喜多見柚「涙のあとには」 (25)

まだそんなに遅い時間でもないのに、なんだか薄暗い。

今のアタシの心と同じ色をした空は、今にも泣き出しそうで――

「……はぁ」

本日何度目かのため息は白いモヤモヤに変わって、空気に溶けて消えて行く。

アタシの中のモヤモヤも、こんな風に消えてなくなってしまえばいいのに。

なんて考えてたらまた一つ、ため息がこぼれ落ちた。

「なんだろうなぁ……なんでだろう?」

最近はなんだか面白くない。失敗してばっかりだ。

失敗するから面白くないのか、面白くないから失敗するのか……。

自分でもよくわからなくなった。

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きっかけは些細な事だった。

面白いことを探してぶらついていたアタシは、人集りを見つけて駆け寄った。

「なになに!何やってるの?」

聞くとドラマの撮影をやっているらしい。見せてもらおうと思っていたそんな時だった。

良かったら出てみるかい?なんて言われて、エキストラとして通行人の役をやったんだ。

テレビに出るのなんて初めてで、セリフもないような通行人なのにすっごく緊張して。

それでもドキドキして、ワクワクして!止められなくて!

ただ歩くだけなのにすごく楽しかった時間は、あっという間に終わってしまって……。

その日、通行人Aだった喜多見柚は、アイドルの喜多見柚になった。

アイドルになってからは、レッスンの連続だった。

最初から順調だったなんてことはもちろんなくて、何度も失敗して怒られて。

それでもあの時のドキドキが、ワクワクが忘れられなかったから頑張って。

喜多見は本当に楽しそうに踊るな、なんて褒められたりもして……。

そうこうしている内に、バックダンサーとして呼ばれるくらいには成長して。

ステージの上は、あの日よりももっとドキドキして!ワクワクして!楽しくって!

学校の友達に、柚が踊ってるトコ見たよーとか言われるのが少し嬉しかったりして。

アタシは見る見る間にアイドルの仕事に夢中になっていった。

あんなに楽しかったはずのアイドルの仕事なのに――

今のアタシの心には、重い雲のようにのしかかっている。

「なんか……ダメだなぁ、アタシ」

こんな調子になったのは他でもない、アタシのメインステージの話が出てからだ。

嫌だったわけじゃない。というよりも、嬉しかった。

その話を聞いた日の夜は寝付けないくらい興奮して、授業中に寝ちゃって先生に怒られて。

でもそんなコトは全然気にならないくらい、すっごくすっごく!嬉しかった!

誰かの作るステージを後ろから眺めるんじゃなくて、アタシが作るステージ。

それがどんなにキラキラして見えるのか想像もつかなくて、ワクワクが止まらなかったんだ。

それからのレッスンは、少しハードになった。

今までよりも複雑なステップ、今までよりも鋭いターン、指先の表情だって今までよりも細やかに。

今までよりもたくさん失敗したし、今までよりもたくさん怒られた。

でも、それが辛かったわけじゃない。

今までよりもちょっと頑張って、怒られながらちょっとずつ踊れるようになっていって。

うん。踊れるようにはなった……なったんだよ。

そこから先が、そこから先こそが問題だった。伸びなくなったんだ。何も……。

真剣味がないだとか、もっと本気でやれだとか、やる気はないのかだとか、そんな怒られ方をするようになった。

やる気はあるよ!真剣にやってるよ!?ふざけてなんかないよっ!?

アタシは!アタシは……っ!!

モヤモヤした気持ちのまま、あれこれ考えて。

頭の中がグルグルなっちゃって……。

「寝よう。うん。今日はもう寝よう!そうしよーっ!」

いつもならまだ遊んでる時間だけど、そんな気にもならないし。

考えてたって落ち込むばっかりで何にも面白くないし。

こんな日はまっすぐ帰って、さっさと寝てしまおう。

大きな声で、沈んだテンションを無理に上げて。

重い足取りも、レッスンで鍛えた足に無理やり力を込めて少し軽やかに。

こわばった表情の顔は、そっとフードで隠して。

これでいつも通りのアタシ。

きっと――いつものアタシのはずだ。

「おはようございまーす」

寝て起きて、それでもやっぱりモヤモヤは晴れなくて。少し沈んだ気持ちのまま事務所に顔を出した。

「おはようございます、柚ちゃん。今日は一番乗りですね」

笑顔で迎えてくれた事務員のちひろサンに、おはようと返す。いつもの光景だ。

一番乗りとは言うけれど、うちの部署はまだ人数も多くないし珍しいコトじゃないんじゃないかな?

それにちひろサンの方が先に来ている。当たり前のことなのかもしれないけど。

「おう、柚。おはよう」

と、そこに珍しい顔があった。Pサンだ。

珍しいというのは言い過ぎかもしれないけど、最近は外回りの仕事が多いみたいで会えてなかったんだ。

「Pサンが居るなんて珍しいね。雨でも降らない?大丈夫?」

なんて冗談を言ってみると、俺を何だと思ってるんだって困ったような顔で苦笑い。

担当アイドルをほったらかしてるんだから、少しくらい意地悪してもいいよね?

アタシのためにあちこち駆けまわってくれてるのは知ってるけど、きっと許されるはず。きっと。

「外回りばっかしてると書類仕事が溜まっちゃってさ、片付けておかないとちひろさんがこわ……いやなんでもない」

無言の圧力に負けたPサンは言葉を濁すと、視線をPCに戻して仕事を再開させる。

静かになった部屋に、カタカタとキーボードを叩く音が響いた。

「ところでさ、柚」

静寂に耳が慣れてきた頃、ふと言葉が投げかけられた。

「何かあったか?元気が無いようだけど……」

そんなことないよっ!?アタシはいつも通り元気いっぱいだよ!

ダンスだってちゃんと踊れるようになったし、心配いらないよっ!問題なしっ!

言おうとした言葉は頭には浮かんだけれど、口からは何の音も出てこなかった。

あれっ?おかしいな、どうしたんだろう。静かな部屋に慣れすぎたかな……?

「お、おい。柚?どうした?なあ、柚!?」

Pサンが焦ったような声を上げる。

アタシはどうもしてないのに、Pサンは突然どうしたんだろう?

なんて思ってPサンの顔を見上げると、何もかもが滲んで見えた。

そこで初めて、アタシは自分が泣いていることに気が付いた。

「……えっ?あれ?……なんで?」

悲しいことがあったわけでもなくて、泣くほどに悔しいことがあったわけでもなくて。

どこかが痛いわけでもないのに、涙は止まらなかった。

ポロポロ。ポロポロ。次から次からあふれ出て、止まらない。

拭おうと思ったのに、手は言うことを聞いてくれなくて。

ポロポロ。ポロポロ。冷たい涙は、頬を伝って落ちて行く。

「ちひろさん!俺、ちょっと柚のこと送ってきます!」

Pサンが慌てたように何かを言っている。

「は、はい。よろしくお願いします」

ちひろサンが心配したような声で何かを言っている。

混乱したアタシの頭では、何を言っているか理解できなかった。

「落ち着いたか?」

Pサンの車に乗せられて、どれだけ経っただろう。

見慣れない景色を眺めているうちに、いつの間にか涙は止まっていた。

うん!もう大丈夫だよっ!って言おうとしたけど、やっぱり体は言うことを聞いてくれなくて。

「うん……」

掠れたような声で、それだけ言うのがせいいっぱいだった。

それっきり会話は途切れて、言いようのない空気が車内を包む。

ときどきPサンが何かを言おうとして、飲み込んで。

何も変わらないまま、窓の向こう側の景色だけが動いているようだった。

そういえば、この車はどこに向かっているんだろう?

そんなことを考え始めた頃、エンジンの音が止まった。

辺りを見回してみると、どうやら自然公園のようだ。

バドミントンでもやるか?と聞かれたけど、そんな気分でもなかったから首を横に振った。

少し困った顔をした後、Pサンは車を降りてアタシの側のドアを開ける。

「少し、歩こう」

差し出された手を取って車を降りると、そのままギュッと手を握った。

戸惑った顔のPサンを見ると少し元気が出てきて、自然と笑顔になった。気がする。

いつまでたってもアタシが手を離さないから、結局そのまま歩き始めた。

寒くないかと聞かれて、大丈夫だよと答えて。そんな他愛もない時間が過ぎていった。

「ごめんな、柚」

いくらか歩いたところで突然立ち止まったPサンは、これまた突然謝ってきた。

「お前が大変なときに、そばに居てやれなかった。お前が大変なことに、気付いてやれなかった……」

真剣な眼差しをこちらに向けるPサン。

「本当にすまなかった。許してくれとは言わない、この通りだ」

深々と頭を下げて、アタシみたいな小娘に真剣に謝ってくる。

柚の初めての大きな仕事に浮かれていたコト、アタシがいつも元気だから安心しすぎていたコト。

自分の忙しさにかまけて周りを見るのを怠ったコト。

いっぱいいっぱい、Pサンは謝ってきた。

「プロデューサー失格だな、俺は……」

聞き捨てならないコトを、Pサンは自嘲気味に呟いた。

それは違うよ!Pサンは悪くない!

全然悪くないのかと言われたらそうじゃないかもしれないけど、全部全部Pサンのせいなんかじゃない。

Pサンがアタシのために頑張ってくれてたのを、アタシは知ってるよ!

アタシがワケわかんなくなっちゃったのはアタシのせいだ。少なくとも、半分は。

きっと本当はもっとアタシのせいなんだろうけど、ここは半分ということにしておこう。

言いたいことはたくさんあって、でも言えるように整理は付かなくて。

それでもこれ以上、Pサンの口から聞き捨てならないコトを聞きたくなかったから。

「Pサン……柚のお話、聞いて?」

アタシはちょっと強引に切り出した。

「最近さ、うまくいかないんだぁ……」

ダンスレッスンも、ボーカルレッスンも、ビジュアルレッスンも。何もかもがうまくいかない。

踊れるようになったけど、そこから先に進めない。

歌は覚えたけど、ただ歌えるようになっただけ。

いつも通りの笑顔のはずなのに、表情が硬いなんて言われる。

なんでも、表現がきちんと出来ていないらしい。

表現ってなんだろう?どうやったらうまく表現できるんだろう?

胸の内側に溜まったモヤモヤを吐き出すように、ポツリポツリとPサンに言葉を投げかける。

「アタシにはさ、何にもないんだ……」

あれ?こんなこと言うつもりだったっけ?

考えた覚えのない言葉が、次から次から溢れてきた。

「アタシには、トクベツすごい特技があるわけじゃない……」

バドミントンが得意だっていっても、別にプロ級の腕前があるわけじゃない。

「スタイルだって、トクベツ良いわけじゃないし……」

悪いわけじゃないと思う。思いたい。出るトコは出てないこともないし、太ってはいないハズだし!

「アイドルを目指して、トクベツ頑張ってきたわけでもない……」

たまたまPサンに見つけてもらって、たまたまアイドルになっただけ。もちろん頑張ってはいる、けど。

憧れて、どうしてもアイドルになりたくて、長い間必死になって頑張ってきたわけじゃない。

「アタシには、何もないんだよ……!トクベツなものなんて、何一つ…!何も!何も……っ!」

言葉と一緒になって、また涙が溢れて。

気が付けばPサンにしがみついて、わんわん泣きわめいていた。

Pサンは何も言わずに、頭を撫でてくれた。

「柚は知らないかもしれないけどさ、俺が初めてスカウトしたアイドルは柚なんだよ」

本日二度目の大泣きが落ち着いた頃、Pサンが聞かせてくれた。

アタシより先に所属していたアイドルが居たことについて聞くと、オーディション採用や他部署からの転属だったらしい。

「まだノウハウなんて全く無かった頃に、それでもどうしても欲しいって思ったのがお前なんだ」

それって見る目がなかっただけなんじゃないの?と茶化すと、そう来たかと苦笑い。

「ともかくさ、柚は俺にとってはそれだけ特別なんだよ。お前の特別、それじゃ駄目か?」

なんてコトを真顔で言ってくるPサンは、ちょっとズルいと思う。

「それじゃー柚は、Pサンのトクベツってことで!へへっ♪」

気が付くと、アタシの中のモヤモヤは消えてなくなっていた。

なんてことはない。アタシは単純に、スキな人に見てもらえないのが不満だったんだ。

アタシはきっと、ずっと前からPサンのコトが――スキだったんだ。

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