菫「ろりたん!」 (95)

・プロローグ

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1459081826

 私の生き甲斐はここにある。私の大切な人たちとの繋がりがここにある。

 どちらかといえば消極的な性格だ、て言われる私だけど。一緒に過ごしていれば胸のうちが自然とぽかぽかと温まる、そんな人たちがいる。

 さっきまで繋いでいた手に残る人肌の感触はとても心地良い。そっと手を握り締めたり緩めたりしていると、今でも繋がっているような錯覚を感じる。

 「…………」

 風が清々しく吹き通って、地面に散り敷かれた桜色をふわりと巻き上げて行方をくらます。その中の一枚が緩めていた手の平にちょこんと収まる。その色のかわいらしさに、無意識に笑みがこぼれた。少し眺めてから花びらを包み込むように手を握る。

 『バイバイ、お嬢様ー!』
 
 『また明日ねー!』

 公園の入り口、もしかしたらあっちは出口かもしれないけど、そこに佇む自転車侵入禁止のパイプ越しに、3人の女の子が自転車に跨って手を振っている。みんな、私の大好きな、元気な顔をしてる。

 ありがとう。女の子たちの元気の力に応えてあげなきゃ。

 「だから!メイドだってばー!バイバーイ!」

 そう応えると女の子たちはクスクスと笑って、颯爽と自転車を漕いで行った。「もう…」て呟いて小さく頬を膨らませてしまった。

 女の子たちの姿が見えなくなって、公園には私しか居なくなってた。習慣的に犬の散歩に来るお爺さんも、お昼に井戸端会議をしてたママさんたちも、居なかった。もうそろそろ夕日がオレンジの光で照らしてくれる時刻だもんね。

 私も、家の仕事に戻らないと。

 「…………」

 不意に足の間を風が抜けていく。温かい風を太ももに受けて、思わずスカートの裾を掴んで捲りあがらないように堪える。でもすぐに気づく。今、公園には私しかいないから隠す必要が無いってこと。

女の子たちにいたずらで脱がされかける心配も無い。それに女の子たちと一緒に遊んでたら、風に吹かれて困るのは私だけでもない。

 「良い季節になったね。ふふっ」

 見上げると、桜の樹から花びらが風に乗って散っていっている。淡いピンクの茂みに紛れて、もう、緑の芽が生え始めてる。早いなあ。もう少しでいいから、混じり気のない桜色を楽しんでいたかったな。

 季節は春。優しい色に包まれるこの時期を、私は好き。一人でぼうっと眺めるのは好き。近所の女の子たちや、同じ中学の女の子と桜の樹の下で遊ぶのも好き。桜色の絨毯で跳びはねて、白い肌にうっすら赤みを帯びた女の子がかわいい。

 「…………はぁ」

 けれど、いよいよ春を一概に喜んでもいられなくなってしまったな…。

 時間はあっという間に過ぎてしまう。大切な人たちといつまでも過ごしていたかったあの時間は。

 そして明日迎える、入学式。人生のイベントは時の流れを嫌でも思い知らさせてくる。中学の友達も顔を合わせに来る。少し成長した姿を見せて、少し大人びた、たわいない話をするんだろうな。

 ふと、掌にあの感触が無いことに気づく。やっぱり。さっきの花びらはいつの間にか地面に落ちて、桜の絨毯に紛れ込んでるみたい。さっきの春風に抵抗してスカートに気を取られた拍子に放しちゃったのかな。あの一枚に執着してるわけじゃないし、花びらなら地面にこれでもかっていうほど落ちてるから、欲しければ拾えばいいけど。

 でも、ちょっとした偶然で私の元に来たものだから、そのことだけはちょっとだけさみしい気もする。

 もっと言えば、地面に落ちて汚れる前に手に取れたものだから。

 桜の樹の下から桜の木の枝へ私の手の先を伸ばす。ピンと背をまっすぐにして、つま先で立って、きれいな桜色の花びらに二本の指を届かせる。

 けれどフッ、とその気にならなくなって手足の緊張を解く。新鮮な花びらが欲しくなったけど、まだ散らない花をもぎとるのは気が引けた。桜の下でジッと待っていれば、そのうち一枚くらい頂けるだろうね。けど今日はもう帰らないと。

 自由時間はこれでおしまい。ここからはメイドモード。本日分のお仕事に取り掛かってご奉仕しないと。お姉ちゃんはもう家に居ないけど、お姉ちゃんに仕えるつもりでキビキビと動こう。

 「……あっ、お姉ちゃんのお仕事……」

 軽音部に置いてあるっていう食器棚を、入学式がある明日、片付けないと。高校生になる私へ言い付けられて最初の仕事だもん、頑張ろう。

・教室

教師「~~~~~~~~~~~~~~~~~」

教師「~~~~~~!~~~~~~~~~~~!」

教師「~~~~……~~~~~~~~~……」

菫「…………」

菫(新しい担任の先生の挨拶…長いな。眠くなってきたよ…)

菫(入学式が終わって、あとはお姉ちゃんに託されたお仕事を済ませるだけなのに。ふぁ…)

菫(友ちゃんはどうしてるかな……あ、やっぱり眠そう)

菫(…………はぁ)

菫(…友ちゃん、ちょっぴり大人っぽくなった。春休みの間にイメチェンしたみたい。ネイルに色鮮やかなマニキュアを塗って、若干茶髪に染めちゃって……はぁ。友ちゃんの桜貝みたいな爪と黒い髪に憧れてたんだけどな)

菫(変わってない部分もあったけど。入学式前に再会したときは相変わらず、小さな身長でひょこひょこ動いて友達に挨拶し回ってた。そこがかわいい♪)

菫(やっと先生の挨拶が終わったよー……)

菫(うっ……配布物がたくさんある。早くお仕事させてください~)

教師「~~~~~、~、~、~、~、、~~~、~、~、~、~、~、~~~、~――」

菫(あっ、この先生、一人分をまとめて配ってくれる先生だ。助かった。一枚、一枚、配られると時間かかるからね…ほんと)

菫(ということは、きっと配り方も……)

菫(……良かったぁ。今度の先生は指を舐めないで配る人だ。安心して配布物に触れられる)

>>8はミスです

菫(一番かわいいところは、なにかと私に対して膨れ顔を見せるところだったりするの。子供っぽいところをからかわれがちで大人に見られたくて、元から背伸びしたがる子だった。だから日本人離れして身長の高い私が羨ましかったんだと思う)

菫(良かったね。友ちゃんはもう大人だよ、私から見れば)

菫(……ちょっとさびしいけどね)

菫「!」

菫(友ちゃんが手を振ってくれてる。こういうとこは高校生になっても変わらないね)ノシ







菫(やっと先生の挨拶が終わったよー……)

菫(うっ……配布物がたくさんある。早くお仕事させてください~)

教師「~~~~~、~、~、~、~、、~~~、~、~、~、~、~、~~~、~――」

菫(あっ、この先生、一人分をまとめて配ってくれる先生だ。助かった。一枚、一枚、配られると時間かかるからね…ほんと)

菫(ということは、きっと配り方も……)

菫(……良かったぁ。今度の先生は指を舐めないで配る人だ。安心して配布物に触れられる)

プリント「ピラッ」

菫(ん~と、このプリントはご主人様に、これはお父さんに)

菫(これは私が、これも、これも、)

菫(ん、部活紹介のプリント……)

菫(私には関係ないや。おうちのお仕事で手一杯だもんね)

菫(よし、配布物の整理終わり)

菫(他のみんなは整理に時間掛かってるね。早くお仕事したいんだけどなあ)

菫(暇だから友ちゃんを眺めてようかな)

菫(……うわあ……配布物で紙飛行機作ってるよ)

菫(……えっ、ちょっ、こっちに飛ばさないでぇ!)

紙飛行機「コツッ」

菫(んもう……先生に怒られても知らないよー)

菫(こっそり遊んでるつもりでも教壇から見たら、他の子と違うことしてると目立つんだから……ん?)

直「………………」ヌヌヌ…

菫(あの子、部活の紹介のプリントを食い入るように見てる…?)

直「………………」ヌオオ…

菫(高校生活を部活に捧げたい子なのかな?)

直「   」ヌンッ!

菫(ドヤ顔…なんで?)

菫(あまり見ていたら気付かれちゃうかもしれないし、これ以上見ないでおこう)

・放課後、部室

菫(やっと先生の話が終わった……。友ちゃんがいっしょに帰ろうって誘ってくれたけど、今日はお仕事あるからね。しかたないね)

菫(部活紹介のプリントには音楽準備室って書いてあったね。音楽室じゃなくて、うん)

菫(軽音部までの道のりが少し長い…。食器棚、持って帰れるのかな)

菫(ううん、お姉ちゃんから任された仕事だもの。ちゃんと完遂しないと怒られる)

音楽準備室のドア「キィィ……」

菫(……よし。誰もいない)

菫「失礼します…。広いところだな」

菫(で……これがその食器棚かぁ。大きいな……。私の背より大きい)

菫(そういえば食器棚の他にも色々お屋敷から持ち込んでいたような?そっちは置いておいていいのかな?)

菫(何も言われて無いし、いっか)

菫(それよりも、うーんと……食器棚を運ぶには……台車に乗っければ楽だけど持ってきてないし)

菫(あっ、じゃあ床に丸い棒を敷いていって食器棚をコロコロしていくのは、……そんな棒を持ってきてない)

菫(困ったよ…。どうしてキャスター付きの食器棚じゃないの……)

菫(というか、モタモタしてると軽音部の人が来ちゃう。さっさと運び出さないと…)

菫(お姉ちゃんに相談しようかなぁ。それだとメイド失格だもんねえ)

菫「………………仕方ない」



菫「ふぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬー……」

食器棚「…………」

菫「動いてえ…………」

梓「窃盗の現行犯を目撃してしまった・・・」

憂「何やってるんだろうあの子・・・」

純「わっ、外国人!」

梓「純、あんたが話しかけてきてよ」

純「わたしに英語力を期待しないでくれる?あ、それとも私に澪先輩のイメージを重ねて!?とうとう私は澪先輩の境地に達したのね!」

梓「あんたに頼んだ私がバカだった。自分で言ってくる」

純「ちょっと何でよー」

憂「梓ちゃん…なにか道具持っていく?バットとか縄とか」

梓「いや、どうみてもあの子が凶悪犯には見えないからいい」

憂「やった、突っ込んでもらえた♪」

梓「そこでなぜ喜ぶ…」

憂「なんか突っ込んでもらったら嬉しくならない?」

梓「突っ込む側の気苦労をわかってほしい…」



菫(ふぇ~ん…大きすぎるよぉ……)

菫(早く運び出さないと軽音部の人たちが来ちゃうかもしれないのに…)

菫(これはお父さんたちに運び出す道具を貸してもらわないとダメかなぁ。でもお姉ちゃんが私にしか課してない仕事だし)

菫(担任の先生に貸してもらおうかな?あの先生、厳しい人には見えなかったけど…)

菫(もしだめなら音楽室の先生に借りるのも・・・あっ、あっちの扉の先が倉庫っぽい)

梓「あのー・・・」

菫「ヒャイッ!?」

梓「ギャッ!!」

純「なんつー声上げてんのよアンタ」

梓「急に大声上げられたんだからしょうがないでしょ!」

憂「また聞きたいな、梓ちゃんのかわいくない悲鳴」

梓「かわいくなくて悪かったね…」

菫(見つかった…ってあれ?この子…)

梓「あー…ハロー?わっとどぅーゆーどー?」

純(うわっ、これが日本なまり英語か)

菫(英語!?えっ、なんで、どうしよう…)

梓「あれ…?通じてない?」

純「あずさー、ジャズやってたくせに英語ヘタすぎない?」

梓「うるさい!!」

菫「あ、あいきゃんとすぴーく、いんぐりっしゅ…」

梓「喋れてないじゃん!」

菫「ヒャアッ!?ごめん!!」

憂「というより日本語が母国語っぽい?」

菫「は、はい…」

梓「なんだ…緊張して損した…」

菫(なんだろうこの子…高校生なのに小さくて可愛い……感情豊かなとこも可愛い…)

純「ねえねえ、私たち軽音部なんだけどさっきここで何やってたの?あ、もしかして入部希望の子だったり?」

菫「え、えっと、あの…」

梓「?」

菫「じつは食器棚を持ち帰ろうと……」

純「梓!やっぱりこの子は泥棒だ!私からお茶の時間を盗む気よ!」

梓「憂!すぐにさわ子先生を呼んできて!」

菫「ひぃっ!違うんですぅ!」

憂「まあまあ落ちつきなよ~三人とも」

純「あのね?あの食器棚は軽音部にとってなくてはならない大切なものなの、楽器よりもね」

梓「あんたの価値基準はよーくわかった・・・」

憂「あの食器棚は一応うちの備品なんだよ?」

純「入部希望の君には申し訳ないけど、立派にお茶を煎れられないと入部できないんだ(キリッ」

梓「ほう。なら真っ先に純を退部にしなきゃ」

菫「えと…お茶でしたら煎れられますけど…」

梓「えっ」

純「速っ」

*十数分*


さわ子「んまいっ!」テ-レッテレー

梓「いつの間にいたんですか!」

さわ子「美味しいものの気配を感じたら駆けつけるに決まってるじゃない」

菫(この人、先生なんだ・・・)

さわ子「本当に美味しい紅茶だわ・・・意識が天国まで一っ跳びしそう・・・はふぅ」

梓「先生がこんなになるなんてどんな紅茶を……」

菫「喜んでくださってうれしいです」

憂「凄いよ!どこで習ったの!」

菫「ひゃっ」

純「その金髪、地毛だよね!?眼も蒼いし!」

菫「え、は、はぃぃ」

梓「二人とも落ち着きなさいって。名前はなんていうの?」

菫「うん…斉藤菫っていうの…」

梓・純・憂(めちゃ普通の日本人名!)

菫「あの…あなたのお名前は…」

梓「私は中野梓。軽音部でギターを担当してるの」

菫「えっ、もう?凄い…」

憂「同じく軽音部員の平沢憂といいます」

純「ベースの鈴木純でーす★」

菫「あ、よろしくお願いします…」

菫(じゃなくてー!!軽音部の人に内緒で食器棚を運び出すはずなのに、なに親しくなってるのー!!)

菫(しかもなんか私が入部する流れになってるような…)

純「せっかくお茶があるんだからお菓子を買ってくれば良かったなー。グビグビ」

憂「今度から私がお菓子焼いてくるよ」

純「えっ、ほんと?ラキ☆」

梓「だいじょうぶ?受験生だけど時間ある?」

憂「大丈夫大丈夫。余ってるくらいだよ」

純「さすが優等生」

梓「それならお願いするね」

憂「…お姉ちゃんが家に居なくなってから、時間が余って、余ってしょうがないんだ。アハハ…」

梓「ご、ごめん」

菫(のんびりしてる部活だなあ)

純「あ、斉藤さん。紅茶をもう一杯もらっていい?」

菫「はい、かしこまりましたー」

梓「って、おおい純!?一年生をパシるな!」

純「パシってないヨー。斉藤さんが適役だと思ったんだヨー」

菫「あ、私はぜんぜん気にしてません。むしろ慣れてるから大丈夫だよ中野ちゃん」

純「ほら斉藤さんもこう言ってるし」

梓「あんたねー……」

憂「斉藤さん。良かったらお茶の煎れ方を教えてほしいんだけど、いい?」

菫「あ、はい。かまいませんよ」

梓「ねえ純」

純「んー?」

梓「なんか、おかしくない?」

純「べつにー。おっ、見てよ梓。このモデルのファッション、丈も色合わせも梓に似合わなそう」

梓「はい雑誌没収ー」

純「ちょっ!」

梓「マジメに聞きなさい」

純「しょうがないわねー。なにがおかしいって?」

梓「それが判らないから訊いてんの」

純「知らんわ!」

梓「むぅ…なによもう…」

純「それより勧誘するんでしょ?斉藤さん」

梓「うん。それは任せて。斉藤さんがすっかりこの緩い空気に溶け込んできて、けっこう良い流れだと思う」

純「おまけに上手にお茶を煎れられるスキルがある。捕まえる以外の選択肢はないね」

梓「斉藤さんは野生動物か何かか!」

純「私の人生計画が順調に進みそうだ。軽音部でのんびりお茶して、ときどき練習して、学園祭でパーッと成功して、受験も合格すれば完璧よ」

梓「そんなに上手くいくかねぇ」

純「そのためにも梓部長には活躍してもらいたい、てわけよ」

梓「…あんまり友達頼みにしてると友達なくすと思う」

純「うそうそ。この純様もビシバシ勧誘するよ。雑誌返してもらうよ」

梓「ああ不安……」

梓「っていうかちょっと待って!何が『のんびりお茶してときどき練習する』よ!」

純「梓だって『緩い空気に溶け込んで~』とか言ってたくせに」

梓「あ、あれは言葉の綾でっ!」

梓「もう部長は律先輩じゃなくて私なんだから、軽音部は練習に打ち込んでときどきお茶してくつろぐくらいでいいの!」

純「そう上手くいくかね~。おっ澪先輩そっくりの美人モデル」

梓「えっ、どれどれ」

純「これ。ね?」

梓「うわあ…おっきい…」

純「梓じゃ一生かけてもなれないスタイルだね」

梓「あんたはそのモップのせいでどのモデルにも似ても似つかないけどね」

純「人が気にしてることを!」

憂「二人ともおまたせ」

純「もしかして憂が煎れたの?やっほーい」

梓「ちょっとは遠慮しなさいよ」

菫「平沢先輩は凄いですよ。教えたことをすぐに実践できてしまうんです」

憂「そんなことないよ?菫ちゃんの教え方が上手だからだと思う」

菫「えっ私なんてそんな…」

梓(おおっ、憂はもう下の名前で呼んでる)

純「グビッ…んまいっ!」テーレッテレー

さわ子「ズズッ…うん。美味しい。合格よ」

憂「ありがとう菫ちゃん♪」

菫「あ、はい。どういたしまして♪」

梓「うん、本当に美味しい。菫はどこで紅茶の煎れ方を教わったの?」

菫「あ、うん。お父さんからちょっと手ほどきを受けたの」

梓「紅茶をプロ級に煎れられるお父さん?」

純「もしかして喫茶店のマスターだったりして」

菫「ま、まあ似たような感じです……(言えない……前年度に卒業したお嬢様の実家で執事やってますなんて言えない)」

純「ほんとに!?じゃあ今度軽音部で菫の家のお店に行こう!」

菫「えっ、あの、ふぇええ!?」

純「特典として梓がギターで弾き語りをします!」

梓「勝手に決めんな!」

菫「あぅあぅあぅ!」

憂「じゃあ私はお店のお手伝いします!」

菫「それは頼もし…いやいやいや!」

梓「純は調子に乗んな!憂も悪ノリしない!菫が困ってんじゃん!」

純「ごめんついつい☆」

憂「一度喫茶店のウェイトレスさんの制服を着てみたかった~」

菫(って、しまったー!!なに軽音部の人たちと親睦深めてるのー!!気付いたのこれで2度目じゃん!!)

菫(私はあくまでお姉ちゃんの任務をこなすために来た。今日はもう失敗は確定してるから…明日、この人たちより先にもう一回来よう)

菫(…もうちょっと中野ちゃん…梓ちゃんとお話していたいけど、しかたないね)

菫(あっ、お話なら別に今日に限らなくてもいいんだ。会おうと思えばいつでも会えるよ)

梓「たくもう…。菫、ごめんね?」

菫「あはは…」

梓「純は見てくれ通りにバカだし、憂は微妙に天然だし、今からこんなで大丈夫かなー」

純「ちょっとちょっと!菫に何吹き込んでんの!」

憂「天然かな?」

純「うん、主にお姉ちゃんのことで」

憂「そう?」

梓「自覚無いから天然なんだよ?」

憂「ふうん?じゃあ梓ちゃんも天然だね」

梓「えっ何で」

憂「だって梓ちゃん、去年の学園祭の出し物を決めるときに猫ミ」

梓「その話を菫の前でするなー!!///」

菫「ねこみ?」

梓「忘れてっ!!」

菫「うひぃっ!?」

純「うんうん、あのときに軽音部の本質を見抜いてしまったわけよ~」

梓「とにかくあれはわざとよ!クラスを盛り上げるためのわ・ざ・と!!」

梓「ああ……頭痛い……ていうか」

梓・憂・純(もしかして今の軽音部って常識人が私以外いない…?)

梓(だとしたら、何としても菫を勧誘して常識人を増やさないと!!)

純(斉藤さんは斉藤さんで食器棚泥棒になってたし、だいじょうぶか軽音部?)

憂(賑やかで楽しそうだからいっか♪)

菫「?」

梓「(そうと決まれば!)ねぇすみr」

菫「そうだ『梓ちゃん』、良かったら『梓ちゃん』のクラスを教えてくれない?ときどき遊びに行くから」

梓「違和感の正体はそれかーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!」

菫「ヒャーーーーッ!?」

純・憂「なにごと!?」



*10秒後*



菫「えっ、3年生なんですか!?」

純「リボンの色も私と一緒でしょ。さすがに気づこうよ・・・」

菫「すみませぇん!」

純「ほら梓ー。こうして謝ってるんだし赦してあげなよ」

梓「うい…わたしって成長してないのかな……」

憂「そんなことないよー…梓ちゃん、立派になったよー…」

梓「ういは優しいね……ははっ」

梓「…わたしが軽音部で過ごしてきた二年間ってなんだったんだろう…」

憂「あずさちゃぁん……」

純「ダメだこりゃ」

菫「本当にすいませーん!!」

菫「どどどどうしましょう…中野先輩を深く傷つけてしまいました…」

純「しかたないわねー。ほら梓」

梓「笑いたければ笑えばいいよ……私の時間は一年生の頃から止まってるんだ…」

純「んなわけないでしょー。それよりこのまま菫を放っておく気?菫が梓を落ち込ませたことで気が引けて他の部に入部するかもだぞー?」

梓「にゃっ!?こうしちゃいられない!!」

菫「立ち直った…」

憂「さすが純ちゃん」

純「ふはは!もっと褒めてくれたまえ!」

梓「突然なんだけど、菫!」

菫「はいぃ!!」

梓「軽音部に興味無い?!」

菫「あっ・・・」

憂「私たちの部ね、部員が少ないの」

純「菫のお茶が有れば私のベースが本当の力を解放するんだ!」

梓「あんたはもう黙ってて!」

純「なによぅ、私が励まさなかったら最上級生のくせに後輩にウジウジした姿を晒し続けてたくせに」

梓「うぐっ……その借りはいつか返すから」

菫「…あの、申し訳ないですけど…ん?」

さわ子「金髪…碧眼…ご奉仕属性…ククク…絶対にこのウェイトレス衣装が似合うワア…」

菫 「うひぇぇぁぁああああああああ!!!!」






 少女逃走中...






さわ子「あら?」

憂「菫ちゃーん!!」

梓「先生ェ・・・」

純「良かったじゃん憂、ウェイトレスの衣装だよ」

憂「うーん…お仕事で着てみたかったんだよ…」

* 菫の日記 *


・4月?日

 『今日は高校生活最初の日。始業式に相応しく、素敵な桜の木が咲いていました。』

 『春休みぶりに再会した中学の同級生の友達は、ちょっぴり大人っぽくなっていました。私が大好きなあの子もちょっぴり大人びていました。少し寂しいです。でもあの子の成長は避けられませんよね。だからいいの。私はあの子の友達として成長を祝福します。』

 『あと今日は高校生になって最初に学校でお仕事をした日です。といっても今日中にはできなかったけど。軽音部の部室にある食器棚を片付けるお仕事をしていたら軽音部の人たちに見つかってしまいました。』

 『てっきり怒られるかと思ったけど、優しい人たちでした。ただ、それは多分、軽音部の人たちは私に入部して欲しいからだと思う。会話の流れでそんな空気を察したのと、直接勧誘を受けたから解りました。でももしかしたら本当に優しい人たちなのかもしれません。』

 『でもごめんなさい。私は琴吹家のメイドです。琴吹家のお仕事をサボるわけには参りません……頼めば許してもらえると思うけど。あとはお姉ちゃんと違って、私は歌も楽器も習ったことはありません。軽音部の足手まといになってしまうでしょう。でもお茶汲み係くらいはできるかも?鈴木先輩がそんなことを言ってたような。』

 『なによりも、私は公園で仲良くなった少女たちを手放すことはできません。こんなことは口が裂けても先輩たちに言えませんが。』

 『だけど思い返すと、軽音部の人たちは本当に親切な人たちでした。優しくて呑み込みの早い平沢先輩、ちょっと奔放でお団子頭の鈴木先輩、元気で真っ直ぐな瞳の中野先輩。顧問の先生っぽいけど、なんというか、すごく先生っぽくない先生。断りも無く突然現れた私のことを拒絶しないで迎えてくれました。』

 『あとこれは完全に私の失態だけど…。中野先輩は三年生だけど、背も立ち居振る舞いもどこか三年生っぽくなくて……。私はてっきり軽音部志望の一年生だと思い込んだまま中野先輩と接していました。本当にすいません…私、ずけずけと何度も中野ちゃんとか梓ちゃんとか呼んでましたよね…。そのせいで凹ませてしまったし……お詫びの品を届けようかとも考えましたが、お仕事が済めば中野先輩との縁が切れるわけだし、やめることにしました』

 『今日一日で疲労がどっと溜まった気がします。慣れないことにたくさん出逢ったからだと思います。そして一つわかったことがあります。私の求める癒しは高校にはなくて、放課後に通りかかる公園にしかないんだろうな。』

 『しかたないよね。これが成長ってことなんだろうね。』

 『食器棚は明日にもちゃんと片付けるつもりです。菫、頑張ります。』

・4月??日


 『ごめんなさい、お姉ちゃん。またしても軽音部の先輩たちに見つかってしまいました。』

 『そういえば昨日は勧誘を断る前にびっくりすることがあって、先輩たちに失礼だけどお返事する前に逃げ帰っていました。私は断ったつもりでいたのに今日また勧誘されたけど、きっと昨日のうちにきちんと断らなかったせいだね。というか今日も断れなかったよ…。だって振り返ったら怖いものが目の前にデンと現れるんだもの…。思い返すとあれは着ぐるみの頭っぽかったような気がします。そんなものがどうして先生の手にあったのでしょう…?』

 『先輩たちは今日も親切にしてくださりました。私の煎れるお茶を美味しく飲んでくれるので、とても遣り甲斐を感じます。それに知らないうちに私に「スミーレ」とあだ名を付けていて、少し困惑したけど、おかげで先輩方との距離が近くなった気がしました。』

 『だけど、こんな縁も食器棚を片付けてしまえばおしまい。そう思うと先輩方に申し訳なくなります。』

 『学校生活では新しい友達が出来て、楽しくやっています。といっても友ちゃんの友達ネットワークの端っこをつまむ感じで、少人数の輪の中にちょこっと混ざれるくらいの関係だけど。友ちゃんは昨日の今日でクラスを跨いでたくさん友達を作ってました。すごい。でも私には、今くらいの少人数でお話するくらいがちょうどいいの。』

 『担任の先生はお話が長いけどわるい人ではないと思いました。食器棚を片付けるために台車を貸してもらおう、なんて変なお願いをしてもイヤな顔一つしないで丁寧にお断りされました。ただお話が長いのが困りもので、疲れました。でも本当にわるい先生じゃないんです。』

 『あと先生といえばその相談を職員室でしていて、そこで軽音部の顧問の先生を見かけたけど。あの先生って二重人格なの?とても優秀で優しい先生に見えましたが……たぶん深くは突っ込んじゃいけないことなんだと思って、誰にも話せずにいます…。お姉ちゃんに尋ねることが増えました。』

 『そんなこんなで入学してまだ2日目だけど、良い学校に入れたと思います。さすがお姉ちゃんがお父さんやお母さんの推薦する学校を蹴って入った学校だ、て思いました。』

 『ただ惜しむことがあるなら、やっぱり高校には私のオアシスが無いことです。友ちゃんだけは中学生の頃のままでいて欲しかった…なんて非現実的なことを授業中に考えふけってしまいます。学校内・外を問わずオアシスが広がっていたこれまでの生活が贅沢だったんだろうな、て思い直してはいるんだけど。』

 『せめて、中野先輩が本当に一年生だったら良かったのに。』

 『とても失礼で中野先輩には絶対に言えないけど、日記だからこれくらいはいいよね。』

 『なんて、無いものねだりは今日でおしまいにしないと。すっぱり諦めて、放課後に食器棚を片付けたら、公園で女の子たちに目一杯癒してもらおうと思います♪』

・翌日

菫(今日の配布物に新入生歓迎会のチラシがあって、そのプログラムの中にあの軽音部の演奏が体育館で行われることに気づいた)

菫(ということはその時間は音楽準備室ががら空き…。歓迎会の途中で抜け出せば、部室に忍び込むには絶好のチャンス!)※戸締り中

菫(だけど、あの先輩たちの演奏かぁ。2日間だけだったけどお世話になったし、聴いてみようかな)

菫(っていうわけで友ちゃんとお喋りしつつ歓迎会を見てるけど…部活に興味無いから退屈…)

菫(友ちゃんは何にでも興味津々で凄いな。今終わった漫才部の芸のなにが面白いのか私にはこれっぽっちもわからないや)

菫「ふわああ……ねむい」





菫(いよいよ軽音部の紹介……)

梓「みなさん!ご入学おめでとうございます!」

梓「私たち軽音部は今、部員が少なくてこのままでは廃部してしまいます!」

梓「もしバンドや楽器に興味のある人がいたら是非来て下さい!初心者も大歓迎です!」

菫(廃部……そっか、それで勧誘に必死だったんだ。大変だな…)

菫(でも私は正直どっちにも興味は無いし……お力になれなくてすいません)

友「小さっ!菫ちゃん!あの先輩小さっ!きっと145センチ無いよ!絶対!」

菫「ううん、150cmくらいだよ」

友「そんなー!菫がでかいから見間違えてるだけかも!私と同じ目線になればちゃんと判る!しゃがんで見て!」

菫「えーっ、行儀わるいよ」

友「私の勘が告げてるの!あの先輩は絶対に私より小さいんだから!勝った!勝った!」

菫「(友ちゃんのこういう負けず嫌いなところは中学の頃から全然かわらない♪)」

梓「――それでは一曲聴いてください!」

菫(あれ?平沢先輩と鈴木先輩は演奏しないのかな?)

友「お手並み拝見だよ!小っこい先輩!」ワクワク

菫「友ちゃんが言えることじゃないと思うよ…」

梓「き゛み゛を゛み゛て゛る゛と゛い゛つ゛も゛ハ゛ァ゛ト゛ト゛ギト゛ギ」

菫(歌すごくヘタだったー!?)

友「                         」

菫(友ちゃんが茫然としてる!?)

菫(あわわ…中野先輩がんばってー…ん?)

菫(前の席で頭を揺さぶってる子がいる……たしか奥田さんだったっけ?)

菫(頭を左右に振り続けてる…なんで?…だんだん肩も大きく揺らして……あっ、隣の子と肩ぶつけた…)

・翌日、放課後

菫(演奏を終えた中野先輩はやっぱり気分が沈んでいるようで、暗いオーラをまとって舞台を去っていった)

菫(そんな先輩と顔を合わせたら先輩を刺激してしまうだろうから、昨日は部室に行かないで真っ直ぐに公園へ向かって女の子たちと遊んだ)

菫(そして今日。今日こそ先輩方が来る前に食器棚を片付ける…!)

菫(とくに中野先輩に見つかって、もし昨日の演奏をまだ引き摺っていたら、私にはかける言葉がない…)

菫(なので、どうか神様。先輩方に見つからないように……)

梓「すーみれ!」

菫「見つかったーっ!!Σ」

菫「すっ、すいません…ん?」

憂「あのね。今日ケーキ焼いて来たんだ!一緒に食べない?」

梓「菫のお茶、飲みたいなー!」

菫「あっ・・・」

菫(中野先輩…元気にしてる…?)

菫(どうやら私の杞憂だったみたいっ)

菫(良かった…)



 『すみれちゃーん!』

 『すみれちゃん!ジュース買ってー!』

 『すみれちゃんのクッキー好きー!』



菫(えっ・・・?)

菫(どうして今、公園で遊ぶ女の子たちのことを思い出したんだろう?)

梓「菫?」

菫「あ、はい!ただいまー!」

梓「扱いやすい子……」

憂「かわいー♪」



*5分後*


菫「わあ…平沢先輩のケーキ美味しいです…」

憂「ほんとう?よかったー!」

純「憂ってなんでもできちゃうよねー。ウマウマ」

憂「何でもはできないよぉ」

純「私の知る限りはたいていのことはできちゃうじゃん。ねー梓?」

梓「ギターの上達スピードが恐ろしいしね」

純「学園祭前に唯先輩が風邪ひいたときだっけ?凄いよねー」

憂「二人ともやめてよぉ///」

憂「地道に練習しただけだってば。紅茶の煎れ方もそんな感じだよね?菫ちゃん」

菫「え?はい」

純「いやいや~憂の場合は呑み込みが早すぎて恐ろしいんだって。たとえば梓がさ~」

梓「うわ嫌な予感しかしない」

純「今から地道に歌を練習してどれくらいで仕上がると思う?」

菫「ゲホッ!」

憂「スミーレちゃんだいじょうぶ!?」

菫「す、すいません…」

梓「菫!安心して!二度と歌わないから!」

純「すがすがしいまでの開き直りだ!」

梓「歌のことはもう忘れなさい……イイネ?」

純「おおう怖い怖い」

梓「頭のモップ剥ぐよ?」

純「返答する前に手をかけないでくださいごめんなさい」

菫「うぅ…すいません。決して中野先輩を笑ったわけじゃなくて…」

梓「あー気にしないで。明らかに私の能力不足が招いたことだから…」

憂「まぁまぁ。梓ちゃんも地道に練習すればきっと綺麗な歌声で歌えるようになるよ」

梓「いいんだ…私はムッタン一筋で音楽を表現するんだ……」

菫「むったん?」

梓「あ、いや、今の無し!!///」

憂「スミーレちゃんが入部してくれたら解るようになるよ」ニコニコ

菫「うっ・・・」

純「ちなみに私はミオタンって名前の」

梓「澪先輩の名前を使うな!」

純「いーじゃん!憧れの先輩なんだし!」

梓「いーやダメ!澪先輩が穢れる!」

純「そこまで言う!?」

憂「じゃあ私はユイタンって名づけようかなあ(ギター買ったらね)」

梓・純「どうぞどうぞ」

憂「あれ?反応それだけ?」

梓「触らぬ神になんたらら、てやつよ」

純「下々の我々には口出しできないのさ」

憂「ちょっとさみしい・・・」

梓「とにかく、ミオタンなんて絶対許さないから」

純「心の中で連呼するもんねー」

梓「うわストーカーみたいなやつ…」

純「梓だってどうせギター抱きながら心の中で唯先輩唯先輩言ってんでしょ?」

梓「言いません!!///」

憂「梓ちゃんホント?」ニコニコ

梓「でっち上げだから!///」

純「でも現に梓の携帯の発信履歴が」

梓「うおおおおお!!その口を慎めええええええ!!いつ見た!いつ見たの!!言いなさい!!」

純「うごっ…が…首締……っ」

憂「前から思ってたけど、やっぱり梓ちゃんってお姉ちゃんのことが♪」

梓「ちがう!ほんとにちがうから!変なこと言わないで!///」

憂「梓ちゃんなら安心してお姉ちゃんを任せられるのに♡」

梓「だから!ちーがーうー!!///」

菫「・・・・・・」

菫(本当に楽しそうな人達…)

菫(もし私が入部したら、きっと楽しいんだろうな)

菫(でも私は食器棚を片付けに来てるだけ。食器棚を片付けたらそれっきりの関係)

菫(お姉ちゃんと違って歌も楽器も習ったことはない。音楽に特別な興味があるわけでもない)

菫(それに私には……うん。あの公園に私を待っている大事な子たちがいるから、やっぱり入部はできないな…)

菫(ご期待に添えずごめんなさい、先輩方。こんなに美味しいケーキまでいただいてしまったのに)

菫(今日こそきっちり勧誘をお断りしないと・・・)

菫(そうしたらこの楽しいお茶会もお終いだな・・・)

菫(・・・・・・)


梓『菫のお茶、飲みたいなー!』


菫「……っ」

菫(・・・ほんとうにいいのかな)

純「ギ、ギブ……」

梓「あーごめーん(棒)手放すのわすれてたー(棒)」

純「げほっ、こほっ!」

梓「自業自得だからね」

純「わたし死にかけたよ!?やり過ぎでしょ!」

憂「梓ちゃんったら照れ隠しに純ちゃんを使うなんて正直じゃないなあ♪」

梓「いくら憂でもそれ以上は怒るよ!」

純「キャー梓部長コワーイ」ギュッ

菫「え、ふぇ?」

憂「ほらスミーレちゃんが委縮しちゃってるよ?」ギュッ

菫「え?え?」

梓「ぬぬぬ……っ」

菫「あの、わたしはお構いなく…!」

純「スミーレは私たちを見捨てるの!?」

憂「信じてたのに!」

菫「そんなつもりで言ったんじゃないですぅ!」

梓「もう怒った!部長権限で、純は明日からお茶もお菓子も抜き!」

純「ちょっと!憂は許されていいの!?」

梓「だってお菓子作ってきてくれるの憂じゃん」

純「不当だー!平等じゃなーい!」

菫「…………」

菫(入部をお断りしなきゃ……でも)

菫(変だな……勧誘する気配を先輩方から全く感じない)

菫(まるで只お茶会を開いて談笑してるだけのような、穏やかな雰囲気に包まれてる)

菫(どうしたんだろう?もしかしてとっくに入部したことになってたり…いやいや、仮入部届も提出してないのにそんな)

菫(わからない…どうして先輩方は私をお茶に誘うんだろう)

菫(これじゃいつ言いだせばいいのかわからない…)

菫(けど)

菫(…このままの時間を過ごすのもわるくない気がしてきた)

菫(悪ふざけを始める鈴木先輩と便乗する平沢先輩、被害者だけどめげない中野先輩)

菫(私には無い、底抜けの元気が溢れる人たちを見ているのは大好き。そう、女の子が公園を元気に走り回る光景は私の宝物)

菫(お姉ちゃんも、無茶なことでもやると言ったら本気で実行しかねない危なっかしいところはあるけど、そんなところも大好き)

菫(ほんと、お別れするのが勿体無いくらいに)

菫「……楽しい人たちだな」

純「なにを今更w」

菫「あっ!すいません、聞こえましたか…?」

憂「私たちは毎日楽しいよ!」

純「私と憂は毎日梓に振り回されてるもんねー」

梓「みんなでこうしてお茶しておしゃべりするだけでも、純の戯言が気にならないくらい楽しいよ!楽しいよね?」ニコニコ

菫「中野先輩…」


 『楽しいね!スミレちゃん!』


菫「っ!!」

菫「・・・・・・」

菫(あっ…わかった…)

菫(中野先輩を見てると大好きな女の子たちを思い出すんだ…)

菫(もしかして…私は…いやでも先輩は高三なのに…年上なのに…)

梓(あれ?もしかして私が勘違いしてるだけで、楽しくない?)

憂「えへへ♪梓ちゃん、なんだかお姉ちゃんみたいなこと言うようになったね!」

梓「え!?何それ!?唯先輩に似てきたってこと!?ショックだー!」

憂「なんでショックなのー!いいじゃーん!」

梓「いやー!なんかイヤー!」

菫(よくわからないけど必死に否定してるところがかわいい…ううん、いけないいけない!先輩になんてことを思ってるの!)

純「やっぱ好きな人に似てくるもんだねー。モシャモシャ。ケーキうまい」

梓「似てない!断じて似てない!紅茶飲んで一日終ろうなんて考えないから!」

純「のわりには初日からスミーレのお茶のんでダベるだけだったじゃん」

憂「今日からケーキもついてくるよ」

梓「もうやめてー!うおー!やー!カムバックあたしー!」

純「それ去年に失敗したじゃん」

梓「ウグッ」

憂「私はそのままの梓ちゃんが好きだよー」ナデナデ

梓「うぅ…私だけでもしっかりしないといけないのに…」

純「ほれほれスミーレのお茶のお代わりだぞー」

梓「シクシク……こうやってますます堕落していくんだ…ズズ…うん美味しい…」

菫「…あの」

梓「うん?」

菫「…どうしてこんな私に構ってくれるんですか?」

梓「えっ」

菫「べつに入部希望と言ったわけでもないのに…」

梓「!」

憂「何でって?」

純「もう何回もいっしょにお茶してるじゃん!」

梓「さっきも言ったけど、菫とこうしておしゃべりしてるだけでも楽しいよ?」

菫「でも…」

梓「菫さえ良かったら、もっともっと菫とおしゃべりしたいなー?♪」ニコッ

菫「                                            
                                              」

憂・純(やっぱりお姉ちゃん(唯先輩)っぽくなってきてる)

菫(あっ……あっ……)

梓「菫?」

菫(ああ……っ!)

菫(梓『もっともっと菫とおしゃべりしたいなー♪』キャッキャッ)

菫(ああ……やっぱり…中野先輩って………)

菫(超かわいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!!!!!!!!!111!!!!!!!!11!!!!!!!111!!!!!!!!!!!)

梓「ちょっ菫!?涎!涎!」

菫「へ?ヒャッ!ごめんなさい!///」

憂・純「?」

梓「はいティッシュ…どうしたの…?平気?」

菫「はぃ元気です///」

梓「体調の心配はしてないんだけど…」

菫「ほ、ほんとに大丈夫です!ありがとうございました!」

梓「ならいいけど…」

菫「はい!ですから先輩は笑顔でいてください!!」

梓「わ、わかったから落ちついて!」

菫(えっへへへ♪少しとまどってる中野先輩もかわいいな~♡)

純「スミーレどうしたんだろう…」

憂「さあ?でも見て。なんだか憑き物が落ちたみたいに晴れやかな顔をしてる」

純「そういえば。あんなに笑ってるスミーレは初めて見た。なんで?」

憂「さあ?♪」

梓「…あのね、菫?さっき菫が訊いたことだけど」

菫「はい!!」

梓「近い近い!もうちょっと下がって。見上げる首の角度がきつい」

菫「はわわ、すいません!」

梓「たしかに私たちは部員が欲しい。新歓でも言ったけど部員は最低4人いないと廃部になる」

梓「そうなったら私は先輩との……ううん、これは今言うことじゃないや」

菫「……?」

憂・純「………………」

梓「とにかくそういうわけで廃部を阻止するために部員の勧誘に躍起になってた」

梓「新歓のときみたいに空回りすることになるかもしれない。それでも止まるわけにはいかない。何としても部員を集めなきゃって思ってた」

菫(さっきまでのお茶会ムードの先輩とはちがう…一言一句に強い意志を感じる…。これが軽音部…?)

梓「でも!!!」

菫「ひゃっ!」

梓「それとこれとは別♪せっかくこうして菫と縁が出来たのに、廃部阻止のためだけの関係で終わらせるなんて寂しいじゃん?」

菫「あ…!」

梓「もちろん菫が入部してくれたら大歓迎!けど入部しなくてもさ、またここでお茶会しようよ?」

菫「せん…ぱい!」

梓「わたし、すっかり菫が煎れるお茶の虜になっちゃったみたい。てへっ♪」

菫「入部します!絶対に入部します!今ここで!ぜひ入部させてください!!///」

梓「わわわっ、だから近いってば!首がきつい!」

純「よっしゃ確保ー!」

憂「確保ー!」

菫「えっ、ギャー!?」

梓「あーん、もう!せっかくの良い雰囲気がー!確保ー!」

菫「中野先輩までー!?///」

直「あのすいません入部したいんですけど」

憂「あ!昨日の!」

菫「あ…同じクラスの奥田さん…」

梓「ごほんっ!奥田さん?も入部してくれるの?」

直「はい。私この学校の部活全部に体験入部したんですけど」

四人「全部!?」

直「この部活が一番うまくできそうだったので!」

梓・憂・純(あれで!?)

菫(直ちゃんの演奏…すごく独特そう……ってあれ?先輩方が呆けてる?どうしたんだろう?)

・エピローグ

 下校する頃には、空は夜模様に移ろうとしていた。空を覆う夜の藍が、地平線に沈み始めた陽光の茜と、ほんのりとした紫の層を成してる。なんとなく空を見上げていると、一点の一番星が煌めいていた。

 その小さな明かりに私はときめくのを感じた。とくべつ星に興味があるわけじゃないのに。たまにはこんな日もあっていいかもね。

 小学校に入る前の小さなお子さんはとっくにお母さんに連れられて帰宅している時間。春とはいっても、この時間になれば肌寒さも出てくる。

 私はいつもの公園に寄っていた。この遅くに馴染みの顔たちに逢えるかはわからなかった。けど女の子たちはいてくれた。

 たちまち、女の子たちは私のもとに集まってくれた。今日の女の子たちは運動部で頑張ってる三人娘。彼女たちは今日の新鮮な体験を思い思いに喋った。私は彼女たちに相槌を打って、誉めたり笑いかけていた。

 この子たちが夕刻になってもいるということは…と公園を見渡していたら、ベンチで談笑している見知った顔の奥さん2人が頭を下げた。慌てて私も挨拶したら、つい琴吹家仕込みの堅苦しいお辞儀の姿勢をとってしまった。そのことを自覚したのは、周りの小さなお姫様に茶化されてようやくだった。

 橙の陽射しを顔の半分に眩しいほどに受けてる。陽が当たってるところは暖かい。けれど陽の当たらない部分を撫でていく夕風はやや冷たい。ひんやりとしてきた内腿同士を擦り合わせて若干の温もりを得た。

 寒さを覚えたのは女の子たちもそうみたい。一人のタンクトップ姿の女の子は曝け出してる肩と腕を抱えてる。一人のおとなしめの女の子は、ベンチのお母さんに借りたと言うカーディガンを着ていた。もう一人の膝丈より短いスカートを穿いた女の子は、寒さに強いアピールをしたいのかな、たびたび蹴り上げるように足を上げて、健康な肌を見せつけていた。

 いつもの少女たち。私にとって大切な人たち。眺めているだけで顔が綻んでしまう。

 ……だけど、そんな暢気な気分は少しの間引っ込ませないといけなかった。

 私が今日この子たちを探していたのは、遊びたいからじゃない…。

 やがて女の子たちは喋ることがなくなったようで、お互いに思い思いに抱きついたりくすぐったりしていた。悲しさのかけらもない悲鳴がときどき上がった。

 さて、と一息つく。そろそろかな。

 公園に来る前から喉元に空気の塊が詰まった感覚があった。それが大きくなりすぎた。塊を一気に吐きだして楽になりたい。

 目線を彼女たちに合わせるように膝を落として、みんな、と声を掛けた。女の子たちの笑顔が一斉に私に向けられた。その眼には期待が満ちてるように見えた。
 
 「少し聴いてもらいことがあるの」

 できるだけ穏やかに大事なお話をした。新しい学校で部活に入ることにしたこと。だから女の子たちと遊べる時間がグッと減ること。

 今までの私であれば、小さな女の子たちよりも優先することができてしまうことなんて有り得なかった。そういう理由でこれは私にとって一大事なこと。なので一度交流してる少女たちとお話しないといけないと思った。

 もしかしたら私と会える時間が減って悲しむかな…なんて不安があった。女の子たちは本物のお姉ちゃんを相手するように懐いてくれていたから。思い上がりかもしれないけど、そんな一抹の可能性が脳裏に貼り付いていた。

 「すみれちゃんが部活!?おめでとう!」

 でも女の子たちの反応はいつも通りだった。部活の話をしていたときは軽音部について根掘り葉掘り訊き出されて、少女たちも自分の部活について自慢し始めたりして盛り上がっていた。私と遊ぶ時間が減ることを話しているときでも、そっか、とあっけらかんとしていた。それどころかミニスカの子が『すみれちゃんがとうとう私たちから卒業するときがきたんだねヨヨヨ』と演技じみた悲しみを見せて、思わず吹き出してしまった。

 私の不安は杞憂だった。べつに私が必要とされていないわけじゃない。離ればなれになる時間が増える程度じゃ、私たちの絆は途絶えないんだよね?

 よかった。

 それから私たちはガールズトークに花を咲かせた。彼女たちの内の一人のお母さんが家からお迎えに来るまで。そのお母さんもベンチにいた二人のお母さんと合流した。やがて三人の女子小学生と一人の女子高生と三人の奥さんっていう、少し不思議なグループが夕暮れの公園で談笑していた。

 空を藍色が占めそうな頃、私たちは解散した。少女たちの高らかな挨拶に、私も精いっぱいの声で返事をした。この分だと今晩中には見知った女の子たちの殆どに私のニュースが駆け巡ることになりそう。ガールズネットワークってすごいもんなあ。なんてふうに、今日会わなかった女の子たちに思いを巡らす。その間にも冷たい風が足を撫でていくけれど、足取りは軽かった。

 今日、私は私の知らない新しい道を進むことになった。

 成り行きと誘惑に後押しされて見つけたこの道の先に、私は何を見るんだろう。

 大好きな女の子たちから先輩たちについて、女の子たちにこれでもかと尋ねられた。軽音部に入って間もない私には、軽音部についてそれくらいしか話せないからね。

 そこで話したことは覚えてない。きっと私の正直な思いに違いない。矢継ぎ早に訊かれるものだから、変に返答をごまかす暇もなかった。

 恥ずかしいことは話してないはずだけど…。歩みを止めて記憶の残滓を寄せ集めてみる。

 平沢先輩。見かけどおり優しい先輩。先輩の持ち込んだケーキがとても美味しくて、琴吹家専属のパティシェに劣らない。それにお茶の煎れ方を少し教えたら瞬く間にマスターしてしまった。他の先輩方が言うには大変才能溢れる逸材らしくて、その片鱗を私は見てしまったらしい。

 鈴木先輩。しょっちゅう中野先輩に突っ込まれていた先輩。でももしかしたら先輩のような人がいないと軽音部に活気が生まれないのかもしれない。

 そして、中野先輩。小さい。喜怒哀楽が顔や態度にはっきり表れていて、眺めているとほっこりする先輩。ぴょこぴょこと跳ねるツインテールの髪も捨てがたい。

 なにより、中野先輩は強い意志を持ってる。私には無い、何かを成し遂げたい強い意志が。それは何だろう?もしかしたら、あのとき先輩が言いかけたことと関係があるのかもしれない。

 私なんかが入部するだけであんなに喜ぶほどに…。

 知りたい。そんな気持ちが熱くなるのを感じる。中野先輩のことをもっと知りたい。

 私、頑張ります。いつか中野先輩の言いかけたことを訊けるくらいに信頼してもらうために、楽器の腕を上げます。頑張って、ギターを弾いている先輩を間近で見られるポジションに付きます。距離が近くなれば、それだけ親密になれますからね?

 そのためにもまずは音楽に興味を持たないと、だけど。

 中野先輩。ううん、梓先輩。私でよければ、梓先輩のお役に立てるように頑張りますね!

 他に誰も居ない夕暮れの舗道で、一人ガッツポーズを決める。俄然、やる気が出てくる。

 あ、そうだ。一人のときなら『ちゃん』付けで呼んでもいいよね?学年を間違えてた頃はこの呼び方が一番しっくりきてたもの。今だって、3年生だとわかっていても、そういう目で見てしまうし。ね?

 「梓ちゃん」

 そう呟いた直後。心臓のあたりがキュンッときた。胸の内や顔に熱っぽさを覚えた。梓先輩が笑顔で私の名前を呼びかける姿を幻視した。

 『すみれ!すみれー!すみれのお茶、飲みたいなー!』

 恥ずかしい…!恥ずかしさで頭が沸騰しそう!心臓がドキドキと高鳴ってる!

 手遅れなのに手で口を塞いでいた。このことを自覚したのは少し時間を置いてからだった。

 だめだ…この呼び方は禁句。周りに誰もいなかろうと、自分の部屋の外でやっちゃだめ。興奮してダメになる。ダメになってるところを誰かに見られたら不審者ってレベルじゃない。

 なので。

 梓せんぱいっ。梓せんぱいっ。梓せんぱいっ。梓せんぱいっ。梓せんぱいっ。

 梓せんぱいっ。梓せんぱいっ。

 「ふぅ…梓せんぱいっ」

 よしっ。呼吸が落ち着いてきた。興奮を誘う梓先輩のかわいらしい幻影を振り払うために、星の散り始めた空を見上げて網膜に焼き付ける。

 あんな風に興奮するなんて…思いもしなかった。すっかり梓先輩の虜になってしまったみたい。

 私は小さな女の子たちを愛でてきた。けれど常に興奮のブレーキはかけてきたつもり。周りの目を気にしてるのもだけど、琴吹家のメイドとして、最低限の淑女の振る舞いを忘れないよう心掛けてきた。

 それなのに…。

 ああ、梓せんぱい。こんな破廉恥な私を慕ってくれて、ありがとうございます。

 キラキラと輝く瞳が綺麗です。

 誰よりも慎ましいそのお体も素敵です。

 思い起こせば、新歓のときのおみ足も白く健康的です。

 たまりません。

 そんなあなたと過ごす高校生活が、とても楽しみです。

 だから…。



 新しい世界を、私に見せてください。


 新しい愛のある生活を、あなたと過ごしたい。


 この先どんなことがあっても、あなたに助力します。


 だから……。


 もしも、あなたが良ければ。


 私を…。


 私を、あなたのそばに置かせてほしいな。



 高揚感。身体が軽い。今にも空に昇ってしまえるよう。心地いい浮遊感。

 ゆっくりと瞼を閉じると、闇の中にはやっぱり梓先輩の姿が手を振っている。

 うん、て頷いて先輩のもとへ駆け寄る。

 するとどこからともなくダイニングテーブルとイスが現れて、テーブルの上には家庭料理が並んだ。同時に自分が割烹着に身を包んでることに気付く。

 先輩は、お疲れ様、菫も早く食べよ、てイスを引いて待ってくれる。そのことで私は少し慌てる。

 ああ、いいんですよ先輩。私はメイドですから。先輩は座っていてください。

 そう伝えると先輩はムゥ、て眉間にわずかにシワを寄せて唇を強く閉じる。割烹着を脱ぎつつ、謝る言葉を慌てて探す。

 ごめんなさい!メイドじゃなくて、えっと、か……うぅ。

 続けるべき言葉はわかってる。でも告げるには恥ずかしい。顔が火照っているのを感じる。

 梓先輩はそんな私を表情を変えないで見つめている。やがて一つ、溜息をつく。もしかして怒られる…、そう思った私はビクつく。

 でもそんなことはなかった。やれやれと言いたげな顔で、けれど微笑んで言う。

 すみれ~?菫は誰のもの~?

 梓先輩のものです!!て高らかに宣言したい。けど大胆すぎて、私にはできない。

 答えはわかりきってる。だからこそ恥ずかしくて、口を手で覆って口ごもる。

 先輩の目は私の目をつかまえて離さない。見つめ合うだけで胸が高鳴る。

 やがて、しょうがないな~と言って、先輩が近寄る。うろたえる私のもとへ、ずんずんと。

 手を伸ばせば先輩の身体に触れられる。その距離まで近づいて歩みを止めた。こうしてみると私たちの背丈の差がよくわかる。

 何を言われるのだろう、て身構える。すると、先輩が私の胸へ飛び込んできた。

 ちょ、せんぱっ!?と言葉にならない驚きに混乱する。先輩はがっちりと私の背に腕を回して、胸に顔をおしつけてくる。

 突然襲う胸の圧迫感に羞恥心でヒートアップする。それになにより、梓先輩の体温や甘い香りを強く感じられることが羞恥心に拍車をかける。

 頭が沸騰してくる。単語にすらならない喘ぎ声が口から零れていく。このままだと恥ずかしさで息が絶えそう……でも先輩で死ねるならそれも…もう先輩ったらかわいいなあ………、とふわふわな思考がただよう。

 不意に胸元から先輩の頭が離れる。それでも私の腕ならいつでも抱き寄せることができるほど近い。顔を上げた先輩は耳まで紅潮している。

 そして、その小さな唇で告げた。

 わかった?ちゃんと答えないと、さらに恥ずかしい目に遭うんだってこと。

 直後先輩は、プイッと顔を背ける。その様子が一層愛おしい。

 たまらない。

 はい、ちゃんと答えますね。私は誰のもので、そしてその誰が今望んでいるものをお届けします。

 息を整えて、先輩が私の顔を見上げなくて済むように膝を曲げる。小さな耳の小さな穴までかわいらしいですよ、とは心の内にしまっておこう。

 せんぱい、と呼びかける。尚も梓先輩は私から顔を背けている。

 それなら、と先輩の頬を両手で挟んで正面を向かせる。先輩の熱くて甘い吐息が顔にかかる。それでも先輩の眼は私を見ない。私を見てください。まちがいなく、先輩と同様に私も顔がまっかっかになってます。

 聴いてください。

 「私は梓先輩のものです。先輩の彼女です。そして、梓先輩は私のものです」

 ようやく先輩と眼が合う。夜のように綺麗な黒の瞳。ほのかに瞳から反射される光さえ星のよう。

 その瞳がゆっくりと瞼に覆われる。

 わかっています。

 私もあげようと思っていました。

 先輩が私を待っている。いつでも待っている。私はいつも先輩の通った道を通る。それでいいの。私の人生をあなたに捧げたあの日から。

 だから、受け取ってください。

 先輩と鼻先がそっとすれ違う。

 お互いの鼻呼吸が入り混じる。

 まだそんな感触を味わうほどに、一気に、とはいけない私の弱さの顕れ。

 我ながらじれったいとさえ思う。

 でも、もうすぐ。あなたの唇に触れる前から体温を感じる。

 梓せんぱい。

 いただきます。










【冗談だよね?】





 忽然と飛び込んできた声に驚いて、その場を跳びのく。辺りを見渡しても、声の出所はわからない。

 その声はこの妄想の空間に未だに反響している。私の胸をキュゥッと締め付ける。

 せんぱい!縋りたくて叫んだ。私の拠り所。私の愛を受け止めてくれる、妄想の人。湛え始めた涙を拭き取ることもせず、先輩の姿をこの眼に収めたかった。

 けれど、大好きな先輩は手遅れだった。

 全身を黒い靄に覆われている。もうその笑顔を確認することさえできない。

 私はすっかり脱力してしまっていた。その場にくずおれて、溢れる涙を膝に滴らせていた。

【嘘よね?】

 再び奏でられる、女の子の声。警戒心を隠していない疑問の声。さっきよりも大きく鳴り響いて、私の胸を打つ。

 いつのまにか妄想の空間を追い出され、闇の中にいる。手を伸ばしても、もう手遅れ。幸せな空間ごと黒い靄に覆われ、やがて姿を消した。

 孤独の闇に、声が木霊し続ける。その声に押し出されるように涙の粒が零れていく。

 やがて黒い靄は私を『元通りに』包みこんでいく。

【え、本気なの?】

 やめて!やっと忘れていたのに!お願いだからもう忘れさせて!

 私の叫びは嗚咽に阻まれて、僅かな呻き声になってひっそり消えてしまう。

 反響音が尚も私を苛む。淀み一つ無い闇の中で、黒い靄だけがぼんやりと存在を主張している。

【ごめんね?】

 途端に全身が重苦しくなる。声は重さがあるように私にのしかかる。その重圧に屈して、息も絶え絶えに、その場に這いつくばる他なかった。

 私の心を抉る拒絶の言葉。また、思い出してしまった。

 違うの!あなたは悪くないの!私が気持ち悪いの!ごめんなさい!ごめんなさい!

 胸の内で謝罪の言葉が無限に生まれ、渦を巻き始める。渦が内臓に衝突しているような鈍痛さえ感じる。

 でも一つでもこの渦巻く言葉を決してあの子に向けて突き出してはいけない。あの子は悪くないんだから。

 おえっ……吐きそう。口を精一杯に抑え、零れるのは透明でさらさらとした唾液だけ。

 唾液にまみれた手の平を茫然と眺めて、僅かに残った正気で考える。

 言わなくてはいけない。あの子を悪者にしない代わりの言葉。それでいて私が悪いと伝える言葉を。あの頃と同じように。

 けれど裏切りの言葉が喉に詰まっている。もはや呻いて泣くだけの機械になった私に、他の言葉を吐き出す余裕はなかった。

【ほんとうにごめんね?】

 さらに紡がれる声に、とうとう頭痛を起こした。

 「ごめ……んんっ!!」

 吐き出しかけた裏切りの言葉を強引に引っ込める。手で固く覆った口をさらに地に押し付けて。

 違う!この言葉じゃなくて!そうだ、あの言葉を……だからお願い!この言葉は引っ込んでて…!

 ようやく生まれた別の言葉は、体内に渦巻く謝罪の渦の中。

 絶えず木霊は頭痛をもたらして、地に伏せた私の意識を奪いかける。その度に口の栓が緩み、謝罪が飛び出そうとする。

 もう少しだけ。もう少しだけ堪えれば、きっと木霊が小さくなって聞こえなくなるタイミングがくる…。

 そう思っている間にも、木霊は徐々に聞こえづらくなっていく。再び声が轟く前に、今のうちに、と謝罪の渦の中からたった一つの言葉を探し求める。

 ごめんなさい…、気持ち悪いよね…、友辞めした方がいいよね…、私が悪いんだよね…、死んだ方がマシかな……。探索している間、私自身の言葉が幾重にも私を虐める。竜巻のような謝罪の勢いに流されて、やっぱり口からごめんなさいと零れかけた。

 やがて木霊は徐々に聞こえなくなって、ついに無音の瞬間が来た。同時に、大事な言葉を探し当てた。

 嗚咽を止ませるために歯を食いしばって、伏せた体勢で厳しいけど深呼吸をして、ようやく息を整えた。

 ごめんね、でもこれで、さようなら。



「冗談だよ…」



【あー、びっくりした~】

 少女の声に安心感が込められている。もう私を苛むことはなかった。反響することもない。喉まで出かかっていた謝罪の言葉はその荒れ狂った渦を鎮めて、パラパラと散乱していく。

 後に残ったのは私の身体と、包み込む黒い靄だけ。

 全身に掛かっていた重圧感が消え去った感じを覚える。けれど私の目から涙がとめどなく流れていく。

 私が探し当てた言葉を告げてから、たった一度きりだけの台詞。それはあの子にとっての危機が去った瞬間の一言。

 同時に、私が私自身の気持ちを裏切った瞬間でもある。

 でも、いいの。大好きなあの子が傷つくくらいなら、私だけが傷つけばいい。

 あの子は本当に優しかった。あんな笑えない冗談を振られても、大切な友達でいてくれた。だからこそ、かもしれない。

 小学生の頃の私は今よりも家の外の物事に消極的だった。そんな私がお姉ちゃんの他に心から興味を持った、初恋の女の子。

 「うっ……」

 だめ…思い出しちゃダメだった…。必死に頭を振り回す。

 けれどあの子のイメージが吹き飛ぶことはない。

 ただ、ただ、私の記憶から、思い出が氾濫した川のように溢れ出して遡らされていく。



 どんなことがあっても――――。


 愛のある生活への羨望が犯した罪を忘れてしまった、無意識の記憶。


 どんなことがあって…――――。


 あの子と大切な友達でいられる、幸せで不幸せな運命に苦しんだ記憶。


 どんなことがあっ……――――。


 糸が切れたように、お姉ちゃんすら拒んで部屋に引き籠った記憶。


 どん…ことがあっ……――――。


 あの子との恋愛を描いた夢模様の泡たちを、一斉に叩き潰した記憶。


 どん…こと…あっ……――――。


 自分を悲劇の主人公に見立てて、現実逃避した記憶。


 どん……と…あっ……――――。


 真っ暗な部屋でお気に入りのクマのぬいぐるみを抱いて、すすり泣いていた記憶。


 …ん……と…あっ……――――。


 冷たい通り雨でずぶ濡れになりながら、あの子から逃げ帰った記憶。


 ………………あっ……――――。


 …………ザザッ……ザッ……ザザザザ――。

 「ごめんなさい…、ごめんなさい…、ごめんなさい……!」

 忘却してしまいたかった記憶の蓋を、再び開いてしまった。寒い。腕を抱えて震えるしかできない。

 そんな私を慰めるように纏わりつく黒い靄。ここ数年間は私を包み込んでいただけだったのに、また、私の無抵抗な身体に触れてくる。露わになっている手や足に這い寄って来た。

 生温かい。そうだった、これはこんな感触だったね。気持ち悪く思えて、でも私を見守っている存在。私は靄から逃れることはできない。

 抱えていた腕をだらしなく床に垂らす。

 「…………ははっ、はは…」

 言葉が出ない。独り言を言うには口が痙攣してるように震えすぎる。さんざん泣いたから疲れたのかな。

 闇の中で、靄の中で、自分の殻に閉じこもって瞼を閉じる。

 やっぱりあなたは居た。目に涙を溜めて、必死に私に叫んでいる。

 走馬灯の中にいた小学生の私。本気の恋を信じていた頃の私。

 ねえ、あの頃の私?今になって思い出させるってことは、きっと警告なんだよね?あなたの苦悶を繰り返しそうな私を止めてくれるんだね。

 わかってるよ。あなたも私も、本当は普通の恋愛を望んでる。普通に異性にときめいて、普通に結婚したいね?

 若気の至りで同性を好きになっても不幸になるだけだもんね。

 だから、安心して。私は梓先輩を本気で愛するわけじゃない。かわいい友達が増えただけなの。

 冗談だから、ね?

 「は、はろー?」

 不意に意識を現実に戻された。

 その声に驚いて瞼を開くと、目の前には女の子がいた。

 全身が硬直するのを感じた。日没後の暗がりに紛れて私を見つめる姿。陰になる場所にいても僅かな光を返す綺麗な瞳。

 間違いない。

 彼女は私の初恋の少女だった。

 開いた瞼が見開いてしまったのを自覚している。まるで化け物でも襲われるかのように恐怖している。どうしてここに……。私は彼女から目を離すことは許されなかった。

 心臓が激動する。心音が他の音を聞くことも許さなかった。

 逃げたい。あなたと私は一緒にいないほうがいいの。一緒にいたら、またあなたを傷つけてしまいそうになる。私も苦しいの。ごめんなさい。

 すると、怯える私を見つめて何を思ったか、彼女は後ずさりした。それでも綺麗なその瞳を反らしてくれない。

 そのとき、彼女の背後に箒のような黒い束が腰の辺りで揺れるを見た。彼女の髪型はポニーテールだった。

 えっ……?

 ちがう…あの子はこんな髪型にはしない。

 あの子は…いつも項まで伸ばして…。

 そのことに気付いたとき、全身の緊張がドッとほぐれた。同時に私の耳にも世界の音が戻ってきた。

 「えと…うぁっとどぅーゆーどぅー…?通じてるかな…」

 彼女の幻影が掻き消えていく。代わりに現れたのは見知らぬ少女だった。

 なんだ…人違いか。安心しきって胸を撫で下ろして、肺の中の空気を空っぽにする勢いで溜息をつく。

 当たり前か。あの頃から何年経ってると思ってるの。それにあの子は私に一生縁の無い遠い場所に引っ越したじゃない。私って、ほんとバカ。

 自分の浅はかさを嘲る。

 「ううん、平気」

 「日本語……」

 「うん。生まれも育ちもこの町だから」

 「そうなんですか…」

 「じつは最近にも英語で話しかけられたことがあるの」

 「私だけじゃないんだ。ふぅ。よかった」

 「ふふっ。あのときはお姉ちゃんも下手な英語で返さなきゃ、て慌てたな」

 「喋れないんですか。なんか損してるみたい」

 「どうだろう?クスッ」

 小学生6年生くらいの幼い、けれどしっかりした雰囲気を感じる。それに背負っているバッグがどこかの塾で売ってるもの。塾帰りの子か。

 ふと我に返ると、酷い有様だった。硬いコンクリートで舗装された道の上に、地べたにぺたんと座り込んで、学校指定の鞄を放置していた。買ってから日が浅いのにさっそく汚しちゃったな…。鞄を拾おうと手を伸ばすと、頬を熱い涙が一筋滴り落ちた。

 女子小学生の前でみっともない。目元を袖で強引に拭って、服装を整えて膝を払う。すると砂に紛れて膝から何か湿ったものが丸まって落ちた。桜の花びらのようだった。

 「ほんとうに平気ですか?どこか具合でも悪いなら救急車を呼びますよ?」

 「だいじょうぶ。心配してくれてありがとう」

 「あ、いえ。では私はこれで」

 「そうだ!お礼にお姉さんの飴をあげるよ」

 「んと、すいません。知らない人から物をもらっちゃいけないって言われてるので」

 「まあまあ、そう言わず。はいっ」

 「ありがとうございます…」

 「おかげで元気でたよ。さよならー」

 「さようならっ」

 女の子は簡単なお辞儀をして去っていく。その後頭部でぴょんぴょんと跳ねるポニーテールを見て、自然に笑みが零れた。

 うん、かわいいな♪今度会ったら別のお礼をしなきゃ♪

 胸がぽかぽかと温かくなる。知的な女の子もかわいい。お勉強を見てあげたいな。でも勉強は本職の先生に見てもらった方がいいからなぁ。

 なら息抜きに私を使って欲しいな。疲れた頃に公園に来て、私と缶ココアを飲みながらお話を聞いてあげて。受験のストレスを発散するために公園の敷地内を思いっきり駆け回って。それから、それから――。

 なんて、友達になったわけでもないのに想像の飛躍かな。さっき話していたときに見知らぬ人って言われたけど、私たちはもう友達みたいなものだ、て言った方が良かったかなぁ?これでいける子もいるけど、あの子にはちょっと不審に思われるかもなあ。

 冷ややかな夜風が足を撫でる。その冷たさにびっくりして、ひとしきり熱を持っていた想像が落ち着いてくる。足早にお屋敷へ歩を進めることにした。

 大丈夫。うん、いつもの私だった。小さな女の子と友達になって、愛でて、幸せを分かち合う。これが私。

 私は二度と過ちを繰り返さない。

 一番星は他の星々の明かりに雑じっていた。

 その星々も翳りのある大雲に見る見ると隠されていった。

 そろそろ、雨が降りそう。

おしまい。

このSSまとめへのコメント

このSSまとめにはまだコメントがありません

名前:
コメント:


未完結のSSにコメントをする時は、まだSSの更新がある可能性を考慮してコメントしてください

ScrollBottom