P「ここの事務所は二人きり」 (27)

 
※ このssにはオリジナル設定やキャラ崩壊が含まれます。
 
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 くらくらと目の前を、紫煙の煙が揺れていた。
 
 紫煙とは煙草の先より立ち上る煙のことであり、「紫煙の煙」と続けると、それは重言となるのだが、
 この場合に大切なのはそんな些細な誤りではなく、口に出したときのリズム感なのである。

「手、止まってますよ」

 そんな僕を見て、ソファーに座る春香が言う。
 その顔は手元の雑誌に落とされており、いかにも自分は興味は無いが、
 私が言わないわけにもいくまいといった様子が見て取れた。

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 僕はもごもごと口を動かして、「あぁ、うん」と答えると、手元の書類に視線を戻す。
 
 壁掛け時計の針の音と、時折春香が雑誌をめくるぱらぱらという音だけが部屋の中に響く。
 
 手元の書類は、白紙のまま。ただ真っ白な紙が、でんとその存在を主張していた。

 
「今、何時だい」

「さぁ、何時でしょう」

「腹、空かないか」

「空いてません」

「そうか」

「はい」


 そうして二人、のたりくたりとただ時間を過ごすのだ。のたくたのたくた、のたくたのたくた。
 
「よしっと」

 ぱたんとわざとらしい音をたて、春香が読んでいた雑誌を閉じる。僕も咥えていた煙草を灰皿に押しつける。
 
 二人の視線が同時に合う。いくばくかの沈黙、二人の間に物言わぬ会話がとりおこなわれ、
 そこからめくるめくアバンチュールが「そんな物は始まりません」

 
 一蹴されて、僕は再び書類に視線を戻す。あぁちくしょう。やはり白紙は白紙のままだ。
 
 ここの事務所は二人きり。のたりくたりと、針の無い時計が鳴っていた。

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 のたくたのたくた、時計の針は進む。
 だが、針の無い時計の針がいくら進もうと、流れた時間は計れないのだ。
 
 長針も短針も、そして末っ子の秒針も、僕が気づいた時には消えていた。
 急いで春香にたずねてみたが、「散歩にでも出かけたんじゃないですか」と軽くあしらわれた。
 
 行方は、知れない。

 24時間365日、休みなく働く彼らのことだ。
 過酷な労働環境に耐えかねて、ストライキでも起こしたのかもしれない。

 
「一声かけてくれれば、僕も一緒に行けたのに」

「どこに行こうっていうんです」

「どこって、そうだなぁ……ここじゃない、どこかかなぁ」

「どこにも行けませんよ。それは散々、試したじゃないですか」


 ソファーから立ち上がった春香が、備えつけの給湯室へと消えていく。
 そう、彼女の言うとおり、僕らは事務所を出る事ができなかった。
 
 ここの窓には、鍵がない。閉めっぱなしにしたままで、開くための取っ手が消えていた。
 外へ出るための扉についていた、ドアノブも同様だ。

「ならば、ぶち破ってみてはどうだろう」と思い立ち、すぐさま実行に移してみたが、
 いくら体をぶつけても、硬いもので叩いてみても、彼らはびくともしなかった。

 どいつもこいつも姿をくらまして。

 どうやら事務所の中ではストライキが流行っているようだった。


 不思議な話だが、世の中は不思議で作られている。
 不思議で作られているのだから、不思議な事が起きたとしても、それはなんら不思議ではない。
 
 結局のところ、僕らはのたくたと時間を過ごすところに落ち着いた。
 
「良いもの、見つけちゃいました」

 テレビのリモコン。逃亡常習犯の彼にしては珍しく、今回は逃げ遅れたのだろう。
 給湯室から戻って来た春香が、手に持ったソレを僕に見せる。


「これで時間が潰せますね」

 春香が、冷めた瞳で言い放つ。僕はわくわくしながらリモコンを受け取ると、
 ソファーの隣、台の上に乗せられたテレビの前へと向かう。

 ここの事務所は二人きり。今日はテレビも逃げていた。

===

 雪が積もって真っ白になった景色の事を、一面の銀世界と言うならば、
 視界を埋めるこの真っ白な書類の事も、一面の銀世界と言えるのではないだろうか。
 
 ならばその積雪に足あとを残すかのごとく、鉛筆で線を書き込んでいく僕は、雪の上を歩いていることになるのだろうか?
 
「手、止まってますよ」

 気だるそうにソファーに寝転んだ春香が、背中を向けて僕に言う。
 
 僕は彼女の背中に目玉がついていない事を確認すると、持っていた筆記具を走らせる。
 それはまるでソリのように積雪の上を走りぬけ、色のない足跡を残していった。

 
 書いても書いても、色はつかない。
 そうだ、だからこの書類は真っ白なままなのだ。
 
 無意味な事をやっている。

 気づいた僕は手を止めて、ただただじっと紙の上に目を凝らす。
 
 そうしているといつの間にか、僕は一面の雪景色の中に立っているのだ。
 地平は遠く、まっ平らな大地が、彼方まで続いている。

 
 僕はどこからともなく取り出したスコップを使い、そこに雪だるまをこしらえてみた。
 
 ひとつ、ふたつ。
 
 だがどれものっぺらぼうで、ただ何も言わずそこにたたずむだけである。
 
 みっつ、よっつ。

 寒さも忘れて、僕は延々と雪だるまを作り続ける。
 十二個目の雪だるまが完成したところで、持っていたスコップの柄が折れた。
 
 困ったぞ、これでは後一つが作れない。

 
「どうしました?」

「あぁ、スコップの柄が折れてしまってね」

「それは、困りましたね」

「うん。とても困っている」

「手」

「手?」

「手で、すくえば良いじゃないですか。手でも雪だるまは作れます」

「その通りだ。これはまったく、盲点だった」

「だから手」

「そうだ手」


「手、止まってますよ」


 振り向くと、春香がそこに立っていた。

 そしてここは事務所であり、雪の積もる銀世界では決してない。
 
 そうするともちろん、雪だるまも存在しない。
 僕のかじかんだ掌は、真っ白な書類の上に置かれたまま、雪解けの時を待っている。
 
 ここの事務所は二人きり。すくいあげた書類の下、見慣れた蝶々がそこにいた。

===

「春香」

 僕は書類に隠されていた、蝶々のようなリボンを彼女に手渡す。
 
「あぁ、そこにいたんですか」

 彼女がその髪の上に蝶々を乗せると、ふっと春の匂いがして、辺りが少し、明るくなった気がした。
 
 のたくたと鳴っていた時計が、またかちこちと音を立て始める。

 
「今、何時だい」

「ちょうど、お昼です」

「腹、空かないか」

「そうですね、ぺこぺこです」

「飯でも食べに行こうか」

「はい」


 ストライキを起こしていた連中も、どうやら無事に帰ってきたようだった。
 
 僕はドアノブに手をかけると、二人で事務所を後にする。
 
 帰ったら、白紙の書類の言い訳を考えなくちゃあならないな。
 
 そんな事を考えながら、僕らは町へと繰り出していった。

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以上。
お読みいただき、ありがとうございました。

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