藍子「空の時雨」 (28)


高森藍子ちゃんのかわいさにやられて書きました。

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「好きかなぁ、俺は」

どきり、とした。

手にした雑誌をめくる途中、そんな言葉を聞いたものだから、変に力が入っておもわずページを破りそうに。
……大丈夫、破れたりしていない。

平静を装いながら冷静になるように、目の前で湯気をたてるティーカップに右手を伸ばすと、
その腕さえ小刻みに震えていて、カチャカチャとなんとも情けない音を出してしまって。

気を取り直して一口、二口、そして三口目が口の中に入ってきたとき、甘くてあたたかい紅茶のはずなのに、いやに味気ないことに気づく。
喉を通ったあともなんだか冷えたような感覚が残って、なんとも言い難い気持ちが私を襲ってきた。


「藍子はどうだ?」

「えっ、あ……えっと……」

心の中がドタバタと慌てている状況で急に話を振られたものだから、全然言葉が表に出てこなくて。

必死でなにか探そうとして、膝元の雑誌に視線を落としてもそこに答えなんてあるわけない。
目に飛び込んでくる情報がぐにゃぐにゃと変形して、私の頭の中をぐるんぐるんと回って三半規管をおかしくさせる。

「あー、そっか。できなくなるもんな。雨降ったらさ、散歩」

散歩?

雨?

話をうまく飲み込めない私をよそに、プロデューサーさんはまるで氷のリングを滑るように口を動かし続ける。


「違うのか? 俺はさ、雨の音とか結構好きで。リラクゼーション効果?
 聞いてるとなんか落ち着くんだよ。豪雨レベルになると話は別だけど。
 あー、でもテンションは上がるよな、ドシャーっていう音」

天気のこと、だとおもうのに、無邪気に話す目の前の人を見てると、余計混乱してしまう。


「あ、あの……ごめんなさい、なんの話でしたっけ?」

タイミングを見計らって口をはさむと、プロデューサーさんは大げさに目をぱちくりとさせて、
じっとこちらを見たかとおもうと、次の瞬間、声を上げて笑い始めた。

「お、おかしいこと言ってないじゃないですかぁ」

「いや、ごめんごめん。藍子は気がつくとすぐ自分の空間に入っちゃうなぁ」

「ご、ごめんなさい。ぼーっとしちゃってて……」

「そんなマイペースなところが藍子らしいよ」

そうなんですか?
そう聞くと、あぁ、と顔にひまわりを咲かせて、粗雑に置かれたメモ紙をくしゃっと左手で丸めて投げた。
どう見ても丸とは言えないいびつな形をしたそれは、綺麗な放物線を描きながら吸い込まれるようにゴミ箱の中に。
私のことをマイペースだと言ったこの人も負けないくらいマイペースだなって、小さくガッツポーズしたプロデューサーさんを見ながらそうおもった。

いつもの、私たちの他愛ないやりとり。


 *


いつもより早い時間に目が覚めた。

なんでだろうとおもいながらもう一度瞼を閉じると、
窓を叩く雨風の音が静かな部屋に響いて、あぁ、このせいなんだと納得。

ベッドから起きて、カーテンを開けると、さわやかな朝とは言い難い光景がそこにあった。


雨の日、薄暗い灰色のヴェールに覆われた空を見ると、いつもあの人のことを思い浮かべる。
子供みたいに無邪気な人が雨の日を好きなんて随分おかしいなって、
未だにそうおもって、その度に少し笑ってしまう。

プロデューサーさんの言った通り、雨が降ると散歩に行けなくなるので、早く晴れないかなとため息をついてしまうときもあった。
けれども、それから月日を重ねていくたび、雨の日の楽しみ方というものを覚えてきた。

雨音をBGMに読書をしたり、
雨の弱い日にはお気に入りの傘とレインブーツを用意して特に目的地を決めることもなく満足するまで散歩したりする。
最近ではゲリラ豪雨という言葉がテレビからよく聞かれるようになって、
突然の大雨に降られると意味もなく気分が高揚してしまうのは確実にプロデューサーさんのせいだ。


時計は目覚ましをセットした一時間も前を指している。

もう一度布団に潜り込んでもすっかり冴えてしまった頭はなかなかいうことを聞かず、ただひたすらに時間が過ぎてしまうだけ。

こういうとき、なにか考えようとしてもあまりいいことを考えられない気がする。

理由はわからないけれど、夜よりもひどい。


時間というものは誰にでも平等に与えられるもので、当たり前だけど毎日同じように過ぎていく。
その間に目指すものの形は少しずつだけど変わっていく。
AからBになれば、たとえそこからAに戻ってもそれは変化。

そうして変わって、毎日を過ごしていくたびに、自分の能力というものをだんだんと理解してきた。

未央ちゃんや茜ちゃん、他のみんなとアイドルとして過ごしてきた日々は私にとってなによりもかけがえのないもので、
まだ長くはないけど今までの人生で一番と呼べる瞬間。


それでも、いや、楽しかったからこそなのかな。
いつの間にか疲れてしまっていて、進む足が止まってしまった。
まだ行けるつもりだったのに、一歩が踏み出せなくて。

のんびりやの私がここまで来れたこと自体が奇跡に等しいのだから、
立ち止まってしまえば一気に疲れが襲ってくるに決まっている。

考える時間というものは時としてよくない方向に転ぶことがある。
これがその方向なのかどうかはわからないけれど、
あるとき、ざあざあと雨が降っていた日にプロデューサーさんへ話をした。


 *


「アイドルを続ける自信がないんです」

元々、私は他の人たちに比べて特別かわいいわけでも、
かっこいいわけでもなくて、
なにか感嘆しちゃうような特技とか胸を張って言えるものはないし、
なんでプロデューサーさんは私をスカウトしたのか、よくわかっていなかった。

正直、言おうか言うまいか、最後まで悩んで悩んで、
寝る時間が少なくなった日もあったくらい考えて、
そこで出した答えは伝えるというものだった。


「わかった」

短くて、残酷な言葉。

それを望んでいたのは私なのに、
聞いた瞬間、胸の奥を針で何度も突かれたような痛みがして、
気づいたときには頬から地面に向けて涙が流れて。

ごめんなさい、その言葉は口にした私にひどく重たくのしかかった。


ぐずぐずと泣いている私。

目の前にいる人がぼやけてしまうほど。

たぶんきっと、ひどい顔をしてる。

ぬぐってもぬぐってもとめどなく流れ続ける涙は、やけどしそうなくらい熱を帯びていた。

うまく言葉が出てこなくて、ひたすら謝ることしかできなくて、自分がただただ嫌になった。

最後まで私はだめな子で、

ファンを、

事務所のみんなを、

そしてプロデューサーさんを、裏切ってしまっただめなアイドル。


すぐそこにいるプロデューサーさんの顔が見られない。

目線を上げられない。

こぼれ落ちた悲しみは、ぎゅっと握ってシワになったスカートの上にいくつものシミを作って、
それが余計に私の心を乱した。

「大丈夫、大丈夫ですから」

いつもなら、なにが大丈夫なんだよって聞かれるのに、
プロデューサーさんはなにも言わずに、大きな手を私の頭にぽんと置いた。
じんとした暖かさが伝わってきたけど、
いまは落ち着くより、そのぬくもりが体の奥をせつなくさせる。

雨音が強くなった。


「俺は藍子の気持ちを尊重するよ。理由とかそういうのは、別にいい」

いつもよりずっと優しい音が胸の奥に響く。

「ただ」

雨はどんどんひどくなってくる。

すぐそばにいる人の声をかき消してしまうほど。


「ひとつだけ俺のわがままを聞いてほしい」

もうなにか考えられる状況じゃなくて、その問いにただひとつうなずくしかできなかった。

「ほら、顔上げて」

促されるまま目線をまっすぐに戻しても、涙のカーテンは分厚くてなにもかもがぼやけてしまっていた。

でもきっと、見えなくてよかった。

ひどい顔をした私を見て、プロデューサーさんがどんな表情をするか見なくて済むから。

「アイドルらしからない顔になってる」

そんなこと、わかってます。

わかってますってば。


「CDが出たときだってこんなに泣かなかったのにな」

見えなくたって、あなたがどんな顔をしているのか、わかってしまう。

きっと優しく微笑んでくれている。

涙をぬぐった指先から、頬に触れた手のひらから、感じることができる。

ふたりで歩んだ季節は、少なくないから。


さっきより雨足は弱まってきたみたい。

それでも天気予報のマークは傘のまま。

「しばらく泣き止みそうにないな」

そう小さく笑うプロデューサーさんの言葉に対して、口を開くかわりにかぶりを振った。

これ以上、困らせたくない。

「いいのか?」

「……はい」

自分でもびっくりするくらい弱々しい声。
すぐに雨にかき消された。

なにを言われるんだろう、なにを言われたって私には返す言葉がない。

スカートのシワが増える。
ぎゅっとにぎった手の中が気持ち悪い。


プロデューサーさんが私の名前を呼ぶ。

それはいつもよりゆっくりに、まるでスローモーションみたいに感じた。


あぁ、この雨の正体は、私の声だったんだ。

鳴り止んでわかった、近くで聞こえていたから気づかなかったんだ。

また雨が強くなった。

もうしばらく、雨宿りしないといけないみたい。


 *


いつもの時間になると、無機質な着信音が静かな朝の部屋に鳴り響く。

確認しなくたってわかる。
きっとあの人からのメール。

どれくらい続いてるのか数えたことはないけど、あの日から今日までずっと。
休みの日だって関係なくて。

絶対におはようから始まる本文。
朝だからそれが普通なことなのに、へんに律儀だなって。

まるで遠距離恋愛みたいっておもうけど、実際は電車に乗ればすぐ会いに行ける距離。
しかもほとんど毎日お互いの顔を見ているのに。

自分でもおかしな関係だなってときどき考えるけど、
それが長く続いているんだから私たちにとってはそれが普通ということなんだろう。


「藍子が帰ってくるまで、俺は待ってるよ」

あの日聞いたこと。

いつ戻るかなんて言ってないのに、
もしかしたらそのままどこかに行っちゃうかもしれないのに、
なんでそんなことを言えるんだろう。
そんな言葉を投げられたら、もうどうしようもない。

プロデューサーさんはズルい、ズルいです。


どしゃ降りの雨、
いくつもの水たまりを足元に作って、
傘なんて持ってないからずぶ濡れになって。

でも雨のあとには抜けるような青が一面に広がって、
そこに七色のアーチが描かれて、綺麗な景色を見ることができる。

鏡を見る。

毎日目にしている私の姿。

あのときより自信を持てているのかな?

変われたのかな?

どうだろう。

答えはきっと、あの人が知っている。


天気予報によると、午後は晴れるみたい。

髪を少し短くしよう。

そして気まぐれに、会いに行こう。

気づいてくれるかな、あの人は。


おわり


トリップつけるのを普通に忘れてました。
藍子を泣かせたい。そして怒られたい。

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