橘ありす「といいますか、ラインやってません」 (40)

橘ありすちゃんがラインを始めるまでのお話です

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「といいますか、ありすさんはLINEというものをやっているのでしょうか?」

収録前のいつも喫茶店。最近の流行に逆行するような安くて美味しくない、一日に一度まとめて入れた珈琲を出してくれるこのお店にで私たちは今日も入り時間が近くなるまでの時間つぶしをしていました。
ランチタイムは比較的繁盛するものの、その時間を過ぎてしまえば閑古鳥が鳴いているこのお店は今日も相変わらずのようで、私達以外にほとんどお客さんは来ていないようです。
唯一いつもの風景と違うのは、普段は次の番組の台本や難しそうなハードカバーを捲っている文香さんの机の上に、スマートフォンが置かれていることでしょうか。

「今日は本は読まないんですか?」

根っからの文学少女である文香さんがあまりイメージには無いスマートフォンを前に固まっている今の光景に、どうしても居心地の悪さを覚えた私は率直に訪ねてみることにしました。

「...ええ。...普段、ありすさんには私の趣味に合わせて頂いているところが多くあるので...私もありすさんが好まれているガジェットというものに挑戦してみようとおもったのですが...どうも難しくて...」

「そんなことですか、私に任せてください」

「よろしくお願いします。...画面が勝手にくるくる動いてしまうのと、アプリを終わらせる方法が知りたいのですが」

なんだ、そんなことですか。と、私は慣れた手つきで画面を下端に指を添えてそのまま上に撫で上げました。

「これをコントロールセンターといいます」などと私が説明するたびに文香さんは「はあ」とか「へぇ」などといつもの落ち着いた優しい声で相槌をいれてくれたおかげで、私も自分のペースを乱すことなくアプリを終わらせる方法まで上手に説明ができました。
それほど難しい操作でもなかったこともあり、どうやら文香さんにもうまく説明が伝わったようで「...ひとつ悩みが減りました。...ありがとうございました」と、やわらかくはにかんでくれました。

文香さんの笑顔は、ときたま同性の私すらどきどきさせられます。
私はずっと、「素敵な女性」というのは美城常務のようなパリッとしたビジネスマンのような方をイメージしてきまし、将来はそういった大人になりたいと考えてきました。
ですから、私も事務所に入ったころはそういった大人の方の下でたくさんのことを学びたいと思っていました。
ですが、、今私がご一緒させていただいているのは、言葉は悪いかもしれませんが、正反対の性格の文香さんです。

そして、今の私はこの環境を整えてくださったプロデューサーさんと、文香さん自身にとても感謝しています。
嘗てならこの環境にまた頭を悩ませていたことだろうと思うと、きっと私は、変わりつつあるでしょう。
そして、きっとそれはとても良いことです。

「せっかくなので、私がおすすめするアプリをご紹介します」

せっかく文香さんが話題を用意してくださったんです。
私もできる限り、この話題で盛り上げて沢山お話をしましょう。
何よりも、文香さんとお話するのはとても楽しいことですから。

「ところで、ありすさんはラインというものをやっているのでしょうか?事務所の皆さんが話していらっしゃって、少し興味があるのですが」



そうです、文香さんとのお話はとても楽しいのです。
こうやって、予想もしなかった展開になるのですから、、、

「っていうか、橘ってまだラインやってねーの?」

突然、まるで予想をしていなかった話題を振られたことで私が蹴飛ばした石ころは右に大きく反れて、溝の中に落ちて行きました。

「相変わらず橘は下手くそだなー。ちゃんとレッスンやってるのか?」

収録の合間、私を無理やり外へ連れ出して子供みたいな遊びに付き合わせている晴さんが、けらけらと向こう側で笑っています。

「あ、貴方が急に変な話をするからでしょう!今どんなニュースが
世の中をにぎわせているか分かっているですか?」

私の頭の中に浮かんだのは、既婚男性とのLINEという韓国産のコミュニケーションアプリを通した仲睦まじいやりとりを流出させ、記者会見で頭を下げていた女性ハーフタレントではなく、眉尻の下がった文香さんの顔でした。

ありすさんとプロデューサーさんと、三人でラインでお話できれば...楽しいと思ったのですが、と、言って下さった文香さんの顔を思い出すと、胸がギュッとなります。

「あのさー、橘はずっと個人情報の流出がどうこう言ってるけど、あんなもん事故だよ事故。ハーフタレントの件はラインがどうこうの話じゃないって」

「そういう話じゃないんです。私がああいったSNSを使いたくないのは、そもそも必要性がないからです。メールや電話じゃどうしていけないんですか?」

私は晴さんから転がってきた新しい石を靴の内側でとめ、蹴り返しながらそう答えました。
少し強く蹴りすぎたからでしょうか、巻き上がった砂ぼこりが私の衣装を汚します。

「いや、だって便利だぜ?通話無料だし、皆でグループ作って一緒に話しできるし」

「3キャリアかけホーダイの時代に通話が無料なのはもう何のメリットでもないですし、別にメールでも皆で会話はできます」

そもそも、みんなスタンプを送りあっているだけで実のある会話なんてほとんどしていないことを私は知っています。
私がしたいのは、そんな会話ではないのです。

「あ、ちょっと待ってな。Pからラインだ」

そう言って晴さんはポケットからスマートフォンを取り出して、プロデューサーと話し始めました。
手持無沙汰になった私は、自分のアイフォンで時間を確認するふりをして、着信の有無を調べます。
予想通り、私の着信履歴は前に見た時と変わらずに母親からの着信がトップに残ったままでした。
プロデューサーさんはいつも、手慣れているからという理由で電話ではなくラインの通話機能を使うのです。

そうやって、ラインを使っている他の皆とプロデューサーさんの距離は、ラインを使っていない私を一人取り残したままどんどん縮まっているように思えます。
前に、「どれだけ低くても情報流出のリスクがあるアプリを仕事に使うのは社会人としてどうかと思う」という話はしたのですが、残念ながら聞き入れて貰えませんでした。

「ここは、私が大きく一歩を踏み出すべき場所なんでしょうね」

きっと、私は誰よりも上手にラインを使いこなすことが出来ないでしょう。
メールには無い既読システムにイライラするでしょうし、返信を待たずになんども追伸を送ってしまうかもしれません。
既読の表示が分からなくなるように、真っ白な画面を背景にして周りに引かれてしまうかもしれません。
晴さんや梨沙さんに比べて、ちっとも震えない自分の携帯電話に自己嫌悪に陥る日はきっと一度や二度では済まないでしょう。
それでも私は、一歩を踏み出すべきなのでしょう。
本当に大切なものを取りこぼさないために。

「わりーわりー、ライン終わったぞ!」

「晴さん、私。ラインを始めようと思います」

「、、、、、、えっ?」

「おう、おはよう!橘ありす」

事務所のドアを開けると、いつもどおりの飄々とした笑い顔でプロデューサーさんが私のフルネームを呼び上げました。

「もういい加減にしてください......ありすって呼んでくれて構わないので、フルネームで呼ぶのは勘弁してください、、、」

どういうわけか、私とプロデューサーさんの1日はこのやりとりから始まります。

「あはは、そうだったな。ごめんな、ありす」

そう言ってプロデューサーさんは私の頭をとんとんと撫でました。

ほっぺが緩まないように気を付けながら、プロデューサーさんをきっと上目で睨みつけるまでの一連の流れが、私は決して嫌いではありません。
この短いやりとりだけは他の誰かには無い、私とプロデューサーさんだけのものです。
こういったつながりを、私はもっと沢山作りたいと思いました。

「あ、あの。プロデューサーさん?」

「お、どうしたありす。この前のテストの結果が返ってきたか?」

「いえ、そうではなくて」
「私、ラインを始めようと思うんです」

こんな恥ずかしい話、他の誰かに聞かれるわけにはいきません。

ちょうとプロデューサーさんとちひろさんしか居ない今がチャンスと、さっそくながら打ち上げてはみたのですが、もしかしたら食いつくような形になったかもしれません。
プロデューサーさんにびっくりされていないだろか、と顔を覗き見ると何故かとてもやさしい顔をしていました。

「え、なんですかその顔は?変な顔してないでさっさとラインをダウンロードしてください」

「いえ、あのありすちゃんがラインを始めると思うと、どうも感慨深く思えてしまえまして」

「え、というか俺がラインのダウンロードから設定までするの?」

「当然です。もともと一番最初に私にラインを進めてきたのはプロデューサーさんです。言い出した人が責任をもってやるのは義務でですから」

今回のラインや、以前登録したツイッターのようなSNSを始めるにあたって、私のような人間には越えなければならない2つの壁があります。
1つはそもそも始めるまでの壁。
2つ目は友達登録の壁。
きっと事務所の皆さんも、そしてプロデューサーさんも誰もそんなことを気にしたり、そもそも考えたりもしないことは分かっているんですけど、どうしても自分の好意が相手に知られてしまうような気がしてとても気恥ずかしいんです。

そこで、設定をお願いしてしまえば、気が利くプロデューサーさんのことですから少なくとも自分のアカウントの登録、ツイッターで言うところの相互フォローまではやってくださるでしょう。
もしかしたら気を使って、私が仲のいい事務所のアイドルを何人かはフォローしてくださるまであるかもしれません。
そこまでしてくだされば後は流れです。
と、ひとりであれこれ考えているうちにプロデューサーさんが私にやけにぶるぶると音を鳴らしている携帯を返してくれました。
ん、、、震えている?

「ほい、登録しといたぞ。パスが必要なところは誕生日を入れておいたから、あとで好きな数字に変えて「ちょ、ちょっと待ってください!」

「なんですかこれは!?通知が止まらないんですけど!」

さっきからひっきりなしに震えるスマートフォンには事務所の同僚の方々からひたすらラインが届き続けています

結城 晴:お、本当に始めたんだな!よろしく!

鷺沢文香:ありすさん...ラインでも、今日の収録でも、よろしくお願いします。

「おおー、さすがありすだな。人気者でうらやましいぞ!」

塩見周子:ありすたーんよろしくー

岡崎泰葉:ありすちゃんもついにライン始めたんだね。よろしくね!

双葉 杏:(よろしくのスタンプ)

「そんな話をしているんではありません!この200人以上登録されてるフォロ―はなんなんですか!あの一瞬で何をしたんですか!」

フレデリカ:マイフレンドありすちゃん、あなたの友人フレデリカです。以後お見知りおきを

池袋秋葉:前に言っていた情報流出が心配なら私がスマホを改造してやる。存分に使いたまえ

「ああー、なるほど。ありすは何か勘違いしてるな」

諸星きらり:にゃっほーい! ありすちゃん!ラインでも、ハピハピ☆

本田未央:未央ちゃんだよー☆今日は夜通しラインで話そうね!

「ラインは電話帳のデータをそのまま拾ってくるので、ありすちゃんが今やってるツイッターのように自分で友達をフォローする必要が無いんですよ」

大槻 唯:ありすちゃーん!今度のレッスンの時、い~っぱいナイスなスタンプ教えてあげるねー☆

多田李衣菜:このスタンプめっちゃロックじゃない!?


「SNS疲れみたいな記事で纏めて扱われているから、極々たまに勘違いしてる人もいるからなー。いろんなニュースを見てるのがあだになったな」

そ、それは予想外でした。
でも今はそれ以上に

アナスタシア:アリス、友達、登録なってます。アリス、呼んでいいですか!?嬉しいです!

渋谷 凛:よろしく。ところで、登録名ありすになってるけど、大丈夫?

「どうして皆フルネームなのに私だけありすなんですか!?こんなのおかしいです!」

輿水幸子:フフーン!可愛い僕とライン友達になれるなんて、ラッキーですね!

「え、フルネームは勘弁してくださいって言わなかったっけ?」

こうやって、私のライン生活は散々な形で始まりました。
当初の目的とは違いますけど、事務所の皆さんとの距離は縮まったような気はします。
もちろん、ラインを通してですけどプロデューサーさんと話をする機械も増えました。
こうやって一歩一歩、私は踏み出していくのです。
ショパンがどうだとか、私だけの料理だとか、そんな特別さなんてものは必要は無くて、きっと大切なのは友達に恵まれていたりだとか、楽しくお話ができることだとか。
こんな出来事をとおして、私は少しずつ学んで、成長していくのでしょう。

終わりです!読んでくださった方、ありがとうございました!

乙ありです!

最期に過去作だけ置かせていただいて、HTML化出してきます。

ありすラジオ
http://elephant.2chblog.jp/archives/52137034.html

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