花陽「カリスマ」 (39)

 μ'sをおしまいにしてから、一年と少しが経ちました。
 九人最後のステージに立って、まだ一年生だった私は、事の大きさや周りの変化についていけなかったんだと思います。どことなく上の空で、何をするにも焦ってばかりで、思い返せばただただ恥ずかしくて……、

「ダレカタスケテー」

 なんて。
 喜ばしい事に“助けてくれる誰か”に恵まれた私は、今もこうしてアイドル研究部二代目部長、さらに二期目の席に座っていられるのです。あちらこちらで転びながらも、ですが。
 部室の一番奥、引き違いの窓を背に、眼鏡越しの室内を見渡せる一番の椅子が私の居所になりました。夏に差し掛かる気配を見せる、賑やかな街区のざわめきを乗せた涼風が、私の後ろ髪を梳かしていきます。


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「みんな帰っちゃったわよ? 花陽もそろそろ準備しなさい」

 縦長の部室横に繋がった隣の教室から、ふわふわの赤みがかった髪が覗きます。指先で滑らかな毛先をもてあそぶ幼げな癖は、出会って以来ずっと変わっていません。いつからか着始めた、些かくたびれ気味な桃色のカーディガンも、手入れはしっかりとされているみたいです。

「ごめんね真姫ちゃん、待たせちゃって。もうすぐ終わるところだから」

 私の月並みな返事に「大変だったら手伝うわよ」なんていうμ'sに入ったばっかりの時なら意地でも口にしなかったであろう柔らかな気遣いが、私をどれだけ心朗らかにさせるのか、本人はたぶん気付いていないでしょう。
 この部屋にいる時の彼女は副部長。その分、生徒会室にいる時は彼女が会長で、私が副会長。
 かつての三年生が卒業した後も、色々な人に頼りながらスクールアイドルとしての活動を続け、ついに今年からは、私たちが三年生になりました。

「部長のかよちんも好きにゃー」

 書類とノート、そして真姫ちゃんと私が占める世界に、もう一人の三年生が英語の補修を終えて帰ってきました。ショートカットに赤いリボンで、小さく結わえた橙色の尻尾が揺れる、私たちのリーダー兼、生徒会副会長です。

「おかえり、凛ちゃん」

 私の言葉を聞いてか聞かずか、狭い部室を一直線に駆け寄った勢いのままで真姫ちゃんに抱きついた凛ちゃんですが、抱きつかれたほうも中々満更ではなさそうです。
 頬をすり寄せられながら「アンタが遅いから練習終わっちゃったじゃない」などと悪態を漏らしつつも「真っ赤になってるのは凛にくっつかれて嬉しいからなんでしょー?」と返されたりしていて、二人のやり取りは軽快に熱を帯びていきます。
 傾きつつある太陽を背負い、机上に広げていた申請書や企画書の類をそそくさとまとめたら、薄っすらと汗ばんだ私は胸元のリボンをほんのちょっと緩めます。節度をもって、あくまでも、破廉恥にならない程度に。
 隙間ができて自由を得た首周り。手の中のリボンは、心持、角が擦れて色も褪せてしまっています。

 この学校では学年ごとに制服と合わせるリボンの色が固定されているため、毎年新しい色に新調しなければなりません。けれども私は、進級時に三年生用のものを購入しませんでした。特別に、その必要が無かったのです。
 そのうえ、どうやらしっかり者のお姉ちゃんという人種は、自らの持ち物にちゃんと名前を書いておく習性があるんですね。洗濯機に放り込んでも色落ちしないように、もし姉妹がお下がりとして使う事になった時でも困らないように。

 リボンの裏、慣れた手つきの桃色の刺繍で“矢澤”。

 普段の私なら決してしないせがみ方で、半ば強引に譲ってもらった本当に本当に大切なもの。私の傍でじゃれている二人も、そうしてそれぞれ譲り受けたに違いないでしょう。
 物事が上手くいかなくてつらかった時も、逆に幸福の最中にあった時も、今も。触るだけで、撫でるだけで、後ろから肩を抱かれているような心強さをくれる、あの人のもの。
 あらゆる想いや悩みを道連れに、時間は緩やかに流れていきます。半開きで漂う埃っぽいカーテンも、ときどき中のファンが回る、いまいちパワー不足なパソコンも、明け透けな口論ではしゃぐ親友も、私自身も。
 泣きそうになるほど穏やかな世界の中で、かすかに正面のドアノブが動いた気がしました。

「あら、アンタたち三人? あっちゃぁー……、練習終わっちゃったのかしら」

 この人はいつも、来て欲しい時に来てくれるんですね。

「にこちゃん!」

 私が声をあげる前に呼びかけたのは、凛ちゃんでした。
 ちょっと挨拶しにきただけだから、と日を改めることにして帰ろうとするにこちゃんですが、なんとか阻止しなければなりません。実際、既に今日の練習は終わっているのですが、私たちはこの人をどうにかして繋ぎとめたいのです。

「何よ、来てすぐ帰るの? イミワカンナイ」

「えー!? にこちゃん帰っちゃうの!? 大銀河宇宙ナンバー1アイドルのくせにオメオメとお家に帰っちゃうの!?」

「一年生と二年生はみんな帰っちゃったけれど、まだ下校時間まで余裕もあるし、せっかく来てくれたんだからお話していって欲しいな」

 三人が一斉に話しかけたせいで面食らうにこちゃん。いっぺんに喋るな、一人ずつ話せ、といった旨の文言をまくし立てながら後ろ手に扉を閉めるにこちゃん。戸を開けたままうるさくするのは他の人に迷惑だよね、知ってる。にこちゃんはそういう気付きにくいところの気遣いまでできる子だってことも、知ってる。でも言わない。こんな時、花陽はほんの少し、ずるっこになってしまうのです

 引き留め工作の一環として私は席を譲り、真姫ちゃんが取り置いていたお菓子をそれとなく勧め、凛ちゃんは校内で一番近いジュースの自動販売機に走っていきました。そういえばにこちゃんは、もうすぐお酒が飲める歳になるんですね、早いなぁ……。

「ふーん。それなりに、しっかりやれてるじゃない」

 七割ほど減った缶の上っ縁を軽く指ではじき、にこちゃんは私たちの活動を褒めてくれました。凛ちゃんは何を思ったのかトマトジュースを全員分購入してきたのですが、真姫ちゃんが嬉しそうなので良しとします。ただ、お菓子との食べ合わせについては言及しないことにしたほうが、穏便に済みそうです。

 μ'sの名前を継がなかった私たち。
 あれから、部全体とは別に新しく2~3人のユニットも組んで活動していること、ユニット間でも相互にやり取りをしつつ、浮き沈みありながらもスクールアイドルのランキング自体には残り続けていること、にこちゃんが本格的にアイドルとして活動を始めたこと。山積みの日常をできる限り伝えたくて、代わる代わる被せ合って話題を出し合いながら、言葉の洪水の中で生じた一秒にも満たない瞬きをついて、にこちゃんが寂しそうな目で呟きました。残念ながら私たちは、その一言の流出を食い止める事ができませんでした。

「私は、ここに何を残せたのかしらね」

 私たちは恐れていたのかもしれません。いずれ俎上に載せられるであろう事柄を、できる限り先延ばしにしたくて喋り続けていました。お陰で喉は貼り付くほどに渇いて、ジュースもほとんど口にしていません。残る二人も同じく、ほぼ蓋を開けただけの缶の前で、身を固くしています。

「え、でも凛はこれ。リボン、貰ったよ……?」

 にこちゃんが在学中にその艶やかな黒髪を結うのに使っていた真っ赤なリボンを、凛ちゃんは華奢な首を傾げて指差します。いつも元気な声色が僅かに揺らいだのを、私は聞き逃しませんでした。

「違うわ、物じゃないの。それに、今アンタたちが着けてる貴重な貴重なアイドルにこにースーパープレミアムグッズは、アンタたち自身にあげたものよ。私が言いたいのは、この部にとっての、もっと概念的なこと」

 ああ……、なんてにこちゃんは聡いのでしょう。その場限りのお為ごかしなんかは絶対に通じない、本気の時の、刺すような深く赤い瞳。元々にこちゃんからの押しに弱い真姫ちゃんに至っては、射竦められてうろたえるばかりです。みんなで仲良くしていたい、できれば触れて欲しくない、でもいつまでも逃げ続けるわけにはいかない。二律背反するこちらの痛い腹を的確に突いてくる実直なにこちゃん。自らが創立し、存続にこだわった部を託す形で後にした先輩が、後輩である私たちに、これからの在りようは如何かと暗に訊ねているのです。

「一年くらいならなんとかなるのよ、発起人の穂乃果もいたしね。体制を変えなくても十分通用するわ。と言うより、むしろそのほうが観客受けは良いくらいでしょ。問題はその次の年から。ここから先は小手先じゃどうにもならない、地力がついていかないとダメなの」

「知名度的に考えてもね」

 知名度。本来なら喜ぶべきはずのものですが、現在の私たちには酷く憂鬱な意味合いを伴って圧し掛かってくる言葉なのです。
 確かにこの場所から“九人で”スクールアイドルの一番高いところまで到達することに成功しました。それはとても甘美な経験となって、今もなお、私たちの背中を照らし続けています。
 しかしていつの間にか、あのステージで浴びた柔らい暖色の光は時間と共にその質を変化させ、背後から一層増していく光量に肌の焼ける臭いが鼻をつくまでになり、眩しさでもはや振り返ることすらできないまでに肥大化していました。
 このままではそう遠くないうちに、誰の手にも負えなくなってしまうでしょう。“三代目は身上を潰す”なんて諺だって、あるくらいなんですから。

「にこちゃんはそう言うけれど、私だってあれこれ考えてはいるのよ? にこちゃんたちが抜けてμ'sが無くなって、穂乃果たちも卒業して……。それでも部は失くさない、しっかり回していこうって……」

 ここのところ以前にも増して凛々しく見えるようになった真姫ちゃんですが、抗弁しながらもなんだか愛憎複雑な表情になって、口篭ってしまいました。
 一学年下の雪穂ちゃんや亜里沙ちゃん、新入生で入部してくれた子たちだっていますし、絵里ちゃん発案の“先輩禁止”も続けています。なので、部としての体裁こそ整っていますが、どうしたら良いのか迷ってしまう。きっと、それこそ穂乃果ちゃんが活動を始めた時とは正反対の問題が横たわっているんだと思います。凛ちゃんも真姫ちゃんも、考えれば考えるほど堂々巡りになって、何も解決しそうにありません。

 だからこそ、にこちゃんが部室に来てくれるようにと私は、希ちゃんに頼んでおいたのです。

 数ヶ月前、卒業式を間近に控えた頃でしょうか。ことりちゃんの衣装製作にお手伝いとして参加していた時に私は「みんな卒業していって、これからどうしたら良いか分からない」といった内容の弱音を漏らしてしまいました。お互い作業の手を止めず、二言三言交わすうちに、どちらからともなく希ちゃんの名前が挙がりました。
 μ'sを名づけた希ちゃんなら、いつも見てきてくれた希ちゃんなら、あるいは。
 とんでもなく直感的で蒙昧な思いつきでしたが、おおよそ間違いではないだろうという漠然とした安心感があったのを覚えています。

「そうやんなぁ……。今の花陽ちゃんたちに必要なんは、にこっちやと思うんよ」

 その夜。電話口で響く希ちゃん独特の柔らかな声音は、冷たい不安に絡まって動けなくなりそうだった私の神経をゆるゆると解してくれるようでした。散らかった話題の間をとりなして、希ちゃんは教えてくれました。絵里ちゃんとは違う大学に通いながらも何かとよく顔を合わせていることや、にこちゃんの現状について。その中で、優しい希ちゃんの提案に声が詰まりそうになるのを堪えながらお願いしました。スケジュール的に間が空いてしまうのは避けられないけれど、との注釈付きで、それとなく、雰囲気を察して頼んでみるとの約束をもらいました。

「あ、電話切り際にごめんな? これはウチの想像やけれど、にこっちにも、花陽ちゃんたちが必要なんやないかな。物事を教わるんに、上も下も無いと思わへん?」

 そして私の目の前に今、当のにこちゃんがいます。希ちゃんへのお礼は何にしようかなんてことは後回しにして、いざ本題を切り出そうと両の爪先に力をこめたときでした。

「ちょっと、良いかにゃ……? 凛には……、あんまり詳しいことは分かんないけど、にこちゃんもさっきから変だよ。なんかつらそうにしてる。ねぇ、何かあったりした? もしそうなら凛にも、……凛にも、教えてほしいにゃ」

 これまで静かにしていた凛ちゃんが、申し訳なさそうに心配を口にします。私のように事前情報を持っているわけでも無いのに、天賦の嗅覚がそれを感じさせるのでしょう。机上で重ねたしなやかな指先を爪立てて、必死に頭の中から言葉を選び出そうと四苦八苦していますが、どうやら思うような表現が見つからないようです。

「私だってね、似たもの同士なのよ」

 不躾な凛ちゃんの物言いを包み込むようでいて突き放すように、自嘲的ともとれる口許で一つ一つの単語を確認しながら、にこちゃんは思いの滴を明かしてくれました。

「私自身、信じていたものが揺らぐ時だってあるわ。したいことと、求められることはしょちゅう違うし確たる答えはどこにも転がってない。そりゃあアイドルなんだから苦しそうな姿は見せないわよ? それでも、なかなか困ったもんよね」

 スクールアイドルとしての実績こそあれ、本業のアイドルとしてのにこちゃんは駆け出し二年目の新人。A-RISEの皆さんのようにグループそのままで業界へと鳴り物入り、というわけにもいきません。多学年大人数ユニットの弱みはここにあって、順境も逆境も人数の力で乗り越えられますが、時間や方向性の変化に弱いのです。私たちスクールアイドルのような期限付きの活動では、特に。

「だからってウダウダしていられる状況でもないからね、また明日から西へ東へ笑顔届ける矢澤にこにこー♪ さて、本当にお邪魔しちゃったわね。まぁ、お互い気張りましょ」

 沈みかかる夕日で影になる、いよいよ話を切り上げて帰ろうとするにこちゃん。引いた椅子の脚で床のビニルタイルが擦れて、情けない音が鳴っています。

「バッカジャナイノ」

 わざと全員に聞こえる声量で真姫ちゃんは、捨て鉢気味に食って掛かりました。刺々しい吐き捨てとは裏腹に、前髪で隠れた目元が微かに光沢を帯びています。

「なんでなの? なんでにこちゃんは、いつもそうなの? いっつも一人で全部背負い込んで、楽勝ですみたいな顔して……! 頼られたら手を貸すわよ! 倒れそうなら肩だって貸すわよ! 私たちじゃ頼りない!? ねぇ、少しくらい、少しくらい頼ってくれたっていいじゃない……」

 先ほどから立ち上がろうとして中腰のにこちゃんの眼前に、噛み付かんばかりの剣幕で迫り、水平に射す太陽の灼熱に縁取られた赤髪の輪郭が、激情に燃えています。

「私も、凛も、花陽も、待ってるのに……。なんでそんな、思いつめた顔ばかりするのよ」

 確実に掌に爪の跡が残るだろうと予想できるほど握り締めた拳の上に一粒、また一粒と輝きが落ちていきます。眉根を寄せたアメジストの両目から止まらない涙もまた、灼熱に燃えていました。

「真姫」

 壊れ物を扱う速度でにこちゃんは、強張って濡れた真姫ちゃんの頬に触れながら、消え入りそうな口調で諌めます。

「ごめんなさいね」

 何重にも輪をかけて悲壮な面持ちでもう一度、ごめんなさい、と二の句を次ぐにこちゃん。その返答にもはや激昂寸前の真姫ちゃんを制して口を挟んでしまう部長たる私は、やっぱり、ずるっこなんだ。

「可愛い、綺麗、格好良い。アイドルって、本当にそれで良いのかな?」

 唐突に疑問符を投げ掛ける私に、訝しげな三対の視線が突き刺さります。

「ねぇ、にこちゃん。例えばにこちゃんのお母さんや理事長、穂乃果ちゃんのお父さんを見て、どう思う? 私はね、お仕事の合間を縫ってにこちゃんのために駆けつけてくれるお母さんはとっても可愛いと思うし、学校の運営をするっていう立場にいる理事長は凄く綺麗。和菓子職人のお父さんなんてびっくりするくらい格好良いよね。」

 凛ちゃんが困惑して、円い瞳をさらに円くしています。ごめんね、もうちょっと待ってね。

「誰かを応援したいなってなるのはどんな時? なんで私たちはその人を、その人たちを応援したくなるの?」

 だいぶ目も慣れて、影の中のにこちゃんの、瞳を見て私は続けるのです。最近ずっと考えていたこと、自分から持ち出すのは余りにおこがましくて言い控えていたこと、この場にいる四人でこそ共有しなければならない、私なりの想いの全て。

「私は、頑張ってる人の、ファンになりたい」

 怖いなぁ、すっごく怖い。上辺のやり取りなら、もし受け取り方に齟齬があっても後から幾らでも訂正が効くのに。もしもここで突っぱねられちゃったら、もう私には言い換えるべき言葉はありません。踵が崖下を覗いてる。半歩でも退いてしまえば真っ逆さまだ。

「にこちゃんがね、μ'sの活動に参加してくれたのはなぜ? A-RISEに惹かれたのはなぜ? もちろんダンスとか歌唱力とか、誰にだって向き不向きはあるよ。でもね、ただ普通に生活してたらそんなパフォーマンスはできないって思う。」

 しっかりと見据えていたはずのにこちゃんが、残照の中で揺らいでいます。さっきまで書類仕事をしていたので眼鏡は掛けているのですが、潤んで前が見えません。周りの音も遠ざかっていきます。なのにこれまで喉につかえていた濁流に似た感情が、我先にと行き場を求めて荒れ狂うのです。

「キラキラしたステージで私たちに夢を見せてくれるのは、現実を頑張った人なんじゃないかな。にこちゃん、アイドルってね……」

「花陽。それはスタートラインの話であって、誰も手を抜いて活動なんてしちゃいないのよ。みんな舞台の外では死に物狂いよ? 必要なのは、そこから先に提示できる何かで支持を得ることなんじゃないの」

 笑顔にさせる、ためにはね。――小さく震えながら引き絞るように意見する、いつまでも真っ直ぐなにこちゃん。きちんと切り替えて思考できる地頭の良さは誰にも負けない。だからこそ私は見栄も恥もかなぐり捨てて、この人にぶつかっていけるんです。

「ステージを下りたら、アイドルってそこでおしまいなの? ここにいるにこちゃんはステージの上じゃないからアイドルじゃないの? でもね、私にとっては、こうやって一緒になって悩んでるにこちゃんも、ステージで輝いてるにこちゃんも、どっちも同じくらいにアイドルなんだよ」

 泣かないで、にこちゃん。

「だってにこちゃんは、こんなにも頑張ってる。私たちも、頑張ってる」

 凛ちゃんが、咽ぶ私の肩を抱いて縋る。真姫ちゃんが、しゃくり上げるにこちゃんの手を握る。

「もがいて、足掻いて、死に物狂いで……。絵里ちゃんと海未ちゃんが置いていってくれた特訓メニュー、改良しながらみんなで続けてるよ。にこちゃんだって、お仕事大変でしょ? でもそれって、ステージの裏って、隠さなきゃいけないことなのかな?」

 息が苦しいし、上手に喋れない。

「私、見せても良いんじゃないかなって思うの。ダンスで間違っちゃうところも、歌ってて外しちゃうところも、全部。そうやって、始めからみんなで寄り添って、泣いて笑って、最後にいっぱい笑顔になってもらえたら、幸せなんじゃないかな」

 レンズを上げて擦った目は、たぶん真っ赤になってる。

「前に、希ちゃんに撮ってもらったりしたみたいに、私たちがμ'sの中でやってたみたいなことの日常も併せて、もっとみんなに向けて発信するの。そんなアイドルがいたって、良いと思う」

「……切り売りになるわよ」

 こんな状況でも、恐ろしく現実的で冷徹な指摘。にこちゃんは正しい。でも、それでもね。

「ダンスとかで何度練習しても失敗して、それでも練習しながらようやく成功したときって、すっごく嬉しいと思うの。そういう小さいことかもしれないけれど、みんなとたくさん共有したい。花陽には、得意なことも誇れることもあんまり無くて……。μ'sに入ってみんながいてくれたのがすごく心強かった。」

 そもそも、私一人じゃここまで来られなかったから。

「私たちだけじゃなくて、どんな人でもみんな、普段から何かに頑張ってると思うの。だから私たちもみんなと一つも変わらない、一緒に頑張ってるんだよって、知って欲しい。私たちを伝えたい。少しでも、寄り添っていけるように。」

 泥臭くて格好良いにこちゃんの可愛いところも、可憐で可愛いにこちゃんの格好良いところも、知ってもらわなきゃもったいないと思うの。だって私はμ'sのファンで、この部のファンで、にこちゃんのファンなんだもん。

「応援してくれる人は、私たちの頑張りも見てくれると、信じてます」

 “助けてくれる誰か”に恵まれた私だからできること、分かることがあると思うんです。周りを引っ張ってくれる穂乃果ちゃんやにこちゃんを目の当たりにしてきた、私だから。

「ハァ……。アイドルっていうのはね、むかーしむかしはトイレにも行かないなんて言われてたのよ?」

 にこちゃんは、笑ったのでしょうか。すっかり陽も落ちて暗がりに鳴る声から、険しさが薄れた気がしました。

「人も時代も、アイドル像も。変わっていくのかしらね」

 繋いでいた真姫ちゃんの手をそっと離したにこちゃんが、不意にこちらへ近づいて、真っ白な指を伸ばします。突然の緊張に身構えた私の頭に、暖かな体温を感じました。

「アンタも言うようになったじゃない」

 にこちゃんは凄いなぁ。こんなにも頼もしい。
 部長を引き継いだとき、私は“にこちゃん”になろうとしました。だからといって、どんなに真似たところでなれるものでもなく、結局、小泉花陽は小泉花陽のままでした。

「私は、にこちゃんの影を追ってたの」

 これは凛ちゃんにも真姫ちゃんにも言えること。でもそれじゃいけないって、三人ともなんとなく気付いていました。

「悪いことしたわね」

 いつだって先を行くにこちゃん。頼ってばかりの私。でも、先輩禁止のこの場所なら、私たちは対等なんです。だから、私たちの抱える伸び悩みと、希ちゃんから聞いたにこちゃんの抱える行き詰まりを、交換することにしました。私の考え一つじゃ説得力不足でも、にこちゃん一人の懊悩じゃ光が見えなくても。

「あぁまったくもう! 部屋ん中真っ暗じゃない! 熱くなるのも考え物よね。ほら凛、電気点けて!」

 沈んだ空気を打ち払う、張りのある号令に打たれて、凛ちゃんが戸口に走ります。暗いのに走っちゃ危ないよ?

 ――ある一定の線を越えると、元来その人が持っている特性のようなものに触れる場面があります。性格だったり弱点だったり、思いがけない特技だったり。中でもごく稀に、あまねく基準を無に帰して、良くも悪くも注目される、独楽の軸めいた振る舞いをする人が出てきます。なんの巡り合わせか、嗜好や度合いの差こそあれ、私の身近にも二人ほど。
 謂わば“カリスマ”。

 ここには、穂乃果ちゃんがいました。

 ここには、にこちゃんがいました。

 けれど二人はもういません。渡されたタスキは今、この手にあるのです。道半ばで立ち尽くす私たち三人の姿はまるで、新しい指導者を待つ民衆のごとくに映るでしょう。
 “カリスマ”はもういません。自分の脚で、歩かなければなりません。
 そこであくまでも平等な私たちは、等価な三人は、これまでの二年間とはまるで違った武器を自らで掲げていく必要に迫られたのです。

「花陽に凛、それとにこちゃん。忘れてると思うけれど、下校時刻とっくに過ぎてるわよ? 見回りの先生来ちゃう前に、早く帰りましょ」

 言うまでもなく外は完全に夜。

「ねぇねぇにこちゃん、……一緒に帰ろ?」

 人心地ついたらしく、いつもの調子を取り戻しつつある凛ちゃん。にこちゃんに頬を寄せて、おずおずと抱きつこうとしています。中途半端にしおらしい凛ちゃんを振り払おうにも無碍にできない、実は心優しいにこちゃん。

 現三年生である三人の誰も、残念ながら“カリスマ”にはなれませんでした。私たちの仲に“絶対”は無いのです。そのため私は部長、凛ちゃんはリーダー、真姫ちゃんは生徒会長をそれぞれ分担して務めることにしました。並列に繋がった三つの意志は、誰が欠けてもその体を成しません。その代わり、誰か一人が転んでも、残りの二人が必ず助け起こします。軸が折れれば止まってしまう独楽ではなく、絡み合った一つの生命体として、私たちは決して倒れず諦めず、走り続けられるのです。

「ねぇかよちん、ほら、隣の棟。見回り始まってないかにゃー?」

 懐中電灯のものと思しき明かりが、最上階にある一番端の教室から順に巡っているみたいです。ここには卒業生も一人混じっているので、さすがに芳しい状況ではありません。

「あぁそうだ、ちょっと真姫こっち来なさい。次は凛ね。短く済ませるから」

 閃いたふうのにこちゃんは、真姫ちゃんに耳打ちをしています。一拍置くと、凛ちゃんにも何やら囁き始めました。

「よっし。それじゃ先生に捕まる前においとましちゃいましょ。真姫、凛、出るわよー。花陽は部室の鍵閉め頼むわね」

 ひらひらと手を振るにこちゃんですが、順番的に私への話は無いのでしょうか? 道すがら気になって確かめてみますが、判然としない受け答えばかりが返ってきます。それにこんな時間では昇降口の鍵が閉まっているので、職員用出入り口からこっそりと退散する羽目になりそうです。

「スパイみたいで格好良くないかにゃ?」

「なんでもいいから静かにしなさい!」

「真姫ちゃんも静かにね……」

「ほらアンタたち、さっさと行ってきなさいよ」

 下足を取りに一旦昇降口へ向かう私たち。この代は一学年一学級しかないので、三人とも近い位置に下足箱があります。にこちゃんには、先生がこちらに来ないかどうか、曲がり角の陰で見張り役をお願いしました。

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