貴音「ざ・まじっく・どらごん」 (67)

「うわっ」

 わたくしの声ではありません。
 寝言を漏らすほど、わたくしは落ちぶれてはおりません故。

 如何なる時でも気高く、そして荘厳に在れ。
 この生まれ故郷の信条だけは、いえ、それだけを誇りに、独りで生き永らえてきた今があるのです。
 じいやにあれだけ口を酸っぱく言われ続けたのです。いつ何時も忘れる訳がありません。

 そんな信条を胸に、何も変わることのない退屈な日々を生きるのです。
 何もない。わたくしだけの、毎日を。
 それは今日とて同じです。
 
 わたくしは、わたくしで在る為に。
 今日もまた、気高く在るのです。

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 目を覚ます時だって、例外ではありません。
 騒ぎ立て、砂煙を巻き上げてはしたなく飛び起きようものなら、わたくしはわたくしでなくなるのでしょう。
 
 急き起きることなど、以ての外。

 瞼は開ける時には、静かにゆっくりと。
 頭の先から尾先までは、まるで天界の聖鞭の様に。しなやかにそして美しく。
 刈安色の砂化粧を施された身体を洗う時も、ぐるぐると回り、激しく音を立てることなどありません。
 透き通った水に溶け込む様に、音も無く浸かるのです。

 全てはわたくしが、わたくしで在る為に。

 例えそれが、独りぼっちの入り江であっても。





「きゃああああああああ!!」

「うぎゃああああああああ!!」



 わたくしは、わたくしではなくなってしまいました。

「いやああああ!!」

 頭よりも身体が云々とは、正にこのこと。

 阿鼻叫喚、わたくしの身体は砂煙を巻き上げてはしたなく飛び起きました。
 久々に開く喉にとっても、それはあまりに酷な出番でした。

「ああああ!!」

 この入り江が幻だの伝説だのと云われる所以はその構造にあり。
 入り口から奥にかけて、上弧を描く様縦に膨らみ、窄まっていく洞窟なのです。
 永きに渡り人目に付かなかった理由は、島の端の端に位置しており、そしてその小さな入り口が、誰も寄りつかない様な岩々に紛れているからに他なりません。

 そんな洞窟の一番奥に、わたくしの寝床が在ります。

 そして、わたくしは仰け反る様に飛び跳ね起きました。

 結果は一つ。






「はうっ」

 ごん。
 重く、鈍い音を何処か遠くで聞いたわたくしの視界に、ゆっくりと幕が下ろされていきました。

 違うのです、じいや。
 誇りを失った訳など、ありません。
 あの様に、突然見知らぬ人の子を見れば誰とて。



 そう、見知らぬ人の子を。






 見知らぬ人の子?

 破裂音を発する程に、瞼を勢いよく開いたわたくしは、先程の声がした方向に顔を向けました。

 顔を向けた先には、見飽きた砂が爪程凹んでいるだけで、特に何がいるという訳ではありませんでした。
 しかし、よく見ればその砂の凹みが点々と続いているではありませんか。
 その凹みを目で追うと、一尾半程でしょうか、離れた処に、ぽてん、と胡座をかいて座る砂だらけの少女が。

 わたくしの視線と、少女の視線が、ぶつかります。

 その少女は八重歯を光らせながら、わたくしに問い掛けました。



「ホンモノ?」



 面妖な。






 なんと面妖な。

「どうしてここに」

「ねぇ、ホンモノ?」

「ほ、ほんものとは」

「ツバサがあって、シッポがあるんだもん」

「はい」

「それもすごく長いし、足も4つあるよ」

「う、うまれたときからですので」

「そのぎん色のかみの毛も?」

「そうだとおもいます」



「やっぱり、ドラゴンだ!!」






 わたくしを覗き込むくりくりとした丸い瞳が、とても輝いていました。

「ねぇ、さわっても良い?」

 そう訊くなり、少女は艶やかな黒い髪を揺らして、勝手にわたくしの身体を触り始めました。

「い、いけませ」

「あったかい!!」

 少女は大変気に入った様子で、わたくしの身体に抱きつきます。
 他の者に触られるのは、何時ぶりでしょうか。
 不思議と、嫌な気はしないような。



「ぷにぷにしてる」

 撤回、今すぐに離れなさい。

「おそろしくないのですか」

 わたくしがおかしいのでしょうか。
 そもそも人間と触れ合うこと自体が、有り得ないというのに。
 本当に、有り得ない、有り得ないと思いまして。

「こわいのか?」

 はい。
 わたくし貴女が非常に恐ろしいのですが。

「わたくしが? ありえませんね」

「じゃあ、自分もこわくない」



 なんと。

 少女の名前は『がなはひびき』。
 この島の住人だそうです。

 どうして此処に来られたのかは、自分でもわからない、とのこと。
 穴をくぐって、さらにくぐって、それでもくぐり抜けたら、たどり着いたそうです。

 わたくしが得ることの出来た答えは以上です。
 何故ならその後、がなはひびきによる、ひたすらに続く質問攻めが始まりました故。

 余程、龍という生命が珍しかったのでしょう。
 わたくしの身体について至る箇所の説明を求められた挙句、歩き方や飛び方、はたまた眠り方まで問われたのだから驚きです。

「わたくしはつねにけだか、……はて?」

「おなかすいたの?」

「ちがいます」

「じゃあはらぺこ」

「くうふくではありません」



 このちび助は龍を食いしん坊にしたくて仕方無い様ですね。
 なんと失礼な。

 いつの間にか背中に跨がっているひびきに、わたくしは訊ねます。

「ひびき」

「うん」

「どうしてわたくしのいうことがわかるのですか」






「ふふん」

「えっ」

 何故笑う。

 見かけに似合う軽快な身のこなしでわたくしの背中から降りると、どこか誇らしげに胸を張り、ひびきは続けました。

「自分、どうぶつのいうことわかるからね」

「なんと」

「すごいでしょ」






「それはもう」

 どこまで面妖なのでしょう。

「あんまーも『えー、ほんとにー? すごーい』って」

「いや、それは」

 彼女は更に平たい胸を突き出す様にしながら、口元をにやつかせています。

 述べるな、わたくし。それ以上は。
 時として知らない方が、良いことだってあるのです。

 ひびきはすごい。
 それで良いではありませんか。






「やっぱりおなかすいてるのか?」

「……ちがいます」

 表情も読めるのですね。

 突然の出会いから月日は経ち、そしてあれから毎日の様に、響はやって来るのでした。

 『我那覇響』とふらふらした文字で書かれた紙を、嬉しそうに見せてくれた日。

 学校でケンカした、と大粒の涙を零しながら駆け込んできた日。

 新しい家族が増えた、そう言いながら小さな子犬を連れてやってきた日。



 響のおかげで。
 色褪せ、何も無く過ごしていた時間が、思い返すだけで頬が緩む日々に変わったのです。






 そして同時に、そんな小さな、ささやかな時間にも関わらず、人間は成長することを知りました。

「おーい」

 今日は学校が無い日と言っていましたからね。
 最近よく見る制服とやらではなく、響らしい軽い見た目の格好でやってきました。

「来たよ」

「えぇ」

 いつの間にか履物を脱ぎ、素足で砂の上を歩く響。
 何かを背負っている様で、普段以上に足下を砂に取られています。
 しかし、そんなことを気にも留めること無く、響は白い歯をこちらに向けて笑うのです。



「嬉しそうだね」

「はい?」

「分かってる、自分が来たからね」

 そう言って、響は胸を張りながらにやにやとした表情を浮かべています。
 ずっと変わることのない、響の癖です。
 どこか憎たらしい顔に、あの頃の面影が見え隠れしています。

「いえ」

「嘘だ」

「なにゆえ」

「耳がピコピコしてるもん」






「なっ」

 ……耳?

「嬉しそうにしてる時って、いっつも耳がピコピコしてるもん」

「し、してません」

「昔からの癖さー」



 不覚です。
 わたくしにも、そんな癖があったとは。

 憎たらしい顔を浮かべ続けながら、響は隣に腰を下ろします。
 そして流れる様に、わたくしの身体に手を伸ばしました。

「ぷにぷにして」

「いけません」

「えっ」

「嘘はいけません」

「いや」

「いつからそんな悪い娘に」

「なんと」



 お腹はやめなさいと何度も。

 いつからでしょうか。わたくしよりも響の方が、物知りになったのは。
 響の話には、わたくしが見たことも聞いたこともない動物が沢山登場するのです。
 この海を越え、陸を越え、更には海を越えた処には氷の世界が在り、そこに住まう命についても博識なのだから、面妖です。

 わたくしが響を背中に乗せて、大空を舞う時もそうです。
 最初はしがみつくのに精一杯だった癖に、今では鼻歌交じりに寝そべっていることもあります。

「小さな頃はあんなにもちょこまかと可愛らしく」

「ちょこまかって」

「あぁ、今も小さな頃でしたね」






「歳の話だよね?」

 んふふ。

「今日は早いですね」

「一緒にお昼食べたくて」

「そうですか」

 朱くなってなどおりません。
 ただ、口元は緩んでいるかもしれませんが。
 そんなわたくしを置いて、響は何やら背負い袋を漁り始めました。

 響は偶に、私物を持って来ることがあります。
 それはとても便利で、面妖で。
 わたくしの胸を高鳴らせる物ばかりなのです。

「じゃーん」

 響は得意げに、銀色の筒と片手大の白い何かを取り出しました。

「何だと思う?」






「わたくしに分からないとでも?」

「えっ」

 白い何かはともかく、銀色の筒は幾度も似た物を見たことがありますから。
 大抵は鮮やかな色合いに、熊や獅子の絵が入っていたと思いますが。
 この天然娘は、何度も自分が持ってきていることを失念している様で、笑いを堪えるのに苦心します。

「すいとう、です」

「違うぞ」






「」

「惜しいんだけどね」

 ぐぬぬ。

 勝ち誇った表情を浮かべながら、響は筒を軽く振りました。

「魔法びん」

「はい?」

「魔法びんっていうの、これ」

「魔法、ですか」

「うん」

 ちゃぷちゃぷと音を立てるそれが、魔法の瓶だと響はのたまうのです。
 魔法と云えば、じいやが辛苦を味わった云々と聞いたことがありますが。



「しかし響」

「慌てるでないぞ、龍の子よ」

「なんと」

 響は筒の上部を捻り外すと、ごちゃごちゃとした白い蓋が現れました。

「基本的には水筒と変わりないんだけど」

 その白い蓋をも、響は外します。



「魔法びんはお湯を温かいままで運べるんだぞ」

「ほぅ」

 心地良い音を立てながら解体されたその筒からは、ゆらゆらとした白い湯気が上がっています。
 湯を冷ますこと無く持ち運ぶとは、確かに便利な物かもしれません。

「水筒だと、漏れたり溶けちゃったりするから」

「銀色は強さの象徴ですから」

「んふっ」

 何故笑うのでしょうか。

「しかし響」

「その魔法瓶とやら、いったいどのような魔法が?」

「えっ」






「続きまして」

「なんと」

 魔法はみすてりあすだから云々と響は洩らしながら、白い何かについての説明を始めました。
 最近の響には、嘘やごまかしが増えた様な気がします。
 それが上手いか否かは、別として。

 これが噂に聞いてきた人間という生き物なのでしょうか。

 まったく。わたくしはそのような育て方をした覚えは。



「なんだけど、……聞いてた?」

「もちろん」

「聞いてなかったな」

「そんなことは」

「嘘をつくとは、なんて悪い龍なんだ」

「い、言い掛かりはいけませんよ」






「自分、そんな龍に育てた覚えはないぞ」

「」

 ……面妖な。

「だからね、こっちはカップ麺っていうの」

「かっぷ?」

「カップ麺」

 透明な膜、そして上蓋を剥がすとそこには、赤や緑、それに黄色の見慣れぬ色とりどりが詰まっていました。
 これだから人の食べ物は。常に目でも楽しませてくれる所が憎い。
 いただきましょう。

「味見はおまかせください」

「待て」

 しかし、響の手がわたくしを制止します。

「なにゆえ」

「待て」






「おすわり」

「待ちなさい」

「犬扱いとは」

「犬は好きだぞ」

「いぬ美どのは可愛いですが」

「でしょ」

 ふふん、と鼻を鳴らしながら、響はかっぷめんの中身を指で叩くのです。






「カチカチだから」

「そんな」

 そんな。

「ではどのように」

「ここで魔法びん」

 右手の魔法瓶から、左手のかっぷめんへとお湯が注がれていきます。
 口空いてるよ、などとうそぶく小童がおりましたが気に留めるわたくしではありません。
 心なしか、既に良い香りが漂っている気がします。

「仕方ありませんね、いただきましょう」

「なにも仕方なくない」

「気にせず」






「待て」

「」

 何故か響は、かっぷめんの上蓋を再び閉ざす愚かな行いを。
 さも当たり前だという様に澄ました響の表情が、わたくしには信じられません。
 
 そしてなお、響は残酷に。






「三分ね」

「いけずです!!」

「もうそろそろ」

「まだ一分」

「一分も三分も変わりなく」

「だめ」






「響」

「はい」

「わたくしは龍です」

「うん」

「気の遠くなる様な時を生き永らえてきたわたくしにとって分という単位はあまりにも脆く」

「時間は生物共通さー」

「今は」

「一分半」

「だから響はちび助などと」






「隠し味に龍のほっぺたを」

「いひゃいいひゃい!!」

「うわあん、あうあうあう!!」

「泣かなくても」

「本能が、本能が呼んでいるのです」

「出来たよ」

「これが魔法なのですね」

「三分たったから」

「龍をも狂わせる魔法とはいったい」

「食べていいの?」






「いけません!!」

「だよね」

 何故命有るものは、神々しさの前に従順になるのでしょうか。
 人は神を崇め、跪き、拝み伏すと云いますが、それは龍とて同じなのかもしれません。
 現に今、わたくしはかっぷめんなるものに信心を覚えようと云々。

 龍に礼儀というものがあるならば、今のわたくしは正に師範。
 凛としているに違いないこの佇まいこそ、わたくしなのです。
 在りし日の龍達、じいや、そしてあの頃のわたくしよ。この姿こそがわたくしなのです。

 この気高き姿こそが、何だか響が箸で細長いものを

「あーん」

「あぁん」






 ぱくり。

「どう?」

「響」

 やはり得意げににやつく響に対して、わたくしは。

「言葉は不要です」

「えっ」

「この出会いに、言葉は不要なのです」

「おいしくなかったとか」






「さあ次の一口を」

「はい」

 思えば恥も忘れ去って、わたくしは母親のくちばしを待つ雛鳥の様に。
 親鳥役の響も、まんざらでもない様子です。
 この際「ぴぃぴぃ」と鳴いてみるのもありなのでは。面妖な思い付きに喉が動きそうになりながら。

 そんな滑稽な姿を見せながら、わたくしは願いました。
 





 この幸せが永遠に続いて欲しい。わたくしは唯々、願いました。

 空が澄み渡り、穏やかな風の吹く春の日でした。

「本当に行ってしまうのですね」

「うん」

 この島を出る。響はそう言いました。

 それは昨日今日の話ではありません。秋頃には既に、聞いておりました故。
 夢を叶える為には、この島を出なくてはいけない、と。






 いつからでしょうか。

 響が『あいどる』の話をするようになったのは。

 わたくしには『てれび』も『すてぇじ』も分かりません。
 しかし、その楽しげな歌や踊りを見ているだけで、わたくしもつい笑みが零れました。
 その時の響はというと決まって、太陽の様な笑顔をわたくしに見せるのです。

 そんな響を見る度に、わたくしは喜びの裏で、一抹の寂しさを感じていたのです。



 初めて出会った時。

 昔話を聞かせている時。

 一緒に空を初めて飛んだ時。



 それらの時と変わらない、瞳の輝きでした。

 残された時間を少しでも永く、そして楽しく。わたくし達は過ごしたつもりです。
 響の持ち寄る物はいつも面妖で、またわたくしの昔話はたいそう珍妙で。
 声が枯れ果てるまで、笑い合ったことだってありました。

 時には仲違いもあり、お互いに牙を向け合うことだって。
 そこに人や龍の違いは無く、気の済むまで怒りをぶつけ合いました。
 それでも後には一つになって、波を子守唄に眠るのです。

 そんな他愛のない日々が、嬉しかったから。



 そんな楽しくて仕方のない時間が、ずっと欲しかったから。






 独りはもう、嫌だったから。

「やっぱり行くのやめる」

 響は身体を震わしながら、ぽつりと洩らしました。 

「響」

「行きたくない」

 響は俯いて、地面をぽたぽたと濡らしています。



「夢なのでしょう」

「違う」

「相変わらず響は嘘が下手ですね」

「うそじゃない」

「いいえ」

「ちがうもん」

「わたくしの目はごまかせません」

「ホントだもん」

 響は膝を抱え、頬を濡らしています。

 わたくしは響の頭に、額を合わせました。

「頑張るのでしょう」

「うん」

「『あいどる』になるのでしょう」

「うん」

「『てれび』に出て、『すてぇじ』に立つのでしょう」

「うん」

「有名になって、帰ってくるのでしょう」

「うん」






「響の、『夢』なのでしょう」

「うん」

 響は顔をぐちゃぐちゃにしながら、あの頃の様に、わたくしに抱きつきました。

 わたくしも全身で響を抱きしめます。
 
 本当に、大きくなりました。
 立派になりました。
 強くなりました。
 
 響のせいで、首元が濡れて仕方ありません。
 懐かしい、この感覚。
 それだけ、わたくし達の時間は永かった。

 そうして、わたくしは響の背中を見送りました。
 いえ、背中ではありません。
 その小さな体がもっとずうっと小さくなって、ついに見えなくなってしまうまで、響はずっとこちらを向いて、手を振り続けました。

 最後の最後にも、太陽の様な笑顔を、わたくしに見せてくれました。

 だから。

 わたくしも、わたくしらしく笑いました。

 いつか響が言った、『お月様みたいな』笑顔を浮かべて。

 わたくしは、泣きません。
 
 如何なる時でも気高く、そして荘厳に在れ。

 大丈夫です、じいや。わたくしは今でもちゃんと龍の子です。

 龍は強いのです。

 ちょっとのことでは涙を流しません。

 寂しくなんかありません。

 無敵ですから、泣きません。

 




 さようなら、響。




 あれからどれだけの月日が経ったのでしょうか。


 そんなことは、もう分かりません。

 沢山泣いたせいで、大きな声をあげることも出来ません。

 背中のツバサも、もうわたくしを空へと導いてはくれません。

 あれだけ遠くの島が見えた目も、今ではシッポの先だってよく見えません。

 銀色の鱗も、冬の雨の様にぱらぱらと剥がれ落ちてしまいました。

 

 それでも、水面に映るのは、紛れもないわたくしの姿でした。



 脆くて、汚くて、弱々しくて。



 龍の誇りを失った、もはや龍とは呼ばれぬ何か。






 これがわたくしなのですね。

 今のわたくしを見たら、じいやは怒るでしょうか。

 わたくしのことを叱るでしょうか。

 いえ、それももうしてはくれないでしょう。

 わたくしのことをわすれてしまうのでしょう。

 しかたありません。

 それが、わたくしでした。

 じいやがみえます。

 こんなわたくしにもじいやはなぜだかわらっています。

 きいてください。

 ありがとう、じいや。

 わたくしはしあわせでした。

 りゅうとしてうまれ、いきて、とんで。

 そして、であいました。

 もうなにもおもいのこすことはありません。






 いえ、やっぱりひとつだけ。

 ひとつだけ、あります。

 おねがいです。

 すべてをうしなってでも。

 わたくしのすべてをうしなってでも。

 りゅうとしてのすべてをうしなってでも。

 かまいません。






 ひびきに、あいたいです。

「新しい子?」

 プロデューサーは頷いた。

 何でも、新しく765にアイドルの子が入るらしい。
 しかも、明日。
 
 いくら何でも急すぎるお知らせだとは思うけど、プロデューサーも知らされたのは昨日なんだって。

「とにかく早く入れてくれ、とかなんとか言ってみたいだな」

 なんて常識外れなやつなんだろう。

 自分でさえ三日前には電話したのに。

 そんなやつはへんてこりんに決まってる。

「どんな子なんだろう」

 自分が頭を捻っていると、プロデューサーも頭を捻ってた。

「社長曰く、かなり変わった子らしい」 

 ほらね。

 自分、そういうの鋭いから。

 カンペキだから。

 名推理もそこそこに、自分は帰る為に765を出た。

 その帰り道、頭の中は明日から来る『新しい子』のことでいっぱいだった。

 キレイなのかな。

 背が高いのかな。

 動物好きだったらいいな。

 都会は初めてかもしれないな。 
 
 だったら自分が案内してあげよう。


 大分、こっちの勝手も分かってきたから。

 そしたら、夢中に考えすぎて、目の前を歩いて来た人とぶつかっちゃって。

「ご、ごめんなさい」

 相手は同じ女性。
 でも自分よりもずっと背が高い。
 夕日で朱く染まっていたけど、髪の毛は銀色で。

 何故だか、懐かしさで胸がいっぱいになった。

「いえ、こちらこそ」

 なんで笑っているんだろう。

「最近目が良くないもので」

 そして、いきなり。
 どうしてだかはわからなかったけど。
 自分は、抱きしめられていて。




「お久しぶりです、響」



                    終

ありがとう、パフ
そしてありがとう、ひびたか

乙由実しえん
http://i.imgur.com/QsY0h6Y.jpg

>>63
ありがとうございます
本当に素敵です

もし良ければ自サイトの方に掲載させて頂いてもよろしいでしょうか?

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