女神 (468)


女神


 前に落としてしまったSSを再開します。最初から書き直しになるのと、地の文と小説形
式で書き直しますので、苦手な方は回避してください。あと速報での見やすさを考慮して、
80行で改行しています。環境によっては見づらいかもしれませんけど、ご了承いただけ
ると幸いです

 更新は遅いと思いますし、完結までには一年くらいかかりそうです。あらかじめご承知
ください

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1448288944


「お兄ちゃん」

「何だよ」

「またあの先輩だ。ほらいつも駅のベンチに座り込んで電車が来ても乗らないでスマホで
何かやってる女の人」

「おまえさ、そうやって人のことばっか噂する癖やめたら?」

「だっておかしくない? 駅で電車に乗らないでベンチに座ったままとか。それも毎朝だ
よ」

 あいつは、同じクラスの女の子だ。確か、名前は、二見だったか。そう、二見 優とい
う名前だった。そもそも、クラスの女にはろくに知り合いはいないのだけど、彼女の名前
だけはどういうわけか覚えていた。何だか、知り合いとつるまないあの子の姿勢に、少し
だけ感心したことがあるからかもしれない。

「ああ、あいつ同じクラスの二見ってやつだよ」

「お兄ちゃんあの人知ってるの?」

「だから同級生だけど、話したことは無いかな。つうかあいつ、あまり友だちいないみた
いだし」

「電車に乗らないでスマホ弄ってるけど遅刻しないのかな」

「ああ。いつもぎりぎりだけど遅刻はしてねえよ」

 それまで穏かに、かつそれほどの興味がないみたいに二見の話をしていた妹の顔が真剣
になった。

「ふーん」

「・・・・・・麻衣?」

「お兄ちゃん」

「何だよ」

「話したことないっていうわりにはあの人のことよく観察してるんだ」

 麻衣のこの手の話し方は別に今に始まったわけじゃない。俺にはその対処法がわかって
いたのだけど。

「もしかしてあの人に気があるの?」

 麻衣が俺を見つめてそう言った。


 俺は思わず妹を見つめた。何も言いわけをせずに。そうすると麻衣の表情が少しだけ
ひるんで、妹は次の言葉を口ごもって、はっきりとしない返答を口にした。

「な、何よ」

「おまえさ」

「うん」

「その見境のない俺への嫉妬、いい加減何とかしないとやばいんじゃねえの」

 俺はもう何回言ったかわからない言葉を口にした。妹に好かれるのは素直に嬉しいけど、
いつまでもそんな関係では俺にも麻衣にも幸福は訪れないだろう。

「な・・・・・・! お兄ちゃんへの嫉妬とか自意識感情なんじゃないの? だいたいあたしは
お兄ちゃんのことに関心なんてないし」

「それならとりあえず、おまえがしっかりと握っている俺の手を離してもらおうか」

「な、何言ってるのよ。あたしが手を離すとお兄ちゃんがすぐにすねるから仕方なく」

「はい?」

 妹は俯いて黙ってしまった。もうこうなったらしかたない。

「ああ面倒くせえな。じゃあもうそれでいいよ」

 あいかわらず妹は沈黙を守っている。

「どうした?」

「・・・・・・お兄ちゃんの意地悪」

 ああ。ついに麻衣を泣かせてしまった。これじゃいかん。

「ああ、もう泣くなって。悪かったよ」

 ああ、もう全くこいつは。でもしかたないのかもしれない。妹をそういう依存体質にし
てしまったのは、両親と俺のせいかもしれないのだ。俺は心の中で密かにため息をついた。

「本当に悪かったよ。俺おまえがそばにいてくれないと何にもできねえのにな」

「・・・・・・本当?」

 妹が上目遣いに俺の方を見た。

「ああ本当だ。おまえがいつも一緒にいてくれて俺本当に助かってるんだぜ」

「・・・・・・うん。それなら許してあげる」

 電車がホームに入ってきた。この電車に乗らないとやばい。

「・・・・・・ほら、電車来たぞ」

「うん! さっさと乗るよお兄ちゃん」

「こら。そんなに手を引っ張るなよ、痛てえじゃんか」

「早くしないと乗り遅れるってば」

「わかったから手を引っ張るなって。痛てえよ」


 次の停車駅で、俺は幼馴染の少女を見つけた。

 有希。俺の幼馴染であり俺の初恋の相手。

「お姉ちゃんだ。今日も夕さんと一緒だね」

「・・・・・・まあ、あいつら同じ駅だし家も隣だしな」

「そんだけの理由かなあ? 毎朝いつも一緒じゃんお姉ちゃんと夕さん」

「ああ、そうだな」

 それ以外には何も言いようがなかったから、俺はとりあえずそう言った。

「まあ、でもお似合いだよね。お姉ちゃん綺麗だし夕さんもイケメンだし」

「・・・・・・うん。まあね」

「お姉ちゃん、うちの隣から引っ越して正解だったね。お隣さんがお兄ちゃんからイケメ
ンの夕さんにグレードアップしたことだし」

 それがどういう意味か、麻衣に確かめるまでの時間は与えられなかった。開いたドアか
ら、有希と夕也が乗り込んできたのだ。

「あ、お姉ちゃーん!」

「おはよう麻衣ちゃん」

「ようお二人さん」

 夕也も俺たちにあいさつした。普段どおりのさわやかな感じで。

「おはようございます」

「・・・・・・おはよ」

 俺も二人に向かってあいさつした。ぼそっとした声だと思われたかもしれないけど。

「麻人どうしたの? 朝から元気ないじゃん」

 有希が半分からかっているような表情で俺に話しかけた。

「おまえ、俺の貸したあれにはまって寝不足なんじゃねえだろうな」

 夕也がからかい気味に言った。よりにもよって有希が聞いているのに。

「・・・・・・バカよせ。妹が聞いてるんだぞ」

「何々? 何の話」

 有希が口を挟んだ。

「何でもねえよ。男同士の話だ」

「何か感じ悪い」

 有希の言葉に続けて麻衣も口を開いた。

「ほんと。男って嫌だよね、お姉ちゃん」

「うんうん。本当に信じられるのはあんただけよ。麻衣ちゃん愛してる」

「わ! お兄ちゃんの前ではやめてください・・・・・・じゃなくて。混んだ電車の中ではやめ
て」

 突然、有希に抱き寄せられた麻衣が狼狽して抗議した。


「お兄ちゃんの前ではだって。ふふ。麻衣ちゃんってほんとブラコン」

「・・・・・・違います」

「え? おまえと麻衣ちゃんってもしかしてそういういけない関係なの?」

 夕也が何か嬉しそうな声で割り込んだ。

「・・・・・・おまえは死ね」

「片手でしっかりと麻衣ちゃんの手を握ったまま反論されてもなあ」

「説得力ゼロだよな。って、痛いって。よせ麻人。もう言わねえからグーで殴るのはよ
せ」

「俺じゃなくてこいつが手を握りたがるからだな」

「・・・・・・な!? 何であたしがお兄ちゃんなんかの手を握りたがるのよ、バカ。手を握っ
てあげないとお兄ちゃんが寂しがるからあたしは仕方なく」

「はいはい。ごちそうさま」

「そうじゃねえって」

 俺は有希を睨みつけたけど、いつもと一緒で全く睨んだ効果はないようだった。

「よくもまあ毎朝飽きずに痴話喧嘩できるな、おまえら」

「確かに喧嘩だけど、痴話だけよけいです!」

 麻衣よ。おまえはいったい何がしたいんだよ。俺は妹を眺めてそう考えた。ただ、うざ
いからといって妹が、麻衣が可愛いことにはならないからたちが悪い。そう、俺は多分シ
スコンなのだ。

 有希の笑いが、同じ学校の学生で満員状態の電車内に容赦なく響いた。


 校舎の入口まで来て、有希は少し真面目な表情になった。

「じゃあ、麻衣ちゃんまたね」

「はい・・・・・・。でも、何で学年によって校舎分けてるんでしょうね」

「さあ。一学年のクラス数が多いからじゃない? うちの学校って」

「校舎が一緒なら教室の入り口まであたしも一緒に行けるのに」

「家で毎日お兄ちゃんといちゃいちゃしてるのに校内でも一緒にいたいの?」

 だからふざけんな有希。俺たち兄妹をどこまでネタにする気だよ。でも、その怒りの感
情を深く掘り下げていくと、俺のいらいらはただ兄妹の関係をからかわれているからだけ
ではないことに気がつく。

 そうだ。俺は、俺に対して無関心な有希に対して焦っているのだ。同時に、有希がとき
おり照れて笑いかけるイケメンの友人、夕也のことを俺は気にしているのだ。

「・・・・・・だから違いますって」

「麻衣ちゃん顔真っ赤だよ。かあいいなあ」

「確かに可愛いけどあんたは黙れ」

 突然、真面目な表情で有希が言った。

「何でだよ」

 有希がいきなり怒り出したことに夕也は少し驚いたようだった。

「もう行こうぜ。遅刻しちゃうよ」

 これ以上、有希と夕也のことを正視できなくなった俺はそう言った。

「あ、お兄ちゃんこれ」

 麻衣が突然真面目な表情になって俺にお弁当の袋を差し出した。

「お、おう」

「今日も麻衣ちゃんの手作りのお弁当?」

 夕也との心理戦を一時停止した有希がからかうように笑った。

「いいなあ、おまえ」

 夕也もイケメンらしくさわやかに笑ってそう言った。


 どういうわけか、夕也が麻衣が作った俺の弁当への感想を述べると、有希が顔を赤くし
た。そして有希は夕也を軽く睨むように笑った。

「あんたは、好き嫌いが激しいくせに。一生学食のカツ丼でも食べてろ」

「いや、そう言うなって。まあ、そうなんだけどさ」

 やっぱりそうなのか。最近のこの面子での登校は辛すぎる。有希や夕也の恋愛を邪魔す
る権利は俺にはないけれども、それを見せつけられなければならない義務だってないはず
だった。それでも、俺の有希への感心を気取られることなくこいつらと登校しないように
する術なんて思いつかない。

「・・・・・・な、何よ」

「何でもねえよ」

 有希と夕也がお互いに見詰め合って顔を赤くしている。

「じゃあ、あたしもう自分の校舎に行くね」

「ああ」

 俺は麻衣が一年生の教室の方に向かっていくのを見送った。

「俺たちももう行こうぜ」

 有希から目を離した夕也がそう言った。

「そうね」

「いい時間になっちゃったな」

 あれ?

 俺はそのとき、校門から駆け込んでくる女子生徒に目を奪われた。すげえダッシュだな。
俺はそう思った。時間内に何とか校内に滑り込んだ女の子は、少しだけ速度を緩めて歩き
出した。それは、さっき見かけた同級生の二見 優だった。多分、俺たちより一本遅い電
車に乗ったのだろう。

 校内に入った彼女は、相変わらず周りにいるクラスメートと話しをしない。何で、結構
可愛いのにボッチなんだろう。朝のあいさつする相手もいないらしい。

 そのとき、有希が俺の背中を気安く叩いた。

「ほら、麻人。何ぼんやりしてるの。さっさと行くよ」

「ああ」

 俺は一人で孤高の女王みたいに、校門から校舎に歩いている二見から目を離して、クラ
スルームに向かって歩き始めた有希と夕也の後ろを追いかけた。


今日はここまで
また投下します


 二見はスーパー内を足早に移動している。あいつ、何か買物でもあるのか。今日はやけ
に二見に縁があるな。そう思って麻衣から目を離し二見の方に視線を動かすと、彼女はか
がんでなにやらシャンプーとかそういう品物を選んでいるようだった。彼女はシャンプー
みたいな商品をかごに入れて立ち上がるとき、何かを床に落とした。財布のようだった。

「聞いてるけど・・・・・・あのさ」

「どうしたの?」

「ちょっと買いたい物あるから」

「うん?」

「探してる間おまえ買い物してろよ」

「別にいいけど。あたし冷凍食品とか買ってるから」

「・・・・・・ビーフシチュー作るのに何で冷食を」

「冷凍食品はお弁当用だよ。じゃあ、あまり待たせないでね」

「ああ」

 床に放置されていたのはやはり財布だった。赤い皮の財布だ。二見を見つけて声をかけ
用と思ったけど。彼女の姿が見当たらない。早く返さないと麻衣を待たせることになる。
せっかく直った妹の機嫌がまた悪くなったら目も当てられない。そうなれば今夜の俺の平
穏な時間は失われたも同然だ。二見が見つからないのなら、レジの横にあるサービスカウ
ンターで店員に託せばいいのだ。俺はそう思い立って早足でレジの方に向かった。麻衣の
機嫌が悪くならないうちにさっさとこの財布を預けてしまおう。

 そう思った俺が客が並んでいるレジの横を通り過ぎようとしたとき、すぐ横のレジの前
に当の本人が清算を待っていることに気がついた。


「三千二百円のお買い上げになります」」

「はい」

そう答えた二見は財布を見つけられないようだった。後ろに並んでいる客の無言の圧力
を、この俺が感じてストレスを覚える。二見は自分のスクールバッグの中を焦ったように
探し回っていた。

「お客さま?」

「すいません、ちょっと待ってください」

「おかしいな。財布どこにしまったんだろう」

 レジにいる店員に困惑した様子の彼女が話しかけた。

「おい」

 俺の声は二見には届かなかったようだった。

「おい、二見」

「・・・・・・え?」

 このとき初めて二見が俺の方を見た。

「ほら、落ちてたぞ。これおまえの財布だろ」

「あ・・・・・・」

「さっき屈んで何か見てた時に落としたみたいだぞ」

「あんたは」

 あんたじゃねえだろ。もう少し話のしようがあるだろ。

「あんたはじゃねえだろ。同級生の名前くらい覚えておけよ。ほら、財布」

「・・・・・・ありがと」

「お客さま?」

 レジにる店員が二見に言った。

「あ、すいません。これで」

 彼女は俺から受け取った財布から紙幣を取り出してレジの店員に渡した。

「五千円お預かりします。ありがとうございました」

「あ、あの」

 二見にかまけている場合じゃない。俺は麻衣のところに行かなきゃいけないのだ。

「じゃあな」

「・・・・・・池山君、ありがとう」

「おう」

 何だよこいつ。俺の名前知ってるんじゃねえか。不思議と綺麗な印象の二見の顔を眺め
て俺はそう思った。


 二見に財布を渡せたのはいいけど、結構時間を食っちゃったようだ。麻衣は待たされて
怒ってないだろうか。待ち合わせ場所のはずの冷凍食品売り場には、麻衣既にいない。ま
さか、勝手に帰っちゃったんじゃねえだろうな。そう思った俺が雑誌売り場の方を見ると、
麻衣がいた。何か雑誌を立ち読みしているようだ。すげえ夢中になって立ち読みしてるみ
たいだ。・こういうところは麻衣は可愛いい。それにしても、いったいあんなに夢中にな
って何を立ち読みしているんだろう。

 俺は麻衣が読んでいる雑誌の表紙が読めるまで、麻衣の方に近づいた。

 ・・・・・・ヤング・レディース。巻頭特集「鬼畜な兄貴:お兄ちゃんもう許して」)

 おい。いったい何の話を夢中になって読んでるんだあのバカ妹は。このことは知らなか
ったことにした方がいい。そうっとこの場から離脱しよう。俺がそう思ったとき、俺は麻
衣に見つかって話しかけられた。

「お兄ちゃん?」

「おう」

「・・・・・・遅いよ」

 麻衣が立ち読みしていた雑誌を棚に戻して言った。

「ああ、悪い。」

「何を探してたの」

「あ、いや。うん」

 買いたい物があるわけじゃなく、二見が財布を落としたからだとは言いづらい。何で麻
衣に言いづらいかはわからなかった。

「はい?」

「・・・・・・いやちょっと欲しかったものがあったんだけど見つからないからいいや」

「欲しかった物って? あたしが探してあげようか」

 やばい。欲しい物なんか何にも思い浮かばない。

「何を探してたの」

「・・・・・・それよかさ、おまえは何を夢中になって読んでたんだよ」

 話を逸らすにしても最悪の選択肢じゃねえか。口に出したとたんに俺はそのことを後悔
した。

「漫画の雑誌」

 妹はしれっと答えた。何の躊躇もなく。

「これ。これに連載されてる漫画がすごく面白いの」

 表紙を見ただけで俺には何の論評も出来ないのだと悟る。

「クラスでも流行っているんだよ」

「な、何ていう漫画?」

 よせよ俺。そこに触れるな。

「これこれ。『鬼畜な兄貴:お兄ちゃんもう許して』っていうやつね」

「・・・・・・あ、ああ」

 何で麻衣は、わざわざこんなもののページを開いて俺に見せるのか。

「禁断の恋に陥る兄妹の心理過程を丁寧に描写してるんだよ。ほらちょっと見てみ」

 ・・・・・・おいおい。もういい加減にしろ。


漫画の兄「妹! もう我慢できないよ」

漫画の妹「お兄ちゃんだめ。あたしたち血が繋がった兄妹なんだよ」

漫画の兄「おまえが嫌なら何もしないよ。俺のこと嫌いか」

漫画の妹「・・・・・・そんな聞き方卑怯だよ」

漫画の兄「俺はおまえのことが好きだ」

漫画の妹「・・・・・・お兄ちゃん」

漫画の兄「おまえはもう一生俺以外の男と寝るな!」

漫画の妹「・・・・・・いや、やめてお兄ちゃん!」



「どう? 面白いでしょ」

「・・・・・・これは何の嫌がらせだよ」

「嫌がらせって」

「・・・・・・おまえ絶対わざとやってるだろ」

「何言ってるの? お兄ちゃん、あたしはクラスで評判になっている漫画を」

「もういい。帰るぞ」

「うん。別にいいけど。もう買い物は清算してあるから、この袋持ってね」

「・・・・・・ああ」


「ほら、もう帰るよ」

「わかってるよ」



 スーパーマーケットの出口に来たとき、俺は二見に話しかけられた。

「池山君?」

「・・・・・・え? あ、二見か」

 ここまで楽しそうだった麻衣が沈黙して二見の方を見た。

「池山君、さっきはありがと。あたし慌てちゃってちゃんとお礼言えなくて」

「さっきありがとうって言ってくれたじゃん」

 やっぱり二見って可愛いい。何でぼっちなのか不思議なくらいだ。これで性格的に変っ
たこととかなければ学校でリア充確定だろう。

「とにかくちゃんとお礼言いたくて。ありがとう、さっきはパニックだったから本当に助
かったよ」

「・・・・・・よかったね」

「池山君ってこれまでお話したことなかったね」

「そうだな」

 つうかおまえは誰とも話ししたくないオーラ出していたではないか。

「これからは教室で話しかけてもいいかな」

「ああ、クラスメートなんだしな」

「よかった。これからはよろしくね」

 二見がにっこりと笑った。

「あ、ああ」

 可愛いじゃんか。不覚にも俺はそう感じてしまった。

「・・・・・・お兄ちゃん?」

 麻衣が不機嫌そうに横から口を挟んだ。

「うん?」

「スーパーの袋が重くて手が痛い」

「・・・・・・買い物の邪魔しちゃってごめんね。あたしもう行くね」

 二見が言った。

「ああ、また明日教室でな」

「うん。さよなら」

 帰り道、妹は妙に無口だった。いつもなら煩いくらいどうでもいい話をしてくるのに、
今日に限っては黙って俯いたままだ。

 ああ! もう面倒くせえな。俺はそう思った。でも、差し伸べる手を差し出すのはきっ
と俺の方からじゃなくてはいけなのだろう。生活の大半を妹に頼っている俺としては。

「ほらそっちの袋もよこせ。持ってやるから」

「自分で持つからいい」

「いいから寄こせって。手が痛いんじゃなかったのかよ」

「いい・・・・・・。お兄ちゃんにうざいって思われるくらいなら手が千切れてもいいから自分
で持つ」

 まただ。だいたい、おまえの持っているスーパーの袋はそんなに重くねえだろうが。

「いいから寄こせよ。おまえ華奢で力ねえんだから」

「やだ」

「だっておまえが手が痛いって言っただろ」

「よかったねお兄ちゃん」

「はあ?」

「前から気になっていた女の子と仲良くなれたんでしょ」

「おまえ何か誤解してるぞ」

「誤解なんかしてないいよ! お兄ちゃんがあたしを放っておいてあの先輩に鼻の下を伸
ばしてたんじゃない」

「・・・・・・おまえさ」

「何よ」

「前にも言ったけどさ。その見境のない嫉妬、何とかしろよ」

「だってお兄ちゃんが」

「あいつは単なる同級生。たまたまあいつが落とした財布を拾って届けてやっただけだろ
うが」

「・・・・・・だってあの先輩、お兄ちゃんに話しかけてもいいかなって」

「・・・・・・だから何だよ? 俺に話しかける女はみんな俺に気があるって言いたいのか?」

「だって」

 全くこいつは。こういうときの最終手段がある。

「ほれ片手出せ」

 妹が俺の顔を見上げて赤くなった。

「それともおまえの荷物もってやろうか? 両手塞がるからおまえの手を握ってやれない
けど」

「何言ってるの」

「どっちにする?」

「・・・・・・荷物は自分で持つ」

 俺は妹の小さな手を握り締めた。妹も黙って握り返してきたので、多分これで俺たちは
仲直りできたのだろう。


「今日は先輩いないね」

 翌朝、自宅の最寄り駅で麻衣が俺に言った。麻衣の言う先輩が二見のことをさしている
ことは明白だ。

「そうだな」

「・・・・・・残念そうだね。お兄ちゃん」

 こいつが気軽にこういう風に話すときは実はあんまり気にしてないんだよ
な。俺はそう思った。こいつが本当に気にしているときは、泣くか黙っちゃうかだし。
昨日こいつの手を握ったのがよかったのか。

「ほら電車来ちゃったよ。お兄ちゃん早く」イ

「だからいつも言ってるけど、いきなり手を引っ張るなよ」

 手を握る以外でも、昨日あれだけ妹にサービスしてやったのだから、麻衣の機嫌がいい
のは当然だ。



『肉じゃが美味しい?』

『すごく美味しいよ、ほらおまえも』

『な、何やってるのよ!?』

『おまえに食べさせようとしているんだけど』

『お兄ちゃんの変態!』

『結局食ってるじゃねえか』

『うるさい!』



 それにしても。いつも駅のベンチでスマホ弄ってる二見は、なぜ今日はいないのだろう
か。どうでもいい話だけど、何だか少しあいつのことが気になる。

「お兄ちゃん」

「おう」

「今、あの先輩のことを考えてたでしょ」

 おまえはテレパスかよ。

「考えてねえよ」

「嘘だね」

「だから誤解だって」

 そのとき、有希が救世主になってくれた。

「おはよ麻衣ちゃん」

 隣の駅から電車に乗り込んできた有希が元気にあいさつした。

「よう麻人」

 夕也だ。やっぱりこいつも有希と一緒か。妹の嫉妬とは別な意味で俺は気分が沈んでい
くのを感じた。

「あ、お姉ちゃん」

「何か元気ないじゃん」

 有希が俺たちを眺めて言った。

「そうなんだよ」

「あんたじゃないよ。麻衣ちゃんのこと」

 有希が一言で俺を切り捨てた。夕也がおかしそうな表情をした。

「麻衣ちゃん何か悩み事でもある?」

 妹は黙って有希の顔を見上げた。何となくだけど、泣きそうな表情のような気がする。

「そうか」

 有希が怖い顔で俺の方を見た。


「あんたら前の車両に移動しなさい」

 有希の突然の命令に、俺もそうだけど夕也も面食らったようだった。

「え? 何でだよ」

 夕也が有希に言った。有希は黙って夕也を睨んだ。

「お、おう。何だか前の車両に移りたい気分になってきたぜ」

 夕也の言葉に今度は俺の方が驚いた。

「何で?」

 有希が俺を睨むと、夕也が俺を催促した。

「ほら行くぞ麻人。さっさと移動しようぜ」

「おい、ちょっと待てって・・・・・・気持ち悪いな。手を引っ張るなよ夕也」

 麻衣と有希と別れて隣の車両に移ると、夕也が俺を問い詰めだした。

「で? 今度はいったい何をやらかしたんだよおまえは」

「何って・・・・・・何もしてねえよ」

「嘘付け。何もなくて俺たちが隣の車両に追い出されるようなことになるわけねえだろ」

「本当だって」

「麻衣ちゃんって何か悩みがあったぽいよな」

「知らねえって」

 思い当たるのは二見のことだけだ。あれが麻衣の不機嫌とか悩みの原因だとすると、俺
にとっては冤罪としかいいようがない。

「じゃあ、何で麻衣ちゃんがあんなに悩んで、有希もあんなにそれを真剣に受け止めてた
んだよ」

「だから本当に知らねえんだって」

「おまえ、何か思い当たることがあるだろ」

「うーん」

 おまえはテレパスかよ。

「白状すれば楽になるぞ」

「まあ、勘違いかもしれないけどさ」

 俺はしぶしぶと口を割った。

「もったいぶらずにさっさと話せ」

「昨日妹とスーパーで買い物してた時に、同じクラスの二見と会ってさ」

「二見って。ああ、あのぼっちの子ね。ちょっと可愛いよな」

「まあ確かに可愛いんだけどさ。暗くね? あいつ」

「だからいつもぼっちなんだろ」

「そんでスーパーであいつが財布落としたんで拾ってやったんだけどよ」

「うん」

「そしたらあいつ」


「ほう。あの可愛い二見がおまえのともっと仲良くなりたいと言ったわけだ。いいなあ、
おまえ」

 夕也が俺をからかうように軽口を叩いた。

「ボッチだとか言ってたくせに。それにそうじゃねえよ。普通に学校で話しかけてもいい
かって聞かれただけだろうが」

「そんなこと一々確認する女なんていねえよ。わざわざそんなことを言うのには訳がある
んだよ」

「訳って何だよ」

「おまえに意識させたいんだろ? 自分のことを」

「考えすぎだろ? それって」

「ああ、いいよなあ。持てる男はよ。実の妹なのに麻衣ちゃんからはヤンデレ気味なほど
愛されているのに、今度はクラスの謎の美少女から好意を寄せられるなんてよ」

 こいつ本気でむかつく。おまえにだけは言われたくない。そう思った言葉が思わず口に
出てしまったようだ。

「おまえにだけは言われたくねえよ」

「え? 何で」

「うるせえな。何でもねえよ」

「おまえ何勝手に切れてんだよ。訳わかんねえよ」

「おい駅に着いたぞ。早く降りようぜ」

「誤魔化しやがった、こいつ」



 少なくとも夕也のせいではない。本当は自分でもわかっていたのだ。俺と有希が恋人同
士の間柄なら、夕也は、この友情に厚いこいつならきっと俺と有希の間に割り込もうなん
て思わなかっただろう。夕也が現れるまで、俺と有希は仲がいい幼馴染ではあったけど、
そして俺の方は有希のことが大好きだったけど、客観的に見れば俺と有希は単なる幼馴染
であって、恋人同士でも何でもない。だから、そこに現れた夕也に有希の心を持っていか
れたとしても、それは夕也が卑怯だとか卑劣だとかということはできない。同時に有希が
夕也のことを好きになったとしても、それは俺に対する裏切りではない。俺は有希に告白
すらしたことがなかったのだから。

 夕也が俺たち三人の関係に入り込んでくる前に、俺が有希に告白していたとしたら。有
希は俺の気持ちに応えてくれていたのだろうか。それは今となっては考えることすらむな
しい想像だった。とにかく、今の有希が夕也を好きなことは誰の目にも明らかだった。夕
也の方も。つまり二人が結ばれるのはもう時間の問題なのだ。

「どうした? 何考え込んでるんだよおまえ」

 俺の気持ちを知らない夕也が不審そうに問いかけた。


「麻人、ちょっとこっちに来なさい」

 学校前の駅で下車すると、俺と夕也の方に歩み寄って来た有希が怖い顔で言った。

「何だよ」

「夕也は麻衣ちゃんを教室まで送って行って。あたしはこいつに少し話しがあるから」

「話ってもう始業時間まであまり時間ねえぞ」

「すぐ済むよ。あんたはとにかく麻衣ちゃんを連れて行って」

「お、おう。麻衣ちゃん、教室まで送ってくよ。行こう」

 険しい表情の有希に怯んだ夕也が麻衣に話しかけた。

「はい」

 麻衣のやつは、俺の方をちらりとも見やしない。

「麻人、ちょっとこっち来て」

「どこ行くんだよ」

「いいから着いて来て」ュ

 突然、有希に手を握られた俺は狼狽した。いったい何だよ。

「何で俺の手を握るの」

「うるさい!」

 中庭まで俺は有希に手を引かれたきた。思い出すまでもなく、有希が最後に俺と手を繋
いでくれたのは、夕也が登場する前だった。

「ここでいいわ」

「あと十五分くらいでホームルーム始っちゃうんだけど」

「・・・・・・あんたさ、何考えてるのよ」

 有希が俺の手を話し、険しい表情で俺を問い詰めるように言った。

「いきなり何だよ。わけわかんねえよ」

「麻衣ちゃんの気持ちとか、あんた真剣に考えたことあるの」

「おまえ、何言ってるの?」

「あたしは引っ越すまではあんたたちの隣の家で、ずっとあんたと麻衣ちゃんを見てきた
んだよ」

 何言ってるんだこいつ。

「だから、麻衣ちゃんのあんたへの気持ちはあたしが一番良くわかってる。あれだけ一途
にあんたのことを慕っている麻衣ちゃんの気持ちを何で弄んだりできるの?」

「ちょっと待て」

「何よ」

「俺が妹の気持ちを弄ぶってどういうことだよ」

「だってそうでしょ。麻衣ちゃんから聞いたけど、昨日だってあんたは二見さんと麻衣ち
ゃんの前で、見せつけるようにイチャイチャしてたんでしょ」

「おまえそれ何か誤解してるぞ」

「あまつさえ」


 俺の言葉なんか全く聞かずに有希は言いつのった。

「麻衣ちゃんが嫉妬したり怒ったりした時、あんたはすぐに麻衣ちゃんの手を握ったり肩
を抱いたりあーんしたりとか、そういう姑息な肉体的な接触で麻衣ちゃんを惑わせたりし
たらしいじゃない」

 どうしたらこんなひどい誤解ができるのか。麻衣は結局俺のことを誤解したままだった
のか。俺はため息をついた。

「あのさあ。昨日は二見の財布を拾ってやった俺に、あいつがお礼を言っただけなんだ
ぜ」

「だけど、麻衣ちゃんは」

「だけどじゃねえよ。おまえ、麻衣のことを心配してるふりをして、気にいらない俺に言
いたいことを言ってるだけじゃねえの」

「・・・・・・違うよ」

「本当は俺のことが気に入らないだけなんだろ? だったらもう俺に話しかけるなよ」

「ち、違う」

「夕也と二人で仲良くしてればいいじゃねえか。何で俺のことなんかそんなに構うんだ
よ。気に入らなけりゃもう俺には話しかけないでくれ」

「・・・・・・何で」

「何でじゃねえよ。おまえは大好きな夕也のことだけ気にしてりゃいいだろ。もう俺と麻
衣のことは放っておいてくれよ」

 俺は何でこんなにエキサイトしてるんだろうか。夕也とべったりな有希への嫉妬なの
か。情けねえな俺。

「じゃ、もう行くから」

「あ。ちょっと待って」

「おまえも早く行かないと遅刻するぞ」

 俺はもう有希の方を見ずに教室に向かって歩み去った。


今日は以上です
また投下します


 翌朝、あまり眠れなかった俺は朝になっていろいろ後悔した。これじゃ、俺って全然だ
めじゃんか。有希のこととか夕也のこととかで悩むならともかく、何で俺は三十分おきに
あのスレの確認なんかしてたんだろう。結局、二見はあのスレには戻ってこなかった。そ
れでも俺は、三時過ぎにあのスレが落ちるまでは気になって眠れなかったのだ。

 全く。あんな画像見ただけでどんだけ二見のこと気にするようになったんだよ、俺は。
他にもっと気にしなきゃいけないことがあるのに。起きるか。俺は着替えて階下に下りた。

「おはよう」

「おはよ」

「早くご飯食べちゃって。・・・・・・て、どしたの?」

「どしたって何が?」

「昨日眠れなかったの?」

「わかるか」

「うん」

「そうか」

今朝は普通に接してくれるんだな、こいつは。おれはそう思って食卓についた。

「あまり悩まないで自分に素直になればいいと思うけど」

「おまえ何の話してるの」

「何って。お姉ちゃんのことで悩んでるんでしょ」

「いや、そんなんじゃなくて」

「隠したって無駄だよ。前にも話したけど、お兄ちゃんがお姉ちゃんのこと好きだったこ
となんか、あたしは前から知ってたんだから」

「そうじゃねえのに」

「そのお姉ちゃんから告白されてお兄ちゃんが悩まないわけないじゃん。お兄ちゃん、夕
さんの親友だしね」

「あのさあ」

「お姉ちゃん、バカだよね。お兄ちゃんと結ばれるチャンスなんか今までいくらでもあっ
たのに。あたしなんかに、お兄ちゃんの実の妹なんかに遠慮してさ」

「もういいよ」

「お兄ちゃんが夕さんのために身を引いても、多分お姉ちゃんはもう夕さんとは付き合わ
ないよ」

「何でそんなことおまえにわかるんだよ」

「お姉ちゃん言ってたもん。仮にお兄ちゃんがお姉ちゃんの告白を受け入れてくれなかっ
たとしても、もう夕さんとは一緒に過ごさないって」

「夕也がかわいそう過ぎるだろ、それ」

「その気もないのに親しく接せする方がかえって残酷だと思うよ」


自宅の最寄り駅で俺は麻衣と二人でいつもの電車を待った。

「今日も弁当作ってねえの?」

「うん。最近夜忙しいから準備できなくて」

「まあ、おまえにばっか負担かけてきたわけだからしょうがねえよ」

「ごめんね」

「別に学食とか購買のパンでも問題ねえし」

「お兄ちゃん、偏食だからな。本当はあたしのお弁当で栄養管理したいんだけどなあ」

「別に肉ばっか食ってるわけじゃないぞ」

「口では何とでも言えるしね。いっそお姉ちゃんに頼んじゃうか」

「頼むって何を?」

「しばらくお兄ちゃんのお弁当作ってくれないって」

「ば、ばか。よせ、絶対にそんなこと幼馴染に言うんじゃねえぞ」

 今の有希なら本当に作りかねない。

「冗談だって。そんな図々しいこと本当に頼むわけないじゃん」

「それならいいけど」

「あ」

「どうした?」

 二見が駅の隅にいた。

「今日もいるね」

「うん、いるな」

 妹は黙ってしまった。



「お姉ちゃんおはよう」

「麻衣ちゃんおはよ。今日も可愛いね」

「ありがとお姉ちゃん」

「麻人もおはよう・・・・・・って、どうしたのその顔?」

「おはよ。別にどうもしてねえよ」

 やっぱり有希は、今日も夕也とは別行動なのか。

「酷い顔でしょ」

「うん。寝不足?」

「ちょっとな」

「お姉ちゃんお姉ちゃん」

 麻衣が有希の耳に口を寄せた。内緒話をしている風だけど、声がでかいせいで何を言っ
ているのか全部聞こえている。

「どしたの? 麻衣ちゃん」

「今お兄ちゃんは悩んでるの。わかるでしょ?」

「あ」

「もう。当事者のお姉ちゃんが気が付いてあげなくてどうするの」

「ごめん。そうか、そうだよね」

「もう寝不足には突っ込まないであげて」

「うん、わかった」

 何でわざとらしく声をひそめているのか。全部聞こえてるっつうの。それに、本当はそ
のことで悩んだんじゃない。頭の中に女の太腿の画像がこびりついていたせいなのだ。

 あいつは今夜もやるのだろうか。女神行為を。


 麻衣と別れて有希と二人で始業前の教室に入ったけれども、有希は友人にあいさつされ
て俺のそばから離れていった。

 二見はまたぎりぎりに来る気なのだろうか。教室には彼女の姿がなかった。ちょっとで
も授業始まる前にあいつと話せないだろうか。俺が未練がましくそう思って教室の入り口
を見ると、二見が教室内に入ってきた。いつもよりは一本早い電車に乗ったのだろう。な
ぜか俺の胸の動悸が激しくなった。

「池山君、おはよう」

「おはよう」

「・・・・・・寝不足?」

「ああ、ちょっと」

「悩みでもあるんですか?」

 二見がにこっと笑った。

「何でもねえよ」

 おまえの白い太腿が気になって眠れなかったなんて言えるか。

「あのさ」

「うん」

「見たよ、昨日のスレ」

「レスしてくれたから知ってるよ」

「うん」

「どうだった?」

「どうって言われても」

「軽蔑した? それとも嫌悪を感じた?」

「そんなことねえよ」

 思ったより大声を出してしまった。周囲の生徒たちが俺たちの方を見ているのがわかっ
た。思わず大声を出してしまった。有希とか他のやつらが変な顔でこっちを見ている。

「別に嫌な感じなんてしてねえよ。可愛い写真ばっかだったし」

「本当?」

「ああ」

「嬉しい」

 このあたりでようやく俺の緊張も解けてきた。

「おまえ、すごく人気あったじゃん。結婚してくださいなんて言われてたし」

「そんなの真面目に言ってるわけないじゃん。盛り上げてくれてるだけだよ」

「そうなの? メアド教えろとかっていうのも?」

「ああ。あれは少しマジかもね。どうしても出合厨って沸いてくるし」

「うん?」

「まあ、スルーすればいいのよ、ああいうのは」

「よくわかんねえけど、おまえ昨日は楽しそうだったよ。おまえのレス見ててそう思っ
た」

「昨日はスレ荒れなかったからね。あんなもんじゃないこともあるのよ」

「そうなんだ」


「あたしの写真、気に入った?」

 二見が微笑んで俺の方を見た。

「え? 何だよそれ」

「可愛かったかな?」

「う、うん」

「君にそう言ってもらえると嬉しいな」

「おまえさ」

「なあに」

「ああいうの毎日やってるの?」

「毎日じゃないよ。普段は他の板とかでロムってることも多いし」

「まあ、昨日くらいの露出なら問題ないんだろうけど」

「うん?」

「学校の奴らとかにばれたらまずいんじゃないの」

 いくらぼっちの二見だって、そういう噂はまずいんじゃないか。俺はそう思った。

「ばれないよ。顔とかは隠してるし」

「隠してるうちに入らねえと思うけどな、あの程度じゃ」

「平気だって。それよか、まだ見る気ある?」

 見る気がないかあるかと聞かれれば、それは見たい。

「今夜もスレ立てるの?」

「そういうわけじゃなくて。あたしが前に言ったこと覚えてる?」

「うん?」

「恥ずかしいから最初はソフトなやつって言ったでしょ」

「あ、ああ。」

「でね。今夜は久しぶりに女神板でやろうと思って」

「何それ」

「見ればわかるよ。その気があるならまたメールしてあげるけど」

「・・・・・・うん」

「じゃあ、夜八時頃から始めるから」

「わかった」

 それまで俺の方を見ていた二見の視線がずれた。

「あ、広瀬君が来た。最近一緒に登校しないんだね」

「・・・・・・わかってて言ってる?」

「ごめん。でも彼、君以上に寝不足な感じ」

 夕也のやつ、ひどい顔だ。

「広瀬君、せっかくイケメンなのにね」

「うん」

「あ、先生来ちゃった。また後でね」

「おう」


 午前中の授業終了後、俺は二見の声に起こされた。

「池山君、池山君ってば。起きてよ」

「あ」

「あ、じゃないわよ。授業終わったよ」

「俺、寝ちゃってたのか」

「机に突っ伏して盛大にね。あの先生だから見て見ぬ振りしてくれたけど、他の先生だっ
たら怒られてるよ」

「うん。何かいつのまにか寝ちゃったみたいだ」

「寝不足で疲れてるんでしょ。何で寝不足なのかは知らないけど」

「何でもないよ」

「今日は妹さんと一緒にお昼?」

「いや今日は約束してないよ」

「じゃあよかったら一緒にお昼食べない?」

「いや、ちょっと夕也と話がしたいんでさ」

「広瀬君、授業終わったらすぐ教室を出てっちゃったよ。気分悪そうだった」

 あいつ、もしかして俺のこと避けてるのか? 昨日はちゃんと話せたのに。

「じゃあ、中庭に行こうか」

 二見が言った。



「君も、二見さんとか広瀬君のことでも考えて眠れなくなったんでしょ」

「違うよ」

「じゃあ妹さんのことでも考えてた?」

「だから違うって」

「じゃあ何で寝不足なの? 場合によっては力になってあげられるかもよ」

「力になるっておまえが?」

「ぼっちのあたしが言っても信じてくれないかもしれないけど、あたしって問題解決能力
が高いぼっちなんだよ」

「何だよそれ」

「ほんとだよ」

 二見は突然微笑んだ。それはすごく可愛いい笑顔だった。正直に言っちまうか。俺はそ
う思った。それでこいつがどんな反応するかも知りたい気がするし。

「ええとだな」

「うんうん」

「おまえの立てたスレを三十分おきくらいに見に行ってたら寝そびれた」

「え・・・・・・つうか、え?」

「いや何か落ちないようにスレ保守している人がいっぱいいたから、おまえがスレに戻っ
てくるんじゃないかと思ってさ」

「飽きれた。今日は戻れないってレスしたのに」

「まあ、あとさ。正直な話、おまえの画像が気になって眠れなかったっていうのもある」

「え」

 やばい、引かれたか。俺はそう思った。


「あ、あの。変なこと話して悪い」

 二見は黙って俺を見ている。

「気持悪かったよな。今の忘れて」

「うれしい」

 二見が俺の方を見上げるようにして小さな声で言った。

「え?」

 何なんだ。

「あたしさ、ああいうことしてるって知り合いに話したの初めてだったんだ」

「うん」

 そりゃそうだろうなって俺は思った。気軽に学校とか家庭で話せるようなことじゃない。

「どうせ知られたら変な目で見られるだろうし、噂にもなるだろうし」

「まあ、普通はあれを知ったらドン引きするだろうけどな」

「あたし、多分友だちとか作ろうと思えばできると思うんだけど、隠し事をしながら友だ
ちと付き合うの嫌だったから」

「それでいつも一人でいたの?」

「うん。でもさ、自分でも何でかわからないけど君とは友だちになりたくてね」

「そうなんだ」

「そうなの。でも隠し事するの嫌だったから、怖かったけど女神のこと君に教えたの」

「そうか」

「嫌われるだろうなって覚悟してたけど、気にしないでくれて、っていうか気に入ってく
れて本当にうれしい」

 俺が好きなのは有希だけど、何かここまで好意を示されると正直うれしい。こいつは可
愛いし。

「まあ俺だって健康な男子だし。あの太腿の写真をもう一度見ようとしたくらいだしな」

「・・・・・・え」

 やばい。ちょっと言い過ぎただろうか。

「ちょっと。大きな声で太腿とか言わないでよ。で? 画像は保存したんでしょ」

「してない」

「え? 何でよ。すぐ削除しちゃうから普通みんなすぐにダウンロードするんだよ」

「いやそれ知らなくてさ。もう一回見ようとしたら見れなかった」

「ちょっと待って」

 二見はスマホ取り出して何か操作し始めた。

「送信したよ」

「何を?」

 スマホが振動した。

「メール見て」

「俺の携帯か。おまえから?」

「君にプレゼント」

 空メールに添付されていたのは、昨日の二見のむき出しの太腿の画像だった。

「よかったらどうぞ。好きに使っていいよ」

「つ、使うっておまえ何言って」

「だってよくレスもらうよ? 大切に使わせてもらいますとかって」

 俺は二見の笑顔を正視できなかった。正直に言えば、その場で死にたいくらいだった。


「とにかく勇気が出たよ。女神のこと話しても嫌われない友だちが一人できたことに」

「うん、別にあんなことくらいで嫌いにはならねえよ。それにエッチなのってこの足の画
像くらいだしさ。あれくらいなら十分許容範囲だ」

 突然二見が黙り込んだ。

「どうかした?」

「はあ」

「うん? ため息なんてついてどうしたんだよ」

「よろこぶのはまだ早いか」

 何だ? こいつ急に暗い顔になっちゃったな。これまでやたらうれしそうに笑ってたの
に。

「だから何で急に落ち込んでるんだよ」

「まあ、しょうがないか。明日君に会うまではどきどきて待ってるしかないのね」

「どういうこと?」

「今夜も女神行為するから」

「うん、それはさっき聞いた」

「昨日と違う板でするの」

「女神板ってとこでしょ」

「うん。それでさ、あそこは基本的に十八歳未満は出入り禁止なの」

「そうなの? じゃあ制服とかアップしたらまずいじゃん」

「そうなの。だからあたしは女神板ではいつも十九歳の女子大生って自分のこと言って
の」

「そうなんだ」

「今夜は君はレスしなくていいから、黙ってロムしてて」

「コメントしないで見てろってことだな。わかった」

「URLはあとでメールするけど、あたしのコテトリだけ覚えておいて」

「コテトリって何?」

「今メールで送るから」

 再びスマホが振動した。

 俺は二見からのメールを開いた。

ねぇグロはね

セイバー顔潰しや

其の他キモ小父さんの妄想ベントウノ発言前に数億枚あるんだよアレイスターちゃん【煽り姫神秋沙子孫根絶】此れで勝つる【旦那吸血鬼卑怯者雑種獣】我様不滅のシャカちゃん10歳【処女膜【VIRGIN】小父さんの妄想ブッサシプリキュア知ってるよ母上】


『モモ◆ihoZdFEQao』

 何かの暗号みたいだ。

「何これ?」

「今日のスレで名前欄にこれが入ってるのがあたしだから。モモって言うのがあたしの固
定ハンドル、まあペンネームとでも思って」

「ああ、そういうことか」

「で黒いダイアモンドマーク以下の文字があるでしょ? それが付いてたら本当のあたし
だっていうこと」

「よくわかんないな」

「それはあたししか知らない文字列を変換している言わば暗号みたいなものだから、その
秘密にしている文字列を入力しないとこういう表示にならないの」

「パスワードみたいなものか」

「まあ、そうね」

「それはわかったけどさ、何でさっきちょっと落ち込んでたの?」

「今夜になればわかるけど。十八禁の意味はわかるでしょ」

「もしかして」

「うん。まだ君に嫌われる可能性は十分に残ってるってことだね」

 だったら俺に女神板なんて教えなきゃいいのに。

「君が何考えてるかわかるよ。黙ってればわからないのにって考えたでしょ」

「まあ、今確かにそういうことも思い浮んだよ」

「さっき言ったように友だちと隠し事しながら付き合うの何かいやだし」

「うん」

「あと、あたし君のこと結構気になってるかも」

「え」

 気になるってどういう意味だ。俺は一瞬本気で心臓の音を聞いた気になった。

「とにかく今夜見て明日感想を聞かせて・・・・・・それが嫌悪しか感じなかったっていう感想
だったとしても正直に話してね?」

「わかった」


 二見と別れて自宅に戻ると、麻衣は既に帰っていたけど、リビングではなくて自室にこ
もっているようだった。これなら二見の女神行為をスマホではなくリビングのパソコンで
見ることができそうだ。麻衣は今夜は食事を用意していなかったので、俺は風呂に入り適
当に冷凍食品を解凍して夕食をすませた。

 そろそろ八時だ。何か緊張してきた。そして、なんでこんなに緊張しているのかもわか
らない。たとえ好きな女の子ではなくても、かわいい子の画像が見られるんだから健康な
男子高校生としては緊張くらいしても不思議じゃない。でも、本当にそれだけなのか。

 もしかして二見は俺のことが好きなのだろうか。いや、彼女は気になるって言ってるだ
けで俺のこと好きだってはっきり言ったわけじゃない。ただ、もし少しでもその可能性が
あるなら早めに断らないといけないだろう。俺が好きなのは有希なのだし。まあ、夕也の
ことを考えると、有希とは結局結ばれないのかもしれないけれども。

 それならいっそ二見と付き合うっていうのもあるかもしれない。あいつとは一緒にいて
気が楽だし話も合うし。って何を考えているんだ俺は。別に二見に告られたわけでもない
のに。

 そのときスマホが震えた。二見からのメールだ。



from :二見優
sub  :無題
本文『じゃあ、そろそろ始めるね。今のところ他の子がうpしてる様子もないから、見て
ても混乱しないと思うよ。念のために繰り返しておくけど、女神板はうpも閲覧も18禁
なんであたしは19歳の女子大生って名乗ってるけど間違わないでね。』

『モモ◆ihoZdFEQaoのがあたしのレスだから。あと結構荒れるかもしれないけど動揺して
書き込んだりしちゃだめよ? 君は今日はROMに徹して』

『ああ、そうそう。これは余計なお世話かもしれないし、あんまり自惚れているように思
われても困るんだけどさ。今日うpする画像はすぐに削除しちゃうから、もし何度も見た
いなら見たらすぐに保存しといた方がいいと思うよ』

『じゃあ、下のURLのスレ開いて待っててね。8時ちょうどに始めるから』

『やばい。何かドキドキしてきた(笑) 女神行為にどきどきなんかしなくなってるけど、君に嫌われうかもしれないって思うとちょっとね。でも隠し事は嫌いなので最後まで見て
感想をください。あ、感想ってレスじゃないからね』

『じゃあね』



 二見がどきどきするくらいなのだから、よほどきわどい恰好をするのだろうか。十八禁
の板なのだ。下着とか見せちゃうのかもしれない。そう思うと何か胸がもやもやする。別
に俺の彼女でも何でもないから嫉妬する権利なんか俺にはないのに。それにもやもや以前
に、俺が二見の体が見られることに期待しているのは、誤魔化しようのない事実だ。

 とりあえず俺はスマホのメールをパソコンに転送した。そして、パソコンのメールを開
いて表示されたURLをクリックした。一瞬の間をおいて該当するスレが、自動的に立ち
上がったブラウザに表示された。

【貧乳女神も】華奢でスレンダーな女神がうpしてくれるスレ【大歓迎】

 何かタイトルすごい名前だ。既存のレスの日付を追うと、半年以上前に立ったスレのよ
うだった。昨日のスレと違って>>1に細かい注意事項が書いてある。

 十八歳未満は本当にだめなんだ、あと顔出し非推奨とかメアド晒し、出会い目的は禁止。
何かエッチな板だと思ってたけど結構、常識的なことが書いてあるようだ。

『性器のうpは固くお断りしています』

 ・・・・・・なんかすごく嫌な予感がする。とりあえずスレを更新してみよう。最新レス
は、いきなり二見のレスだった。

モモ◆ihoZdFEQao『こんばんわぁ?。誰かいますか』

 コテトリとかいうのが教わったとおりのやつだ。これは二見で間違いない。俺は再びス
レを更新した。さっきはなかったレスがついてる。

『いるぞ~』
『モモか。久しぶりだね』
『モモちゃん元気だった?』
『ちゃんと大学入ってる?』

 何かみんな二見というかモモのことを知っているようだ。それにしても本当に大学生を
演じているのか。

モモ◆ihoZdFEQao『人いた。最近恋に落ちたせいか痩せてますます貧乳になりました(悲)』

 恋? まさか。そのレスには画像のURLが貼ってあった。何か怖いけど、見ないです
ませるくらいに俺のメンタルは強くない。それにすぐ削除しちゃうって二見は言っていた
し。俺はそのURLをクリックした。


今日は以上です
新しいPCが届いたのでまた更新を再開します

>>103,106
誤爆してますよ


 URLをクリックすると別窓が立ち上がった。まだ画像は表示されていないけど、俺は
その別窓を最大化して、ゆっくりと画像が表示されていくのを固唾をのんで見守っていた。
画像は上の部分から徐々に鮮明になり、やがて表示される部分が広くなっていった。最初
に見えたのは二見の顔だった。

 目の部分には昨日はモザイクがかけられぼかされていたけど、今日の画像は上から細い
線を重ねて目の部分が見えないようになっていた。それでも二見を知っている人間ならそ
れが誰だかすぐ判別できるくらい、申し訳程度にしか顔は隠されていなかった。

 やがて彼女の白い肌がゆっくりと浮き上がってきた。それはあいつの上半身の裸身の写
真だった。左手で胸の部分を隠しているため乳首は見えないようになっていたけど、小さ
な手で押さえているせいで、乳房は全体が隠されているわけではなかった。右手が写って
いないのは、おそらくスマホを持って腕を伸ばして自分を撮影したからだろう。画像の下
の部分には二見が履いているスカートが少し写っていたけど、それ以外はあいつは何も身
につけていなかった。いや、正確に言うと鎖骨のあたりに何か付箋のような物が貼り付け
られていて、それには英数字が書きなぐってあった。昨日のスレでもあったけどIDを書
いて本人証明をしているのだろう。

 普段見ている印象よりあいつの体は細く華奢だった。制服姿でいるときより裸身になる
と肩や腕の細さが際立って見える。俺は二見の上半身裸の画像を素直に美しいと思った。

 最初に予想していたようなわいせつな印象は、全くと言っていいほどなかった。自分で
も驚いたことに、二見の裸体を見ても性的な意味で興奮することはなかった。むしろ何か
美しい中世の女神の絵画でも見ているような印象すら受けていた。なぜこういう行為をす
る子が女神と呼ばれているのか、あいつの裸身を眺めていると何となくその意味がわかっ
たような気がする。

 そして、昨日は携帯の小さな画面だったけど、今日パソコンの大きなディスプレイで画
像を見ると、彼女の肌の質感が手に触れているかのようにまざまざと感じられるようだっ
た。スマホのカメラのせいか画質はあまりよくなく、パソコンのディスプレイに映し出さ
れた画像の解像度の荒さは隠しようもなかったけど、それでもそれは映し出された彼女の
美しさを損なうことはなかったのだ。俺が自分のカメラで撮影していれば、もっときれい
に撮れるのに。

 しばらく画像に見とれていた俺は我に帰り画像を右クリックして画像を保存した。すぐ
に削除するってあいつに注意されていたし。それから一度画像を閉じてスレを更新した。



『美乳じゃん』
『美乳なんだろうけど手で隠すくらいならうpするなボケ』
『乳首も見せないとか何なの』
『モモちゃんの乳首みたいです』
『美乳というより微乳かもしれん。こんなんに需要ねえよ』
『>>○ スレタイも読めんのか。モモ、ナイス微乳。手をどけようよ』
『肌綺麗だな。こないだまで女子高生やってだけのことはある』
『乳首見せる気ないなら着衣スレいけよ』



 何でこんなレスばっかなんだろう。これだけ綺麗な画像貼ってるのに。俺はそう思っ
た。同時にここのスレの住人のレベルの低さに無性に腹が立った。ここは十八禁だってい
うけどレスを見ているかぎりでは、高校生以下のレベルではないか。何か腹が立ってきた。
反論のレスをしてやろうかな。一時はそうも思ったけど、でも、あいつに今日はレスする
なって言われていたことを思い出して、俺は反論を断念した。とりあえずスレを更新して
みよう。



『ふざけんな。削除早すぎるだろ』
『即デリ死ねよ』
『のろまったorz』
『次の画像うpしてくれ』



 ・・・・・・もう削除しちゃったのか。どれ。俺は画像へのURLをクリックした。

 DELIETEDって出て画像はなくなっている。俺は画像をあきらめてスレの方を更新した。


モモ◆ihoZdFEQao『画像は15分で削除します。ごめん』

モモ◆ihoZdFEQao『あと乳首はダメです。需要ないかなあ』



『ねえよ帰れ』
『需要あるよ。乳首なくてもいいから次行ってみよう』
『モモの身体綺麗だからもっと見たいれす』
『次M字開脚してみて』



 好意的なレスもあるけど、とにかく画像を貼らせようって感じだ。でも、正直俺ももっ
と見てみたいという感情はある。



モモ◆ihoZdFEQao『リクに応えてみました。乳首はダメだけどM字です。15分で消しま
す』



 次の画像だ。消される前に。俺は画像へのリンクをクリックした。

 次の画像は鏡に写した自分を撮影したものだった。二見がスカートを脱いで床に座りこ
んで足をMの形に開いている画像で、開いた足の中心部にはブルーで無地のパンツがくっ
きりと写っていた。普通なら下着がはっきり見えているということで、その部分に目が行
くのかもしれないけど、俺の目はあいつの細く白い脚に釘付けになった。昨日見た太腿の
画像より拡大され、細部まではっきりと見えていたけれども、その脚にはしみやあざは一
つも見当たらず全体的に滑らかでほのかに内側から光を発しているようにすら思えた。特
に昨日は見えなかった内腿の白さが際立っている。下半身を写しているせいで、画像の上
部はお腹と形のよいへそが半ば見切れるように写っていた。

 二枚目の画像を見てもやっぱり美しさを感じたたけど、画像を見ているうちに性的な興
奮のようなものがようやく俺にも湧き上がってきた。ただ、それは彼女の下着とか肌を見
ていることからくる即物的な興奮ではなく、自分の親しい人間がこういう姿を不特定多数
の目の前で肌を露わにしているという少し倒錯的な感情から来る興奮だったのかもしれな
い。俺は少し戸惑った。二見の行為に嫌悪感は感じなかったけど、倒錯した興奮を感じた
自分に対する嫌悪感は微妙に感じていた。それでも俺は麻薬に中毒して自分ではやめられ
ない人のように、自分から意識してこのスレを閉じることはできなかった。

 俺は二枚目の画像を保存すると、再びスレに戻り更新した。今度は概ね好意的なレスが
数レス付いていた。昨日のスレのような流れの早さはなく、一枚画像を貼るたびに数人が
レスするという感じだった。こういうスレを過疎スレと呼ぶのかもしれない。何度か更新
してレスを確認していると再び二見のレスがあった。



モモ◆ihoZdFEQao『ほめてくれてありがとうございます。じゃ最後は全身うpです。乳首
なしですいません。15分で消します』



 俺は三枚目の画像を開いた。ゆっくりと表示されていくその画像は、姿見に正面から映
した全身の画像だった。体にはブルーのパンツ以外何も見にまとっておらず胸だけは左手
で隠している。右手には姿見を狙って撮っているスマホのカメラが握られているのがわか
った。

 ・・・・・・結局その日はこれを最後に写真が貼られることはなかった。これでおしまいとい
う二見のレスに数レスだけ、ありがとうとかまた来てねとかというレスが付き、それに続
いて即デリ死ねよとかのろまったとかというレスが数レス。その後は何度更新しても新規
の書き込みはなかった。画像も宣言どおり二十分くらいで全て消去されていた。夜中の三
時ごろまでお祭りのように賑わっていた昨日のスレとは全く感じが違っていて、何か淡々
と事が運んで淡々と事が終わったようだった。今日のスレでは始ってから終わりまで一時
間もかかっていなかった。

 俺は更新を諦めてスレを閉じた。そして保存した画像をパソコンのメールで自分の携帯
に移してから、その画像をパソコンのハードディスクから削除した。リビングのパソコン
は家族共用なので万一発見されると非常に気まずい。というか両親に発見されるくらいな
ら気まずいだけですむけれども、妹が発見すると写真の人物が二見であることに気づいて
しまう可能性があった。

 画像を全部削除してパソコンの電源を落として自分の部屋に戻った俺は改めて自分がこ
の女神行為に対して抱いた印象を考え始めた。明日朝一番で二見に感想を求められること
は間違いない。それまでに自分なりの感想を整理しておく必要を俺は感じたのだ。


 少なくとも嫌悪感はなかった。それは断言できる。スレを開いた時に女神板のスレに感
じた猥雑な印象は、実際に二見の画像を見ると俺の心からすっかり消し飛んでいた。そし
て彼女の体を美しいと感じたことも間違いなかった。ただ、問題は二枚目以降の画像を見
た時に感じた複雑な感情だった。俺はその感情を自分の心の中で整理しきれていなかった。

 それは自分がよく知っている女が他の男に肌を露出していることから来る嫉妬だったの
だろうか。でもその感情を抱いたとたんに俺は得体の知れない深い興奮を覚えたのだった。
それは単純な性的興奮ではなかった。何か自分の女が複数の男の視線に晒されていること
への興奮だったのか。

 え? 俺は一瞬自分の頭を疑った。俺の女ってなんだよ。

 二見は俺と付き合っているわけではない。俺は不特定多数の掲示板の住人と同じく今日
初めてあいつのああいう画像を見たのだ。いや、モモというコテハンがレスした人たちに
知られていたということは、当然俺より先に二見の裸身を見ていたやつらがいるというこ
とだった。それに対して俺が感じたのがスリリングな興奮なのかそれとも単純な嫉妬なの
か。俺は混乱した。

 もうこれ以上考えても何も結論は出せそうになかった。俺は諦めて寝ることにした。今
日も有希の告白にどう応えるか考えなかったな。そんな感想が眠りにつく前に俺の脳裏に
浮かんだけれども、それはすぐ次に鮮明に脳裏に浮かんだ二見の美しい肢体のイメージに
かき消されてしまった。俺は彼女の真っ白だった美しい肢体を思い浮かべながらいつのま
にか寝入ってしまったようだった。

 翌朝 自宅の最寄り駅に立った俺は、朝食を食い損ねてしまった自分の空腹を持て余し
ていた。今朝は麻衣が朝食を用意してくれなかったのだ。今日は妹は俺を起こすとさっさ
と一人で出かけてしまった。おかげでいつもより遅い電車になってしまったうえ、すきっ
腹を抱えている。まあ、考えようによってはいかに俺が生活する上で妹に依存していると
いう証左になったのだけど。

 麻衣は、最近夜も自分の部屋にいるし、昼も一緒に食べようとしない。俺のこと避けて
いるのだろうか。ついこの間まで、麻衣は近親相姦直前くらいなほど俺にベタベタくっつ
いてたくせに。あいつは有希のこと応援してるって言ってたから、有希への返事を引き伸
ばしている俺のことを怒ってるのだろうか。

 まあ、いいや。そんなことより昨日のことのほうが悩ましいと俺は思った。保存した画
像をちょっとだけ見てみようか。俺はスマホを開いて二見の女神行為の画像を表示した。
一枚目の画像は、スマホの画面だと画像が小さいけど、それでもあいつの体が綺麗なこと
はよくわかる。胸を隠している方がかえって彼女の美しさを引き立てているようだ。

 二枚目はM字に脚開いてっていうリクエストに応えたやつだった。二見の脚とかきれい
だけど、それにしてもいったい何人くらいの男がこの脚を眺めて、画像を保存したんだろ
う。レスしないでROMしてるやつも相当いるはずだった。まあ十五分くらいで画像は消
されているから、思ってるよりその人数は少ないのかもしれない。そもそも過疎スレだっ
たし。

 三枚目が一番好みだ。パンツしか履いてない全身の画像だけど。女神か・・・・・・やけに華
奢な女神だけど、あいつの全身を見ていると胸が締め付けられるような変な感じがする。
それが何でなのか、昨日考えてもこの感覚ってよくわからなかった。単に同級生の女の子
のエッチな写真をゲットして興奮してるとかだったら、まだわかりやすいんだけれども。

 でも、そうじゃない。だってこれをネタにオナニーしようとか全然思い浮ばなかったの
だから。むしろこの二見の美しい裸身が不特定多数の目に晒されてるって考えた時、正直
に言うと胸が締めつけられるような、自分でもよくわからない興奮を覚えたのだ。

 俺は朝の通学時間に俺何考えてるんだろ。誰かに覗き込まれる前に画像閉じておこう。
もうこの電車だと隣の駅で有希も乗ってこないだろう。今はその方がかえって気が楽だ。
そう思って念のためにホームを眺めると、ベンチに座ってスマホを眺めている二見がいた。

 どうしよう。声をかけてもいいんだろうか。そう思った瞬間、二見と目が合った。


「おはよう」

 二見が立ち上がって俺にあいさつしてくれた。

「お、おう。ええと」

 俺は何をうろたえているんだ。

「一緒に登校してもいい?」

 二見が俺を見上げるようにして言った。さっきまで熱心に眺めていたスマホをかばんに
しまい込んで。

「あ、うん」

「よかった」

 何かいつもと違って大人しい。昨日のことで緊張してるのだろうか。

「あのさ」

「うん」

「昨日のあれ」

「・・・・・・うん」

「見たよ」

「そう」

 こいつのこの制服を脱がすと、昨日の画像のとおりの裸になるんだよな。突然俺は本人
を目の前にしてとんでもないことを思いついて、そしてそのことに狼狽した。

「どうしたの」

「いや」

 俺の目はなぜか、二見のブラウスに隠された胸を見つめてしまっていた。

「あ」

 二見が両手でブラウスの胸元を隠した。

「ごめん、そうじゃなくて」

「うん」

 二見が胸を隠したままうつむいた。

「綺麗だった」

 よくこんなことが言えたものだ。本当に半ばは勢いで口に出してしまった。本心ではあ
ったけど。

「え?」

「だから、昨日のおまえすげえ綺麗だったよ」

「うん、ありがと」

 二見が自分の胸元を隠していた両手を外し、真っ赤な顔で俺に答えた。


「昨日の感想だけどさ」

「・・・・・・うん」

 どういうわけかあの二見が珍しく赤くなりうつむいた。

「何て言うかさ」

「うん」

 小さな声で俺と目を合わせないまま二見が言った。

「ああいうスレ見たの初めてだったけど、少なくともおまえの画像を見て嫌悪感とか軽蔑
とか全然感じなかった」

「本当?」

「うん、本当」

「・・・・・・よかった」

 二見が顔をあげ心なしか濡れた瞳で俺を見上げた。

「芸術って言うと大袈裟だけどさ。あれだけ綺麗な写真ならどこかで発表したくなるって
いうのも何となく理解できたよ」

「そんなに大袈裟なことじゃないよ」

「そうかもしれないけどさ。でも画像見ててそういう感想が頭に浮かんだのは本当だぜ」

「ああ。よかったあ」

「突然、何て声出してるんだよ」

「昨日撮影している最中も、フォトショで画像加工している時も、レスしている時も本当
は怖くてどきどきしてたんだからね」

「いったい何で?」

「最近、君とやっと親しくなれて、一昨日のスレ見られても引かれなくてうれしかったけ
ど、さすがに昨日のを見られたらもう普通に話をしてもらえないんじゃないかって思うと
怖くて」

「そうか」

「だから、いっそこんなこと隠してればよかったとか考えちゃってね」

「うん」

「でもよかった。ありがと」

「そこで手を握らなくても」

「どきどきした?」

 そのとき二見の湿った手の感触を感じてどきっとしたのはうそじゃなかった。

「ちょっとだけ」

 二見は俺の手を握ったまま少しだけ笑った。

 ホームに電車が入ってきた。

「電車来たな。おまえどうするの?」

「一緒に乗っていく。別に見ておきたいレスとか今日はないし。いい?」

「うん」

 あのスレを眺めていた俺にはこのときはもう、選択肢なんかなかったんだろう。


 今日はいつもより遅い電車だから、有希とは会わないはずだけど。だから別に心配する
ことはないんだけれど。こいつ、いつまで俺の手を握ってるつもりなんだろ。結構周りに
はうちの生徒がいるんだけど。しかし、いきなり俺の手を握るってこれはもう勘違いでは
ないんじゃないか。二見は俺のことを好きなのかもしれない。それにしても、好きな相手
にいきなりああいうああいうスレを見せるとか、普通はないと思うけど。

 隣の駅に着いたけれども、有希の姿はない。有希はやっぱりいつもの電車に乗ったみた
いだ。二見と手をついないでいるところを有希や麻衣に見られないことに安心した俺は、
近くのドアから乗車してきた夕也を見つけた。最近有希や麻衣と一緒に登校していないよ
うだけど、こんなに遅い電車に乗っていたのか。どおりで遅刻ぎりぎりに教室に来るわけ
だ。

「よう夕也、おはよう」

 こいつ今日も寝不足みたいで酷い顔をしている。

「おう麻人・・・・・・って、え?」

 俺の方を見た夕也の表情が氷ついた。

「えって何だよ」

 夕也の視線が下がり、俺と二見が握り合った手に気が付いたようだった。

「おまえさ」

「あ、いや。そうじゃねえよ」

「おまえ、そういうことだったの?」

 夕也の声の温度がひどく下がったようだ。

「おはよう」

 ぼっちの二見が夕也にあいさつしたことに俺はおどろいたけど、夕也はそれを無視した。
俺は反射的に二見の手を離そうとしたけど、手を振り解けない。というかもっと強く手を
握りしめられた。

「俺がバカだったのかな」

「おまえ、何言ってるんだよ」

「俺、おまえのためなら、有希のこと忘れようと思って、時間ずらしたりあいつに話しか
けないようにしてたんだけどよ」

 何を言っているんだこいつは。

「おまえ、最低だな」

「何か勘違いしてるぞおまえ」

「有希の気持を知りながら、返事もしないであいつを悩ませておいてよ。自分は二見さん
と浮気かよ」

「違うって。つうか浮気ってなんでだよ。話を聞けよ」

 俺はとりあえず二見の手を離そうと思ったけど、二見はやはり手を離してはくれない。

「二見さんが好きなら何ですぐに有希のことを振ってやらねえんだよ。おまえ、自分が好
かれてるっていう気持を楽しみたいから、有希への返事を引き延ばしているだけじゃねえ
か」

「てめえ怒るぞ」

「怒るって何だよ。誤解だとでも言いてえのかよ。登校中の電車の中でしっかりと二見さ
んの手を握りやがって」

「握ってると言うか、握られて」


 二見の手が震えてる。この誤解は二見のせいじゃない。こいつを俺のごたごたに巻き込
んじゃだめなんだ。この話が続くと夕也のやつの怒りは二見の方に向くかもしれない。も
う夕也に誤解されても仕方ない。せめて二見を傷つけないようにしないと。

「じゃあな。おまえとはもう話さねえから。あと有希にも全部今朝のこと話すからな。も
うおまえなんかに遠慮したり気を遣ったりするのはやめだ」

 もう何を言っても無駄だろうな。俺はそう思った。

「言い訳すらなしかよ。まあいいや。じゃあな」

 そう言い捨てて、夕也は隣の車両に移動していった。


「何か悪かったな」

 残された俺と二見の間には少し嫌な沈黙が漂った。

「ううん」

「俺たちのごたごたにおまえを巻き込んじゃった。おまえには関係ねえのにな」

「そうじゃない」

「え?」

「そうじゃないの。あたしの方こそごめん」

「何でおまえが謝るんだよ。そりゃ、手を繋いでたとこを夕也に見られたのは痛かったけ
ど」

「君が遠山さんのことを考えなきゃいけない時に、あたしの女神のことなんかで時間取ら
せちゃったから」

 確かにそうだったから俺はこのとき、どう答えていいのかわからなかった。

「だからごめん」

「別におまえに強制されて見たわけじゃねえよ。むしろ有希のことに、真剣に向き合うの
を先送りにしてたのは俺だし」

「でも」

「でもじゃねえよ。おまえに悪いことしたのは俺の方だよ」

 二見はうつむいた。

「たださ」

「うん」

「何で今、俺の手を離さなかったの? 夕也に誤解されるに決まってるのに」

「あの」

「うん」

「あたし、その」

 いつも冷静なこいつらしくないく、何かおどおどしている。

「あたしね。その・・・・・・君のこと好きかもしれない」

 え。

「あたしみたいなぼっちが身の程知らずかもしれないけど」

「お、おい」

「君のこと、本当は前から気にはなっていたんだけど」

「・・・・・・うん」

女「本気で好きになっちゃったみたい」


 その時、俺の手を離さそうとせず真っ赤な顔で俺に愛の告白をしている二見の姿を狼狽
しながら眺めている俺の目には、彼女の上に昨日見た画像のパンツしか身に纏わない裸身
の二見の姿が重なって見えた。

 俺もこいつのことが好きなんだろうか。もしかしたら昨夜女神板のスレでこいつの裸の
姿を見ながら感じていたあの奇妙な感覚は、俺の二見への好意の予兆だったのだろうか。
そしてそのもやもやとした感じとは別に、いつも冷静に振舞っていた二見が、今俺に必死
になって告白している言葉や、強く握り締めらている手の感触が、ここは本気で考えてや
らなければいけない場面であることを俺に強く告げているようだった。

 俺は二見の手を強く握り返した。次の言葉を出す前に一瞬、有希が俺に告白した時の表
情と、それになぜか妹の麻衣の顔が思い浮んだけど、それはすぐに昨日見た二見の美しい
裸身のイメージに置き換わってしまった。

「あのさ」

 俺は言葉を振り絞った。二見は俺の手を握りながら黙って潤んだ瞳で俺を見上げた。

「俺もさ、おまえのこと好きになっちゃったかも」
 彼女はしばらく黙っていた。

 次の瞬間、周囲の乗客やうちの生徒たちの目を気にすることなく、二見が俺に抱きつい
てきた。


今日は以上です
また投下します


 結局、その夜麻衣は帰ってきたけど、風呂から上がったら自分の部屋にこもってしまっ
た。それに帰宅した時にあいつが抱えていた重そうな箱、あれノーパソじゃないのか。不
在連絡票なんか見なくても、留守中にパソが届くって知っていたんだろう。直接受け取り
に行ったから帰宅も遅かったのだ。何で突然ノーパソが必要なんだろう。麻衣は俺が何聞
いても、笑顔でごまかしてちゃんと答えてくれないし。

 でも、まあ、いいか。今はそれより女神板だ。俺が今一番気になっているのは、当然だ
けど二見のことだ。麻衣がリビングにいない分、リビングのPCで落ち着いてスレを見れ
る。とりあえず、こないだブクマしといた女神板のスレから確認しよう。俺はそう思って
女神スレを開いた。



【貧乳女神も】華奢でスレンダーな女神がうpしてくれるスレ【大歓迎】



 ・・・・・・昨日最後に見たレスから全然新しいレスがない。あいつは、今日はおとなしくし
ているのか。なんだか肩透かしというか、つまらない。

 いや。まて。つまらないって何だ。そんなに俺って彼女の女神画像を期待していたのだ
ろうか。よく考えれば、というか考えるまでもなく俺は二見の彼氏なんだから画像とかじ
ゃなくてじかに見たり触ったりとかを考えればいいじゃないか。それが健康な正しい男子
高校生のありかただろう。

 でも、なんだかぴんと来ない。何でなのだろう。あいつはリアルで俺の彼女なのに、何
でネット上の女の画像ばっか期待しているのだろう、俺は。まあ、今夜はあいつの女神行
為はないらしい。と思った次の一瞬に、俺は別なことを考えついた。女神板じゃないとこ
でやっているかもしれない。最初に見たのだって別な板だったし。あのスレ確かVIPだ
った。俺はVIPを開いてみたけど、えらいことになってしまった。どんだけスレが立っ
てるんだよ。試しにjk2とかで検索してみても、該当するスレはヒットしない。やっぱ
り二見は今日は女神行為をしていないんだ。つうか普通に二見に電話して確認すればいい
だけなのに。俺はあいつの彼氏なんだから。やっぱり俺ってチキンだ。

 それでも二見に連絡する勇気がなかった俺は、別なことを思いついた。あいつのコテト
リとかっていうやつで検索してみよう。とりあえず女神板で。



『【貧乳女神も】華奢でスレンダーな女神がうpしてくれるスレ【大歓迎】』
『【緊縛】縛られた女神様が無防備な裸身を晒してくれるスレ【被虐】』



 え? なんだこれ。二見のコテトリで、緊縛とかっていうスレがヒットした。つうか、
緊縛って。なんか怖いけどスレを開いてみよう。開いてみるとスレ自体は二見専用という
わけではなく、どうも一年くらい前に立ったスレらしかった。スレを読み進めていくと、
何か、女神のレスがさばさばし過ぎている感じがした。



『自分で後手縛りは無理でした。縛られてるみたいな格好だけしてみました』
『自分に手錠をかけてみました。手首にあざがついちゃったよ(笑)』
『彼氏にラブホで虐められちゃった。後手に縛られてバックポーズにされた写真です。自
撮でなく彼氏撮影です』
『目隠ししされてみました。見えないからピントもちゃんと合わせられなくてごめんね』



 何かすげえスレ開いちゃったな。それにしても、今のところモモは出てこない。俺はし
ばらくスレを読みながらスクロールしていった。



モモ◆ihoZdFEQao『誰かいますかぁ?』



 それは二見のレスだった。二か月くらい前のものだったけど。



『いるよ』
『モモちゃんキター!』
『今日は大学休みなの?』
『おお、ようやくモモと遭遇できた』



モモ◆ihoZdFEQao『人いた。じゃあ写真貼ります。15分でデリっちゃうけど』



 緊縛とかってまさか。俺は画像のリンクをクリックした。


404 NOT FOUND



『モモちゃんGJ!』
『いい。ただ一言いい』
『のろまった。誰か詳細plz』
『>>○ モモが後手に縛られているような感じで床にぺたって座り込んでいる画像。ブラ
ウスが半ば脱がされている感じが色っぽい』
『ビーチクは見えてるの』
『>>○ 見えてない。ブラとスカートは着用してる。でも何か高校生が無理やり後手に縛
られブラウスを脱がされてこれから犯されるってイメージの画像』
『頼む! 保存したやつ誰かうpしてくれ「』
『必死すぎ。んなことできるわけねえだろ。遅れたやつはあきらめろ』
『モモの緊縛画像を永久保存した俺は勝ち組だけどな』



 二見は画像を削除しているようだった。緊縛? いったいあいつはどんな画像を貼った
んだろう。



 翌日、今日も麻衣は勝手に出かけて行ったけど、こうなったらかえって好都合なのかも
しれない。思っていたとおり、二見は駅で俺を待っていてくれた。

「おはよ」

「お、おう。おはよう」

「最近寒くなってきたね」

 二見は自然に俺の横に並んだ。何か新鮮な感覚だった。彼女ができるってこういうこと
なんだ。俺はそう思った。

「そうだね」

「早起きしてちゃんとお弁当作ってきたよ」

「ありがと。でも寒いから屋上とか中庭は厳しいかなあ」

「教室の中じゃだめ?」

「いいけどさ。目立つぞ」

「君がいいならあたしは別に目立っても構わないけど」

「ほんと前とは変ったな、おまえ」

「うん、そうかも。何か中学の頃の自分に戻れそうな気がしてさ。ちょっとわくわくして
る」

「おまえ、もともと可愛いしコミュ力も高いから、自分でその気になればあっという間に
リア充になれるんじゃね」

「そうかな」

「そうだよ。多分男からも注目されるようになると思うよ」

「そんなのはいいよ、面倒くさい。あたしは君がいればそれでいい」

「何でだよ? もてないよりもてた方が気分いいでしょ? 今までだっておまえのことチ
ラ見してる男って結構いたじゃん」

「たまに視線を感じてたんだけど、あれってそういうことだったんだ」

「そ。そのおまえが明るくフレンドリーになったら超人気者になると思うな」


「君は?」

「え?」

「君はどっちがいい? あたしがっていうか自分の彼女がぼっちなのとリア充なのと」

「うーん。おまえが男に人気がある方が優越感感じられるし、かといってそれが行き過ぎ
ると嫉妬するかもしれないし」

「正直なんだね」

「格好つけたってしょうがないしね」

「君ってそういうところ格好いいよね。それに女の子に慣れてる感じがする」

「そうかな。妹とか有希とかがいつも一緒にいたからかも」

「そういうことか」

「それよかさ、いつまで俺のこと君って呼ぶの?」

「え」

「もう呼び捨てでいいよ。俺も二見って呼び捨てにしてるしさ」

「じゃあそうする。麻人」

「へ?」

 呼び捨てって池山じゃなかったのかよ。でも、悪い気はしない。

「うん」

「電車来たよ」

「ああ」

「ほら人が降りて来るから、麻人もこっちに寄って」

「悪い」

 こいつは自然に俺のこと呼び捨てた。俺のこと女の子に慣れてるって言ってたけど、こ
いつこそ男慣れしているっていうか、男と一緒にいても全然恥らうとか緊張するとかない
のな。

「これに乗ろう」

「こら。優もあまり俺の腕を引っ張るなよ。痛てえじゃん」

「・・・・・・優って」

「え」

「ふふ」


「そういやさ、昨日は女神やらなかったの?」

「うん。お弁当の下ごしらえとかあったし、朝早く起きなきゃいけなかったからさ。あん
なことやってたら早起きできないし」

「早起きって何かあったの?」

「お弁当作るのって結構時間かかるのよ」

「あ、そうか。ごめん」

「あたしは好きでやってるからいいんだけどね。多分、麻衣さんも今まで麻人より最低で
も一時間は早起きしてたんじゃないかな」

「そういやそうだ。今まではあいつお弁当だけじゃなくて朝飯も作ってしな」

「そういうこと。好きな男にお弁当作るのって結構大変なんだよ」

「ありがとな」

「お昼休み期待してて」

 そう言って優は微笑んだ。

「あ、そうだ」

「なあに」

「女神と言えばさ、昨日おまえのレス見つけたよ。これまでと違うスレで」

「うん? どこだろう。女神板?」

「そうそう。確か、縛られた女神様がどうこうとかってスレ」

「ああ緊縛スレか」

 朝から女子高生が緊縛とか言うか。でも、こいつはそういうことも含めて、もう俺には
隠しごとはしないことにしたようだった。

「ああいう特殊なシチュエーションの女神行為もしてたんだ」

「うん。別に他のスレと変らないよ。他より露出度多くしてるわけじゃないし」

「ああいうの、リアルで好みなの?」

「ああいうのって?」

「つまり、その・・・・・・縛られて犯される? みたいなの」

 俺の方こそ朝から何を言っているのか。

「そんなわけないじゃん。つうかあたし処女だし」

「あ、ああ」

 処女なんだ、やっぱり。

「でもさ、あのスレ用に後ろ手に縛られて撮影してるとちょっとドキドキしたかな」

「縛られてって。いったい誰に」

「違うって。誤解しないで」

「だってさ」

「自分で自分を縛ってるんだよ・・・・・・ってあ」

「それはその気があるんじゃねえの」

「君こそ。そういう趣味あるの?」

「ね、ねえよ! と思うけど。俺も童貞だしよくわからねえ」


「そうか。あれ評判はいいみたいなんだけど、撮影が面倒だからあまりやらないの」

「面倒って?」

「ああいうのって雰囲気が大事だからさ。怯えている表情とかも作らなきゃいけないし」

「そんなことまでしてたのかよ。何か女優みたいだな」

「あとテクニカルな問題だけど、両手を背中に回しちゃったら自分で撮影できないじゃな
い?」

「そらそうだ。って、まさか」

「違うって。誰かに撮ってもらったりはしないよ。あれはスマホじゃなくてデジカメのタ
イマーで撮影したの」

「そうか」

「あれ見て興奮した?」

「だから画像なんて削除されてるから見てねえよ」

「ああそうだった。ちょい待って」

 え? こいつ。まさか

「はい、送信」

何なんだ。俺のスマホが着信して振動した。

「メール開いてみ」

「ああ」

 俺はタイトルも本文もないメールを開いて、添付画像をタップした。それは二見・・・・・・
いや、優の女神画像だった。それは優が床に座り込んでいる画像だった。制服姿で服はブ
レザーまで全部着ている。でも両手を背中の方に回しているので後ろ手に縛られているよ
うに見える。そして優は、少し高い位置に置いたカメラの方を怯えたような表情で見てい
る。

 二枚目は、前の画像とポーズは全く一緒だけどブレザーを着ていないし、ブラウスの前
ボタンが全部外され、こいつの肌が露出している。スカートもめくっている。視線は相変
わらずカメラを見上げている。目に線が入って隠してはいるけど、なんか怯えている感じ
が伝わってくるようだ。そして三枚目。ポーズは一緒だけどブラウスを脱いで上半身はブ
ラだけ。スカートは完全に捲くられてパンツが見えている。怯えたような表情とか、確か
にレスにあったとおり拉致されて無理やり犯される寸前の女子高生っていう感じだ。

 やばい。こんな朝の通学時間から、俺は。俺はカバンでさりげなくズボンの前を隠した。
露出度でいえばそんなに高くないけれど、それでもすごく興奮するのは何でだろうか。そ
れに興奮はするけど、猥褻な印象は無くてむしろ綺麗だ。こいつはそんなに写真を撮るの
は上手じゃないのに、何かアイドルとか女優の写真集を見ているような気がする。

「君の感想は?」

 優が微笑んで言った。


「感想って・・・・・・朝から何て画像見せるんだよ」

「いいじゃない。あたしと君の仲なんだし」

「おまえ、何言ってるの」

「でもさっきも言ったけど、こういう写真って結構時間と手間がかかるからさ。jkが制
服うpするみたいなスレのほうが気が楽なんだよね」

「最初に見せてくれたみたいなやつか」

「そうそう。あそこは雑談板だしすぐにスレも落ちちゃうしね。何よりあの程度の画像で
感激してくれるから楽でいいよ」

「まあ女神板って要求水準高そうだよな。乳首出さないくらいで結構叩かれてたし」

 俺は女神板のむかつくレスを思い出してそう言った。

「本当だよ。平均年齢は女神板のほうが高いと思うのに、レス内容は幼稚だしね」

「あのさ」

「何?」

「おまえさ、女神行為はこの先も続けるの?」

「この先って?」

「あ、いや。何っていうかさ」

「つまりあんたの彼女になってからも女神をやるのかって質問なのかな」

「まあ、端的に言っちゃえばそういうことだけど」

 俺は思い切ってそう言った。

「君はあたしが女神なの嫌?」

「別に嫌じゃねえけど」

 多分、それは嘘じゃないと思う。むしろ不思議な興奮を覚えたくらいなのだし。


「そうか。じゃあ続ける。でも君があたしが女神行為するのを嫌になったら、その時は真
剣にどうするか考える」

「そう」

 俺が嫌になったら止めるんじゃねえんだな。

「あのさ」

「うん」

「女神行為とかってさ。やっぱり綺麗な自分を見てほしいとか他人に認めて欲しいとかほ
めて欲しいとか、そういのも動機のひとつなんでしょ?」

「よくわかってるね」

「まあね。それでさ、おまえはこれまで学校でぼっちだったということもあって、人に認
めてもらえる場が2ちゃんねるとかだったと思うんだよ」

「そうかもね」

「でももうおまえは学校でぼっちを止める宣言したじゃんか? 多分これからは学校で男
女問わずすげえもてると思うんだ」

「そんなことないと思うけど」

「賭けてもいいけどそうなるよ。そしたらリアルで認知されるわけだけど、それでも女神
行為で評価されたいものなのかな」

「うーん。正直自分じゃわかんないや」

 多分、それは嘘じゃないんだろう。本当に優は戸惑ったようにそう言ったのだ。初めて
そんなことを気がつかされたかのように。

「そうか」

「女神板でさ、女神雑談所ってスレがあってね」

「そんなものまであるのかよ」

「うん。それで他の女神と話したことあるんだけど、ぼっちなんて一人もいなくてさ。み
んなリア充の女子大生とかOLとか主婦とかなのね」

「そうなんだ」

 主婦ってどうなのよ。そんな人まで女神やってるのか。

「みんなじゃないけど、コテトリつけてる人多いしその人たちの画像見たこともあるけど、
みんな綺麗な人たちなんだよね。絶対リアルじゃリア充だなって思ったもん」

「そうか」

「だから一概にリアルが充実していない女の代替行為とは決め付けられないかも」

「深いな」

「深いんだよ」

 優が俺の反応を面白がっているかのように微笑んだ。

「まあ、いいや。そろそろ駅に着くな」

 自分ですら優の女神行為に対してどう考えているかわからないのだ。この状態で優に対
してこれ以上言えることはないだろう。

「うん。学校まで手を繋いで行ってもいい?」

「そうしようか」

「何か嬉しいな」

 まあ深く考えることもないか。せっかく俺にも可愛い彼女ができたんだし。それに、麻
衣に優のことを話すという、胃の痛いミッションがまだクリアできてないしな。この時の
俺にはそっちの方が気になっていたのだ。


今日は以上です
また投下します


 これが、僕と二見さんの最初の出会いだった。

 好奇心から彼女に接近した僕だけれど、話していると彼女に対する好奇心とか、ライバ
ル心、それにいい相談役になってあげようという当時の僕の傲慢な考えは、いつのまにか
失われてしまった。そして、その後に残っていたものは、彼女の感情が掴みきれていない
という憔悴と、そこから生じたもっと深く彼女を理解したいという衝動だけだった。

 最初、僕は彼女の心を掴んだと思っていた。このまま自分語りを続けさせれば、他の多
くの生徒たちと一緒で、二見さんも僕の数多いクライアントの一人となるだろうと。

 でも、僕に心を許していたように見えた彼女は、突然、僕の目をその澄んだ瞳で見つめ、
今まで自分の境遇と感情の確執を語っていたのが嘘のように冷静な表情で、言い放ったの
だった。しかも、ご丁寧に微笑みかけることまでしながら。

「それで、先輩は何であたしの話を親身に聞いてる振りをしてくれてるんですか? あ
たしたち、同級生でもないし初対面なのに」

 この時、僕の優位性は突然揺らいだ。それは、二見さんの心情を理解でき、これから
その悩みを軽減してあげようと考えていた僕にとっては、青天の霹靂のような言葉だった。
彼女は、これまで自分の行動を語っていた時のような、素直な表情を一変させ、まるで小
悪魔のように可愛らしく、ずる賢く、そしてからかうような表情で、僕を見つめたのだっ
た。

 「何言ってるの? 僕は、誰にでも親切に話を聞く君に興味があるだけで」

 僕は、彼女の不意打ちにしどろもどろになりながら、かろうじて反論した。自分でもそ
の言葉の説得力の無さは、痛いほど理解していた。

「ふーん。先輩こそ、噂どおり誰にでも親身になるんですね」

 二見さんは、優しい微笑を浮かべながら、でも、油断できない冷静な口調で言った。

「先輩は、どうして人の悩みを聞いてあげてるんですか?」

 彼女は無邪気な口調で言った。

「お節介だとか言われませんか?」

「まあ、結局、自分のためにやってるようなものだし」

 その時、僕は彼女のあけすけな口調に思わずつられ、自分でも意外なことに思わず本音
を語っていたのだった。

「人ってさ。結局、誰でも自分のことを認めてほしいものなんだよね」

「承認欲求ですね」

 二見さんが言った。

「でも、先輩にだって承認欲求はあるんでしょ? 人の話を聞いてばかりだと、先輩の承
認欲求は充たされませんよね?」

 どこまで小賢しいのだろう、この女は。この間まで小学生だった、たかが中学女子の分
際で、何を悟ったようなことを言っているのだろう。僕は自分のことを棚に上げてそう思
った。でも、この時にはもう僕の言葉は止まらなくなってしまっていた。

「もちろん、僕にだって人に認められたいという欲求はあるよ」

 僕は、いつのまにか、これまで誰にも話したことのないことを、ペラペラと喋っていた。

「逆説的だけど、人の話を聞いてあげて、その人の承認欲求を充たしてあげる。そのこと
で、僕は人に評価されてるんだ」

 ・・・・・・僕は後輩に、いったい何を話しているのだろう。

「何か変なの」

 そう言った二見さんの笑顔は、僕をこれまで以上に幻惑させた。


「変じゃないよ。僕は、生徒会とかの役員でもないし、運動部のキャプテンでもないけ
ど」

 僕はむきになって話し続けた。

「それでも、こう見えても僕は人気があるんだよ」

「先輩、女の子にもてるそうですね。今までいっぱい告白されたのに、先輩は誰とも付き
合わないみたいって、クラスの子が言ってました」

 そう語った二見さんの可愛らしい笑顔。

「コンサルタントは、一人の女の子に縛られちゃいけないし、そもそもクライアントに恋
するなんて、コンサルタントの資格はないよ」

 僕は胸を張って言った。目の前の可愛い女の子に、もてると言われるのは正直気分が
かった。

「先輩って、そうやって人の悩みを聞いてあげて、自分には何の得があるの?」

 二見さんが、続けて聞いてきた。これまでよりくだけた口調だった。

「得って・・・・・・」

「無償奉仕のボランティアなんですか?」

 からかうような彼女の言葉を聞いて、僕は少しむっとして答えた。

「人を救うと、いい気持ちになれるよ」

「そして、みんなから誉められ信頼されるってこと?」

「まあ、そうだね」

 僕のことを嫌っていたやつらが、僕のことを攻撃してきた時、僕に心酔する不良やク
ラス委員の女の子が守ってくれた話をした。

「すごいなあ。みんな先輩のことが好きなんですね」

「・・・・・・好きかどうかはわからないけど、話を聞いてあげたやつらからは信頼されてると
思ってるよ」

 僕はこの時、ふと気がついた。

 僕は、二見さんの質問に誘導され、これまで人に話したことのなかった僕の秘密を、得
意気に、気分よくぺらぺらと喋っていたのだった。

 いや、僕は彼女に喋らされていたのだ。

 僕は、ようやく、そこで気がついたのだった。今まで、自分が人に仕掛けてきたことを、
僕は二見さんによって身をもって体験させられたのだった。

 さっきまで、僕は彼女に自分語りをさせることに成功したと思っていた。

 でも、実際は彼女は全て理解した上で、僕を惹きつけるための最小限の自分語りを意識
的にしていたに過ぎなかったのだ。そして、その後、彼女は今度は彼女の持つ傾聴能力を
僕に向けて、仕返しとばかりに発してきたのだった。

 つまり、いつの間にか僕は、彼女にコンサルティングされていたのだった。

「・・・・・・もう、やめようぜ」

 最後の最後に彼女の意図に気がついた僕は、辛うじて彼女の意中の策から抜け出すこ
とができた。

「お互い、化かしあっててもしょうがないでしょ」

 二見さんは、一瞬驚いた表情を見せたけど、それが本当に驚いたのか計算どおりに驚い
て見せたのかは、僕にはよくわからなかった。

「・・・・・・何だ。わかっていたんですね」
 彼女も笑った。

「勝手にコンサルされて悔しかったから、お返しに、あたしも先輩に試してみたんですけ
ど」

「さすがに、先輩には通用しないか」
 二見さんは残念そうに笑って言った。

 ・・・・・・これが、二見さん、いや、その後、彼女のことは呼び捨てにするようになったの
で、彼女のことは優と呼ぶけど、その優と僕が親しくなった日の出来事だった。


「それで、先輩。まだ質問に答えてくれてないですよ」

 優は僕を上目遣いに眺めながら、話を蒸し返した。

「・・・・・・君に関心があったから」

 僕は、彼女相手に駆け引きをすることを諦めて白状した。普通なら、自分の意図する
ところがコンサルの対象にばれるなんて、僕にとっては屈辱的な出来事だったはずけど、
その笑顔を前にすると、その時はそんなことはどうでもいいかと思えてきていたのだった。

「あたしが親切に友だちの悩みを聞いてあげるから、あたしに興味を持ったんじゃないで
すよね? どうして、あたしなんかに会いたかったんですか」

「僕と同じようなスキルを持っていて、僕と同じようなことをしている小賢しい中学生っ
て、いったいどんなやつか見てやろうと思ってね」

 僕は続けた。「でも、君と話してたら、そういうことはどうでもよくなっちゃった」

「え?」

 優は、僕の意図が読めず、少し戸惑っているようだった。

「君のこと、もっとよく知りたくなってきた」

 その時の僕は、上級生らしく余裕があるような振りをしていたけれど、内心では胸はど
きどきし、緊張で額は汗ばんでいた。これまで女の子に告白された時でも、こんなに緊張
したことは一度もなかったのに。

 どうやら、僕は初めて本気で女の子が好きになってしまったみたいだった。

 その時、彼女が僕の方を見て、今までで初めて他意が感じられない素直な微笑を向けて
くれた。そして、彼女は言った。

「先輩・・・・・・本当に、あたしなんかに興味があるんですか」

 それから、僕と優は校内で一緒に過ごすようになった。僕は当時、彼女に夢中になって
いた。この年まで本気で女の子に夢中になったことのなかった僕だけど、実際に女の子と
親しくなってみると、これまで自分が築いてきたカウンセリングだの傾聴だのとかは、ど
うでもよくなってしまった。

 その頃の僕にとって一番の関心は、彼女が何を考えているのか、彼女がどういう人物な
のかということだけだった。情けない話だけど、それは恋している他の中学生の男と同じ
レベルの感情なのだった。

 ただ、一点だけ他の男子たちと違っているところがあるとすれば、それは、僕は幻想を
抱いていないということだった。僕には自分のことがよくわかっていた。イケメンでもな
いしスポーツ全般が苦手。成績はいいし同級生より大人びた論理的な思考回路を持ってい
るとは自負してはいた、けど、そんなものは中学生同士の恋愛においては全くアドバン
テージにはならないだろう。

 それに、優の外見は可愛らしかった。惚れた欲目ではないことは、彼女に向けられる男
たちの熱っぽい視線が証明していた。そんな彼女と僕では、普通なら釣り合わない恋愛だ
った。

 確かに僕は、これまでも悩みを聞いてあげていた女の子たちから、言い寄られたことは
あった。その中には人気のある女の子もいた。でも、僕はそのことに幻想を抱いてはいな
かった。あれは、専門用語で言うと「陽性転移」という現象に過ぎない。彼女たちは、僕
自身を好きになったわけではなく、僕の言動に映し出された自分自身を好きになっただけ
なのだ。

 優が僕と一緒に過ごしてくれる意味を、僕はよく考えたものだった。最初に会った時の
彼女の告白は嘘ではなく、僕が観察している限りでは、彼女には確かに親友や心を許せる
知り合いは、男女を問わずいないようだった。

 そういう意味では、僕と彼女は同類だった。僕も彼女も、人の話を聞いてあげることは
できる。しかも、中途半端にではなく、話を聞いてもらった相手が自分に心酔してしまう
くらいに親身になって。そのせいで僕は好きでもない女の子に告白されたりもしたのだっ
た。

 ある時、僕は彼女に聞いたことがあった。いわゆる陽性転移みたいなことに、困ったこ
とはなかったのかと。

「う~ん。あたしはもともと男の子の相談にのったことはないし」

 彼女は苦笑して答えた。「転入したばかりで男の子と親密に話してるところを見られ
たら、女の子たちと仲良くなれないしね」

 そのおかげで、彼女を密かに熱っぽく見つめている視線は感じても、僕が深刻にライバ
ル視せざるを得ないような男は現れなかったのだ。

 彼女には、僕と同様に人の話を受け止めてあげられる技術がある。そういう意味では、
僕は彼女と同類なのだった。でも、彼女と過ごしているうちに、彼女の傾聴スキルの高さ
を裏切るように、彼女にはもっと自分を認めて欲しいという欲求があるらしいことに僕は
気づいた。


 その頃、僕と彼女は校内でお昼を共にしたり、放課後の図書館で一緒に勉強したりして
いたけれど、僕と彼女がはっきりと恋人同士になったというわけではなかった。上級生の
男と下級生の女がいつも一緒にいたのだから、あいつら付き合ってるという噂はあったら
しいけど、僕自身ははきり彼女に告白したわけでもないし、優だって僕のことが好きなん
て一言も言ったことはなかった。

 僕はもうコンサルタントじみたことをすることを止めていた。いや、厳密に言えばそう
ではない。僕は自分のスキルを放棄したわけではなく、むしろそのスキルをただ一人の女
性にだけ向けたのだ。今の僕の傾聴の対象者は、優だけだった。

 彼女が僕と同じくらいのスキルを持ちながらも、好きでコンサルティングをしているわ
けではないことに、当時の僕は気づいていた。それは、転校を繰り返していた彼女の自己
防衛のようなものだった。そのスキルを駆使している限り、彼女はクラスで一人ぼっちに
なることはなかったのだ。逆に言うと、そのスキルを同級生に発揮している限りは、優に
は、真の意味での友人ができることはなかった、彼女の知り合いは、彼女自身に興味があ
るわけではなく、彼女の言葉に反射される自分自身を見つめていただけなのだから。

 当然ながら、優にだって承認欲求はある。皮肉なことに、ぼっちを回避しようとして彼
女が発揮したスキルは、逆に彼女にストレスを与えているのだった。つまり、表面的な知
り合いは多くても、本質的には彼女は孤独なままだったのだ。これでは、実質的にはぼっ
ちであることと同じだった。

 そんな彼女の承認欲求を受け止めたのが、僕だったのだろう。僕は彼女が好きだった。
そして、その当然の帰結として、僕は彼女のことをもっと知りたかった。その僕にだって
自分のことを認めてほしいという欲求がある。彼女は最初にこう言った。

「それで、先輩は何であたしの話を親身に聞いてる振りをしてくれてるんですか? あ
たしたち同級生でもないし初対面なのに」

「先輩・・・・・・本当に、あたしなんかに興味があるんですか」



 僕は、今まで培ってきたスキルを、全力で彼女にだけ向けた。そしてそれは、義務感か
らでなく、本気で彼女のことが知りたいからだった。その思いは彼女にも伝わったようで、
校内で一緒に過ごす間、彼女は僕の質問に答え、自分のことをいろいろ語ってくれたのだ
った。そういう、彼女の承認欲求を満たしてあげられる相手としてのみ、僕は彼女のそば
にいる資格を得られたのだった。

 それでも僕は満足だった。僕の人生は、自分の傾聴スキルによってのみ自己実現してき
たのだ。彼女の隣にいられる理由が、彼女が僕のことを好きになったからではなく、自分
の承認欲求を満たしてくれる男が他にいなかったからだということは、僕にもわかってい
たし、それに対して満足していたわけではないけど、今の僕が彼女と対等に付き合うため
に、その他の手段がなかったのも事実だった。

 彼女にだけ夢中になっていたせいもあり、僕は僕を頼ってくれる生徒たちの需要に応え
られなくなっていた。優と会う時以外は、なるべくみんなの話を聞くように努めていたけ
れども、次第に彼女と過ごす時間が増えていくと、それすらままならなくなってきていた。
それで、僕には一時期のような人気はなくなっていた。そのこと自体は後悔しなかった。
それくらい僕は彼女に夢中だったから。でも、彼女には恥かしい思いはさせたくなかった。
せめて彼女には、人気のある先輩とつきあっているという評判をあげたかったのだ。

 以前ほど、他人のコンサルタントに時間を避けない僕は、結構悩んだ末に、生徒会長に
立候補することにした。これなら運動神経が鈍くてもハンデにはならない。僕の成績がい
いこともアドバンテージになった。

 僕が生徒会長に選出された時、優はいつもより不機嫌だった。生徒会長の彼女、いや彼
女とは言えないかもしれないけど、とにかくそういうことには、彼女は全然関心がないよ
うだった。

「先輩は生徒会長になって何がしたいの?」

 優は、放課後の図書室で不機嫌そうに言った。

「あたしと一緒にいるだけじゃ、つまんないでしょうね。悪かったわ、これまであたしな
んかに付き合わせちゃって」

「そうじゃないよ」

 僕は困惑しながら言い訳した。彼女が望むなら、ずっと肩書きなんてないままで隣に
いられるだけでよかったのだ。でも、彼女の評判を考えると、一緒にいる相手が生徒会長
という方が格好いいに決まっている。


「僕は、君のために」

「あたしのために? 先輩もあたしの話ばかり聞かされて飽きちゃったんでしょ」

「だから、違うって。僕は君のことが好きだし、君のことをもっとよく知りたい。でも、
君だって自分の彼氏が人気のないただの男じゃ嫌だろ?」

「え?」

 優は僕を責めるのをやめ、少しだけ顔を赤くした。

 ・・・・・・僕は、これまではっきりと彼女に告白してはいなかったし、まだその勇気もなか
った。その時は、僕を責める彼女に言い訳をしようとしていただけだった。でも、その時、
僕は期せずして初めての愛の告白を彼女にしてしまったようだった。

「・・・・・・本当?」

 優が、彼女らしくなく俯いて小さく聞いた。

「先輩、あたしのこと本当に好きなの?」

「うん」

 僕はそう言って、優の手を握り、彼女を自分のほうに引寄せた。少しだけ抵抗していた
彼女は、最後には僕の腕の中に入ってきた。

 翌日から、僕と彼女は恋人同士になった。それは、女に慣れていない僕の勘違いではな
かったと思う。僕のことをはっきりと好きと言葉にしてくれたたわけではなかったけど、
彼女の態度は、昨日までとは明らかに異なっていた。彼女は、僕が狼狽するほど僕に密着
し、僕の時間の全てを自分と一緒に過ごさせたいというような態度を、あからさまに示し
ていたのだった。

 当然、僕にだってそのことが嬉しくないわけはなかった。当時の僕は普通に恋する男に
過ぎなかったから、気まぐれに彼女が示してくれる好意のかけらにだって、僕は夢中にな
って飛びついていたのだった。

 彼女が言葉で明白に僕への好意を示してくれることは一度もなかったけれども、図書館
での逢瀬の終わりに、いきなり手を繋いでくるとか、生徒会の活動で遅くなって彼女を待
たせてしまった僕に不機嫌になるとか、そういう態度によって、間接的に僕への関心を示
してくれることはよくあった。当時の僕にはそれで十分だった。

 それでも、彼女との付き合いが深まると、僕にはその態度に不満を感じることが多くな
ってきた。それは、生徒会活動より自分を優先するように要求する彼女の束縛とか、いつ
までたってもはっきりと僕に愛を囁いてくれないとか、そういう不満ではなかった。僕に
とっては、今では彼女と一緒に過ごすことが、自分の生活の中で一番大切な時間になって
いたから、その束縛は僕を喜ばせこそすれ僕を困惑させることはなかった。

 一方で、優が僕自身に対する気持ちを曖昧にしていたことは、僕にとってストレスにな
っていたことは確かだった。でも、もともと釣り合わない関係なのだ。僕は、その点に対
しては幻想を抱いていなかったから、彼女が僕に対して気まぐれに見せてくれる好意のか
けらだけでも十分だったけど、それでもいつまでもそれに満足しているという気分にはな
れないものだ。

 そして、仲が深まってきてからの僕たちの肉体的な接触は、手を握ることくらいだった。
僕は、彼女のことをまるで女神のように崇めていたから、自分から彼女に手を出すなんて
考えもしなかった。最初の告白のときに彼女の手を引いて彼女を抱きしめたけど、それが
最初で最後の僕のアクションだったし、そのことについても、僕には特段の不満はなかっ
たのだ。何より僕たちは中学生なのだし。

 不満というのは、もっと別の次元のことだった。僕は彼女が好きで彼女のことが知りた
かったから、別に義務感からではなく本心から彼女の話を聞くのが好きだった。だから、
僕たちが共に過ごしていた時間のほぼ全ては、彼女の話を僕が聞いてあげることに費やさ
れていた。最初はそれで満足だった。僕は、彼女が僕にだけは本心を隠さずに話してくれ
ることを嬉しく思っていたし、彼女が何を考えているのか、友だちに対する想いや両親に
対する想いなどを知ることができることにわくわくしていた。それは、恋人同士が最初に
辿る、正しい道筋だったと思う。


 でも、いつまでたってもその関係は変化せず、僕は常に聞き役だった。彼女の話を聞く
のが嫌になったわけではないけど、延々と話しを聞かされるだけで、逆に僕のことを何も
聞こうとしない彼女の態度に、僕はだんだんと不安になってきたのだった。

 普通、好きな相手のことは少しでも知りたがるものではないのか。恋人が自分といない
時にどう過ごしていたのか。恋人が自分と出会う前にどんな人生を送ってきたのか。恋人
は今何を考えているのか、自分のことをどう考えているのか。

 彼女は、僕が頼むと自分語りを続けてくれた。そこに隠しごとはなかったと思う。でも、
最後まで彼女は僕のことを、僕の気持ちを尋ねてくれることはなかったのだ。僕にも承認
欲求があるのだという当たり前のことに、この時僕は初めて気がつかされた。僕は、彼女
のことを知りたいとのと同時に、僕は自分のことを彼女に知ってもらいたい、自分の想い
を彼女に話したいと気持ち言うがだんだん強くなってきたことを悟ったのだった。人の話
しを聞くコンサルタントの僕にとって、こんなことは初めてだったけど。

 そういう意味では優に不満を感じていた僕だけど、かといって、そのことで彼女を責め
ようとは思わなかった。ただ、自分が今何をしているのだろうと心もとなく感じることは、
正直に言えばしばしばあった。

 今更振り返るまでもなく、僕はこれまで人の話を聞いてあげることによって、自分のア
イデンティティを保って生きてきた。そのことで、校内でも居心地のよい場所を確保して
きてもいたのだった。でもこの頃になると、彼女にかまけて他人のお世話を焼かなくなっ
たせいもあって、結果として僕は、今までとは違う立ち位置を手に入れていた。

 最初は、自分の箔を付けるために始めた生徒会活動が、その頃からだんだんと面白くな
ってきていた。これまで僕は個人を対象にコンサルタントのようなことをしてきていたか
ら、複数の役員に指示し、組織を動かして目標を実現するようなことには、あまり興味が
なかったのだけど、生徒会長になって必要に迫られて組織を管理する立場になってみると、
それは意外と面白かったし、何より自分には向いているようだった。

 つまり、彼女に夢中になってはいたけど、彼女抜きの学校生活の方も、以前とは違った
意味で充実してきていたのだった。そうなると、その頃には陽性転移的な意味ではなく、
僕のことを好きだと言ってくれる女の子も現れるようになった。

 ・・・・・・てきぱきと生徒会の役員の指示する先輩は、大人びていて素敵です。一学年下の
副会長は、真っ赤になって僕にそう言った。彼女は、優と同じクラスだったから、僕と彼
女の関係はよく知っていたにも関らず、敢えて僕に告白してきたのだった。でも、優に夢
中になっていた僕はそれを断った。その告白と僕が副会長を傷つけたという噂は、他の生
徒会役員を通じて校内に広まった。その噂は、当然優の耳にも届いたようだった。

「先輩、何であの子の告白断ったの?」

 久しぶりの彼女の方から僕への質問は、それだった。僕はその質問は予想していたので、
あまり動揺せずあっさり答えることができた。

「僕は、君のことが好きだからね。副会長と付き合うなんて考えられないよ」

「ふーん。そうなんだ。彼女、可哀想」

 優はそれだけ言って、もう副会長のことはどうでもいいとばかりに、自分が最近考えて
いることを話し始めた。その時の彼女の反応があまりにも淡白だったせいで、珍しく僕の
中に彼女への反発心が湧き出してきた。それでも、僕はしばらくの間は彼女の話にあわせ
ていたのだけど、いつもと違ってその内容は全然僕の心に響いてこなかった。僕は副会長
の緊張して泣き出しそうな顔を思い出していた。


 これでは、あんまりだ。僕の気持ちも副会長の気持ちも救われない。だらだらと続く優
の自分語りは、今では僕にとって意味のないお経の詠唱のように意味を失っていた。

 この時の僕は、本心からいらいらしていた。これが彼女以外の相手だったら、僕の本心
に気づかれることはなかったろう。僕は表情をコントロールすることができたのだし。で
も、相手は優だった。僕と同じようなスキルと性格を持っている優なのだ。

 一応、その時僕も軌道修正しようと試みたのだ。これでは、僕の持つ傾聴のスキルがす
たる。優の言動がどんなに自分勝手でも、僕は彼女に惚れているんだし。そう思って、僕
は副会長の泣き出しそうな顔の記憶を振り払い、再び身を入れて彼女の話を聞こうと思い
直した時だった。

 優が自分語りを中断して僕に言った。

「先輩。あたしの話、聞いてるの?」

 彼女は自分語りをやめ、真面目な表情で僕を見つめて言った。

「やっぱり、こうなっちゃうのね。先輩、あたしの話を聞くのが嫌になってきたんでし
ょ」

「そんなことないよ」

 僕は驚いて言った。実際、僕のことには全然興味を示さない彼女にじれったい思いをし
てはいたけど、彼女への関心は僕からは失われてはいなかった。副会長の告白への無関心
からは、優の冷たさを思い知った感じがして、そのことに少し悩んではいたけれど、それ
でも彼女への恋情や関心が無くなるなんてことは、全くと言っていいほど考えられなかっ
たのだ。

「ううん、いいの」

 優は妙に悟ったように言った。

「結局、こうなっちゃうの、あたしは。人の話しを聞いてあげずに自分のことだけ話して
ばっかりのあたしなんか、やっぱり誰にも関心を持たれないのね」

「ち、違う。話を聞いてくれよ」

 嫌な予感が脳裏を締め出した僕は、必死で彼女の話を遮った。

「先輩ならあたしの話を聞いてくれる。先輩に対しては、素直に自分のことを全部話せる
と思ったんだけど」

 彼女の澄んだ黒い瞳から一筋の涙が流れ落ちた。

「ごめんね、先輩。今まで迷惑だったでしょ」

「おい・・・・・・」

「もう、先輩を困らせることはないから。彼女の気持ちを邪魔することもないし」


「・・・・・・ちょっと、待ってくれ。僕は本当に君のことが」

 その時、優は僕の言葉を遮って、唐突に、一方的に別れを告げたのだった。

「さよなら、先輩。今までありがとう」


 僕は狼狽した。優の僕への無関心とか副会長への冷淡な態度とか、いろいろ僕が抱いて
いた不満なんか、彼女の涙を見た瞬間にどうでもよくなってしまって、このまま彼女に振
られたくないという焦りだけが僕の脳裏を占めていった。

「ちょっと待ってよ。君の話を聞くのが嫌になったなんて、君の誤解だよ」

 僕は冷静に言おうと努めたけれど、僕の声は僕の意図を裏切って振るえ、そしてかすれ
ていたから彼女には聞き取りにくかったに違いない。「め、迷惑なんてそんなことは一度
も思ったことないよ」

 優はまだ涙を浮かべたままで、何も言わずに僕の方を見返した。まだ、彼女を説得する
チャンスはあるのかもしれない。僕は必死になって続けた。

「僕は君が好きだし、君のことをよくもっと知りたい。だから、君の話をもっと聞きたい。
だから、君が素直に自分のことを話してくれてすごく嬉しかったんだ」

 優はまだ沈黙していたけれど、その表情には柔らかさが戻って来たように感じられた。

「今、ちょっと他のことを考えちゃったのは悪かった。副会長を傷つけたかもしれないっ
て思ったんだけど、だからと言って君の話がどうでもいいなんてことはないよ」

「・・・・・・本当?」

 ようやく優が小さい声で言った。

「本当だって。だから、僕に迷惑とか僕をもう困らせないとか言わないでよ。副会長のこ
とだって、僕は彼女と付き合う気なんてないんだし」

 僕は早口で続けた。もう、なりふり構ってはいられなかった。「僕は君が好きなんだ。
これまでどおり、僕と付き合ってほしい」

 優はようやく納得したようだった。それで、彼女は僕の方を上目遣いに見つめて言った
のだった。

 「変なこと言ってごめんね、先輩。あたしの誤解だったね。あたしのこと、許してくれ
る?」

 僕はほっとした。これで優との付き合いを続けることができる。

「もちろん。僕の方こそ誤解されるような行動してごめん」

 優は、僕の手を握った。

「あたし、先輩のことが好き。あなたとお別れしなくてすんで本当によかった」

 優が僕にはっきりと好きと言ってくれたのは、彼女と付き合ってから初めてのことだっ
た。


今日は以上です
また投下します


 副会長との一件で僕は危うく優を失いそうになったのだけど、結果としてみればこの出
来事のせいで、彼女は僕に対して初めて好きと言ってくれたのだった。この後の僕たちの
交際は、しばらくは順調そのものだった。

 もちろん、優が僕を好きと言ったくらいで、僕と彼女の関係が劇的に変化したわけでは
ない。相変わらず、僕は優の話のいい聞き手だったし、彼女が僕のことを以前より知りた
がったわけでもなかった。それでも外形的には、以前よりはずっと僕たちの関係は深まっ
ていたように思えた。優は以前より直接的なスキンシップを求めるようになった。それは
手を握るとか、僕の乱れた髪形を彼女が手で直してくれるとか、その程度のものだったけ
れど、それでも僕はそんな関係の深化に満足だった。

 今では昼休みだけではなく、僕の生徒会活動がない日は、放課後一緒に帰るようになっ
ていた。僕たちは手を繋いで低い声で話し合いながら帰宅した。そういう僕たちを眺めて
ひそひそと話す周囲の生徒たちの噂話でさえ、当時の僕には心地よかった。

 こうして、しばらくは平穏な日々が戻ってきた。優に別れを切り出されるという危機を
乗り越えた僕は、もう優が僕のことに興味を示さないとか、そういうことに不満を感じる
ことを意識的に抑えるようにした。そういう感情を優に気が付かれたら、今度こそ僕たち
の関係は終ってしまう。僕は彼女のことが大好きだったから、もう小さな不満なんてどう
でもいいと思うようにした。優の一番近いところに僕がいて、彼女も一番僕を信頼してく
れる。それだけで十分じゃないか。僕は考えるようになった。

 それに、僕のことを彼女ははっきりと好きと言ってくれたのだ。それは、自分のことに
関心を持ち、自分の承認欲求を満たしてくれる存在としてのみ好きということなだったの
かもしれないけど、それでも僕には優の気持ちが嬉しかった。そして、言葉で僕に質問し
てくれない彼女も、スキンシップ的な意味では僕を求めてくれるようになったのだし。

 やがて僕も三年になり、受験を考えなければいけない季節が巡ってきた。この地域では
通学可能な範囲にあまり学校は多くないため、僕の学力を鑑みると選択肢はあまり多くは
なった。学年で十番以内の偏差値を保っていた僕に対して、進路指導の教員は学区内で一
番レベルの高い公立高校の受験を勧めた。それは妥当な選択肢だったけど、僕には別な思
惑があった。

 優とは学校公認の仲になってはいたものの、この先も僕らの関係が永遠に続くなってい
う保証は何もなかったし、そのことについては僕も楽観視したことはなかった。特に、僕
が高校に入学すれば、優とは普段一緒にいられなくなる。僕はそのことに対して、結構ま
じめに悩んだけれども、優が同じ悩みを抱いているようには思えなかった。

 優は確かに僕のことが好きとは言ったけれども、その度合いは、僕が彼女を好きな気持
ちより、大分熱意が低いのではないだろうか。僕たちがこの先も付き合っていくためには、
僕が積極的に手を打っていくしかないのだ。

 僕はいろいろと考えるようになった。

 優の成績はいい方だった。彼女はいろいろ考えすぎることはあるし、その関心は学業以
外に向けられることが多かったけれど、基本的な思考力や学習能力は十分だった。なので、
あまり家で勉強しているようには見えなかったけど、成績は常に学年で二十番以内をキー
プしていた。でも、それでは。

 僕が学校側の勧めどおりに公立高校に受かったとしても、今の彼女の成績ではその高校
には合格できないだろう。毎年、うちの中学からその高校に進学するのは、十人以内の生
徒だったから。通学可能な範囲で考えると、次に偏差値の高い高校はうちの中学から比較
的近い場所にある私立高校だった。そこも進学校としては有名で、より上位の公立高校の
滑り止め校として成績上位の生徒を集めていた。

 優の成績が受験時まで変わらないとすると、彼女にとっての実力相応な高校はその私立
高校だろう。そして、上位の公立高校はチャレンジ校ということになる。優が僕に合わせ
て、僕と同じ高校を受験してくれる保証はないので、僕のほうが将来を先読みして高校を
決めるしかなかった。僕にとっては、僅かな偏差値の差などどうでもよかった。優が入学
してくる可能性の高い高校に入学したかっただけなのだった。


 私立高校に入学しようと僕は決心した。今の彼女の成績を考えると、彼女が上位の公立
高校に合格するのは厳しいだろう。可能性から考えれば順当に私立高校に入学する確率の
方が高いはずだ。もちろん、三年生になった優が受験に集中すれば、もともと地頭のいい
彼女のことだから上位校に合格するくらいの偏差値になっても不思議ではない。でも、優
はそういうことには淡白のようだった。可能性を比較すれば、私立高校に入学してくる確
率の方が高いはずだ。

 僕は決心した。進路指導の教員や両親からは思い直すように説得されたけれど、僕は決
心を変えなかった。この学校は課外活動とかが豊富で僕に合ってると思います。僕はそう
言って、上位校を目指すように説得する大人を納得させた。もともと、偏差値的には公立
上位校と偏差値の差は僅差だということもあり、最後には両親も学校側も僕の選択に納得
してくれた。

 進路に対して僕がここまで悩んでいたことを、優は知らなかったと思う。と言うか、僕
が中三の秋になって受験塾に日参するようになっても、彼女は相変わらず自分語りを続け
ていて僕のことなど聞こうともしなかったし。

 それでも、受験勉強があるからしばらく会えないと僕が彼女に話した時、彼女は驚いた
ように僕に言った。

「そういえば、先輩もう受験じゃない。こんなところであたしと時間を潰していていい
の?」

 僕は苦笑した。この子は本当に悪気がなくこういう性格なのだ。

「家とか塾では勉強してるからね。それに、志望校は今のままの偏差値なら間違いなく受
かるし」

 そこまで話して、ようやく優は僕の志望校を聞いてくれたのだった。

「そこって、私立だよね。先輩はもっと上位の公立高校狙いかと思ってた」

 彼女は順当な反応を示した。僕は、自分勝手な僕の想いに彼女を縛るつもりはなかった
から、親や教員向けの言い訳を彼女に繰り返した。

「そうかあ」
 優も納得してくれたようだった。

「君は?」

 僕はどきどきしながら、さりげなく優に聞いた。

「君はどの学校を目指しているの」

 その時、彼女は少しだけ表情を暗くした。でも、思い直したように僕を見つめて言った。

「あたしは、先輩と同じ高校に行きたいな」

 期待すらしていなかった優の好意的な言葉に、僕は驚き、固まり、そして最後には身体
中に幸福感が溢れてきた。

 僕の志望校選びは独りよがりではなかったのだ。彼女も僕と同じ高校に行きたいと考え
てくれていた。僕はこの時、本当に幸福だった。この後に続く彼女の言葉を聞くまでは。

「でも、あたしは親の転勤次第でここの高校に入れるかわからないからなあ」

 優は諦めたような口調で、苦笑しながら僕に言った。


 優は僕にとって、初めて好きになった異性だった。そして、彼女も僕のことを好きとい
ってくれ僕と同じ高校に進学したいとも言ってくれた。彼女がその種の踏み込んだ、ある
意味自分を裸にしかねない剥き出しになっている好意を他人に見せない性格であることは、
この頃には僕には よく理解できていた。親の仕事の関係で転校を繰り返していた彼女が
身に付けたのは、人に信頼されるテクニックだった。そして、それは成績と雑学以外にこ
れといったアドバンテージを持たない僕が、校内でのステータスを上げるために意識的に
駆使したテクニックと全く一緒だったのだ 。

 こういうテクニックを駆使する人は、擬似的に周囲の知り合いから信頼を得ることはで
きるけど、逆に自分の真意を晒すことができなくなる。それはそうだろう。私は本当はあ
なたなんかに興味がある訳ではないけど、あなたの信頼を得るために、あなたのことに興
味があると自分に言い 聞かせてるんですよ。そんなことを言えるわけがない。

 でも、彼女は僕には自分の考えや感情を隠すことなく伝えてくれた。最初は、彼女は僕
の傾聴テクニックを信頼して僕のことを自分の主治医のように考えてるのではないかと疑っ
たこともあった。でも、最後には彼女は僕のことを好きだと言ってくれたのだ。これが
同じスキルのない相手の好意なら、それは陽性転移という現象で君は本当に僕が好きなわ
けではないんだよということになる。でも、彼女もまた僕と同じスキルの持ち主だったか
ら、その彼女の告白は真実に違いない。僕はそう思った。

 志望校を安全圏の高校に下げた僕にとって受験勉強はそれほどハードではなかったから、
相変わらず昼休みと放課後は優と過ごすことができた。受験勉強でしばらく会えないと偉
そうに彼女に宣言してしまった僕には少し気恥ずかしいことではあったけど、彼女はそん
なことは全く気にせず、僕の手を握りながら僕に話しかけてくれた。もちろん、僕自身の細
かな感情の動きになんか全く興味はない様子で、もう自身の境遇や正確について語りつ
くしてしまった彼女は、今では日常の出来事やそれに関する自身の感情や感覚をぽつぽつ
と話してくれたのだった。

 僕は、半ばは好きな人に対する関心から、半ばはコンサルタントとしての義務感から彼
女の話しをずっと傾聴していた。別れの危機を乗り越えた僕は、そのことにを不満に思う
ことはなかったけれど、僕たちの将来の展望を考えると、たまにこの先どんな発展がある
のだろうかと不安に なることはあった。発展などないのかもしれない。この先、彼女と
付き合っていてもずっとこんな感じが続くかもしれない。でも、結局のところ僕だってま
だ中学生なのだった。この先、身体の関係とか婚約とか結婚とか、そういう人生の段階を
踏んで成長して行くことによって、僕たちにはまだ見えていない新しい出来事が起こるの
かもしれなかった。



 僕は志望校に無事に合格した。念のために受験したより偏差値の高い高校にも合格した
けれど、僕は最初の予定どおり私立の高校に入学することにした。公立高校の方には入学
する気はなかったから、もともと受験しなくてもいいくらいではあったけど、変則的な滑
り止めのつもりだった。入試には何が起こるかわからないのだ、し公立高校の方も偏差値
的には十分に合格圏に入っていたこともあった。

 僕は本命の合格発表を見て、職員室に寄って担任にその旨報告した後、二年生の教室に
向かった。優に報告しなければいけない。僕は二年生の教室の前まで来て、まだ授業が終
っていないことに気づいた。仕方がない、図書室で時間を潰していよう。考えてみればも
うしばらくは勉強のことを考えなくてもいいのだった。元々受験についてはあまりストレ
スを感じていなかった僕だけど、やはり合格というお墨付きを得ることは心の安定に繋が
っているようだった。僕は冷静な表情を浮かべて担任に合格の報告をしたけれども、今実
際に自分の心を探ってみるとそこにはやはり大きな安堵感が生じているようだった。

 僕はリラックスして図書室の椅子に腰掛けた。これで中学を卒業するまでの間は優とま
たいつも一緒にいられるな。僕はそう思った。もちろん、僕が高校に進んだらもう優とは
昼休みばかりか、登下校の際さえ一緒にいられなくなる。それは、考えただけでも辛かっ
た。合格した喜びや安堵感が半ば吹き飛んでしまうほどに。でも、それは仕方のないこと
だった。僕らの学年が違う以上、そして中高一貫校に在籍しているわけでもない以上、ど
んなに仲の良いカップルにだって生じることなのだ。


 少なくとも、来年からまた優と一緒の学校に通えるだけの布石は打った。彼女の成績な
ら僕の進学予定の高校には合格するだろうし、仮にもっと彼女の偏差値が上がったとして
も彼女は僕と同じ高校に進みたいと言ってくれたのだ。

 僕は、来年彼女と一緒に過ごせるように、打てる手は全て打ったつもりだった。あとは、
当面この一年間をどう乗り切るかだった。校内で一緒に過ごせないことは明らかだったけ
ど、放課後にどこかで待ち合わせするとか週末にも会うようにするとか、そういうことを
僕は勇気を振り絞って彼女に提案するつもりだった。まさか、来年まで会わないというわ
けにはいかない。そんなことには僕が耐えられないし、多分彼女のメンタルも持たないだ
ろう。彼女は僕に毎日自分の思いを吐き出すことで、、自分のメンタル面の正常さを保っ
ていたのだから。自分のことをケアする僕がいなくなって、ひたすら同級生の相談を受け
るだけの毎日なんて、彼女には我慢できるはずはないのだから。

 ふと時計を見ると、もう午後の最後の授業が終る時間だった。僕は立ち上がり二年生の
教室の方に再び歩いていった。階段を上って二年生の教室が並ぶ二階のフロアに足を踏み
入れた時、副会長が僕を呼び止めた。

「先輩」
 彼女は偶然出会った僕に対して、少し照れたように微笑んだ。「もう会えないかと思っ
てました」

「やあ。久しぶりだね」

 僕は生徒会活動から引退していたから彼女と話すのは久しぶりだった。

「あの。先輩、今日合格発表だったんですよね?」

 僕に振られたのに、彼女は僕の合否を心配してくれていたのだろうか。僕は少しだけ暖
かい気持ちになりながら答えた。

「おかげさまで、第一志望校に合格したよ。心配してくれてありがとう」

「おめでとうございます。本当によかったです」

 考えてみれば優とは違ってこの子は僕のことだけ気にしてくれているんだな。一瞬そん
な感想が浮かんだけれども、もちろん今自分が焦がれるほど求めている女の子が誰なのか
については、今更勘違いする余地はなかった。

「じゃあ、僕はちょっと用事があるので」

 僕は言った。

「はい。またです」

 彼女は名残惜しそうに言ってくれた。彼女に別れを告げた僕は、ドアが開きっぱなし
の優の教室を覗き込んだ。

 ・・・・・・ざっと見た限り優の姿は見当たらないようだった。おかしい。

 今日が僕の合格発表の日だと言うことは彼女も知っているはずだった。約束していたわ
けではないけど、受験生が今日の結果を担任に報告しに学校に来ることは、校内の人間な
らみんな知っていたはずだった。その日の放課後に優が教室にいないなんて。図書館で待
っていることはありえない。僕自身がさっきまで図書館にいたのだから。きっと、彼女は
ちょっと席を外しているだけなのかもしれない。僕は優の席の机を見た。その席は完全に
片付けられていて、机の上にカバンがおいてあることもないどころか、机の中にも物一つ
入っていないようだった。

 どうしたのだろう。少し不安になった僕は背後から話しかけられた。

「先輩」

 副会長だった。まだ、ここにいたのか。僕が返事するより早く彼女が言葉を続けた。

「もしかして、優ちゃんを探してるんですか」

「あ、ああ」

 僕は口ごもった。副会長はなぜ自分の告白に僕が応えなかったのかを知っていたのだか
ら、その時の僕の心境は複雑だった。

 それは遠慮がちな小さな声だった。ここで誤魔化してもしょうがない。僕は素直に答え
た。

「うん」

「あの、ひょっとして先輩。ご存知ないんですか」

 おどおどとした副会長の声。一体何が言いたいのだろう。言いたいことがあるなら早
く言えよ。僕はその時、理不尽にも八つ当たり気味な感想を彼女に対して抱いた。

「・・・・・・何が?」

「優ちゃん、一昨日転校したんですよ。確か、東北の方に転校するって言ってました」


 僕は、高校に入学するとまず生徒会に入った。新入生なので、もちろん選挙の必要がな
い平役員からのスタートだった。同時に、これまでの雑学的な趣味の対象の一つだったパ
ソコン関係の部にも入部した。

 クラスではもう傾聴やコンサルタンティング関係のスキルを発揮させなかったから、僕
は目立たない生徒の一人だった。それでも成績が良かったことと一年生ながら生徒会のメ
ンバーになったことで、ある種の秀才生徒的な位置は確保できていた。僕は生徒会活動と
部活に打ち込んだ。生徒会では庶務から初めて会計や書記を経験したけど、どの仕事にも
能力の全てを注ぎ込んだせいで、先輩たちの受けはとてもよかった。一年生の半ばで、僕
はもう次期生徒会長と目されるようにまでなっていた。

 平行していたパソコン部の方は、廃部寸前の過疎部だった。もともとは、学校側の肝入
りでIT教育の一環として設立されたらしいのだけど、当時のパソコン部は学校側の期待を
裏切りネトゲ廃人の巣窟と化していた。部室には高スペックなPCが溢れていたけれど、そ
のPCで行なわれていたのはネトゲのプレイはもとより、萌え絵の制作や初歩的なゲームの
プログラミング、そして極めつけは単なる2ちゃんねるなどのネット閲覧だったのだ。

 僕はその両方を楽しむことができた。退廃的なパソ部の先輩たちも健全な高校生には不
要なはずのITスキルだけにはやたら詳しかったから、僕はずいぶんとここでネット事情の
勉強ができたのだった。そして、生徒会に続いてここでも僕は来年の部長候補に祭り上げ
られた。そもそも部長なんてやりたがる部員は皆無に等しかった部だという事情もあった
けど。

 こうして僕の一年生の生活は過ぎて行った。もともと僕は、高校一年生の生活なんかに
期待していなかった。それは次年度に下級生として同じ高校に入学してくる優を待つだけ
の退屈な時間に過ぎないはずだったのだ。でも、もういくら待っても優が僕の後を追って
入学してくる可能性はない。

 当時の僕は抜け殻のように定められた日課を機械的に消化していた。もちろん、こんな
僕に話しかけてくれる友だちもいなければ、以前のように言い寄ってくる女の子もいなか
った。

 なぜ、僕はあの時気がつかなかったのだろう。あの時の恋も陽性転移の一種である可
能性を。優の僕への好意だけが特別だなんて理由は何もなかったのに。そして、逆転移
という言葉がある。これは、コンサルタントがクライアントに親しく接して過ぎた結果、クラ
イアントに対して過度に感情移入してしまう現象のことを言う。僕の優への恋もそれかも
しれなかった。どうしてあの時僕はあんなに自信満々だったのだろう。

 生徒会で活発で前向きに活動していてもパソ部で退廃的な活動をしていても、その考え
は僕の脳裏を占め一向に去っていってくれなかった。

 どんなに辛い出来事でも、時間という治療法に勝るものはないらしい。何も言わず僕か
ら離れていった優のことであんなにも傷付いていた僕だけど、二年に進級する頃にはさす
がに彼女のことを思い出して悩むことも少なくなってきていた。

 うちの学校は公立上位校をライバルにしていたから、受験や進路指導に相当力を入れて
いた。その一環として定められたいたルールの一つに、生徒会や部活のトップは二年生が
勤めるというものがあった。平たく言うと生徒会長や各部の部長は二年生が就任する。三
年生の生徒会や部活への参加までは禁止されていないけれども、受験生にとって負荷の高
い役員や部長への就任は禁止されていたのだ。

 それで、実感としては二年生になった今でも、まだついさっき生徒会や部活に加入した
ばかりのような意識だった僕だけど、まずパソ部の部長にさせられることになった。こち
らは手続きは簡単だった。前部長の鶴の一声で話はあっさっりと決まってしまった。もと
もと集団行動が苦手な部員たちが集まっていただけに、部長なんて面倒くさい仕事をした
がるようなやつはいるっはずもなく、部長の提案に全部員一致で僕が部長に選ばれたのだ
った。

 生徒会の方は、もう少し面倒だった。生徒会長は全校生徒の中から選挙で選ばれること
になっていたから、前生徒会長は僕にその職を譲ると決めたようだったけど、一応選挙と
いう手続きを踏む必要があった。


 部活と生徒会の先輩の勧めのどちらも、僕は二つ返事で引き受けた。優を失って他に熱
中することが見つからない僕にとっては、それは好都合な提案だった。僕はもう、同級生
たちのカウンセリングはしていなかったし、かといってあの幸せだった日々のように優と
いつでも一緒にいるわけでもなかったjから、せめてこういう活動の場に自己実現をしようと
考えたのだった。

 形ばかりの選挙が行なわれ、その結果僕は生徒会長に選出された。これで僕は、パソ部
部長と生徒会長との二つの肩書きを持つことになったのだった。

 そしてその頃、三年の先輩たちが引退する代わりに、一年生たちが生徒会や部活に入っ
てきた。パソ部の方は相変わらずといっていいだろう。女子はゼロ。まじめにプログラミ
ングを勉強したいやつもゼロ。自宅以外でもネトゲとか2ちゃんねるとかしたやつくらい
男しか入部希望者はいなかった。

 生徒会の方は、それよりも前向きな後輩たちが希望してくれていた。うちの学校では、
生徒会長と副会長はセットで選挙で選ばれるけど、それ以外の役員は生徒会長が承認すれ
ば就任できるシステムになっていた。副会長は、同学年の真面目な女子だった。僕が希望
したわけではなく、前会長と副会長が勝手にカップリングしたコンビだった。彼女に個人
的な興味はなかったけど、生徒会を運営するには格好のパートナーだった。

 一、二年生に向けて公開で募集していた役員ポストは、監査、会計、広報、庶務、そし
て人数不定の書記だった。まじめな学校ということもあり結構な応募者がいた。僕と副会
長は手分けして面接した。実はポストの半分以上は前年度からその役職についていた二年
生が継続することが普通だったから、全校の選挙で選出された会長と副会長以外のポスト
は毎年公募するといっても、実は前任者がほぼそのまま選ばれるという出来レースのよう
なものだった。それでも、昨年度の役員が今年はもう続けたくないと言って応募しない例
も少なからずあった。僕は一年生で生徒会の役員になったのも、そういう自主引退した先
輩の後釜としてだった。

 そういうポストだけはしっかりと面接しなくてはいけない。僕はそういうポストへの応
募者の半分を面接した。特に印象に残る生徒はいなかったけど、とりあえず無難な生徒を
役員として選んだ。副会長の選んだ役員は数人だった。僕は直接面接していないので、そ
の生徒たちとは改選後の最初の役員会で出会うことになったのだ。

 その中に、遠山さんという一年生の綺麗な女の子がいた。

 十人前後の生徒会の新役員が集った席上で、僕は生徒会長としてあいさつしたのだけど、
視線は遠山さんという新入生の書記に奪われたままだったかもしれない。優に突然姿を消
され、要するに優に黙って振られたに等しい僕は、一年間異性に惹かれることはなかった。
女々しいかも知れないけど、異性のことを考えるときには常に優の笑顔が頭に浮かんでい
たのだった。

 その僕が遠山さんを見た時、一瞬目を奪われるほど彼女の姿がまぶしく見えた。まるで、
優に好きと言われた時のような戸惑いが僕を襲った。でも、僕はすぐに体制を立て直した。
たかが可愛い下級生を見たくらいで動揺するとは情けない。優みたいに内面からも僕を魅
了するような女じゃないと、僕は動じないんだ。そう思ってその時の僕は同様を抑えて、
先輩らしく新人たちにあいさつしたのだった。

 遠山さんが生徒会の役員に加わると、何となく男の役員たちが彼女を巡って微妙な駆け
引きを繰り広げるようになった。僕は内心不愉快だった。ここは生徒活動を自主的に管理
する組織なのに、恋愛とかに現を抜かしていてどうするのだ。僕は中学生の時の自分を棚
にあげて憤った。これで遠山さんが有頂天になり男たちを操っていたりしたら、僕も断固
として男共や彼女に注意したと思うけど、遠山さんは男たちの誘いに全く興味がないよう
で、むしろ自分を巡るそういう男たちの争いに無邪気に戸惑っているようだった。


 遠山さんを争っている役員たちの確執に手を焼いた僕は、副会長に相談した。意外なこ
とに、副会長は結構、彼女のことを知っているようだった。

「心配することはないと思うよ」
 副会長は言った。「遠山さんって、同じ学年の池山君っていう子と付き合ってると思
うし」

「そうなの? でも、何で君がそんなことまで知っていて、あのバカどもはそれすら知ら
ないで一生懸命なのさ?」

「たまたま駅が一緒なのよ」

 副会長は言った。「で、その駅で毎朝遠山さんと池山君っていう男の子がツーショッ
トで登校しているのを見ているから」

 それなら間違いないだろう。うちの役員のバカどもは報われない争いを自分勝手に繰り
広げているだけなのだった。

「まあ、既に遠山さんと池山君って噂になってきてるから」

 副会長は続けた。「あいつらがそれを知ったらこの騒動ももうすぐ治まると思うよ」

 結果としては彼女の言うとおりだった。役員たちは遠山さんと池山と言う同級生の存在
を知り、不承不承遠山さんに言い寄ることを諦めたようだった。

 遠山さんは仕事が出来る子だった。最初は目立たなかった彼女だけど、一学期が過ぎる
頃には既に生徒会の主要戦力といっていいくらいの存在に成長していた。僕はその頃まだ
優との破綻を引き摺っていたから、遠山さんがどんなに可愛いとはいえ彼女ことはよく仕
事をしてくれている下級生としか認識していなかった。そのまま、僕にとっては何も進展
しないままで一年間が過ぎた。僕は三年に進級し、この学校の通例どおり生徒会長からも
パソ部の部長から引退する時期となった。

 ところがこの年、いろいろと学校の制度改革が断行されたのだった。他校と比べて生徒
会や部活の引退時期が早いことなどが、高校を受験する生徒たちには不評だとして、改革
の槍玉にあがっていたようだ。当時は進学実績も悪くなかったことから、そういう改革を
する余裕があったのかもしれなかった。結局その改革案は学校法人の理事会でも承認され、
僕は三年生になってもパソ部の部長と生徒会長を続投することになった。そして三年生の
学園祭終了後が、新たな三年生の任期終了とされた。

 新しく生徒会の役員になった遠山さん、遠山有希さんはよく気がつく子だった。見た目
も可愛いし人気もあるのだけど、それを周囲にひけらかすことなく自然に生徒会に溶け込
んでいた。きっと頭がいい子なんだろうな。僕は一年生にして役員の中心となって働くよ
うになっていた彼女を眺めていて、よくそう考えたものだった。自分が可愛くて人気があ
ることに気がついていないような天然の女の子では絶対ない。自分の人気を誇らないよう
に意識して行動しているに違いない。その行動のせいで彼女は、可愛いけど全然それを鼻
にかけないいい人という評判を生徒会内で勝ち取っていた。多分、クラスの中でもそれは
同じだったのだろう。

 僕は当時はまだ成就しなかった失恋を引き摺っていたから、彼女のことが恋愛的な意味
で気になるということはなかったけど、ここまで意識して自分の行動を律する彼女には少
し関心を抱いたのだった。それはある意味、優と同じだ種類の女の子だった。彼女も昔周
囲の生徒に面倒見のいい女の子という演技をしていたっけ。でも、優は相当自分に嘘を言
い相当無理をしてそうしていたのだけど、遠山さんの行動は何か自然だった。そういう意
味でも僕は彼女に関心があったのだ。


 僕が三年生になりしばらくたったある日、遠山さんと池山君という男子生徒が付き合っ
ているらしいという情報を教えてくれた副会長が、また新たな情報を仕入れてきた。副会
長の話によると、今まで二人きりで登校していた遠山さんと池山君という男は、今では四
人で一緒に登校しているというのだ。今まで二人きりだった彼らに加わったのが、遠山君
の妹だという麻衣さんという一年生の子と、広橋君という遠山さんと池山君の同級生だと
いう。

「何人で通っていてもいいけどさ。どっちにしたって遠山さんて池山君と付き合ってるん
だろ?」

 僕は副会長に聞いた。ところが副会長が話してくれたのは意外な話だった。どうも、遠
山さんと池山君が付き合っているというのは単なる噂らしいと言うのだ。

 それどころか二年生の、遠山さんたちをを知っている生徒たちの噂によると池山君と広
橋君は、遠山さんを巡って三角関係のようになっているらしい。そして、遠山さんの気持
ちはどちらかというと、広橋君の方に靡いているのだと副会長は続けた。

「その麻衣ちゃんって子も極めつけのブラコンなんだって」

 副会長は楽しそうに話した。こいつは前から恋愛関係の噂話が大好きなのだ。でも、僕
が麻衣さんのことを知ったのはこの時が初めてだった。そして、実は僕は広橋君のことだ
けは知ってはいたのだ。

 マンモス校ゆえに下級生のことなんて部活でも一緒でない限り知り合う機会なんてない
んだけれど、彼のことは噂でよく聞いていた。何しろ無茶苦茶成績がいいらしい。それも、
何でこんな学校にいるのか不思議だといわれるレベルで。ある先生が話してくれたことに
よると、彼は受験直前にこの町に引っ越してきたそうだ。それで、あまりこの地方の高校
事情を気にすることなくとりあえず受験できる高校を受験したらしい。僕だってこの学校
より高いレベルの学校に入学できたのだけど、話に聞く広橋君とはレベルが違うようだっ
た。僕は偏差値とか学校の成績にそれほどには重きを置く主義ではなかったけれど、広橋
君の模試での偏差値を聞いたときはさすがに嫉妬心のようなモヤモヤ感を感じたものだっ
た。

「会長は知らないだろうけど、広橋友君ってすごく成績がいいんだよ」

 副会長が言った。「そのうえ、超がつくほどのイケメンだし」

 では成績がいいだけではなく顔もいいのか。外見に関してはコンプレックスを抱いてい
る僕にはそれは少し不愉快な情報だった。要は全ての点において僕は広橋君に劣っている
ということではないか。

「池山君っていうのはどういうやつなの?」

 僕は聞いてみた。副会長の話のとおりなら、彼は古くからの知り合いで、一時付き合っ
ていると噂されるほど仲がよかった遠山さんを広橋君に取られたことになる。その時僕は、
何となくネトラレという単語を頭に浮かべだ。

「普通だよ、普通。顔も普通だし成績も普通」

 副会長はあっさりと池山君のことを切り捨てた。

「じゃあ、さぞかし遠山さんを奪われて落ち込んでいるんだろうなあ」

 僕が男性に同情するのは珍しかったけど、その時は自分の成就しなかった苦しい恋愛経
験のことが、池山君が今陥っている状況に重なったのだった。もちろん僕は寝取られたわけ
ではなかったけど。

「確かに最初は三角形ぽかったらしいんだけどね。それがね、最近はそうでもないみたい
なの」


「・・・・・・どういうこと? ひょっとして彼は重度のシスコンだとか」

「そうじゃなくて・・・・・・池山君、最近ちょっと変った女の子と仲がいいんだって」

 なんだ、池山君と遠山さんはお互いにその程度の関係だったのか。副会長の情報を信じ
ていた僕は、ずっと遠山さんは池山君と付き合っているものだと思っていた。でも、お互
いにそれほど深い関心はなかったということか。この辺で僕はこの話題に飽きてきていた。
もともと遠山さんにだって深い興味があるわけじゃなかったし。

「変った子って誰? 二年生?」

 一応僕は聞いた。

「うん、遠山さんと池山君と広橋君って同じクラスなんだけど、その同じクラスの女の子
だって」

「ふ~ん。まあ、丸く収まりそうでよかったってことか」

「まあ、そうかもしれないけど。でも、池山君と最近仲のいい子がちょっと問題で」

「問題?」

「会長は知らないでしょうけど、その子の名前は二見優さんと言って」

 副会長はそこで、彼女のフルネームを告げた。

 ・・・・・・それは、かつての中学の時の僕の恋人の名前だった。同姓同名の別人でない限り、
彼女は僕の知らない間にこの学校に入学していたのだった。

 僕と同じ学校に入学していた優は、そのことを僕に知らせようともしなかったのだ。僕
がこの学校にいることは知っているはずなのに。

 僕は二人の女の子に興味を抱いた。それは嘘ではなかった。でも、遠山さんに対しては
恋愛感情はなかったのだ。

 その時僕は、驚いている表情の遠山さんを生徒会室の近くの人気のない階段の踊り場に
連れ出し、君が好きだと告白した。計画通りに彼女に振られるならいいけれど、万一彼女
が僕のことを受け入れたとしたら、僕は彼女に対して酷いことをすることになる。それで
も僕は優のことを知るためにはそうするしかなかった。

「・・・・・・迷惑だったら謝るよ。でも遠山さんのことは前から気になってたんだ。今まで君
に振られるのが怖くて言えなかったけど」

 僕は用意していたセリフを言った。それは演技ではあったけど、それでも女の子を前に
告白するという状況に緊張し、結構な早口になってしまった。

「え?」

「遠山さん、好きです。僕と付きあってください」

 生徒会長である先輩の僕に告白されるなんて夢にも思っていなかったのだろう。彼女は
純粋に驚いているようだった。

「駄目かな」

「先輩」

 彼女にとってイケメンでもなんでもない僕なんかを恋愛対象として考えたことはなか
ったのだろう。彼女は言いよどんでいたけど、結局はっきりと答えた。

「ごめんなさい。あたし好きな人がいるんです」

「先輩のこと、生徒会長としては本当に尊敬してます。でも、あたし片思いだけど好きな
人がいて。だからごめんなさい」

「・・・・・・そうか。わかったよ、君を困らせて悪かった」

 僕はそう言った。ここまではある意味わかりきった展開だった。ここからが本番だった。
僕は気を引き締めた。

「先輩に勘違いさせたとしたら本当にごめんなさい」

 遠山さんが申し訳なさそうに言った。こいつも結局自分に自信があるのだろう。僕に勘
違いさせてってどういうことだよ。僕は君なんかの言動に惑わされたわけじゃないぞ。一
瞬、作戦を忘れてリア充な人種への憎悪が沸き起こったけど、僕はそれを抑えた。今はそ
んなことでエキサイトしている場合ではなかった。


「いや。僕が勝手に思い込んだだけだから。君の好きな人って」

 僕は緊張しながらも遠山さんの恋愛関係を探るための言葉を口にした。

「え」

「何となくわかる気がするよ」

「え?」

「彼なら祝福するしかないね。僕なんかじゃ全然敵わない。彼は成績もいいしスポーツも
万能だし何よりイケメンだしね」

「知っているんですか」

どういうわけか彼女は当惑しているようだった。

「君を困らせて本当に悪かったよ。もう二度とそういうことは言わないから、これまでど
おり生徒会の役員でいてくれるか」

「はい」

「ありがとう。まあ、ライバルが広橋君なら負けてもしかたないか」

 僕はついにその名前を口にして、彼女の反応を覗った。

 そうじゃありませんと否定するか。あたしが好きなのは池山ですと言うのか。僕は固唾
を飲んで彼女の返事を待ち受けたけれど、結局この作戦は失敗に終ってしまった。

 遠山さんは否定も肯定もせずに、自分の好きな男をうやむやにしてしまったのだった。

 この日の努力もむなしく、結局僕は池山君は遠山さんに好かれているのか、それとも彼
女とはもう何の関係もなく、副会長が聞いてきた噂のように、僕の昔の彼女と恋人関係に
あるのかを知ることは出来なかった。

 僕の遠山さんへの告白は失敗に終った。表面的な意味では、彼女は好きな男がいるから
といって僕を拒否したので、客観的に見れば僕の告白は空振りだった。そして実質的な意
味で言っても、告白することによって明らかになると思っていた優と池山君、遠山さんと
広橋君の関係は相変わらず曖昧なままだった。

 遠山さんは僕が広橋君の名前を出した時、少し戸惑っているようだったから、ひょっと
したら遠山さんと池山君が付き合っているのではないかという推測は成り立った。でも、
それは証拠のない単なる推論に過ぎなかった。結局のところ僕は、副会長から聞かされた
曖昧な噂話以上の情報を入手することができなかったのだ。

 優が同じ高校に入学していたことは、それからまもなく確認することが出来た。ある朝、
僕は早めに登校して一年生の校舎の入り口を遅刻ぎりぎりまで見張ったのだ。

 自分が目立つのはまずいと思った僕は、中庭の噴水の陰から一年生の校舎に吸い込まれ
ていく多数の一年生たちを必死で眺めていた。見張りを初めて一時間経っても優の姿は見
つからなかった。そのまま、そろそろ自分の校舎に行かないと僕自身が遅刻してしまうく
らいの時間になってしまっていた。優を見落としたはずはなかった。僕は瞬きすら我慢す
るほど集中して登校する一年生たちを見つめていたのだから。

 もう諦めて自分の教室に走って戻ろうとした時だった。校門から一年の校舎に走ってい
く女性の姿があった。遅刻ぎりぎりになって教室に張り込むだらしない生徒。でも、よく
見るとそれは優だった。

 中学の頃の優は周囲から浮くまいと、目立つ行動は避けていたはずだった。少なくとも
遅刻ぎりぎりに駆け込むような姿は一度も見かけたことがなかった。それでも、今の僕の
目の前で校舎に駆け込んでいったのは、久しぶりに見る優に間違いなかった。

 昔より少し髪が伸び、スカートも短くなってブレザーの下の白いブラウスの胸元のボタ
ンも結構外していて、それは今時のお洒落な女子高生そのものだった。外見は変っていた
けれど、僕にはそれが僕の中学時代の彼女だとすぐにわかった。


今日は以上です
また、投下します


「池山さん、ちょっと付き合ってくれないかな」

 女性を誘うのが苦手な僕だったけど、悩みを持つ相手に対してはまた別だった。高校に
入学してから二年以上こういうことをしていなかったのだけど、中学時代に駆使したスキ
ルはまだ身体に残っているようだった。この時、それが自然によみがえってきた。今の僕
は、何もためらいはない。

「よかったら、どこか別な場所で話をしようか。事情さえ話してもらえれば力になれるこ
ともあると思うよ。なんで女子の裸の画像なんか見たいのかは知らないけど、見る方法も
あることはあるし」

 僕は彼女に餌をちらつかせて言った。彼女は少しためらっていたけど、結局は僕の誘い
に同意してくれたのだった。

 ・・・・・・中学生の頃、僕が人の相談を聞いていた場所は校内の人気の無い場所が多かった。
放課後の中庭とか屋上とか、あまり人がいない時の図書室とか。でも、高校生になった今
では校外のカフェとかの方がより知り合いに遭遇する危険は少ない。中学の頃は入りづら
かったスタバとかにも今では自由に入れるのだし。

 僕は池山さんを促して部室から立ち去った。背中には多数の部員の無言の視線を感じて
いた。部室から離なれ校門の外に出ても、並んで歩いている僕たちに下校する周囲の生徒
の好奇の視線が向けられた。

 それはそうだろう。池山さんと連れ立って下校する僕なんかを見かければ、いったいど
ういうカップルなのかと不審に思われても不思議はない。周囲の視線を自分に集めること
に日ごろから慣れているかのように、池山さんには全く動揺する様子はなかった。むしろ、
これから僕に対して話そうとしていることの方が彼女の心に負担になっていたようだった。

 僕はといえば、これから池山さんの話を聞きだせるということへの期待感や不安よりも、
むしろ自分が可愛い女の子とデートしているような状況に不覚にも心をときめかせていた
のだった。これから二人で向かうのは駅前のスタバ。可愛い女の子と二人きりでスタバに
寄り道するそんなシチュエーションは僕にとって初めての経験だった。中学時代に優と手
を繋いで下校していた時だって、カフェとかに寄り道した経験などなかったのだ。

 奥まった目立たない席に着いて彼女と向き合って座った時になって、ようやく僕は浮か
れた気分を抑え、少し本気で彼女の話を傾聴するスキルを発動すべく体勢を整えた。単に
彼女のいい相談役になるだけではなく、できれば優の情報を聞き出し更に池山さんと親し
くならなければいけない。さすがの僕にとってもこれは敷居の高いミッションだった。そ
れに何より人の悩み事をコンサルティングするのはすごく久しぶりだったということもあ
った。こういうことは場数を踏んでいないといけないし、間が空くとすぐに体がスキルを
忘れてしまい一々次の言葉を考えながら相談に乗るようになってしまう。これではクライ
アントが白けてしまい、思っているように内心を話してくれなくなることも考えられた。
それでも、これだけはやり遂げなければいけない。

 僕は池山さんに話しかけた。

「僕が何で君の話を聞こうとしているか不思議に思っているでしょ」

 彼女は意外なことを聞いたとでもいう様子で顔を上げた。

「そう思われても無理はないよね。君はただネットのことを調べたくてパソコン部に入っ
てきたのに、いきなり部長に理由とか事情とかを問い詰められたんだもんね」

 僕はその時、とっさに少し変則的な方面から攻めて行くことに決めた。昔のクライアン
トと違って彼女は自分から僕に相談しに来たわけではない。彼女にとって僕は単なる入り
たての部活の部長に過ぎなかった。普通に彼女を問い詰めたところで彼女が心を開いてく
れる可能性は少ないと思ったからだ。それで僕はまず自分のことを話し始めた。

「まず言っておきたいんだけど、僕は君のことがすごく気になっている」

 僕は思い切って言った。


「・・・・・・はあ」

 池山さんの反応は芳しくなかった。それはそうだろう。パソ部みたいなオタクの巣窟み
たいな部に、目的があるために入部した彼女が部の先輩にいきなりこんな告白まがいのこ
とを言われたら、彼女だってドン引きするに違いない。ましてこれだけ容姿や雰囲気に恵
まれている彼女なら、いくら外見が幼そうとはいえ男からの告白になんか慣れていただろ
うし。

 でも僕はこの時もう一段の切り札を切るつもりだったので、池山さんが次の言葉を喋り
だす前に僕は話を強引に続けた。

「あとさ。僕はパソ部の部長だけど生徒会長もしていてね」

 それを聞いて、拒絶的な雰囲気で僕の言葉を遮ろうとしていた池山さんは気を変えたよ
うだった。僕はそんな彼女の様子に構わず話を続けた。

「だからという訳じゃないけど、僕は人の相談に乗ることが多いし結構それでみんなから
感謝されてるんだ。相談してくる人の秘密は完全に守るし、どんな悩みを聞かされても飽
きれたり驚いたりしないで相談に乗るようにしているからね」

 少しは池山さんの心を掴んだようで、とりあえず彼女は僕の話を聞くことにしたみたい
だった。

「それが一つ。あと、君って遠山さんの知り合いでしょ」

「あ、はい。お姉ちゃんとは小学生の頃から」

 僕は彼女の意表をついたようで、突然遠山さんの名前を聞かされた彼女は驚いたように
答えた。

「遠山さんは大切な生徒会の仲間だし、君のことは他人とは思えない。だからどんな事情
があるかは知らないけど、君の力になりたいと思ったんだ」

 池山さんはそこで初めて僕の方を見つめて首をかしげた。

「あの、先輩・・・・・・あたしのこと気になるってどういう意味ですか」

「そのままの意味だよ遠山さんの知り合いとして君を助けたいと思うけど、それとは別に
君のことが異性として気になっている」

 今にして思えば、その時の僕はよくもそんな恥かしいことが平気な表情と口調で言えた
ものだと思う。広橋君のようなイケメンならともかく、普通ならこんな低スペックな僕が
可愛い女の子に対して言うことが許されることではない。でもこのときの僕は必死だった。
優の行動の真相を知ること、そして目の前の少女と仲良くなること。僕はその二つの目的
だけは何としてでも成就させたかったのだ。

 とはいえこんなセリフを聞かされた池山さんの反応は気になったから、僕は少し話しを
中断して彼女の反応を覗った。

 でも、池山さんは僕なんかがこんな告白めいたセリフを言ったことを別に滑稽に感じた
りはしていないようで、馬鹿にするようでもなく真面目な表情で僕を見ていた。

「先輩。あたし、今のところ誰かと付き合うとか考えていなくて」

「うん、わかってる。それにどっちみち僕なんかじゃ君と釣り合わないこともわかってる。
僕なんかが君みたいな子と付き合えるなんて考えてもいないよ。だから僕のことは気にし
ないでいいんだけど、それでもよかったら相談してくれないかな」

 その時、知り合って初めて池山さんがおかしそうに微笑んだ。

「先輩っておかしな人ですね。付き合いもしない女の子なんかに親切にしたって仕方ない
のに」

 僕は彼女の微笑を呆けたように眺めた。その微笑みには僕に対する嘲笑めいた感情は少
しもないように思えた。少しだけ飽きれている感じはあったけど。

 僕はその期を逃さず慌てて口を挟んだ。

「君が僕のことなんか相手にしてくれなくてもいいんだ。でも気になる女の子の力にはな
りたいし、力になれるとも思う」

 その時、僕はもっと彼女の心配を取り除いた方がいいと思いついた。

「それと。僕が君に夢中になってストーカーみたいになることは絶対にないから。何だっ
たら遠山さんとかに聞いてくれてもいい。僕はそういう男じゃないから」

 それからしばらく沈黙が続いた。僕はもう言えることは言ったのであとは池山さんの返
事を待つだけだった。そして少しして彼女がその沈黙を破った。


「先輩って変な人ですね」

 再びくすりと笑ってから池山さんが言った。「でも、生徒会長をしてるだけあって本当
にいい人なんですね」

「生徒会長であることはあんまり関係ないけどね」

「あたし、せっかくだから先輩に話を聞いてもらおうかな」

 やっと僕は彼女にここまで言わせることができたのだった。

「池山さん、僕を信じてくれてありがとう」

 僕は穏やかに言った。僕は冷静に話していたようだけど、やはり内心では相当緊張して
いたようだった。そしてその緊張がようやくほぐれ出すのを感じていた。

「何で先輩がお礼を言うの? 何か変なの」

 池山さんは僕をからかうように言った。これではどっちが年上なのかわからない。

「あと、池山さんって言うの止めませんか。後輩なんだからあたしのこと、池山って呼び
捨てしてください」

「君がタメ口で話してくれるならそうしてもいいけど」

 僕はこの時緊張が去って行ったせいで少し調子に乗ってしまったかもしれない。池山
さんに僕のことなんか相手にしてくれなくてもいいと言ったばかりなのに、こんな調子の
いいことまで言ってしまうなんて。

 案の定、彼女は少し警戒したように見えた。でもそれは僕の誤解のようだった。再び彼
女は笑った。

「それでいいよ、先輩。あたしのことも池山・・・・・・っていうか麻衣って呼んでね」

「わかった」

 僕は最高な気分になってもいいはずだったけど、ここまでうまく行き過ぎると逆に不安
な気持ちが湧き上がってくるのを抑えることができなかった。礼儀正しい正統的な美少女
だと思い込んでいた池山さん、いや、麻衣だけど、この反応はどうなのだろう。いきなり
親しげに僕に話しかけるなんて。

 彼女は意外と男と遊びなれた子だったのだろうか。その時僕は少し不安に思った。

 それでもその疑念は、眼の前の美少女から気安く話しかけられたという喜びや優越感に
は勝てなかった。とりあえず今は目の前にいる麻衣ちゃんと仲良くなれたことだけを考え
よう。

「じゃあ、早速だけど麻衣ちゃんの話を聞きたいな」

 僕は彼女に言った。

「ちゃんはいりません」

 彼女が少し機嫌を損ねたように言った。やばい。この子、本当に可愛い。そして、呼び
捨てにしてって僕に微笑む美少女に対して、僕は動揺していた。

「先輩には全部お話しするけど、どこから話せばいいのかなあ」

 麻衣は、ついさっきまでの僕に対する疑念を完全に払拭したような親しげな口調で話し
始めた。そして僕はそのことに密かに興奮していた。僕は最初の難関を突破したのだった。
それも予想していたよりスマートな方法で。

「先輩、とりあえずこれを読んでもらっていい?」

 彼女は自分のスマホのメーラーを開いて、それを読むように僕を促した。それはどこ
からか転載を繰り返されたメールみたいだった。


from :優
sub  :やっほー
本文『さっき始めたばっかだけどもう200レス超えちゃった。今日は流れが早いみた
い。君が本当にあたしに興味があるなら下のURL開いてみて。今日は人多過ぎだから早め
に画像消しちゃうし。じゃあ、もし気に入ってくれたらレスしてね。そんでさ、もしレス
してくれるならレスの中に、制服GJって書いてね。それで君だってわかるから。じゃあ
ね』



 これだけでは全く意味の通じないメールだった。でも僕は凍りついたよう差出人の名前
欄を見つめていた。僕の昔の彼女の名前がそこにあった。そして、本文中には池山君の名
前もあったのだった。

「先輩、どうしたの」

 ふと気づくと僕はずいぶん長いことそのメールを眺めて凍りついたようだった。さっき
まで感じていた麻衣と親密になれそうだという期待感や喜びは僕の中で影をひそめ、何か
得体の知れない不安感が湧き上がっていた。

「どうしたのって―――これだけ見せられても何が何だか」

 優と池山君の関係がどうなっているのかは置いておくとしても、このメールのどこに麻
衣を悩ませる問題があるのか僕にはわからなかった。

「これだけじゃないの。こっちも」

 麻衣はスマホを僕から取り返して少し操作してから再びメールが表示された画面を僕の
方に示した。僕は彼女に促され次のメールを読んだ。



from :優
sub  :無題
本文『じゃあ、そろそろ始めるね。今のところ他の子がうpしてる様子もないから、見
てても混乱しないと思うよ。念のために繰り返しておくけど、女神板はうpも閲覧も18
禁なんであたしは19歳の女子大生って名乗ってるけど間違わないでね。』

『モモ◆ihoZdFEQaoのがあたしのレスだから。あと結構荒れるかもしれないけど動揺して
書き込んだりしちゃだめよ? 君は今日はROMに徹して』

『ああ、そうそう。これは余計なお世話かもしれないし、あんまり自惚れているように思
われても困るんだけどさ。今日うpする画像はすぐに削除しちゃうから、もし何度も見た
いなら見たらすぐに保存しといた方がいいと思うよ』

『じゃあ、下のURLのスレ開いて待っててね。8時ちょうどに始めるから』

『やばい。何かドキドキしてきた(笑) 女神行為にドキドキなんかしなくなってるけど、
君に嫌われうかもしれないって思うとちょっとね。でも隠し事は嫌いなので最後まで見て
感想をください。あ、感想ってレスじゃないからね』

『じゃあね』

 女神板。十八禁。十九歳の女子大生。メール本文に散りばめられた単語が僕の不安を煽
った。それにこの文面からは優と池山君はずいぶんと親しい仲であることがうかがわれた。

 何よりこのメールの趣旨は、優が女神行為をこれから実行しその様子を池山君に見ても
らいたがっていることにあることは明らかだった。

 ・・・・・・女神行為? あいつが何でそんなことを。僕と別れていた僅か二年余りの間にい
ったい彼女に何が起きたのだろう。そして優と池山君はやはり付き合っているのだろか。

 僕は混乱していた。麻衣と親しくなれたら、その後は彼女の相談を真摯に受け止める予
定だったのだけど、今の僕はそれどころではなく優の変貌にうろたえていたのだった。優
はいったいいつからこんなことをしていたのか。優の女神行為と僕が優に振られたことに
は因果関係はあるのだろうか。いくつもの疑問が同時に僕の心の中でせめぎあった。

 それでも、しばらくすると僕は何とか自分の心を制御することができた。今は自分にと
って何が大切なことかを考えるべきだ。それは麻衣と親しくなることと、優に何が起きて
いるのかを知ることだった。そしてそのために何をすべきかを考えた時、ここで僕が優の
メールの内容にいくら悩んでいても結果は出ない。僕の目的のために今すべきことは麻衣
の話を傾聴することなのだ。

 僕はようやく混乱する思考を鎮めて改めて麻衣を見た。


 ―――彼女は僕が混乱している間、黙って僕を観察していたようだった。僕の混乱振り
に飽きれるでもなく、助け舟を出すでもなく、自分の話を強引に進めるわけでもない麻衣。
その表情からは何やら僕のことを見極めようとしているような冷静さが感じられた。

 僕は、自分で勝手に思い込んでいた彼女の印象を改めざるを得なかった。この子は決し
て甘やかされた可愛いだけの幼い少女ではない―――優といい麻衣といい、僕が魅力を感
じる女性はなぜ例外なく複雑な思考を持っているのだろうか。かつて僕は優のことをとて
も中学生とは思えないほどしっかりと自分を冷静に見つめていると思ったことがあったけ
ど、一見幼い甘えん坊のような、そして大人しそうな麻衣さんも実は優と同じような複雑
な考えを秘めている少女らしかった。

 僕はため息をついた。僕は何でこういう面倒くさい、自分の考えを心に固く秘めている
ような女の子に惹かれてしまうのだろう。今にして思えば遠山さんが僕を傷つけまいとし
て取った単純でひたむきな行動が懐かしく思えるほどだった。その行動に結果的に僕は傷
付いたのだけど、少なくとも彼女が何を考えて僕に接近したのかは簡単に理解できたのだ
から。

「まあ君が見たがっているスレがどれなのかはわかったよ。URLも記されていたし」

 僕は気を取り直してそれまでじっと僕の反応を見ていたらしい下級生に話しかけた。

「でも、何で見たいのかという動機は全然わからないね。最低でもそれくらいは話しても
らえないかな。前にも言ったけど下級生に十八禁の画像の見方を教えるんだったらそれな
りの理由は聞きたいな。僕の生徒会長としての立場もあるし」

「・・・・・・それはこれからお話しします―――そうしたら先輩、あたしのこと助けてくれ
る?」

 麻衣は表情を一変させ、再び頼りないけど可愛らしい下級生らしい表情になった。

「―――あたしの味方になってくれる?」

 僕くらい人間観察ができて、僕くらい他人が何を考えているのかわかるのなら、こんな
単純な手にひっかかることはないはずだった。麻衣にとって僕は都合のいい先輩に過ぎな
いのだろう。でも僕の目的に近づくためには麻衣と親しくなる必要があるのは自明の理だ
ったし、何より僕は麻衣に本気で惹かれていたようだった。辛い思いをするかもしれない
とわかってはいても、優と池山君の関係を知りたいという目的が、麻衣と対面して話を重
ねるにつれ次第に薄れてきたほどに。

「そうするよ」

 僕は頼りなく守ってあげたいまだ幼さを残しているような女の子、麻衣に返事した。

「君を助けたいし、何より僕は君のことが好きだから」

 僕はこの時、この段階で口にするのは危険なことまで喋ってしまっていた。君のことが
気になるではなく君のことが好きだと僕は宣言してしまったのだった。それは麻衣に引か
れるかもしれないという意味からも、麻衣に弱みを握られて先導を奪われるかもしれない
という意味でも最悪のタイミングの告白だった。でもその告白を口にした途端、それが今
の僕の真の想いだということに気がついた僕は逆に気が楽になったのだった。

 そして麻衣はその言葉を聞いてもドン引きすることもなく勝ち誇る様子も見せなかった。
彼女は僕の反応が当たり前のように淡々と話を再開した。

「先輩、お姉ちゃんとは親しいの?」

 麻衣は予想外の方に話を進めた。

「特に親しいというわけでは・・・・・・生徒会で一緒だからよく話はするけど」

 麻衣は僕が遠山さんに告白して振られたことを知っているのだろうか。小学生の頃から
の知り合いで、副会長の言うように最近まで毎日一緒に登校する間柄なら、僕なんかに告
白されて困惑した遠山さんが麻衣に相談したとしても不思議はない。でもそれは確実な話
ではなかったから、 とりあえず僕は無難な返事をしたのだった。

「そうか。じゃあお姉ちゃんは何も言わなかったかもしれないけど―――先輩、あたしお
兄ちゃんのことが大好きなんです」

 遠山さんからは麻衣の話は聞いたことがないのは確かだったけれど、彼女の極度なブラ
コンぶりについては副会長から聞いたことがあったから、そのこと自体には僕は驚かなか
った。ただ、どうしてそんなことをわざわざ僕に話すのだろうという疑問は感じた。麻衣
が優と自分のお兄さんとの付き合いに不満を感じているからだろうか。

「あたし昔からお兄ちゃんが好きで、今まで何度も男の子に告白されてもいつもお兄ちゃ
んと比べちゃって」

 麻衣は続けた。

「あたしももう高校生なんだし、実のお兄ちゃんと恋人同士になれるわけなんてないって
わかってるんだけど」


 もうか弱い少女の振りをする余裕は彼女にはないようだった。この告白は嘘ではない。
そう直感した僕はいろいろと混乱している自分の心を静めて、クライアントの話に没頭す
る姿勢になった。過去の経験が生きていたのか、僕は自然に傾聴する体勢に移行すること
ができたのだった。

「続けて」

 僕は彼女の目を見ながら言った。

「お姉ちゃんが昔からお兄ちゃんのことが好きだったことは知っていたの。そしてお姉ち
ゃんがあたしのお兄ちゃんに対する気持ちを知っていて自分の気持を無理に抑えていたこ
とも」

 麻衣は冷静に話を続けていたようだったけど、テーブルの下で握り締めていた手の震え
が彼女の装った冷静さを裏切っていた。

「君は遠山さんのことが大好きなんだね」

 僕は穏やかに口を挟んだ。

「・・・・・・うん。お姉ちゃんは昔からあたしのことを気にしてくれて、うちは昔から両親の
仕事が忙しくて普段家にはいなかったんで、お兄ちゃんとお姉ちゃんがあたしの両親のよ
うだった」

「君はいいお兄さんとい、幼馴染のいいお姉さんに恵まれたんだね」

 僕は彼女に話をあわせた。彼女はそうやってその二人に甘やかされ守られて成長してき
たのだろう。

「うん。お兄ちゃんとお姉ちゃんには本当に感謝してる。でも・・・・・・そんなお姉ちゃんに
あたしは辛い想いをさせてたんだなって思ったら、お姉ちゃんに申し訳なくて」

「それで君はどうしたいの」

「どうしたいというか、この間お姉ちゃんに言ったの。もう自分に正直に素直になってっ
て。あたしのことはもう気にしないでって」

「君はそれでよかったの?」

 ブラコンという言葉では言い表せないほど池山君に依存してきた彼女にとってはそれは
思い切った、辛い選択だったろう。

「うん。あたしもそろそろお兄ちゃんを卒業しなきゃって思った。今でも一番好きなのは
お兄ちゃんだけど、あたしがお兄ちゃんと結ばれることなんてないんだから、それなら二
番目に好きなお姉ちゃんにお兄ちゃんの恋人になってほしいって」

 その頃になると麻衣は僕の様子を気にする余裕もなくなったみたいで、手が震えるどこ
ろか全身を震わせ目にはうっすらと涙を浮かべるようになっていた。

 僕は次の言葉を催促せず彼女が落ち着きを取り戻すのをじっと待った。心情的には麻衣
の手を握るか肩を抱くくらいはしたかったけど、それはせっかく心を開いた彼女を警戒さ
せてしまうかもしれない。それにこの頃になるとだんだん僕は落ち着きを取り戻してきて
いた。むしろ今では取り乱しているのは麻衣の方だった。僕は心理的に彼女より優位に立
ったということもあり、彼女が再び話し出すのを余裕で待つことができたのだった。

「あたしがお姉ちゃんにそう話したとき、お姉ちゃんは最初は驚いていたの」

 しばらくして自分の袖で涙を拭いた麻衣が話を再開した。

「だから、あたしは最初はお姉ちゃんがお兄ちゃんのことを好きだと思っていたのは勘違
いかなって思ったんだけど・・・・・・そうしたらお姉ちゃんが、麻衣ちゃんありがとうって言
って」

 ここで彼女はまた俯いて涙を浮かべたけど、今度はそれほど取り乱すことはなかった。

「それで、その後何が起きたの?」

 僕は興味本位の質問と取られないよう努めて静かな口調で聞いた。

「お姉ちゃん、お兄ちゃんに告白したんだけど・・・・・・お兄ちゃんにすぐには返事できないって言われて」

「保留されたってこと?」

「うん・・・・・・。一応、親友の夕也さんがお姉ちゃんのことが好きみたいで、お兄ちゃんは
そのことを気にしてるらしいんだけど」

「一応ってどういう意味かな」

 僕はそこがかなり気になったので、本当はまだひたすら話しを聞きだしていなければい
けない段階なのだけれど、思わず突っ込んでしまった。


「あたしね、お兄ちゃんに好きな人ができたんじゃないかって思った。それでお姉ちゃんの
気持ちに応えなかったんじゃないかって」

 麻衣はそう言った。いったん収まった体の震えが再び彼女を襲ってきたように見えた。

「それがこのメールの『優』なんだ」

 僕はそう言った。麻衣は一瞬ためらったけど、結局はゆっくりと頷いた。

 優と池山君は帰宅途中のスーパーで初めてちゃんと話をしたらしいけど、その際の優の
態度はとても積極的だったそうだ。単なる同級生だよと池山君は麻衣に言い訳したけど、
麻衣の女の子の勘では、優が池山君に気があることは明らかだったと言う。そして麻衣に
は池山君の方も優に興味がある様子に見えた。

 池山君のそういう態度に傷付いた麻衣を見かねて遠山さんが池山君に注意したそうだけ
ど、結果的にそれは彼を意固地にしただけに過ぎなかった。

「今にして思うとお姉ちゃん、あたしのためというより自分の気持を素直にお兄ちゃんにぶつ
けたんじゃないかなあ」

 麻衣はそう言った。

 その後、麻衣は池山君への依存から立ち直ろうと努力を始め、一方でそんな麻衣に励ま
された遠山さんは池山君に告白したのだった。結果として遠山さんは池山君に返事を保留
されたのだけど、その理由は遠山さんのことが好きな広橋君への遠慮だったそうだ。

「あたしはお兄ちゃん離れしようって決めたから、お姉ちゃんのことが気の毒だったの。
でも、ちょっとだけほっとしたかもしれない。お兄ちゃんとお姉ちゃんが恋人同士になら
ないで今までみたいに三人で一緒に仲良くいられるかもって」

「今はそういう状態なんでしょ? それなら問題ないよね」

 麻衣の暗い表情から目を逸らしながら僕はわざとそう言った。もちろん問題なんてある
に決まっていた。それは優の問題だった。ただ、ここまでの麻衣の話では池山君が優に好
意を持っている、あるいは二人が付き合い出したという明白な証拠はない。

 あのメールのことを除けば。

「お兄ちゃんは二見さんが好きなんじゃないかと思うの。そして二見さんもお兄ちゃんの
ことを」

 麻衣が俯いてそう言った。

「・・・・・・それはメールのことでそう思ったの?」

「うん」

「そもそもこのメールって、どうして君が見れたの?」

 それは多分麻衣を追いつめるであろう質問だったけど、ここまで来たら聞きづらいとこ
ろだけを避けて通るわけにはいかなかった。

 案の定、麻衣は真っ赤になって再び俯いてしまった。

「あの・・・・・・いけないことだとは思ったんだけど、お兄ちゃんがお風呂に入ってる間にお
兄ちゃんの携帯を」

 麻衣は小さな声で告白した。それ以上言わせるのはかわいそうだったので、あとは僕が
補足してあげることにした。

「お兄ちゃんが気になってお兄ちゃんあてのメールを見ちゃったわけだね。それで優から
のメールを2通見つけて自分のアドに転送して送信履歴を消した」

 麻衣は黙っていた。

「僕は責めてるわけじゃないよ。もちろん普通ならエチケット違反だけど、君にも辛い事
情があったわけだし」

「・・・・・・ありがと」

 麻衣は小さく呟いた。


「それでこのメールを見てどう思った?」

 答えなんてわかりきっていたけど、相談役の口からではなく自分から語らせる方がコン
サルティングする上では効果的だったから、僕は作法に従って続けた。

「どうって・・・・・・こんなメールやりとりするくらいだもん。まだ付き合ってないにしても、
お互いに十分その気があるとしか思えないよ」

「そう言えばこのメールに池山君は返信していなかったの?」

「うん。どっちも受けただけで返信してなかった」

「じゃあ次の質問だけど、この二つのメールにはURLが貼ってあるけど、君はそれを踏ん
だ?」

「踏むって? ああクリックしたってことね。うん、見てみたよ」

「どうだった?」

「最初のメールにあったURLは、このスレッドは過去ログ倉庫に保管されていますとかっ
て出て・・・・・・何かよくわからなかった」

「二つ目のメールのURLはどうだった」

「うん・・・・・モモっていう名前の人がM字とか乳首はだめとかレスしてて」

 麻衣は辛そうだったけど、このあからさまな破廉恥な言葉に僕の方もダメージを受けて
いた。優は変った性格だったけど性的に奔放というわけはなかったはずだった。それが女
神板でM字だの乳首は駄目だの娼婦まがいのレスをしている。正直、女神板のことはよく
知っていたのだから、最初に優のメールを見せられた時にこうなることはある程度予想は
していたのだけど、実際にその言葉を麻衣の口から聞くと僕は再び気分が暗くなっていく
のを感じた。

 僕と優が付き合っていた頃だって手を繋ぐくらいが精一杯だった。でも性的な面では奥
手な僕はそれだけでも十分嬉しかったのだ。逆に優がそれ以上の接触を求めていたら僕は
戸惑っていただろう。2ちゃんねる的に言うと僕は典型的な処女厨だったから、僕は手を
繋ぐことで満足してくれている優が好きだった。でも、それは僕の勘違いで、優は相手が
僕だったから手を繋ぐ以上のことをしようとはしなかったのだとしたら。現に、彼女は女
神行為をしている。そしてあろうことか池山君に自分の女神行為を見るように勧めている
のだ。

 同じ高校に進んだことを連絡してこなかったことや、僕には手を繋がせただけなのに池
山君にはそれ以上に積極的な好意を示している優のことを考えると、中学時代の僕の大切
な思い出は全て僕の錯誤だったのかもしれなかった。

「先輩?」

 麻衣が黙り込んだ僕の方を見て言った。「顔色悪いけど大丈夫?」

 僕は麻衣の柔らかい声で瞬時に自分の役割を思い出した。いろいろ混乱していたけれど、
今は麻衣のケアに専念しないといけない。それに、辛さは心の底に残っているものの、今
の僕がいい匂いのする華奢な体つきの後輩の少女の隣に座って彼女の相談に乗っているこ
とに萌えていることは事実なのだ。そのせいか、過去の出来事に関する心の痛みは覚悟し
ていたほどではない。僕は気を取り直して言った。

「ほら、このURLにmegamiってあるでしょ。このスレは女神板のスレだよ。自分の裸と
か際どい下着姿とかをスレで不特定多数の閲覧者に見せることを、女神行為って言うんだ。
そして見せる人は女神と呼ばれている・・・・・・乳首は駄目は、そういう閲覧者のリクエスト
を断ったレスだろうね」

「前にも言ったけど画像は見られなかったの。何かすぐに削除されちゃうみたいで」

「ネットって不特定多数の人が見てるからね。画像をそのままにしておくといろいろ女神
にとっては危険なんだよ。だから自衛のためにすぐに画像は削除するんだ。たまたまリア
ルタイムで遭遇した人だけが画像を見ることができるというわけさ」

「・・・・・・先輩、削除された画像を見ることができるって言ってたよね」

「正確に言うと見ることができる可能性はあるってことだけど」

「その方法を教えてくれる?」

「僕は君に言ったよね? 十八禁のサイトを下級生に紹介するなら、何でその下級生がそ
んなにその画像を見たいのか知りたいって」


「・・・・・・それは」

「言いづらいなら僕が聞くよ。君は池山君に過度に依存することから卒業しようとしたそ
うだけど、お兄さんに彼女ができるのは許せるわけ?」

「だからそれは言ったでしょ? お姉ちゃんにもうあたしのことは気にしないでって話し
たって」

「聞いたけど、それは僕の聞きたいことじゃないよ―――遠山さんと池山君が付き合い出
したとしても、多分それはこれまでの君たち三人の仲良し関係の枠内の変化に過ぎないだ
ろ? ほら、君だって比喩的に言ってたじゃん。池山君と遠山さんは君の両親のようだっ
たって。それが現実になるだけでしょう」

「・・・・・・どういう意味?」

「池山君と遠山さんが付き合ったとしたら君は辛いかもしれないけど、それでも仲良し三
人組でいられることには変わりないわけだ」

 麻衣は黙ってしまった。

「僕が聞きたかったのは遠山さん限定ではなくて、その他の女の子とが池山君と付き合う
ことまで君が許せるのかってこと」

「・・・・・・お兄ちゃんの恋愛を邪魔する気はないの」

 麻衣は再び涙を流し始めた。これではコンサルやカウンセラー失格だった。でも、ここ
だけははっきりとさせておかないといけない。僕は敢えて挑発的な言葉を口にした。

「たとえそれが二見さんでも?」

 しばらくの沈黙のあと麻衣は顔をあげ僕の方を真っ直ぐに見て言った。

「お兄ちゃんが好きな人ならあたしは許せるよ」

「でも、お兄ちゃんにふさわしくないような破廉恥で汚い女だったら絶対に許さない」

 その時の麻衣の目の光に僕は少しぞっとした。自分以上に大切な相手という概念を僕は
これまで抱いたことはなかったのだけど、彼女にとっては自分の兄はそういう存在なのか
もしれなかった。

「メール見る限りだと、二見さんが女神であることは間違いなさそうだけど」

 その言葉は麻衣を傷つけたかもしれない。でも同時に僕の心も自分のその言葉に痛みを
感じたのだった。

「あたし、お兄ちゃんが好きな人なら大抵のことは許せると思うの」

「そうか」

 ようやく僕は麻衣の心情を掴んだようだった。この子が画像を見たがるのは、優の女神
行為が麻衣が許せる「大抵のこと」の範囲内なのかを知りたいのだろう。

 僕は腕時計を見た。もうかなりいい時間になってしまっていた。窓の外は夕暮れを通り
越して暗くなっている。

「まあ、だいたいはわかったよ」

 僕は言った。「さっきも言ったとおり僕は君のことが好きだから君に協力する」

「先輩」

「いろいろくどく聞いて悪かったけど、二見さんがどういう人か一緒に確かめよう。画像
だけじゃなくてもいろいろと手段はありそうだし」

 僕にはこの時もう気がついていた。僕のしようとしていることは僕が心を惹かれるよ
うになった眼の前の少女を助けることになるのかもしれないけど、僕のかつての彼女だっ
た優を傷つけることになるかもしれない。


「明日また部室で話そう。その時にいろいろ教えるから」

 それでも麻衣と親しくなりたいという欲望、僕の中学時代の一番大切な思い出が、自分
の胸の中心にいた優自身によって汚されたという想い、そしてそれを確認したいという欲
求。それらを考えあわせるとると、この時の僕にはもう他の選択肢は考えられなかったの
だ。

「うん・・・・・・先輩、ありがと」

 麻衣は細い声でようやくそれだけ言ったのだった。

「こんな時間になっちゃったけど、家は大丈夫?」

 僕は今更ながら心配になって麻衣に聞いた。

「うん。最近はお兄ちゃんのご飯の支度とかしてないし、家にいても自分の部屋にいるよ
うにしてるから」

 だから心配しないでと彼女は少しだけ泣いた跡を残している顔で微笑んだ。

「じゃあ帰ろうか。駅まで送っていくよ」

 僕は立ち上がった。

「ありがと」

 麻衣は男のこういう親切には慣れているようで、三年生で生徒会長で部長の僕の申し出
にも恐縮することなく自然に礼を言った。

 そうして僕と麻衣は二人並んで駅の方に歩いて行ったのだった。もう下校時間はとっく
に過ぎていたはずだけど、それでも数人の学校の生徒たちが駅の方に向かって歩いてい
る姿を見かけた。

 逆に言うと僕と麻衣が寄り添って歩いている姿も彼らに見られているはずで、僕はその
ことを少し心配したけれど、麻衣は他の生徒たちの視線など全く気にしていないようだっ
た。

 駅の改札まで来たところで彼女は僕を振り返り、僕の片手をその華奢な両手で握った。

「先輩ありがと。あたし、人に感情を見せるのが苦手だからそうは見えないかもしれない
けど、先輩にはすごく感謝してる」

 ふいに僕の心臓がごとっていう粗雑で大きな音を立てたように感じて僕は狼狽した。麻
衣に聞かれなかったろうか。

「まだ、僕は何もしてないよ。感謝するならもっと先だろ」

 僕は何とか辛うじて冷静に返事をすることができた。

「ううん。今でも先輩には凄く感謝してます―――こんなことお兄ちゃんにもお姉ちゃん
にも相談できないし」

 状況的に言っても利害関係的に言ってもそれは彼女の言うとおりだった。彼女には池山
君への想いを相談できる相手は身近にはいないのだ。

 客観的かつ全人格的に彼女の相談を受け止めてあげられる人。傾聴者とはそういう人間
のことを言う。彼女にとってはそれは僕なのだった。

「いいよ。何度も言うようだけど、そして僕は君の好意とかは全然期待していないけ
ど・・・・・・。それでも僕は君のことが好きだから君を助けたい」

「先輩・・・・・・ありがとう」

その時、麻衣は僕の手を握りながら背伸びをして僕の頬に唇を軽く触れた。

「じゃあ、また明日ね。さよなら先輩」

 僕は頬に残る麻衣の唇の感触を感じながら彼女に手を振った。

 ・・・・・・客観的かつ全人格的に。僕がそうでないことは今の僕が一番よく知っていた。麻
衣のことを考えているようで、実はこれは僕にとって極度に自分勝手なゲームだった。

 僕の思い出を踏みにじった優。

 偽装とは言え、僕の告白を断った遠山さん。

 僕が今惹かれている麻衣。


今日は以上です
また投下します


 帰宅して風呂に入り食事を終えた僕は、自室のPCの前に陣取る前に、麻衣から転送し
てもらった優のメールをスマホからPCに転送した。

 今日はいつも習慣になっている授業の予習や受験に向けた対策は諦めるつもりだった。
宿題は出ていないから作業に専念できる。まずはVIPのスレを開こう。当然、DAT落
ちしているので、麻衣はスレを見れなかったようだけど僕は●を持っている。僕は専ブラ
を立ち上げ優の最初のメールに記されているURLをコピーしてそのスレを開いた。



『暇だからjk2が制服姿をうpする』



 予想していたことだけどレスの多さに少し困惑した。これは優が立てたスレなのだから
>>1のIDでレスを抽出すれば話は早いのだけど、僕は怖いもの見たさに突き動かされ、
時間をかけて最初からスレを追っていったのだった。



『とりあえず顔から。目にはモザイク入れました』
『制服のブラウスとスカート。鏡の前で撮ってます』



 もちろん画像は見れるはずもなかったけれど、優のレスには自分の格好の簡単な説明が
入っていたから彼女がどんな姿を晒しているのかはだいたい想像がついた。外野のレスも
当時のこのスレの盛り上がりをうかがわせるようなものだった。



『女神きたーーーー!!』
『ここが本日の女神スレか』
『かわいい~。もっとうpして』
『ふつくしい』
『ありがとうありがとう』
『光の速さで保存した』
『セクロスを前提に結婚してください』
『これは良スレ』
『つか全身うpとか制服から特定されね?』



そして優らしき女も律儀にレス返していた。

『>>○ 特定は大丈夫だと思います。よくある制服なので。心配してくれてありがと』

『>>○ ならいいけど無理すんなよ。校章とかエンブレムとかはぼかしといた方がいい
ぞ』
『つうかお前らこれって転載だぞ。前にも見たことあるし』
『何だ釣りか。解散』

『>>○ 今撮ってるんだけど。前にも何度かうpしてるんでその時見たのかな? とり
あえずID付きで手と腕』

『おお。確かにIDが』
『俺は信じてたぞ』
『つうかexiff見りゃ今撮影してるってわかるじゃんか。お前ら情弱かよ』
>>1のスペック教えて』
『首都圏住みの高校2年です』
『彼氏いる? 年上はだめ?』
『処女?』
『可愛いよね。これだけ可愛いとやっぱイケメンしか眼中にない?』

『>>○ 彼氏はいません。年上でも大丈夫ですよ~』
『>>○ 処女です』
『>>○ 顔よりか優しくて頭がいい人がいいです』

『30代のリーマンだけど対象外?』
『アドレス交換しない? 捨てアドでもいいんだけど』
『出合厨は氏ねよ』
>>1も全レスしなくていいからもっとうpして』

『次は足です。太くてごめん』

『むちゃ綺麗な足だな』
『全然太くないっつうかむしろ細いじゃん』
『なでなでしたい』
『パンツも見せて』
『何という神スレ』
『もっと、もっとだ』
『もっと顔みたい』

『パンツはダメです。つ横顔』


 僕はスレを追っていくごとに次第に重苦しい気分に包まれていった。中学時代の優はク
ラスで浮いているわけではなかったけど、それは彼女自身の、人の話を聞き、人の相談
に乗るという努力に立脚して得た立場に過ぎなかった。だから、僕と知り合った優は、優が
密かに持て余していた、人に認められたい、人に関心を持ってもらいたい、人に話を聞い
て欲しいという欲求を、僕を利用することで解消していたのだった。そしてそんな役割を
担った僕がいたからこそ、彼女は転校するまでの間、学校内で「いつでも相談に乗ってく
れるいい子」という役を演じきることができたのだった。

 そして愚かな僕は、自分が彼女にとっての精神安定剤だということは理解していたけれ
ど、それでもあの頃は、そういう役割を果たしている僕のことを優は好きなのだと思い込
んでいた。

 でも今なら理解できる。自分でも認めるのは辛かったけど、僕には当時の優のある意味
利己的な心の動きがわかったような気がする。校内で一緒にいる時の優の僕への好意は嘘
ではなかったと思う。ただ、転校することが決まった優は、もう僕には利用価値がないこ
とに気づいたのだ。遠く離れてしまい、優の承認欲求を常に一緒にいて満たすことができ
ない僕に、引越し後の彼女は今までと同じ価値を見出さなかったのだろう。

 そうして僕は優に見捨てられたのだ。

 僕は自分の傷を自らかき混ぜるような、鋭い苦痛の伴う想いを回想しながらレスを読み
進めた。

『みんな構ってくれてありがとう。ちょっと用事が出来たのでうpはおしまいです。み
んなまたね~』

 これで彼女の女神光臨は終了のようだった。

『楽しませてもらったよ。気をつけて行ってらっしゃい』
>>1乙 良スレだった』
『うpありがと。またな』
『今日は冷えるから上着着とけよ おつかれ~』
『またうpしてね』
『コテ酉付けてよ』
『転載されるから画像ちゃんと削除しとけよ』
『帰ってくるまで保守しとこうか』
『制服GJ』

『みんなありがと。保守はいいです。今日は帰宅が遅くなるのでこのスレは落としてくだ
さい』

『>>○ 制服をほめてくれてありがと。どうだった?』



 制服GJ。これはメールで打ち合わせていたとおりのキーワードだから、多分これは池山
君のレスなのだろう。そして僕はそのレスに対する「どうだった?」という優のレスに、
優が池山君に微妙に媚びているような雰囲気を感じた。

 僕は次のメールに記されたURLを専ブラで開いた。megamiという文字列からもこのス
レが女神板のスレであることは明らかだったので、僕は少し警戒してそのスレを開いた。
その途端にその恥知らずで猥褻なスレタイが目に飛び込んできた。

【貧乳女神も】華奢でスレンダーな女神がうpしてくれるスレ【大歓迎】

 確かに優はどちらかというと細身の体つきをしていたからこのスレの需要にはあってい
るのだろうけど、それでも優は決して華奢というほどではない。華奢で守ってあげたいと
いうのは麻衣のような子のことを言うのだ。その時、僕の頬に麻衣がしてくれたキスの感
触が蘇った。その感触に勇気付けられた僕は気を取り直して再びスレを追い始めた。

 そのスレは何年か前に立っていたものなので、これまでにもいろいろな女神が光臨して
いた。一からスレを追っていくことの不合理さに気がついた僕は、一気に先月くらいのレ
スまでスレを飛ばした。それからまたレスを確認して行くと、メールに記されていた優の
コテトリがあった。


モモ◆ihoZdFEQao『こんばんわぁ~。誰かいますか』

『いるぞ~』
『モモか。久しぶりだね』
『モモちゃん元気だった?』
『ちゃんと大学入ってる?』

モモ◆ihoZdFEQao『人いた。最近恋に落ちたせいか痩せてますます貧乳になりました
(悲)』

『美乳じゃん』
『美乳なんだろうけど手で隠すくらいならうpするなボケ』
『乳首も見せないとか何なの』
『モモちゃんの乳首みたいです』
『美乳というより微乳かもしれん。こんなんに需要ねえよ』
『>>○ スレタイも読めんのか。モモ、ナイス微乳。手をどけようよ』
『肌綺麗だな。こないだまで女子高生やってだけのことはある』
『乳首見せる気ないなら着衣スレいけよ』
『ふざけんな。削除早すぎるだろ』
『即デリ死ねよ』
『のろまったorz』
『次の画像うpしてくれ』

モモ◆ihoZdFEQao『画像は15分で削除します。ごめん』
モモ◆ihoZdFEQao『あと乳首はダメです。需要ないかなあ』

『ねえよ帰れ』
『需要あるよ。乳首なくてもいいから次行ってみよう』
『モモの身体綺麗だからもっと見たいれす』
『次M字開脚してみて』

モモ◆ihoZdFEQao『リクに応えてみました。乳首はダメだけどM字です。15分で消しま
す』
モモ◆ihoZdFEQao『ほめてくれてありがとうございます。じゃ最後は全身うpです。乳首
なしですいません。15分で消します』

 例によって画像は確認できない。でも優と外野のレスの応酬から優がどんな感じの画像
を貼ったのかはだいたい理解できてしまった。VIPのスレと違い池山君はメールで優に
指示されたとおり何もレスしていないようだったから、優が自らうpした卑猥な画像を見
て、彼がどんな感想を抱いたのかは窺い知ることはできなかった。本当はそこがわかると
麻衣の悩みにも応えやすくなるのだけれど。

 僕はスレを閉じた。多分、女神板を優のコテトリで検索すれば、こんなものではないく
らいの優の愚行の証拠が押さえられるだろう。優がコテトリを自ら白状しているメールが
あり、しかもそのコテトリで優が自分の意思で行っていた破廉恥な行為のスレも残ってい
るのだ。

 問題は画像だった。テキストの羅列ではインパクトは薄い。優が晒した画像を押さえな
ければ決定的な行動は起こせない。僕は今日麻衣と別れて自宅に戻る時、おぼろげながら
この先すべきことはだいたい見当がついたと思った。それは確かにそのとおりなのだけど、
やはり画像そのものがあるのとないのとではインパクトが全く違う。それについては僕に
は心当たりはあった。多分少し検索すればすぐにでも画像を辿れるだろう。

 僕は自室の壁にかかっている時計を見た。既に深夜の一時を越えている。

 その時僕にはもっといい考えが頭に浮かんだ。今、優の画像を見つける必要なんてない。
明日、麻衣と一緒にいるところで、麻衣の眼の前で優の卑猥な画像を発見し麻衣に見せれ
ばいい。その方が麻衣も衝撃を受けるだろう。自分の兄が惹かれている優の、誰にでも裸
身を見せる娼婦のようなその姿を目の当たりにすれば、麻衣はきっと落ち込むに違いない。

 そして、その麻衣を慰めて救い出せるのは今や僕だけなのだった。僕は再び頬に麻衣の
唇の感触を感じた。ビッチの優には社会的制裁を与えよう。今では僕のパソ部の後輩であ
る麻衣を傷つけた罪もあるのだし。

 さっき僕が考えていたのは僕の個人的な嫉妬から、池山君に罰を与え結果的に優が巻き
込まれてもそれは優の自業自得というものだったけど、今の僕のターゲットは恥知らずな
優に変っていた。そして池山君がそれに巻き込まれてもそれは僕の責任ではない。僕はよ
うやく自分がしようとしている行為を正当化する理由を見出したのだった。

 それはかわいそうな麻衣の心の救済だった。これは決して優にコケにされた僕自身の個
人的な復讐劇ではないのだ。傾聴するコンサルタントとしては当然の行為に過ぎない。

 僕はパソコンの電源を落としてベッドに横になった。いろいろ興奮しているため僕はな
かなか寝付けなかった。この時、優と知り合う前の中学時代の僕のような冷静な傾聴者が
いて僕をコンサルタントしてくれていたら、この時の自分の行為の動機の利己的な性格を
炙りだしてくれていたかもしれない。でも、もうそんなカウンセラーはその時の僕のそば
にはいなかった。


 翌朝、僕は遅刻ぎりぎりの時間に目を覚ました。全身にじっとりと嫌な汗をかいていた。
何でこんな夢を見たのだろう。それは、優と一番距離が縮まった時の甘美な記憶だった。
そして次のシーンは、麻衣が背伸びして僕の頬にキスしてくれた昨晩の記憶だ。

 かつて付き合っていた優の、まるでAV女優のような姿を見て気が弱くなってるんだろ
う。僕は自分の見た夢について考えるのを止めて階下に下りた。遅刻寸前だから朝食は省
略でいいけど、出社する前の父親を掴まえなければならなかった。

 ・・・・・・僕が家を飛び出した時、僕のバッグはいつもより重かった。その中には父から
借りたモバイルノートとモバイルルータが入っていたからだ。

 その日の放課後、僕は生徒会室に顔を出した。時間が早すぎたせいで室内には副会長と
遠山さんが何やら雑談しているだけで、他に役員の姿は見当たらなかった。二人の会話を
邪魔することに少し気が引けたけど、僕は急いでいたので副会長に話しかけ、必要な指示
を彼女に伝えた。それだけ済ませて僕が部屋を出ようとすると副会長はあからさまに不服
そうな顔をした。そして僕に向かって何かを話そうとしたけど遠山さんのことを気にした
のか、結局彼女は何も言わなかった。

 そのことにほっとして僕が生徒会室を出ようとした時だった。それまで黙って僕と副会
長のやりとりを聞いていた遠山さんが口を開いた。

「あの、先輩」

 それは副会長ではなく僕にかけられた言葉だった。

「うん。どうしたの」

「先輩、最近生徒会にいないでパソコン部の方にばっかりかかりきりになってますけ
ど・・・・・・ひょっとしてあたしのせいですか」

 遠山さんは思い詰めたような表情で言った。

「君のせいって・・・・・・何でそうなるの。こんな時期だけどパソ部に新入部員が入ってきた
から指導しないといけないだけだよ」

 僕はどぎまぎして答えた。いったい遠山さんは急に何を言い出したんだろう。しかも副
会長が聞いているところで。

「でも先輩、あのことがあってから学祭の準備に加わらないし、あたしのことも避けてる
みたいだし」

「だからそうじゃないって」

「あの・・・・・・生徒会には先輩は必要な人ですし、先輩が気になるならあたしが役員を辞め
てもいいかなって。先輩の態度が変になっているのはあたしの責任だし」

 何を言っているのだ。この上から目線の勘違い女は。僕はその時彼女を憎んだ。彼女は、
僕が自分に振られたために、彼女を避けて卑屈な行動を取っているのだと断定し、それな
ら僕を振った自分が身を引きますというご立派なことを提案しているのだった。

 僕をコケにするのもいい加減にしろ。

 僕はこの時遠山さんをというより、遠山さんや広橋君に代表されるような、他者から好
意を持たれて当然と考えている類いの人種に激しい憎悪を抱いた。遠山さんは自分が僕に
とって高嶺の花だということを前提に、その高嶺の花である彼女は僕のようなゴミと付き
合えるわけはないけど、それでもそのことによって僕を傷つけたことをすまないと思って
いるということを言っているのだった。

 それは、自分は優しい女だから例え自分にとってゴミクズのような男を振ったとしても、
そのことに対してきちんと罪悪感を感じられる優しさを持っているのだとアピールしてい
るのと同じだった。


「あんたさあ、ガキみたいに拗ねるのはいい加減に止めなよ」

 それまで黙っていた副会長までそこで口を挟んだ。

「いつまでも振られて傷付いた自分をアピールされると本気でうざいんだけど。生徒会長
の癖に下級生に心配させてどうすんのよ。そもそも、あんたの方が遠山さんに告って始め
たことでしょうが」

 遠山さんへの憎悪を募らせていた僕に対して副会長は説教するように言った。そうじゃ
ないのに。僕はもう反論する気すら失って、この場の雰囲気が自分にとって想定外の流れ
になったことに忸怩たる思いを抱いた。

「前にも言ったけど誰だって振られることなんかあるんだし、あんただってそんなことは
承知でこの子に告ったんでしょ。別に失恋することは全然恥かしいことじゃないけど、失
恋したことに拗ねて構ってちゃんやってるあんたの姿は正直痛いよ」

「もういいんです。悪いのはあたしだし」

 遠山さんが副会長の話に割り込んだ。

「あんたもこいつを甘やかすのやめなよ。あんたが役員を辞める必要なんて全然ないよ」
 副会長は今度は矛先を遠山さんに向けた。

 僕はもうこれ以上、この場の雰囲気に耐えられなかった。ようやく乱れる心を静めてで
きるだけ冷静に話すよう努めながら、僕は言った。

「正直、何でこんなに非難されなきゃいけないかよくわからないけど、ここの役員はみん
な優秀だし、僕だって学祭の準備に必要な指示は不足なく出してるでしょう」

 僕はなるべく感情を抑えたトーンで喋ることに腐心しながら続けた。

「でもパソ部の方はそうは行かないんだよ。新入部員の面倒もろくにみようとしない奴ら
ばっかりだし、大切な新人だから僕が面倒を見ないと」

「パソ部の新人ってどうせオタクなんでしょ? 放っておいたって好きなネトゲとか勝手
に始めるんじゃないの?」

 僕の言うことを頭から信用していない副会長は言った。

「あんたの言うことは全然信用できないんだよね」

「嘘じゃないよ。しかも一年の女の子だしなおさら部員たちには任せておけないという
か」

「一年の女の子?」

 妙なところに副会長が食いついてきた。

「あんたが遠山さんへの面当てでこんなことをしてるんじゃないというのが本当だとした
ら、あんた今度は一年生を狙っているのかよ」

「そうじゃないよ。とにかくそういうことだから、僕はもう行くよ」

 その時、遠山さんが僕の方を見て言った。

「もしかしてその新入部員って、池山麻衣ちゃんって子じゃないですか?」

 間抜けなことに僕は今まで遠山さんと麻衣が親密な仲であることをうっかり忘れていた
のだった。これからしようとしていることを考えると、麻衣がパソ部に入部したことは優
や池山君の関係者には伏せておきたかったのだけど、ここまで明白な事実に対して嘘をつ
くことはできなかった。そうじゃないよと否定して後でそれが嘘だとわかった場合のダ
メージの方がはるかに大きいだろうし。

 なぜ遠山さんがパソ部の新入部員を麻衣だと見抜いたのかはわからなかったけど、とに
かく僕はこの場を離れたかった。

「そうだよ」

 僕は短くそれだけ言って、これ以上彼女たちの制止の言葉に耳を貸さず半ば強引に話を
打ち切って生徒会室を後にした。


 部室に入ると麻衣はもう既に部室に来ていて、相変わらず所在なげにぽつんと座ったま
ま俯いてスマホを弄っていた。

「やあ」

 僕は麻衣の別れ際のキスを意識してしまい、少しぎこちない声で妹に声をかけた。

「あ、先輩」

 顔を上げた麻衣の表情にぱっと笑顔が灯った。彼女は初対面の時とはうって変わったよ
うに親し気な態度を僕に示した。

「昨日はありがとう、先輩」

「いや、僕の方こそ」

 僕の方こそとは変な切り返し方だった。これではまるで僕が麻衣のキスに感謝している
みたいじゃないか。僕は少し狼狽したけど、麻衣の笑顔を見ているとさっきの部室での屈
辱的な会話でささくれ立っていた心が癒されていくように感じた。

「ここじゃまずいから、部室を出て場所を変えよう」

 その言葉の意味は麻衣女にもすぐに伝わったようだった。

「うん。どこに行くの?」

 彼女はもう僕のことを信用しているようで、すぐに自分のバッグを持ち上げて立ち上が
った。

「この時間なら屋上には人気がないだろうし」

「そうだね。人目があったらまずいよね」

 麻衣は言った。僕に人気のないところに連れられて行くこと自体には警戒心すらないよ
うだ。

 目論見どおり放課後の屋上には人気は全くなかった。僕たちは屋上に設置されている古
びた石のベンチに並んで腰かけた。寄り添って座っていたわけではないので、僕と麻衣の
間には空間がある。僕はモバイルノートをバッグから取り出して僕と彼女の間に置いた。

 僕は黙ってノートを起動し、専ブラを立ち上げてブクマしておいたスレを開いた。今日
のところは淡々と麻衣に事実だけを伝えるつもりだった。この先すべきことは見えていた
けれど、とにかくまずは客観的なデータを麻衣に見せることから始めるつもりだった。彼
女が動揺したとしてもそれはこの先避けては通れない道だった。僕はまず、麻衣が見よう
としたけど、DAT落ちして見れなかったVIPのスレを開いた。

「優さんの最初のメールに記されていたスレがこれだ。今日は読めるようにしておいたか
ら見てごらん。僕はずっと待っているから時間かけて読んでみて」

「・・・・・・わかった」

 麻衣は緊張した表情でディスプレイに表示されているスレを読み始めた。

『暇だからjk2が制服姿をうpする』)

 僕は真剣にスレを読んでいる麻衣の姿をじっと眺めていた。じっと眺めるに値する容姿
の女の子だったし、彼女ははスレに没頭していたから、僕が彼女をどんなに眺めてもその
ことに気まずい思いをすることはなかった。でもその時の僕は一年生の美少女を鑑賞して
いたわけではない。むしろスレを読む彼女の反応を観察しようとしていたのだ。途中、麻
衣は画像へのリンクを踏もうと無駄な努力をしていた。

「これって画像見れないの?」

 麻衣はスレの途中で僕の方を見て聞いた。

「どうもアップしてすぐに削除しちゃうみたいだね」

 僕は答えた。

「じゃあ顔も見れないし、これが本当に二見先輩さんかどうかなんてわかんないじゃん」

「まあ経緯からいって間違いないんだろうけど」

 池山君へのメールの内容とそこに記されたスレがこのスレであることを勘案すると、当
然これらの画像には優の姿が写っていたずだった。

「とにかく画像は無視して最後までスレを読んでみたら」

「・・・・・・わかった。先輩の言うとおりにする」

 麻衣は再びディスプレイに目を落として画面をスクロールし始めた。


 途中スクロールするスピードが速くなった。さすがに雑談みたいなレスは適当に読み飛
ばすことにしたのだろう。二十分ほどで麻衣は全レスを読み終わったようだった。

「・・・・・・制服GJっていうレスがあった」

 麻衣が画面から目を外して暗い声で言った。

「うん。池山君のレスだろうね。池山君はやっぱりリアルタイムでこのスレを見てたんだ
と思う。もちろん、そのときは画像も」

 僕は言った。彼女を誘導しないこと、今日の僕はそれだけは気をつけようと思っていた。
これからすることは全て麻衣の自主的な意思で始めなければならないのだ。そうでなけれ
ばこれは僕の個人的な意趣返し、個人的な復讐劇、もっと言えば麻衣への執着のための行
動になってしまう。

「女神板の方は見れたんだよね?」

 僕は麻衣に聞いた。

「うん。全部は見てないけど、メールの日付のあたりのレスでモモっていう名前の人が画
像を見せてたみたい」

「まあ、画像はすぐに削除されるからね。でも、これで二見さんが誰にでも身体を見せる
ような女であることはわかったわけだ」

 僕は話を進めた。

「で、どう思う? 君はお兄さんの交際には反対しないと言ってたけど、こういう女神が
君のお兄さんの彼女でも許せるのかな」

 麻衣は少しためらった。

「わからないよ・・・・・・でも、少なくともこれじゃ証拠にならないよね。名前があるわけで
もないし」

 ここからは待ったなしの一発勝負だった。優の画像を麻衣に見せなければならない。か
といってVIPや女神のスレがまとめられていなければそれで計画は止まってしまう。

「ちょっと待ってて」

 僕は麻衣に言って、優のコテトリで検索を開始した。検索結果の上位は2ちゃんねるの
ものだったけど、少しスクロールするとURLが2ちゃんねるのものではないサイトがヒ
ットしていた。僕はざっと検索結果を眺めた。

「・・・・・・何してるの?」

 麻衣が不安そうに聞いた。

「うん、ちょっと。あ、ヒットした」

「何?」

「えーとミント速報だって」

 ミント速報は2ちゃんねるのエロ系のスレをまとめている大手まとめサイトの一つだ。
計画どおりだった。スレがまとめられているなら多分ここだろうと思っていた。

 そこで僕は少しためらった。ここはアダルトサイトだった。この間まで中学生だった麻
衣にこんなサイトを見せていいのだろうか。そこは割り切ったつもりだった僕だけど、実
際にミント速報の過去ログを開こうとする段になって急に僕は怖気づいたのだった。そ
もそも僕は童貞な上に女性に対して免疫がない。そんな僕が麻衣と肩を並べて裸だらけのミ
ント速報を見る勇気はなかったのだった。こんなことを危惧している間も、麻衣は興味
津々な様子で僕が画像を表示するのを待っている様子だった。

「何よそれ」

 ミント速報自体がぴんとこないであろう麻衣が質問した。


「まとめサイトみたいだね。それも結構エッチな」

 僕は顔を赤くして言った。みたいだねではない。僕は実はこのまとめサイトのことは以
前から知っていたのだ。

「・・・・・・何でそんなもの見る必要があるの」

 麻衣が不思議そうに聞いた。僕は腹をくくった。もともと僕と麻衣をこんなエロいシチ
ュエーションに導いたのは、僕のせいではない。全ては優のアブノーマルな嗜好から始っ
たことなのだ。とにかく優の画像が残っているログを探そう。

「ちょっと黙ってて・・・・・・」

 検索結果のURLLをクリックするだけではお目当てのログにダイレクトに辿りつけな
いのがこの手のサイトの特徴だった。目的を達するまでにはいくつものアンテナサイトを
の画面を経由させられる。僕は集中して目当てのログを追い求めた。

 しばらくして僕はようやくそこに辿りついた。

「あ、これだ。タイトルはミント速報の管理人が勝手に扇情的なやつをつけてるけど、さ
っきの貧乳どうこうというスレの、二見さんが女神行為をしていたところのログだよ」」

 僕は麻衣に言った。

『今春入学したばかりの処女のJD1が大胆な姿を露出!!』

「ほら画像が残ってる。さっきのスレッドをまとめてあるんだね」

 僕はもう麻衣のことを考慮することなく一枚目の画像を彼女に示した。クリックするま
でもなく該当レスの部分に最初から画像は表示されていた。

 一枚目は、優の上半身裸身の写真。左手で胸の部分を隠している。目の上に線を重ねて
いるけど、その表情は優のものに間違いなかった。

 二枚目は、鏡に写した優自身を撮影したもので、優はスカートを脱いで床に座りこんで
足をMの形に開いている。開いた足の中心部にはブルーで無地のパンツがくっきりと写っ
ていた。

 三枚目は、姿見に正面から自分を映した全身の画像で、その体にはブルーのパンツ以外
何も身に纏っておらず胸だけは左手で隠している。

 その時は麻衣と二人で同じ学校の女子のヌードを見ているという異常な状況だったのだ
けど、僕はまず自分の元カノのはずだった優のヌードに得体の知れない怒りを感じた。冷
静に駒を進めなければいけないこの時、その怒りは僕の理性を裏切っている状態だった。
心配していたような欲情している感じはない。むしろ、自分の中学時代を全て否定された
ような怒りと悲しみが僕を襲った。

 その状態のまま優へのどす黒い感情に身を任せ混乱していた僕に、麻衣が泣きそうな声
で話かけた。

「これって・・・・・・」

 おどおどした様子で麻衣は優のヌード画像から目を背けた。僕は気を取り直して優に答
えた。今は優に対して怒りを感じたりしている場合ではない。

「目は隠してあるけど・・・・・・顔つきや体格からいってどう考えても二見さんだな、これ」

「・・・・・・なんで。一体何であの人、こんなことを」

「さあ? それはわからないけどさ。少なくとも池山君にふさわしい女じゃないよね」

 僕はさりげなく麻衣に言った。麻衣は少しためらっていたけど、結局僕の方を見て頷い
た。

「・・・・・・うん」

 ここまでは作戦通りだった。自分が途中で思わず動揺してしまったことは想定外だった
けど、何とかリカバリーすることはできたようだ。

「もう少し画像を探そうか。これだけ無防備ならいくらでも出てきそうだね。バカな女」
 優をバカと言い放った時の僕の言葉は心から真実だった。・・・・・・バカな女。僕と付き合
っていればこんな娼婦まがいのことをして、承認欲求を満たす必要もなく、成績のいいク
ラスでも評判のいい女の子でいられたのに。これは優の自業自得以外の何物でもなかった。

「・・・・・・バカって」

 麻衣は、生徒会長の僕は人を非難することを言わないと思い込んでいたのだろう。その
僕の暴言に驚いて彼女はそう言った。

「だって、バカじゃん。つうか情弱っていうのかな」

 僕はもう優に同情するつもりはなかったから、僕の言葉はさぞかし冷たく聞こえただろ
う。


 その後も僕はミント速報を検索し続けた。あのVIPのスレは結局まとめられてはいな
いようで画像も発見できなかったけど、優がこれまで女神板で繰り返していた女神行為の
画像はかなりの数を回収することができた。僕も麻衣もその頃にはこの異常なシチュエー
ションに頭が慣れてきてしまったので、一々優のセミヌードを見るたびに動揺することは
なくなっていた。そうして検索していって最後にヒットしたスレは。

『【緊縛】縛られた女神様が無防備な裸身を晒してくれるスレ【被虐】』

 元スレのタイトルはこれだった。モモのコテトリのレスに張られた画像を一目見て麻衣
は顔を背けて泣き出した。

 一枚目は、優が床に座り込んでいる画像だけど、後ろ手に縛られてカメラの方を怯えた
ような表情で見ている彼女が映し出されていた。

 二枚目は、一枚目とポーズは全く一緒だけど、優はブレザーを脱いでいてブラウスの前
ボタンは全部外されているので肌が露出していた。スカートもめくられていて白く細い太
腿があらわになっている。線が入って目を隠しているけどやはり優は怯えたような表情を
している。

 三枚目は、二枚目とポーズは一緒だけど、優はブラウスを脱いで上半身はブラしか着用
していなかった。スカートは完全に捲くられてパンツが見えている。

 その怯えたような優の表情は、まるで彼女が拉致されて無理やり犯される寸前のように
見えた。今までのあっけからんとしたヌードと異なりこの画像の優はまるでAV女優のよ
うに拉致されて犯される少女の演技をしていたようだった。

 収まっていた優への怒りが僕の中で再び沸き起こってくるのを感じたその時、麻衣が顔
を上げて優の画像を厳しい視線で見つめた。

「どうしたの」

 僕は自分の感情を抑えて麻衣に声をかけた。高校一年生には見るに耐えない画像だった
ろう。ショックも受けているはずだった。さすがに今日一日でやりすぎたかと思った僕が
麻衣をケアしようと話し出した時。

「二見さん・・・・・・殺してやりたい」

 麻衣は低い声でそれだけ言って再び泣き出した。

 僕が麻衣の肩を抱いてそっと引き寄せると、彼女は逆らわずに僕の胸に顔を押し当てて
泣きじゃくった。



 しばらくして泣き止んだ麻衣は僕の腕の中から身体を離して、うつむき加減に泣き濡れ
た瞳をハンカチで拭いた。

「ごめん先輩・・・・・・ありがと」

「・・・・・・うん」

 焦らす気ではなかったけど、この後どうするかについては僕の方から切り出すつもりは
なかったから、僕は麻衣が落ち着くのをじっと待っていた。麻衣が僕から身体を離したせ
いで中途半端に置き去りにされた自分の腕を僕はモバイルノートの方に戻して、そっとミ
ント速報の優の裸身が表示され続けていた画面を閉じた。屋上には人気はないようだった
けど用心するに越したことはない。

 そのまま麻衣が話しだすのを待っていたけれども、彼女はうつむいたまま黙ってしまっ
ていた。そのまましばらく沈黙が続いた。これからしようとしていることはある意味人の
人生を左右することになるのだから、それを切り出すのは麻衣の方からでなければならな
かった。僕の方からそれを積極的に切り出すわけにはいかない。

 それでも沈黙が続くと僕は少し焦り始めた。麻衣だってもう何をすればいいかは理解で
きているはずだ。どうすればいいかはわからなにしても、そうするという意思さえはっき
りと口に出してくれれば方法論は僕が考えてあげることができる。そもそも麻衣だってそ
れを期待して僕に近づいたのだろうから。

 だけど、麻衣は何も喋り出そうとしない。彼女もこの先に取るべき手段について僕の方
から切り出されるのを待っているのだろうか。そうすることによって僕を共犯にし、結果
に対する責任を僕と共有することによって自分の罪悪感を薄めようとしているのだろうか。


 そんなことはないだろう。僕は時分の考えを否定した。優の卑猥な緊縛画像を見てショ
ックを受けている麻衣にはそんな回りくどいことを考える余裕があるとは思えなかった。

 僕はためらった。これから開始するかもしれないゲームは優の人生を変えてしまうかも
しれない。仮にその実行犯が僕であるならその結果責任は取らざるを得ないのだけど、少
なくとも自分の動機だけはみっともなくないものにしておきたかった。優の心変わりへの
復讐心、あるいは優と池山君の仲への嫉妬心が行為の動機だったら、それではあまりにも
僕が惨め過ぎる。たとえ誰かにばれなかったとしてもそれでは自分のメンタルがもたいな
いだろう。

 そう考えて僕は麻衣の方から話を切り出すのを待ったのだけど、相変わらず麻衣はうつ
むいて沈黙したままだった。事を始めてからはかなり僕も精神面に打撃を受けるであろう
ことは最初から覚悟していたけれど、始まる前から麻衣相手に神経戦になることまでは全
く予想していなかった。

 このままだとせっかく勝ち取った麻衣の信頼までが揺らぎだしそうだった。

 ・・・・・・仕方ない。少なくとも話のきっかけくらいは僕の方から切り出そう。クライアン
トが黙りこくって行きどまってしまった時、こちらから方向性をアドバイスすることはよ
くあることだった。それだけのことだ。僕は無理に自分を納得させた。決して麻衣の術中
に陥ったというわけではない。麻衣には今や僕しか頼る相手はいないのだし。

「二見さんの画像を見たわけだけど」

 僕は観念して自分の方から麻衣に話を振った。

「殺してやりたいとか穏やかじゃないことまで言ってたけど、お兄さんの彼女として二見
さんは許せそう?」

 許せるわけがないから麻衣も黙っているのだろうけど、とりあえず僕はそう聞いてみた。

「許せるわけないよ。あんな・・・・・・あんな姿を堂々と不特定多数の人たちに喜んで見せて
いるような女なんて。お兄ちゃんの彼女じゃないとしたって理解できない」

 うつむいたままでようやく麻衣は声を出してくれた。小さな声だったけど彼女の考えは
ストレートに僕に響いた。

「じゃあ、君はこれからどうしたい?」

「どうしたいって・・・・・・」

「つまり、二見さん女神行為を止めさせたいの?」

「え?」

「え、じゃないよ。君は何をしたいの? 僕は君のことが好きだから君がしたいと思うこ
となら手伝うけど、それにはまず君が何をしたいのかをはっきりさせてくれないとね」

 僕はやむなくききっかけは作ってあげたけど、それでも本当に肝心な部分は麻衣妹に言
わせたかった。

「君はどうしたい? 繰り返すけど二見さんに女神行為を止めさせたい?」

 それでも麻衣は黙っていた。僕は話を続けた。

「彼女が女神行為を止めれば池山君との仲は許せるの? それとも二見さんが女神行為を
するなんてことはどうでもいいけど、そういう女が池山君の彼女になることは許せな
い?」

「うん。二見さんはお兄ちゃんにはふさわしくない。お兄ちゃんが好きな子と付き合うこ
とにはもう反対はしないけど、家族として考えたら二見さんなんか論外だよ」

 麻衣はようやく顔を上げてはっきりと言った。

「今さら二見さんが女神じゃなくなったって無理。パパとママだって・・・・・・お姉ちゃんだ
って、この画像を見たら同じことを言うと思う」

「じゃあ、話は簡単だね」

 僕は麻衣ににっこりと笑いかけた。

「二見さんと池山君を付き合わないようにさせればいいんだね」

「う、うん」

 麻衣は戸惑ったように答えた。

「でもそんなことどうすればできるの?」


「難しいだろうね。僕が池山君の前に突然現れて、女神行為をするようなビッチは君には
ふさわしくないよ。妹さんも心配してるよ、なんて言っても池山君は聞き入れないだろう
し」

「先輩、あたしのことからかってるの?」

「違うよ。でも池山君は二見さんの画像を全部見ているし彼女の女神行為のことは全部承
知のうえで彼女に惹かれてるんでしょ」

「・・・・・・そうかも」

「だったら、正攻法で行っても池山君が二見さんのことを嫌いにさせるのは無理じゃん
か」

「・・・・・・じゃ、諦めるしかないの?」

「そうは言っていない。池山君と二見さんが付き合わないようにする、あるいはもう付き
合っているんだったら別れさせることは可能だよ」

「どうするの?」

 麻衣は細い声で言った。

 本当に気がついていないのだろうか。それともわざと僕の口から提案させようとしてい
るのだろうか。僕は迷った。僕は自分が当初想定していたシナリオから逸脱し、いつのま
にか僕の方から積極的に作戦を提案するような立場に追い込まれていた。

 ここに至って再び躊躇したけれど、結局麻衣への執着心が僕の理性を制圧してしまった。
麻衣は僕の第一印象よりは清純な女の子ではないかもしれないけど、優とは違って複雑な
思考の結果、僕を利用としようとするような子ではないに決まっている。盲目的な麻衣へ
の執着が僕の心の中の小さな葛藤に勝利したようだった。僕はその手段を麻衣に話し出し
た。

「言っておくけど、これをやれば池山君と二見さんは別れるだろうけど、そのかわり二見
さんには相当ダメージがあるし、池山君だってそれなりに傷付くと思うよ」

「・・・・・・いったい何をする気なの?」

 麻衣は完全にことが僕主導で運ぶものだと思い込んでいるような口調で言った。でも麻
衣に執着していた僕は心の中の麻衣の言動への疑問は押さえつけてしまっていたから、僕
はその続きを話すことにしたのだった。

「何をって、簡単なことだよ。二見さんの女神行為を先生にばらせばいいんだよ。ミント
速報のURLを担任に送付するだけじゃん」

 そのことが意味することは麻衣にも理解出来たろう。それはある意味、優の人生を少な
くとも優の高校生活を破壊することに繋がる行為なのだった。

 麻衣は黙り込んだ。ここまで深入りしてしまった僕だけど、麻衣のゴーサインがはっき
りと示されなければこれを実行するつもりはなかった。今度は僕も妥協する気はなかった。
麻衣が何か話出すまではもう自分も黙っているつもりだった。

 屋上から見下ろす町の建物からは灯りがあちこちに点き出していた。空も薄暗くなって
きていて、完全下校時刻ももうすぐだった。これで麻衣が決断しないなら今日はここまで
にしよう。

 下校時間のアナウンスが流れだした。僕は麻衣の方を見ないで立ち上がった。

「今日はもう帰ろう。校門も閉まっちゃうし」

 僕はそう言ってモバイルノートをカバンにしまおうとしたとき、麻衣が立ち上がって僕
の方を見つめたた。

「あたしが頼めば、先輩は協力してくれるの?」

 ようやく麻衣がそう言った。協力してくれるのと。そう、これはやるとしたら麻衣のた
めに僕がすることではない。麻衣のために僕が協力して、麻衣自身がこれをやるのだ。

「君に協力するよ。二見さんにはひどい仕打ちになるだろうけど、僕は君のことが好きだ
から」

 麻衣は僕の手を握った。

「先輩、あたしに力を貸して。あたし決めた。二見さんがどうなってもいいから、二見さ
んからお兄ちゃんを引き剥がしたい」

 僕は僕の手に重ねられた麻衣の小さな手を握り締めた。それはすごく冷たい感触だった。

「じゃあ、明日から始めようか」

 麻衣は小さく頷いた。


今回は以上です
また投下します


 その日、僕はもう日が落ちて薄暗い通りを駅まで麻衣と一緒に帰った。彼女はもう何も
言わなかったけど、校舎から出ると黙って僕の手を握った。完全下校時間になっていたの
で、周囲には先生に注意される前に校門を出ようと下校を急ぐ部活帰りの生徒たちで溢れ
ていたし、校門の前には急いで生徒たちを校内から追い出そうとしている先生の姿もあっ
たけど、麻衣はやはり何も言わずに僕の手を握ったままだった。

 昨日に引き続き僕と麻衣が寄り添って薄暗い道を歩いている姿は、きっと下校中の生徒
たちに目撃されていたはずだった。こんなことを繰り返していればそのうち僕と麻衣の仲
が噂になるのは時間の問題だったろう。そういう可能性に気がついていないのか、あるい
は気づいていてもどうで もいいのか、麻衣は周囲を気にする様子もなく自然に僕の手を
握ったまま、ゆっくりと駅の方に歩いていった。どちらかというと僕の方が周りの視線を
気にして挙動不審になっていたから、他人から見たら二人の様子は寄り添うというより、
麻衣に手を引かれた僕が後ろからついて行っているように見えたかもしれない。

 麻衣にとってはこれは恋ではない。僕は好奇心に溢れてた周囲の視線に戸惑いながらも、
恥かしい勘違いをしないよう自分に言い聞かせた。麻衣と親密になることが今の僕の目標
だけれども、それはこんなに簡単に成就するものではないはずだった。今の麻衣には僕の
ほかに相談する相手がいないし、僕には傾聴スキルがあったから麻衣にとって僕は唯一の
相談相手、それも信頼できる相談し甲斐のある唯一の相手だった。もともと年上の相手に
自然に甘えることができる麻衣なのだから、信頼している相手に手を預けるくらいで彼女
の恋愛感情を推し量ることはできない。

 それに、今の僕は中学時代よりももっと自分に対して自信を持てなかった。手を繋いで
一緒に帰るというだけなら、優とだって同じことをしていた。そればかりか一度だけ、優
は僕に向かって直接僕のことを好きと言ってくれたことさえあったのだ。でも結局、優が
僕のことを好きだということは僕の勝手な思い込みに過ぎなかった。そう考えると麻衣が
頬にキスしてくれたり手を握ってくれる行為自体を過大評価してはいけない。

 有体に言えば麻衣にとって、僕は臨時のお兄ちゃんになったに過ぎないのではないか。
僕はそう考えた。麻衣がこれからしようとしていることは、池山君を優から引き離すとい
うということだから、麻衣はこれまでのように池山君を頼るわけには行かない。それに対
して、僕は麻衣の意向を全人格的に尊重する態度をしつこいくらいに示してきた。そのこ
とに安心した麻衣は、彼女の心の中で僕を臨時のお兄ちゃんに任命したのではないだろう
か。

 そう考えると僕には、下級生の少女と手を繋いで暗い帰り道を一緒に歩いているこの甘
い状況に、感傷的に浸りきる贅沢は許されていなかった。明日からはもっといろいろと仕
掛けないといけない。そのためには麻衣を傾聴者である僕にもっと依存させていかなけれ
ばならない。そのための布石は打ったし結果も今のところ予想以上だった。でもここで満
足してしまっても何にも意味はない。この先に打つ手はだいたい思い浮んでいたのだけれ
ど、もう少し体系的に整理しておいた方がいい。

 ・・・・・・ただそれは麻衣と別れて自宅に戻ってからでもいいだろう。僕は少しだけ自分を
甘やかした。この状況に浮かれさえしなければ、少しだけ、ほんの少しだけこの恋人同士
のデートのようなシチュエーションに浸ってもいいかもしれない。それが僕の勘違いであ
るにしても。麻衣に手を握られながら、そんな考えをごちゃごちゃと頭の中で思い浮かべ
ていた僕は、ふいに彼女に話しかけられた。

「先輩、さっきから何を考えているの」

 麻衣が僕の方を見上げながら不思議そうに言った。彼女もこの頃には自分の考えが整理
できたようで、さっきまでの泣きそうな表情は見当たらなかった。その不意打ちに僕は少
しうろたえた。僕はとても彼女に告白できないようなことを考えていたのだから。

「いや・・・・・・別に」

 僕は我ながら要領を得ない答えを口にした。でも彼女にはそれ以上僕を追求する気はな
いようだった。

「そう・・・・・・先輩?」

「うん」

「先輩って最近あたしに構ってくれてるけど、学園祭前なのに生徒会とかは顔を出さなく
ていいの?」

「ああ。それは大丈夫」

 麻衣の件がなかったとしても、そもそも生徒会にはい辛いのだけど、それは麻衣に言う
話ではなかった。

「副会長とか遠山さんとか、みんなしかっりしているから。僕なんかがいなくても大丈夫
だよ」

 どういうわけか麻衣は僕の答えを聞くと黙ってしまったけど、次の瞬間僕の手は彼女の
冷たい小さな手によって今までより強く握りしめられたのだった。

「先輩、本当にありがとう」

 麻衣は僕の手を離して少しだけ僕の方を見てから、ちょうどホームに入ってきた電車に
間に合うよう急いで改札の方に吸い込まれて行った。電車に乗る前に一瞬僕の方を見て手
を振った彼女は、気のせいか少しだけ僕と別れることを名残惜しそうに思っているかのよ
うに見えた。


 自宅に戻った僕は、自分を捉えて離さない甘い感傷や将来へのはかない希望のような僕
の心を乱す要素を自分の心の中から排除して、なるべく冷静に今後取るべき手段を考え始
めた。

 僕たちの目標は、女神行為を繰り返している女から池山君を引き剥がすということだっ
た。それに対してとりあえず採用できる最初の行動は、優の女神行為を画像付きで学校側
に通報するということだ。それを実行したら、学校側は優に対して女神行為を止めて自分
の行動を反省するように指導するかもしれないし、場合によっては優に停学処分くらいは
言い渡すかもしれない。でも、それによって池山君と優が確実に疎遠になることは期待で
きなかった。屋上で麻衣に話したように、池山君は既に優の女神行為を知っている。そし
て麻衣の言うように池山君が優のことが好きなのだとしたら、それは優の女神行為を承知
のうえで彼女に惹かれていることになる。そう考えると優の女神行為が学校側に知られた
だけでは、麻衣の望んでいる結果は出ないだろう。

 次の行動を考えると、もはや選択肢はあまり多くなかった。こうなると池山君と優を別
れさせるには物理的に二人を隔離するしか方法はない。普通ならそんなことを仕掛けるこ
となんて不可能だ。まして彼らの知らないところで麻衣と僕がそんなことをできるわけが
なかった。ただ、一つだけ方法があった。それにはやはり優の女神行為を利用する方法
だった。

 普通なら許されることではない。それは人の人生を変えてしまってもいいというくらい
の覚悟がなければできないことだった。それを実行するかどうかは別として、その考えが
理論的に成立するかどうかだけ検証しておこう。僕はこれ以上考えたくないとしり込みす
る自分に鞭打ってシミュレーションを始めた。

 まず女の女神行為を校内に広く知らせること。これは、パソ部の副部長が管理運営して
いる学校裏サイトを使えば造作もない。それだけで、普通の神経なら優は不登校になるは
ずだった。さらに2ちゃんねるで優の身バレスレを立てれば、優の実名が全国に晒される
ことになる。これがうまくネット上で広まれば、優は学校に来れなくなるばかりではなく社会
的にも抹殺されることになる。

 僕はその状態を想像してみた。検索サイトで優の実名を入力すると、優の恥知らずな女
神行為が画像付きでヒットするのだ。まとめサイトのようなのもできるかもしれない。つ
まり、優の将来の進学や入社の際、試験官や採用担当者が数分だけ時間と手間を費やして
ネットで検索するだけで優の将来は閉ざされることになる。そしてここまでいけば優は姿
を隠さざるを得ないから、池山君とはもう接触することすらできなくなるだろう。

 普通は知り合いに対してここまでできるものではない。僕だって優には恨みはあったけ
どここまでするつもりはなかった。ただ、麻衣がそれでもそれを望んだとしたら僕はそれ
を断れるだろうか。

 ・・・・・・とりあえずシミュレーションはここまでだった。もう少しひどい状況を考えるこ
ともできたのだけど、そういうことを生徒会長の僕が考えているというだけでもストレス
を感じていたから、僕はもうこのあたり脳内シミュレーションを止めることにした。あと
は明日、麻衣と話し合ってどこまでするかを考えよう。

 これから勉強をする気力なんてとても残されていなかった。僕は今日も勉強を放置して
眠ることにした。そうすると、浅い眠りの夢の中に再び僕にキスし僕の手を握る麻衣の可
愛らしい姿の甘美な記憶が現れてきたのだった。



 翌日、僕は学校に向かう坂道を歩きながら昨日の夜考えていたことを思い返していた。
昨夜は自分では冷静に考えていたつもりだったけど、朝の明るい陽射しの中で自分が今後
行うかもしれないことを改めて冷静に考えると、僕は次第に怖くなってきた。麻衣と仲良
くなれたのは僕にとっ て望外の喜びだったけれど、この後麻衣が実際に僕に行動を求め、
僕がその要求に応じた後に僕を待っていることは何なのだろう。

 麻衣との要求を満たせたとしても、それで麻衣と恋人同士になれる保障なんて何もない。
むしろ、せっかく池山君から卒業しようとしている麻衣はこれまでのように彼に依存する
状態に戻ってしまうかもしれない。そこまでは今までも僕が繰り返して考えていたことだ
った。そして、万一僕たちが仕 掛けるかもしれないこの作戦が外に漏れたとしても、ネ
ット上で自分の裸身を餌に自らの承認欲求を満たすなんていうはかなくも愚かな行為を繰
り返して、そうなる原因を作ったのは優だった。匿名の掲示板上で責められるのは優だけ
だろう。僕はこれまでそう考えていたのだった。

 ただ、朝になって今改めて冷静に考えると、これからするかもしれない行為は実は自分
にとって結構危険な行為であることに今初めて僕は思い至ったのだった。

 優の実名を晒して女を追い詰めるということ。それは匿名の名無しのレスによって生じ
たことなら、その発端を作ったレスを誰がしたかはあまり問題にはされないだろう。

 でも、万一そのレスにより優が身バレする原因を作った人間が特定されたらどうだろう。
移ろいやすいネット上の無責任な批判は、優を身バレさせた僕にも向かうことになるかも
しれない。そうなれば、ある意味では優と同じく僕の将来もそこで終ることになるかもし
れなかった。

 真面目な生徒会長が、同じ学校の後輩の秘密をネット上で大々的に暴く。そのこと自体
にもスキャンダルな要素があるし、その原因まで追究されていくと僕と優の中学時代の付
き合いまで晒されるかも知れない。

 僕がしようとしていることは、それくらい僕自身にとってもリスクの高いことだという
ことに僕はその朝初めて気がついたのだった。


 麻衣が示してくれた好意に有頂天になっていた僕は、麻衣を助けている自分自身に生じ
るかもしれないリスクについてはこれまであまり考えてこなかった。でも一度それに気が
つくと、今まで冷静に優を破滅させる手段について考察していた自分が、いかに考えが甘
かったか理解できるようになった。これまで麻衣の甘い好意の片鱗に夢中になっていただ
けだった僕は、自分に生じるかもしれないリスクに初めて戦慄とした。

 僕は、優と池山君を別れさせることに協力すると麻衣に約束してしまっている。麻衣が
求めれば、それがどんなに危険な道であっても僕にはもう断れないだろう。せめて、その
手段が優に与えるダメージの大きさに麻衣がためらって、そこまでするのは止めようよと
言ってくれるのを期待するしかなかった。

 その時、突然僕は誰かに頭を叩かれた。

「こら。あんた何で昨日話の途中で生徒会室から逃げ出したのよ」

 暗い考えから我に帰ると、副会長が僕を睨んでいた。

「あの後、遠山さんが落ち込んで大変だったんだよ」

「悪い。部活があったから」

 僕はもう何度目になるかわからないその言い訳をもごもごと口にした。

「本当に情けないなあ、あんたは。別に身近な生徒会の役員の子に告るのは自由だけど、
告られた遠山さんに生徒会をやめるとか言わせるなよ」

「僕はそんなつもりは」

「じゃあ何で生徒会室に来ないのよ。何で遠山さんをあからさまに避けて彼女に気を遣わ
せてるの? あんた彼女が好きなんでしょ。振られたとしても彼女の気持ちを考えてあげ
なさいよ、先輩なのに情けない」

 副会長も相当僕に言いたいことが溜まっているようだった。確かに無理もない。こいつ
は僕の代わりに学園祭の実行委員会を仕切ったり、僕を振って傷つけたと思い込んで落ち
込んでいる遠山さんを宥めたりさせられていたのだろうから。

 自分の悩みで精一杯だった僕も、その時は副会長に申し訳ない気持ちがあった。今の僕
は自分の義務を放棄して麻衣のことしか考えずに行動していたのだから。

「君には悪いと思っているけど・・・・・・」

 そうして僕が副会長に謝ろうとしたその時、僕の片腕は誰かに抱きつかれ急に重くなっ
た。僕はいきなり抱きついてきた麻衣に気がつき言葉を中断した。そして、僕を更に責め
たてようと意気込んでいたらしい副会長も驚いたように黙ってしまった。

「先輩は何も悪くないです」

 麻衣は僕の左腕に自分の両手を絡ませながら、おそらく面識もないであろう副会長を睨
んでそう言った。

「あんたは」

 副会長が言った。面識はないかもしれないけど、校内の男女関係の噂が好きな彼女は麻
衣のことは知っていたようだった。

「たしか、遠山さんの知り合いの池山さんだっけ」

 麻衣はそれには答えなかった。

「先輩は悪くないです。あたしがパソ部に入部して、それで何もわからないでいることを
心配してくれて面倒見てくれてるだけで」

「・・・・・・」

 副会長はとりあえず僕への悪口を中断し、むしろ当惑したように僕の方を見た。副会長
には、僕の腕に抱き付きながら自分を睨んでいる麻衣の姿はどう映っているのだろう。

「あんたさ・・・・・・」

 副会長はとりえず麻衣を相手にせず僕に向かって吐き捨てるように言った。

「やっぱり女を乗り換えてたのか。遠山さんに振られたからって、すぐに下級生に言い寄
るとか最低だね。しかも遠山さんの親しい相手の子にさ」


 僕はそれに対して何も言い訳できなかった。本当は遠山さんなんて好きじゃなかった。
優と池山君の関係を知りたいために、僕は遠山さんに告白する演技をしたのだ。でもそれ
を告白すれば僕はもっと最低の人間として認識されてしまう。そして、どんなに否定しよ
うが僕が麻衣に惹かれてしまったことも事実なのだった。

 僕はその時はもう、硬直していて何も言い訳できる状態ではなかった。麻衣にまで僕が
遠山さんに告白したことを知られてしまった。僕は、僕の腕に抱き付いている麻衣がこの
時どんな表情をしていたのか確認する勇気すらなかった。

「言い訳もなし? あんたいっそもう生徒会長やめたら?」

 副会長は妙に落ち着いた声で僕に言った。こいつがこういう声を出すときは本当に怒っ
ている時なのだ。これまでの生徒会での付き合いで僕はそのことを知っていた。

 どちらにしても、もう僕には副会長に言い訳できなかった。生徒会長であることとパソ
コン部の部長であることだけが、中学時代と違って無冠では全く人気のない僕の唯一の拠
りどころだったのに、それさえ僕は失おうとしていたのだった。

 その時、僕の腕に抱きついていた妹はそのままの姿勢で副会長に言った。

「浅井先輩って、もしかして石井先輩のことが好きなんですか」

 麻衣のその言葉にその場が一瞬で凍りついた。

「あ、あんた、何言って」

 僕は副会長がここまで狼狽した姿を見るのは初めてだったかもしれない。彼女の表情は
蒼白になり、そしてすぐに紅潮した表情でになった。麻衣は副会長の名前を知っていたよ
うだった。

 僕は、この時初めて僕の腕にくっついている麻衣を見た。まだこの間まで中学生だった
幼い外見を残した彼女は、一年生にとっては自分よりはるかに大人に思えるだろう副会長
を前にして、少しも臆した様子がなかった。そして、麻衣は僕の方など振り向きもせず真
っ直ぐに三年生の副会長を見つめていた。

「あたしに嫉妬してるんですか? だったらお姉ちゃんのことを心配してるような振りを
するのはやめて、石井先輩に『あたしとこの子とどっちか好きなの?』ってはっきり聞け
ばいいんじゃないですか」

 副会長も今や紅潮した顔のままで麻衣を睨んでいた。僕はいたたまれない気持ちを持て
余して、結局黙って下を向いてなるべく早くこの修羅場が終ることだけを心の中で祈って
いた。それに校門の前に近いこともあり、みっともない三人の男女の様子はすでに相当の
生徒たちの視線を集めているようだった。

「あと、浅井先輩は勘違いしてますよ」

 妹は平然と続けた。

「先輩はお姉ちゃんに振られたからあたしに乗り換えたわけじゃないですよ」


 いったいこの子は何を言おうとしているのだろう。そして何が目的で僕をかばっている
のだろう。僕は混乱していた。

「先輩があたしのことを好きだとしても、それはお姉ちゃんとは関係ない先輩の純粋な気
持ちでしょ。そのことを非難する資格が浅井先輩にあるんですか」

「・・・・・・あんたさあ。調子に乗ってるんじゃないわよ、ブラコンの癖に」

 追い詰められた副会長はついにそれを口にした。でも、苦し紛れの反撃は相応に効果が
あったようで、麻衣はそれを聞いてこれまでの元気を失ったようにうつむいてしまった。

「・・・・・・それこそ、君には関係ないよな」

 僕は思わず麻衣をかばって口走った。

「僕のことを責めるのはいいけど、それは麻衣のプライバシーの侵害だろ? ブラコンと
かって全然今までの話と関係ないじゃないか」

「この子のこと、もう麻衣って呼んでいるんだ」

 一瞬まずかったかと思ったその時、僕は自分の腕に抱きついていた麻衣の手が更に力を
込めて僕にしがみつくようにしたのを感じた。視線を麻衣の方に逸らすと、今まで気丈に
振る舞っていた彼女は僕の方を潤んだ目で見つめていた。

 麻衣が僕の援護に元気づけられたのかどうかはわからない。でも、ブラコンと決め付け
られて一瞬黙りこくってしまった彼女は再び副会長に向かって果敢に反撃した。

「とにかく、石井先輩が生徒会に出ないことと、先輩がお姉ちゃんに振られたこと、それ
に」

 そこで妹はちょっと言いよどんだ。

「・・・・・・それとあたしと先輩の仲がいいことを一緒にしないでください。もし先輩とあた
しが恋人のように見えるとしたら、それは先輩じゃなくてあたしのせいですから」

 それはどういう意味なんだ? 僕は再び混乱した。

「そんなことを言ってると、それこそ浅井先輩があたしに嫉妬してるようにしか見えない
ですよ」

 麻衣は顔を赤くしたけど、きっぱりと最後まで言いたいことを話し続けたのだった。

「もういい。あたしはこれからはあんたのことには関らないから」

 副会長はもう麻衣とは目を合わせず、僕に向かって捨て台詞のような言葉を吐き捨てて
去って行ったのだった。

 その日の昼休み、僕はこれでさっきから何度目かわからなくなっていたけど、朝の出来
事を思い返してそのことの持つ意味を考えていた。朝の校門の前で、どうして麻衣はあそ
こまで僕に肩入れしたのか。副会長と僕のトラブルなんか彼女には全くかかわりのない話
だった。麻衣はきっと、浅井君のことは生徒会副会長として知っていただけで、面識すら
なかったはずだ。副会長が僕が生徒会室に顔を出さないことで責めていた言葉を聞いて、
麻衣は自分に時間を取らせたことに罪悪感を感じたからだろうか。

 でも、それも不自然だ。僕はそう思った。副会長は直接的には僕が部活にかまけている
ことを責めたのではなく、僕が遠山さんを避けようとして生徒会活動に参加しなくなった
ことを責めていたのだ。だから麻衣が副会長の言葉を聞いたとしても、その言葉に彼女が
罪悪感を感じる必要は全くない。

 麻衣が僕のことが好きで、その僕が副会長に責められていることに我慢ができなかった
からか。そう考えたい気持ちは僕の心の底に根深く存在していたけど、冷静に考える癖が
ついている僕にはそう楽天的には考えらなかった。

 麻衣が僕を頼っているのは自分のしようと考えていることを実現するのに僕を必要とし
ているからだ。確かに最近の彼女は僕の手を握ったり、別れ際に頬にキスしたり、腕に抱
きついたりという思わせぶりな行動をしている。でも、それは男として異性として僕を意
識しているわけではなく、臨時のお兄ちゃんとして僕のことを認識しているからだろう。
そして最近よく理解できてきたのだけど麻衣の身びいきはすごく激しかった。麻衣が池山
君や遠山さんに対して捧げる愛情と忠誠は無限大だった。それに比べて周囲の生徒たちへ
の彼女の関心は、中庭の花壇に這っている虫に対する関心とほとんど変わらないくらいだ
った。その虫たちの中には麻衣に対して熱い視線を向けている男子もいたと思うけど、彼
女はそんな視線に気がついたとしてもそれには全くの無関心に近い態度を取っていたよう
だった。

 ついこの間までは僕もその虫たちの一人に過ぎなかった。それが、優と池山君を別れさ
せるという目標を麻衣と共有し出してから、僕も臨時のお兄ちゃんとして彼女の意識の中
では身内扱いされるようになったようだった。

 そう考えると、今朝の麻衣の言動は何となく理解できる気がした。僕のことなんか、男
としては意識していない彼女だけど少なくとも今は、彼女の意識の中では僕は彼女が守る
べき身内のカテゴリーに入ったのだろう。そして僕は最初に妹に協力を持ちかけた時の彼
女のセリフを忘れてはいなかった。

『君のことが異性として気になっている』

 そう言った僕に対して麻衣は真面目な口調で釘を刺したのだった。

『・・・・・・先輩。あたし、今のところ誰かと付き合うとか考えていなくて』

 そうだ。僕は出だしで一度彼女に拒否されているのだ。最近の麻衣の言動に惑うと最後
には彼女を困惑させ自分も傷付くことになる。

 恋人にはなれなくても、麻衣が見知らぬ三年生の先輩に噛み付くほど僕のことをかばっ
てくれただけでも十分じゃないか。少なくとも僕は麻衣にとって地面を這う虫ではなくて、
身内の仲間入りを果たしたのだから。

 ふと気がつくと教室内にはもうあまり生徒たちは残っていないようだった。学食や購買
に行く生徒たちは昼休みのベルと共に教室を出て行ってしまったから、ここに残っている
のは教室の机を寄せ合わせて何人かのグループでお弁当を広げている生徒たちだけだった。
今日は秋晴れのいい陽気だったから、弁当持参の生徒たちも中庭や屋上に行っているのか、
教室に残って食事をしている生徒は数人くらいしかいなかった。


 あまり食欲はないけど午後の授業中にお腹が鳴ったりすると恥かしい。僕は購買で余り
物のパンでも買うことにして席から立ち上がった時、教室のドアから誰かを探しているよ
うに室内を覗き込んでいる下級生の姿に気がついた。

「先輩、まだいてくれてよかった。間に合わないかと思っちゃった」

 麻衣は教室内で食事をしている上級生たちを全く気にせず、僕に向かって大きな声で話
しかけた。

「どうしたの」

 麻衣の方に近寄りながら、僕は周囲の生徒の視線が気になって低めの声で返事した。普
通、学年によって校舎が別れているうちの学校では下級生の生徒が上級生の教室を訪れる
ことは滅多にない。そのうえ麻衣のような少女が僕のような冴えない男を訪ねてきたのだ
から、その姿に教 室内の注目が集まったのも無理はなかった。

「これからお昼でしょ? 一緒に食べない?」

 麻衣は周囲の上級生を気にせず平然とした態度で言った。

「別にいいけど。急にどうしたの」

「急じゃないの。先輩、いつも購買でパン買ってるみたいだから今日は一緒に食べようと
思って先輩のお弁当を作ってきたんだけど」

「え」

 さっきまで期待する理由がないと自分で結論を出したばかりの僕は再び動揺した。女の
子が僕のためにお弁当を作ってくれるなんて生まれて初めての体験だった。

「今朝、先輩に話そうと思ったんだけど浅井先輩に邪魔されて言えなかったよ」

「そうだったの」

 麻衣に恋焦がれている僕としては天に昇っているような幸せな気持になってもよかった
はずなのだけど、やはり僕はどこまでも卑屈にできているのだろう。同級生たちの面白が
っているような表情に僕は萎縮してしまっていた。

 麻衣はそんな僕の手を握った。

「天気がいいから屋上に行きましょ。中庭はさっき見たらもうベンチは空いてなかったし
ね」

 僕は呆けたように麻衣を見つめながら彼女に手を引かれるまま教室を後にした。

 屋上のベンチにも結構人がいたけど、どういうわけか前に麻衣と一緒に座ってモバイル
ノートで女神スレを見た時のベンチが空いていたので、僕たちはそこに腰かけた。麻衣は
持参していた可愛らしい巾着袋を開けてお弁当が入ったタッパーを取り出した。

「先輩、どうぞ。美味しくないかもしれないけど」

 僕は彼女に勧められるままに小さなおにぎりや、ちまちまとした綺麗な色彩のおかずを
食べたのだけど、もちろん味わって食べる余裕なんてその時の僕にはなかった。

「美味しい?」

 麻衣が無邪気に聞いた。

「うん」

 僕はとりあえず頷いた。

「あ、そうだ。先輩に教えてもらいたいんだけど」

 食事中に急に思いついたように麻衣が言った。

「あたしも自分の部屋にパソコンが欲しくて・・・・・・どんなのを買ったらいいと思う?」

「どんなのって」

 突然思ってもいなかった話題を振られて面食らった僕だけど、これは考えるまでもなく
返事できるような質問だった


「正直、ネットを見るだけならどんなのでもいいよ。普通に量販店で売っている安いノー
トとかでも十分でしょ」

「それがよくわかんないから聞いてるのに」

 麻衣はふくれた様子で言った。そしてそんな彼女の表情すらとても可愛らしかった。

「だから部屋でネットするだけならどんな機種だって大丈夫だって。それともうちの部員
たちみたいに何かやりたいことが別にあるの?」

「・・・・・・先輩が教えてくれた女神板とかミント速報とかが見れればいいんだけど」

 やっぱりそこか。

「・・・・・・だったらデザインが可愛いとか値段が安い方がいいとか、ノートかデスクトップ
とか」

 僕は無難に返事した。

「その辺はどうなの」

「ノートで可愛いい方がいいな」

 僕はスマホで何機種かの画像を検索して彼女に見せた。パソ部部長としては腹立たしい
ほど簡単なミッションだった。何しろ、ノートで可愛くてネットに接続できればいいとい
うのだから。

 いくつかのパソコンの画像をチェックしているうちに彼女はある機種が気に入ったらし
かった。

「これすごく薄くていいなあ」

「別に可愛くはないよね。あと、それマックだし」

「これは駄目なの?」

「駄目じゃないよ。でも可愛いというより格好いい方に近いかな。それにAirって大学
生とか社会人とかがよく持ってるんだけどね」

「それでもいい。これ欲しい」

 驚いたことに彼女はその場でそれを購入するよう僕に頼んだ。用意周到なことに彼女は
父親のカードの番号やセキュリティコードをメモに控えてきていた。

「お父さんにお願いしたらこのカードでネットで買っていいって。本当はお兄ちゃんに頼
むように言われたんだけど」

 まあ、今の麻衣と池山君の関係なら気軽にそういうお願いはできないだろう。これでは
本当に僕は臨時のお兄ちゃんだった。

 二十万円以下ならいいらしい。僕はメーカーの直販サイトでそれを注文したのだけれど、
その際、期せずして僕は麻衣の住所をこの入力過程で手に入れた。あとはギフト扱いにし
て麻衣の父親の名前でなく彼女宛てに届くようにした。

「明日には届くみたいだよ」

 僕は彼女に言った。僕は彼女のために必死でパソコンを購入していたのに、彼女自身は
僕が黙ってスマホでオーダーに必要な項目を入力していることに飽きてきたようだった。

「まだ終らないの」

 麻衣は不服そうに言った。「これじゃ、パソコンを注文しているだけでお昼が終っちゃ
うじゃん」

「もう少しだから」

 僕は答えた。こういうわがままを自然に、かつ無邪気に言えるところも僕が彼女に惹か
れた理由の一つなのだろう。

「せっかく先輩とお昼一緒なのに、これじゃあ何も話せないじゃない」

 僕の昼休みを多忙にさせた原因を作った麻衣は無邪気に文句を言った。


 その夜、僕はうちの部の副部長が密かに開設し管理人をしている裏サイトを覗いてみた。
そのサイトはくだらない校内の噂や、どうでもいい悪口で盛り上がっている低レベルの掲
示板だと僕は断定していたから、このサイトを見るのは久しぶりだった。

 とりあえず最近のレスの付近を中心に見て行くと、探していた優と池山君関係のレスが
付いているのを見つけた。

『××学園の生徒集まれ~☆彡』

『2年2組の二見さんって、最近感じよくね?』

『あ~。うちもそう思った。初めは人間嫌いな人なのかなって思ってたんだけど。最近良
く話すけどいい子だよ。成績いいけど偉そうにしないし』

『うちも二見さんから本借りちゃった。つうか今度一緒にカラオケ行くんだ☆』

『つうか二見って可愛いよね。俺、告っちゃおうかな』

『誰よあなた。もしかして2組?』

『違うよ。俺2組じゃねえし。つうか2年ですらねえよ』

『・・・・・・二見って池山と付き合ってるんだよ。知らないの?』

『嘘。マジで!?』

『マジマジ』

『でもさ、池山と広橋って遠山さんを取り合ってたんでしょ? 池山は遠山さんを諦めち
ゃったのかな』

『まあ、夕也が相手じゃ勝ち目は(笑)』

 やはり優と池山君は既に付き合っているらしい。

 予想していたこととはいえ、このことを麻衣が知ったらと思うと僕は気が重かった。優
と池山君の仲が急接近しているであろうことは麻衣だって予想しているだろうけど、実際
にそれが確定的に真実だと知ればやはり彼女は相応に傷付くに違いなかった。そして優の
女神行為にひどく拒否反応を示している麻衣は、次のステップに進むことを僕に要求する
かもしれない。

 今まで僕は優に対して実際には何の手出しもしていなかった。麻衣の相談に乗りつつ麻
衣と親しくなって行っただけだった。でも麻衣が本気で優と池山君を別れさせようと思い
詰めたら、僕はその手段を提供せざるを得なくなるだろう。それが優の人生を変えてしま
うほどひどいことであっても、ここまで麻衣に惚れ深入りしてしまっている僕には麻衣の
要求を断ることはできないだろう。

 翌朝、僕は登校中に麻衣と出会わないかと期待したのだけど、彼女の姿は見当たらなか
った。そしてこれは幸いなことに僕は副会長にも遭遇することなく教室に辿り着いたのだ
った。

 昼休みになって今日は学食か購買かどっちにしようかと迷いながら教室を出たところで、
僕は教室の前で所在なげに佇んでいる麻衣に気がついた。昨日の裏サイトのレスを思い出
して気が重くなった僕は、無理に笑顔を装って麻衣に声をかけた。

「やあ。もしかして今日もお弁当を作ってきてくれたの」

 麻衣は俯いたまま黙っていた。僕は慌てて言葉を続けた。

「ごめん・・・・・・冗談だよ。何か用事があった?」

 麻衣は黙ったままだった。今にも泣きそうな彼女の表情が僕の目に入った。

 僕は何か自分にもよくわからない衝動に駆られて麻衣の肩を抱き寄せた。後になって考
えてみると、ヘタレの僕が同級生たちに好奇の視線に囲まれている状況でこんな思い切っ
た行動を取ったことは自分でも信じられなかったけど、その時は目の前で震えている小さ
な姿の少女を泣かせてはいけない、誰かが守ってあげなければいけないという思いだけが
僕をやみくもに突き動かしていたのだった。


 典型的なリア充の麻衣を守ってあげるのは普通なら僕なんかに割り振られる役目ではな
かった。でも、優と池山君や遠山さんと広橋君の複雑な愛憎関係に巻き込まれている麻衣
は多分、今ではこんな情けない僕しか頼る相手がいなかったのだ。

「屋上でいい?」

 僕は周囲の好奇心に満ちた視線を自然に無視して、黙って抱き寄せられている麻衣に話
しかけた。麻衣は何も反応してくれなかったけど、僕は彼女を引き摺るように屋上に向か
う階段を上り始めた。

 僕たちは黙って屋上のベンチに座っていた。僕は相変わらず麻衣の肩に手を廻して彼女
を抱き寄せていた。麻衣は別に抵抗する素振りを見せるでもなく俯いているままだった。

 そのまま数分が過ぎた頃、麻衣はようやく顔を上げて言った。

「ごめんなさい、先輩。せっかくの昼休みなのに心配させちゃって」

「いいよ。僕のことなんて気にしなくてもいいから」

 僕は彼女の肩に廻した手に心もち力を込めた。麻衣はそれに逆らわず素直に僕の方に身
を寄せた。

「今朝ね」

 ようやく麻衣が消え入りそうな声でぽつんと話し始めた。

「お兄ちゃんと二見さんが手をついないでた」

「・・・・・・そうか」

「それで・・・・・・お兄ちゃん、あたしに自分は麻衣さんと付き合ってるって言った」

「池山君が君にそう言ったの?」

「うん。お兄ちゃん、お姉ちゃんのことも振ったみたいで」

 麻衣は裏サイトを見るまでもなく、リアルで優と池山君がいちゃいちゃしているところ
を目撃してしまったみたいだった。

 僕はもう小細工じみた慰めの言葉を口にしようとは思わなかった。麻衣の池山君に対す
る深い想いは身に染みて感じていたから。

 それは僕のこの先の人生にも影響するような決断だったと思うけど、その時の僕は麻衣
を傷つける優や池山君から彼女を守りたい一心だったのだ。

 僕は泣きそうな表情で僕に寄りかかって俯いている麻衣に改めて話しかけた。

「じゃあ、予定通り二見さんの女神行為を暴いて、彼女さんを池山から引き剥がそうか」

 麻衣ははっとした様子で顔を上げた。

「最初からそうしたかったんでしょ? 君が決心するなら僕も最後まで付き合うけど」

「・・・・・・先輩」

「君が本気なら僕もいろいろ準備する。こういうことは衝動的にやってもうまく行かない
し、よく計画を練らないとね」

 麻衣はまた俯いてしまった。

「それとも君が池山君と二見さんの付き合いを認めて祝福してあげられるなら、僕はもう
何も言わないし何もしない。君もパソ部を止めて今までどおりの生活に戻れるよ」

 一応、僕は麻衣に退路を示してあげることにした。麻衣が優と池山君の仲を認めれば、
こんな危険なゲームを始める必要はない。その結果、僕は麻衣を失うかもしれないけど、
僕の将来に対するリスクも無くなるのだ。麻衣がどう判断することを僕は望んでいたのだ
ろう。この時はもうそれすらわからなくなっていた。僕は黙ってただ麻衣が結論を出すの
を待っていた。


 麻衣は僕の腕の中から抜け出して、身体を真っ直ぐにして僕の方を見た。

「お兄ちゃんの相手が二見さん以外の人なら誰でもいい。でも裸で縛られてる姿を誰にで
も見せるような二見さんがお兄ちゃんの彼女なのは許せない」

「・・・・・・うん」

「先輩、あたしを助けてくれますか」

 普段から馴れ馴れしい麻衣にしては珍しく敬語で僕に頼んだ彼女の表情は、日ごろから
動じない彼女が始めて見せるような緊張したものだった。

 僕はその瞬間に心を決めた。

「僕は君を助けたい。君がやるなら僕もやるよ」

「ごめんね先輩」

 この時、どういうわけか麻衣は僕に謝ったのだった。それから麻衣は黙って再び僕に寄
り添って、僕のシャツの胸に顔を当てたまま静かに涙を流した。

 僕は、その日はもう放課後に麻衣と会わないことにした。結局昼休みの間中、僕は僕に
くっついて泣いている麻衣の頭をずっと撫でていた。

 午後の授業が始まる前に僕は麻衣に注意した。心を乱している彼女にうまく伝わるか不
安だったけど、案外彼女は冷静に僕の指示を理解してくれた。

「今日は部活は休みにしよう。君は真っ直ぐに家に帰るんだ」

「うん」

「そして今日家に帰って池山君に会っても、彼のことを責めちゃだめだよ」

「・・・・・・うん」

「池山君と二見さんの交際に理解を示す必要はないけど、二人の交際は許さないみたいな
態度は絶対取っちゃ駄目だ」

「わかった」

「これからすることが君の差し金だったなんて池山君に知れたら、彼が君のことをどう思
うかわかるよね?」

 麻衣もそのことは十分理解しているようだった。

「わかってる。お兄ちゃんにはなるべく普通に接するようにする」

「くれぐれも嫉妬心を表わし過ぎないように。そうでないと優を陥れたのは君だと疑われ
るかもしれない」

「心配しないで」

 麻衣は言った。大分落ち着いてきたようで、その頃には彼女の言葉は柔らかいものにな
っていた。

「先輩の言うとおりにするから」

 そこで麻衣は再び僕を潤んだ瞳で見つめた。

「大袈裟かもしれないけど、先輩の恩は一生忘れないから」

「本当に大袈裟だよ。誉めるなら全部うまく言ってから誉めてくれよ」

 麻衣はくすっと笑った。昼休み時間の最後になって、ようやく僕は麻衣に笑顔を取り戻
させることができたようだった。それが僕には嬉しかった。

「じゃあ、もう行かないと」

 麻衣はそう言ってった立ち上がった。昼休みも残り僅かになっていた。

 麻衣が僕の腕から抜け出して先に立ち上がったせいで、まだベンチに座っていた僕は彼
女を見上げる体勢になった。

「じゃあ、また明日」

 麻衣が不意に少し屈んで僕にキスした。前のキスとは違ったところに。

 僕は自分の唇に少し湿った小さな柔らかい感覚を覚えながら、早足で屋上から去ってい
く麻衣の姿を見つめていた。



 ・・・・・・今日は早く家に帰って準備をしないといけない。とりあえずWEBメールで捨て
アドを作るところから始めよう。


 その夜、麻衣にキスされた興奮と、もう引き返せないところまで踏み込んでしまったと
いうストレスとが僕の中でごちゃごちゃに交じり合っていて、僕にはその感情を制御する
ことができず結局捨てアドの作成すら手がつかない有様だった。

 僕は答えの出ないことはわかっている疑問について考え込んだ。一つは麻衣が今僕のこ
とをどう考えているのかということ。僕は臨時のお兄ちゃんとして、池山君と遠山さんに
代わって麻衣を守っているつもりだった。最初は優のことが気になって麻衣に接近したの
だけど、麻衣に惹かれるようになってからは、僕は麻衣の願いをかなえてあげることに目
的を変更した。そして傷付くことを恐れた僕は自分の行為に対して何も見返りを求めては
いけないと自分に言い聞かせてきた。僕なんかと麻衣がカップルとして釣り合わないこと
は自分が一番よく知っていたから。それに一番最初に麻衣のことが気になると白状した僕
に対して彼女は、誰とも付き合う気がないと正直に話したことだし。

 その後、麻衣が人目を気にする様子もなく僕の手を握ってたり、寄り添って歩いたり、
更には頬にキスしてくれたりしても僕は勘違いはしなかった。

 でも、昼休みに麻衣は僕にキスした。唇と唇が触れ合った瞬間には何も考えられなかっ
たけど、こうして少し間をおいてそのことの意味を考えると、今まで自分に対して禁止し
ていた麻衣の好意への期待がどうしても浮かんできてしまった。もしかしたらこれまでの
一連の付き合いを通じて麻衣が僕に愛情的な意味での感情を抱いてくれるようになったと
したら。

 これは考えても結論の出ることではなかったけど、それでも僕は麻衣の気持ちを推し図
ることを止められなかったのだ。そして、しばらくしてこうした無益な思考からようやく
抜け出た瞬間、僕は自分がしようとしていることを思い出し、今度は得体の知れない恐怖
心や不安感を感じ出した。

 泣き出しそうな顔で俯いていた麻衣の姿を見下ろした時、僕はそのことが自分にもたら
すリスクは承知のうえではっきりと決断したはずだった。でも、あらためて自分がしよう
としている行為が優や、場合によっては池山君の人生に及ぼす影響と、そしてそれを仕掛
けたのが僕であるということが、本人たちや世間に知られた時に僕が失うかもしれないも
のの大きさを考え出すと、やはり今でも僕は体が震えだすほど怖かったのだ。

 麻衣の好意への予感と、麻衣に好意を抱かれるおおもととなったであろう、僕が仕掛け
ようとしている行動への恐怖。僕は何度もそれらを天秤にかけてみた。昨日までならまだ
引き返せたかもしれなかった。こんなにも麻衣を求めている僕だったけど、その僕の恋情
さえ諦めさせるほどの恐怖が僕を襲っていたのだから。でももはや手遅れだった。昨日ま
でなら止められたかも知れなかったことも、今日の麻衣のキスによって、もはや引き返せ
ないところまで連れて来られてしまったみたいだった。

 僕を怖気づかせまいと、麻衣が計算して僕にキスしたとしたら、彼女は恐ろしい女だっ
た。でもそれは考えられなかった。優と池山君が付き合出したことを知り、泣きそうにな
るほど動揺した彼女にそんな複雑な行動を取れたはずがない。そして何より、麻衣は甘や
かされて育った自己中心的な思考の持ち主だったけど、それでも決して他人を顧みない思
考過程や行動しか取れない子ではなかった。

 多分、池山君と遠山さんは麻衣を甘やかしつつも、根本的な部分では彼女に正しく接し
たのだろう。基本的には芯がしっかりした子だったせいか、どんなに甘やかされても大切
にされても、麻衣はスポイルされなかったのだ。その証拠に彼女は自分の池山君への気持
ちを抑えて、池山君と遠山さんの仲を応援している。そして、優の女神行為さえなければ、
彼女は優と池山君との仲だって応援していたかもしれなかった。

 結局その夜は何も手がつかないまま、僕はいつの間にか寝てしまったようだった。結構
冷え込んだ夜だったけど、興奮状態の僕は布団に入らずベッドに仰向けになったままいつ
の間にか重苦しい眠りに引き込まれていたのだった。


 そのせいか、あるいは麻衣にキスされて興奮していたせいか、翌日目を覚ました時僕は
自分の身体に異常を感じた。体が妙に重くそして気だるかった。喉にも痛みを感じる。そ
れでも僕は時間を確認すると慌てて身支度をして登校しようとした。既に遅刻ぎりぎりの
時間になっている。

 朝食をパスして自宅から出ようとしたところで、僕は母さんに捕まってしまった。母さ
んは僕を呼び止めるとリビングに連れて行き体温を測るよう僕に言った。完全に失敗だっ
た。母さんが呼び止める前に登校していれば、今日も麻衣と会えたはずなのに。

 案の定、僕がしぶしぶと差し出した体温計を見た母さんは今日は休むように僕に言い渡
した。さすがにこの体温で登校すると言い張ることもできず、僕はしかたなく自分の部屋
のベッドに逆戻りさせられたのだった。

 ベッドに横になると目の前がぐるぐると回り始めた。確かにこれでは登校しても何もで
きないだろう。それでも僕は学校に行きたかった。昨日僕にキスしてくれた麻衣に会いた
いという自分の願いはさておき、麻衣は今日から作戦が決行されるものと期待し、あるい
は覚悟して登校してくるに違いない。

 それなのにその期待に僕は応えられないのだ。昼休み、あるいは放課後に僕を捜し求め
て校内を歩き回る麻衣の姿が思い浮んだ。きっと彼女は僕の不在に困惑するに違いない。
それどころか彼女は、僕がこれから行おうとすることにびびって学校をサボったのだと誤
解するかもしれない。

 僕はぐるぐる回る部屋の天井を眺めながら焦燥感に駆られていた。麻衣に誤解される、
またはそこまでいかないまでも、たたでさえ不安定な心理状態にある麻衣をさらに不安に
させてしまうかもしれない。

 今ならまだ授業が始まる前だった。僕はとりあえず麻衣にメールすることにした。自分
が熱を出したこと、登校しようとして母親に止められたこと、作戦が延期になって申し訳
なく思っていること。

 そして最後に、麻衣の期待を裏切ってしまったけど登校できるようになったら必ずこれ
はやり遂げるからと記して僕はそのメールを送信した。

 僕の不調は単なる風邪のせいらしかったけど、熱はなかなか下がらなかった。僕は結局
その週は学校に行くことができなかった。授業については全く心配していなかったし、今
では生徒会活動にも参加していない駄目な生徒会長だったから、学校での活動を心配する
必要は僕にはなかった。ただ麻衣のことだけがひたすら気がかりだった。

 僕のメールに対して麻衣からの返信は戻って来なかった。僕なんとはメールする必要が
あるほど親しくないと判断されたのか、それとも作戦を決行しようという日になって約束
を破って休んでしまった僕に対して怒っているのかはわからなかった。そして麻衣の気持
ちがわからないことが僕を不安にさせた。返事すら来ないのに更にメールを重ねることは
僕の無駄に高いプライドが許さなかったから、最初のうちは僕は横たわったままで答えな
んか出ないことと知りつつ麻衣の気持ちを推し図ろうと無駄な努力に時間を費やしていた。
でもこんな無駄なことをしていても仕方がないと僕の理性が主張するようになったので、
僕は週の後半は体調を誤魔化しつつ作戦を練ったり、優の女神行為の監視に努めるように
した。机に座ってPCを操作するのはまだ辛かったから、僕は父さんに借りっ放しになっ
てなっていたノートをベッドに持ち込み無理な姿勢で女神スレの監視を始めた。

 モモのコテトリで検索する前に、とりあえず優がよく出没していたスレを開いてみた。
スレンダーな女神云々というスレには彼女は現れていないようだった。次に僕は以前麻衣が
閲覧して泣き出した縛られた女神云々というスレを見始めた。しばらくして、僕はモモ
のレスを発見した。

 相変わらず画像は削除されていたので優が今度はどんな緊縛画像を貼ったのかはわから
なけったけど、モモのファンだと思われるスレの住人のレスの中に気になるレスがあるこ
とに僕は気がついた。最初は、相変わらずモモへの賞賛が続いていて、いつもより画像が
綺麗だとかいつもより表情が真に迫っていて迫力があるとかそういうレスが多かったけど、
そのうち優の画像に関して疑問を呈する住人がレスし出したのだった。



『モモGJ! いつもありがと。でも、後姿の画像見たらちゃんと後ろ手に縛られてるけど、
どうやって自分縛りしたん?』
『いいね。何か写真の腕前上げた? 今までより全然画質いいじゃん』
『画質というか、構図とかプロっぽい。まさか・・・・・・』
『モモ、ひょっとしてこれ彼氏が撮影したりしてる?』
『これは自撮りじゃねえだろ』
『写真は最高なのに何かショックだ。モモって彼氏いない処女って言ってたじゃん。ハメ
撮りだったのかよ』


 これらの疑義に対して優はセルフタイマーで撮影したとか、後手縛りも縛られているよ
うに見えるだけだとか言い訳してスレの住民を宥めていた。

 まさか、池山君なのだろうか。僕は麻衣から池山君の数少ない趣味の一つが写真撮影だ
ということを聞いたことがあった。麻衣はそれを楽しそうに微笑みながら僕に語ってくれ
た。池山君の被写体はほとんど麻衣で、麻衣自身は面倒で嫌なのに池山君に言われて仕方
なくポーズを付けたりカメラに向かって微笑んだりさせられるそうだ。彼女はそれを嫌と
いうよりはむしろ幸せそうに話したのだった。

 僕はミント速報を開きモモのコテトリで検索した。すぐにヒットしたその過去ログを開
くと、優の緊縛写真が今までとは違って相当な枚数が表示された。

 その画像はどれを取っても今までの優の自撮り画像とは次元の異なるものだった。写真
のことは余り詳しくない僕でもそれはすぐにわかった。今までの優の画像は素人くさく、
でも逆にそれは生々しい感じを醸し出していて、それを目当てに彼女のファンが群がって
いたようだったけど、この新しい画像は非常に扇情的な仕上がりで、画質も今までとは比
べ物にならないほどくっきりと優の表情や肌の透けるような白さを生々しく映し出してい
た。つまり良くも悪くもプロっぽい仕上がりなのだった。優の緊縛裸身や怯えたような表
情が繊細に映し出されている反面、優の部屋の様子は綺麗に大きくボケている。それは今
までの優の自撮りのように生活感あふれる部屋の様子まで映し出されていた画像とは全く
質が異なる出来映えだった。

 もうこれは池山君が優を撮影したことで間違いないだろう。僕が病気になったせいで作
戦の決行が遅れたのだけど、結果的にはそのおかげでより破廉恥な画像を公開することが
できる。それに優の自撮りのぼやけた画像では、最悪本人がこれは自分ではないと開き直
る可能性もあった。わかる人にはわかるとは思うけど、本人が強く否定すれば決定的な証
拠はない。でも、この鮮明な画質であればいくら目に線が入れてあるとはいえ、もはや言
い逃れはできないだろう。これはどこから見ても優そのものだった。

 その時、僕はまた別なことに気がついた。最初に優の女神行為の画像を見た時に感じた
な胸をえぐられるような嫉妬心を、僕はこの扇情的な画像から感じなかったのだ。やたら
プロっぽいできだからだろうか。僕は最初はそう考えたけどやはりそうではないだろう。
僕は優への未練をついに捨てることができたのだった。古い恋を忘れるには新しく恋する
ことが一番の特効薬のようで、麻衣に恋焦がれ始めた僕は、これだけ衝撃的な優の画像を
見ても今や全く嫉妬心を感じないでいられたのだ。

 今日はもう土曜日だった。麻衣がメールに返信してくれないことが再び僕の心を蝕み始
めていた。本気で麻衣に嫌われたのだろうか。最後に見た麻衣の姿は僕にキスして屋上か
ら去って行った後姿だった。まさかこれで終わりなのだろうか。麻衣に約束した作戦の決
行はこれからなのに。

 この頃になると、堂々と池山君に撮影させた緊縛画像を誰にでも見せている優の人生を
狂わすことへのためらいはだいぶ消えてきていた。もちろん、それが自分にはね返ること
への恐怖はまだ残ってはいたけど、それよりも自分が麻衣に見捨てられたのではないかと
いう不安の方が大きかった。

 明後日は月曜日だしこの体調なら月曜日は登校できるだろう。熱もほとんど平熱に近く
なっていた。登校したら何をするよりもまず麻衣を探し出そう。恥かしさや妙なプライド
が邪魔して、僕はこれまで彼女の教室を訪れたことはなかったけど、麻衣は平気で上級生
の校舎に入り込んで僕を訪ねてくれていたのだ。僕ももう周囲を気にしている場合ではな
い。月曜日になったらもっと積極的に行動しよう。そう考えて僕は自分を納得させた。

 ところが意外なことに翌日の日曜日の朝、僕は突然母さんに起こされたのだった。時間
は既に午前十時を越えている。

「お友だちがお見舞いに来てくれてるわよ」

 母さんは妙ににやにやしながら僕を起こした。

「池山さんっていう下級生の子だけど、部屋に通してもいい?」

 母さんはそこでまた笑った。「可愛い女の子ね。あんたの彼女?」

「そんなんじゃないよ。部活の後輩」


 僕は戸惑いながらもとりあえず母さんのからかい気味の誤解を解いた。それにしても麻
衣が僕の家を訪ねて来るとは予想外にも程がある。以前からいきなり教室に訪ねて来たり
したことはあったけど、まさか休日に自宅に尋ねてくるとは考えたことすらなかった。

 母さんが僕の言い訳をどう思ったかはわからないけど、もう僕をからかうのはやめたよ
うで、じゃあ入ってもらうねとだけ言って再び階下に下りていった。

 少しして母さんに案内された麻衣が僕の部屋に入ってきた。相変わらず気後れする様子
がない様子だったけど、かと言って馴れ馴れしい感じもしなかった。これなら母さんも彼
女に好感を抱くだろう。

「先輩、こんにちは」

「あ、うん」

 僕の返事は自分でも予想できていたようにぎこちないものだった。母さんはそんな僕の
反応を見て内心面白がっていたようだった。

「わざわざお見舞いに来てくれてありがとう。もう熱も引いてるしうつらないと思うから
ゆっくりしていってね」

 母さんは麻衣にそれだけ言って部屋を出て行った。

「あ、はい。ありがとうございます」

 麻衣も礼儀正しく返事した。

 母さんが部屋を出て行った後、僕たちはしばらく黙っていた。僕は麻衣の姿を盗み見る
ように眺めた。学校で見かける制服姿の麻衣は守ってあげたいという男の本能を刺激す
るような、女の子っぽく小さく可愛らしい印象だったから、僕は何となく私服の彼女ももっ
と少女らしい格好をしているのだと思い込んでいた。いくらリアルの女子のファッション
に疎い僕でも、さすがにギャルゲのヒロインのような白いワンピースとかを期待していた
わけではないけど、麻衣なら何というかもう少しフェミニンな女性らしい服装をしている
ものだと僕は勝手に想像していたのだった。

 そんな童貞の勝手な思い込みに反して麻衣の服装は思っていたよりボーイッシュなもの
だった。別に乱暴な服装というわけではなく、お洒落だし適度に品もあってこれなら服装
に関しては保守的な僕の母さんも眉をひそめる心配はなかっただろう。そんな麻衣は僕の
方を見てようやく声を出した。

「先輩、具合はどう?」

 それは落ち着いた声だった。

 僕は急に我に帰り、自分のくたびれたスウェット姿とか乱れたベッドで上半身だけ起こ
している自分の姿を彼女がどう思うか気になりだした。

「うん。明日からは学校に行けると思う。心配させて悪かったね」

 僕は小さな声で麻衣に答えた。彼女は僕の具合なんか気にしていなかっただろうけど、
それでもやはり心配はしていたはずだった。それは僕が実行を約束した作戦がどうなって
いるのかという心配だったと思うけど。

「突然休んじゃってごめん。一応、メールはしたんだけど」

 そのメールに対して麻衣は返事をくれなかったのだ。でも僕はそのことを非難している
ような感情をなるべく抑えて淡々と話すよう心がけた。

「病気なんだから仕方ないじゃない。先輩が謝ることなんかないのに」

 麻衣はそう言って改めて僕の部屋を眺めた。

「あ、悪い。そこの椅子にでも座って」

 麻衣を立たせたままにしていることに気がついた僕は、少し離れた場所にあるパイプ椅
子を勧めた。

「うん」

 麻衣はそう言って、どういうわけかベッドから離れたところに置いてある椅子を引き摺
って、ベッドの側に移動させてからそこに腰かけた。椅子の位置がベッドの横に置かれた
せいで僕の顔のすぐ側に麻衣の顔があった。

「本当にもう大丈夫なの?」

 麻衣は僕の額に小さな手のひらを当てた。その時僕は硬直して何も喋ることができなか
ったけど、胸の鼓動だけはいつもより早く大きく粗雑なリズムを刻み出したので、僕は額
に当てられた彼女の手に僕の鼓動が伝わってしまうのではないかと心配した。

「熱はもうないみたい。先輩のお母様の言うとおりもう風邪がうつる心配はないね」

 麻衣はそう言った。


 僕の熱を測り終えた麻衣は、僕の額に当てた手をそのままにしていた。そして不意に小
さな身体を僕の方に屈めた。今度は彼女の唇は前より少しだけ長い間、僕の口の上に留ま
っていた。

 麻衣が顔を離して再びベッドの側に寄せた椅子に座りなおした。いつも冷静な表情が少
し紅潮しているようだった。

「・・・・・・何で?」

 僕は混乱してうめくように囁いた。

「何で君はこんなこと」

「何でって・・・・・・。風邪はうつらないみたいだし。先輩、そんなに嫌だった?」

「嫌なわけないけど、何で君が僕なんかにこんなことを」

「先輩、あたしのこと気になるって言ってなかったっけ?」

 確かに僕は麻衣にそう言った。恋の告白と同じレベルの恥かしい言葉を僕は前に麻衣に
向かって口にしたのだった。

「・・・・・・でも、君と僕なんかじゃ釣り合わないし、それに君は誰とも付き合う気はないっ
て」

「何で先輩とあたしが釣り合わないの?」

 まだ紅潮した表情のままで麻衣が返事をした。

「あたしじゃ先輩の彼女として不足だってこと?」

 何を見当違いのことを言っているのだろうか。わざとか? わざと僕のことをからかい
牽制しているのだろうか。それともこれは、優に対する作戦に僕が怖気づくことのないよ
うにするための言わば餌なのだろうか。

「・・・・・・。僕は最初に君に振られたんだと思って」

「そうか。そうだよね」

 麻衣はもう顔を赤らめていなかった。むしろ今まで見たことのないほどすごく優しい表
情で僕を見つめていた。

「何であたしに振られたと思ったのに、こんなにあたしのためにいろいろとしてくれてる
の?」

 僕はどきっとしてあらためて彼女を見た。これは惚れた欲目だ。僕の心の中で警戒信号
が鳴り響いた。

 ・・・・・・麻衣のような子が僕を本気で好きなるはずがない。これは言わば馬車馬の目の前
にぶらさげる人参のようなものだ。あるいはひょっとしたら麻衣は僕に相談しているうち
に、陽性転移を発症したのかもしれなかった。そうであればそれは当初の僕の目的のとお
りだった。でもこれまで麻衣とべったりと時間を過ごしてきて、彼女のために無償で、自
分を滅ぼしかねない行為を行うことに決めた僕は、今では陽性転移的な感情なんて欲しく
なかったのだ。

 それとも彼女は陽性転移的な感情ではなく本心から僕のことを好きになったのだろうか。
それはいくら言葉を重ねても答えの出ない類いの疑問だった。僕よりももっとリア充のカ
ップルにも等しく訪れることはあるだろう男女間の根源的な問題だったのかもしれない。

「何でって・・・・・・」

 僕は再び口ごもった。

「先輩はもうあたしには興味がなくなっちゃった?」

 麻衣の柔らかい言葉が僕の心に響いた。

「二見さんとお兄ちゃんのことばっかり気にしてるあたしなんかにうんざりしちゃっ
た?」

「そんなことはないよ。約束どおり明日から僕は、二見さんと池山君を別れさせるため
に」


「そんなこと聞いてないじゃない」

 突然麻衣が初めて感情を露わにして言った。「二見さんとかお兄ちゃんのことなんか今
は聞いていないでしょ」

 麻衣は僕の方を真っすぐに見た。

「先輩が今でもあたしのことを・・・・・・その、好きかどうか聞いてるんじゃない」

「・・・・・・本当に僕なんかでいいの?」

 僕はもう自分自身を誤魔化すことを諦めた。振られて傷付くなら一度でも二度でも一緒
だ。僕は心を決めた。一度振られたつもりになっていた僕だけど、ここまで言われたらも
う一度ピエロになろう。その結果、麻衣に利用されただけだとしてもそれはもはや今の僕
には本望だった。

「今でも僕は君のことが大好きだけど・・・・・・」

 その時、麻衣の冷静な表情が崩れ彼女は静かに目に涙を浮かべた。

「先輩って本当に鈍いんだね。あたし、手を握ったりキスしたり一生懸命先輩にアピール
してたのに」

「その・・・・・・ごめん」

 僕は何を言っていいのかわからなくなっていたけど、期待もしていなかった麻衣の好意
への予感は急速に胸に満ち始めていた。

「女の子にあそこまでさせておいて、何も反応しないって何でよ? 先輩って今までいつ
も女の子にこんなことさせてたの?」

 麻衣は涙を浮かべたままだったけど、ようやくいつものとおりの悪戯っぽい表情になっ
た。

「そんなことはないよ。だいたい僕はこれまで女の子にもてたことなんかないし」

「嘘ついちゃだめ」

 麻衣は見透かしたような微笑を浮かべた。

「先輩、中学時代にすごくもてたって。先輩と同じ中学の子に聞いちゃった」

 それは陽性転移だ。でもこの場でその言葉を口に出す気はなかった。麻衣がかつて僕が
女の子に人気があったと思い込んでくれているのなら、何もそれを否定する必要はない。

「あと浅井先輩って、絶対先輩のこと狙ってると思う。この間だって浅井先輩、あたしに
嫉妬してたよね」

「それはない」

 僕は即答した。少なくともそれだけは麻衣の勘違いだった。

 麻衣が話を終えたせいで、またしばらく僕たちは沈黙した。

 やがて麻衣が再び僕に言った。

「先輩、あたしはっきり返事聞いてない」

「君のことが好きだよ。僕なんかでよければ付き合ってほしい」

 僕はもう迷わなかった。例えこれは自分の破滅に至る道だったとしても後悔はしない。

「・・・・・・・うん。これでやっと先輩の彼女なれた」

 僕は思わず麻衣の手を握った。

「ありがとう」僕はようやくそれだけ低い声で口に出すことができた。麻衣も僕の手を握
り返してくれた。

「ありがとうって、何か変なの」


「ありがとうって、何か変なの」

 彼女は笑った。そして再び僕たちはどちらからともなくく唇を交わした。そのときふと
目をドアの方に向けると、母さんが紅茶とお茶菓子を持って部屋の外に立っていた。

 さすがに麻衣は僕から身を離して赤くなって俯いてしまった。でも母さんはどういうわ
けか嬉しそうに僕たちに謝った。

「お邪魔しちゃってごめんね。池山さんからお見舞いに頂いたケーキを持って来たのよ。
池山さん、お持たせで悪いけど食べていってね」

「はい。ありがとうございます」

 さすがの麻衣も恥かしかったのだろう。母さんの方を見ないでつぶやくように言った。

「じゃあ、ごゆっくり」

 母さんはそう言って部屋を出て行った。

「紅茶、どうぞ」

 僕はとりあえず紅茶を勧めた。

 ここまで幸せな展開になるとは思わなかった僕だけど、それでも心のどこかには例え麻
衣が本当に僕のことを好きになったのだとしても、それは優と池山君関係の作戦の同志と
しての感情から始った恋かもしれないという考えは拭いきれなかった。もちろんそれでも
僕は充分満足だった。麻衣の僕への気持ちが陽性転移でなければ、きっかけがどうであろ
うと僕はその結果には満足していた。

 でも、この恋のきっかけとなった優関連の作戦は僕のせいでまだ始ってすらいなかった。
ありていに言えば一週間も遅れているのだ。僕はもう迷いを捨てて麻衣のために全身全霊
でこのミッションをやり遂げる覚悟ができていた。それで、僕は今日くらいは作戦のこと
は忘れて麻衣とお互いに抱いている恋愛感情について甘いやりとりをしたいという気持ち
もあったのだけど、無理にそれを抑えて作戦の話をしようとした。それがきっと麻衣の望
むことでもあったろうから。

「それでさ、明日のことなんだけど」

「うん」

 いつも活発な彼女らしからぬ大人しい声。

「月曜日、二見さんと池山くんの担任の先生に捨てアドからメールしよう。最初は大人し
い方の女神スレの過去ログ、ミント速報のやつだけどそのURLを匿名で先生に知らせよ
う」

 どういうわけか麻衣は黙ってしまった。

「どうかした」

 麻衣はあからさまに不機嫌そうに僕を見上げた。いったい僕の何が悪かったのだろう。
僕は麻衣の希望を忖度して、その希望どおりの言葉を口にしただけなのに。

「先輩、あたしたちって今付き合い出したんだよね」

「う、うん」

「何でこういう時にそんな話をするの? そういうのは学校ですればいいじゃない」
 麻衣は可愛らしく僕を睨んだ。

「今はもっと違うお話を先輩としたかったのに」

 不意に僕の胸が息もできいくらい締め付けられた。でもそれは僕がこれまで経験のない
ほど幸せな甘い息苦しさだった。

「・・・・・・もう一回好きって言って?」

 麻衣は僕の方を見上げて言った。

「大好きだよ」

 今度は僕の本心だった。麻衣はようやく機嫌を直したように笑ってくれた。

「あたしも先輩が大好き」

 麻衣が僕に抱きついてきた。僕たちは再び抱き合って唇を重ねた。

 その日は遅くなって麻衣が帰るまで、僕たちはお互いのことを夢中になって語り合った。
僕が自分の気持を彼女に正直に話すのはこれが初めてではないけど、麻衣が言葉で気持ち
を語ってくれたのはこれが初めてだった。

「最初はね、お兄ちゃんのメールを見て二見さんがああいうことをしてるってわかったん
だけど、自分ではこれ以上どうすればいいかわからなくて、でもこのまま放っておく気に
は全然なれなくて」


 僕たちは僕と麻衣の馴れ初めから恋人同士になった今に至るまでの心境を語り合ったの
だった。僕が話せることはあまりなかった。パソ部の部室を訪れた麻衣に惹かれて好きに
なったこと、そのためにはたとえ彼女が僕のことなんかに振り向いてくれなくても協力し
ようと思ったこと。自分ではもっといろいろ複雑な想いを抱えて悩んできたつもりだった
けど、いざ麻衣に話すとなるとわずか一言二言で僕の話は終ってしまった。でも麻衣は別
にあきれるでもなく微笑みながら僕の話を聞いてくれた。それから彼女は自分の想いを語
ってくれたのだった。

「それで自分でもすごく単純な発想だったけど、パソコンの前で悩んだことを解決するん
だからパソコン部に入ろうって思ったの」

「それであの日に君はパソ部の部室にいたんだね」

 僕は彼女と初めて出会った日を思い出した。遠巻きに見守る部員たちに話しかけてさえ
もらえず、麻衣にしては珍しく心細そうな姿で俯いて座っていたその姿を。それはついこ
の間の出来事だったのに、僕には遥か昔のことのように思えた。あの時部室で俯いていた
大人しそうな、まるで人形のような少女が僕の彼女になるなんて、あの時は夢にも思って
いなかったのだ。まあ、知り合ってみると彼女は決して大人しく儚い少女では全然なく、
むしろ物怖じしないはきはきとした性格だったのだけど。でも、そういう新たな発見さえ
も僕を麻衣に惹きつける一因となったのだ。

「最初はどうしようと思ったよ。誰も話しかけてくれないし、副部長さんも部長が来るまで待っ
ててくださいって言ってくれただけだったし」

「でもそのおかげで先輩と知り合えたんだもんね。勇気を出してパソ部に顔を出してみて
よかった」

 麻衣は微笑んで僕の手を握った。

「うん」

 僕もそれには全く同感だった。人生は偶然の出会いに満ちている。そんなありふれた陳
腐な言葉がこれほど真理だと思ったのは生まれて初めてだった。

「正直に言うとね。最初は先輩のことあたしの話をよく聞いてくれて相談に乗ってくれる
先輩としか思っていなかった」

 彼女はそう言って、今度は僕の手を自分の指でなぞるように撫で始めた。思わずその感
覚に心を取られそうになった僕は気を引き締めて彼女の話に集中しようと努力した。

 今でも僕は自分の置かれた境遇を心から信じ切れていなかった。だから僕は自分の心の
安らぎを求めるためには麻衣が語りだした心境の変化を聞くしかないと思った。それで僕
は自分の手に感じている心地よい違和感を半ば無理に意識の外に締め出した。

「でもね。先輩って自分のことはあまり話さないであたしの話ばかりを聞いてくれてたで
しょ? あたし、先輩に話を聞いてもらっているうちに自分が本当は何をしたいのかが整
理できて、それで先輩には本当に感謝したんだけど」

「そうなの」

「だけどね、自分の気持が整理できたら今度は先輩が何を考えてあたしの話を親切に聞い
てくれているのか、それがすごく気になるようになちゃった。ほら、あたし最初に先輩に
酷いこと言ったじゃない? 誰とも付き合う気はないって」

 それはよく覚えていた。でももともと彼女と付き合えるなんて期待すらしていなかった僕は、
その時は麻衣のその言葉にそれほど傷付くことはなかったのだ。

「おまえ何様だよ? って感じだよね。あんな思い上がったことを先輩に言うなんて。先輩、
あの時は本当にごめんなさい」

「・・・・・・無理はないと思うよ。僕なんかに君が気になるとか気持ち悪いこと言われたら、
君だってそれくらいは釘刺しておこうって思うのは当然だよ」

「何で先輩って、すぐに僕なんかとかって自分を卑下したような言い方するの?」

 今までの優しい表情に変って麻衣は少し憤ったような顔で僕に聞いた。

「何でって・・・・・・」

「先輩はもう少し自分に自信を持った方がいいと思うよ」


 僕は黙って頷いた。麻衣はもう少し何かを話したそうだったけど結局回想の続きを話し
始めた。

「それで先輩にいろいろ女神スレのこととか教わったりパソコンを選んでもらったりして
いるうちにね、あたし何か、先輩に二見さんとお兄ちゃんの話をすることなんかどうでも
よくなってきちゃって」

 え? 僕はその時、麻衣の言葉に驚いた。僕のことを好きになったのは本当だとしても
その根底には麻衣の池山君への執着があることについてはこれまで疑ってさえいなかっ
た。一番僕にとって望ましい事態は、麻衣が池山君を助ける同志としての僕を好きになる
ことであって、僕はそれ以上の ことを考えたことすらなかったのだ。一番最悪のパターン
は麻衣が僕を利用するために僕を好きになる振りをすることで、次に悪いのが陽性転移
だった。そんなことを考慮すれば、たとえ目的を同じにする同志としての愛情であっても僕
にとってはそれは充分すぎる答えだった。

「その頃からかなあ。あたし自分でも何を悩んでいるのかよくわからなくなちゃって。お
兄ちゃんのことを考えてたはずなのに、先輩ってあたしの話を聞きながら何を考えてるん
だろうってそっちの方に悩むようになっちゃった」

 陽性転移を発症したクライアントは傾聴者が何を考えているのか知りたいなんて思わな
い。彼女たちが傾聴者に恋するのは傾聴者の中に写った自分に恋をしているのだ。その恋
はクライアントにとっては自己愛と同義といってもいい。自分を唯一認めてくれ自分に関
心を持ってくれる相手としての傾聴者だけが、クライアントにとっての恋愛対象というこ
とになるのだった。

 麻衣の話はそれを真っ向から崩すものだった。麻衣は僕が何を考えているのか知りたい
という気持ちを抱き、そしてそれが僕への恋愛感情に転化していったようだ。かつて僕の
人生の中で唯一僕のことを好きだと言った優でさえ、僕を好きな理由は僕が彼女のことに
関心を示し彼女の話をひたすら聞いてくれる相手だったからだった。僕は彼女の承認欲求
を満たしてあげるという、その一点だけで、彼女の中で特別な存在でいられたのだった。

 でも麻衣は僕自身に関心を抱いてくれた。そう言えばさっき、麻衣に愛情を示された僕
が気を遣って優と池山君を別れさせる作戦を披露してあげようとした時、どういうわけか
麻衣は不機嫌になったのだった。

 そんな僕の感傷には気がつかず麻衣は話を続けた。

「この間の朝、浅井先輩が先輩を責めてたでしょ? あの時あたし頭が真っ白になって、
先輩のことを責める浅井先輩が許せなくて・・・・・・あの時にはもう先輩のこと好きになって
たのね、きっと」

 僕はもう何も言葉にできず黙って僕の手の上で動いていた麻衣の小さな手を捕まえて握
り締めた。

「多分、あたし浅井先輩に嫉妬もしていたんだと思う。それで次の日にお兄ちゃんと二見
さんがいちゃいちゃしてて」

 やっぱり辛いのだろう。彼女はそこで俯いて言葉を止めた。

「でもその日も先輩は優しくて、あたしのために自分には何の得にもならないことをしようっ
て言ってくれて」

「・・・・・・うん」

「先輩がお休みしている間、とにかく寂しくて仕方なかった。でも、そのおかげで自分の
気持に初めて向き合うことができたの」

「それでメールなんかじゃ嫌だから直接先輩に告白しようって思った。あれだけいろいろ
アピールしたのに先輩、何も反応してくれないんだもん」

 麻衣の告白もこれで終わりのようだった。

「先輩、大好きよ。あたしのこと見捨てないでね」

「・・・・・・何を言ってるの。それこそ僕のセリフだよ」

「相変わらず無駄に自己評価が低いのね。あと先輩、あたしのこと過大評価しないでね。
あたしは女神でも何でもないんだから」

 僕たちは再び抱き合った。人生の絶頂にいたといってもいいその瞬間、さすがの僕もも
う疑う必要は何もなかったのだけど、麻衣が女神という単語を口にしたことが少しだけ僕
には気になった。もちろんそれは考えすぎだったのだろうけど。


「あたしそろそろ帰るね。もう遅いし」

 もう今日だけでも何度目かわからないほどお互いに抱きしめあってキスしあっていたた
め、思っていたより遅い時間になってしまったようだった。

「あ、じゃあもう遅いから送っていくよ」

 僕は立ち上がろうとしたところで麻衣に肩を押さえられて再びベッドに座り込んでしま
った。

「ずっと学校を休んでいた病人が何言ってるの」

 麻衣が立ち上がったので、彼女の全身が再び僕の目に入った。やはり可愛いな。僕は立
ち上がることを諦めた。

「月曜日は登校するんでしょ」

「うん。もう大丈夫」

「じゃあ朝、先輩の家まで迎えに来ていい? 一緒に学校行こ」

「ああ、いや。僕が迎えに行くよ」

 麻衣が笑った。

「あたしんちは学校から逆方向だよ。それにお兄ちゃんが出てきたら何て言って挨拶する
気?」

 僕は浮かれるあまりいろいろと考えなしに喋ってしまっていたようだった。

「七時半ごろに迎えにくるから。それなら中庭とかで朝一緒にいられる時間があるでし
ょ」

「待ってるよ」

「じゃあまた明日」

 僕は大声で母さんを呼んだ。これまで邪魔しないでいてくれた母さんが待っていたよう
にすぐに二階に姿を見せてた。

「もうお帰り? また来て頂戴ね。池山さんならいつでも歓迎するから」

「あ、はい。ありがとうございます。あの、月曜日に先輩を迎えに来てもいいですか」

 母さんは笑った。「あら。それじゃ、ちゃんと朝この子を起こしておかないとね」

 この話の何がおかしいのか僕にはさっぱり理解できなかったけど、母さんと麻衣は目を
合わせて仲良く笑い合っていた。


今日は以上です
また投下します


 その翌日、麻衣はきっかり七時半に僕を迎えに来た。玄関まで迎えに出た母さんに礼儀
正しくあいさつした彼女は、母さんの後ろからぎこちなくおはようと声をかけた僕を見て
微笑んだ。

「おはよう先輩」

「じゃあ気をつけていってらっしゃい」

 母さんはそれだけ行って家の中に入ってしまった。玄関前に取り残された僕たちはしばら
くぎこちなく向かい合って黙っていた。

「行こ」
 先に沈黙を破ったのは麻衣の方だった。彼女は少し上気した顔で僕の手を握ってさっ
さと歩き出した。僕は親に手を引かれる子どものように麻衣の後をついていったのだった。

 まだ登校時間には早かったけどそれでも部活の朝練に向う生徒の姿は結構あって、その
中で手を握り合って登校する三年生と一年生のカップルはやはり人目を引いているようだ
った。

「あたしね」

 麻衣はまだ顔を赤くしていたけど、周囲の生徒たちの視線を気にしている様子は全くな
かった。

「今朝お姉ちゃんに電話したの。これからは朝部活があるから一緒に登校できないって」

 麻衣は何かを期待しているかのように僕の方を見上げて言った。そういえば以前副会長
から聞いた話では、麻衣はこれまでは池山君と遠山さん、そして広橋君と四人で一緒に登
校していたのだった。池山君がいち早くその輪から抜け出して、多分今では優と一緒に登
校しているのだろう。そして麻衣は残った二人と一緒に登校するより、付き合い出したば
かりの僕と一緒に登校することを選んでくれたのだ。

 僕がそんなことを考えながら麻衣の方を見ると、彼女はまだ何かを待っているかのよう
に僕の方を見つめていた。

 ・・・・・・ああ、そうか。僕は慌てて麻衣に言った。

「よかった。じゃあ、これからは二人で一緒に登校できるんだね」

 期待通りの反応だったのか麻衣は僕の言葉に満足そうにうなずいた。よかった。僕は麻
衣の期待を裏切らずに返事ができたようだった。僕は何とか正解を答えることができたの
だ。

「パソコン部でも朝練ってあるの?」

 麻衣が無邪気に聞いた。

「あるわけないさ」

 僕は麻衣の質問に思わず少し笑ってしまった。「体育系の部活じゃないんだし・・・・・・そ
れにみんな夜中まで家でパソコンの前に座りっぱなしだし、朝早く登校するやつなんてい
ないさ」

「ふーん。じゃあ授業が始まるまで部室で一緒にお話ししない?」

「別にいいけど。まあ確かに朝の部室なんて誰もいないからちょうどいいかもね」

「誰もいないって・・・・・・先輩のエッチ」

 麻衣は何か誤解したみたいで顔を赤くして僕に言った。でも、それは決して怒っている
ような口調ではなかった。


 こうして始った僕と麻衣との交際は普通の恋人同士が辿るであろう道を模範的になぞっ
ているかのようだった。お互いに甘えあったりお互いに相手に自分を好きと言わせようと
したりすねてみたり、そんな他愛もない駆け引きをしているだけですぐに時間は去って
いってしまう。麻衣は前から他人が僕たちを眺める視線には無頓着だったけど、今では
僕も麻衣に夢中になっていたから、もはや他人の視線を気にすることすらなくなっていた。
いくら生徒数の多いマンモス校とはいえ朝からべったり寄り添っている三年生と一年生のカ
ップルは周囲の注目を引いたと思う。昔の僕ならそういう好奇心に溢れた視線にとても耐
えられなかっただろうけど、初めて心から僕のことを想ってくれる恋人を得た僕はもうあ
まり周囲のことは気にならなくなっていた。

 麻衣はもうあまり池山君と優のことを口にしなくなっていた。もともと彼女が僕に関心
を持ったのは自分のことを助けてくれる相手としてだったはずだけど、この頃になると麻
衣が僕に要求するのは自分に対する僕の愛情だけになっていて、優の女神行為についての
話題は全く口にしなくなっていたのだった。

 朝僕たちは一緒に登校し、誰もいない部室で寄り添って授業開始までの短いひと時を過
ごした。その後、僕はもう人目を気にすることなく一年生の校舎の入り口まで麻衣を送っ
て行った。始業前に駆け込んでくる生徒たちで溢れている校舎の前では、麻衣も部室に二
人きりでいる時みたいに僕に抱きついたりキスしたりすることはなかったけど、別れ際に
彼女は名残惜しそうに僕の手を握った。

 昼休みと放課後の逢瀬も部室を使わないというだけで僕たちがしていることは同じだっ
た。

 僕は幸せだったし麻衣同じことを思ってくれているように見えた。でも僕はもっと彼女
を喜ばせたかった。そのために僕ができることって何だろう。

 何か彼女にプレゼントをすることは真っ先に考えたのだけど、それは僕にはあまりピン
と来なかった。二人の交際の記念にアクセサリーそれもペアリングのようなものをプレゼ
ントできないかと思ったけど、いろいろな意味でそれは僕にとってハードルが高かった。
まずはどんなものを選べばいいのか見当もつかなかった。それにタイミングということも
ある。考えてみれば僕には麻衣の誕生日すらわかっていないのだった。

 そう考えて行くうちに僕はふと初心に帰ってみるべきではないかと思い立った。

 もともと麻衣が抱え込んでいた悩みは今でも全く解決していなかった。麻衣に池山君の
ほかに気にする相手ができたせいで、今では一時、池山君と優の女神行為のことを考えな
いでいられるのかもしれないけれど、麻衣が池山君の交際相手の破廉恥な女神行為に心を
痛めていたこと自体は全く解決していないのだ。

 それにプレゼントを買うことなんてお金があればできることだけど、池山君と優を引き
剥がすことは僕にとっては大きなリスクを伴うことだった。それは一時は胃が痛くなるほ
ど考えこんだことでもあった。でも、今の僕の幸せに見合うくらいのプレゼントを麻衣に
するのだとすれば、アクセサリーを買うなんてことでは全然引き合わない。むしろリスク
を承知で最初に約束したとおり麻衣の悩みを解決してあげてこそ、僕は胸を張って彼氏だ
と言えるのではないだろうか。

 ここまでの僕の幸せは偶然の僥倖だった。麻衣は僕のことを好きになってくれたけど僕
はその好意に対してまだ何もしてあげていない。最近の麻衣は優の女神行為のことを話題
にしなくなっていた。麻衣だって人間なんだから恋人ができた今は恋人である僕のことだ
けに夢中になっているのかもしれないけれど、いつか冷静になれば池山くんの彼女のこと
で胸を痛める時がくることは明らかだった。麻衣が今では異性として池山君を見なくなっ
ていたのだとしても、仲の良い兄妹であることには変りはないのだ。

 僕は考えた。麻衣が優のことを僕に話さなくなったのは、もしかしたら作戦を実施する
僕に負わせるリスクのことを麻衣が考え出したせいのかもしれない。麻衣が僕のことを本
気で好きになっているなら、僕が負うべきリスクのことを気にしてくれたとしても不思議
ではなかった。それなら僕はなおさら彼女に気を遣わせないよう自分からこれを実行すべ
きなのだろう。それは僕が今、麻衣にしてあげられる一番のプレゼントだった。

 その朝、早起きした僕はもう迷わなかった。麻衣が迎えに来るまで一時間くらいは時間
がある。僕は昨晩作ったWEBメールの捨てアドから緊急連絡網に記載されている優と池
山君のクラスの担任の携帯にメールを送った。

 とりあえず最初は「スレンダーな女神スレ」で優が池山君に自分の女神行為を見せ付け
た部分が転載されているミント速報の過去ログのURLを記載することにした。緊縛画像
とか池山君が撮影したより扇情的なレスや画像は、まだ大事な玉として温存して置いた方
がいいだろう。高校二年生の女子がネットで不特定多数の人間相手に下着姿を晒している
画像だけでも、最初としては充分なはずだった。


『突然メールしてすみません。御校の二年生の女子生徒である二見優さんがネット上で破
廉恥なヌードを自ら公開していることをご存知でしょうか。こういう行為が健全な青少年
に与える影響を考えると看過するわけにはいかないと思ってご連絡さしあげました。しか
るべき対応を期待しています。万一必要な指導をしていただけない場合には、この事実を
マスコミ等の諸方面に通報せざるを得なくなりますのでご留意ください。それではよろし
く対応方お願いいたします』

 僕はそのメールを送信した。麻衣に相談せず自分の一存でこれを行ったことはいい考え
だったと僕は思った。麻衣は僕にリスクを負わせたことを気にしないで済むし、僕にとっ
ては大切な彼女に捧げるプレゼントを彼女に要求されたからではなく自発的に贈ることが
できたのだから。

 僕はパソコンを消して、階下に降りた。今日も麻衣は僕を迎えに来るはずだった。どの
タイミングで麻衣にこの最高の贈り物を披露しようか。僕はその時これまで感じたことの
ないくらいの高揚感に包まれていた。

 翌朝も麻衣は正確に七時半に僕の家に寄ってくれた。僕は玄関先に出て彼女が来るのを
待っていた。家の前に立っている僕に気づいた妹はすぐに顔を明るくして僕の方に寄って
来た。

「おはよ、先輩」

「おはよう」

 もう僕たちはそれ以上余計なあいさつをせず、すぐにどちらともく手を取り合って自然
に同じ歩調で学校に向った。付き合い出してまだそう日は経っていなかったけど、この程
度の日常的な行動を取るにあたり僕たちはもうお互いに言葉を必要としなかった。そのこ
とが僕には嬉しかった。沈黙していてもお互いに不安になるどころか心が安らいでいる。
そういうことはどちらかの一方通行の気持ちでは成り立たないことだったから、僕はもう
僕の隣で沈黙している麻衣が何を考えているのか悩むことはなかった。そして、それは多
分麻衣も同じだったろう。

 お互いに言葉は必要とはしていなかったけど、僕たちは互いに握り締めあった手の力を
強めたり肩をわざと少しぶつけ合ったり、恋人同士ならではのボディランゲージをぶつけ
合っていた。手を握るタイミングが偶然一致した時、麻衣は大袈裟に驚き痛がる振りをし
ながら僕の方を見上げて笑った。

 一年生の教室がある校舎の入り口まで来ると、麻衣は周囲の生徒の視線なんかまるで気
にしない様子で、僕に抱き着き、僕の顔を見上げて微笑んだ。

「先輩」

「うん」

 僕も迷わず彼女の身体に手をまわした。少しの時間、僕たちは抱き合ったままじっとし
ていた。

「もう行かないと」

 やがて、名残惜しげに僕から身を離した麻衣が立ち上がった。

「今日もお弁当作ってきたから、少し寒いかもしれないけど屋上で待ってるね」

「うん」

 それから昼休みまでの間、授業中も僕は麻衣のことを考えていた。

 その時になってようやく僕は早朝のメールを思い出した。今朝は麻衣にこの話はできな
かった。早く麻衣に披露したいと思う反面、この僕からのプレゼントを麻衣に伝えるには
まだ早すぎるのではないかという気もしてきた。

 麻衣の望みは優を池山君から引き離すことだったけど、それはまだ成就していない。鈴
木先生が今朝のメールに気がつき何か対応をしているのかもしれないけど、それはまだ成
果となって現れてはなかった。僕のしたことは単に捨てアドから鈴木先生にメールをした
だけに過ぎない。こんな程度のことを得意気に麻衣に披露したとしてもそれは僕の自己満
足だ。僕のしたことはただ行動を起こしたということに過ぎず、麻衣の望む結果は出せて
いないのだから。

 僕は気を引き締めた。麻衣の僕に対する気持ちは、疑り深く臆病な僕にとっても疑う余
地がないくらい完璧に近い形で確かめられた。僕はもう麻衣の僕に対する気持ちについて
不安に思うことはなかった。

 次は僕が麻衣に対して自分の気持を見せる番だった。それは百万回彼女に対して好きだ
と叫ぶことではない。麻衣の切ない望みを完璧な形でかなえてあげることこそが僕の麻衣
に対する本当の告白なのだった。

 昼休みになり僕は教室を出て共通棟の屋上に向かった。麻衣とはそこで待ち合わせをし
ている。お互いに時間を無駄にせず長く一緒にいるためには共通棟での待ち合わせがいい
のかもしれないけど、今度は僕の方から麻衣の教室に迎えに行ってみようか。きっと麻衣
のクラスメートはざわめいて僕たちの仲を噂するだろうけど、麻衣はそんなことは気にせ
ずに僕の迎えを喜んでくれるだろう。

 今日は優は登校していないのだろうか。それともメールの効果が発現するとしてももっ
と時間を要するのだろうか。僕は麻衣へのプレゼントのことを気にしながら共通棟の屋上
に続くドアを開けた。


 麻衣はもう先に来て硬い石のベンチに腰かけていた。

「ごめん」

 僕は麻衣を待たせてしまったことに妙な罪悪感を感じて麻衣に謝った。彼女はそれには
答えずにでも優しく微笑んでくれた。

 その昼休みは麻衣は珍しく寡黙だった。彼女は僕にお弁当を勧めた。そして僕が彼女に
勧められるままに手づくりのサンドイッチを食べている間、黙ったまま微笑んで僕を見つ
めていたのだった。それは奇妙なほど静かな時間だった。

 朝、お互いに抱き合い引き寄せあったときのような情熱的な感情は今でお互いに収まっ
ていて、それでもお互いをより近くに、まるで自分の分身のように親しく感じている度合
いは朝のひと時よりも大きかったかもしれない。麻衣の沈黙はもう僕を不安にさせること
はなかった。

「先輩?」

「うん・・・・・・美味しいよ本当に」

 僕はサンドイッチを飲み込んで答えた。小さい頃から料理をしているだけあって彼女
の料理の腕前はお世辞でなく確かなものだった。

「ありがと」

 彼女は言った。「でもそんなこと聞きたかったんじゃないのに」

「うん? 何?」

「あたしね」

 麻衣は僕の方を見つめた。顔には相変わらず優しい微笑を浮かべていた。

「本当に先輩と出会えてよかったと思う。普通なら一年生と三年生なんか出会う機会って
少ないじゃない?」

「まあ、同じ部活とかじゃないと普通はないよね」
 僕は答えた。それに同じ部活だったとしても三年生と一年生のカップルはうちの学校で
も珍しかった。ほとんど中学生に近い一年生と大学生に近い三年生ではいきなり恋人同士
に至るにはギャップが激しすぎるし、少しづつ長い時間をかけてお互いにわかりあうにし
ても一年と三年では共に一緒に過ごせる期間は短かかった。部活からの引退や受験を考え
ると長くても半年くらいだったろう。そう考えると僕と麻衣のようなカップルが成立した
のは一種の奇跡だった。

「お兄ちゃんと二見さんのことがあって、たまたまあたしがパソコン部に入ろうと思った
から、あたしと先輩って知り合えたんじゃない?」

「うん」

 本当にそのとおりだった。それに僕が学園祭の準備にかまけていて、パソ部に顔を出さ
なければ彼女と知り合うことすらなかっただろう。いろいろあって偶然に生徒会に居辛く
なった僕が生徒会室を避けて部室に避難したからこそ僕は今、麻衣の彼氏でいられるのだ。
そう考えると本当に綱渡りのような偶然が積み重なった、危うい一筋の糸の上で僕たちの
儚い恋は成就していたのだった。僕は本当に幸運だったのだろう。

「先輩と知り合う前のあたしと、先輩の彼女になったあたしって別な人間なのかもしれな
い」

 麻衣は随分と難解な表現で話を続けた。僕との出会いを喜んでくれたのはわかったけど、
それにしてもそれは大袈裟な物言いだった。

「いろいろあたしも成長したのかもね」
 麻衣は言った。「あたしって今までお兄ちゃんが大好きで、今までも他の男の子に告白
されたこともあったんだけど、いつもお兄ちゃんのことを考えちゃって」

「うん」


 麻衣がブラコンだということは彼女と知り合う前から副会長に聞いていたので、別にそ
れは僕にとって驚くほどの情報ではなかった。

「だから、二見先輩の女神行為を見つけた時は本当にあの人が許せなったし、お兄ちゃん
の彼女があんなことをしているなんてもってのほかだと思ってたの」

 それは良く理解できる話だった。そして、現に僕はそんな麻衣のために既に手を打って
いたのだから。

「・・・・・・先輩のせいだからね」

 その時、麻衣は微笑みながら涙を浮かべるという複雑な表情を僕に見せた。

「全部先輩のせいなんだから。先輩、責任とってくださいね」

 彼女は涙を浮かべつつも幸せそう僕に向かってに微笑んだ。

「責任なんかいくらでも取るさ」

 僕は少し驚いて言った。「でも、何が僕の責任なの?」

「これから話すよ。でもその前に一つだけ聞かせて?」

「うん」

「この間、浅井先輩が言ってたこと・・・・・・先輩がお姉ちゃんに振られたって、それ本当な
の?」

 まずい。僕はそのことをすっかりと忘れていたのだ。麻衣はあの時僕と遠山さんのこと
を副会長が話しているのを聞いていた。あの時は副会長に責められていた僕を助けようと
した麻衣は遠山さんのことには言及しなかったのだけど、普通に考えればそのことを麻衣
が気にしていない方がおかしかった。

 僕は迷った。本心で答えるならば僕は遠山さんのことは別に好きではなかったと答えれ
ばいい。でもその場合は、何で好きでもない遠山さんに僕が告白したのかということを説
明しなければならない。

 本当はそろそろ僕と優のことを麻衣に告白してもいい頃だったのかもしれない。もう麻
衣の僕に対する愛情には疑いの余地はなかったから、過去の話として僕が優に気持ちを奪
われていたことがあったことを告白してもいいのかもしれない。でも、優が麻衣にとって
見知らぬ女性であるならばともかく、優は現在進行形で池山君の恋愛の対象だった。その
優に僕までが心を奪われていたことを告白するのは、このタイミングではとてもしづらい
ことだった。なので、僕はその時まだそこまで割り切れなかったのだ。

「本当だよ。僕は遠山さんに告白して振られた。でも、今にして思うと何で僕はそんなこ
とをしたのかわからないんだ」

 それは苦しい言い訳だった。

「先輩、お姉ちゃんのどんなところが好きだったの?」

 目を伏せた麻衣が小さく言った。

「いや。多分、女の子にもてない僕は焦っていたんだろうと思う。このまま彼女すらでき
ないで高校を卒業すると思っていたところに・・・・・・」

「うん」

 麻衣は僕を責めるでもなく真面目に聞いてくれていた。そのことに僕は胸が痛んだ。

「そんなところに、身近な生徒会で綺麗な遠山さんと親しく一緒にいる機会があったか
ら。でも今の僕の気持ちはその時とは全然違う。君が僕なんかを好きになってくれたこと
は今でも信じられえないけど、それでもいい。僕は君を失いたくない」

 必死でみっともない姿を晒したことがよかったのだろうか。麻衣はゆっくりと頷いてく
れた。

「あたしとお姉ちゃんとどっちが好き?」

 麻衣はからかうように囁いた。

「君に決まってる」

 僕は言った。


「ありがと、先輩」

 麻衣は僕の言い訳を受け入れてくれたようだった。

「あたし先輩とお付き合い初めていろいろわかったことがあるの」

「わかったって・・・・・・何が?」

「うん。人が人を好きになるって理屈じゃないんだって。正直に言うと先輩みたいなタイ
プの人とお付き合いするなんてあたし、以前は考えてもいなかったし」

 先輩みたいな人。僕は今では麻衣の愛情に疑いは持っていなかったけど、その言葉の持
つ意味にはすぐに気づいた。イケメンでもないしスポーツも苦手。得意なことと言えばパ
ソコン関係くらい。麻衣のような放っておいてもリア充な男から声をかけられる女の子に
ふさわしい男とは、僕はとても言えないだろう。

「・・・・・・それは自覚しているよ。僕なんかが君と付き合えるなんて普通じゃないことだっ
て」

 そこでまた麻衣はそれまで浮かべていた優しい微笑を消して僕を睨みつけた。

「またそんなことを言う。何でいつも先輩はあたしに意地悪なこと言うの?」

 麻衣は今にも泣き出しそうな表情で僕を非難するように言った。

「意地悪って・・・・・・正直な気持ちなんだけどな」

「何でそうやってあたしのことをいじめるの」

「いや、いじめるって。そんなつもりは全くないけど」

「先輩、あたしのこと好きって言ったよね?」

「うん。君のことは誰よりも好きだ」

「だったらもうそういう、自分を卑下するようなことは言わないで」

 何か不公平な感じだった。僕みたいなタイプと付き合うなんて考えたこともなかったと
最初に言ったのは彼女の方なのに。

「先輩のこと大好き」

 不意に再び麻衣の態度が柔らかくなった。そして彼女は僕に甘えるように寄り添った。
僕は自分の肩に彼女の重みを受け止めた。

「先輩も」

「え?」

「先輩も・・・・・・」

「うん。麻衣のこと大好きだよ」

 麻衣は黙って僕の肩に自分の顔をうずめた。彼女の細い髪が僕の鼻を刺激したため、僕
はくしゃみをかみ殺すのに大変だったのだけど。


「あたし、もう二見先輩とお兄ちゃんの仲を許せると思う」

 彼女は僕の肩に体重を預けながら呟いた。

「お兄ちゃんもあたしと一緒なのかもね」

「どういうこと?」

 僕は何となくそう望まれているのではないかと思って、彼女の肩に手を廻した。

「恋愛って当事者同志じゃなきゃわからないんだよね。あたし、初めて恋をしてよくわか
った」

「・・・・・・うん」

 初めて恋をしたって。

「お兄ちゃんが二見さんのことを、二見先輩の女神行為のことを承知していても二見さん
が好きなら、あたしはそれを邪魔しちゃいけないのかもしれない」

 一瞬で僕の思考は甘い感傷から覚醒した。麻衣の肩を抱いていた手が震えた。

「・・・・・・先輩?」

 麻衣がいぶかしんだように聞いた。

「いや。続けて」

「あたしにはブラコンかもしれないけど、それでもお兄ちゃんの恋を邪魔する資格はない
と思う。特に今ではあたしの一番好きな男の人は、お兄ちゃんじゃなくて先輩なんだし」

「うん・・・・・・」

 途方もないほど幸福に思えただろう麻衣の言葉も、今の僕には全く響いてこなかった。
胃の辺りが重く苦しく軋んでいる。

「だから先輩、あたしが前に相談したことは全部忘れて。あたしはお兄ちゃんと二見先輩
の仲は邪魔しないし、お兄ちゃんの味方になるの。今ではあたしには先輩がいるんだし、
もうお兄ちゃんの恋を邪魔するのは止める」

 僕にはもう何も言えなかった。

「それをあたしに気がつかせてくれたのは先輩だよ」

 麻衣は僕の頬に手を当てた。

「大好き」

 麻衣に口を塞がれながら、僕はその甘い感触を感じることすらなく自分のしてしまった
早まった行為のことを鮮明に思い浮かべていた。

 もう僕には何も考えられなかった。僕は麻衣のことを思いやる余り先走って優の女神行
為のことを鈴木先生にチクってしまっていたのだった。

 僕の感覚と思考は戦慄し、震えた。どうしたらいいのだろう。どう行動するのが僕にと
って最適解なのだろう。

 僕にとってはもう優に制裁を加えるとかその巻き添えで池山君が痛めつけれられるとか、
そういうことはどうでもよかったのだ。最初は僕を虚仮にした優への復讐が動機の一つだ
ったけど、麻衣に惹かれ信じられないことに彼女に愛された僕にとってはもうこの二人の
ことなんてどうでもよかった。


 ただ、麻衣の願いをかなえてあげることだけが僕の目的だった。そのために僕は麻衣に
黙って勝手にこの作戦を開始してしまったのだった。

 ・・・・・・今では麻衣はそれを望まないと言う。この時素直に麻衣に僕がフライングしたこ
とを白状して謝っていれば。でも、自分に自信のない僕にはそれを選択することができな
かった。

 結局、僕は麻衣に自分のしてしまったことを告白しなかった。鈴木先生にメールしただ
けでは何も起こらないかもしれない。あの画像は本人が白を切ればそのまま通ってしまい
そうなほど画質の悪いものだった。現に僕は優がこれだけでは追い込まれないときのため
の準備をしていたほどっだった。

 今ならまだ引き返せるかもしれない。そして引き返せる可能性があるのなら僕のしでか
したことを麻衣に告白しなくてもすむのかもしれない。

 僕はようやく掴んだ自分の幸せを壊したくなかったのだ。

「今日はお兄ちゃん、体調が悪くて早退したみたい」

 麻衣は僕の葛藤には気が付かずに言った。

「お兄ちゃんが心配だから、今日はまっすぐ家に帰るね。先輩と放課後一緒にいられなく
てごめんね」

「いや。それは早く帰ってあげないと」

 僕はようやく振り絞るように掠れた声で言った。

 麻衣はにっこりと笑って僕の方を見てからかうように言った。

「先輩、あたしとお兄ちゃんの仲に嫉妬してる?」

「な、何で君のお兄さんに嫉妬するんだよ」

「冗談だよ」

 麻衣は再び僕に抱きついて言った。

 放課後、僕は生徒会室に顔を出すことすらせず部室に向った。今日はもう麻衣に会えな
い。彼女は早退した池山君を心配して真っ直ぐに帰宅しているはずだった。

 麻衣ににあそこまではっきりと愛情を示されたのだから、普通なら有頂天になっていて
もいい状況だったけど、今の僕の心境は全く違っていた。麻衣の池山君への執着について
僕は決して軽んじていなかった。だから麻衣の僕への愛情を信じた後になっても、池山君
と優を別れさせることは、麻衣との約束どおり引き続き僕が果たすべき役目だと思ってい
たのだ。ただ、これは僕自身にもリスクが生じることだったから、僕のことを気にするよ
うになった麻衣は、僕のことを心配してそれを実行するよう僕に催促しづらくなるかもし
れないということは考えていた。

 だから僕は彼女には事前に何も知らせずに鈴木先生に優のセミヌードが掲載されている
ミント速報のログをメールで教えたのだった。

 でも、今日の昼休みで事態は一変してしまった。どんなに破廉恥だと思えるような相手
であっても、池山君が本当に好きな相手なら麻衣は許容することに決めたのだと言う。そ
して皮肉なことに麻衣が池山君と優のことを認めることに決めたきっかけは僕との交際な
のだった。

 もう一日早く、麻衣が池山君と優のことを許容することを僕が知っていれば。あるいは
もう一日僕が鈴木先生にメールを出した日が遅ければ。でももうそれを考えても仕方がな
い。

 僕のしたことが麻衣にばれたらどうなってしまうのだろう。あるいは、麻衣は当初の自
分の願いに忠実に行動した僕を理解し許してくれるかもしれない。それとも池山君を許容
した麻衣は、自分の兄が好きな優を社会的に追い込むかもしれないことを、自分に黙って
勝手に始めた僕を怒るだろうか。それは考えても結論の出 ることではなかった。

 僕は部室のパソコンを立ち上げ先日作成した捨てアドへのメールをチェックした。もう
こうなったら鈴木先生が僕の送ったメールを悪質な悪戯だと判断して無視してくれること
を祈るしかなかった。


 しかしそんな僕の切ない期待を裏切るかのように新着のメールが到着していた。

from :明徳学園事務局
sub:ご連絡ありがとうございました
本文『当校の生徒の行動に関する情報についてご連絡いただきましてありがとうございま
した。頂いた情報につきましては慎重に調査させていただいた上で、必要があれば当該生
徒に対して指導を行ってまいりますので、ご理解くださいますようお願いいたします』

 それは鈴木先生の携帯からのメールではなく、学校のアドレスからの正式な回答メール
だった。僕の期待に反して鈴木先生は自分の胸に秘めることをせず、僕のメールに対して
組織として対応することを選んだようだった。

 でも、そのメールの内容はきわめて事務的なものだった。企業や役所がクレームに対し
て機械的に送り返す回答のようだったのだ。

 僕はそのことに少しだけ期待を抱いた。鈴木先生、いや学校側はあの画像が優のものだ
と断定するには証拠に乏しいと判断したのかもしれない。慎重に調査するだの必要があれ
ば指導するだのという表現には学校側の混乱が全く伝わって来ない。つまりひょっとした
ら証拠不十分で僕のメールを黙殺しようと考えているのではないだろうか。

 鈴木先生にメールを出したときも、僕はそういう可能性を考えないではなかった。あの
時の僕だったら、この学校のメールに対して更に破廉恥でより優だとわかりやすい画像が
晒されているミント速報のログを再び学校側に送りつけていただろう。でも今では事情は
一変していた。このまま事が収まってしまえばいい。僕はそう思った。そうすればメール
のことはなかったことになり、僕は何も心配せず麻衣と恋人同士でいられる。もう僕には
過去に僕を裏切った優への処罰感情とか、ことごとく僕が関心を持った女の子を奪ってい
く(ように思える)池山君への恨みは残っていなかった。

 僕はメールに返信しようと思った。前に考えていたような追撃メールではなく火消し
メールだ。僕は、僕の苦情メールを学校側が気にしすぎて優の行動をより詳細に調査しだ
すことを防ぎたかったのだ。

 とりあえず僕は自分がしつこいクレーマーではなく、学校から返事をもらえただけで満
足し矛を収めてしまうような人物であることをアピールし、学校側を安心させようと考え
た。

sub:Re:ご連絡ありがとうございました
本文『速やかにご対応いただきありがとうございます。もちろんその画像が二見優さん
のものではない可能性があることは承知しておりますので、慎重に調査していただいた方
がよろしいかと思います。その上でその画像が二見さんのものであると特定できなかった
場合は、一人の女生徒の将来がかかっているわけですから、無理にそれが二見さんの画像
だと断定することは公平ではないことも理解しております。』

『前のメールで、万一必要な指導をしていただけない場合にはこの事実をマスコミ等の諸
方面に通報せざるを得なくなりますと記しましたが、誠意を持って対応していただいてい
るようですので、今後どのような結果になったとしてもマスコミ等への通報はいたしませ
ん。このことについては撤回させていただきます。この後の処理については学校側に一任
いたしますので、慎重かつ公平な判断をお願いしたいと思います』

 今の僕ができることはここまでだった。あとは結果を待つしかなかった。同時に自分の
した行為を麻衣に告白出来るチャンスももう失われてしまっていた。ここまで策を弄して
しまったら麻衣には最後まで黙っているしか、嘘をつきとおすしかなかった。仮に優が追
い詰められる状況になってしまったとしても、それが僕のせいであることを麻衣に告白す
ることはできなかった。

 夜自宅で眠りにつく直前に、僕は麻衣から混乱してるらしいわかりづらいメールを受け
取った。

from :池山麻衣
sub  :ごめんなさい
本文『遅い時間にごめんね。さっきお兄ちゃんに二見先輩がどんな人であってもお兄ちゃ
んが好きな人ならあたしももう反対しないよって伝えたの。そして、今日二見さんが休ん
でいることをお兄ちゃんから聞きました』

『二見さん、事情がよくわからないけど停学になったみたい。何かすごく嫌な予感がする。
あたしたち以外の誰かが同じ事を考えていたのかもしれないね。お兄ちゃんは、明日は学
校休んだ方がいいと思ったんだけど言うことを聞いてくれないし、何でお兄ちゃんを登校
させたくないか自分でもちゃんと説明できないし』

『先輩ごめんね。明日はお兄ちゃんと一緒に登校するから先輩のこと迎えに行けない。お
昼もどうなるかわからないけど、またメールするね』

『二見さんに何が起きているのかわからないけど、あたし、今はお兄ちゃんの味方に、お
兄ちゃんの力になってあげないと』

『本心を言うと先輩と会えなくて寂しい。でも妹としてお兄ちゃんのこと放っておけない
から』

『じゃあおやすみなさい。そしてごめんね先輩。またメールするね。本当に愛してるよ』


今日は以上です
また投下します


とりあえず、何とか担任が来る前に学校から抜け出せた。あいつの家に向かいながら電
話をしようと俺は思った。何度かコールしても優は電話に出ない。

 俺はほとんど走るように足早に歩きながら考えた。これからあいつはどうなるんだろう。
自宅謹慎とか先生から事情聴取を受けるのだろうか。それとも下手すれば停学とかもある
かもしれない。優が停学になるにしても、何で停学になったかを学校が生徒に公表したり
することはあるのだろうか。そんなことになったら本当に優はお終いだ。

 いや、女神行為をしてたから停学なんてそんなことを公表するわけがない。生徒にショ
ックを与えることになるし、何より学校の評判も落ちるだろうし。俺は祈るような気持ち
で自分にそう言い聞かせた。確かに、優の行為は道徳的ではないけれども、反面、法律を
侵しているわけではない。つまり、下着姿なのだから公然わいせつ罪の構成要件を満たす
ようなことではないはずだ。でも、それなら何で俺は今彼女の処分に即座に納得できたの
か。それが、同級生たちに知られたら恥ずかしい行為、彼らから今度こそ本当に優が排斥
されるような行為を、彼女がしていたと理解できていたからではないのか。

 思考が混乱して、今、自分がは何をすればいいのか考えられない。とにかく、優と連絡
を取ろう。あの聡明で大人びている優なら、彼女が陥っている立場を明確に説明してくれ
るかもしれない。あいつは、こんなことで混乱してパニックになるような性格ではない。
自分のしていることのリスクさえ、冷静に考えて女神行為をしていたのだから。

 それに。あれを撮影したのは俺なんだから、ある意味俺にも責任がある。そこに思い至
った俺は、たまらない気分になった。早く駅まで行って電車に乗ろう。電車の中でメール
すればいい。俺は半ば錯乱した状態で駅に向かって、今度こそ全力で駆け出した。

 何とか下りの電車に間に合った俺は、スマホから優にメッセージを送った。

『携帯に連絡してくれ。女神行為が担任にばれたのか? ・・・・・・すごく心配している。連
絡くれ』



 結局、その日俺は優と会えなかったし、連絡も取れなかった。優は俺のメッセージを既
読にしなかったし、優の家まで行って恐る恐るチャイムを鳴らしてみたものの、静まり返
った彼女の家からは何の反応もなかった。

 俺は途方にくれた。いったいこの先どうすればいいのだろう。優の家の前にいても仕方
がないけど、今更優のいない学校に戻る気はしなかった。俺はそのまま自宅に向かって混
乱した感情を持て余しながら歩き出した。ひどく混乱していた俺だったけれども、歩きな
がら考えているとすこしづつ疑問点が思い浮んできた。夕也が担任の鈴木先生の言葉を正
確に覚えているとすると、鈴木先生は優の親にこう言ったのだ。



『女子の高校生が下着姿の際どい写真をネット上で公開してたんですからね。お嬢さんは
学校では友だちこそ少ないようでしたけど、これまで成績も素行も何も問題はなかったの
に。もちろんいじめられているということもなかったし』

『とにかく、投書に書いてあったURLをそちらにお送りします。ご自分の目でお嬢さん
かどうか確認してみてください。まあ、誰が見てもお嬢さんであることは間違いないと思
いますが』



 夕也の記憶が正しいとすると、鈴木先生は緊急時の連絡網に記載してある自分の携帯の
メアドに送られてきたメールを開き、そこにあるURLを踏んで優の下着姿を確認したこ
とになる。だけどよく考えれば優は女神行為をする時は、自分のうpした画像を十五分く
らいで削除しているのだ。削除が早すぎて即デリ死ねよとか叩かれるくらいに徹底して。

 昨日と今日は優は女神行為はしていない。昨晩、俺の撮影した画像が自撮りじゃなくて
彼氏とセックスした時に彼氏が撮影したんじゃないかという疑惑に答えるレスはしていた
けど、その時は画像そのものはうpしていなかったのだ。それなのに鈴木先生が優の画像
を見られたはずがない。俺は何だか嫌な予感がした。額から汗が滲んでくる。俺は足を早
めて自分の家に駆け込むようにして入った。そして、リビングのパソコンを起動した。


 パソコンが起動すると、俺はすぐ検索サイトを開いて優のコテトリを入力した。以前も
同じワードで検索したことがあったのだけど、最初のほうに女神板のスレがヒットしたの
でそれ以降の検索結果は確認していなかった。でも今日は違った。検索結果が表示された
ディスプレーを眺め、俺は女神板以外にヒットしたサイトを確認し始めた。あの時、何で
検索結果を確認しなかったんだろうと思うほど、ヒットしたサイトは少なかった。その上
位にヒットしたのは当然ながら全て女神板のスレだった。



【貧乳女神も】華奢でスレンダーな女神がうpしてくれるスレ【大歓迎】
【緊縛】縛られた女神様が無防備な裸身を晒してくれるスレ【被虐】
【女神も】女神様雑談スレ【住人もおk】



 その下にある検索結果には見慣れないタイトルが表示されていた。



『今春入学したばかりの処女のJD1が大胆な姿を露出!!―ミント速報過去ログ』



 俺はそのリンクをクリックした。そこはミント速報とかいうサイトで、やたらに有料動
画とかの宣伝リンクが連なっており、ページ全体が女性のあられもない裸体で埋め尽くさ
れているようなアダルトサイトだった。でも、そこに浮かび上がったメインの記事はよく
覚えているものだった。



モモ◆ihoZdFEQao『こんばんわぁ~。誰かいますか』
モモ◆ihoZdFEQao『人いた。最近恋に落ちたせいか痩せてますます貧乳になりました
(悲)』



 そして、そこには画像を開くまでもなく最初から優の画像が表示されていた。それは、
俺が優にメールを貰って初めて見た時の、女神板にうpされていた彼女の際どい姿の画像
だった。・・・・・優があれほど気を遣って削除していた女神板の画像は、こうして半永久的
に他のサイトに転載され、誰でも閲覧できるようになっていたのだ。

 もう間違いなかった。鈴木先生が確認したのはこの画像だろう。そして、目に線が入っ
ているとはいえ優をよく知っている人には、その画像が彼女のものであることはすぐにわ
かったと思う。優は、いや優ならネットとか詳しいのだからこいつが大丈夫というなら大
丈夫だろうと安心していた俺も、今思えば本当にバカだった。まとめサイトのことは知っ
ていた。そもそも優の話では、2ちゃんねるに入り浸るようになったきっかけはまとめサ
イトだったはずだ。それなのに自分がうpした画像やレスしたスレが転載される可能性が
あることに全く気がついていなかったのだ。

 俺は今自分がどうすればいいのかわからなかった。優との連絡は相変わらず取れない。
優はこの先どうなるのだろうか。

 それについて考えているうちに、俺は次第に落ち着きを取り戻してきた。優の女神行為
が学校に知られたことは大変なことだったし、今頃優はどこかで学校側から事情聴取をさ
れているかもしれない。だけど、優がしたことが犯罪ではないことは確かだし、おそらく、
直接的な校規違反ですらないはずだった。学生としてふさわしくない行動を取ったという
ことで、停学くらいにはなってしまうかもしれないが、それ以上の処分はないだろう。


 俺は優の処分の程度に思いが至ったせいで、更に落ち着きを取り戻した。優にとって最
悪なのは、周囲の生徒に自分の女神行為を知られることだろう。そうなったらもう、元の
ようにぼっちに戻るくらいでは済まない。噂に耐えかねて学校は中退することすらありそ
うだった。ただ、学校側が優の処分の理由を公表することは考えられない。教師の不祥事
ではないのだから、過ちを犯した生徒の将来への配慮ということは必ずなされるだろう。
それに、学校の評判を落とすということも考慮されるに違いない。優が停学処分で自宅謹
慎していることについて、クラスの同級生には家庭の事情でしばらく優は休みだと言うよ
うに伝えられるに違いないだろう。

 優にとっては、自分が親に隠れてしていたことを知られてしまったことは辛いだろう。
両親との関係はぎくしゃくするだろうし。そして優の処分が軽かったとしても、当然なが
ら優の女神行為はこれで終わりだろう。もう、ネット接続すらさせてもらえないかもしれ
ない。当然、俺が優の肢体を撮影することもなくなるわけだ。

 でも、それはもう仕方ないことだった。優が登校してきたら二人で話し合って最初から
やり直そう。俺たちは、俺と女神ではなくなった優は、この機会に普通の高校生らしい交
際だってできるはずだ。

 少しだけ安堵した俺が次に疑問に思ったのは、だれがこれを学校にチクったのかという
ことだった。鈴木先生が言っていたように、行内連絡用の鈴木先生の携帯に電話をしてき
たということは、生徒か、少なくとも学校関係者であることは間違いない。ただ、その相
手を特定するのは無理だ。2ちゃんねるかミント速報を偶然に閲覧したうちの学校の関係
者が、動機は不明ながら鈴木先生にチクったということだけしかわからない。誰であって
も不思議はない。ミント速報というアダルトサイトはいかにもアクセス数が多そうだった。
俺は念のためにこのサイトの名前で検索してみることにした。

 検索結果は膨大だったけど、とりあえず俺は最初の方にヒットしていた「ネットスラン
グ用語集」とかいうサイトを開いてみた。



『ミント速報(みんとそくほう)』

『誰でも無料で閲覧できるアダルトサイト。2ちゃんねるの女神板に貼られた画像、動画
を無断転載しているまとめサイトの最大手』

『女神のレス、画像、動画の転載を繰り返すことで巨大化し現在では毎日数十万のアクセ
スを稼ぎ十万人規模の利用者がいると言われている』

『過去にミント速報に転載されたことにより、女神の素性が割れて、氏名、年齢、学校や
職業、更には住所までネット上で大々的に晒された事件が何度も起きている札付きのサイ
ト』

『通常は女神板に貼られた画像は身バレや転載防止のために即座に削除されるが、ミント
速報を含むアダルトサイト管理者は、女神板に貼られた画像、動画を自動で回収するツー
ルを使っているとされている』

『また、複数の協力者が女神板に常駐していて、画像が削除される前に女神の画像を回収
し、アダルトサイトの管理者に提供しているとも言われている』



 これが事実なら俺と優はこれまで無防備過ぎたのだろう。でも、そのことを今更後悔し
ても仕方がなかった。それより、このミント速報は毎日数十万のアクセスがあると記され
ている。これだけの利用者がいれば、その中に優をよく知っているうちの生徒がいても不
思議はない。


 優のことは心配でたまらなかったけれど、俺にはリビングのパソコンを立ち上げたとき
の状況が気がかりだった。それでも俺は優を陥れた犯人が麻衣ではなかったことに安堵し
ていた。というのは、最近の麻衣の発言や行為には、あいつが優の女神行為を知っている
としか思えない微妙な言葉があったからだ。でも、それは杞憂だったようだ。少なくとも
妹は今回の件に関係していない。麻衣は2チャンネルのスレを見たのかもしれないけど、
VIPのあのスレをリアルタイムで見れる可能性は相当低いし、たとえ見れたとしてもリ
アルタイムでなければ画像は削除されていたはずだ。そして、それは女神スレでも同じは
ずだった。ミント速報を見られさえしなければ。

 俺はただ妹が犯人であることへの否定的根拠が見つかったことに安堵していた。たとえ
俺が閲覧したスレを麻衣が発見したとしても、画像が削除されている以上、それが優のこ
とは思いもよらないだろう。

 ふと妹が突然購入したノートパソコンのことを思いついた。もしあのパソコンの閲覧履
歴にミント速報があったとしたら。

 ・・・・・・再び心が重くなってくるのを感じながら、俺は壁にかかっている時計を眺めた。
まだ、昼の十二時三十分だった。学校では今昼休みの最中だ。

 妹の留守中に妹の部屋に勝手に入り妹のパソコンを調べることに、俺は少しためらいを
感じたけど、妹の行動の真実を解き明かす方が優先だと、俺は自分に言い聞かせた。俺は
リビングのパソコンを終了させて、二階の妹の部屋に向かった。

 見慣れた妹の部屋に入ると、机の上に置かれているノーパソを開いて電源を入れた。一
瞬、パスワードがかかっていたらどうしようかと思ったけれど、妹のパソコンはしばらく
して無事に起動を終えた。俺はブラウザをクリックした。

 ブラウザの起動時に表示されるホーム画面は、このパソコンのメーカーが運営するポー
タルの画面だった。今のところ怪しいところは何もない。まず俺はブックマークを開いて
みた。

 ・・・・・・その結果は微笑ましいというか、健全な女子高生そのものだった。



『お手製お惣菜のヒント』
『お弁当に使えるレシピ』
『ガールズ・スタイル―女子中高生のためのファッションブログ』
『ツィンクル・スター:携帯小説ブログ』
『読モになろう!』



 俺はブクマされているサイト名を確認しながら、ブックマークの画面をスクロールして
いったけど、別に不審なサイトは見当たらない。



「恋占い」
「新作電子書籍のご紹介「妹が大好きでもう我慢できない!」
「鬼畜な兄貴:お兄ちゃんもう許して」



 鬼畜な兄貴じゃねえよ。俺は思わず心中で舌打ちした。でもまあ、妹のこの手の趣味は
昔からだ。俺は次に閲覧履歴を開いた。三週間前からの履歴が残っている。これはサイト
名が表示されずURLだけが羅列されているだけだったので、俺は時間をかけてURLを
クリックして、妹が閲覧したサイトを確認していくしかなかった。これには結局一時間以
上かかってしまった。

 ・・・・・・そしてほっとしたことに、その閲覧履歴の中にミント速報はなかったのだ。


 思い切って妹のパソコンを調べてみてよかったと俺は思った。妹は優を陥れた犯人では
なかったのだ。そして俺は、優とは優が登校してきたらよく話し合ってこれからは慎重に
普通の高校生のカップルとして、付き合えばいい。今朝の衝撃的な出来事に遭遇し動揺
しまくっていた俺が、それからわずか半日程度でここまで考えをまとめられたのも、夕也の
おかげかもしれなかった。俺はぼんやりとそんなことを考えながら、麻衣のパソコンを閉
じようとした。

 その時、俺はふと妹の閲覧履歴の中に残っていた掲示板のことを思い出した。それはミ
ント速報ではなかったので、調査を急いでいた俺は、その時はその掲示板を見もしないで
次のURLをクリックしたのだった。けれども、こうして少し安心した気持になっていた
俺は、その掲示板を見てみようと思いついた。その掲示板に俺が惹かれたのは、掲示板の
タイトルにうちの学校の名前が書いてあったからだった。



『学園の生徒集まれ~』



 これはいわゆる学校裏サイトってやつだろうか。まだ、妹の帰宅までには時間は十分に
あった。俺は少し心が軽くなっていたこともあり、好奇心にかられてその掲示板を見るこ
とにした。レスの大半は教師の悪口やテストや宿題の愚痴だった。あと、自分が気になっ
ている女子のことを書き込んでいるレスもあった。誰々がキモイとか、よく聞くいじめの
様なレスは見当たらず、裏サイトというほどのものじゃねえなと俺は考えた。もちろん教師
の悪口がある時点で学校には知られたらアウトなんだろうけど。

 全てのレスは匿名だったので、誰がレスしているのかはわからないけど、一度うちの担
任の鈴木先生のことを、自分の担任の鈴木がうざいとか書いてあるレスがあった。少なく
ともそいつは俺のクラスメートだろう。

 レスを読んでいるうちに飽きてきた俺がそろそろ読み止めようかと思い始めたその時、
突然、優の実名が書き込まれているレスに辿りついた。それは最近のレスだった。一瞬、
嫌な予感がした俺だったけれども、そのレスを読んでいるうちに何だか心が温かくなって
いくのを感じた。



『2年2組の二見さんって、最近感じよくね?』

『あ~。うちもそう思った。初めは人間嫌いな人なのかなって思ってたんだけど。最近良
く話すけどいい子だよ。成績いいけど偉そうにしないし』

『うちも二見さんから本借りちゃった。つうか今度一緒にカラオケ行くんだ☆』

『つうか二見さんって可愛いよね。俺、告っちゃおうかな』



 これだけ優は同級生に受け入れられている。これなら女神行為ができなくなっても、優
の「承認欲求」とやらは十分にリアルでも満たされるだろう。この掲示板を見てよかった
と俺は思った。掲示板のレスはあと少し残っていたから、俺は最後まで読んでしまうこと
にして、画面をスクロールした。



『誰よあなた。もしかして2組?』

『違うよ。俺2組じゃねえし。つうか2年ですらねえよ』

『・・・・・・二見さんって池山と付き合ってるんだよ。知らないの?』

『嘘。マジで!?』

『マジだよ』

『でもさ、池山と夕也って遠山さんを取り合ってたんでしょ? 池山って遠山さんを諦め
ちゃったのかな』

『まあ、夕也が相手じゃ勝ち目は(笑)』



 ・・・・・・それは少しへこむ内容のレスだった。そして語尾に(笑)がついているレスが一
番最後のレスだった。

 まあ、いいいや。優は今ではリア充だ。学校側が今回の処分を公表しない限り、これ以
上事が大きくなることはないだろう。俺は麻衣のノーパソを閉じ、階下に降りた。そうい
えば朝から何も食べていない。俺はキッチンに行って冷蔵庫を漁ることにした。


 冷蔵庫の中から食べられそうな食品をあさっていたとき、俺は背後から麻衣の声を聞い
た。

「・・・・・・お兄ちゃん」

「おう・・・・・・おかえり」

「・・・・・・ただいま」

「早かったな。短縮授業とかだった?」

 妹はそれには答えなかった。どうでもいい時間つぶしの会話なんかする気分じゃないの
かもしれない。

「どうかした?」

 それにしても、普段とは違う麻衣の様子に戸惑った俺は聞いた。

「別に。どうもしてないよ」

「そんならいいけど」

「・・・・・・お兄ちゃんこそどうしたの?」

「どうしたって何が」

「今日、学校早退したんでしょ」

「ああ、それか。ちょっと体調崩してさ。あ、家に帰ったら良くなっちゃったんだけど
ね・・・・・・まあ、サボりみたいなもん?」

「それならいいけど」

「いや、サボりだとしたらよくねえだろ」

「お兄ちゃん?」

「うん?」

「お兄ちゃんは今日早退したから知らないだろうけど」

「何が」

「お姉ちゃんから聞いたんだけど、二見先輩ってお家の事情でしばらく学校をお休みする
んだって」

 やっぱりそうなるか。

「・・・・・・うん」

「お兄ちゃん、知ってたの?」

「それは聞いてなかったけど、そうなるかもとは思っていた」

「そか」

 麻衣は自分のかばんを玄関前の廊下におろした。

「おまえ、さっきから何か言いたいことがあるの?」

「うん、これじゃわかんないよね。ごめん」

「あたし、やっぱりブラコンなんだろうね」

兄「はぁ?」

「ブラコンだから、あたし。たとえ学校中がお兄ちゃんの敵になっても、あたしだけはお
兄ちゃんの味方だから」

「はあ?」

「お兄ちゃん、二見さんのこと本当に好き?」

「ああ」

「そうだよね・・・・・・うん、そうだよね」

「おまえ、さっきから何を」

「お兄ちゃんが好きなら、二見さんがどんな人でもあたしも味方になるよ」

「おまえ、いったい俺に何を言いたいの?」

「・・・・・・うん。これだけじゃ、わかないよね」


 何か凄く嫌な気分がした。

「リビングのパソコンのメールって、共用じゃない?」

「ああ」

「それで前にメーラー開いたら、二見さんあてのメール見ちゃって」

 画像は削除したのにメールは放置しちゃっていたのだ。俺ってどうしようもねえな。

「おまえ」

「うん。最初は何のことだかわからなかったけど・・・・・・URLがあったから」



from :優
sub  :無題
本文『じゃあ、そろそろ始めるね。今のところ他の子がうpしてる様子もないから、見て
ても混乱しないと思うよ。念のために繰り返しておくけど、女神板はうpも閲覧も18禁
なんであたしは19歳の女子大生って名乗ってるけど間違わないでね。』

『モモ◆ihoZdFEQaoのがあたしのレスだから。あと結構荒れるかもしれないけど動揺して
書き込んだりしちゃだめよ? 君は今日はROMに徹して』

『ああ、そうそう。これは余計なお世話かもしれないし、あんまり自惚れているように思
われても困るんだけどさ。今日うpする画像はすぐに削除しちゃうから、もし何度も見た
いなら見たらすぐに保存しといた方がいいと思うよ』

『じゃあ、下のURLのスレ開いて待っててね。8時ちょうどに始めるから』

『やばい。何かドキドキしてきた(笑) 女神行為にドキドキなんかしなくなってるけど、
あんたに嫌われうかもしれないって思うとちょっとね。でも隠し事は嫌いなので最後まで
見て感想をください。あ、感想ってレスじゃないからね』

『じゃあね』



「見たのか?」

「うん。画像は見れなかったけど、付いてたレス読めば二見さんが何をしていたかはわか
った」

 まさかこいつが鈴木先生に。いや、それは違うことは今日確認できたのだ。

「正直、ショックだったよ。お兄ちゃんに初めてできた彼女が、誰にでも裸を見せるよう
な、ふしだらな人だったなんて」

 優はそんな女じゃない。でも、普通の人間の反応としてはきっと正しい反応なのかもし
れない。俺と優の関係は、彼女の女神行為なんて超越してるって思ってたけど。今更なが
ら、こういうのって人にわかってもらうのは難しいのかもしれない。

「でもね。あたしはそれでもお兄ちゃんの決めた人なら理解しようと思ったの」

 ・・・・・・え?

「誰にでも体を見せられるような人でも、たとえ水商売をしている夜の女の人でも、お兄
ちゃんが決めた人なら反対はよそうと思った」

「・・・・・・おまえ、さっきからいったい何が言いたいんだよ」

「おまえ、何言ってるんだ。優が休んでるからって俺まで学校を休む理由はねえだろ」

「優って呼んでるんだ」

「いやさその」

「体調不良なんでしょ? 念のために休んで」

「何でだよ? もう大丈夫だってえの」

「どうせ今日だってサボったんでしょ? それならしばらく休んでた方がそれっぽいっ
て」

「だから何でそこまで俺を休ませようとするんだよ。優が、女神行為をしてたのは事実だ
よ。おまえが見たとおりだ」

「・・・・・・うん」

「でもよ、人間関係なんて、恋愛関係なんて人様々だろ? 俺は優の女神行為なんて承知
の上で付き合ってるんだよ!」

「お兄ちゃん・・・・・・」

「俺は学校に行く。優のことは別に恥じてねえし、優の停学中だって俺がこそこそする理
由なんてねえよ」

「さっきも言ったけど、二見さんとお兄ちゃんのことは応援するよ。でも、それなら、な
おさらお兄ちゃんは明日学校に行かない方がいい」

 俺にはその時の妹の言葉が理解できなかった。妹は優が女神行為をしていたことに気づ
いていた。そして、それは俺の不注意のせいだった。画像の削除とかには注意していたの
だけど、俺は不注意にも携帯からパソコンに転送した優からのメールをそのまま放置して
しまったのだ。妹はそのメールから女神板に辿りつき、優のレスを読んだのだった。あの
メールには優のコテトリも明確に記されていたので、誤解する余地は全くなかっただろう。

 妹が俺の彼女が女神だということに気づいていたことは、今日明白になった。それでも、
妹には優の画像は見られなかったはずだった。妹がミント速報に辿りつき優の画像を見た
形跡がないことは、今日一日でわかっていたし、鈴木先生に優の女神行為をちくって彼女
を窮地に陥れたのがこいつではないことも、わかっていた。

 それに、こいつは俺と優の交際に反対しないと言ってくれた。それはブラコンなこいつ
にとっては最大限の譲歩だったはずだ。それなのに、なぜこいつは俺に明日登校すること
を止めさせようとするのだろう。こいつは、何か俺が知らないことを知っているのだろう
か。

「何で俺が明日登校しちゃいけねえの」

 俺は妹に聞いた。

「俺は女神の優と付き合ってることを恥かしいなんて思ってねえよ。それに、そもそも学
校の奴らには湯うが女神行為をしてるなんて知られてねえし」

「まだ、今日はね」

 妹は暗い表情で言った。

 俺はこれまで、妹のことは何でも知っていると思っていた。幼少の頃から、両親が不在
がちなこの家で俺はこいつと二人きりで生きてきたのだから、こいつのことは何でも知っ
ていたつもりだった。こいつが初潮を迎えた時さえ、うろたえながらもこいつにいろいろ
説明し、有希の助けを借りながらドラッグストアに生理用品を死にそうな思いで買いに行
ったのだって俺だったのだから。

 でも、この時の妹の表情を眺めてもこいつが何を考えているのかはよくわからなかった。

「今日はそうだったけど」
 妹は繰り返した。

「明日も学校のみんなが何も知らないでいる保証なんてないんだよ」

 妹は俯いたままで続けた。

「何言ってるのかわかんねえよ。おまえ、何か知ってるなら教えてくれよ」

 俺は混乱しながら妹に言った。

「あたしにもお兄ちゃんに説明できるほど、知ってるわけじゃないよ。でも、明日学校で
何かあったら、お兄ちゃんはきっと傷つくと思う」

 妹は一瞬だけ、俺の目を真っ直ぐに見つめてそう言った。

「あまり楽観的に考えない方がいいと思う。二見さんのことも、お兄ちゃん自身のこと
も」

 元気のない声だったけれど、それでも妹は俺を見つめながら話を続けた。

「そうなっても、あたしだけはお兄ちゃんの味方だけど」


今日は以上です
また投下します

おつおつ

既存スレまとめ直し
このペースなら、「女神」はあと半年くらいは掛かるかな

◯1.「妹の手を握るまで(2011/12/07~2012/02/11)」(完結:67日,総レス数:1192)

●2.「女神(2012/02/01~2013/05/27)」(未完:481日,総レス数:1766)
女神・2 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1337768849/)

◯3.「妹と俺との些細な出来事(2013/08/06~2014/03/02)」(完結:208日,総レス数:1159)
妹と俺との些細な出来事 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1375800112/)
妹と俺との些細な出来事・2 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1388669627/)

●4.「ビッチ(2012/08/29~2013/12/18)」(未完:477日,総レス数:1459)
ビッチ・2 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1360764540/)

●5.「トリプル~兄妹義理弟(2014/03/14~2015/04/21)」(未完:404日,総レス数:787)
トリプル~兄妹義理弟 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1394723582/)

◯6.「ビッチ(改)(2014/11/26~2015/11/30)」(完結:370日,総レス数:568)
ビッチ(改) - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1417012648/)

◎7.「女神(2015/11/23~)」(連載中:224日,総レス数:290)
女神 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1448288944/)

ここ以外にスレがあるのかどうかまでは分からん
そういえば、「女神」の一部と「妹の手を握るまで」に関しては小説家になろうにあったけど、あれは以前言っていた別サイト?


「・・・・・・本当に今日、学校行くの?」

「休む理由なんてないからな。おまえ、何で俺が休まなきゃいけねえのか話してくれない
し」

「話してくれないって・・・・・・自分にだってよくわかってないんだもん、話しようがない
よ」

「だから、それがよくわかんねえって言ってるんだよ」

「直感的に不安になる時ってあるじゃん。お兄ちゃんはそういうことってないの?」

「ないとは言わねえけど、今は別にそういう感じはしない」

「まあ、あたしの思い過ごしならいいんだけど」

 麻衣が心配してくれていることくらいはわかる。けど、逆に言うと何で俺が今日登校し
ちゃいけないのかはっさっぱりわからない。優は今日もいないかもしれないけど、それと
俺の登校は別の問題じゃないか。

「お兄ちゃん、今日は二見先輩もいないいんだし、あたしたちと一緒に登校してね」

「たちって・・・・・・」

 誰だよ。

「お姉ちゃんだよ」

「二見先輩と付き合い始めたからって、いつまでもお姉ちゃんや夕さんと気まずいままで
いてもしょうがないでしょ」

「いや、夕也はともかく有希とは別に・・・・・・」

「それならいいじゃん」

「まあ、別にいいけど。でも、最近は夕也も一緒なんだろ?」

「よく知ってるね。夕さんと一緒はいや?」

「俺は別に気にしねえけど、夕也がいやがるんじゃね?」

「そんなことないと思う。多分、夕也さんもお兄ちゃんと仲直りするきっかけとか探して
るんじゃないかな」

「・・・・・・そうかなあ」

 夕也が求めていた有希が俺のことを好きで、俺が優を選んだことに夕也が憤っていたと
したら、あいつが俺と仲直りしたいなんて思わないだろう。

「とにかくもう行こ。遅れちゃうし」

 でも、今はそんなことを考えている場合じゃない。学校に行けば優に会えるかもしれな
いのだ。


「あ、お姉ちゃんおはよう」

「麻衣ちゃんおはよう」

「よ、よう」

 俺はかろうじてそう言った。

「・・・・・・ようじゃないでしょ。やりなおし」

 有希がまるで今まで何もなかったように、かつての俺に注意していた頃のように言った。

「お、おはよ」

「おはよう麻人」

 優が優しく微笑んだ。

「夕さんおはようございます」

 有希と一緒に電車内に乗り込んできた夕也に対して麻衣があいさつした。

「おはよう麻衣ちゃん」

 それで、俺たち四人には沈黙が訪れてしまった。

「あんたたちさあ」

 有希が俺たちをにらんだ。

「二人ともあいさつくらいしたら?」

 麻衣も追い打ちをかけるように言った。

「そうだよ」

「・・・・・・よ、よう」

「・・・・・・お、おう」

「あんたたちはまた・・・・・・ちゃんとあいさつしなよ」

「まあいいじゃん、お姉ちゃん。照れ屋の男の人なりの精一杯のあいさつなんだよ、きっ
と」

 有希は俺たちをにらんでいた表情を緩めて少しだけ笑ったようだった。

 教室内に入ると、同級生の女の子たちが珍しく俺に話しかけてきた。これまでは、親し
げな素振りさえ見せなかったくせに。

「おはよ」

「おう」

「有希おはよう」

 うん? 今のは俺に対してのあいさつじゃないのか。

「広橋君おはよ」

「・・・・・・おはよ」

 有希が応えた。

「おはよう」

 夕也も応じた。

 俺に対してのあいさつはない。こいつら俺のことは無視するのか。何なんだ。昨日の朝
は優の休みのことを気にしてたくせに。まさか。

 まさか、優が停学だってばれたのか? いや、そんな訳はない。このことは学校側から
は公表されてはいないのだ。生徒で優の事情を察しているのは、妹と夕也だけのはずだ。

 じゃあ、いったい何んでこいつら俺のこと無視してるいんだろう。

 考えすぎなんだろうな。俺はそう思った。たまたま俺に声かけなかっただけだ。単なる
偶然だ。


 昼休みになると、夕也が俺に近づいてきた。

「おい」

「・・・・・・何だよ」

「二見さん休みだし、おまえどうせ飯食う相手いねえんだろ」

「だから何だっつうの」

「一緒に飯食わねえ?」

 こいつ、本当に俺と仲直りしようとしているのか。

「・・・・・・別にいいけど」

「じゃあ購買で弁当かパン買って中庭で食おうぜ」

 夕也は、有希とはもう昼一緒に過ごしていないのだろうか。

「学食でよくね」

「・・・・・・いや、あそこで話すると周りに聞かれちまうしな」

「え?」

「じゃあ行こうぜ」

 中庭のベンチで座ると、夕也は食事なんかする気もないみたいに俺の方を見た。

「とりあえずよ」

「ああ」

「おまえが有希にした仕打ちは腹立つけど」

「・・・・・・ああ」

 俺は別に悪いことはしてない自信はあるけど、ここで夕也に反論してもまた前と同じこ
とだろう。俺はそう思った。

「でもよ、有希も麻衣ちゃんもおまえのこと悪く思ってないようだし、このままじゃ俺だ
け馬鹿みたいだからよ」

「・・・・・・それで?」

「だから、とりあえず休戦にしようぜ」

「・・・・・・おまえはいったい何と戦ってたんだよ。俺は別におまえと戦ってたつもりはねえ
よ」

「とにかくそういうことだから」

「ああ・・・・・・。まあ、とりあえずお前が言いたいことはわかった」

「そんで本題なんだけど」

「今までのは本題じゃなかったのかよ」

「すじゃねえよ。お前、気づいてねえ? 何か教室の雰囲気、変じゃねえか? みんなが
っつうわけじゃねえけど」

 それは確かにそうだ。朝のことといい。

「変って言うか、俺が話しかけても無視するやつが結構いたな。全員に無視されたわけじ
ゃねえけど」

「それだよ」

「朝は気のせいかなって思ったんだけどよ。休み時間中もずっと無視されていたような」

「それよ。絶対、二見の停学と関係あると思うぜ」

「優がああいうことして停学になったっていうのは、学校側しか知らないはずだろ?」

「ああいうことって一体何をしたんだよ。二見は」

 今のこいつになら相談してもいいか。俺はそう思った。

「ここだけの話だぞ?」

「ああ」

「女神行為をしてた」


「何だって?」

「だから女神行為だよ。おまえ、ネットとかそういうのに詳しいだろ?」

「女神って、あの2ちゃんねる的な意味の女神か?」

「ああ」

「・・・・・・鈴木が二見の親に話してたのってそういうことだったのか。そういや下着姿がど
うこう言ってたもんな」

「・・・・・・まあ、そういうことで、優は多分停学で自宅謹慎になったんじゃないかと」

「ないかとって、おまえ二見と連絡取れてねえの?」

「あいつ、電話もメールにも返事しねえよ。優の家に行ったけど、誰もいないっぽい」

「そうか・・・・・・。まあ、おまえも二見のことは心配だろうけどさ。でも、二見の停学が何
日間かわかんねえけど、停学期間が終ったらまた二見と会えるさ」

「うん。俺も自分にそう言い聞かせてる」

「それにしても変だよな」

「変って何が?」

「おまえは昨日のホームルームの時、教室にいなかったから知らねえだろうけどさ、鈴木
は二見は家庭の事情でしばらく学校を休むってみんなに説明したんだよ」

「うん、そりゃ鈴木だってとても本当のことは言えないだろうからな」

「そんでみんな一応は納得してたみたいなのによ、今日になっておまえと話をするのを避
けるやつが出てくるって、おかしいだろ」

「まあ、そう言われりゃそうだな」

「何か嫌な予感がするな」

「どういうことだよ?」

「・・・・・・どっかから二見の女神行為の噂が流れてるとしか思えねえじゃん」

「まさか・・・・・・いったい誰が」

「鈴木にチクったやつじゃねえの。そいつくらいしか、真実を知ってたやつはいないはず
だし」

 確かに夕也の言うことも一理ある。まずい。

 俺はそう思った。夕也の言うとおりなら、これは優にとっては最悪の結果になる。

「おまえの言うとおりなら、優の立場は最悪じゃねえか」

 夕也に当たり散らしたってしかたないことなのに、俺は少し八つ当たり気味に夕也に答
えた。おまえらの事業自得だろ。俺は夕也にそう言われてもしかたないのに、でも、夕也
は言った。

「俺が探ってみる。俺はおまえと違ってシカトされてるわけじゃねえし」

「悪い」

 俺は思わず素直に夕也にそう言った。

「女子高校生の女神行為とかって、正直俺には理解できねえけどよ。二見が傷付くとおま
えも傷付くだろ。そうすっと有希とか麻衣ちゃんも辛い思いをするからな」

「・・・・・・悪い」

「だからおまえとか二見のためにするんじゃねえよ」


 まずい。夕也の考えていることが本当ならすげえまずい。これが本当だったら、優だっ
て自分の秘密が知られてる学校なんかに復学できるわけがない。噂だけならまだしも、学
校のやつらにミント速報の画像を見られたら。自分のああいう姿を、同級生に、下手をし
たら全校生徒に見られてるかもしれないってことなのだ。気ばかりが焦ってて、何も前向
きな考えが浮かばない。とにかく、夕也に期待するしかない。夕也は去り際に俺に言った。



『おまえがいたら、間違いなく知ってることを話してくれるやつなんていねえだろうし、
後でおまえに電話かメールで報告してやるから、自宅に戻ってろよ。あと、有希と麻衣ち
ゃんにも事実を話して協力してもらっていいな? あいつらなら秘密をペラペラ喋ったり
はしないだろうし・・・・・・まあ、内心どう考えるかは別にして。じゃあ、後でな』



 俺は、昼飯も食わずに自宅に戻った。もう担任に何と言われようが気にならない。夕也
が事情を探ってくれるっていうなら、あいつの言うとおりその邪魔にならないようにすべ
きだ。自宅で無為に時間をつぶしていると、いつのまにかもう授業が終わっている時間に
なっていることにきがついた。というか、普段ならもう麻衣も帰宅してもいい時間だった。
それでも。まだ麻衣も帰ってこない。ひょっとして三人で情報収集してくれてるいるのか
もしれない。そのとき、ベッドに投げ捨ててあったスマホが振動した。

 ディスプレイを見ると、夕也からのメッセージだった。



『やべえよ。二見の女神行為もろにばれてるつうか、どんどん知ってるやつが増えてる
ぜ』

『まとめサイトの画像の場所までみんなに知られちまってるぞ』

『おまえ、うちの学校の裏サイト知ってるか? URL貼っておくからとりあえず見てみろ』

『いいか、落ち着けよ。慌てたって何の解決にもならねえんだからな』

『また、家に帰ったら電話する』



 まさか。胸の動悸が激しくなった。俺は夕也のメッセージに記されているURLをなか
ば反射的に指でタップした。



『富士峰学園の生徒集まれ~』
『おい・・・・・・2年2組の二見のやつ、ミント速報ってとこで裸の写真をアップしてるぞ』
『マジだ! これ、女子大生とか言ってるけど、どう見ても二見じゃん』
『釣りだと思ったらマジじゃんか!』
『これはアウトだろ』
『つうか、うち2組だけど今日担任が二見はしばらく休みだって言ってた』
『学校にばれたんじゃねえの?』
『ぼっちかと思ったらびっちだったでござる』
『これはきついわ。池山もショックだろうな。あいつ、二見の彼氏なんだろ』
『変な女だと思ってたけど、ここまで酷いとは』
『前にさあ、援交がばれたやついたじゃん? あれより酷いよね』
『しかも何、この媚びたレス』
『手っ取り早くミントの二見のレス張っておくね』


モモ◆ihoZdFEQao『こんばんわぁ~。誰かいますか』
モモ◆ihoZdFEQao『人いた。最近恋に落ちたせいか痩せてますます貧乳になりました
(悲)』
モモ◆ihoZdFEQao『画像は15分で削除します。ごめん』
モモ◆ihoZdFEQao『あと乳首はダメです。需要ないかなあ』
モモ◆ihoZdFEQao『リクに応えてみました。乳首はダメだけどM字です。15分で消しま
す』
モモ◆ihoZdFEQao『ほめてくれてありがとうございます。じゃ最後は全身うpです。乳首
なしですいません。15分で消します』



『うわぁ・・・・・・』
『・・・・・・きも』
『まじかよ・・・・・・俺、結構あいつのこと好きだったのに』
『池山もかわいそうだよね。初めてできた彼女がこれじゃさ』
『だから有希にしときゃよかったのに』
『有希には夕也がいるからなあ』
『うち、もう二見さんと普通に話す自信ないよ』
『あたしも。つうか目も合わせられない』
『俺もそうだな』



 優の行為が学校のみんなに知られていたことはショックだった。学校側の配慮にもかか
わらず、誰かがミント速報をこのタイミングで見つけ、それは裏サイトに流したのだ。優
のしていたことは、道徳とかマナーに反していることには違いない。それは、今さら優の
裸身を撮影していた俺が言うことではないかもしれないけど、それでも俺は本気でそう思
っていた。誰に迷惑をかけたわけでもない。それなのに、今日はみんなで優のことを貶し
ている。優が下着姿の画像を誰かに見せただけで、何でここまでいじめみたいなことされ
なきゃないのだろうか。

 ・・・・・・ちくしょう。

 百歩譲ってミント速報で優に気がついたやつが鈴木先生に報告したのはいいとしても、
裏サイトでみんなにばら撒いて、晒し者にすることはないだろう。こんあことをしたやつ
は、正義感からしたわけじゃない。俺はそう確信いた。面白半分にこんな残酷なことをし
たやつがいるのだ。

 だいたいミント速報で優に気づいたっていうことは、そいつだってこんなエロなサイト
を閲覧してったてことになる。普段からブクマでもしていても不思議ではない。そんなや
つが、優の画像をばら撒いて、偉そうに気持悪いとか言う権利があるのか。

 ・・・・・・面白半分・・・・・・でも、本当にそうか? 俺は思いなおした。

 最初に先生にチクって次に裏サイトで晒すとかってやり方には面白半分ではなくて、悪
意のようなものを感じる。それは純粋な悪意とか、復讐心なようなものではないか。優は、
学校じゃ目立たないただのぼっちだったはずだけど、実は彼女に恨みを持っているやつが
いるのだろうか。考えたってわからない。どっちにしても、これでは優が復学したとして
も、とても学校で過ごせるような状況じゃないことは確かだった。いったい、俺はどうす
ればいいのか。


 翌朝の教室で、時間になっても鈴木先生は姿を見せなかった。普段滅多にない出来事に
生徒たちはざわめきながら、自分の席を立って思い思いのグループにまとまって何が起き
たのかを推測しあっていた。

 登校中も、校内や教室に入ってからも、俺は自分に向けられた周りの生徒たちの視線を
痛いほど感じていた。それは、好奇心からだったり、憐憫からだったり嘲笑からだったり
と、いろいろな関心が込められた視線だった。こうして周囲の関心を一心に集めている割
には、俺に挨拶したり話しかけてきたりするやつは誰もいなかった。こうなることは、昨
日の夜の時点で察しはついていた。

 それでも俺が登校し、教室に入って今自分の座席についていられたのは、麻衣と有希、
それに夕也のおかげだった。

 あいつらは、俺に向けられている含みのある視線に対抗するように、いつもより賑やか
に声を出して俺に話しかけた。麻衣は、昨晩以来片時も俺のそばを離れようとせずに俺に
ぴったりと寄り添っていたし、有希と夕也もその様子を気にすることもなく、まるで俺に
向けられた視線から俺を守るように、俺のそばを離れなかった。二年生の校舎の前で、妹
は名残惜しそうに俺の手を離し、そしてまるで俺の保護者であるかのように俺の手を有希
に託したのだった。

「お姉ちゃん、お願い」

 有希はためらうことなく俺の手を取った。

「うん、わかってる。任せて」

「じゃあ、あたし行くね。夕也さんもお願い」

 妹はそういい残して一年生の校舎に向かって去って行った。

「じゃあ行こうぜ」

 夕也は、有希が俺の手を握っていることに気づいていないように、まるでこんなことは
当たり前のことだから気にするまでもないさとでも考えているようにさりげなく言った。

 ホームルームの時間が無為に過ぎ去り、一時限目の授業が始まる直前に学年主任の先生
が息を乱して教室に駆け込んできた。

 先生は教室の無秩序ぶりに一瞬苛立ったようだったけど、特に声を荒げることもなくみ
んな席につけと言った。慌てた生徒たちが自分の席に戻ったころを見計らって先生は出席
を取り始めた。途中で、女の名前が呼ばれずに飛ばされたことに俺は気づいた。

「鈴木先生はちょと急な仕事があるので、先生が代わってホームルームに来ました。あと、
そういうわけで一時限目の鈴木先生の授業は自習になります。みんな真面目にやれよ」

 慌しく事情を説明すると、学年主任は質問を受け付けずに再び早足で教室出て行ってし
まった。


 何コマかの授業が終わり昼休みになった。正直、食欲なんかなかったし、授業の内容す
ら全く理解できていなった俺を、有希と夕也は中庭に連れ出した。中庭には最近は俺と一
緒に行動しようとしなかった、麻衣が待っていた。こうしてこの四人で一緒に昼飯食うなんて久し振りだ。

 ・・・・・・やっぱり、この四人の関係っていいな。俺はそう思った。こんな時なのに本当に
救われる感じがする。こいつらがいてくれなかったら、今日は途中で家に帰っていただろ
う。

「お兄ちゃん、食欲ないの?」

 これ以上こいつにも心配かけるわけにはいかなかった。

「いや、そんなことないよ。おまえの弁当久し振りだけど、やっぱりおまえ料理上手だ
な」

「今更何言ってるの。麻衣ちゃんは今すぐ結婚して奥さんになっても大丈夫なほど料理は
昔から上手だったじゃない」

 有希が笑ったって言った。

「お姉ちゃん、やめてよ」

「・・・・・・いや、それは本当にそうだし、俺も前からよく知ってるけど。何か、最近さ。麻
衣の弁当とか食ってなかったから新鮮でさ」

「麻衣ちゃんに惚れ直したか」

 夕也の言葉を言いて、麻衣は再び沈黙してしまった。
 
「あんたはこんな時に・・・・・・ばか」

「悪い。変な冗談言ってすまなかった。今はそんなこと言ってる場合じゃねえよな」

「いや、俺は別に」

「謝るよ麻人。悪かった」

「もうわかったって」

「気にしないで、夕さん」

「ああ。もう言わねえよ。それよかさ、二見のことだけど」

「夕也、それは・・・・・・」

 妹が俯いてしまった。

「うん。そんなに気にしてくれなくていいよ。みんな知ってるんだろ?」

 俺はそう言った。今さら、俺のことを考えてくれているこいつらに事実をとりつくろっ
たってしかたがない。

「・・・・・・うん。裏サイトに書かれてたし。2ちゃんねるでも」

「あたしも読んだ」

 有希が目を伏せてそっと言った・

「っていうか今日の教室の雰囲気だと、大部分のやつらが既に知ってそうだな」

 夕也が冷静にそう言った。

「・・・・・・言い難いんだけど、一年生の教室でも噂になってる。というか二見先輩の、そ
の」

「何?」

 夕也が聞いた。

「お兄ちゃんごめん。二見先輩の下着だけの写真とか」

 俺はその時何も言えなかった。本当に何も。

「麻衣ちゃん・・・・・・」

「二見が縛られてるみたいなポーズの写真とか、男の子たちが携帯で見せあって・・・・・・」

 その写真を撮影したのは俺なのだ。両親から妹を撮影するように言われて渡されたカメ
ラを使って。

「・・・・・・麻衣ちゃん、泣かないの」

「・・・・・・ごめん」


「・・・・・・ちくしょう。どうして優だけがこんな目に会わなきゃいけないんだよ」

「・・・・・・お兄ちゃん」

「あいつは誰にも迷惑なんてかけてなかったんだよ。何も悪いことなんてしてなかったの
に。何で優がここまで追い詰められなきゃなんねえんだよ」

「麻人、落ち着いて」

「あいつの生活を・・・・・・あいつの人生を壊す権利なんか誰にもねえはずなのに」

 麻衣も有希も黙ってしまった。しばらくの沈黙の後、夕也が口を開いた。

「おまえの気持ちもわかんないわけじゃねえけどよ」

 夕也がそう言った。

「二見が何にも悪いことをしなかったっていうのは、おまえの惚れた欲目じゃねえかな」

「・・・・・・何だと」

「ちょっと夕也、何言ってるの」

「ここの生徒の大半は、特に一年生の女子は、二見がしていたことを知ってショックを受
けたはずだぞ」

 何でだよ。優は何も悪いことはしていないのだ。少なくとも法を侵すようなことは。

「二見がしたことは普通の高校生のすることじゃねえだよ。どうしておまえはそこを考え
ねえんだよ。彼女の女神行為でトラウマになるほど傷付く子だっているんだぞ。二見のこ
とを心配するのはいいけど、彼女のしたこと矮小化しようとするな。それだけのことをや
らかしたんだってことをちゃんと見つめろ」

「・・・・・・それは」

「あたしもね」

 申し訳なさそうに俺の方を見ながら小さな声で有希が言った。

「有希・・・・・・」

「二見さんと麻人のことすごく心配だし気の毒だけど」

「お姉ちゃん・・・・・・」

「本当はあたしも夕也の言うとおりだって思う。っていうかあたし自身今だに信じられな
いし、最初に二見さんのああいう姿を見た時、トイレで吐いちゃったくらいショックだっ
た」

「・・・・・・お姉ちゃん、何で今そんなこと」

「ごめん麻衣ちゃん。でも、あたしも麻人には嘘はつけない」

「そういうことだ。厳しいこと言ってるみたいだけど、それくらいのことを二見はやらか
したんだよ」

 俺はそれにはもう反論できなかった。多分、夕也や有希が言っていることもまた間違い
ではないだろう。同じ学校の生徒の裸なんか、ましてや緊縛ヌードなんか、男子ならとも
かく女子が見たいわけがないし、それを見てショックを受ける子がいたって不思議じゃな
い。ここは、進学校で男女関係にうとい子だって多いのだ。ましてや一年生の女子なら。

 嫌なら見るな。ネット上で縁もゆかりもないやつらにはそう言えるだろうけど、裏サイト
にURLを貼られていた以上、偶然にそれを見てしまった子たちを責めるいわれもない
のだ。

「それをちゃんと認めたうえで、どうするか考えないと、おまえらまた間違うぞ」

 みんな黙ってしまった。

「こんな時に厳しいこと言って、悪いとは思うけどよ」

 夕也が厳しい表情を崩さずにそう言った。

「お兄ちゃん?」

「悪い」

 心配そうに俺を見ている麻衣たちに対して、もうそれ以上言える言葉はなかった。


 教室に戻ると、主を失った優の机に、何かの文字がマジックのような物で黒々と記され
ていた。

『モモ◆ihoZdFEQao(笑)』

 その文字を見て俺が呆然としてクラスの連中を眺めた時、どこからともなくクスっと嘲
笑うような悪意のある笑い声が俺の耳に届いた。思わずかっとなった俺が、声のした方に
いるやつの腕を見境なく掴もうと体を動かした時、夕也が俺の体を羽交い絞めにした。

「落ち着け。こんな低級な嫌がらせに反応するな。おまえが反応するとこいつらますます
いい気になるぞ」

 夕也は俺を押しとどめながら大きな声でそう言って、周囲の生徒を睨みつけた。教室内
の生徒たちは一様に下を向き、夕也と目を合わせないようにしていたが、その時でもまた
クスクスという笑い声がどこからか小さく響いた。

 どこかからか雑巾を持ってきた有希は、優の机の文字を拭き取り始めた。油性のマジッ
クのような物で書かれたらしく、その文字は汚れを広げるだけで一向に消えようとはしな
かった。それでも、一生懸命に優の机を拭き続けている有希の目には、涙が浮かんでいた。
夕也の言葉を聞き、有希の目に光っている涙を見た瞬間、俺の体から力が抜けた。夕也は
ようやく俺の体から手を離した。

「悪いん」
 俺は何とか声を口から絞り出すことができた。それはまるで自分の声ではないかのよう
に掠れた小さな声だった。

「俺、今日は家に帰る。これ以上ここにいると自分でも何をしでかすかわかんねえし」

「・・・・・・その方がいいかもしれねえな。わかった。鈴木には俺から話しておくから」

 夕也友が言った。

「一緒に付いていってあげようか?」

 有希が目に浮かんだ涙をさりげなく拭きながら言った。

「おう、それがいいよ」

 夕也もそれに同意した。「気分の悪くなった麻人を有希が送って行ったって、鈴木には
言っておけばいいな」

「・・・・・・いや、いい」

 俺は断った。「家に帰るだけだし、お前らを付き合せちゃ悪いしな」

「大丈夫か」

 夕也が言った。

「ああ。平気だよ。じゃあな」

 俺はカバンを取り上げた。

「二人ともいろいろありがとな」

 俺が教室を出て行く時、再び小さな嘲笑めいた声が教室の中から俺の背中に届いた。


 まるで夢遊病者のように歩いていた俺は、自分がどうやって電車に乗ったのか、どうや
ってどんな経路で歩いたのか全く記憶になかったけれども、気づいたら俺はいつの間にか
優の自宅の前に立っていたのだった。相変わらず優の自宅には人の気配がなかった。俺は
試しにチャイムを鳴らしてみたけれども、家の中からは何の返事も返ってこなかった。俺
は優の家を離れて自宅に戻ろうと歩き出した瞬間に、ふと何か違和感を感じて足を止めた。

 俺は再び優の家の門まで戻った。いつもと違う感じはどんどん大きくなっていった。俺
はもう一度まじまじとその家を眺めた。その時その違和感の正体がわかった。優の家から
は、二見という苗字が記された表札が外されていたのだ。

 ・・・・・・ついに一家で引っ越すくらいまで追い込まれたのだろうか。俺の想定していた最
悪のシナリオは、優の転校だった。ここまで来てしまった以上、優がうちの学校に戻って
くることは難しいだろう。しかし、転居までは必要ないではないか。この家から通える範
囲に、中途での編入を認めてくれる学校がないのであれば別だけども。

 さっきの教室の出来事で混乱していた俺だけど、再び心の中で新たな不安が芽生えて来
ていた。俺は走るようにして自宅に戻ると、リビングのパソコンを立ち上げ、VIPのス
レ一覧を眺めた。

 ・・・・・・スレが多すぎる。俺は昨日のスレタイの一部でタイトルを検索した。すぐに探していた
スレタイが表示された。



『【祭りに】高校2年の女の子が女神行為で実名バレwwwww9【乗り遅れるな】』



 もう九スレ目に突入していたそのスレの最初のレスを読んだ時、俺は凍り付いた。



『今北用ガイド』

『その後に不注意からか、スマホのGPSをオフにせずに撮影した画像を発見。exifから、
この女の住所が判明』

『スマホ以外で撮影に用いられたカメラも発覚。×××製のの○○XZ-1という高級コンデ
ジ。ちなみにこの女の同級生で彼氏でもある池山というやつが持っていたカメラだと思わ
れる』

『つまりこの女の女神画像は彼氏とのはめ撮りだったことが判明 ← 今ここ』



 俺の実名が晒されたのはともかく、そこには優の住所までがはっきりと記されていたの
だった。


短いですが次回から視点が変わるので、今日は切りのいいここまで
また、投下します


 私たち三人はお互いのことを知りすぎるくらいに知っている。麻人と麻衣ちゃんの兄妹
は、幼い頃から両親が仕事で留守がちな家庭で、二人きりで寄り添うようにして毎日を過
ごしていた。その頃から隣の家で暮らしていた私は、自分が一人っ子だったこともあって、
仲の良い隣の兄妹のことを妙にうらやましく思っていたものだった。もちろん、よく考え
れば家には常にお母さんがいてくれた私の方が一般的には恵まれていたと思うけど、それ
でも兄弟というものに憧れていたあたしには、仲の良いお隣の兄妹に憧れの気持ちすら抱
いていたのだ。

 引越ししてきてからしばらくは、私は二人のことを羨ましく思いながら眺めているだけ
だった。普通で考えれば年が近く隣同士なのだから、すぐにでも仲良くなれそうなものだ
けれど、兄妹のあまりの仲の良さに怖気づいた私は中々この兄妹に声をかけられなかった
のだ。

 そんな風だったから、子どもたちより私たちの親同士の方が先に仲良くなって、そのお
かげであたしは、この兄妹と話ができるようになった時は本当に嬉しかった。そうして知
り合ってみると、この兄妹は私が勝手に思い込んでいたような排他的な性格では全くなく
て、むしろ仲のいい 仲間が増えることを歓迎してくれた。特に麻衣ちゃんの方は、いつ
も麻人と一緒にいたせいで、女の子の友だちが少なくて寂しかったみたいで、私たちはす
ぐに仲良くなった。

 それ以来今に至るまで、私たちはずっと三人で一緒に過ごしてきた。朝は私が二人の家
に兄妹を迎えに行き、近くの小学校まで三人で登校する。帰りは必ずしもいつもという訳
ではなかったけど、それでも時間が会えば一緒に下校もした。その頃から、麻人では対応
できない種類の麻衣ちゃんの相談に乗るのは私の役目だった。麻人は男の子にしてはよく
麻衣ちゃんの面倒をみていたと思うけど、それでも洋服や下着や水着のことなどはお手上
げだったらしい。特に小学校も高学年になる頃には、兄妹のお母さんも本格的に仕事を再
開していたから、麻衣ちゃんのこの手の悩みには、(時には私のお母さんにも相談しなが
ら)私が麻衣ちゃんの面倒をみていたのだった。私は麻衣ちゃんが初潮を迎えた日まで知
っていたほどだった。

 私たち三人のこうした関係は、私と麻人が揃って中学生になっても何も変わらずに続い
た。私たちが通う中学校は、小学校と隣り合わせに建っていたから、相変わらず朝の登校
は三人で一緒だった。私にとっては、三人でいることが居心地よかったけれど、一年後に
麻衣ちゃんが私と麻人の後を追って同じ中学に入学した頃から、私たちの中にも多少の不
協和音が響くようになってきていた。

 中学生になると、周囲の子たちも異性のことをあからさまに意識するようになる。異性
を意識したり噂したり、異性に告白したり告白されたり、当たり間に周囲で行われていた
そういうことが、私たち三人の関係にも影響を及ぼすようになったのだ。

 ・・・・・・それは麻人が同級生の子に告白されたことから始った。麻人に告白した子は、は
きはきした物怖じしない喋り方が特徴的なボーイッシュな女の子で、クラスの男の子の間
でも密かに憧れている子が多いらしいという噂の女の子だった。その子に告白された麻人
は、人気のある女の子に思いを寄せられて、悪い気がしなかったのだろう。彼はその子の
告白を受け入れた。つまり麻人に初めての彼女ができたのだ。


 私は、告白された麻人からそのことを相談されていたので、麻人とその子が付き合い出
したことには別段驚くことはなかったけど、むしろ大変だったのは麻衣ちゃんの方だった。
麻衣ちゃんがブラコンなことはよく知っていたけど、その後の麻衣ちゃんの行動によって、
彼女がここまで麻人のことを慕っていることを、私は改めて思い知らされた。

 麻衣ちゃんは意外にも麻人と彼女の付き合いには反対しなかった。ただ、麻衣ちゃんは
麻人に彼女ができた後も、自分と麻人の関係が変わることは絶対に拒否したのだった。

 具体的に言うと、麻人は最初は私たちと一緒に登校せず、やはり近所に住んでいた彼女
と待ち合わせして彼女と二人で登校しようとした。でも、麻衣ちゃんは渋る私を引き摺る
ようにして、その待ち合わせ場所に押しかけ、四人で一緒に登校しようとした。別に麻衣
ちゃんは麻人の出来立ての彼女に攻撃的な態度を見せたわけではない。ただ、自分と麻人
の関係が疎遠にならないようにしたのだ。

「勘弁してくれよ」

 そういうことが続くと、麻人は私に泣きついた。

「おまえらが朝一緒だと彼女が不機嫌になるんだよな」

「私のせいじゃないもん」

 私は麻人に反論した。「麻衣ちゃんが麻人と一緒に行くって、そう言い張るんだからし
ようがないじゃん」

 私の話を聞いて、麻人は困ったように俯いてしまった。

 ・・・・・・結局、麻人の初めての彼女はわずか一週間で麻人に別れを告げたのだった。

 そういことがあっても、麻人は麻衣ちゃんを甘やかすことを止めようとはしなかった。
どんだけ妹に甘いんだろう、この男は。私は、麻衣ちゃんのことは自分の実の妹のように
思っていたけれども、さすがにこれは行きすぎではないかという気持ちがした。いくら両
親が不在で二人きりで日々を過ごしているにしても、この先ずっとこのままというわけに
もいかないではないか。私はため息をついた。

 その後は何事もなかったように、再び三人で登校する日々が続いた。麻人と麻衣ちゃん
の共依存に近い関係のことは、私の密かな悩みとして心の奥に密かに沈潜していたけど、
それでも慣れ親しんだこの関係は中毒のように、再び私たちを蝕んでいった。永遠にこの
まま三人で過ごせるならそれはそれで幸せかもしれない。兄と妹のことを心配していたあ
たしだったけど、時にはそう思うほどこの関係は居心地が良かった。

 それに、自分で言うのもなんだけど、私たち三人の関係は校内ではひどく羨ましがられ
てもいたのだ。麻衣ちゃんは可愛らしい子だった。そして、叩かれるのを覚悟で言うと、
私もまた校内では目立っている方だったと思う。告白してくる男の子も一人や二人ではな
かったけれども、異性と付き合うということがまだぴんとこない私はその全てを断ってい
た。そして、それは麻衣ちゃんも同じだった。

 そういう女の子二人にしっかりとガードされている麻人に対して、果敢にアタックする
子はもういなかった。最初の彼女の失敗で、麻人は付き合うには面倒な男という烙印を校
内の女の子たちから押されてしまったらしかった。

 そんな私たち三人の関係が初めて本格的に変化したのは、私と麻人が同じ高校を受験し
合格した後のことだった。こればかりはさすがの麻衣ちゃんもどうしようもなかった。私
と麻人が通うことになった高校は電車に乗って四十分くらいかかる。そして、私たちの出
身中学は自宅の最寄り駅とは反対方向だったのだ。

 四月に入り初めて私たち三人一組ではなくなった。麻衣ちゃんは一人で中学に登校し、
私と麻人が二人きりで電車に乗って登校する、そういう新しい生活が向かい始ったのだ。
麻人と二人きりの登校が高校の同級生たちの噂になるのは早かった。私と麻人は、高校の
友だちから即座にカップル認定されてしまった。

 ・・・・・・そして、これまで麻人に対しては異性という感覚を持ったことがなかった私が、
初めて彼を男として意識しだしたのは、二人きりで登校を始めたこの頃からだった。


「そんなことないって」

 クラスの友だちや生徒会の役員の人たちから「有希って池山君と付き合ってるでし
ょ?」と聞かれるたびに、私は赤くなってそれを否定した。

 でもどういうわけか、私が麻人との仲を否定すればするほど、私を問い詰めてきた友人
たちはにやにやするだけで、私の話を真面目に取り合ってはくれなかった。そして、正直
に言うと私もそれ以上、麻人との関係を友人たちにしつこく否定したりはしなかったのだ。

 その頃は麻人も同じような問いかけをされ、同じようにそれを否定していたそうだけど、
それを信じてもらえなかったのは私と同じだった。麻人と私は登校こそ二人きりでしてい
たものの、別に校内でベタベタと一緒に過ごしていたわけではない。当時は私が生徒会の
役員になった頃で、放課後は帰宅部だった麻人と一緒に過ごしたり一緒に帰宅したりする
ことはなかった。なので、周囲にカップル認定されたといっても、それは疑惑のレベルに
留まっていた。

「池山と遠山は怪しい」

つまりはその程度のカップル認定だったのだ。でも、私は校内のその微妙なうわさが嫌
いではなかった。むしろ、麻人と今まで以上の関係に踏み込んでいるようで、何かどきど
きするような奇妙な興奮を感じていたのだった。

 まるで麻酔を打たれてうとうととしているように居心地はいいけど、生産性のない行き
止まりのようだった麻人と麻衣ちゃんと私の三人の関係を惰性で続けるよりは、麻人と私
の二人だけの時間は、この先何かめくるめくような展開が先に待っているようだった。そ
の頃の私は、こんな曖昧な関係でも十分に満足だったのだ。

 休日には、麻人なしで麻衣ちゃんとショッピングに出かけることがよくあった。もちろ
ん妹ちゃんは毎回兄を誘っていたようだったけど、女の服の買物は勘弁とかでいつも麻人
から断られていたようだった。

 麻衣ちゃんは麻人なしで私と出かけることに対して、あまり文句を言わなかったことを
最初私は不思議に思ったけれども、すぐにその疑問は氷解した。

 一通り麻人に対して駄々をこねた麻衣ちゃんは、実際に私と二人で出かける段になると、
麻人が一緒にいないことをあまり気にもせず、というか麻人がいないことをいいことに私
に対して、自分の兄が高校でどういう風に過ごしているのか、兄にはどういう友だちがい
てどういう付き合い方をしているのか、兄に言い寄ってくる女の子はいなのかどうか、そ
ういうことをしきりに私から聞き出そうとした。

 私にもブラコンの麻衣ちゃんの気持ちはよくわかった。自分の知らない兄が、自分の知
らない場所で自分が知らない人間関係を築いていくことに対して不安を感じているのだろ
う。

 私は、買物の途中で一休みしていいるファミレスやスタバとかの店内で麻衣ちゃんと向
き合って座りながら、私の知っている限りの麻人の情報を伝えた。麻人の話になると麻衣
ちゃんの食いつきは物凄いと言っていいくらいによく、まだ買物の途中のはずが話し込む
と平気で二時間くらいは経過してしまった。それで、麻衣ちゃんは途中で時間に気づいて
慌てて話を終らせ、服とかの買物を中断して夕食の買物のためにスーパーに走るというこ
とがよくあった。

 そういう小休止の時間に、私が麻衣ちゃんに伝えた麻人の学校での日常の話は、何も嘘
はなかった。特に麻人の女性関係については、正直に麻衣ちゃんに伝えたと言うことは今
でも自信を持って言える。

 その頃の麻人には、彼狙いで近づいてくる女の子はいなかったから、私は「麻人に告っ
た女の子はいないし、麻人が気になっている女の子もいないみたいだよ」と麻衣ちゃんに
は話した。それは正真正銘真実の話で、少しの嘘もその中には混じっていたかった。

 ただ、嘘は言ってはいなかったけれど、私が知っていることを全て麻衣ちゃんに伝えた
わけではなかった。

 なぜ、麻人にアプローチする女の子がいないのか。うちの学年の生徒なら多分誰でも簡
単に答えられたであろうその事実を、あたしは麻衣ちゃんには話さなかった。仮に麻衣ち
ゃんがうちの学年の子に、「何でお兄ちゃんはもてないの?」と聞いたとしたら、それに
対する答えはすぐに返ってきただろう。

「・・・・・・だって、池山君には遠山さんがいるじゃん」


 私は肝心な事実を、うちの学校内では麻人と私が付き合っているのではないかという
噂が流れていることを麻衣ちゃんには話さなかったのだ。嘘を言っているわけではない、
ただ曖昧なことだけを話さなかっただけ。

 ・・・・・・私は自分にそう言い聞かせた。無駄に麻衣ちゃんの不安を煽ることはない。それ
に、麻人と私が付き合っているという事実はないのだ。事実でないことを話す必要はない。

 麻衣ちゃんは麻人に女の影がないことに安心すると、次に麻人の交友関係の質問を始め
た。これは答えやすい質問だった。麻人には同じクラスの男の子の親友がいた。私は2組
で、麻人と夕也は3組だった。なので、私はこの頃はあまり彼とは親しくなかった。麻人
の親友らしいという、その一点のみで私は夕也に関心があった程度だった。広橋夕也は、
成績は学年でもトップレベルで容姿にも恵まれている上に、性格はさっぱりとしていて男
女問わず人気があるという、まるでアイドルになってもおかしくないような男の子だった。

 どういうわけか、その夕也と麻人が意気投合してしまったようで、いつのまにか二人は
親友といってもいいくらいの間柄になっていた。

 多分、広橋君は親友を作るのにも自分にふさわしいレベルの人を慎重に選ぶような性格
なのだろうと私は考えていた。広橋君に擦り寄ってくる男の子はいっぱいいたけれど、彼
が親しくなろうと決めたのは麻人だった。

 前にも話したかも知れないけど、周りの生徒たちの目からは麻人は超リア充に見えてい
たはずだった。毎日女の子と一緒に登校する麻人。それでいてそのことが何も特別なこと
ではないかのように自然に振る舞って、自慢したりしない麻人。イケメンでリア充中のリ
ア充といってもいい夕也も、麻人のそういう自然な行動とか、私ばかりではなく、どんな
女の子とも気負わず自然に接することができる、その行動には一目置いていたようだった。
麻人のそういうところが、夕也に関心を抱かせたのだろう。夕也は麻人によく話しかける
ようになり、やがて二人は親友と言ってもいい間柄になった。

 そういうわけで、朝の登校時に私と二人きりでいるとき以外の麻人は、校内では夕也と
しょっちゅうつるんで一緒に学校生活を過ごすようになったのだった。

 麻衣ちゃんは私のことをお姉ちゃんと呼んで慕ってくれている。そして私も、麻衣ちゃ
んのことは本当の妹のように考えていた。だから、麻人への心の傾斜をとっさに麻衣ちゃ
んに隠してしまった時、私はこの兄妹と付き合い出してから初めて麻衣ちゃんに罪悪感を
感じたのだった。

 それと同時に、自分がそういう風に感じなければいけないこの状況に対して、私は不公
平感のようなものも感じていた。なぜ私は、自分の初恋を隠さなければならないのだろう。
普通に考えれば幼馴染同士の男女の恋愛なんてすごくありふれた話ではないか。そして、
学校では私と麻人は付き合っているのではないかと普通に噂されるような関係だった。そ
れなのになぜ、私はこんなに自分の気持ちを封印しなければならないのだろう。

 でも、それは考えるまでもないことだった。私には、いや、私と麻人の間には間には昔
から暗黙の了解のような約束事があった。

 両親が不在がちの家で育った麻衣ちゃん。

 麻人しか頼る家族がいない状態で暮らしてきた麻衣ちゃん。

 そういう生活を強いられててきた麻衣ちゃんは、結果的に過度に麻人に依存するように
なった。そしてそれは、世間一般で言うようなブラコンとか、異性として兄を愛する近親
相姦とか、そういうステレオタイプな言葉ではくくれないような関係だった。

 寂しかった麻衣ちゃんが、麻人を独り占めしたい、自分が麻人の一番でいたいという気
持ちを強く抱くようになってしまったことを、いったい誰が非難できるのだろうか。少な
くと私には、麻衣ちゃんのそういう感情を非難することはできなかったし、ブラコンの麻
衣ちゃんに手を焼きながらも、麻人だって私と同じように考えていたことは間違いなかっ
た。

 そういうわけで、私と麻人とは、いつも麻衣ちゃんの気持ちを第一に考えて行動するよ
うになった。それは麻人から頼まれたわけではない。いつのまにかそういう風に振る舞う
ことが当たり前のようになっていただけだった。


 かといって麻衣ちゃんが私と麻人に過保護に守られて、わがままな女の子に育ってしま
ったというわけではなかった。麻衣ちゃんの気持ちを第一に考えようとする私たちに対し
て、麻衣ちゃんの方もいつだって遠慮気味に振る舞っていた。麻衣ちゃんが、大好きな麻
人の気持ちを優先しようとすることは、この兄妹の関係からその行動は理解できたけど、
それだけではなく、麻衣ちゃんは私の気持ちにも気を遣うような優しい子だった。

 つまり過保護な麻人と私の接し方にスポイルされることなく、麻衣ちゃんは素直ないい
子に育ったのだ。

 育ったと言うと、まるで麻人と私が子育てしたみたいだけど、私の感覚としてはまさに
そんなところだった。麻衣ちゃんのことを心配していろいろ私と麻人が相談しあっている
ところは、まさに子育てをしている夫婦のようだったのかもしれない。お互いのことより
麻衣ちゃんのことを最優先して考えるところは、まさに子育て中の若い夫婦そのものだっ
た。ただひとつ、私と麻人の間には、当時は本当の夫婦のようなお互いへの恋愛感情はな
かったことだけは、本当の夫婦と違っていたけれども。

 そういう風にして過ごしてきた私が、朝の登校時間だけとはいえ、麻衣ちゃん抜きで麻
人と過ごす時間が増えたことにより、彼のことを異性として麻衣ちゃん抜きで意識するよ
うになってしまった。そして、そのことを麻衣ちゃんに話すことができなかった私は、妹
ちゃんに罪悪感を感じたのだ。

 やがて麻衣ちゃんは入試をひかえて志望校を決めなければならなくなった。麻人と私は、
麻衣ちゃんの進路の相談に乗った。それは、仕事に多忙な池山兄妹の両親から、麻人と私
に託されていた任務だった。何をおいてもその期待には応えよう。私はそう思った。

 私たちのサポートを受け入れた麻衣ちゃんは、私たちの高校より偏差値の高い学校を受
験し、公立の第一志望校に合格した。それなのに、麻衣ちゃんは滑り止めに受験した、私
と麻人と同じ私立高校に入学し、うちの学校に入学すると言いつったのだった。

 麻人と私は、一生懸命に麻衣ちゃんを説得した。それは多忙のあまり麻衣ちゃんの受験
をほとんどサポートできなかった麻衣ちゃんの両親の意を受けた行動でもあった。お兄ち
ゃんとお姉ちゃんと同じ高校に行くと頑固に主張する麻衣ちゃんに、第一志望校に入学し
ないと将来後悔するよって、必死で説得する麻人と私は、まさに娘の進路を心配する夫婦
のようだった。でも、麻衣ちゃんは結局意思を曲げなかった。

 こうして、私たちはその四月から再び三人で登校するようになったのだった。

 再び三人で登校するようになると、私と麻人の仲が怪しいという、校内の噂はすぐに静
まってしまった。それは麻衣ちゃんの精神衛生上はいいことではあったけど、一方で私は
密かにそのことを残念に感じていた。もう、私と麻人の仲をからかう友人はいなくなった。

 麻人は相変わらず可愛い女の子二人といつも一緒にいるリア充認定されており、そのせ
いか、誰かに告られるということはなかったので、麻衣ちゃんが麻人に対して嫉妬して不
安定になることもなかった。同時に、麻人と私の噂も完全に消え去ってしまっていたから、
そのことで麻衣ちゃんが悩むこともなかったのだ。つまり、再び私たち三人は、ぬるま湯
に浸かるように、気持ちよく将来の見えない関係に戻ってしまったのだった。そして、麻
衣ちゃんはそういう関係に戻れたことに満足だったようで、相変わらず麻人と私に甘えな
がら日々を過ごしていた。

 このぬるま湯のような居心地の言い関係を、麻人がその頃どう考えていたのかはわから
ない。麻衣ちゃんが満足していたので、妹に甘い麻人もこの関係に満足していたのかもし
れない。

 でも、その頃から私は奇妙な視線に気づき、悩むようになっていた。以前と同じように
三人で登校する日々。電車の中で賑やかに話をす私たち。これまではそういう時に麻人の
視線は、可愛らしく喋っている麻衣ちゃんを慈しむように彼女に向けられていた。ところ
が、その頃、麻人の視線が時おり麻衣ちゃんを離れ、私の方にじっと向けられることがあ
った。それは、一年生の時に麻人と二人きりで登校していた頃でさえ感じたことのないよ
うな熱っぽい視線だった。


 麻人のことが気になっているせいで、自分に都合よく彼の行動を解釈しているんだ。私
はそう考えて有頂天になる心を引き締めた。麻人の一番は、恋愛感情はないとしても麻衣
ちゃんだ。麻人と私は共に手を携えて麻衣ちゃんを守ってきた戦友に過ぎない。私は無理
にそう考えようとしたけど、そう思って済ませるには、麻人ののその視線には粘着性があ
りあたしは麻人の視線に晒されていると、まるで電車の中で裸にされているような感覚を
覚えた。それほど、その視線は長く私のあちこちを眺め回していたように感じられたのだった。

 その頃の私は混乱していた。もし、もしも万一麻人が私のことを女として欲しているな
ら、私はその想いに応えたかった。彼が麻衣ちゃんの気持ちを傷つけることを承知の上で
私のことを求めているのだとしたら、私も麻衣ちゃんのことを考えずに彼の腕の中に飛び
込んでいきたかった。でも、そういう考え自体が、私たちがこれまで過ごしてきた麻衣ち
ゃんを支えて行くという生き方を裏切るものだった。もちろん全て私の勘違いかもしれな
い。麻人は直接私に好きだと告白したわけではない。

 麻人の気持ちを知りたい。

 私は麻衣ちゃんや麻人と普通に笑顔で接しながらも、心の中ではそのことばかりを考え
ていた。どうすれば麻人の私に対する気持ちを知ることができるのか。いつのまにか私は、
そのことばかりをいつも心の中で考えるようになってしまった。

 麻衣ちゃんが入学してから二月くらい経った頃、両親はそれまで住んでいた家を処分し、
今までよりだいぶ広い家を購入した。つまり、私は引越しをしたのだった。

 この引越しによって麻人や麻衣ちゃんのお隣ではなくなってしまったのだけど、引越し
先は一つとなりの駅のそばだったので、私はそのこと自体をそんなに気にすることはなか
った。毎朝一緒に兄妹と登校できることに変わりはなったし、最初は寂しいと言って泣い
ていた麻衣ちゃんも、毎朝隣の駅からおはようと言って同じ電車に乗ってくる私を見て、
いつの間にかそのことに慣れてしまったようだ。

 それでも、その引越しは私にとって凄く大きな意味を持っていた。偶然から生じたこと
ではあるけれども、今にして思うとこの引越しがなければ、この後の展開は生じなかった
だろう。

 ・・・・・・私の引越し先の隣には、夕也の家があったのだ。


今日は以上です
また投下します


 私はその頃は夕也とはたいして親しい仲ではなかった。一年の頃はクラスも違っていた
し、麻人の親友ということで顔見知りではあったけど、別に二人で親しく話したこともな
い。二年になり、私は麻人と夕也と同じクラスになったけど、それでも夕也とはそんなに
親しい間柄ではなかった。

 私が引っ越して、トラックの中から家財が新しい家に搬入されるのを眺めていたとき、
不意に私は誰かに名前を呼ばれた。

「遠山? おまえ何でここにいるの」

 私に話しかけたのは夕也だった。

「あ、広橋君。君こそ何で」

「何でって・・・・・・。俺の家、そこだから」

 彼は私の新しい家の隣の家を指さした。

「え。君ってここに住んでるの」

「うん。おまえは・・・・・・って、引っ越し?」

「そう。ここの家に」

「マジかよ。お隣さんになるのか」

「何でちょっと嫌そうなのよ」

「嫌って、別に」

「別に、何よ」

「まあ、よろしくな。お隣さん」

 夕也はそう言って笑って、あとはもう私にかまわず隣の家に入ってしまった。

 こうなると、私たちが一緒に登校するのは当たり前のようになってしまった。私と夕也
はお隣さんだ。別に時間を合わせたわけではないに、私が家を出ると偶然に夕也も隣の家
から出てきたところだった。夕也は麻人の親友だったし、結果的にそれからは麻人と麻衣
ちゃん、私と夕也は一緒に登校するようになった。

 そのことに対して、麻衣ちゃんや麻人が不満の意を表明したことは一度だってなかった
し、むしろ麻衣ちゃんは私の彼氏候補として夕也を認定していたようだった。

「夕也さんって格好いいよね」

 ある朝、麻衣ちゃんが私に言った。

「お姉ちゃん、あたしのクラスの子が広橋先輩って格好いいって言ってたよ」

 あんたに言われたくないよ。私はそう思った。麻人の関心を一手に受けている私の大切
な妹のあなたからは。

それでも以前のように麻衣ちゃんが私たちの登校の仲間に再び加わると、私は麻人と二
人きりで登校していた頃のように彼の気持ちを知りたいとか、思い切って彼に告りたいと
か、そういう願望を抑えるようになった。それは意図してではなく自然な心の動きだった。


 麻衣ちゃんには日ごろから本当に頼れることができる相手としては、麻人しかいない。
前からそう思っていたのだけど、いつも二人で登校している一年間の間で、私はそのこと
を忘れ、麻人からの好意や行動を期待するようになっていたのだ。それが、再び麻衣ちゃ
んと登校するようになると、その気持ちが深刻なまでに私の胸中によみがえったのだ。何
で、麻衣ちゃんの気持ちを踏みにじるようなことを考えられたのだろう。私は昨年度まで
の自分の気持ちを不思議に思った。

 そういうわけで、一時期盛り上がった自分の恋愛感情は、再び自分の中で抑制されるこ
ととなった。ただ、以前とは違って今度は登校する仲間の一人に、夕也が加わっていた。

 お隣さんになり一緒に登校するようになるまで、私はあまり詳しく彼のことを知らなか
ったけど、それでも夕也が女の子たちから注目されていることや、学業やスポーツの成績
がすごくいいことくらいは知っていた。それから、四人で朝登校するようになると、彼は
あまりそういうことをひけからさない性格であることもわかった。つまり、スクールカー
ストにおいて上位の位置を占めている夕也は、それにもかかわらずすごく話しやすいいい
やつだったのだ。

 彼が私に対する明確な好意を示していたわけではない。むしろ、四人で登校しだしたこ
ろ、私は電車の中で、果敢に夕也に話しかけようとする女の子たちに驚いているばかりだ
った。本当に、こいつってもてるんだ。

 その夕也は、その子たちをまじめに相手するわけでもなく、また、私を口説くでもなく、
麻人相手に馬鹿話をしているだけで満足なようだった。女の子たちへのあしらいかたはさ
すがというべきか、如才のないものではあったけど。そして、麻衣ちゃんはそんな夕也の
ことをあまり気にすることがないように見えた。むしろ、久しぶりに朝一緒に登校するこ
とになった自分のお兄ちゃんへの心の傾斜を制御しようともしなかった。あの夕也が、麻
衣ちゃんに親し気に話しかけてもほとんどガン無視されている状態なのだ。

 そういうわけで、麻人を独り占めしている麻衣ちゃんと、自分の妹にかまってばかりで
他に何もする余裕もなさそうな麻人から放り出されていた私と夕也は、自然と二人で話を
するようになった。必要に迫られてだけど。そんな日々が続くと、さすがに同じ学校の目
撃者がわいてきて、私と夕也の関係を面白半分に聞いてくる子も出始めた。以前の、私と
麻人の関係に変わって、今では校内一と目されていた夕也と私の関係がうわさとなり、実
際にその関係を詮索する同級生たちが増えてきていた。

 その噂は事実無根のものだった。麻人と私の関係がうわさになった時と全く同じように。
それでも、麻人と私の仲のうわさは、それが事実ではないにもかかわらず私の心をくすぐ
り、私はその噂が嬉しかったのだ。でも、いくらイケメンでも成績優秀でもスポーツ万能
でも、夕也とのうわさはうっとおしいだけだった。それは、夕也の方も同じだったろう。
何となく私は麻衣ちゃんに麻人を奪われたような感覚を感じた。麻人との関係で麻衣ちゃ
んを泣かせまいと考えていたにもかかわらず。

 それに、すごく傲岸な考え方だったけど、私は麻人に求められていると感じていた。彼
の視線や、麻衣ちゃんの話を時おり放心したように聞き流して、私の方を見つめる視線。
さらに言えば、私と夕也が気安く話しあったりしている様子を、じっと眺める麻人の視線
から、私は麻人に愛され求められているのだろうと確信していたのだ。


 ロミオとジュリエット。たがいに愛しながら事情があって結ばれない二人。夕也と私の
様子を気にしている麻人に対して、私はときおり麻人を見つめて密かに微笑んだ。それく
らいのコミュニケーションは許されるだろう。私の視線に顔を赤くして目をそらして、麻
衣ちゃんの言葉に応える麻人を見るくらいは。でも、それ以上のことは、この当時の私に
は何もできなかった。

 それなのに。私のひそかな願望を裏切るように麻人は彼女を作った。確かにきれいだけ
ど、確かに可愛らしいけれども、確かにおしゃれでもあるけれども。何で彼女なのだろう。
学校で友人の一人さえいないぼっちの彼女。二見さんが麻人の初めての彼女になった。

 お兄ちゃんが二見先輩と仲がいいの。

 麻衣ちゃんの相談にショックを受けた私は、その相談を言い訳にして、つまり自分の嫉
妬心を隠しながら、麻人を問い詰めた。でも、もうそれはその頃には遅かったみたいだ。
私はどういうわけか私を応援してくれた麻衣ちゃんの後押しに勇気を出して麻人に告白し
たけど、それは無駄な努力だった。夕也は二見さんと付き合いだした麻人に怒ったようだ
った。麻衣ちゃんというよりは私の気持ちを気にしてくれて。では、彼は私の麻人への気
持ちを知っていたのだ。



こうして、麻人は二見さんと恋人同士の間柄になり、朝の登校は、麻衣ちゃんが部活の朝
練とかで一抜けし、あとは私と夕也の二人だけとなった。



 部活の朝練があるとかで私と一緒に登校しなくなっていた麻衣ちゃんは、二見さんの女
神行為が曝露されてからは再び麻人を気遣うように彼に寄り添うようになった。でも、そ
れも数日のことだけで、私が麻人に失恋したにもかかわらず、二見さんを失って気落ちし
ている失意の麻人に寄り添うように行動していることを理解すると、再び麻衣ちゃんは、
私や麻人と別行動を取るようになった。本気で私に麻人を任せる気になったのか、それ
とも、麻衣ちゃんにも麻人以上に重要な関心事ができたのか、それはわからない。

 今では将来が見えていなかったのは私も麻人と同じだった。私は彼のことが気になっ
ていた。私ではなく二見さんのことを心配している麻人だけど、今までずっと一緒に過ご
してきた麻人が悩んでいるのに、自分が麻人に振られたからといって、彼のことを見捨て
ることはできなかった。

 麻衣ちゃんと同じくらい何を考えているのかわからなかったのが、夕也だった。私は夕
也が私のことを好きなことを知っていた。麻人を忘れるために、夕也に愛想よくふるまっ
ていた私の行動は、あの告白のときに麻人に厳しく指摘されたのだ。

 この頃になると、さすがに私に好意を寄せているとしか思えなかった夕也を、私は麻人
を忘れるために利用したと言われてもしかたがない。そのせいで、私は夕也に責められて
もそれは自業自得だった

 それでも、夕也は私のために怒ったそうだ。私のことを無視して、二見さんと付き合い
だした麻人に対して。麻衣ちゃんや夕也や、そして自分の気持ちを考えると、胸中はもう
ぐちゃぐちゃに混乱していたけど、もう今、できることは一つしかない。麻人の心が私の
もとにないのだとしても、今は麻人に寄り添おう。それが麻人にとって迷惑だったとして
も、二見さんをひどい方法で失った麻人に対して私ができることはそれしかないのだ。

 それに、二見さんのことで麻人がピンチに追いやられていた当初は、麻衣ちゃんも夕也
も同じ気持ちだったはずだった。二見さんへとの交際のことで麻人を嫌った夕也や、兄離
れするために部活に夢中になっていた麻衣は、少なくともあの朝は、三人で麻人に寄り添
い学内の敵意と好奇心で麻人を嘲笑していた校内の生徒たちから麻人を守ろうとしたのだ
った。

 でも、今では麻衣ちゃんも夕也も、麻人を慰める役目は私が果たすべきだと考えている
ようだった。そして、わざと私と麻人を二人きりにしようと画策しているようだ。

 私は隣家の夕也の家を素通りして駅のホームで電車を待った。夕也はホームには見当た
らない。電車が到着して昔三人でよく待ち合わせした車両に乗り込むと、麻衣ちゃん抜き
で麻人が一人で車内の吊り輪に掴まっている姿が目に入った。そして麻人はぼうっとして
いるようで私が車内に入り隣に来たことも気がついていないようだった。


「おはよう」

 私は麻人に声をかけた。麻人は夢から覚めたように私の方を見た。

「ああ・・・・・・。有希か」

 それは生気のない声だった。隣には昔はいつでも麻人の腕にぶらさがっていた麻衣ちゃ
んの姿はない。

「何よ、そのあいさつ。おはようくらい言えよ」

 私は無理にほがらかに麻人に文句を言った。そういうことくらいしか話しかける言葉や
態度が思いつかなかったから。

「悪い・・・・・・。おはよ」

 麻人は素直にそう言ったけど、彼の目は私の方を向いていなかった。

「麻衣ちゃんは?」

 その後に何を言っていいのかわからなかったので、私はとりあえずそう聞いた。部活の
話は彼女から聞いていたのだけど、麻人本人に麻衣ちゃんが何を言ったのかは気になると
ころでもあった。

「部活の朝練みたいだよ・・・・・・何だっけ? 確かパソ部だったかな」

 どうでもいいという風に麻人が答えた。パソ部なんかに朝の活動があるわけがない。い
ったい麻衣ちゃんはあれほどまでに大好きだった兄貴を放置して何をしているのだろう。
でも麻人は麻衣ちゃんの不在のことは気にならないらしかった。麻人は、多分今でも登校
してこない、そして連絡も取れない二見さんのことだけを考えているのだろう。

 麻衣ちゃんがこんな時期に突然パソ部に入部日したことを、実は私は知っていた。麻人
と夕也以外で、私が最近気にしていたのは、三年生の生徒会長のことだった。あの日、階
段のところで、私は生徒会長の告白を断ったのだった。あの時は私は麻人のこだけを考え
ていたのだから。それでも私は、会長を振ったことが気になっていた。先輩は最近、生徒
会活動にあまり熱心ではなかったけど、それは多分私が会長の告白を断ったからだろう。

 でも、副会長が会長を責めた時、会長は新入部員の面倒を見なけりゃいけないからと言
い訳していた。そしてその新入部員は麻衣ちゃんだ。

 最近身の回りに起きている知り合いの行動には何も法則はないのだろうけど、二見さん
のこととか麻衣ちゃんの入部と、そのために会長が生徒会に出てこなこととか、その全て
のことが結果として私と麻人とをふたりきりにする方向に作用しているようだった。私に
とっては嬉しいことといってもいいのだけれど、二見さんを失った麻人にとってはどうな
のだろう。

「今日はお昼ご飯はどうするの」

 私は麻人に尋ねた。

「わかんねえ」

「今日も二見さんがいなかったら、私のお弁当一緒に食べる?」

 私は彼に聞いた。

「それとも麻衣ちゃんは今日はあんたのお弁当作ってくれたの?」

「妹は昼休みも部活だってよ」

 どうでもいいといいう感じで麻人が答えた。相変わらず私と視線を合わせようとはしな
かった。朝練も昼休みの部活も、パソ部なんかにはありえないのだ。

「じゃあ、二見さんが今日も登校しなかったら一緒に」

 私の声は突然麻人に遮られた。

「登校できるわけねえだろうが。実名までネット上に晒されてるんだぞ。あいつは」

 麻人はそこで一瞬言葉に詰まったようだった。


「麻人」

「あいつはもう学校になんて来れるわけねえだろ・・・・・・ちくしょう」

 麻人は初めて私の方も向いてくれたけど、その目は私の身体を通りこして何か遠くを睨
んでいるようだった。

「あいつは何も悪いことはしてねえのに」

 正直に言うと麻人に言いたいことはいっぱいあった。二見さんの行動の持つ悪い影響の
ことも諭せるものなら彼に諭したかった。でも、そんな社会的な影響よりもこのことが私
麻衣ちゃんや夕也の関係に及ぼした影響のことの方が私には気になっていた。

 今のところ麻人は自分と二見さんのことしか頭にない。それは無理もないことではあっ
たけど、二見さんの考えなしの行為によって私たちの行動にいろいろな負の影響が出てい
ることもまた事実なのだった。でも、今の麻人にそのことを責めるように言うことは気が
引けた。

「・・・・・・絶対につきとめてやる」

 麻人は真剣な声で言った。

「優を追い詰めたやつ、絶対に校内のやつだ」

「え・・・・・・、あんた何をしようと」

 私は驚いて麻人の方を見た。麻人はただ絶望していただけではないようだった。いいか
悪いかは別にして、麻人は行動を起こそうとしていたのだ。

「見つけてやる。優を傷つけたやつを。報いを与えてやる」

 麻人はここで初めて私の方を見て、そして微笑んだ。

 私はその日の昼休み、相変わらず周囲の生徒たちに無視されていて、でもそんなことは
あまり気にならない様子で自分の携帯を覗き込んでいた麻人を、無理に引き摺るようにし
て中庭に連れ出した。夕也は、私が引き止める猶予すら与えてくれずに、昼休みになった
途端に教室を出て行ってしまっていた。

 中庭のベンチに座った私は、とりあえず誰のためということもなく一人分以上を作って
きたお弁当をそこに広げた。

「・・・・・・食べなきゃ駄目だよ」

 私は食欲の無さそうな表情でぽつんと座っている麻人に話しかけた。

「ああ。ありがと」

 彼はそう答えた。「悪いな、弁当まで作ってもらってさ」

 二見さんのことしか考えられなかったであろう麻人は、私のことも気にしているかのよ
うな言葉をかけてくれた。もう私たちが戻れない日々、麻人と麻衣ちゃんと私の三人がい
つも一緒に行動していた頃の、まだ麻人が二見さんと知り合う前の麻人ならば、そんな遠
慮を私に対してすることはなかっただろう。かつて他の誰もが邪魔できないほど親密だっ
た私と麻人と麻衣ちゃんは、もはやみんな戻れないところまで来てしまったのだった。

 麻人は二見さんのことしか考えられないほど彼女に夢中になっていた。その恋はひょっ
としたら、既に破綻していたのかもしれないけど、麻人はその事実に対して無謀な反撃に
出ようとしていた。

 私はここで変質してしまった、私たちのことをもう一度振り返ってみた。

 麻人に対してあそこまであからさまに依存して麻衣ちゃんは、大切な麻人のことを私に
託したのだった。麻衣ちゃんが不本意ながら踏み切ったのかそれとも麻人への依存から卒
業しようとしたのかは私にはわからなかった。


 麻衣ちゃんが、先輩が部長を務めるパソコン部でいったい何をしたいのか、私には全く
わからなかった。先輩は学園祭間近の生徒会を放り出してまで麻衣ちゃんの面倒をみてい
るようだった。それについては私と一緒に学園祭の準備をしてくれている生徒会の副会長
が、ある時私に吐き捨てるように言った言葉が気にはなっていた。

「あいつはもう駄目だ」

 副会長は私に言った、

「見損なったよ。あんたに振られてめそめそしているくらいならちっとは慰めてやろうか
と思ったのにさ」

「何かあったんですか」

 私は副会長に聞いた。この人が会長に厳しく当たることには慣れていたけど、その時の
副会長は信じられないほど憤っているように見えたから。

「最低だ、あいつ。あんたに振られてさ、自分のプライドを保つために下級生に手を出してたよ」

 え? あたしは確かに先輩を振った。振った当時は麻人のことが好きだったから。今で
も自分の中には麻人への想いしかないのだけれど、麻人の心には今は二見さんがいた。
今では心の中だけになってしまったけど。それにしても、私は以前より会長に気安く話しか
け、先輩とはお付き合いできないけど先輩と気まずい仲にはなりたくないということをア
ピールするようにしていた。それは私のせいで先輩を傷つけたくない、先輩に恥をかかせ
なくないという想いからの行動だったのだ。

 副会長の浅井先輩の話では、石井会長は意外と簡単に私への想いを忘れ新しい恋のお相
手を見つけたことになる。そのこと自体には私には別に異論はなかった。先輩の想いに応
えられない以上、どういう形にせよ先輩が立ち直ってくれるのは喜ばしいことだったから。
でも先輩の相手は麻衣ちゃんだというのだ。

 いったいどういうことなのだろう。突然パソコン部に入部した麻衣ちゃん。そしてその
麻衣ちゃんを指導するために生徒会を放り出して彼女に付きっ切りになっている先輩。

 浅井先輩によるとその二人が人目をはばからないほどの恋仲になっているのだという。

 今まで麻人以外の異性に全く興味を示さなかった麻衣ちゃん。そして私にに好きだと告
白した生徒会長の石井先輩。

 その組み合わせにはしっくりと行かなかったけど、仮に本心から麻衣ちゃんと石井先輩
が互いを求めているのであれば、私はそのこと自体に反対する気持ちはなかった。ただ、
そのことを私に吐き捨てるように話した副会長の浅井先輩のことは少し気になってはいた。

 副会長はいい役員だった。会長に遠慮はなかったけど副会長としてフォローするところ
ははずさずに、たとえそれが生徒会活動と関係のないプライベートな事であろうとそれが
生徒会の正常な運営に影響するようなことであれば、役員の中で副会長だけは会長に強く
注意していたのだった。

 そういう副会長先輩は生徒会役員の見本のようで、あたしはそういう彼女みたいな役員に
なりたいとまで思ったのだけど、あの時会長と妹ちゃんの関係を批判した副会長の話にはな
ぜか心服することができなかったのだ。その時の副会長先輩は、まるで会長と妹ちゃんへの
嫉妬心の発露のような言葉を吐き出していたのだった。まさか、副会長は会長のことが好き
だったのだろうか。

 まるでぐちゃぐちゃだった。これでは本当に誰が誰を好きなのか全くわからない。でも
本能的に理解していたこともあったことはあった。

 一つは麻人の気持ちだった。彼が二見さんを好きなことは疑いようようがなかった

 あたしはそこで無理に考えるのをやめた。麻人は相変わらず食欲がない様子でぼうっと
何かを考えているようだった。そしてその間も彼の視線は、ここにいるはずのない二見さ
んを求めるように周囲を探っていた。

「もっと食べなきゃだめだよ」

 私は自分が作ったのお弁当に少ししか手を伸ばさない麻人に言った。

「あんた朝も食べてないんでしょ? 体壊しちゃうよ」

「悪い」

 麻人は私に謝った。


 麻人は私に悪いとは言ったけど、やはりそれ以上は何も食べようとはしなかった。そし
てもう私もそれ以上麻人に何も言う気はなくなっていた。というか私自身にさえ食欲のか
けらも残っていなかった。結局、私たちは残りの昼闇の時間を黙ったまま過ごしたのだっ
た。

 午後の授業が始っても私は授業に集中できなかった。何か得体の知れない寂しさが包み
込んでいるようだった。麻人が好きだという自分の心に気がついた時、自分の恋は成就し
なかったけど、私たちの関係が壊れることだけはないのだと、なんとなく私は考えていた。
それは家族関係のようなものだったから。

 今ではこの場所に残っているのは私と麻人の二人きりだった。麻人は二見さんを失い、
私も麻人を失った。そしてあんなに私たちの側ににべったりとくっついていた麻衣ちゃん
も今では私たちと別行動を取っていた。高校に入学した時に戻ったように麻人と私は二人
きりだった。そしてあの時は二人きりでいること自体にわくわくしていた私だったけど、
今ではただ得体の知れない寂さだけしか感じることができなかった。

 これからどうしようか。

 あの時、あたしは夕也と麻衣ちゃんの頼みを引き受けた。引き受けざるを得ない状況だ
ったから。二見さんは、麻人を巻き込まないために麻人ともう二度と会わない決心をして
いるのではないかと夕也は言った。だから、麻衣ちゃんも夕也も不在なこの時期には、私
は自分の恋とか関係なく、二見さんを愛した麻人を支えるしかなかったのだ。

 でも、実際に麻人を支えようとしていても、私が一緒にいることで彼が少しでも救われ
ているのだろうかという疑問が今の私には強く浮かんでいた。麻人は私のことなんか全く
気にしていないようだった。

 いや、気にはしていたのかもしれない。ただそれは、精一杯彼のことを考えて彼に話し
かけていいる私のことを気にしてくれているに過ぎなかった。つまり私がしていることは
全く麻人の役に立っていないどころか、かえって彼の負担になっているのだ。

 これからも私はこんな誰にとっても救いのない行動を選び続けるしかないのだろうか。
私は自分の引き受けた役割を後悔し出していたけど、でもそれは自業自得であって決して
麻人のせいにできることではないことはわかっていた。

 ようやく午後の授業が終了したとき、私は麻衣ちゃんと約束した以上、生徒会活動を放
り出してでも麻人に寄り添うつもりだったけど、その私の申し出を麻人は断った。

「学園祭も近いんだしおまえ忙しいだろ」

 麻人のその言葉は、多分私なんかと一緒にいるより一人で二見さんのことを考えたいと
いう気持ちから出たものだと思う。でも、麻人が形だけでも私のことを気にかけてくれた
ことは、何か私にまだ将来のこととか何も考えずにお互いのことだけを考え合っていて、
それでも充足していた昔の私たちの関係のことを思い浮ばせてくれた。

「ごめんね」

 私は言った。「学園祭の準備が今佳境になってるから」

「ああ。俺は大丈夫だから」

「・・・・・・本当に平気?」

 私は思わず本音で麻人に聞いた。彼は私が大好きな優しい笑顔をすごく久しぶりに見せ
てくれた。

「おまえに気を遣わせちゃって悪い。何なら朝も一緒に来てくれなくても俺は平気だから」

 そういった麻人の寂しい表情が私の胸の中のどこかを柔らかく刺激した。

「そんなこと言うな」

 私は思わず麻人を叱るように言った。

「明日も駅にいなよ? 私を待ち呆けさせたら許さないから」

 麻人は寂しそうに、でも私に気を遣っているかのように笑ってくれたのだった。


今日は以上です
また投下します


 石井会長はようやく視線を祐子ちゃんから外して、私の方を見た。

「・・・・・・遠山さん、ちょっと学園祭の運営のことで打ち合わせしたいんだけど」

「はい」

「じゃあ、お茶を入れますね。それから打ち合わせしましょう」

 祐子ちゃんが言ったけど、会長はそれを遮った。「いや。君はもう一度新しいスケジ
ュールを見直してくれるかな。次の失敗は許されないから」

「はーい」

 祐子ちゃんは噂話を続けるのを諦めたようで素直にパソコンに向った。彼女も多少は自分
の失敗を気にはしていたのだろう。

「ちょっと場所を変えようか」

 石井会長が私に言った。

 会長は黙って私を共通棟の屋上に連れて行った。まるでまた会長に告白されるみたいな
雰囲気だなって私は考えたけど、もちろんそんな話であるわけはなかった。でも黙りこく
って先を歩いていく会長の背中からは緊張感がひしひしと伝わってきた。

 ・・・・・・本当は会長の問題にかまけている時間はないのだ。私は考えた。会長と副会長、
それに副会長の妹らしい唯とかいう女の子の間にどんな複雑な事情があろうとも、申し訳
ないけど今の私には関係のない話だった。今の私にとっての優先事項は、夕也と浅井副会
長と、麻人と二見さんの関係を知ることだったのだ。

 それでも、会長の話には何だか私抱えていた問題の核心をついてくれるような気がした。
とりあえず会長の話を聞こう。私は黙って会長について行った。

 会長は屋上のベンチに腰かけた。彼が何も言わなかったので、私は少し迷ったけれど結
局、会長の隣に腰かけた。

「祐子さんの話ではよくわからなかったんだけど」

 会長は私の方を見ずじっと前を見詰めたまま言った。

「結局、何で今日副会長はいないかったの?」

 そう言えばさっきの祐子ちゃんは、生徒会室で起きた唯さんとかいう女の子の行動だけ
を面白そうに会長に伝えただけだったので、何で副会長先輩がいないのかという会長の疑
問はもっともだった。ただ、最近あまり生徒会に顔を出さない会長がそういう権利がある
のかというのは別として。

「唯さん・・・・・・、浅井先輩の妹みたいですけど」

「うん」

「昨日貧血で倒れたそうです。それで昨日と今日浅井は副会長は生徒会に来れないそうで
す」

「そうか」

 それだけ言って会長は黙ってしまった。でもわざわざ私をこんなところに連れてきたの
には理由があるはずだった。浅井先輩不在の訳を聞きたいだけなら場所を帰る必要はない。
私は黙って会長が話し出すのを待った。

 随分長く沈黙が続いたような気がしたけど、やがて会長は口を開いた。

「さっきの祐子さんの話だけど」

「はい」

 会長の表情は照れているのか何かを恐れているのかはわからないけど、とても複雑な表
情で私を見た。学園祭の運営の相談ではないことはもう明らかだったけど、単純に麻衣ち
ゃんと付き合っていることを私に話したいだけでもないことも確かだった。それは会長の
緊張した様子からもわかった。


「まず聞いてもらいたいんだけど、僕と麻衣・・・・・・麻衣さんは付き合っている」

 会長はそう言った。

「とりあえず君には知っておいてもらいたくて」

「はい。というか察してはいました。朝一緒にいる先輩と麻衣ちゃんを見かけました
し・・・・・・。というか隠しているつもりだったんですか? あれで」

「そういうつもりはないんだ。彼女も僕たちの関係を周りに隠す気なんかないみたいだし、
彼女がそれでいいなら僕だって」

 先輩が慌てた様子で言った。「でも、これまではっきり誰かに僕たちの交際を話したの
は君にだけなんだ」

「そうですか・・・・・・でも心配はいりませんよ。私も麻人も麻衣ちゃんが選んだ人なら反対
はしませんから」

「ありがとう」

 会長はそう言ったけど、その表情には嬉しそうな様子は窺えなかった。

「まあ僕たちのことはともかく、さっきの祐子さんの話だけど」

「はい?」

「君とか池山君には誤解して欲しくないというか・・・・・・その」

 会長はそこで少しためらって、でもその後思い切ったように話し出した。

「僕は中学の頃、祐子さんと生徒会で一緒に活動をしていたことがあってね。彼女は副会
長だったんだけど。それで・・・・・・。どういうわけか僕は彼女に告白されたことがあったん
だ」

 やはりそうか。では、会長は中学時代に浅井先輩の妹と生徒会でコンビを組んで、高校
では姉の浅井先輩とコンビを組んだわけか。何か因縁のようなものを私は感じたけど、正
直会長の話は今の私にはどうでもよかった。

「今日まで二人が姉妹なんて全く気がつかなかったよ。言われてみれば二人とも浅井さん
だったんだけど」


 会長がそう言った。会長にとっては過去の亡霊が再び現われたように感じて狼狽したの
かもしれないけど、今、私が探らなければいけないのは中学時代の会長の恋愛模様とかで
はなくて、麻人と二見さんに起きたことの真実だったのだ。だから正直に言って、今の私
には混乱した会長の心の整理に付き合っている余裕はなかった。でもその後に続く会長の
話を聞いたとき私は凍りついた。

「でも僕は祐子さんの告白を断った。その時にはもう、僕には優がいたから」

 僕には優がいた? ではあの二見優さんと会長には過去に接点があったのだ。そればか
りか副会長の妹だという唯さんの告白を断る理由が、二見さんだったと会長は言った。そ
れは中学時代の会長と二見さんは恋人同士だったということか。一瞬、私は混乱したけど
次の会長の説明で疑問は完璧に氷解した。

「多分君の考えているとおりだよ。僕は優と中学時代付き合っていた。池山君の彼女の
優・・・・・・さん、と」

 会長はそこで取ってつけたようにさんづけをした。多分、二見さんのことを呼び捨てで
呼ぶことに慣れていたのだろう。

「僕と優さんは彼女が中学二年の終わりに転校するまで付き合っていたのだけど、彼女が
突然転校したせいで自然消滅みたいになってね」

 それでは私が聞いたあの会話の謎の一端がほどけたのだ。過去に副会長の妹さんと石井
会長には因縁が、少なくとも何らかの交渉があったのだ。それが二見さんを陥れた動機な
のかどうかは、まだわからないけど。

「・・・・・・でも何でそんなことを私に話すんですか? だいたい、麻衣ちゃんはそれを知っ
ているんですか?」

 これは大切なことだった。麻衣ちゃんにとっては二見さんは自分から麻人を奪っていっ
た女だった。その二見さんが、今麻衣ちゃんが付き合っている石井会長の元カノだと知っ
たらどう考えるだろう。そして先輩がわざわざ私を生徒会室から連れ出したのは、麻衣ち
ゃんへのフォローを期待したからなのだろうか。


「麻衣・・・・・・さんにはまだ話していないよ。そして今の僕にとって一番大切なのは二見さ
んでも唯さんでもなく麻衣さんだけど、だからと言ってそういうフォローを君に頼もうと
したのでもないよ」

 会長は私の内心を見透かしたように言った。

「むしろ、迷惑かもしれないけど僕のしでかしたことを聞いて欲しいんだ。今の今まで誰
にも黙っていようと思っていたけど、唯さんまで出てくると何かいろいろ不安になってき
たよ」

「意味がわかりません。もっとはっきり話してもらえますか」

「僕の恋愛関係のことを相談したいわけじゃないんだ。僕のしたことで麻衣さんに振られ
てもそれは事業自得だから」

 今や会長の顔は真っ青だった。でも言葉の勢いは前よりも激しさを増しているようだっ
た。

「今までは全然気がつかなかったんだ。僕の愚かな行動で池山君と二見さんを破滅させた
んだと思っていた。でも、それより僕の知らないところでもっと何かが起こっているみた
いだから」

 私は再び凍りついた。今まで、会長の個人的な複雑な悩みを聞かされているだけのつも
りだった。でも会長が言うには私が真相を突き止めようと決めた、麻人と二見さんを襲っ
た出来事について言及したのだった。

「聞いてくれるか?」

 きっと私の顔色が変ったことに気がついたのだろう。会長は興奮を鎮めるようにそっと
続けた。



 帰宅してベッドの中で寝る前に、私はさっき屋上で会長から聞かされた話を思い返した。

 生徒会長の話は私に麻人と二見さんを巡って起きている出来事に対する、新たなそして
かなりの量の情報をもたらしてくれた。ただ、その話は断片的で、二見さんを陥れた本当
の原因を明らかにしてくれたわけではなかった。新たに増えた事実は、私が明らかにした
いと思っている真実から更に遠ざけてしまったようだった。

 私はベッドの上で身体を起こした。このまま考え事をしていたら明日の授業はひどい有
様になりそうだけど、こういう状態になると眠ろうとしても眠れないことは自分でもよく
わかっていた。

 寝ることをきっぱり諦めた私は最初から会長の話を思い起こすことにした。会長は昨日
真っ青になりながらこう言ったのだった。

「・・・・・・君たちの担任の鈴木先生に、優の女神行為を知らせたのは僕だ」

 私はこれまで犯人を想像しようと無駄な努力を繰り返していた。二見さんに横恋慕した
校内の男子生徒とか、麻人のことを思い詰めるほど好きになってしまい、二見さんを逆恨
みしたった女の子とか。そして、最近になって有力な犯人候補として考えざるを得なくな
ったのが、夕と副会長だった。でも、まさか生徒会長が犯人だとは思いもしなかったのだ
った。

 その話はそれだけでは終らなかった。

「僕が二見さんと池山君に酷いことをしたという自覚はある。でも、ここまで二人を追い
詰めたのは僕じゃないんだ。それだけは信じて欲しい」


 とにかく私は、鈴木先生に二見さんの女神行為を知らせた犯人を突き止めたのだった。
それは会長だった。その行為は麻人をここまで苦しめているのだから、その実行犯である
会長に憎しみを感じてもいいはずだったのだけど、驚きのあまり感情までが麻痺して機能
しなくなったせいか憎しみや嫌悪よりは、このことの持つ意味が理解できないもどかしさ
だけが私の脳裏を閉めていたのだった。

「意味がわかりません」

 私は震える声で聞き返した。

「何で先輩がそんなことをする必要があったんですか? それにそれだけのことをしてお
いて、麻人と二見さんを追い詰めたのは自分じゃないってどういうことなんです?」

「ちゃんと話すよ。迷惑かもしれないけど聞いてくれるか」

 会長の顔は青かったけど、もう口調は大分落ち着いてきていた。

「僕が二見 優・・・・・・さんと付き合っていたことは事実だ。そして祐子さんを振ったこと
も事実なんだ」

「そして、二見さんが僕には何も言わずに転校して僕の初恋は終った。正直に言うと僕は
そのことに悩んでいた。でも麻衣ちゃんがパソ部に入ってきて僕に悩みを打ち明けてき
て」

「麻衣ちゃんが先輩に?」

「うん。彼女は池山君から卒業しようとしていたんだ。ただ、彼女は池山君の相手の優さ
んが女神行為をしていることに気がついてしまった」

「彼女は悩んでいた。そして僕自身も優さんの女神行為のことを知って悩んだ。あいつは
何をしているんだ、僕と付き合っていたらそんな破廉恥なことをして自己実現する必要も
なかったのにってね」

 会長の話は途中に飛躍もありわかりやすいものではなかったけど、私は何とか会長の話
について行った。麻衣ちゃんが大好きな麻人の彼女に対して求める水準を考えると、女神
行為をしているような女の子は論外だったのだろう。私は考え違いをしていた。麻衣ちゃ
んが部活に入ったのは兄離れをするためだと思い込んでいたのだ。でも彼女はそんな単純
な理由だけではなく、麻人にはふさわしくない二見さんと麻人の関係を何とかしようとし
てパソコン部のドアを叩いたらしかった。

 麻衣ちゃんは何を望んでいたのだろう。麻人と二見さんを別れさせて、自分は兄離れを
する。そして一人になった麻人に私をくっつけようとしたのだろうか。



『お姉ちゃん・・・・・・』

『もうあまりあたしのことは甘やかさなくていいよ』

『お姉ちゃんももう自分に素直になって』

『でないと本当に二見先輩にお兄ちゃんを盗られちゃうかもよ』



 私は前に麻衣ちゃんに言われた言葉を思い返した。


「いろいろあったけど僕は麻衣とお互いに好きあう仲になって・・・・・・これは正直な気持ち
なんだけど僕にとってはもう優さんのこととかどうでもよくなって」

 会長は話を続けた。

「麻衣がいてくれれば過去のことなんてどうでもいい、優さんが池山君のことを好きなこ
ととか女神をしていることとかどうでもよくなったんだ」

「じゃあ、何で会長は鈴木先生に二見さんの女神行為を知らせるようなことをしたんです
か?」

「・・・・・・麻衣の望みをかなえてあげたかったから。だから僕は麻衣にも黙ってメールした
んだ。でもそのメールを出した後で麻衣に言われた」

 会長は話を続けた。その話は意外なものだった。麻衣ちゃんが麻人と二見さんの付き合
いを認めたらしいのだ。でもそれは会長が麻衣ちゃんに黙って鈴木先生にメールを出した
後だった。



『恋愛って当事者同志じゃなきゃわからないんだよね。あたし、初めて恋をしてよくわかった』

『・・・・・・うん』

『お兄ちゃんが二見先輩のことを、先輩の女神行為のことを承知していても二見先輩が好
きなら、あたしはそれを邪魔しちゃいけないのかもしれない』

『あたしにはブラコンかもしれないけど、それでもお兄ちゃんの恋を邪魔する資格はない
と思う。今ではあたしの一番好きな男の人は、お兄ちゃんじゃなくて先輩なんだし』

『だから先輩、あたしが前に相談したことは全部忘れて。あたしはお兄ちゃんと二見先輩
のことは邪魔しないし、お兄ちゃんの味方になるの。今ではあたしには先輩がいるんだし、
もうお兄ちゃんの恋を邪魔するのは止める』



 その時にはもう手遅れだった。二見さんの女神行為は鈴木先生に知らされてしまってい
た。麻衣ちゃんに初めてできた彼氏の手によって。



「全ては僕のせいだ。麻衣にはこうなった原因が僕にあることは言えなかったけど、仮に
ばれて彼女に嫌われてもしようがないと思っている」

 会長が話を続けた。「でも僕が今日君に言いたかったのはそんなことじゃない」

 会長はしっかりとした視線で私を見つめた。

「麻衣と仲のいい君には話しておきたいんだ。さっき書記さんの話を聞いて、この話はそん
な僕たちの単純な行き違いから始ったものじゃないみたいだと気がついたから」


 ここまでの話だけでも混乱していた私は、この話に加えて会長が何を言いたいのか予想
も出来なかった。そしてそんな私を気遣う余裕すらないように、普段は常に冷静な会長は
話を続けた。

「誓って言うけど僕がしたのは最初のメールを出したところまでなんだ。その後の名前バ
レとか裏サイトの掲示板とかの書き込みには僕は一切関与していないんだよ」

 二見さんを本当に追い詰めたのは学校側に女神行為が知られたことではなく、広くネッ
ト上にその行為が実名付きで出回ったことだった。会長の話が本当だとすると、他に二見
さんを追い詰めた犯人がいるということになる。

 私は夕也と浅井先輩の会話を思い出した。やはり彼らが真犯人なのだろうか。まだ真実
はわからないけれど思っていたより複雑な動機が絡み合って、こういう事態が生じたこと
は間違いがないようだった。そして会長は真の犯人ではないのだろうけれども、これを始
めた犯人の動機に密接に関与しているのだろうか。

「浅井君と唯さんが姉妹だったっていうことは、僕はさっき初めて聞いたのだけど」

 会長が顔を上げた。「これまでそのことを僕が知らなかったこと自体が不自然だと思
う」

 会長は何を言っているのだろうか。私は会長の次の言葉を待った。

「僕は中学の頃それなりに女の子から告白されたことがあるんだけど」

 会長は続けた。「まあ信じてもらえないかもしれないけど」

 こんな時なのにわざわざそういう余計な一言を付け加えたのがいかにも女性関係に自信
が無さそうな会長らしかったけど、そのことに可笑しさを感じる余裕はこの時の私にはな
かった。

「それにもてたと言ってもほとんどみんな勘違いとか思い込みでね。僕が相談に乗っている
相手が自分に親身になっている僕のことが気になるようになったとうだけで、まあ、そういう
子はみんな自分が好きなんだよね」

「はあ」

 会長の話がどこに繋がっていくのか私にはわからなかった。

「そんな中でも唯さんだけはそうじゃなかった・・・・・・生徒会で副会長をしていた彼女は控
え目で優しい子だったんだけど、どうやら本気で僕のことを好きになってくれたみたいだ
った」

「その唯さんの告白を、当時優と付き合っていた僕が断ったのは今話したとおりだけど、
よくわからないのは、唯さんは優と同じクラスだったから僕が彼女さんと付き合っている
ことは知っていたはずなんだ」

「じゃあ、同級生の彼氏を奪おうとしたってことですか? その控え目で優しいという浅
井先輩の妹が」

「そうなるんだ。当時の僕は優に夢中だったから深くは考えなかったのだけど、今にして
思えば同級生の彼氏にわざわざ告白したことになるんだよ。そんかおとをするような子に
は思えないんだけど」

 しかし、会長の思考能力はすごく高いなと私は考えた。今の今まで何年間も忘れていた
ことや知らなかったことを、祐子ちゃんから聞かされただけで、すぐに当時の出来事の矛
盾点を思いついたのだから。

 こういう人が味方になってくれると力強いだろうな。現にさっき私たちでは宥められな
かった三年生の部長たちを納得させてしまったのも会長だった。

 でも、会長が本当に味方になれる立場にいるかどうかはまだわからない。とにかく二見
さんの女神行為を鈴木先生に言いつけて、麻人と二見さんの誰にも迷惑をかけていない二
人だけの小さな幸せを壊すきっかけをつくったのは会長であることに間違いないのだから。


今日は以上です
また投下します

【最悪のSS作者】ゴンベッサこと先原直樹、ついに謝罪
http://i.imgur.com/Kx4KYDR.jpg

あの痛いSSコピペ「で、無視...と。」の作者。

2013年、人気ss「涼宮ハルヒの微笑」の作者を詐称し、
売名を目論むも炎上。一言の謝罪もない、そのあまりに身勝手なナルシズムに
パー速、2chにヲチを立てられるにいたる。

以来、ヲチに逆恨みを起こし、2018年に至るまでの5年間、ヲチスレを毎日監視。

自分はヲチスレで自演などしていない、別人だ、などとしつこく粘着を続けてきたが、
その過程でヲチに顔写真を押さえられ、自演も暴かれ続け、晒し者にされた挙句、
とうとう謝罪に追い込まれた→ http://www65.atwiki.jp/utagyaku/

2011年に女子大生を手錠で監禁する事件を引き起こし、
警察により逮捕されていたことが判明している。

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