘアーのアイドルを見て、皆が呆気に取られていると、
その瞬間、卯月は自分を羽交い絞めにしている長髪のアイドルの
鼻先目がけて自らの後頭部を勢いよく叩きつけ、相手が怯んで卯月を離した瞬間、
体を捻って思い切り肘打ちを相手の脇腹に叩き込んだ。


悶絶して倒れ込む二人のアイドルを尻目に、立ち上がった卯月は余裕綽々で肩をぐるりと回して辺りを見回した。

「な、何してくれてんのよっ!!アンタッ!?」

すると、漸く卯月の動きに反応した他のアイドル達が、金切声を挙げながら、二人がかりで凄い形相をして掴み掛かって来た。

卯月はそれを見て、軽く横にステップすると、

「オラァ!!」

と気合一閃、前から突っ込んできた相手の横っ腹に蹴りを叩き込む。

くの字に折れたそのアイドルの髪を乱暴に掴むと髪が引き千切れるのも構わずに
相手を振り回し、そのまま後ろから迫るアイドルの身体に思い切り叩きつけた。

「そらよっ!!」

そして卯月は、よろけて倒れ込んだ二人の頭部を、全く躊躇せずにサッカーボールの様に爪先で蹴り上げる。

動かなくなった床の二人を見て、残りの一名に向けて、強烈な睨みを飛ばす。

最期に残った961のリーダー格のツインテールの娘は恐怖にかられ、
ひっ、と短く呟くと、訳も分からず振り向いて一目散に逃げだそうとした。


が、振り向きざまにツインテールの片方を卯月に乱暴に掴まれ、彼女の逃亡は叶わなかった。


「何処行くんだよ…?もうちょっと「遊んで」くれョ、オゥ…!?」


鈍く光る卯月の目は完全にイッてしまっている。


次の瞬間、抱え込まれた頭に卯月の膝が迫ってるのを見て、
ツインテールのアイドルは自分達が完全にとんでもない相手に絡んでしまった事を後悔して――そこで意識が途絶えた。



「聞いてるんですかっ!!卯月…拓海ちゃん!!」


「ンな事言ったってあの状況じゃヤるしかねーだろ?ほかにどうしろってんだよ・・・」


ソファーに腰かけて不貞腐れてちひろの説教を聞いていた卯月は
ボリボリと頭を掻きながら、顔を背けた。

「それに「なるべく」顔面は狙ってないぜ?? 目立たないようにさ、なあ、プロデューサー」

ガッツポーズを作ると、卯月はプロデューサーに視線を向けてニッと微笑んだ。


「まあ確かに顔にはな・・・でも・・・五人病院送りは拙かったかもなぁ…」

プロデューサーが頬を掻いて困惑の表情を向ける。

「幸い、先に手を出したのは向こうだし、良からぬ事を企んでいたのを765さんのアイドルが
証言してくれたから良いものの・・・」

765のプロデューサーから連絡があり、プロデューサーが慌てて卯月を探した所、
ステージの裏で卯月と床に横たわる五人のアイドルを発見した。

アイドル達はアバラが折れてるもの、喉が潰れているもの、
激しいムチ打ち等様々の被害で近くの病院に搬送される事になった。


当然、問題になった。

961プロをはじめとする複数のプロダクションから猛抗議が有ったが、
第三者である765プロのアイドルの一人が話を聞いていたらしく、
被害者のアイドル達こそが良からぬ事を企んでいた、と言う事実の証人になり、
抗議は一気にトーンダウンした。


「そう!765さんが証言してくれたからいいものの、もう少しで事件沙汰になる所だったんですよ!
わかってるんですか!!??」

ちひろが再度声を荒げる。


そう、かなり危ない所だったのだ、765プロの助け舟がなかったら一方的な暴力事件として取り上げられ、
刑事事件にされても何もおかしくなかったのだ。


そうすれば、大量のアイドルを失い体力の落ちた346プロはひとたまりも無い。


「あー・・・もう、うざってーな・・・」

言うと卯月は目を濁らせブツブツと呟き始めた。

それを見たちひろは、

「あっ、拓海ちゃん!! 待ちなさい!!まだ話は終わって…っ」と、卯月の肩を掴んだが、

次の瞬間卯月は、

「・・・う?? ちひろおねーさん、仁奈になにかごよーですか??」

と、澄んだ目でちひろを見つめてきた。

「にっ仁奈ちゃんっ・・・??」

変わった別人格の仁奈に怒りをぶつける訳にもいかず、ちひろは怒りに肩をプルプルと震わすことしかできなかった。


それをみてプロデューサーは深いため息をついた。

あのちひろの怒りの矛先に向けられるのは、間違いなく自分だと気づいていたから。

「もうっ!!拓海ちゃんったら!!信じられない!!」

人格交代で何の罪もない仁奈に説教を押し付けた拓海に、ちひろは憤懣やるかたない様子だ。

「まあまぁ…拓海も卯月のピンチを救ってくれたんですから…」

フォローに徹するプロデューサーだが、

ちひろはその愛らしい顔を顔を膨れさせて、

「人格交代を免罪符に使い過ぎなんですよ…」

不満そうにつぶやいた。

その内、溜め込んでいたモノが爆発したのか、一気にプロデューサーに向かってまくし立てた。

「それに拓海ちゃんだけじゃないんですよ!!他にも愛美ちゃんが出て来た時は以前にもまして
他のアイドルへのセクハラが酷いし、志乃さんは卯月ちゃん未成年なのに大量にお酒のむし、
杏ちゃんなんてレッスンさぼるし!!」

「ま、まあまあ……」

激高するちひろを宥めようとするプロデューサーだが、ちひろは意を決した様に握りこぶしをグッと握った。


「…決めました。私、明日の会議で卯月ちゃんの治療を進める事を提案します。」

「ちひろさん、それは!」

まだ時期尚早だ、そう思ったプロデューサーは慌ててちひろを止めようとする。


だが、そんなプロデューサーを制して、ちひろは、

「元々、無理があったんですよ、治療中の人間を会社に利益が有るからって放置するのは……、
 卯月ちゃんの健康の為にも良い訳がありません」

うんうん、と自分に言い聞かせる様に頷いた。


「ですが・・・」

何とか反論しようとするプロデューサー。 だが、それを抑える様にちひろは釘を刺してきた。


「それとも、プロデューサーさんも卯月ちゃんの健康より、Sランクアイドルを育てるのが大事なんですか??」


ちひろはモバPの真意を確かめる様に、瞳をジッと正面から見据えて尋ねた。

そう言われてしまっては、プロデューサーは黙るしかない。


「そんな事は……有りません」


プロデューサーががそう言ったのを聞いて、ちひろはニッコリと笑った。

「そうですか、良かった。 信じてました、なら明日の会議、私に味方してくれますよね??」

と、念を押すようにプロデューサーに確認を取ってきた。


「……はい…」

プロデューサーには、最早頷くことしか出来る事は無かった。

だが、俯きながらもプロデューサーは思った。

何よりも卯月の健康が第一だ。それは理解できるし、自分も同じ気持ちだ。 しかし…。

プロデューサーは卯月の心の中に居る他の23人の顔を思い浮かべながら、
激しい葛藤に心を痛めていた――

翌日の会議は朝から紛糾した。


「以上の理由を持ちまして、アイドル島村卯月の長期療養を提案します!!」


会議室のホワイトボードの前で千川ちひろは大量の資料を示し、
卯月の精神と身体の危険性について、自分の考えを居並ぶ重役の中、堂々と示した。


一人の少女の行く末が自分の肩に掛かっている。
そう考えれば、例え重役達に囲まれようとも、臆している場合では無い。


ちひろはそう考え、堂々と前を見て重役達の顔を見据えた。


しかし、どうやら上層部は卯月の治療を認めたくは無い様だ。

「しかしだねぇ…千川君、もう少し様子を見ても良いんじゃないかねぇ…」

そう告げた重役の一人に、周りが一斉に頷く。

何しろ、346プロ始まって以来のSランクが狙えるアイドルなのだ、
彼等からしたら卯月の人格交代は神の賜物なのだろう。


「この資料に有る様に、卯月君の活躍は、事実上我が社を支えるに余りある。
後継もまだ育ち切ってはいないし、見た所、今はまだ健康に異常もなさそうだし……、どうだね、ココの所は……」

最近の卯月が、仕事で稼いだ売り上げを纏めた資料を示した重役は、モゴモゴと語尾を濁した。

彼等も本来、治療を必要とする少女を働かせて稼ぎたがる程の人間の屑ではない。


それはちひろも良く知っている。 普段はアイドル達を気遣う尊敬できる上司達だ。

だが、余りにも今の卯月の、いや、今の卯月達のアイドルとしての実力はズバ抜けてるのだろう。

その眩しさに、上層部の目が眩む程に。

しかし、ちひろはあくまで人格交代によるチートは卯月の精神、身体に多大な負担を掛ける、と譲らなかった。

バンッ!!と会議室の机を叩くと、

「このままでは、卯月ちゃんは早晩潰れてしまいますよ!? それでも良いんですかっ??」

と、語気を荒げて周りの重役達を睨み付けた。


この期に及んでも、重役たちは 「だが…」「しかし…」と要領を得ない。


一向に進まない会議に、ちひろも重役たちも助けを求める様に、此処まで何も発言しないプロデューサーの方を見た。


しかし、プロデューサーはその両方の視線に挟まれて尚、俯いて無言を貫いた。


その様子を見て、深く溜息を付いたちひろは、

「どうしても解って頂けないなら仕方が有りません……、私は全てを週刊誌各紙に暴露します。
卯月ちゃんの病状。それを解って働かせる当社の姿勢、全てをです!!」

と、覚悟を決めたように居並ぶ重役たちに告げた。

「千川君!!」「それは!!」


激しく狼狽し、色めき立つ周りの重役。

大量のアイドルを失い、その上そんな事をされては、346プロは確実に崩壊する。

「勿論、辞表は覚悟の上です……、どうか、ご判断を」

そう語るちひろの表情を見て、既に翻意は望めないと考えたのか、
周りの重役達も諦めの表情で首を振り、肩を竦めた。


そして遂に上層部も折れ――  島村卯月の長期療養が決まった――

別室に待機していてソファーに腰掛けていた卯月は、ちひろとプロデューサーが入室すると、
パッと立ち上がり、ぺこりと丁寧にお辞儀をして出迎えた。


「おはようございます、あの、此処で待って居るように言われたんですが……?? どうしたんですか…??」


強張った表情のちひろと、暗い表情のモバPの顔色に、卯月が異変を感じ取りおずおずと尋ねて来た。


「ええ、少し会議をしててね…、卯月ちゃん、連絡事項があるから座って頂戴??」


務めて表情を変えようとせずに、ちひろが卯月に席に着く様に促す。


素直に、ソファーに腰掛ける卯月。


向かいにちひろ、並ぶ様にプロデューサーが腰掛けた。

「単刀直入に言うわね、卯月ちゃん、貴方にはしばらくお仕事をお休みして、療養期間に入って貰うわ」

と、ちひろがバッサリと要件を告げた。

目を丸くして首を傾げる卯月。

「はあ……療養……ですか? でも私、もう怪我治りましたよ??」

不思議そうに聞き返す卯月に、その間髪も入れず、

「身体じゃないの、心の問題よ」

と、ちひろが告げた。

「心の…問題??」

心底わからない、と言った様子で、困った様にプロデューサーの顔を見る卯月。

だが、プロデューサーには辛そうに俯く事しか出来なかった。

「あのね、卯月ちゃん。卯月ちゃんの心の中に居る皆の事だけど…、
心の中に居る他の人格は全員卯月ちゃんなのよ? 今の卯月ちゃんは病気なの」

ちひろが言い聞かせる様に説明する。


「病気……」

卯月は納得がいかなそうな表情で、俯いて呟いた。


「だから、治療して人格を一つに統合していかないといけないのよ?? 
今のままでは決して良くない事が起こる、断言してもいいわ」

辛そうに、残酷な事実を告げるちひろに卯月は慌てた様子で、

「あの………人格を統合したら…、中のみんなはどうなるんでしょうか??消えるんですか??」

「一つになるんだから、消えるって訳では無いでしょうけど…ええ、存在と言う意味ではそうなるわね」

ちひろが告げたその瞬間、卯月が今まで見た事も無いほど興奮した面持ちで叫んだ。

「嫌です!!消えるなんて!みんな私を助けてくれてるんです!!いいじゃないですか!今のままで!!」

激する卯月を抑える様に、ちひろが、

「落ち着いて、卯月ちゃん、このままでは絶対に体に無理が来るわ、
そんな事、私もプロデューサーさんも誰も望んでないのよ??」

と、宥めようとするが、卯月は更に感情を漲らせて、

「嫌です!! みんなを消すなんて! 絶対に嫌です!!」と、涙を浮かべて首を横に振り続けた。


小一時間ほど説得にちひろが説得に当たったが、泣き喚く卯月には取りつく島もない。


ちひろは、辛そうに無言を守るプロデューサーをちらり、と見て、ため息を一つ付くと意を決した様に、

「これは決定事項です! 今下に車を回してきます。その足で病院に入院してもらいます、いいですね!?」

と、卯月に向かって厳しく言いつけた。

同時に立ち上がり、これで話は終わりとばかりに、ドアの方へ歩いて行く。


そのドアから出たら、本当に車を回して来て病院に連れていかれてしまう。

そう思い、絶望した表情でその言葉を聞いた卯月は、助けを求める様にプロデューサーを見た。

その涙で溢れる両の瞳を見たモバPは、決した様に目を瞑り、眼を見開くと、
両手を組み合わせ振りかぶり、ドアの方へ歩くちひろの背中に走り寄り、思い切り振り下ろした。

ガッ!!と鈍い音が響き、ちひろが床に倒れ込む。


「プ、プロデューサーさん……な、何を……」


その場に倒れ、呻くちひろにプロデューサーは、


「すみません――ちひろさん――」

「僕は…、二度もアイドル達を失いたくないんです――」と、辛そうに告げた。


そうするとモバPは卯月の方に手を伸ばし、

「来い!!卯月!!」と、叫んだ。


「は、はいっ!!」

卯月は涙を拭いながら満面の笑みでその手を取り、そのまま二人はドアの外へ駆け出した。


「待って……、プロデューサーさん…卯月ちゃんっ…ダメっ…」


床を這いながら、去って行く二人に必死に手を伸ばそうとするちひろ。


その意識が闇に墜ちる寸前、ちひろの目には、掛け去る二人の背中だけが見えた。









そして、二年が過ぎた。



千川ちひろは、もう別の人間が使用しているモバPの机をちらり、と見て、ため息をついた。


あの時、モバPはちひろの後頭部を殴打し、卯月の手を取り姿を消した。


僕は二度もアイドル達を失いたくない――


そう言い残して。


モバPも、卯月の中にある人格が決してアイドル達本人ではない、それは理解はしていたのだろう。

しかし、卯月の人格交代はあまりにも見事だった。それを真実だと錯覚してしまうほどに。


あの日、346プロから姿を消した二人は今も見つかっては居ない。

勿論、捜索届等は出されたが、警察も二人が同意の元に立ち去っているので、
民事不介入でこれ以上の捜査は難しいようだ。

今でも二人は何処かで一緒に暮らしているのだろうか?

アイドルを止めて、それほど脳を酷使しない普通の生活を送っていると信じたい。

それでもたった一人で24人もの人格を抱えたまま、卯月は生活出来ているのだろうか。

ちひろは暗澹たる思いを抱えながらため息をつき、仕事に戻った。

「モバPさーん、ご飯出来ましたよー」

階下で卯月が呼ぶ声がする。


遠く遠く離れたこの国で、片田舎で家を借り、モバPは卯月とひっそりと隠れ暮らしている。

卯月の中にはこの国の言葉を使えるアイドルも2、3人は居るので、
借りるのも暮らすのもそう困ることは無かった。


一階に降りると、卯月が笑顔で食卓に料理を並べていた。

「おお、美味そうだな」
「えへへ、実は響子ちゃんに手伝って貰っちゃいました」

卯月は舌を出して答える。

「この後は加奈子ちゃんが作っておいてくれたデザートもありますよ、一緒に食べましょうね」
「ああ・・・楽しみだな」

言うと卯月は、急に食器を並べる手を止めて、顔を青褪めさせてふらついて食卓に倒れ込んだ。

「だ、大丈夫か!卯月!!」

慌ててモバPが駆け寄り、卯月を助け起こすと、

「あれ・・・私・・・ごめんなさい、モバPさん・・・なんか眠くて・・・」

卯月は目をとろん半目にして、モバPの肩に手を置いた。


そうなのだ、実は最近、卯月は一日の大半を寝て過ごしている。

やはり24人もの人格を一人で維持するのは無理があったのだろうか、
今になってモバPの脳裏に、ちひろの言葉が重くのしかかる。


モバPは卯月を抱え上げ、二階のベッドに運び寝かせると横の椅子に腰かけた。

やがて、卯月の寝息が聞こえてきたのを確認して、モバPは一人、ひっそり涙を流して頭を抱えた。

卯月はこれからも更に睡眠時間が増えるだろう、

起きている時にも頻繁に人格交代は起きるだろう、更に一緒に過ごせる時間は減るかも知れない。


今は卯月と過ごせる。他のアイドル達も居る、そう、臨んだ通りの暮らしだ。

だが、日に日に押し寄せる夜の帳の様な、確実な絶望に、モバPは疲れ果てても居た。


あの日、ちひろさんの言うとおりにしていれば、卯月だけは失わずに済んでいたのだろうか――


自分が選ばなかった、いや、選べなかった未来に思いを馳せる。



それでも――モバPは選んだのだ。


24人のアイドルの笑顔を、失わない道を――



(完)

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