世界が終わる前に考えた、いくつかのこと (49)


「先輩。もうすぐ、世界が終わっちゃうらしいですよ」

終わっちゃうんだよな、と僕は紫煙を吐き出して言った。
僕の後輩にあたる彼女は、空を見上げながら笑っている。

「終わっちゃうんだっけ。何でだっけ。あの穴だっけ」

「え。色々あって、色々を経て世界終焉らしいですよ」

「そっか。奇跡って、こういう時に起きてほしいよな」

ニュースでは、都心部の方でパニックが起きてるらしい。
この田舎からは、各自が家族に会いに行って消えてった。
僕の両親は「日帰り旅行に行ってくる」なんて言ってた。

「僕の両親、旅行の行き先は三途の川だ。どうしよう」

「先輩も、ですよ。私とてそうですし。気にしない。
 未練を残さず死にましょうそうしましょうよ、先輩」



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「でも、これから何する? 今日一日で世界終了だよ」

「どうしましょ。右も左も分かりません。ええ全く。
 過去は振り返れないので、後ろも振り返れません。
 というわけで、前に進みましょう。そうしましょう」

画策するよりかは、なるようになるさという意味だろう。
確かに、僕と彼女から名案が出るなんて思っちゃいない。

「なら、そうしよう。車はここに置いてこう。歩こう」

「はい。のんびり死にましょう。あ、お腹空きました」

時計を確認した。午前十時だ。すぐ死んじゃいそうだな。
そんなのんびりもしていられないな。僕は彼女に言った。

「でも、この辺のお店なんて全部閉まってるみたい。
 コンビニとかなら開いてるけど、店員がいないんだ」

「え。どうしても食べたいところだけ襲撃しましょう」

「いやいいよ。どうせだし、手作りで何か食べようよ」


「これから幸せになる為の方法でも探すとするかな。
 僕って、いまいち人と比べてついてないと思うから」

と、家までの道を彼女と手を繋ぎながら何気なく呟いた。
すると、彼女は暑いのかふらふら歩きながら僕に言った。

「比べても、人によって幸せなんて人それぞれです。
 大事なのは、先輩が幸せと思える事だと思います。
 私は自販機でコーラ飲めただけでも人生幸せですし」

上目遣いで手を引き、僕にコーラを求む彼女がそこに居た。
女の魅力を最大限使ってまで欲しいコーラってなんだろう。
僕は百二十円で彼女に幸せを買って、渡した。嬉しそうだ。

「ああ幸せ。幸せ。もう死んでもいいです。さよなら」

「後十四時間はあるけど、もう死んじゃっていいの?」

「あ。もう先輩の家です。入りましょう開けて下さい」


ところどころ、というか玄関に入ってすぐ穴が開いていた。

穴と言っても、手のひらサイズのものがぽつぽつとだ。
そして付け加えると、全く人工的なものではなかった。
正しく言うならば、空間に穴が開いてるって感じかな。

「先輩。私のお気に入りのサンダルが吸い込まれました」

「無念だよ。買い直すか適当に僕の靴でも使っていいよ」

「いえ。あれは唯一無二の存在です。他にはありません」

この前商店街で買ってきたって言ってたじゃねえかよ。
僕もお腹が空いていたのでそそくさと台所へ移動した。
しかし、冷蔵庫の備蓄たちは昨日、消費したんだった。

「暑いし、ちょっと休憩してから何か買いに行こうか?」

「はい。お腹が空けば、できることもできなくなります」

「できること、か。僕は、僕を変えてみたかったんだ。
 でも、そのチャンスはもうないんだよな。少し悲しい」


「チャンスを探すからですよ。今やればいいんですよ。
 今の先輩ができる範囲で、少しずつ。ちょっとずつ。
 そうすれば、大きくじゃなくとも変われると思います」

「少しずつでも、かな。今の僕にできること。そうだな」

そこまで呟き、僕は財布をポケットに入れて立ち上がった。
今の僕にできることは、とても庶民的だ。でもこれでいい。

「よし。食材調達に行こう。ぐうたらしてる僕は死んだ」

「パン買ってこいよ先輩。それじゃ、行ってらっしゃい」

「君も行くんだよ来いよ。何で後輩が先輩をパシるの?」

エアコンのスイッチを切ると小さく悲鳴を上げ着いてきた。
「靴はかないの」と聞くと「生足フェチで」と帰ってきた。
玄関の穴が大きくなっているので、窓から出ることにした。

「奇跡が起きて、世界終焉はなしってオチはないかな?」

「ありません。降ってくる奇跡なんてのはないのです。
 降ってこない奇跡に縋るほど弱い人間はダメですよ。
 奇跡は自分で起こさないと。起こせる人にならないと」


「店員さんが居ません。焼きそばパンが買えません先輩」

「こんな事態でいらっしゃいませって言われたら驚くよ」

「パンが吸い込まれる前に私がいくつか回収してきます」

一応、倫理に則り彼女が回収した色々の代金を置いてきた。
それを見て、すぐに彼女も思い出したようにお金を置いた。
きちんとこういうことをするあたり、彼女は真面目だった。

「最後に残ってた棒アイスも回収できました。ハッピー」

「一本ずつか。こういう夏の日には丁度いいものだよな」

「はい。ああ、はずれですよ。はずれを掴まされました」

「掴んだのは君だよ。あ、僕はあたりだ。何か嬉しいな」

「お店には、もうアイス無いですよ。持っときましょう」

そうしようかな。人生の最後の最後で、ささやかな幸せだ。
こういうことに喜べるあたり、僕って僕らしいなと思った。


「私やりたいことをやります。食べたいものを食べます」

家に戻った時には十一時過ぎで、玄関はもう塞がっていた。
少し高いお金を出して買った靴も、全て吸い込まれている。

「僕も食べたいものを食べる。どれにしようか迷うな。
 でもこういう時に限ってあれ食べたいとかあるんだよ」

散々好きなものを各自で取った挙句、奪い合う事となった。
「返せよ」だとか「殺すぞ」という怒号も飛び交っていた。
それが落ち着いてから、彼女は僕に一つサラダを手渡した。

「不自由な選択肢の中から先輩は自由な選択をしました」

「つまり、不自由な選択肢も選べますって言いたいの?」

「そういうことです。自由すぎはダメです。自制です。
 不味いものを食べて、美味しいものがより美味しく。
 不自由だからこそ、一瞬の自由が何より幸せなのです」

自制か。今じゃ、人殺しだってやっても罪も何もないよな。
でも、自由すぎはいけないな。その辺は倫理的にも自制だ。

彼女は面白い事を言うな、と改めて思った。


「君は会いに行きたい人って居ないの? 家族だとかさ」

「居ました。もちろん。家族にも、もう連絡しましたし」

「そうなのか。他には居ないの? 特別な人だったりさ」

僕がそう言うと、彼女は口を抑え必死で笑いを堪えていた。
何か面白いことでも言ったのだろうか。少し不安になった。
理由を視線だけで求めてみると「だって」と言い、続けた。

「私の人生で出会うことができた皆は、全員特別です。
 ですから、それに見合うだけの付き合いをしました。
 少しでも心の片隅に残っていられれば、私は満足です」

「なら、きっとその人達も君の事を覚えてるんだろうな」

「もし彼らが忘れたとしても、私が覚えていますから。
 人に忘れられるってことは、相当に寂しいことです。
 よかったら先輩も、私のことを忘れないでくださいよ」

「うん。僕は少なくとも、食い物の恨みは忘れないから」


「日差しも弱くなってきたみたいだし、少し外行こうか」

「はい。そろそろ、裸足で歩くのは止めることにします」

それがいいな。帰ってきた時、足の裏すごい赤かったしな。
玄関がダメなので、僕は部屋からいくつか靴を持ってきた。
彼女は僕のくたびれたスニーカーを履くことにしたようだ。

「わざわざ汚いの履かなくてもさ、こっちのは新しいよ」

「汚くてもよくないですか? 歩いたから汚いんです。
 ただ綺麗なものより、ずっと味があって好きですけど」

「そう言うなら別にいいけど。行く前に部屋見とくかな」

この勢いだと、夕方には僕の家は見事に消滅しそうだしな。
必要なものを取ってこようかな、と思って、結局はやめた。

「いいんですか? 色々、大事なものってあるでしょう」

「いいんだ。持ってこなくても、僕はもう持ってるし。
 親への感謝とか、思い出だとか、全部胸のうちにある」


小さな庭で彼女と靴を履き替えながら、軽く庭を見渡した。

蝉が唯一、僕らの静かな街を賑わせてくれているようだ。
さて、行く宛なんて考えてないけれど、どこに行こうか。

「先輩。別れ道です。世界の終わりで人生の岐路ですよ」

「わけがわからない。で、どっちの道が正解なんだろう」

「どちらにしろ、人生の帰路にはつけると思いますけど」

ああじゃあこっちでいいよ、と僕は片方の道を歩き出した。
彼女は何も言わずにとことこ着いてくる。非常に楽しそう。

「どっちに行っても、何にもない風景ばっかなんだよな」

「何もないと思っていても、案外色々あると思います。
 人間、見たいものしか見ないような気がするんですよ」

「じゃ、色々な物が見たいって思えば、見えるのかな?」

「見えるんじゃないでしょうか。きっと、いえ、絶対。
 些細なことにでも感慨深くなれると、私は思いますよ」


「先輩。喉が乾きました。コーラを買って下さいコーラ」

「君さっき、思いっきりコンビニで財布出してたじゃん」

「お金は返しますが、私にプレゼントをしてください。
 誰かに貰えるものほど嬉しいものってそうないですよ」

それなら、と思って彼女からお金は受け取らず、手渡した。
こっちの自販機は懐かしき瓶のコーラがあり、僕も買った。

「栓抜きは自販機の横にありました。開けさせて下さい」

「嫌だよ。この瞬間が一番楽しいんだし。ああ、開いた」

「開いてしまわれた」と膝を折る勢いの彼女を横目に一口。
瓶も取り出してすぐに汗をかいている。僕も彼女も同様だ。

「懐かしくなった。子供に戻れた感じがするよ。いいな」

「いつだって子供です。ただ少し、子供より大きいだけ」


「大きくなると、背が伸びて目線だって高くなります。
 でも、それは少し嬉しくて、悲しいことだと思います」

「遠くが見えるようになって、世界が狭く見えるよな。
 無限大に広かった世界が、もう目と鼻の先なんだもん」

「はい。あれだけ駆け回って、やっとここまで来れた。
 そういう感動すら、どこか遠くへ行っちゃうんですよ」

確かに僕もそう思う。昔の二歩が、今は一歩になっている。
歩き疲れて達成感を覚えていた僕は、もうどこにもいない。

「成長して知恵がついていくごとに、僕は変わったよ。
 『楽しい』がいつからか『疲れた』に変わったりさ。
 何も知らない僕の方が、ずっとずっと楽しそうだった」

「時が流れれば、色々なことも変わっていくものですよ」

「友達だってそう。昔は無作為に誰とでも友達だった。
 なのに、いつからだろう。友達を選びはじめたのは。
 前まで、好きな人だけを好きになってたんだよ、僕は」


「僕に都合のいい人間だけを周りに集めていたんだよ。
 自分を肯定してくれる人。合わせてくれる人だとか。
 そうしないと、僕は僕に自信が持てなかったからだな」

「ああ、何となく分かります。私だってそうでしたから」

「都合のいい人間だけを集めたら、都合が悪くなった。
 皆が皆に賛同するし、何が正しいか分からなくなった」

それから、僕はようやく自分をさらけ出したんだったかな。
友達も多くないし、嫌われもした。けれど、ずっと楽しい。
今では、いけないことをいけないと言ってくれる人も居る。

「汚い人間だけど、僕は割と僕を気に入ってたりするよ」

「私も、先輩のそういうところが気に入っていますよ。
 その汚いところが。靴と同じで、味が出ていますし。
 思い悩んで、苦しんで、その結果が先輩の味なんです」

だから、新品の靴よりずっといい色をしていると思います。
そう笑顔で言われてしまっては、僕としては何も言えない。


「実際、何もないと思ってたけど、色々あるもんだよな」

正確に言えば、見えるという意味合いでは何も見えない。
けれどそこには、見えない僕の幼少期の思い出があった。

「そう思えたのなら、もっと違うものも見えてきますよ」

そう言いながら、彼女は空間の穴にコーラの瓶を捨てた。
見事に吸い込まれて、世界規模のポイ捨てを成し遂げた。

「これを上手く使えば地球環境改善できそうですよ先輩」

「神様は僕らを掃除して環境改善に勤めると思うけどな」

見たところ、空間の境界あたりから強く吸い込んでいる。
となれば、それに近付かなければ少し長生きできそうだ。

「僕の通ってた小学校。だいぶ消えちゃってるみたいだ」

「なら、消滅する前に行きましょう。縦笛はありますか」


不法侵入も今さら何もないが、内心できちんと謝っていた。

彼女は百葉箱をこじ開けていた。何をしてるんだろう。
そして、僕は竹馬に乗りつつも彼女に近づいて行った。

「先輩いきなり成長しました。これは世界レベルですよ」

「竹馬に乗ってるから。ちゃんと見て。足元をよく見て」

小学校の頃はボール遊びばかりで、竹馬遊びをしなかった。
後は一輪車だとか、女子の遊びだと割り切り触れなかった。
やり残したことを、何か今さらになってやりはじめていた。

「懐かしいです。乗って『背が伸びた』とか言いました」

「そうそう。大人みたい、とか言って皆で笑ってたりな」

「大人に憧れていたからでしょう。子供の希望ですから」

「うん。僕らは、そんな希望の大人になれたんだろうか」


僕らは「あの頃なりたかった僕ら」になれたんだろうか?

学校の先生は神様みたいで、絶対で、とにかくすごい。
誰からも好かれる先生。大人ってすごい。かっこいい。
僕は、子供たちにそう思われる大人になれただろうか。

ゆっくりと成長にするに連れて、僕は色々嫌になっていた。

最初に持っていた僕の夢はなんだっけ。子供の頃の夢。
サッカー選手でも、野球選手でも、宇宙飛行士だって。
何でもいい。僕はあの日、何になりたかったんだっけ。

中学校に入って、学力という概念をはじめて知ったっけな。

少しずつ差は開いて、中学三年生では歴然としていた。
入りたい高校に入れなくて、ただ人を羨んでいたっけ。
高校で見返す。そう思っても、数ヶ月も続かなかった。

そして、きっと輝いていただろう夢はゆっくりと色褪せた。


「ねえ。君は。君の小さな頃の夢って、何だったのかな」

「私は、何でしたっけ。お菓子屋さん、とか書きました」

「僕は。僕は、何になりたかったのか、分からないんだ」

このまま大学生活を終えて、何となく就職して生きていく。
僕はいつしか、それを疑いもせずに受け入れていたんだな。
僕の夢は、ほこりだらけで、泥だらけだ。光ってすらない。

「せめて、夢を抱いて死にたかった。悔しい。悔しいよ」

涙が零れた。人前で、女の子の前で泣くなんて恥ずかしい。
けれど、そういうことを一度考え出したら止まらなかった。
涙する僕を見て、彼女は真剣に、けれど優しく僕に言った。

「先輩。走れます? 私早いですよ。家まで競争ですよ」

「負けたらコーラおごりですよ」と本当に全速力で消えた。
女性とは思えない速度だった。僕も涙を拭って家へ走った。

「全てが消滅する前に、先輩の夢だけは見つけましょう」


僕はぜえぜえと息を切らしているのに、彼女は涼しい顔だ。

もう、家の半分以上が消滅している。かなり危険だった。
止めようとしても、彼女は戻る様子もなく、後を追った。
「ありませんありませんどこですか」と何か探していた。

「崩れる前に、見つけるもの見つけないと。先輩の夢を」

散らかった部屋を隅々まで素早く目を移し、見ていく彼女。
何もかもをひっくり返した後「あった!」と大声をあげた。

「すみません。では出ましょう。割と頭上がやばいです」

「それがいい。世界が終わる前に頭上が終わりそうだし」

いくつか大きくなっている空間の穴を避け、外へ辿り着く。
もう二度と中に入るべきではないだろう。命の危険がある。

「というわけで、黒歴史ノートをとってきました。ええ」

「僕の小学校の卒業文集じゃないか。人聞きが悪すぎる」


「えー、では、読み上げますよ。先輩の黒歴史をどうぞ」

感情を込めて読み上げる彼女の声で、僕は少し思い出した。
前置きが長いし、読書感想文みたいだ。話が飛んでるよ僕。

「お父さんみたいな、立派な人になりたいです。そして」

そして、の後から文脈があってないし、なんだろうなこれ。
でも、必死で書いたんだよな。父さんを尊敬してたからだ。
誰よりも正しくて、僕を母さんと同じ位、愛してくれてた。

「ぼくのお母さんは『好きなことをしなさい』とぼくに」

母さんは、逆に父さんとは違ってすごく気楽な人だったな。
間違った事だけはきちんと叱って、後は知らんぷりだった。
「間違いさえしなければそれでいいの」って言ってたよな。

「お父さんとお母さんの話をきいて、ぼくは思いました」

お父さんみたいに、立派な人になれるか分からないけれど。
お母さんみたいに、優しい人になれるか分からないけれど。
ああ、思い出した。僕の夢。最初に抱いた僕の夢の欠片を。

「ぼくは、人を幸せにすることをしたいなと思いました」


僕って、昔から言葉にするってことが苦手だったっけな。

幸せにすることって何だよ。これじゃ、減点されちゃうよ。
ああでも、これだよ。全然定まってない、これが僕の夢だ。

「先輩。中々いいこと書いてるじゃないですか。白歴史」

「僕の人生、ずいぶん遠回りしちゃったな。何でだろ。
 大事なことはシンプルで、すぐそばにあったってのに」

「単純で、純粋で。だからこそ、見れなくなるんです。
 大人になって、あの頃の自分との違いに怖くなるから」

そうなんだよな。あの頃の僕の純粋さを怖がってたのかも。
そして、恥ずかしがってたのか。何も恥ずかしくないのに。

「全然具体性も何にもない夢だけど、判ってよかった。
 途方も無いくらいの夢で、呆れるぐらい無謀な夢だ。
 けど、何も知らなかった純粋な僕が書いた、僕の夢。
 これが、僕が本当になりたかった僕自身だったんだよ」


今からでも間に合うだろうか。僕の夢は叶うのだろうか?

もう十年近く前の僕の夢を、今十年越しに叶えるんだ。
あの時の僕と同じように、思ったことをそのままする。

「先輩が夢を叶えるとしたら、私を幸せにしないとです」

「協力してくれるの? ありがとう。本当に、色々とだ」

「けど、その前にまずは私の夢を叶えてほしいです先輩」

そう言えば、ここ家の前なんだよな。陽はだいぶ傾いてる。
時刻を確認した。十五時過ぎ。世界終焉までは後九時間だ。

「うん。もちろん。お菓子屋さんだっけ。どうするの?」

行きましょう行きましょうと言われて、僕は着いていった。
すごいふらふらしてる。暑いのか。コーラ足りないのかな。
着いていった先は、この辺で唯一の小さな洋菓子店だった。

「というわけで、お菓子作りです。そして食べて下さい」


彼女は言動が何か抜けてる感じがするし、実際そうだろう。

泥棒の如くシャッターを上げ、洋菓子店に侵入していた。
「どれ食べましょう」と言う辺り作る気あるのか本当に。

「シンプルなところだとクッキーでしょうか。さて開始」

「僕はどうすればいいかな。黙って見てる方がいいかな」

「先輩は座ってまったりしつつ、エアコンつけて下さい」

またエアコンかよ。そう思いつつ暑いしエアコンをつけた。
発電所が穴に飲み込まれたらつかなくなりそうだと思った。
何気なく空を見上げていたら、空にまで穴が侵食していた。

天井近くに設置されたテレビが目につき、電源を入れた。

映らないチャンネルが殆どだったが、残っているのもある。
必死にカメラマンが空間の穴と人のコメントを拾っている。
最後の最後まで仕事熱心だ、と思っていたら途中で切れた。

多分飲み込まれたんだろうな。僕はたばこに火をつけた。


「できました。どうでしょうこの色。美味しそうです」

「すごい不揃いな色してるよ。全体的に色が濃いよな」

「チョコレートクッキーです。ええどうぞ早く食べて」

口に入れて噛んでみた。ふむ。何回か続けて噛んでみる。
なるほど。うん。あまり美味くはない。が、好きな味だ。

「どうでしょう。ほどよく不味いでしょう。びっくり」

「知ってて食べさせたの? おこげ凝縮した味だった」

殺すぞと言われた後、すぐにお茶を差し出された。美味。
口の中がじゃりじゃりする。もう一度言うが好きな味だ。

「あ。ええと。そのう。不味かったなら、すみません」

「うん。割と不味かった。けど、僕は好きだよこれ。
 だって美味しいもの食べたかったら市販のあるし。
 手作り感アップだよ。僕の為にわざわざありがとう」


と、そこまで言ったところで部屋の全ての電気が落ちた。

ブレーカーかと思ったが、すぐに思い直した。穴だ。
この街周辺の送電線を飲んだ可能性だって十分ある。

「もう作り直せないです。不味いクッキーエンドです」

「いいよ。僕は、君の手作りってだけで嬉しかったよ」

「そう言っていただけるのなら、嬉しいです。ふふふ」

外はまだ陽が差し込んでるけれど、これからは違う。
「外に出よう」と声をかけて、僕らは外へ向かった。
もう十七時だ。まだ明るいけれど、それも後数時間。

「これからどこで過ごそうか。エアコンはつかないよ」

と言うと、彼女はこの世の終わりみたいな顔をした。
実際のところ、本当にこの世の終わりなんだけれど。

「私はどこでもいいですよ。どこだって死ねますから」


「穴もだいぶ大きくなってきた。本当に終わりか世界」

「はい。案外、日常と非日常は裏表だと思いましたよ」

「これも神様が選んだ結果なのかな。ちょっと残念だ」

さっき、僕は彼女との競争に負けたのでコーラを買った。
腰に手を当て銭湯のおっさんさながらの飲みっぷりだな。

「直前の死を実感します。人生振り返りたくなります」

「振り返らないんじゃないの。まず後悔してなさそう」

「してませんよ。成功も失敗も、私の選択ですから。
 振り返るというのは、回想という意味ででしょうか」

「なるほど。少なくとも後悔って言葉じゃないわけか」

「ええ。それ以前に、私の人生は成功ばかりですよ。
 何かを失敗することにも、私は成功したのですから」


「全員が全員、君みたいな人だったならいいのにな。
 争いごとも起きなさそうだし。世界は幸せになるよ」

「六十億人も私は要りません。オンリーワンですよ私」

「いい考えだと思ったんだけどな。何かダメだった?」

「全部ダメです。色々な人がいるから面白いのです。
 全員違うから、一つの出会いに価値があるのです。
 六十億人もいたら、私なんて使い捨てのゴミですよ」

そこまで言ってないんだけどな。あまりに悲観的すぎる。
でも、誰もが一人であるからこそ一期一会なんだろうな。
嫌いな人も好きになれるんじゃないか、と僕は少し思う。

「さて、この辺りもそろそろダメです。行きましょう」


そろそろ、大丈夫な場所を探すことも難しくなってきた。

そこら中が大きくなってきた穴ばかりで、これは辛い。
すぐに大きくなるだろうし、小さな穴を探さないとな。

「この調子だと、日付が変わる頃に本当に世界終焉だ」

「はい。生き残るのも不可能でしょう。残念です本当」

「君はいまいち、そう思ってなさそうな気がするけど」

失敬な、と胸を張った後は何だかしょんぼりとしていた。
僕も同感だ。いきなりはい死にますじゃ用意もできない。

「来世とかがあるなら、また、同じ皆と出会いたいな」

「会えますよ。会いたいと思ってさえいれば、きっと」


「あ。僕の家、もう見事に全て消えちゃったみたいだ」

そこにあるのは、家より少し大きい規模の穴だけだった。
お隣さんも今からゆっくりと飲み込むところなのだろう。

「今日は帰りたくない、が実現する瞬間になりました」

「どっちかというと帰る家がなくなっちゃったんだよ」

見てみると、もう低い所にある穴は海も飲み込んでいた。
綺麗な景色だったんだけどな。まだ少しだけ見えるけど。

「高い位置の方がまだ飲み込まれずに済むみたいです」

「そうみたいだ。この辺で高いとこは僕らの高校かな」


「疲れました。もう無理。おぶって下さい死にますよ」

「僕も疲れたよ。よく高校時代はこんなとこ歩いたな」

なかなか急な斜面で一歩一歩を踏みしめる足が強張った。
何気なく死にますと言って僕を脅迫するのは勘弁である。

「あの頃は走っても登れたんですが。とても辛いです」

「さっきまで全速力で走ってたのに、何を言ってるの」

「あの時は」と口をもごもごさせつつも、彼女は怒った。
ようやく登りきった時に見えた景色はそこら中穴だらけ。
例えるならば、割った時のざくろをイメージしてほしい。

「登って時間もかかりましたし、プラマイゼロですよ」


どうやら鍵は開いているようだった。どうにも好都合だ。

校舎に入り穴のある地点を確認した。体育館はダメか。
校庭にもそこそこのサイズの穴がある。出られないな。

「校舎内に居るのが、今のところは最善策みたいだな」

「ええ。もうどうでもいいです。休ませて下さいはい」

適当な空き教室に入って、彼女はすぐに干からびていた。
「暑い」と不満を零し、続けて半分までコーラを飲んだ。

「これが尽きたとき、私の命も尽きる時なのでしょう」

「もう少し休みます」と告げて、彼女は再び干からびた。
窓から外を見てみた。あ、まだ何人か残っているようだ。


「ねえ、まだ人が居たんだ。ここが実家なんだろうな」

老夫婦だった。とぼとぼと何やら会話しつつ歩いている。
遠目から見ても、何事もなかったかのように歩いている。

もしかしたら、僕らみたいに色々な事を考えているのかな。
彼らであれば、馴れ初め話に花を咲かせたりであるとかだ。
でも、何だかとても幸せそうだ。僕には、そんな気がした。

「懐かしい校舎だし、少しだけ歩いてみたりしない?」

「いいですよ。詰め込んだ焼きそばパン残ってるかな」

綺麗な思い出どころか焼きそばパン詰めて卒業してたのか。
残っていても間違いなく食べられないだろう。腹を壊すよ。

「それじゃあ、まずはどこから歩いてみるとしよう?」


と言っても、それほどまでに歩く箇所なんてのは無かった。

「ここで友達とご飯食べたな」や「授業で使ったな」だ。
あまり思い入れがあるような物は特に存在してなかった。

「新入生との入れ替わりで、色々入れ替わったんですよ」

「思い出が残ってないのは、ちょっと寂しいもんだよな」

「形あるものでなくたって、別にいいじゃないですか。
 先輩は覚えていました。形がなくたって、胸の中に。
 一番寂しいのは、やっぱり、全て忘れられることです」

「そうなのかな。それが嫌なものでも、良い物でもか。
 何かが残ってくれただけ、ありがたいのかもしれない」

そう言って、最後の一箇所である、屋上へのドアを開けた。


「綺麗。と言いたかったところですが、あんまりですよ」

「夕立でも降ったのかな? 少しだけ濡れてるみたいだ」

「ちょっと涼しくて、良い感じです。暑かったですから」

屋上から見える景色は、ところどころどころか穴だらけだ。
何かややこしい言い方だったけれど、それで適切だと思う。
しかし、それでもここから見える景色はどこか格別だった。

「小さいけど、星も光ってますよ。ああ見えてよかった」

「やっぱり、僕としてはここが一番思い出の場所、かな」

「ええ。私としても、ここが一番の思い出の場所です。
 ここで、先輩は私に思いっきりふられちゃいましたし」


「それを言われるときついな。悶えて死にたくなるんだ」

「どちらにしろ、もうすぐ死ねますよ。あと少しですよ」

「そうなんだけど。最後の最後で掘り返さなくてもだよ」

今も頭を抱えて叫び回りたい衝動に駆られている途中だった。
彼女は「ふう」とあくびをして、何とも思っていない様子だ。

「あの時の先輩は、色々ろくでなしでしたからダメです」

「ああ。うん。人間として腐ってた時期だと僕も思うよ」

それから、何かしらの会話は続かなかった。本当に何も、だ。
彼女は思い立ったように、給水塔へのはしごを登りはじめた。

「こっちの方が景色がよく見えますよ。世界の終わりも」


「君よく濡れてる上に横になれるな。気持ち悪くない?」

「暑いですし、ひんやりしていて気持ちいいくらいです」

僕もそれに習って、彼女の隣に腰を下ろし、横になった。
冷たい。薄いシャツが間違いなく透けているのが分かる。

「もう、あまり時間も残っていないみたいです。世界も」

言われて、ちらりと時計を確認した。もう二十二時過ぎだ。
上体だけを起こして辺りを見回してみた。学校もやばいな。
空からゆっくりと穴が僕らの方へ近づいてくるのが分かる。

「下に降りれば、日を跨いで数分ほど生きられるかもだ」

「いえ。私はここでいいです。思い出の場所がいいです」


そこからも引き続いて、僕らに何も会話は起こらなかった。

けれど、悪くない雰囲気だった、と僕としては思いたい。
たまに回想して「ああ、こんなことがあったな」だとか。
彼女は隣のコーラをあけてたまにくぴくぴと飲んでいる。

「もうすぐ、というか一時間もないよ。後十分ほどだな」

「そうですか。あ、最後にたばこを一本吸わせて下さい」

尻ポケットからたばこを取り出したはみたが、濡れている。
中身をかさかさと振ってみて、たばこが二本助かっている。

「ああ、じゃあ一本ずつだ。ライターも中々つかないな」


「あ、点いた。ほら、息吸って、そう。これで大丈夫だ」

次に僕も再三試してみたが、もうダメになっているらしい。
人生最後のたばこは僕に手を差し伸べてはくれないらしい。

「げほ。げほげほ、まず。たばこって美味しくないです」

「吸わないのに、何で吸ってみようだなんて思ったの?」

「先輩が吸ってましたし。ちょっと気になってまして。
 ほら、好きな人の事って色々知りたくなると思います」

さらりととんでもないことを言われ、一瞬思考が止まった。
リセットして、改めて彼女の顔を見た。少し紅潮していた。

「どうしてこのタイミングで言うかな? もう終わるよ」

「終わるからこそ、ですよ。気付いてると思いましたが」


「考えすぎかなって思ってた。同情その他だろうなって」

「同情するくらいなら、私は家族と過ごして死にますよ」

「そっか。でも、ありがとう。そう言えば前髪切った?」

「はい。気付いてましたか。どうでしょう似合いますか」

「似合う似合う。可愛い可愛い。本当にそう思ってるよ」

彼女のマイペースに慣れたせいか、僕も平常を取り戻した。
黒い穴は見事に僕らの数メートル先まで近付いてきている。

「それに、僕もずっと君の事が好きだったよ。よろしく」

「はい。これで私は幸せになりました。夢叶いましたよ」


「ああ、そっか。僕の夢、やっと叶ったのか。嬉しいな」

「さて、これからどうしましょう。世界はもう終了です」

「困ったな。たばこ吸ったら喉が渇いた。コーラ欲しい」

「私の命の源ですが。あ。当たり棒と引き換えますよ。
 ささやかな私の幸せを、先輩のささやかな幸せと交換」

そう言われて、僕は微笑しながら折れた当たり棒を渡した。
「引き換えました!」と宣言してから僕にコーラを渡した。
「半分だけですよ」と釘を刺されてじっと観察されている。

「最後に飲んだものは、コーラか。ごちそうさまでした」

「いいえ。私の唾液というところですよ。間接キスです」

「生々しいな。思春期の中学生でもそんな事思わないよ」


「この場で結ばれてハッピーエンドもいいですけれど。
 すぐにバッドエンドですから、この位がいいのですよ」

「ま、そうだ。手を握るくらいは許してほしいんだけど」

「分かりました。私の最大限の譲歩、というところです」

彼女は最後に残ったコーラをくぴっと飲み干して、笑った。
「マジで間接キスです」と何やらテンションが上がってた。

「さて、来世でもきちんと私に告白をしてくださいよ?」

「うん。色々な事を考えられたし、僕はきっとできる。
 会いたいと思えば、会える。君もそう言ってたからな」

「はい。では、そろそろ私たちも消えるとしましょうか」

うん。そう言って笑って、僕らは、ゆっくりと目を閉じた。
少しだけ「手を握る力が強まったな」と最後に僕は思った。
最後に思い出したのは、彼女の笑顔と、彼女と共に語った。



世界が終わる前に考えた、いくつかのこと。


おわり


補足修正その他があるのでしばらく放置します。
読んでいただいた方、ありがとうございました。


補足修正その他はありません。
html化依頼を提出してきます。

ありがとうございました。

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