【はいふり】ミーナ「お主はわしをどう見ている?」明乃「私は……」 (69)

注意

・はいふりSS
・ミケミーかもしれないしミケモカかもしれない
・7話までの情報をもとに想像を付加して書いてます
・地の文多めです

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1464535987

あ、それとミーちゃんの言葉遣いは適当ですので悪しからず
それでは始めます







たくさんの人が港にいる



        ――はい、そうです。救助されたのはこれで全てです



せまい田舎の港にたくさんの影がひしめき合っている



        ――乗船していたのは船員含め全部で321名、現時点での行方不明者は68名



自分よりもずっと大きな影たちをかき分けて進もうとする、が、体が思うように動かない



        ――生存者49名の他、現在回収された204名のうち167名の死亡が確認されております



声をかけてどいてもらおうとするが喉から出たのはヒューヒューとかすれた息だけだった



        ――え?あとの37名ですか?そうですね…





それでも息を大きく吸い込んで精一杯叫ぼうとしてそのとき

青いシートの下から見覚えのある腕がのぞいているのが見えた



        ――……ほとんどの方が落下時に岩礁に打ち付けられ、荒波にかき回されていますから…



いつも私を高く抱き上げてくれていたその腕に向かって、私はありったけの声を絞り出した



        ――損壊が酷くてほぼ生存は見込めな……あっおいそこ!勝手に触っちゃ



おとうさん!おかあさん!



.





捲り上げたシートの下にあったのは


すっかり見分けがつかなくなった二人の人間の変わり果てた姿だった




◆ ◆ ◆





明乃「……っ!っは……はぁっ……」

声にならない叫びをあげて明乃はベッドから飛び起きた。
動悸が激しく体の中を打つ。
大粒の汗が額にはりついた前髪を伝って、からからに乾いた口に落ちた。
震えの止まらない背中が胃を揺らし、軽い吐き気を覚える。

ミーナ「な…っ」

明乃「……え……あ……ミーちゃん……」

驚いて目を丸くするミーナを視界に収めると、いつもと変わらない艦長室を見渡して
明乃は先ほどまでの光景が夢であったことを知った。
安堵し、落ち着くため目を閉じようとする。
が、再びあの光景が蘇ってくる錯覚に襲われ、明乃はにわかに目を見開いた。


ミーナ「なんじゃあ……どないしたんじゃい、艦長」

明乃「う、ううん、大丈夫、こわい夢を見ただけだから」

ミーナ「大丈夫……ってお主、顔色が」

明乃「よくあることだから心配しないで」

心配するミーナを制して明乃はベッド横の懐中時計に手を伸ばした。

ミーナ「あ、ああ、時刻なら今は〇四――」

と、明乃の行動を先読みして口を開いたミーナだったが、すでに半分開いた時計の内側を見て口をつぐんだ。
幼い明乃とその親友の写真がはめられた上蓋、そしてその横にある文字盤の針は全く違う時刻を指している。


ミーナ「――壊れているのか?」

明乃「ううん、ちょっと狂いやすいだけ……部品が少し錆びてるから」

ミーナ「それなら我がシュペーに良い職人がいるから修理に」

明乃「出さない」

言い切ると、明乃は時計を両手で抱え込むように自身の胸へと押し付け、固く目を閉じた。
物腰の柔らかい明乃にしては珍しい、強い口調に面食らって、ミーナは再び押し黙った。
気まずい空気が艦長室を漂う。



沈黙に耐えられなくなり、ミーナが部屋を出ようか迷い始めたころ

明乃「あの、ごめんねミーちゃん、もう大丈夫だから」

ミーナ「お主……」

明乃「それよりどうしたの?何かあった?」

再び口を開いた明乃の声はいつも通りで、さきほどまでの震えもない。
いつもと変わらない人懐こい表情には笑みさえ浮かんでいる。
しかしミーナはその急激な変化に違和感を覚えていた。


ミーナ「何かあったのはお主のほうじゃ」

明乃「私? 私はなにも」

ミーナ「とぼけんでええ。あれだけうなされておれば誰でも気付く」

ミーナが艦長室の前を通りかかったのは今から15分ほど前のことだった。
客とはいえ何もせずいるのは忍びない、と早番を申し出たミーナは、当直と交代するため艦橋へと向かっていた。
念のために艦長にも声をかけておこうとドアをノックしようとした時
中からひどく苦しげな明乃の声が漏れ聞こえてきたのである。

明乃「……だから夢見が悪かっただけだよ。ほら、よくあるでしょ?夏休みが終わっちゃうのに宿題が終わってないー!みたいな」

ミーナ「そんなに泣き腫らしてか?」


ハッとして明乃が目元を抑えるとそこだけ日に焼けたようにヒリヒリと痛む。
それは目尻から耳へと続いており、涙の筋であることは明らかであった。

明乃「えっとこれはその」

ミーナ「……ちょっと待っておれ」

そういってバタバタと艦長室を出ていくミーナの背中を見送りながら明乃は深いため息をついた。



明乃「あーあ、やっちゃったなぁ」

何年ぶりだろう。
とっくの昔に克服したと思っていたのに。
理由は分かっている。
昨日の救出作戦でましろが難破船内に閉じ込められた聞いたとき、かつての恐怖が一気に蘇ったのだ。
いや、正確にはもえかが武蔵の中で一人戦っているということを知ったときからだろうか。

明乃「……ダメダメだな私」

もっとしっかりしなければ。
そう思って気合を入れているのに、次から次へと現れる波に心が飲まれていく。
強くありたいという思いとは裏腹に、治ったと思っていた古い傷口が開いていく。
それを封じ込めるように両頬をピシャリと叩くと、涙の跡がやけに熱く感じた。





ミーナ「ほれ、ゆっくり顔にタオルを押し当てるんじゃ」

明乃「ん……ありがとうミーちゃん。でもここまでしなくても」

熱い濡れタオルと氷入りの冷水が入った洗面器を抱えて戻ってきたミーナに、明乃は困惑の色を隠せずにいた。

明乃「顔を洗えば治るのに」

ミーナ「いいから手を離すな。ほれ、次のタオルじゃ」

明乃「でもミーちゃん忙しいんでしょ?」

ミーナ「時間まであと30分くらいあるわい。1時間前行動が基本じゃ」

明乃「えええ、さすがにそれは早すぎるんじゃ」

ミーナ「それに下手に動いてその顔を見られたくはあるまい?」

明乃「……もう、敵わないなぁ」

全てお見通しだと言わんばかりに不敵な笑みを浮かべるミーナに、明乃は降参のポーズをとった。
もえかについて話した時といい、嵐の時といい、どうしたわけかミーナには心の内側を明かす機会が多い。


昔から自分の背景を明かすと、たいていの相手は気の毒なまでにこちらを気遣おうとする。
腫れ物に触るように、地雷原をさぐるように、言動の一つ一つを選び抜いて。
やがてほとんどの人は、自らの対応の息苦しさに耐えかねて、次第に疎遠になってしまう。
結果、明乃は進んで自分の境遇を明かすことをしなくなったのである。
すべて心の中の袋にしまいこんでしまえばいい。
そうすれば誰かに気を遣わせることもなくなり、独り取り残されることもない。

ミーナに話していないことはまだたくさんある。
そしてもちろん、聞かれるまで明かさないというスタンスを崩すつもりもない。
だがミーナと接していると時たま袋の紐が緩まることがある。
その不思議な感覚に明乃は軽い戸惑いを覚えていた。

ミーナ「隠したければ隠せばよい」

明乃「別に隠してるわけじゃないんだけどね」

ミーナ「弱みを見せることに抵抗がある、か?」


明乃「それもあるけどやっぱり艦長として弱音は吐けないよ」

ミーナ「ふん、変なところでド気張るな」

初めて対面したとき、ミーナは明乃をひどく艦長らしくない艦長だと思った。
『ここの艦長は誰だ!このすっとこどっこいが!』『何も知らんのかこのド素人が!』
罵声を浴びせた時点で多少の反発は覚悟していた。
意見をぶつけ合い、互いの主張を押し通しながら解決策を探る、それがドイツ式の議論のあり方であった。
だが明乃から返ってきたのは、あっさりと己の未熟を認めて助言を求める言葉だった。
激しい議論に慣れていたミーナは、予想外の素直な反応に毒気を抜かれて、言われるがままに知恵を貸すこととなった。
その後も晴風で生活するうちに見えてきた明乃の姿は、およそ一般的な艦長像とはかけ離れたものであった。

戦闘後は艦内をせわしなく歩き回り、各所から直接被害状況を聞き込み、艦橋への注文を聞く。
多くの作業を必要とする場所があれば、自らの休憩時間をその手伝いに割く。
たまに嫌味や苦情を言う者がいても、決して怒らず素直に頭をさげる。
あとから聞いた話だが、気を失ったミーナが衛生室に運び込まれたときも、衛生長に食事休憩をとらせるために自分の夕食時間を返上して看病を交代したという。
当直でないにもかかわらず、他の乗員に睡眠をとらせて一人で寝ずの番をしようとしたこともあったと聞く。

腰が低いといえば聞こえはいいが、乗員を過保護なまでに気遣う一方で、自分自身を軽視しすぎるきらいがあった。


ミーナ「お主は――」

言いかけてやめる。
指揮官のたしなみが安全な位置で冷徹に命令を下すことであるとするならば
それは明乃という存在と真っ向から対立することになる。
しかし、もし彼女という存在がなかったら、自分は今頃生きていただろうか。

ミーナ(――否。本来ならば捨ておかれ、フカの餌になるはずじゃったわしを独断先行で助けたのは……)

明乃「ミーちゃん?」

ミーナ「お主はどうしてわしを助けた?」

明乃「え……」

ミーナ「わしはお主を命の恩人として感謝しておる。しかしじゃ、しかし艦長であるならば――」


ミーナ「――いや、そんなことはこの際どうでもええ。わしが聞きたいのは、なぜそがぁに捨て身になるんかっちゅうことじゃ」

明乃「捨て……身?」

ミーナ「わしを助ける際、お主は一切の躊躇もなく単身で砲弾の雨の中へと飛び込んでいったと聞いとる」

ミーナ「どうしてそういうことが出来る?命が惜しくないんか」

明乃「それは……」

ミーナ「それは?」

明乃「えへへ、なんでだろうね」

ミーナ「……」

相変わらず毒気を抜くような困り笑いにミーナはがっくりと肩を落とした。
はぐらかす風でもないあたり、本当にわからないのだろう。
しかし


ミーナ「お主はそのとき副長に言ったそうじゃな。海の仲間は家族じゃと」

明乃「……うん。といっても受け売りだし、たぶん私の一方的な想いだけど」

ミーナ「そんなことはない」

明乃「え?」

ミーナ「お主のことを家族のように感じとる者はちゃんとおる」

明乃「でも」

ミーナ「少なくともわしはそう思うとる」

それは本心であった。
なぜそう思うようになったのかはわからない。
だが予感はあった。


ミーナ「わしが早くティア――我がシュペーの艦長を助けにいきたいと願ったとき、お主はなんのためらいもなく手伝うと言ったな」

明乃「言ったけど……もしかして変だった?」

ミーナ「ああ。見ず知らずの者、それも敵艦から飛び出してきた者を命を賭して救出した上に、進んで協力を申し出るなどやや常軌を逸しとる」

艦長としては、と心の中で付け足す。

ミーナ「じゃがお主がわしを家族と呼ぶのであれば、なにもおかしいことではない」

明乃「ミーちゃん……」

ミーナ「ならばわしもお主を家族と思わんと、その好意を受ける資格はない。わしが何を言いたいかわかるか?」

明乃「……」

ミーナ「家族が危険に首をつっこむのを見て喜ぶ者なんぞおらん。この際じゃから言わせてもらうがこの前は本当にヒヤヒヤしたぞ」

明乃「……ごめんね」

ミーナ「一言怒鳴りつけてやろうかと思ったが、先に黒木に言われてしょぼくれておったのでな。だが昨日の一件で分かったじゃろう?」

明乃「うん……私もシロちゃんが戻ってこなかったらどうしようってすごく怖かった」

ミーナ「わしらも同じことをお前に思っておる。もっともお前のそんなところに助けられたのも事実じゃ。怒りはするが否定はせんよ」

明乃「……ありがとう」

ミーナ「礼を言うのはこっちの方じゃ」

明乃「ううん、私どうしてミーちゃんには色々話してしまうんだろうってずっと思ってたんだ。でもやっとわかったよ」

いくら晴風の乗組員を家族と呼んだところで、艦という組織の枠組みが先にある以上それを上書きするのは難しい。
各員の存在を認識し、あだ名を付け、親身に接しようと努力しても越えがたい一線。
それは相手側だけでなく、明乃の中にも存在していた。


明乃「でもミーちゃんは外からきたミーちゃんだったから」

ミーナ「なんじゃいそれは」

明乃「上手く言えないけど……ミーちゃんがミーちゃんでよかったってことだよ」

ミーナ「なんとも陳腐な言い回しじゃな。まったく……変なあだ名までつけおって」

文句を言いながらも、そう呼ばれることをミーナはどこか心地よく感じていた。
規律に厳しいドイツ校にいたころの自分からすればあり得ない感覚。
中学のころから親しくしているティアが、今の自分を見たら何と言うだろう。

明乃「きっと可愛いっていってくれるよ!」

ミーナ「そんなわけあるかっ」

明乃「えー?可愛いのに」


ミーナ「と、そういえばお主の幼馴染の、ほれ、そこに写ってる。なんといったか……」

明乃「モカちゃん?」

ミーナ「ああ、そうじゃった。モカとはいつからの付き合いなんじゃ?」

大切な幼馴染だということは知っている。
それは自分にとってのテアもそうだ。
だが、大型の戦艦が海戦が繰り広げている中に、我を忘れて飛び込んでいくなど普通の親友の域を越えている。
たしかに自分が救出された時も、彼女は似たような行動をとっていた。
しかし海に落ちた者を救助することと、運行中の巨大戦艦に閉じ込められている者を救出しようとすることでは訳が違う。
たとえ砲弾にさらされることなく武蔵にたどり着いたところで、どうやって中へ潜入するというのか。
良くて捕縛、下手をすれば海面を掃射されて死んでいたかもしれない。
いくら自分の安全を勘定にいれない性格とはいえ、計算が出来ないにも程がある。


“幼馴染”と明乃は言った。
一度は納得したものだが、テアが同じ状況にあったとしてもあのような行動には奔らないという確信がミーナにはあった。
それは練度の高さ故の自負ではなく、素人であれ玄人であれ、それが普遍的な思考であると考えたからだ。
常識という言葉に置き換えることもできるそれを、あのときの明乃は完全に見失っていた。
彼女の判断力をそこまで曇らせた少女とは一体何者なのか。

明乃「……モカちゃんはね、あの事故のとき私をすくい上げてくれたんだ」

あの事故。
今から10年ほど前に起きた大規模な海難事故のことだ。
そこで明乃は両親とともに事故に巻き込まれたという。

ミーナ「すくい上げた?お主がわしを助けたようにか?しかし…」

逆算すれば5歳になるかならないかという幼子に、そんなことが出来るはずもない。
不思議そうな顔をするミーナに明乃はゆっくりと首を振り

明乃「そうじゃなくて――」

一瞬の逡巡の後、意を決したように口を開いた。




――10年前――



誰かの泣き声が聞こえる。
船が入るような大きな部屋に、数え切れないほどたくさんの長い木の箱が置かれていた。
そして、それらを縫うように、部屋のあちこちでいくつもの泣き声が響き渡る。
あるいは咽ぶように、あるいは縋るように、あるいは叫ぶように。
肌寒くも柔らかな西日の差し込む夕暮れであった。
それなのにこの部屋は、朱を避けるようにひどく黒く、暗い。

その中で幼い明乃はただ呆然としていた。
目の前には、他のものとは違う小さな桐の箱が二つ置かれている。




――おとうさんとおかあさんはどこ?


ここに来れば二人に会えると思って来たというのに。
自分を連れてきた大人に両親の居場所を訪ねると、男は黙って箱を指し示した。


――お父さんとお母さんはもういないんだよ


そう言うと男は別の大人と何かを話し始めた。

遺体の損壊が著しく酷く、整えることが難しかったため優先的に荼毘にふされたということ。
明乃の引き取り先や遺産の相続について揉めているということ。
海上都市への転居のため家財一式とともに乗船していたため、松本にはもう帰る家がないということ。
転居先は父親の社宅であるためそちらに住まわせることもできないということ。

その年ようやく5歳を迎える明乃には、彼らの言葉の意味はわからない。
わかるのは、大きな手で高く抱き上げてくれた父親も、身体をすっぽりと包んで本を読んでくれた母親も
今は変わり果てた姿になって、この小さな箱の中で眠っているということだけだった。


箱を持ち上げると内側でコトリと陶器の当たる音がする。
低く穏やかだった父の声とも、優しく囁くような母の声とも違う無機質な音。
もはやどちらが父でどちらが母かもわからない。
その音が、振動が、未だ心のどこかで二人の帰りを待っていた明乃に現実をつきつける。
いくら待っても、もう二度と彼らと会うことは叶わない。
それは少女が初めて「死」を知った瞬間であった。


気がつくと、明乃は箱の前で一人へたりこんでいた。
周りからは相変わらず、すすり泣く声が聞こえてくる。
先ほどまで側にいた男の姿は見えない。
いや、近くにいるのかもしれないが、明乃の顔は焦点を失ったまま箱へと向けられていた。
不思議と涙は流れなかった。
たった独りで現実を受け止めるには明乃はあまりに幼すぎたのである。
生後四年目の年を半分すぎたばかりの少女の、頭の中で渦巻いていたのは後悔と罪悪感であった。

あのとき自分が二人のいう通りにしていれば。
あのとき躊躇なく飛び込んでいれば。
あのとき両親を待とうとしなければ。


ふと耳元を渚の潮騒がかすめる。
それはまるで、いつも両側に聞いていた二人の寝息のように穏やかで、昨夜のことが嘘であったかのように思われた。
ゆっくりと鼓膜を撫でるその音に明乃はふらふらと立ち上がり建物の外へと出た。

いつの間にか、西日は海の彼方へと姿を隠し、夜の帳がすっぽりと世界を包んでいる。
月に照らされて揺らめく千の波に心を囚われる。


そうだ、もしかすると二人はまだ海の中で助けを待っているかもしれない。
だいたいあんな小さな箱の中に二人の身体が入るわけがない。
きっと何かの間違いだったんだ。

考えれば考えるほど両親はまだ生きていて、明乃がくるのを待っているかのように思えてならなかった。
向こうが待っているのなら、こちらがいくら待っても帰ってくるわけがない。
待つくらいなら、自分が行けばいい。

いつしか明乃は波打ち際の岩場へと歩を進めていた。
あのときはひどく恐ろしく見えた暗い海も、中で両親が待っていると思えば優しい世界のように感じられた。
磯の先へと立ち、最後の一歩を踏み出そうとしたその時



――だめ!


すでに海の上へと出ていた半身を勢いよく引っ張られて、明乃の小さな身体はなすすべもなく後ろに転がった。
幸い転んだ場所は砂地であったため、背中を岩に打ち付けることはなかったが、磯に肘がぶつかり痛みで息がつまる。
何かが腰にまたがったのを感じて目を開くと、そこには泣きそうな表情をした知らない少女の顔があった。


――いっちゃだめ


――でもおとうさんとおかあさんが


そこまで言ったところで明乃は肘にぬるりとした感触を感じた。
どうやら先ほどの転倒で薄く切ってしまったらしい。
片方の手で触って確認すると、手のひらが赤く染まった。
それを見た明乃の脳裏に昨夜の出来事がよみがえる。


あの時シートからのぞいていた腕は、いつも明乃を高く抱き上げてくれていた腕だった。
シートの下に見た遺体は、見分けがつかないほど変わり果てていたとはいえ、まぎれもない両親の服を纏っていた。
そしてその指には、あのとき明乃の手を引いた母の指輪が光っていた。

不意に頬を熱いものが流れるのを感じた。
目の前の少女がこちらを見て慌てている。

――いたいの?ごめん、ごめんね!

そこで、明乃は今自分が泣いているのだということに気が付いた。

本当はわかっていたのだ。
海の中に二人はいない。
もしいたとしても二度と視線が合わさることはない。
ただ、また二人に会えると信じたかった。
そしてなにより、一人だけ生き残った自分が許せなかったのだ。


次第にしゃくりあげ、嗚咽が大きくなる。
少女は明乃をゆっくりと抱きしめ、背中をさすった。
この涙が肘の傷みからくるものではないということは、時たま口から漏れる両親を呼ぶ声から察することができる。


ーーだいじょうぶ。あなた生きてるよ。


その言葉が自分への許しのように感じて、明乃の慟哭はますます大きく夜の入江に響き渡った。
傷つき果てた明乃の世界が涙で洗い流されていく。
眠るように穏やかな嘆きの海のそばで、少女はすっかり冷えきった明乃の身体を護るようにずっと抱きしめ続けていた。





明乃「で、その時の女の子がモカちゃん。あ、ちなみに私を連れてきてくれた男の人はモカちゃんのおじさんだったの。
   うちのお父さんとは親友だったらしくて、もし自分に何かあったら私の面倒を見て欲しいって頼んでたんだって。
   遺産のこととか家のこととか全部面倒みてくれて……こうしてみるとやっぱ私って昔から変に運がいいなーって……わわっ!ミ、ミーちゃん!?」

話し終えた途端、勢いよく抱きついてきたミーナに明乃は狼狽する。
なるべく深刻にならないよう、努めて明るく、かいつまんで説明したつもりだった。
全てをありのまま話せば、今までの人たちと同じように疎遠になってしまうかもしれない。
きっとミーナなら大丈夫だと思いながらも、明乃は心のどこかでそのことを恐れていたのだ。

明乃「……ミーちゃん?」

おそるおそる声をかける。
やはり失敗だったのだろうか。
今ままでなら気まずそうに、申し訳なさそうにこちらを伺いながら、当たり障りのない会話をして離れていくのが殆どだった。
しかし抱きつかれるのは初めてであったため、明乃は自分の判断の正誤を図りかねていた。

ミーナ「この……」

明乃「えっ?」


ミーナ「このばかもんが!」

明乃「ふぇっ」

抱きつかれたまま叱責されて明乃はますます混乱した。
何か悪いことを言ってしまっただろうか。
考えてみれば急にこんな話をされれば不快になるのかもしれない。
ならばとる道は一つしかないだろう。

明乃「ご、ごめんね」

ミーナ「何を謝っておる」

明乃「え? ええと……こんな話したから?」

ミーナ「わけもわからんと謝ったりするなっ」

明乃「うぇぇん」

失敗してしまったようだ。
一体ミーナが何に怒っているのか、明乃には見当もつかなかった。


ミーナ「……どうして運が良いなどと言う」

明乃「え……その……」

ミーナ「どうして無理やり明るく濁そうとする」

明乃「ミーちゃ」

ミーナ「わしはお主の家族じゃと言うたはずじゃ」

明乃「……!」


じわりと、その言葉は胸に染み込んだ。
息が、苦しい。

ミーナ「家族に遠慮する阿呆がおるか!ああ、ここにおったわ大うつけめ!」

明乃「大うつけ…」

ミーナ「喜びだけじゃない、痛みや悲しみも共に分かち合ってこそ家族と言えるんじゃ」

ミーナ「心の傷を全ての者に明かす必要はない。見たところ家族になりたいというのはまだまだお主の一方的な想いじゃからのう」

ミーナ「しかしわしは違う。わしはすでにお主を家族と思うとる」

ブレザーが崩れるのもかまわず、ミーナはますます抱きしめる腕に力をこめた。
今、二人の間に隙間はない。
温もりを与えられていることを感じて、にわかに明乃の視界がぼやける。


ミーナ「お主は――そう――これはお主の問題じゃ」

ミーナ「お主はわしをどう見ている?」

明乃「…か、ぞく……になっ、てほしい……」

声を出すと色々とこぼれてしまいそうで、必死に言葉を紡ぐ。
はは、と顔の横でミーナが小さく笑う気配がした。

ミーナ「まだ“欲しい”などと言うとるのか」

それは既視感だった。
10年前のあの日、突然現れたひとすじの光が命の答えを教えてくれたあの夜

ミーナ「すべて吐き出してしまえ。わしはここにおるぞ。お主を見捨てたりはせん」

両親が遺した命の航跡を、つなぐ決意をしたあの夜
穏やかな潮騒を背景に聞いた言葉




「わしは」

――わたしは


「お主の家族なんじゃから」

――あなたのかぞくだよ



今度の涙も我慢することはできなかった。






リン「あ、やっと来たぁ、ミーナさぁぁん」

ココ「おうおう、ようやっと来んさったか。遅刻なんてらしくないのぅ」

艦橋に上がったミーナを迎えたのは涙目で安堵の表情を浮かべる鈴と、徹夜明けで変なテンションになっている幸子の二人組であった。
ミーナはあくまでも艦長の客として乗船しているため朝番も強制ではない。
しかし人一倍臆病な鈴にとって、数時間とはいえたった一人で艦橋に立つのは大きなプレッシャーだったようだ。


ミーナ「少し用があってな。いや、すまんかった」

ココ「ほいじゃわしはアがるけぇのぅ、あとはよろしゅうたの……あら?」

ミーナ「?」

急に普段通りの口調に戻った幸子に振り向くと、訝しげにミーナの肩を見つめる二人の姿があった。

リン「ミーナさん、その肩のところ」

ミーナ「ん?なんじゃ?型崩れしとるか?」

ココ「いえそうではなく、波しぶきでもかかったような跡が」


ミーナ「……あー」

リン「デッキにいたの?」

ココ「今日は波が高いですからね。あまり外に出るとベタベタになりますよ」

ミーナ「いや、これは艦長のなみ……いや、なんでもない」

ココリン「「!?」」

しまった。と思った時にはすでに遅し。
明乃を慕っているらしい鈴はひどく狼狽し、幸子はさっそく妄想寸劇モードへと移行していた。
自分の迂闊さに内心で悪態をつきながら、ミーナは鈴たちの喧騒を背にして双眼鏡を覗き込んだ。
航路の先で、普段より幾分高めの波が朝日を受けて輝いていた。

この水平線の向こう側に親友のティア、そして明乃の家族である知名もえかがいる。
ふと、ミーナは胸のポケットから自分の懐中時計を取り出した。
上蓋になにも貼られていない、しかし正確に時を刻む懐中時計。


明乃は歯車の狂った懐中時計を挟むように、もえかと両親の写真を貼っていた。

もしかすると、と思う。
あれは両親の遺品だったのではないか。
裏蓋に貼られた家族写真の中で、明乃はまだ赤ん坊だった。
本人が選ぶにしてはあまりに遠すぎる記憶のものだ。
それならば錆びた部品を交換したがらない理由もわかる。
明乃にとってあの時計は、両親が生きていた時代を刻み続ける、言わば過去と今をつなぐ唯一の接点なのかもしれない。


ミーナ「まぁ……そのうちわかるじゃろ」

リン「わからないことだらけだよぉ!」

ココ「わからないほうがいいこともあるかもしれませんよー?」


噛み合わない会話をどこか心地よく感じながら、ミーナは朝焼けを仰ぎ見た。
昨日と今日の境界線はとっくにすぎている。
もしも明乃が傷を忘れられないなら自分がそれを共有しよう。
そうして共に明日の産声を聞けば良い。
かつてもえかがそうしたように。



自分たちは家族なのだから。







以上です
High Free Spilitsの歌詞はミケちゃんの過去と現在、未来を示している気がします
ミケモカの過去もミーティアの過去も、これからのミケミーも妄想が捗ってしかたありません
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました!

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