和「あの夏の名残」 (30)

咲和。短いです

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例えば夕暮れの帰り道。

または、目を焼く陽射し。

弧を描くスプリンクラーの水。

遠雷の震える響き。

彼女の姿を思い浮かべようとすると、いつもあの夏の風景の中だ。

15歳の彼女が、あの夏にひとり立っている。

どんな表情をしていたのだったか思い出せない。

その事が、ひどく胸を抉って。


*****

過去の夏を見ていた目の焦点を書棚に戻し、和は目当ての本に指を伸ばす。

一冊を抜き取って装丁を確認する。

ああ、確かこれだ。

あの頃の彼女が、手にして読んでいた本。

きっかけは偶然手にとった本の表紙に既視感を覚えた事だった。

どこで見たのだったかとしばらく眺めて、白い手に収まっていたその本の記憶が蘇った。

それを買って読み、家の書棚に立て掛けた2日後にはこうして記憶を辿りながら書店に立っていた。

そのために空けた一段は、もう中程まで埋まっている。

あの棚が全て埋まったら。

それでもう彼女を思い出すことはするまい。

あの書棚は彼女への想いの墓標だ。

弔いに投げ込む本を、和はこうして選んでそこへ運ぶ。

探し当てた一冊だけを手にして会計へ向かう途中、新刊の積まれた平台が目に入った。

掲げられたポスターに大きく書かれた名前は確か彼女が特に好んでいた作家のものだ。

近付いて手に取ると、すぐ隣の山から同じ本を取り上げる白い手が見えた。

記憶の中の手と重なって、思わず目線を上げる。

咲「…和ちゃん?」

和の視線が口許に辿り着いたのと同時に名を呼ばれて、

頭を強く揺さ振られたような衝撃に慄いたのは一瞬。

眩暈を堪えて、彼女の名前を呼んで返した。

和「咲さん…」

久し振りと言う目の前の彼女は少し髪が伸びて、見慣れない服を着ていた。

咲「偶然だね」

和「はい…お久しぶりです。元気でしたか?」

咲「うん。和ちゃんも元気そうだね」

思っていたより冷静な声が出せたことに安堵するも、

挨拶を済ませてしまえばもう言葉は出て来ない。

何か言わなくては。

心中で焦りながら、ただ咲を見つめる和の視線をどう解釈したのか。

自分の体を見下ろし、ああと納得したような声を発して咲が口を開いた。

咲「この寒い中薄着すぎだって?今日は車なんだ。上着は車の中だよ」

和「そうなんですか…」

咲「それにしても何年ぶりだろうね。高校卒業以来…あ、その後いつだったか会ったね。3年ぶりくらい?」

3年と、4ヶ月2週間振りだ。

しかし和はそうですねと頷くに留めて、女々しい記憶力を押し隠す。

最後に会ったのは大学一年の夏。

優希に誘われて待ち合わせ場所に行くと咲がいた。

三人で食事をし、その後麻雀をした。

思えば牌に触れたのもあれが最後だ。


和「照さんは元気ですか?」

そう聞いたのは最後に会った時に、サンマじゃ面白くないからと咲が照を呼んだのを思い出したからだ。

すると咲は笑って言う。

咲「どうかな。最近会ってないから。電話では元気そうだけど」

和「そうですか。照さんも忙しそうですしね」

和は麻雀を辞めたが、それでも照の話は聞こえてきている。

高校を卒業すると同時にプロ入りし、今や押しも押されぬトッププロとして華々しく活躍している。

そうだねと言う咲を見て、彼女はこんな風な笑い方をするのだったかと考える。

いや、3年以上も経っているのだ。人は変わっていく。

変わらないのは、自分のこの想いだけだ。


手に持った本の表紙が咲の目に入らないようさりげなく裏返し、改めて咲の姿を見た。

伸びた髪は彼女の幼い顔立ちをほんの少し隠し、

ふっくらとなだらかだった頬はもう子供に例えられるような線ではない。

21歳の、咲。

きっともうあのセーラー服は似合わない。

自分の想いに気付いた高校の時の彼女の面影が脳裏にちらつく。

咲「和ちゃんはこの後どうするの?」

和「家に帰るだけです」

咲「じゃあ、乗って行く?送るよ」

記憶よりも僅かに低くなった声で、彼女が言う。

頷いてしまいたい衝動を息を呑み込むことで抑えつけて、首を横に振った。

和「いえ、いいです。引っ越しましたから。知らない道は大変でしょう」

咲「そっか。それじゃあ、また」

和 「はい」


また、はもう無い。

3年4ヶ月2週間、お互い連絡を取らなかったのだ。

つまりはそういう事だろう。

手に持ったままの新刊を棚に戻そうとした時、咲が立ち止まって振り返った。

咲「あ、それ面白かったよ。私の好きな本」

指差しているのは、新刊ではなく裏返した文庫本。

ふわりと笑った顔はやはりあの頃とは違ったけれど、

あの頃と同じように和の心を根こそぎ浚っていく。

それじゃあと再び歩き出した彼女の後ろ姿がゆっくりと遠くなっていく。

和は自宅の小さな墓に埋めるつもりの本に目を落とした。


自分は、あの頃から彼女が好きだったのだ。

きっと初恋だった。

それと気付かぬくらいに、幼く淡い。

だがそれはじっと静かに燃え続けて、今も。

今も。ここに。


何を考えたわけでもない。

だが和は持っていた本を手近な棚に放り投げ、大股に歩き出す。

その脚は段々と速くなって、ついには走り出した。

駐車場に向かう彼女の姿を捉えて、更に速く。

和「咲さん!」

大声で名を呼ばれた彼女に驚いた様子はない。

呆れたように、ほっとしたように、目を細めて言う。

咲「ずいぶん遅かったね」

どういう意味かは後で聞こう。

今はあんな小さな墓などには収まりそうもないと気付かされたこの気持ちを。

埋めたって燃え続け、やがてまた姿を現すだろう自分の想いを、ただ聞いて欲しい。

彼女の真っ直ぐな瞳に映る自分の姿が見える距離まで、あと数歩。

もう何年も堪えて来たというのに、その数歩が怖ろしい程もどかしかった。

足を大きく動かす。

あと、一歩。


*****

窓の外を流れる景色を目に映しながら、和の意識は右隣に座る咲に集中していた。

咲は平素と変わらぬ涼しい顔でハンドルを操る。

危なげない運転に、少しの驚きと安堵を感じた。

彼女の性格は運転には案外向いているのかもしれない。

さっきはそれどころではなかったが、この車も彼女らしくシンプルで深い青が良く似合っていた。


和「咲さん!」

そう叫んだ和の声に振り返って「ずいぶん遅かったね」と咲は言った。

彼女の瞳だけを見つめてもどかしく距離をつめると、和は手を伸ばして両肩を掴む。

本当なら抱き締めてしまいたかったのだが、僅かに残った理性が和の手を咲の肩に留めた。

数秒、見つめ合う。

衝動のままに飛び出して来たものの、何を言うかなど考えていなかった。

ただ和の裡にあった咲への想いが溢れ、全身を満たし、動かした。

今、自分の頭も心も、身体さえも占める言葉はたったひとつ。

それを伝えようとして口を開いた時、すいと咲が目を逸らした。

冷水を浴びせられたように胸が冷える。

だが それを頭で受け止める前に咲がぼそりと言った。

咲「乗って」

和「え?」

咲「車、乗って。とりあえず」

和「咲さん、私は…!」

咲「ちゃんと聞くから。二人きりで」

そう言われて、ここが大通りに面した駐車場だという事を思い出した。

だがそんなことに頓着している場合ではない程に和は熱に駆られていた。

とても待てない。

その気持ちを込めて咲を見れば、逸らしていた目を戻して怒ったような声を出した。

咲「私、今までさんざん待ったんだよ。和ちゃんだって少しは待ってくれたっていいでしょ」

あと数分数十分くらい何だっていうの。

そう言ってキーを操作してドアを開けると、さっさと運転席に乗り込んでしまった。

取り残された和に向かって「早く乗って」という声は少なくとも拒絶の色をしていなかったので、

慌てて助手席に滑り込んだのだ。


彼女はさんざん待ったと言った。

この状況で、それが和の事を指す以外には考えられないと思うのは愚かな勘違いだろうか。

甘い期待に心臓が強く脈打つ。息が苦しいくらいだ。

どうかそうであって欲しい。

これほどの想いが受け入れられないと分かれば、自分の心臓は止まってしまうかもしれない。

咲に生殺与奪の権を握られた和は、彼女がどこに車を走らせているかも聞けずに黙って息苦しさに耐えていた。

咲「寒い?」

咲の声にびくりと体が跳ねて、誤魔化すように大きめの声で返事をした。

和「いえ…大丈夫です」

咲「そう?震えてるみたいだったから」

片手を動かしてエアコンのスイッチを操作する咲の横顔を眺める。

頬の肉が薄くなったものの、こうして見ればあの頃とさほど変わらないようにも見えた。

15歳の彼女が夏の空と共に脳裡にふわりと現れる。

目の前の横顔と重なって思い出せないと半ば諦めていた、

あの頃の彼女の表情が見えた気がして和は思わず目を閉じた。


*****

咲「着いたよ」

静かな声に呼ばれて目を開ける。

フェンスに遮られた水辺の向こうを、飛行機が離着陸するのが見えた。

和「ここにはよく来るんですか?」

咲「うん。車を買ってから、ごくたまにだけど」

咲が何を思ってここに来ていたのかは知らないが、そこに自分を連れて来てくれた事が和の心を暖めた。

そうだ。自分は知らない。

この3年4ヶ月2週間の咲も、あの頃咲が隠していた気持ちも。

ずっと見ないようにしてきたからだ。

肝心な事は、何も。

どうにもならない、できないと諦めて、見えていたものも見えないふりをした。

だが咲は自分をここに連れて来てくれた。

手遅れじゃないと、そう思っていいのだろうか。

降りようかと咲がドアを開ける。

和も外に出た。渇いた風が頬をくすぐる。

飛行機の音が遠くなったり近くなったりするのを聞きながら、和は彼女の名を呼んだ。

和「咲さん」

黙ってこちらを見る咲の瞳が、夜を映して濡れたように光る。

その目に映るもの全てを自分にも見せて欲しい。

今まで一緒に見てきたものも、自分が気付かず見逃したものも、見えないふりをしたものも。

今咲の中にある、咲の心も全て、何もかも。

ひとつ残らず受け止めてみせるから。

だから、自分のこのたったひとつの心を受け取ってほしい。


和「咲さん。好きです」

咲「…遅いよ」

小さく言った咲の瞳に自分が映っているのが見えた。

ええ、確かにずいぶん遅くなりました。

だけど手遅れじゃないんでしょう?

あなたも私が好きだと、臆病な私が正面からあなたを見るのを待っていたと。

そう言ってください。

ぽろりと一粒だけ零れた瞳をそのままに、咲は微かに笑った。

それを正面から見てしまった自分はもう待てない。

ぐいと引き寄せて、胸に収めた体を強く抱き締めた。

慌てたように身じろぐ咲に少し笑う。

和の背に回された手がしがみつくように握られた。

胸の中でつぶやく声は和にしか聞こえない。

だが和はもう一度ぎゅうと強く抱き締めた後で少し腕を緩めて、咲の髪に唇を押し当てた。

ゆるりと目を細めて、今度は顎に手を添えて。


二人の頭上をチカチカと赤い光を瞬かせて飛行機が飛び立った。

何機も。何機も。


カン!

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