男「慚愧の雨と山椒魚」 (17)

男(……)ザッザッ

男(この川辺に来るのも……これで何度目だろうか)

男(前に来た時とは打って変わって、周りの木々は華やかな赤に染まっている)

男(俺の心はその赤とは対照的に、どんよりと沈んだ黒紅色のままだ)

男(時折ぴゅるり、と吹く冷たい風は、まるで俺を追い出そうとするかのようで)

男(俺はどこか情けなく、肩をすくめて近くの岩場に腰掛けた)

男(秋の美しい紅葉は、俺の心を素通りするばかりで、全く癒してはくれない)

男(ならば空だ、と見上げた先には、クリーム色の世界が広がっていた)

男「……雨か」

男(ぽつりと落ちて来た雨粒は、数分もしないうちに数を増していき)

男「……感傷に浸るのも許さないってか。仕方ない、ここで雨をしのぐか」スッ

男(俺は、近くの小さな洞穴で雨宿りをする事にしたのである)

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男(中は足首が浸る程度の水が占領している。大きな岩に腰掛ける事で、俺はようやく一息ついた)

男(持ってきた魔法瓶の蓋を開け、熱々のお湯をカップ麺に注ぐ)

男「……」

男(食べられるようになるまでは、スキットルに入れたウイスキーを、じっくり、ゆっくりと時間をかけて飲む)

男(この魔法瓶とスキットルは、今は亡き相棒のものだ)

「……珍しいの、ここに人が来るとは」

男「!?」

男(周りには誰もいないはずだ――そう思い、声の方向に振り返る)

男(ぬらぬらとした身体、大きな頭……一匹の山椒魚が、そこに佇んでいた)

男「まさか山椒魚の幻聴を聞くとはな……酒が回るにはまだ早いようだが」

山椒魚「安心せい、主が聞いているのはその山椒魚の声じゃ」

男「……はは、さすがにたまげた。まさか山椒魚と話す日が来るとは」

山椒魚「主は何故ここに? 滅多に人が来ないものだが」

男「さあ……蕎麦を食べに来ただけかもな」

山椒魚「蕎麦……その物体の事か?」

男「ああ」

山椒魚「二つあるようだが……主一人で喰うのか? 儂に劣らずの大食漢よのう」

男「一つは相棒のものだよ。変わった奴でな、冷めてのびきった蕎麦が大好物だったんだ」

男「もう、死んでこの世にはいないんだけど」

山椒魚「……ふむ」

山椒魚「ここで会ったのも何かの縁じゃ、主の抱えているものを話してみよ」

男「……分かったよ、蕎麦でも喰いながら聞かせてやろう。一人の滑稽な男の話を」

男「まあ……「彼」には一人の友人が居た。平々凡々とした、ごく普通の友人が」

男「友人は目立った才能こそ無かったが、努力家だった。人の数倍の努力をし、誰よりも頑張るような奴だった」

山椒魚「ほう」

男「しかし――「彼」は天才だった」

男「友人が何をしようとも、「彼」はほんの少しの努力でそれを上回ってしまう」

男「周りの僻みの声は、当然「彼」にも届いた」

男「「彼」はその声に悩まされていたが、決まって友人が助けてくれた」

男「『その才能を一生懸命使って何が悪い。誰が何と言おうが、君は君だ』」

男「友人は才能ある「彼」を尊敬していたし、「彼」は努力家で強い心を持つ友人を尊敬していた」

山椒魚「良い友人を持ったのだな」

男「ああ……おっと、そろそろ俺の分がいけそうだ。御先に失礼」

男「うむ、やはり旨いな。つゆが冷えた身体に染みわたる」

山椒魚「変わった香りだな……人の食べ物なぞ滅多に見ない事もあるが」

男「だろうな……ごちそうさん」

男「さて、話に戻るか」

男「「彼」と友人はそれからも仲が良く、それなりに長い関係を築いていた」

男「そんなある時、友人は一人の女性に恋をした」

山椒魚「……」

男「その女性は空が好きで、友人は彼女の誕生日までに、美しい空の絵を描こうと決めていた」

男「そして、いよいよ当日が来た。友人は女性に電話をし、部屋には「彼」一人だけが残った」

男「「彼」は友人の書いた絵を見ていたが、ふと気になる点を見つけた。大空を飛ぶ小さな鳥の絵だ」

男「その鳥は真っ黒な烏だった。「彼」は、これは白い鳥の方が良いのでは、と思い、何も考えずに白い鳥に描きかえた」

男「そして「彼」は友人を勇気づけ、送り出した」

男「一時間ほど後に、友人が帰ってきた――目に涙を溜めながら」

男「どうしたんだ、と聞く「彼」に飛んできたのは、今まで聞いた事も無い友人の罵声だった」

男「『どうして絵を書き換えたんだ!? 彼女は烏が好きだって言うから書いたのに!』」

男「それを聞き、「彼」は青ざめた。ほんの軽い気持ちでやった事が、友人の努力を台無しにしてしまった、と」

男「しかし、友人がショックだったのは、絵が変わっていた事では無かった」

男「『この白い鳥、一番気に入った、すごく綺麗だよ』――そう告げられたそうだ」

男「「彼」の才能が、友人の努力を、思いを、全て奪ってしまったんだ」

男「友人は泣きながら部屋を飛び出していった」

男「……「彼」は、追いかける事が出来なかった」

男「そして」


男「三日後――友人が川に身投げした、と言う知らせが、「彼」の耳に飛び込んできた」

男「後日、「彼」の元に一冊の日記が届いた」

男「そこには、友人の苦悩が書きつづられていた」

男「天才の金魚の糞、と陰口を言われていた事」

男「友人自身も、「彼」の才能が、時々憎たらしくて仕方なくなってしまう事、そんな自分への嫌悪」

男「努力をしても、結局無駄なのではないかと言う葛藤」

男「その日記は誰が送ったのかは未だ分からない――だが、「彼」の心を叩き潰すには十分だった」

男「誰よりも分かっていたはずの友人の事を、「彼」は何も見えていなかった」

男「それ以来、「彼」は人と接するのが怖くなってしまった」

男「ただ時折友人の身投げした川を訪れ、懺悔する事だけ」

男「そうして「彼」……この俺、男は今も醜く生き延びている」

山椒魚「……そうか……」

男「……」

山椒魚「……」

ザアアァアアァアアァァアァ……

男(二人とも喋らない)

男(肌寒い洞穴の中では、ただ強くなった雨の音が響き渡るのみである)

男(再び心の中に湧き出てきた自責の念をかき消すように、俺はウイスキーを口に含んだ)

男「……次、あんたが……何か喋れよ。俺が話したんだから」

山椒魚「そうじゃな……何を話そうか」

男「いや、何で俺と会話出来るんだよ。まずそこからだろ。酒の肴程度にはなるだろう」

山椒魚「……うむ、では儂も聞かせてやろう……一匹の愚かな山椒魚の話を」

男「……ほう」

山椒魚「まず説明じゃの……主は神を信じるか?」

男「神か……今までは特に考えた事は無いが、あんたを前にすると信じざるを得ないな」

山椒魚「神は一つの概念では無い。自然や特殊な場所で「選ばれる」のだよ」

男「選ばれる?」

山椒魚「この山では、選ばれた「動物」は雨を司る力を持つ。鳥達に聞いた話だと、近くの神社では狐の神がいるらしいが」

男「雨……か」

山椒魚「神になった動物は、生涯を終えるまではその力が身体に宿る。そして、寿命によって死んだ後はまた新たな動物が選ばれるのだよ」

男「……つまり」

山椒魚「ああ、儂は神に選ばれた」

山椒魚「ただし、儂は完全な神にはなれなかった……」

男「完全?」

山椒魚「完全な神になった動物は、力をコントロールし、さらに人に変化する事が出来る。現実世界であったり、夢の世界であったりするが」

山椒魚「しかし、儂は人には変化できぬ……先代の神、種族は鹿であったが、彼は完全にコントロールする事が出来た」

山椒魚「さて、話は昔に遡る……その鹿が寿命で息絶え、儂が次世代の神に選ばれた」

山椒魚「この山では誰もが神になる覚悟をしている……儂もそうだった。しかし、儂は不完全な神だった」

山椒魚「山の動物共は、次の神となった儂を表面上は祝福してくれた」

山椒魚「しかし、儂には見えていた。心の中では、「早く死んで、しっかりとした力を持った次の神が生まれないか」という願望が」

山椒魚「中途半端に芽生えたこの力は、雨をコントロールする事が出来ぬ。ただ、儂の感情に左右して不安定に降るだけだ」

山椒魚「すっかり周りの者を信じなくなった儂は、この洞穴に閉じこもった」

山椒魚「そのまま餓死してしまえば良い――周りはそう思っていたし、儂もそのつもりであった」

山椒魚「しかし、皮肉な事に、神の力は、儂が餌を食べなくとも、生き延びるようにしていた」

山椒魚「ならばこのまま石となろう――そう思い、儂はずっとここで引きこもっていた」

山椒魚「潤いを無くし乾ききった儂の心は、決して雨が降ることを許さなかった」

山椒魚「植物は枯れ、動物たちは木の実や草が減ったと文句を言う」

山椒魚「しかし、神を殺してしまえば、そこで神の力は途絶えてしまう。奴らは儂を殺す事は出来なかった」

山椒魚「そんなある日、一匹の美しい蝶が儂の元へやってきた」

山椒魚「『どうか、雨を降らして下さい』――そう懇願してきたのだ」

山椒魚「すっかり腐っていた儂は、鼻で笑うとその蝶を帰らせた。どうせ自分の身が可愛いだけだろう、と」

山椒魚「しかし、その蝶は何日もやってきた」

山椒魚「儂はそのたびに跳ね除け続けたが、次第に少しずつ心を許そうとしていた」

山椒魚「『……儂の負けだ。あい分かった、明日雨を降らそう』」

山椒魚「そう告げた時の喜びようといったら、並大抵のものでは無かったものだ」

山椒魚「儂は久方ぶりに力を蓄えた」

山椒魚「――しかし、ただでさえ未熟な力をずっと使わなかったせいで、儂は力を発揮する事が出来なくなっていた」

山椒魚「どうしたものか、このままでは――そう焦った儂は、翌日蝶にこう告げた」

山椒魚「『儂が力を発揮するには贄が必要のようだ』……儂は、自分のみっともない神の誇りを守るため、そう言い繕った」


山椒魚「翌日、その蝶は死んだ」

山椒魚「聞いた話だと、どうも彼女はもともと寿命が短かったらしい。それでも何とか弱った身体に鞭を打ち、ここを訪れていたのだ」

山椒魚「儂は己を恥じた。どうして、もっと早く雨を降らそうとしなかったのか――溢れ出る感情は、儂の身体を突き抜けた」

山椒魚「それ以来、この山はよく雨が降るようになった」

山椒魚「分かるか」

山椒魚「この雨は……儂の涙なのだよ」

男「……そうか」

山椒魚「……だが、幸か不幸か、もう儂の寿命は短くないようだ」

山椒魚「もうじき死ぬじゃろう……」

男「……そう、か」

男(ふと目線を下に下げると、すっかり冷めてぬるくなった蕎麦が目に入った)

男「……冷めたか」

男「……」

男(俺はそれを口に運ぶ)

男(つゆを吸いきってふにゃふにゃになった麺)

男(ぬるいつゆでそれを流し込んだ)

男「……やっぱり、まずいなァ……友……」

男(それでも俺は、その味を噛みしめる)

山椒魚「……」

男「……」

男(平らげた俺は、気持ち悪さを誤魔化すようにウイスキーを飲む)

男(特有の香りが鼻を突きぬける、俺はその香りがどうも苦手だ)

男(結局、お前の好きな酒の美味さすらも分かってやれなかったんだな、俺は……)

男「……飲むか?」

山椒魚「……そうだな、物は試しじゃ」

男(俺は口を開けた山椒魚に、ウイスキーをほんの少し垂らした)

山椒魚「……変な味の水じゃな……だが、悪くない……」

男「……はは、まさかウイスキーが口に合うとはな」

山椒魚「ウイスキー、と言うのか……儂の身体には良くなさそうじゃが……もう永くない、もう少しくれんか」

男「ああ」

男(洞穴にはウイスキーを飲む山椒魚、そして一人の人間)

男(何とも奇妙な光景だが、不思議と俺は得体の知れない心地よさを感じていた)

男「……あ、もう少ないな。最後は俺が飲む」

男「……ふぅ……」

山椒魚「死ぬ前に良い体験が出来た……男よ、感謝する」

男「神さんに感謝されるなんてな、俺はそんな資格ないさ」

山椒魚「……眠くなってきた、儂は寝る」

男「……そうか」

山椒魚「もし……叶うのならば……お互い……やり直したいものだな……」

男「……ああ」

山椒魚「フフ……儂は何を口走っておるのやら……男よ……達者でな……」

男「ああ……あんたと話せてよかったよ」

男(山椒魚は目を閉じた)

男(それが寿命によるものか、それともアルコールのせいかは分からない)

男(だが、俺はもう二度と彼に会う事は無いだろうと確信した)

俺(俺は洞穴を出る。外は依然として雨が――)

男(……あ)



男「……雨、止んだな……山椒魚……」

先程の曇天は何処へやら、空は清々しい秋空へと変わっていた。

吹き抜けていた風は、幾分柔らかくなった模様。男の肌を優しく撫でる。

何だかそれがむず痒く、男は歩き出す。

まるで自然が俺を許してくれたようだ――そんな思考が一瞬頭によぎり、馬鹿馬鹿しいと首を振る。

そんな自分と決別するかのように、男は歩く速度を速めた。

何処へ行くかは彼自身も知らない。

しかし、彼はこれからもこうして漠然と生きていくのだろう。

もう一人の「友人」と共有できた、己の消せない罪を背負いながら。

終わりです。

前作

男「夏の通り雨、神社にて」
男「夏の通り雨、神社にて」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1437922627/)

少年「鯨の歌が響く夜」
少年「鯨の歌が響く夜」 - SSまとめ速報
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