咲「部長、まだ残ってたんですね」 (36)

久咲短編です

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誰もいない部室に咲が久と鉢合わせになったのは偶然のことだった。

忘れ物に気付いて取りに戻った咲は、部室に残っていた久と遭遇した。


久「ええ。咲は忘れ物でも取りに来たの?」

咲「はい。えっと、部誌書いてるんですか?」

久「ううん。大会に向けての練習メニューをね」

そうなんですか、と軽く相槌を打ちながら近寄った咲は久の手元を覗き込む。

丁寧な字で細かく記載された紙面を見つめ、思わず感嘆の声を漏らした。

びっしりと書き込まれた内容は、部員一人一人の個性と特徴をきちんと把握し、

その上で個人に合わせた練習法などが書き込まれている。

咲「あの、部長。何か私にも手伝えることはありませんか?」

気が付けばそう口走っていた。

一人で頑張っている久を見て、彼女の助けになりたいと思ったら勝手に言葉が出ていた。

けれどそう言ってはみたものの、久が誰かを頼るところをあまり見たことがない。

断られてしまうかなと思った。

それに咲に出来る程度の手伝いなんて、久一人でやった方が早いかもしれない。

それでも言った手前、咲はじっと久の言葉を待ってみる。

久「そうね…」

口元に手を当て考える素振りをすると、咲にちらりと視線を寄越した。

久「それじゃあ、私にキスしてくれる?」

咲「はい!……え?」

久が何を言ってきても頷くつもりだった咲は勢いよく頷き、そして言葉の意味を理解して固まった。

驚いて久を見つめるも、その瞳は楽しそうに細められるだけで真意を読み取ることは出来ない。

咲「……私、冗談は苦手なんですけど」

久「酷いわね。冗談なんかじゃないんだけど」

咲「え……」

言葉に詰まる咲を無視して久はゆっくりと足を踏み出した。

思わず一歩下がれば、その分埋めるように更に一歩近づかれる。

ゆっくり、でも確実に、獲物を捕らえるように距離を詰めていく久。

とうとう咲の背は壁に当たってしまった。

咲「あの…、部長?」

動揺を滲ませ、瞳を揺らす咲はさながら小動物のようだ。

見上げてくる咲の横に軽く手を付いて顔を近付けると、白い頬は真っ赤に染まっていく。

その様に久は喉の奥でククッと笑いを溢した。

咲「部長っ!やっぱりからかったんですね…っ」

久「ああ、ごめんなさい。咲があまりにも可愛らしかったものだから。本当にからかったつもりなんてないわ」

密着した態勢はそのままに、久はしおらしく声を落とす。

話す度に顔にかかる吐息が咲の羞恥を煽っていく。

久の瞳が真っ直ぐに此方を捉えているせいで、目を逸らすことさえ許されない状況で。

ただ咲は久を見つめ返していた。

トクトクと高鳴る鼓動が彼女にも伝わってしまうのではと思うほど煩く音を立てる。

久「咲にキスしてもらえれば疲れが癒されると本気で思ったからお願いしたの。だけど困らせてしまったわね…ごめんなさい」

眉尻を下げ、寂しげにふと笑みを浮かべる久に胸が締め付けられる。

そんな急に弱味を見せないでほしい。

いつも毅然としていて弱音なんて吐かない久がそんな弱々しい顔を見せるなんて、ずるいなんてものじゃない。

咲「そ、そんな顔をしないで下さい…ちょっとびっくりしましたけど、その、別に嫌じゃないですし…」

しどろもどろになりながら視線を彷徨わせる。

久「じゃあ、してくれる?」

咲「ぶ、部長がそうしてほしいと言うなら…その、良いです、けど」

もはや自分でも何を口走っているのか咲には分からなくなっていた。

だけど、こんなふうに頼みごとをする久は珍しいのだ。それに。

久「よかったわ。実は結構勇気を出して言ったのよ」

なんて嬉しそうな顔で言われてしまえば断る術なんてない。

咲「あの、目、閉じてくださいね?」

ゆっくりと閉じられる双眸にホッと息を吐く。

久に見つめられながら口づけを交わすなんて、とてもじゃないが心臓が持たない。

彼女の頬にそっと手を添えると、咲はその形のいい唇に自身の唇を重ねた。

触れたのはほんの一瞬だけ。

数秒にも満たない口づけを送ると、咲は柔らかく触れたそれをゆっくりと離した。

心臓はもう壊れそうなくらい大きな音を立てている。

咲「ど、どう…でした?」

上擦った声で何も言わない久に訪ねれば、瞳を開いた彼女が柔らかく微笑んだ。

久「ええ、気持ちよかったわ。ありがとう」

その瞬間、ボンッと火が出るほど目に見えて咲の顔が真っ赤に染まった。

だって、気持ちいい、だなんて。

久には深い意味はないのかもしれないけども。

でも、と思う。

初めて触れた他人の唇は柔らかくて、確かに気持ちのいいものだった。

咲「その、部長がよかったなら何よりです…」

久「ありがとう。またお願いしてもいいかしら?」

咲「…えっ?またですか?」

久「ええ。また疲れが溜まったらお願いしたいんだけど…その、咲が嫌じゃなければ」

ああ、その顔はずるい。

眉尻を下げて、少し憂いを感じさせるその表情に咲は頭を抱えたくなる。

久にそんな顔をされて、断るなんてこと出来るはずないじゃないか。

咲「いい、ですけど…」

久「ほんと?嬉しい!」

口元を緩ませる久に、咲も肩を竦めて笑みを溢した。

どうやら自分は久に相当弱いらしい。

こんな笑みひとつで、なんでも願いを聞いてしまいそうだ。



こうして咲と久の妙な習慣が始まったのである。


飯食ってきます

次の日、まるで昨日の出来事が何もなかったかのように久の態度は普段と変わらないものだった。

それを妙に寂しく感じるのは何故だろう。

胸に軽く手を当てて久の方を見つめる。

まこ達に指示を出す久の視線が此方に向くことはない。


優希「咲ちゃーん!」

後ろから声がかかったかと思ったら、急に優希に抱き着かれた。

咲「わわっ」

優希「何ぼーっとしてるんだ?」

咲「えっと、ちょっと考え事してて」

優希「さては今日の晩御飯タコスにするかとか考えてたな咲ちゃん!」

咲「そんな事考えるのなんて優希ちゃんぐらいだよ」

優希「言ったな咲ちゃん!」


―――――
――――――――――

部活の時間が終わり、皆が部室を出て行く。

咲もそれに続こうとしたとき、その手をぐいと引き留められた。

久「待って」

咲「な、なんでしょう?」

久「さっき私を見ていたわね」

咲「…!」

咲の瞳が大きく見開く。

見られていた。バレてないと思ったのに。

意識していたのがバレてしまったようで、羞恥に顔が熱くなる。

久「声をかけてくれたら良かったのに」

咲「そんなの、出来るわけないじゃないですか…」

何でもないように振る舞う久に、自分だけが意識しているようで恥ずかしい。

どうして?なんて言う久が憎たらしかった。

咲にとってあれはファーストキスだった。

そのせいか、久を見ているとどうしても唇に目がいってしまう。

だから久が此方を見ていない隙を見計らって盗み見していたのだ。

久「もしかして、私の唇が気になる?」

くすりと笑う気配にカッと顔が熱くなる。

赤い唇が目の毒だ。

恥ずかしさに顔を背けた咲に、久は顔を近づける。

久「今日もキスしよっか」

ぐいっと顔を寄せてきた久は、内緒事をするように耳元で囁いた。

ついでにふうっと息を吹き込まれる。

咲「ひぁっ」

小さな悲鳴を上げてしまい、咲は慌てて口を塞ぐ。

久「ね、いいでしょ?」

咲「…分かりました…」

久「やった!」

咲「じ、じゃあ、目を閉じてて下さい…」

久「ん」

誰もいなくなった部室で、咲は久と向き合う。

二度目とはいえ緊張してしまうそれに早くもドキドキと心臓が音を高める。

咲「…ん…」

昨日と同じく久の唇にそっと重ねるだけの口づけを送った。

久「ふふっ。ありがと咲」

咲「あの、本当にこんなので部長の疲れ取れてるんですか?」

久「勿論よ。毎日でもしてほしいぐらいだわ」

咲「毎日は流石にちょっと…」

勘弁してほしいと思う。

こんなことを毎日していたら心臓が持たない。

咲「でも、たまになら…その、いいです、よ」

久とキスをするのが嫌なわけではないし、

これで久の疲れが取れるなら咲としては別に苦ではない。

少しドキドキするくらいで。

心臓が壊れそうなくらい早くなるくらいで。

なんてことはないのだと、咲は強く頷いた。

――――――――――
―――――

咲「…ん」

小さな声が重なっている唇の隙間から零れ、咲の心臓が大きく跳ねる。

恥ずかしくなって直ぐに唇を離す。

久「もう終わり?」

残念そうに久が耳元で囁いた。

甘い声と吐息が耳元を擽り、ゾクリと背筋を甘い痺れが走る。


まだキスをするようになって数日目。

こういう時の久からは妙な色気が漂っていると思う。

色っぽいその雰囲気に咲は幾度となく飲み込まれそうになった。

本当にこんなことで久の疲れが取れるのだろうかと些か疑問ではあるけれど、

彼女の満足そうな表情を信じるならきっとそうなのだろう。

咲「あの…疲れ、取れました?」

久「ええ。咲のおかげでね」

咲「それは良かった…です」

赤くなった頬を隠すように咲は俯いた。

けれどその白い頬を久の指先が優しく撫で、そっと上を向かされる。

久「咲は本当に可愛いわね」

咲「…可愛くなんてないです」

自分なんかより久の方がよっぽど可愛いと思うのだが。

久はうっとりと顔を緩ませる。

頬を滑る指先が擽ったくて、咲は身を捩った。

久「ねえ、少しいつもと違うキスをしてもいい?」

咲「違うキス、ですか?」

久「そう。目を閉じて?咲」

言われるまま咲は瞼を閉じる。

微かな息遣いが近づくにつれ、鼓動がどんどん早くなっていく。

唇に吐息が触れ、そのまましっとりと重ねられる。

いつものように柔らかな感触が降る。

そのまま数回啄むように口づけたかと思うと、

咲の唇を生暖かく湿った感触が撫でるように這った。

それが久の舌だと気付いた瞬時、顔に熱が一気に集まる。

きつく目を閉じて耐えている間も、熱い舌は楽しむようにぴちゃぴちゃと音を立てて舐める。

咲「っ」

ほんの少し唇を開けた瞬間だった。

薄く開いた隙間から、するりと舌が潜り込んでくる感触に驚いて目を見開く。

そこには熱を孕んだ久の瞳が此方をじっと見つめていた。

奥で縮こまっていた咲の舌を容易く引き出し絡めつけられ、くちゅりと卑猥な音を鳴らす。

ゾクゾクと甘い痺れが身体中を巡り、足には力が入らなくなっていく。

咲「ふ…っ」

縋るように久の服を掴んでいた手はいつの間にか絡め取られていて。

壁に押し付けられるように、何度も角度を変えて口付けられた。

激しい口づけに荒くなった吐息と鼻から抜けるような甘い声が零れ落ちる。

ぴちゃり、くちゅりといやらしい音が脳に響く。

頭がくらくらして何も考えられなくなっていった。

咲「ん、っ…ぁ」

舌を吸われ、絡められ、音を立てて舐められていく。

いつしか咲の表情は甘く蕩けていた。

久「…ふ…っ」

咲「…、…ん…」

やがて離れていく気配に目を開く。

久「…やばいわね。止まらなくなりそう―――」

口元を押さえ、久が呟く。

しかし頭が真っ白になった咲に届くことはなかった。

どちらとも分からない唾液が口端から零れ、頬を赤く染めた咲の表情は実に艶かしい。

こくりと喉を鳴らす久を、咲はぼうっと眺めていた。

久「…咲?」

軽く揺すられて、やっと咲は我に返る。

燃えるように顔が熱かった。

咲「ぶ、ぶぶぶぶ部長!?い、今のは!?」

久「少しやり過ぎたかしら」

ぱくぱくと口を開けて咲は固まる。

これが落ち着けるものか。

今のは完全に先輩後輩の戯れの範囲を越えている。

だって今のは、どう考えたって恋人にする行為だ。


……いや待って。おかしい。

これは久を癒すための行為であって、自分達は決して恋仲というわけではない。

はずだ。

うん、そうだったはず。

じゃあ、今のは?

これも久の疲れを取るための行為?


久「咲?何を考えてるの?」

咲「あ…ちょっと意識飛んでました。えっと部長、今のは流石にやり過ぎじゃないかと…」

久「…嫌だった?」

不安げに顔を覗き込まれる。

心なしかその瞳は悲しげに揺れているように見える。

だからその顔は反則だと咲は泣きたくなる。

そんな悲しそうな顔見せないでほしい。

咲「や、別に嫌じゃないんですよ?ただ、こう、なんていうんですか、ほら」

久「なに?」

咲「こ、これって恋人同士でするものじゃないかなって…」

久「なら咲が私の恋人になれば問題ないでしょ」

咲「ええ、そうですね。それなら問題ないで……え?」

久「そうね。じゃあ今日から恋人になりましょう」

咲「ええ!?それはちょっと飛躍し過ぎじゃないですか!?」

久「嫌なの?」

咲「いえ、嫌ってわけじゃ…」

ああ、どんどん久の策に嵌まっていく。

頭の中で警鐘が鳴っている。

だが咲にはもうどうにも出来ない。

最初からこの人に勝つなんて、到底無理な話なのである。

久「ねえ、咲。どうして私とキスするのが嫌じゃないか、考えてみて?」

唇を親指でゆっくりと撫でられる。

その眼は完全に獲物を捕らえるそれだ。

久の瞳が細められる。

捕らえられた瞬間だった。

だってキスを嫌じゃないと思っている時点で、答えなんて出たようなものだ。

じわじわと熱を持つ頬を優しく包まれ、上を向かされる。

ゆっくり近付いてくる唇の気配に、咲は自然と瞼を閉じていた。


カン

咲→久 無自覚な恋
久→咲 自覚ありな恋

な感じの話でした。
久々に13巻読んだら久咲に滾ったので。
読んでくれた人ありがとう。

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