佐久間まゆ「白くて苦い……」一ノ瀬志希「Love Potion♪」森久保乃々「えっ」 (64)


まゆが悪い子・志希にたぶらかされるのを、もりくぼが止めようとするお話
話ちょっと重め 独自設定いくつかあり



※佐久間まゆ
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※一ノ瀬志希
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※森久保乃々
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SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1462692604

佐久間まゆさん――久しぶりに聞く名前です。

いろいろなことがありましたけど……
彼女は、私がアイドル時代に出会った中で、もっとも尊敬している人です。



これから私がお話することは、今になって考えると、現実とは思えないような出来事です。
多感な少女時代特有の、思い込みの産物ではないかと……時々、そんな気がします。

けれど、たとえどれだけ荒唐無稽に思えても……
あの体験が私たちの行く先に重大な影響を与えたことは、確かです。

もりくぼは寮のエレベーターに乗り込むと、階数の表示を見上げました。
デジタルの数字が、1、2と切り替わって、やっと3階。
扉が開いて、エレベーターを出て、寮の自室へ向かいます。

時間は、夜よりの夕方。
仕事帰りの足取りは、自分でも似合わないなぁと思うぐらい軽いものでした。



今日の仕事は、とある少女漫画雑誌のインタビューでした。
本屋さんだけじゃなくコンビニとかにも並ぶ、もりくぼ愛読の雑誌です。

そんなたくさんの人から見られる雑誌に、もりくぼの記事が……
話を聞いた時には、体が震えて声も出ませんでしたけど、なんとかこなすことができたようです。
珍しく、もりくぼの担当プロデューサーさんも『よくやった、文句なし』って言ってくれました。

そのお仕事で、もりくぼの助けになってくれた人がいます……。

その人が……佐久間まゆさん、です。



まゆさんは、もりくぼの寮のルームメイトでした。
担当プロデューサーは違う人ですけど、芸能界の先輩として、これまでもお世話になっていました。

今回の仕事も、まゆさんに相談に乗ってもらいました。
もりくぼの扱いは、アイドルと読者代表の間みたいなもので、
元・読者モデルのまゆさんとはある意味立場が近く、その辺りの距離感を聞かせてもらいました。

それと、少女漫画雑誌なので……恋愛の話も確実に出るわけですけど……。
恋愛なんて漫画や小説でしか知らないもりくぼは、うまく答えられそうもなくて……。

……そんな弱音を吐くと、まゆさんは、

『恋する女の子の気持ち……まゆでも、少しなら教えてあげられると思いますよ……?』

と言って、作り話だけじゃわからないような心のことも、教えてくれました。
好きな人のためならできることはなんでもする、すること自体が喜びなんだとか……。

まゆさんの口ぶりが、とっても真に迫っていたのが、気になりますけど……。



もりくぼが仕事先から寮へ帰る頃には、まゆさんも寮室にいるはずでした。
寮室へ向かう足取りが軽過ぎて、フワフワと浮いてしまいそうです。

もりくぼは、仕事がうまく行ったことを、まゆさんに報告したくて仕方がなかったんです。
これまでプロデューサーさんから、『できる』って言われても、ダメダメだった気弱なもりくぼが、
まゆさんのおかげで、初めて『できた』んです。今日初めて、自信らしいものを持てたんです。

もりくぼは寮室のドアを開け、靴を脱いで、
蛍光灯の明かりが透けて見える内扉に手をかけました。



「まゆさん、私……」

もりくぼは、それ以上言葉を続けられませんでした。



まゆさんは、自分の机の前で椅子に座っていました。
机の上には、ページに何も書いていない冊子が、無造作に開かれていました。

まゆさんの横顔は、その紙の色を思わせるぐらい真っ白でした。


もりくぼは、まゆさんが体調を崩しているのだと思いました。
すっかり血の気が失せてて、もりくぼが部屋に入ってきたのに反応なしです。
椅子に座ったまま、気を失っているのでは……もりくぼは、まゆさんへ近づきました。

「まゆさん……もりくぼ、ただいま帰ったんですけど……」

まゆさんは、もりくぼが声をかけても微動だにしませんでした。
まゆさんの目は、机に載った冊子に向けられていて……
その冊子は、ページに罫線だけが引いてあり、紅い装幀がちらりと見えました。
冊子のすぐ左側に、紅いペンが倒れていました。

その冊子がまゆさんの日記帳だと知ったのは、あとになってからでした。



「……乃々ちゃんは」

もりくぼは、一瞬『えっ』と聞き返しそうになりました。

「どんな人でも振り向かせる惚れ薬があったとしたら……
 乃々ちゃんは、それを使いますか……?」

まゆさんが続けた言葉は、
今日もりくぼが話した少女漫画の内容より、現実離れしていました。



もりくぼは、まっさらな日記のページを眺めているまゆさんを見ていたくなくて、
とりあえずこちらを向いてもらおうと、まゆさんの手に触れました。

まゆさんの肌は、血の代わりに水道水でも流れているような冷たさでした。
普段はきちんと結ばれている左手首の紅いリボンが、
シワだらけになってて、しかも濡れて色が変わっていました。

もりくぼがいきなり手を握ったのに、まゆさんはされるがままでした。

……誰か他の人を呼ぼうか……
でもそうすると、今のまゆさんを人に見せることになるんですけど……。



ボサボサに乱れたショートボブも、
腫れぼったい垂れ目も、目蓋に半ば隠れた視線も……
まゆさんの様子は、いつものきちんと整ってる姿とは、かけ離れていました。

「な、何か温かいものでも……も、もりくぼが淹れますので、待っててください……」

もりくぼたちは、アイドルです。人に見せちゃいけない姿というものが、あります。
もりくぼは、まゆさんを人目に晒すことが忍びなくて、
座布団と小さなテーブルを出して、まゆさんを机から引き・がしました。



もりくぼは、まゆさんと座布団を並べて座りました。
テーブルには、もりくぼが淹れた濃い目のお茶を並べました。
けど、もりくぼとまゆさんが黙りこくっている内に、冷めてしまいました。

「……こういうの、なんだか、珍しいですね……
 いつもは、ダメダメなもりくぼの話を、まゆさんが聞いてくれるところなのに……」

隣に座ったのも、お茶を入れたのも、以前にまゆさんがもりくぼへしてくれたことの真似でした。
もりくぼがレッスンや仕事でくじけて、寮室でメソメソしていると、
まゆさんは黙ってお茶を淹れて、もりくぼが何か話せるようになるまで、隣で座っていてくれるんです。



でも、もりくぼは、まゆさんほど堪え性が無く……つい、聞いてしまいました。

「……惚れ薬、とは……? ちょっと、信じられないんですけど……」

まゆさんに、誰か好きな人がいる――それは、もりくぼは今更驚きませんけど……
だとしても、惚れ薬なんて。話が飛躍し過ぎです……。



「乃々ちゃんは……まゆのプロデューサーさん、ご存じでしたか……」
「く、詳しくは知りませんけど……確か、まゆさんがアイドルデビューしてから、
 ずっとお世話になってる人でしたっけ……?」
「……ええ」

もりくぼとまゆさんは、担当のプロデューサーさんが別の人でした。
まゆさん担当の人について、もりくぼは詳しく知りませんけど……
評判では、どちらかと言えば放任主義な人と聞いていました。

逃げ道をふさいでグイグイ引っ張るもりくぼの担当さんとは、ちょっと違う性格のようです。

「……まゆは、プロデューサーさんのことが、好きなんです。出会った時から、ずっと」

まゆさんの口からこぼれた『好き』は、
ポジティブな言葉なのに、あんまりにも苦い響きがしました。

「プロデューサーさんの心が手に入るなら、ほかの何を捨ててもいいと、そう思って……
 なのに、まゆのプロデューサーさんは……」



まゆさんは、それきり何も口にしないまま、夜明けを迎えました。

朝までの間、もりくぼは、まゆさんのお世話をしようとしていました。

『顔を洗ってください……』と言って、洗面器に水をくんできても、何も反応がないので、
もりくぼが濡れたタオルで、まゆさんの肌を拭きました。

着替えはさすがに恥ずかしかったので、服はそのままにして、ベッドの準備にかかりました。
けど、脱力したまゆさんを運べなかったので、布団を床に敷いて、まゆさんの体をそこへ寝かせました。

二人きりの寮室で四苦八苦していると、もりくぼの携帯電話がブルブル震えました。
もりくぼの担当プロデューサーさんが、連絡をくれたようです。メッセージは……
『今日はよくやった。明日はオフだが、疲れてるだろうから早く寝ろ』……そうですか。

もりくぼ、安眠とは程遠い状態なんですけど。

……そういえば、まゆさんの担当プロデューサーさんには、何て言えばいいんでしょうか……?
学校は……カレンダーを見る限り休みですけど、仕事はたぶんあるはずです。

もりくぼは、まゆさんを視界から外さないようにしながら、
まゆさんの机から名刺を盗み見て、まゆさんの担当さんへメールを送りました。

しばらくすると、寮室の内線が鳴り……もりくぼは慌てて受話器を取りました。
外線がこちらの部屋まで回ってきて……かけてきたのは、まゆさんのプロデューサーさんでした。

「あ、あなた……今、どういう状況だか分かってますか……」

まゆさんは、とても仕事ができる状態ではない……
と、もりくぼからプロデューサーさんに伝えると、
さすがに察していて、仕事はしばらくどうにかしておく、との返事。

それと、プロデューサーさんがまゆさんを振ってしまったことも直接聞きました。

まゆさんは、プロデューサーさんのことが、好き。
でも、プロデューサーさんは、その気持ちに答えてあげられない。

どうしてか聞いてみると、プロデューサーさんは、一瞬黙ってから、
『まゆは誰がなんと言おうと、絶対に、本当にトップアイドルになれる器なんだ』
とつぶやきました。

そんなこと、もりくぼに言われても……。

そりゃあ、自分の担当――それも見込みのある――アイドルが、色恋にうつつを抜かしてたら、
プロデューサーとしては困るでしょうけど……。


もりくぼは思います。
まゆさんみたいな良い人の恋は、成就して欲しいです。

でも、もりくぼはこうも思います。
この恋愛を成就させたら、まゆさんはアイドルができるのでしょうか?

ファンのためにアイドルやってるなんて顔をしておきながら、
その心は、ファンが知らないプロデューサーのもの……。

そんなアイドル、もりくぼがファンなら、見たくありません。
『トップアイドルになれる器』の、もりくぼ憧れのまゆさんが、アイドルとして台無しになってしまいます……。

そして、隠れて交際……というのも、まゆさんの現状を見れば、絶望的でした。

もしプロデューサーさんが、アイドル生命を考えて、まゆさんを突き放したなら……。
もりくぼは、まゆさんが失恋から立ち直る力になりたいです。

まゆさんが……惚れ薬とか、よくわからないことを言ってたのが気になりますけど、
そういう現実離れしたアイテムや禁断の恋愛は、お話のなかだけで十分です……。

しかし、もりくぼが何をすれば、まゆさんが元気を取り戻してくれるのか……。
あてがまったくありません……。

電話口のもりくぼが頼りなかったのか、プロデューサーさんは、
『やっぱりそちらに行った方が……』なんて言い出したので、
もりくぼは慌てて『しばらく来ないでください』と返して通話を打ち切りました。

これじゃ、まゆさんのプロデューサーさんも頼れないです。
こんな未練を見せられたら、吹っ切れるものも吹っ切れないじゃないですか……。


長電話を終えてため息をつくと、今度は寮室のインターホンが鳴りました。
こんな夜遅くに……と思ったら、もう窓の外は明るくなっていました。

「ここは――号室……もりくぼですけど……」
『にゃーっはっはっ! もりくぼちゃんって誰だっけ? それより、まゆちゃんいるかなっ』

スピーカーから聞こえてきたのは、聞き覚えのある……けれど、名前が浮かばない声でした。



「いますけど……まゆさんは、今ちょっと……」
『じゃあね、もりくぼちゃん。一ノ瀬志希が来た、ってだけ伝えてくれる?』
「いちのせしき……? あっ……」

名乗られれば、新人のもりくぼでも顔が思い浮かびました。
まゆさんと同じプロデューサーさんが担当してる、先輩アイドルのはずです。

『昨日、まゆちゃんと話したんだけど……心配になって、様子を見に来たんだー』
「は、はい……すぐ開けます……っ」

もりくぼは、わらにもすがる思いでロックを解除しました。



「ふっふー♪ キミがもりくぼちゃん? 可愛いニオイするねー、食べちゃいたいぐらい!」
「え、いや、その……あぅ……」

志希さんは、そういう髪型なのかただの寝癖なのか微妙なウェーブヘアを伸ばし、
肩に羽織った白衣をひらひらさせながら、ぱっちりと大きな猫目で、もりくぼの顔をのぞき込んできました。

もりくぼは、志希さんをよく知りませんけど……まゆさんとは、正反対な雰囲気の人です……。

「おはよーまゆちゃん♪ 志希ちゃんのおでましだよー!」

志希さんは、もりくぼの横をスルリと抜けて、
敷布団に寝かせたままのまゆさんに話しかけました……。

「あ……し、志希さんっ……」
「あーまゆちゃん、いーよ寝たままで、調子悪いんでしょ?」

……あれ、まゆさん、今、しゃべりました……?
一晩中、一言もしゃべらなかったのに……。

「で、でも……先輩の前で、寝転がったままなんて」
「他の人ならともかく、あたしは先輩後輩とか気にしないよー。
 それに、あたしも朝早くてネムネムだし……いっそここで寝直しちゃってもいい?」

もりくぼは、まゆさんに回復の兆候が見えて、内心ほっとしていました。
まゆさんがもりくぼにしてくれたように、
志希さんもまゆさんの力になってくれると思いました。



……あの言葉を聞くまでは、ですけど。






「まゆちゃん。惚れ薬、いる?」






寮室で、もりくぼと、まゆさんと、志希さんの三人は、正三角形を描くように座りました。
もりくぼは自分の座布団の上、まゆさんと志希さんは敷きっぱなしの布団の上でした。

まゆさんは、寝乱れた髪にクシを入れて整え、
ぐしゃぐしゃだった左手首の紅いリボンを、新しいものに替えて結び直していました。
それでも落ち着かないのか、結び目を右手でいじりまわしています。

志希さんは、肩ひものズレ落ちそうなタンクトップに、
太もももあらわなホットパンツ……とてもラフな格好です。
その上から、白さのまぶしい白衣を羽織っています……なんでこの人、白衣なんて着ているんでしょうか?



「もりくぼちゃん。あたし、まゆちゃんと込み入ったハナシがあるんだ。
 外で時間つぶしてきてくれないかなぁ。できれば半日ぐらい」

志希さんは白衣のポケットから、紙を挟んだクリップを取り出しました。
よく見ると挟まれているのは、何枚か重なったまま二つ折りにされた千円札でした。

「もりくぼがいたら、できない話ですか……?」
「あたしと、まゆちゃんと、そのプロデューサーに関わるコトなんだよ。
 もりくぼちゃんは、確か担当のヒト別でしょ。席、外して欲しいんだけど」

志希さんがクリップを開こうとするのを、横からまゆさんが手ぶりで止めました。

「……乃々ちゃんは、もう知ってるので……」
「ふーん。そっか」

志希さんは、お葬式みたいな空気のもりくぼとまゆさんの間で、
じれったそうに体を揺すっていました。



「まゆちゃんが、プロデューサーをスキだってコトは、あたし、けっこう前から知ってたよ。
 その『スキ』が、ビジネスよりもっと深~いべったりしたものだってのも、ね」

もりくぼがまゆさんの顔を見ると、まゆさんは黙ってこくりとうなずきました。

「だから、まゆちゃんが告白しようってとき、どーんと背中を押しちゃった」

……何言ってるんですか、この人。



「し、志希さんは……なんで、そこでまゆさんの背中を押しちゃったんですか……?」
「ん? まゆちゃんが告白したら、プロデューサー、絶対オーケーすると思ってたんだもん」
「いや、そこでオーケーしたら、その……」

志希さんはもりくぼの顔を見ながら首をかしげていました。
この人、本当に先輩アイドルなんでしょうか……。

「あ……アイドルは恋愛しちゃいけないってお約束ですよね……?
 事務所側の人がそれを堂々と破るのは、いかがなものかと……」

もりくぼの言葉に、まゆさんはびくりと肩を震わせました。
……生意気にも、責めてるような言い方になってしまったからでしょうか。

「志希さんが、なにゆえ『絶対オーケーすると思ってた』のかは、知りませんけど……
 現にプロデューサーさんは、まゆさんの告白を断っています……
 それは、もりくぼが言ったようなことを考えたからなのでは……?」
「なるほど。で、まゆちゃんは?」

まゆさんは、紅いリボンをぎりぎりと引っ張っていました。
締め上げられた左手から血の気が引いていたので、もりくぼは慌ててまゆさんを止めました。


「もし受け入れられても……ファンの方を裏切ることになると、分かってました。
 ……プロデューサーさんの立場も、悪くなります……それに」

まゆさんは、志希さんを横目でうかがいました。

「……プロデューサーさんと、まゆが、親しくしてたら……。
 まゆが色目を使って、プロデューサーさんに良い顔してヒイキしてもらうつもりだとか……」
「うんうん、邪推するヒトいるだろうねぇ」

もりくぼは割り込もうとして言葉に詰まりました。
もりくぼみたいに、アイドルやるだけで精一杯……って人なら、嫉妬する余裕も無いですけど……。
アイドル一生懸命やって、シンデレラガールになろう……とか思ってる人から見たら……。

「例えば、もりくぼちゃんがあたしの立場だったら、そう思う?」
「……まさかっ」

もりくぼは、まゆさんが真剣にアイドルやってるって、知ってます……。
だからこそ、そういう誤解をされたとしたら……。

「まゆだって……言ったらダメだと、わかってました……
 でも……諦めようと思っても、どうにもならなくて……」



「だからさー。惚れ薬一服盛って、プロデューサーのアタマいじいじして、
 フェニルエチルアミンどばーって出させて、
 まゆちゃんのトリコにしちゃえって志希ちゃん思うんだ♪」
「……えっ」

志希さんの台詞を、頭では信じられなくて、
……でも、耳では確かにそう聞こえました。

「問題ないよ。どうせ、プロデューサーだってまゆちゃんに思うトコロあるんだし」

……いよいよ、もりくぼの頭も痛くなってきました……。



「……惚れ薬ってなんのことか、もりくぼには理解できないんですけど……」

同僚アイドルと担当プロデューサーをわざわざくっつけようとする時点で、
志希さんは何かおかしいなぁとは思ってたんですけど……。
この期に及んで、惚れ薬なんてタチの悪い冗談をしつこく飛ばしてくるのは……。
このヒト、すごくアブないかも知れません……。

「じょーだん違う、志希ちゃん本気! この白衣も伊達じゃないもん!
 あたし、アメリカのラボで薬理学やってたもん!」
「志希さんの見た目では、せいぜい大学生とかそのぐらいじゃ……」
「乃々ちゃん……信じられないかも知れないけど、志希さんは」

志希さんに促されて、もりくぼは、ネットで志希さんの名前を検索しました。
すると、化学関係の記事が何本も引っかかったことで、志希さんの言葉を信じざるを得なくなりました……。
(英語は、まゆさんに助けてもらいながら、辞書を引き引き四苦八苦して読みました……)



「で、惚れ薬に話を戻すとね。あたしは、完璧な惚れ薬を作りたいんだー♪」
「あの、だから、アイドルが惚れ薬って……」
「ヒトの感情の揺れとか、なかなか定量化させてくれないモノにキョーミがあるんだよ、あたし。
 ココロを惹きつけるって意味では、アイドルも惚れ薬も同じだし」

この人が惚れ薬なんて開発してしまったら、
自分のライブ中に客席へ向かって散布してしまうんじゃないでしょうか……。

「惚れ薬、前々から試作品作ってて……でも、まだ完全じゃなくてさ。
 実験したいんだけど、なかなか信頼のおける人がいないから」

それで、同僚のまゆさんをダシにして、担当プロデューサーさんを惚れ薬の実験台にしよう、と。
クレイジーなジーニアスには、どこから突っ込めばいいのか……。

「もりくぼは、化学のことよく知りませんけど……
 人の心を薬でどうにかしようという発想に、まず疑問を持って欲しいです……」
「もしかしたら? って思わないかな。まゆちゃん」

まゆさんなら、きっと自分の努力で振り向かせるはず……。
もりくぼが目で聞くと、まゆさんは曖昧な微笑を返してきました……。



志希さんはともかく、まゆさんも重症です……。
好きな人のために、できることをなんでも……それが喜びだって語ってくれた、あのまゆさんが。

こんな得体の知れないシロモノにすがるなんて、
信じられないです。何かがおかしいです。

「今のまゆさんに必要なのは、惚れ薬なんかじゃなく、ゆっくり休むことです……。
 幸いプロデューサーさんは、しばらくしのぐと言ってましたし……」

まゆさんは、今はプロデューサーさんから突き放されたのが堪えていますけれど、
本来は立派なアイドルだって、もりくぼ――あと、まゆさん担当のプロデューサーさん――は知ってます。

「まゆさんは、失恋で少し弱ってるだけ……休めば、元気になってくれるはずなんです」
「もりくぼちゃん、まゆちゃんをずいぶん買ってるんだねぇ」

少なくとも、惚れ薬なんてズルは、まゆさんに似合いません……。



志希さんのつぶやきのあと、沈黙が寮室にのしかかりました。
もりくぼがその息苦しさに耐えていると、不意に志希さんがすっくと立ち上がりました。

このまま帰ってくれないかなぁ……という願いもむなしく、
志希さんは電気ケトルに水をくんで、お湯を沸かし始めました。

「あれぇ、ここ、インスタントコーヒーも無いの?」
「緑茶か、紅茶ならありますけど……」
「ミルクある?」
「……いいえ」
「そ。ま、いいや。飲めれば」



志希さんは、不揃いのカップ3つに、湯気を立てた紅茶を満たして、
両手で3つのカップを器用に持って近づいてきました。

「惚れ薬、まゆちゃんに今すぐムリヤリ使えーってコトは言わないよ。
 あたしは薬の製作者としての責任があるから、軽々しい扱いはNG。
 どんな薬にだって副作用はあるし……と、いうことで」

カップからは、ティーバッグを直接嗅いだような濃い匂いがあふれていました。
買い置きのティーバッグしかないはずなんですけど、淹れる人でこんなに変わるのでしょうか……。

「もりくぼちゃんの言うことも一理あるし、ここらでちょっとティーブレイクはいかが?
 そのついでに、まゆちゃんとプロデューサーとの今までのコト、最初から話してみよう。
 思い出しながら言葉にしてみたら、気持ちが整理できて、少しは落ち着くって」

志希さんはカップの一つを手に取り、
紅茶がこぼれかけるほどの勢いでふぅふぅと息を吹きかけました。
湯気に乗った紅茶のフレーバーが、一気に広がっていきます。



もりくぼは迷いました。
志希さんが来て、少し調子を取り戻しつつあるとはいえ……
今のまゆさんから、プロデューサーさんについて話を聞き出していいんでしょうか。

「志希さんが来るなら……コーヒー、用意しておけば良かったですね」
「まゆちゃん、コーヒー飲めなかったっけ?
 前は、仕事が上手く行かなかった時とか、あたしとまゆちゃんで、
 何か飲みながらダラダラよく喋ってたよねぇ」

もりくぼは、志希さんの提案へ乗ることにしました。

志希さんの言うことですが、この提案については妥当です……。
言葉にして誰かに話せば気持ちが軽くなる、というのはよく聞く話ですし……。

それに、もりくぼが知らないまゆさんのことを聞けるかも……

そう、反対する理由はないんです……。



「あ。まゆちゃんともりくぼちゃん、朝ごはん食べた?
 あたし、今日まだ何も食べてなくて……ちょっとコンビニ行って何か買ってくるよー」
「……寮の人に頼んで、何か貰ってきます……」

反対する理由は、ない……はず、なんですけど……。

中断します
ここまでで全体の1/4ぐらい終了です

次回はたぶん5月15日投下
志希の誕生日までには終わるつもりです

総選挙は……まぁ、この3人なら、大丈夫じゃないかなぁ……

Freegeさんの書かれる一ノ瀬大好きなんで期待してます。

種付け!

投下します

(以下念のため)


※『エヴリデイドリーム』
http://columbia.jp/imas_cinderella/COCC-16778.html

※『秘密のトワレ』
https://www.youtube.com/watch?v=wD3olymAvN0


>>16
今更で申し訳ございませんが
コレ志希が凹まされる話なので
志希にゃん大勝利を望む場合はお気に召さないかもです

>>17
せいぜいCERO-Cぐらいの表現しか出てこないです




――運命の出会いなんて、別に信じてはなかったの……あの日までは。





まゆはプロデューサーさんにスカウトされる前は、読者モデルをしていました。
これは、前に乃々ちゃんにも話しましたね。

プロデューサーさんと初めて顔を合わせたのは、仙台の駅前で……
その頃のまゆは、仙台の実家暮らしでした。



仙台には珍しい、夏のものすごい猛暑日でした。

読者モデルの撮影で上京して、その帰りだったまゆは、
クーラーの効いた新幹線から仙台駅で降りて、
ホームのべとついた熱風にあてられ、温度差で立ちくらみが……

まゆは歩くこともままならず、ベンチに座り込んでいました。

その時に、まゆを心配して声をかけてくれたのが、プロデューサーさんだったんです。



プロデューサーさんは、まゆがダウン寸前になる陽気なのに、背広を着込んでいました。
おそらく、仕事の途中だったのでしょう。

プロデューサーさんは、駅前のファミレスにまゆを連れていきました。
駅のホームでは落ち着かないだろう、ということで……。



この時点で、まゆはプロデューサーさんのことを、
「スカウトか、少なくとも業界の関係者か」と当たりをつけていました。

背広姿で女子中高生に声をかける男性なんて、限られていますし。
それに読者モデルをやっている中で、なんとなく業界の人がまとう雰囲気を知っていましたから。

プロデューサーさんはドリンクバーを頼むと、席を立って、
まゆにミルクがたっぷり入ったホットコーヒーを持ってきました。
なんでも、こういうときは熱いものを冷まして少しずつ飲む方が身体に良い……のだそうです。



その頃のまゆは、読者モデルを続けようかどうか迷っていました。
いろいろな服を着られて、人からもかわいいと言ってもらえて、特に不満はありませんでしたが……。

学校で、友達や同級生が進路について悩み始める時期でした。
まゆは、今の読者モデルみたいに、人に見られる仕事を将来も続けられるのでしょうか……。
と考えると、迷いがあったのです。本職には、スタイルで敵いませんし……。





プロデューサーさんはまゆの内心を察したのか、
名刺を渡してアイドルのプロデューサーと明かした後も、
アイドルの説明をするより、まゆの話を聞く側に回りました。

気を楽にしたまゆは、自分が読者モデルとしてやっていた中で感じたことを、
プロデューサーさんに打ち明けていました。

こういう業界の話は、家族や友達相手だと『芸能人気取りか』と思われるかもしれないので、
なかなか気兼ねなく話せる相手がいなかったのです。



読者モデルとか、選ばれた人にしかできない仕事をやらせてもらってますが、
その世界を突き進むとなると、まゆのスタイルでは正直苦しいです。

けれど、じゃあ将来何をやりたいのか、と問われても……。

そんな内心の不安までプロデューサーさんへこぼし出して、
まゆは湯気の収まっていたホットコーヒーに手を伸ばしました。

ホットコーヒーは、ミルクたっぷりな見た目に反して、かなり苦かったですね。

……なんでそんなことを覚えてるか、というと、
まゆが「あ、これは苦い」と思った瞬間……顔に出ていたんでしょうかね。

プロデューサーさんがそれを察して、
追加のミルクとコーヒーシュガーを持ってきてくれたんです。



ここまで自分の内心を明かしてきたのもあって、
なんだか、この人ならまゆのことを全部分かってくれる――そんな気がしたんです。

アイドルは特に興味ありませんでしたけれど、
この人と一緒にやれば、何か道が開けるかも。

なんて期待を感じるようになって、まゆは――



「――ねぇ、まゆちゃん。何かさ、大事なコト忘れてなーい?」

まゆさんがプロデューサーさんとの出会いを語っていたのを、志希さんが遮りました。

「大事なこと、ですか?」
「まゆちゃんが覚えてないなら、別にいいんだけどね」

志希さんは、カップのミルクティーを揺らしながら苦笑していました。

もりくぼには、志希さんの内心が言葉通りの『別にいい』なのか、
『本当はよくない』のか、判断がつきませんでした。



「まゆちゃんは、プロデューサーと出会ってからのコト、ずっと日記につけてるって言ってたよね。
 もしかしたら、それには書かれてるかも」
「日記……ですか」
「ま、まゆさん……別に、日記をもりくぼたちにまで見せなくてもいいんですけど……」

まゆさんは、棚の端から紅い装幀の日記帳……そのうちの一冊を取り出して、
その最初のページをもりくぼたちの前に広げました。

「あ……その、ずいぶんしっかりした日記ですね……」

どっしりとした厚みのある日記は、真っ白いページに紅いインクの丸文字が整然と綴られていました。

しかもよく見ると、プロデューサーさんと出会った最初の一日目だけで、
もう最初のページを使いきっていて、文面が次のページにも続いていました。



志希さんは紅い日記に手を伸ばして、ペラペラと2、3回ページをめくりました。
まゆさんとプロデューサーさんとの出会いは、
もりくぼの予想を超えて克明に記されていたようです。

「んー、書かれてないねぇ。ま、別に書かれてなくても、あたしとしては構わないんだけど……」
「ま、まゆは……プロデューサーさんとのことで、何か大事なことを忘れてしまっていたのですか……?」



「別に……ただ、まゆちゃんとプロデューサーが出会った、あの仙台の暑い運命の日……
 その瞬間には、志希ちゃんも立ち会ってたはずなんだけどなーってハナシ。それだけー」

この時もりくぼは、まゆさんが慌てた顔を初めて見ました。




「あ……あの時のプロデューサーは、確か……そうです、志希さんが地元の盛岡で仕事してた帰りで……
 ごめんなさいっ、決して、志希さんをないがしろにするつもりでは……」
「いいよー。まゆちゃん、運命の出会いであたしの存在が記憶から霞んでたようだけど。
 ま、しょうがないよね、プロデューサーとまゆちゃんは、運命の出会いしちゃったんだもん」

志希さんはひとしきり唇を尖らせて不機嫌な真似をしていましたが、
まゆさんがおろおろするとすぐに笑い始めました。



考えてみれば、背広を着込んだ男の人に声かけられていきなりファミレス行き……
とは、まゆさんがちょっと不用心すぎる気がしましたが……

志希さんが同行してたから、その分抵抗が少なかったのかもしれません……。



「あの時のプロデューサーは、あたしが言うのもなんだけど、担当がみんな鳴かず飛ばずでねー。
 一人でもアイドル当てなきゃ終わりかもしれない、なんて状況で焦ってたんだよ。
 ……熱中症寸前の女の子にスカウトかけるなんて非常識やらかすぐらい、ね」

もりくぼは、自分の担当プロデューサーさんの立場を思えるほど余裕はありませんが……
まゆさんのプロデューサーさんは、実績を作るために苦労されているようです……。



「まゆさんの先輩にあたるアイドルって、今は……」
「うん、今は志希ちゃんしかいない。まゆちゃんより上は、みんな辞めちゃった。
 プロデューサーがまともに数字出せるようになったの、まゆちゃんスカウトしてからなんだ」

志希さんが『幸運の女神様ー♪』とまゆさんを煽ると、
まゆさんは目を伏せて口をもごつかせました。

「そんなんだからね、まゆちゃんを見つめるプロデューサーの目こそ、惚れ薬を使われたように見えたりー。
 あの出会いに強く運命感じちゃったのは、どちらかとゆーと、プロデューサーの方かも?」

『運命なんて非科学的かな?』と、志希さんは笑いました。
まゆさんともりくぼは、笑えませんでした。



「まゆちゃんはプロデューサーのコトばっかり、プロデューサーはまゆちゃんのコトばっかり。
 ホント、出会った時からしょうがない二人だよねぇ……」

そうつぶやいた志希さんの表情は、苦笑か、それとも――




「運命といえば、まゆちゃんのデビュー曲もそんな感じの歌詞だったよね?
 “スキスキスキあなたがスキ だって運命感じたんだもの♪”なーんて」
「……それは美穂ちゃんの歌です。志希さん、分かってて言ってますよねぇ……」

まゆさんの曲『エヴリデイドリーム』は、
もりくぼもプレイヤーでたくさんループして聞いた曲です。



“一目ぼれから始まった
 毎日が夢のようです
 もっともっと一緒にいたいなぁ”

「あの……もしかして、この歌詞は……」
「乃々ちゃんのお察しの通りです……まゆが、プロデューサーさんのことを思って、書きました」
「まゆちゃんとプロデューサーの出会いからのコトが、凝縮・抽出されてるんだって、さ」



“デートはいつも二人の世界
 誰にも邪魔はさせないから”

「デートどころか、二人きりになれるのがお仕事の中でもほんの少しの時間だけだから……。
 ほとんどまゆの空想ですけれど……みなさんは、とっても褒めてくださいました」
「まゆちゃんの出世作にふさわしい曲だったね♪」



『エヴリデイドリーム』の歌詞には、こんなくだりがあります。

“二人 いっしょの時でも
 明日の向こう側を見てる
 そんな横顔がステキ”

プロデューサーさんが自分と違う方向を向いていても、愛おしいということでしょうか。

まゆさんの恋愛感情を商売のネタにして……本人が納得しているとはいえ、
ファンでもあるもりくぼとしては、複雑な気持ちです。



「まゆちゃんの成功に味をしめたのか、知らないけどー……。
 プロデューサーったら、アイドルに歌詞を書かせるようになっちゃったんだよー。
 あたしも自分のデビュー曲から書かされて……」

“my secret eau de toilette
 la la love potion 脳下垂体へ届け
 瞳孔が開くその瞬間を見せて”

「なーんて。タイヘンだったなぁ。まぁまぁ面白かったけど」



「――あっ、見てみて、もりくぼちゃん!」

もはや何の遠慮もなく、まゆさんの日記をめくる志希さんが、
あるページで手を止めました。

「ほら! もりくぼちゃんのコトが書いてある! 寮室が相部屋になった時のことだって!」
「いや、だからそんなまじまじと読んでていいんですか……?」



もりくぼも、口ではこう言いましたが……
初対面の志希さんが日記でスルーされていたのに、
まさか自分のことが書いてあるとは思ってなくて……

正直、どんな書かれ方されてるか気になっていました……。



「ほーほー、まゆちゃんはプロデューサーから、もりくぼちゃんを気にかけるよう頼まれてたのかー」
「乃々ちゃんのプロデューサーから、まゆのプロデューサー経由で話が回ってきたのでしょうね」

あ、え……その、もりくぼなんかのために、皆さんそんな……。



「んんーっ!? ナニナニ、『好きな人のためならできることはなんでもする』……
 まゆちゃん、アイドルだけじゃなく恋愛指南もやってたんだー♪」
「そ、それは……」

志希さんは面白がって、それからしばらくは、もりくぼの話題を日記をめくって探しまわっていました。
まゆさんは困った顔をして、もりくぼも……顔だけは同調しておきました。



「んー、この日記帳初めて読んだけど、プロデューサー以外のコトもけっこう書かれてるんだねー♪」
「うう……志希さん、根に持ってます……?」
「いいえ、ぜーんぜん」

調子に乗り過ぎた志希さんは、まゆさんに日記帳を取り上げられてしまいました。



「乃々ちゃんについては……自分が志希さんにしていただいたことを、マネしてただけです。
 うちに溜め込んでそうだったら、とりあえず何か飲ませておくとか……
 まゆは……後輩の面倒を見るなんて、そんな経験ありませんでしたから……」
「ふっふー、まゆちゃんもセンパイを持ち上げるのがウマイなぁ、もー。
 まー志希ちゃんはアイドルになるまでセンパイも何もあったもんじゃなかったけど」

……やっぱり、一応志希さんもまゆさんの先輩なんですね……
と、もりくぼは失礼なことを口走りそうになって、危うく口を抑えました。




「あとは……もりくぼちゃんに、あのドラマのハナシしてあげよーよ。
 オフィーリアをモチーフにしたアレ……『夏の秘め事』だっけ?」
「……あの時は、色々言われましたね……『モデル上がりは演技が下手』って、
 面と向かって言われたこともありました……」

ドラマの名前が出ると、もりくぼの頭にも、
まゆさんが演じたヒロインがすぐに思い浮かびました。

※『夏の秘め事』
http://i.imgur.com/9T3SRZv.jpg

報われぬ思いを抱えて、散った花弁とともに澄んだ水に沈む美しい少女……。
この難解な役を見事演じ切ったことで、まゆさんの一躍名を上げたのです。



「あれねー。まゆちゃんが演技下手だって言われたのにプロデューサーが反発して、
 意地になってぶん捕ってきた仕事なんだよ」

もりくぼは、数時間前に電話越しで話したプロデューサーさんを思い返しました。
あの時は全然頼りない人だと感じましたが、仕事はしっかりやっていたようです。



「あの時のまゆちゃんの鬼気迫る演技、今でもよく覚えてるよー。
 あたしには出せない、人のココロを釘付けにする吸引力みたいなものがあったね」
「そんな……まゆはただ、プロデューサーさんの期待に応えようとしただけです」

志希さんは、空になったカップを持って、敷布団から立ち上がりました。

「プロデューサーって、まゆちゃんを売り込むときは、いつもこう。目の色からして違うんだよー」






その後も、もりくぼは紅茶をお供にして、まゆさんと志希さんから、
まゆさんとプロデューサーさんの活動について話を聞きました。

お茶が切れたら、買いに出て、ついでにおやつも買ってそれをつまみながら、
いつの間にやら夕方に、そして日が落ちて夜に。



長い時間のおしゃべりでしたが、
憧れのまゆさんから仕事の話を詳しく聞けて、もりくぼにとってはあっという間でした。
まゆさんの語り口もなめらかになって、声にもアイドルらしい張りが戻ってきました。

その一方で、もりくぼは志希さん、まゆさん、プロデューサーさんの関係に、
微妙なひずみや摩擦の気配を感じ取っていました。



「プロデューサーはねー、今でこそまゆちゃんの成功をぶら下げて、自信満々で肩で風を切ってるけど、
 まゆちゃんと出会う前は、あたしぐらいしかまともに営業できてなかったんだよー」

志希さんは、同じ担当のアイドルとして、
まゆさんに思うところがあるのでしょうか……?



「プロデューサーのコトを思うと、まゆちゃんは自然に仕事へ熱が入っちゃう感じ?
 そーゆーのが、あたしには足りないのかなー」

志希さんの物腰は、まゆさんを羨む含みを匂わせているのでは、
と、もりくぼは思います……。

「……それがアイドルとして、不純なのは、まゆも分かっています……」
「アイドルはファンのための存在、だもんね」

それでいて志希さんは、まゆさんとプロデューサーさんのこれまでの歩みについて、
事細かに、まゆさんから聞き出しています……自分の嫉妬心に刺さるようなことを。

「まぁ、それを言い出したらね。
 あたしも、そんな純粋にファンに奉仕しよーとか思ってないけど」



……もりくぼの勘違いで、嫉妬しているフリなのでしょうか。
惚れ薬を使うことをためらうまゆさんに、
『今更その想いを隠してもムダ』と遠回しに……。

また、まゆさんとプロデューサーさんのことをわざわざ詳しく確認するのは、
『今までこれだけ散々見せつけておいて……』という意図なんでしょうか。



「ねーもりくぼちゃん、聞いてよー。
 まゆちゃんったら、あたしや他のコがいるところでも、油断するとスキスキオーラが漏れちゃってて、
 いつの間にかプロデューサーを二人の世界に引きずり込んでるんだってば」
「ま、まゆは、そんな……あぅう……」

志希さんの口ぶりは、あくまで軽い茶々です。
まゆさんもその雰囲気に乗せられて、どんどん饒舌になっていきます。

これ、もしかしなくても……
まゆさん、志希さんの口車に乗せられる寸前じゃありませんか……?





「まゆちゃんにソコまでさせてるのに、
 うちのプロデューサーったら、ホント、しょうがないよねぇ……」

もりくぼが危機感を覚えたのとほぼ同時に、志希さんの声音が低く沈みました。



「プロデューサーのおバカさんには、キッツイ薬が必要だって……そう、思わない? まゆちゃん」



志希さんは、落ち着いた口調で――しかし、明らかに怒っていました。
それは、態度の煮え切らないまゆさんか、
惚れ薬実験を邪魔立てするもりくぼへ向けたもの……かと思いましたが……


「だ、だから惚れ薬とか、そういうのは……」
「止めないで、もりくぼちゃん。プロデューサーは、まゆちゃんの惚れた弱みに漬け込んで、
 まゆちゃんのアイドルとしての才能をいいように使い倒してるんだ……」

「し、志希さん、まゆは、アイドルをやらされてるなんて思っては……」
「じゃあプロデューサーは、まゆちゃんの告白を何て言って断ったのさ」

まゆさんは言葉をつまらせたまま、あのとろんとした目周りを引きつらせました。
もりくぼが電話でプロデューサーさんと話した内容に、間違いが無いとすれば……。



「プロデューサーとアイドルだから……そう、言ったんですか……?」
「どーせそんなトコロだと思った。オカシイでしょ。誰がアイドルをやらせてるんだって」

志希さんは、白衣をごそごそ探って、指先でつまめるほどの小さな薬瓶を出しました。
濃いセピアの遮光ガラスごしなのに、べったりと重そうな液体の白さが見て取れました。

まゆさんの視線も、明らかにその薬瓶へ吸い寄せられていました。

「これが志希ちゃん謹製、おバカさんにつけるクスリだよ」



「まゆが、これを飲ませたら……プロデューサーさんは」
「コレにまゆちゃんの香りを吸わせて、
 あの分からず屋の脳下垂体をいじいじしてやれば……ふっふー♪」



「ダメです、まゆさん……!」

窓を開けて薬瓶を夕闇へ投げ捨てたく……なったのを、
もりくぼは、やっとの思いでこらえました。

「人の気持ちを薬でなんて……やっぱり、いけないと思うんです……」





志希さんは、もりくぼの反論を意に介していないようでした。

「別に、もりくぼちゃんの言いたいコトだって、あたしは分かってるよ。
 惚れ薬なんてフツーのヒトは使わないよね。あたしはフツーじゃないかもだけど」

志希さんはペン回しでもするように、セピア色の薬瓶をくるくると指で弄んでいます。

「でもね、プロデューサーのやってるコトはフツーなのかな?
 惚れさせるだけ惚れさせておいて、まゆちゃんを都合のいい女扱い……」



「それでもプロデューサーは、いつかケジメをつけると思ってたんだよ。
 あのヒトが、まゆちゃんの好意に気づいてないなんてコト、有り得ないし。

 ……そうして、なるようになると放置してたら、逆に突き放すありさま。
 こりゃ、あたしの見込み違いだったよ」

志希さんが『このあたしに無責任だって文句言わせるとか相当だよ』とか、
ぽろぽろと吐き捨てるのが聞こえてきました。



「あたしと違ってガマン強いまゆちゃんでも、限界でしょ?」
「……それは……否定しても、無駄でしょうね……」

……なんだか、もりくぼにはついていけないことが多過ぎますけど……。

「なら、黙ってるのはもう終わり。こっちから強引にでも仕掛けて、成就させなきゃ!」
「……志希さん……」

……とにかく、それを成就させたら、まずいでしょう……。
アイドル、というか人として……。



お二人は、まず目的がおかしい――どうして何の疑問もなく、
プロデューサーとアイドルで恋愛関係になろうとしてるのでしょうか……。

それと手段もおかしい――どうして惚れ薬なんて冗談じみた品物が、
アイドルの手から出てくるのでしょうか……。



「半ば部外者のもりくぼが言うのは、おこがましいかも知れませんが……
 やっぱり、考え直した方がいいと思うんですけど……」

もりくぼは、現実逃避したくなるのを辛うじて踏みとどまりました。
今もりくぼが引き下がったら、本当に取り返しがつかなくなるかも……。



「……考え直して……それで、まゆは、いったいどうしたら……」
「それは……その」

……もりくぼは、まゆさんの目も志希さんの目も、
まともに見ることはできませんでした……。

「時間……は、解決してくれなさそーだけど。
 まゆちゃんとプロデューサーが出会ってから、季節が変わるぐらい時間置いて、それで今の状態だもん」
「あ……う……っ」





しばらくたって、沈黙と視線に打ちひしがれていたもりくぼに、
まゆさんが手を重ねてきました。昨夜より、少しだけ女の子らしい温かさでした。

「……いいんですよ。乃々ちゃん。
 まゆのこと、心配してくださっているのでしょう……?
 まゆだって、自分でもらしくないと思っていますが……」



まゆさんも、志希さんも、『分かっているから』という顔をしています。

けれど、もりくぼは、お二人の考えや気持ちが分かりません。



もりくぼは、自分を担当してくれるプロデューサーさんを……
信用はしてますけど、恋愛感情とかは……。

別にあの人は、もりくぼだけのプロデューサーさんではありませんし……。

これが、まゆさんみたいに、もりくぼを他のアイドルより特別扱いしてくれる人だったら……
あるいは……違うのかも……知れませんけど……。



「乃々ちゃんの忠告……無下にしてしまいますが……今回だけは、許してください……。
 これでダメだったら……今度こそ、諦められますから……」
「そうだね。ダメだったら……あたしも諦めがつくかな」

『諦めがつくから』……というつぶやきに、もりくぼは口を閉じました。

そうです。
やっぱり、惚れ薬なんて現実にはあるわけがなくて、
これは、まゆさんが諦められるよう志希さんが一芝居打ってる、とか……



まゆさんを説得できそうもないと諦めたもりくぼは、そうやって自分をごまかしました。

「まゆちゃん。くれぐれも……使うときは、あたしを立ち会わせてね。
 実績はあるから、大丈夫だとは思うけどね。一応、念のため……。
 何かあったら、このクスリに関してはあたしに責任があるし」

もりくぼの目の前で、志希さんからまゆさんへ薬瓶が一つ手渡されました。




それから数日後、まゆさんは仕事へ復帰しました。
本調子ではないようですが、周囲の方は病み上がりのせいと納得しているようです。



もりくぼが見る限り、まゆさんに大きな変化は見られませんでした。
強いて言えば、物思いに耽ることが多くなったとか……
例の紅い日記を見つめながら、声どころかため息の一つもつかず、何時間も動かないのです……。

まゆさんは惚れ薬を使ったのでしょうか。使っていないんでしょうか。
そして使ったとしたら、それは効いたんでしょうか……。

もりくぼから見たまゆさんの姿では、どちらとも取れません……。
少なくとも、プロデューサーさんへの思いを吹っ切ったようには見えませんでしたが……。



寮室に一人でいると、まゆさんの棚に並ぶ紅い日記帳の方を見てしまいます。
きっと、あれを開いて読んでしまえば……惚れ薬がどうなったか、分かります。

でも、人の日記を勝手に読むなんて……それも、先輩としてお世話になってるまゆさんのを……。

そんなに気になるなら、直接当人に聞けば……
それが、筋だというのは分かっています……。

けれど、一度引き下がったもりくぼに、その勇気は……。



もりくぼが、日記を盗み読みしてしまおうかどうかで揺れていた時、
寮室に外線が回されてきました。

『もしもしー、もりくぼちゃーん? 志希ちゃんだよー。一ノ瀬志希ー』
『志希さん……ですか。今、まゆさんは不在ですけど……』

『んにゃあ、もりくぼちゃんの番号は知らなかったからさー。
 今、まゆちゃんいないよね?』
『も、もりくぼにお話、ですか……?』



もりくぼが聞けないでいた答えは、不意打ちで飛び込んできました。

『惚れ薬の実験がめでたく成功したんだけど、それからちょっと経って、
 まゆちゃんのご機嫌がよくないみたいで、気になって話しかけたら、避けられちゃってさー。
 もりくぼちゃんは、まゆちゃんのコトで、あれから何か変わったとこ見た?』



『あ、あの、志希さん、待って下さい……まゆさんは、あの薬使ったんですか?』
『うん。何かあった時のために、あたしも立ち会ってたから。確実だよー』

『そ、それ……あの惚れ薬が、本当に効いたんですか……?』
『そりゃーもう、いくら隠れてイチャイチャしてても、志希ちゃんにはお見通し!
 なんとね、既成事実キメちゃってたから。その次の日にはニオイで一目ならぬ一嗅ぎ瞭然……

 って、もりくぼちゃんには詳しく説明しちゃダメなハナシかなー、にゃははっ♪』




志希さんが電話をかけて来た用件は、
まとめると次のような話でした。

『まゆちゃんが使った惚れ薬に、未検証で不具合が出るかもしれないトコロがあってさー。
 ソレについて、まゆちゃんとお話しなきゃなぁ、と思ってたんだけど……。

 まゆちゃんがミッションコンプリート♪ した少しあとから、
 志希ちゃん、まゆちゃんに避けられちゃってて。なんでだろ?

 できれば、その理由をもりくぼちゃんから聞き出して欲しいんだよね。
 惚れ薬周りの事情を知ってるの、もりくぼちゃんだけだし……』



……もりくぼ、意図せずしてどんどん深みにはまってる気がするんですけど……。

惚れ薬の不具合について、具体的なことは何も聞けませんでした。
『開発者として自分で説明する』との一点張りです。

志希さん、今度は何を言い出すのやら……
しかし、まゆさんのことを考えると、そうギクシャクしてられない状況です……。



もりくぼは、まゆさんに惚れ薬を渡された後、どうなったか……寮室で二人きりの時に聞きました。
……本当に、プロデューサーさんに一服盛ったのかと。

そして、その先まで……。



「の、乃々ちゃ――それを、どこで……?」
「……志希さんからです。本当のこと、なんですか……?」

もりくぼは、それを聞き間違えと思いました……実際、よく聞こえませんでした……

けれど、くちびるの動きは明らかに『ごめんね』でした。



「ごめんねって……何が、ですか、まゆさん……」

もりくぼを黙殺して、望みの物を手に入れて、
なのに今、まゆさんは沈んだ顔をしています。



「もりくぼもですが……志希さん、まゆさんのこと気にされてましたよ?
 まゆさんが、志希さんを避けてるのも……?」
「……志希さんは……その……」

志希さんの提案に乗ったことを、まゆさんは後悔しているのでしょうか。

でも、もりくぼは『それ見たことか』なんて顔して、まゆさんにそれを問うことはできません。
もりくぼも、まゆさんと同じく志希さんに丸め込まれた側ですから……。



もりくぼとまゆさんは、志希さんが一人暮らししているという家へ向かいました。

東京都心の寮からは、郊外方向の電車に乗って数駅。

「志希さんって、10代で一戸建て一人暮らしなんですか……。
 もしかして、すごいお嬢様だったり……?」
「10代で一人暮らし……というだけなら、ほかにも事務所にいますけど……
 志希さんの家は、持ち家だから、相当です。なんでも、アメリカ時代にいろいろと……」

もりくぼは、なんで『まゆさんが志希さんの家が持ち家かどうか知ってるんだろう』と思いました。

その疑問は、志希さんの家が見えてきたと同時に溶けてなくなりました。



「……ここ、ですか。志希さんの……」
「最初は、ちょっと勇気がいりますよね……」

志希さんの自宅と言われた場所は、道から見たところは……古い地主の邸宅のようでした。
東京や神奈川の新興住宅地では、古い板垣とそれなりの広さの庭がある……
というだけで、昔からの住人なのかな……という雰囲気が出るものです。



ただ、志希さん宅の門は、表札の代わりに『キケン! 許可無き立ち入りを禁ず』
というポップなフォントの注意書きが張られていて、
門のスキマからは、毒々しい植物の鉢植えや、得体の知れない廃液(?)が詰められたドラム缶、
その他何に使うか知れたものではない器具が並べられているのが見えました……。

もしこれが借家だったとしたら、絶対貸主が黙っていないと思います……。



「いらっしゃーい♪ よく来てくれたね!」
「あ、アレ……警察に通報されたりとか、しないんですか……?」
「あれは志希ちゃんなりのセキュリティだよー。ドロボーとかヘンなヒトたちを除けるために、
 ワザと危なそうなモノとか、危ないモノを目立つよう置いてあるの♪」

中で迎え入れてくれた志希さんはそう言いましたが、
もりくぼから見れば、家の中の危険度も似たようなものでした。



「志希さんの名が売れ始めた時、この家をマスコミに取り上げられて、
 ずいぶんなスキャンダルになりましたよね……」
「うんうん、プロデューサーにはだいぶフォローしてもらっちゃったなー。
 あたしのせいでプロデューサーの評判もケチがついちゃって。
 まゆちゃん以前の担当アイドルは、その時に全滅しちゃったよねー」

志希さんは、自分がプロデューサーさんを窮地に陥れた過去について、
悪びれもなく――むしろ嬉しそうに――語りました。

志希さんは前に、
『まゆちゃんを売り込むときは、いつもこう。目の色からして違うんだよー』と、
もりくぼにボヤきましたが……

これ、志希さんもプロデューサーさんから特別扱いされてますよね……。





「じゃ、もりくぼちゃん御役目ごくろーさん♪
 志希ちゃんの気持ちとして……Special Potionを進呈しよう!」

志希さんは、もりくぼに向かって小さな薬瓶を乗せた手のひらを突き出しました。
もりくぼは黙っていました。志希さんも、まゆさんも黙っていました。

「結構です……それより……不具合についての話が聞きたいんですけど……」

数秒後、もりくぼの返事を聞いた志希さんは、

「……じょーだんだよー。
 もりくぼちゃん、まゆちゃんのコトが気になって仕方ないみたいだしねー」

とケタケタ大袈裟に笑ってみせました。



そして志希さんは、その笑いを浮かべたまま、冗談じみた口ぶりのまま、
もりくぼとまゆさんに『不具合』について告げました。

「カンタンに言えば……クスリ盛ったって被験者にネタばらしすると、
 クスリのチャームが解けちゃうかも知れないコト、なんだ」




志希さんの『不具合』を聞いた瞬間……もりくぼは、まゆさんの表情をうかがいました。

やっと手に入れたプロデューサーさんの心を、失うかも知れない……
そんな宣告を受けて、まゆさんは……。



「……続けてください、志希さん」

まゆさんは、もりくぼの恐れに反して平静……少なくとも、平静を装ってはいました……。

「ふーん、意外と平気そうな顔してるのね、まゆちゃん」
「そのぐらいは、予想していました……。
 好きだという気持ちが、惚れ薬で植え付けられたものだと知ったら……動揺するのも当然です」



「……そっか」

まゆさんの返事を聞いた志希さんの笑みが、口元から目まで広がりました。



「もうちょっと詳しく説明するとねー。吊り橋理論ってあるでしょ?
 人間が異性と近くにいる時に、何かドキドキするような興奮を覚えると、
 それがグラグラする吊り橋の恐怖だったり、アルコールの酩酊が原因であったとしても、
 アタマが勝手に『恋しちゃってるからドキドキするんだ』って勘違いするってハナシ」

志希さんの話を聞いて、もりくぼは少女漫画のお約束を思い浮かべました。
男の子と女の子が仲を深める前には、まず二人きりで危機へ巻き込まれるものです……。



「いやー、人間の認知っていい加減だよねー。
 で、志希ちゃんの惚れ薬は、まさにそこを突くシロモノなんだよ。
 投薬されると、被験者はある特定の人物の体臭に、
 ドーパミンやフェニルエチルアミンの合成を条件付けられちゃうんだ」

もりくぼも、まゆさんも、化学や生物は志希さんほど得意ではないので、
詳しいメカニズムは端折ってもらうよう頼みました。



「あー……平たく言うとね、ニオイをトリガーにして、体をムリヤリ生理的にドキドキさせて、
『あたし、このヒトのことスキなんだ』って勘違いさせるクスリなんだよ、アレ。

 つまり、根っこが錯覚だから……ネタばらししちゃうと、
 今まで感じてきたドキドキが全部ウソと思われちゃって、一気に効果が抜けちゃうんじゃないか……って。
 手品を見て最初は『スゴイ!』って思うけど、タネ見抜いちゃえば『何だこんなモノか』ってなるような感じ」



この時の志希さんは、もりくぼではなく、まゆさんの方をじっと見つめていました。

……何故でしょうか。

「それは……もりくぼさえ黙っていれば、問題無いのでは……」
「もりくぼちゃん、誰かにバラしちゃうつもりだったの?」
「そんなことは、しません……だいたい、もりくぼだって未だに半信半疑ですし……」

もりくぼは話の流れからして、
『惚れ薬のことは黙っていろ』と釘を刺されると思っていました……。



「あたしとしては、もりくぼちゃんより、まゆちゃんが気になってたの。
 まゆちゃんが、惚れ薬使っちゃったコトをプロデューサーさんに自白しちゃうかも知れない、ってね」
「……自白、って、あなたがそんな言い方……」

まゆさんは、志希さんに迫られて明らかに気圧されていました。



「まゆちゃん、あたしのコト避けてたよねー。あたしはその原因をてっきり……
 惚れ薬を使ったコトが後ろめたいからソレを知ってるあたしと話したくないんだ……

 と、思ってたんだけど」

志希さんが前かがみになり、まゆさんに顔を近づけます。

「さて、化学者としては……クスリの不具合がどんなものか、試してみたいんだけどね……。
 どーかな? あたしとまゆちゃんのプロデューサーにネタばらしして試す勇気、ある?」

 惚れ薬を盛ったコトを後悔しているのなら、いっそネタばらしもありじゃない?
 重荷が下ろせてラクになれるかもよ。その後どうなるかは、分からないけど」

まゆさんは、左手首の紅いリボンを握りしめて手を震わせていました。



「まぁ、しないならしないで、志希ちゃんとしてはぜーんぜん構わない♪
 だって実験の時、被験体は予備として必ず二つ以上用意するもんっ」

まゆさんの首筋に食らいつきそうなほど顔を寄せていた志希さんが、
不意に一歩引いてまゆさんから離れました。



「どういう意味か? って……いいよ。お望みなら、教えてあげる」




「プロデューサーと、まゆちゃんが出会ったあの日。

 まゆちゃんが飲んだホットコーヒーには、
 あたしがプロデューサーに渡した惚れ薬が入ってたんだよ」




今回はここまでです

残りは1/4程度でしょうか
次回は23日か30日になると思います

宣言しておいてまことに恐縮ですが
諸事情につき30日投下は取り消し致します



以下営業です
好評発売中

『秘密のトワレ』歌:一ノ瀬志希(試聴) 税込¥720
https://www.youtube.com/watch?v=wD3olymAvN0



発売予定

『明日また会えるよね』歌:宮本フレデリカ、一ノ瀬志希、櫻井桃華、中野有香、五十嵐響子 ¥1,944+税※
https://www.youtube.com/watch?v=5yJXr4YvZis

『Near to You』歌:宮本フレデリカ、一ノ瀬志希、櫻井桃華、中野有香、五十嵐響子 ※
https://www.youtube.com/watch?v=0e_a9em4uao

『女の子は誰でも』(東京事変のカバー)歌:一ノ瀬志希 ※
https://www.youtube.com/watch?v=QMtlK6yj5f8

※は6月1日発売、3曲すべて同じCD
THE IDOLM@STER CINDERELLA MASTER Cute jewelries! 003に収録されています。


志希誕生日おめでとう!


今回でようやく終わりなんですが、投下の前に>>3に訂正入れます

もりくぼの初期カードで語られてた『親戚に一回だけって言われて~』
のくだりを入れ忘れただけなので、読まなくても大差はありませんが

(以下訂正)


もりくぼは寮のエレベーターに乗り込むと、階数の表示を見上げました。
デジタルの数字が、1、2と切り替わって、やっと3階。
扉が開いて、エレベーターを出て、寮の自室へ向かいます。

時間は、夜よりの夕方。
仕事帰りの足取りは、自分でも似合わないなぁと思うぐらい軽いものでした。



今日の仕事は、とある少女漫画雑誌のインタビューでした。
本屋さんだけじゃなくコンビニとかにも並ぶ、もりくぼ愛読の雑誌です。

そんなたくさんの人から見られる雑誌に、もりくぼの記事が……
話を聞いた時には、体が震えて声も出ませんでしたけど、なんとかこなすことができたようです。
珍しく、もりくぼの担当プロデューサーさんも『よくやった、文句なし』って言ってくれました。

そのお仕事で、もりくぼの助けになってくれた人がいます……。

その人が……佐久間まゆさん、です。



まゆさんは、もりくぼの寮のルームメイトでした。
担当プロデューサーは違う人ですけど、芸能界の先輩として、これまでもお世話になっていました。

もともと、もりくぼは親戚に強引に誘われて、
一回だけ、という約束でアイドルの世界に入ってきたので……右も左も分かりません。
まゆさんが助けてくれなければ、とっくにくじけてたと思います。



今回の仕事も、まゆさんに相談に乗ってもらいました。
もりくぼの扱いは、アイドルと読者代表の間みたいなもので、
元・読者モデルのまゆさんとはある意味立場が近く、その辺りの距離感を聞かせてもらいました。

それと、少女漫画雑誌なので……恋愛の話も確実に出るわけですけど……。
恋愛なんて漫画や小説でしか知らないもりくぼは、うまく答えられそうもなくて……。

……そんな弱音を吐くと、まゆさんは、

『恋する女の子の気持ち……まゆでも、少しなら教えてあげられると思いますよ……?』

と言って、作り話だけじゃわからないような心のことも、教えてくれました。
好きな人のためならできることはなんでもする、すること自体が喜びなんだとか……。

まゆさんの口ぶりが、とっても真に迫っていたのが、気になりますけど……。



もりくぼが仕事先から寮へ帰る頃には、まゆさんも寮室にいるはずでした。
寮室へ向かう足取りが軽過ぎて、フワフワと浮いてしまいそうです。

もりくぼは、仕事がうまく行ったことを、まゆさんに報告したくて仕方がなかったんです。
これまでプロデューサーさんから、『できる』って言われても、ダメダメだった気弱なもりくぼが、
まゆさんのおかげで、初めて『できた』んです。今日初めて、自信らしいものを持てたんです。

もりくぼは寮室のドアを開け、靴を脱いで、
蛍光灯の明かりが透けて見える内扉に手をかけました。



「まゆさん、私……」

もりくぼは、それ以上言葉を続けられませんでした。



まゆさんは、自分の机の前で椅子に座っていました。
机の上には、ページに何も書いていない冊子が、無造作に開かれていました。

まゆさんの横顔は、その紙の色を思わせるぐらい真っ白でした。




「そんなこと……あ、あり得ないですっ」

もりくぼは、気づけば――まゆさんよりも先に――否定の声を上げていました。



「あ……いや、もちろん、もりくぼがその場に立ち会ってたわけないんですけど……」
「ま、証拠は無いよね……逆に、あったら志希ちゃんもプロデューサーも困っちゃうよ」

志希さんが『イケないコトだしー』
と聞こえよがしにつぶやきました。



「でも……そう考えると、しっくり来るでしょ」

志希さんは、物分りの悪い子に向かって諭すような声音を使います。
白衣を羽織っているせいで、理科の先生みたいです。



「あの頃のプロデューサーは、あたし以外ロクなアイドル担当いなくて、
 オーディションでもいい子捕まらなくって、
 あたしと仕事中だってのにプロデューサー自ら街中でスカウトかけてたぐらい、切羽詰ってた」

志希さんは、もりくぼにさっき差し出した薬瓶を、
くるくると指でもてあそんでいました。



「プロデューサーが困ってたから、あたしは惚れ薬をあげた。

『……これぞ、と思う子がいたら、一人だけこれを使っていいよ。
 そしたら、その子はキミに恋人のように尽くしてくれるから』

 ……って言って、渡した」

「そんな物を作って、渡すなんて……」
「それを……プロデューサーは、まゆちゃんに使っちゃったんだよ」



まゆさんのプロデューサーさんから電話ごしに聞いた、
『まゆは誰がなんと言おうと、絶対に、本当にトップアイドルになれる器なんだ』
という響きが、思い出されました。

「あたしも、まさか出会ったばっかりの子に使うとは思わなくてさ。
 どんだけ、まゆちゃんにティンとキてたのかなぁ、プロデューサーは」

一目惚れしたのは、まゆさんではなく、プロデューサーさんの方……?



「まゆさんのプロデューサーさんは……まゆさんに惚れ薬を盛って……
 それなのに、まゆさんを突き放したって言うんですか……?」

もりくぼの問いに、志希さんは『ひっどいヒトでしょ?』と笑いました。



「もりくぼちゃん言ってたよね。『アイドルは恋愛しちゃいけない』って。実に正論。
 アイドルはゲイシャガールと違って、芸だけじゃなくキャラ――ココロ――も売るヒトだもんね。

 そんなキミの正論をなぜあたしが無視したのか、疑問に思わなかったんだ?
 でも、この前提を知った今はどうかな」




「プロデューサーは、惚れ薬を使ってでもまゆちゃんをモノにしたかった。

 あたしはそれを知ってた。あと、まゆちゃんをオトす片棒、あたしが担いじゃってたし。
 だからプロデューサーがまゆちゃんヒイキしてても、恋愛っぽい雰囲気になっても、あたしは黙認してた。

 まゆちゃんに対して、いつかプロデューサーもケジメをつけると思ってた。
 クスリ盛った張本人が、まゆちゃんの好意に気づいてないなんて有り得ないもん。
 プロデューサーは、ズルしてでもまゆちゃんのココロが欲しいって……

 それが、ねぇ。
 ふざけてるよね。あたしもまゆちゃんも、何だと思ってるんだか」



もりくぼは……志希さんの独演会に、なんとかして反論しようとして、
口を開けて、そのままみっともなく固まりました。
舌も、くちびるも動きません……。



「まゆちゃんは、プロデューサーに一服盛られちゃった。
 脳下垂体いじいじされて、フェニルエチルアミンをぶわーってさせられちゃった。

 だからこそ、あたしはまゆちゃんがプロデューサーに惚れ薬使うと思って、惚れ薬をあげたの。
 まゆちゃんには、プロデューサーにやり返す権利があるでしょう。

 結果はご覧のとおり。やっぱりあたしがいなきゃダメなんだ。
 あたしのおかげで、やっとホントの相思相愛になれたんじゃない?」



受け入れ難い志希さんの言葉に反論しようとして、途方に暮れました。

まゆさんの様子がおかしくなった夜、
電話越しに会話したプロデューサーさんの声が思い出されました。

正直もりくぼには、
『あのプロデューサーさんが惚れ薬盛るなんてするわけがない』とは言えません……

そうなると、もりくぼが今まで接してきたアイドルとしてのまゆさんは……




「ん、その顔……ははぁ。もりくぼちゃん……」

志希さんは、もりくぼへにじり寄ってきます。
もりくぼは後ずさりすらできず、志希さんの大きく丸い目に、飲まれてしまいそうです……。



「憧れのアイドル・まゆ先輩が、
 あたしのクスリで仕組まれたアイドルだったなんて。
 信じられない?」

もりくぼが、言おうとして言えない言葉を、志希さんが無造作に放り投げます。



「でも、これがアイドル・佐久間まゆのホントの姿。
 ろくでなしプロデューサーの、真夏の一目惚れと、クスリ使っちゃった罪悪感を養分にして、
 薔薇みたいに真っ赤な一端のアイドルが生まれちゃったよ。

 まぁ、仕組んだのは全部あたしなんだけど。

 ふっふー♪ すごいでしょ、惚れ薬のチカラ。
 おクスリがなきゃ恋愛もプロデュースもできないなんて、ホントに世話が焼けちゃうなぁ」


志希さんは、もりくぼの目前で、
もてあそんでいた薬瓶をブラブラと揺らしました。



「ま、志希ちゃんのコト信用できないなら、他のヒトに聞けばいーよ。
 もっとも、まゆちゃんはどこかに行っちゃったみたいだけど」



志希さんの部屋を見渡したもりくぼは、そこで初めて、
一緒にやって来たはずのまゆさんが姿を消していることに気づきました。



おぞましい志希さんのラボから抜け出して、ふらふらと駅まで歩いていると、
フェンス越しに水色の帯を巻いた電車の走る姿が見えました。

もりくぼは改札を通って、
その電車――京浜東北線――が来るホームを探しました。



寮へ戻る気はまったく起きませんでした。

志希さんの話を聞いた後だと、
あの寮室でまゆさんと過ごした時間とか、アイドルという存在そのもの、アイドルにかかわるすべてが、
おとぎ話の悪い魔女のような嘘――あるいは、嘘のようなおぞましい本当――のかたまりにしか思えなくて、
もうシンデレラガールとかただ悪趣味な冗談です――とにかく、そこから離れたかったんです。



京浜東北線は、ラッシュの時間帯でなくても、それなりに混み合ってます。

そんな中で、他のお客さんとならんで吊り革にぶらさがっていると、
もりくぼがアイドルだったなんて、何かの悪い夢だったような気がします。

だいたい、きっかけからして、親戚の人に半ばムリヤリ……うう。



不意に、携帯がブルブルと震えるのを感じてモニタを見ると、
もりくぼ担当のプロデューサーさんの名前が表示されていました。

でも、取りませんでした。電車の中だから、なんて自分に言い訳して。
メッセージが着信かも確認してないくせに。



振動はすぐに止まりました。
どうやらメッセージだったようです。

開いてみると――サムネイルでよくわかりませんが――何か雑誌の表紙っぽい写真が1枚どんとあるだけ。
画像をタップして拡大すると、もりくぼが愛読している漫画雑誌と同じ名前が読めて……
でも、最新号ではないようです。

何でこんなものを、と思った瞬間、もりくぼは危うく携帯を取り落としそうになりました。



な、なんで雑誌の表紙に、もりくぼの顔と名前が載ってるんですか……?



もりくぼは電車を降りて、
すぐにプロデューサーさんへ電話をかけました。

『おお、森久保、オフにすまんな。
 この前の、森久保が毎号買ってるっていうアレのインタビュー、
 ゲラ――ああ、試し刷りのことだ――が届いたら、すぐに見せるって言っただろう?
 さっきあちらさんの担当がよこしてきたから、送っておいたぞ』

と、いうことは……
あれが、数十万部も刷られて、全国の本屋さんとか、コンビニに並ぶんですか……?



『ん、俺は今事務所だけど……今からこっちに向かう? 森久保が?
 俺の知らない間にそんな仕事熱心に……ああ、悪い悪い。

 送っちゃっておいてなんだが、内容チェックは次の出勤日でも全然構わないぞ。
 そりゃ先方は戻しが早ければ早いほどありがたがるだろうけど、休みの日に無理して……』

もりくぼは京浜東北線を下りから上りへ乗り換えました。

嬉しそうな声の、私の……もりくぼのプロデューサーさんが、
悪い魔法使いだったとは、信じたくなかったんです。



事務所にたどり着いたもりくぼは、
プロデューサーさんのデスクのそばに椅子を引っ張ってきて座りました。

顔を合わせた瞬間、プロデューサーさんは一瞬『あっ』という目つきをしました。
もりくぼの演技力では、何事もないふりは無理でした。

まぁ、いつも逃げ回って追いつめられて……としているもりくぼが、
珍しく自分からやって来たことに面食らってるだけかも知れませんが……。



プロデューサーさんは、もりくぼのインタビュー記事の試し刷りを、
机に広げて見せてくれました。

最初のトビラの写真――これは、いつの間に撮ったのでしょうか……
人の顔をまともに見られないもりくぼとは思えない、カメラに向かって笑いかけた写真。

それが、かえってうそ寒いです。
これが、アイドル・森久保乃々なんでしょうか。
魔法使いは、こんなに巧妙に嘘をつけるんですね。

ページをめくります。
見開きには、もりくぼの写真と並んで、もりくぼがインタビューで聞かれた漫画のコマが置かれて、
その間にスラスラと文字が組まれていて……インタビュー内容まで読む気はしませんでした。



「プロデューサー、さん……」
「どうした、森久保」

――アイドルって、なんなんでしょうか……?
と聞こうとして、もりくぼは思いとどまりました。



唐突にこんなこと口走ったら――手遅れかもしれませんが――プロデューサーさんは、絶対不審に思うはずです。
となると、どうしてもりくぼの様子がおかしいのか調べ始めて……
あるいは、もりくぼへ直に追及してくるかもしれません。

そうなれば、まゆさんの惚れ薬の話を隠し通すなんて、無理……。
直にバレてしまうとしても、それがもりくぼのせいというのは……。



「なんだか、この記事を読んだ人が、実際のもりくぼを見たら……
 落差があり過ぎて、幻滅しちゃうかも知れないですね……」
「そうか? キリっとし過ぎかなぁというカットも何枚かあるが」

プロデューサーさんが、ジロリともりくぼの内心を覗いてるように見えて、
動揺したもりくぼは、試し刷りに目を貼り付けるように眺めました。



「まぁ、続きも見てくれよ。
 少しだけど、もりくぼ自身がメインの話題の部分もねじ込んだし」
「は、はぁ……」



そういったプロデューサーさんの手がページをめくると、
衣装を着たもりくぼの写真が――

http://i.imgur.com/LJydjGp.jpg

しゃ、写真が……

http://i.imgur.com/OOHT7AM.jpg

「……プロデューサーさん」
「どうした?」
「……これ、事務所的に、というかプロデューサーさん的に、オーケーなんですか……?」

そこには、ジャージ姿でへたばってたり、ステージ衣装を着ながら目を回していたり……

http://i.imgur.com/Y1wNRFI.jpg

あまつさえ、机の下に閉じこもっている、あられもないもりくぼの姿が……



「あ、あの、写真大丈夫なんですか……目線がカメラから思いっきりズレてるのがいくつも……」
「編集にも『大丈夫?』って言われたけど、俺が指定して入れた。
 ズレてるのもある程度載せなきゃ。乃々らしいし」
「……らしい、って、プロデューサーさんは……」

「等身大の姿ってヤツだよ、森久保」
「……キレイな言葉ですね」

……キレイ過ぎて、正直ごまかしてるみたいに聞こえました。



「まぁ、最初のアイドルらしくしっかりキメた姿が森久保だと思われたら、こっちも困るんだ」
「なっなんですかそれっ、もりくぼってそんな扱いなんですかっ」

http://i.imgur.com/al01Aiu.jpg
http://i.imgur.com/FN7Lljw.jpg

……い、いや、この無理してるのが丸わかりのこれが、もりくぼの素に近いのは確かで……
そ、それは認めるんですが……



「こ、これがもりくぼの全国紙デビューなんですか……」
「何だ、差し替えるか? できなくもないぞ。版元や制作が渋い顔をするだろうが、
 こっちが素材を用意して渡してやれば、まだなんとかなるはずだ」
「あ、いや、その」



前のページに戻って、記事の文章を読みなおしました。
インタビューされた時のすごい緊張や、終わった後ついスキップしたくなるほどの解放感が、
頭から勝手に溢れてきて――あの、まゆさんにちゃんと報告したかった、あの気持ちが……

「……このままで、行きましょう……細かい修正は、お任せします……」
「おう、森久保。任されたぞ」



何を今更……と思われるかもしれませんが、この時もりくぼは、
やっとアイドルの仕事を一つやり遂げたんだ、と実感しました。

きっかけが他人任せで、これまでいつもプロデューサーさんに引っ張り回されてたもりくぼが、
まゆさんに頼りながらでも、自分で頑張ってモノにした仕事……。



「嘘なんかじゃ、ないですよね……もりくぼのも、まゆさんのも……」
「……どうした? 気になることがあるなら、何でも言っていいぞ」

プロデューサーさんの表情は、もりくぼの事情を知らないのか、
あるいは知ってて知らないフリなのか。

「いいえ……ありがとうございます、プロデューサーさん」



事務所を出たもりくぼは、寮室へ足を向けました。



もりくぼは寮のエレベーターに乗り込むと、階数の表示を見上げました。
デジタルの数字が、1、2と切り替わって、やっと3階。
扉が開いて、エレベーターを出て、寮の自室へ向かいます。

時間は、夜よりの夕方。
まゆさんと二人で志希さんの家に向かって出たのが午前中だから、
半日近く経っていることになります。



寮室に、まゆさんが居るかどうかは……『いるかも知れない』程度の考えでした。
いなければ、どこかへ探しに……けれど自室の鍵を開けようとして、施錠されてないことに気づきました。

十中八九、中にまゆさんがいる――息を吸って、吐いて、もりくぼはドアを開きます。

「まゆさん――ただいま帰りました、もりくぼです」



内扉を開いた向こうは、泥棒でも入ったかのような荒れっぷりでした。
床に白いものが散乱していて……よく見ると白いものは、まゆさんの筆跡がズラズラと連ねられた紙で、
おそらくまゆさんの日記帳がバラバラになった成れの果てでした。

それらが床に広がっている中央で、まゆさんは仰向けに横たわり、
白い思い出に埋もれて天井を見上げていました。



「……【夏の秘め事】で水に沈むオフィーリアみたいですね」

もりくぼは、まゆさんがかつて演じたドラマの様子を思い出しました。
確かあれも、実らない恋を抱えた女の子の物語でした。



「……まゆさん、まゆさん」

まゆさんの左手首は、結び目が一つだけ残った紅いリボンが巻き付いていて、
白いページの上に紅い線を垂らしていました。

「まゆさん」

もりくぼがしつこく声をかけ続けると、
不意にまゆさんが口を開きました。



「……まゆが……プロデューサーさんと出会ってから、
 思ったことは、やってきたことは……
 全部……惚れ薬のイタズラ、だったんですか……?」




まゆさんは、自分が今まで秘めてきた気持ちと、その気持ちに従って為したことが、
すべて志希さんのイタズラなクスリから生じたモノだと思っているんでしょうか。

こんな心の奪われ方、オフィーリアも真っ青な悲劇のヒロインです。

じゃあ、そういう運命論によると、志希さんがいなければ、
まゆさんはあのプロデューサーさんについて上京してアイドルになることもなく、
同室の先輩としてもりくぼのアイドル活動を支えてくれることもなかったんですか。



「そんなわけ、ないでしょう……ねぇ、まゆさん」
「……乃々ちゃんに、何が分かるんですか……」



もりくぼは、だらりと下がっていたまゆさんの左手首を、
両手で掴んで引き起こしました。

「の、乃々ちゃん……?」
「もりくぼは……恋愛という意味での好きとか、よくわからないんです」

もりくぼの恋愛認識なんて、まゆさんのレクチャーがなきゃ、
まともな恋バナもできないぐらい貧弱です。



「それに……志希さんの惚れ薬は、飲んだことも飲ませたこともありません。
 まゆさんと、まゆさんのプロデューサーさんが何を思ってそうしたか……想像もつきません」

そんなもりくぼですけど……あるいは、もりくぼだからこそ、
まゆさんに言わなきゃならないことがあります……。



「志希さんなんか関係ないんです。まゆさんは、まゆさんなんですっ」

まゆさんが、志希さんの手のひらの上じゃなく、
自分の意思でアイドルを続けていたと言えるのは……

今ここでは、もりくぼだけなんです。



まゆさんは、もりくぼに握られた手をだらりとさせたまま。

「……乃々ちゃんは、アイドルになったあとの私しか、知りませんよね……」
「そうですね……でも、そうだとしても、分かるんです」

……こう返ってくるのは、分かってました。



「まゆさんは、プロデューサーさんに好かれるためだけに、アイドルをやってたんですか……?」
「……プロデューサーさんがいなければ、私はアイドルになってなかったから……」

……半分くらいは、まゆさんもそう思ってるはずです。
でも、もう半分は、きっと……。



「それなら、アイドル活動はすべてプロデューサーさんのためにやってたことで、
 そのきっかけが引っくり返ったから、もう何の意味も無いというんですか……?」
「……それは……」

もし、まゆさんが完全にそう思ってたとしたら、説明がつかないことがあります。



「何で……プロデューサーさんに惚れ薬を盛ったあと、アイドル……辞めなかったんですか?」

もりくぼの手が、まゆさんの震えを感じ取りました。


まゆさんは、プロデューサーさんに近づくためにアイドルになって、
だけどアイドルとプロデューサーの間柄ではお付き合いすることができなくて……

そんなジレンマを、志希さんの惚れ薬が強引にぶち壊しました。

「惚れ薬でプロデューサーさんを惚れさせた後なら、まゆさんがアイドル続ける理由はなくなります……。
 アイドルという立場がなくなっても、プロデューサーさんの心を繋ぎ止められるなら、
 むしろアイドルという立場は邪魔になります……」

なのに、まゆさんは――様子はおかしくなりましたが――アイドルは辞めませんでした。



「それでも、まゆさんはアイドルを辞めたくなかった……違いますか?」

返事は、言葉もなく……ただ、まゆさんのタレ気味の目が、いつもより丸く見開かれてます。
まゆさん、驚かれてるんでしょうか……もりくぼが、こんな詰問みたいなしゃべり方するなんて……
自分でも、正直信じられないですし……。



「なんで辞めたくなかったか……もりくぼは、まゆさんじゃないので、それは分かりません」

ただ、アイドル活動はそう簡単に辞めたくなるものじゃないと、もりくぼは知っています。

アイドルになったきっかけが『親戚に強引に誘われた』程度の、弱音ばかりのもりくぼでさえ、
自分のプロデューサーさんとか、まゆさんとか、色んな人に助けられながら
一仕事終えて褒められた後は、アイドル続けててよかった……と思ったんです。

きっかけなんてその程度のものです。



「もりくぼに分かるのは、まゆさんがプロデューサーさんとの関係の足枷になったとしても、
 それでも辞められないぐらい、一生懸命アイドルをしていたことまでです……」

そんなまゆさんだから、もりくぼは、憧れて、ファンになって……



「そんなに頑張ってやってたのに、そこにまゆさんの意思は無かった……
 全部、惚れ薬のイタズラだって、そうおっしゃるんですか……?」
「……くどいですよ、乃々ちゃん」



まゆさんが聞いたら、信じないかもしれませんが……。
もりくぼは今、本当に珍しく……たぶんアイドルになってから初めて……怒ってるんです。

まゆさんのアイドル活動が、あんなちっぽけな薬瓶の産物だというのなら、
そのまゆさんのおかげで何とか活動できたもりくぼは、いったい何になるんですか……?

アイドル・佐久間まゆを軽く見る言い方は、
まゆさん自身の口からだって、言って欲しくありません。
まして、それが心にもないような言葉なら……。

だから、もりくぼも、まったくもってらしくない……ひどいことを言ってしまいます。
怒られるほうが、ずっとマシだから。



「……惚れ薬を使って、ズルしてプロデューサーさんと寝たのが、そんなに後ろめたいんですか……?」



もりくぼの台詞を聞いたまゆさんは、
今まで見たどんな表情よりも顔を紅くして……本気で怒ってたと思います。

もりくぼが、リボンの結ばれてたまゆさんの左手を掴んでなかったら……
たぶん、ビンタ一発はもらってたんじゃないか、と。



それでも、もりくぼは止まりません。もう後には引けません。

「志希さんに惚れ薬を勧められた時、まゆさんはもりくぼの目の前で……惚れ薬、手に取りましたよね。
 そして、薬をプロデューサーさんに盛って、そのまま……

 これが、まゆさんのせいじゃなかったら、いったい誰のせいですか……」

これが自分のせいだって自覚が――罪悪感があったから、
念願叶ってプロデューサーさんと結ばれたのに、まゆさんはあんなに沈んでたんです……。



「そんな時に、志希さんがあんなこと言って……」

優しいまゆさんがズルしてしまうほど、
プロデューサーさんを強く狂おしく好きになってしまった原因は……
なんと、プロデューサーさん経由で志希さんがまゆさんに惚れ薬盛ってしまったから……

「真偽はともかく、それを認めちゃえば、まゆさんは悪くない……」

……認めてしまえば、プロデューサーさんを騙して既成事実作ったことも、
全部、志希さんの惚れ薬のせいにできる……。



「本当に、まゆさんは自分でそう思ってるんですか……?」

でも、それを全部惚れ薬のせいにしてしまったら……



「まゆさんとプロデューサーさんが出会って、今日までの……
 ここに散らばってる日記帳に書いた思い出も、ファンに喜んでもらったことも、
 最初から何もかも志希さんのものになっちゃうじゃないですか……」

もう、アイドル・佐久間まゆは、どこにもいなくなってしまいます。



そんなの……もりくぼは……

ビンタされてもいいです。嫌われてもいいです。
絶交……は、いやですけど、でも……。

「そんなの、もりくぼは絶対認めませんから……」



もりくぼは出会って初めて、まゆさんが泣くところを見ました。
けれど、泣き顔は見ていません……もりくぼの薄い胸を、貸してしまったので……。




明くる日、もりくぼとまゆさんは再び志希さんのラボを訪れました。

「……まゆちゃんは、プロデューサーに自白しちゃうんだ……それ、本気なの?」

まゆさんが『プロデューサーさんに惚れ薬を盛った』と明かす――
そう告げられた志希さんは、意外そうな顔をしていました。



「それでプロデューサーのまゆちゃんへの気持ちが冷めちゃったら、
 今までみたいに特別扱いで、一生懸命仕事取ってきてくれたり……とか、なくなるかもよ」

まゆさんのプロデューサーさんが、このことを知ったらどうなるのか……
こればっかりは、志希さんも予想がつかないようでした。



「そうなったら悲しいですけど……でも。
『好きな人のためならできることはなんでもする』……それが、まゆのやり方です。
 たとえ、それでプロデューサーさんの気持ちが離れてしまうとしても」

まゆさんは、左手の紅いリボンをさすりながら、そう答えました。



「だから……この惚れ薬も、もう要りません……志希さんに、お返しします」

まゆさんは、志希さんからもらった惚れ薬の小瓶を突き返し、
志希さんはその小瓶をしばらく手のひらに乗せていましたが、
不意にそれを握りしめて、無造作に腕を振りました。

「あはは、志希ちゃんのおクスリ、余計なモノだったんだね」

もりくぼの目には、たまたまその小瓶が描く放物線が見えて、
小瓶は部屋の隅のくず入れに吸い込まれて、カシャンと音を立てて見えなくなりました。



「……まゆは、アイドルになったこと自体は後悔してません
 ……むしろ、あの薬が背中を押してくれたこと、
 あと上京してから志希さんにお世話になったことも、感謝していますが……」

「……それも含めて、余計だったんだよ。
 あの時の志希ちゃんに、今のまゆちゃんと同じぐらいの……」

志希さんは、もりくぼたちからくるりと背を向けました。



「あたし、聞くことは聞いたから……帰っていいよ。じゃあね」



もりくぼは――さんざん人のこと引っ掻き回しておいて、と思って――
声を上げそうになりましたが、まゆさんに止められました。

まゆさんがもりくぼの手を掴んで、黙ってぐいぐいと手を引いていくので、
それに引っ張られるまま、志希さんのラボをあとにしました。





それから間もなくして、まゆさんはアイドルを引退しました。

今は、芸能界とは関係ない暮らしをしているんじゃないでしょうか。
年賀状のやり取りぐらいしかできていませんが、おそらく元気だと思います。



志希さんは……ご存知の通り、女優としてご活躍ですね。
演技や演出・脚本のほかに、心理学などの勉強もしていると聞いています。
あの人の才能を持ってしても、人の心を動かすことについては、まだまだ究め尽くせないようです。

念のため申し上げますが、この件について当人に根掘り葉掘り聞かないほうがいいですよ。
この通り現実離れした話ですので、真偽の保証も致しかねますし。



でも、誰かを好きになるたびに、私は、

――ここに惚れ薬があったらどうだろう?
――まゆさんだったら、あるいは志希さんだったらどうするだろう?

って、考えてしまうんですよね。


(おしまい)



読了ありがとうございます
どうにかこうにかエタるのだけは避けられました

私は志希担当ですが、スカウトチケットで指名したのは、まゆでした
http://i.imgur.com/Zce43ZV.jpg

ピックアップの時に引き当てるのと、スカウトチケットで一本釣りするのと
アイドルから見てどっちがよりPにヒイキされてることになるんでしょうかね


(以下営業です)


好評発売中
『エヴリデイドリーム』歌:佐久間まゆ(試聴) 税込¥720
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https://www.youtube.com/watch?v=tYxghZ_C5BE

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https://www.youtube.com/watch?v=QMtlK6yj5f8

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