岡崎泰葉「またひとつ、花は咲く」 (33)




――音が止んだ、その一瞬。



眼前に広がるのは無数の星。頭上から差すのは熱い月明かり。


どくどくと、胸が早鐘を打つ。体の内側から熱があふれて、額と頬を伝う汗も止まらない。


すぐ隣に立つふたつの荒い息遣いは、それでもきっと満面の笑みを浮かべているはず。


だから私も負けないように、笑顔を。



――その瞬間、時間が動き出した。

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瞬く星の歓声が、まあるい月に照らされた3つの影を貫く。


滴る汗を気にも留めず、深く深く礼。


鳴り止まない拍手喝采を全身で感じて、思わず視界が歪む。


涙をこらえ顔を上げ、なおも揺らめく星々をしっかと見つめた。


星もまた、笑顔でいっぱい。手を振って応えながら、ちらりと横を見る。


歯を見せ、目を細めて。彼女たちは私と同じように、顔をくしゃくしゃにして笑っていた。


手を繋いで。顔を見合わせ。うなずいて。


大きく息を吸って。


最後の気力を振り絞り、ありったけの感謝の気持ちを、声に乗せた。



「「「ありがとうございました――!!」」」



――今日も最高のステージが幕を下ろす。


次の舞台でも、どうかまた……笑顔と夢の花を咲かせられますように。


―――

――


――へとへとになった体にムチを打って、楽屋で帰り支度。


ライブの総評やスタッフさんとの挨拶を済ませていたら、すっかり日も落ちていた。


急いでメイクを落とし、着替えて荷物をまとめる。



「泰葉、いつも以上に張り切ってたね。すごかったよ、今日。うんっ、ロックだった!」

「今日のライブは泰葉中心のセトリだったからねー。気合いの入り方も違ったでしょ?」

「ふふっ、2人がサポートしてくれたから上手くいったの。どうもありがとう」



そんな雑談も、ライブの醍醐味で。すべてが楽しかった。



―――


楽しい、なんて。


いったいいつ、どこで忘れてきたんだろう。


探そうにも、大人は先に進むことを強いてきた。


振り返る暇も与えられず、与えられるのは新しいお仕事だけだった。


そうして、いつの間にか置き去りにしてきてしまった。


『誰かを笑顔にしてあげたい』。ただそれだけの、純粋な想いを。


―――


「――今日はどうする? 家まで送ってこうか?」

「んー、今日は大丈夫です。なんとなく、3人で帰りたいんで」

「ん、分かった。……寄り道はするなよ?」

「したくてもできないよ、私もうへろへろ……」



バッグになんとか私物を詰め込んでいると、そんな会話が聞こえてきた。


うん、たまにはゆっくり3人で。なにを話しながら帰ろうかな。


楽しみ。


「それじゃ、お疲れさまでした。今日はよく頑張ったな、3人とも!」



出口でそんなふうに言って、私たちの頭をぽふぽふと撫でる彼。


いつもそう。


もう子どもじゃないのに。そう言っても聞かないけれど。


ねぇ、そうでしょ2人とも……って。


ああ、そんなに顔をふにゃふにゃにして……。ファンの方にこんなところを見られたらどうするの?


……私もだよね、うん。分かってるけど顔が緩んじゃう。し、仕方ないでしょう?



―――


もう10年以上も前。


初めてのお仕事を終えて、見守ってくれていた両親の元へ真っ先に駆け寄った。


よく頑張ったね、って。


にっこり笑って、優しく優しく、何度も撫でてくれた。


その笑顔が、大好きだった。


この笑顔のために頑張ろうと、幼心に決意したあの日は……もう遠い。


その決意を忘れてしまったのは、いつの頃だったのか。


―――


「――今度はどんなステージにしよっか。次はもっと派手にかっこよく決めたいよね」

「もう次のこと? はぁ、気が早いっていうか……。派手にって具体的には?」

「うーん、ライブ中に花火打ち上げるとか?」

「えー、火ぃ使うって危なくない?」



がたんごとん、がたんごとん。電車の不規則な揺れを感じながら、2人の会話に耳を傾ける。


ざわめく車内では、他の人には聞こえるか聞こえないか分からないような声量だけど。


私たちにはこれくらいで充分。


乗客はそれなり。たとえば仕事終わりのサラリーマン、たとえば部活帰りの学生、たとえば手を繋いだ親子。


その中にひっそり混じる、アイドル3人。


バレたことは一度もない。バレないような方法を2人にも教えたから。


芸能界で生きる術を、誰かに教える日がくるなんて思いもしなかった。


他にもいろいろ。私が長年培ってきたことは、できるだけ彼女たちにも伝えた。


私にはそれくらいしかできないから。


この子のように天性のリズム感を持っているわけでも。


この子のように美しい歌声を持っているわけでもない。


私にあるのは、今までの経験だけ。特別なものなんて、なにもない。


それでも、あなたたちは。



「――泰葉? どうしたの、疲れちゃった?」

「ぐ、具合でも悪いのっ?」



じっと黙っていたら、顔を覗きこまれた。不思議そうにしてる顔と、焦ったような顔。



「ううん、大丈夫。心配しないで」

「ほんと? ほんとに平気っ?」

「焦りすぎだよ加蓮……泰葉が大丈夫って言ってるんだから。ね?」

「うん。ふふっ、ありがとう」



それでもあなたたちは、こんな私を大切にしてくれる。



―――


次々とお仕事が舞い込む。


それは、『岡崎泰葉』の評判が良いからなのか。


それとも、『使い勝手の良い子役』だからか。


……おそらく、後者だった。少なくとも現場では。


それこそ、子役なんて掃いて捨てるほどの人材がいるわけで。


どうして私が選ばれたのか。聞き分けの良い子だったから? 作り笑いが上手だったから?


本当の笑顔は忘れて、大人の言うことをただただ聞くだけの日々。



――あの頃の私は間違いなく、自分の意思を持たないお人形だった。



―――


「――それじゃ、私たち次の駅だから」

「あー……立ってるの疲れたぁ。李衣菜、おんぶ」

「やだよ。ホームで寝たら? また明日ね、泰葉♪」

「私の扱い雑じゃない? ねぇねぇ雑じゃない?」



電車に揺られて数十分。お別れが近づいてきた。


彼女たちはまた、別々の電車に乗り換えて家路につく。


これはもう、いつものこと。お別れは必ずやってくる。


でも、不思議と寂しくはない。


また明日。……そう言ってくれるから。


明日会えなくても、また今度、って。


1週間も会えないときだってある。それぞれのお仕事が増えてきた証拠。


なかなか会えない、そんなときは……決まってメッセージが飛んでくる。


『ね、泊まりに行っていい?』

『夜更かししよ、夜更かし♪』


――そういうときの私は、にやける顔を隠そうともせず。


『もちろん。待ってるね』


これもまた、いつものこと。



―――


円滑にお仕事をこなすため、都会に出てきて一人暮らしを始めたのはいつだったか。


両親には反対されたけど、どうせ別れを惜しむ友人らしい友人もいない。


家にいる時間も少ないなら、どこで暮らそうが同じだった。


それくらい、周りに対して興味を失っていたのだと思う。


いざ一人暮らしを始めても、大して生活は変わらなかった。



なんだ、こんなものか。



殺風景な部屋にぽつんと佇む、あのときの私の目は……きっと、ひどく濁っていた。


―――


ぷしゅ、と、電車が止まる。2人が振り向く。



「今度、今日のライブの打ち上げしよっ。もちろん泰葉の家で♪」

「お、いいね♪ 料理なら任せてよ」

「うん、よろしくね。それじゃあ――」



ドアが開き、ざわざわと黒山がホームへ降りていく。



「「「またね」」」



一段と騒がしくなった車内でも、口の動きで分かった。


こんなところでシンクロして、ぷっと吹き出す。……3人同時に。


それがおかしくて、また笑い合った。


――ドア越しに手を振ってくれている。


私も小さく振り返し、離れていく親友たちの顔を見つめた。


やがて見えなくなり、徐々に加速していく。


ふぅ、と息をついて、流れていく景色を眺める。



……前言撤回。やっぱり、ひとりは寂しい。


引き止めて、そのまま泊まりに来て、とわがままを言っても良かったかな。


いくらなんでも寂しがりすぎだと、笑われるかな。


ううん……笑われてもいいや。


そう思えるくらい、大好きなんだと実感する。


携帯を取り出し、ロックを解除する。


待ち受け画面には、ライブの後に撮った写真が表示されていた。


毎回、ステージを降りた直後に撮影している。



汗まみれで、疲労も滲んでいる顔。でも、最高の笑顔。


きらびやかな衣装に身を包んだ私たち。


ライブTシャツ(決まって蛍光緑色)を着ているアシスタントさん。


そして、ネクタイをしっかり締めた、スーツの男性。


愛おしい人たちが、画面の中で幸せそうに笑っている。



――気づけば寂しさは、どこかへ行ってしまっていた。



―――


私の運命を変えた日。


暗くなった収録スタジオで、独り考えていた。


たまたま共演した名も知らないアイドル。どうしてあそこまで笑顔でいられるのか、分からなかった。


私だって作り笑いなら得意だ。誰にも負けるわけがない。何年も何年も笑顔を貼り付けてきた。


……あのアイドルたちは、作り笑いだったのだろうか。



私には、あんな笑顔はできなかった。


あんな本当の笑い方、とうに忘れていた。


もう、無理かな。


いい加減私にも消費期限が来る頃。むしろ、こんな小娘がよく10年も芸能界に身を置けたものだ。


潔く荷物をまとめて実家に帰ろうか。お母さんもお父さんも、なんて言うだろう。


おかえり、って言ってくれるかな。


それとも今さら帰ってきたのか、って呆れるかな。


……なんでもいい。どうせ私にはもう、なにも残ってない。


いや。残ったのは、後悔か。


私はなにがしたかったの?


なんのために、誰のためにお仕事を頑張ってたんだっけ?


思い出せない。


遠い過去の記憶は、煩雑で慈悲のない現実によって掠れ切ってしまった。


記憶の欠片を拾い集めるには、遅すぎた。もう取り戻せないんだ。



そう思って、すべてを諦めようとした……そのときだった。



「えっと、少しいいですか……?」



――スーツ姿の彼の、遠慮がちな声は……今も覚えている。


―――


――改札を通り駅を出て、てくてくと夜道を歩く。


ひと気もなく、いつもなら頼りない街灯がちらちらと照らすだけの静かな道。


でも今日は、月と星が輝いて明るかった。


雲ひとつない黒に浮かぶ、まあるい月。


それはまるで、体を熱く照らすスポットライト。


きらきらと視界いっぱいに踊る、無数の星。


それはまるで、リズムに合わせて揺れるペンライト。


ステージの上かと見紛う、綺麗な夜空だった。


歩道橋を渡る。もうすぐお家。


より一層夜空に近づけた気がして、ふと橋の途中で足を止めた。


大きな大きな満月。手を伸ばしてかざしてみた。


背伸びしたらなんだか、届きそうな。そんな気持ちになれたから。


月明かりを掴むように拳を握り、そのまま胸に当てる。


そして、出会って間もなかった頃の彼に言われたことを思い出す。



――岡崎さん。……君が歩んできたみちは、なにも間違ってない。決して忘れないでくれ。



思い出して、涙が滲む。月が歪む。


その言葉が、私の胸に……再び命の火を灯してくれた。


「――小さな、光を。胸に抱いて……」


震える声で、今日のワンフレーズを歌う。


そうだ。


ちらばった星屑たちから、私を拾い上げてくれた。別の星に出会わせてくれた。


振り向けば、たくさんのつぼみが美しく花開いていた。私が気づかなかっただけ。


昔から応援してくれていた人たち。今の私を応援してくれる人たち。


みんなみんな、ひとつひとつが綺麗な花だった。


色とりどりの花畑は、まだまだ数を増やしていく。


今日もまたひとつ。


きっと明日も、またひとつ。


そうやって、私は……私たちは、夢を現実に描いていく。


この先もずっと。


歪んだ月は元通り。変わらず私を照らしてくれている。


こんなにくっきりと見えるんだから、明日はきっと快晴でしょう。


明日の青空に思いを馳せて、足取り軽く歩きだす。



月も笑ってくれている気がした。



―――

――


――朝。


思った通りの快晴。窓を開けて、爽やかな風を肌で感じる。



「いい天気」



大きく伸びをして、深呼吸。さぁ、今日もまた楽しい1日にしよう。


壁に掛けてあるコルクボードに目をやり、さっそく印刷して飾った昨日の写真を見て。


いつの間にか3人の物であふれてる部屋を見渡し、一声。



「――いってきますっ」


朝ご飯は、あの子が好きなファストフード。


朝が苦手なあの子を待って、3人で。



当たり前になってきた日々。今度こそ忘れないようにしなきゃ。


私は、大切な『君』を笑顔にするために、アイドルになったんだって。



今まで出会った『君』。

これから出会う『君』。

隣に並び、競い合い高め合う『君』。

いつも優しく見守ってくれる『君』。



私を愛してくれる、すべての『君』のために。



だから、今日も。



『君』と一緒に。



――この青空へ、希望の種を!



おわり

というお話だったのさ

「歩いてきた時〈みち〉忘れないように」、「昔の私……間違いじゃなかった……」
「つぼみ」に対する「イノセントブルーム」
これらが偶然じゃないと願って

北条加蓮「昔の私へ、贈る言葉」
北条加蓮「昔の私へ、贈る言葉」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1462489569/)
加蓮編に続いて泰葉編でした

ラスト、李衣菜編頑張る
総選挙締め切りまでに間に合ったらいいなぁ

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