【アイマス】霧の虜囚 (69)

※あまり明るい話ではありません※

・地の文
・アニマス20話の妄想
・元ネタもあり


よろしければお付き合いください

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――アイドルに興味はありません。私は歌が歌いたいんです

私は歌いたい
違う
歌わなければならない
あの子が好きだと言ってくれた私の歌を
私のすべてを犠牲にしても、捧げなければならない
それが私の償いだから

あの子を、優を、見殺しにした私の



  『アイドル如月千早の隠された真実』

 
        『家庭崩壊…歌姫に一体何が!?』


知られたくなかった過去
折り合いをつけたと思っていたのに
過去に追いつかれ、衆目に晒され
欺瞞を暴かれた
その代償に選ばれたのは、歌だった



***************************


『ねえ、歌って』

ごめんね、あの時助けてあげられなくて。

『歌ってよ』

ごめんね、お姉ちゃんもう歌えないの。

『ねえ……』

ごめんね、お姉ちゃんの歌、好きって言ってくれたのにね。
ごめんね………
ごめんね……
ごめんね…


……あれからどれくらい経ったのだろう。
目には何も映らず、耳にも何も入ってこない。
今が朝なのか夜なのかも判然としない。
世界が霧に包まれたようで、音も光もぼやけていた。

救えなかった優のために歌うと誓った。
あの子が好きな私の歌を。
天国の優が寂しくないように。

これは、罰なのだ。

光射すステージで歌うようになり、そこに楽しみを見出すようになって。
あまつさえその喜びを分かち合う仲間に恵まれた。

だから、これは、罰なのだ。


歌えなくなった私に、価値はない。
なのに、なぜ私は生きているのだろう。

あの子はもう、ここにはいない。
なのに、なぜ私は生きているのだろう。

優に謝りに行かなければならない。
なのに、なぜ私は生きているのだろう。


停滞した空気を打ち破ったのは、呼び鈴の音だった。
霧の中を彷徨っていた思考が浮かび上がってくる。

「千早ちゃん、いる? 春香だけど」

扉の向こうから漏れ聞こえる声。
その主は春香だった。
扉の向こうに春香がいる。
春香の声が何かを訴えかけてくる。

どこか遠くに響く春香の声。
無感情に答える自分の声は、別の誰かが喋っているようだった。

いくつもの言葉が素通りしていく中、それでもわかってしまった。
春香は、私のことを心配している。
春香だけでなく、他のみんなもまた、同じなのだろう。

私には、あなたたちに想われるような価値はない。
それなのに、心の何処かが嬉しさを訴えている。

駄目なのに。

こんなことでは、優がもっと遠くに行ってしまう。
だからこそ捨てることにしたのに。


その言葉だけは、はっきりと聞こえた。
優の想い、私の想い。
誰にもわかるはずはないのに。
ほかの誰でもない、春香がそこに踏み込んできた。
だから、許せなかった。

「また一緒に歌えたら、私たちも嬉しいし、天国の弟さんだってきっとよろ――

「やめて!!」

決定的な壁を作る、拒絶の言葉。
そんな言葉が重苦しい空気を震わせる。

「春香に私の、優の何がわかるのよ!! もう、お節介はやめて!!」


まだこんな声が出せたという皮肉。
歌えないくせに。
身も心もえぐるような自問で自らを傷つける。
この痛みこそ、今必要なもの。

何かを落としたような音が聞こえ、やがて扉の向こうの気配が遠ざかる。
何かは分からないが、家の中に上げておこう。
何故そんなことを考えたのかは、分からなかった。

自分のものとは思えない体を無理やり動かし、扉を開ける。
そこには物で膨らんだ紙袋があった。
袋の中には、みんなの思いやりが詰まっているのだろう。
泣きたくなるような暖かな想いが。

だから、私はこれに触れてはいけない。
私にそんな資格はない。

無造作に積まれた未開封の段ボール。
その横に、新たなオブジェが追加された。
視線を引きはがすと、すっかり慣れ親しんだ霧の中に蹲る。

どこか遠くで、高く澄んだ鈴の音が響いていた。


***************************


――哀しい何かがあった気がする
――絶望してしまうような何かがあった気がする
――人間一人を根底から変えてしまう、何かが


「………ゃん、……え……ん」

遠くから声が聞こえてくる。
懐かしい声、慣れ親しんだ声。
その声に導かれるように、意識が浮上していく。

「……ちゃん、起きてよ」

「…………んん、……優?」

「起きて、もう朝だよ」

薄く目を開けると、窓から差し込む光がその姿を浮かび上がらせていた。
懐かしい姿、慣れ親しんだ姿。
そして、少しの違和感。

何か夢を見ていた気がする。
優も私ももっと小さかったころの夢。
そこで、何かがあった気がするのだけれど。

「……優、いつの間にそんなに大きくなったの?」


夢と現の狭間で、ふとそんな言葉がこぼれた。
当の優はというと、呆れたような顔をしている。

「何言ってるの? 寝ぼけてないで早く起きてよ。遅刻しちゃうよ」

…………遅刻?
……ああ、そうだ学校だ。

正常に動き出した頭が、状況を理解し始めた。
早く起きないと。
新学期早々に遅刻したとあっては目も当てられない。

「起きた? じゃあ先に降りてるからね」

私が覚醒したのを見届けて、優は階段を下りて行った。
ほんの少し、夢に引っ張られたままの頭をふるい、ベッドから起き出す。


「………変な夢………だった気がするのだけど」

生々しい実感を伴った夢だった……と思う。
両手から砂がこぼれ落ちるように、大事なことは思い出せない。
それなのに、すりガラスの向こうほどにも姿が見えないのに、何かが引っ掛かっている。

「……涙?」

机に立てかけた鏡を覗くと、目が赤くなっていた。
目じりにも涙の痕跡がある。
一瞬だけ浮かんだ夢の面影は、けれど溶けるように消えてしまった。

「気にするだけ無駄……かしら」

現実的な問題として、時間の余裕がなくなってきている。
いくら考えても分からないものは分からないのだから。
少し強引に思考を切り替えて、制服に手を伸ばす。


――――――
――――
――

制服に着替え、身だしなみを整えてから食卓に着く。
トーストの香ばしい匂いが、起き抜けの空腹に響いてきた。

「おはよう」

「おはよう、今日は遅いな」

読みかけの新聞から顔を出した父は、もう食後のコーヒーを飲んでいる。
時計を見ると、いつもより30分は遅い時間だ。

「そうなんだよ。さっきなんてお姉ちゃん寝惚けてて……」

「もう、わざわざそんなこと言わなくていいでしょ?」

余計なことを言いそうな優に、慌てて釘を刺す。
身内とはいえ、寝起きの失態を暴露されるのは気分のいいものではない。


「まだ、慌てなきゃいけない時間じゃないからいいけど……はい、どうぞ」

「ありがとう母さん、いただきます」

わざわざ温め直してくれたスープを一口。
その熱が体の芯から広がって、だんだんと思考もクリアになっていく。

「じゃあ行ってくるよ」

「行ってらっしゃい、あなた」

新聞の代わりに鞄を手に玄関へと向かう父と、見送りのために席を立つ母。
そんないつもの光景を横目に、トーストへと手を伸ばす。


「早くしないと僕まで遅れちゃうよ」

優はそう言って口をとがらせる。

「あら、別に無理に待たなくてもいいのよ?」

「へー、わざわざ起こしてあげた弟に、そんなことを言うんだ」

このところ、優は随分と口が回るようになってきた。
ここで不毛な言い争いをするより、手早く朝食を済ませたほうが建設的だろう。

「わかったわ、私の負け。もうちょっと待ててね、優」

そんな他愛のない会話をしながら、いつしか夢のことはすっかり忘れていた。


***************************


  それは、幸せな日々だった
 
    絶望とは無縁の、暖かな日々だった


***************************


「おはよー、千早」

教室に入るなり、明るい声が飛んできた。
クラスメイトであり合唱部の仲間でもある彼女は、いつも通りの笑顔を浮かべている。

「おはよう」

「いつもより遅いけど、何かあった?」

私はどちらかというと時間通りに動くタイプで、彼女はその反対だ。
それなのに彼女は私の登校時間を覚えている。
ただそれだけのことなのに、ちょっと嬉しかった。


「……ちょっと夢見が悪くて」

「それで寝坊? 大丈夫?」

「大丈夫よ、ありがとう」

言葉にするまでもなく、大丈夫なのは伝わっていたのだろう。
とりあえず確認してみた、という響きだった。

「それに、もうどんな夢だったかも覚えていないし」

何か引っかかるものを感じるのだけれど、それ以上のことは何もわからない。
なら、気にするだけ無駄というものだろう。

「ま、そんなもんよね」

学生としては、よくわからない夢の話より、もっと切実な問題がいくらでもあるのだから。


「ところでさ、千早~」

少し甘えた声で、下から覗き込むような仕草をして見せる。
彼女がこういう態度をとる時、決して気を許してはならないことを、私はすでに学んでいた。
彼女にも切実な問題がある、ということだろう。

「どうかした? 課題なら見せるつもりはないけれど」

だから、ニコリと笑って先回りしておく。
新学期早々、彼女が早めに登校していた理由はおそらくそれだろう。

「そ、そんな……じゃあ私は、一体誰を頼ればいいの!?」

彼女は大げさな身振りで芝居を打つ。
思わず笑ってしまいそうになったけれど、ここは我慢しなければならない。

「課題は自分の力でおやりなさいませ」

澄ました顔で突き放す。
我ながらいい演技だと思う。


「うぅ、お願い千早。今度何かおごるから」

……うん。
謝礼としては悪くないかな。
それに、この寸劇に教室の視線が集まりつつある。

「……本当は自分でやらなきゃだめなのよ?」

「ありがとう! 神様仏様千早様!!」

さっきまでの落ち込んだ様子はなんだったのかしら。
お互い演技だと分かっていても、何となく腑に落ちない。
よし、少しだけ意地悪をしよう。


「この前雑誌で特集されてたカフェ、気になってたのよね」

「……え゛」

「ありがとう、やっぱり持つべきものは友だちよね」

「……えっと、千早? そこ確か値段が一桁違ってなかった?」

そう、確かに気にはなっていたのだけれど。
学生が気軽に行けるような値段設定のお店ではないのだ。
以前二人してため息をこぼしたのだから、よく覚えている。

「じゃあ止める? 私は別に困らないし」

精一杯、意地の悪い笑顔で尋ねる。
これくらいはしないと、私に頼る悪い癖は治らないだろうから。

「うぅぅ……鬼ぃ、悪魔ぁ………」

無念で仕方がない、という表情を浮かべる彼女。
……ちょっとやりすぎたかしら?

「これに懲りたら次から自分でやりましょうね」


***************************


      ごく普通の、ありふれた日常

 
 
   振り返って気付く、宝物



***************************


夕食後の団欒の一時。
優はテレビにかじりついている。

「優、もう少し離れなさい。目が悪くなるわよ?」

「……うん」

母の言葉も右から左。
優は、画面の向こうで歌って踊るアイドルに夢中になっている。


「なんだ優、その子が好きなのか」

そう言ったのは父だった。
こういう方面に疎い人からの言葉に、意外な思いで尋ねてみた。

「父さん、知ってるの?」

「ああ、部下がその子のファンでな。写真やら何やらしょっちゅう見せられるんだ」

俺にはよくわからんのだが。
父の顔にはそうも書いてあった。


そうこうするうちに、お目当ての子の出番が終わったのだろう。
優がテレビの前から離れる。
父も母も、そんな様子に苦笑を浮かべている。

「優はその子のどんなところが好きなの?」

幼いころは、よく私に歌をせがんできた弟。
その弟が離れて行ってしまうような、妙な寂しさに押されて、そんな風に問いかける。

「うーん………すごく楽しそうなところ、かな」

「楽しそう?」

「そう。この人、アイドルが好きなんだなぁって。なんだか見てるこっちも楽しくなってくるんだ」

飛び抜けて歌が上手いとも、パフォーマンスがすごいとも感じなかったけれど。
優の言葉は何となく腑に落ちた。

アイドルは人に夢を与える、と誰かが言っていた気がする。
夢の舞台を全力で楽しむことが、誰かの夢につながっていくのならば。
それは凄いことなんだな、と。
そんな風に感じた。


「お姉ちゃんは、アイドルやらないの?」

取り留めのないことを考えていると、優から予想外の問いが飛んできた。
私が……アイドル?

「だってお姉ちゃん歌うまいし、歌うの好きでしょ?」

優は、それが当たり前であるかのような顔をしている。
確かに歌は好きだけれど、それを仕事に、と考えたことはなかった。

「考えたことなかったわね。それに……」

「それに?」

「好きなことを仕事にすると、好きなだけではいられなくなりそうで」

仕事とすることで介入してくる様々な要素。
それらは、ただ好きなように歌うことを許してくれなくなりそうな気がする。
もしそれで歌が嫌いになってしまうようなことがあったら。
私は、それが怖かった。


「ふーん、そうなんだ」

たどたどしい説明に、優はまだ納得していないようだった。

「僕、お姉ちゃんの歌好きだけどな。元気になれるし」

ふと、幼いころの情景が思い浮かぶ。
歌う私と、笑う優。
二人だけのコンサート。

「お姉ちゃんがアイドルになったら、僕みたいなファンがいっぱいできると思うんだけど」

目の前の情景が切り替わった。
ステージに立つ私と、たくさんの観客。
客席を埋め尽くす青い光……

「……っ!」

今のはいったい……?
初めて見るのに見たことがあるような、不可解な光景。


「どうかしたの?」

優がちょっと心配そうな目をしている。
その目を見ていると、さっき幻視した光景が泡のように消えてしまった。

「何でもないわ。私がアイドルなんて、想像も出来なくて」

説明の術もなく、ほんの少しの違和感だけを抱えて誤魔化す。
私は、何を見たんだろう。

「そうかなぁ? ファン一号の僕としては、アイドルのお姉ちゃんも見てみたいんだけどなぁ」

ファン一号。
その言葉は素直に嬉しくて、アイドルという選択肢を考えだしてしまっていた。
……現金なものね。


***************************


   家族との団欒、友人との交わり

      当たり前で、だからこそ大切なもの


***************************


「ねえ千早? こういう時って、少しくらい遠慮するものじゃないの?」

休日の昼下がり、私は例の友人ととあるカフェに来ていた。
課題を見せた報酬を受け取りに、である。

「何言ってるの。ここで遠慮したら、いつまでたっても私に頼る癖に」

「うっ……いや、否定は………できない、ケド」

「ほら見なさい」

だから私は心を鬼にしているのだ。
簡単には手が出なかったものが食べられると、舞い上がっているわけではない。
……決して、ない。


「でもさ、ちょっと手加減してくれても……」

小遣いのやりくりが大変なのは私も彼女も同じらしい。
でも、だからこそ、こういう機会を逃したくはない。
……そんなことを考えているわけでもない。

「あなたを思えばこそよ。これは愛の鞭なの」

「………うぅ」

どうやら誤魔化され……、分かってくれたようだ。
そろそろ厳めしい顔も限界に来ていたので助かった。
……まぁ、私も全額出してもらうつもりではないのだけれど。


「……わかったわ。それなら私にも考えがあるの」

注文したケーキセットが届くころ、彼女はそうつぶやいた。
何だろう、凄く不穏な感じが漂っている。

「ねえ千早」

まずは紅茶で口の中を潤していると、そう声をかけられた。


「この前告白されたでしょ。その話、洗いざらいしゃべってもらうからね?」

「っ!?」

何とか口の中のものを噴出さずに済んだ。
そのことを褒めてもらいたいと、そう思わずにはいられない不意打ちだった。

「…………どこでそれを?」

「私の情報網を甘く見ちゃ駄目よ? それに……」

「それに?」

「千早って、そもそも隠し事できないし」

彼女が言うには、私はすぐ顔に出るらしい。
何かあると察していろいろ聞いて回っていると、今回のことが露わになったとのことだ。


「で、どうしたの?」

「どうって……普通にお断りしたわよ?」

「へ?」

正直に答えたのに、間の抜けた声を返された。
何かおかしなことを言ったのだろうか。

「だって、特別お付き合いしたいとか思わなかったし」

「……はあ」

今度はため息を吐かれてしまった。
私としては、ごく自然な対応をしたつもりなのだけれど。
相手との接点もあまりなく、通り一遍のことしか知らなかったのだ。
他にどんな選択肢があったというのだろうか。


「試しに付き合ってみたらわかることもあるでしょうに」

そんな説明を付け加えてみたら、考えもしなかった返答をされた。
試しに付き合う?

「それ、相手に失礼じゃない?」

少なくとも、私は嫌だ。
………そんな経験もないので、想像だけれども。

「何言ってんの。お試しでもOKなら、告白した方は嬉しいでしょうに」

そういうもの、なのだろうか。
話を聞いていても何かがしっくりこない。
……根本的に、恋愛というものに疎いだけなのだろうか。


「そもそも、なんで私だったのかしら」

「…………は?」

素直な疑問をぶつけたのに、返ってきたのは呆れ声だった。
この子は何を言い出すのか。
そんな目をしている。

「だって私、無愛想だし、キツイこと言うし、女らしい魅力にも欠けていると思うんだけど……」

言葉とともに視線が下がる。
コンプレックスとは言わないが、やはり気にはなる。
私と彼女を無意識に見比べて、どうしてこうも違うのか、なんて考えてしまう。


「千早、この際だから言っておくけど」

紅茶を一口飲んで、彼女はそう前置きした。
いつもより一段声が低くなっている。
こういう時の彼女は、真剣に相手のことを考えているのだと知っているから。

「愛想がない? そりゃ、千早はちょっと人付き合いに不器用なところはあるわよ」

だから、私も真剣に耳を傾ける。

「でもその分、相手のことをしっかりと理解しようとしてるの、私は知ってる」

……だから気軽に告白を受けるなんてできなかったのだけど。

「それに、千早がキツイこと言うのって、相手を思いやってのことよね。少なくとも私は、一方的に何か言われた覚えはないわ」

もう少し言い方があったんじゃないかって、いつも反省するのだけど。
そう言ってもらえるのはとても嬉しい。

「普通なら怖いことだよ。だからこそ、それができる千早は凄いと思う」


一息でそこまで言って、残りの紅茶に口をつける。
そして、また少しトーンを変えて言葉を続ける。

「あとさ、千早って、ちゃんと鏡見てる?」

「……ええ、もちろん」

どいういうことだろう。
質問の意図がわからなかった。

「本気で自覚ないのね……いい? 千早は美人なの」

「………………へ?」


……美人? 誰が? ………私?
この上なく間の抜けた顔をしていたのだろう。
彼女は呆れ顔をしていた。

「……こりゃ重症だわ」

勢いをつけるように紅茶を飲み干した彼女は、身を乗り出して言葉を続ける。

「千早はね、半端なアイドルじゃ勝てないくらいには美人なの」

いや、でも……あの、え?
混乱しきっている私に、彼女はさらなる追い打ちをかけてきた。

「おまけに歌ってるときに千早は可愛いの。それでモテないわけないでしょうよ」

か、かわっ……!?
本格的に脳の容量をオーバーしそうだった。

「ちなみに、これは合唱部の総意だから」

そう言う彼女はとびきりの笑顔をしてみせた。
でも私は、相変わらずパニック真っ最中だった。


――――――
――――
――

「落ち着いた?」

「……ええ、まあ、一応」

せっかくのケーキも、あまり味を覚えていない。
……もったいないなぁ。


「あらためて言うけど、千早は人から好かれるに値する人間なのよ?」

何のためらいもなく、真剣な表情で言い切られた。
信じていいと、そう思わせるに足る表情だった。
……面と向かって言われるのは非常に恥ずかしかったけれど。

「他でもないあなたの言葉だものね、信じるわ……まだちょっと自信はないけれど」

「……千早のそういう表情、卑怯よね」

私は今、どういう表情をしているのだろう。
何がどう卑怯なのだろう。
皆目見当がつかない。


「無自覚だから尚更タチが悪いというか……」

頬に手を当てる私に、ジト目を向ける彼女。

「ま、そこも千早のいいところではあるけど」

小さなため息とともに呟かれた言葉。
私としては、勝手に納得されても困る。

「できれば本人を置き去りにしないでほしいのだけど」

「いいのいいの」

ひらひらを手を振る彼女に取り付く島はなかった。
彼女がこういう態度をとるのなら、私が気にすることではないのだろう。
……若干納得いかない部分はあるけれど。


「ところでさ、千早はアイドルとかやらないの?」

「……へ?」

つい最近、同じようなことを聞かれた気がする。

「さっきちょっと言ったけどさ、ビジュアルは問題ないし、歌もうまいし」

その問いに対して、優にしたのと同じような答えを返すと。

「惜しいなぁ」

彼女はそうつぶやいた。

「惜しい?」

「千早って楽しそうに歌うしさ、聞いてる方にもそれが伝わってくるのよ」

聞いていると元気になれる。
歌にそれだけの想いを乗せて届けることができるのは凄いことだ。
彼女はそう付け足した。


「なんていうのかな、そんな風に力のある歌を歌えるのにもったいないっていうか」

そうなのだろうか。
いつも一緒に歌って、すぐ近くで聞いている人の言葉なのだからそうなのかもしれない。
……歌の、力。

突然、見覚えのない光景がよぎった。

狭い部屋で、一本のマイクを前に歌う私。
ガラスの向こうでは目を見張っている数人の人たち。
その後ろで、満足そうに笑うメガネの男性……

これは何?
私は、こんなものは知らない。
……本当に?


「どうしたの千早? 大丈夫?」

どうやら私は呆けていたようだ。
彼女が心配そうにのぞき込み、そう尋ねてきた。

「……舞台で一人で歌うって想像したら、ちょっとゾッとしちゃって」

咄嗟に誤魔化しはしたけれど、納得してくれたのかどうか。

「きっと私、みんなで一緒に歌うから楽しいのよ」

それは、偽らざる気持ち。
一人で大勢の前に立つ度胸なんて、私にありはしないのだから。

「まぁ、そう言ってくれるのは仲間冥利に尽きるってものだけど……」

少し照れた様子で彼女は言う。
そう、仲間と一緒だから。
だから……

結局、アイドルの話は有耶無耶に終わってしまったけれど。
何かが、引っかかっていた。


***************************


  穏やかな日々、不意に感じるズレ
  
    その意味を、知らなければならないのだろうか

 知りたくは、ないのに


***************************


ある日の夕暮れ、私は少し寄り道をしていた。
学校からの帰り道、少し外れた丘の上に公園があった。
そこからの景色はそれなりに開けていて、気分転換をするにはちょうど良かったから。
少し、頭の中を整理したかった。

見たことのない、知っている光景。
会ったことのない、知っている人。
聞いたことのない、馴染みの曲。

私が、私でない感覚。

その違和感は突然訪れ、気付いた時には過ぎ去っている。
思い返そうと、言葉にしようとすると、あっという間に姿が掻き消えてしまう。
それが何かもわからないのに、何かがあるという感覚。
まるで深い霧の中に迷い込んだようで。
考えれば考えるほどわからなくなるのに、それでも考えてしまう。


「……考えても仕方がないのだけれどね」

胸の内の霧を払うように、意識して声に出す。
ひょっとしたら、それは単なる逃げなのかもしれないけれど。
少しだけ、気分が軽くなった気がした。

昨日と同じ今日が来て、今日と同じ明日が訪れる。
そうやって、何でもない日々を積み重ねていくものだと思っていた。
でも、それは違うらしい。


「アイドル、か」

きっかけは多分、この言葉。
何となくそんな予感がする。
何故と言われても、答えようがないのだけれど。

答えはすぐそこにあるような気がするけれど。
どうやったら辿り着けるのかがわからない。
道を記した地図はあるけれど。
その読み方がわからない。

「堂々巡りね」

頭の中を整理して、気分転換しようと思っていたのに。
結局はもどかしさが募っただけだった。
せっかく寄り道をしたのに、結果がこれでは報われない。


なら、無理やりにでも気分を変えよう。
頭の中を空っぽにして、思いつくまま歌おう。


 ~~~♪
   
   ~~~~♪


幼いころ、優によくせがまれた歌。
少し昔の流行歌。


歌っていると、あのころの気持ちを少し思い出した。
ただ歌うことが楽しくて。
聞いてくれる人が笑顔になるのが嬉しくて。

それはまるで、魔法だった。

「……そう、だったわね」

それが私の歌う理由。
私の歌が、誰かを笑顔にできるのなら。
さっきまでと違って、アイドルという言葉が輝いているように見えた。

遠く、鈴の音が聞こえた気がした。


――――――
――――
――

自室に戻ると、机の上に小さな木箱があった。
手のひらに収まる大きさの、上品な細工が施された箱。

「オルゴール?」

いつかどこかのお土産屋さんで見た、そのままの姿をしていた。
でも誰が、いつ、こんなものを?
当然の疑問に行き着いた時、強烈な違和感に襲われた。


違う。
これはずっとここにあった。
私が気付けなかっただけだ。


言葉にならない不気味さが、背筋を震わせる。
その一方で確信に満ちた声が響く。

 このオルゴールに答えがある。
 ふたを開ければ答えがわかる。

立ち竦む私を労わるような声が聞こえてきた。
思わず流されたくなる、優しい声だった。

 これを開けたら戻れなくなる。
 これを開けたら帰らねばらならない。
 なら、見なかったことにすればいいじゃないか。


声は止まない。
目を閉じ、耳を塞ぎ、蹲ってしまいたかった。
でも、そうしても無駄だと、私はどこかで理解していた。
なぜなら、すべては私の内から響く声だから。

そして、分かってしまったことがある。
これを開けると、見たくないものを見なければならない。
開けずにいると、不可解な思いを抱き続けなければならない。

「………開けてみなければ何も始まらない、ということね」

意を決して口を出す。
何があるかは分からないけれど、違和感に悩み続けるのはもう沢山だった。

恐怖が私を抱きすくめる。
でも、ここで逃げて誤魔化して、欺瞞を抱えて歩いたとして。
いずれは向かい合うことになるのだろう。


ならば

震える手をオルゴールへ伸ばし

ふたを、開けた

https://www.youtube.com/watch?v=tIF7fFumljw


優しく、力強く、あたたかく
慈しむように、奮い立たせるように

そんな想いが伝わってくるメロディ。
誰が、誰に?
私は、知らないのに知っていた。


瞬間、閃光のように数多の光景が駆け抜けてく。

春香がいた、美希がいた、真がいた、律子がいた。
水瀬さんがいて、高槻さんがいて、亜美がいて、真美がいて。
我那覇さんも、四条さんも、萩原さんも、あずささんも。
社長や、音無さん、プロデューサーもいた。

みんなの顔が通り過ぎ、私の前には小さな靴が落ちていた。
……優の、靴。

ああそうか。
今の私は、私ではなかったのか。


「お姉ちゃん」

私の前に優がいる。
本当は会ったことのない、成長した優。

「……優」

駆け寄り、抱きしめる。

「優!!」

目から熱いものが零れ落ちる。
ちゃんと顔を見たいのに、視界が滲んでいく。


「ごめんね。僕、お姉ちゃんの弟じゃないんだ」

 いいの。
 そんなことはどうでもいいの。

想いが溢れて言葉が出ない。

「でも、お姉ちゃんに会えてよかった」

 違うの、それは私なの。

伝えたいことはたくさんあるのに、何も伝えられない。

「大丈夫だよ」

優しく背中を撫でる弟の手。
まるで、兄が妹をあやすように。

「ちゃんとわかってるから」


……遠くで鈴の音が聞こえる。
まだ何もできていないのに。
せっかく会えたのに。

「もう、お別れみたいだね」

そっと体を離す。
まだ私の視界は歪んでいる。

「最後にお願い、いいかな?」

鈴の音が近づいてくる。
必死に涙を拭う。

「……お姉ちゃんの歌、聞きたいな」


歌。
私と優を繋ぐ絆。
これが最後だというのなら。

呼吸を整える。
せめて、姉らしい姿を。

これまでの想い、すべてを乗せて歌う。
私も優も、笑えるように。

「ありがとう、お姉ちゃん」

鈴の音はもう、すぐそこに。

「大好きだよ」

私の歌と溶け合って。

光が、爆ぜた。


***************************


――哀しい何かがあった気がする
――幸せな何かがあった気がする


薄く目を開けると、見慣れた天井がそこにはあった。
いつもの光景、慣れ親しんだ光景。
そして、少しの違和感。

何か夢を見ていた気がする。
私がいて、優がいた夢。
そこで、何かがあった気がするのだけれど。


生々しい実感を伴った夢だった……と思う。
両手から砂がこぼれ落ちるように、大事なことは思い出せない。
それなのに、すりガラスの向こうほどにも姿が見えないのに、何かが引っ掛かっている。

「……涙?」

鏡を覗くと、目が赤くなっていた。
目じりにも涙の痕跡がある。
一瞬だけ浮かんだ夢の面影は、けれど溶けるように消えてしまった。


大切な、とても大切なものだった気がする。
決して忘れてはいけないもの。

けれどそれは、手の届かないところに行ってしまった。
……あの日の優と同じように。

もう、何をしても無駄なのだ。
もう、大切なものなど必要ない。

そうやって、すべての思考を放棄した時、来訪者を告げる呼び鈴が鳴った。
厭世と諦観で満たされた私の世界。
淀んだ霧に満たされた世界に、一筋の光が射し込んだ。


<了>

何となく思いつくままに筆を走らせました
見苦しい出来になっていないことを祈るばかりです

お付き合いいただきましてありがとうございました

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