雪歩「ロス:タイム:ライフ」 (45)


   "たら・れば”はやめた。
   時間は前にしか進んでいかないから。

   ―― 元日本代表 小倉隆史

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『寒波の影響により、午後からは都心部でも雪が……』

タクシーのラジオから流れる声に耳を傾けながら、窓越しに外を見ました
午前8時すぎの空には雲一つ無くて、運転手さんは

「天気予報、外れてほしいですね。いつもみたいに」

って言いながら笑っていました

雪、好きなんですけどね、私は
車を運転する人には天敵なんだろうなぁ

撮影スタジオに着くと、腕時計は8時40分
運転手さんから領収証を受け取っていると、先に到着していたプロデューサーから声をかけられました

「おはよう、雪歩。寒いな」

「おはようございます、プロデューサー。寒いですね」

簡単な打ち合わせをしながら、二人で並んで歩きました
距離は、大股で1歩
出会ってから半年で、やっとここまで縮まったんです

「雪歩がアイドル!?大丈夫なの?スタッフの人とか、男ばっかなんでしょ?」

―私、アイドルになるんだぁ

私からそう言われたお友達は、みんな同じような反応をしてました

いまでも男の人は恐いけど……
少しずつ強くなれてる自分を眺めながら、このお仕事を選んだのは間違ってないんだって、そう思えてきました

あんなに反対してたお父さんも、いまでは応援してくれてます
庭に練習用のスタジオまで作ってくれたんですから!
有無を言わさず手伝わされたお弟子さんたちには申し訳ないですけど、ね……

「お疲れ様でしたぁ」

今日のお仕事は、お茶のポスター用の写真撮影でした

「静岡の高名なお茶農家である落合さんが厳選した茶葉だけを使ったマテ茶」

っていうのがセールスポイントらしいですけど、マテ茶って南米のお茶じゃ……

「雪歩。この世界にはいろいろあるんだ」

私の表情から何かを読み取ったプロデューサーは、目を合わさずにそう言いました

…そうですよね
いろいろありますよね
まだ18歳の私の人生にも、いろいろあったんですから

お昼前にスタジオを出ると、空はまだ雲一つ無い晴天
ふぅ、と吐き出した白い息が、そこに向かって昇っていきました



   人生の無駄を精算する、生涯最後の一時
   ――それが、ロス:タイム:ライフ 

高校生活もあと少し
受験を終え、春からは大学に通うことになりました

お仕事との両立は難しいかもしれないけど、自分で選んだことだから……
だから、頑張れる気がします

―自分で選ぶ

アイドルになることも、女子大じゃない普通の大学に通うことも、自分で選びました

何年か前の私は……
あ、いえ、今もですけど……
いつもオドオドして、フラフラして、ビクビクして、何かを自分で選ぶことが出来ませんでした

それで後になってから、あの時自分で決めてたら、って
自分のしたいこと、ちゃんと言えてれば、って

もう、そういうのは嫌だから……
だから、自分でちゃんと決めようって、そう思います

「コースモース コッスモッス とーびだーしてゆく」

凛とした冬の空気の中、歩きながら口ずさむのは私のソロデビュー曲『Kosmos,Cosmos』
私のための曲
私のために大勢の人が関わって、動いて、完成させてくれた歌

発売日はもう少し先ですけど、いろんな人に聴いてもらえたらいいなぁ
そしてたった一人でもいいから、誰かの心の中に、ずっと鳴り響いて、生き続けてくれたら……

って、大それたこと考えすぎかなぁ……?

「あそこ、カフェが出来たんだぁ。こんど真ちゃん誘ってみようかな」

誰もいない交差点で信号待ちをしながら、変わらないように見える街並みも、本当は少しずつ、そしてあっという間に変わっていくんだな、って思いました

―少しずつ。私も

そんな詩が書けそう、なんて考えていると、私の横を小さな影がすり抜けていきました

影の正体は、小さな男の子
歩行者信号は、まだ赤色
左折してきた車
ブレーキは、間に合いそうにありません

何かを考える前に、身体が動いてました
ダンスレッスンの成果、なのかなぁ?

「危ない!」

そう叫びながら、男の子を突き飛ばしました
道に倒れこんだ男の子と私

全部がスローモーションで動いてるみたいでした

ごめんね……
穴堀りしてるから、けっこう力持ちなんだよ、私……

2メートルくらい向こうで倒れている男の子に心の中で謝りながら、頭の向きを変えてみました

私の正面、1メートルくらいに車
運転手さんの顔もはっきり見えました

あぁ、ダメだなぁ、私
助からないなぁ
ごめんね、お父さん、お母さん……
ごめんさなさい、みんな……

相変わらずのスローモーションで、車はゆっくりゆっくりと、私に近づいていました

……あれ?

車、止まってる……

あれ?

ええっと……

あれ?

ええっとぉ……

ピー!

「ふ、笛?」

実況「さぁ、高らかにホイッスルが鳴り響き、萩原雪歩のロスタイムが幕を開けました!」

解説「可愛いですねぇ。いやぁ、ホント可愛い」

「ふぇ…ふぇぇっ!!!」

私を取り囲んだ4人の男の人
黄色の服が3人、黒い服が1人

なんだかよく分からないけど、怖いから逃げ出しました

実況「いきなり逃げたぁ!」

解説「波乱の幕開けですね。可愛いです」

私、間違ってますか……?

「つ、着いてこないで下さいぃ!」

実況「手元の情報によりますと、萩原雪歩は男性恐怖症のようですねぇ」

解説「あぁ、なるほど。それは逃げますね。可愛いですけど」

実況「萩原雪歩のロスタイム、まさか審判団から逃げることで終わってしまうのかぁ?」

解説「私も追いかけたいです、ええ」

200メートルくらい走ったところで、ついに追い付かれてしまいました……
せ、正当防衛って、えっと……
スコップで殴っても成立しますか……?

主審「……」ハァハァ…

副審1「……」ハァハァ…

副審2「……」ハァハァ…

第4の審判「……」ハァハァ…

雪歩「……」ハァハァ…

実況「5人ともハァハァ言ってますねぇ」

解説「音声だけ聞くとアレですね、悪くないです」

主審「……」チラッ

第4の審判「……」コクリ

【2:42】

まだ息を弾ませている黒い服の人が掲げたボードには、そう表示されていました

「2時…42分……?」

主審「……」フルフル

「ち、近づかないで下さいぃ!」

主審「……!」ペコッ…

「えっと…あ、数字が減った…2時間41分……?」

主審「……」コクリ

「な、なんの時間ですか?」

実況「萩原雪歩のロスタイムは残り2時間41分となってしまったようですねぇ」

解説「雪歩ちゃん…いえ、彼女は真面目ですからね。時間を無駄にしてこなかったということでしょう」

実況「しかしこの状況では、それが仇になってしまうかもしれませんね。短いです」

解説「ゆっきー…いえ、彼女がその短いロスタイムをどのように過ごすのか、興味深いですね」

私、男の子を突飛ばして…でも自分は助からなくて…車に……

「…わ、私…助かったん…ですか……?」

主審「……」フルフル

「死んじゃったん…ですか……?」

主審「……」フルフル

「えっと…どういうことですか……?」

主審「……」サッ

その黄色い服の人が指さしたのは、あのボード
数字はまた減って、2時間40分になっていました

実況「当然のことですが、事態がまだ飲み込めないようですねぇ」

解説「私が教えてあげたいですね」

「…あと2時間40分…ってことですか?」

主審「……」コクリ

「私が…死んじゃうまで……?」

主審「……」コクリ

どうやら、そういうことみたいです……
…って、どういうことですかぁ!
何か喋って下さいぃ!

「わ、私、何をすればいいんですか?」

主審「……」タッタッタッ

その人はその場で走る仕草をしながら、何かを目で訴えてきました

「走る……?」

主審「……」コクリ

「ど、どこに向かって走るんですか?夕陽?まだお昼過ぎですぅ!」

主審「……」チョイチョイ

実況「あーっと、主審が他の審判を集めましたね」

解説「雪姫…いえ、彼女の飲み込みの悪さに、審判団も弱っていますね。可愛いですけど」

実況「しかしこうしている間にも、時間は容赦なく流れていきます!残り2時間37分!」

解説「私も彼女に流されたいです」

実況「おや?主審が胸のポケットから何かを取り出しましたね。手帳でしょうか?」

解説「何かを書いていますね。連絡先でしょうか?」

主審「……」スッ

「ち、近づかないで下さいぃ!」

主審「……!」ペコッ…

恐る恐る手帳を受け取った私は、書かれたばかりの几帳面な文字を目で追いかけました

「この時間を使って、あなたの人生を精算して下さい……」

主審「……」コクリ

実況「どうやら、萩原雪歩のためにルールを記していたようですねぇ」

解説「喋ればいいのに」

手帳からボードに目を移しました

【2:32】

「これが、私に残された時間…この時間の中で……」

私は、何かを残さなきゃダメみたいです
私が生きてきた、何かを

「…お別れ」

大切なみんなに

「…お礼」

私を強くしてくれた、みんなに!

「手紙!」

実況「萩原雪歩、走り出したぁ!」

解説「いいダッシュですね!全盛期のオーフェルマウスを彷彿させます!」

あとたったの2時間30分
私の、最後の、2時間30分

全員に会いにいくのは無理だから、言葉を遺そうと思いました
心の中に、ずっとずっと、残るように

「つ、着いて来ないで下さいぃ!」

文房具屋さんを目指して走る私の後ろを、4人の男の人が着いてきます
ピッタリと

実況「まさに密着マークですねぇ。審判なのに」

解説「私も加わりたいですね」

飛び込んだのは小さな文房具屋さん
店員さん、驚かせてごめんなさい……
いろいろあって急いでいるので……

「便箋と…えっと…ペンはあるから……」

お会計を済まして、また走り出した私
この近くに、小さな公園があったはずだから

相変わらず着いてくる4人の男の人
空には、小さな雲がいくつも浮かんでいました

「良かった、誰もいない……」

お昼下がりの公園には人気もなくて、遠くを走る電車の音が聞こえてきました

息を弾ませながら茶色いベンチに腰かけてボードを見ると、残り時間は2時間8分

目を閉じて、何度か深呼吸
頬に触れる冷たい空気が、頭の中も冷ましてくれる気がしました

「最初は、お父さんとお母さんに」

白い便箋に記し始めた、私の言葉
すぐに涙で見えなくなったけど……
それでも、ペンは止めませんでした

「の、覗いちゃダメですぅ!」

審判団「……」ペコリ…

実況「プライバシーの侵害ですねぇ。レッドカードものです」

解説「どの口が言うんですかね」

1文字1文字、心からの言葉を
本心を伝えるのをあんなに怖がっていた私が、いまは何も怖がらずに、自分の気持ちを記せています

やっぱり強くなれたんですね、私
ほんの少しだけ、かもしれませんけど
えへへ……

   お父さん、お母さんへ。

   『ありがとう』と『ごめんなさい』を、一度に書きます。


あ!
ここから先は内緒ですぅ! 
ぜったい見せませんから!

実況「残念ですねぇ」

解説「ええ、残念です」

1通目を書き終えてボードを見ると、残りは1時間51分になっていました

学校の友達と、事務所のみんなと、それから……

「……」

第4の審判「……?」

「延長戦…とかは……?」

第4の審判「!?」

ピー!

実況「おおっとぉ!いまの発言に対してイエローカードが出されますね!」

解説「小悪魔ですねぇ。私もあの潤んだ瞳に見つめられたいです」

「つ、次の手紙を書きますぅ!」

時間は進んでいきます
いつでもどこでも、誰に対しても

当たり前のことを当たり前と思えることが、死んでしまうということなのかもしれません
当たり前のように会えていた人たちに、もう会えなくなるんだから……
涙が溢れるのを無視して、新しい便箋をひろげました

何人かの友達、765プロのみんな
綴じられた便箋は増えて、ボードの時間は減って……

どんどん冷たくなっていく空気に、かじかんでいく指
それでもペンを止めずに、1文字1文字を記していきました

手紙はあと1人分
あの人に…プロデューサーに送る手紙

残り時間は22分
なんとか、書き上げることができそうです

最後の便箋をひろげて、1文字目を書こうとしたときでした

公園の入り口の方から聞こえた、ガシャーン、っていう音
慌てて目をやると、倒れた自転車と女の人

ペンと便箋をベンチに置いて、急いで駆け寄りました

「だ、大丈夫ですか?」

倒れた赤色の自転車と、女の人
ジャケットの上からでも、お腹が膨らんでいるのが分かりました
妊婦さん…みたいです

「ちょっと立ちくらみが…大丈夫です」

「向こうにベンチがありますから、少し休んだ方が……」

ベンチにの方に目をやると、真ん中の黄色い服の人が腕時計を確認していました
ボードの数字は20分ちょうど

手紙……
プロデューサーへの手紙……
だけど……

やっぱり、放っておけないですぅ!

肩を貸してベンチに座らせてから、ハンカチを差し出しました

「怪我とかしてないですか?血が出てたら、それで……」

「ありがとう…怪我は無いから大丈夫です……」

お腹を擦りながらそう言った女の人を見ながら、また当たり前のことを考えました

あぁ、私は母親にはなれなかったんだな、って
大股で1歩の距離
半年でやっとそこまで縮まった距離は、もうそれ以上、縮まることはないんだな、って

そんな当たり前のことを考えていたら、やっぱり涙が溢れてきました

「ど、どうしたの!?えっと…このハンカチ使って!」

ジャケットのポケットからハンカチを取り出した女の人
だけど、私の手には自分のハンカチ

「あ、ハ、ハンカチ持ってるのよね。えっと…どうしよう…泣かないで……?」

「ご、ごめんなさい…大丈夫です…えへへ……」

泣き顔で言われてもぜんぜん説得力無いかもしれませんけど……
だけど、なんで泣いてるか説明するのは無理だと思うから

「…アメ…食べる?メロン味だけど……」

今度はアメを差し出した女の人
助けたはずなのに、私の方が気を使われちゃってます……

「いただきます……」

口の中に広がるメロンの味
私の人生で、最後の味

「赤ちゃん、いらっしゃるんですよね?お腹の中に」

「うん。いま6ヶ月。女の子なの」

綺麗なお母さんだから、可愛い娘さんが生まれるんだろうな、なんて、呑気に考えていました
残り時間のことは、もう気にしませんでした

「楽しみですか?生まれてくるのが」

「うん、もちろん!だけど…怖いのももちろん」

―旦那、死んじゃったから……

雲で覆われてしまった空に、その言葉が溶けていくような気がしました

「ごめんなさい…私……」

「き、気にしないで!あなたは何も悪くないよ!」

「どうして…亡くなったんですか……?」

「事故でね。5ヶ月前に。妊娠が分かる前に……」

女の人は、静かな口調で旦那さんのことを話してくれました
どこにでもいる、普通の人だったこと
不器用で、愛してる、なんて言ってくれる人ではなかったこと
それでも大好きだったこと
そして……

「居眠り運転の車からね、小さな男の子を助けたの。だけど自分は…ね」

…同じ
私と、同じ!

旦那さんにも同じように、精算する時間が与えられたのかな?
だとしたら…何を遺したのかな?

「不思議なことがあったの」

先に口を開いたのは、女の人の方でした

「亡くなったのは仕事先の千葉だったんだけどね。指輪をね、届けてくれたの。金婚式の分だ、って」

あぁ……
それを聞いただけで、私には全てが分かりました
たぶん、誰も信じてくれないお話
だけど、本当のお話

旦那さんは届けたんです
自分の残り時間を使って
走って走って走って
間に合うかどうか分からないのに、この人のために、走って

「汗まみれで部屋に飛び込んでくるなり、指輪を突き出してね。愛してる、って。いままで一度も言ってくれなかったのに」

「そのあと、旦那さんは……?」

「すぐに飛び出して行っんだけど引き返してきて、キスして、また飛び出して行って……それが最後」

「不器用…ですね」

「ホントにね!だけど私は…もっと器用に生きて欲しかったかな。私より長生きするくらいに…ね」

実況「ひょっとして、あのときの……」

解説「ええ。あのときの男性でしょうね」

黒い服の人が私の前に立って、ボードを掲げました

【0:05】

あと5分……
そろそろ、行かなきゃ

「あの、私…そろそろ……」

「あ、ごめんなさい!助けてもらった上に、こんな湿っぽい話まで」

「いえ。アメ、ごちそうさまでした」

便箋の束をバッグに詰め込みながら立ち上がると、女の人がなんだかモジモジしなが言いました

「えっと…いまさらごめんだけど…テレビとか出てる……?」

「ふぇっ!?は、はい!765プロダクション所属の、萩原雪歩と申しますぅ!」

実況「深々と頭を下げましたねぇ。礼儀正しいです」

解説「不器用なのは彼女も同じ、ですね」

「やっぱり!綺麗な顔してるなぁ、って思ってたんだよね」

「そ、そんなことないです!私なんてひんそーでちんちくりんで……」

「まだまだ大きくなるよ!これからこれから!」

「…だと…嬉しいです。えへへ……」

実況「嬉しいですか?」

解説「私はいまのままがいいです」

「あの、ごめんなさい!私、行きます!」

「あっ!名前!あなたの名前は?」

「萩原雪歩ですぅ!雪の上を歩くで、雪歩!」

―応援してるね!

その言葉を背中に受けながら、私はまた走りました
あの交差点に向かって
最後の場所に向かって

主審「……」ハァハァ

副審1「……」ハァハァ

副審2「……」ハァハァ

第4の審判「……」ハァハァ

「……」

また5人とも息を弾ませながら、あの交差点に帰ってきました

止まったままの車
残り時間は2分

主審「……」スッ

「あそこに倒れていればいいんですか?」

主審「……」コクリ

「辛いお仕事ですね……」

審判団「!?」

バッグの中から取り出した1通の手紙
それを真ん中の黄色い服の人に渡しました

主審「!?…!?!?」

「えへへ…みなさんにも書きました。私の最後を看取ってくれる人たちだから…私に残り時間を下さって、ありがとうございました」

主審「……」クルッ

実況「背中、向けちゃいましたね」

解説「目から汗が流れたんでしょうね」

車の前に仰向けになって目を閉じました
不思議と、怖くはありませんでした
そして、あの女の人のことを考えました

「いえ。アメ、ごちそうさまでした」

便箋の束をバッグに詰め込みながら立ち上がると、女の人がなんだかモジモジしなが言いました

「えっと…いまさらごめんだけど…テレビとか出てる……?」

「ふぇっ!?は、はい!765プロダクション所属の、萩原雪歩と申しますぅ!」

実況「深々と頭を下げましたねぇ。礼儀正しいです」

解説「不器用なのは彼女も同じ、ですね」

「やっぱり!綺麗な顔してるなぁ、って思ってたんだよね」

「そ、そんなことないです!私なんてひんそーでちんちくりんで……」

「まだまだ大きくなるよ!これからこれから!」

「…だと…嬉しいです。えへへ……」

実況「嬉しいですか?」

解説「私はいまのままがいいです」

「あの、ごめんなさい!私、行きます!」

「あっ!『ゆきほ』ってどんな字なの!」

「雪の上を歩くで、雪歩ですぅ!」

―応援してるね、雪歩ちゃん!

その言葉を背中に受けながら、私はまた走りました
あの交差点に向かって
最後の場所に向かって

残された人たち
ある日不意に、なんの前触れもなく

それでも、時間は進んでいきます
いつでもどこでも、誰に対してでも

―あの二人が幸せになりますように
―私の大切なみんなと同じくらい

「コースモース コッスモッス とーびだーしーてゆく」

目を開けて、あの曲を歌いました
お祈りの代わりに、歌を

「あっ……」

実況「雪、降ってきましたね」

解説「ええ。天気予報は、当たりのようです」

明日には積もるかなぁ
私の好きな、雪

【0:00】

ピッ ピッ ピーーー!!!

―――――――

―――――

―――

~10年後~

「あの!」

「はい?」

彼が声をかけたのは、小さな女の子を連れた母親だった
3年前にチーフプロデューサーになってからスカウトは部下に任せっきりで、そのせいか少し緊張しいるようだった

「少しだけお時間よろしいですか?お手間は取らせませんから」

「いえ、あの、急いでいるので……」

慌てて名刺を取り出し、母親に差し出した

「単刀直入に申し上げます。娘さんをウチの事務所にスカウトしたいんです!」

訝しげに名刺に目をやった母親は、驚いたように彼を見返した

「765プロダクションって…萩原雪歩さんの!?」

「雪歩、知ってるんですか!」

母親の傍らにいた小さな女の子が彼を見上げながら言った

「私も雪歩だよ?雪の上を歩くで、雪歩」

「えっ!?」

母親は少し寂しそうにはにかんだ後、彼に話し始めた
10年前の、あの日の話を

あの日の公園で出会った、一人の少女
便箋の束を膝の上に乗せて、自分の話を聞いてくれた
ほんの短い時間だったけれど、心が安らいだ気がした

冬の空気のように透明で、少しオドオドしていて、だけどとても綺麗だった

「雪の上を歩くで、雪歩ですぅ!」

そう言って走り去る背中に「応援してるから!」と叫んだ
帰りの本屋で、彼女の記事が乗っている雑誌も買った

そこに書かれていた、デビュー曲の紹介
すぐにインターネットで予約した
765プロダクションのことも調べた
まだ売れっ子というわけではないけれど、どのアイドルも輝いて見えた

―応援していこう

本気でそう思った

そして次の日……
ニュースで彼女の死を知った
公園からほど近い交差点で、小さな男の子を助けて、だけど、自分は……

「旦那と同じだったんです。亡くなった原因が」

そして少女の髪を撫でながら言った

「この子はまだお腹の中にいて…でも、生まれたら貰おうって。雪歩って名前を」

―5月生まれなんですけどね、この子

照れたようにそう言うと、今度は手を握りしめた
少女も、小さく握り返した

彼は少女に向かって腰を屈め、静かな口調で語りかけた

「雪歩ちゃん、アイドルって分かるかな?」

「テレビの中にいる人……?」

「あはは、正解。でもね、テレビだけじゃないよ?写真にも映画にも流れてくる歌の中にも、アイドルはいるんだよ」

そして、誰かの心の中にも
ずっと変わらずに、生き続けていくことだって

「雪歩ちゃん、アイドル、やってみませんか?」

そう問いかけられた少女は戸惑ったように母親を見た
けれどその瞳には、すでに輝きが満ちているように思えた
だから母親は、静かに頷いた

「私、アイドルになりたいです!」

まだ誰の足跡もついていない新雪の平原
その上を、かつて少女は歩き始めた
オドオドしながら、ビクビクしながら、そしてそれでも、前を見つめながら

その足跡は途切れてしまったけれど、今日、新しい足跡が刻まれた
またどこかで途切れてしまうかもしれない
だけどきっと、忘れ去られることはないだろう

彼女たちが記した足跡は、消えることはないのだから



お し ま い

終わりですー
貴音のロスタイムに影響されて書きました
読んでくれた方、ありがとうございました!

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