理樹「欲望という名の電車の座席」 (20)

理樹(僕らリトルバスターズの5人は電車の中で疲れ果てていた。久々に初期メンバーだけで街へ行ったのでつい子供の時の無邪気さを思い出してしまったのだ)

理樹(それはそれで楽しかったが身体の方は昔とは違う。無限に溢れ出るガソリンのような元気はもう残っていなかった)

真人「はぁぁ……もう走れねえ…眠い…」

謙吾「とはいえ学校はまだここから30分はあるぞ…座る席があればそのまま少し仮眠を取れただろうが…」

理樹(謙吾は歯切れが悪そうに言葉を中断した。それもそのはず、今この車両の中で座れそうなスペースは絶妙にも僕らの目の前にある一人分しか残されていなかったからだ)

恭介「………………」

鈴「ふああぁ……」

理樹(おそらく全員の疲労は限界まで達しているだろう。誰もがこの30分の間ただ突っ立っているままだなんて考えられないはず。しかしこの状況から抜け出せるチケットは1枚だけ。他の4人は必ず譲らなければならない)

理樹(今、10年来の友情が試されようとしている)

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理樹(そもそも席を獲得するには条件が悪かった。というのも座席の両隣の人間がどちらも曲者だったからだ)

「~~♪」

「zzz……」

理樹(元々そのまま座れるほど広くはなく、周りの2人に自分から詰めてもらわないとスムーズに座れないのだが一方は寝ていて、もう一方はゲームに集中している。どちらもこちらからコンタクトを取らない限り気付いてはくれなさそうだ)

理樹(どさくさに紛れて座ろうとしてもわざわざ恥を忍んで話しかけるというアクションを挟まないといけないので残りの4人から反感を買ってしまうのは火を見るよりも明らかだ)

「「「「………………」」」」

理樹(そして全員がシートに視線を落としているということはおそらくみんな同じ事を考えているんだろう)

鈴「ん?誰も座らないならあたしが座るぞ」

理樹(張り詰めた緊張感の中、鈴がこちら側を一瞥して言った。そういえば鈴はこういう空気は読めないタイプだった)

理樹「あっ、ちょっと待って!」

理樹(半ば無意識に鈴の両肩を掴んだ。後ろ髪はいい匂いがしたがそんな事今はどうだって良かった。他の機会であればドキッとしたかもしれないが本当にどうでもいい)

鈴「なんだ。どーかしたのか?」

理樹「あ……えーと、その……」

理樹(天国に登る蜘蛛の糸が切れかけたのを止めたはいいが後の事を考えていなかった)

鈴「用がないなら座らせてくれ…あたしももう眠い……」

理樹(ふわわとあくびをする鈴。今にも肩に掴まれた手は振りほどかれようとしている。くそっ、もうダメか……!)

恭介「鈴。そんなに退屈だというなら仕方がない。特別に『世界の子猫大集合だにゃん!2』を今読むことを許可してもいい」

理樹(希望の助け舟が来た。恭介は僕に向かって小さくウインクをした。きっと昨日の敵は明日の友。今は共同戦線を張るべきだと判断したのだろう)

理樹(鈴は嬉々として背負ってあったリュックからまだビニールも破っていない写真集を取り出した。いつもならお行儀が悪いので帰るまでは見てはいけないルールだったが、たった今その薄い透明の皮と共に破られる時が来た)

鈴「ねこねこ……♪」

理樹(それで眠気と疲れが吹っ飛んだのか鈴は座席の隣で壁にもたれて本を眺め出した。とりあえず目的の駅に着くまで鈴が敵になる事はないだろう。恭介と僕は心の中で握手を交わした)

ガタンガタン…………




理樹(かといって最初より状況が良くなったかと言われるとNOとしか言えない。昨日の敵が明日の友でも明後日にはまた敵に戻るのだ。なにかで残る3人を出し抜き、自分が優位に立たなければ!)

謙吾「どうしたお前ら?そこに座らないのか?」

理樹「は?」

理樹(……………何を、言っているんだ?)

謙吾「だからお前らは座らないのかと訊いたんだ。一人分しかなさそうだが」

理樹(気でも狂ったのか謙吾は。そんな自分からチャンスを棒に振るような台詞は正に自殺行為じゃないか!)

理樹(もしかして謙吾は本気で自分は遠慮して僕らに席を開け渡そうと?いいや、あり得るはずがない。先ほど鈴が座ろうとした時に見せた焦りの表情は本物だったはずだ。なら何故………)

理樹「………………!!」

理樹(そうか、考えたな謙吾!そういう事だったのか!)

理樹(謙吾の言った『座らないのか?』という誘惑。よく考えてみればこんな提案乗れるはずがない。仮に謙吾と2人きりだったなら座ることもできただろう。しかし今は3人いる。結局は誰かが他の2人をどかして座る図太さが必要となる。だがこのゲームが成立している時点でそんな皮の厚い人間は存在しない。出来るはずがない!)

理樹(だがこの質問を回した後は別だ。謙吾は大方そうして全員が断った後『そうか?じゃあ誰も座らないならせっかくだし俺が使わせてもらおうか』なんて言うに違いない。それならば合法的に1人だけ座るライセンスを手にすることが出来る)

理樹(実に巧妙に考えられた作戦だ。もはやこれまでか……そう思った時、真人が言った)

真人「いやーまあ鈴でさえ立ってるんだしなあ」

謙吾「!!」

理樹(それは最高の、たった一つの残された活路だった)

あたぼうよ!再開

理樹(『鈴でさえ立っているから』これはシートと謙吾の間に大きな壁を作り出した。鈴本人は会話より本に夢中だったおかげで座って本を読むという考えは起きていない。それより重要なのは男としてのプライドを人一倍持つ謙吾の抑制に成功した事だ。謙吾の性格を利用した上手い一言。この時ばかりは真人の筋肉にキスしたくなった)

謙吾「ぐ………そ、そうだな…」

理樹(これでまたスタート地点に戻った。僕もそろそろのんびりしていられない。ここは何としてでも絶妙に座れる方法を思いつかなくては!)

真人「ええっと………」

理樹「………………?」

理樹(真人が何やらポケットを弄っている。急にどうしたんだろう?)

真人「…………っし」

理樹(目当てのものを見つけたのかポケットの中の手がゆっくり引き上げられた。だがピンセットで指の棘を抜くかの如く慎重に取り出された”それ”は何の変哲もない糸くずだった)

理樹(注意して観察して損した。そんな感想は次の瞬間
すぐに覆されることとなった)

真人「………………」

パラ……

「「「!!」」」

理樹(真人はその手に持った糸くずをゲームをしている方の乗客の頭に乗せてしまったのだ!)

理樹(勘のいい人ならこれから真人がする事が分かるだろうか?そう!乗せた糸くずをまた自分で拾ってしまうんだ!)

理樹(糸くずを乗せられることに気付かなくてもそれを拾う時にはいくら鈍感な人間でも流石に違和感を感じる。そして上を見上げれば筋肉隆々で人懐っこい笑みを浮かべた男がこう言うのだ『糸くずが頭に乗っかってたぜ!』その人は我にかえり自分の隣の席が空いていることに気付くだろう。そうなるともはや後は言わずもがな。無事に誰も不幸にならないマッチポンプは遂行されるのだ)

真人「おろろ?こんな所に糸くずが…」

スッ

理樹(そしてその作戦は今にも成功されようとしていた)

「ふんふふーん♪………ん?」

理樹「終わった……」

真人「よう、糸くずがついてたぜ!」

「あっ、どうも……っと、あっすいません」

理樹(男の人は席を空けるために身体を詰めるように移動した。真人はニヤリとその様子を見守る。まさかこの3人が真人にしてやられるなんて……いや、1人だけまだ戦いを諦めていない人がいた。謙吾だ)

謙吾「あーっ!そこの人!ゲームオーバーになってしまうぞ!」

理樹(オーバーな演技でさっきまでその人が熱中していたゲームを指摘した。どうやらその言葉は本人にとって莫大な効果を発したようだ)

「あっ!おっとと!」

理樹(真人に席を譲る台詞は最後まで言われる事はなかった。よっぽど大切な場面だったらしくその人はまたもやゲームの世界にのめり込んでいった)

真人「あ、あぁ……」

謙吾「ふん……」

理樹(かくして真人の進撃はここで中断された)




理樹(それからしばらくの間こう着状態が続いた。あせればあせるほどいい案は出てこない。しかし早めにカタをつけないと他の3人がまた新たな策を思いつくだろう。ええい、なにが残っている?僕の手駒に?ナルコレプシー?僕の欲望の根源?これを総動員して僕は座れるのか?なにをすれば!?)

理樹「!」

理樹(そうか、今分かったぞ!僕がやるべき最大限の行動が!)

理樹「すぅ………」

理樹「………………」

理樹「………………ぐぅ……」

理樹「………………あっ、今寝てたかも…」

真人・謙吾「「!」」

理樹(これだ!寝かけたふり!他の余裕を持ったような行動をしてしまった2人には出来ない力尽きた演技!一番体力のなさそうな僕には出来る見え見えの嘘!)

理樹「…………うぐぅ……あうぅ……がお」

理樹(時折首をかくんと後ろに傾け、その後素早く元に戻る仕草を2回して本気で眠たそうな動作を繰り返す!)

謙吾「くぅ……っ!」

理樹(多分みんなこれが演技だと薄々気付いているはずだ。しかしそれを疑う事は出来やしないだろう。優しい彼らはそれでも僕のことを気遣わなければなるまい!そして遂には自分達からこう言うのだ『理樹、そんなに眠たいなら席で座るといい。着いたら起こしてやる』)

理樹「ぐー……あっ、また寝そうだった……えへへ…」

理樹(ふはははは!!遂に、遂に、遂に!仕留めたぞ!さあ早く敗北を宣言するんだ!これが無視出来る程付き合いが短いわけでもないだろう!)

真人「り、理樹……よ、良かったら席に座……」

恭介「理樹、来ヶ谷のおっぱいと太ももならどっちがいい?」

理樹(なっ!?)

理樹「な、なにを言い出すのさ恭介!?」

理樹(…………あっ!しまった!)

恭介「はっはっはっ!いや、単に眠気覚ましに言ってみただけだ。その様子だとまだまだ元気そうだな」

理樹(やられた……!!古典的な誘導に引っかかった!確かにこれなら『僕』のために僕を妨害出来る!)

理樹「ひ、卑怯だよ恭介!」

恭介「ふっ……」

理樹(恭介は不敵に笑った。それは僕の攻撃を交わしたと同時に新たな策を思いついた笑みだった)

理樹(そう言えばさっきからおかしいぞ…恭介はこういうことについて誰よりも早く機転が利く人のはず。僕らの攻撃に対して華麗に防衛手段を次々と用意してきたのがその証拠。何故何もしない……?)

恭介「ぐっ…………!」

理樹(その恭介がうめき声を上げた。その顔は本当に苦しそうだ)

サスサス

恭介「うっ…!?」

理樹(そしてお腹の方を摩り驚愕の顔でその手を見た。………紅く染まっている。血だ)

恭介「なんじゃこりゃあ!?」

理樹「き…恭介!?」

真人「おいおい嘘だろ!?なにがあった!!」

鈴「どうした?」

「う、うわぁ!」

「キャー!?だ、誰か!あそこの子が血を流してるわ!」

理樹(恭介の腹から血が流れ始めてきた。その真っ白なシャツが赤色で侵食していくように車内に不安の波が押し寄せる)

謙吾「どこで怪我した!?」

恭介「わ、分からない……」

「とりあえず席を使いなさい!」

恭介「あ、ああ……どうも……」

理樹(ヨロヨロと座席に向かう恭介。写真を撮ったり興奮気味に隣の人と話し合う乗客達。そんな中、彼は僕だけにしか見えないような角度でなんと……笑って見せたのだ)

恭介「だ…だめだ…まだ笑うな。こらえろ……」

理樹(感心してしまった。それと同時にこの人には絶対勝てないと確信した。彼は豪快に座る手段を編み出したのだ。しかし解せない…一体どこであの血を?……いや、そうか!あの時に……)


2時間前

恭介『おっ、こんなところにパーティー用グッズが置いてあるぜ』

理樹『でもどれもこれも変なものばかりだね…』

恭介『そうでもないぜ?この血糊とかは使えそうだ』

理樹『それも変なものの一つだよ!』


理樹(あの時既にこうなることを予見していたのか!い、いいや、それは流石の恭介でも不可能だ……そうか、だから時間がかかったのか!きっと僕らが死に物狂いで座席に座る方法を考えていた中、ひとり気付かれないよう準備していたに違いない!)

恭介「ぐふっ………」

鈴「恭介!」

理樹(苦しそうな顔をするものの眉をピクピクさせて今にも笑いそうな恭介とは逆に他の人(僕を除いて)は心底心配そうにしている)

恭介「勝ったぞ……!」ボソッ







恭介「……………………」

理樹(数分後、恭介の顔は本当に険しくなった)

駅員「さあ皆さん離れて!とにかく座席に寝かせます!」

「今救急車を呼びました!それまでなんとか頑張ってください!!」

「おい!この中で誰か医者はいないのかー!?」

『まもなく○○駅に到着しますが、現在電車内にてトラブルが起きたためしばらく停車する場合がございます。ご協力をお願いいたします』

理樹(恭介の演技は大事になり過ぎてしまった。吐血程度で止めておけばいいものを大袈裟な傷にしてしまったためにこんな事になってしまった。しかも次は僕らが降りるべき駅なので大した恩恵も受けられなかった)

鈴「り、理樹……」

理樹(ギュッと心配そうに僕の手を掴む鈴)

理樹「大丈夫。大丈夫だよ鈴…」

「医者ならここにいるぞ!患者はどこだ!?」

『ドアが開きます。ご注意下さい』

ワイワイガヤガヤ

恭介「うう……くそっ…」

真人「どうした恭介!」

謙吾「なにか言いたいことがあるのか!?」

恭介「に……」

鈴「に…?」

恭介「逃げろぉおおおおお!!」

理樹「ええぇーーーっ!!」

……………………………………………………




……………………………










食堂

理樹「………で、結局捕まったって訳」

葉留佳「いやー全くもってアホですナ…」

クド「わふー…だから恭介さんは反省文を書いてるって訳なんですね……」

小毬「とっても可哀そうなのです…1枚くらい手伝おうかな……」

西園「ダメですよ小毬さん。それは恭介さんの為になりませんから」

来ヶ谷「やれやれ、素直に欲望を吐き出せばいいというのに男というのはどうも面倒臭い生き物だ」



恭介「ちくしょう!1日で50枚書き上げろなんてあんまりだーー!!」





チャンチャン♪

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