【艦これ】鳳翔「……や……いやぁ……」 (44)





4月……。

陽の沈む薄茜色の空。
幾多の雁が群れをなし、はるか北の大地を目指す。
鴻雁北(かえる)の字のごとく、それは暖かな春の訪れを確かなものとした。

彼らの心のふるさとは敢えて望む厳寒の地か、又日の出るこの地に在るか。
私に知る術など、あろうはずもない。

埃がかった執務室の窓が大きく口をあけ、自然換気に伴う澄んだ空気が私の心を躍らせた。






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今日こそは……


想いを抱き、私は眼前の窓をそっと閉め切る。









本日の作戦完了の報が届いたのは、つい先刻のこと。
旗艦を務めた矢矧の、あの興奮隠せぬ凛とした声が、今も尚耳に残っている。

だが、心の底から安堵した。


長きに渡る戦線の停滞は、艦隊に所属する艦娘達の間で厭戦の気を漂わせていた。
彼女達の士気の低下、更には軍令部総長による叱咤。

あらゆる事象の板挟みとなり、私の心は憔悴した。


だが、そんな過酷な二か月を支えてくれた一人の女性がいる。
彼女の存在なくして、今の私は無い。








艦隊の皆が今、此方への帰途についている事は疑い無し。

従って、時は今しかないと踏んだ。


軋む松材の床板、目についた“室炊烹”の木札。
私は扉を前にして、立ち竦む。

この扉の向こうには、いつものように……


――白き割烹着に身を包む、美しい彼女の姿があるはずだ。








――はずだった。



ゆっくりと開かれた扉。
音も無く、水銀灯の明かりも未だ無い。

私が感じた違和感はただ一つ……。
此処が、恐ろしく静かなのだ。

イチナナマルマル、本来ならば彼女が兵食準備に従事している時刻。

これはおかしい……








私の心の不穏が取り除かれるまで、そう時間はかからなかった。
おそるおそる歩を進め、耳を傾ける。

厨房の奥より聞こえる、可愛らしさすら感じるほどの静かな寝息……。


そう……彼女もまた、私と同じだった。


彼女も例外なく、長きに渡る作戦を裏方より支え、共に戦った仲間である。
蓄積しつつあった自覚無き疲労が、このような眠りへ誘ったことは明白だ。

それを理解したがために、私は彼女に近づいた。










鳳翔は、うさぎの着ぐるみに身を包んでいた。










「航空母艦、鳳翔です。不束者ですが、よろしくお願い致します」


「お疲れ様です。お風呂にしますか?ご飯にしますか?それとも……ふふっ、冗談ですよ」


「私の夢ですか? そうですね……いつか二人で小さなお店でも開きたいですね」


「……って、あらやだ、ごめんなさい。忘れてください」








私の脳裏で、彼女の発した思い出せる限りの言葉を、ひとつひとつ丁寧に紡いでゆく。

小豆色の素朴で清楚な着物姿で、誰に対しても優しく接してくれる鳳翔。
この部屋で皆の空腹を満たし、そして笑顔にするため、割烹着に身を包む鳳翔。


眼前にはそのいずれでもない、白いうさぎの着ぐるみ姿の鳳翔がいたのだ。



私はつとめて冷静にいたかった。








うさぎの顔に当たる位置の穴から、眠りこけた鳳翔の綺麗な顔が見えるようになっている。

その透き通るような肌……。
やわらかな頬を、私の人差し指でつついてみる。


「ん……」


艶やかな声が漏れる。
だが、彼女は着ぐるみ姿だった。


ちょっと吹いた。








心の中に生まれた怪物(いたずらごころ)は、次第にその力を増してゆく。


着ぐるみの上についている、可愛らしい二本の長い耳。
それらを両の手で持ち、無防備な鳳翔の寝顔へ近づけた。

その繊細な動き、さながら英才ピアニストの如く。
……私は思わず舌をなめずる。

やがて片方の耳が、鳳翔の小さな鼻を捉えた。


「うりうり」

「……う……」

「……は……はぁ……」









「はっくちゅ!」




鳳翔が、目を覚ました。









「…………」

「……おはよう」


私が満面の笑みを以て、彼女の目覚めに応じる。



「……や……」

「……いやぁ……」


鳳翔は、その吸い込まれそうな瞳に大粒の涙を滲ませ……泣いた。




少し離れます
すみません





「ていと……く……」

「見ない……で……くだしゃ、さい……っ」


途中で噛んだらしい。
かわいそうに……彼女は顔を赤く腫らし、まるで幼子のように体を震わせ始めたではないか。
その様を私は憐れみの眼差しで眺むるも、同時に湧いたもうふたつの心が、私をその場に留まらせた。

鳳翔は何故、如何様にして着ぐるみに手を出したのか。
又、出さざるを得なかったのか。

それを私はどうしても知りたかったのだ。

そして、ここに来た本来の任務を遂行しなければならなかった。








「もぉ……見ない……で……っ」


鳳翔はうさぎの身体をふるふると震わせて、
その赤くなった顔をうさぎのホワホワした手で包み隠している。
私には想像もつかないほどの羞恥心が、彼女にそうさせるのだろう。


だが、私は目を背けはしない。
真っ直ぐな目で、彼女のありのままを見つめ続けた。


意味は無い、意地悪をしたかっただけだ。

「ぶひひ」








「えぐ……っ……ぐす……っ」

「…………」


だが、これ以上は流石に可哀想だ……
そう感じた、まさにその時。

なんと、彼女は大きなうさぎの頭を外して、こちらに向かって投げつけてきたではないか。


「うおっ」


後ろへ逃げつつ、山なりに飛んできたそれを私は横跳びで避け、その場で意味も無く前転した。








「な、何をするんだっ」

「~~っ」


鳳翔の腰の力が抜け、その場でちょこんと尻もちをついてしまう。

やがて、彼女は声にならない声を上げ、そのままうさぎの手足をばたつかせ始めた。
もはや打つ手なし、といった心境であろうか。


私自身、ささやかなサディズムを自覚しているとはいえ、これ以上彼女を傷つけることは本望ではなかった。


だから、私は絶えず震え続ける鳳翔のそばへ……ゆっくりと歩を進めた。









私は彼女の顔を覆っていたうさぎの手を力強く握り、振りのける。


そして――


暴れている彼女の手足が体を痛めつけることも厭わず、私はそのまま熱い抱擁を交わした。









「ふぁっ」

「……鳳翔」



「……もう、大丈夫だ」

「……提……督……」








「幻滅しましたよね……」

「こんな姿の私……ひどい……ですよね……」

「……そんなわけ、ないだろ」



「ずっと、着てみたかったんだろ」

「作戦が終わって、気が楽になって……」

「今ならって……」

「そう思ったんだよな」

「…………」



彼女は小さく頷いた。

可憐な顔は未だに赤く腫れ、震えも収まらぬ。
でも、その時の鳳翔はいつも以上にしおらしく感じた。

着ぐるみ姿だが。








「艦隊の皆にとって……まるで母親のように接する、優しく一生懸命な君も……」

「今のように、着ぐるみに身を包んで密かな自分を楽しんでいた君も……」

「私にとっては全部、鳳翔なんだ」

「……提督」



「私はそれを踏まえた上で、今日……」

「これを、君に渡しに来た」

「受け取ってくれないか」








開かれた小箱より、重い光沢を放つひとつの輪が現れた。

その時、鳳翔が流した涙は先ほどの羞恥によるものか、はたまた……



全ては、彼女の心のみぞ知ることだ。



―――――――――――fin―――――――――――――




もはや言い訳はしません(決意)

ここまで読んでいただいた方、楽しく書かせていただきありがとうございました。

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