【モバマスSS】Be My… (52)


・これはモバマスSSです
・若干キャラ崩壊があるかもしれません
・書き溜めはありません、のんびりと進めていきます
・地の文たっぷり



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「では、お疲れ様でした」


パタンと事務所の扉を閉め、冷え切ったビルの群れへと足を踏み出す。
冬も盛りの2月上旬、吐く息は煙突から昇る煙の様に視界を白く染めた。
想像以上の寒さに一瞬心が折れかけるが、折れたところで何か救済があるわけでも無いので足を動かす。
道端の電信柱の元には一週間以上前に降った雪の名残がまだ固まっている。
早くこの刺す様な冷たさとお別れする為、少し足を速めて地下鉄の駅へ。


時刻を確認しようとスマホを起動。
液晶に示された数字は21と30。
事務所でプロデューサーと仲良くお喋りをしていたら思ったよりも時間は進んでしまっていた様だ。
時間の進み方は気分で変わるって言うけど、確かに全くその通りね。
楽しい時間は疲れ切った身体と心を1機分回復させてくれた気分…ふふっ。
…そんな下らない事を考え、余計に寒くなってしまい若干後悔。


前はこんなにセンスも笑いの沸点も低くなかった様な気がするのだけど。
歳をとるって嫌ね、瑞樹さんの言っていた事がわかるわ。
若い頃はこんな寒さなんて何て事なかったのに、最近はこれだけ着込んでも尚寒く感じるなんて。
こんな事ならマフラーとニット帽も持って来れば良かった。
ま、ふらーっと手ぶらで事務所へ来てしまった自分が悪い訳だけれども。




何となく空を見上げると、都会にしては珍しく沢山の星が輝いていた。
分かる人が見れば何たら星座だったり何たら星雲だったり分かって楽しいのだろうけど、残念ながら私にそんな知識もない。
でも、月くらいなら分かる。
そう思い夜空で一番大きな星を探すが、これまたツキがない事にほぼ新月だった。


「むーん…」


少し唸り、視線を正面へ落とす。
気付けば目的の駅へと辿り着いていた。
なんとまぁ、下らない事を考えている時の時間の流れの早い事。
寒い街を一人で歩いている時間なんて嫌なだけだから、有難いと言えばそうなのだけれど。
身を包む寒気に別れを告げ、地下の暖気へ潜り込んだ。


帰宅ラッシュの時間も過ぎたのか、駅に人は少なかった。
これなら問題なく最寄駅まで座って過ごせそうだ。
文明の利器とは本当に有難い。
暖かい空気ごと私を運んでくれるのだから。




ふとスマホの液晶に目をやると、プロデューサーからラインの通知が届いていた。
悴んだ指で暗証番号を入力しアプリを起動する。
内容は大した事ではない様で、遅くまで付き合わせてしまってすみません、気を付けで帰って下さいねとの事だった。
どちらかと言えば此方が仕事中にお喋りに付き合わせてしまっていたので申し訳なくなってしまう。


『此方こそ、お仕事の邪魔をしてしまってスミマセン。お仕事頑張って下さいね』


当たり障りの無い返事を入力し、送信ボタンに指を当てる。
途中で指がぶれてしまい上手く文章を作れなかったけれど、少しずつ自由を取り戻してきた。
見れば、一瞬にして既読が着いていた。
返信、待っていてくれたのかしら?
柄にもなく嬉しくなってしまう。
反面、仕事はちゃんとやっているのかと不安になるけれど。


『ほぼ終わっていたので問題ありませんよ』


ダウト。
プロデューサーの机の上の書類の山がそんなに早く消化されている筈がない。
今頃ヒーヒー言いながら真っ白の書類と格闘しているに違いない。
そのくらい、付き合いの長い私ならすぐに分かる。


ほんと、優しい人…


『ありがとうございます。では、また明日』


そう送信し、液晶を消す。
丁度、電車が駅へと到着した所だった。
強い風が髪とコートを激しく揺らす。
折角地下であったかいのにこれでは地上と変わらない。
これさえなければ、地下鉄をもっと好きになれるのに。


けれど。
気付けば寒さも指の悴みも、完全に溶けきっていた。




がたん、ごとん


電車に揺られて前髪が振れる。
そろそろ切らないと、正直鬱陶しい。
明日、時間があったら切りに行こうかしら。
もう結構長い期間行っていない気がする。
でも寒い中美容院まで歩くのも…


ぬくぬくと電車の暖房に浸り、最寄駅へ進む。
まだまだ到着まで時間もある事だし、少し眠ろうかしら。
乗り過ごしの心配もあるけれど、身に染み付いた習慣が一駅前辺りに起こしてくれる事だろう。
最悪、この時間なら乗り過ごしても戻って来れる。


少しだけ、休もう。
そう思って目を閉じると、直ぐに睡魔は訪れた。







「えぇと、今日から担当になった者です!よろしくお願いします!」


はて、この若き日のプロデューサーの様な男性はだれかしら?
まるで社会に出たての大学生の様な勢いの、強く頭を下げている男性。
若干の不安と迷いを勢いで誤魔化す挨拶、何処かで…そこで気づく。
あぁ、これは私とプロデューサーの出会った日で。
つまりこれはあの日の夢なのだ、と。


「よろしくお願いします」


ペコリと小さく頭を下げた女性は、つまりあの日の私なのだろう。
まだ口数も少なく仕事にも慣れていないあの頃の私。
良くもまぁこの女性が激寒駄洒落おばさんだなんて呼ばれる日が来たものだ。
いや、私なのだけれど。
あと一言付け加えるとしたら、おばさんでも無いのだけれど。


あの頃のプロデューサーは、見ての通り仕事に就いてまだ数年も経っていないペーペーだった。
右も左も…は言い過ぎかもしれないけれど、まだ一人でアイドルを担当するには早い。
そしてその目出度い一人目の担当アイドルがこの私とは、プロデューサーも運が無い。
この頃の私は、とても取っ付きにくい女だっただろう。
今思えば申し訳ない。





「ええと…プロフィールは一応渡されてはいるんですけど、きちんと会話して理解し合っていきたいんです。大丈夫ですか?」


「…はい…でも、私…あまり、自己紹介とかは得意ではないので…」


うわぁ…なんと言うか、辛い。
見ていてむず痒くなってくる。
一応言い訳させて頂くと、私は別にワザと無愛想に振舞っている訳ではない。
言いたい事は沢山ある。
あるにはある。
けれど、それを頭の中で文章に変えていくうちに時間が経ってしまって会話として成り立たないのだ。
結果、口数の少ない静かな人と言う印象になってしまっている。


この間乃々ちゃんが言っていた、昔書いた自作ポエムを音読された時の気分ってこんな感じなのね…
プロデューサー、忘れてくれていると有難いのだけれど。
いや、忘れられていると言うのもそれはそれでなんとなく寂しい。
結局どっちならば良いのかなんて、そんな問いの答えは出ない。
なんでかしらね?



「プロデューサーは…夢は、おありですか?」


気付けば、自己紹介が終わったらしい。
少し日本語が変な気もするが、緊張していたのだろう。
他人事と思えば、まぁ直視できない事もない。


「夢、ですか…今は、貴女と精一杯進んでいこう!と言う心構えだけですかね…」


目指せトップアイドル!なんて大きな夢を掲げるでもなく、かと言って完全に無いとは言わない当時のプロデューサーを見ると少し笑えてしまう。
安心して下さい。
プロデューサーの目の前の女性は、今もきちんと一緒に歩いていますよ、と。
できる事なら、そう伝えてあげたくなった。


「…夢がゼロじゃ、どれだけ駆けても変わりませんよ。頑張りましょう」


我ながら割と上手い事を言えていた気がする。
そして我ながら、良くもまぁ当時の私がこんな事を言えたなぁ、とも。
残念ながら、プロデューサーには気付いては貰えなかったけれど。
その証拠に、少し首を傾げたプロデューサーが笑いながらはい!と言っている。


…そう言えば、今の私の夢はどうかしら?
このままアイドルを続けてトップを目指す?
結局は当時の私が言った通り、何を夢見るでもなく只管駆けてきた。
それは、何の為?
今の私が求めるモノって…?







ガタンッ!


ビクッと身体を震わすと、目の前の事務所は電車の椅子と窓に変わっていた。
おかげで見ていた夢の内容を若干飛ばしてしまう。
何を見ていたのだったかしら…?
車内の電光掲示板に目をやり、周りをみて、察した。


…はぁ、今はタクシーが欲しいわ。









ひゅう、と。
冷たい空気が頬を刺す。
吐息以上に真っ白な雲が空を覆っている。
お陰で太陽が街を照らす事はなく、昨日以上に冷え込んでいた。


てくてくと歩いていて気付いたが、どうも周りが騒めき立っている。
なんだろう、何かイベントでもあっただろうか。
節分は既に終わっているし、他には…


『全日本一億二千万人の茜ちゃんファンのみんなー!今週末はバレンタインだよ!!可愛い可愛い茜ちゃんにプレゼントを送れるチャンス!逃さないでね!!』


大きな街頭モニターから溢れる声で、丁度思い出した。
そう言えば今週日曜日は、全国各地のカップルの一大イベントであるバレンタインではないか。
ここの所の仕事が忙しくて記憶から抜け落ちていた。
よくよく考えれば私も何かしらのイベントに参加する筈でもある。


巨大なモニターに映るアイドルであろう少女は、ニコニコ笑いながらプレゼントを要求している。
一瞬、そう言うイベントだったかしら?と思ってしまったが友チョコと言うのもあるので女性が強請っていてもおかしくはないのだろう。
友チョコと言えば、例年プロデューサーには変わった味のチロルチョコを渡していた。
ちょこっとだけですよ、なんてお互いに笑いながらどこから見つけてきたのかも分からないレアな味のチロルチョコを交換する。
今年も、探しておかなければ。




『想い人にチョコを渡す勇気の無いみんな!茜ちゃんに渡してバレンタインを満喫した気分に浸ってね!』


想い人…
そう言えば、二十五年の人生の中で恋だの愛だのそう言った学生の流行病にかかった事は少なかった気がする。
いや、あるにはあるのだが以前の私にはその想いを打ち明ける勇気がなかったのだ。
今の私ならチョー高級なチョコと共に余裕で伝えられるだろうけれど、何分その対象となる相手がいない。
…思い付いた駄洒落に突っ込んでくれる人も少ない…


てくてくてく


事務所へ到着しなければならない時間までまだある。
のんびりと少し回り道をしながら、一人で歩く。
好き、って…どんな気持ちだったかしら?
隙…スキー…杉…
気付けば、事務所へ着いてしまっていた。
物凄く時間を無駄に浪費した気がする。




「おはようございます」


扉を開けると、暖かい空気が流れ込んでくる。
逆だ、流れ出してしまったのだった。


「おはようございます、楓さん」


事務所にいたのは、事務員の千川ちひろさんと数人のアイドル達。
各々ソファや椅子に着いて携帯や雑誌を覗いている。
あの子達も、バレンタインには誰かにチョコを渡すのかしら?
ぐるりと事務所を見渡す。
けれど、プロデューサーの姿は無い。


むぅ…とほっぺを膨らませてコートを脱ぐ。
朝から仕事、大変ですね…と思いながらも、内心居ない事にガッカリしていた。
折角、渾身の駄洒落を考えてきたのに。
披露する相手もいなのにであれば、疲労損ではないか。
…ふふっ。



で、結局プロデューサーは何処に居るのだろう。
こういう時、ラインで聞けば一発で直ぐに分かる。
恐らく最適解だろう。
けれど、何故か。
なんとなく、それは憚られた。


『今、何をしてますか?


入力し、直ぐに消す。
聞く必要もない、仕事に決まっている。
ただ何となく気になるだけで、迷惑を掛けるわけにはいかない。
…私からのそんなライン、迷惑かしら?


『今、何処にいますか?


そう入力し、再び消す。
場所が分かったからなんだと言うのだ。
営業中だ、とか会議中だ、とか返って来ても何かある訳ではない。
聞くだけ無駄ではないか。
そもそも、もう少ししたら私は事務所を出なければならないのだから。
…事務所の近くにいたら、顔を出してくれるかしら?


入力と消去を繰り返し、結局は送信ボタンを押す前に仕事に行く時間となってしまった。
まぁ、仕事が終わってから事務所に戻って来れば会えるわよね。
そう信じて、送信ボタンから指を離す。


ふふっ、恋する乙女じゃあるまいし。
少し笑いながら、私はまたてくてくと冷えた街への扉を開けた。



12の訂正です




「おはようございます」


扉を開けると、暖かい空気が流れ込んでくる。
事務所内にいたのは事務員の千川ちひろさんと数人のアイドル達。
各々ソファや椅子に着いて携帯や雑誌を覗いている。
あの子達も、バレンタインには誰かにチョコを渡すのかしら?
ぐるりと事務所を見渡す。
けれど、プロデューサーの姿は無い。


むぅ…とほっぺを膨らませてコートを脱ぐ。
朝から仕事、大変ですね…と思いながらも、内心居ない事にガッカリしていた。
折角、渾身の駄洒落を考えてきたのに。
披露する相手もいなのにであれば、疲労損ではないか。
…ふふっ。








仕事も終わり陽は落ちて、本日二度目の事務所の扉を開けようとする。
ガチャガチャ…
…?
何故か鍵が掛かってしまっている。
残念ながら、これでは事務所内に入る事が出来ない。
まぁつまり事務所には誰も居ないと言う事で、ならば私が事務所に寄る理由も無くなってしまったのだけれど。


折角、この寒い中疲れた身体を引きずって戻って来たのに。
はぁ…まったく…


「鍵が閉まっているなんて、今日はロックな事がありませんね…」


「そうとはかぎりませんよ。きーっと良い事がありますって」


「えっ!?」


驚いて振り返れば、そこにはスーツ姿のプロデューサーがいた。
走って戻って来たのか若干息があがっている。
スーツも崩れてしまって、それでも。
疲れを感じさせない程、笑顔だった。


さっきまでの疲れは、既に思考の隅まで飛んでいった。
寒くて震える程だった筈なのに、何故か少しあったかく感じる。
プロデューサーがいれば暖房代が浮きそう…連れて帰ろうかしら?
…なんて、ね。


「ふふっ…プロデューサー、お疲れ様です」


「すみませんね、ついさっきちひろさんが退勤してしまったので急いだんですけど…」


そう言って鍵を回し扉を開け、事務所内へ。
事務所の内側からながれてくる温もりは、つい先程までちひろさんが事務をしていたことを証明していた。
先に中へ入っていったプロデューサーがパパッと電気と暖房を点ける。
素早く動き回って一通り終えたのかスーツをハンガーに掛けるプロデューサーを視界内に収めつつ、私は手に息を吹き掛けた。



「あ、もしかして外で待ってました?もう少し暖房の温度上げますね」


「いえ、大丈夫です。あ…紅茶、淹れましょうか?」


スッと立ち上がろうとする私を、プロデューサーが軽く手で制する。


「俺がやりますよ。こう、ちゃちゃっとね。ですから座って待ってて下さい」


「ふふっ、ありがたいてぃーあんです。では、お願いしちゃいますね」


こんなやり取りを出来るようになる迄色々とあったなぁ…なんて、柄にも無い事を考えてみる。
今ではこんなに仲の良い仕事のパートナーとなってはいるが、最初はこんな事は無かった。
プロデューサーがこういう風に返してくれるだけで、嬉しくなってしまう。
他に私の駄洒落にノってくれる人なんて、酔っ払った瑞樹さんや早苗さんくらいだもの。
…プロデューサー、酔ってるのかしら?



それにしても、さっきは大丈夫って言ったけどプロデューサー暖房の温度上げてくれたのかしら?
少し暑いくらいになっている。
あ、そう言えば前髪切らないと。


…前髪、前がみえない、江上…


「お待たせしました、っと。前髪、結構伸びてますね」


トリップしていた思考を引き戻したプロデューサーの両手にはマグカップが握られていた。
可愛らしいデザインのマグカップ、おそらくペア用なのだろう。
誰と誰のマグカップなのかしら?仲の良い美波ちゃんとアーニャちゃん?


前髪を弄っていた手を止めて差し出されたマグカップを受け取り、口元へ運び少し傾ける。
熱々の紅茶は喉を抜け、体を芯から温めてくれた。
ふーっと息を吐いてマグカップを一旦置きプロデューサーへと向かう。


「ありがとうございます。このマグカップは誰が持って来たんですか?」


「俺のですよ。去年のクリスマスに凛から貰ったんです。でも、家だとあんまり活用出来なかったんで事務所に持ってきちゃいました」


成る程、クリスマスのプレゼント…ね。


クリスマスパーティーの時にみんなでプレゼント交換をしたから、その時凛ちゃんのをプロデューサーが引き当てたのだろう。
今をときめくアイドルからプレゼントを受け取れるなんて、なんて幸せな男性な事か。
それにペアのマグカップだなんて、まるで凛ちゃんが最初からプロデューサーに渡したかったみたいね。
流石にランダムだからあり得ないけれど…そう言えば、凛ちゃんはプロデューサーに気があるんだったかしら?


「そう言えば、最近髪少し伸びてきてますよね。伸ばしてるんですか?」


さっきまで前髪を弄っていたのを見ていたのか、そんな事を言ってくる。


「いえ、なかなか美容室に行く機会が無くて…少し長すぎますよね?」


「綺麗で良いと思いますけどね。切るとなると勿体無いなぁ…」


むむっ、嬉しい事を言ってくれますね。
髪、伸ばそうかしら。
カット言って、切らずに放置するのも…



再びマグカップに手を伸ばし、先ほど以上に傾ける。
少し時間は空いているが、それでもまだ紅茶は熱いままだった。
だんだん身体まで熱くなってくる。


「ふー…あ、そう言えばこんな時間に事務所に来るなんて何か用事でもありました?スケジュールでしたらラインで送ってあると思うんですけど」


「いえ、なんとなく寄ってみただけです。誰かいないかなぁ、と」


結果として誰も居なかった訳だけれど。
まぁプロデューサーとこうして二人でお喋り出来たから良しとしよう。


「迷惑、でしたか?」


「そんな事はありませんよ。こうやって話してる時間も俺は好きですから」


「ふふっ、私もです」



「あと先日送ったと思いますけど、今週末はバレンタインなのでラジオはその特集です。生放送なんで終わるのが21時過ぎになっちゃいますが」


「特に予定がある訳でも無いので大丈夫ですよ。強いて言うなら、プロデューサーにチョコを渡すのが遅くなってしまいますけど」


「俺もその日事務所に戻って来れるのは22時過ぎなんでお互い様です」


あ、バレンタインと言えば凛ちゃんは今年もプロデューサーにチョコを渡すのかしら?
去年も一昨年も義理だからと言って渡しているのは見たけど、今年はどうなるかしらね。
ラジオ収録の時、聞いてみようかしら?
でも生放送って言ってたし、流石に不味いかも。


「バレンタイン、ですか…」


「スキャンダルになるような事だけは避けて下さいね」


そう笑って、プロデューサーは空になったマグカップを洗いに流しへ向かった。
スキャンダルだなんて、私にそんな相手がいない事くらいプロデューサーが一番分かっているくせに。
あまり人付き合いが得意ではない私が、プロデューサー以外の男性とそんな関係になる訳が無いのに。



…?
少し自分に問い掛けてみる。
自分の思考に自分で疑問を覚えた私が、自問自答する。


じゃあ、プロデューサーとだったらあり得るの?と。


確かにこんな私にとって唯一の男付き合いではある。
仕事のパートナーとしても割と長いし、信用もしている。
毎年チョコを渡してもいる。
良くお酒に誘う事も…あ、最近忙しくて無かったわね。
久し振りに誘おうかしら?


「プロデューサー、今夜空いてたら飲みに行きませんか?」


「構いませんよ。じゃあそろそろ事務所締めましょうか」


マグカップを洗い終えたプロデューサーが、暖房を消し始めた。
私もコートを羽織ってマフラーを巻く。
防寒対策はバッチリ。
あ、プロデューサーマフラーも手袋もしてないのね。


「さて、行きましょうか」


「はい、一度行ってみたいお店があったんです。こうやって飲みに行くのはさけられない運命だったんすね」


ふふっ、と笑いながら階段を降りる。
何か悩んでいた気もするけど、プロデューサーと一緒に飲みに行く事に比べたら大した事は無かったのだろう。




パタンと扉を閉め、事務所を出る。
相も変わらず冬の寒気は街を冷やしている。
でもそれ以上に冷めているのは、あれ以降プロデューサーと飲みに行けていないから。
と言ってもたった二日ほど前の事ではあるけれど、それ以降顔も合わせていないとなると寂しくもなる。
忙しいのは分かるけれど、少しは連絡くらいしてくれてもいいのに。


悴むのも気にせず手袋を外し、ラインを起動する。
プロデューサーとのトーク履歴は既にデフォルト画面から消えていた。
少し下にスクロールして開き…画面の電源を落とす。
別段手が上手く動かなかったからとかでは無い。
単に、何と言って切り出せば良いのか分からなかった。


『お仕事お疲れ様です』?
それでは会話が続かない。
『相談があるんですが…』?
確かに二人きりになれるだろうが、迷惑は掛けられない。
そもそも相談事なんて無い。
『今夜飲みに行きませんか?』?
忙しいから連絡が無いと言うのに、そんな暇があるはずが無い。


…忙しいから、連絡がないのよね?
迷惑って思われてるなんて思いたくもないけれど…



ふと思考を現実に戻して街を見れば、街は更にバレンタイン一色となっていた。
店頭にはバレンタインセールの張り紙やワゴン。
バレンタイン限定と銘打ったチュロスやクレープ屋からは、とても甘い匂いがする。
流れる曲もバレンタインソング。
私はふらっと、デパートへと入っていった。


確か、プロデューサーはマフラーも手袋も着けていなかったし。
折角だし、普段の御礼という事でプレゼントしてあげようかしら。
お誂え向きのイベント、この機を逃す手はないわね。
と、いう事で。
私は早速メンズフロアへとエスカレーターで向かった。


6回建てのデパートなのに、メンズが売っているのはたったの1フロア。
自然と選択肢は減ってしまうが、ある程度選ぶ手間が省けたから良いとしよう。
今は変なあだ名が付いてはいるが元モデル。
センスに関してはある程度自信がある。
取り敢えずフロアをぐるりと一周し、目星をつけた。




てくてくてく。
二つのブースを行ったり来たり。
別に私が何か怪しい儀式を行っている訳ではない。
理由は、私ではなくこのフロアの方にあった。


と言うのも、気に入ったデザインのマフラーが二つあったのだ。
手袋の方は既に購入済み。
こちらは余り時間がかからず即決出来たのだけれど…
マフラーを巻いているプロデューサーを思い浮かべ、どちらの方が良いか考える。
…むーん…


手袋と合うのはこっちだけど…プロデューサーの私服に合うかどうかは分からないし…
そもそもプロデューサーの私服姿なんて余り見たことがないから、汎用性の高いデザインの方が…





「プレゼントですか?」


唐突に、店員からそう尋ねられた。


「えっ、えぇ…まぁ…」


いきなり人に話しかけられ、私はうまく返事が出来なかった。
思えば、何度も何度も行ったり来たりしているのだから店員の目に付いてもおかしくは無いのだけれど。


「恋人さんですか?」


ニコニコと、店員はさらに問い掛ける。
恋人…え?私とプロデューサーが…


「よろしければ、ラッピング致しますよ?」


「あ…で、ではお願いします」


つい、そう返してしまった。
いや、あの…何か言おうとしたけれど別段ムキになって否定する事でもない。
悩んでいたところに分かりやすい解決策が降って来たのだから、寧ろ喜ぶべきだろう。
だから、せめて。


店員さんの前では、平静を装わないと。


紙袋を下げ、自宅の扉を開ける。
ただいまの声は虚しくこだました。
一人暮らしの帰宅は少し寂しい、誰か出迎えてくれる人がいてくれればいいのに、なんて。
そんな事を考えながら鍵とチェーンを掛け、電気を着けて靴を脱いで小走にエアコンのリモコンを探した。


紙袋を置き、冷蔵庫に入れておいたサラダや焼き魚のタッパーを取り出してテーブルへ並べる。
一人暮らしも長いので、料理の腕にはある程度自信がある。
残念ながら振る舞う機会も相手も無いのだけれど。
今度プロデューサーでも呼んでみようかしら、と考えながらご飯のタッパーを電子レンジに突っ込んだ。


温まるまで約2分。
何もしないのもつまらない。
なんとなく私は、ラジオの電源を入れた。
流れてきたのは有名なアイドル達の番組。
番組名は…なんだったかしら?





『そう言えば、今週の日曜日はバレンタインなんですね!』


元気な女の子の声が流れてくる。
こうラジオでバレンタインと言う単語を聞くと、改めてバレンタインなんだなぁと再認識させられた。


『じゃんじゃかじゃーん!突然ですが…重大発表しちゃいまーす!』

『え、あの…』

『何を発表されるんでしょう?』

『もしかして、面白いダジャレとか思いついたんですか?』

『ぶっぶー!はずれでーす!』


…残念、ダジャレではなかった様だ。
折角参考にしようと思ったのに。






『もしかしてバレンタインも近いですし、恋人についてですか?』

『まったく…アイドルなんだからそんな訳無いでしょ』

『ええっと…ご結婚なされるんですか?』

『ええー?!』

『わ、わ、私が結婚?!うわー!結婚だなんて…そんな…、そんなー!』

『…?なんかいきなり赤くなってませんか?』

『だって、そんな…私が…結婚!う、ううー…恥ずかしい…』

『まだまだレッスン不足だし…ヘッドホンの数も全然足りないよー!』

『ど、どこ行くんですかー?!』


…不思議なアイドル達ね。
幾ら何でも個性が強過ぎる。
ヘッドホンの数と結婚って、何か関連があるのかしら?




それにしても…結婚、ね…
いつか私も結婚する、のよね…
私と二つしか変わらない年上のアイドル達はよく焦っているみたいだけど、私もいずれああなるのかしら。
そもそもこんな私に付き合ってくれる、そんな相手がみつかるのかしら。


あったまったご飯を取り出し、食卓に着く。
電子レンジのおかげであっという間に豪華なディナーが出来上がるのだから、人類の発明とは驚きだ。
どうせなら自動でダジャレを作ってくれる機械があれば面白いのに。
いただきます、と小さな声で両手を揃えるた。


『それではここで一曲流したいと思います。バレンタインも目前と言う事で、勇気を出せない女の子達へ向けてのラブソングです。百瀬莉緒でーー




一応まだ続きます。
更新遅くてすみません…バレンタイン当日までには完結させます。



ふと気が付けば、箸を動かす手が止まっていた。
腕どころか、全てが止まってしまったかのような錯覚に陥ってしまう。
けれど、時間の流れが止まるなんていう非現実的な事が起きるはずも無く。
停止した私を置いて、ラジオは曲を流し続ける。


会いたいのに、会いたいと言えず。
勝手に妄想して、勝手に空回りして。
あと一歩が踏み出せず。
自分の気持ちに素直になりきれない、そんな歌。


アイドルソングらしからぬ、大人っぽい声と歌詞。
恐らく、大人の魅力に溢れた女性が歌っているのだろう。
それにしては、若干恋愛観が若い気もするが。
それに関しては私が言えた事では無いのだけれど。


ラブソングなら、何度も歌った経験がある。
哀しいかな、最早慣れてしまったと言ってもいい。
そして大体の歌は似たような歌詞を並べているだけ。
安っぽい表現をするなら、心に響かない歌ばかりだ。




けれど、この曲は違う。
だって…少なくとも、普通のラブソングを聞いて。


プロデューサーの姿なんて、思い浮かべないから。




あぁ…やっぱり。
そう言う事だったのね。
私…気付かないフリでもしようとしていたのかしら?
そんなんじゃ、凛ちゃんに対して不利になってしまうのに…ふふっ。


気付けば、視界が少し滲んでいた。
けれど、悲しみなんてない。
曲は既に流れ終わり、またわいわいとパーソナリティのアイドル達が会話している。
けれど、もう充分だ。


さて、折角だから…
ぐるぐるは、もうやめにして。
歌詞の最後の通りに、いってみるとしましょうか。


はてさて、今日はバレンタイン前日。
事務所へ入ると、今日もまた残念ながらプロデューサーはいなかった。
けれど今はそれはどうでも良い。
いや、どうでもよくは無いけれど…それよりも。
私の目的は、別のところにある。


すたすたと、私はコートを壁に掛けて目的の人の前へと向かう。
凛とした表情でスマートフォンに指を走らせている、同じ事務所のアイドルである彼女の前へ。
おっと、怖がられない様に笑顔にならなければ。
用を終えたのか画面から目を離した彼女は、どうやら私に気付いた様だ。


「あ、おはようございます」


「おはよう、凛ちゃん。隣、いいかしら?」


「いいよ、ちょっと待ってて」


そう言って、ソファに置いていた鞄をズラしてくれた。
よっこいしょ、と私は隣に腰を下ろす。



ふと凛ちゃんのスマートフォンの画面を見ると、ラインが開かれている。
トーク欄の一番上には、プロデューサーの名前。
…表示を変えているのか、名前の最後に星マークが付いていた。
見た目に反してと言っては失礼だけど、若干子供っぽい凛ちゃんに少し微笑ましくなる。


「プロデューサーとお話中だったかしら?」


「えっ、あ、別に…」


少し困った様に視線を逸らされる。
あの人の前だとあんなにキリッとしているのに、居ないとなると途端に分かりやすくなるのも可愛らしい。
若いって良いわね…っと、そうじゃないそうじゃない。



「凛ちゃん、今年もプロデューサーにチョコを渡すのかしら?」


「まぁ…義理チョコになると思うけど」


なると思うけど、ね…
確かに、本命を渡して好きだと伝えたところであのプロデューサーなら断るだろう。
私達はアイドルで彼はプロデューサー。
立場の事を言われたら、此方も諦めるしかない。
義理チョコと言って渡すのが、お互いの為にも一番なのだろう。


けれど…


「なら、歯をギリギリする事になるわね。ふふっ」




「えっ?それって…」


お茶目にウィンクをし、私は立ち上がった。
呆気にとられている凛ちゃんに、私は再び向き合う。


「ねぇ、凛ちゃん。明日のバレンタイン、頑張りましょう?」


「ラジオの事?」


ふんふんふふーん、と鼻歌で少し誤魔化してみる。
これくらいで充分だろう。
凛ちゃんに手を振って別れ、仕事に向かおうと扉を開く。
既に刺す様な寒さは消え、少しずつ気温も上がり始めている。


明日は、春になるかしら?



時も所も変わって夜の自宅。
私は自分のスマートフォンと睨めっこ。
別に暗くなったディスプレイに映る自分に勝ちたかった訳では無い。
単純に、悩んでいた。


…明日、どうやってプロデューサーを呼び出そうか?


例年簡単にこなしてきたお題は、今回に限って難題となっていた。
一応前日バレンタインの夜にチョコを渡すと言ってはあるから、会う事に関して問題はない筈。
問題は呼び出し方。
これがなかなか決まらないのだ。


『チョコっと、大切な話があります』


…うーん…確かにチョコと大切な話があるけれど…
これ、ほぼ全部言ってしまっている様なものだ。
でもあのプロデューサーの事だから、もしかして恋人でも出来たんですか?!なんて言い出しそう。
…言うわね、絶対。




『夜、会ってくれますよね?会ってくれナイト…』


没。
素早く消去を連打し、空欄に戻す。
もしかして私、緊張してるのかしら?
こんなに冴えてないなんて…こんな寒い駄洒落は流石に無しよ。
暖房の温度上げようかしら?


…あ、昨日一昨日とお酒を飲んでいないから調子が出ていないのね。
少し寒くなってきたし、身体を温めるにも丁度いいわ。
そうと決まれば早い。
私は冷蔵庫に向かった。


冷蔵庫のドアを開ければ、発泡酒のストックが二本。
つまみ用の枝豆のタッパーに缶チューハイが三本。
そんな女子力を感じさせない物たちの群れの中に、可愛らしい箱が一つ。



…結局私は酒類に手をつけなかった。
なんだか、ズルをしているみたいで。
それに、せっかく頑張ったのに最後の最後で逃げたくない。


悩む事はない。
そのままの、普段の私で。
まるで問題なくいつも通りにいけばいい。
素の私でなきゃ、上手くいったとしても意味がないのだから。
旨味が無いのだから。


『明日、楽しみにしてて下さいね』


変に凝る必要もない。
伝えるべき事は、明日、口で伝えるのだから。
後は、気持ちに迷いが出る前に…今すぐ、送信。







「お待たせしました。待たせちゃいましたか?」


「お疲れ様です、プロデューサー。私もついさっき着いたところですよ」


一度はやってみたかったこのやりとり。
それを、この日、この人と出来て少し嬉しくなる。
とは言え、本当に私もついさっき着いたのだけれど。
ラジオの収録を終えてタクシーを探したけれど、なかなか捕まえられなかったのだ。
この時間はカップルの運送に忙しいのかしら?


ついさっきつけたばかりの暖房は、まだ部屋全体の温度を上げきれずにいた。
昼間は暖かくなってきたとは言え、やはり夜はまだ冷える。
それだけの理由ではないけど、私はまだコートを着ていた。




「まだ少し冷えますね。珈琲淹れましょうか?」


「あ、では今日は私が淹れてあげます。こー、ひょひょいと、ね」


文字にしないと分かり難い駄洒落しか言えないのは、きっと私が緊張しているから。
キッチンへ向かい、マグカップを二つ取り出し電子レンジでお湯を沸かす。
珈琲二人分のお湯なら電子レンジの方がポッドより早い。
2分ほどの待ち時間、私は冷蔵庫を開ける。
中には可愛らしい小さな紙袋。


…よし。


それをコートのポケットに隠し、マグカップを取り出しプロデューサーの元へ。
ソファで書類を広げていたプロデューサーの隣にナチュラルに座り、珈琲を差し出す。




雪が溶けてゆく様に、テーブルに散らばった書類をパパッと一つにまとめて鞄にしまうプロデューサー。
その開けた鞄から、可愛くラッピングされた小さな小袋が覗いていた。


「凛ちゃんから、ですか?」


「ん?ええ、事務所のみんなに配るから、ってクッキーを焼いてきたみたいです」


凛ちゃん、少し勇気を出したのね。
素直になり切れないけれど、去年よりは進展しているかしら?
しかし、まるで全然。
程遠いわね。




「ふふっ、少し真面目な話をしていいですか?プロデューサー?」


「構いませんよ」


そう言って微笑むプロデューサー。
その頬に、手を伸ばしたくなる。
けれどそれは、私が最後まで伝えてから。


ソファの下に隠したマフラーと手袋の入った紙袋が。
ポケットに隠した私の気持ちの結晶が。
私の口に、勇気をくれる。


「プロデューサー、私は…」




もう、迷いはない。
今ならちゃんと、微笑んで伝えられる。


貴方の事が好きです、って。




くぅつか
投稿遅くてすみませんでした。
HTML化依頼してきます。

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