海未「新しく入部してきた一年生たちがヤバすぎるのですが……」 (132)


1.西木野真姫 698

2. 小泉花陽 690

3. 星空凛 682








凛「え……? 負けた……?」


入学直後に行われた学年別学力テストの順位。

廊下に掲示されている張り紙を星空凛はただ呆然と眺めていた。

今年の新入生は1クラスのみ。
たったの40人ぽっち。

凛にとって、これは如何にしても受け入れ難い結果だった。


花陽「そんなに落ち込むことないよ、凛ちゃん。ただの学力テストなんだから」

凛「……落ち込むっていうかなんていうか。かよちんに負けるのは別にいいんだよ。中学でだって数えるくらいしか勝ったことなかったんだから」


そう、小学校からの親友である小泉花陽がどれだけ周りを超越していたかなんてことは他の誰よりも凛自身が知っていた。

自慢の親友。

自分だって秀才と呼ばれるに相応しい頭の出来はしているだろう。

しかし、花陽だけは特別。

どれだけ必死になって勉強しようとも完全に勝ることは難しく、一時期は妬んだりもしてしまったが彼女の圧倒的な才気に触れ続けることによって、今ではそれは尊敬に変わっていた。


だからこそ、花陽には自分以外の人間に負けてほしくない。

そう思っていた凛はこの結果に対して強い憤りを感じていた。


凛「西木野……真姫? 誰……?」


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花陽「クラスメイトだよ?」

凛「それくらい知ってるにゃー! どんな子だっけ?」

花陽「えーと……花陽もまだ話したことないんだけど、いつも机に座って本読んでる赤い髪の子」

凛「赤い、髪……あー」

花陽「思い出した?」

凛「んー、なんとなく……」

花陽「あの子、入試でも一番だったんだって。全教科満点だったとか」

凛「入試でもかよちん負けたの!?」

花陽「うん、まぁ花陽なんかよりも頭良い人なんていっぱい」

凛「いないよっ! 中学の時だって凛とかよちんだけ断トツだったじゃん!」

花陽「でも高校になればやっぱり…」

凛「……っ」

花陽「何処行くの?」

凛「教室。いるんでしょ? その西木野って子」

花陽「いると思うけど……って凛ちゃん! 仲良くなりにいくんだよね!? ケンカとか駄目だからね!?」




教室に戻るとやっぱりいた。

つまらなそうな表情。
周りに誰も寄せ付けず黙々と文庫本のページを捲っている指。

そして、赤い髪。


間違いない、あの子だ。

あの子が、西木野真姫。


一直線に彼女の席へと向かう。

襟足を掴むような弱々しい声が後ろから聞こえてきたけど、今は聞く気にはなれなかった。


凛「……西木野さん、だよね?」

真姫「……」


凛の声に興味を示すことなく、文庫本から目を離そうとしない西木野真姫。

そんなに面白そうな本には思えないけど。

と、いうことはまるでそこに誰もいないみたいに。
そんな扱いされているんだ、凛は。

へぇ……、ケンカ売ってきてるのはそっちじゃん。


バンッ!!

両手で思いきり机を叩いた。

その音は教室中に響き渡り、他のクラスメイトたちも凛と真姫の方へ注目を寄せた。


真姫「……うるさいんだけど」

凛「あ、やっと聞こえた?」


真姫「何か私に用? 友達になりに来たってわけではなさそうね」

凛「最初はそのつもりだったんだけどね、西木野さんがそんな態度取るから気が変わっちゃった」

真姫「嘘。大方この前のテストで私に負けたからそれに対する文句といったところかしら?」

凛「負けた? 凛がいつ西木野さんに負けたのなんて言ったの?」

真姫「あら? じゃあ貴女は私より成績が上位だったのかしら?」

凛「……」

真姫「ふふっ、ねぇ何位だったの? 私に教えてよ」

凛「……三位」

真姫「へぇ、なら二位は貴女の後ろでビクビクしている子?」

花陽「へっ? あ、えっと……そう、です」

真姫「すごいじゃない。それじゃもう一つだけ教えて。一位は誰だったのかしら?」

凛「……凛のことおちょくってるの?」

真姫「別にそういうわけじゃないけど。昔から僻まれるのにも妬まれるのにも慣れているし」

凛「僻んでもないし妬んでもないっ!」

真姫「ふふふっ、貴女勉強はそこそこ出来るかもしれないけれど直情的で苦労しそうね」


馬鹿にしたような笑みに思わず我を忘れてしまっていた。

気付いた時には凛の右手は拳を作り、目の前にいる真姫へと振り抜かれていた。


パシッ!!

振り抜かれた凛の拳は真姫の掌によっていとも簡単に受け止められた。


凛「……っ」

真姫「お勉強で勝てないから暴力? 本当にここは高校なのかしら。間違って小学校に来ちゃったとか?」

凛「…ケンカ売ってるの?」

花陽「り、凛ちゃんっ! やめて!」

凛「かよちんは黙ってて」

真姫「ふふふっ、どう見たってケンカ売ってきてるのはそっちの方なのに面白いこと言うのね」

凛「まぁどっちでもいいよ、そんなこと。買ってくれる?」

真姫「いいわよ。どうせ退屈していたし、少しなら遊んであげるわ」

花陽「西木野さんもやめてよ! 同じクラスなんだから仲良くしよ? ね?」


ごめんね、かよちん。

少し言葉を交わしただけでわかった。

凛はこの西木野さんのことが嫌いで、西木野さんも凛のことが嫌いなんだよ。

本当は卒業までの三年間、会話なんかしないのが一番平和的な学校生活の送り方だったんだと思う。

でも、もうこうなってしまった以上は変に取り繕ってクラスメイトを演じるよりも一度思いきり殴り合った方が平和的。

おかしなことを言っているのは自分でもわかってはいるけど、このやり方を選んだのは凛自身だから。

西木野さんの言葉通りなのは悔しいけど、直情的な凛らしいってことで見守っててよ。


凛「教室じゃ迷惑になっちゃうから、廊下に出よっか」

真姫「そうね」


昼休み。
他の生徒は昼食で出払っているせいか凛たちがこうして対峙している廊下は授業中のように人気は無く、広く感じた。


真姫「暴力でなら私に勝てると思っているようだけど、さっきのでわからなかった?」

凛「反応しやすい顔の近くにしてあげたからね」

真姫「馬鹿って本当におめでたい頭してるわね。まぁいいわ……いつでもかかって来なさい」

凛「なら、お言葉に甘えてっ」


凛は左足の爪先で強く床を蹴り、一瞬にして真姫との間合いを詰めた。

その尋常ならざる凛の瞬発力に初めて真姫の表情に焦りが見える。


真姫「速いっ…」


そして潜るように身を深く落とし、真姫の視界から消える凛。

真姫が凛のその動きを肉眼で捉える頃には、更なる死角。
真姫からして左の側面から振り抜かれようとしている拳の風切り音が耳に響いていた。


凛「死ねぇっ!!」


凛の拳が側頭部を直打する瞬間、真姫は前方に身を乗り出し、これを間一髪かわした。

その勢いのまま凛に掴み掛かろうとする真姫の動きを即座に読み、するりと身を捩って回避する。


真姫「チッ…」

凛「へぇ、あれを避けるんだ? やるじゃん」

真姫「…そっちこそ」


凛「じゃあ次はもっと速くしないとねっ」


先程と同じ様に床を蹴った凛の体は一直線に真姫の元へと飛び込んでいく。


真姫「これだから馬鹿は…」


一回目は予想以上の凛の瞬発力に驚いたもののそれがわかっていたら話はまったくの別物。

自らの懐に入り込んでくるのをただ待つのではなく、真姫も凛同様に相手へと突っ込んでいった。


凛「え?」


後ろに下がる、横に避ける。ではなく向こうも自分と同じく距離を詰めてくるとは凛にとっては想定外。

しかし、凛はただ瞬発力が人並み外れていたりスピードが驚異的なだけでなく、凛の持ち味はスピードのコントロール。

どんなに最高速で仕掛けていたとしてもそのスピードを自在にコントロールすることが可能。

だから超スピードで突っ込んだ状態で相手が予想外の行動を仕掛けてきたとしてもそれに対処することは容易なのである。


凛は最高速で向かいつつ、たったの1ステップで進路を真横に移した。

そして今度こそ完全に真姫の視界から消える。

あとは凛がいた位置を追い越し隙だらけになった真姫の背後を狙うのみ。

左手を床に付け、それを軸に身体を回転させ真姫の背中目掛け鋭い蹴りを放った。


凛「もらったっ!」


凛が振り抜いた右足は真姫の背中を捉えた。


否。

その逆だった。


真姫「だから馬鹿だって言ったのよ」


凛の右足は真姫の手に捕らえられていた。

何が起こったのかわからないといった表情の凛。

一体何故? 完全に真姫は凛を見失っていた筈。

あの状態から瞬時に対応できるわけがない。


凛「なん、で…」

真姫「一回見たから。最初に貴女のスピードを。あれだけで充分」

凛「どういう、こと…」

真姫「ケンカっていうのはね、頭を使うのよ。相手がどう動くのか予測してそれにその都度最善の手を合わせるだけ」

凛「……っ」

真姫「貴女の身体能力の高さには驚いたけれど。でも、それだけ。それにね、直情的だって言ったでしょ?」


馬鹿の考えていることは手に取るようにわかる。
そう言って真姫は、片足を掴まれ無防備な凛の腹部を蹴り上げた。


凛「げほっ、げほっ…!!」


凛の苦しむ顔に恍惚とした笑みを浮かべながら真姫は何度も蹴りを放つ。


凛「うぐぁっ、あっ、ああぁっ…!!」


そして真姫が再度足を振り翳した瞬間、突如として凛は両手を床に当て身体を跳ね上げた。

右足の拘束が解かれるままにもう一度両手で床を弾き、今度は空中を舞った。

舞った身体を捩らせ壁を蹴り、頭上から真姫に迫る。


空中から飛び掛かってくる凛に真姫も反応はしていたが、反撃は不可能。
防御するだけで必至だった。

第一撃の右の殴打はなんとか払えたものの、それまで。

重力を追い風にした凛をどうにかすることなど難しく、堪えきれずそのままなし崩しに倒れ込まされた。


真姫「ぅぐっ…!」

凛「あはっ、やっと捕まえたにゃ」


馬乗り状態になった途端、容赦なくその真姫の顔面に拳を振り下ろす。


真姫「うぁっ…!」

凛「大人しくしてね。あと20発くらい殴ったら終わりにしてあげるから」

真姫「…誰が貴女なんかに従うと思ってるのっ」


下に位置しながらも真姫が放った拳は凛の顔面に直撃した。

これは完全なる凛の油断であった。
自分が圧倒的優位な体勢にいるという慢心からの。


凛「ぐぎゅっ!? こ、このっ!」

真姫「さっさとそこから退きなさいよっ!」


そこからは決して綺麗とは言えない殴り合い。

互いが互いを掴んだまま離さないのだから、殴って殴られ、殴られては殴り返しての繰り返し。




周りがざわつき始め、顔を上げると何人もの教師が二人を囲んでいた。


「星空、西木野、生徒指導室に来なさい」


これ以上続ける無意味さを二人も理解していたので、あっさりと教師にはいと頷いた。

ここまで。
のんびり書いてくので長い目で見てやってください。


「……ケンカの原因は?」


ため息を吐きながら生活指導の教師が二人に問い掛ける。


凛「……」

真姫「先に手を出してきたのはこの人です」

凛「西木野さんが挑発してきたからでしょ!」

真姫「いきなり机を叩いて威嚇してきたじゃない」

凛「それはそっちが凛のことを無視するからっ!」


二人ともせっかく成績はここ近年で稀に見るくらいに素晴らしいのに、こんなことしてたら進路に悪影響を及ぼすよ、と教師はもう一度ため息を吐き言った。


「これから三年間ずっと一緒のクラスなんだから仲良くしないとね?」


真姫「はい」

凛「……はい」


そっか。三年間も一緒にいなきゃいけないんだ。

長いなぁ。

考えるだけで憂鬱な気持ちになった。


きっと真姫も同じ気持ちなんだろうなと思い、横に目をやると無表情のまま眈々と教師の話に頷いている姿が映る。

すべてを割り切った大人ぶったような態度に凛は無性に腹立たしくなった。


真姫「……」

凛「……」


生徒指導室から解放され、教室へと戻る道中。

当然ながら向かう先が同じなのだから自ずと並んで歩くことになる。

厳密に言えば並んでという表現は語弊にあたる。
正確には先を行く凛の三歩後ろ辺りを真姫が気怠そうに続いていた。


凛「先生の前だと取り繕って優等生は大変だねぇ」

真姫「……別に。貴女が子供なだけでしょ」

凛「はいはい、どーせ凛はまだまだ子供ですよーだ」

真姫「クラスに子供が交じっていると鬱陶しいから早く大人になってほしいものだわ」

凛「…いちいち突っ掛かってきて、また凛とケンカでもしたいの?」

真姫「やめとく。弱いものいじめは趣味じゃないのよ」

凛「はぁ? 途中で止められなかったら凛の勝ちだったじゃん」

真姫「どこが……。私の方が多く殴ってたじゃない」

凛「そんなことないもん! 凛の方が」

真姫「もういいわ。今回のことは忘れてあげるから、次からはくだらない嫉妬で絡んでこないでよね」

凛「西木野さんは大人ですねぇ。あーかっこいいかっこいい。もう話し掛けたりしないから安心して」


教室に戻り、自分の席に座るとかよちんが駆け寄ってきた。


花陽「おかえり。かなり長い時間怒られたみたいだね」

凛「まぁね……あんな大事にしなくてもいいのに」

花陽「あれだけ廊下で大騒ぎしたらこうなるって」

凛「……先生呼んだのかよちんでしょ?」

花陽「だ、だって止められる人いなかったから……。怒ってる?」

凛「怒ってる……けど、かよちんにじゃなくて」

花陽「……その様子じゃまだ仲直りしてないみたいだね」

凛「仲直り? するわけないじゃん! あんな人と」

花陽「ちゃんと謝った?」

凛「凛が? なんで?」

花陽「……いくよ」


花陽が凛の制服の袖を引っ張り席を立たせる。

多分、西木野真姫に謝りに行けということなのだろう。

なんで自分が謝らないといけないの? と拒む凛に花陽は諭すように言った。


花陽「理由はどうあれ凛ちゃんが悪いよ。先に手を出しちゃったんだから。西木野さんはちょっと難しい子みたいだけど、それでも暴力は…」

凛「凛は悪くないもん……絶対に悪くないもん」

花陽「凛ちゃん」

凛「やだ」

花陽「凛ちゃんの気持ちもわかるけどとりあえず謝ろ? ちゃんと話してみたら仲良くなれるかもしれないし」

凛「ふーん、かよちんは西木野さんの味方なんだ?」

花陽「そ、そういうこと言ってるんじゃなくてぇ…!」


平和的な性格の花陽が言っていることもわかるし、自分が周りと比べて子供染みているというのも理解している。

それに、大人びた態度の真姫を少しだけ格好いいと思ってしまったことも凛のなかでは事実であり。

別に羨ましいとかそうなりたいとか思っているわけではないけど、高校生にもなってまで花陽にあまり心配かけさせるのも悪い気がしていたから。


凛「……わかったよ。……謝ればいいんでしょ」


数時間前と同じように真姫の席の正面に立つ。

相変わらず彼女はつまらなそうな表情でつまらなそうな文庫本を開いていた。


凛「……ねぇ、」

真姫「……」

凛「西木野さん」

真姫「…………もう話し掛けてこないんじゃなかったの?」


視線を上げず、一人言のようにそう真姫は呟いた。


凛「……さっきは、ごめん、なさい」

真姫「……そう」

凛「……」


花陽「西木野さん、ちゃんと顔を見て話してあげて」


花陽の言葉を聞き、しばらく考えた後にゆっくりと視線を凛の方へ向ける。


真姫「……」

凛「……」


真姫「貴女がこの子に私に謝るように言ったんでしょ?」

花陽「えっ? あ、えーと……それは、そのぉ……」

真姫「ふふっ、こういう時は嘘でも違うって言ってあげなきゃ」

花陽「そ、そうだよね……えへへ……」


真姫「私も相手にしちゃって悪いと思っているわ。やり過ごす方法なんていくらでもあったのについ乗せられたから」

凛「……なんか棘があるように聞こえるんだけど」

花陽「ま、まぁまぁ、凛ちゃん」


真姫「もう話は終わった?」

花陽「その本」

真姫「本? これがどうかした?」

花陽「いつも読んでるけど面白いの? 花陽も本読むの好きだからオススメあったら教えてほしいなぁ」

凛「……」


なんだろう、この胸のもやもやする感じ。

凛は謝ったんだからそれでいいじゃん。
もうそんな子と話す必要ないじゃん。

クラスの他の子も西木野さんと話したりしてないんだし、凛たちが構う必要なんてないのに。

なんて思ってしまう凛は嫌な子なのだろうか。

かよちんは優しくて尊敬もしていて、凛の自慢の友達。

だからこれは嫉妬なんだと思う。

二人が話していて第一に思ったことといえば、かよちんは凛とだけ仲良くしていればいいのに、というやっぱり子供染みた感情で。


そもそも仲が良いといっても、凛とかよちんでは様々な物事に対する考え方が大きく異なる。

これまでだってそれで今みたいにもやもやした気持ちになったことも何度もあった。

平和的な思考のかよちんだから。
ううん、それ以前にかよちんはこの西木野さんに対して嫌な感情はもっていないのかもしれない。


苦虫を噛み潰したような顔で二人が話している側にただ立っている。

すると一瞬、西木野真姫と視線が交錯した。

それだけで凛が今考えていることをすべて見透かしたみたいに、真姫はひっそりと薄い笑みを浮かべた。


凛「……っ」


やっぱり嫌な子だ。こんな性格の悪い子、今まで見たことない。

かよちんがこの子と仲良くしようとするのは勝手だけど、凛は絶対に仲良くなんかしてあげないんだから。


真姫「へぇ、小泉さんもあの本読んだことあるのね」

花陽「うん、本当に面白くて何回も読み返しちゃった。でも西木野さんはすごいなぁ……その作者さんの本全部読んでるんでしょ?」

真姫「まぁね。というかそんなすごいことじゃないわよ」

凛「……」


騙されないで、かよちん。

その子は凛を挑発して楽しんでるだけ。

仲良くしようなんて思ってないんだよ、きっと。


その西木野真姫から吐き出される言葉ひとつひとつがすべて嘘のように聞こえて、苛立ちは増すばかりだ。

あぁ、やだなぁ。

この子の近くにいると、凛がどんどん嫌な子になってくみたいで。

でも、絶対にそんな挑発に乗ってやるもんか。

もうケンカはしないし、関わらない。


それから数日が経った。

この学校が廃校になるという話を聞いた。

凛はかよちんがここを受けるって言ったから付いてきただけで学校自体への思い入れなんて特に無かったからその報せについて思うことは少なかった。

でも、後輩ができないのはちょっと寂しいかなぁ。


あれから西木野真姫と衝突することもなく、かよちんが言うところの平和的な学校生活を送っていた。

かよちんは時々話してるみたいだけど、凛は避けるように距離をとっていた。

そのこともちょっと寂しく思う。


凛「かーよーちーん」

花陽「どうしたの? 凛ちゃん」

凛「部活、何にするか決めた?」

花陽「うーん……まだかなぁ。凛ちゃんはやっぱり陸上部?」

凛「だねー。個人競技なら他の人に足引っ張られることないもん」

花陽「またそういうこと言う…」


凛は中学時代は陸上部に在籍していた。
全国大会で優勝した経験もある。

その人並み外れた運動神経は有名で運動部の殆どが凛に助力を求めていた。

凛自身も身体を動かすことは好きだったから快く承諾した。

サッカーやバスケ、ソフトボール、テニス、バレー、水泳等、ルールを知らない競技でも理解してしまえば長年その分野に打ち込んでいた人間を軽く凌ぐほどに、凛は天才と評価されていた。

個人競技だけでいえば全国大会で活躍する程度わけもなく。

しかし、チーム競技に関しては思った成果を残すことは出来なかった。

凛一人が突出していてもチーム戦となれば限界はすぐに見えてしまう。

憤りを感じることも多くなり、三年生になる頃には個人競技以外に関わることはしなくなっていた。


凛「かよちんだって思ったことくらいあるでしょ?」

花陽「は、花陽はそんなこと思ったりしないよぉ…」


自信無さげに否定する花陽も運動神経は相当なもの。

凛には敵わないにしても、普通の高校生とは比べ物にならないくらいその能力は遥か上に位置している。


凛「あ、そうだ。じゃあ二人でなにかやる?」

花陽「花陽と凛ちゃんで?」

凛「かよちんとだったら凛も楽しくできると思うし。うんうん、それがいいにゃー」

花陽「二人でやるって……テニスのダブルスとか?」

凛「テニスかぁ……前にやった時あんまり楽しくなかったんだよねー。ほら、コート狭いじゃん? 凛はもっと広々動き回りたいのー! まぁかよちんと組めば全国優勝も簡単だと思うけど」

花陽「う、うーん……他に何かあったかなぁ……?」

凛「とりあえず陸上部入る? それともテニスで一回くらい優勝しとく?」

花陽「は、花陽はもうちょっと考えたいかなぁ…」


煮え切らない反応。
優柔不断なかよちんらしいっていえばらしいけど。

やっぱり無理矢理にでも自分が引っ張っていくべきなのかな、と思い花陽を見ているとその手に握り締められていた紙みたいなものに気付いた。


凛「それ何持ってるの?」

花陽「あぁこれ? これは、」


【スクールアイドル】

【μ's】

【ファーストライブ】


とシンプルながらも可愛らしくデザインされたチラシ。



凛「アイドル…?」

ココマデ。オヤスミ。


話を聞くと、二年生の三人が廃校を阻止する為にスクールアイドルを始めたとのこと。

最近、流行りのスクールアイドル。活動を通して人気が出れば学校の名前も売れて入学者が増えるという。

凛には雲を掴むような話に思えた。


まだ凛が適当な部活動で全国優勝した方が現実味はある。

でも最近の子はそういうの興味ないのかな。

いくら陸上の大会で優勝してもテニスの大会で優勝しても、それだけで入学者が大幅に増やすのは難しいのかもしれない。

といっても、スクールアイドルを始めた人たちだって素人には違いない。

そんな人たちがどれだけ頑張ったところで結果は見えている気がするんだけど。

まぁかよちんがスクールアイドルとして活動するなら話は一気に現実的になると思う。

かよちんは可愛くて頭も良くて歌も上手で、以前に某国民的アイドルの振り付けを完全にコピー、いやそれ以上にクオリティを詰めたものを見せてもらったこともある。

あ、もしかして……


凛「かよちんもそのスクールアイドルやってみたいの?」

花陽「えっ、えぇ!? そ、そんなの無理無理無理っ!!」

凛「そんなことないでしょ。かよちんなら全然」

花陽「人前に立って歌ったり踊ったりなんて花陽には絶対無理だよぉっ…!!」


凛「でもアイドルは好きなんだよね? カラオケ行ってもアイドルソングばっかり歌ってるし。しかも振り有りで」

花陽「す、好きだけど……それは見てる方で、実際自分がステージに立つなんて」

凛「そうかなぁー? 人前に立つ緊張を克服すれば完璧なアイドルになれると思うのに」

花陽「凛ちゃんは花陽のこと買い被り過ぎだよ……花陽はそんなんじゃ」

凛「まぁ凛はどっちでもいいけど。かよちんも凛も他の人よりもずっと特別。可能性は無限にあるんだから、何にだってなろうと思えばなれるだろうしね」

花陽「何にだって、かぁ……」


別に大口でも傲慢でもなんでもなくて、本当にそう思っただけ。

勉強だって運動だって誰も凛やかよちんには到底敵わない。

勉強で凛に勝てるのはかよちんだけ。運動でかよちんに勝てるのは凛だけ。

今までずっとそうだったのに。


ある人物の顔が頭を過った。


西木野真姫。


勉強でかよちんを圧倒して、ケンカでも凛と互角だった。

ううん、きっとあんなのマグレかイカサマだ。

凛たちに並ぶなんか、ましてやそれを越す高校生なんかいるわけがない。

忘れよう。

いつだって凛が一番で。かよちんが一番なんだから。


花陽「ねぇ、凛ちゃん…」

凛「ん? なぁに?」

花陽「も、もしもね……花陽が、スクールアイドルやるって言ったら……一緒にやってくれる?」


なんだ、やっぱりやりたいんじゃん。

凛はかよちんに反対なんかしないよ。もっと色んな人にかよちんはすごいってこと知ってほしいし。

西木野真姫なんかよりもずっとずっとすごいんだって。

だから反対なんてしない。

でも、凛も一緒にっていうのには少し答えに躊躇う。


元々凛は自分がやりたいこと、興味があること、楽しそうなことにしか自ら挑もうしない性格で。

そのスクールアイドルというものは、今のところあまり興味が湧かない。というより自分には向いていないと思っていた。

歌やダンスに関しては軽くこなせる自信はある。
歌なんて歌詞を覚えて音程を間違えなければいい。
ダンスも同様。振りを覚えてさえいれば何も問題は無いだろう。

しかし、アイドルというのは容姿こそがすべて。

そう凛は考えているし、実際その通りだと思う。

テレビに映ってるアイドルだって歌はそれほど上手くないしダンスだって誰でも出来るような簡単な振り付けだけ。

だからこそ、自分には絶対に向いていない。


凛「あはは、凛はかよちんみたいに可愛くないからアイドルなんて無理だよ」

花陽「そ、そんなこと……凛ちゃんはすごく可愛いよ?」


凛「んー、でもあんまりおもしろくなさそうだしやっぱり凛はいいや!」

花陽「そう……」

凛「ていうかそんなことよりもさ! 興味あるならそのライブだけでも観に行ってみればいいじゃん」

花陽「うん、そうしてみるよ」

凛「いつやるの? 明日? 明後日?」

花陽「今日だよ。えっと16時からだから……ってああああっ!! も、もう始まってる!?」

凛「ありゃ、じゃあ急がないと!」


凛は花陽の腕を取り、教室を飛び出し、ライブが行われるという講堂へ向かった。


いっそのこと窓から飛び降りてショートカットしようかと考えたけど、それはさすがの凛でも怪我しちゃいそうかもと諦め、素直に階段を駆け足で下りることにした。


アイドルかぁ……。この学校でそんなこと始めてもきっと大したことないんだろうな。

でもアイドルやりますなんて言うくらいなんだから容姿はそれなりに整っているのかも。

なんかズルい。

容姿だって凛の頭や運動神経と同じく才能であることには違いないのに、どうしてこうもまた胸がもやもやしてるんだろう。

それは多分、凛が女の子っぽくないから。
かよちんがすごく可愛いから。

それと、あの西木野真姫。
目付きも性格も最悪だけど、容姿はとびきりにキレイだなぁと思ってしまったから。


結局講堂に到着したのは16時から10分が過ぎようとしている頃。


花陽「もう始まっちゃってるよねぇ、席空いてるかなぁ…」

凛「そんな人気ある人たちなの?」

花陽「わかんない。始めたばかりらしいからどうなんだろうね」

凛「まぁとりあえず入ってみるにゃ」


建物に入り、講堂の扉へと向かう。

すると、意外な人物がその側に立っていた。


凛「あ……」

真姫「えっ…」

花陽「西木野さん?」

凛「何してるの……」

花陽「もしかして西木野さんもライブ観に来たの?」

真姫「え、あ、それは……そ、そう! たまたま通り掛かっただけよ」

凛「こんな所、たまたま通り掛かるわけないじゃん。馬鹿なの?」

真姫「うるさいわね! 貴女に馬鹿とか言われたくないんだけど」


相変わらず気に障る女。

ここなら人通りも少ないし、そろそろどっちが上かハッキリさせるのもいいかも。

どうせ中でライブしてるならどれだけ騒いでも誰も気付かないだろうし。


凛が戦闘の意思を込めて相手を睨むと向こうもそれに応えるように睨み返してきた。


凛「凛は西木野さんなんか絶対に認めない」

真姫「ひとの顔を見ればすぐ噛み付いてきてよく飽きないわね。まぁでも相手してほしかったら相手になってあげるわ」

花陽「も、もうっ! 二人ともっ、なんですぐケンカしちゃうの!?」


花陽が二人の間に割って入る。

凛も真姫もそのまま花陽を殴るわけにもいかず握り締めていた拳を解いた。


花陽「凛ちゃんっ、すぐ暴力に走るの駄目って前にも言ったよね…?」

凛「だって、西木野さんが……」

花陽「西木野さんもここにライブ観に来たんでしょ? だったら早く入ろ? もう始まっちゃってるよ」

真姫「だ、だから私は別に」


花陽の勢いに押され、扉が開いた講堂へと三人仲良く足を踏み入れた。


花陽「あ、あれぇ……?」


しんと静まり返る講堂内。

無人の客席。

ステージ上に立っているスクールアイドルであろう三人は入ってきた凛たち三人を見てどこか救われたような表情を向けていた。


凛「なんで凛たち以外誰もいないの?」

真姫「……まぁこうなるだろうとは思っていたけど」

凛「何か知ってるの?」

真姫「……別に」


花陽は惹き寄せられるようにステージ目の前の最前席へと向かって歩き出した。

一体何にそんな魅力があるのだろうと疑問に思った凛もとりあえず花陽を追っていく。



「……やろう。その為に今まで頑張ってきたんだから」


ステージに立っている三人。その真ん中の少女が声を掛けると今まで不安そうな表情をしていた隣の二人にも活気が灯った。


そして音楽が流れ始める。


まるでそこに花が咲いたようだった。


スポットライトに当てられた彼女たちの笑顔はやけに眩しく映っていた。


歌だって上手いとは言えない。

踊りだって素人目から見ても拙いもの。

特別美少女というわけでもない彼女たち。

でも何故だろう。

悪くない、そう思ってしまった凛だった。


曲の途中に振り返って遥か後方にいる西木野真姫を見てみたけど、相変わらずの無表情で。

でもほんの少しだけ柔らかい表情を含んでいたのは凛の気のせいだったのかどうか、よくわからない。


花陽「ふわぁ……」


曲が終わると嬉しそうにステージに向けて拍手を送っている花陽が隣にいた。

そこまで感激するものだったかはさておき、凛もそれに合わせて手を叩いた。

すると後方からも同じ様に拍手の音。
確認するまでもなく西木野真姫のものだ。

ステージ上の三人も講堂内に鳴るその音に、報われたような表情をみせた。



「……どうするつもり?」


そんな空間の心地好い余韻を掻き消すような冷たい声が突如として聞こえてきた。


花陽「あ……」

凛「あの人って…」


特徴的な金髪。
日本人のそれとは違った白い肌。
氷を嵌め込んだみたいな冷たい瞳。

この音ノ木坂学院の生徒会長、絢瀬絵里。


絵里「だからやめなさいって散々忠告しておいたじゃない。……どうするつもり?」


「続けます。そしていつかこの講堂を満員にしてみせます」


スクールアイドルの真ん中にいるリーダーっぽい子がそう言い切った。


依然として絢瀬絵里は冷たい視線を向けたまま、呆れたように不機嫌そうに口を開いて返す。


絵里「……これ以上続けたしても結果は見えているように思えるけど。画期的な策でもあるのかしら」



確かにその通りだと、凛も同様に思っていた。

いくら頑張ったとしても結果が着いてくるとは限らない。

挑戦し続けることは素晴らしい、美しい。
しかし、所詮努力は才能には敵わない。

差を埋めることは出来てもそれを覆すことは有り得ない。


中学二年の時、凛は剣道部に在籍していた期間があった。
そこには関東大会の決勝に進んだ経験もある三年生の主将がいた。

三日。

ルールを覚え始めてたったの三日。

凛はその主将を打ち負かした。

きっとその主将は幼い頃から剣道だけに打ち込んできたのだろう。
必死に練習を重ねて。

その人に凛は容易に勝ってしまった。

今までの努力は一体何だったのか、というその人の表情を見て何とも言えない気持ちになった。


努力は無駄だとは思わない。
しかし、圧倒的な才能を凌ぐ努力なんて存在しえないのだ。

だから凛は言った。

たった一回観ただけだけど、あの三人のスクールアイドルにほんの少しだけ情が芽生えていたから、生徒会長が言うことに反発したかったのかもしれない。


凛「画期的な策、ありますよ」


絵里「え……?」


当然ながら生徒会長もステージ上の三人も隣にいるかよちんも、きっと後ろの方から傍観していた西木野真姫も驚いていたと思う。


凛「かよちんがスクールアイドルになれば絶対に人気出ます」


花陽「は……? え、えぇっ!? ちょ、ちょっと凛ちゃんっ、何言ってるの!?」

凛「だってそうじゃん。かよちんの方が歌もダンスも上手いし」


凛の言葉により、全員の注目が花陽に集まった。

どうしていいのかわからないといった様子でその場であたふたする花陽。

次第に涙目になり首を横に振り続ける親友を見て、少し急ぎすぎだったかなと凛は自分の発言を反省した。

そうだ、これじゃあのスクールアイドルの三人の立場が無くなってしまう。

それにかよちんだってこんな上級生が何人もいる状況で、やりますなんて言えるわけないじゃないか。


凛「あ、えーと……かよちんがいろいろ教えてあげればもっと上達するかなーって」


真姫「……全然フォローになってないわよ。……ほんとに馬鹿なんだから」



気まずいような妙な空気が漂う。

それを切り裂くように口を開いたのは生徒会長の絢瀬絵里だった。

「……貴女たち、たしか一年生の小泉花陽さんと星空凛さん」と、さすが生徒会長ともあれば有望な新入生の名前くらいは知っているといった口ぶりで。


絵里「噂には聞いているわ。でもそれなら尚更スクールアイドルなんてくだらないことなんてしないで、他の部活動で学校に貢献してもらいたいものね」


間違ったことは言っていない。

たしかにその通りなんだろう。

でも何をするか何をしたいかなんて凛たちが決めること。

かよちんは絶対アイドルしたがってるんだからすればいいのに。

まぁ少し強引過ぎてしまったのは事実だけど。


凛「ねぇ、かよち」

花陽「と、とても素晴らしかったですっ…! これからも応援してますので頑張ってくださいっ!」

凛「へ? 頑張るのはかよちんじゃ」


ステージに向かってそそくさとおじぎをして花陽は慌ただしく講堂から出ていった。

皆、ぽかんとした表情でその後ろ姿を見つめていた。


それから数日が経った。


昼休みの音楽室。そのピアノの前には一人の少女が腰掛けていた。

音は人を表す。

この室内に響いている優雅な旋律は西木野真姫のもの。

真姫は自分の音が好きだった。

跳んだり跳ねたりはあまり自分らしくない。
水が流れるような、風がそよぐような、そんなメロディー。

音に包まれるこの感覚。そして自分の体が音に溶けていくみたいなそんな感覚。
何より心地好い。


だから演奏中に誰かに邪魔されるのは嫌い。

嫌い、なのに不思議と許せてしまうそんな人に出会ったのは初めて。

それは多分、彼女が自然な雰囲気を纏っているからだと思う。


ドアが開かれたのを感じ、鍵盤から指を離した。


花陽「ごめん、邪魔しちゃったかな」

真姫「…別にいいわよ。私に何か用?」

花陽「用ってわけじゃないけど、近くで聴いてみたいって思ったから。教室にいなかったからここかなぁって」

真姫「知ってたの?」

花陽「うん」

真姫「そう。今まで外から盗み聞きしていたってわけね」

花陽「ぬ、盗み聞きだなんてそんなっ……まぁその通りなんだけど……」

真姫「ふふ、冗談よ」


真姫「……なに?」


きょとんとした彼女に問い掛けた。

緩い力の抜けたような顔はいつものことなんだけど、あまりに間の抜けた表情をしていたから。


花陽「ううん、西木野さんでも冗談言うなんだなぁって」

真姫「何よそれ……。そんなことより、こんな所にいていいの?」

花陽「へ?」

真姫「貴女の幼馴染みにでも見られたらまた嫉妬されちゃうわよ」

花陽「あぁ、凛ちゃん」

真姫「今朝もひとの顔見るなり睨み付けてきて」

花陽「ご、ごめんね…」

真姫「別に貴女が謝ることじゃないわ」

花陽「凛ちゃんも西木野さんのこと気になってるんだよ。自分と近い人に出逢ったの初めてだから。口には出さないけど、西木野さんには負けたくないって思ってるんじゃないかなぁ」

真姫「あの子は一体何の勝負をしてるのよ……まったく。私じゃなくても貴女がいるじゃない? どうして私ばかり目の敵にされるのやら…」

花陽「花陽はそんなんじゃないから……。凛ちゃんや西木野さんに比べたら花陽なんて全然」

真姫「……私はそうは思わないけど」

花陽「へ?」

真姫「何をやらせても充分飛び抜けていると思うわ。勉強は勿論、運動能力だって。何を思ってか知らないけれど、授業の体育とか手を抜いてるみたいだし」

花陽「そ、それは……」

真姫「まぁ目立ちたくないって気持ちはわかるわ。でも本気を出したら星空凛以上だったりして」

花陽「そ、そんなことないっ、それだけは絶対にないよ…! 凛ちゃんはすごいんだもん。みんなの人気者で、ヒーローみたいで」

真姫「ふーん…」


花陽「だから、そんな凛ちゃんと同じくらい色んなこと出来る西木野さんすごいなぁって思うよ」

真姫「……それは私を評すると同時に自分も評しているのに気付いてる?」

花陽「ち、違う違うっ…! 花陽は西木野さんみたいに作曲とか出来ないし!」

真姫「……」

花陽「あ、あのね、スクールアイドルの人たちの曲、作曲したの西木野さんなんだってね」

真姫「……誰から聞いたの。まぁ答えは一つしかないのだけれど」

花陽「ほんとにすごいなぁ……あんな素敵な曲作っちゃうなんて」

真姫「……違うわ。私じゃない」

花陽「ほぇ? でも、西木野さんだって……」

真姫「西木野違いよ…」

花陽「一年の西木野さんって一人しか……ていうかこの学校の西木野さんも一人しかいな」

真姫「そ、そんなことよりっ!」

花陽「は、はいっ…」


しまった。つい大声を出してしまった。

こんなに取り乱すなんてみっともない。

この子といい星空凛といい、関わっていたら自分が望んでいないおかしな方向に迷ってしまいそう。

でも、僅かばかりでも嬉しく思ってしまったのは事実で。

今まで自分ひとりだけが飛び抜けていた環境にいたせいで、本気で競える相手がすぐ側にいるのは嫌でも胸が弾む。

この子たちとなら、何かすごいことが出来るんじゃないかって。

柄にもなくそんな馬鹿げたことを考えてしまったのは恥ずかしすぎて、口にすれば一瞬で身が燃えてしまいそうなのだけれど。


真姫「貴女は何がしたいのかしら?」

花陽「へ?」

真姫「貴女ほどの人なら何を選んでもとびきりの成果を上げて評価されるでしょうね」

花陽「は、花陽はそんな…」

真姫「何をしたいというのは何もしないというのも含まれているのだから、目立ちたくない、天才なんて軽い言葉でちやほやされたくないと思っているのならそれで結構」


他の人たちとは違って何でも出来る。
それは以前、凛にも言われたことのある言葉だった。

それ以外においても、凛と真姫は互いにいがみ合っているけれど本質的な部分はとても似通っていると花陽は感じていた。

だから真姫といると身構えることなく自然な自分であれる。
そんな安心感を真姫に抱いていた。


真姫「アイドル。興味あるんでしょ?」

花陽「えっ? あ……いや、その……」

真姫「あのライブの時の様子といい、その後でもあの人たちと話したんでしょ? だから私が作曲していたことも知っていた」

花陽「それは……うん……。でも、花陽なんかじゃ」

真姫「何を不安がっているのかはわからないけれど何でもやれる力は備わっているのだから。自信を持ちなさいよ」


自信は持てないにしろ、自分があらゆる能力面において他人より劣っているとは本気で思ってはいない。

でも、“アイドル”というものは花陽にとって何より特別だった。

幼い頃からテレビやライブ会場でその姿を見続けていたから。

憧れは強すぎると憧れではなくなる。

それは憧れを通り越したその先、自分とはまったく異なる世界の人間だと切り離した視点で触れ続けていた。


真姫「そんなに深く考えないでたかが学生の部活動みたいもの。したいのならもっと簡単に決めちゃっていいのよ」


なにもプロとして金銭が生じる活動なんかではない。
やりたかったらやればいいし、やっぱり自分に合わないと思ったらすぐに辞めればいい。

たったそれだけのこと。

力を持ちながらも決断を躊躇する花陽の気持ちが真姫にはあまり理解できなかった。

それでも、突き放してしまうのではなくこうして話を続け後押ししてあげようと思えるのは、きっと真姫自身も見てみたかったから。

自分が曲を提供したあの三人のパフォーマンスを目にして、思わず満たされたような気持ちになってしまった。
だからこの子がアイドルとしたらどうなるのだろうという興味が湧いていた。

単純に見てみたいと思ったから。



花陽「ねぇ、西木野さん……もしね、花陽がアイドルするって言ったら一緒にしてくれる?」


それは以前に凛に対しても訊いたものだった。

あの時は断られたけど。

自分じゃ何も決められない弱い私。

やっぱりそれは今でも変わらなくて。

逃げたいが為に、西木野さんを言い訳にしている自分がひどく惨めに思えた。

当然断られると思っていたから。

西木野さんが頷くわけがない。

だから西木野さんの返答は予想外過ぎて私の頭の中に軽い混乱を引き起こした。


真姫「いいわよ」


花陽「……え?」

真姫「一緒にしてあげるわよ。アイドル」

花陽「ほ、本当に……?」

真姫「なによ、そっちが訊いてきたんじゃない」

花陽「そ、そうだけど……まさか西木野さんが……」

真姫「……でもね、一つ約束してくれる?」


真姫は神妙な表情で花陽の目を見つめる。

ゾクッとした。

怖いと思った。

少しの沈黙があった後、真姫は口を開いた。



真姫「本気でやること。決して手を抜かないこと。どんなに周りと差が生じたとしてもそれを哀れんだりせずに自分の全力を注ぐこと」



そうでなくては面白くない。意味がない。

私がこの子に求めること。それは無限大の可能性。

そしてこの子の圧倒的な才気に触れたあのスクールアイドルの三人はどうなるのか。どうするのか。

自分は観測者だ。

良い方向に進むのかはわからない。
この子によってすべてが破壊され、無に還るのかもしれない。

どうなるにせよ、最高の退屈しのぎ。

この小泉花陽という人間を間近で観て計る。



真姫「あの三人が、私が、どれだけ傷付こうと手を緩めないで挑み続ける覚悟がある?」


花陽「……うん、西木野さんが一緒にいてくれるのなら頑張るよ」


真姫「……そう、なら楽しみにしてるわ」


先週、西木野さんと色々話せて少し仲良くなれた気がする。

西木野さんは同い年とは思えないくらい大人で。考え方とか物事に対する視点とか。
凛ちゃんへの尊敬と同じくらいに私の憧れる存在になっていた。

でも、照れたりするとすごく可愛くて。その時だけは十五才の少女の顔を見せてくれる。


そういえばあの後、二人でいるところを凛ちゃんに発見されてちょっと大変だったっけ。

その日は一日中凛ちゃん不機嫌になっちゃって。

せっかく同じクラスなんだから凛ちゃんも西木野さんももう少し仲良くしてくれたらもっと楽しいのに。



真姫「……小泉さん。……聞こえてる?」

花陽「へっ? あ、どうしたの?」

真姫「どうしたのじゃないわよ。次、私たちの番なんだけど」

花陽「あ、うん」


五時限目の体育の授業。この日は100m走。
空は快晴。春の陽気に取り込まれ、ついぼーっと考え事してたみたい。

横を向くと西木野さんが呆れた顔でこっちを見ていた。


真姫「…ねぇ、競争しない?」

花陽「競争?」

真姫「私も本気で走るから、貴女も本気で走って」

花陽「……?」


珍しいこともあるものだと思った。

西木野さんといえば今まで体育の時は面倒臭いと言わんばかりにいつも適当に流していたのに。


先週の記憶がふっと甦る。


『本気でやること。決して手を抜かないこと』


たしかあれはスクールアイドルをやる上でのことで。

西木野さんの意図がよく読めない。

でも断る理由もないし、西木野さんに逆らったら後が恐ろしそう。
目立つのは恥ずかしいけど隣に西木野さんがいてくれるからたぶん平気かなぁ。

私は首を縦に振り頷いた。


真姫「ふふ、真剣勝負楽しみだわ」

花陽「うんっ…!」


そしてスタートの笛が鳴り、私たちは走り出した。


凛ちゃん以外の人相手に本気で走ったのはすごく久しぶりだった。


身体が軽い。

空気を裂くようなこの感覚。

気持ちいい。


私は最後までスピードを弛めることなく、100mを走りきった。



小泉花陽 12秒58

西木野真姫 12秒92



真姫「やっぱり私より速いじゃない」

花陽「えへへ……たまたまだよ」


花陽「でも西木野さんもすごいよ。こんなに速い人って凛ちゃん以外に知らないもん」

真姫「あー、星空凛はもっと速いんでしょ…?」

花陽「うん! あ、凛ちゃんも走り終わったみたい」

真姫「……あれはもう化け物ね」



星空凛 11秒41



噂をすれば遠く離れた所から私たちに気付いた凛ちゃんが駆け寄ってきた。

大きくVサインを掲げ、とても嬉しそうにはしゃぎながら。
どうやら自分でも納得のいく記録だったみたい。


凛「かよちんかよちんっ、凛が走ってるの見てた!?」

花陽「うん、やっぱりすごいねぇ! 凛ちゃん!」

凛「えへへ! でしょでしょー! かよちんもどうしたの? 今日は本気で走ってたよね!」

花陽「う、うん……あ、でもいつも手を抜いてるってわけじゃなくて」

真姫「手を抜いてるじゃない。この結果が証拠でしょ」

花陽「あ、うぅ……」

凛「……あっれー? 西木野さん遅くなーい? 手抜いてたのかにゃぁ?」

真姫「別に……これが私の全力よ。貴女みたいな運動馬鹿と比べられてもね」


凛「バ、バカ!? 今凛のことバカって言った!?」

真姫「言ったわ。馬鹿に馬鹿って言って何がおかしいのよ」

凛「凛はバカじゃないもんっ!」

真姫「あら、なら今までに一度でも私にテストで勝ったことあったかしら?」

凛「うっ……西木野さん勉強以外に取り柄ないくせにっ! この頭でっかち!」

真姫「それは貴女の方でしょ。ていうか単純な走り合いじゃなければ私の方が上だし」

凛「言ったね? 言っちゃったね? なら勝負しようよ! 何であっても凛負けないから」

真姫「はぁ……馬鹿馬鹿しい。一人でやってれば」

凛「へぇ、逃げるんだ? 凛に負けるのが怖いから逃げちゃうんだ?」

真姫「吼えないで。噛み付いてこないで。貴女みたいな子の相手してるほど暇じゃないの、私」


凛「ふんっ、つまんないのー。行こ? かよちん」

花陽「あ、えっ、でも……」

凛「いいから! ほらっ!」


凛は花陽の手を牽き、真姫のいるこの場を離れた。



星空凛と西木野真姫。

出逢って数週間という浅い期間ながら、実は両者とも互いの突出した才能を心の奥底では認めていた。

しかし我が強い二人だからこそ、それを頭で理解することに抵抗があり、認めてしまえば自分が何より負けたくない相手に屈したことになってしまう。

それが許せない。

そう二人は思っていた。


翌日。


凛「かよちん、陸上部の誘い断ったらしいね」

花陽「う、うん……花陽には向いてないかなって。凛ちゃんはもう陸上部入ったんだっけ?」

凛「そだよ。だからどうにかしてかよちんを連れてきてくれって頼まれててさー」

花陽「そ、そうなの…!?」

凛「でも安心して。凛はかよちんがやらたくないこと無理にやらせたりしないにゃ」


昨日の体育の授業。
三人の記録に教師たちは騒然としていた。
全国大会で通用するほどの記録を出した花陽たちを学校側が放っておくわけがない。

その日のうちに陸上部顧問の教諭と主将が揃って花陽と真姫の元へ訪れた。

花陽はその熱心な勧誘に悪いと思いながらもなんとかそれを断った。
真姫は直ぐ様何であるか察したのか話を切り出される前に姿を眩ませた。



凛「だからかよちんには本当にやりたいことやってほしいな」

花陽「凛ちゃん……」

凛「アイドル、しないの?」

花陽「えぇと……それは……うん」

凛「??」

花陽「……するよ」

凛「ほんと? もう先輩たちに言いに行った?」

花陽「そ、それは……まだ……」

凛「もー! やるって決めたならすぐ行かなきゃー」


真姫「…そうよ。いつまで待たせるつもりなの?」


花陽と凛が話している遠くから真姫が放り投げるように言葉を落とした。


真姫「貴女この前やるって言ってたじゃない。いつまで先伸ばしにしているのよ」

花陽「ご、ごめん……」

凛「……どうして西木野さんが凛とかよちんの会話に入ってくるの? 西木野さんには関係ないじゃん」


凛は明らかな敵対心を持って真姫を睨み付けた。

この二人が言い争い、ケンカになるのはいつものことで。
しかし最近では花陽を挟んでそうなることが殆どだった。

花陽が真姫と仲良くしているのが気に入らない。
自分の知らないところでなら尚更に。


凛「……かよちんに何か言ったの?」

真姫「それこそ貴女には関係の無いことでしょ? この子とスクールアイドルに関する話なんだから」

凛「西木野さんにアイドルやった方がいいって言われたの? 凛が言ったからやるんじゃなくて西木野さんに云われたからやるの?」

真姫「そんなのどっちだっていいでしょ」

凛「うるさいうるさいっ! 西木野さんは黙っててっ!」

真姫「…ほんっとにガキね、貴女は。そんなにこの子を自分の思い通りにさせたいの? この子のやること為すこと自分が関わってないと気が済まないの?」

凛「うるさいっ……」

真姫「貴女がそんなだからこの子はいつまでたっても自分じゃ何も決められないままなのよ」

凛「うるさいっ!!」


強い怒声と共に凛の拳が真姫の顔面目掛けて振り抜かれた。


感情の乱れ。俗にいう“キレた”ことによる素直過ぎるがあまり一直線に向かってくる攻撃だ。

真姫はそれに反応していたし、避けることは容易だった。逆に反撃をくわえることも充分可能だっただろう。

拳が届くまでの一秒も無い瞬間に真姫は思った。考えた。

このまま無抵抗に殴られれば悪いのは完全に凛だ。
だとすれば、こんな直情的な人間にそろそろ花陽も愛想を尽かすのではないか。

いや、心優しい花陽だ。
たとえそうまではいかなくとも少しの不信感や嫌悪感が生まれるのは無理もない。至極当然。

そうなったらこの星空凛はどうなるのか。どう壊れていくのか。

親友に見捨てられた果てに、星空凛はどのような行動を取るのか。

とても興味があった。


殴られてあげても別にいいか。

どうせ体重も乗っていない感情任せの一撃だ。
それは脅威的な身体能力の星空凛に殴られるのではなく、ただのキレた十代の少女によるもの。

一発浴びたところでどうってことはないだろう。


もしかしたら星空凛自身も私なら容易く避けると思っているのかもしれない。
それを期待したうえでの我を通す為だけの、所謂パフォーマンス。

というのは彼女を過大に評価しているのか。それとも過小評価しているのか。


まぁなんにせよ、だとしたら尚更避けてやるわけにはいかない。

避けてやらない。

私は、星空凛に殴られよう。



頬に拳が届く。その寸前で真姫は目を閉じた。



パシッ。

凛の拳を受け止めたのは真姫の頬ではなく、空振った先にある空気でもなく。

それは花陽の掌だった。



花陽「もうっ、すぐ手を出しちゃダメっていつも言ってるでしょ! 凛ちゃん」

凛「あ……かよちん……」


凛「ご、ごめん……」

花陽「花陽にじゃなくて西木野さんに謝らなきゃ」

凛「ごめん、なさい……」


凛はまるで母親に叱られたようにしゅんとなり真姫に謝罪する。

凛にしてはいつもより素直だなと真姫は思った。
殴られるつもりが殴られなかった。そのこと以上に拍子抜けするくらいに。


事実、凛本人も悪いことしてしまったと感じていた。

真姫と殴り合うのは凛のなかでは悪いことではない。
しかし、それは相手にも戦意がある場合のみであって。

今みたいに口喧嘩の延長で凛だけが一方的に暴力に打ってでるのは凛としても本意ではなかったから。


凛「ごめんなさい。西木野さん」

真姫「……別に、いいけど」

花陽「西木野さんも謝って」

真姫「え? な、なんで私まで」

花陽「わざわざ挑発するようなこと言ったんだから。凛ちゃんが怒ることわかってたでしょ?」

真姫「……」


まったく。いつもおろおろしていて余裕無さそうなふりして案外目敏い。

もしかしたら私の心意もすべて見透かしているのかも。

それに私相手にでもこうやって強気に出てくるのだから、やっぱりこの子にはたまにハッとさせられる。

星空凛なんかよりもよっぽど私にとって障害に成りうる人間なのかもしれない。


真姫「私も、悪かったわ……星空凛」

凛「……ん」


花陽「ふふっ、これで二人とも仲直りだね」

真姫「な、仲直りって……使い方間違ってない? それ」

凛「そうだよ。元々凛たち仲良くなんてないし」

花陽「じゃあ今から仲良くなろ? ほら、二人とも握手して」

真姫「は…?」

凛「え?」

花陽「ケンカして、謝った後は仲直りの握手でしょ?」

真姫「だ、だから仲直りじゃ……」

凛「な、なんで凛が西木野さんなんかと」

花陽「凛ちゃん? 西木野さん?」

凛「うぅ……」

真姫「はぁ……」


こうなってしまった花陽には何を言っても無駄だ。
凛は勿論、真姫もなんとなくそれをわかっていた。

だからいつもだったら凛は瞬時に逃げ出すし、真姫も無言でその場から立ち去る。

しかし今のこの状況ではつい先程の一件から二人ともバツの悪さを感じており、逃げ出そうにも逃げ出せない。


諦めたように二人は互いに自身の右手を相手に差し出した。

手と手とが触れ合った時間は一秒にも満たないし、目線なんか意地でも合わせようとしない。

でも、そんな不格好な二人の姿を花陽は微笑ましく眺めていた。


真姫「こ、これで私たちの件はもういいでしょ…?」

花陽「うん。凛ちゃんもこれからは西木野さんに優しくするんだよ?」

凛「んー……それは相手次第かにゃぁ」

花陽「だって? 西木野さん」

真姫「だって、じゃないわよ……もう……。ていうかそんなことよりもっ」


照れ隠しのように話題を変えようとする真姫の頬は普段よりも少しだけ紅くなっていた。

花陽はそれを見てだらしなくニヤニヤしていて、凛もまんざら悪い気はしなかった。


少しだけ、ほんの少しだけ、凛と真姫の距離が縮まったような気がした花陽。

花陽は思う。

この二人は本当に似ているのだから一回打ち解ければすごく仲良くなれるのに。
こんな同族嫌悪をずっと引き摺ったままなのはあまりに勿体無い。

自分と凛と真姫。この三人で笑いながら学校生活を送れたらどんなに楽しいのだろう。
その為には素直になれない二人の代わりに自分が頑張らなきゃ。

それは花陽がこの学校に入学して初めて強く胸に描いた目標……願いだった。



真姫「次は貴女の番よ、小泉さん」

花陽「花陽の……?」

真姫「はぁ……言っておくけど、私たちのせいで自分のやりたいことを後回しにしてるなんて言わせないわよ?」

凛「こうして凛たちは仲直り……じゃなくて、なんていうか、えーと……和解? してあげたんだからかよちんこそ、勇気出さなきゃ!」

花陽「……うん!」


放課後の校内。窓から覗ける春の空はまだ陽が高く。

聞こえるのは帰宅する生徒の笑い声だったり、運動部の活気ある声だったり。

それとコツコツと階段を登る足音。

足音。

屋上へ続く階段には三人分の足音が響いていた。


花陽「うぅ……緊張する……やっぱり明日に」

真姫「ここまで来て何言ってるのよ」

凛「ていうかなんで西木野さんまでついてきてるの? 凛一人でかよちん送り届けるからもう帰っていいよ」

真姫「だったらそれこそ貴女がいる必要もないじゃない。私がいるんだから」

凛「だーかーらー! かよちんには凛がいるのー!」

真姫「はいはい、うるさいわね……」

凛「…やっぱり決着つけようか? ここなら邪魔入らないし」

真姫「そうね。そろそろ貴女には大人しくしてもらいたいし」

花陽「もうっ、二人とも……こんなところでまでケンカしないの! 花陽は二人に一緒にいてほしいなぁ……その方が心強いから」

凛「まぁ、そういうことなら……」

真姫「いいからさっさと行くわよ」



階段を登りきった先にあるのは屋上へ入る為の扉が一枚。

そのドアノブに手を掛け、花陽はスクールアイドルのあの三人が練習している屋上へと足を踏み入れた。


ガチャっという扉が開く音にいち早く気付いたのは高坂穂乃果だった。

休憩中で穂乃果と共に談笑していた南ことりと園田海未も扉の方へと視線を向ける。


ことり「お客さん、かなぁ?」

海未「何でしょう……?」

穂乃果「あっ、花陽ちゃん? と、凛ちゃん! と、真姫ちゃん!」

ことり「あぁ、この前ライブの後にわざわざ感想言いに来てくれた子」


花陽も凛も真姫も、それぞれ顔と名前を覚えられるくらいの面識はあった。

先日のライブで披露した楽曲を作った真姫。
花陽と凛もあの後に穂乃果たち三人の元を訪れていた。

感想もそうだが本来の目的としては凛の失礼とも取れる発言が主だった。
あのような唐突な非礼について謝る二人に穂乃果たちはまったく気にしていない様子で笑ってくれた。

それどころか、興味あるなら一緒にやってみない? という穂乃果に花陽は強く感激した。

その時は、自分なんかじゃ、と断ったが凛と真姫、二人に後押ししてもらいこうして再び穂乃果たち三人の前に立っているわけである。



花陽「あ、あの……その、えっと……」


凛「かよちん」

真姫「ほら、もっと堂々としていなさい」


高鳴る胸の鼓動。

緊張に押し潰されそうだ。

先輩三人を前にしているからここまで緊張しているわけではなく、新しいことに挑戦しようとしているからでもなく。

まぁその二つだけでも充分に心臓がバクバクする理由になるのだけれど。

こんなにも花陽から余裕を奪い取っているのは、足を踏み出そうとしているその先が憧れ続け、自分とは違う世界と認識したいた“アイドル”だったから。


真姫は、たかが学校の部活動みたいなもの、と言った。

凛は、花陽なら何でも出来る、何にでもなれる、と言った。


それでも、花陽にとって“アイドル”とは本当に特別なもので。


足が震える。

私なんかじゃ、って弱い自分が絡み付いてくる。


でも、そんな臆病な自分が逃げ出さずにしっかりと目の前を見据えることが出来たのはやっぱり隣に凛と真姫がいてくれたからで。



花陽「高坂先輩、南先輩、園田先輩」


花陽「私は小泉花陽といいます。私、ずっとアイドルに憧れてて……でも、自信が無くて、今でも自分が人前で歌ったり踊ったりっていうのは想像できなくて」


花陽「すごく怖いけど、いっぱいいっぱい迷惑掛けちゃうかもしれないけど……挑戦してみたいって、思いました」


花陽「私は、アイドルやってみたいです。先輩たちと一緒にスクールアイドルやってみたいですっ!」



言った。言ってしまった。

もう、後戻りは出来ない。

断られるかもしれないけど、私は“アイドル”になりたいと宣言してしまった。


風が頬を撫でる。

穏やかな春の匂い。

きっと私はこの時のことを一生忘れないだろう。


花陽の元へと穂乃果は足を進める。


その足音が怖かった。

怒られるんじゃないかと思った。

思わず目を瞑ってしまう。


そして足音が止み、目を開けるとそこには自分の方へと差し出された手のひらがあった。



穂乃果「よろしくね。花陽ちゃん」


花陽「は、はいっ……!」


その手のひらを両手でぎゅっと握りしめた。


穂乃果の向こう側にいることりと海未も微笑み頷いていた。


ことり「あ、もしかして二人も?」

海未「凛、真姫。貴女たちはどうするのですか?」


凛「へ? いや、凛はただの付き添いで……もう陸上部入ってるから」


花陽にべったりと周りに思われていても、凛はやはり自分がやりたいこと以外はやるつもりはなかった。

花陽がしたいことと自分がしたいこと。これが異なるのは人間として当然と凛も理解している。

自分をねじ曲げてまで他人に合わせるというのは凛の最も嫌うところだ。

だから、次の真姫の言葉に耳を疑った。


真姫「私も入るわ。よろしくね、先輩」


凛「え……?」


凛は激しく戸惑った。


何を、何を言ってるの? この人。

西木野さんがアイドルに?

そんな興味なんて微塵も見せてなかったのに。

どうしていきなり?

かよちんがアイドルするから西木野さんもするの?


凛「な、なんでっ!?」

真姫「…なにか?」

凛「なんで西木野さんまで入るの!? おかしいでしょっ、そんなのっ!!」

真姫「別に私が何しようが貴女には何の関係も無いじゃない」

凛「……っ」


凛だけ仲間外れ?

幼稚な発想と思われてもいい。

そんなことどうでもよくて、今まで味わったことのない本当に嫌な気持ちになっていた。

ふざけるなふざけるなふざけるなっ!!

そんなに凛のことが嫌いか。
そんなに凛に惨めな想いをさせたいのか。
そんなに凛を……。

かよちんも結託して凛を除け者に……?

違う。そんなわけない。

かよちんは凛のことも誘ってくれてたじゃないか。それを凛は断った。

凛が断ったことを知ってたから、それで。

すべて、西木野真姫が。

そうだ。この女はそういう人間だ。


思い通りになんかなってやるものか。


西木野真姫が凛の嫌がることをしてきたように、凛も西木野真姫にとって何よりも嫌な存在になってやる。


凛「……凛も。凛もやっぱりやる……アイドル」


凛は憎しみと、苛立ちと、本気の宣戦布告を含んで思いきり真姫を睨み付けた。

お前だけは絶対に認めない。そんな強烈な意を込めて。

勝手にすれば? と言わんばかりの澄ました真姫の態度が尚更凛の感情を逆撫でする。

本当は今すぐ殴りかかりたい思いを必死に抑えた。

落ち着け。今ここで殴り飛ばしてもなんの意味もない。凛が悪者になって終わってしまう。

だったら、うん。

これは即ち今までうやむやだった勝負というフィールドが“アイドル”に移っただけ。
いいよ。望むところだ。それでどちらが上かハッキリさせてあげるよ。



花陽「凛ちゃんも一緒にしてくれるの…?」


今までずっと一緒にいた幼馴染みが共にアイドルを始めてくれる。それはとても嬉しいことだけど。

嬉しい反面、隠すことない凛の真姫への敵対意識が目に見えるように伝わってきて怖いとさえ思ってしまった。


海未「……しかし、」

ことり「海未ちゃん?」

海未「凛は陸上部に入っているのでしょう? 掛け持ちは大変かと思いますが平気ですか?」

凛「平気だにゃ。なーんにも心配はいりません!」


凛は笑ってそう言った。


海未「そうですか……」

ことり「……?」


穂乃果「えーと、てことは三人とも一緒にやってくれるってこと、だよね?」

ことり「そうだよ。穂乃果ちゃん」

穂乃果「やったー! これで賑やかになってますます楽しくなりそう!」

海未「だとよいのですが……」


小泉花陽。西木野真姫。星空凛。

三者三様。思うことは様々。
理由は違えど三人はこの日、スクールアイドルになった。


思うことは様々。それは二年生にも言えることで。

メンバーが増えたことにただ純粋に喜ぶ。しかし楽観視しすぎな穂乃果に対し、海未は一抹の不安を危惧していた。

それは真姫と凛の普通ではない関係性を穂乃果やことりよりも先に朧気にしろ察していたから。

他人の感情の起伏に敏感なことりもあの二人を心配はしていたが、海未ほどは深くは考えていない。
喧嘩するほど仲が良いなどという楽観的思考も同時に持ち合わせており、花陽と同じく平和的な性格、それを第一に携えていた。

平和的。

南ことりのこれまでの世界はとても平和的だった。
荒波を立てることを嫌がり、何が起きても穏便に事を済ませる。済ませてきた。
今回だって同じ。あの二人に何があっても自分ならなんとかしてあげられる。楽観的と言われればその通りなのだが、そう思っていた。


そんなことりの性格をよく知っている海未だからことりが傷付くことなど望んでいる筈がない。

だから、問題が起こる前にその芽を摘む必要がある。


海未が注視していたのは、星空凛。


星空凛。海未にとっては聞き覚えのある名だった。

遅筆すぎて話が進まない。
まぁのんびり書いていきますので読んでくれてる人いたらよろしくです。


六人になっての活動が始まって一週間が経った。


海未「では少し休憩しましょう」



海未による合図が掛かり、各々腰を下ろし水分補給やタオルで汗を拭ったりしていた。

仲良さげに談笑している凛と花陽。
少し離れた位置にいる真姫は無表情で空を眺めている。

花陽はチラチラと真姫の方を気にしているが、行かせまいと凛が引き留めているといった具合だろう。


今のところは皆の前で激しい衝突は無いものの、時限爆弾のようにいつ爆発してしまうのかわからない。
海未はそんな感覚に包まれていた。



海未「……穂乃果、ことり」

穂乃果「ん?」

ことり「なぁに? 海未ちゃん」

海未「二人の目から見てあの一年生たちはどうですか?」

穂乃果「どうって訊かれても、すごいの一言だよね」

ことり「うん。三人とも飲み込みすごく早いし、練習も真面目にしてるし。良い子たちだと思うなぁ」

海未「はい。私もそう思います」


花陽以外の二人。凛と真姫の加入理由には少々不安があったが、それも杞憂と思えるほど二人とも真面目に練習に励んでくれている。

それにあらゆる能力値が高いこともこの一週間で充分にわかった。
自惚れながら身体能力に多少の自信があった自分を軽々と凌ぐほどに。


穂乃果「穂乃果たちも一年生に負けないようにもっともっと頑張らないとだね!」

ことり「うん!」

海未「えぇ、そうですね」


海未「陽も暮れてきましたし、今日はここまでです。お疲れ様でした」


お疲れ様です、と元気よく返してくれた一年生たち。

能力を認めてからというもの、意地になっているわけではないが多少きつめのメニューを組んでいるのにまだまだ余裕がありそうな一年生三人を見て改めて感心した。



凛「踊るのって意外と楽しいんだねー」

花陽「うん! 凛ちゃんすぐ振り覚えちゃうんだもん、やっぱりすごいなぁ」

凛「かよちんだってとっくに完璧じゃん! それに他の競技と違ってややこしいルールとかないから楽チンだにゃー」

花陽「そ、そうかなぁ? でも本番となると人前で踊るわけだし、すっごく緊張しちゃいそう……」

凛「そんなの楽勝だってー!」


海未「凛。少しいいですか?」


凛「へ? やばっ……そ、園田先輩、別に今のはナメた発言ってわけじゃなくて」

海未「いえ、そのことではなく。凛に少し聞きたいことが」

凛「聞きたいこと?」


怒られるかもと身構えていた凛は海未が何を言おうとしているのかまったく想像できなかった。

毎日練習も休まずに来てるし、海未たち先輩とも上手くコミュニケーションはとれているつもりだ。

そう、西木野真姫なんかよりも自分の方がよっぽど上手くグループ内でやれている自信はあったし、更に言えば先輩たちを味方に着けてゆくゆくは真姫の居場所を無くしてやるつもりでもあった。

だから凛が疎ましく思われるなんてことは考えられない。
まぁ凛の桁外れた能力に対しての妬みなら話は別だけど。


とりあえず考えるのをやめにして海未から話を聞いてみると、それは凛にとってあまり気持ちの良いものではなかった。


海未「星空凛。私は少し前から貴女のことは知っていました。凛はこの学校に入学してアイドルを始めたり、陸上部に在籍していたりでしたので私の勘違いと思いましたが」

凛「……」

海未「やはり……そもそも星空という名字なんて特に珍しいですから本人なのでしょうね」

凛「……」

海未「凛、剣道は辞めてしまったのですか?」


凛「……知ってたの?」

海未「中学の時、都大会で手合わせしたこと、覚えてはいませんよね。凛は相当に強かったですから」


海未は強烈な印象としてその時のことを鮮明に覚えていた。

都大会の一回戦で当たった相手は星空凛という初めて聞く名前だった。

凛の通っていた中学には関東大会常連の手練れ、たしか主将を務めていた好敵手。
その者については海未は知っていたからどうしてその者が勝ち上がってきていないのに無名であった星空凛がこの場にいるのか疑問だった。


その疑問は剣を交えるとすぐに理解出来た。
いや、理解させられた。

星空凛は次元が違うと思わされるほどに強すぎたから。

試合が開始して三十秒と持たずして海未は敗北した。



海未「どうして辞めてしまったのですか? あれほど強く、才能もあったであろうに」

凛「そ、それは……あれっきりだから」

海未「あれっきり、とは…?」

凛「凛が剣道したのはあの時だけだから。別に好きだからやってたわけじゃなくて、面白そうだからちょっとやったみただけ」

海未「……驚きました。凛の身体能力は理解しているつもりでしたがまさか少し触っただけであれほどまで」

凛「嫌味な言い方になっちゃうかもしれないけど、凛にとっては学生がやるスポーツなんて簡単なんだよ。何をやってもそこら辺の人には勝てちゃうから」


それが楽しかったり、寂しかったり。

別に他の人に嫌な気持ちにさせようなんて思ってるわけじゃない。

凛は自分のやりたいことだけをやる。

たとえそれで誰かが傷付いてしまったとしても、それは凛のせいじゃなくて。力が足りないあなたが悪いだよ、って。

小さい頃にはあまりそんなこと考えなかったけど、成長するにつれて最近はそういうことに敏感になっていた。


凛「お、怒ってるよね……?」


海未が幼い頃から武道の鍛練を積んでいたことを凛は聞いていた。

高校に入ってからもアイドル活動をしつつ、弓道部や剣道部に在籍してて。
家にある道場でも日々汗を流しているとか。

努力の塊のような人。

そう凛は海未に対して思っていた。


海未「……まぁ取り組む姿勢としてはあまり賛同しかねますが、怒っているわけではありませんよ」

凛「うん……ていうか過去のことなんてどうでもいいじゃん。今は凛はアイドルなわけだし! ちゃんとアイドルしてるでしょー? ねっ?」

海未「……凛はアイドルが好きですか?」

凛「も、もちろん! 凛はアイドルだーいすき!」

海未「……私には真姫に対抗しているようにしか見えませんが」

凛「……は?」


凛は海未たち二年生の三人のことは気に入っていた。
話しているのは楽しいし、穂乃果やことりは可愛がってくれるし、海未も厳しいながらも対等な目線で接してきてくれる。

だからその人たちを傷付けることはあまりしたくなかった。

さっきの話もそう。自分のせいで海未が嫌な思いをしてしまったんじゃないかって。
凛に圧倒的な敗北を喫したからといってそれまで積み上げてきたものを投げ出さずにいてくれたのは凛にとってもほっとする部分であった。


しかし、真姫の名前を出された途端、凛の目の色が変わる。


凛「真姫……? 昔の話もどうでもいいんだから西木野真姫の話なんてもっとどうでもいいじゃんっ! 凛は自分の意思でここにいるのっ! 西木野真姫なんか関係ないっ!!」


つい感情的になってしまった怒声に周りにいた花陽や穂乃果、ことりがビクッとした様子が凛の目に入った。

幸いにも真姫は既に屋上から姿を消していたので、二人のケンカに発展することがなかったのにはとりあえず皆安心した。


海未「落ち着いてください、凛。凛の気持ちをもってするなら少々乱雑な言葉になってしまったことは謝ります」

凛「……っ」

花陽「凛ちゃん、ダメだよ……先輩相手にそんな」

海未「花陽。穂乃果もことりも。凛と二人にさせてもらえませんか?」

花陽「で、でも…」

ことり「大丈夫なの……?」


海未は頷いた。

凛もこんな醜態を見られるのは嫌だったから海未の言葉に何も言わなかった。


そして海未と凛を残し、皆屋上から出ていった。



海未「……凛」

凛「……」

海未「私は凛を咎めようとしているわけではありません。きっかけなんて人それぞれでよいと思います。私だってまだ人前で歌ったり踊ったりすることに抵抗がありますし」

凛「じゃあ尚更凛がここにいる理由なんてなんでもいいじゃん」

海未「それは少し違います。結果と、それに到るまでの過程……私は過程の方を重要視します」

凛「なんの話……?」

海未「凛はおそらく私とは真逆な意見でしょうね」


凛「まぁ……うん。だって記録には結果しか残らないでしょ? 過程なんて後から見返しても何も綴られてなんかない」

海未「だからといって過程が重要ではないということにはなりません。もし結果がすべてだというのなら私はとっくに剣道を辞めていたでしょう」


海未は続けて言った。

私は過去に凛に負けた。
それも素人同然の相手に。対する自分は何年も何年も毎日欠かさず稽古に励んでいた身。

敗北したという事実は変わらないし、一生消えはしない。
結果として残っているのですから。

それでも、それまで積み重ねてきた日々が無駄だったとは思わない。


だから負けた時、貴女のことをすごい人だと素直に尊敬しました。

経験も無いまま興味本意で剣を振るっていたことを知り、闘志が溢れてきました。


海未「負けたくない、と思いました」

凛「……そういう考え方は嫌いじゃないよ。嫌いじゃないけど、さぁ……凛の知らないところでやってよ」

海未「私は凛にも知ってもらいたい。楽しむことを。どうせやるなら楽しい方がよいでしょう?」

凛「…楽しいよ、今でも充分」

海未「それは花陽と一緒にいるのが楽しいだけでしょう。私も、凛と一緒に楽しみたい」

凛「無理だよ。そんなこと、無理だよ。だって凛は天才だもん……園田先輩たちは所詮凡人だから」

海未「ふふっ、随分な物言いですね」

凛「だってその通りだから。先輩たちのことは好きだよ。好きだから凛のせいで惨めな思いしてほしくない…」

海未「……そうですか。ならば二年ぶりになりますが手合わせしましょうか」

凛「え?」


剣道場。
ちょうど剣道部の練習時間も終わった頃で園田先輩が話をつけてくれたみたい。
使い終えた後、きちんと後片付けをするということを条件に場所を貸してもらったとか。

それはいい。なんでもいい。

凛には関係の無いことだから。
関係の無いことの筈だったから。


それなのに、

なんで凛はここにいるんだろう。



海未「さぁ凛、道具はこちらにあるので好きなものを」

凛「しない……先輩と勝負なんかしないよ」


海未は凛の言葉に何も返すことなく、ささやかばかりの笑みを浮かべ眈々と防具を装着し始める。


凛「さっきの凛の話聞いてなかったんですか? 園田先輩じゃ前と同じようにきっと凛の相手にならない」


惨めな思いするだけ。

凛はそんなことしたくないのに。

二人とも嫌な気持ちになるだけ。

こんなの、なんの意味もない。


凛「まさか勝てるとか思ってるの? 凛がこの二年剣道してないって言ってたから。だとしたら凛のこと見くびり過ぎですよ」

海未「さて、どうでしょうね」


凛「……帰る」

海未「逃げるのですか? 私に負けるのが怖いから」


安っぽい、安すぎる挑発。

惨めになるのが怖くないのか、この人は。

園田先輩だって馬鹿じゃない。多分、凛に勝てるなんて思ってないんじゃないかな。
思っていないうえで、この人は真剣なんだ。

負けることに真剣、っていうのもおかしな表現だけど。それが園田海未という人間。

真っ直ぐ過ぎるから、今まで失敗や空回りなんて数え切れないくらいしてきたのだろう。

もっと上手く生きる方法なんていくらでもあるのに。
決してそれを知らないわけじゃない。知ったうえでのこの人が選んだ生き方がこれなんだ。

強い人。弱いくせに、なんて強い。


美しいよ。とても美しい。
大勢のオーディエンスの前で説いたら拍手喝采だろう。


でも、同時にそれが凛を苛立たせる。

見え透いた挑発でも、その意を捉えていたとしても、言葉は言葉だ。

凛はまだ子供だから。子供らしく挑発に乗ってあげるよ。



凛「…どうなっても知らないよ?」


海未「では竹刀と防具を」

凛「竹刀だけでいいや。防具は臭いからやだ」

海未「駄目です。それは許しません。怪我でもしたら大変ですから」

凛「怪我? そんなのするわけないじゃん」

海未「まぁ貴女ならそう言うと思ってましたが。ならば貴女用に言い方を変えましょう」


「このままでは貴女に怪我させてしまうことを恐れる私は全力で挑めません。低いとはいえ、そういった可能性があるのはたしかです」

海未はトーンを落とした声で言った。


なるほどね。真っ当な理由。

この人の真っ当過ぎる理由は本当に凛を苛立たせる。

弱いくせに。弱いくせに。弱いくせに。


海未を睨み付けたまま、凛は防具を拾いにいった。

ルールはなんとなく覚えていたが、防具の装着の仕方は忘れていたので海未に手伝ってもらった。


そして凛、海未の両者は距離を空けて対峙する。


海未「一本先取した方の勝ちで」

凛「うん」


凛の構えを見て海未は眉を寄せた。

闘気が伝わってこないのは別に構わない。こうして試合をしてくれるだけで海未としては有り難いことだったから。

だがしかし、


海未「……左手? 凛、貴女利き腕は」

凛「右だよ」


利き腕ではない左手一本で竹刀を握っている凛。
もう片方、右の腕はだらしなくぶらんと垂れ下がったままだった。


凛「知ってるよ。こうすると怒るんだよね? 園田先輩は」

海未「……」

凛「先輩がさぁ、あんまりにもしつこいから凛も気が変わっちゃった。圧倒的に……残酷に勝利してその強い心を潰してあげるよ」


自分でも最低だと思った。

でも園田先輩の生き方を否定するにはこれが一番わかりやすくて手っ取り早い。

説教みたいに色々と言われて嫌いになったとかじゃない。むしろ興味が湧いてきた。

こんなに強く真面目で真っ直ぐな人が絶望する時、どんな表情をするんだろう。その顔を見てみたいと思った。



凛「別にこれくらいいいでしょ? 付き合ってあげてるんだから」

海未「……えぇ、構いません」

凛「なんなら竹刀も無くてもいいんだけどー」

海未「それでは剣道の試合とは呼べなくなってしまいます」

凛「冗談だよ、じょーだん」


海未「…ではそろそろ始めましょうか」

凛「いつでもいいよ」

海未「あの秒針が頂上を開始で」

凛「おっけー」


じっと相手を見据え、凛と構える海未。
それと正反対に凛は落ち着きなく体をくねくねさせたりふにゃふにゃさせたり。



58、59……60


時計の秒針が真上を指す。


海未「はぁぁっ!」


試合開始と共に海未は床を一蹴り。凛との間合いに一瞬で詰め寄る。

その勢いのままに竹刀を振り横から胴を居抜こうとするが、ちょうど詰められた間合い分凛は滑るように後ろに下がり余裕の表情でそれを避けた。


凛は海未の動きを見て、遅いと思った。
この程度なら過去に対戦していたとしても記憶に残らないのも無理はない。

凛は再確認した。

やっぱり剣道なんか簡単だ。
体に相手の剣を触れさせなければ負けないのだから。


立て続けに降り注いでくる海未の剣を最小限の動作だけで避ける。

狙おうと思えばいくらでも隙は突けた。

攻撃にばかり転じればどうしても隙は生まれる。
凛が左手の手首を軽く返すだけですぐにでもこの試合を終わらせることは可能だった。


海未「……攻撃してこないのですか?」

凛「すぐに終わらせてもつまんないでしょ?」

海未「…ナメられたものですね」

凛「ナメてるよ、最初から。やっぱり先輩じゃ逆立ちしても凛には勝てないよ。これだったら」


これだったら西木野真姫の方が格段に上だ、と言ってしまいそうになるのをなんとか止めた。

危ない、危ない。
誰があんなやつ認めてやるもんか。

思い出しただけで無性に苛々する。

それもこれも園田海未が弱いせいだ、などと勝手に不機嫌になる凛だった。


依然として絶え間なく上から横から正面からと降ってくる海未の剣。

それを避け続けることは凛にとってはとても容易だけど。


それもそろそろ飽きてきたかな。


真上から落ちてくる海未の竹刀を身体を捻って右に避けたと同時に凛は初めて左手に持つ竹刀を動かした。

振り落とされた海未の竹刀の柄の部分にカンッと衝撃をくわえ、僅かばかり竹刀を握っていた海未の両手が浮いた瞬間。

竹刀を持つ右手と左手の間、そこ狙う。


海未「なっ…!?」


すると海未の手から竹刀がすっぽ抜けたように弾き飛んだ。

あまりに一瞬の出来事で海未は理解が追い付かなかったが、要は凛が左手一本で海未から竹刀を弾き飛ばしたのだ。


凛「あはは、しっかり握っておかないと駄目ですよー?」

海未「……っ」

凛「早く拾いにいったら?」

海未「……はい」


竹刀を拾い、再び構えをとる海未。

先程の攻撃を警戒し、相手の出方を窺うも一向に凛は自ら仕掛けてくる気配などなかった。


痺れを切らし、じりじりと半歩、また半歩と距離を海未は詰めていく。


そして少し手を伸ばせば届くくらいまで距離が縮まった。
しかし仕掛けることに躊躇するあまり、互いに睨み合った状態が続く。


海未は静かに呼吸を整えながら相手の隙を探そうとするも見当たらない。

いや、隙なら有りすぎるくらいなのだが、そこを突けるかイメージしても先程の二の舞となる気がしてならない。


そうこう考えているうちに先に動いたのは凛だった。


海未が瞬きをした一瞬、目の前から凛が消えた。消えたように映った。

そして次の瞬間にはさっきとまったく同じ様に自分の手から竹刀が弾き飛ばされていた。


海未「え……?」

凛「はい二本目ー」


本当に同じ人間なのか。
だとしたら次元が違いすぎる。

凛の速さにまったく着いていけないどころか目で追うことすら出来ない。

天才だ。

この子は紛れもなく天才なのだと再認識させられた。

ここまでです。
一つ一つのシーンが長くなりすぎて自分が一番書きたいところまで全然辿り着けない……
まだ序盤の序盤のなのでかなり長くなると思われ


それからは何度も巻き戻し再生をしているかのように同じことの繰り返しだった。


竹刀が宙を舞い、地に転がる。
飽きるくらいにそんなシーンの連続だ。


手も足も出ないとはまさにこのことだと海未は思った。

自分よりも年齢は下で、体格も小さい。いや、そんなことは関係無く、この子は強い。
才能に満ち溢れている、まるで神に選ばれたような人間。

そのような者を相手に、一体私に何が出来るのか。

集中を途切らせることなく幾度も立ち向かっている海未の疲労は既に相当なものだった。



海未「はぁっ……はぁっ……」

凛「……もう諦めたら? わかったでしょ? 先輩じゃ手加減してる凛にも勝てやしないよ」

海未「そうかも、しれませんね……ですが私はまだこうして戦えています」

凛「無駄なことがわからないの……? こんなこと早く止めようよ」

海未「終わらせたくば私から一本取ることですね。どちらかが一本先取するまで……この試合はそういう取り決めだったでしょう?」

凛「……っ」


そんなことを言われればますます一本なんか取りにいくわけにはいかない。

凛にとってのこの試合の捉え方は、海未とは大きく異なるものだった。
元より同じ土俵に立って対等に戦うつもりなんかなかったのだ。

より惨めに、より残酷に、より敗北感を味わらせる。

だから普通に一本取って終わらせるなんか、凛の意地が許さなかった。


海未「はぁぁっ!」


凛が左手を動かせば海未の竹刀が弾け飛ぶ。
試合が始まった時から変わらぬ構図。


何度やっても同じこと。


攻め方を変えてきても、攻めずに凛が動くのを待っても、それは決して変わることはない。


ほら。


これでもう二十一回目。


いい加減諦めてよ。


何が起こったとしても凛には勝てないんだよ。


奇跡すら生まれない圧倒的過ぎる実力差、わかってるでしょ?


それなのに、なんで馬鹿みたいに立ち向かってくるの?



二十二回目。海未の竹刀が手を離れ、宙を舞う。


面を被っているせいで表情は読み取れない。
こんな風に遊ばれて、悔しくないのか、悲しくないのか、辛くないのか。

あと何回、あと何回これを繰り返せば海未の心を折ることが出来るのか。


凛「はぁ……はぁ……」


左の手首が痺れてきた。

それも当然だ。海未が力強く握っている竹刀を二十回以上も弾き飛ばしているのだから。

技術もさることながらパワーも込めなくてはあんな芸当が可能な筈もない。

長い竹刀を自在にコントロール、それも左手一本で。手首にかかる負担は相当なもので。

右手に持ち変えれば更に二十や三十程度、凛なら楽にやってのけるだろう。
しかし、そんなことは凛のプライドが許す筈もなかった。


竹刀を拾い、構えをとる海未。

ぎりりと凛は歯軋りをした。


そうなれば後は両者の意地と意地のぶつかり合いだ。


ルールに則って一本を狙いにいくなんていやだ。かといって右手に竹刀を持ち変えるなんて嫌だ。

凛は痺れを感じたままの左手に竹刀を持ったまま海未の前に立つ。


負けてたまるか。


凛が負けるなんて有り得ない。


それもこんな馬鹿真面目な人なんかに。



二十七回目。

海未の竹刀が手から溢れる。
宙に放られ、地に落ちる。
響く音。


二つ。


竹刀が落ちた音は二つだった。



凛「あ、あれ……?」

海未「凛……?」

凛「なんでもない。汗で滑っちゃっただけ」

海未「そうですか…」


やめろ。


拾いに行くな。


もう敗けを認めてよ。


なんで、そんなに頑張れるの。凛以外誰も見ていないんだから誰も褒めてくれないよ?


こんな試合、意味なんかない。
頑張らなきゃいけない理由なんてないのに。



竹刀を拾い振り返った海未。その視線の先にはボーッと立ち尽くしたままの姿の凛がいた。


海未「凛? どうしました……?」



ああもういやになっちゃう。

だからこんなことしたくなかったんだよ。

誰かを認めれば認めるほど、自分の価値が下がっちゃうような気がして。


強いよ。

園田先輩はすごく強かった。



凛「……凛の負けだよ」


凛「凛は、園田先輩に勝てなかった」


初めてだった。

本気で倒しにいって負けるなんか。


「何を言っているのですか。まったく本気ではなかったでしょう? 凛が本気で勝ちにきていたら私は十秒と持たず敗れていた」

と、園田先輩は呆れ顔で言った。


違うんだよ。あれは間違いなく凛の本気だった。

本気で園田先輩の心を潰しにいった。

どうしたら最も効果的に潰せるか、考え付いたのがあれだった。
きっと普通の人だったらとっくに泣いて逃げ出してるよ。


だから凛は本気で潰しにいった。


でも、結果負けたのは凛の方だった。



凛「園田先輩は強いね……」

海未「……私が強いかどうかはわかりませんが、あれくらいで私は潰されたりしませんよ」


それに、穂乃果やことりは私よりもずっと強い。

凛の全力を見せ付けられたとしても、それを妬んだり惨めになったり才能の差にうちひしがれるよりも、貴女を……凛と向き合って認めてあげられる。
あの二人はそういう人です。

私自身も同じ、そう在りたいと思っています。


海未「私たちは凛の先輩です。先輩だから後輩を可愛く思えます。貴女が楽しそうにしているのを見ることが、私たちにとってはとても嬉しいことなのです」

凛「園田先輩……」

海未「凛は時々、難しい顔をしていますよね? 何かあったら相談に乗ります。愚痴を溢してくれるだけでも構いません」


凛は今まで自分が他の人よりも数段高い位置にいると思ってた。
なんの気兼ねなく本音を言えるのはかよちんだけだって、ずっとそう思ってた。

でも、そんなことなかった。

すごい記録を持っているわけでもない。称賛される何かを成し遂げたわけでもない。誰もが羨む才能を持っているわけでもない。

凛に言わせてみれば普通の人。

普通の人なのに、そんな普通の人を心から認めてしまった瞬間だった。


海未「私なんかが言っても頼りないですか?」

凛「……ううん、そんなことないにゃ!」


凛と海未は気が付いていないが、この剣道場の様子を外から覗いている者がいた。


穂乃果「ね? 大丈夫だったでしょ?」

ことり「さすが海未ちゃんだね。でもあんな風にことりたちのことも言ってくれて……なんだかちょっと恥ずかしいかも」

花陽「園田先輩ってすごい人なんですね……途中までハラハラしっぱなしでした」

ことり「花陽ちゃんってば何回も止めようと中に入ろうとするんだもん」

穂乃果「そうだよー、押さえるの大変だったんだよー」

花陽「だ、だって、凛ちゃんがあんな失礼なことを……」

穂乃果「平気平気。本当に変なことしたら海未ちゃんもーっと鬼のように恐くなってるから」

花陽「ひ、ひぇ……」

ことり「そ、それはさすがに海未ちゃんに失礼じゃ……」

穂乃果「じゃあそろそろ穂乃果たちは帰ろっか」

ことり「うんっ」

花陽「は、花陽もご一緒してもいいんですか…?」

ことり「もちろん」

穂乃果「ていうか花陽ちゃん、そんな気遣わなくていいからっ! もっとフレンドリーに!」

ことり「あ、たしかに。ちょっと距離があるみたいで寂しいかも」

花陽「え、えっと……どうすれば」

穂乃果「うーん……そうだ! これから一緒にクレープ食べに行こう!」

花陽「く、くれーぷですかっ? じゅるっ……」

穂乃果「そうっ、クレープを一緒に食べればすぐに仲良しになれるから!」

花陽「は、はいっ」

ことり「それって穂乃果ちゃんがただクレープ食べたいだけなんじゃ…」


軽く一時間以上は打ち合っていたのだろう。外はもう真っ暗だった。


凛「もうこんな時間……園田先輩、一緒に帰ろ?」

海未「えぇ、ですがその前に後片付けを」

凛「そっか。えーと、防具と竹刀はあそこにしまえばいいんだよね?」

海未「はい」


防具を脱いだ後の体はやっぱり少し嫌な匂いがした。

早くお風呂入りたい。


凛「園田先輩ー、早く行くにゃー」

海未「なにを帰ろうとしているのですか? 凛。後片付けをしてからとつい先程言ったではありませんか」

凛「へ? でも道具は全部片付けたし…」

海未「床の雑巾がけがまだ残っています」

凛「え……あ、やっぱり凛一人で帰ろうかなぁ……」

海未「駄目です。さぁ雑巾を絞ってきてください」

凛「や、やだっ……なんで凛が掃除なんか……。別に凛は掃除するなんて言ってないし! 園田先輩が一人で剣道部の人たちと話してたんでしょー!」

海未「つべこべ言わずにさっさと取り掛かりなさい」

凛「は、はいっ!」


って、あれ? 何で凛、素直に返事なんかしてるんだろ。

いくら園田先輩が怖いからって走って逃げれば済むのに。


でも、まぁこの人らしいや。

はいはい、やればいいんでしょ。

今日だけは特別だからね。

いつもはめんどくさいことはしないんだけど。なんでろう、今はこれくらい別に付き合ってあげてもいいかなって。

そんな気分だった。



海未「何をぼけっとしているのです? もっときびきび動いてください!」

凛「もーっ、わかってるよー! うるさいなー!」

海未凛編終わりー。
あけおめー。おやすみー。


ある日の放課後。
もうお馴染みとなったこの屋上に今日もスクールアイドルたちが練習に精を出している。


軽快なステップを踏んで地面を鳴らす。
くるりと回り、ターンを決めた後間髪入れずに真上へ跳躍。
そして着地と同時に決めポーズ。


ことり「わぁ、すごーい!」


静止した状態の凛へとことりが拍手を送った。


凛「えへへー! でしょでしょー! 凛、すごいでしょー!」

花陽「勝手に振り付け変えたりしたらまた園田先輩に怒られちゃうよ…?」

凛「うぇ……それはやだなぁ……。あの人怒るとほんとに恐いんだもん」

ことり「あはは……海未ちゃんも凛ちゃんのことすごく可愛がってるからだと思うよ?」

凛「だよねだよねー! うんうんっ」


あの先日の一件から二年生の子たちと前より仲良くなれた気がする。

海未先輩は怒ると恐いけど、どんなことでも真剣に話を聞いてくれる。凛が一番信頼している先輩。

穂乃果先輩はいつも一緒になってふざけたりしてくれて楽しい。この人と遊んでると難しいこととか何も考えずにいられる。
でもたまにふざけすぎて海未先輩に怒られたり。

ことり先輩は凛のことすごいすごいって褒めてくれて。それがすごく嬉しい。
だからもっと褒めてもらいたくてことり先輩の前だとつい張り切っちゃう。


凛「ことり先輩ー! 見てて見ててー!」


助走をつけたその勢いのまま柵を蹴って空中で体を捻り一回転。
そして見事に着地を決めてみせた。


ことり「す…、すごいすごーいっ!」


凛「えへへー」


ほら、褒めてくれた。

驚いた表情から嬉しそうな表情に変わるその瞬間が好きだった。

まるで凛がすごい人みたいに思えてくる。まぁ実際、すごいんだけどね。


凛「凛ね、もっとすごいこと出来るんだよ! いっくよー!」


少し体勢を沈め、着火したように凛は右足で地面を蹴り前方へと身を乗り出す。

そして二歩目、左足がついたとほぼ同時に追い付いてきた右足でもう一度地面を強く蹴り上げるとその身が空中に舞い上がった。

太陽と被さる空の下、凛の体が一回転。
落ちてきたと思いきや、両手を地面につきバネのように再び跳ね上がる。

最後にもう一度空中で一回転を決め、着地した。


ことり「わぁ……」

凛「ふふふ、完璧だにゃ」


口をぽかんと開けたまま呆然としていたことりに凛がピースサインを送れば、たちまち笑顔になってすごいすごいと手を叩く。


ことり「ほんとに凛ちゃんはすごいねぇ。時々、本当に人間?って思っちゃうよ」

凛「そんな大したことないにゃー。これくらいだったらかよちんも出来るよね?」

花陽「む、無理無理無理無理っ! 絶対出来ないよっ!」


凛に及ばないとはいえ、充分すぎる程に驚異的な運動神経をもっている花陽でもこればかりは不可能だった。

スピードやパワーが足りないわけではない。それとは別の才能。
前後のスピード、勢いをコントロールし、別の方向(この場合は上)へと変換が可能な凛のみ為せる業。

たとえ真姫が挑戦してみたとしてもおそらく失敗に終わるだろう。


凛「あれ? 前にやってなかったっけ?」

花陽「それは今のじゃなくてさっきの」

ことり「さっきのって柵蹴るやつ? 花陽ちゃんも出来るの!?」

花陽「は、はい、多分……ってそんなことよりっ、アイドルの練習しなきゃ」

凛「それはもう完璧だもん」

ことり「ことりももっと二人のすごい特技見てたいかも」

花陽「ことり先輩まで…」

凛「まだ凛たちしか来てないしね。もう少し遊んでても」


そう、もうとっくに放課後に入っているというのに屋上にはまだ穂乃果、海未、真姫の姿はなかった。

遅刻? サボり? でも穂乃果先輩はともかくとしてもあの海未先輩が練習を休むなんて、と凛は疑問に思った。


花陽「そういえば遅いですね。何かあったんでしょうか…?」

ことり「あれ? 二人とも聞いてない? あの三人なら──」





生徒会室。
穂乃果、海未、真姫はその場所にいた。

そしてもう一人。
真姫から渡された一枚の書類を読み、怪訝そうな表情を浮かべているこの学院の生徒会長。


絵里「天文学部……?」

真姫「見ての通り。部活申請」

絵里「それはわかるのだけど……このふざけた活動内容は何なのかしら……」



部活名:天文学部

活動内容:星を見たり、星を目指したり。スターになる為に努力したり。
歌ったり、踊ったり。



絵里「どうして天文学部が歌ったり踊ったりするの……」


だからやめようと言ったではありませんか……それなのに真姫が、と頭を抱える海未。
その横には笑いを堪えるのに必死な穂乃果がいた。


絵里「……こんなものを受理するとでも思っているの?」

真姫「冗談よ冗談、そんなに怖い顔しないで。だって何て書こうがすんなり承認するつもりなかったんでしょ?」


眉間にしわを寄せ、あかさまにみるみるうちに不機嫌になっていく絵里。


海未「も、もう代わってください! 真姫」


それに見かねた海未が二人の間に割って入る。


海未「うちの一年生がとんでもない失礼を……申し訳ありません」

絵里「……それはもういいわ。……で、本当は何部なの?」

真姫「わかってるくせに……」

海未「アイドル部です。スクールアイドルの活動をしたいと思っています」

絵里「……貴女たちはともかく。星空凛、小泉花陽、……西木野真姫の一年生には学院の為にも他の部活動に所属してもらいたいのだけれど」


絵里は部員名の一覧を見てそう言い捨てた。
文武両道とはまさにこの三人の為にあるような言葉。

実際、陸上部から勧誘を受けた三人。
その他の部活動からも一通り声を掛けられていた。

学校側としても凛たち三人には是が非でも成果を上げこの学院の名を広めてもらいたいものでもあった。


真姫「そうは言っても、もうすぐ廃校になるんでしょ? だったらそんなことしても意味無いじゃない」

穂乃果「いやっ、廃校をなんとかする為に穂乃果たちスクールアイドルするんだよ!?」

真姫「そんなの無理に決まってるじゃない。ていうか貴女、どっちの味方なのよ…」


真姫「とにかく、私が何をするかは私が決めること。貴女や学校にとやかく言われたくないわ」

絵里「……後悔しても知らないわよ」

真姫「御生憎様。悪いけど私は貴女が思ってるほど自分の人生を真面目に生きてなんかないのよ」

絵里「……」

海未「真姫、もう少し言葉を慎みなさい」

真姫「はいはい、それでどうなんですか? 申請は通してくれるの?」


生徒会長である絵里の意見もある程度は判断基準になるが、自分の裁量で断固として断ってよいものでもない。

ましてやこの者たちが気に入らないという感情論だけで否定するなどあってはならないこと。


それに何を言っても無駄だとわかった。言えば言うほど反発してくる。
特にこの西木野真姫。
この子は他人の思い通りになることを嫌う、そういう性格に間違いはないだろう。


絵里は自分としても何がなんでも廃校を阻止したいと思ってはいる。

だからこそ、真姫たち一年生の三人の力は欲しい。

しかし、でも、今は私の声など耳に入れようとしないのだろう。

“今”は。


絵里は諦めたように深く溜め息を吐いた。



絵里「……好きにしなさい」


穂乃果「ありがとうございます!」


絵里「あ、でも……いえ、なんでもないわ」


言いかけてやめた。
思い出したことがあったが、今はまったく関係の無いものだったから。



この学校には『アイドル研究部』という部活があった。


あった。存在していた。


それも過去のことだ。

あれはたしかちょうど一年前くらいだったか。
元々一人しかいなかった部。やがてその一人も辞めてしまい、部員のいなくなったアイドル研究部は廃部となっていた。

また後で書くかも書かないかも
とりあえずここまで


ことりの視線は空に向いていた。


もう何度目の光景だろう。

バク転、バク宙、体操選手のように駆けては跳ね、飛び、回る凛と花陽に目を奪われていた。



ことり「凛ちゃんも花陽ちゃんもすごーいっ!」

凛「えへへー!」

花陽「これはこれで楽しいかも」


最初は嫌がっていた花陽もことりに乗せられて練習そっちのけに延々と凛とアクロバットを披露していた。

ことりが嬉しそうにしているともっともっと楽しませてあげたくなる。
凛ちゃんの気持ちが少しわかったかも、と自分自身もつい楽しくなってしまっていた花陽だった。


凛「よーしっ、じゃあ次はうーーんっと助走つけて地上で回転した後にそのまま空中でもう一回転!」

花陽「で、出来るかなぁ…」

凛「余裕余裕! かよちんレベルに合わせてあるから」

ことり「二人ともがんばれー」


凛「いっくにゃー!」


凛の合図で二人はスタートを切った。

その勢いを身体に乗せ、両腕の反動で低い位置に弧を描く。
そして落ちてくる両足で思いきり地面を蹴り、そのまま頭上へと高く飛び上がった。

凛も花陽もタイミングぴったりに空中にて一回転を決める。


地上では目で追うのが必死な速さだったが、空中での二人はまるでスローモーション。
孔雀が羽を広げたみたいに美しくこと目に映っていた。


凛と花陽は空中でアイコンタクトをとった後、体勢を整えつつ地面へと落ちる。


その時だった。


二人が着地する寸前に屋上の扉が開いた。


目を取られつつも綺麗に着地を決めた凛と花陽。

顔を上げた先には部活申請から戻ってきた海未たち三人がいた。



海未「……何をやっているのですか?」


目を細め、明らかに怒っている様子の海未。


凛「え、えーと……練習?」

花陽「ご、ごめんなさい…!」

凛「かよちんっ、謝ったりしたら凛たちが遊んでたって認めたことになっちゃう!」

海未「ほぅ……練習をサボって遊んでいた、というわけですね」


海未「練習をサボっていただけでなく、こんな危険な遊びをしてもし怪我でもしたらどうするのですか!」

凛「凛はミスなんてしないから怪我しないもん」

海未「そういう問題ではありません! いいですか? そういう慢心こそが己にとって一番の敵。怪我をしてからでは遅いのです」

凛「まーた始まったにゃ…」

海未「聞いているのですか!? 花陽も!」

花陽「は、はいっ…! ごめんなさいごめんなさいっ」


自分なら大丈夫。自分ならこれくらい出来る。そもそもそういう思い込みが間違いなのです。

それに今は部活動の時間、その時にもし何かあっては学校にも迷惑がかかってしまう。

このような自分勝手な行動ばかりしていたら社会に出てから──


海未の説教は二十分にも続いた。



海未「本当にわかっているのですか?」

凛「はーい」

花陽「はいぃぃ…」


ことり「まぁまぁ海未ちゃん、そのくらいで許してあげたら?」

海未「ことり…」

花陽「ことり先輩が神様に見えます…」

凛「ていうか、ことり先輩も一緒になって遊んでたにゃーっ!」

花陽「そ、そういえば……」

ことり「な、なんのことかなー」

海未「……ことり、貴女がついていながら……まったく」

ことり「ごめんね、海未ちゃん。今度からはちゃんと注意するから。今回は二人も反省してるみたいだし許してあげて……ね?」


ことりがずいずいと前に出てくると途端に声に棘が消えて弱くなってしまう海未だった。


海未「こ、今回だけですよ……」


ことり「それで申請は大丈夫だったの?」

海未「えぇ、一応なんとか。真姫には冷や冷やとさせられましたが…」

真姫「私のおかげって言ってほしいわね」

海未「真姫も少しは遠慮というものを…」

真姫「そんなカリカリし過ぎても良いことなんてないわよ。先輩はもっと心に余裕を持った方がいいわ」


凛たち同様に真姫にも言って聞かせたい海未だったが、先輩相手にもまったく物怖じしない真姫の性格には対応に困ってしまう。

凛が可愛くみえてしまうくらい。
もしかしたら真姫の方が一番の問題児なのかもしれない、と思った海未だった。



凛「というかそもそもまだ部じゃなかったんだね、ここって」

花陽「花陽も全然知りませんでした」

穂乃果「なんかね、前にアイドル部作りますって言いに行ったら突っ返されちゃって」

ことり「新たな部活を作るには最低五人は部員が必要だったみたいで。だから凛ちゃんたち一年生が入ってきてくれたおかげでこうしてちゃんとした部になれたの」

凛「じゃあ部室もできたの?」

ことり「部室? あ、そっか! 部活として認めてもらったんだから部室が必要だよね」

海未「ああ、それでしたら」

穂乃果「ふっふっふ、ちゃーんと貰ってきたよ! 鍵!」


じゃーんっ、と穂乃果はポケットから小さな鍵を取り出した。


穂乃果「たしか前にアイドル研究部?って部活が使ってた部室らしいんだよね」


花陽「アイドル研究部……そんな部活があったんですね」

凛「どうして無くなっちゃったの?」

穂乃果「さぁー?」

ことり「みんな辞めちゃったとかかなぁ?」


詳しい事情などは海未たちも聞かされてはいなかった。

まぁ今の自分たちには特段関係の無いことではあるし、訊いたとしてもあの生徒会長が親切に教えてくれるわけもないだろう。

海未たちはその部屋の鍵を渡され、お礼を言って生徒会室を後にしたのだった。



凛「ねーねー、早く部室見てみたいにゃー」

海未「やる気充分ですね、凛」

凛「そりゃあねぇ。楽しみー」

海未「では皆で掃除に向かいましょう」

凛「わーい! ……え? 掃除?」

海未「当然でしょう。しばらく使っていなかった部屋のようですし」

凛「やっぱり凛はここで練習してようかなー……さっきサボっちゃったし」

穂乃果「あ、じゃあ穂乃果も」

海未「駄目です。さぁ、行きますよ」


掃除が嫌だと駄々をこねる凛と穂乃果を花陽とことりがどうにか連れていくことに。


真姫「何してるの、さっさとしないと陽が暮れちゃうわよ」

海未「……ですね」


まともなのは真姫だけだ、と一瞬思ってしまったがすぐにこの子が一番の難敵だったことを思い出し、ひっそりと溜め息を吐いた。

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