クリスタ「ユミルを好きになるお話」ユミル「ほう」 (106)

『クリスタ———』



錆びついた鉄の匂いと、火薬の匂い、それと生臭さの中でわたしは目が覚めた。



今は朝だろうか、昼だろうか、それとも夜だろうか。暗闇の中では時間の経過は分からなかった。
そう言えば、どうして自分はここで寝転がっていたのだろうか。なぜ、みんな同じように転がっているのだろうか。


なぜ、転がっていると理解できるのだろうか。


視界の隅に、窓から差し込む光が過った。光が過った床面は赤黒く染まっているように見えた。
なぜ、この部屋はこんなにも気持ちの悪い匂いで満たされているのか。光はすぐに消えた。やはり、光の中でみんなが転がっているのが見えた。


今更ながらに、怖くなった。わたしは立ち上がろうとして、足が異常に重たいのを感じた。足が動かなければ、戦えない。


戦う?



————あいつらと、戦う?



そうだ、やらなければ食べられてしまう。クモの糸に絡まれるチョウのように、カマキリに噛り付かれるイモムシのように。
私たちは食べられる側なのだ。だから、いつも周りを見ておかなくてはならない。それが、壁の中だったとしても、やつらは壁を越えてくるのだから。ひと時たりとも安心できるはずなどないのだから。



———壁よりも大きなあいつらと、戦う?



こんなに不安を抱いていて、今にも張り裂けそうな心臓しか持ち合わせていないのに?


こんな筋肉のついていない身体で?


一人で?



———君は一人じゃない———



誰かが、最後に言い残して言ったような気がする。耳元に残ってはいたけれど、すぐに消えてしまうような、そんな砂礫のような印象。

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足を叩いてみた。


相変わらず鉛みたいで、わたしは目のふちが熱くなってくるのを感じた。ナイフの刃はすでに使い切ってしまっている。
同僚達のもすでに錆びきってしまっているだろう。使えるものもあるかもしれないが。


そうだ、そもそもガスが底を着いていたのだ。


ああ——


目が覚める前も、もしかしたら堂々巡りのように同じことを考えていたのかもしれない。
そうして、何もかも嫌になって脳みそが目の前の現実に付き合いきれなくなって、一度は別れを告げていたんじゃないだろうか。


一度は放棄した戦場に、なぜ、また私は戻ってきたのか。意識の有無などもはや今となっては、関係のないことなのかもしれないけれど。
最後の最後まで抗いたい、負けたくない、死にたくない。まさか自分がそんなことを?勝てるような相手じゃなくても?


違う——あいつらに会うために、食べられるために残りの人生を捧げるつもりなんてなかった。会いたいのは、もっと、別の———。
巨人の殺し方を教わって、食事をするように肉をそぎ落として、仲間の血に塗れているけれど。


いつも、夢見ていた。誰か、たった一人でいい。
たった一人の私に出会うために、生まれてきた———そんな人を、わたしは夢見ている。


でも、本当はわかっている。現実は残酷だと。そんな人はいないことも分かっている。


私は夢見ている。


それだけは分かっている。


だから、私は誰かのために死にたい。せめて私が犠牲になって、私が誰かの救いになれるように。ずっとずっと、それを人に求めていた。これだけ求めても、手に入らなかったようだけれど。


これだけ苦しんだのに、神様は与えてはくださらない。これじゃあ、希望なのか絶望なのか分からないじゃない。


ズシン————


地響き。何メートル級の足音だろうか。20mくらいはあるかもしれない。右方、僅かに視界を転じるが何も見えはしない。
敵が来たらどうするか。そう、まずはこちらが優位な位置に着く必要がある。


ここは?

恰好の的。壁にもきっと巨人が張り付ているはずだ。入り口からは3m級が侵入してきているかもしれない。


ミカサ——ミカサならどうしただろうか。この状況で、彼女は冷静にこの死体の山から使えるガスとナイフを探しせたかもしれない。
戦場においてカンの鋭い彼女なら、すぐに見つけられたかもしれない。


ふと、記憶の端に蘇る。最低限のガスで、巨人を鮮やかに三体撃退していた彼女の雄姿。人間とは思えない。
まるで踊っているみたいに、軽やかにしなやかに身体を捻らせて、鳥のように空中を駆けていた。
彼女の周りだけ、重力などないかのようにさえ思えた。


私の周りの人が、あいつがいれば大丈夫だってそんな話をしていたような気がする。


聞いただけで、頷きはしなかった。だって、その時、私の隣のユミルが———、自分がやらないで誰がやるんだって鼻で笑っていて———、そっちの方が印象に残っていた。


ズシン———


身体が横に揺れる。


『クリスタ———』


名前が呼ばれた。私の名前を知っているのか。今度の奇行種は、知能が高い。一人で勝てる相手じゃない。
怖いのに、自然と覚悟は決まっていた。今までも何度か思ったことだけれど、やっと解放される。


巨人と人類———本来、どちらが生き残るべきなのか。私と私の兄妹達———本来、どちらが生き残るべきなのか。


どうせ、間違って生まれたのだ。悪意に囲まれ、祝福もなくこの世に生を受けたのだ。
生きる意味があるのだろうか。利権のために飼い殺しに合うのと、巨人に食われるのならば——私は——。


ズシン———

ズシン———



「クリスタ!!!」

「きゃあ!?」


明るい世界に、私は視界を奪われた。くらっとして、こめかみを抑える。目の前では手の平が上下運動している。

「大丈夫か、クリスタ? 覚えてるか? おまえ、巨人に足を捕まれて……落ち着け、おまえ足折れてるかもしんないぞ」

「え?」


私は聞き返す。そう言うユミルの蒼白な顔に驚いていたが、立ち上がろうとして右足に鋭い痛みを覚えて我に返った。


「いっ……?!」

「ば、おまえ、いきなり動かす奴があるか……」


さっきまで何か夢を見ていた気がする。


「私……」


喉にも痛みと渇きを覚えた。声がかすれる。


「ちょいと数が多かったが、まあ大丈夫だ。先輩方がやってくれた。また、あいつらが壁を破壊して入ってこなければの話だが」


そうか、また大型の巨人が出現したんだ。


「……クリスタ。お前ホント生きてて良かったわ……っはあ」


喉が張り付いて上手く声が出なかった。心配してくれてありがとう。


「……」

「クリスタ? 喉乾いたか? ちょっと水もらってくるから、待ってろ」


小走りにユミルが部屋を出て行く。私はきょろきょろと周りを見渡した。
どうやら救護室のようだ。廊下ではカラカラと忙しなく何かを運ぶ音が聞こえる。


目まいがした。


まだ、生きていることに。

眠いのでまた明日です

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