【安価】提督「愛情度?」 (89)

 ある日の朝。明石が執務室にやってきて、あるものを渡してきた。

提督「なんだいこれ。ストップウォッチ、じゃあないよな……」
 
 丸い形をしたその機械は手のひらに収まる程度の大きさで、本体の形に沿うような液晶画面が付いている。
 右手に持つと、押しボタンが二つ、親指と一指し指に掛かる位置にしっくりとくる。
 正面から左のボタンは白、右のボタンは黒である。
 よく見ると、ボタンには文字があった。
 左は『R』右は『M』。
 
明石「ええ、提督。何だと思いますか?」

 明石は笑顔で、目をぱちぱちまばたかせている。
 提督は、何も映っていない液晶画面と、明石の交互にそれぞれ見比べながら、しばらく考えた。
 
提督「分からない。なにか意味があるのか、コレ? ボタンが二つしか無いし……そもそも、電源ボタンとか――」

明石「ボタンは四つありますよ。ええと、裏の方です」

 機械を裏返してみると、初めは分からなかったが、確かにボタンらしきものが見つかった。
 ただし、指では押せないようになっていらしい。
 小さな穴が二つ空いていて、その中に白いボタンが覗いている。
 細い棒状のもの、ヘアピンか爪楊枝などを使って押すタイプのボタンだ。
 
提督「懐かしいなァ~。久しぶりに見たような気がするぞ、こういうの」

明石「あとそうですね。電源はボタンではなく、下のほうにスイッチがあります」

 明石の言った通り、スライド式の黒いスイッチがあった。
 左側に倒されていて、つまり電源はOFFになっている。
 
提督「ゲームボーイを思い出すなぁ。でも、ゲーム機なわけないし……何だろ、コレ?」

 提督はスイッチを入れた。
 途端に、画面が緑色に光り、『SWITCH ON』という文字が浮かんだ。

明石「提督、分かりますか? それとも、お手上げですか?」

 明石の声は心なしか弾んでいるように聞こえた。

提督「知るもんか。明石の発明品だってことは分かるんだけど」

明石「あっ、そこは分かっちゃいます?」

提督「いや、だってなあ……こんなヘンテコなものを持ってるのはお前ぐらいだろう」

明石「ヘンテコって。提督、これ結構すごい発明なんですよ?」

提督「そんなこと言われたって。お手上げだ、明石。これは一体何なんだ?」

明石「そうですねぇ……じゃあまずは、白いほうのボタンを押してください」

提督「ああ」

 人差し指がボタンを押すと、画面が緑から赤に光った。
 
提督「なんで赤なんだ……」

 提督が呟き終わらないうちに、画面に『AKASHI』の文字が表示された。
 
提督「明石の名前が出てきた」

明石「次に、黒いボタンを押してください」



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 バックライトが赤から青色になって、数字が表示されていた。

提督「34?」

 そうしているとも意識せずに、提督は数字を呟いた。
 34。全く心当たりのない数字だった。
 
提督「なあ、明石。これって、アレじゃないよな。肌年齢とか脳年齢とか測定する――」

 明石はどうにも言葉で表しがたいような微妙な顔をした。
 そして、スリットから四つ折りにされた紙を取り出した。

明石「残念でしたー。じゃあ、正解をどうぞ」

 紙を開くと、まず目に飛び込んできたのは、七色に彩られた3Dのワードアートの見出しだった。
 
 #########################
 
 愛 情 度 測 定 器 ッ ッ ッ ! ! !
 
 説明
 ・R(Rock)で対象を捕捉。最大同時捕捉可能人数30人。
 ・M(Measurement)で測定。
 
 愛情度について
  愛情度とは、愛情の値です。高ければ高いほど、すなわち、そう、つまりは、そういうことです♥
  愛情度は、非測定者から測定者への愛情が無い場合は、エラーが返ってきます。
  
  0 ~29:気になる~ほのかに恋心。
  30~69:手を繋いでみたい~キスをしてみたい。
  70~99:キャー///~キャー♥♥♥
  
 P.S
  妖精さんいわく、『魂に嘘はつけない』とのことです。
  
 #########################
 
明石「それじゃあ、提督。失礼、しますね……」

 最後まで目を通し終えないうちに、先ほどとは打って変わって上ずった声が聞こえてきた。
 
提督「え、ちょっと、おい……」

 提督が顔を上げると、ちょうど扉を出ていく明石の後ろ姿が見えた。
 顔は見えなかったが、手だけはちらりと見えた。
 すぐに見えなくなってしまったため、確証は持てなかったが――明石の手は、どうも赤くなっているように見えた。

 
 
 
 
 
 ↓艦娘安価。コンマ

 ばたん、と音を立てて扉が閉まった。
 しばらくの間、扉から目を離せなかった。
 明石に渡された紙に目を戻すと、様々な考えが頭を巡った。
 もしかすると冗談か何かではないのか?
 もしかするとどこかに隠しカメラが仕掛けられていて、こちらの様子を、こちらの反応を見られているのではないか?
 もしかすると、明石が『ドッキリ大成功!』の看板をもって、ついでにビデオカメラを構えた青葉を連れて入ってくるのではないか?

提督「いや、まさかなぁ……」

 ノックの音が三回、執務室の中に響いて、提督は思わず驚いた。
 
若葉「駆逐艦、若葉だ。失礼するぞ」

提督「あ、ああ」

 提督の返事の後、茶髪の少女が入ってきた。

若葉「艦隊帰投。遠征の報告を……提督、それは何だ?」

提督「えっ」

若葉「ストップウォッチか? そんなもの、持っているところを見たことは無いが」

提督「ええっと、そうだな……」

 提督は反射的に、明石から渡された説明書を裏に伏せた。
 この機械――
 
 愛 情 度 測 定 器 ッ ッ ッ ! ! !
 
 のことをどう説明しようか。今しがたの明石のこともあり、頭の中がこんがらがるような感じがした。
 慌てていたためか、右手の機械――測定器のボタンをうっかり押してしまった。
 
提督「あっ」

若葉「??」

 測定器に目を落とすと、赤色のバックライトに『WAKABA』と表示されていた。
 
提督(いや、まさかな)

若葉「提督。その機械がどうかしたのか?」

提督「……」

若葉「提督?」

 提督は黒のボタンを押した。
 



 『63』

提督(63……)

 画面に表示された数字を見て、心臓を強く打たれたような衝撃が走った。
 63。この数字が意味することは――つまり?
 
提督(どういうことだっけ?)
 
若葉「提督?」

提督「アッ……悪い、ちょっと考え事を……」

若葉「……その機械がどうかしたのか?」

提督「えっ? ああ、それは……」

 ふと、提督の頭に、この場を取り繕えるかもしれない誤魔化しの言葉が浮かんできた。
 まるでスイッチで明かりをつけたかのようだった。
 
提督「これは……そう。ストップウォッチ、なんだけどな……明石から借りたんだけど、さっき床に落として……」

若葉「そうなのか」

提督「ああ。ええっと、そうだな。悪いけど、このことは内緒にしておいてくれないか?」

 若葉はじっと見つめてきた。
 髪の毛を同じ色をした瞳に心を射すくめられているような気がした。
 数秒の間だったが、提督にはその倍は長く感じられた。
 
若葉「ああ。秘密にしておくよ」

提督「ありがとう」

 若葉は、手に下げていたファイルを開いて、遠征に関する報告を始めた。
 報告自体に特に気に留めるようなことは無かった。
 
提督「大成功か。よく頑張ってくれたな、若葉」

若葉「礼を言われるまでもない。当然のことだ」

提督「当然のことだろうと、有難いことには変わりないさ」

若葉「……」

 若葉とこうして会話をしている最中にも、数字が
 
 『63』
 
 がちらついて離れなかった。
 机に伏せた紙をめくって、説明をもう一度読み返したくてたまらなかった。
 機械に表示される数字の意味をもう一度確かめたくてたまらなかった。
 だが少なくとも今はそうしないほうがいい気がした。
 少なくとも、若葉が執務室から出ていくまでは。
 
提督「もう春にはなったとはいえ、北方鼠輸送は冷えるだろう。ゆっくり休んでくれ」

提督(そういえば、明石の数字はいくつだったっけ?)

提督(『63』よりは……小さかった、はずだ)

提督(……忘れた。しまったな)

若葉「……了解。では、失礼する」

 若葉は小さく礼をして、廊下へ出て行った。

<<7
うっかりしてました。
最小値が1で、最大値が100です。
100を引くと、とりあえず、100を引いてから何か考えておきます。

 引き出しからルーズリーフとペンを取り出して、メモをした。

=========================

   明石:63より下。3、40台?
   若葉:63

=========================

 そして説明書をめくって、中ほどのある行をじっくりと読んだ。

  <30~69:手を繋いでみたい~キスをしてみたい。 >
 
提督「嘘だろ……?」

 あまりにも信じがたかった。
 若葉――初春型3番艦の駆逐艦は、この鎮守府においては五本指に入るほどの古株である。
 鎮守府の登録記録を見るまでもなく、そのことは頭に入っていた。
 何せ、彼女との付き合いは二年半以上になるのだから。
 
  <手を繋いでみたい~キスをしてみたい>
  
 といった行動を、若葉と結びつけるなどと言った考えは、微塵も浮かんではこなかった。
 中性的で、口数は少なく、どこか大人びているような少女。
 だが大人しいというわけではなく、戦闘の際には冷静さを保ったまま、勇敢に振る舞える。
 いつか『若葉は女の子にモテるタイプの女の子だな』と考えたことすらある。
 
 その若葉が――
 
  『63』
  
 色素の薄い茶色の髪と瞳。
 黒いブレザーはボタンが全て開いていて、内側の白いシャツに緩く結んだ赤いネクタイが垂れている。
 
提督(そういえば去年の夏ごろ、服装について注意したことがあったっけ)

提督(ヘソが見えてるから……直せって)

提督(暑かったからとか言っていたが……)

提督(…………)

提督「関係……無いだろう。まあ。……いや、どうだろう」

提督「…………」


↓艦娘安価×3

 明石の言っていたことをまるっきり信じていたわけではなかったが、最初に『ERROR』の文字が青いバックライトと共に返ってきたときは、
 ごくごく小さくはあったが落胆を禁じ得なかった。
 
提督(おいおい。そもそも信じていないのだったら、どうして落ち込むことがある?)

提督(ここにいる全員から好かれてるとか、本気で思っていたのか? んな馬鹿な)

提督(……思っていたかはともかく、まあ、少しだけ期待は……したかも……しれない、なあ)

提督(……あまり認めたくはない、けどなあ)

 測定器を手渡されてから二時間は経っていた頃には、鎮守府のありとあらゆる場所で、『R』のボタンを押し、『M』のボタンを押していた。
 
 勿論、相手には気づかれないように細心の注意を払って。
 
 測定人数がざっと30人を超えた辺りから、『ERROR』よりも数字が表示される場合のほうが珍しいということを
 初めのころよりはすんなりと受け入れられるようになっていた。
 
提督(当然だろう。そもそも俺は、部下たちから慕われて然るべき行いを取れているんだろうか?)

 折りたたんだルーズリーフに書き込んだ『ERROE』ではなかった場合の相手の名前と数値を
 こっそりと眺めながら、自問自答をする。
 明石と若葉の下には数人の名前と数字が、自分でもあまり見やすいとは思えない字で記されている。
 ちゃんと画面に数字が返ってきた相手には、まあ普段の様子からすれば順当なのだろうと思える者もいれば、
 アイツがまさか、こればっかりは嘘だろう、本当に……と、思わず口に出してしまいかねないような者もいた。
 ちなみに、現時点で一番高い数値は『84』だった。
 
  <70~99:キャー///~キャー♥♥♥>
  
 最初のころよりは冷静になった頭で考えてみると、物事を客観的に見ることが出来るような気がした。
 
提督(明石はこれをどんな気分で打っていたんだろうか……)

提督(そもそも、このワードアートは一体……一種の照れ隠しかなにかか?)

提督(ありうるな。キスをする以上のことを言えば……まあ、アレを連想するよなぁ。どうもぼかして書いてあるようだけど)

提督(……明石って、初心なんだろうか)

 その可能性は大いにあり得るだろうと思えた。
 自分から――恋愛感情を読み取る? ――ような機械を自作の説明書付きで渡してきて、
 実際にその身をもって効果を確かめさせたとあっては、それは一種の告白だろう。

 様々な考えが星のように周り巡り、そうこうしているうちに夜になっていた。
 
 普段の場合と比べても、今日の仕事はいまいちペースが乗らず、捗らなかった。
 
 艦娘たちもそのことを察していたようだったが、他ならぬ原因が本人以外与り知らないことだったため、
 
秘書艦「ねえ、今日はどうしたの? なんだか元気が無いように見えるけど……何かあったの?」

 秘書艦には午前中だけで三度は尋ねられるほどに心配され、何でもないと答えても
 
『そお? でもそんなこと、私が信じると思うのかしら?』

 と、ほとんど言わんばかりの目を向けられる始末だった。
 
 間近に控えた大規模作戦のこともかかずらってかなり忙しかったとはいえ、やっとのことで仕事が終わるころには、もう十時を過ぎてしまっていた。
 
 執務室の扉に鍵を掛けて、橙色の間接照明で薄く照らされた廊下を歩く。
 
 両手を組み、掌を上に向けて体を伸ばすと、思わず呻き声が口から洩れた。
 
 明石から測定器を渡されたのは朝食から約一時間たったころ、午前八時ぐらいだったはすだが、それから今日一日は
 彼女と顔を合わせていなかった。別段珍しいことでもなかったが。
 
 開発計画の要綱を更新するために一週間に一度ほどは工廠へ足を運ぶ機会はあるが、その時には決まって明石が出迎えてくれていた。
 
 提督の方から用事のために出向くことがあっても、明石の方から来ることは珍しいことだった。
 
 提督は今更ながら、普段はあまり意識していなかったことに気づいていた。
 

 日々の仕事に追われ過ぎていて、先のことを考えることはあっても、過去を振り返ることはしていなかった。
 
 朝と昼に仕事をして、夜に寝るだけの生活と言うわけではない。
 
 ただ、一日二日一週間ならともかく、それより前の事柄に思いを馳せるということ自体が思ってもみなかったことだった。
 
 折に触れて反省をする機会などを別として、提督にとっては過ぎたことは過ぎたことだった。
 
 現時点で鎮守府に所属する艦娘は既に百人を超えていて、正確な数は百六十一人にも昇る。
 
 実績次第で鎮守府に収容できる艦娘には違いがあり、最初のうちは最大百人までであることを知らない提督などいない。
 
 百人と言えば相当な数のように思えるが、ある程度まで仕事をしていれば十分な数ではなくなる。
 
 そのある程度まで進むことが出来るものは数少なく、かつての友人や同期の中で残っている者は指で数えられるほどしかいない。
 
 ある提督は部下に対する度を過ぎすぎた振る舞いのために粛清され、ある提督は自らの部下に醜聞を暴露される形で反旗を翻され、
 ある提督は自らの指揮によって失敗した作戦のことを心に病んで、自ら鎮守府を去った。
 
 中には歩いて去るのではなく、銃や薬や紐などを用いてこの世を去る者もいた。
 
 だが提督は鎮守府に残り続けた。実績を積み、これからもこの仕事を続けていくために。
 
 平和を守るために。
 
提督(その実績を追いすぎていたために、何かと頭の中から……部下のことについて見落としがちだったのかもしれないな)

提督(今にしてみて気づいたことが色々とあるじゃないか)
 
 例えば、曙や満潮や大井などの、何かと当たりのキツイ部分のある者の他、潮や霰や弥生などの、物静かと言うよりはただ単に人付き合いの
 苦手な印象を受ける者などと、仕事以外で会話をする機会が、最初のころよりは増えていたこと。

 
 
~~~~~~~~~~~~~~~

 
 
曙『なに? クソ提督はクソ提督でしょ。言葉遣い? アンタにはこれで十分でしょ。……あっそ。気に入らないなら外せば?』


曙『ほんと冗談じゃないわ……え、何よ? 無事よ。見ればわかるでしょう? 休めって……そんなこと言われなくても休むわよ』

曙『喧嘩の原因、ね。アンタならわかるでしょ。クソ提督。随分とまあみんなからは慕われてるみたいね。大した失敗もないけど、
  別に大した実績もないじゃない、アンタ。……その通りだ、って。何素直に認めてんのよ、クソ提督』

曙『あまりお節介焼かないでくれる? 迷惑なんだけど。なに? 心配してんの? ……あり得ないから。
  私の心配してる暇があったら自分の心配してれば? 最近、本部からつつかれてるんでしょ。知ってるんだから』

曙『……だからウザいのよ。私のことをかわいそうだとでも思ってるの? 友達がいなくて独りぼっちな嫌われ者だから、せめて
  自分だけでも仲良くしてやろうってワケ? もう一回言うわ。ウザイのよ、アンタ』

曙『私は……一人でいるのが好きなのよ』

曙『……ええ、そうよ。作戦は失敗。原因は私。大破してお荷物になったからよ。もうどうせ聞いてるんでしょうけど』

曙『私がみんなの足を引っ張ったの。あんたが思ってる通りよ。みんなだってそう言ってるでしょう?』

曙『……こんなときまで甘いのね、クソ提督。思ってもないこと言って。ただ優しい言葉をかけてればそれでいいってわけ?』

曙『自分の部下が失敗したってのにそんなに甘いなんて、アンタやっぱりクソ提督って呼び名がお似合いなんじゃないかしら?』

曙『……そんな嘘私が信じるとでも思ってるの? そんなわけないじゃない。なんで私が心配されなきゃなんないのよ』

曙『だから! そんな嘘言わないでったら! 私のことなんて誰も心配してるわけないじゃない!』

曙『うるさい! アンタに私の何が分かるっていうの! どうせ何もわかってないくせに!』

曙『騙されるとでも思ってるの! そんなこと信じないわよ!』

曙『……殴りたいなら殴れば? それでアンタの気が済むならそうしたらいいじゃない』

曙『…………』

曙『…………』

曙『…………』

曙『………ッ!?』

曙『なッ! なに抱き着いてきてんのよ! このクソ提督!』

曙『離しなさいよ! クソ提督! 通報するわよ!』

曙『このッ…………!』

曙『…………』

曙『…………』

曙『……何よ』

曙『本当に、何なのよ、アンタ』

曙『馬鹿なの? 今までさんざんコケにしてきたじゃない』

曙『わたし、今まで、散々言ってきたじゃない』

曙『アンタに散々……酷いこと、言ってきたじゃない』

曙『なのに…………』

曙『なんで私に、そんなこと、言えるのよ』

曙『アンタだけじゃなくて、みんなにも、憎まれ口を叩いて』

曙『そんな私のこと、嫌いじゃない、なんて……』

曙『……嘘よ』

曙『…………嘘に、決まっ、て――』

曙『――――――――』

曙『――――――――うぅ、あぁ、あ』

曙『あぁ、ぐ、うぅ、ぁぁ――――』

 提督となって間もないころであっても、気の強い性格をした艦娘のことなどはあらかじめ聞いてもいたし、
 鎮守府には曙よりも先に叢雲が居たので、当たりの強さについても大きな驚きは無かった。
 
 突然のクソ提督呼ばわりについては、いくらか――ほんの少し、度肝を抜かれはしたが。
 
 まだ他の提督と定期的に連絡を取る機会があったとき、曙を始めとした気の強い艦娘について話題になったことがある。
 
 気の強いところがかわいい。からかいがいがある。泣きそう。泣かせたい。様々な意見があった。
 
 めいめいに話が盛り上がっていたその最中に、南方に位置する鎮守府のある提督が突然立ち上がったかと思うと、
 酔いが十分に回った一座を見渡して、高らかに言っていたのを覚えている。
 
『俺……今度のケッコン相手に、曙ちゃんを選んだんだッッッ!』

 彼も酔っていた。いや、彼が一番酔っていた、というべきか。
 
 ちなみに、今では当たり前な『ケッコンカッコカリ』システムが大本営から発表されて間もない頃――
 その手の話題が提督仲間の間で初めて言及された瞬間だった。
 
 感極まって突然叫びだした南方提督をなだめるやら、祝いの言葉をかけるやらで、座敷の中には絶妙な雰囲気が漂い始めた。
 
 そのタイミングを見計らって、今まで当たり障りのないことしか言わなかった提督は、思い切ってこう切り出してみた。
 
『みんなの話を聞いてみると――ウチの曙はどうも、ちょっとばかり他とは違うらしいな』
 
 酔いつぶれ、畳んだ服を枕にした南方提督以外の全員が、話を進めるにつれて神妙な面持ちを増して耳を傾けていった。
 
 曙が仕事以外のときはおろか、仕事のときでさえ自分と口をきくことを避けていること。
 
 自分がきっかけで、曙が数人の駆逐艦と喧嘩沙汰になったこと。
 
 一度など、振り返ってみれば本当に馬鹿らしいささいな理由から、大井と殴り合いの喧嘩に発展したこと。
 
 足柄が、普段とは百八十度逆の深刻な表情で、曙についての相談を持ち掛けてきたこと。
 
 提督の話が半ばを過ぎたあたりから、途中から茶々を入れたり、関係ない言葉をはさんできた者も口をつぐむようになっていた。
 
 横になっている一人を除いて、全員があっけにとられた表情をしていた。
 
『……と、いうわけだ』

 話を終えてしばらくは、沈黙が場を支配していた。
 
『それで……俺は、どうしたらいいんだろう? お前たちは何か心当たりはないのか?』
 
 あまりにも静かすぎる空気に耐えかねて、全員を見渡して訊いた。
 
 ある者はこう言った――腹を割って話してみろ。そこにどうやって持ち込むのかと聞き返すと、かれは黙った。
 
 ある者はこう言った――あまりにも問題行動が多いのなら異動させてみてはどうだ。だがそうしたくは無かった。
 自分が困難から逃げているような気持ちにさせられるからだ。

 
 ある者はこう言った――お前、初対面の時にケツとか触ったんじゃないのか? 
 即座にそいつは軽く袋叩きにされた。

 
 ああでもない、こうでもない――意見は飛び交ったが、らちが明かなかった。
 
 自分が持ちかけた話で空気が重くなったことを提督は若干後悔し始めたころ、
 
『抱きしめてみろ』

 その声は朗々として響き渡った。
 
 再び沈黙が降り、声のほうに視線が集まった。
 
 横になっていたはずの南方提督が、いつの間にか片膝をついて立って、こちらを見ていた。
 
 かれは提督のほうを見ていた。揺るぎなく、真っすぐな目をしていた。
 
 そして、畳の上に置いた右手をゆっくりと上げて、人差し指を提督に向けて、こう言った。
 
『お前が彼女を受け止めろ。そうするべきなんだよ。お前がそうしなくて、いったい誰が今の彼女を受け入れるんだ?』

 一言一言に底知れぬ強い意志が秘められているように感じた。まるで天啓のように。
 
 顔面と指先を真っ赤に染めて、うつろな目をしている人間の言葉ではなかった。
 
 かれは横ざまに倒れこんで、寝息を立て始めた。

 今にして提督は、あれこそが天啓だったと――本当に、自分に対して示された答えなのだと、本気で信じていた。
 
 酒が抜けた後の南方提督は、自分の言ったことを全く覚えていなかった。
 
 そのことを、座敷に合席した提督たちにからかわれて、訳が分からないといった表情をしていた。
 
 ケタケタとした笑い声とともに背中を叩かれながら、仲間内の気安さがなせる無遠慮でいて立ち入りの浅くないからかいを受けて、
 本人も僅かに顔を赤くしながら恥ずかし気な笑みを浮かべていた。
 
『お前は確かに言ったんだぞ。曙ちゃんを抱けってさ。全員が聞いてるんだ。お前だけ覚えてないみたいだけどさ』

『酒のせいで本音が出たんじゃないのか?』

『つーかお前、欲求不満なんじゃないか?』

『おいおい、日本男児たるものが婚前交渉ってワケにもいかねェだろうに』

 南方提督はそのとき、数人と並んで道の先頭を歩いていた。
 
 両側に明かりの消えた家々の並ぶ住宅地。
 
 通る車も無く、人気も無く、あらゆるものが寝静まったような夜の中。
 
 ふと集団から二、三歩ほど先のほうへ離れてから振り返って、南方提督は言った。
 
『……みんなに言っておきたいことがある』

 改まったような真剣な口調だった。
 
 提督は、誰かが発したからかいの言葉がかれの中の不可侵の領域まで踏み込み過ぎたのかもしれないと思った。
 
 他の提督たちもおそらくは同じことを思っていた――というのも、熱がすっと冷めていくように、談笑の声がぴたっと止んだからである。
 
 てっきり南方提督から、自分と曙に対する品の良くない話題を打ち切ってほしい、と言葉が発せられるものと思った。
 
 実際には違った。
 
『俺はもう、彼女を抱いている』

 南方提督の声はそれほど大きくは無かった。
 
 しかし提督は、かれの言葉を半径50メートル以内に存在する全ての者が聴いたのではないかと馬鹿げた考えに駆られた。
 
 それほどまでに衝撃的で――衝撃が大きすぎて、すぐには受け止められなかった。
 
『……抱いてる、ってのは?』

 口を開いたのは誰だったか――誰であってもおかしくは無い。自分だったかもしれない。
 
『性交渉を済ませてあるということだ。つまり俺と彼女は、お互いに童貞を処女を捧げ合った仲なのだよ』

 かれは臆面もなく言った。

 かれは優秀であったため、もとより提督たちからは一目置かれていた。
 
 だがその件以来、南方提督は、気の強い艦娘談義の座敷に居合わせた提督たちから新たな畏敬の念を得ることになった。
 
 それは少年時代に、仲間内で一番早く大人の階段に足をかけ、自分たちよりも高いところに立っている者に向けられた感情そのものだった。

 南方提督は今でも生きている。
 
 生きているというだけではなく、提督よりも一つ上の階級――大佐となって、重要な任務を任されている。
 
 風の噂によると、かれは上級幹部候補――いわゆる将官への道が開けているらしい。
 
提督(もう二年……いや、二年と半年くらいだったかな……)

提督(随分と遠くに行っちまったもんだな……)

提督(あの時はまだ、みんなが揃っていたな……)

提督(誰がウチに来てくれない、誰がかわいい、誰との関係に悩んでる……そういったことを話したこともあったっけ……)

提督(今じゃああまり、その機会はないよな……)

提督(なんせもう、距離が……大きすぎる)

提督(…………)

提督(……いや)

提督(生きているだけ……)

提督(生きているだけ……どんなに遠い場所にいようが……)

提督(絶対に会う機会は無い……そんなことはないよな)

提督(……ああ。そんなことはない)

提督(そんなことはないさ)

提督(生きていれば……)

提督(死んでさえいなければ……また顔を合わせることもあるだろう)

提督(また……馬鹿みたいな……いや、話が出来ることもあるだろう)

提督(とはいえ……またあいつらに会えるとして……いつのことになるだろうか?)

提督(暇なやつはいないだろうし……俺だって暇じゃない)

 夜の鎮守府を歩く提督の胸中を満たす感傷的な気分も、いつにないものだった。
 
 物思いにふけりながら歩き、階段を下り、角を曲がったりしている提督の頭の中は、過去のほうへ飛んでいた。
 
 それが現実に戻ってきたのは、食堂の前についたときだった。
 
 普段ならこの時間帯に食堂は閉まっているはずだった。
 
 だが、扉の無い入り口から、昼白灯の強い光が廊下の窓辺まで溢れだしていた。
 
 それに中から、誰かの声が聞こえてくる。

今更ですが、艦娘の安価はちょっととりあえずここで打ち切らせてもらいます。すいません。

上のほうにある零式高感度測定器のスレを読みました。面白かったです。

そのスレのほうを参考にさせてもらって、これをもし終わらせられたら、新しく書いてみたいとも思います。

 時計の針は九時半を指しているが、今は夜の午後二十一時半。一日はもうすぐ終わりかけている。
 
 食堂の中には誰も居ない――幅広のテーブルが列を成しているうちの一つ、入り口に近い場所に座っている一人を除いては。
 
 曙は、支給された軍用端末に表示された時間と、壁に掛かった時計とを見比べながら、落ち着かない気持ちを持て余していた。
 
曙(ああもう……九時半に来るって言ってたじゃない……)

 そう。あの二人は……九時半に食堂で、と言っていた。念を入れるように、夜の、とまで入れておいたのだ。
 
 だから間違えているということはないだろう。
 
 いや――忘れてる可能性は?
 
曙(それは無いわ)

 確かにその可能性は薄い。曙が持ちかけた話は、その二人にとってはかなり興味深いものだからだ。
 
 提督のことで相談したいことがあると頼まれて、それを念頭から消し去れるような相手ではないのだ。
 
 彼女たちには、相談したいことがあるとしか言っていない。勿論その内容を聞かれはしたが、曙は答えなかった。
 
 あらかじめ情報を与えてしまうと――知りたい答えをあらかじめ後ろの方へ周到に隠されてしまうかもしれないと考えたからだ。
 
 この手の話題というものは、世間一般の言い方をすると――非常にデリケートなもの、である。
 
「あら、曙ちゃん。もう来てらしたのね」

「よーっす、曙。ちょいと遅れちまったかな、ごめんよっ!」

 曙は、液晶画面[21:33]から顔を上げて、声がした入り口のほうを見た。
 
 少し遅れてやってきた二人は、共に似た色合いの髪をしている。
 
曙「いいのよ。そんなに待ってなかったから」

 曙は端末をスカートのポケットの中に入れて、机の上に肘を置いて崩していた姿勢を直した。
 
曙「ええっと……鹿島さんに、朝霜。わざわざこんな時間に呼び出して悪いわね」

鹿島「いえ、いいんですよ。曙さん。そう畏まらないでください」

朝霜「あたいだって気にしちゃいないさ。いや、気にはなっちゃいるんだけどさ」

 二人のうち、背の高いほう――練習巡洋艦の鹿島は、律儀なまでに制服姿のままで、黒いベレー帽らしき帽子も
 緩いウェーブのかかった銀髪の頂点にちょこんと乗せられていた。

 もう一方――駆逐艦の朝霜は、いつもは後ろで結んでいる髪を下ろしていて、緑色の格子縞の模様をしたパジャマ(綿100%)を着ていた。

 物品カタログのファッション用ページから取り寄せられる代物であり、曙も色違いのものを一つ持っている。

 寝床に入る前といった裝いの朝霜が、八重歯が見えるくらい陽気に笑いながら、自分たちを呼び出した相手のほうを見た。

朝霜「ま、提督がらみの話とあっちゃ、あたいらじゃなくったって気にはなるだろうね」

 鹿島と朝霜は、曙の向かいの席まで歩いて、椅子を引いて腰を下ろした。
 
 曙の正面には朝霜が、はす向かいには鹿島が座り、共にテーブルを囲んだ形となった。
 
 普段ならあまり見られない光景であり、これがまだ遅くない時間帯ならば目を引きやすいだろう。
 
 これから話すことは、出来る限り誰にも知られたくはないのだ。


***************


上の方で安価を取らないと書きましたが、具体的に言うと艦娘を指定する安価を取らないということです。

曙の相談したい内容を、選択肢から↓×5まで安価を取ります。

1:提督のことを普通に呼びたい。

2:料理を教えてもらいたい。

3:カワイイ服やアクセサリーについて。

1:提督のことを普通に呼びたい。

に決定しました。今からバイトなんでその間に考えておきます。

どうもこれ、クソ長くなりそうです。
終わりが見えない

曙「その――」

 後に続く言葉『クソ提督のことなんだけど』が、喉の奥から出かかる前に消えた。
 
 ふいに二人から目をそらしたくなって、目線を下に――組んだ両手のほうへやった。
 
 ああ、何てことだろう。よりにもよっていま、自分が一番にどうにかしたい悪癖が、うっかり飛び出してしまいそうになるとは。
 
 一度身に付いてしまった習慣を変えることの難しさは並大抵ではないと聞いたことがある。
 
 タバコや酒に一度飲まれてしまえば逃れることが難しいのは、タバコにはニコチン、酒はアルコールと、それぞれに依存物質が潜んでいるからだ。
 
 玄関で靴を揃えないままにしておくことや、服を脱いで床に捨て置くことだって、飲酒や喫煙と共通する点は薄いものの、
 習慣という二文字でくくられがちである。
 
 いや、良くない習慣には、きちんとした二文字が当てはめられている。
 
 悪癖。
 
 やっかいなことにこの悪癖も、一度自分自身と一体化してしまえば、シールやステッカーのように簡単に剥がしてしまうわけにはいかないのだ。
 
 直さなくてはならないということを自覚していないうちは救いようは無いが、自覚していたとしても五十歩百歩だ。
 
 差はあってもささいなもので、どうしようもないだろう。

 一人で抱えているうちは。誰とも分かち合わないうちは。

曙(どうしてこう、関係ないことを考えているんだろう)

 それが、と言ったきり何も言わないからか、二人はきょとんとして、お互いの顔をちらりと見合わせた。

 曙に視線を戻したときも、それが、の続きを促すこともせず、次の言葉を待つように何も言わなかった。

 数秒が倍ぐらい長いように感じられて、沈黙が重く圧し掛かってくるようだ。

曙(違う。緊張してるのは私だけだ)
 
 鹿島はテーブルの下で揃えた腿に両手を置いていて、朝霜は腕を胸のあたりで組んで、両肘を樫の木の天板に置いている。
 
曙(なんだろう、これ。この状況)

曙(なんだか……私が叱られてるような気分)

曙(昔を……昔ってほどじゃないか。つい最近でもないけど)

曙(でもそんなに前でもない……けど。そのときはまだ)

曙(まだ二人はいなかった)
 
曙(――あっ)

曙(そういえば……そうだった)
 
 思い返してみれば今更ながらの事実に気が付いて、背中に怖気のようなものが波打つのを感じた。
 
曙(そうだ……そうだ。朝霜と鹿島さんは、あれのこと、私のことを……知ってるのかしら)
 
 朝霜が鎮守府にやってきたのは去年の冬、つまり一年と一、二か月ほど前のことになる。
 
 鹿島はここにきて、やっと半年が経ったあたりか。
 
 年功序列的な観点からすれば、曙は二人よりも先輩ということになる。
 
 当然ながら、この鎮守府に初期のころから身を置いている曙のほうが、鎮守府における歴史には明るい。
 
 立場を変えれば後輩であるこの二人が知らないであろう過去の出来事の多くを知っている。
 
 もっとも、二人が他の口からの話を耳に入れていなければの話だが。
 
 少しばかり本気で考えてみたものの、その可能性はあまり高くないように思えた。
 
 どれくらいの間か分からなかったが、曙にとってはかなり長い間の沈黙だった。

 それを破った言葉は、自分の耳にもとても拙く、虚ろに聞こえた。
 
曙「私が、その、アイツのことをどう呼んでたのかって、知ってるわよね」

鹿島「提督さんのこと?」

朝霜「提督を?」

 二人の返事がぴったりと綺麗に重なった。
 
 声に含まれた疑問符の調子までもが、まるで同じ色のようにそっくりだった。

曙「そう」

曙(そう。じゃなくて。答えになってない)

 まるで噛みあわない答えに、内心でごく小さくもどかしさと苛立たしさの火種が燻るのを感じた。

 それでも、感情を表に出さないようにするのは簡単だった。

 まだここにきて初めのころでは、そうはいかなかったはずだ。

 以前の自分であれば、声音に微かな険が混じるのを抑えられなかっただろう。

 だが、前は前――今は自分を抑えることはできる。

朝霜「提督のことをって……あっ」

 気だるげなようにテーブルへもたれかかっていた朝霜は、何かに思い当たったかのように声を上げた。

 朝霜の態度に、曙は突然、もどかしさと苛立たしさとは別の、穏やかならぬものがこみ上げてくるのを感じた。

 まるで、隠していたやましいことに触れられたような――ぐっと、胃が縮みあがるような気分。

鹿島「えっ、なに? 朝霜ちゃん? どうかしたの?」

朝霜「ええっと、あぁ~……うん。ええっと……うん」

鹿島「ええ??」

 朝霜の態度が急によそよそしいものになり、鹿島の表情に困惑の色が浮かび始めたのを見て、曙は急に二人を呼ぶべきではなかった、
 相談なんかしようとするんじゃなかった――と、後悔が胸の内に染みのように広がっていくように感じた。
 
曙(ああ、もう……)
 
 曙は指を交互に組み合わせた両手をほどき、手のひらをくっつけて手の甲を指で握り込んだ。

 両手は不快に汗ばんで、手のひらのくぼみから滴が手首を伝って垂れるかもしれないとすら思った。

 鹿島が向き直ったとき、曙は、正面に座ってこちらを見つめている年長だが後輩でもある少女に、ふと突拍子もない思いを抱いた。

曙(この人、美人だ)

 これまで鹿島と共に海域へ出撃したことは無く、演習の編成で数回一緒になった程度である。

 廊下ですれ違ったときに挨拶をしたことはあるが――それ以外のことなると、他に思い当たらない。

 だが、今この時のように、顔と顔を突き合わせて会話をしたことが無いのは確かだ。

 緩く波を打つような銀髪と、繊細な輪郭の上に描かれたつぶらな薄い鋼の瞳に、真っ直ぐ通った鼻筋、形のいい淡紅色の唇。

 目尻は僅かに高く吊り上がっているものの、見る者に本来与えるであろう険しさの印象は欠片も感じられない。

 全体的な佇まいから溢れる柔らかな雰囲気は、静止画を通してでは伝えられる類のものではなく、実際に目の前にしてみないと分からないだろう。

 微笑みの混じった困り顔で小首をかしげた鹿島に見つめられていると、あらかじめ頭の中で用意していた言葉が、
 何かに引っ掛かってしまったかのように口にすることが出来なかった。

曙(ええと、まずはなんて――)

曙(…………)

 言わなくては。言いにくくても、言わなくては。

曙(せめて、そっちから聞いてくれれば)

 そんなことを考えても仕方がないとはわかっている。

 鹿島の右隣りで朝霜がしきりにまばたきをしながらこちらを見ているのを肌で感じながら、曙は息を深く吸った。

曙「クソ提督っていう呼び方を変えたいと思ってるの。私、アイツのことを……みんなみたいに、普通に呼べるようになりたい」

 口に出してしまえば、案外簡単だった。

 それから後は、すらすらと言葉が溢れ出してきた。

 頭の中に堰き止めていたものが止めようもなく流れていくように。

 ええっと。昔の私はちょっと荒れてて。そう。色々とあったの。ここに来る前にちょっとね。だからその、うん。
 艦娘になる前はあまり、暮らしぶりが良くなくて。だからひねくれてたって言うか。
 学校にも通ってたわ。小学校。公立の大きな小学校。一クラスには大体四十人がいて、教室はまあ広かった。
 いつか聞いたことがあるけど、昔は中等学校に上がるのに試験無しで良かったらしいわね。そんなこと正直信じられないけど。
 私はいつも勉強ばかりしてて、成績は良かったの。けど、あまり褒められたことは無かったわ。それに友達も居なかったの。
 うん。一人も。
 まずはね、中等学校に上がって。そして高等学校へ行って。もしも出来るなら大学校まで進むつもりだったの。
 どうしてって?
 だって。私は……住んでた場所から出たかったのよ。あまりいい場所じゃなかったから。
 私が――私たちの一家が近所の人からどんな風に思われてたのかって知ってたわ。貧乏人の大家族。穀潰しのクズ。大体そんなところ。
 両親は働いてはいなかった。働いてはいなかったけど、子供だけは作れるだけ作ってた。生活保護や児童福祉手当を毎月貰ってた。
 いくらぐらいかは知らなかったけど――普通に働いてる人くらいのお金は貰ってたと思うわ。恥さえ捨てれば生きてはいける。良い見本よ。
 だから、抜け出したかった。どこか別の場所へ行きたかった。今いるところじゃなければ、どこにでも。出来れば遠くへ。
 だってそうでしょう? 誰も私のことを知らない場所へ行けば、最初から真っ白なままやり直せるに違いないもの。私はそう信じてたわ。
 後ろ指を指されて、お国の懐にたかるドブネズミ呼ばわりされることなんてない。そんなことはもうごめんだったのよ、本当に。
 あの時は何もかもが嫌だったわ。
 まあ、今こうしてみれば、願いは叶ったわけね。私が望んだ形でないにしろ。
 学校で検診があって、その一週間か二週間か後くらいに手紙が来て。私が郵便受けから持ってきたの。
 軍の印鑑が押された緑の封筒。
 朝霜もそうだったの? へえ。そんな風に決まってるのかしら。
 ええと。それで。その封筒を父さんに渡して。父さんは昼間から酒を飲んでて。母さんも。
 テレビを見てる最中だった。居間で、テーブルの前で。
 私は父さんのことが嫌いというか――怖くて。父さんは酒を飲んでると、ときどき理由もなく私をぶったの。
 むしろ、父さんが私のことを嫌いだったんだと思う。
 どうしてって? 私が気に食わなかったのよ。
 私は家族の中で、百点のテストの答案を家に持ち帰ってきたことがあって、お小遣いで古本屋から英語辞典や中学校の教科書を買って、何冊もノートを使い潰して、
 ご飯を食べた後はテレビも見ずに勉強をしてて――要するに父さんからすれば、私は優等生ぶってて、お高く止まってて、生意気だったってこと。
 兄貴からそんなようなことを言われて、肩を殴られたこともあった。
 弟が私のノートに下品な言葉やヘタクソな絵を落書きしたこともあった。
 一度はね。すっごく酔っぱらった父さんに、髪を掴まれて揺さぶられて、お前は俺たちを見下してるんだ。俺たちのことを馬鹿だと思ってるんだ。
 そう言われて。それを母さんが見てた。妹が見てた。弟も兄貴も見てた。みんなが私を見てた。ドアを開けた隙間から。階段の陰から。
 でも誰も止めなかった。

曙「誰も……」

 彼女の声が喉につっかえたように途切れた。ひゅっ、と吸い込む息の音が唇の隙間から洩れた。
 
 自分たち二人を呼び出した少女は顔を伏せた。きっと唇は真っすぐに結ばれていて、震えているのかもしれない。
 
 薄い涙の膜が両目を覆って、きらめいていた。
 
 彼女は泣くかもしれない。それも声にならない声とともに。鹿島はそう確信していた。
 
 だが予想に反して、そのようなことにはならなかった。
 
 曙は机の上に置いていた両手を難儀そうに持ち上げて、顔を覆って涙を隠した。
 
 すん、すん。という、しゃくりあげる音。
 
 鹿島は隣にいるもう一人の少女と顔を見合わせた。
 
 朝霜の表情には困惑が表れていた。話の方向が斜め上に逸れてしまった状況への素直な感情表現がそこにあった。
 
 やがて曙はすすり泣くのを止めて、両手を下に降ろした。

 曙のすすり泣きが止むまで、時間はまるで引き伸ばされたソフトキャンディーのようになって、一秒一秒が味わい深いようにさえ感じられた。
 
 風が窓枠を小さく揺らす音や、草葉のさざめき。西に広がる海辺に波が砕ける音。
 
 鎮守府の入り口から歩いて十分ほどの森の中に住んでいるであろう鳥の鳴き声。草むらに住んでいるであろう虫の鳴き声。
 
 顔を覆って、胸を揺さぶる衝動を内に塞いでいる少女のことは気がかりであった。
 
 その一方で、鹿島は夜が更け始めていく静寂の中に忍び込んでくるような自然の織りなす音に耳を傾けていた。
 
 蛍光灯のブーン、という音までもが心地よい。何故か懐かしいと感じさせれられる音。
 
 腕に触れる手を感じて、鹿島は朝霜のほうを向いた。
 
 自分とほとんど同じ髪色をした駆逐艦の少女。長い髪を後ろで縛って、前髪で片目を隠した彼女は、やれやれ、といった感じに小さく肩をすくめた。
 
 とりあえずは微笑むことを返事代わりにした。そうすることは初めてではないが、数多くではなかった。
 
 季節は初夏にもうすぐ足の爪先が届きそうになる頃。今年が残すところもうすぐ半分になろうとしている。梅雨が近くなり、雨が降りやすくなる時期。
 
鹿島(もうすぐ鈴虫の季節ね)

 窓の外に広がる緑の下で鳴いているのは、鈴虫ではない。そのことは知っている。わざわざ教えられるまでもなく。
 
鹿島(だったら、今こうして鳴いているのは? いったい誰なのかしら?)

 誰? と頭の中にごく自然に浮かんできた言葉に、まるで指先で胸の内をくすぐられたような気持ちになった。
 
 いったい誰なのかしら? なんて、まるで人みたいに。人ではなく、小さな小さな虫のことなのに。
 
鹿島(いいえ。虫さん、かしら?)

鹿島(虫さん)

鹿島(……ウフフッ)

鹿島(虫さん。虫さん。あなたはいったいだあれ?)

鹿島(鈴虫さん。いいえ。だったら、どなた? あなたはだあれ?)
 
 益体もない言葉に即興のメロディが乗って唄になる。いや、唄ですらないかもしれない。ただ口ずさんでいるだけ。それも口には出さずに。
 
 鹿島はこの癖のことをよく心得ていて、自らの特徴の一部と見なしていた。何しろ、長い間続けていることなのだ。
 
 他人からすれば時おり上の空になり、頭の中が宙にふわつきがちになるといった一面。
 
 艦娘となる前にもたびたび指摘されたことがあり、艦娘となってからもたまに魂の姉から呆れがちにたしなめられていた。
 
鹿島(あなたはあなたは……だあれ?)

 唄が堂々巡りし始めた。
 
 鈴虫でないことが分かっていても、だったら他に心当たりはあるの? と、もし面と向かって訊かれでもしたら、無いとしか答えようがない。
 
鹿島(あーなたーは……あーなたーは……だーあ、れ?)

 したがって、このようになる。意味など無い。風が吹くように、唄が頭の中を流れるのだ。

 曙の泣き声は止んでいて、一種の秒針のように規則的な深い吐息の音が取って代わっている。まだ両手は降ろされてはいない。
 
 そうしたことを目にして、耳にしているにもかかわらず、鹿島の視覚と聴覚とは異なる部分、つまりは思考の一部は別の所にあった。
 
 窓枠が風で微かに震えた。木組みの窓枠などは近代的な建物にはあまり見られるものではないが、この鎮守府においては例外である。
 
 風が吹くように。鹿島は生来の習性となっている即興の胸中喉自慢のことを、風に例えて考えている。
 
 このことは誰にも話したことは無い。両親にも。この世に生まれ落ちて十七年後に新たに姉と呼び慕うようになった人物にも。
 
 仮にもしも、当鎮守府の提督が鹿島の中で"風が吹くように"唄が巡り巡ることを知ったならば、かれはより真実に近い別の言葉を当てはめられるだろう。

 目の前をしっかり見ていたはずだったが、いつの間にか見えなくなっていた。朝霜の声によってそのことに気づかされた。
 
朝霜「で、落ち着いた?」

 意味もなく流れていた唄(ですらないが、かなり近いもの)が、一時停止のボタンを押したように一瞬で消え失せた。
 
 自分に掛けられたわけではない声に鹿島は反射的に返事をしかけていた。かなりきわどいところだった。
 
 曙はうなずいた。もう顔は見えるようになっていた。睫毛が水気を含み、艶を帯びている。
 
 涙目にはなっていたが、落ち着いた表情をしていた。激情は過ぎ去ったようだ。嵐の後の静けさ。
 
曙「悪かったわね」

 曙はばつが悪く、どこか拗ねたような口調で言った。
 
曙「思い出すのは久しぶりだったの」

 鹿島はうなずいた。何も言わなかった。朝霜も。
 
 曙は微笑んだ。ぎこちなかったが、ただ不慣れなだけに見える。話を聞いた限りでは、微笑むようになったこと自体が彼女にとっては大きな変化らしい。
 
曙「その、これを誰かに話したのは久しぶりで……」
 
朝霜「前にも話したことあんの?」
 
曙「ええ。そのときは、今みたいな感じじゃなかったけど」
 
朝霜「ふうん」

 朝霜は以前の告白相手には興味が無いようだった。だが、鹿島は微かに引っかかるものを感じた。
 
 単なる直感だった。女の勘、とでも言えばいいだろうか。
 
 今度は思いついたままの言葉をそのまま口にした。考え直す必要もなかった。
 
鹿島「その人って、提督さんじゃない、曙さん?」

 まるで、あそこに飛んでるのって飛行機じゃない? とでも言うようなさりげない言葉に、発した本人でさえ思いもよらない劇的な反応が返ってきた。
 
 曙は掛け値なしの驚愕に打たれて、目を見開いて鹿島を見た。朝霜も同じように驚いて左のほうに顔を向けていた。
 
曙「え、ええ」

 曙はうろたえていた。自分以外が知らない秘密がいとも簡単に暴かれたかのように。
 
朝霜「え、そうなの? 提督が?」
 
曙「ええ。そう。そうよ。でも、何で? どうしてわかったの、鹿島さん? まさか――」

鹿島「えへへ」

 彼女が驚いたことに、内心で満足感と困惑が入り混じった奇妙な感情が湧き上がった。
 
 どうして、こんなふうに感じるのかしら?
 
鹿島「なんとなく、分かっちゃったんです」

 本当のことだった。当て推量が偶然的を射ただけに過ぎない。矢は五十メートルからド真ん中に命中、おめでとう。景品は二つのびっくりした顔です。
 
曙「なんとなく、ですか」

 曙は答えに納得していないのは明らかだった。無理もないことだが、疑っている。
 
朝霜「本当に、鹿島さん? 提督から聞いたんじゃなくて?」

 男勝りでガキ大将的な夕雲型の少女は、ずばりと言ってのけた。
 
 言いたいことは言うような性格ではあったが、このタイミングではあまりにも直接的過ぎる。
 
鹿島「ええ。本当です」

 鹿島は短くはっきりと言った。そして、正面から向けられた視線をしっかりと受け止めてから、次の言葉を繋げた。
 
鹿島「実を言うと、曙さん。朝霜さん。私も、提督さんに……」

 人工的な柔らかな白い光の中で話し込んでいる三人は、いつか提督が脚立に乗って釘に引っ掛けた大雑把な六角形の時計のことを一時忘れていた。
 
 よって、彼女たちは今日と言う日があと二時間足らずで終わってしまうことに全く気付いてはいなかった。
 
 時刻が夜の二十二時を過ぎたそのころ、鎮守府の最高責任者にして施設管理人である男は、一階の扉の無い部屋の前で立ち止まっていた。
 
 食堂の中には誰かが居るらしいが
 
「…………」

「……。……――」

「…………、…………」

 話し声の主が誰かまでは分からなかった。唯一分かるのは、言うまでもないことだが、その誰かが女性であること。

 おそらく多聞を憚るような会話をしているのだろう――夜はもう遅いのだが。

 提督はどうするか考えあぐねた。

 半ば脳味噌の内側を現実から遠いところへ遊ばせながら階段を下りきる前から明かりは見えていたが、
 その時は特にそうと考えもせず、少し中に顔を覗かせて、そこに居るはずの誰かに一声かけるつもりだった。

 やあ、○○(もしくは○○、××。もしくは○○、××、◇◇。もしくは……以下略)。もう夜だぞ。早く寝たほうがいい。じゃあお休み。

 誰も居なければ――そうである可能性が高いと思っていたが――ただ電気を消す。それだけだ。

 もし誰もいない部屋に電気がついていれば消すといったごく自然的な行動を提督に思いとどまらせたのは、
 中に誰かが居たこと自体ではなく、中にいる誰かの話し声のためであった。

 ひと気のない時間にひと気のない場所で交わされるひそめた声。

 そういった声を使っている人間のただ中に割り込むのは、寝ている子を起こすようなものだ。

 礼節に関しては特に厳しく躾けられたからこそ身についていた性が、意識するよりも先に歩みを止めていたのである。

 食堂の入り口から差し込む方形の光から五、六歩ほど前の所で。

 話し声は相変わらず続いていたが、相変わらずその中身は分からなかった。

 どういったことを話しているのだろう? 相談か、噂話か、もしくは愚痴か。
 
 少なくとも、開けっ広げにしたいようなことでないことは疑いようは無い。

 全く気にならないと言えば嘘になるが、とりあえずはこの場から離れることに決めた。

 提督は右の方を向いて、中央通路へ歩き始めた。
 
 とりあえずもう寝よう。今日は色々とあった。ぼんやりと考えながら、スチールドアの丸いノブを回した。

 よって提督は、去年の秋に知り合ったばかりの少女が自分との馴れ初め、及び彼女にとって特別な一つの思い出となったきっかけの出来事を
 これから約三十分にわたって語り掛けるのを背に、最近新調したばかりの肌触りのいいブランケットのことをぼんやりと思い浮かべていた。

ご期待ありがとうございます。
時間が許す限り書いていますが、最近はその時間が少ないです。
よって、更新頻度が落ちます。
申し訳ない。

 黒を背景にして星が輝く雨季の空には上弦の月が昇っていたが、まばらに散らばった積雲が風に流れ、銀色の光をなだらかに翳らせていた。
 
 鎮守府本棟から少し外れた場所にある工廠の一室は、工作艦明石の第二のアパートメントになっている。
 
 入り口は二つあり、顔を覗けるガラス窓の嵌ったスライド式の引き戸で、片方は下部のレールが綺麗に掃除されていて埃の塊一つない。
 
 もう片方の入り口の窓からは、寸法の大きいグレーのスチールロッカーの背が見えるのみで、内側から鍵がかけられている。
 
 見える方の窓から中を見てもわかるように、室内は散らかり放題になっている。
 
 官給品の棚付きベッドの上は干し終えたまま畳まずにいる洗濯物と菓子の空箱、小説や雑誌などが山を成している。
 
 広い部屋が狭くなるほどにカラーボックスや本棚やスチールラックが置かれていて、まるで一種の迷路のよう。
 
 それら収納用品には当然のように空きがなく、ありとあらゆる品物で埋め尽くされている。
 
 足の踏み場を見つけるためには要所要所で障害物を跨がなければならない。
 
 印刷物を仕舞ったプラスチックボックス、空き缶の入ったバケツ、脱いだ服を入れるバスケット、収納スペースからはみ出した日用品。
 
 校舎の教室ほどの部屋にも関わらず、お世辞にも快適に過ごしやすいとは言いにくくなっている。
 
 明石個人が払い下げ品として手に入れた抽斗付きの大きな事務机は、入り口の正面に位置している。
 
 右には壁が、左側には不本意な役割を負わされたベッド、後ろにはカーテンを引いた窓という位置取りだ。
 
 明石は最近代替わりしたばかりの椅子の背もたれに体重を預けながら、長時間に渡ってモニタの光に晒されて疲れた両目を指で労わっていた。
 
 机の上に鎮座しているスーツケースぐらい大きいデスクトップワークステーションと、二つの35インチ型モニタは、元は工廠の設備品だった。
 
 年に二回ある工廠機械部門の定期監査の設備維持基準を満たさなくなった品物は、関係者の者であれば簡単に手に入れることが出来る。
 
 一度中身を完全に消したこの超高性能品を他鎮守府からの伝手で手に入れてから、明石は数か月をかけて一つのソフトウェアを作り上げてきた。
 
 モニタには、あるデータが特殊な仕様のコンソールに表示されている。
 
 ストップウォッチ似の機械に組み込んだソフトウェアから、秘かに送信されてくるデータ。
 
 純粋な科学のみでなく、妖精がもたらす魔法と融合した技術の結晶――ささやかではあるが、一つのれっきとした成果。
 
 明石(と数人の工廠妖精)によるソフトウェア「愛情度測定」は、その名の通り、愛情を測定することが出来る。
 
 専門的なことはともかく――ごく数人の手と約五百時間という手間によって生まれた発明としては、驚異的と言うほかない。
 
  ※余談ではあるが、似たような発明は四年前にすでに生まれている。ただ陽の目を見るにはその性質に問題があり過ぎるのだ。
 
 また、問題はほかにもある。
 
 魔法という個々人の素質に関わる要素のためか、一般的な発明品とは異なり、誰もが使い手になれるわけではない。
 
 愛情度測定について要約すると、こうだ。

 使用者は――他者からの愛情を測定できるのは、提督一人に限られる。

 材料はあらかじめ想定していたより簡単に手に入った。
 
 提督の髪はさっぱりとした顔立ちに調和するよう、いつも短めに整えられている。
 
 よって、提督は二か月に一度のペースで鎮守府妖精に髪を切ってもらっている。
 
 明石は数回ほど、提督が白の散髪マントで首から下を覆って、宙を浮いている数人の妖精を頭に侍らせているのを見たことがある。
 
 椅子に腰かけた提督の頭を、ハサミ、ブラシ、スプレーをそれぞれ手にした妖精が衛星のように周っていた。
 
 必要な材料の品目を記す一行『体液、頭髪、爪など、肉体の生成物のいずれか』を目にしたとき、頭に浮かんだ光景がそれだった。
 
 おそらく床屋や美容院の椅子から立つ誰もが、切り落とされた髪の毛に関心を払わないだろう。
 
 ゴミ箱行きになろうが焼却炉の灰になろうが、歯ブラシの材料になろうが――知ったことではないはずだ。
 
 散髪を担当する妖精の一人と懇意にしていた明石には、文字通り切り捨てられた短い黒髪を手に入れるのは容易かった。
 
 いや。このように妖精の協力があったからこそ、上手くいったのだ。
 
『身に着けている品物の一部』――は、脱衣所の籠に入った軍服の上着から明石自身が調達した。
 
 妖精を見張りに立てながら、糸切狭で第二ボタンに結わえ付けられた糸を切ろうとしていた時の異様な興奮は克明に覚えている。
 
 そういったシチュエーションが心理的に影響を及ぼしたのか、何度も脱衣所の中にいる夢を見たことがある。
 
 夢の一つではどうしたことか、提督が浴室へつながるドアを音もたてずに通り抜け、いつの間にか明石の近くに立っていて
 
  提督:おい、明石。何やってんだ?
  
  明石:ええっ! て、提督!
  
  提督:へえ……お前……。
  
  明石:あの、その……ひゃああっ!
  
  提督:ハッ。濡れてんじゃねえか、お前。
  
  明石:そ、そこは! ちょっと、あぁっ! ダメ!
  
  提督:ダメ? なァに言ってんだよ。すぐ挿れられそうだぜ?
  
  明石:ッ……!!
  
  提督:明石。挿れて欲しいんだろ?
 
  明石:いっ……そ、そんな……。
  
  提督:なあ。欲しいって言えよ。
  
  明石:えっ……。
  
  提督:欲しいんだろ? こ・こ・に。
  
  明石:あっ! 指、ィッ!
  
  提督:おいおい、感じやすいのか? 一本目だぞ? それに、まだ……半分も。入ってねえぜ、ほら。
  
  明石:やっ、動かしちゃ……。
  
  提督:次は、人差し指だ……。
  
  明石:~~~~~ッ!!
  
  提督:ハハッ。根元まで埋まっちまったぜ。アッハハハ、お前、淫乱かよ!?
  
  明石:提督! わ、私! あ『ジリリリリリリリリリリリリwwwwwwwwww』
  
  目覚まし時計『ジリリリリリリリリリリリwwwwwwwww』
 
  目覚まし時計『ジリリリリリリリリリリリwwwwwwwww』
  
  明石「………………」
  
  目覚まし時計『ジリリリリリリリリリリリwwwwwwwww』
  
  目覚まし時計『ジリリリリリリリリリリリwwwwwwwww』
  
  ジリリリリリリリリリリリリ
    
  ジリリリリリリ……………
  
  ジリリリ………
  
  ……

 といった塩梅に。何故か驚きも狼狽えもせず、自信満々に迫ってきていた。
 
 現実の提督は、明石のことを『お前』ではなく、名前で呼ぶ。

 もっと言えば、明石だけではなく他の誰にでも名前で呼ぶ。
 
 普段の様子を見るに、女性に免疫が無いわけではないが、彼の方から積極的に押してくることはまずあることではなく、
 
”ハッ。濡れてんじゃねえか、お前”
 
 という、肉食的な発言などはもってのほかだ。そもそも、そのような言葉遣いからして彼の人となりからは外れている。
 
明石(でも、まあ……)

 明石は時々考えることがある。
 
明石(もし、私が提督に。あんなふうに……)

明石(あんなふうに、押されちゃったら……)

”なあ。欲しいって言えよ”
 
明石(私……)

”欲しいんだろ? こ・こ・に”

 ここ。両脚の付け根の間、乙女の純潔と貞節が潜む陰、生殖器の玄関口、提督の出演する夢から覚めた後にたいていは湿り気を帯びている個所。

 バスチェアの上で、ベッドの毛布の上で、時には誰も居ない工廠の廊下の闇夜の中で。
 
 まずは中指を、浅く。次に人差し指を。だんだんと、第一関節よりも、深く、深く。桃色の割れ目に滑り込ませる。
 
 目を瞑り、瞼の裏で提督の姿を見つめながら、指先で襞を擦り、声を抑え、全身に行き渡る熱と早く強く脈打っていく心臓が精神を昂らせる。
 
 自慰に使う指はもっぱら人差し指と中指にのみ限られる。
 
 三本目の薬指を爪の先まで入れかけたことはあった。だが寸前で急に怖くなってやめたのだ。
 
 膣を自分で犯しながら、頭の中で犯させながら、次第に動きを速め、背中を丸めて押し寄せてくる波を喉奥から小刻みに吐き出し、
 
(本番の時は指三本よりも太いのが入ってきて出て入って出て入って出て入って中に)

 と思った途端に、まるで強く握りつぶされたせいで弾けたような絶頂が駆け巡った。
 
 目から涙が滲み、力が気化するように抜けて、二本の指を通って生暖かいものが手の甲まで滴り落ちていくのがわかる。
 
 一度逝った後は、決まって大気圏の遥か上空まで飛んで行った脳味噌の標高が落下傘部隊の如く降っていく。
 
 思い人の有りもしない映像が霧散し、両目からの景色が戻ってきてもしばらくは、現実はぼやけている。
 
 こうして鼓動の静まりゆく心臓を抱えながら、決まってこう思うのだ。
 
 いつかその時が来るのだろうか、と。

あと10日くらいしたら書く時間が作れそうです。それまでに話を考えときます。
ところで、スレって何日くらい放っといたら落ちるんでしたっけ?

 人には秘密があり、人は秘密を知りたがる。
 
 そうでなければ、コンビニやスーパーの雑誌コーナーに暴露記事や盗撮写真が目玉である低俗誌の類が並ぶことは無いだろう。
 
 新栄放送でよく昼間に放送されている、一度として結論に至った試しの無い討論番組がそれなりの視聴率を得ることは無いだろう。
 
 ましてや、自分がこの装置を作ることは無かっただろう。それだけは確かだ、本当に。
 
 背もたれから体を起こして背筋を伸ばした。目の霞みのほかに、肩の凝りが気になる。
 
 気になる部分をを拳で叩きながら
 
明石(マッサージ器でもあればなあ)

 と考えてから、以前通販で注文した単一電池式のハンディタイプのマッサージ器のことをふと思い出した。
 
 通販の品物もプライバシーのベールで守られている事柄の一つである。
 
 そうでなければ、夕張や大淀などに
 
『あら、明石ったら。新しいオナニーに目覚めたのね』

 というような目を向けられていたかもしれない。いや、実際に言葉にされていたかもしれない。大いにありうることだ。
 
 梱包資材に包まれて【雑貨】のラベルを張られた中身の見えない箱を、部品と言い通せるのは、実はかなりありがたいことなのだろう。
 
 ちなみにマッサージ器は、実際に使ってみて、期待していたほどのものでなかったことがわかったので、次第に興味が薄れていった。

 そしていつの間にか行方知れずになっている。購入した本人はすっかり忘れていたのである。
 
 もし何らかの理由で明石の記憶が欠落していたら、一度は彼女のパンティ越しに振動を伝えたマッサージ器はこの世に存在しなかったに等しくなるだろう。
 
 それほど思い入れは薄かった。
 
 だがいざ手元に無いとなると、惜しむ気持ちが全く無いわけでもなかった。
 
 何処に行ってしまったのだろうか。ゴミ箱か。だとしたら今頃は灰になっている。そして電気マッサージの国で幸せに暮らしているかもしれない。
 
 誰かが持っていったのだろうか? 妖精さんでなければ、艦娘の誰かが。もしかしたら今もなお、股の凝りをほぐすのために使われているのだろうか?
 
 ――例えば、夕張がそうしているように。

ちょっとばかし立て込んでて掛けそうになるまで時間がかかりそうです。
どうもすいません。

このSSまとめへのコメント

1 :  SS好きの774さん   2016年07月15日 (金) 07:59:25   ID: Zy_DjccI

なんだこれ

2 :  SS好きの774さん   2016年08月01日 (月) 21:56:18   ID: gQXgOH5r

ほんとなんだこれ

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