森久保乃々「十年目の夜」 (41)

地の文有りモバマスssです
あまり長くはならないかも

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 給湯室でインスタントコーヒーを淹れて、それを啜りながらデスクに戻る。

 体重をかけると呻き声のような音を立てる椅子に腰掛けて、さきほど資料室から探し出したアルバムを開く。

 小さなものから大きなものまで、イベントごとがある度に収めてきた写真の数は、延べアルバム数冊分にまでのぼる。

 ここ最近になって、仕事の合間に過去に撮影したそれらを眺めることが増えた。

 いま開いているアルバムはその中でも一番古いのもので、ページをめくれど、写真に写る彼女の表情は暗い。

 稀に笑っている写真があるかと思えば、その目には涙を滲ませていたり、目線がこちらを向いていなかったり。

 このころはやりがいこそあったけど、色々とお互いにしんどかったな、なんて、当時のことを思い出してはひとり苦笑した。




 彼女、森久保乃々は、俺が担当しているアイドル。

 誰がなにを言おうと、彼女が世界で一番可愛い。

 最初に彼女と出会ってから、今年で十年になる。

 当時十四歳だった彼女は、借りてきた猫のように大人しく、伏し目がちで、楚々としたその姿はどこかの国のお姫様のようだった。

 どんな娘だろう、と気になって彼女に自己紹介をさせると、合わない目線はそのままに、か細い声で自分の名前を呟いて、それだけだった。


 アイドルというものは、表現の仕方が悪いかもしれないが、多かれ少なかれ自己顕示欲的な野心を持っているものだと思っていた。

 芸能界という荒波に呑まれないように、個性や容姿に突出した特徴を設けて、それを武器に戦うものだと。

 しかし彼女の徹底的なまでの自己主張のなさは、それを逆に個性として運用していくもののようには映らなかったし、事実その通りだった。




 だって彼女はアイドルでありながら、その実これっぽっちも野心など持ち合わせていなかったのだから。

 アルバムのページをめくると、懐かしい写真が現れた。彼女の初ライブのときに撮ったものだ。

 本番直前の舞台袖で、彼女は青を基調としたドレスに身を包んで震えていた。




 P「森久保さん、緊張してる?」

 乃々「あぅ……緊張どころじゃないんですけど……」

 P「大丈夫、俺がずっと袖で見てるから、安心して」

 乃々「プロデューサーさんが代わりに歌えばいいと思うんですけど……」

 P「それだと俺のデビューライブになっちゃうじゃないか」

 乃々「百歩譲って私のすぐ隣で見ていてほしいんですけど」

 P「確実に俺まで出演しちゃうだろ」

 乃々「ううう……むーりぃー……」

 P「大丈夫、君なら成功する。俺を信じて」

 乃々「あうぅ……」




 少しでも緊張を解くことができればと思い、資料撮影用に持ち歩いていたデジカメで彼女のことを撮ってやった。

 肩を叩いて送り出したら、恨めしそうな表情のまま舞台の方へ走り去っていったのを、十年経ったいまでも覚えている。

 ライブはというと、文句なしの大成功だった。

 少し冷めたコーヒーを飲み干して、ページをめくる。

 何枚か写真がある中で一際俺の目を引いたのは、俺がいまアルバムを広げているデスクの下に潜り込む彼女の姿を収めた一枚だった。

 たしかアイドル業が落ち着いてきて、固定のファン層も確立できた頃に、俺がソロライブの仕事を取ってきたときのことだ。




 P「あー、そんなにソロでするのは嫌か?」

 乃々「もりくぼには荷が重すぎるんですけど! 無理なんですけど!」

 P「というか、なんでさっきから俺のデスクに潜り込んでんだ」

 乃々「もりくぼはアイドルやめたいんですけど……引きこもりたいんですけど……」

P「なあ、そんなこと言わないでくれよ。それに、どうせ辞めるなら最後に大きな思い出作ってからでも遅くないとは、考えられない?」

 乃々「うぅ……プロデューサーさんは前から何度もそう言って、その度にもりくぼは甘い罠にひっかけられて、イベントが終わるとうまいこと言いくるめられて、を繰り返してアイドル続ける羽目になってるんですけど……」

 P「じゃあ森久保さんは、アイドルするの辛かった?」

 乃々「……別にそんな風には、言ってないんですけど」

 P「何度だって言うけど、森久保さんにはアイドルの才能がある。ここで諦めるには、惜しい存在なんだ」

 乃々「うぅ、そんなにはっきり言われても困るんですけど……」

 P「……まあでも、たしかにソロでの出演は森久保さんにとってはまだハードルが高いのかもしれないな……」

 乃々「そうです、そうなんです、もりくぼは大人しくここで三角座りしてますので」

 P「じゃあ、森久保さんが頑張って仕事したらご褒美をひとつ、なんでもあげるってのはどうだ」

 乃々「…………なんでも、ですか」

 P「おっ、食いついたな。ああ、俺にできる範囲なら構わないよ」



 乃々「……じゃあ、これからは呼び捨てにしてほしいんですけど」

 P「呼び捨てというと、俺が、君に対して?」

 乃々「あうぅ……それしかないんですけど……」

 P「そんなことでいいならお安い御用だ、任せてくれ」

 乃々「そう、ですか……」

 P「改めてよろしくな、乃々」

 乃々「の、ののののっ」

 P「あれ、下の名前、乃々だろ?」

 乃々「た、たしかにもりくぼの名前は乃々ですがっ」

 P「なに顔赤くしてんだ、変なやつ。……そうだ、面白いからその顔撮ってやろ」

 乃々「も、もりくぼの肖像権が黙ってないんですけど! 司法に訴えてやるんですけど!」

 P「こら、デスクに隠れるな。顔がうまく撮れないだろ」

 乃々「うぅ……いぢめですか……いぢめなんですか……」

 P「ほら、ピースして、ピース。あと、これからソロライブに向けてがんがんレッスン入れてくからなー」

 乃々「あうぅ……むーりぃー……」

 流石にいまはそんなことはしないが、デビューしたころの彼女はなにかがある度にデスクの下に潜っていた。



 腕時計に目をやると、時刻は二十時を少し越えていて、ラジオの収録を終えた彼女がそろそろ帰ってくるころだ。

 アルバムをちょうど読み終えた辺りで、事務所の扉が開く。

 間もなくして彼女、森久保乃々が姿を見せた。声をかけようとして、彼女の肩口や鞄がひどく濡れていることに気付く。

 P「お疲れさん……って、の、森久保、どうしたんだ、そんなに濡れて」

 慌てて歩み寄る俺に、彼女は、ばつが悪そうに頬を掻いた。

 乃々「お疲れさまです、ちょっと、通り雨に逢ってしまって」

 P「傘、持ってなかったのか?」

 乃々「折り畳みは持ってたんですけど、小雨だからいけるかと思っちゃって」

 P「そう言う割には随分濡れてるじゃないか。はやく着換えてこい」

 乃々「そうしてきます」


 ついこの間、彼女は二十四歳の誕生日を迎えた。

 華奢な体躯や丁寧に巻かれた髪なんかは当時からあまり変わっていないものの、身にまとう雰囲気はすっかり大人びた。

 更衣室に行くために彼女が出ていった事務所の扉の先を、なんとはなしに見つめる。

 いつのまにか彼女は、遠く、大きい存在になってしまった。

 着替えに行った彼女が戻ってくるタイミングに合わせて、コーヒーを淹れなおす。彼女が遅くに帰ってくるときは決まって、こうしていた。

 ガラステーブルを挟んで、お互いに向かい合う形でソファに腰掛ける。

 彼女はピンクの、俺は水色のマグカップで、これは彼女がデビューしてすぐのときに買ったものだ。

 いくら洗っても落ちない茶渋が不格好だが、だからといって買い替えることもないままだった。

 P「今日の仕事はどうだった」

 乃々「はい、いつも通りに」

 P「いま幸子が番組企画でなんか資格取るチャレンジしてるらしいな」

 乃々「そうなんです、電験一級とかなんとか」

 P「はは、そりゃ面白い」

 安物のコーヒーを啜りながら、笑い合う。彼女が新人だったころは彼女の現場まで付きっきりだったが、ここ何年かはそういうことはしていない。

 もう俺が付いてなくとも立派に仕事ができるようになったからだ。

 そのかわりに、こうして仕事終わりなんかに談笑する機会が増えた。

 彼女がアイドルとして覚醒したのは、二十歳を迎える少し前だっただろうか。月並みな言い方だが、彼女は文字通り「化けた」。

 容姿や性格といった個性は、一度アイドルとしてファンに周知されてしまえば、そう簡単に変更できるものではない。

 ましてや彼女にはそもそも野心がないというのに。

 ではなにが、彼女を売れっ子アイドルたらしめたのか。

 やはりそれは、彼女の野心のなさによるものだった。

 イベント企画ではアフリカの奥地に行って芋虫を食べたり、現役プロレスラーと共演したバラエティ番組では番組の罰ゲームとしてジャイアントスイングをかけられたり、そういった俺のプロデュースがあってか、彼女は仕事を経ていくうちに、いわゆる危機回避能力のようなものを会得した。

 自分に危害が及びそうなものに対しての嗅覚が鋭くなったのはもちろん、ここぞというところで、罰ゲームやテレビ的には「オイシイ」とされるポジションを避ける勘や運が身についたように思う。目立ちすぎることも目立たなすぎることもない、絶妙な立ち位置を彼女は掴んだのだ。

 それに気付いた誰かがネットの掲示板で呟いたことから、森久保乃々という少女は、次第にその知名度を高めてゆくことになった。

 目立つことや、しんどいことに巻きこまれたくない一心で身につけた特技が、逆に個性として受け入れられたのだ。

 売れる切掛けとしてそれは如何なものかとも考えたが、結局、当時の俺は彼女の可能性を信じることにした。

 彼女のもう一つの強みは、アイドルとしての安定性だった。

 たとえゴシップ紙に彼女を貶めるような記事が載っていたとして、ファンの殆どは歯牙にもかけなかったからだ。

 彼女はその野心のなさゆえに、ファンを手放すことはなかった。

 爆発的な人気力こそなけれ、一度得た支持を落とさなければ、その少女がトップアイドルになるまでに何年とかからないだろう。

 こうして彼女は。いつのまにか彼女は、遠く、大きい存在になってしまったのだ。

 乃々「……プロデューサーさん?」

 眉根を少しだけ寄せた彼女が尋ねてきた。

 P「ん、ああ悪い、考え事してた」

 俺がそう言うと、彼女は優しい笑みを浮かべる。

 乃々「またもりくぼをいぢめるプランでも考えていたんですか?」

 P「人気者のお前に下手なことはできないって」

 彼女は少しだけ得意そうに胸を張った。

 乃々「そうです、もりくぼにはたくさんのファンがいるので」

 P「そうだな」

 乃々「……でも、」

 いつか見たような、気恥ずかしげな様子で目線を逸らして、彼女は呟いた。

 P「うん?」

 乃々「す、少しだけなら、その、」



 乃々「もりくぼのこと、いぢめたかったら、いぢめてもいいですよ……?」

 P「こら。お前というやつは」

 思わず目の前の小さな頭にチョップをしてしまった。

 乃々「あうぅ……」

 P「どれだけ嗜虐心と庇護欲をかきたてれば気が済むんだ」

 乃々「……最近お仕事が忙しくて、プロデューサーさんと全然お話ができていなかったので」

 少し暗めの彼女のその言葉は、妙に耳に残った。

 P「の、森久保は、寂しかったか?」

 乃々「……もりくぼだって、人間です」

 P「……いつだったかイベントでリスの格好したときのお前も可愛かったな」

 乃々「なんだって急に、もりくぼの黒い歴史を紐解くんですか」

 P「いまだから言えることだけど、あの恰好が様になりすぎてて、一時はまじで小動物なんじゃないかと疑っててな」

 乃々「もりくぼはれっきとしたヒューマンビーイングですけど」

 P「森久保、今日の晩飯はなんだ」

 乃々「え、今日はまだ決めてませんけど……もりくぼ一人なので帰ってから適当に食べようかと」

 P「お前、辛いものは食えたよな」

 乃々「人並みには、ですけど」

 P「よし、ここで待ってろ。うまいもの作ってやる」

 乃々「え、あの」

 コートだけ羽織って、近くのスーパーまで走った。

 急いで事務所に戻り、彼女に帰ってきたことだけを告げて給湯室に向かう。流しとカセットコンロは備え付けてあるから、簡単な料理ぐらいは作れる。

 作っている途中で、彼女が顔を覗かせた。

 乃々「いきなりどうしたんですか、プロデューサーさん」

 P「いやあ、な、そういえばお前と長いこと飯食ってなかったもんだから」

 乃々「なにを作っているんで……プロデューサーさん! あの、お鍋の中、すごく赤いんですけど!」

 P「たまに死ぬほど辛い鍋料理が食いたくなるんだよ、俺は」

 乃々「鍋料理っていうか、え、これお鍋ですか……?」

 P「メニュー名はずばり、灼熱の血の池地獄だ」

 乃々「ひょっとするともりくぼもそれ、食べなきゃなんですか……?」

 P「大丈夫。死ぬほど辛いだけで、なにも実際に死ぬわけじゃない」

 乃々「むーりぃ……」

 何気なく談笑できるこの時間が、いまだけは永遠に伸びてくれないものかと考えてしまう。

 乃々「あうぅ……おいしかったんですけど……一歩間違えたら辛すぎて死んでしまうと思うんですけど」

 P「ちょっと辛いのセーブしすぎたな」

 乃々「あれでセーブしてたのなら、プロデューサーさんの方が人間じゃないと思うんですけど……」

 P「仕事に息詰まったり、気分転換をしたいときなんかは最高だぞ」

 乃々「いまのもりくぼはそのどちらにも当てはまらないです」

 P「まあそう言うな。明日の為に気合入れたとでも思っとけ」

 乃々「……明日。そう、ですね……」


 P「何ヶ月も前から明日の為にスケジュール調整もしてきたし、な」



 乃々「はい。きちんとファンの皆さんには伝えます」




 乃々「今季限りでアイドルを引退するって」


 P「あっという間だったなあ」

 懐かしむように言うと、彼女がおずおずと横槍を入れてきた。

 乃々「十年続きましたけど」

 P「俺にとっては人生で一番短かったよ」

 乃々「そう、ですか」

 P「森久保はどうだった?」

 乃々「この十年、ですか?」

 P「うん、楽しかったか?」

 乃々「退屈はしませんでした」

 P「なんだ、可愛げのない」

 乃々「プロデューサーさんは、もりくぼが引退したらなにするんですか」

 P「しばらくは新人アイドルのレッスンとかかな。まあまたいつか、アイドルの担当もするだろうけど」

 掛け時計が秒針を刻む音がやけにうるさく聞こえる。もう残された時間は少ないのだと言わんばかりに。

 乃々「プロデューサーさんは」

 P「うん」

 乃々「仕事が強引なところとかあって、あれでしたけど」

 乃々「色々もりくぼの意思を汲んでくれたところとか、気遣いができるところとかは、嬉しかったです」

 P「ほめられてるってことでいいのかな」

 乃々「ええ、まあ。あ、でもやたら写真を撮るのはやめた方がいいと思いますけど」



 P「ああ、それで思い出した。さっきまでお前のアルバム見てたんだ」

 乃々「もりくぼの……?」

 P「ほら、これだよ」

 デスクに置かれたアルバムを彼女に寄越す。

 乃々「これまた、懐かしいですね」

 P「それ、やるよ」

 乃々「えっ」

 P「まだ何冊かあるが、それはまた後日送ることにするから」

 乃々「でも、いいんですか? いただいてしまっても」

 P「なあに、いつかお前に渡す為に用意してたものだし、気にすんな」

 乃々「……そういうことでしたら」

 俺が手渡したアルバムを、彼女がぱらぱらとめくる。

 思い出を早回しで眺めながら、彼女は少しだけ涙ぐんだ。

 乃々「プロデューサーさん、いまカメラありますか」

 P「あるけど」

 デスクに置いてあるデジカメを渡す。彼女はそれをためつすがめつ眺めたかと思うと、

 乃々「プロデューサーさんを撮ってもいいですか」

 P「別に構わんが、どうしてまた」

 乃々「このアルバム、もりくぼしか写っていないので」

 少し意地悪に微笑んで、彼女はカメラを構えた。

 P「……まあ、お前がそうしたいなら」

 乃々「ほらほら。こっち向いて笑ってください」

 P「いつかの仕返しかよ……恥ずかしいからさっさとしてくれ」

 乃々「ピースしましょう、ピース」

 P「森久保ォ!!」

 しばらくの間、お互いに撮りあったり、セルフタイマーで撮ったりと楽しんだ。

 P「もうこんな時間か」

 乃々「そうですね」

 P「駅まで送ってやろうか」

 乃々「いえ、歩いて帰りたい気分なので」

 P「……そっか」

 乃々「アルバム。大切にします」

 P「うん」

 乃々「明日は十時にここでしたっけ」

 P「そうだ。それから会見先に向かう」

 乃々「わかりました。おやすみなさい」

 P「あー、乃々」

 乃々「……はい」

 P「結婚、おめでとう。末永く幸せにな」

 乃々「……ありがとう、ございます」

 彼女が去った後に、ふと気になって、事務所の窓を開けて外の様子を窺った。

 雨は上がっていた。大きな月が雲間から覗いていた。

以上です
拙い出来だったけど、読んでくれたひとがいたなら、ありがとう

コメント有難う。
過去作もなにも、実はこれが最初のものです。
閃きがあれば近いうちにまた書くかもしれません。

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