エツァリ「どこまでもお供しますよ、御坂さん」 (88)


・時系列は旧約3巻辺りからでもしも上条が『実験』に気付かなかったら、という話。
・新約は未読
・美琴が暗部落ち


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あの日、ヒーローは現れなかった。








彼の少年は10031号の死体を発見することはなく、美琴のベッドの下で実験のレポートを見ることもなかった。
御坂美琴はヒロインになり損ねたのだ。
だから彼女は、鉄橋の上に沈痛な面影を残し、死地へと向かうこととなった。
終結と清算の代償として、自らの命を差し出すために。

ちゃんと、殺されるつもりだった。
綺麗さっぱり。もう後には嫌悪感とどうしようもなさしか残らないくらい、この現実に掃除機をかけるように。
その覚悟はあった。決意もあった。意義もあった。

けれど、殺されなかった。
否――死に損なった。

一方通行が心優しい人間で、人形ならばともかくも人間を殺すのは忍びないと思ったから――などと言う心温まるエピソードはない.
彼は断じて、そんな懐など持ち合わせてはいない。
辛々しくも、美琴が勝利を収め、彼女と彼女の妹達にハッピーエンドが訪れた――という拍子抜けするような結末でもない。
そんな展開は、きっとこれからも起こらない。

だから、本当に単純な話。
単純明快で、憎々しい程に苦い物語。


単に、庇われたのだ。

よりにもよって、救おうとした妹に。

「お姉様は、生きるべき人間です、とミサカは断言します」

10032号は、そう言った。愚かしい程にまっすぐな言葉に、眩暈を覚えそうになる。
それを言われる資格はなかった。少なくとも、御坂美琴はそう信じていた。
彼女の正義、もしくは価値観に則って言わせてもらうならば、「御坂美琴」という存在は死すべき悪であり、断罪すべき罪であった。
一万人以上を殺した罪。晴らそうにも晴らせない、彼女が生み出した災厄。

だというのに、なんという悪い冗談か。
眩しいほど純粋に生まれた彼女は、ただただ純粋に姉を思っていた。
本当に、それだけの話で。そんな簡単な理由で。

これからあの子は、自分のために死ぬのだろう。

引き攣ったような悲鳴がでる。恐ろしい、と全身を駆け巡る信号が赤色を叩き出す。
なんたる無様、なんて滑稽な。
救わなければならなかったのに、それだけが今現時点で御坂美琴が息をしていい理由だったのに。
その理由が奪われることに、避けがたい恐怖が込みあがってきた。


(やめて、お願い、やめて……)

止めなければならない。せめて、彼女だけでも逃がさなければ。
そう思うのに、体は動かない。声すら出すことはかなわない。
なす術もなくボロボロにされて地面に転がった美琴の体は、彼女の意志に一寸の応答ですら拒絶した。

額から流れる血が目に入って、妹の姿がぼんやりとしか映らないけれど。
そんな姉を庇うように、一方通行との間に立ち塞がった彼女の背中も、傷だらけだった。

(私は、なんのために、ここに……)

遠すぎて届かない。
手も、声も、ぬくもりも。
たかが数センチ、けれど、この数センチはこんなにも絶望的に遠かっただろうか。

結局、御坂美琴という少女は、妹達に何も伝えられず。
妹達もまた、美琴の真意には到達できない。


そうなるには、あまりにも姉妹には時間はなかった。
情が芽生えるには長すぎて、お互いを理解するのには短すぎた逢瀬は、彼女たちを雁字搦めに溺れさせる。
そして。

「見逃しては頂けないでしょうか、とミサカは命乞いをします」

自分が殺されるのも構わずに、堂々と言い放ったその命乞いを、一方通行は受け入れた。
同情や憐憫からではない。
彼の目は、彼が面白がっているのを如実に表していた。

きっとこれから、美琴が堕ちていくその無様な未来を想像して。
彼は笑ったのだった。

その醜悪な在り方に、嫌悪と、怒りと、寒気を覚える。
けれどそんなことは、今はどうだっていい。この悪魔のことなんかどうだっていい。
ただ重要なのは、目の前の妹を救うこと。
それならば、私を代わりに。せめて、10032号だけでも、救わせて!!!

美琴の内で暴れ狂うその絶叫に気づいたのかどうなのか――
10032号は少しだけ首を傾けて振り返った。


その目は、ただ御坂美琴という「お姉様」だけを映していて。
けれど、決して空虚ではなかった。
人形なんかじゃ――なかった。

(あ、ああ、あぁあ……)

命の灯火を消える寸前で手に入れた、自我の萌芽。
慈しみや愛おしみの源泉であるそれは、図らずも9982号が最期に抱いたものと、よく似たものだった。
ああ、“彼女”もきっとこんな気持ちだったのですね、と胸に温かな気持ちを抱いて、

「ミサカは、貴女に生きていて欲しいです、と――」

そう言って不器用に笑顔を作った彼女は。
それを馬鹿にしたように嘲笑う彼に。

「――――お姉様に、懇願します」

姉の眼の前で、殺された。


自分の妹の頭が慈悲も他愛もなく吹き飛ばされる。
その、一秒にも満たない刹那を経て――
全身に、その赤色をシャワーのように被った。

前髪がペタリと張り付く。滴がポタポタと地面に零れ落ちる。
その日、その瞬間、御坂美琴の世界から、音が消えた。
ビールのように浴びた血が、頭から額を伝って目の中に流れ込む。
それはつい先ほどまで、彼女の体を巡っていた鮮血だった。

赤く、
赤く、
赤く、染まった視界の中で。

引きちぎられた肉片が辺りにボタボタと振りまかれて、ゆらりと首のない体躯が地面に崩れ落ちて、遠くの方に生首がボールのように転がったのを――

御坂美琴は、瞬き一つすらせず、

ただ、






――――見ていた。






本日の投下はここまで。
メインキャラは美琴と妹達とエツァリです


「うざい」

本日一言目がこれである。

「キモい」

二言目も容赦がない。

「……」

しかし三言目には続かず、観念したのか御坂美琴は紙袋を受け取った。むっつりと不機嫌そうな顔には、いくらか空腹の成分も含まれていたからであろう。
紙袋は温かかった。ぺり、と紙袋をあげると、湯気が意気揚々と顔に張り付いてくる。
しかめ面でそれを受け流した美琴は、むんず、と彼女の中に手を突っ込んだ。

コロッケである。
ほかほかといかにも美味しそうな輝きを放つ、歴然としたコロッケである。


本日の日付は八月二十八日。
夏も夏。どこからどうみても気持ちいい程の猛暑日である。
確かにここは室内であり、さらに詳しく言うならば真っ白な病室の一つであり、備え付けられているエアコンはさすがは学園都市製、温度調整もバッチリで汗が滲んでいるようなことはないが。

夏にコロッケとは、いかに。
冬にアイスじゃあるまいし。

辟易とした表情を浮かべる美琴の横で、紙袋を渡した少年が、なにやら嬉しそうに解説し始めた。

「今話題の――という訳ではありませんが、中々に美味なコロッケですよ。七学区の穴場にありましてね、知る人ぞ知る、ちょっとした有名店なんです。味は自分が保証しますよ」

アンタ絶対暇よね、という言葉を、コロッケを詰め込むことでお口の中に押し込んだ。一応は買ってきてもらった身である。
いくら頼んでなかろうとも、その位の誠意は見せるべきだ。勿論ウザいけど。
種類は豚肉と牛肉とチーズらしい。少年が爽やかな笑顔とともに教えてくれた。
ちなみに一番のおすすめは牛肉だそうなので、とりあえずそれから手を付けることにする。


一口噛めば、じゅわりと広がるあつあつの肉汁が素晴らしい。口の中でサクサクと音を立てる衣は、適度に味が染み込んでいて、味覚を喜ばせる。
続いて口に放りこんだコロッケはチーズだった。とろとろとした食感が、舌を踊るように蹂躙する。これもまた、美味しい。
にやにや、というよりもによによ、が似合うような表情を浮かべる少年の視線に鬱陶しさと気持ち悪さを覚えつつも、最後に豚肉のコロッケを食べ終えると、端的に言った。

「次は11月にして」
「分かりました」

顔を綻ばせて承諾する少年。彼女の言葉を意訳すれば、「美味しかったから次また持ってきて」ということである。今回も成功だ。
実際、彼が持ってきた食べ物そのものに美琴が難色を示したことはない。自分の持ってきたものが全て美琴のお気に入りになりつつあるし、癪であるので絶対に口になんか出してはやらないが、美琴もそのことは認めている。彼は美琴の味覚を完璧に把握しているのだ。(そのことに若干の寒気を覚える美琴である)

美琴が食べ終わった後の包み紙をぐしゃりと潰し、傍にあるゴミ箱へと投げる。
包み紙が綺麗な弧を描いて穴へと吸い込まれていったのを見届けてから、少年は心配そうに尋ねた。

「体は大丈夫ですか?」
「アンタそれ何回目よ・・・・・・」

美琴はその心配に呆れと溜息しか返さない。
心底どうでもいいと思っていることを、こう何度も掘り返されても困るのだ。


「別に。完治ではない、って感じかしら」

この少年に出会った、三日前の時点よりは大分良くなった。
あの時の、ほっとしたような、氷が解けたような彼の顔を思い出して、美琴は顔を顰めた。



あの日、気が付けば、美琴は見慣れぬ白い部屋にいた。
真白の中に浮かぶ、彼女の顔はまるで死神に取りつかれた人間のように疲れていて。

ここは、どこなのだろう。自分はなぜ、こんなところにいるのか。
本来なら真っ先に思い浮かばなければならないことが、けれど彼女には二の次のことでしかなく。
ただ、ぽつりと、虚ろに浮かび上がってきたのは、

(――なんで、死んでないんだろ、私)

生きているのか、という生き延びたことへの驚きと歓喜ではなく。
死んでいないのだ、という、生き延びてしまったことへの諦観と絶望。

自分は、ここに至るまで何をしてきたのだっけ、と思いを巡らせる。
死ぬために、終わらせるために、第10032次の実験場へ向かって。
やっぱりアレには適わなくて、そして、そして――

(どうしたんだっけ……?)

本来のセオリーで行くならば、殺されてしかるべきだが、自分は生きている。
だとしたら、なんらかのイレギュラーが起きたはずだ。
異常事態の発生。予期せぬ出来事。
けれど、それは一体なんだったのか。あの時、何が起こったのか。

(……思い出せない)

とても大切で、忘れてはならない『何か』があったはずなのに。
まるでその時間だけ綺麗に消失したかのように、一かけらも現れてこない。

そのことが、怖くて――悲しかった。


(――行かなく、ちゃ)

行かなければ、と思った。どこに?と聞かれても答えられないけれど。
どうして?と聞かれても、何も理由は重い浮かばなかったけれど。
それでも、行かなければならない。行って、救わなければ――

(あ、れ……?)

そこでようやく気が付いた。腕が動かせない。腕だけでなく、足もだ。
横たわっているベッドに付け加えられた半円状の鋼鉄が四肢を固定し、自由を奪っている。
まるで美琴を縛り付けて、押さえつけておくように。

(……なに、これ)

意識が急速に明確になる。加速を付けたように学園都市の最高峰の頭脳がまわり始める。
怪我を治癒するために病院に運ばれた、などという甘い考えは捨てなければならない。彼女の頭にあるのは最悪の可能性の考慮。

あの『実験』を知ってしまったために、学園都市側に危険因子として捕えられたのか。
このまま自分のモルモットのように切り刻まれて、別の実験に駆り出されるのかもしれない。
どちらにしても、回避しなければならない事態だ。

(まずい、まずい、まずい、まずい――)

生存本能が警報を鳴らす。逃げろ、逃げなければならないと瞬時に判断した。
手馴れたように演算を開始し、腕や足に纏わりつく鎖を断ち切ろうとして、

「御坂さんッ!」


バンッ!という何かを叩きつけたような音と、焦ったような男の声が耳に届く。
いや、男、というには声が若すぎ、男の子というには声変わりは済んでしまっている。少年と呼ぶべきだろう。
走ってきたのか、少年の息は荒い。しかしろくに呼吸を整えることもせずに、ずかずかと美琴の方へ近寄ってくる。
対して突然の闖入者に驚いた美琴は、一瞬能力の行使を中断してしまったものの、すぐに新たな敵である可能性を考慮し、演算を再開した。

(――逃げないと)

目覚めたばかりだが、頭は十分に働いている。支障はない。
手錠は磁力によって引きはがされ、その少年は雷撃を受け失神する――はずだった。

「……!? 能力が……!」

発動しない。磁力は発生せず、電気は霧散する。
キャパシティダウンか、と判断しかけたが、それにしては妙だ、と違和感を抱き始めたあたりで、

「ちゃんと安静にしてください!」

怒られた。しかも結構な剣幕で。
驚いた美琴は、思わず素直にはい、と答えてしまう。


(……安静に?)

少年の言葉に疑問に近い違和感を抱いた。
変な言葉だと思う。敵の癖に、こちらのことを気遣うなんて。
この状況は、じっとしてろとか、余計なことをするな、という言葉が順当な気がするが。

混乱している美琴をよそに、少年は身を乗り出して美琴の顔を上から覗き込んだ。
彼の顔は浅黒く、掘りが深い。おそらく中東あたりの、すくなくとも日本ではあまり見られない顔立ちである。
銃でも突きつけられるのか、と身構えた美琴に、彼は悲しそうな目を向けて。
その整然とした顔が――ふ、と雪が溶けるように、優しく解けた。



「御坂さん、起きたんですね、良かった。――本当に、良かった」



その言葉に、美琴は一瞬、思考が停止した。
少年の顔を緩ませているのは、底知れない安堵と、慈しみの感情。
声音はあまりにも優しくて、息が詰まりそうなほど張りつめていて、それから、少しだけ――震えていた。
泣いてしまうのではないかと、美琴はぎょっとしたが、瞬きの内に彼はその表情を消し去り、今度はどこか怒っているような声で、

「無理をしてはいけません。安静にしていなければ。すぐに医者を呼んできます。
 ちゃんと寝ててくださいね」

と美琴に注意をし、背を向けてしまった。

「ちょ、ちょっと待って!」

早々に立ち去ろうとした少年を、美琴は慌てて呼び止めた。
まさか呼び止められるとは思わなかったのだろう。目を瞬かせて、少年はなんですか、と振り返る。

きっと彼は敵ではないのだ、となんとなく思う。
あの顔を、真っ直ぐな感情を、美琴は見たことがあるような気がした。
だから、信用して、尋ねてみることにする。

「・・・・・・ここはどこ?」

恐る恐る、といった美琴に、彼はああ、と合点したように頷いた。
美琴が状況を把握していないことを思い出したのだろう。安心させるように笑って答えた。

「貴女がよく知っている病院ですよ」

よく知っている病院、とはどういうことかは分からなかったが、しかし、運ばれてきたのだろう、ということは理解する。
自分が覚えていない、「異常事態」の間に、誰かが連れてきてくれたのだ。
そのことに、感謝と――それから、複雑な気持ちを抱く。

死んでしまってもよかったのに、なんてことは口が裂けても言えないから。

自分が生きてしまったことはあまりよくないことだけれど、
自分を生かそうとしてくれたその人の行動は、きっと素敵なことだから。

恐らくその一人なのだろう、見知らぬ少年に、美琴は言った。

「・・・・・・じゃあ、アンタの名前は?」


美琴の問いに、彼の表情が翳ったような気がした。
寂しそう――というよりも、哀しそう、そう、憐み。
美琴がその理由を理解できないうちに、彼は全てを塗りつぶすような胡散臭い笑みを浮かべた。

「自分の名前はエツァリ」

そして、彼は、自分の名前を名乗る。
とんでもない爆弾付きで。



「貴女のことを――愛しているだけの男です」


今日の投下はこれで終わり。
更新遅くてすみません

「いやー大変だったんだよ?死にかけで散々暴れまわる上に、能力まで使ってきたりしてね?
仕方がないから暴走した能力者用の病室を使ってね、なんとかしたんだ。元気なのはいいことだけど、暴れるのも程々にして欲しいね?」

ガチャガチャと手際よく手錠を外しながらカエル顔の医者は言う。口調は軽かったが、口振りは重かった。
もしかしたら、柄にもなく怒っているのかもしれない。美琴の無茶を、美琴のために。
優しい人だな、とじんわりと心が温かくなったが、今は彼の遠回しなお叱りさえ耳に痛い。

単に心が追い付いていないのだ。しばらく一人にして欲しい。
よく知っている病院とはこういうことか、と美琴は苦々しく思った。

エツァリという少年の言っていたことは真実だった。
ここは研究所でもなく、なんらかの組織のアジトというわけでもなく。
あのカエル医者の病院の一室だった。

(……悪いことしちゃったなぁ)

浦島太郎が貰った玉手箱と聞いて勇んであけたら、ただの煙が出てきた、みたいな心境だ。
あの少年に理不尽な敵意をぶつけてしまった。そのことに少しばかり落ち込む美琴である。


ここは暴走能力者用の病室だそうで、美琴の四肢を覆っていた鋼鉄の輪は、能力を制限するのと美琴の行動を制限する二つの役目を兼ねていたらしい。
それらが外されると、特に何の支障もなく能力が行使できた。そのことに、ほっと胸を撫で下ろす。

少し体を起こして自分の状態を確認し、美琴は絶句した。
顔には包帯がきっちり巻かれており、脇腹、それから右腕の手首など、至る所を縫合されていた。
医者の話によれば、運ばれてきたときには、わき腹に鉄パイプが突き刺さっていたのだそうだ。
その様を想像して、美琴はうえ、と顔をしかめた。想像するだけで痛い。痛すぎる。

さらに体を見渡せば、大きな裂傷や火傷の跡が両の指どころか、足の指を使っても追えないほど
存在している。鏡を見れば背中にも大きい傷跡があるのが分かるらしい。

有体に言ってしまえば、全身ズタズタだった。まるでつまらない怪談話に出てくる包帯女のような出で立ちである。
鎮痛剤をうってもらっているため痛みは感じないが、ここしばらくは外に出ることもかなわないだろう。無論、かなわないのとするのは別である。

美琴が死んでいない以上、恐らくまだ実験は終わっていない。
ならば御坂美琴が止まる道理はないし、権利もない。
――もとより、そのつもりもない。


それにしても、と思う。
これらは恐らく一方通行と戦った時の傷跡だとは思うが、しかし。

(ここまで、酷かったっけ……?)

少々過剰に傷を負いすぎている気がする。
そもそも、一方通行との殺し合い――というには、少々一方的ではあったが――では、美琴の記憶の中で、全身に負った火傷や、脇腹に突き刺さった鉄パイプを受けた記憶はない。

あるとしたら、美琴が失った記憶の中でだが――

(まるで死なない程度に痛みつけてるみたい)

それは一方通行の趣味なのだろうか。
嬲り、苦しませ、絶望させる。
あの悪魔ならやりかねないし、その可能性は大いにあるが、それでも疑問は消えない。

一方通行は確かに自分を殺すつもりだった――と、思う。
少なくとも、自分が一対一で対峙していた時には、彼は明確な殺意を向けていた。
だとしたら、どうして。

(本当に、なんで一方通行は私を殺さなかったの……?)

ズキ、と脳に激痛が駆け抜けた。一瞬ではあったが、強烈な一撃。
思い出すのを頑なに拒むように、頭が痛む。こめかみをぎゅっと抑えることで、痛みを和らげようと意味のない抵抗をしてみた。

覚えているのは、一方通行にあっけなく負けて、地面に転がったところまで。
そこからは、記憶のレールを切断したように先に進めない。

一体全体、それから、何があって。
一方通行はなぜ自分を殺さなくて。
あの子たちは、――10032号は、どうなっているのか。

(――調べなくちゃ)


知らなくてはならない。
こうして、「生きてしまっているのだから」。
御坂美琴のような大罪人が息をしていい理由はただ一つだけ。
――実験を止める、ただ、それだけだ。

「――君を連れてきたのはあの少年なんだよ」

思考の泥沼に沈みかけていた美琴は、その言葉にはっと顔を挙げた。
そう言って医者は閉じられた病室の扉を指差す。 つられて美琴もそちらへ目線を動かした。
扉の向こう側では、おそらくエツァリが備え付けられた椅子に座っているのだろう。

「後でお礼を言っておいた方がいいね?」
「……はい」

その提案に素直に応じた。命の恩人だ。
相応の礼はしたいと思う。――けれど。

『――愛しています』

見ず知らずの少年だった。あの特徴的な顔立ちだ。一度会っていたならば少なからず引っかかるところはあるはず。
だから、恐らく美琴は彼と一度も話したことはないし、見かけたこともない、と思う。
それなのに彼は、自分を好きだという。
茶化しや、いわゆる「人間として好意的である」、みたいなニュアンスではなかったと思う。
あれは、熱烈な告白だった。


(……うわぁあああああ……)

途端、言われた直後の感情が鮮烈に蘇ってきて、美琴の頬にさっと朱が入る。
初めてだったのだ。いや、もっと過激に愛を伝えてくる同性の後輩がいるにはいるのだが――異性にあんなことを言われるのは、初めてだった。
ぐぅ、と美琴は唸った。恥ずかしさとどうしようもなさで悶えそうだ。医者がいる手前、顔を覆うことくらいしかできないが。
もしここに自分しかいなければ、美琴は顔を覆ったまま、子供が駄々をこねるように、ベッドの上で両足をじたばたさせていただろう。

けれど、と同時に思う。
なぜ彼は、自分を好きだというのか。

無論、美琴はレベル5の第三位。表に出ることも多々あるので、相手側が一方的に知っていた可能性はある。
そして、相手が一方的な恋慕の情を持っていてもおかしくはない。
おかしくはないのだが――


「まあでも、君が死んでいなくてよかったよ?」

またしても、思考の海で溺れかけていた美琴を掬い上げたのは、医者のほっとしたような笑みだった。
その言葉に、美琴は曖昧に笑い返す。少々ぎこちなかったかもしれない。
死ぬつもりだった、殺されるつもりだったなど、口が裂けても言えないな、と心の内で呟く。
申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになって、たまらず顔を下げてしまった。

そんな美琴の心情に気付いているのかいないのか、彼は美琴の診察を続けたまま、こともなげに言い放った。

「死体が運ばれてきても、僕は何もできないからね」

え、と美琴は口を薄く開いて声を漏らす。
まるで死体でなければ助けられるかのように、彼は言う。
その真意に、一瞬美琴はぞく、と身を震わせたが、彼はまごう事なく善人だ。警戒心を持つことはない。
だから、ほんの少しだけ、拗ねたように思ったのは。

(もしも、あの子たちを、殺す前にここに運んでこられたのなら)

実験の後も、生きることが可能だったのだろうか、なんて。
とりとめもない、下らない妄想だった。


「いいね?ちゃんと安静にしておくんだよ?
 君もすぐに無茶をするからね……、治るまでちゃんと寝ておくんだよ?」

診察を終え、彼が真っ先に口に出したのは、そんな「当たり前のこと」だった。
心配というよりも、釘を指すニュアンスの方が強い。
真っ直ぐな視線に、貫かれてしまいそうだ。

美琴はぐ、と押し黙る。すぐにでも病室を抜け出そうとしていたことはバレバレだったらしい。
名医にかかれば子供がおねしょを隠すのを暴くくらい、患者の無理を見通すのは簡単なのかもしれない。

「……そうですね、そうします」

――無論、その忠告を聞くつもりは毛頭なかったが。

本日の投下はこれで終わりです
訂正 >>28 (もしも、あの子たちを、殺す前にここに運んでこられたのなら)
は、「殺す前に」ではなく「死んでしまう前に」です

原作で粥が学園都市に潜入した理由を考えれば、この設定で御坂と接点があること自体おかしいんだが
ついでに言えば初期の粥は保身から御坂本人も殺そうとする小心者だぞ


カエル顔の医者が御坂美琴の病室を出ると、すぐそばのベンチで、エツァリと名乗った少年が静かに座っていた。
彼の顔の内側では、様々な感情が目まぐるしく浮かんでは消え、そして浮かぶ、ということを繰り返している。
まるで水面下で吹き出す、淡い気泡のように。
その感情の味は、苦いのだろうか。少なくとも、甘くはなさそうである。

彼は笑顔だった。
貼り付けたような、胡散臭い笑みを湛えていた。
仮面をかぶり、感情を押し殺す。
それによって、彼の内側で弾けるソレがなんでもないことなのだと誤魔化せていると、信じていた。
余りにも、哀れだと、医者は思う。

目には見えない重圧を抱え込んだ、彼のような患者を、医者は何度も見てきた。
いや、彼は患者ではなかったか。
どちらにしろ、医者は知っていた。
その重圧の名を。抗い様のない、纏わりつくヘドロのような罪悪を。

「――ああ、終わったんですね」

エツァリは医者の姿を確認すると、ありがとうございます、と感謝の礼を述べながら立ち上がった。
そのまま腰を45度に曲げる。今時珍しい程に綺麗なお辞儀である。
どこからどう見ても外国人なのに、中々日本の礼儀をわきまえた少年だった。


「いや、それが僕の仕事だからね?
 むしろ彼女を死ぬ前に運んできてくれたことを、感謝しているよ?」

少年は曖昧に笑った。感謝など受け入れられない、とでも言いたいかのようだ。
医師は目を細めて、あの日――御坂美琴が運び込まれてきた日の彼の激情を、思う。


助けてください、と彼は言った。
任せろ、と彼は応えた。


彼の望みである、彼女の命は取り留めた。
確かに彼女の状態は際どかった。
大量出血に全身火傷。その上脇腹に鉄の棒まで刺さってるときた。
それでも御坂美琴は生きていた。生きているなら大丈夫だ。
冥土帰しの異名は伊達ではないのだから。

「一つ、言っておくことがあるね?」

あの少女に何が起こったのか。
一体彼と彼女の間に何があったのか、カエル顔の医者はまだ知らない。
彼の重圧の正体を、まだつかめてはいない。

それでも、彼にとって彼女の存在があまりにも大きすぎることくらいは、わかっている。
だから、信じて、打ち明けた。

「どうやら彼女、何も覚えていないみたいだね?」
「……え?」

エツァリには言っている意味が分からないようだった。
いや、正確には、理解したくない、の方が近いだろう。
そんなことが起こってはならない。そんなことが起こるわけがない、とでもいうように、
ぽかん、という表現が似合うような表情で、医者の説明を待つ。

「彼女、自分の傷を不思議そうに眺めていてね。
 まるで、どうして自分がここまで重傷になっているのか分からない――って顔をしていたね?」

そこまで聞いて、エツァリの顔がさっと青ざめた。
嘘だ、と彼は顔面蒼白なまま呟いた。
そんなのは、ダメだ。

エツァリの手が病室のドアノブを乱暴の掴む。
勢い余って美琴に掴みかかってしまいそうなエツァリの行動を制するように、カエル顔の医者は声を落とした。

「……君と彼女の間に何があったのかは知らない。だから、おそらく記憶の鍵を握っているだろう君がどう動くのかは任せよう。
 けれど、医者としていっておくよ――あまり彼女を、刺激しないで欲しいね?」
「……わかって、います」

医者と交わした言葉は、それで最後だった。
エツァリは病室の中へと消えていく。
その姿を、扉が閉められても、医者はしばらくの間、見つめていた。


御坂美琴はベッドへ横たわっていた。
学園都市の技術は凄いと、今更ながらに実感した。
実感して、抑えがたい感激が奮い立つ。
仕方ないではないか。
虫の息すらあるかも怪しかった彼女が、こうして生きているんだから。

「あ、エツァリさん!
 ありがとう、私を運んできてくれたんでしょ?」

美琴は感謝の言葉と共に頭を下げた。と言っても、ベッドに横たわったままなので、軽く会釈する程度のものだったが。
笑顔だった。――とてもきれいな、優しい笑みだった。
あんなにも見たいと願っていた彼女の表情。
けれど今は、それを見るだけでこんなにも辛く感じるなんて、あまりにも理不尽だと思う。

「……分かっている。貴女が思い出さないなら、そっちの方が幸せだ」

エツァリは、苦悶に顔を顰めながら、そう絞り出した。
本当はこの笑顔を、守りたかったのだから。
どうしてこの手で再びその表情を捻りつぶさなければならないのか。
本当に、世界ってのは、残酷だ。

「自分だって、そうであって欲しいと思っている」


美琴にはエツァリの言っていることが分からないようで、きょとん、と首をかしげた。
そんな美琴に、エツァリは笑いかける。
それはきっと、仮面の笑顔にすら劣る出来栄えだっただろう。
継ぎ接ぎだらけの、ボロボロの笑み。
――それでもいい。
どうせ、今からもっとボロボロになるのは、彼女の方なのだから。
自分がどうなろうと、知ったことではない。

「今は脳の方が、防衛するために記憶を封じているでしょうね。
 一種の生存本能のようなものですか……」

彼女自身が忘却することを許すとは思えない。
だから、これは脳の勝手な判断で、そして恐らく、正しい判断だった。
でも、それでも――それは、正しいだけで。
余計、残酷なことではないのか。

あげて、そして――落とす。
それは、絶望の最も古典的で、かつ効果的な方法ではないのか。

だとしたら、もしかしたらこの忘却さえも、彼女が下した罰なのかもしれない。

本当に、貴女は――
どうしようもなく、救い難い。


「でも、それではきっと後悔する。
 今は一時的な逃避に甘んじれても、いつか来たるべき日に思い出したとき、今度こそ貴女は崩壊する」

今度こそ貴女は、自分を殺す。
とまでは、口に出さなかったけれど。

御坂美琴は何を言っているのか分からないのだろう。
ベッドのシーツを掴み、無意識に、自己防衛のための火花が二、三度弾けた。

ぱちん。ぱちん。ぱちん。
あの日の彼女の心の瓦解音のように。
目の前で、あっけなく壊れていった時の音色。

本当は、こんな言葉を投げかけたいのではなかった。
本当は、彼女が崩壊する様なんて、二度と見たくなかった。

生き延びたことに感謝をして。
良かったって、柄にもなく抱きついてしまったりなんかして。
それに戸惑った美琴に、雷撃を食らったりなんかして。

――そんな泡沫の夢を、エツァリは自らの手で、粉砕する。

「今まで日常に甘んじていた自分に対して、後悔の念にさいなまれて、きっと再び、自分を罰しようとする」

それでは貴女は、もっと救われない。

だから、今の最善の手を打とう。
これ以上事態が悪化する前に、最悪の手段を以て。


「だから、思い出してください――御坂さん」

少しずつ、確実に、美琴の記憶の殻が壊されていく。
満杯の杯を揺らされたように、ギリギリで保たれていた均衡が崩れて。
その中から零れ出てくるのは、きっと透明な涙なんかじゃなくて。

「貴女は見ていたはずだ」

そうだ、見ていたはずだ。
自分と同じように、あの血まみれの惨劇を。

ピクリと、美琴の体が震える。もう限界が近いのだろう。
もうやめろ、と心の内で誰かが叫んだ。まだ間に合うから、もうやめてくれ。
そんな悲鳴を、懇願を、全身全霊で踏みにじる。
彼女のためには、自分自身の気持ちですら切り捨てると、決めた。
あの日、決めたのだから。

そうして彼は、決定的な言葉を、紡いだ。



「あの人の――10032号の最期を」



そして、絶叫が轟いた。
そんな美琴を、エツァリは悲しそうに眺めていた。
これを見るのは二回目だ。
二度と、見たくなんてなかったのに。

――本当に、なんでこうなってしまうのだろう。








――ああ。




――――――ぜんぶ、おぼえている。



――――そうだ、見ていた。


私は、見ていた。



何で忘れていたのだろう。
何を手前勝手に、そんな自分勝手が許されると思っていたのだろう。
こんな汚らわしい罪人が、
忘れていいわけがなかったのに。

そう、私は見ていた。



――あの子の最期を、私は見ていた。





思い出すのは、蒸せ返りそうなほど強烈な血の匂いと、

赤に赤を溶かし込んだ、真っ赤な世界。

あの子の首が飛んで。

あの子の体が横へ倒れた。

御坂美琴は何もできなかった。

何も届かなかった。

あまりにも、無力だった。



これは、彼女の記憶のレールの続き。
八月二十一日の、終わってしまった御噺だ。


10032号の首が飛んだあと。
その全てを見終わって。

「……あ」

静寂を掻き消すように絞り出した声は、そんなマヌケな一文字だった。
自然と、体が動いた。
行かなければ、と強迫観念に突き動かされる。
ずるずると、砂利を掴み、這いつくばるようにして頭部のない亡骸へと近づく。
体に力が入らない。意識は朦朧としている。
本当はこのまま、泥沼に沈むように眠りたいくらいだけれど。
それでも、せめてあの子の体を抱いてやりたかった。

そんな美琴の無様な姿をつまらなさそうに一方通行は眺める。
その瞳は何も映していないのと同義だった。
もう興味はかけらも湧いてこない。これではまるで、あの人形と同じではないか。
彼にとって美琴の絶望は、同じ顔の人形が増えただけのことに過ぎなかった。

「……チッ」

一方通行はガシガシと頭を掻いて、無言で彼女から背を向けた。
下らねェ、と独りごちる。何が、なのか主語は言わなかった。恐らく彼にも分かっていないのだろう。
下らねェ、下らねェ、下らねェ――。
繰り返し、呟く。その意味を噛み砕くように。
理解できないものを、理解しようとするように。
苛立ちと、それを消化できない不快感とともに、彼は美琴の視界から消えた。


そんなことにすら、美琴は気づかなかった。
美琴の視界には、“10032号だったもの”しか映っていない。
長い長い数センチを超えて、ようやく10032号の体に辿り着いた。
鬱陶しい程重くなった自分の体に鞭をうち、上半身を起こしてまだ温かいその体を掻き抱く。
その圧迫で、首元から血がとぽとぽと吹き溢れた。美琴の汚れた制服を濡らしていくが、それすらもどうでもいい。

そう、どうでもよかった。
もうどうでも良かった。
自暴自棄。今の自分にはその言葉が相応しい。
バチ、と火花が散る。

「……もう、いっか」

どうせもう止まらない。
『実験』は終わらない。
憎悪も嫌悪も、どのような「悪」も、きっとあの悪逆非道の化物には届かない。
彼女の手は、妹にすら届かなかったのだから。
赤の他人に、届く訳もないのだ。

「……ああ、でも、そうね、まだ一つ、残っていたわね」

一方通行を倒すだけの力は持っていない。
『実験』を止めることすらできない。
そんな自分にも、しなければならないことが、まだ、あった。


一つだけ、彼女の「悪」が届くものがある。
絶望的に。けれど絶対的に。
だから彼女は再び刃の柄を握る。

「……ごめんね……」

10032号の亡骸を、できるだけ優しく、地面に下ろす。
頭部も一緒に置いていてあげたかったけれど、少し遠かった。
諦めて、それから、物言わない妹から、距離を取る。

ずるずる、ずるずると。
ぐちゃぐちゃに踏みつぶした、未練だとか、後悔だとか、絶望だとかを、引きずって。

「……ああ、なんで、こうなっちゃったのかな」

本当に、なんて滑稽な結末なんだろう。
何一つ救えずに、何もかも壊してしまった。

――御坂美琴の人生は、無意味だった。

無価値だった。
無意義だった。
そのくせに、減点ばかり取ってしまった。
きっと自分の人生は、零点どころか、合計したらマイナスになるだろう。
なんて、罪深い。なんて、業の深い。

だから、やらねばならないことが、あった。


「……私も、一万人を殺した、犯罪者なんだから」

そう、ぽつりと呟いて。
彼女は、自分だけの現実を振りかざす。




一度目の刃は届かなかった。



二度目の刃も届かなかった。




だから、だから――三度目の刃は、自分に向けよう。



裁かれなければならない罪が、ここにある。
ならば、その内の一つだけでも、冥土の土産に。
あの子たちに、私の血で手向けの花を咲かせよう。

そうして、御坂美琴は自身を拒絶した。
罪深き自分という存在を、自分だけの現実を以って、断罪する。

「あ。あぁ…あああ……」

轟、と美琴の体から光が爆発した。
爆発は爆発を招き、さらに豪快な音を立てて美琴を取り巻いていく。
光は一つに束ねられ、空へと舞い上がっていった。まるで龍の滝登りのようだった。
もしも、この光景を見るものがいたのなら――その余りの強烈で苛烈な美麗さに、圧倒されていただろう。

しかしこれは断罪の刃である。
雲の中で際限なく膨れ上がった電光は、にぃ、と牙を見せて獰猛に笑った。

「あああああああああああ!!!!」


落雷。雷神の天罰が下り落ちる。
天災とは違うのは、それはただ一人に向けられていることだ。
容赦なく振り落とされた雷は、美琴の体を焼いた。
彼女の体を消滅せんと、主人に牙を突き立てる。

自身の能力により電気に対して常人よりはるかに抵抗のある美琴ではあるが――しかし、その圧倒的な物量に、その身が為す術もなく焦がされていく。
熱い、と皮膚が悲鳴をあげた。強引にねじ込まれた雷撃が、美琴の皮膚を爛れさせていた。

だが足りない。
もっと、もっとだ。
こんなものではない。
こんなもので、御坂美琴は殺さない。

「あは、あはははははははッッ!」

黒い嵐が美琴を中心にして巻き上がり、彼女の姿を一瞬で闇の中へと閉じ込める。
それは、空に伸びる一本の柱。
普段なら、盾となり剣となり、彼女の身を守る騎士である砂鉄の集合体は、
――果実を絞るように、その身をせばめた。

「ぁああああああ!!!!」

断末魔の叫びだった。砂鉄の一つ一つが、美琴の肉を抉り取らんと容赦なく体を這いずりまわる。
痛い、痛い、痛い、痛い。
言葉では足りない、恐ろしい程の痛覚の叫び。
気が狂いそうだった。意識を手放して尚迫り来る壮絶な危険信号。
皮膚が裂け、体中から赤色の液体をぶちまかれた。
その液体を巻き込んで、黒い嵐は赤い嵐へと成り果てる。

――けれど、これでもまだ、足りない。
こんなものでは、自分を壊すには甘すぎる。

一万人を殺した罪だ。
この程度の拷問では、あの子たちも報われない。
もっと、もっと痛めつけなければならない。


苦痛を、悲痛を、惨痛を。
痛みという痛み全てを舐め回すように味わえ。
それがお前の課された罰なのだから。

「かっ、は――あ、あは…ッ」

壮絶な苦しみを味わって尚、美琴は笑っていた。
まだまだだ、と断罪者である自分自身すら嘲笑うように。

美琴の磁力が唸る。バリバリと激しい歯軋りと共に、街灯が根っこから引き抜かれた。
街の安全と光を提供する役目をもって生まれたそれは、今夜ばかりは凶器と化す。
引きちぎられたことによって光を失った街灯は、美琴の体に吸い寄せられるように砂鉄の嵐に割り込んだ。
そして、寸分の迷いもなく一寸の躊躇いもなく美琴の体にのめりこむ。

「――――ッッ!!!!」

激痛で気が狂いそうだ。貫かれた脇腹から、血飛沫が躍りでる。
そのまま吐瀉物を撒き散らすように地面を赤色で塗りたくった。


痛みで演算がままならず、赤い嵐が力を失い集結を辞める。そして地へと帰っていった。
ふわりと、彼女の体が地面に倒れこみそうになったが、突き刺さった街灯が突っ張り棒のような役目をして、それすら許されない。

(ああ――、そろそろ、ね)

もうこの自傷行為を行う余裕がない。
痛みでうまく頭が回らないのだ。
本来ならば、この程度では全然足りないけれど――
そこは、死を加算することによって甘く見てほしい。
そう思うのは、甘えだろうか。

「ご、めん……、ね」

麻痺したかのように、口が動かせない。意味のある文字の羅列を呟くのに、こんなにも労力を必要としたのかと、美琴は少しだけ驚く。
ごぼりと、勢い良く血を吐いた。じっとりとしたぬるい温度が、冷たくなった体に降りかかる。
それすら構わずに、美琴は愛すべき妹へ、声を投げかけた。

「たす……け、て……あげら、……れ、なく、て」


きっとそれが、御坂美琴の最期の言葉。
ぞわりと、絶望が形を伴って現実を侵食した。
最後の力を振り絞りコンテナを持ち上げて、それを自分の頭上へと、ゆっくり移動させた。
ああ――ギロチンにかけられた王妃も、こんな気持ちだったのだろうか。

磁力を切れば、コンテナは自然と地に堕ちる。
その下にいる美琴も、あの9982号のように、ぺしゃんこのぺらぺらになってしまうだろう。
あの子と同じ死に方なんて、自分にはもったいないな、と美琴は薄れる意識の中、思った。

(ああ、やっと)

美琴は乾いた笑みを浮かべる。
ほっとしたように。
数年ぶりに息をすったかのような顔で。

(やっと、解放される――)

そうして御坂美琴の物語は幕を閉じる。
どうしようもなく下らなくて、あまりにもつまらない、ありふれた絶望の物語。

だというのに――最後の最期、その瞬間に、
コンテナが、不可視の力に呑まれてぼろぼろと霧散した。

(……あ、ぇ……?)

理解ができなかった。
理解が追い付かなかった。

例えば、こんな物語にも救世主なんてものがいたとして、
こんなタイミングはないだろう。

バッドもバッド、最悪すぎるタイミングだ。
ようやく、全て終わらせることができたのに。
やっと、解放されると思ったのに。

(一体、誰が……)


彼女が虚ろな視線を向けたその先では――



――――見知らぬ少年が、泣きそうな顔で立っていた。

本日の投下終わり。いつもより多めです。
あっちゃこっちゃに時系列とか視点とか飛んでわかりにくかったらすみません。
見ていてくれる人がいるみたいで、嬉しい限りです。

>>32 そのへんも書いていくつもりです。

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