浅利七海「ヒトデとコーヒー」 (83)

*地の文で書いてます
*長め

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俺のクラスにはおかしな奴がいる。


いや、まぁ顔は割りとカワイイっつうかマシなんだけども…とにかくおかしな奴だ。



学校に釣りの道具持ってきて怒られたり、授業中に魚の図鑑を読んでて没収されたり、理科の授業で魚類に関する薀蓄を延々披露して呆れられたり…

そういえばつい先週、朝釣りに行った格好で登校して来て教室で着替えてた事もあったっけ。


とにかくそいつはおかしな奴だ。そう、例えば…




???「~♪」


教師「来週から夏休みに入るが、宿題も部活もたっぷりある。中学生らしい行動を………浅利…お前話聞いてるか?」


七海「~♪あ、聞いてるれすよ~」



先生が話してる最中に鼻歌を口ずさむ程度には。

こいつの名前は「浅利七海」。

前述のような奇行の数々やその見た目からこの学校には知らない者がいないほど有名人だったが、コイツの知名度にはもう一つ別の理由がある。




教師「浅利…お前はアイドル活動もあるからって、大目に見たりはしないからな?」

七海「七海はいい子なので大丈夫れすよ~」



アイドルとして芸能事務所に所属しているらしい。

しかも所属しているのは高垣楓とかがいる346プロ。田舎の中学生でも知ってる超有名プロダクションだ。

とは言え、テレビに出たりするような目立った活動が見られないため、誰もが半信半疑に思っているのが実情である。

そりゃそうだろ、クラスの問題児にいきなり「アイドルになりました」なんて言われても、実感なんて沸くはずも無い。

特に一部の女子からは「目立とうとして嘘をついてるナマイキ女」くらいに思われているくらいだし。

事実、先生に注意されてもケロっとしている浅利をみるクラスメイトの視線は、呆れと嘲りに満ちていた。



七海「鰆鰆鰆~鰆~をーたべーると~♪」



まあ当人は全く意に介していないようだけど。

って言うか、お前昨日はコハダって言ってたじゃねえか。日替わり定食かっつーの。

いつもの事だけどさ。

教師「こら、俺。ぼんやりしてるがお前にも言ってるからな」



そしてこの流れもいつもの事。

俺の席は前から3番目で浅利七海は2つ後ろの最後列。何かと目立ってしまうアイツのせいで、近くに座る俺まで先生に絡まれる事は日常茶飯事なのだ。



俺「え?先生、なんすかマジでー。俺超マジメっすよ?傷つくわー」



俺はおどけて返答すると、クラスのあちこちから小さな笑いが起こった。

仲の良いクラスメート達の「嘘つけやwwww」的なツッコミを受けつつ、俺はとぼけた顔をして笑いをとる。

何だかんだおいしいポジションではあるのだ。



七海「~♪」



やっぱりアイツは気にも留めないみたいだけど。







1週間後。中学2年生の夏休みが始まった。

とは言っても浮かれてばかりはいられない。初日から部活の予定がびっしりとあるし、宿題もどっさり出されている。

年に一度しかない夏休みをエンジョイするためにも、宿題という大敵をまず倒すのが先決である。

だがしかし、今日は戦いの雰囲気ではない。やる気の無いときには何をやっても無駄なのだから、今日は出かけるとしよう。

俺は甘ったるいカフェオレを飲み干し、釣り道具一式を持って玄関へと腰掛けた。



俺「お母さ~ん、釣り行ってくるわ」



奥の方から「またぁ?」と怪訝な声が聞こえるが、その問いに答える事無くさっさと靴紐を結び「いってきます」とだけ言って玄関を出た。

何を隠そう俺の趣味は釣りである。地味な趣味だが娯楽の少ない田舎では貴重な楽しみの一つだ。

とは言っても普段釣りの話を全くしないため、その事を知る人は少ない。
だって仕方ないだろう、うちのクラスでは「釣り・魚=浅利七海」であるため、下手に釣りの話をすると「釣りの話れすか~」と浅利が絡んできた挙句に、周りから囃し立てられるのがオチである。

実際何人かの被害者を見ているので、いわば釣りは秘密の趣味なのだ。

俺は自宅近くの空き地に自転車を停めて、荷物を片手に藪の中を歩き出した。人の進行を阻むように生えた草や枝を掻き分けながら、どんどん藪の奥の方へと進んでいく。


秘密の趣味には秘密の場所が必要だ。そしてその場所はこの藪の向こうにある。

けたたましい程の虫の声を聞きながら進んでいくと、視界がぱっと開けて誰もいない岩場が見えてきた。

短い髪の隙間を涼しい潮風が抜けていく。

狭くて険しい岩だらけの場所、ここが俺の秘密の漁場だ。


地元民でも殆ど知らないような秘密の場所。誰にも知られず釣りに集中できる秘密の…



俺「ん?」



小さな人影が見える。

腰まで届くほどの長い髪。明るい緑のジャケットに頭には帽子。ちょいちょいと竿を動かしながらじっと海面を見つめている。

過去この場所で何度か他の人を見かけた事があるが、たどり着くのに手間のかかるこの場所に何度も通うような物好きは俺しかいなかった…それに、その人影は今まで出会ったその誰とも違うようだった。



子供…?それにしては装備がしっかりしすぎているし…あれってまさか…




七海「おぉっ!きたきたっ!大物~♪」



ビンゴ。最悪だ。

何であいつがここに…俺の記憶じゃアイツの家って学区の反対側だよな…

七海「~♪」



うぅ…仕方ない…今日はこのまま引き返すしか…

そう思い、俺は踵を返した。


ガツッ


俺「いってぇ!?」

七海「!?」ビクゥッ



振り向いた瞬間、目の前にあった枝が目に当たり、自分でも驚くほどの大声を出してしまった。

という事は当然



七海「なっ…なんれすか?………………あれ?俺くん…?」



ヤバイ。どうしよう…

逃げるか…?いや、クラスの女子に出会って逃げ出すとかダサすぎるし…
しかしここで話しかけて釣り好きだとバレると面倒だし…

どうする…

七海「大丈夫れすかぁ…?目…痛い?」



そうこうしているうちに、いつの間にか浅利が近づいて来ている。大物片手に。



七海「えっと…痛いなら病院行ったほうが…」ピッチピッチ

俺「大した事ねえよ。それよりめっちゃ水はねてんだけど」

七海「へ?あ、これれすかぁ?そうなんれす~大物れすよぉ♪」


いやそういうことじゃねぇよ。と言いたかったが呆れてしまって言いそびれてしまった。
顔を覗き込まれた時はちょっとばかしドキッとしたが、あっという間に冷静になる。

心配するなら最後まで心配しろよ。大物片手にニコニコしてる場合か。


ピッチピッチ

ピチャッ



俺「ぬほぉっ!?海水!?海水が無事なほうの目に!?」

七海「あわわわ、とりあえず病院にぃ~」

俺「いいからソレしまえ!!バカッ!」






~数分後~



俺「……なんでここにいんの?」

七海「はい?七海はお魚さんのいるところにはどこにでも現れますよ~」


そうだよな。コイツはそういう奴だったわ…


七海「ところで…」

俺「?」

七海「好きなんれすかぁ?釣り」

俺「…」



まぁそうなるよな。

俺「ぁ…いや別に…好きってわけじゃ……」

七海「…」ジーッ

俺「………毎週する程度には…」

七海「!」パアァァッ



あーあ、言っちゃったよ。見てよこのクッソ眩しい浅利の顔。


七海「釣り仲間なのれす~!今日は何狙いれすか!?」フンスッ


やっちまったかも知れん…









俺「…」

七海「~♪」ニコニコ


で、結局一緒に釣りをすることになった。

七海「あ、ダメれすよ~もっとこうクイッっと緩急をつけないと~」

俺「ぇ…あ、あぁ…」


さっきからこんな感じで細々と指導されっ放しである。
はぁ…のんびり釣りを楽しむはずが…厄日だ。


七海「おぉ、よっ…っとぉ、ちょっと小ぶりれすねぇ」


カチャカチャ

パタン


俺「持ってくの?海に戻しゃいいじゃん」

七海「ふふふー、釣った魚はシメるか餌をやるかれすよぉ~」



相変わらず変な奴だな…

クイックイッ



俺「おお!?きたきたきたきたぁ!」


突然の引きに大声が出てしまったが、興奮と混乱でそれを恥じる余裕はなかった。
今まで経験したことのないような、とんでもないパワーで釣竿が海に引きずりこまれそうになる。


俺「おわわわっ!?」

七海「タモは任せるれすよ~!」


そういって浅利が駆け寄ってくるが、音が聞こえるだけでそちらに気を配る余裕は無い。


俺「(やべえ、竿持ってかれそうだ…!)」



釣竿がこれでもかとしなり右へ左へ引っ張られる。手に汗をじっとりとかき、リールを巻くどころか離さないようにするだけで手一杯だ。

すると突然真横から白魚のような手が伸びてくる。


七海「竿は持ってるから早く引いてー!」

潮の香りに甘い匂いが混じり、俺は体を寄せる浅利の方を見る。
自分よりふた周りは小さい浅利の体から伸びるその腕は思っていたより白くて華奢だが、その眼差しはふた周りも大きく見えた。
男の小さな意地として、女に手伝ってもらっといて諦めるわけにはいかない。
俺は力いっぱい竿を引いた。


俺「くっそ!…こんのおおおお!!」

七海「がんばってー!」



ぶつん



俺「おわっ!?」

七海「はわあ!?」



糸が切れる音と同時に、俺たちは弾けるように後ろに倒れる。

ドスンと俺が尻餅をつく音に続いて、ゴッと七海の頭が俺の胸骨に激突する音が響いた。



俺「ゴホッ!?」

七海「あぅぅ~…」


女の子に乗られるという漫画みたいな展開なのに全然嬉しくない。むしろ苦しい。ズキズキする。

七海「うぅ~…大物がぁ」


浅利は俺の胸に顔をうずめたまま悔しがっていて動こうとしない。

そこはかとなく柔らかいものが当たっている気もするが、痛みと重みの方が深刻でそれどころではない。

て言うかまず謝れよ…
やっぱり今日は厄日だったんじゃないだろうか…







結局その後も何の釣果もないまま、家路に着くことになった。

七海「ごめんれす…七海が付いていながら…」

俺「いや別にお前のせいじゃ…」


浅利はよほど自分に自信があるようで、今日の有様に責任を感じているらしい。
乗ってきた自転車を押しながら、深くため息をつきうな垂れている。
しょぼくれた顔が妙な可愛らしさをかもし出し、俺はしばらくその横顔を見つめていた。

こうして見ると案外浅利も普通の可愛い女の子なのかも知れない。


七海「まさか俺くんがあんなに下手っぴなんて…」

俺「お前嫌な奴だな」


前言撤回。やっぱり変な奴だ。


七海「大丈夫れす!何事も練習あるのみれすよ~!」


そう言って俺の顔を覗き込む浅利の瞳は、学校では見たことも無いほどキラキラしていた。


七海「今底辺ということはこれからの上がり目もいっぱいれす!」


俺の心はイライラだけどな。

七海「俺くん、次はいつ頃来ます?」

俺「は?」


思わぬ問いに素っ頓狂な声が出る。

それを聞いてどうする気だ?
いや、話の流れからしてこれは…


七海「七海がみっちり教えてやるれす♪」


ですよねー

確かに七海の釣りのテクニックはすごいものがあるし、教わりたい気持ちもある。
しかし…女と二人で、しかもあの浅利七海と一緒にいるというのはかなりリスキーだ。
俺の平和で楽しい学校生活が終わりを告げる可能性がある。いやほぼ間違いなく終わる。


七海「(じーっ)」


浅利が海より輝くような大きな目で俺を見ている。

どうしよ…平和な学校生活か……マンガみたいなハプ…じゃなくて技術の向上か……

俺「あー…その…なんだ。ほら、俺部活あるし、忙しいからあんまり来れないって言うか…浅利も忙しいっしょ。アイドルとかさ」


結局、お断りを察してもらうというダサい方法に出てしまった。



七海「んーっ、確かにそうれすけろ。いつも忙しい訳じゃないれすし~♪」



やけに食い下がるな…そんなに人に教えたいのかコイツは…


七海「嫌れした…?」


浅利が露骨にがっかりした声を出す。
なんだこの女、なんでそんな顔でこっち見るんだよ。上目遣いやめろよ、俺が悪者みたいじゃねーか

俺「あー…じゃあ、たまたま会ったら教わる程度でいいよ…うん」


で、あやふやな答えを返してしまった。今の俺はおそらく日本一ダサい男だ。
そんな俺の心情を知って知らずか、浅利の顔は水平線の向こうで真っ赤になって沈む太陽を逆に照らさんばかりの明るさになっていた。


七海「はい!ばったり会ったらみっちりこってり絞り上げるれすよ~」

俺「なんだよそれ…」

七海「釣りの話れすよ?」

俺「そうだよ!?」


そんな訳で俺の夏休みは騒がしく幕を開けた。







結局、夏休みも半ばに差し掛かる頃にはしっかりばっちり七海の弟子になっていた。
最初こそ浅利がいなさそうな時間に釣りをしに行っていた俺だったが、幸か不幸か何度も出くわしその度に口うるさく指導を受けた。


七海「そんなんじゃ女の子だって釣れないれすよ~」

俺「うるせえ!」



なまじ指摘自体は的確なので、合間合間の罵倒に反撃するしかなかった。

その甲斐あってか釣りの腕はメキメキと上達していき、調子がいい時はタメを張れる程度になっていった。



俺「あれれ~調子悪いんじゃないっすかぁ?七海ちゃ~ん?」

七海「ぐぬぬ~…雑魚に煽られてるのれす~」



夏休みも半分を過ぎた頃には、お互いに世間話をする程度には仲良くなっていた。




俺「なぁ…やっぱり高垣楓ってヤバイ?」

七海「俺くんの今の顔の方がヤバイれすよぉ?」

俺「いいじゃねえか別にー、七海と同じ事務所だしなんか裏話聞かせてよ」

七海「七海はプロですからそんな事は言わないのれすぅ~」




俺「おう、ジュースおごってやるよ」

七海「ホント!?おっごり~♪おっごり~♪……えいっ」ピッ

俺「あ!?お前何ペットボトル買ってんだよ、少しは遠慮しろよ!」

七海「缶だけなんて言われなかったれすも~ん……ゴクゴク…ぷはぁ」

俺「クソ…じゃあ俺は………………………これ……いや、こっち」ピッ

七海「缶コーヒーれすかぁ?おっとな~♪」

俺「お前と違って大人だからな」ゴクッ

俺「(にがっ……やっぱカッコつけて微糖にするんじゃなかった…)」

七海「七海のコレ、飲みます?」ニヤニヤ

俺「いらねぇ!」



こんな感じでいつしか他のクラスメイトと同じ様に接するようになったが、七海と出会うのは相変わらずあの岩場でだけだった。

俺「じゃ」

七海「はい~気をつけて帰るれすよぉ~」ヒラヒラ


西日が真横から照りつけ水平線と太陽が交わる頃、俺たちはいつも通りの帰路に着いた。
夕方まで釣りをして日が沈んだら解散。それがいつもの流れである。
共通の話題はほぼ釣りだけで、それ以上の事はお互いにほとんど触れることがない。

それ以上?それ以上ってなんだろう。ただ俺は釣りが上達したいだろ。うん。

ぼんやりしてる間にあっという間に家の玄関にいた。
俺は「ただいま」と短く言うと自室に荷物を放り投げシャワーを浴びることする。

今日もアホみたいなピーカン照りで汗びっしょりだからな、さっさとシャワーで流しちまおう。

シャワーの蛇口を捻ると冷水が飛び出し心臓がドキッとした。
しかし日焼けでピリッとする肌にはちょうどいい位の水温でもある。

そう言えば七海は「アイドルに日焼けは大敵」っていっていっつも長袖だったっけ。今日みたいな日はクソ暑いだろうけど大丈夫なのか?

ピリピリと沁みる日焼け跡を眺めていたら、意外なところに小さな痛みを見つけた。
胸の中央、Tシャツを着ていて完全に隠れていたはずの部分から微かな痛みを感じる。
夏休みの初日、七海に頭突きされた場所だ。

あの後、しばらくは痣になっていたが今はもう殆ど見えず、小さな痛みだけがそこに残っている。

結構勢いよくにぶつかったしな…アイツの髪留めもゴツかったし

あの日の痛みを思い出しつつ痛む場所を触ってみる。
特に腫れてはいないが確かに痛みはあった。


ああ、今思えば圧し掛かられた時の七海の体って思ってた以上に華奢で柔らかかったなぁ、なんてつまらない事を思い出しながら頭を洗い流す。


アイツも今頃風呂入ってんのかな。


もう一度頭から水を流し鏡を見る。

日に焼けた赤ら顔が間抜けを晒していた。








夏休みも後十日ほどになった頃、俺は七海にある質問をぶつけた。


俺「お前ってさ、クラスの連中の事どう思ってんの?」

七海「え?」


その日もいつも通り釣りをしながら雑談をしていた。
部活がキツかった話とか、来週の花火大会に友達と行く話とか
そんな何気ない雑談の中で宿題の話になり「めんどくせえな」「学校行きたくねえな」なんてボヤいているうちに、口を突いてでてしまった。

冷静に考えるまでもなく、マズイ、地雷を踏み抜いた。そう思った。

だってそうだろう。クラスで浮いてる、もっと言えば腫れ物のように扱われている奴にクラスの事なんて聞いたらどうなるかなんて日を見るより明らかだ。

俺はしまった、と思い誤魔化すための話題を必死に考えたが、それより先に七海が口を開いた。





七海「…ヒトデれすね」


俺「………は?」



七海の答えは意外ですらない、意味不明なものだった。

ヒトデ…?人手じゃないだろうし…ヒトデってヒトデだよな…

七海が何を言いたいのか全くわからない。

七海「俺くん、ヒトデが何を食べるかしってますか?」


俺「え?確か…」



動きが緩慢なヒトデの主食っていやあ、死んだ魚とあとは…

すると突然、竿が強い力で海に引き寄せられる。


俺「おわわっ!?」

考え事で手の力が抜けていたせいで、すっぽ抜けるところだった。
この引きは夏休み初日のアイツほどではないがかなりの大物だ。

今度こそ釣り上げてみせる!

と意気込んで力を込めるもそれは空振りに終わり、スッと竿を引く力が消える。
これはと思いリールを巻いてみると案の定糸は切れていた。

本当に下手だな俺は。

そんな自嘲込めて「またやられたわ」と笑って七海の方を向く、彼女は笑って「下手れすね~」と笑っているが、その顔にあの輝きはなかった。





翌週、友達数人と花火大会に行ってきた。
別に花火が好きとかそういうのではなかったが、どうせ家にいても宿題しろとかなんとか言われてうるさいだけだし、友達と集まる口実にちょうどいい。ほとんどそんな感じだ。

そして地元の小さな花火大会の帰り道、友人のひとりの口から七海の名前が出た。


友人A「そういえばさ、俺んちってアサリの家の近くじゃん?最近よくアイツとすれ違うんだよ」

友人B「マジで?それあれだよ、ぜってー運命だよw」

友人A「やめろよwwwそんな磯くせえ運命なら俺死ぬわwwwwwww」



久しく他人の口からその名前を聞いていなかったせいか、少しドキッとしてしまう。

自分でも予想外の感情に戸惑いつつも、それを悟られまい作り笑顔を浮かべて一緒に笑ってみる。



友人C「やべーなお前wwwていうかアイツ、いっつも釣りしてるらしーじゃん。ホントにアイドルやってんの?」

俺「一応クラスの女子がネットで調べたら、なんかイベントの写真とか出てきたらしいけど…」

友人C「マジかよ」

友人A「なー、やべーよなー。絶対裏口だよ、重役のおっさんとヤッて入ったんだよ」

友人B「ロリコン親父とヤッてまでアイドルになりたいか?」

友人A「おい止めろよ、想像しちゃったじゃんwww」

友人C「おぢさんのおちんちんおっきいれす~wwwwww」


男子中学生の下卑た笑いが暗い夜道に響き渡る。
街灯がところどころにしかないのでみんなの表情はハッキリ見えないが、みな一様に満面の笑みなのは間違いなさそうだった。

俺は胸に漂う確かな不快感を感じつつ、やはり笑顔を浮かべるだけだった。

その後一人、また一人とそれぞれの道へと別れていき、俺は一人になっていた。

胸にはあの不快感がまだ漂っている。

何で俺がこんな気持ちになるのか…そんな事を思いつつ、足を引きずるような気持ちで家路を歩く。

しばらくすると小さな十字路に出た。この道を左に曲がりまっすぐ行けば、あの岩場へ続く例の空き地の前だ。

俺は僅かの間思案し、特に目的もなく左へ曲がった。








例の空き地には5分程度で着いた。当然の如く空き地に人気はなく、藪の黒だけが静かに佇んでいる。

普段から慣れ親しんだ場所でも昼と夜でこんなにも違うのかと、感心してしまうほど空き地には不気味な空気が流れていた。

とは言え、別に今日は釣りに来たわけではない。ただ前を通りたくなった、それだけだ。

そう思い家へと向かおうとした俺の目の端に、何かキラリと光るものが見えた。

光がした方を向き、暗闇に目を凝らすと自転車が止まっているのが見える。

無駄に多く付けられた反射材や釣竿を立てるために増設されたホルダー、この夏何度も見たその形状を見間違うはずがない。

あれは浅利七海の愛車「漁火丸」だ。

ダサいダサいと酷評する俺にむくれっ面をしていた所有者の姿は近くにない。

釣りに来てパンクかなんかで置いていった可能性も無くはないが、アイツの家は学区の反対側だからそれは考えにくい。


俺は空き地の中へ入って行き、奥で待ち構える真っ黒な藪へと近づいていった。何度も通ったはずの獣道は暗く、スマホのライトで照らしながらでなければ足元すら見えない。

俺は高鳴る鼓動を感じつつ真っ暗な道を歩いた。

まさか、でも、なぜ。色んな言葉が心の中を飛び交っていくが、この目で確かめなければ。

そう思って俺は歩みを速める。この夏通いつめた道のりはこれまでで最も長く、そしてあっという間に終わりを告げた。



藪を抜けたすぐそこに答えが立っていた。

後姿だけでそれとわかる長い髪は潮風に揺られ、白い浴衣が月明かりに照らされて白く光っている。

ん?……浴衣…?

なんで浴衣なんだ?釣りには手を抜かないなんて言ってたアイツがお洒落して釣りに来るとは思えないし…


俺は恐る恐るという感じで、そこにただ立つ尽くす少女に話しかけた。


俺「よぉ…」

七海「!!?」


真後ろから話しかけたのが拙かった。七海は凄い勢いで振り向くと、まるで天敵から逃げる貝類のような動きで後ろに後ずさった。



七海「きゃあああああああああああああ!!!!?」

俺「バカバカバカッ!!??俺!俺だよ!!」


俺は慌てて駆け寄り七海の口を塞いだ。

波の音と背の高い藪のお陰で叫び声も民家まで聞こえないはずだが、そんな場所だからこそ万が一叫び声を聞かれたらヤバイ。俺の学校生活どころか人生が終わる可能性がある。



七海「むーっ!!むぐー!!!」


七海が精一杯の力で抵抗し、こぶしがドスドスと俺の胸を叩く。
俺は呼吸を邪魔されつつも「しーっ!しーっ!」と七海をなだめる。


あれ、これどっちにしてもアウトじゃね

そんな事を思った次の瞬間、下半身から衝撃が伝わる。
その衝撃は股間から脳天を突き抜け、俺の呼吸を詰まらせた。
揺れる視界の向こうで怯えきった七海の顔と、浴衣の隙間から上げられた白い脚が見える。

七海が懇親の力で股間に蹴りを入れたのである。

1秒も経たないうちに俺はへたりとうずくまり、亀のような姿勢で股間の痛みを堪えるしかなかった。

七海はと言うとさらに後ずさり、その拍子に蹴躓いていた。


七海「きゃうっ!」


ばしゃりと水音が聞こえる。どうやら結構深い水溜りにでも転んだらしい。

俺は痛みを堪えながらそちらに顔を向けると、七海も俺の方を向き今度はぽかんとした表情をしている。

七海「はれ…?俺くん……?」


俺は声を上げる事もできず、何度も頷いた。


七海「…は!?ごっ、ごめんなさい!七海、今蹴りを…」


七海は慌てて水溜りから立ち上がってこちらに駆けよってくる。
あたふたと手をバタつかせながら七海が俺の横へとしゃがみ込む。浴衣の隙間から魚要素の一切無いピンクの下着がちらりと見えているが、残念ながらこういう時に元気になるはずの俺の相棒は死の危機に瀕していた。


不能になったらどうしよう。そんな不安の抱え込みつつ、俺は奥歯をかみ締めていた。





数分後、やっと痛みが引いてきた。

七海は涙目のまま、股間を押さえる俺の横でしゃがみ込んでいる。

その腕には前も持ってきていた何とかって名前の魚のぬいぐるみが抱かれ、心配そうに俺のほうを見ていた。


七海「大丈夫れすか…?」


七海が心配そうな声を出す。正直まだ痛んだが、男としてここで泣き言は言いたくない。


俺「大丈夫…」


我ながら全然大丈夫そうに聞こえない返事だった。七海の顔は更に曇る。


七海「うぅ…こういう時はどうすれば……さする…?」

俺「馬鹿じゃねえの…」


ホントに反省してんのかな…

しばらく沈黙が続く。俺は股間の鈍痛に苛まれつつも七海に話しかけた。



俺「あのさ…なにやってんの?ここで、しかも浴衣でさ」



率直な問いかけに七海はやや困惑しているようだ。

その目は左右に泳ぎ、口は何度か喋ろうという動きを見せるが、言葉を発する前に閉じてしまう。

そんな動きをしばらく繰り返してから七海がやっと喋りだした。



七海「せっかくの花火大会だから見に行ってきなさいってお母さんに言われて…お祖母ちゃんもタンスから浴衣出してきたんれすけど……行きたくなくて…」



何だそれ、リストラされたサラリーマンが家族に打ち明けられず公園で時間を潰すアレか

大体その答えではどうしてこの場所を選んだかの説明にはならない。


俺「なんでここなんだよ」


俺は更に問い詰める。

七海はさっき以上に困ったような表情をして、ぬいぐるみに顔をうずめてしまった。

期待する成果を得られなかった俺も、七海から目を逸らして海のほうを見る。

今夜は風もほとんどなく、真っ黒な海が静かに揺れていた。



七海「俺くんはどうしてここに?」



やっと口を開いたと思ったら、質問に質問で返されてしまう。

俺からの問いには答えて無いのに。



俺「別に、何となく」


俺はそっけなく答える。本当にそれだけだ。

ただ何となく立ち寄りたかったんだ。



七海「そうれすか…」


彼女はまた視線を逸らし、海の方へと視線が移る。

七海「来週から学校れすね」



彼女がポツリとつぶやく



俺「ん?ああ…そうだな…」

七海「……学校なんて行きたくないれす…」

俺「俺も、宿題終わってねえし」

七海「まだ終わってないれすか?七海もうとっくに終わりました」



そう言って七海は静かに微笑む。言葉は上からなのに声は優しく、すぐ隣から聞こえる。



俺「何でそんなに早く終わるんだよ…」

七海「事務所のお姉さん方に教わったので~」

俺「うわ、ずりぃ…」

七海「ふっふっふ~」

俺「でもまぁお前の場合アイドル業が忙しいしな」

七海「そうですね、それに…」



七海がゆっくりこちらに向き直る。






七海「…いっぱいここに来たかったし」










俺は七海と目を合わせたまま固まってしまう。

彼女の表情は柔らかくも真剣で、真珠のような瞳はその輝きをゆらゆらと揺らしながら俺の瞳を真っ直ぐ見つめていた。

結局二人とも押し黙る。俺達の代わりをするように潮騒だけがざわめいていた。

海に面したこの町で釣りをするのに場所はそんなに困らない。それでもわざわざ学区の反対側からここに来る理由…



あの言葉の意味は…そういう事だろうか。しかし確証はない。これで俺の勘違いだったら死ぬほど恥かくだけだ。




俺は右手で自分の胸に手を当てる。

夏休みの初日、七海に頭突きを食らった場所にあの感触を探してみたが、今は何も感じない。

『俺もここに来たかったから、宿題ほっぽり出したてきた』


なんて軽く言うだけでも良かった。友達同士の会話のように軽い気持ちで笑い飛ばすだけで良かったはずなのに



俺「ふぅん…」



言葉でもなんでもない、気の抜けた返事が出た。

続いて押し寄せる後悔と情けなさの大波は容赦なく俺の心を飲み込み、すぐそこまで出掛かっていた次の言葉をさらっていってしまう。


再び沈黙。


重く気まずい空気に、先に音を上げたのは案の定俺の方だった。

俺「んじゃ…俺帰るわ」



なんて事はない、逃亡だ。怖気づいて、踏み込む度胸がなくて、ただこの場から逃げようとしてしまう。



七海「……七海も帰ります」



そして一緒に立ち上がる七海の方を見ることも出来ないまま、俺は藪の方まで歩き出した。

スマホを取り出しライトを起動させる、前後は闇に包まれ足元だけがハッキリ見えている。

がさがさじゃくじゃくと藪を歩く音が喧しく、そんな音でしか七海の存在に気づけないほど宵闇は暗かった。

そして藪を抜けた頃、ああこういう時は女の子の足元を照らすべきだったと、小さい後悔をもう一つ重ねながら「漁火丸」の傍まできた。

七海「……明日から東京に行くので、夏休み中ここに来るのはこれで最後れすね…」

俺「へぇ、仕事?」

七海「はい、テレビの収録れす」

俺「すげえじゃん」

七海「うん…」

俺「…」



七海が寂しげな顔をして視線を落とす。

その意味を考える事にさえ臆病になった俺は何も言えないまま、一緒に視線を落とした。

七海「ぁ…」

俺「あ」



さっき七海が水溜りに転んだことを、俺たちは同時に思い出した。

薄手の浴衣は所々びっしょりと塗れて透けている。



七海「!」


七海はとっさにぬいぐるみを抱き寄せその部分を隠す。

そしてどうしようといった目でこちらを見てくるが、俺は見てしまった事を悟られぬように目を逸らしていた。

俺は顔を背けたままで、七海に話しかける。


俺「…俺んち近いからさ、タオルとか…俺ので良ければジャージくらい貸すから」


こんな言葉でも、精一杯の気持ちからの言葉だった。

七海は黙って頷いて俺の後にぴったりとくっ付き、俺の家へと歩き出した。







俺は家に着くと、リビングの両親に短く「ただいま」と言って真っ直ぐ2階の自室へ走る。

この時間に女の子を実家に連れ込む度胸は無かったので、七海を家の前に待たせて着替えだけを取りにいく事にしたのだ。

俺はタンスを開けて衣類を物色し始める。

緑、青、黒と暗い色の服ばかりが敷き詰められたタンスとにらめっこを始めた。


女子に貸しても問題の無い服…あんまりお古だと相手に悪いしダサいやつだと思われたくもない…では新しい服は…待て待て相手は俺よりふた周りも小さい七海だぞ…う~ん……


結局俺は一番無難な青いジャージとタオルを手に取り、七海が待つ道路に面した窓を開けた。

窓から道路を見下ろすと七海の頭頂部が見える。

俺「おい、七海。おーい…」



俺は両親に聞こえぬよう小声で七海を呼んだ。

頭上からの声に七海はパッと振り向き、呑気に手を振っている。

「投げるぞ」とだけ言って、先ほどのジャージを窓から落とした。

ジャージは空気抵抗によってぶわっと広がり、とり損ねた七海は顔面でそれを受け止めた。

間抜けな七海の姿に笑いそうになるが、次の一瞬しゅるりとジャージから現れた七海の顔に視線が捕らわれる。

それはいつもの眩しさとは違う、水面の満月のような、柔らかで優しい笑顔だった。


七海「ありがとう」


いつもの舌ったらずな喋りではなくはっきりとした口調で感謝を口にする彼女の顔は、見慣れたそれとは明らかに違っていた。

俺「七海…」


俺が堪らず声を漏らした瞬間、ぐぐっと七海が大きく振りかぶる。

次の瞬間、砲丸のような構えから放たれた何かがゴガッ!と音を立てて外壁にぶつかった。

俺のすぐ横の外壁にぶつかったそれは綺麗に跳ね返り、やりきった顔していた七海の額にヒットする。



七海「ぶだぃっ!?」



聞いた事の無い悲鳴をあげて七海はしゃがみこむ。

しかし俺が声をかけるより先に立ち上がった彼女は、再度をそれを掴んでもう一度放った。

高く上がったそれは俺の手前1mのところでふわりと滞空し、落下に転じようとしていた。

俺は思わず手を伸ばし、それをとっさに掴んでしまう。



冷感。

俺の手に握られた筒状のそれは紛れも無く冷たい缶コーヒーだった。

俺が服を探している間に近くの自販機で買って来たのだろう、どこにでも売っている見慣れたパッケージの物だ。

七海の方へ視線を移す。七海はいつもの悪戯な笑顔を浮かべつつ。



七海「ちゃんと甘いやつれすから!あっ、あと、水曜夜は4チャンネル見てね!七海頑張るから~!」


そう言ってペコリと頭を下げた七海は、近くに止めてあった漁火丸を押して暗がりへ走っていった。

俺は言いようの無いくすぐったさを胸に感じつつ、プルタブを引いてコーヒーを口にした。

確かな甘みと仄かな苦味、口に広がる香りをかみ締めながら一気に飲み干してしまった。








夏休みが明け、いつもの日常が始まる。

1ヶ月前より明らかに日に焼けた同級生達は、みな口々に宿題の事や夏休みの出来事について会話を交わしていた。

誰も彼もが夏の香りを引き連れて、騒々しいほどの熱気を教室に漂わせてせている。



俺はと言えば話しかけてくる友人達と適当な会話を繰り返しつつ、一番後ろの席へと視線を移した。

その席にいるべき少女はまだ来ていない。


すると、がららっと音を立てて教室後ろ側の引き戸が開く。

みな音の方に目を向ける。そして引き戸を開けた主を確認すると、誰かが声を上げた。



クラスメイト「おおっ!アイドル七海さまじゃ~ん!」

あの花火大会の夜から数日後の夏休み最終日。

ゴールデンタイムの歌番組でテレビに現れた七海はデビュー曲を初お披露目。その素っ頓狂な歌声とぶっ飛んだキャラクターっぷりお茶の間に晒し、ネット上でも結構な話題になっていたのだ。

まとめサイトにも上げられ、その知名度は全国区となった彼女だが、本人は全くいつも通りのまま今日も上機嫌そうに鼻歌を歌いながら登校してきた。

他のクラスメイト同様、俺の視線は彼女の方を向いていた。すると七海はあの笑顔を浮かべてこう言った。



七海「あ、俺く~ん☆」



七海が陽気な声でこちらに手を振ると、クラスメイトの視線が俺の方へと集中する。

普段冗談を言って集める視線とは明らかに違う、好奇の視線だった。



七海「こないだ借りた服返します~」

俺「おまっ!七海!…」



しまった。

とてとてという足音を立てつつ、彼女がこちらに近寄ってくる。

心臓がどくりとなって視線が固まる。周囲のクラスメイト達は既にひそひそ話を始めていた。



七海「ちゃんと洗濯してるれすよ~」



そういって満面の笑顔を浮かべる彼女に対し、俺は「ああ」とも「うん」ともつかない声を上げてジャージを受け取った。

心臓がいやな鼓動を打つ。怯えている時特有の不穏な音を立てていた。




クラスメイト「え?何もしかして2人付き合ってんの?」



一瞬、心臓が止まりかけた。









そこからはもうあっという間だった。

必死に否定する俺と赤面する七海、そして囃し立てるクラスメイトの大騒ぎ。

3日と立たないうちに俺と七海の噂は学年中に広まっていた。

廊下を歩けば視線を感じ、ただいるだけで笑われる。

耐え難いほどの注目が俺と七海に注がれていた。

しかし、当事者の一人であるはずの七海と言えば、そんな騒ぎなど全く意に介さないといった感じで、むしろご機嫌ですらある。

休み時間の度に俺の席で魚に関する話を喋り倒し、放課後は俺を待ち伏せて下校。先日、七海の弁当に桜でんぶのハートが見えた時には目眩がした。

七海「でね!でね!こないだ買ってもらった竿が凄くいい子で!早く俺くんに見せてあげたいれす~♪」



七海は今日もこうして俺の席の前で両手をパタパタさせながら釣りの話をしている。

アイドルとして活動している七海にとってこの程度の注目なんてどうって事無いようだったが、俺には耐えられそうもない。

クラスメイト達のひそひそ話が聞こえる。誰が何と言っているかすらわからないが俺には嘲りか何かにしか聞こえなかった。

それでも俺は七海に乗ることもをぞんざいに扱うことも出来ず、生返事を繰り返すだけだった。

クラスメイト「お2人さんアツいっすね~www」



通りすがりのクラスメイトが薄ら笑いを浮かべながら声をかけてきたが、返事を聞かぬまま自分の席へと歩いていく。

自分の席へと座ったそいつは、一瞬こちらを見てから興味を失ったように別のクラスメイトと談笑し始めた。

笑い顔はそのままで。



そんな生活が1ヶ月続き、俺は次第に学校に来るのが嫌になっていた。

それでも七海の方は変わらずあの笑顔を浮かべていた。






七海「俺く~んご飯食べましょ~♪」


昼休み、今日も七海が話しかけてくる。

前の席の奴がいらぬ気を回して席を空け、七海も満面の笑みでそいつにお礼を言っている。

余計な事しやがって。

七海「今日ね、早起きして自分で作って来たんれすよ~♪」



そういって七海は自分の弁当を見せてきた。ちょっと焦げ付いた焼き鮭、イカの煮物やチーズちくわ、見事に魚だらけの弁当箱を俺に見せ付けてくる。


七海「やっぱりお弁当って難しいれすね~、でもこっちは上手くできました!」


ご飯の上で桜でんぶが星型にふりかけられている。七海は「えっへん」と声に出して笑顔を浮かべるが、それに合わせる元気は無かった。

どうしてコイツはこんなにも周囲に無頓着でいられるのだろう。俺には全く理解できない。



七海「それでね…あの…」



七海がいそいそとカバン開ける。そしてやや俯き加減のままこちらにカバンから取り出したそれを差し出す。



七海「俺くん、あの、その…良かったらなんだけろ…これ」



彼女の手にはもう一つの弁当箱が握られていた。

クラスメイト「おいwwwマジかよwwwwww」「うわー羨ましいわーうわーwwwww」
      「俺くんちゃんと食べてあげなよーwwwww」「ねーwww」



周りにいたクラスメイトが勝手に色めきたつ。

手作りのお弁当なんて今時マンガでしか見ない展開を目の前に、本人達より周りが盛り上がっていいた。

当の七海はと言うと、そんなことなんて一切気にしていない様子でこちらを伺っている。

俺は胸にこみ上げるものをぎゅっと抑えつけながら返事をする。



俺「いらねえよ。弁当持ってきているし」



紛れも無い本心だった。

いくら育ち盛りと言えど弁当を二つも食べる自身は無かったし、ここでそれを受け取れるほど心に余裕は無い。

七海「そうれすか…」


七海が目線を下げると、代わりにクラスメイト達が声を上げた。



クラスメイト「えー!」「ひどくなーい」「お前食ってやれよー手作りだぞw」



などと無責任な声を次々上げている。

七海は目をあちこちに泳がせているが、周りを見ている訳でなく目の行き場に困っているようだった。

そして俺は感情の行き場に困っている。

どうしよう、という気持ちは無い。

その弁当を受け取る気はない。かと言って受け取らなくてもこの騒ぎは大きくなるだろう。

結局俺に逃げ場はなく、クラスメイトのおもちゃになる以外の道は無いようだ。

だがそれでも俺は、意固地な意思のままに口を真一文字にしている。

周囲のざわめきが大きくなる。

みな一様に楽しそうな顔をしてこちらを見ていて、まるで笑っていないのは俺と七海の2人だけのようだ。

それの心には真っ赤な感情が蓄積されていく、何をやっても何をしても笑いものにされるこの状況を我慢するしかない。



だから七海。頼む、それをしまってくれ。

釣りも魚の話も付き合う、あの岩場でならなんだってしてやるから今は諦めてくれないか。



しかしその希望は脆くも崩れた。



七海「じゃ、じゃあ一口だけでもっ…!」



再び俺の眼前に弁当箱が差し出される。

その光景の引き金に、抑えていた感情が爆発する。



俺「いらねえつってんだろ!!」

気がつけば自分でも驚くほどの大声が出ていた。

その声に驚いた七海の手から弁当箱が零れ落ちる。


がちゃんっ


七海の手から落ちたそれは床に叩きつけられ、無残に中身を晒していた。

一瞬の静寂の後、当事者より先に周囲が声をあげる。


「うわっ、最低」
「あーあもったいねー。アイドルの手作り弁当だぞ」
「謝れよー」


そんな風に聞こえる気がするが、ハッキリとは聞きとれない。

そんな事より俺の意識は目の前で目を丸くしている七海に釘付けになっていた。

七海「………」



わずかに震える唇は何かを訴えようとしているが言葉にならず、その瞳に宿る感情は困惑一色だった。

怒りと罪悪感、そして大きすぎる後悔の念が心臓を中心に体中へ広がる。

自分がしでかした事は分かるはずなのに、頭が理解しようとしない。



七海「ぁ…その……ごめ…」



七海が必死に何かを言おうとするが、俺は立ち上がり廊下へ歩き出した。

後ろからクラスメイト達からの非難の声がするが、俺は聞こえないフリをして廊下を進む。

途中何度も他人とぶつかりそうになりながら俺はクラスから一番遠いトイレに駆け込み、個室へと逃げ込んだ。

行き場のない感情は結局全て内向きに落下し、俺の心を押し潰す。

結局俺は昼休みが終わっても教室に戻ることが出来ず、担任が探しにくるまでトイレの個室で情けなく泣き続けた。







そうして七海の顔を見ることも出来ないまま数ヵ月が経ち、浅利七海は東京へと引っ越していった。
















そんな出来事から10年余りが経ち、今日も俺は懲りずに例の岩場に来ていた。

昔は秘密の遊び場だったこの場所も、手前の空き地が公園になったせいでその姿を晒すことになり、今では立ち入り禁止の札が立っている。

とは言っても俺のようなデキの悪いクソガキには関係なく、今日もこうして死んだ魚のような目で釣り糸を垂らしていた。

クソッ、今日も釣れねえな。


俺は心の中で悪態をつく。

せっかくクソみたいな仕事のストレスを発散しようとして来ているのに、これじゃあ余計に溜まる一方だ。

あまりに釣れないため、俺は一度リールを巻いて針先を確認する。

案の定そこに餌は付いておらず、一瞬怒りが湧き上がるがすぐにそれは萎えてしまう。

怒りとの付き合い方は知っている。腹が立ったらそれごと全部蓋をして忘れちまうのが一番だ。怒ったって何かを得るわけじゃない。

そう自分に言い聞かせながら針に餌をつけ、海に向けてそれを放る。

波に揺られて流される浮きを見つめながら、俺は考え事を始めた。



俺は何をしてるんだろう。

昔は俺にも夢や目標があったはずだ。

面白おかしく高校生活を送り、出来るだけいい大学に通って、いい会社に就職する。

何も高望みなんてしていない、普通に楽しい人生だけを求めていたはずなのにどうして俺はこんな所でこんな事をしているんだろう。


いつからだ?

就職した時か

大学受験に失敗した時か

それとも高校時代か

それともあの時だって言うのか



浅利七海の名前はその後もずいぶん聞いた。

ラジオを着ければ声を聞くし、テレビを着ければ時々見かけた。

だからどちらも捨ててしまったのに、新聞やコンビニの雑誌コーナーには相変わらずその名が躍っていた。

だから目を背けるためにも、こうやってぼんやり釣り糸を垂れるしかする事が無いのだ。

俺はぼりぼりと頭を掻く。

肩まで伸びた髪がわさわさ揺れて煩わしいが、床屋に行くのも億劫だからしばらくこのままでいいだろう。

会社に首を切られたらその時はその時だ。


俺はいつ死ぬのかな。

何度かこの海で死のうかとも思ったが、この場所に自分の死体が打ちあげらるかもと考えると気が引けた。

いつ死んでも構わないくせに死のうともしない怠惰な生き方は、海に浮かぶゴミと一緒だ。


ああそうさ俺はゴミ野郎さ。なんていったところで誰も聞いてくれるはずもなく、まして止めてくれる奴なんていない。

さすがのヒトデもゴミまで食べれないからな。


アイツらの主食は死んだ魚と…







???「釣れますか?」

不意に後ろから若い女性の声がする。

この場所が暴かれてからここで他人にあうことは珍しく無くなったが、口うるさい警官以外に声をかけられる事なんて稀だった。

それにどこか、懐かしい声色だ。

俺は緩慢な動きで後ろを振り返る。するとそこには




???「あ、ごめんなさい。驚かせちゃいましたか?」



見たこともない美人が立っていた。

真珠の瞳に肩より上の青い髪、涼やかなワンピース姿で立つその人は、柔和な笑顔と物腰で静かにそこに佇んでいた。



俺「あ…ぃや……全然…っす」


久しぶりに若い女と話したせいで、挙動不審な声が出る。

まるで恥をかくために喋ったみたいだ。



???「そうですか…ここにはよく来られるんですか?」



いくつくらいの人だろう、幼さ残る顔立ちの割りに落ち着いた物腰のせいで年齢を推し量る事すら難しい。

年上と聞いても年下と聞いても納得出来る不思議な人だ。

俺「まぁ…たまに…」



俺はというとまるで言葉を覚えたてのような様子で、ぼそぼそ答えるだけで精一杯だ。

もう成人して随分経つのに酷い有様である。



俺「ぉ……お姉さんも…釣りを……?」



精一杯の勇気をもって話題を振るが、搾り出すような情けない声しかでない。

結局勇気を出したところで恥を塗りに行っただけだった。

しかし彼女はそんな俺の気持ちを知る由もなく、優しく答えてくれる。

???「んーそうですねぇ…昔はよくやってたんですけど、最近は全然。釣りに行くとボックスいっぱいに釣って来ちゃうし…」

俺「へ、へぇ~……いらないなら海に放せばいいじゃないっすか…?」

???「うふふっ、釣った魚はシメるか餌をやるか。ですよ?」



昔どこかで聞きなれたフレーズが聞こえた。俺はそっと真横に佇むその人の顔を見る。



???「私ってばこんなのだから、いつも怒られちゃうんです♪」



そう言って俺に微笑んだ彼女は、優しく撫でるように髪をかき上げた。

潮風がそれを包み込み、指の隙間から銀の光が見える。

???「これ良かったらどうぞ」



そう言って彼女は右手を差し出す。彼女の手に握られていたのは一本の缶コーヒーだった。



???「人にあげる予定だったんですけど、渡せなくって…」



彼女は一瞬寂しげな目を見せるが、ふっと微笑み



???「私コーヒー駄目なんです。苦くって…♪」



と悪戯っぽい笑みを浮かべた。

俺は小さく「どうも」と言ってそれを受け取る。

缶コーヒーに添えられた彼女の腕は白魚のように美しく滑らかな輝きを放っていた。

???「じゃあ私はこれで…もうちょっとここにいたいんですけど、人を待たせちゃってるので」

俺「ぇ…あ…」



俺は彼女を呼び止めようとした。

なぜだろう?知らない人なのに。

そんな俺の戸惑いを吹っ切るように、彼女が険しい岩場をなれた様子で進んでいく。そして少し行ったところで振り向いてこう言った。



???「釣り、楽しんでいってくださいね!」



まるでこの土地の所有者のような物言いに厭味は一切無く、ただ吹き抜ける風のように俺の耳を駆けていった。

彼女が歩くずっと向こう、かつて藪だった場所の向こう側に車が一台停車し、その横にはスーツを着て退屈そうに佇む男が立っていた。

彼女の明るい足取りに目が眩み、俺の視線は海へと戻される。

投じた釣り糸の先に目を落とす。相変わらず浮きは波に飲まれてゆらゆら流され、空の日は段々と西に傾いていた。


俺は竿をちょいちょいと動かしながら、片手で栓を開けてコーヒーを口に含む。


10年以上前からあるそれは、パッケージがコロコロ変わるくせに味だけはずっと変わらず、確かな甘みの中に仄かな苦味を漂わせていた。


今度こそ何か釣れるだろうか。


そう呟きながら俺は、今日も釣り糸を垂らし続けた。

おしまい。



ずっと前にほっぽり出してたSSだったんですが、元ネタのアーティストが最近亡くなったので勢いで書き上げてしまいました。
七海ちゃん、担当じゃないけど結構好きです。

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