澤梓「先輩との約束」 (24)

 澤梓は、西住みほが卒業するという事態の重みを誰よりも理解していた。

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 昨年は戦車道を履修している三年生が少なかったから、まだよかった。
 しかし今年は絶対的エースのあんこうチームをはじめとした、大洗女子学園戦車道チームの主力がごっそり抜けてしまう。
 あの戦いを経験した最後の世代が自分なのだと、梓はわかっていた。

 全国大会、大学選抜と前代未聞の対決、この事件(あえて事件と呼ぼう)のおかげで大洗女子学園と西住みほの名は全国に轟いた。
 入学者、そして戦車道の履修希望者は増加したが、戦車が足りない。
 増加した予算は戦力の増強に回され、整備担当者の育成も課題となる。

 だが西住みほは、問題づくしの道でもひるまなかった。
 時に優しく時に厳しく、初めて戦車に乗る子は戦車を好きになるように。経験者の子はもっと戦車が好きになるように。
 西住みほは指揮官としても優秀だが、指導者としても優秀だったのだと、梓は気がついた。
 全国大会は二連覇こそ逃したが準優勝、十分すぎる成績を引っさげて、かの軍神は戦車道の推薦を受けるらしい。

「私は、西住先輩みたいになれるのかな」
 梓は西住みほの後継者などと影では呼ばれ、引退試合の後は大洗の隊長を務めている。
 しかしその実戦車に触れるようになって丸二年程の付け焼き刃、いくら濃密な戦闘経験を積んだと言えども、戦車で買い物に行っていたような西住みほとは年季が違いすぎる。

「私は、大洗を引っ張っていけるかな」
 梓は悩んでいた。それはもう、徹甲弾に穿たれたような、深い悩みであった。
 偉大な先輩方を見送れば、直ぐに新入生がやってくる。
 彼女たちを自分は指導できるのだろうか。自分よりも経験がある子もいるだろう。そういう子らと、どう接すればいいのだろうか。

「澤さん」
 梓を呼ぶ者がいた。かの西住みほである。
 胸元には真紅のコサージュを付けて、鰐皮模様の賞状筒が鞄からはみ出している。
 今日は、卒業式なのだった。

「西住先輩、あの、ご卒業おめでとうございます」
「ありがとう」
「でも先輩、あんこうチームの皆さんと一緒に打ち上げに行かれるんじゃ」
「そうだよ。だけど、もう一度だけ、ここからの景色を見ておきたくて」
 梓は赤煉瓦のガレージの、相棒であるM3リーの傍らに立っていた。
 かたや西住みほはⅣ号戦車と並び立つ。
 開け放たれた格納扉からは、校舎の全容と、美しい夕焼けが飛び込んできていた。

「綺麗だよね。戦車ばかり見てしまいがちだけど、ここからの景色がこの学校で一番好きなんだ」
 西住みほは笑っていた。もともとよく笑う人ではある。だけれども、梓が今までに見たどの笑顔よりも、西住みほは笑っていた。
「この景色は他の子も見たことがあるかもしれないけど、こうやって一緒に楽しんだのは、澤さんだけだよ」
 そう言いながら、目尻に煌めくものを浮かべて、笑っていた。

「先輩、本当にいなくなってしまうんですか。まだまだ先輩に教わりたいことがありました。まだ私が大洗を引っ張っていけるとは思えない。私なんかまだまだ初心者です」
 梓は息を切らして、嗚咽をこらえながら、叫ぼうとしたけれど、涙が混じって平常の声量になってしまった。
 今までも小学校と中学校で卒業に関わることはあったが、胸に穴が空いたような寂寞の念に囚われるのは初めてである。
 梓が抱いていた思慕は、尊敬というよりも親愛であったのかも知れぬ。
 それだけ、この先輩のことが好きだったのだ。

「澤さんは初心者じゃないよ。ダージリンさんやケイさん、アンチョビさんにカチューシャさん、そしてお姉ちゃんと愛里寿ちゃん、あんなにすごい人たちと闘いぬいたんだもん。初心者だなんて言っちゃ駄目」
「でも、私は先輩と違って普通の家に生まれましたし、戦車に乗ったのは高校生になってからです」
「そうだね。だけど、私はあなたが大洗を引っ張っていくのに一番ふさわしい人だと思った。それじゃ足りないかな?」
 西住みほの目は、試合中には冷徹なまでにすべてを見通すその目は、今ここにおいては只管に優しい光を湛えていた。

「西住先輩はずるいです」
 梓には、こう返すだけで精一杯である。
「大丈夫だよ。澤さんならできるよ」
 そう言って、抱きしめられた。
 柔軟剤の香りと、少しすえた汗、そして塩辛い涙の匂いがした。

「先輩?」
「私もね、ここに来る前嫌なことがあって、もう戦車なんて乗りたくなかったの。だけど、やってみたら何とかなった。多少経験はあったけど、それでも前の学校では私、お姉ちゃんに一度も勝ったことがなかったよ」
「西住先輩でも、そんなふうに思うことがあったんですか」
「私だって、頼れる先輩に見せたかったんだよ。澤さんたちにはね」
 西住みほの胸が、肩が、梓の身体から離れてゆく。
 なんとなく、これでしばらくお別れのような気がした。

「そうそう、渡すものがあったの」
 床においた学生鞄から取り出したのは、西住みほが好んで集めているボコという熊のぬいぐるみであった。
「これはね、ボコミュージアム限定のボコなんだ。この前の寄港日に買ってきたの」
「あれ、これって島田愛里寿さんから先輩が貰ったのと同じ」
「そう。あの時に愛里寿ちゃんは勲章だって言ってくれたんだ。だから私も真似しようと思って」
 西住みほは、笑っている。

「澤梓殿」
「はい!」
 梓も鯱張って返事をした。
「あなたはこれから立派に戦車道チームの隊長を務めます。私が約束します。このボコは、その証です」
 西住みほの手から、澤梓の手に、ボコが渡された。
「辛くなったら、その子を見て、私のことを思い出してね」
「はい。ありがとうございます!」
 梓は深く深く、頭を下げた。
 西住みほに、涙でくしゃくしゃになった顔を見られたくなかったからだ。

 梓の心が、打ちっ放しの床に染みを作る。
 西住みほはしばらくそこにいたけれど、頑なに顔を上げない梓に苦笑すると、やがて立ち去った。
 戦車と夕日だけが、梓を見守っていた。

ガルパン短編でした。
3月8日はサワの日ということで
ぎりぎりになりましたが澤ちゃんへの愛をこめて書きました。
行間開けのご指摘、途中から変えるのもどうかと思いそのまま投下しましたことをお詫びいたします。

澤ちゃんはいいぞ。

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