モバP「行きつけのあの店で」 (33)

俺には行きつけの店がある。といっても、一人じゃまず行かないのだが。

そこは秘密の隠れ家みたいな、とてもいい気持ちで酒が飲める素敵なところだった。

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「「乾杯!」」




P「お疲れ様でした。今日のライブもとても良かったですよ」

楓「ふふっ、ありがとうございます」

P「今日は小さな会場でしたけど、満足できましたか?」

楓「ええ、もちろんです。だってあそこのステージには、すてーきな思い出がたくさん詰まっていますから」

P「懐かしいですね、楓さんがアイドルになって初めてステージに立ったあの日……」

楓「もう『あの日』なんていう、過去を懐かしむような言葉で語ることができてしまうんですね」

P「そうですね……時がたつのは早いです。恐ろしいくらいに」

楓「本当におそろしいですね。だってプロデューサーさんが、私のダジャレを平然とスルーするーようになってしまいましたから」

P「あ、さっきのダジャレに無反応だったこと、割と不満ですね?」

楓「もちろんですよ。プロデュースしたての頃は、ダジャレを言うたびにもっとオロオロしてくれてたのに」

P「最初は困ったんですよ!? こんなに美しい人がダジャレなんか言うなんて思いませんでしたから」

楓「美しいなんて、ありがとうございます。今はもう困ってないんですね?」

P「今となっては、反応すべきかどうかわかるようになりましたから」

楓「それはそれで、嬉しいかもしれませんね」

P「嬉しいですか?」

楓「はい。お互いの気持ちが、もっと深くわかるようになったということですから」

P「それは、プロデューサー冥利につきますね」

楓「みょうに冥利を、感じてますね」

P「さすがに強引でしょ、それは」

楓「ふふっ、そうでしたか」

P「今のは反応すべき、でしたよね」

楓「もちろんです。やっぱりわかってますね、なんでも」

楓「この居酒屋も、ずいぶん通ってきましたね」

P「そうですね、楓さんがデビューする前から、お酒を飲むときはいつもここでしたから」

楓「事務所の最寄り駅」

P「北口から出た道を線路沿いに歩いて3分」

楓「コンビニがある角を左に曲がってから」

P「すぐ右に曲がって入った路地の奥のほう」

楓「右手に見える赤ちょうちんが目印」

P「……近いのに意外と誰も知らないんですよね」

楓「事務所の誰とも、今までここで会ったことはありませんもんね」

P「ほんと、最高の場所ですよ」

楓「ええ、ほんとに……最高の空間ですね」

「思えば、ここまで色々ありましたね」

楓「そうですね。いろんなことがありました」

P「モデルをやめさせて、レッスンをさせて」

楓「右も左もわからないまま、デビューが決まって」

P「あの時から楓さんは、生き生きし始めましたね」

楓「自分でも不思議な感覚です。あの時から私の人生が始まったんじゃないか、なんて思っているくらいですから」

P「それは嬉しいなぁ。僕も頑張った甲斐がありましたよ」

楓「毎日を輝かせることができる。こんなに素晴らしいことを、それまでの私は知りませんでしたから」

P「そんな大げさな。それまでの楓さんの人生も良いものだったでしょう?」

楓「なぜ、そう思うんですか?」

P「なぜって……」

楓「私は、アイドルになってからようやく、自分が思うように表現できたんです」

楓「それまでは写真で一人、ポーズを決めたり、表情を作るくらいでしたから」

楓「でも、アイドルになれてからは、歌って、踊って、他のアイドルと一緒にユニットを組んだりして……」

楓「人見知りでしたから最初は少し怖かったですけど、前を向いて少しずつ成長していく過程は何事にも代えがたい喜びでした」

P「……何事にも、ですか。そうですよね」

楓「プロデューサーさんがくれた、宝物です」

P「そう、言ってもらえると……嬉しい、ですね」

楓「……!? プロデューサーさん、涙が……どうしましたか!?」

P「いえ、いい話だったので、つい。感傷的になってしまって。それだけですよ」

P「しかしいいですね、時には昔の話をするのも」

楓「加藤登紀子ですか」

P「そうですね、今思い返してみるとほんとにその通りだ」

楓「時には、昔の、話を、しようか」

P「通いなれた、なじみの、あの店」

楓「マロニエも生えてますもんね、このあたりは」

P「ええ、本当に不思議です」

楓「ただ、飲むのはもっぱらお酒でしたけどね」

P「飲み屋ですから、そこは仕方ないですよ」

楓「しかし、ここは日本酒がとてもおいしいですね」

P「このお店の一番の魅力と言っても過言ではないですよね」

楓「いいえ、過言だと思います」

P「ええっ!? まさかそう返されるとは……」

楓「私が日本酒を飲んでいればいいだけの人かと思ったら、大間違いです」

P「じゃあ、何が一番の魅力なんですか?」

楓「もちろん、プロデューサーさんと、誰にも邪魔されずにお酒が飲めることです♪」

P「……楓さん、酔ってます?」

楓「いーえ、ぜんぜんまだまだですよ?」

P「じゃあなんでこんな事をいきなり言うんですか?」





楓「だって今日のプロデューサさんは、何か隠してるじゃありませんか」

楓「だから、私がまず気持ちを開いて素直に伝えよう、と思っただけです」

楓「そうしたら、教えてくれるかもしれないですから」

P「そんな、隠してることなんて

楓「あります」

P「わかるんですか?」

楓「はい、わかります。だって伊達にずっと、プロデュースしてもらってきた訳じゃありませんから」

P「だって伊達に、ってダジャレですね」

楓「プロデューサーさん」

P「……すみません」

P「……バレてちゃしょうがないか。店長さん、あれをお願いします」

楓「あれ、ですか」

P「ええ……これです。今年度もお疲れさまでした、という意味を込めた、ささやかなプレゼントです」

楓「あら、綺麗な花束……優しい色合いですね」

P「まさか見透かされていたなんて、びっくりです」

楓「これには、私もびっくりです。スイートピーですか」

P「ええ、赤くはありませんが、いい花でしょう」

楓「…………ありがとう、ございます」

P「受け取ってくれて良かったです」

楓「プロデューサーさん。まだ、言うべきことがありますよね?」

P「ええ、そうです。楓さん」





P「僕は4月から、あなたの担当を外れることになりました」

楓「そうですか……」

P「4月からは、新人アイドルのプロデュースをすることになりました」

楓「新人さん、ですか」

P「ええ、若い子たちを相手にしなくちゃいけないので、うまくいくか今から心配ですが」

楓「プロデューサーさんなら、きっと大丈夫ですよ」

P「そう言ってもらえると嬉しいです」

楓「ちゃんと嬉しいですか? 何の根拠もないのに」

P「根拠もないのに、楓さんから大丈夫と言ってもらえたことが嬉しいんです」

楓「部署だけで勤務地は変わらないんですよね?」

P「ええ、東京勤務のままです」

楓「でしたら、またお酒を飲みに行けますね」

P「それができたらいいんですけど」

楓「けど、ですか?」

P「……担当プロデューサーでもない男が、トップアイドルと二人でお酒を飲むなんて危険なことはできません」

楓「お酒を飲んで、仲良くしてはダメということですね?」

P「はい、そうです」

楓「こんなに私のことを、わかってくれているのにですか?」

P「こんなにわかってしまっているから、ですよ」

楓「……ひょっとして、異動の件は自分から言い出したんですか?」

P「はい」

P「僕は、今の楓さんを好きになりすぎてしまいましたから」

楓「…………立派な、プロデューサーです、鑑ですね」

P「ありがとうございます」

楓「じゃあ、二人でお酒が飲めるのも、今日が最後ということですね」

P「そうなりますね」

楓「……わかりました。最後ということなら、楽しく飲みましょう」

P「ええ、今までで一番楽しく飲みましょう」

楓「そうですね。とびっきり楽しくしましょう」

楓「実は私、プロデューサーさんと飲みたいと思っていたお酒があるんです」

P「お、それはぜひ飲みたいですね」

楓「では……店長さん、お願いします」

P「……これは」

楓「『越後桜』です。とびきりの」

P「へぇ……いいですね」

楓「この季節にはピッタリですよね?」

P「そうですね、僕も好きなお酒です」

楓「これが必要になる日が来るって、前から思っていたんです。こんな気持ちで飲むつもりではなかったですけど」

P「それは、『越後』だからですよね」

楓「……何かを越える、その日に飲もうと思っていたんです。嬉しいものでも、悲しいものでも」

P「……すみません、別れの桜にしてしまうなんて」

楓「いいんです、プロデューサーさんからは、たくさん素敵なものをいただきましたから」

楓「楽しく飲んで、プロデュースとの別れを越えるためのお酒にしましょう♪」

――― 一時間後

P「う……けっこう飲んでしまったかもしれません。楓さんは大丈夫ですか?」

楓「だいぶぶん、大丈夫です」

P「大丈夫じゃなさそうですね…………すいませんマスター、お会計とタクシーの手配をお願いします」

楓「華麗に帰れますよ?」

P「もうダジャレが華麗じゃないからダメです」

楓「……わかってますね、プロデューサーさんは」

P「ええ、もちろん。デビューから一緒にやってきたんですから」

楓「わかってて、これなんだから、ひどいです」

P「……僕は、プロデューサーですから」

――― 一時間後

P「う……けっこう飲んでしまったかもしれません。楓さんは大丈夫ですか?」

楓「だいぶぶん、大丈夫です」

P「大丈夫じゃなさそうですね…………すいませんマスター、お会計とタクシーの手配をお願いします」

楓「華麗に帰れますよ?」

P「もうダジャレが華麗じゃないからダメです」

楓「……わかってますね、プロデューサーさんは」

P「ええ、もちろん。デビューから一緒にやってきたんですから」

楓「わかってて、これなんだから、ひどいです」

P「……僕は、プロデューサーですから」

P「じゃあ、無事に帰ってくださいね」

楓「プロデューサーさんはどう帰るんですか?」

P「僕は、寄るところがあるので」

楓「そうですか……じゃあ、ここでお別れですね」

P「そうですね……今まで、楽しかったです」

楓「私も、ずっと楽しかったです。あなたにスカウトされたあの日から、今までずっと」

P「本当に、僕もあなたをプロデュースし始めてからは、いつも楽しかった」

楓「今日も、楽しかったですか?」

P「……ええ、楽しかったです。楓さんは?」

楓「もちろん、私もです」

P「それはよかった」

楓「そうだ、プロデューサーさん」

P「はい?」

楓「私がアイドルをやめて、あなたのお嫁さんになると言ったらどうしますか?」

P「え!? ど、どうって……」

楓「どうですか?」

P「…………全力で止めますよ。こんなに美しいアイドルを引退させるわけにはいかないですから」

楓「それでいいんですか?」

楓「本当に、それはあなたのの気持ちですか?」

P「……はい」

楓「……うそつき」

P「え?」

楓「うそつき、って言ったんです」

P「嘘なんかついてませんよ」

楓「いーえ、嘘をついてます。わかりますよ?」

P「……なんでもわかってますね、さすが僕が育てたアイドルです」

楓「あなたが育てた『アイドル』だからじゃなくて、あなたと共に夢を見てきた『高垣楓』だから、わかるんです」

P「……参りました」

楓「何度も言ってしまいますが、今日はとても楽しかったです。でも同時に、とても悲しかった」

P「……すみません」

楓「いえ、いいんです。気持ちって、こんなに胸に染み込んでいくものなんですね」

P「気持ちって、不思議なものですよ」

楓「ええ、本当にそう思います。……プロデューサーさんと会わなければ一生、知らなかったことです」

楓「プロデューサーさん、今までありがとうございました」

P「僕のほうこそ、ありがとうございました」



楓「……最後まで、私の前では「僕」でしたね。……さようなら、Pさん」

P「えっ」

そう彼女が言った後、すぐにドアは閉まり、彼女が乗せたタクシーは見えなくなっていった。




俺は帰り道に隅田川を通って、カバンの中にしまっていた指輪を、途中まで考えていた告白のセリフといっしょに闇夜に投げ捨てた。

「さよなら」

これでいいんだ。

――――数か月後

新しい部署での仕事も軌道に乗り、新しいアイドルの子たちとも少しずつコミュニケーションが取れるようになってきた。

俺は幸い、部署の仲間にも恵まれて、慌ただしいながらも充実した日々を過ごしている。

ちなみに、我が事務所が誇るアイドルである高垣楓も、最近はいっそう輝きを増しているようだ。

特に最近話題になっているのは、アクセサリーの広告。

北極星をイメージした星形のネックレスと、それ以上に輝く彼女が写った看板広告に見惚れてしまい、俺は今日も電車を乗り過ごした。





過去作はこちら

美穂「私にとってのアイドル」

モバP「まほうのめがね」

P「病室、きっと夕暮れ」

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