【ゆるゆり】BAR Funamiの日常 (116)

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あわただしい都会の町。

めまぐるしく動く社会。

そんな喧騒から逃げるように入った路地に、その店はあります。

BAR Funami……疲れたあなたに癒しを与える、小さいけど温かいバー。

今日はいったい、どんなお客さんが来てくれるのでしょうか。

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京子「マスター、いつもの」

結衣「…………」

あかり「結衣ちゃん、いつもの入りました~」

結衣「ああ、聞こえてたよ……はぁ」


京子「あかり、今日も他のお客さんは来てないの?」

あかり「うん、まだ京子ちゃんだけかな……」

京子「ん~なんで繁盛しないんだろうなあ。マスターの作るものは美味しいのに」



結衣「はい……アイスミルク・ダブル」ことん

京子「おっ、ありがとう」


京子「っ……ん、はぁ」こくこく


京子「いやー、相変わらずマスターは良い腕だね」

結衣「……家で飲めよ!」

あかり「ゆ、結衣ちゃん怒っちゃだめだよぉ~」


結衣「牛乳くらい家で飲め! お前のためだけだぞ、これ置いてんの」

京子「いつもありがとう」

結衣「毎日毎日きやがって……なんなんだよ本当。牛乳注ぐのに腕前関係ないだろ」

京子「おいしいよ」

結衣「うるせえ……ったく」ふきふき

京子「それにしても、どうしてお客が来ないんだろうね。立地も悪くないと思うんだけど」

結衣「京子が新規で来てくれるお客の話に首つっこんだりするから、変な客がいるって噂でもたってるんだよ、どうせ」

京子「そんなわけないだろ~。それに私が来なくなったら本当にこの店一人も客来なくなっちゃうぞ?」

あかり「結衣ちゃん、京子ちゃんは大切なお客様だよぉ」

結衣「べ、別に京子がいなくたって、にぎやかなお店にしてみせるさ」

京子「ほんとかな~?」

結衣「本当だよ!」


カランコロン……


あかり「あっ、いらっしゃいませ!」

結衣「ほーら来たぞ! 京子、大人しくし……」


ちなつ「きゃ~~マスター会いたかったですぅ~~!」だだだっ

結衣「…………」

京子「おっ、ちなつちゃんだ」


あかり「お客様、ご注文は何にしますか?」

ちなつ「えっと、水割りでいいよ! わ~マスター今日もかっこいいです~!」きゃっきゃっ

京子「あはは、確かににぎやかになったね」

結衣「あんまり儲けにはならないけどな……」




ちなつ「お客さんを増やしたい??」


結衣「そうなんだ。この店、いつも京子とちなつちゃんくらいしか来なくてさ……新規のお客さんを増やしたいんだよ」

京子「雰囲気とか味は悪くないのにねって、今話してたんだ」


あかり「ちなつちゃん、会社のお友達とか呼んできてよぉ」

ちなつ「そんなのダメよ!!」

結衣「え……なんで?」

ちなつ「だってそんなことしたら、私の友達たちまでマスターに惚れちゃうじゃないですか~! 敵は増やしたくないですぅ!」

結衣「…………」

京子「問題はマスターにあり、か……」

結衣「いや違うだろ!」


京子「マスターの友達呼べばいいじゃん。いないの? 学生時代とかのさ」

結衣「…………」ふきふき

あかり「京子ちゃん、マスターはあんまり昔のこと喋らないんだよぉ」

京子「相変わらず謎に包まれてるなー。まあそこがマスターのいいところだけど」


ちなつ「あかりちゃんのお友達は?」

あかり「あかりはお酒飲める年になったばっかりだもん。それにみんな、地元から離れて行っちゃったんだあ」

ちなつ「そっか……」


あかり「京子ちゃんのお友達は?」

ちなつ「というか、何の仕事してるんでしたっけ? 毎日来てるみたいですけど……」

結衣「だめだよみんな、こいつ自分のことすごい秘密にしたがるんだ」

京子「まあまあ細かいことはいいじゃない。疲れる日常をお酒で忘れるために来てるんだから」

ちなつ「飲んでるの牛乳じゃないですか……」


あかり「……ということは、みんな友達呼べないんだねぇ」

結衣「…………」

ちなつ「…………」

京子「……大人が四人も集まって、情けないね……」

ちなつ「ま、まあ友達のことは置いといて!! 新規のお客さんを呼び込む方向にシフトしましょうよ!」

あかり「そ、そうだねえ! 何かいいアイデア無いかなあ」


京子「あれは? 人通りの多い路地に出てさ、はっぴとか着て、大きい看板首からぶら下げながら呼び込みするとか!」

結衣「それチェーンの居酒屋がやる販促だろ……雰囲気の良いバー目指してるんだから、嫌だよ」

あかり「スイーツとかパフェとか作って、若い子に向けたお店にするのは?」

結衣「んー……私、お酒の方面しか自信ないんだよな……それにこの店の営業は夕方からだし。お酒の飲めない年の子が集まったら、バーじゃなくなっちゃうよ」

ちなつ「マスターの容姿を売りに出した女子向け百合バーってのを今考えたんですけど……それだと私の敵が増えるから却下ですね」

結衣「真面目に考えてくれ……」


京子「ま、焦っても仕方ないことじゃない? 気長にやってればいつかお客さんも増えてくれるって」

ちなつ「そうですよ! 日の目を見るときは来る!」

結衣「大丈夫かなあ……」


あかり「来てくれるご新規さんを大切にすれば、いっぱい評判もつくと思うよぉ! 結衣ちゃん、頑張ろっ?」

結衣「あ、あかり……///」

京子「そうだな。私も毎日来てるしほとんど店員みたいなもんだから、接客に一肌ぬいであげようかな」

結衣「お前はおとなしくしてろ!」

ちなつ「はぁ……客寄せパンダになるのはいいですけど、いくら私がモテるからって、マスター焼きもち焼かないでくださいね?」

結衣「何の話!?」


あかり「え、みんなも店員さんになるの?」

京子「仕方ないじゃんか、お店がつぶれたら困るんだから」

ちなつ「ここは大人の女に任せなさい!」

結衣(いつもこんな調子だからうちの店は客が来ないんじゃないかな……もうバーやめてスナックにしようかな……)



ちなつ「ところであかりちゃんはなんでこのお店で働くことになったんだっけ?」

あかり「えへへ、秘密だよお」

京子「ここにいる人たち、誰一人過去を明かしたがらないね……」


カランコロン……


あかり「あっ」



「「「「 いらっしゃいませ!! 」」」」




<人物紹介>


※原作の年齢設定は無視されています


マスター:結衣

BAR Funamiのマスター。お店はあまり繁盛してない様子だが、腕はいい。
ツッコミ体質のおかげで、BARに大人っぽい雰囲気が出ないのを気にしている。
容姿はかっこいい。
あかりとはバーテンダーになる以前から付き合いがある様子。


ホール:あかり

BAR Funamiで働く女の子。マスター以外はあかりしかいない。
いつも笑顔で接客するとても良い子。お酒には弱いので、あまり相伴にはあずかれない。
このお店で働くことが大好き。
結衣との付き合いはそこそこ長いらしく、「マスター」ではなく「結衣ちゃん」と呼ぶ。


常連さん:京子

BAR Funamiの開店当初から毎日やってくる謎のお客さん。
何の仕事をしているかもよくわからないが、とにかく毎日来る。
マスターをからかったり、他のお客さんの話に首をつっこんだりする。
本当に毎日毎日来るのでマスターに呆れられており、呼び方も「お客様」から「京子」と呼び捨てになってしまった。


常連さん2:ちなつ

都会の仕事に疲れた彼女は、毎晩癒しを求めてこのバーにやってくる。お昼は仕事のデキるスーパーウーマンらしい。
マスターのことが好きで何度も告白しているが、なかなかごまかされている。でもあきらめない。
京子に絡まれて迷惑そうにするときもあるが、そんなに嫌いなわけじゃない。
最初は何気なくフラっとこのバーに立ち寄っただけだが、そこからマスターに魅入ってしまいよく通うようになった。
「名前で呼んでください!」とマスターにお願いして、「ちなつちゃん」と呼んでもらっている。

【BAR Funamiの日常 ~綾乃編~:キャラクター紹介】


マスター:結衣

BAR Funamiのマスター。来てくれるお客さんは少ないが、お酒つくりの腕はいい。
新規のお客さん獲得に向けて努力しているが、いまいち実を結ばない。そんな毎日であるためか、いざご新規さんが来店するとテンパってしまう。
容姿がかっこよく、赤チェックのネクタイがよく似合っている。


ホール:あかり

BAR Funamiで働く女の子。可愛い制服を着ている。
一応このバーの看板娘ということになっている。お酒には弱いので、あまり相伴にはあずかれない。
普段はおねえちゃんと二人暮らしをしているらしい。


常連さん:京子

BAR Funamiの開店当初から毎日やってくる謎のお客さん。
職種も住所も年齢も不明だが、とにかく毎日来る。あかりより早く店に来ることも多い。
マスターをからかったり、他のお客さんの話に首をつっこんだりして遊んでいる少々迷惑な客。
しかしお酒が好きらしく、いろんな種類のお酒を毎日たくさん飲むのでマスター的にはそこだけがありがたい。


常連さん2:ちなつ

都会の仕事に疲れた彼女は、いつも癒しを求めてこのバーにやってくる。
マスターのことが好きで何度も告白しているが、なかなかごまかされている。でもあきらめない。
まだ若いようだが、お酒も結構グイグイいく。酔っ払うと服を脱ぎだすらしい。


今回のゲスト:綾乃

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あわただしい都会の町。

めまぐるしく動く社会。

そんな喧騒から逃げるように入った路地に、その店はあります。

BAR Funami……疲れたあなたに癒しを与える、小さいけど温かいバー。

今日はいったい、どんなお客さんが来てくれるのでしょうか。





カランコロン……


あかり「あっ」


「「「「 いらっしゃいませ!! 」」」」


結衣(お、お客さんだ……新規のお客さんだ!)


やってきたのは、結衣や京子と同じくらいの年と思われる女性だった。

長いポニーテールは腰元まであり、外は雨が降っているのか、しっとりと濡れて落ちついている。


あかり「いらっしゃいませ、どうぞこちらのお席へ」

「あ、ありがとう……」ぐすっ


ちなつ(えっ?)

京子(な、泣いてる……?)


女性は少しだけ泣いているようだった。

気品の良さそうなコートをあかりが受け取る。結衣の高さからではうつむきがちの髪に隠れて表情が読めなかったが、ちなつや京子は彼女が泣いていることにいち早く気づいた。

結衣「い、いらっしゃいませ」

「…………」


結衣「本日はご来店ありがとうございます……ご、ご注文は何にいたしましょう?」

「…………」


結衣は緊張していた。新しいお客が来てほしいと願ってはいたものの、こうして実際に来るのは何日ぶりか。

失敗してはいけない、是非次も来てもらいたい、そのためにはどうすればいいのか……考えていたシミュレーションは全部どこかへ行ってしまい、ぎこちなくなってしまっている。


「……カクテル」

結衣「……え?」


「……カクテル、ください」

結衣「な、何にしましょう」

「え……だから、カクテル」

結衣(あっ……)


女性は顔を上げて再度カクテルを頼む。結衣はそこで初めて彼女を見、そして少し赤く腫れぼった目に気づいた。

一瞬息をのむ。が、怖気づいている場合じゃない。何のカクテルにするかを聞かなければ。


結衣「ショートカクテルとロングカクテルはどちらがよろしいですか?」

「へ……?」

結衣「ああ、あの、ショートカクテルって言うのは比較的アルコール度数が強くて……まあでもそれは使うお酒次第なんですけど……」あたふた


照明のおしゃれなバーで交わすやりとりとはとても思えない、ふわふわした会話になってしまっている。

お客さんはどう見ても、こういったお店に不慣れなようだった。自分が間違ったことを言っていないかと頬を赤らめ、肩を狭めて縮こまっている。

結衣もまたてんぱってしまって、余計な情報ばっかり出てきてしまい、落ち着いたやりとりができない。隣のあかりも心配そうに二人を見ている。

そんな会話を切るように割って入ってきたのは、少し大人しめにお客さんを観察していた京子だった。


京子「ねえマスター」

「?」


結衣(な、なんだよ……! ちょっかい出すなって言ってるだろ)ひそひそ

京子「違うよ、注文。おととい私に作ってくれたカクテル、覚えてる?」

結衣「えっ……?」

京子が「いつもの」と言ったら牛乳を出すのだが、京子はお酒が飲めないわけじゃない。むしろ好きな方だろう。

お客が来なくて暇なときは、新しいカクテルを作ったりしてよく京子に試してもらっていた。おとといも確か、そうやって京子に何かを作ったのだった。


京子「キウイフルーツ、好き?」

「えっ……」

京子「そんなに強くないし、さっぱり甘くて飲みやすいと思うよ。どうかな?」

「じゃ、じゃあそれで」

京子「よし……マスター、この人の分と、あと私にも同じやつ作ってよ」

結衣「か、かしこまりました」


おとといはほんのテスト感覚で作ったのだが、幸いにも材料はあった。

キウイフルーツを使ったロングカクテルで、京子はその時も絶賛してくれた。といっても、京子は何を出してもいつも褒めてくれる。


京子「キウイフルーツをジュースと一緒にミキサーにかけて、冷やしてアイスを作るんだ。それを使ったカクテルなんだよ」

結衣(こ、こいつ……あの時飲んだだけで、作り方までわかったのか……?)


京子は初めて会ったときから今の今まで、ずっと変な客だ。結衣は毎日会ってるのに新しい発見は尽きないし、たびたび驚かされている。

ちなつもあかりも、ほぇ~と言いながら結衣の手元を見ている。この前作ったアイスがまだ残っているからこそできるメニューだ。残しておいてよかったと、結衣は皆に見えないように安堵を浮かべる。


会話はぎこちなかったものの、カクテル作りの方は手も震えることなく見事なものであった。ちなつがうっとりとそれを見つめ、お客さんもミキシングの手さばきに興味を引かれている。

結衣は手際よく、出来上がったライトグリーンのカクテルをグラスに注いだ。アイスのものと生のもの、キウイフルーツを分けて使って黒いシードを少しだけ残すのが結衣流だった。


結衣「どうぞ」ことん

「き、綺麗……」


京子「ああっと、まだ飲んじゃだめだよ」

「えっ?」

京子「ほら、乾杯しなきゃ」

「あっ、ああ……!」


別に乾杯なんてしなくてもいいんじゃないかと睨んでいた結衣の目も見た上で、京子は得意げにグラスをあげると、作った声で綾乃のグラスを促した。


京子「君、名前は?」

「杉浦……綾乃です」

京子「綾乃……君の瞳に、乾杯」かん

綾乃「か、かんぱい」


結衣(な、なに言ってんだこいつ……)

ちなつ(だっさ……!)くくく


吹き出しそうになっているちなつのことは気にせず、綾乃と名乗ったお客さんはくいと口をつけた。

綾乃「おいしい……!」

京子「あ、おいしいってよ。よかったねマスター」


結衣は少しだけ会釈をすると、中途半端に残ったキューブアイスも使ってしまおうと思い、次の分を作り始めた。興味ありげにしていたちなつの分だ。

さっきはちょっとぎこちなかったけど、京子のおかげでなんとか上手くいっている。だんだん落ち着きも取り戻せてきた。



しばし、グラスとカウンターが触れる音と、結衣の作業音だけが店内に響く静かな世界になった。雰囲気がいいといえばそうかもしれないが、普段割とやかましいこのお店にしては、多少の気まずさを孕む。


グラスの中身を揺らして遊びながら、京子がその沈黙を破った。


京子「どうして……泣いてたの?」

綾乃「え……」


「やっぱり泣いてたのか」と不思議そうにしている結衣に、「そうみたいなんですよ」とちなつが目を合わせて小さくうなずいた。


京子「私でよかったら、聞くよ」

綾乃「…………」


あかりは心配そうに二人を見ていたが、結衣とちなつは「やれやれ、またか」とでもいうように目を背けた。

このお店に新規のお客さんが来ると、京子はだいたいその客に絡んでいく。そして大抵のお客さんは京子を「変な人だ」と思ってしまい、二度目の来店は無くなる……それが日常だった。


この静かな空間で「絡むな」と注意するのもトゲが立つし、何よりここまで上手く行っているのは京子のおかげだったので、とりあえず皆京子たちを見守った。


しばらく静かにしていた綾乃は、もう一度グラスに口をつけると、ちょっと笑顔になって話した。


綾乃「いいんです……もう」

京子「いいって……?」

綾乃「どうにもならないことって、あるんだなぁって……本当は最初から、諦めはついてたんです」

意味深な言葉に、どういうことかを皆がそれぞれ推測していると……綾乃は残った分をきゅっと流し込み、立ち上がった。


綾乃「ありがとうございました。おいしかったです」

結衣(えっ?)

綾乃「お代、置いておきます。それじゃ」

京子「え、ちょっ、待……!」


もう行っちゃうの!? という全員の視線を浴びながら、来店時とは違いしゃっきりした歩き方で綾乃は出口へ向かった。先ほどは頼りなげだったポニーテールが、今はしなやかに揺れている。


結衣「お、お客さん……!」

綾乃「急いでるので、すみませんが」


綾乃はすっとお辞儀をすると、からんころんとドアを開けて出て行ってしまった。

グラスを傾けていた先ほどよりも静かな沈黙が一瞬流れると、スツールの椅子ごとくるりとカウンター側に向けた京子が、残ったカクテルをちょっと飲んでつぶやいた。


京子「おかしいな、そんなにまずかったかな」

結衣「おい京子……!」ふるふる

京子「マスター腕落ちてないよね? それともあの人やっぱりキウイ嫌いだったかな……」

ちなつ「そういうことじゃないんじゃないですか!?」

京子「へ?」


みんなの言いたいことを全然理解してない京子に、席をつめてちなつが詰め寄る。


ちなつ「あなたが変なことするから、気分悪くして帰っちゃったんですよ!」

京子「えーそうかなー」

結衣「それしか考えられないだろ! 何が『君の瞳に乾杯』だよ! 白黒映画か!」

あかり「さっきのお客さん、あんまりバーとか慣れてないみたいだったけど……」

結衣「そうだよこれ見ろ! あの人カクテル一杯しか飲んでないのに一万円置いて帰っちゃったぞ! おつり渡す暇さえ無かったじゃないか!」

京子「それは結衣が悪いんじゃないのか!?」


先ほどとはうってかわってやかましくなる店内。

この一連が日常といえば日常ではあるが、本気で新規の客をつかみたいマスターは、苦い顔をしていた……。




お客が来なくたって、お店は開けなければ。開けないことには、お客様は来てくれない。

そんな心構えをしっかりと持ち合わせている結衣が、翌日もいつものようにお店の看板を「OPEN」にしてグラスを拭きながら待っていると、ものの数分もしないうちにカランコロンとドアの飾りが鳴った。


毎日毎日やってくるあの客に向かって、背中だけで結衣は話す。


結衣「お前ほんと暇だな……」

「…………」

結衣「いい加減にしてくれよ……昨日は本当にひどかったぞ。あんなこと続けられちゃ、この店本当につぶれちゃ……」


そこまで言って、いつもと違うような違和感を背中に感じた結衣は振り返った。

完全に京子が来たと思っていたのに、そこにいたのは昨日のお客さん……綾乃だった。


結衣「うわあああ!! お、お客様……!」びくっ

綾乃「ど、どうも」

結衣「あ、ああっ、今のはその……勘違いで、違いまして! お客様に向けて言った言葉では無いので、お気になさらず……!」

綾乃「ええ、はい……」


また昨日のぎこちなさと緊張が、今のミスで一瞬にして蘇ってきてしまった結衣だが、それでもなんとか心を落ち着けて昨日と同じ席に案内した。


今日はあかりはいない。ちなつもまだ来てなければ、あの皆勤賞の京子さえまだ来ていない。結衣一人だ。

たった一人で、新規のお客さんを相手にするのはどれくらいぶりだろうか。ひょっとしたら、店がオープンして最初に京子が来店したとき以来かもしれない。


誰にも邪魔されない環境がついにできた。しかも相手は二日続けて来てくれた人だ。

結衣の勝負どころだった。赤と黒のチェックのネクタイをきゅっとひきしめ、綾乃に向き合った。


結衣「昨日はどうもありがとございました。お代が多かったので、おつりの分はお帰りになるときにお渡しいたします」

綾乃「ああ、すみません……昨日は急いでたもので」


急いでいた理由は聞かないでおく。来店したときは少し泣いていたのだし、諦めがついたとかなんとかいう昨日の意味深な言葉も忘れたわけではなかった。ワケアリ、という感じは鈍いあかりでさえ気づいていたことだろう。

綾乃は昨日のようにコートを着ておらず、簡単だが気品のある服装をしていた。こういうお客がいつもいてくれたら、雰囲気のよさに磨きがかかっていいなあ……とそんなことを考えていると、


結衣「…………」

綾乃「…………」


二人の間に、また無音の沈黙が生まれてしまった。

……バーテンダーとは、無論バーでお酒を作る人である。自分の技量を駆使してお客を楽しませるのが仕事であるが、その技量のうちには「会話術」も含まれる。

お酒を楽しみにきたのか、ひとときの会話を望みに来たのか、はたまた誰にも邪魔されない空間を求めにきたのか……客の来店動機を瞬時に見極め、その人に会ったサービスをするのがプロのバーテンダーというものだ。

お酒がのめなくても、バーテンとの会話が楽しいから通っている……世の中にはそういう人だって少なくない。この職業において、会話術というものはお酒を作ることとほぼ同等に大切なことなのだ。


結衣はお酒を作る方面に関しては自信があったが、会話術のほうは……ちょっと不安なところがあった。人見知りというわけではないが、相手をよく見てから接するタイプゆえに、相手のことがわかるまではかなり遠慮しがちになってしまうのだ。何を話せばいいか、わからない。

「何を作りましょう」と聞くのも、まだ早い気がする……そもそもこの人、昨日は「カクテルください」なんて大雑把に言っちゃうくらいバーというものに慣れてなさそうなのに、いったい何が目的で来てるんだ……? そんな思考を重ねていた結衣に、綾乃は思い切ったように尋ねた。


綾乃「あの、昨日のお客さんはなんと言う方なのでしょうか」

結衣「えっ?」

綾乃「昨日、この席に座っていた……私に話しかけてきてくれた、リボンの人です」


結衣「ああ、あいつは……じゃなかった、あの人は歳納京子って言って……」


結衣「言って……」


結衣(……あれ、私、京子の詳しいこと何も知らない……!?///)


言葉が続かないまま、結衣は固まってしまった。京子の詳しい人となりを説明したかったが、毎日顔を突き合わせている結衣自身、京子の住んでいる場所も職業さえも何もわからないのだった。



結衣「歳納京子っていう、やたら毎日来るへんな客です……」

綾乃「…………」


結衣の純粋な京子観をそのまま編集せずに言葉にすると、この滑稽さはさすがにもう取り繕えないなと結衣はおかしくなってしまった。


雰囲気の良いバーの、腕の良いかっこいいバーテンを目指していた結衣だが、その実はにぎやかで楽しいことが好きだし、自分自身ツッコミ体質で、人を笑わせたりするのも好きだった。

京子やちなつがいてくれるときは、素の自分でいられた。新規のお客さんが来てくれる時は意気込んでしまって、素の自分を隠して格好つけていた。

今もこうして飾ろうとしていたのに、まだ来てもいない京子のおかげで、繕った飾りが全部壊れてしまった。大事なお客を目の前にして、変なことを言ってしまった。

そんな投げやりな気持ちになりかけていた結衣だが、お客さんは不審がるでも引いてしまうでもなく、真面目な顔をしていた。


綾乃「毎日来るってことは、今日も……?」

結衣「ええ、たぶん来ると思いますよ。何時かになるかはわからないけど……」

綾乃「よかった……」

よかったって、どういうことだろう……と思っていると、両の肘をカウンターにのせて頬杖をついた綾乃は、虚空を見つめるようにして話し出した。



綾乃「私……失恋したんです。昨日」

結衣「えっ……」


綾乃「最初から、勝ち目の無い勝負みたいな恋だったんですけど……それでも勢いでなんとかなると思ってたのに、やっぱりだめで」


綾乃「絶対に無理だって気づいてるのに、やめられなくて。中途半端な自分が嫌いになりそうでした。何をやってもふっきれない……夢を望んでるくせに、恥ずかしがりやで受身な自分」


綾乃「昨日はとうとうそのぶつかり合う想いが、自分の中ではじけたんです。全部終わりにして、新しくやり直さなきゃ。受身じゃなくて、自分から動けるようにならなきゃって思いました」


綾乃「泣きながら、そんなことを考えながら歩いていると、このお店の看板が目に付いたんです。バーなんて一回も入ったことなかったけど、とにかく自分が変わるきっかけがほしくて。お酒の力を使って、今までの自分への決別と、新しい一歩を踏み出そうと思って、ドアを開けました」

結衣「…………」


綾乃「それまで、入ったことも無いくせに、バーには怖い場所だという偏見がありました。新参者に厳しくて、子供みたいな甘い考えの私はすぐに見抜かれて見下されてしまうような場所だと……でも、ここはそんな感じが微塵もありませんでした。綺麗な女の人しかいなくて、みんな静かにしてたけど……言葉に出さないコミュニケーションをとっていて、どことなく……楽しげで」


綾乃「本当に何にも知らない私に、昨日の人……歳納さんはすごく親切にしてくれました。困ってる私を助けてくれて、話も聞こうとしてくれて」


綾乃「怖い怖いと思っていた場所だからこそ、そんな人に会えたことがとても嬉しかった。マスターさんよりも、このお店の中心みたいな雰囲気のその人が、とても大きく見えて、かっこよくて……」


綾乃の話を聞くうち、結衣はだんだん恐ろしくなってきた。この人が二日続けて来てくれたのは、完全に京子のためだった。

京子のせいですぐに帰られてしまったのだと、昨日は結衣とちなつがいつにもまして非難していたのに、京子の作戦が功を奏していたのだ。

しかもどうやら綾乃は、京子にべた惚れのようである。頬杖をつく顔はまだお酒を飲んでもいないのにほんのり赤くなって、釣り目がちな目もとろんとなっていた。



綾乃「私……あの人に、歳納さんについていこうって一瞬で決めました。そこでお酒も飲んだら……動かずにはいられなかったんです。一刻も早く過去の自分を捨てて、新しいこの人の元へ行かなきゃって。だから昨日は、すぐに帰ってしまいました。憧れの人と、別れてきたんです」

結衣(ええ……!?)


綾乃「毎日ここに来てくれるんですよね? だったら……私も毎日、ここに来ようかな、って……いいですか?///」

結衣「あ、ありがとうございます……!」ぺこり


新規のお客さんどころか、どうやら常連さんが増えてしまうようだった。今日自分に課せたクエストが、お酒の一杯も振舞わずにまさかのクリアー。


少しひっかかるのは、京子が綾乃のことをどう思っているのかがまったくわからないのだった。まさか君の瞳に乾杯とかふざけたことをやっていた自分が、こんなに思い切り惚れられることになっているとは想像もしていないことだろう。


いや、それ以前にお客さん、京子はやめておいたほうがいいと思いますよ……!! と言おうと思って、口を噤んだ。

京子のことを何も知らない自分が、そんなことを言うのは野暮だ。それにこの人は、自分が京子に対してなんとなく抱いている変なイメージを再現させた、昨日のあの京子に対して惚れているのだった。


それでも、やめておいたほうがいいという言葉は喉奥のすぐそこまで出かけている。それについて自分でもどういうことかわからず、なぜ自分はこんなに京子を勧めたがらないのだろう……と、お客を前にして深い思考に陥ってしまいそうになったとき、綾乃が開けたときよりも大きな音をたてて、ドアの飾りがからんころんと鳴った。


「あれっ!? 昨日の人だ!!」




京子「ほら~やっぱり私の作戦が上手く行ったんじゃんかー!」

結衣「ぐ、偶然だろ……今までずっと同じようなことして失敗してきたくせに」


いつもより少し遅めにやってきた京子。

綾乃が京子のことを好きだというのは伏せながら、なんとなく固定客として来てくれることになったみたいだと説明すると、京子はいつにもまして上機嫌になった。


綾乃「作戦、って……?」

京子「いや実はさー、このお店私とか以外ぜんぜんお客が来ないんだよ。だから新規のお客さんを掴むために皆であれこれ考えたりしてたんだ。そんな時に来てくれたのが綾乃ってわけ」

結衣「で、でも今までこいつはそうやってお客さんに絡んで、そのたびに客を離していったんだ! 今回はたまたま成功しただけだろ……」

京子「でも結果が出たことには変わりないじゃん? 綾乃が物好きで助かったねーマスター」にしし

結衣「お前今、物好きってはっきり言ったな……物好きじゃなくて普通の人に効果のあることをやってくれよ……!」

京子「もう、おこごとはいいから早くいつもの作ってよー」

結衣「ちっ……///」


高いスツール椅子から足を子供のようにぱたぱたさせ、京子はいつものメニューを注文した。


結衣「お客様は、何にいたしますか?」

綾乃「あ、えっと……私も同じものを」

結衣「……えっ!?」


京子「お、いいねー綾乃! それを頼むとはお目が高いよ~」

綾乃「えっと……きつすぎるお酒とかじゃないですよね?」

京子「ぜーんぜん! 私オススメの、軽くて白くて綺麗な飲み物だよ」


牛乳だろうが!! とツッコみたくなる私に、「言わないでね♪」とでも言いたげにウインクで合図をしてきた京子。綾乃をからかって遊んでいるだけなのは、昨日から丸わかりだった。

言われたとおりに、ダブルのグラスに牛乳を注ぐ。どうぞ、と差し出すと、「さすが早いですね」と見当違いなほめ言葉を綾乃にもらってしまい、結衣は面食らった。


完全に牛乳のそれを、「本当に白くて綺麗……」と不思議そうに見ている綾乃。そしてそれを面白がっている京子にむけて、綾乃はとんでもないことを言った。


綾乃「それじゃ……君の瞳に、乾杯」

京子「んんっ!? うわはははははははは!!///」

結衣「ふふふっ……」

綾乃「……?」


突然の不意打ちに、今にも牛乳を飲もうとしていた京子はグラスを傾けたまま大爆笑したので、カウンターに牛乳がこぼれた。結衣も予想していなかったため、思わず吹き出してしまう。


京子「はー、はー、あーおもしろ……! 綾乃ちょっとずるいって今のはー!///」げらげら

結衣「あーもーこぼしちゃって……ほら拭けよ」

綾乃「えっ……えっ?」


爆弾を投下した張本人なのに、この爆心地を見てまったく何が起こったのかわからないようにしている綾乃。それを見てまさか、と思った結衣は、ため息をつきながら種明かしをしてあげた。

結衣「あのね、昨日京子がいったやつは、とんでもない冗談なんだよ。そんなくさいセリフ、いまどき誰も使わないよ」

綾乃「うぇっ?///」

結衣「昨日は京子があまりにも普通に使ったから、もしかして……バーで飲むときはそういう挨拶をしなきゃいけないもんだと勘違いしちゃったのかな」

京子「あーおなか痛い……傑作だよ~」

綾乃「な、なっ……!」


どういうことなのかをやっと理解できたらしく、綾乃は恥ずかしさで真っ赤になった。

そして、何を言えばいいかも、目のやり場さえ無くして困っていた彼女は、逃げるように煽るようにしてグラスの中身を一気に飲んだ。


そして、盛大にむせた。


綾乃「けほっけほっ……!! えふっ……え、ええ……っ!?」

京子「んはははははは!! 何やってんだ綾乃きたないなーー!!」


結衣「だ、大丈夫!?///」

綾乃「な、なにこれ……お酒じゃない!?」

京子「なんだと思ってたんだよー! どう見たって牛乳じゃんか~!」ぽんぽん

綾乃「ぎゅ、牛乳!?///」


結衣「ごめんね、京子がいつものって言ったら牛乳を出す決まりなんだ……あらかじめ言おうと思ったけど、なんか京子が『言うなよ!』みたいなことをウインクで訴えてきたからさ……!」

京子「なーに言ってんだよ~、あれは『おいしく作ってね♪』のウインクだったのに」

結衣「だから牛乳注ぐのに腕前関係ないだろって、いつも言ってるだろ!///」


まだ笑いが全然収まらない京子が、綾乃の肩をたたきながら吹き出してしまった牛乳を拭いてあげる。結衣は口直しの水を差し出した。

呆然としてされるがままの綾乃は、恥ずかしさのあまり……ついに泣き出してしまった。


綾乃「ひ、ひどい……」ぽろぽろ

京子「あ、あれっ!? どうした……?」

綾乃「私のこと、からかって遊んでただけなのね……!!」きっ


綾乃は自分の持っているすべての恥ずかしいという感情を怒りに変換し、鋭い目線で京子をにらみつけた。さすがにやばいと思った京子が、あわてて訂正しようとする。

京子「いやっ、からかうっていうか……違くて……!」あたふた

結衣「何言ってんだよ、完全にからかってたろ」

京子「いやだからこれは、物好きな綾乃がこのお店をもっと好きになってくれるようなプレゼンというかさぁ……!」

綾乃「私は物好きなんかじゃありませんっ!!」ぺちん

京子「ひえーー!」


ついに手を出してしまった綾乃はハンドバッグを手に取り席を立つと、やばいやばいとあせる二人に向けて言い放った。


綾乃「やっぱりバーなんて……新参者に厳しい嫌味な場所なんですね!」

結衣「えっ、ええっ!?」


綾乃「何もわからない私を子ども扱いして、変なこと言わせて遊んだり、物好きなんて見下してきたり……! バーで牛乳なんか飲む人いないことくらい、私にだってわかります!! 私をもてあそぶためにわざわざ用意したんでしょう!?」びしっ

結衣「ちっ、違うよ! これは本当にこいつが飲むからで……!」


綾乃「親切な人たちだと思ったのに……やさしい人たちだと思ったのに、バカみたい! 好きだった人に別れてまであなた選んだ私が、バカみたい……!」ぽろぽろ

京子「好きな人……??」


綾乃「こんなお店、そりゃお客なんか来ないでしょう! お客をもてあそぶ店なんて、これから先も絶っっ対繁盛しないわ!」

結衣「」ぐさっ


きつい言葉をかけられてしまい、それでも完全に否定ができない結衣は立ち尽くすしかなかった。

どうしようどうしようとあわてている京子に向かって、綾乃は最後の言葉を放った。


綾乃「歳納京子……やたら毎日やってくる変な客っていうのは本当のようね!! その名前、忘れない……! 私をこんな目に合わせたこと、絶対忘れませんから!!」ばっ

京子「綾乃っ、待って!!」

綾乃「待ちません、さようなら!!」だっ


くるりと身を翻して、綾乃は出口のドアに向かった。

そのとき……建物の構造上、入りが押し戸で出るとき引き戸のドアノブを綾乃が持とうとした瞬間、思い切りドアが開け放たれた。


綾乃「きゃっ!!」ごーん

結衣・京子「「ああーっっ!!?」」


ちなつ「マスターこんばんは~~! 今日もお仕事早く終わったので来ちゃいまし……きゃーー!! 誰か倒れてる!!」


やってきたちなつが元気よく扉を開け放ち、そしてそのドアが綾乃の額にクリーンヒット……頭を強打した綾乃はそのままふらふらと倒れてしまった。


京子「あ、あやの~~~!! しっかりしろーー!」

結衣「大丈夫か!? 救急車か!? あ、でも救急車なんか呼んだらお客が余計来なくなるかな……でもそんなこと言ってる場合じゃないのか……?」

ちなつ「こ、この人昨日の人じゃないですか! なんでこんなところにいるんですか!? まさかマスターのかっこよさに惹かれて常連化するんですか!? きゃーライバル出現!!」

京子「そんなこといいから皆も助けろーー!!」

綾乃「う、う~ん……」ぴよぴよ


最後くらい捨て台詞と共に格好つけて去ろうとした綾乃だが、そのまま気を失ってしまい……恥ずかしいその場から消えることもできずに、皆に介抱され続けた。


――――――
――――
――

結衣「……で、その後ようやく目を覚まして、もう立つ瀬が無くなって吹っ切れたのか、怒りがどこかへ行っちゃったのか……私が酔いつぶれるまで奢りなさい! って、京子につっかかってたんだ」

京子「大変だったよ……バーなんか来たことないって言ってたのに、結構呑むんだもん綾乃。しかも高いお酒をさ……諭吉がとんでっちゃった」

あかり「ふふ、あかりがいない間に、面白いお客さんが来たんだねえ」

結衣「面白いっていうか……あのお客さん自体は普通の人だと思うんだけどね」


翌日やってきた京子は、昨晩の綾乃のことをあかりにも説明してあげた。話を聞いているだけのあかりは、一連の騒動にただただ楽しそうな印象しか受けていないようだ。


結衣「こんなお店は絶対繁盛しない! って言われちゃったよ……もうほんと反省した」

京子「私もずっと睨まれててさー……久々にあんなに人を怒らせちゃったよ。ビンタまでもらっちゃったし」

結衣「これに凝りたら、もう絶対他の客に絡むなよな。次やったら今後一切出入り禁止だ」

京子「えーそんな~!」


あかり「あかりももう一回そのお客さんに会いたかったけど、そんなに怒ってたんじゃあもう来てくれないのかな……」

結衣「99%来ないと思う……残りの1%は慰謝料をふんだくりに来ちゃう確率だよ」

京子「もったいないことしたなぁ……あんな人がずっといてくれたら私も暇しないし、このやかましいバーにも気品が出ると思ったのに……」

結衣「やかましいのはお前だけだ! っていうか、お前は自分以外の客をなんだと思ってるんだ……!?」

京子「いやあ、でも可愛い人だったのは事実じゃん?」


そんな話をしていると、まだちなつが来るには早い時間なのにドア飾りがカランコロンと鳴った。

皆がドアのほうを振り返るより先に、大きな声が飛びこんでくる。


「としのーきょーこーーっ!!」

京子「うわーーーー!? 来たーーーー!///」


元気な声と共に現れたのは、今日は一変してスーツ姿でびしっと決めた、仕事のできそうな出で立ちの綾乃だった。ヒールをつかつかと鳴らして、おとといも昨日も座った席につく。

結衣「おっ、お客様……! 昨晩は申し訳ありません、お願いですから起訴だけは……!」

あかり「きょ、京子ちゃんが変なことしてごめんなさい! でも京子ちゃんは本当は良い人なんです!」

綾乃「な、何言ってるの? 起訴なんかしないわよ。私はお酒を飲むために来たの」

結衣「……え?」きょとん


綾乃「このお店、全然お客が来ないんでしょう? そりゃあんなサービスしてたら当然よ……でもマスター、あなたの腕はいいみたいだから、潰れてしまうのはちょっと困るわ。せっかく私が初めて見つけたバーなんだから、大事にしていかないと……///」

結衣「お、お客様……!!///」


綾乃「そのためにはこのちゃらんぽらんな客をどうにかすべきよ! こんな人がいたら絶対に長くは持たないわ! 私が歳納京子からこのお店を守ります!」

京子「ひ、ひどいな……すっかり呼び捨てだし」

綾乃「牛乳なんか飲んでる人は年齢関係なく年下扱いです」ふんっ



あかり「よかったねえ結衣ちゃん、お客様増えて」

結衣「あの、先日いただいた一万円の分もまだ残ってますし……お詫びもしたいので、今日はどうぞ好きなだけ飲んでいってください」

綾乃「あらいいのよマスター、支払いは全部歳納京子にさせますから。ふんだくる予定だった慰謝料分は飲ませてもらうつもりです」

京子「とんでもない! この人とんでもないよ! やってることが犯罪すれすれ!」

綾乃「名誉毀損という立派な犯罪を犯したあなたに言われたくありません!」



……こうしてその日から綾乃はちょくちょく来るようになり、バーにはまたひとつにぎやかの種が増えた。



京子「綾乃、そんな立派なスーツ着てるんだったら良い仕事してるんだろー? だったら自分のお金で飲んでくれよ~」

綾乃「私の心の傷がおいしいお酒で癒えるまでは、あなたの奢りよ」



ツンツンした対応をとっている綾乃を見ながら、マスターは少し考えてしまった。


結衣(この人、こんなに厳しいこと言ってるけど、京子のこと好きなんだよな……)


うっとりと京子のことを話す綾乃の顔を、結衣はちゃんと覚えていた。

無理にでもツンツンして壁を切り崩して接する綾乃を見ていると、ちょっとだけ微笑ましくなる。


奢ってもらえるからとはいえ、綾乃はかなりの頻度で通ってくれるようになった。

結衣は今日も、新しいお酒に出会いたいと頼む綾乃のために、色々なお酒を作る。


小さなバーには今日も、楽しい声が響き渡る。



~fin~




【BAR Funamiの日常 ~向日葵編~ :キャラクター紹介】


マスター:結衣

BAR Funamiのマスター。若いけどお酒つくりの腕はいい。
オシャレなバーにしていこうと頑張っていたが、ツッコミ体質と毎日やってくる常連客のボケのせいで、お店がスナックみたいになってきているんじゃないかと心配し始めている。
容姿はかっこよく、みんなの信頼も厚い。新規のお客さんを集めるために日々頑張っている。


ホール:あかり

BAR Funamiで働く女の子。いつも笑顔で接客するとても良い子。お酒には弱いので、あまり相伴にはあずかれない。
このお店で働くことが大好き……なのだが、マスターだけでも充分切り盛りできそうなこの店で何故働き続けているのかは誰にもわからない。
お客さんみんなの妹のような存在。


常連さん:京子

BAR Funamiの開店当初から毎日やってくる謎のお客さん。
とにかく毎日来る。マスターよりも先に来てドアの前で待ってたりする日もあるという。そんなこんなでみんなからは呆れられている。
マスターと一緒に新規のお客獲得に向けてアイデアを出すが、来てくれたほかのお客さんに絡みたがるのでお客さんが逃げてしまうこともある。
お酒には強いのだが、酔っ払うと笑い上戸になる。


常連さん2:ちなつ

マスターのことが大好きなお客さん。いつも癒しを求めてこのバーにやってくる。
マスターに何度も告白しているが、なかなかごまかされている。でもあきらめない。
昼間は仕事のできるスーパーウーマンらしい。お酒の飲めないあかりを子ども扱いするときもあるが、歳は全然変わらない。


常連さん3:綾乃

バーなんて全然興味なかったけど、ひょんなことからすっかり常連になってしまったお客さん。
京子のことが好きだが、来店当初に色んな洗礼を受けて恥をかかされたため、それ以来呼び捨てにして上の立場に立っている。
ちなつ同様、昼は仕事バリバリのデキる女。意外とお酒が好き。


今回のゲスト:向日葵

――――――
――――
――



あわただしい都会の町。

めまぐるしく動く社会。

そんな喧騒から逃げるように入った路地に、その店はあります。

BAR Funami……疲れたあなたに癒しを与える、小さいけど温かいバー。

今日はいったい、どんなお客さんが来てくれるのでしょうか。





京子「名刺を作ろうよ!!」

結衣「名刺?」


あかり「結衣ちゃんの名刺ってこと?」

京子「んーマスターの名刺ってことでもいいんだけど、このお店の案内図とかを載せた名刺だよ! 結構宣伝効果あると思うんだけど」

綾乃「そうね、こんなオシャレなバーなんだから、チラシ刷って配るよりは何かかっこいい名刺とか作ったほうがイメージに合ってるかもね」

京子「どうマスター?」

結衣「確かによさそうだけど……私名刺とか作ったこと無いからよくわかんないんだよなぁ」


京子「ふっふっふ……」

綾乃「うふふふ……」

あかり「??」


京子「マスター、あかり! ここにいる私たちを誰と心得る?」

結衣「誰って……やたら毎日来る変な客と、最近来てくれるようになったお得意様だよ」

京子「そういうことを言いたいんじゃなーい!」


綾乃「マスター、私はこういうものよ」すっ

結衣「えっ、この名刺……杉浦綾乃って書いてある!」

綾乃「会社勤めだと、なにかとこういうのは必要になってくるものなのよ。良い機会だからこれはマスターにあげるわ」

京子「私も今は持ち合わせが無いけど、名刺があるんだ。だからこういうことなら社会人の私たちに任せてよ!」


あかり「オシャレな名刺ですね~」

結衣「なるほどな……確かにこういうのなら、いいかも……///」

京子「今度一緒に作りに行ってみようよ、私色々お店知ってるからさ。マスターはセンスいいから、かっこいいやつ作れると思うよ」

綾乃「たった一枚の名刺が何人ものお客さんを呼ぶかもしれないわよ?」

結衣「そっか……やっぱりそういうのにも力を入れていかなきゃいけないよな……!」

あかり「どんなのができるか楽しみだよぉ~♪」

――――――
――――
――


<後日>


ちなつ「……で、この名刺ができたんですね~」

あかり「オシャレだよね~」

ちなつ「確かに! やっぱりマスターはセンスいいですね~♪」

結衣「うーん……」


ちなつ「あれれ、どうしたんですか?」

結衣「いや、これを作ったはいいものの……渡す人がいないということに気づいちゃったんだ……」

あかり「お店に来てくれたお客さんには渡せるけど、肝心のお客さんが来ないから、新規のお客さんを増やすのには繋がりにくくて……///」

ちなつ「なるほど……そこは盲点でしたね」



京子「……よっしゃ、じゃあ配ってくる!!」ばっ

結衣「え?」


あかり「く、配るの?」

京子「せっかく作ったんだもん! 誰の手にも渡らずにしけていくなんて……そんなのいやだ!」

結衣「名刺はしけないだろ……」


京子「よしあかり、さっそく名刺使ってこのお店を宣伝してこよう! 配って配って配りまくるんだ~!」ぴゅーん

あかり「は、は~いっ!」たたた


カランコロン……


ちなつ「……行っちゃいましたけど?」

結衣「まったく勝手だな……まあ、あかりが一緒ならそこまで変なことしないか」


ちなつ「きゃーっ!!///」びくっ

結衣「えっ……どしたのちなつちゃん?」


ちなつ「わ、わたし……マスターと二人っきりになるの、よくよく考えたら初めてです……///」

結衣「ああ、いつもは京子がいるからね……」

ちなつ「きゃーーマスター~~~っ!!」ぎゅっ

結衣「ちょちょちょ、危ない危ない!!///」




あかり「……ということで、結構な数配れたんだよ~」

綾乃「あなたすごいわね……お客なのに販促までするなんて」

京子「いや~結構楽しかったよ? なかなか好感触というか、あの調子ならすぐに誰か来てくれるかもしれないなー」

あかり「京子ちゃんったら、知らない人ともすぐにお友達になっちゃうんだよぉ」

結衣「京子らしいな……変なイメージがお店に付かなきゃいいけど」


京子「というわけでマスター、働いた分のバイト代はお酒ごちそうしてね?」

結衣「なぁっ! お前が勝手にやったんだろうが!///」

綾乃「そうよ。それにそういうのはしっかりと成果を出してからねだるものじゃない?」

京子「え~頑張ったのに~……」ぶーぶー


カランコロン……

あかり「あっ、ちなつちゃ……」

京子「あっ」

結衣「あっ!!」どきっ



「あの……BAR Funamiというのはここで合ってますでしょうか……?」


結衣「あっ、は、はいっ! いらっしゃいませ!」わたわた


あかり(は、初めて見るお客さん……!)

京子(名刺持ってる~~!!///)きらきら


「…………」

結衣「あ、あの……ようこそいらっしゃいませ。ご注文は何にいたしますか?」

「えーと……」

京子「マスター、私カンパリオレンジね~! もちろんマスターのおごりで~」

結衣(静かにしてろ!!///)きっ


「じゃあ……ハイボールで」

結衣「ハイボールですね。氷はいかがいたしますか?」

「えっと……いれてください」

結衣「かしこまりました」

綾乃「…………」

あかり「…………」

京子「…………」


「…………」じっ


綾乃(ちょ、ちょっと歳納京子……黙っちゃうのはよくないんじゃない?)

あかり(そ、そうだねぇ……普通にしてようよ)

京子(そ、そうか。何か話を……)


京子「も、ものすごいスタイルいいね~あの人」

綾乃「そういう話じゃないわよ!///」

あかり「聞こえちゃうよぉ……」

京子「ごめんごめん、ミスった」けらけら


きゃっきゃっ……


「…………」ふん


結衣「どうぞ、ハイボールです」すっ

「ありがとうございます」


くっ

(……おいしい)


結衣(よし……うまくいったかな)ほっ



綾乃「そういえば今日吉川さんは?」

あかり「ちなつちゃんはいつもこの曜日は来てないみたいです」

京子「ちなつちゃん、ああ見えてお仕事バリバリガールだからね~」


綾乃「なんかマスターに聴いたけど、あなたが名刺を配りまわってる間、大変だったみたいよ?」

「!」ぴくっ


あかり「大変って、なにが?」

綾乃「マスターと吉川さんが二人っきりになるの初めてだったらしくて、もう離しませ~んって……」

京子「あははは! ちなつちゃんらしいな~」


「あ、あの……」

綾乃「?」


「あの……今の、名刺がどうとかって話、詳しく聴きたいんですけど……」

結衣(えっ……?)

「名刺って……これのことでしょうか?」すっ


京子「あぁ、そーそー! このお店あんまりお客が来なくて困っててさー、それで私とマスターがこないだこの名刺を作ったから、私がこのあたりを通るいろんな人に配って回ったんだ」

あかり「BAR Fuamiをよろしくおねがいしまーすって」

「…………!」


結衣「こっちから頼んだわけじゃなかったんですけど、まあ好きにさせてやろうと思って……結果的にお客さんが来てくれたから、よかったですよ」



「……あ、あのたびたびすみません。その名刺を配っているときに……この写真の女の子と会いませんでしたか?」すっ


京子「ん~……? あーこの子!! 覚えてる覚えてる!」

あかり「あ、櫻子ちゃんだ♪」

「さ、櫻子をご存知なんですの!?///」


綾乃「櫻子って……誰なの?」

京子「この子は、この前名刺配ってるときに私とあかりが仲良くなった女の子だよ。聞いたらあかりと同じ年だっていうから、じゃあ一応お酒飲めるんだねーってことで名刺渡したんだ」

あかり「京子ちゃんったら、ちょっと立ち話しただけですごく仲良くなっちゃったんだよ。そこで名前も教えてもらったんだぁ」


「ほ、本当だったんですのね……」がくっ


結衣「この子がどうかしたんですか?」

京子「んー……何かワケアリみたいだね」

綾乃「よかったら私たちに話してみない?」

「はい……申し遅れました、わたくしは古谷向日葵と申します……」




向日葵「実は私と櫻子は小さい頃からの幼馴染で、大人になった今でもずっと付き合いがあるんですわ」


向日葵「その櫻子が……最近帰りが遅いんですの。あの子は大人になった今でも子供の頃と変わらないような子でして……私は色々と心配していたんです」


向日葵「そしてつい先日のこと……私は偶然櫻子の服のポケットから、この名刺を発見しました。心配を重ねていたところにこんな名刺が出て来ちゃったものですから、私は櫻子に問い詰めました……『最近夜な夜な帰りが遅いのは、こういうことなんですのね!?』と……」

綾乃「まあ……そう考えちゃうのも無理はないかもね」


向日葵「櫻子は否定しました。これは道を歩いてたときにお店の人たちに貰ったものだと……でも感情的になっていた私にそれは信じられませんでした。こんなオシャレな名刺のバーが、そこらで名刺を配ってるとは思えなくて……」


結衣「うっ……」ずきん

京子「な、なるほど……一理あるかも」


向日葵「一向に信じない私に櫻子は怒って、喧嘩になっちゃって……それで私は今日ここに来たんです! 櫻子が通っているかもしれないお店が、どういうものか確かめるために……あの子が言っていることが、本当かどうかを確かめるために」

あかり「そういうことだったんだ……」



結衣「もっ、申し訳ありません!」ばっ

向日葵「えっ……」


結衣「私の知らないところで、そんなことが起こってたなんて……一体どう責任を取ればいいのか……!」

向日葵「そ、そんな……マスターのせいじゃありませんわ」

京子「そうだよマスター。オシャレすぎる名刺を作っちゃったのがアレだったんだよね。もう少しダサくすればよかったのかなぁ」

結衣「いや違うだろ!! お前が調子にのってポンポン配るからこんなことになったんじゃないか!///」

京子「私のせいなの!?」

綾乃「そりゃそうよ!!」


向日葵「大丈夫ですわみなさん。全ては私の勘違いだったんですから……帰って櫻子にちゃんと謝ることにします」

京子「うーむ……名刺作戦がこんなことになるとはなぁ」

あかり「よく考えて宣伝しないとだねぇ」



向日葵「でも今日来てみてよかったですわ。怖そうなバーを想像してたんですけど、雰囲気もいいですし……優しそうな人がたくさんいますもの」

京子「おっ、だよねー!」

向日葵「お酒もおいしいですし……これからも贔屓にしていいですか?」

結衣「ほ、本当ですか!?///」

綾乃「あら、やったわねマスター」

京子「ほーら名刺効果出てるじゃーん! というわけでカンパリオレンジよろしくぅ!」

結衣「し、仕方ないな……作ってやるよっ」

あかり「よかったねぇ結衣ちゃん」

京子「よーし、バンバン飲もーう!」

――――――
――――
――



向日葵「カクテルっておいしいんですのね。私初めて飲みましたわ」

綾乃「古谷さん、意外といけるクチなのね」


ちなつ「あかりちゃんもたまには飲んでみれば?」

あかり「ええっ、大丈夫かなぁ……」

京子「あかりってそんなにお酒弱いの?」

あかり「なんかね、お姉ちゃんが言うには……自分を見失って、色んな人に絡んじゃうようになるんだってぇ。あかりお仕事中なのにそんなことできないよぉ」

京子「大丈夫、私が受け止めてあげるさ」ふっ

ちなつ「ロクでもないことになりそうなんですけど……」


結衣「アルコールがなかったらいいんだよね。ノンアルコールカクテルってのもあるけど、作ってみようか?」

あかり「ええっ、いいの?」

結衣「あかりはいつも頑張ってるからさ。たまにはごちそうするよ」

あかり「わぁい♪」


綾乃「何をつくるの?」

結衣「そうだなぁ……シンデレラとか、どうかな」

あかり「シンデレラ??」

京子「オレンジ、レモン、パインのジュースを混ぜて作る……まあミックスジュースみたいなものかな」

綾乃「可愛い名前ねぇ」


向日葵「カクテルって……面白い名前のものが多いですわね」

京子「名前の凝ってるものならいろいろあるよ。マネキネコ、クレオパトラ、ラスト・キス、ハネムーン……」

結衣「……前から思ってたけど、京子お酒詳しいな。どこかで学んだのか?」

京子「うんにゃ? 単純にお酒が好きなだけー」


ちなつ「なんちゃら・キスって名前は多いですよね~。何か頼もうかな……///」

京子「別にキスしてもらえるわけじゃないよ?」

ちなつ「えぇーっ!?」

結衣「いやわかってたでしょ!」

――――――
――――
――



カランコロン……


あかり「あっ、向日葵ちゃんだ」

向日葵「こんばんは。また来ちゃいました」

結衣「いらっしゃいませ」


京子「やーやーひまっちゃん」ふりふり

向日葵「歳納さん……本当に毎日来てるんですのね」

あかり「あかりより早くお店に来てるくらいだよぉ~」


結衣「古谷さん、また新しく材料を仕入れたんだ。面白いカクテルができるよ」

向日葵「そうなんですの?」

京子「そうだ、あれ作ってやんなよ。チェリーブロッサム」

向日葵「チェリーブロッサム……」はっ


結衣「チェリーブランデーを使ったカクテルなんだ。ちょっと待っててね」

向日葵「…………」


あかり「そういえば向日葵ちゃん、櫻子ちゃんはお店には来ないの?」

向日葵「ええ……あの子はそこまでお酒強くないですし……」

京子「私的には来てほしいんだけどな~。櫻子ちゃん楽しいから」

向日葵「…………」はぁ


あかり「あれ……向日葵ちゃん?」

京子「何かあったの?」


向日葵「……実は、あの喧嘩した日以来……まだ櫻子と仲直りできてないんです」

結衣「えっ!?」

あかり「そうだったの……?」

向日葵「私がここに初めて来た日……帰ってから私は櫻子に、誤解していたことをちゃんと謝りました。櫻子はそこでは、うなだれながらも許してくれたんです。でも……」

京子「でも?」


向日葵「でも……櫻子はその日以降も、相変わらず帰りが遅いんです。バーに行っていないことはわかったけど、まだ何か私に隠し事をしてるんです!」


向日葵「いくら聞いても教えてくれなくて、そんな問題点を指摘し合ううちに、また喧嘩みたいになってきてしまって、お互い気まずくなっちゃって……」


京子「……じゃあもしかして、ひまっちゃんがこの店に来てるのは……」

向日葵「……櫻子と一緒にいるのが、気まずいからなんです」

あかり「…………」


結衣「……どうぞ、チェリーブロッサムです」ことん


向日葵「チェリー……」すっ


あかり「仲直りしてほしいけど……でも櫻子ちゃんが秘密にしてることってなんなんだろう……?」

京子「私たちにはちょっと、わからな……」


カランコロン!!


あかり「わあっ……!」びくっ

結衣「あ……」

京子「あっ!!」



櫻子「……向日葵」

向日葵「きゃっ……さ、櫻子……!!///」

結衣「い、いらっしゃいま

櫻子「何やってんの……こんなところで!」ばっ

向日葵「な、なにって……お酒を飲んでるだけですわ」

櫻子「向日葵、そんなにお酒飲む人じゃないじゃん……! バーなんて行く人じゃないじゃん!」

向日葵「そ、そんなことありませんわよ。もういろんなカクテルの味を覚えましたわ」


櫻子「そうか……最近いつも夜いないのは、ここに来てるからなんだ……!」

向日葵「…………」

櫻子「毎晩毎晩お酒飲んで、帰りが遅くて……なんなんだよ!!///」だんっ

あかり「さ、櫻子ちゃん落ち着いて……!」


向日葵「それは……それはあなただって同じことじゃないの!! 帰りが遅いのはあなただって同じですわ! 一体何をしてるんですの!?」

櫻子「だからそれは、今は言えないって言ってるじゃん! なんでわかってくれないの!?」

向日葵「言ってくれなきゃわかりませんわよ! あなたがずっとそのつもりなら、私がどんなところで夜を過ごしたって関係ないじゃない!!」

櫻子「関係……ない……!?///」いらっ


京子「ちょちょちょ、やばいよ……結衣なんとかしなきゃ!」

結衣「なんとかったって、どうすれば……」


櫻子「もう知らない!!向日葵のバカ!!」だっ

あかり「あっ、櫻子ちゃん!」


京子「あー……行っちゃった」

向日葵「…………」


あかり「どうしよ向日葵ちゃん……追いかけなくていいの?」

向日葵「……追いつきませんわ。私はヒールですもの」

京子「でも……」



向日葵「……私たち……子供の頃から、何も変わってないんです。今までもこうして、数え切れないほど喧嘩をしてきました……」はぁ


向日葵「あの子は、私の気持ちを見てくれないんですわ……いつも自分中心で考えてて、自分を中心に世界を回しているつもりでいて……隣にいる私の気持ちさえ考えてくれない」


向日葵「私がいないことに腹が立っているだけで、私の気持ちまで見ようとはしない。櫻子のいない夜を過ごす私の気持ち……それは今櫻子が抱えてるものと同じはずなのに、それさえ気づかない。そしてそれに気づけない限りは……これから先も何も変わりはしません」くっ

あかり「向日葵ちゃん……」


向日葵「……マスター、ありがとうございました。おいしかったです」

結衣「えっ、もう帰るんですか?」

向日葵「ええ……追いつきはしなくとも、探してあげなきゃ。これは私のちょっとした仕返しですから……あの子に私の気持ちをわかってもらいたかっただけの、ただのエゴです。今回もまた、失敗みたいですけどね」

京子「…………」

結衣「あっ、ありがとうございました」


カランコロン……


あかり「どうなっちゃうのかなぁ、二人……」

京子「うーん、私たちにはなんともわからないけど……今までもこんな喧嘩をたくさんしてきたっていうなら、平気なんじゃないの? 仲直りの方法もわかってるって」

結衣「そんな単純なことかなぁ……」


あかり「…………」

――――――
――――
――


<翌日>


あかり「えへへ、おいしいパン屋さん見つけちゃったよぉ~」るんるん

あかり「早く帰って結衣ちゃんと……ん?」


櫻子(…………)


あかり(あっ、櫻子ちゃんだ……! 何か持ってる、あれは……)


櫻子「こんな指輪っ……!」がばっ

あかり「わああっ、ダメダメ~!!」たたたっ


櫻子「えっ……あ、あかりちゃん!」


あかり「だめだよ櫻子ちゃん、そんなの川に投げ捨てちゃあ……」

櫻子「…………」


あかり(あっ……!)


あかり「もしかして、それ……向日葵ちゃんに?」

櫻子「えっ……///」

あかり「やっぱり……」


櫻子「これは……もういいの。あいつがその気なら、私だって……向日葵が泣くまで離れてやるんだから!」

あかり「櫻子ちゃん……」

櫻子「そうだ! この指輪あかりちゃんにあげるよ。お友達の証ってことで!」

あかり「ええっ! も、もらえないよぉ……」

櫻子「いいっていいって! 私にはもう必要の無いものなんだから」


あかり「あれ……これ、内側に何か彫ってある……『2015.6.16 S to H』って……?」

櫻子「ああそっか……それ入れちゃったんだよね」

あかり「櫻子ちゃん、これもしかして……向日葵ちゃんへのプレゼント……?」

櫻子「…………」こくり



櫻子「……向日葵にばれないように、お仕事の時間少し増やしたりしてお金ためて……作ったの。6月16日……あいつの誕生日だから」

あかり「…………!」


櫻子「そっか、それが入ってたらあかりちゃん受け取りづらいよね。ごめんね」

あかり「だ、だめだよぉ! これはちゃんと向日葵ちゃんに渡さなきゃ……!」

櫻子「いいんだよ、あんなやつ……私から離れていこうとしてるんだから」



あかり「櫻子ちゃん……向日葵ちゃんは、本当はそんな気全然ないんだよ……?」

櫻子「えっ……」


あかり「向日葵ちゃんはね、最近よくバーに来てくれるけど……お酒が入ると、いっつも櫻子ちゃんのお話ばっかりしてるの」

櫻子「…………!」


あかり「毎日毎日、櫻子ちゃんのことばっかり……愚痴も言うけど、本当はこんな子なんですわとか、今頃何してるのかしら、とか。結衣ちゃん……あっ、マスターなんて、櫻子ちゃんに会ったことないのにもう櫻子ちゃんのこと詳しく知ってるくらいだもん」

櫻子「向日葵が……」


あかり「最近帰りが遅かったのは、これだったんだよね? この指輪を作るために、いろんなお店回ったりお仕事したりしてたんだよね……?」

櫻子「そ、そうなの! うちのねーちゃんに色々聞いたりして、お店紹介してもらったりして……!」


あかり「じゃあそれをちゃんと言わなきゃ……向日葵ちゃんに。ちゃんと言えば、わかってもらえるはずだよぉ」

櫻子「でも……誕生日、まだ一ヶ月も先だもん……」

あかり「もうしょうがないって。仲良くないままお誕生日になるよりは、ちゃんと仲直りしてから迎えた方が良いに決まってるよ。ちがう?」

櫻子「ちが……くない……」


あかり「向日葵ちゃんはね、櫻子ちゃんがいなくてさびしかったから、櫻子ちゃんに同じ気持ちになってほしくて、わざと一人でバーに通ってたんだって。昨日言ってたの」

櫻子「なっ……!///」


あかり「向日葵ちゃんは、櫻子ちゃんから離れようなんてしてないの……だから、ちゃんと仲直りしよ? よかったら今からバーに来ない? ほら、おいしいパンもあるから」

櫻子「わぁ、おいしそう!」

あかり「えへへ、うちはお酒が飲めなくても楽しめるとこなんだよぉ」

櫻子「そうなんだ……昨日の所だよね?」

あかり「そうそう。あっ、そういえば……あかりが配った名刺が喧嘩の原因だったんだっけ……」

櫻子「そんなの気にしないでよ! あのおかげであかりちゃんとも知り合えたんだしさ」


あかり「ふふ、今思い出したけど……あのとき櫻子ちゃんに名刺を渡したの、指輪屋さんの前だったね♪」

櫻子「あれっ……そうだっけ?///」




向日葵「はぁ……はぁっ……!」たったっ


カランコロン……!


向日葵「マスター! ここに櫻子……」


『お誕生日、おめでとーーう!!』ぱぁん


向日葵「きゃっ!!///」びくっ



京子「いぇーいひまっちゃん! おめでとーう!」

綾乃「おめでとう古谷さん」ぱちぱち

ちなつ「おめでと~~!」


向日葵「み、皆さん……なんですのこれは……!?」


櫻子「……おめでと、向日葵」

向日葵「あっ、櫻子!! やっぱりここに……!」


あかり「向日葵ちゃん、今日の櫻子ちゃんはあかりがちょっとお借りしてたよぉ♪」

向日葵「え、借りた……?」ぽかん


結衣「大室さんの御依頼で、本日は古谷さんへのバースデースペシャルサービスをさせていただきます。さあお席へどうぞ」

向日葵「ば、バースデー……??」


あかり「向日葵ちゃん、誕生日なんだよね? あと一ヶ月くらい後だけど」

京子「まあまあ細かいことはいいじゃない! 今日はぱーっといこうよ!」

ちなつ「一ヶ月ってなかなかの期間ですけどね……」


あかり「あのね、ケーキとか色々あるんだけど……今日はいきなりプレゼントから行っちゃおうと思うの!」

京子「そうだねーっ! プレゼントターイム!」

綾乃「あなた少し静かにしなさい」

櫻子「向日葵、これ……///」すっ

向日葵「こ、これは……?」


櫻子「……開けてよ」

向日葵「…………」


ぱかっ


向日葵「あ……!!///」


櫻子「……誕生日までに、ちゃんと作っておきたくて……早めに動いて、用意したの。指輪……」

あかり「向日葵ちゃん、櫻子ちゃんが最近帰りが遅かったのは……全部これのためだったんだよぉ」


向日葵「2015……6.16……S to H……」

あかり「Sakurako to Himawari……櫻子ちゃんからの想いが込められたプレゼントだよ!」


ちなつ「わ~可愛いじゃない! さっそくつけてみてよ!」

京子「左手の薬指でもいいんだよ~?」うりうり


向日葵「こ、これを……私に……?」

櫻子「私たちも、もう大人だから……やっぱりプレゼントとかも、こういうのかなって……///」

向日葵「櫻子……!」


京子「わ~~い!」ぱちぱち

綾乃「よかったわね古谷さん。なんだかとっても似合ってるわ」

ちなつ「いいなー指輪~!」


向日葵「…………」ぽろぽろ

櫻子「ちょっ……なに泣いてんだよ……///」


向日葵「わ……私……何も知らないで……あなたを遠ざけて……」

櫻子「いいって、それはもう……このお店の人にも色々聞いたから」


向日葵「ひどいこと言っちゃって……ごめんなさい……ごめんな、さい……!」

櫻子「もういいから……素直に受け取ってよ」


向日葵「嬉しい……ですわ、すごく……///」

櫻子「嬉しい……?」

向日葵「当たり前じゃないの……!!」


櫻子「ふふ……ちょっとはやいけど、誕生日おめでと、向日葵……」にこっ

あかり「向日葵ちゃん、櫻子ちゃんは向日葵ちゃんの気持ちも……ちゃーんとわかってあげられる子なんだよぉ」

向日葵「櫻子ぉ……!///」ぎゅっ

京子「よっしゃあーお祝いだー! 今日は飲もう! 飲もう!」

綾乃「あなたよくよく見たら酔ってるわね……! 飲もう飲もうってもう結構飲んでるんでしょ!」

京子「あっはははは!///」


あかり「ケーキもあるんだよぉ、あとは花束とかも!」

結衣「あかりが色々用意してくれたんだ。さあ座って! 今夜はいろいろ作るよ」

向日葵「皆さん……!」


櫻子「うーん、私お酒とかよくわかんないんだよなぁ……」

ちなつ「あ、待って櫻子ちゃん。まず最初の一杯は決まってるの」

櫻子「?」


結衣「カクテルにはね、誕生酒ってものがあるんだ。365日、それぞれの人にあったお酒があるの」

ちなつ「6月16日の誕生酒は……プリンストン!」


京子「よーし、じゃあ乾杯しよっか!」

綾乃「うふふ、みんなで乾杯するバーってのもいいわね」

あかり「はい、みんなの分も用意できてるよぉ~」





櫻子「もう20回くらい誕生日祝ってきたのに……ちょっと考えればわかることだったでしょうがぁ……///」とろーん

向日葵「だってあなたのせいで、心に余裕がなかったんですもの……今日が何日かさえよく知らないくらいでしたわ」

櫻子「まったくぅ……」


京子「あはは、酔ってるね~さくっちゃん!」

櫻子「えぇ~? なんのなんの! まだまだ飲めますよ~!」

京子「よーしその意気だぁ!」

結衣「おい京子……あんまり飲み過ぎるなよ? そして飲ませすぎるなよ」

京子「大丈夫だいじょーぶー♪」


綾乃「ふふ……よかったわねマスター。一枚の名刺がこんなにお店に活気をもたらすなんて」

結衣「ん、確かに……このBARにもお客さんが増えたなぁ。少し前は私と京子しか店にいない時も結構あったからね」

綾乃「お店としても、また一歩前進ね♪」

ちなつ「そういえば向日葵ちゃんさー、どうして櫻子ちゃんの帰りが遅いとか名刺入ってたとか気づけたの? いくら幼馴染でも、そこまで気にするもんかな?」

向日葵「いや、そりゃまあ……///」

櫻子「名刺はねー、洗濯するときに見つかっちゃったんだよ。あの時の向日葵怒ってたな~」けらけら


ちなつ「……えっ? ということは櫻子ちゃんの服って向日葵ちゃんが洗濯してるの!? そんなとこまで世話焼いてくれるなんてすごいね……!」

櫻子「別にすごくないでしょ? だって一緒に……」

向日葵「きゃーーー!///」ぶんぶん


ちなつ「え……なに?」

向日葵「いや、えーと、あぁ……///」

あかり「向日葵ちゃん……なんか隠し事してる?」


京子「そういえばさ、喧嘩する前は毎晩一緒に過ごしてるみたいな感じのこと言ってたけど……あれ、もしかして二人って?」


櫻子「ああ、一緒に住んでるんすよ」


あかり「えぇ~~~!?///」

綾乃「そうだったの!?」

向日葵(い、言っちゃった……///)がくっ


櫻子「えーそんなに変なことですかぁ? 私よくわかんないやぁ」

京子「あっははは! さくっちゃん酔ってるね~……よーしそのままもっと色んな秘密を打ち明けちゃおうか!」

櫻子「秘密ぅ? まかせてくださーい! 向日葵の恥ずかしい秘密ならたくさん持ってますから!」

向日葵「やめてぇーーー!!///」



~fin~



【BAR Funamiの日常 ~りせ編~ :キャラクター紹介】


マスター:結衣

BAR Funamiのマスター。若いけどお酒づくりの腕はいい。京子へのツッコミ役その1。
ちょっと前までは京子とちなつぐらいしかお店に来なかったが、だんだんとにぎやかなお客さんが増えてきた。最近では新規のお客さんも来てくれるようになり、いよいよ軌道に乗り出すことができたのかなと感動している。
お酒を作ることは上手だが、実は酒に強いわけではない。味を見る程度なら大丈夫だが、たくさん飲むと酔っぱらってしまう。


ホール:あかり

BAR Funamiで働く女の子。お客さんみんなの妹みたいな存在。ちなつや櫻子など、同い年のお客さんを「ちなつちゃん」などとちゃん付けで呼ぶ。(いいのか?)
お店も大きいわけじゃなく、お客もそこまで多いわけではないこのバーでウェイターみたいなことをやっている。マスターにあかりを雇える余裕があるとは思えないのに何故……? ということで、客たちの永遠の謎になっている。
おねえちゃんと二人暮らしをしている。お酒を飲むと手が付けられなくなるらしい。


常連さん:京子

BAR Funamiの開店当初から毎日やってくる謎のお客さん。とにかく毎日来る。
マスター以上にお店の中心人物みたいな感じなのに謎が多い。最近ではマスターや綾乃がその正体を知ろうと色々策を講じているようである。
新規のお客さんに絡んでいく癖がある。お酒が大好き。よっぱらうと笑い上戸になる。


常連さん2:ちなつ

マスターのことが大好きなお客さん。京子へのツッコミ役その2。
毎日というわけではないが、しょっちゅうこのお店に通っている。昼間は仕事のデキるスーパーウーマンらしい。
お酒が入るとマスターを口説こうとしたり、「は~あっつい……///」とか言いながら服を脱ごうとする癖がある。


常連さん3:綾乃

京子のことが大好きなお客さん。京子へのツッコミ役その3。
マスターも含めて、このバーにいる女の子からの信頼が厚い(というか信頼に足る人が少ないだけかもしれない)。恋愛相談以外なら大抵こなせる。
ちなつ同様、昼は仕事バリバリのデキる女。マスターに並ぶこのお店のトップ常識人。


常連さん4:向日葵

ひょんなことからこのお店に来店し、そこでお酒のおいしさと魅力的なお客たちに出会い今やすっかり常連みたいになった。櫻子と同棲してるらしい。
仕事もできる、家事もできる、スタイル抜群お嬢様という完璧すぎる女の子。人柄もよく、優しいのでみんなの癒しのような存在。
しかし櫻子のことには妥協しない。なのでお店の中で櫻子と喧嘩をはじめてしまうこともある。それが彼女の唯一の欠点……?


常連さん5:櫻子

京子とあかりが、このバーの新規客獲得のために広告代わりの名刺を配った時に偶然出会った女の子。そこだけで友達になれちゃうくらい気さくな子。
向日葵と同棲してるらしいが、別にそれは本人にとってはなんでもない当たり前のことらしい。というか世間知らずなだけかもしれない。
お酒に弱いくせにどんどん飲んじゃうのですぐに酔っぱらう。酔いつぶれたところを向日葵に背負われながら帰る日々。


今回のゲスト:りせ

――――――
――――
――



「……ああ、わかったよ。明日にでも日本を発って、そっちに向かう。……うん、うん。それじゃ、向こうで会おう」


通話を切って携帯電話を置くと、大きな椅子ごとくるりと回って窓の外を見た先生は、少し悩ましげに小さなため息をつきました。


―――どうしたんですか?

私は熱いコーヒーを淹れて、先生に差し出しました。


「おっ、すまんな。いやいや、知人の急用で明日にでもイギリスへ発たねばならなくなってな……まったく人使いの荒い奴だよ」


持っていただけの依頼ファイルを机の上に置いてコーヒーをすすると、先生は目を閉じてリラックスしました。


ここは、西垣探偵事務所。そこの主……西垣奈々は、その業界では少し有名と言っていいほどの探偵です。

そして私は、そんな奈々を先生と呼んで慕い、あらゆる面で補助から雑用から何からをいっぱい担当する先生の片腕……もとい、助手。名前は松本りせ。


―――明日はイギリスですか。旅支度を整えなければいけませんね。


奈々「うむ、そうなんだが……」


先生は、薄目で空を見ながら私に言いました。


奈々「今回は……松本はこっちに残っててくれないか?」

りせ「っ!?」


私は小さく飛び上がって驚きました。てっきり明日から、先生と二人きりの空の旅だと思ったのに……

なんで、なんで私を置いていってしまうんですか?


奈々「いや、実は明日……私の方から別件の依頼者と打ち合わせの予定を入れていたんだが、今入ったイギリスの案件も重大なようでな。かといって自分から取り付けた予定をこっちの都合で直前に変えたりしたら失礼だし……信用にも関わるだろう?」


奈々「そこでだ。今回は松本に、一人で明日の打ち合わせにいってきてもらいたい」

りせ「!」


髪に隠れていない方の、先生の片目が優しく私を見つめました。

―――私が、一人で?


奈々「なーに、松本もしばらく私のそばで調査を手伝ってくれていたから、基本的なノウハウは身についている頃だと思ってな。お願いできるか?」


クスリと笑いながら、先生はコーヒーを一口すすりました。

本当は先生と一緒にイギリスへ行きたかったけど……先生は私に期待してくれている。なにより先生が困っているのを、助手の私が助けないでどうする?

そして先生の期待には……何としてでも応えてみせたい。


奈々「なにも依頼内容をすべてこなしてみせろと言ってるわけじゃないんだ。松本にも任せられそうな気軽な案件だから、それを進めていてほしいだけさ。私が戻るまでの間……頼んだぞ?」


先生は依頼ファイルを手渡しました。私はそれを両手で受け取り、胸の前でかかえて深呼吸します。


―――やってみせましょう。依頼者の話を聞いて調査を進めるだけじゃない、私一人で解決までしてみせる! 私だって先生の片腕を名乗る探偵のはしくれなんですから、立派にできるってところを見せてあげます。


こうして、私の単独調査の日々は始まりました。




『探偵小説がみんな、推理小説とは限らない。パズルのピースを合わせることも大事だが、それよりまずピースをしっかりと集められなければいけない。むしろそっちの方が大事なことなんだ』


―――これは先生の言葉です。探偵が推理をするということは、事件全体を解決する時間から見ればほんの些細な一部にすぎません。

探偵にもっとも必要とされる力、パズルのピースを集める力、『情報収集力』……ここをいかにして解決に導けるようにこなせるか。それが探偵の仕事のほとんどと言ってもいいです。


先生を事務所から送り出し、さっそく任された依頼ファイルを手に、私はとあるバーへ向かいました。今回の依頼者がそこで待ってくれているそうです。



奈々『依頼者は、この町にあるバーのマスターをしている船見結衣という女性と、同じくこの町の有名企業で働いている杉浦綾乃という女性の二人だ。松本と変わらない年頃の人らしいから、気軽に話せると思うぞ』


先生もまだ電話で軽く話した程度のようですが、常識的な女性二人という印象だったと言っていました。

私はちょっと緊張していたのですが、それを聞いてとても気が楽になりました。一人だけでこなす初めての依頼……ここから私の探偵としての道が開けていって、いずれは先生の片腕から「相棒」と呼ばれるような存在になる……! 今日はその伝説が始まるの日のように思えました。


そんなわけで、私は船見さんと杉浦さんに会うため……まだお昼も回っていませんが、オシャレな外観のバー『BAR Funami』にやってきました。

「CLOSED」と看板の出ているドアをノックすると、少し背の高い女性が私を迎え入れてくれました。


結衣「あっ、どうも……ええと、船見です。今は営業時間外なんですが、上がってもらっちゃって大丈夫ですよ」

りせ「…………」こくこく


バーなんて先生に何回か連れて行ってもらったことしかないけれど、そんな私でも感じられるくらい店内は落ち着いた良い雰囲気を醸し出していて、昼間なのに柔らかな薄暗さを備えるこの場所は私の好みに合っていました。


綾乃「あっ、どうも……初めまして、杉浦です」ぺこり

結衣「こちらの席にどうぞ」


先に来店していた杉浦さんの隣の、背の高いスツールの椅子に私を案内し、船見さんはそのままカウンターに行くと、なにやらお茶のようなものを淹れる準備を始めました。

なるほどバーのマスターです。営業時間外とだけあって今は私服のようなのですが、それでもカウンターでてきぱきと動く姿は様になっていました。


私はそれを横目に見ながら、杉浦さんの方を向きました。ひと呼吸置いて、まずは挨拶から。

―――本日はお時間を作っていただき、ありがとうございます。


綾乃「ああいえ、こちらこそ……」


―――ご依頼いただいた件なのですが、いくつかお伺いしたいことがあったのでお邪魔させていただきました。わたくし、西垣探偵事務所の松本と申します。


綾乃「どうも……あっそうだ。マスター、ここのお店の名刺渡してもいいかしら?」

結衣「ああ、お願いしていい? そこに入ってるから」


杉浦さんはこのバーによく通うお客さんということは聞いていたのですが、それでも二人は気兼ね無い関係と言った感じで、お互いの間の信頼が見えた気がしました。


―――先生は突然の所要でイギリスの方に向かってしまいまして。代わりに私がお伺いすることになっちゃいまして、申し訳ありません。


綾乃「いえいえ……急ぎの依頼というわけでもないのに、わざわざありがとうございます」

結衣「どうぞ、お茶です」


―――ありがとうございます。ではまずはご依頼いただいた件を……簡単でいいので、改めてお話願えますか?


綾乃「はい。私たちは……ある人物の身辺調査をお願いしたいのです」

結衣「その人は、このお店によく来る客で……歳納京子といいます。私たちと同じくらいの年の、同じく女です」

りせ「…………」さらさら


私は二人の話を聞きながら、ファイルに要点を書きだしました。

先生はいつも依頼者と話すとき、相手の言うことによくうなずきながら、調子を合わせて話を広げています。気軽に何でも話してもらえるような空気を作って、できるだけ多くの情報を引き出すのです。

そんな先生の姿を思い出しながら、私は船見さんたちの説明を聞きました。初めて一人で依頼者に応対しているけれど、なんのことはなくスムーズに進めることができました。

今回船見さんたちの依頼内容を簡単にまとめると……『歳納京子の身辺調査』。


このバーに客として毎日のように通う女性、歳納京子についての身元情報などを調べて欲しいとのこと。

二人とも京子さんとは頻繁に会っていてよく話をするようなのですが、未だに京子さんの住所・年齢・職業・来歴・友好関係など……ほとんどの基本的情報が不明だというのです。

わかっているのは彼女の陽気な性格と、酒好きであることと、お店に来るほかのお客に絡みたがること……そこそこ長い付き合いなのに、彼女のことについてそれしかわからないのだそうです。


結衣「すみませんね、変な依頼で……でもこれからもあいつとは一緒にいるだろうし、それにしちゃ存在が謎過ぎちゃって」


―――そんなことはありません。この時勢にここまで情報の出てこない人というのもそうはいません。何の変哲も無い一般的な女性なら、もっと色んなことが出てくるはずです。お二人の話を聞いただけで私も、ただならない何かを感じます……


私はファイルに同封されていた、杉浦さんが持ってきてくれた京子さんの写真を見ながら話を続けます。一見すればお酒を飲んで酔いつぶれている普通の美人な女性なのですが、それだけではない『何か』をびびっと受信しました。


結衣「毎日店にやってくるんで、絶対に今日も来るはずです」

綾乃「そうだわ。もしあれなら松本さんもお客さんとしてこの店に来て、歳納京子を実際に見てみるといいんじゃないかしら」


―――はい。ですが最初はこちらの存在に気づかれないように、まずは距離を置いて京子さんのことを調べてみようと思います。色々とわかってきたら実際に観察したり、歳納さんと直接お話したりもあるかもしれませんが。


綾乃「時間はいくらかかっても構わないので、よろしくお願いしますね」

結衣「また聞きたいことがあれば、この店に来てください。午前中ならあいつもさすがに来ないはずなので……」


――――――
――――
――

<夜>


京子「じゃーねーマスター、またくるね~♪」カランコロン

結衣「はいはい……」


りせ「…………」さっ


ちょっとよたつきながら店から出てきたターゲットの姿を確認。ほどよく酒が回り、なにやらご機嫌な様子。


歳納京子への一番最初の接近法は、私も一番得意とする尾行にすることにしました。なんせ今回は背後関係がつかめないため、周囲の人からの聞き込みと言うものができないのです。

それならまずは、と住所の調査をはじめます。住所調査も依頼人の内容のひとつだし、近隣の住人に話しを伺うことは大きな手がかりになります。


深夜ということもあって、尾行は楽に行きそうです。ここからヒントを掴んで一気に調査を進め、先生が帰ってくる前に全てを解決する……なかなか重要な局面には違いありません。


京子「ふーんふーん♪」るんるん

りせ「…………」


気楽に鼻歌を歌いながら、夜の住宅街を大手を振って歩く京子さん。見た目はとても美人なのに、その振る舞いはなんというか……おおらかです。


しばらく歩きながら、高級住宅街エリアに来ました。

このあたりは家の塀が高く、道が直線的に仕切られているので隠れられる場所が少ないです。酔っ払っているとはいえ、後ろからとことこ歩いていてはいけません。京子さんとの距離は離れますが、曲がり角に身を潜めながら追跡することにしました。

京子さんはこのあたりに家があるのでしょうか。だとしたらそこそこお嬢様だと思います。彼女にどことなくただよう気品も、生まれ育ちから来る物なのでしょうか……

そんなことを考えながら、京子さんが十字路を曲がるのを確認しました。音を立てずに近づいて、曲がり角からこっそり姿を確認しようとしたとき……


りせ「!?」



―――いない。


そこに、京子さんの姿はありませんでした。


慌てて四方を見渡します。闇になれた目は50m以上先まで見渡せるのに、どの方角を見ても京子さんの姿はありません。

隠れられそうな物陰もこのあたりにはありません。近隣の高級住宅街はどれも高い塀に囲まれています。当然ながら、京子さんが曲がった先に家の玄関らしきものはありません。


……どこに消えた……!?


京子さんが曲がり角に消えたところから、私がその曲がり角に到達するまで、15秒となかったはずです。

この15秒の間に、この無機質な高級住宅街から姿を消した京子さん。彼女が帰宅したとは思えません……その後近隣の家を調べて見ましたが、歳納という表札は見つかりませんでした。


……考えたくありませんが、尾行がバレてしまい意図的に撒かれたのだと思われます。酔っ払ってふらふらしていた京子さんでしたが、甘く見すぎていたようです……やはり只者ではありませんでした。

収穫、ゼロ。あんなに張り切っていたのに見事に失敗……とても落ち込んでしまいました。こんなことでは先生の片腕どころか、お荷物になってしまいます……


でもまだ時間はあります。気をとり直して私は事務所へと帰りました。明日こそは……必ず彼女の手がかりを掴んでみせる。

帰ってからも私は、高級住宅街あたりの立地について調べました。明日もバーは営業するし、彼女が来るのは夜のはず。昼間に住宅街で聞き込みをしてみるのもいいでしょう。そんなことを考えながら、私は先生がいつも使っているソファで眠りに落ちていきました。

――――――
――――
――



<翌日>


京子「じゃーねー結衣にゃん、またね~」カランコロン

結衣「変な名前で呼ぶな!!///」


りせ「…………」


予定通り、バーから京子さんが出てきました。尾行の準備はすでに整っています。私はその姿を見逃さないように、静かに後をつけました。


りせ「……?」


後をつけるのはいいものの……京子さんはなんと、昨日とは見当違いの方向に歩き出しました。


酔っ払って方角を間違えているのではありません。むしろ昨日の方が酔いが回っていたように思えます。

まさか、もうすでに尾行がばれている……? そんなことは考えたくありませんでしたが、構わずに後をつけました。別に悪いことをしている現場を確かめるわけではありません。こっちには、彼女の住んでいる場所さえわかればいいのです。


京子さんは構わずに、ずんずんと普通の住宅街を歩いて行きました。高級住宅街からはどんどん離れます。

昼間、歳納さんのことについて高級住宅街で少し聞き込みをしてみましたが、彼女のことを知っている人には出会えませんでした。彼女と高級住宅街につながりはないのでしょうか……だとしたら、昨日はなぜあんな方角に帰っていたのか……

いけないいけない。考え事をしているとまた彼女に撒かれてしまいます。集中して追わなければまた振り切られてしまうやもしれません。


京子さんは住宅街を抜けて、夜の川原沿いを歩きました。見晴らしがいいので隠れられる場所はありません……私は撒かれないような距離をギリギリ保ちながら、

静かに京子さんの数十メートル後ろを歩きました。彼女が後ろを振り返らずに、鼻歌を歌いながらゴキゲンに歩いているのが救いです。



京子「あっ……そうそう」ごそごそ

りせ「…………?」


京子さんはおもむろに携帯電話を取り出しました。歩きながら誰かに電話をかけているようです。

しばらくコールがなった後に、京子さんは喋りだしました。


京子「あ、もしもしー? あのさー……」


軽い口調で通話をする京子さん。時刻は夜の11時……口調と時間から察するに、仕事関係ではなく友人関係でしょうか。

京子「うん、んー……」こくこく


京子「あっはははは! なにそれー!」


私は後をつけながら、電話口での京子さんの言葉に集中します。この会話の中に人名や地名などが出てきてくれたら儲けものです。それだけで重要な手がかりになります。

……しかし京子さんはずっと爆笑しているだけで、こちらが望むようなワードを全然出してきてくれません。


京子「うん。あーい。それじゃまたさー、今度飲もうよ!」

りせ「…………」


やはり友人関係の電話のようです。でも……それしかわかりません。

それどころか京子さんは、とんでもないことを言い出しました。


京子「はい、はーい……じゃあこれ聞いたら折り返し電話くださーい。失礼しまーす」

りせ「!?」


少しかがみながら移動していた私は、顔から地面につっこむくらい転びそうになりました。


留守電……!? 明らかに留守電にかけていました。

だとしたら途中で相手の言葉にうなずいたり、爆笑してたりしたのは何だったのでしょうか。意味がわかりません。


電話をしまった京子さんは、またもるんるんと歩き始めます。本当にわけのわからない人ですが、それもいずれ事実が判明していけばわかることかもしれません……全てはこの尾行にかかっているのです。


しかし、


「京子ー!」

京子「おっ……? お~~!!」ぶんぶん

りせ「??」


川原沿いから街道に出ると、一台の車が京子さんの隣に停まりました。

京子さんも嬉しそうに運転手らしき人と話しています。これまた友人なのでしょうか。


「今帰り? 乗ってけば?」

京子「マジで! 悪いね~♪」

りせ(あっ……!)


京子さんは二言三言話し終えると、後部座席のドアをあけて車に乗り込んでしまいました。どうやらご友人に家まで乗せていってもらうようなのです。

これはまずい……がしかし、ここであの車を追えるような手段を私は持ち合わせていませんでした。この時間のここら一帯は車通りもまったく無く、もちろんタクシーなんて来ません。


しかも更にわけのわからないことに、車は私たちが歩いて来た方向……元のBAR Funami方面に走って行きました。せっかくここまで来たのに……じゃあ京子さんの家はいったいどっちの方角なんでしょうか。

予想していなかった方向に去っていく車を呆然と見ていると、私はうっかり車のナンバーを控えるのも忘れていました。車の色と形は記憶しているけれど……どこにでもありふれた軽自動車だったため、決定的な判断材料にはなり得なそうです。


収穫、ゼロ……二日続けてこれは心に来ます。明日はいったいどうすればいいのでしょうか……今だ何の手がかりも見つけられないとなると、明日も同じようなことになってしまいそうです。

しかしこんなところで諦めてはいけない。先生が戻ってくるまでになんとしてでも解決すると決めたのです。

私は落ち込む気持ちを奮い立たせながら、事務所に戻ってホワイトボードに今の現状と明日の予定をまとめました。


そこで出た結論は……尾行はすでにバレているということ。

私自身が何かミスをしたとも思えませんが、明らかにおかしい行動を取り続けている京子さんは間違いなくこっちの存在に気づいているでしょう。あれは彼女なりの撹乱作戦だと思います。


……こうなったら、もっと近くから京子さんを観察してみよう。明日はいよいよ、BAR Funamiの店内から探ってみることに決めました。

――――――
――――
――


<翌日>


結衣「京子はいつもこの席に座るので……ええと、ここのテーブルがいいかな」


お店にそぐった格好に着替え、少し早めの時間にBAR Funamiへ向かい、店内から直接京子さんの情報を探ることをマスターに伝えました。私は窓際の二人用テーブル席……そこから京子さんの様子を見ることにします。

京子さんは見ず知らずのお客さんにも構わずに絡むため、もちろん私にもそうしてくる可能性はあるのですが、最近は新規のお客さんも多いのでその数自体は減ってきたとのことでした。


結衣「とりあえず、私は普通のお客さんとして接すればいいんですよね。ええと……じゃあご注文をどうぞ?」


もともとお酒には強くないし、なにより私は情報を引き出すためにこのお店に来ています。今日はお酒は飲めません……がしかしここはバーなので、お酒に似せたお茶を用意してもらうことになりました。

持って来た本を読みながら京子さんの来店を待ちます。しばらくすると、連絡を受けた杉浦さんがお店にやってきてくれました。


綾乃「あ、どうも。歳納京子はまだ来てないみたいね」

結衣「いつもどおりにしててくれればいいみたいだよ。もうすぐ京子も来るだろうから、先に始めてよう」


軽く会釈をすると、杉浦さんは歳納さんが座る予定の隣の席につきました。きっと彼女たちの椅子の位置も、暗黙の了解で決まっているのでしょう。


ほどなくして、古谷さんと大室さんという女性二人が来た後に……目当ての歳納さんがやってきました。



京子「ごめんごめーん、遅れた!」

結衣「いや、別に時間指定してるわけじゃないだろ」


京子さんは冗談を言いながら快活に来店すると、予想した通り杉浦さんの隣の席につきました。


綾乃「ほんとあなたって、毎日ここに来てるのね」

京子「仕事疲れを癒しに来てるだけだよ~」

櫻子「先輩、そんなに疲れるような仕事してるんですかー?」

京子「えへへ、あんまり大きな声で言えるようなもんじゃないんだけどねー」


京子さんはもちろん、この大室さんと古谷さんという方たちにも今回の私のことは伝えていません。大室さんの質問に「おっ」と神経を尖らせましたが、すぐに濁されてしまいました。

もっとも、口から出てくる言葉が全て事実とも限りません……仕事疲れとか言っていますが、現時点で私には京子さんが一般的な職業についているとはとても思えません。

結衣「何にする?」

京子「ん~そうだなぁ……」


京子さんはメニューを見るでもなく、目を閉じて何かを思い出すかのように言いました。


京子「ボヘミアン・ドリーム。できる?」

結衣「ああ」


綾乃「それはどういうお酒なの?」

京子「普通のカクテルだよ。あまいやつ」

向日葵「変わった名前ですわね。ボヘミアンドリーム」

櫻子「ボヘミアンってあれですよね! ぼへみあ~~ん♪ のやつ!」

綾乃「大室さん、若いのにずいぶん古い歌を知ってるのね……あなた生まれてないでしょ」

櫻子「えへへへ……♪」


向日葵「ボヘミアンって、どういう意味なんでしょうか?」

京子「ボヘミアっていう地方の人々をボヘミアンって呼んだらしいんだけどね。世俗や伝統や習慣にとらわれず、自由奔放に生きる人って意味らしいよ」

綾乃「ヒッピーみたいなものかしら」

櫻子「なんか楽しそうですねー。私もそういうのになりたいなぁ~♪」

向日葵「いやあなたは充分そっちに近いでしょう」


結衣「どうぞ」ことん

京子「おっ、きたきたー」

櫻子「先輩ひとくち! ひとくち!」

京子「いいよ~」


私は本を読むフリをしながら携帯でボヘミアンの意味を調べてみました。京子さんの言っている事は間違いではなさそうで、意外と知識人なのかもしれないと思ってしまいました。

京子「ボヘミアンが見る夢……自由に生きる人達の夢ってことなのかな。その名の通りに甘いカクテルだよ」

櫻子「ほんとだー、おいしい!」


結衣「私が見てるだけでも、毎日のように酒飲んでるお前は充分ボヘミアンっぽいけどな……」

京子「だーかーら、昼間の私は結構忙しいんだって~」

綾乃「ほんとにあなた。何をやってる人なの……?」

京子「それは言えない決まりなの!」


船見さんも杉浦さんも私に気を遣ってくれているのか、情報を引き出せそうな質問をわざとしているようにも思えました。

職業を言えない決まりとはなんなのか……想像がつきません。まさかアイドルでもやっているのでしょうか。


そんなことを考えていると……京子さんは突然、とんでもないことを口にしました。


京子「そういや私さー、最近誰かに狙われてるっぽいんだよねー」


りせ(!!)ぎょっ

結衣「っ……」ぴくっ

綾乃「……!」


櫻子「えーなんですかそれ! 狙われるって何を? くちびる!?」

京子「そこまではわかんないんだけど、なんかなー……誰かにずっと見られてる感じ。ストーカーかも」

向日葵「そ、それ怖いですわね……大丈夫なんですの?」

京子「うんまあ大丈夫だとは思うんだけどねー」

りせ「…………」


……まずいことになりました。ちらっとだけマスターの方を見ると、気まずそうな顔をしています。

ひょっとして店内にいる私が噂のストーカーであることもばれてしまっているのでしょうか。だとしたらわざとこんなことを言っているのでしょう……


とたんに思考がぐらぐらしてきました。身辺調査で相手にバレるなんてもってのほかです。

任務失敗……最悪のワードが頭の中をめぐります。正しい情報を引き出すことが不可能と言えるレベルにまでなってしまった気がしました。


こんなとき、先生だったらどうするのでしょう……いや、先生はそもそもこんな状況なんかには陥らない……!

未熟さゆえの失敗なのでしょうか。私はまだまだひよっこ……いや、生まれてすらいないたまごの探偵なのかもしれません……


綾乃「も、もしあれなら家まで送ってあげましょうか? 一人で帰るのは怖いでしょう?」

京子「んーん! 全然大丈夫だよ。家すぐそこだし」


家はすぐそこらしいです。嘘か本当かわかりませんが、なんとなくこれは本当な気がしました。でももう意気消沈している私にはどっちでもよくなってしまいました。

船見さんと杉浦さんには何ていえばいいのでしょうか……使えないへぼ探偵と思われているかもしれません。いや、事実そうなのかも……


……でも、こんなことではいけません。尾行していることがバレたからなんだと言うのです。こっちは情報さえ手に入れてしまえば任務達成なのです。

先生の片腕を名乗る者として、これくらいの失敗で引き下がるのはよくないと思いました。お茶を飲んで冷静さを取り戻します。


私は席を立ち、支払いを済ませて店を後にしました。こうなったらとことん尾行です。昨日ご友人の車が通りかかったのは偶然でしょう……それなら今日こそはうまくいくかもしれません。うまくいかなくても、ここで投げ出すなんてことはできません。




あれからさほど飲まなかったのか、酔いも軽いといった状態で京子さんは出てきました。

彼女は特に周りを見渡すでもなく、普通に歩き出しました。私も最大限の注意を払いながら後をつけます。


京子さんはまたしても、今までとは違う方向へ歩いていきました。別の店へはしご飲みするのかとも思いましたが、お店のある通りも抜けて住宅街へと進んでいきました。どこに家があるかはわかりませんが、店内での出来事で私が懲りたとみなして普通に家に向かっている可能性はゼロではないでしょう。

幸いこのあたりは私も地理的に詳しいので、見失う可能性は低くありませんでした。京子さんの通るルートは毎回事務所に帰ってからマッピングしてあります。法則性が見出せればそこから住所がわかるかもしれません。


そんなとき、私の視界に赤い光がちらつきました。


「すみませーん、ちょっといいですかー」

りせ「!!!」


私の心臓が一気に跳ね上がります。後ろからパトカーがやってきていました。しかも私に話しかけてきています。

京子さんの方をちょっとだけ見ましたが、どこかで素早く曲がったのか、いなくなっていました。私は観念しておまわりさんに事情を話します。


おまわりさんはどうやら、背の低い私を深夜徘徊する子供と間違えているようなのです。私は西垣探偵事務所の名刺を見せてしっかりと説明しました。

地元の警察は先生とのコネクションがあるので、私はすぐに見逃してもらえました。しかし京子さんの行方はわかりません……まさか京子さんが私の元へと警察を差し向けたとも思えませんし、京子さんの運(悪運?)が強いということでしょう。



元気もなくなり眠気に負けそうな状態ではありましたが、事務所に戻って今日のマッピングデータをとりました。


りせ「…………!///」


そこで、ついにひとつの法則性が見えました。


京子さんの帰る方向を線で描くと、初日はBAR Funamiからまっすぐ北へ、二日目はまっすぐ西へ、今日はまっすぐ南へ、という具合に別れていたのでした。


マップデータを確かめて大正解でした。これは直接的に京子さんの家の方向を指し示すものではないとは思いますが、少なくともここからは「明日は東のルートを通る」ということが予想できます。

しかもバーの東側というのはこの事務所がある方向です。当然このあたりの地系には詳しいので、有利なことこの上ありません。撒かれたとしても再追跡できる可能性もあります。

何も知らずに尾行するのと、ヒントを得た状態で尾行をするのとでは天と地の差です。私は急いでBAR Funamiから東方向への地図をまとめ、明日に備えました。


寝る前に携帯電話を開くと、先生の携帯から一件のメッセージが入っていました。

開くと、ロンドンの時計台をバックにキメ顔をしている先生の自撮りだけが入ったメッセージが入っていました。

相変わらず面白い人です……そして、先生がこういう写真を送ってくるときはたいてい仕事が成功したときなのでした。

これはつまり、もう近いうちに先生が帰ってきてしまいます……だとしたら明日は私と京子さんの決戦の日でした。私が京子さんのことについて聞きださなければいけない情報はたくさんありますが、まだその糸口さえ掴めていない状態です。

明日こそは、必ず。その意を固めて、私は寝室の電気を消しました。

――――――
――――
――


「歳納京子さんという女性についてお話を伺っているのですが、何か知っている事はありませんか?」


翌日、私は朝からBAR Funamiの近隣の住宅街を回って聞き込みをしていました。

昨日彼女が口走った「家はすぐそこ」という情報が本当ならば、何かしらの情報がつかめてもいいものです。しかしお昼を回るまで聞き込みを続けても、「歳納ってなに? 苗字なの?」という反応の人ばかりで、有益な情報はひとつもつかめませんでした。

恐らく歳納京子は偽名……だとすれば本名は別にあるのでしょう。偽名を複数持っていて、あのバーでだけ歳納京子という名前を使っている可能性も考えられます。


夕方になると、京子さんは今日もしっかりとバーにやってきました。

そこで幸運にも私は、京子さんがバーのある通りに入る曲がり角から出てきた姿を発見できました。それはお店から東側……マッピングの結果から今日私が帰るだろうと睨んでいる方向です。

更にいえば、二日目の出来事も思い出しました。あの日京子さんは偶然友人の車に話しかけられ家まで送っていってもらったようなのですが、彼女は西の方向に歩いていき、そして車に乗って反対方向へと走っていきました。つまり西の反対側……東の方向に家がある確率は高いです。

たくさんのヒントを得た私は、気合を入れてお店の東側の地理を予習します。

今回こそは……決めてみせる。





京子「じゃーね~、ばいびー」カランコロン

結衣「はいはい。ったく……」


夜11時ごろ。京子さんはほどよく酔っ払ってお店を出てきました。


りせ「……!」


そして、こちらの予想通り……彼女はここにやってきたときの曲がり角を曲がり、東の方向へと直進していきました。読みどおりです。

ここから東の方には電車の線路があるため、その線路を越えないのなら必然的に逃げ道は狭められることとなります。ここまでの3日間とは尾行のしやすさが違いました。


京子さんの歩き方だって、ここまでの間で把握しています。彼女は常に警戒しているわけではなく、隙を見せているように歩きながらある一瞬を見計らって一目散に消えるのです。

幸いにも通っている道はこの時間帯でも車どおりや人通りが多いため、いつもより距離を縮めてみても不自然にはなりませんでした。


―――今日はいつもと違う。いける気がする。

そんなことを考えながら、京子さんの頭のリボンを追い続けました。


京子さんは歩くペースを変えることもなく、すたすたと普通に歩いていきました。

この辺りは事務所の近くなので、私は毎日のように通っている道です。近隣の道路はもちろん、このあたりの家の庭の形状までわかっています。もしここを撒きの起点にでも使おうものなら、むしろ私が有利になります。

京子「……っ!」ばっ

りせ(っ!!)


京子さんはある曲がり角で、急速に方向転換して走り出しました。

祈っていたことが本当に起こりました。京子さんは足が速いですが、それでも私は逃げていく後ろ姿をはっきりと確認できました。

今日は撒かれない―――絶対に離されない!

今回は身につける荷物も最小限なので、全力のダッシュで追うことができます。


ひょいひょいと角を曲がっていく京子さんを、逃がすものかと食いつくように追っていくと……京子さんは、私が一番予想しなかった建物の中に入っていきました。


りせ「っ!?///」がーん


―――そこは、西垣探偵事務所でした。


「驚いた?」

りせ「!」びくっ


すぐに階段から降りてきた京子さんは、間違いなくこっちに向かって話しかけてきていました。

あまりの予想できない行動に驚愕するよりも、私は得体の知れない恐怖で足がすくんでしまいました。


京子「西垣探偵事務所、西垣奈々が助手。名前はなんだったかなぁ……あ、松本りせ!」

りせ「…………!?」


京子「まあこんな時間にこんなところで立ち話もなんだしさ……中にいれてよー」ぽん


京子さんは私の肩に手を置いて、息が切れて上下している私の頭をまるで親のように撫でると、中に入れさせろと催促してきました。


私は先生と違って、護身できるような術は身に付けていません……ここは京子さんの言う通りにするしかありませんでした。




京子「へー! 意外と広いんだね~」

りせ「…………」


事務所に入るなり目を輝かせて、そこらじゅうを物色する京子さん。この人はいったい、何をどこまで知っているのでしょうか……私は最大の警戒心を払いながら、京子さんに向き合いました。


京子「まあまあそんなに怖い顔しないで……お茶でもいれてくれない? 話はそれからにしようよ」


まだ少し息が切れている私と違って、京子さんはすっかり余裕を取り戻しています……敵地に乗り込んできて私以上に余裕を見せるなんて。私は京子さんが変なことをしないように来客用の椅子に座らせて、紅茶をいれました。

……否、紅茶をいれるフリをしました。


チャンスは今しかありません。私はそぶりを見せずに携帯を取り出し……先生へのLINEを開きました。


[緊急事態発生]


[ターゲットが事務所を占領]


[先生、助けにき]


京子「はいストーップ♪」ぱっ

りせ「っ!!」びくっ


バレないように台の上においてスマートフォンに指をすべらせていたのですが……いつの間にか背後に回りこんでいた京子さんが、ぱっとスマホを取り上げてしまいました。

助けにきてください―――最後まで書く事は出来ませんでしたが、京子さんに驚いた自分の指が奇跡的に送信ボタンを押したところは確認できました。

絶体絶命のピンチですが、私は最後の一手を打つことができました。先生さえ来てくれれば、こんな人なんか……


京子「ふーん…… "先生" はもうすぐ帰ってくるんだ?」

りせ「…………」


京子さんは取り上げたスマホを見ながら意味深な笑みを浮かべると……そのままそれを自分のポケットに仕舞いこんでしまいました。

警察も呼んでしまおうかと思いましたが……これで携帯は封じられてしまいました。

これ以上隙を見せる事はできません。私は京子さんを正面から睨んで対峙しました。


京子「あーあ、警戒心を解いて貰えそうにはないなぁ……」

りせ「…………」じりっ

京子さんが、携帯を入れたのとは別のポケットをまさぐります……銃でも出すのかとドキドキしましたが、京子さんはなにやら小さい薬のようなものを取り出すと……それを自分の口にいれました。


京子「ごめんごめん、これ飲まなきゃでさ……お水貰える? そこのお茶でもいいんだけど」

りせ「…………」じっ


京子「……動かないなら勝手にやっちゃうけど、いいの?」すたすた


何も行動をしない私の横を通り抜け、流し台のコップに手を伸ばす……


そのとき、


京子「んっ……!」がばっ

りせ「っ!!?///」ちゅっ


京子さんは私の片手を掴み、くいっと引き上げてダンスのようにくるりと私を回すと……なんと、そのまま私にキスをしてきました。


あまりに急な出来事に、私は一瞬何が起こったのかわからずパニックになってしまいました。

慌てて引き剥がそうとしても、私より背も高く力の強い京子さんは柔軟に力を逃がし、押し付ける唇を離そうとしません。


りせ「っぁ……!!///」ぷはっ

京子「んっ……」ぱっ


やっとのことで唇を押し離し、封じられていた息を取り戻すように肩で呼吸をすると……口の中に違和感を覚えました。

―――口の中に、何かを入れられた……っ!


京子「……悪いけど、ちょっと眠っててもらうね。痛いようにはしないから」

りせ「っ……!!///」


急激に口の中で、何かおかしな味が……京子さんの甘い味ではない何かが広がっていきます。


京子「ハルシオンっていう睡眠薬を、特別に改良したものでね……大丈夫。副作用も無いようにしてあるから」

りせ「…………っ」ふらっ


すぐに立ち上がってうがいをしようと思いましたが……私は身体の芯を抜かれてしまったかのようにぐにゃりとへたり込んでしまいました。

身体を動かしたいのに、言うことを聞いてくれません……どんどん視界も狭くなり、気が遠くなっていきます。


京子「よっこらせっと……」


失われていく意識の中……最後に京子さんが、私を抱えてソファに運んだところまではわかりました。


先生、ごめんなさい……私はやっぱり、まだまだ先生のお荷物のようです……


「じゃ、携帯借りるねー…………あ、もしもしー? わたしわたし、わかるー? ……えっへっへ、京子だよーん……あのさー……」


――――――
――――
――

「なっはっはっは! そうかそうか、そりゃ松本には早すぎたなぁ」


「勘弁してよ~もう。でもこの子、結構いいセンしてるんじゃない?」


りせ「…………っ」


ぼんやりとする意識の中で……誰かの笑い声を聞きました。


片方は間違いなく先生の声です……私がずっと傍で聞いてきた、愛しいその声……

隣にいる人は……誰?

私から先生を……奪わないで……!


りせ「っ……!」はっ

奈々「おお! 起きたか松本」


りせ「ぁ…………」


目を開けると、先生の顔が真正面に現れました。……逆さで。


どうやら先生に膝枕をされていたようです……まだ少し痛む頭をひねって、横を向くと……


京子「よっ!」

りせ「!?」


来客用のソファに、京子さんが座っていました。

慌てて手足をもがき、起き上がろうとすると……まあまあと私を抱きしめて落ち着かせる先生に、驚くべきことを言われてしまいました。


奈々「松本、こいつは私の友人だ」

りせ「ぇ……っ?」

京子「あっはは! いやー私が普通に言っても信じてもらえなさそうだったからさー」

奈々「まあ疑われるのも仕方ないだろう……まさかターゲットが事務所に乗り込んでくるとは思わないもんなぁ」

りせ「…………」


だんだんと抜けていく頭の痛みを落ち着かせ、先生のやわらかい腿を感じながら……冷静に状況を分析しました。


まず、これは夢ではありません。

そして、先生と京子さんが友人同士というのは……恐らく本当のことでしょう。私は先生の過去についてそこまで詳しくは知らないのですが、こんなに親しげに話せるということは、事実で間違いないんだと思います……先生にはよくわからないご友人が多いです。


京子「西垣ちゃん、まだ状況がうまく飲み込めてないみたいだから、とりあえず説明してあげたら?」

奈々「そうだな。といっても私も今急いで帰ってきて歳納に話を聞かされただけだから、事情は二人の方が詳しいとは思うが……」


先生は置いてあるコーヒーを一口すすると、私の髪を撫でながら少し楽しげに話しました。


奈々「私は今回の依頼人のことは知っていたが、依頼内容についてはまだ知らなかったんだ。身辺調査ということは電話でも聞いていたんだが……まさかそのターゲットが歳納だったとはな。そこまで私が聞いていれば、こんなことにはならなかったんだが」


奈々「だから身辺調査くらいなら松本にも任せられると思って、イギリスへ行ってしまった。けどそのターゲットが悪すぎた……よりによって、こいつだったのか、と」

京子「あっははは!」

りせ「…………?」


奈々「実はな松本……私が探偵としての活動を始めて一番最初に受けた依頼も、『歳納京子の調査』だったんだ。依頼人は船見さんとは違ったんだがな」

りせ「!?」

奈々「そのときは、なんだ身辺調査くらいと気軽にやってみたんだが……松本同様、私も一回もうまくいかなかった。こいつは逃げの天才だ」

京子「いやぁ照れるね~」にしし

奈々「本当に参ったよ……こっちは何の隙も見せてないはずなのに尾行を勘づかれ、毎日毎日見失い……ついにはヤケになって普通に話しかけ、すぐに仲良くなり、そのまま飲み友達に!……ってな具合だ」

りせ「…………」


奈々「その依頼は当然失敗した。だがそこで友達になってからというもの、お互いあまり詮索しないままに親交を深めて……たまに私と一緒に仕事をしたりもしてくれてなぁ」


奈々「だから言うなれば、こいつは松本の先輩みたいなものだな!」

りせ「…………!?」がーん

京子「よろしくねっ、後輩ちゃん!」


……とんでもない事実がどんどんと発覚していきます。

信じられないようなエピソードの数々ですが、同時にそれは私がここ何日も京子さんを追った中で生まれていった疑問を、納得させてくれるものでもありました。


奈々「依頼人の方には、私からも説明しておこう。松本は今回は運が悪すぎたんだ、な?」

京子「マスターと綾乃が私を探ってるってのもとっくに気づいてたからさー。でも君の尾行はなかなかセンスあったと思うよ?」

奈々「そういうことだ。まあいい経験になったんじゃないか? これで松本も私と同じ道を忠実に歩み始めているわけだな!」

りせ「…………」


二人は顔を見合わせて笑い、それじゃ、と京子さんはコートを翻して帰る支度を始めました。


京子「また今度一緒に飲もうよ! ここらで良いバーを見つけてさー……あ、もちろん助手ちゃんも一緒にね?」

奈々「そうだな。機会があったら連絡してくれ」


本当に友人の家を出て行くような感覚で、ほいじゃーねーと京子さんはドアを開けて出て行きました。

まだ夢を見させられているような感覚でしたが……起き上がって、コーヒーをすする先生に話しかけます。


―――先生、結局あの人は何者なんですか……?


奈々「んん、そうだなぁ……超偉い地位にありながら、下の者にまぎれて身をやつし……いいとこのお嬢さんでありながら、何者にも縛られず自由で……あまり金を持たなそうな雰囲気を出してるが、金持ちなんだろうなー実際」ずずっ

りせ「…………」


―――え、結局どういう人なんですか……?


奈々「んはは! だから私にもわからないんだよ。まあ、悪いやつじゃないことは確かだろう……それだけでいいじゃないか?」


……先生でさえもわからない人なら、私が何をしたってわかりっこないのでしょう。

まるで存在そのものが幻想であるかのような、不思議な人……そんな彼女に似合う言葉を見つけようとして、ふとあることを思い出しました。


あのとき京子さんが、ボヘミアン・ドリームを頼んだワケ……


りせ「…………」


ひよっこの私なんかには、本当に何もわからないけど……ほんのちょっとだけ、何かが納得できた気がしました。


――――――
――――
――

<後日・バー>


京子「…………というわけ! 今回のことは諦めてね~」

奈々「本当に申し訳ない……こいつはうちじゃ手に負えなくてねぇ」

結衣「な、なんだって……」

綾乃「あなた本当に何者なのよ……」

京子「あはははは!」


後日……京子さんに誘われ、船見さんたちへの事情説明も兼ねて、先生と一緒にBAR Funamiにやってきました。

私の初めての任務は失敗……だけど、これは先生の相棒になるという未来に向けての道として、大きく逸れたものではないと思います。

というより、先生とまったく同じスタートを切れたことが……だんだんと、嬉しくおもえるようになってきました。


奈々「まったく歳納には敵わんな……相変わらず鈍っていないみたいだし。どうだ、もう一度私と一緒に組んでみないか?」

りせ「!?」


京子「んーん、やめとく。探偵は確かに楽しいけど……今はのんびりお酒飲んでた方がいいや。それに、助手ちゃんの位置を奪っちゃ可哀想だしね?」

りせ「…………///」


あれからというもの、京子さんは私を助手ちゃんと呼び……いろいろとからかってきたりするようになりました。

どうやら京子さんは、私が先生に対して想っている気持ちまでお見通しのようです……悔しいですが、この人には敵いません。


奈々「まあ、悪い奴じゃないってことだけは私も保証します。提供できる情報としては……それくらいですかね」

結衣「は、はぁ……」

綾乃「わ、私たちも、悪い人だと思って調査を頼んだわけではないので……」


落ち込んでいるような、呆れているような船見さんと杉浦さんを満足そうに眺めながら……歳納さんはグラスを傾けていました。


あかり「あ、あの……」

りせ「?」

あかり「ご注文はお決まりですか? まずはお飲物でも……」


奈々「ん、そうだなぁ……松本も好きなの飲んでいいぞ?」

りせ「…………」こくり


お酒はあまり強くないけど……今日だけは私も、ちょっと飲みたいものがありました。

グレナデン・シロップ多めの、甘くて紅い、ボヘミアン・ドリーム。


~fin~



【BAR Funamiの日常 ~ちとちづ編~ :キャラクター紹介】


マスター:結衣

BAR Funamiのマスター。若いけどお酒づくりの腕は評判。どこで修行したかなどは不明。
噂では最近町の情報誌で、イケメンの女マスターが迎えてくれるバー的な感じで記事にされて紹介されてしまったらしい。マスター本人はまだそれに気づいていないが、こっそりその雑誌を立ち読みした京子はお店の中にも関わらず爆笑してしまったという。


ホール:あかり

BAR Funamiで働く女の子。お客さんみんなの癒しのような存在。
マスターが大の女の子好きで、あかりはそんなマスターに捕らわれ愛玩用として店員の格好をさせながら楽しまれているのではないか……との噂が京子の口から出たが、マスターにおぼんで頭をはたかれて否定されたらしい。しかしこのバーで働いている理由はまだ誰にも明らかになっていない。


常連さん:京子

BAR Funamiの開店初日からやってきて、完全な皆勤を達成している唯一のお客さん。
もはやみんなのムードメーカーとしてお店を支える存在になっている。噂では、最近ではあまり見られなくなったものの昔はよくマスターとお店で二人っきりの日が多かったなあとしみじみ思い出しており、ちょっとだけその雰囲気が恋しいらしい。


常連さん2:ちなつ

マスターのことが大好きなお客さん。噂では皆に見えないところでマスターにアタックしまくっているらしい。
「マスター、私ももう大人なんですよ……?///」と胸をはだけさせマスターに近づくも、「そうだよね。ちなつちゃんは凄く若々しいけど立派に大人の女性なんだよね。あ、じゃあ今日は大人向けなお酒でも作ってみようか?」などとはぐらかされてしまったらしい。もちろん決して諦めない。


常連さん3:綾乃

京子のことが大好きなお客さん。噂ではマスター独自換算の来店回数ランキングで、最近ちなつちゃんを抜いて第二位に躍り出たらしい。
お店に通うことが多くなっただけではなく、昼間マスターと待ち合せて一緒にショッピングにいったりといつの間にかプライベートでもマスターと仲がいい。京子やちなつちゃんに少し妬かれている。
それだけマスターからの信頼も厚いということかもしれない……とは言われているが、実際は京子に関する恋愛的な相談をしているだけである。


常連さん4:向日葵

ひょんなことからよくお店に来るようになったお客さん。最近わかったが結構な酒豪。
酔っ払うと櫻子の愚痴をたくさんこぼすようになるらしいが、そのほとんどはただのノロケであり、マスターもそれを聴かされているうちに二人がどういう関係なのか細かなところまでわかってしまったという。
噂では「あの子ったらちゃらんぽらんなクセに、キスだけは上手いんですのよねぇ……///」とのノロケまでこぼれてきたことがあるとのこと。普段は綾乃やマスターと同様に常識的な淑女である。


常連さん5:櫻子

ひょんなことからよくお店に来るようになったお客さん。あかりやちなつとはプライベートでもよく遊ぶらしい。
噂では、「お客さんの注文には出来る限り答えたいんだ。だからメニューに載ってないものでも頑張って作るよ」とマスターが言ったのをきっかけに様々なフードメニューを作らせているらしい。
最初はサンドイッチやパスタ程度で済んでいたのだが、最近ではラーメンや麻婆豆腐などを作ってもらっていたという目撃情報まである。おいしいおいしいと食べる櫻子の笑顔にマスターは軽く逆らえないそうだ。


常連さん6:奈々

ひょんなことからお店に通うようになったお客さん。普段は西垣探偵事務所というところで活躍中の、その世界では有名な私立探偵である。探偵としての実力は本当にすごいらしく、バーのみんなからも「先生」と呼ばれるようになった。
「仕事柄、汚い世界と対面しなきゃいけないときもあってな。酒で身を清めずにはやってられないんだ」とかっこよく言うが、ひとたび酒を飲めば京子と肩を組んで馬鹿騒ぎしているらしい。マスターもりせもそれには大いに呆れている。


常連さん7:りせ

西垣探偵事務所で奈々の助手として働く女の子。お店の誰よりも背が小さいが、噂ではマスターより年上らしい。
静かでシックなこのバーの雰囲気が大好きであり、読書の場として利用するために来店することもあるという。お酒はあんまり飲めない。
噂では、ある大仕事を終えて陽気になっていた奈々が「今日は死ぬまで呑むぞーーい!!」と言って京子と肩を組んでバーの閉店後に深夜の町にはしご呑みに行ってしまったとき、少しお酒を飲まされてぽわぽわになって寝ていたりせをマスターがおぶって事務所まで帰してあげたことがあるという。


今回のゲスト:千歳、千鶴

――――――
――――
――


<スーパー>


結衣「えーっと卵とネギと……ああそうだ、まずお米を買わなきゃなんだ」ぱたぱた

結衣「はぁ、大室さんに『次はチャーハン作ってください!』なんて言われちゃったけど……そろそろ歯止めをかけておかないとまずいなあ。うち一応バーだし……そのうちお寿司握ってくださいとか言われちゃうかもしれないし……」

結衣「大室さんが美味しそうに食べるからって逆らえない私も私だけど……まあいっか」


「あっ、こんにちは~」

結衣「?」くるっ


「今日はどしたん? お店の材料やなくてお家のご飯買いに来たん?」

結衣「ああ池田さん……! いや、これも一応お店の材料なんだ」

千歳「あれ? バーのマスターだって言ってた気がしたんやけど……ウチの記憶間違いかなぁ」

結衣「いやいや合ってるよ。でもチャーハン食べたいって言うお客さんがいてさ……まあ作ってあげようかなって」

千歳「偉いなあ船見さん。お客さん一人一人の要望にこたえるなんて中々出来へんで~」

結衣「ははは……そうだ、池田さんもたまには遊びに来てよ。せっかく近所なんだし」

千歳「ん~、行きたいのはやまやまなんやけど……ウチお酒飲めへんしなぁ……」

結衣「大丈夫、うちはお酒飲めない子も結構来るんだよ。だから安心して?」

千歳「そうなん? それじゃ近いうちに遊びに行くかもしれんわぁ~」

結衣「うん、待ってるよ」



<BAR>


結衣「……っていう感じで、よく行くスーパーに顔見知りの店員さんがいるんだよね」

綾乃「感じのよさそうな人ね。私も会ってみたいわ」

櫻子「はんひゃいへんのひほふぁー」もがもが

向日葵「チャーハン頬張りながら喋るんじゃありません」

あかり「『関西弁の人かー』って言ったみたいだよぉ」


結衣「それにしても結構このお店もお客さん増えたなあ。私も昔は緊張しぃだったけど……最近は慣れてきてそんなこともなくなったよ」

ちなつ「ずいぶんにぎやかになりましたねえ」

櫻子「あえ、そういえば歳納先輩がまだ来てないみたいですね」もぐもぐ

綾乃「そのうち来るはずだわ。今まで来なかった日なんてなかったんでしょう?」

結衣「まあね。まったくあいつには参っちゃうよ……」


カランコロン……


向日葵「あ、噂をすれば……」

ちなつ「あれ? 違うみたいだよ?」


千歳「えーっと……ここで合うてんのかなぁ、こんばんは~」

結衣「あーっ、池田さん!///」

綾乃「あら、彼女が今話してた人?」

櫻子「関西弁だー!」


結衣「いらっしゃいませ。待ってたよ」

千歳「あ~よかった船見さんおって。ウチまだバーなんて入ったことないもんで、緊張しちゃってなぁ」

あかり「こちらのお席へどうぞ~」



千歳「えへへ、噂に聴いてた通りの良いお店やねぇ~。ウチ雰囲気だけで酔ってもうたわぁ」

綾乃「よかったわねマスター、また一人お得意様が増えそうで」

結衣「うん。みんながいてくれるからお店にも活気が出来て、それが一番の集客効果になってるんだと思うな……本当にありがとう」

ちなつ「そんなことありません、ひとえにマスターの人柄が人を集めてるんですよ! 私ずっとそう思ってましたから!」

櫻子「そうですよ! 私一人のためにチャーハンの材料買って作ってくれるバーなんて今時ないですって! マスターがすごいんです!」

向日葵「あなた自覚があるんだったらもっと注文に遠慮を持ちなさい」

あかり「あはは、でもあかりも結衣ちゃんの力が一番大きいと思うよぉ~」

結衣「み、みんな……///」


千歳「ん、もうこんな時間……ごめんなぁ船見さん、ウチそろそろおいとませなあかんわぁ」

綾乃「えっ、もう帰っちゃうの?」

千歳「今日はあんまり遅くなれなくて……その代わり近いうちにまた来るから、それで堪忍してや~」

結衣「ううんとんでもない、それじゃまた来てくれるの待ってるね。あかり、お会計お願いしていい?」

あかり「は~い」

綾乃「またね池田さん」

ちなつ「次回の来店を待ってますからね~」

櫻子「ばいばいやで~」ふりふり

向日葵「中途半端に何かを吸収しましたわね……」

千歳「ありがとな~」



向日葵「ふふっ、マスターの言うとおりとても感じの良い人でしたわね」

ちなつ「このお店がこんなにアットホームな感じになったの初めてかも!」

櫻子「うんうん、 まるで別のお店にいるみたいだったな~」

綾乃「あら、それはどちらかといえば池田さんのおかげというよりは……」

結衣「そう。綾乃の言う通り」

櫻子「??」


だだだだだ……

カランコロン!


京子「ひえーごめん、遅れちゃったぁ~~!」だっ


綾乃「……この人がいなかったからじゃない?」くすっ

ちなつ「なるほど……百理ありますね」

あかり「あ、あぁ~……///」

京子「なになにみんな楽しそうにして~! なんで誰も電話してくれなかったの? すっかり寝坊しちゃったよー」

結衣「なんで電話でお客さんを呼びつけなきゃいけないんだよ……ってか番号知らないし」

櫻子「それじゃ先輩、眠気覚ましにきついのきゅっと行っときますか~?」

京子「おおっ、いいね~さくっちゃん! それじゃマスターお願いね~」

結衣「はいよ」


綾乃「あなたもうちょっと早く来てれば、良いお客さんに会えたのにね」

京子「えっ!? 誰誰どんな人!? このお店にくる客の事は誰よりも把握してなきゃいけない義務があるんだよ、教えて~♪」

結衣「それは私の義務だろ」



<後日>


京子「へいらっしゃい!」カランコロン

結衣「……早いな今日は」

京子「いやあ、この前の遅刻を挽回しないとって思ってね」にひひ

結衣「学校じゃないんだから……まあ今に始まったことじゃないか」


京子「今日は飲むぞ~。早速何にしようかなぁ……」

結衣「そういえば……京子最近牛乳頼まなくなったな」

京子「いやだって、お酒飲むとこでしょバーって。牛乳飲みたかったら家で普通に飲むし」

結衣「おいコラ! 京子のために良い牛乳仕入れてるのにもう飽きちゃったのかよ!///」

京子「うそうそ、単純にお酒の気分なだけだって。西垣ちゃんの助手ちゃんとかあかりがよくココア頼むし、そっちに使ってあげて?」

結衣「言われなくてもそうしてるよ、ったく……で、何にする?」

京子「んー、それじゃ今日はしっかりいっちゃおうかな~」




<数十分後……>


京子「……ひっく」

結衣「えっ」


京子「んふふふ……回ってきた回ってきた……///」ぱたぱた

結衣「ちょ、もうそんなに酔っぱらってたのか! 珍しいな……」

京子「ぜんぜんだってこんなの~! もっとじゃんじゃんきていいよー?」

結衣「まだ他に誰も来てないのに……こんな早くから仕上がっちゃってどうすんだよ」

京子「あーあ……それにしても、マスターと二人っきりって久しぶりだなぁ……」

結衣「えっ?」

京子「ねえ、マスターにとって……やっぱり私って特別なお客さん?」

結衣「な、なにを急に……私はお客さんのひいきも差別もしないよ」

京子「じゃあ……私は何でもないお客さんのうちの一人?」

結衣「ううん……何でもなくは、ないけど……」

京子「ほらー特別なんじゃん! わーいわーい♪」

結衣「ど、どうしたんだよ今日は……///」


京子「ん~……久しぶりの二人だけっていうのが……嬉しくて、さ」

結衣「え……?」

京子「そりゃあ、みんながいた方が楽しいっちゃ楽しいけど……私がこのお店で一番馴染み深いのは、こうして二人しかいないこの雰囲気だもん」

結衣「……!」


京子「マスターだって……そうなんじゃないの?」

結衣「わ、私は……別に……っ……///」


京子「ん~?」ずいっ

結衣「こ、こら離れろ! お客さん来たら変に思われるだろ……///」

京子「誰も来ないってこんな時間に」

結衣「失礼だな」


からんころん……


結衣「あ、いらっしゃいませ!」

京子「ちぇー、来ちゃったかぁ……ん?」

千鶴「……あ……」

結衣「あっ、池田さん!」

京子「あー、もしかしてこの前みんなが話してた人?」

結衣「そうそう。コートお預かりしますよ。お好きな席にどうぞ」

千鶴「ど……どうも……」


京子(ふーん……?)まじまじ


結衣「寒いですね今日も……温かいものでもいれますか?」

千鶴「あ……はい」

結衣「えっとあれはどこにやったっけな……ちょっと奥行ってきますね。すぐに作りますから」ぱたぱた


千鶴「…………」


京子「池田さん、だっけ?」すすっ

千鶴「えっ……」びくっ


京子「話はいろいろ聞いてるよ~、マスターと仲良いんだってね」

千鶴「……? そんなことは……」

京子「隠さなくてもいいってー。まあまあ私の一杯飲んでさ、仲良くしようよ~」

千鶴「あ……すみません。私お酒ダメで……」

京子「そんなことないでしょ~ひとりでバーに来るくらいなんだから。これ美味しいやつだからさぁ」

千鶴「ちょっ……ほんとに」


京子「遠慮することないってー! ほーら♪」ぎゅっ

千鶴「や、やめて……っ!///」ばっ

京子「あいたっ」


千鶴(何だコイツ……)ちっ

京子「あれ~話と違うなぁ、すごく愛想のいい子だって聞いたのに怖い眼しちゃって……」

千鶴「…………」むっ

結衣「お待たせしまし……あ、あれ?」

千鶴「……すみません、帰ります」

結衣「え、えええっ!? 何かありましたか!?」

千鶴「いえ……やっぱり私なんかには合わない場所でした。ごめんなさい……」すたすた

結衣「あ、ちょっ……!」


カランコロン……


ぱたん


結衣「う、うそ……」がーん

京子「なんだーあの人? まだ何にも飲んでないのに」


結衣「おい……京子、池田さんに何かしたろ!」ぎろっ

京子「へっ?」

結衣「声は奥まで少し聞こえてきてたぞ! 何か失礼なことしたんだろ!」

京子「べ、別に……私のお酒わけてあげようとしただけだけど」

結衣「バカ! あの人お酒飲めないんだよ!」

京子「いやでも、それはただの話のきっかけにしようと思ってね? みんなが雰囲気のいい人だって言ってたし……そのくらい近づいても大丈夫かなって」


カランコロン……


綾乃「ああ、二人ともこんばんは」

結衣「綾乃……!」

綾乃「ねえマスター、さっき池田さんとすれ違ったんだけど ……何か様子が変だったわよ? 話しかけても素通りされちゃって……」

結衣「!!」


京子「変な人~……なんか私がみんなの話から思ってたのと違ったなー」

結衣「京子……帰れ」

京子「へ?」


結衣「今すぐ帰ってくれ。他のお客に迷惑かけるよう奴は出禁だ」ばっ

京子「えー! 出禁って、そんな……!」


結衣「今のお前は酔っぱらてるからいつも以上に正しい判断ができてないんだよ! どうしてくれるんだ! あの人もう二度と来てくれないかもしれないんだぞ!」

綾乃「……歳納京子、またいつものあれ? でもさすがに今回はやりすぎよ……あの池田さんがあんなに怒った目してたんだもの、絶対失礼に当たることしたんだわ」

京子「わ、私はただ……」


結衣「言い訳は聞かない、帰ってくれ! 酔い覚まして反省しろ!」

京子「マスター、ごめんって……」

結衣「帰れ!!」

京子「っ…………」


京子「……ごめん」たっ

カランコロン……


結衣「あーもう、いつかこうなるとは心配してたけどまさか池田さんが……あーあ……」はぁ

綾乃「マスター気を落とさないで? きっとまた来てくれるわ」

結衣「でも……『やっぱり私なんかには合わない場所でした』って言われちゃったよ。これから気まずいなぁ……」

綾乃「う~ん……」


結衣「くそ……京子の奴……」だんっ

綾乃「……どうしましょう、今日は私帰った方がいいかしら?」

結衣「いやっ、綾乃は別に……!」

綾乃「……だめよマスター。お店がこんなとげとげしたムードじゃあ……美味しいものも美味しくなくなってしまうわ」

結衣「……!」はっ


綾乃「今日はお休みしましょう? マスターも働きすぎだし、たまにはゆっくり休んだらいいわ……池田さんにも後で謝りましょうよ。私も付き合うから……ね?」

結衣「ごめん綾乃……その通りだね」

綾乃「いいのよ。たまにはこんな日だってあるわ」


結衣「そうだ、じゃあ今日は私も飲むから、綾乃一緒に付き合ってくれない?」

綾乃「あら、それならいいわよ。今日は私がマスターにお酌ね」

結衣「お酒ならいくらでもあるからさ……はは、臨時休業なんて初めてだなぁ」

綾乃「いつもお疲れ様。嫌なことは酔って忘れちゃえばいいわ」



<翌日>


結衣「…………」ふきふき


結衣(もう21時か……まだ誰も来ないなぁ)


結衣(大室さんのリクエストの準備もできてるし、りせちゃんのマシュマロココアも新調したし……京子に言われた細かめの氷も用意したんだけどな)


結衣(……あれ? 京子……)はっ


結衣「あ……ああぁぁっ!! そうだ、京子は出禁にしたんだった……!!」がーん


結衣(やばい、昨日はつい飲みすぎちゃって忘れてた……!! えっと確か、京子が酔っぱらって……池田さんに絡んで、池田さんが怒って帰っちゃって……それで綾乃が来てくれたんだっけ)


結衣「く……あの時は結構怒っちゃったなあ。私もつい頭に血が上っちゃって……」


結衣(いやいや……でもそんなわけないさ。ここまで京子が来なかった日なんてただの一度たりとも無いんだ……出禁だって、冗談程度に受け止めてるよな? 京子だもん……)


結衣(……とっ、とりあえずもう少し待ってみよう)





結衣「うぅ……もう日付が変わっちゃう……」がくっ


結衣(なんでこんな日に限って誰も来てくれないんだ……! あかりは今日はお休みだし、綾乃は今日は遅くまで仕事か。ちなつちゃんやりせちゃんたち、大室さん古谷さんも……単純に来ないタイミングが重なったってことなのかな……)


結衣「こんなことって初めてだな……ははは」


結衣(京子がいないと……こんなに静かなんだな。この店は)はぁ


結衣(……開店当初からお客は凄く少なかったけど……それでも、誰も来ない日なんて無かったなぁ)


結衣(オープンした日……凄く不安だったあの日。準備に準備を重ねて、でも誰も来てくれなくて……私のやり方が下手だったのもあるけど、ひょっとしたらこれから毎日誰も来ない日が続くんじゃないかって……不安だったなぁ)


結衣(念願の自分のお店を持てたのに……ちっとも嬉しくなかった。静かな時間が過ぎれば過ぎるほど胸が痛くて……予定より早く店じまいしちゃおうって思って、『OPEN』の札を裏返すためにドアを開けたんだ)


結衣(そうしたら……そこに偶然京子がいたんだっけ)


――
――――

京子「ん~?」

結衣「あ、あっ……///」

京子「あれ、こんなところにお店あったっけ?」

結衣「あっ、あの……今日からオープンしましたっ。よろしくお願いします……!」

京子「へえ、今日から!」

結衣「はいっ」

京子「……バーか」

結衣「は、はい……」


京子「……あ、今の別に「バーカ」ってバカにしたわけじゃないよ?」

結衣「いやわかってるわ!///」びしっ


結衣「……あっ」はっ


京子「あはははっ! いいね~君……それ制服っぽいけどこのお店の子?」

結衣「あ、えっと……一応、このお店のマスターです」

京子「マスター!? ひょっとして女性マスター!? あれ……確認するけど女の子だよね?」

結衣「女ですよ!!///」

京子「いや~かっこいいから疑っちゃったよ。ごめんごめん」にしし

結衣「もう……」はぁ


京子「……で、なんか閉店準備してるっぽいけど……バーにしちゃ閉めるの早くない?」

結衣「あっ、あああこれは別にその……違います! まだ閉店しませんっ」

京子「そうなの? じゃあちょっと寄っていいかな」

結衣「ど、どうぞどうぞ! ようこそいらっしゃいませ!」


京子「ありゃ、他にお客さんが見当たらないけど……?」きょろきょろ

結衣「あ、あの……お客様が、当店が迎える最初のお客様になります」

京子「えっ、私が第一号!?」

結衣「そうです……ようこそ、BAR Funamiへ」

京子「BAR Funamiか……えへへ、良いお店発見しちゃったかもな~♪」

――――
――



結衣(……京子は、初めて会った時からずっと……にぎやかだったな)ふっ


結衣(話題を絶やさないでくれて、私を笑わせてくれて……京子が来るまでは、お店を出したことにちょっと後悔すらしてたけど……でも、京子のおかげで、自信になったんだ)

結衣(それから毎日来てくれた。毎日、毎日……他のお客さんは来ないのに、京子だけはずっと来てくれた)


結衣(だんだん京子がいることが当たり前になっていって、あかりやちなつちゃんが来てくれるようになったけど……もしあの時京子が来てくれなかったら、私はどうなってたのかな)


結衣(京子……)


結衣(そういえば……昨日京子、何か言ってたっけ)



『私がこのお店で一番馴染み深いのは、こうして二人しかいないこの雰囲気だもん』


『マスターにとって、やっぱり私って特別なお客さんなんだ?』



結衣(……特別、だよ。特別に決まってるだろ……)ぐっ


結衣(あんなこと言ってくれた日に、あれだけ怒っちゃったから……だから京子も余計にショックだったのかな……)


結衣(バカだな私、何が出禁だよ……! 京子がいてくれたからこの店は、ここまで大きくなれたんじゃないか……)


結衣(京子しか来なくて、京子のためだけにやってたような、数えきれないあの日々が……今のこのお店を作ったんじゃないか……っ!!)


結衣「…………」すたすた


結衣(今日はもう閉めよう……京子が来ないなら、誰も来ないさ)がちゃっ


カランコロン……


結衣(やっぱり……いないか……)はぁ



<翌日>


ちなつ「ええええ!? そっ、それ本当なんですかマスター!?」

結衣「うん……昨日は、初めて誰も来なかったんだ。初めて……京子が来なかったよ」

あかり「京子ちゃん、他のお客さんに迷惑かけて出禁になっちゃったんだってぇ……今日ももしかしたら……」

綾乃「でも仕方ないわ……マスターにとって池田さんは、お客さんになる前から付き合いのあるご友人なんだもの。このくらいしないと……」

結衣「うん……でも出禁は言い過ぎた気がするんだ。だから謝りたかったけど……京子の電話番号も何も知らないし、ここに来てくれないことには何も言ってあげられないんだなって……」

ちなつ「マスター……」

あかり「結衣ちゃん……」


カランコロン……


千歳「あっ、こんばんは~」

結衣「いらっしゃ…………って、ええええぇええぇえ!?///」びくっ

綾乃「い、池田さん!?///」

千歳「??」


結衣「あっ、あの……! 先日はどうもすみませんでした!! 京子がやったとはいえ、私の目が行き届いてなかったのが原因だなって、すごく反省してます……!」ぺこぺこ

綾乃「わ、私からも謝らせてもらえるかしら? 歳納京子はそんなに悪い人じゃないのよ……ただちょっと行き過ぎちゃうときもあるってだけで」

あかり「あ、あかりも謝ります~っ!」

ちなつ「ごめんなさ~い!」

千歳「ど、どうしたんみんな!? ウチなんかしたっけ……??」ぽかん

結衣「……へ?」


綾乃「いやあの、二日前に……私は直接見てないけど、歳納京子が迷惑かけちゃったでしょ? それで池田さんを怒らせちゃった件で……」

千歳「うぅ~ん、何かの間違いとちゃうかなぁ……ウチ二日前はここに来てへんよ?」

結衣「ええ!?」

あかり「どういうことなの……?」

結衣「いや、確かに私は見ましたよ! 話もしましたし……あっ、綾乃も見たよな!?」

綾乃「ええ、この店から出てきたところをすれ違ったわ!」

千歳「でもウチその日は本当に来てへんし~……」

ちなつ「……と、とりあえず座りません? みんなで落ち着いて話をすり合わせれば解決しますって」

結衣「そ、そっか。好きなお席へどうぞ! 今すぐ何か用意します」




千歳「ははぁ……もしかしたらそういうことかなぁ……?」

結衣「な、何かわかったんですか!?」


千歳「あんな、ウチ双子やねん」


綾乃「……え?」


千歳「まだ船見さんにも言うてなかったっけ……千鶴っていう双子の妹がおるんやけど、もしかしたら二日前にこの店に来たのは千鶴かもわからんわぁ」

結衣「ふ、双子……! 本当ですかそれ……」

あかり「それなら話はつながるかも……」


千歳「二日前、ウチはお仕事終わりに千歳とお店で待ち合わせる約束をしてたんよ。待ち合わせの場所は、最近見つけた良いお店ということで……このBAR Funamiをウチが指定させてもらってな」

結衣「そ、そうだったんですか!?」

千歳「でも待ち合わせの時間ギリギリになって、お店を変えてほしいって千鶴が言い出してなぁ……仕事の都合か何かかと思ってたんやけど、もしかしたら歳納さんとの件があって……」

綾乃「そ、そうよ! きっとそれに違いないわ!」


ちなつ「なるほど……つまり、単純な人違いだったというわけですか」

あかり「さすがの結衣ちゃんも双子じゃわからないかもねぇ……」

結衣「そういうことだったのか……あのときここに来たのは池田さんの妹さん……!」

千歳「確かに、最初バーの話をしたときは千鶴もずいぶん驚いてたし……あの子はウチ以上にこういう場所に不慣れなんだと思うわぁ」


結衣「っ……!」はっ

綾乃「ま、マスター?」


結衣「京子……京子に謝らないと……!」

千歳「そ、そうやで船見さん。早いとこ事情を説明してあげた方がええと思うわ」

綾乃「でもどうやって……私たち、歳納京子の電話番号も何も知らないわ」

ちなつ「来てくれるのを待つしか……」


結衣「ううん、待ってられないよ……! 私ちょっと行ってくる!」だっ

あかり「結衣ちゃん!?」

綾乃「マスター!?」


結衣「今日は臨時休業! もし京子が来たらそのときは教えてくれ!」カランコロン


ちなつ「い、行っちゃった……」

あかり「京子ちゃんがどこにいるかもわからないのに……大丈夫かなあ結衣ちゃん……」

綾乃「どうしましょう、私たちも手分けして歳納京子を探さない?」

千歳「ウチも手伝うわ! だいぶ責任もあることやし」





結衣(京子……どこにいるんだ……!)きょろきょろ


結衣(くそ、私は京子の電話番号も知らなければ、家の住所さえどのあたりかも知らないのか……つくづく自分が嫌になるよ……!)だんっ


「ふ、船見さ~ん!」たたたっ

結衣「あっ、池田さん! 綾乃!」


千歳「はぁ、はぁ、船見さん足早いわぁ……あの、さっきちょっと千鶴に電話して二日前のことを確認してみたんやけど……」

結衣「?」

綾乃「どうやら歳納京子は今、千鶴さんと一緒にいるみたいよ!」

結衣「えっ!」


千歳「ウチが場所を案内するわ、ついてきて!」

結衣「あ、ありがとう池田さん……!///」たっ




千鶴「そんな……困る」たじたじ

京子「お願いします……!」

千鶴「……」

京子「私の代わりに……あの店を……」

千鶴「それは、私には……」


「京子ー!!」

京子「!!」びくっ


結衣「京子……」

京子「ま、マスター……」

千鶴「姉さん……!」

千歳「千鶴……」


結衣「……なに、してたんだ。珍しく頭なんか下げて」

京子「……私はもう出禁だから、その代わり……池田さんにお店に通ってもらいたくてさ」

綾乃「!」


京子「事情は全部聞いたよ。どういうことなのかもわかった……でも私が、マスターの大切なお客さんを離しちゃったのは事実だもん。責任を取らなきゃ」

千歳「……歳納さん、ちゃんと会うのは初めましてやね。でも言わせてもらうわ……その責任の取り方はきっと間違うとるよ」

京子「え……」


綾乃「あなたが抜けた穴は……他の誰かが束になってかかっても埋められないほどに大きいわ。そんな傷を永遠に残すつもり?」

京子「綾乃……」

結衣「京子……出禁は取り消したい。私も頭に血が上ってたんだ……」

京子「!」


結衣「京子がいないなんて……そんなのありえないんだよ! やっぱりお前は特別なお客さんだ!」

京子「マスター……」


結衣「京子が来ないんだったら……私は、バーをたたんでもいいさ……!」

京子「えっ!!」

結衣「でも京子が来るなら!! 京子のためだけに店を開いたっていい……! それほどにお前は、あの店にとって……いや、私にとって大事なんだ!」

京子「っ……!///」


結衣「お願いだ、帰ってきてくれ……京子……!!」ぎゅっ

京子「ま……マスター……」うるっ


千歳「それと、千鶴もやで」

千鶴「えっ……!?」

千歳「千鶴はもともと、バーというところに偏見を持ってたはずや。だから様子見で私よりも先に店に行った……でもそこで見たものはお店のほんの一部でしかなかったと思うわ」


千歳「ここの人たちはな、たった一人のお客さんでも欠けてしまったら、店を臨時休業にして、居場所もわからずに飛び出してしまう……そんな温かい人たちばかりなんよ?」

千鶴「…………」

千歳「だからウチもここの良さを知ってほしくて、待ち合わせの場所に指定したんや。ウチが自信を持って推薦するこの店……決めるのは、もうちょっとよく見てくからにしてくれへん?」

千鶴「姉さん……」しゅん

千歳「……ふふっ」


千鶴「ごめんなさい、勝手な真似をして……私のせいで、皆さんにも迷惑をかけてしまった……」

結衣「迷惑だなんて思ってませんよ。でもそれでも責任を感じてしまうなら……」

綾乃「そんなものは、お酒に吹き飛ばしてもらえばいいわ」

千歳「そういうことらしいで♪」

千鶴「……はい」



京子「…………」


結衣「……京子」すっ

京子「マスター……」


結衣「帰ろう。一緒に」

京子「もう……怒ってない?」

結衣「ああ。怒ってなんかないさ」ぎゅっ

京子「っ……///」


綾乃「さあ、お店に戻りましょう。赤座さんたちが待ってるわ」

千歳「千鶴も一緒においでや。お店はウチらくらいの若い女の子しかおらへんし、それにお酒のほかにもいろいろあるんやで~」

千鶴「うん……そうしてみる」




ちなつ「おかえりなさい~~~!!」

あかり「結衣ちゃん、あかりたちでいろいろ用意進めといたよぉ♪」

櫻子「私たち今来たところですー! なんか始まるんすよね!?」

向日葵「今日は特別な催しがあるそうで。楽しみですわ」

奈々「私もちょうど仕事が一段落したところでな。今日は飲ませてもらうぞ?」

りせ「……」


綾乃「今日は池田さんたちの歓迎会と、歳納京子の帰還記念パーティーよ!」

結衣「はは、じゃあ腕によりをかけないとね」

千歳「千鶴も座り~。好きなもの頼んで良いで~」

綾乃「お代は全部歳納京子が持つわ」

京子「えーー!///」

ちなつ「それくらいいいですよね? みんなに心配かけたんだから♪」

櫻子「マスター私お寿司食べたいです!」

向日葵「あるわけないでしょうそんなの!」



千鶴(こういう雰囲気は……苦手なんだけど)


千鶴(でも……私もここに、いていいんだ……)


京子「あの……」

千鶴「?」


京子「ほんと、ごめんね。この前のこと……」

千鶴「ああ、いや……こちらこそ」

京子「今はちょっとあれだけど、もともとは静かな雰囲気のお店だから。だから……またいつか来てくれると、私も嬉しいなって」

千鶴「……はい」


京子「お酒もすごく美味しいんだよ。酒好きの私が保証する……ちょっとだけ飲んでみる?」

千鶴(……)


千鶴(ちょっとくらいなら……大丈夫かもしれない)こくっ

京子「どうかな? 私の最近のお気に入りのカクテルなんだけど」

千鶴「……」

京子「あれ?」

綾乃「あら歳納京子、どうしたの?」

京子「急にうつむいちゃって……おーい池田さん? なにか……」


ちゅっ


京子「んむっ!?///」どきっ

綾乃「えっ!?」

結衣「わっ!?」

千歳「あ……!///」


千鶴「ん~……♪」はむっ

京子「むーー! む~~~!!///」ぶんぶん

綾乃「きゃーーちょっと何二人とも!? きゃぁーーー!!」

結衣「何してんのそこ二人、おい!」

京子「ぷはっ! し、知らない私じゃないよ!? 池田さんが急に……!」


千鶴「ふふふ……///」ゆらっ

千歳「千鶴……あっ、もしかして誰か千鶴にお酒飲ませちゃったん!?」

京子「の、飲ませました……」

千歳「あああ~……あんな、ウチも千鶴もお酒にはすっごく弱くて……ちょっと飲んだだけでもこんなんなってまうんよ~」

綾乃「お酒のせいなの!?」

櫻子「ひゅーひゅー! おあつい二人~!」

奈々「うははは! そうだもっとやれやれ!」

向日葵「はやしたてるんじゃありません!」


千歳「あかん、こうなるともう抑えが効かんねん……ごめんな船見さん、ウチ今日は千鶴連れて帰るわ! また来るから~!」ぴゅーん

ちなつ「あの、主役が早くも帰っちゃったんですけど……」

あかり「はちゃめちゃだよぉ……」


京子「い、いや~でもキスしてもらえたって事は、ちゃんと仲直りできたってことだよね? よかった~……」

結衣「いいわけあるか! 店内でわいせつ行為は禁止だ!///」

綾乃「あなたまさか知っててやったんじゃないでしょうね!? 千鶴さんにキスしてもらいたくてやったんじゃないわよね!?」

京子「そんなわけないって~」にへへ

綾乃「顔が嬉しそうじゃないのよ!///」




<翌日>


結衣(はぁ……昨日はまた一段と騒がしかったな……)ふきふき


結衣(こんなに静かなこの店があれだけ騒がしくなるなんて……昔じゃ考えられなかったよ)


結衣(……でも私は変わらずに、いつもどおりのパフォーマンスをしなきゃな。お得意様を大事に……その人その人に合ったことをしてあげたい)


結衣「よし。今日も完璧」さっ


結衣(札を裏返して……営業開始だ)がちゃっ


カランコロン……


京子「あっ」

結衣「あっ」


京子「えへへ……やっと開いた♪」

結衣「開店待ちかよ、まったく……いつからそこにいたんだ?」

京子「ん、んーん? ちょうど今ついたところだけど」

結衣「嘘つけ。手つめたいぞ」ぎゅっ

京子「あっ……///」


結衣「ふふ……まずはとりあえず、温かいものでも作ろうか」

京子「……お願いするよ。入っていい?」

結衣「いいよ。いらっしゃい」


カランコロン……


~fin~

【BAR Funamiの非日常】

――――――
――――
――


あわただしい都会の町。

めまぐるしく動く社会。

そんな喧騒から逃げるように入った路地に、その店はあります。

BAR Funami……疲れたあなたに癒しを与える、小さいけど温かいバー。

今日はなんだか、いつもと違った……特別なことが起こりそうです。




【あかね編】


あかり「ちなつちゃん、なにか飲む?」

ちなつ「ん~とそうねぇ……じゃあカシオレ」

あかり「結衣ちゃん、ちなつちゃんにカシスオレンジお願いしまーす」

結衣「了解」


ちなつ「……それにしてもあかりちゃんって、本当に必要なんですかねぇ」はぁ

あかり「んん!? ちなつちゃん何て!?」

ちなつ「いや……だってこのお店そんなに大きいわけでもないし、マスターひとりでも充分切り盛りできそうなんだもん」

京子「うん。注文だってマスターが直接聴けばいいだけだもんね」

あかり「みんなひどいよぉ~!」ぷんぷん

結衣「あかりはこの店に……いや、私の仕事に必要不可欠なんだ。いつもすごく助かってるよ」

あかり「結衣ちゃん……えへへ」

ちなつ「不可欠とまで言うほどですかね……」

京子「マスターちゃんとお給料払ってあげてる?」

結衣「当たり前だろ!///」

カランコロン……


あかり「あっ、いらっしゃいませ!」


「……ふふ、こんばんは」


あかり「あっ……あぁーー!」

結衣「あなたは……!」

京子「えっなに誰!? 芸能人!?」がたっ

ちなつ「女優!? モデル!?」


あかり「おねえちゃん、いらっしゃい!」

あかね「あらあら。がんばってるわねあかり」

ちなつ「なんだ、お姉さんか……」


あかね「結衣ちゃんも、久しぶり」

結衣「ご無沙汰してます、オーナー……!」


京子「……オーナー?」

ちなつ「オーナーって、何か会社でもやってるんですか?」

あかり「このお店のオーナーだよ~」

結衣「うん。このお店で一番偉い人」

京子「へーなるほどね~……って、ええええぇえぇえ!?///」がたーん

あかり「ああっ、京子ちゃんがひっくりかえっちゃったよぉ」


ちなつ「ちょっ、マスターが経営者じゃなかったんですかこのお店!?」

結衣「私は……言うなれば雇われ店長みたいなものかな。あかねさんのお店を任されてる形なんだ」

あかね「ふぅ、今日は大きなお仕事も終わったし……久しぶりにいっぱい飲んじゃおうかしらね♪」

あかり「お疲れ様だよぉ~」

京子「あっ、あの! 色々と聴きたいことがありまくりなんですけどよろしいですか!?」

ちなつ「わっ、私も~!」




あかね「ええと……どこから話せばいいのかしら」

京子「もう最初っからお願いしますよ! このお店がどうやってできたとか!」

ちなつ「私たちこんなに通ってるのに、このお店のこと全然知らないんですから!」

あかね「そうね。せっかくだしお得意様にくらいは教えてあげても……いい? 結衣ちゃん」

結衣「恥ずかしいですけど……まぁ今日くらいは」


あかね「まずはちゃんと自己紹介をするわ。私は赤座あかね、あかりの姉よ。ちっちゃい会社を何個も経営してて……まあ普段は色々と忙しいのよねぇ」

京子「このお店も……そんな経営店のひとつなんですか?」

あかね「初めここに手をつけたのは私のお友達だったんだけど、その人がちょっと成り行かなくなっちゃってね。ここを買ってくれないか? って相談されたの」


あかね「私はそのお話だけとりあえず聴いて、どうしようかなあって思って……その当時あかりは学生でね。『オシャレなカフェでバイトとかしてみたいなぁ』って言ってたから、私がそのカフェを作ってあげちゃうのもいいわねって思って」

あかり「だからこのお店、最初はカフェになる予定だったんだよぉ~」

京子「ええぇーーー!!///」がたーん

ちなつ「うるさいですよ! いちいち倒れないでください!」


あかね「本格的にカフェ事業に乗り出してみようかと思って、いろんな人に連日相談に乗ってもらってたの」


あかね「……そう、その日も確かそうやって……知り合いと待ち合わせをするため、都会のとあるバーに入った」


あかね「予定より早く私がそこについちゃって、とりあえず先に始めさせてもらおうと思って注文した。私のお酒を作ってくれたのは……女性の方だったわ」

京子「もしかして、その人が今のマ……」


あかね「その人は、いじめを受けていた」


ちなつ「っ!?」

結衣「…………」

あかね「その雰囲気はすぐに感じ取れたわ。見ているとどうもそのお店は、固定客へのサービスにばかり執着していて……バーテンがお客よりも大きな声をあげておしゃべりなんかしちゃって、新規のお客に疎外感を感じさせるタイプのお店だったの」


あかね「その女性バーテンダーは、どうやら同僚たちから厄介者扱いされていてね。目に見えてひどいことをされていたわけではなかったけど、無視だとか……陰湿ないじめを受けていた。私にはそれがわかったわ」


あかね「新規客の相手を押しつけられる様にあてがわれてて、びっくりするほど色の無い顔をしていたのをよく覚えてる」


あかね「でももっとびっくりしたのは……その人が、私のよく知る女の子だったこと。あの時は結衣ちゃんもびっくりしてたわね」

結衣「……そうですね……///」

京子「マスター……」


あかね「結衣ちゃんはあかりの昔からの幼馴染なの。子供の頃は私もよく一緒に遊んだわ……大人になって、昔からの憧れであるバーテンダーになれたってのは聞いてたけど、まさかそのお店で再開するなんて思ってなかった」


あかね「でも、もっと動揺していたのは結衣ちゃんのほう。夢を叶えてその職業についたのに、まさか現場ではひどい扱いを受けているなんて……そしてそれを私に見られてしまったことに、慌てるどころか絶望すらしていた」


あかね「いたたまれないとは思いながらも注文したわ。結衣ちゃんはその当時からすごくいい手さばきでね、思わず見入っちゃった。お酒の味だって一流だったのよ」


あかね「でもやっぱり……私はあかりと遊んでいる頃の元気な結衣ちゃんを知っているもの。私の家に遊びに来て、楽しそうにミックスジュース作って、あかりに振舞ってるその顔をよく覚えてる……だから、悲しげな顔で作られたカクテルを心からおいしいとは思えなかった」


あかね「そう言ってあげたら、結衣ちゃんはとうとう泣き出しちゃったわ。溜め込んできたものにヒビが入って決壊するようにね……私は自分の待ち合わせの用事も忘れて、結衣ちゃんの手を引いてそのままホテルまで連れ帰った。そこで詳しい事情を聞いたの」


あかね「結衣ちゃんはね、そのときからすでに新人バーテンダーのグランプリで優勝するほどの腕前だったんですって」

京子「えっ!」

ちなつ「そんなにすごいのに……なんでお店では……」

あかね「嫉妬の対象だったのよ。そして紅一点のバーテンダーということもひとつの理由……私はなんとか結衣ちゃんの力になってあげたかった。だって結衣ちゃんは何も悪くないんだもの!」


あかね「これだけの腕があるんだから、他の所でもやっていけるのにと思ったわ。でもあのお店は結衣ちゃんの修行先として、結衣ちゃんの恩師に紹介を受けて入ったところだから、情けない形で店を出て行くわけにはいかないんだと言われてね……」


あかね「そんなとき、私の視界にカフェの件の書類が入ったの。『これよ!』って思ったわ!」

京子「ま、まさか……」


あかね「『私が結衣ちゃんのためにバーを作ってあげる!』……って言ったときの、結衣ちゃんのぽかんとした顔は今でも忘れられないわ」くすっ

結衣「……///」


あかね「そこまではカフェをイメージしたお店作りだったんだけど、バーとしてイメージチェンジしても何の問題もなかった。私が結衣ちゃんをマスターとして引き抜いてあげる! ってすぐに約束しちゃった。あの時は私も勢いに乗ってたわね~」

ちなつ「そんな急なひらめきだったんですか……」

あかね「あら、でもやるからには本気よ。そこからは私も今まで以上にお店作りに気合を入れたわ。結衣ちゃんが寂しくないように、毎日バーにも顔を出したりしてね」

あかり「おねえちゃんたちに、そんなことが……」

あかね「色々と目度がついた頃……私は結衣ちゃんに最後のメッセージを伝えにいった。『こっちは私がなんとかしておくわ』って」

京子「よかったね~マスター、あかりのお姉さんに拾ってもらえて」

あかね「あら、でも私はそんなに甘くないのよ。結衣ちゃんを私のお店に据える条件を、そこで提示させてもらったの」

ちなつ「条件?」


あかね「ひとつは、あかりをバーの店員として使ってあげること……まあこっちは重要じゃないけど、問題はふたつめの方」


結衣「『お店ができるまでの間……今までと同じそのお店で、誰にも負けず屈せずに修行を続けてみなさい』って」

京子「!」


あかね「逃げるように職場をやめてきたバーテンダーなんかに、大切なお店は任せられないもの。それがクリアできなかったら、マスターには他の人を採用しちゃうとまで言ったわ」

京子「い、意外と厳しいですね……」

あかね「でも……結衣ちゃんはもうそのときには、笑顔を取り戻して強い子になっていた。私が知っている元気な結衣ちゃんの目をしていたわ」


あかね「『必ず成し遂げます』……そう言ってくれたっけ」

ちなつ「ま、マスター……///」


あかね「そこからの結衣ちゃんは本当に頑張ったんですって。知り会いに聞いたけど、お店での元気の無かった顔つきも嘘のように変わって、腕前も格段と上達させて……次第にお店には、『結衣ちゃんにお酒を作ってもらいたい』というお客さんが増えたそうよ」


あかね「大会でもさらに優勝実績を積んで、あっという間にお店の看板になったの。お店のナンバーワンとも言える存在にのし上がったんですって」

京子「へー!」

あかね「結衣ちゃんに嫉妬していた同僚も、お客さんをどんどん結衣ちゃんにとられちゃってね。そのときには私のお店に引き抜かれることがほとんど決まってたから、結衣ちゃんがいなくなったらお店が危ないということで、しまいにはみんなも結衣ちゃんに教えを請うようになったのよね♪」

結衣「まぁ……はい」

あかね「そうして一人前になった結衣ちゃんに、私は自信を持ってこのお店をお任せしたの。お店の名前も結衣ちゃんのものにして、このバーをよろしく頼むわねって」

京子「なーるほどー、そんな過去があったとは……」

ちなつ「すごいじゃないですかマスタ~! 私感激しました!」

結衣「こういうわけだから、あかねさんには頭が上がらないんだ……本当にありがとうございます」

あかね「こちらこそありがとうと言いたいわ。このお店をこんなに素晴らしいものにしてくれて……あかりもいつも楽しそうにお仕事に出かけて行くし、結衣ちゃんにお願いできてよかったって心から思ってる」

結衣「あかねさん……///」


京子「うぉーし、いい話聞いたらなんかテンションあがってきた! 今日は私いっぱい飲むぞー!!」

ちなつ「私も飲みます~! お酒を通じてマスターの歴史を身体に沁み渡らせたいです!」

結衣「あはは……じゃあ作るね」

あかね「あかりもたまにはどう? おねえちゃんがおごるから」

あかり「ええっ、いいの?」

結衣「飲みなよあかり。あかりは私の……私がこうしてバーテンダーを目指すことになったきっかけなんだ。感謝の意もこめて、今日はごちそうしたい」

あかり「えへへへ……そう言われると恥ずかしいよぉ~///」


あかね「さあみんなでいただきましょう。これからもこのお店をよろしくね?」


「「かんぱーい!!」」

――――――
――――
――

【まり編】


京子「~♪」とことこ


京子(今日は何頼もうかな~……)


京子「……ん?」


「…………」


京子(なんだ……バーの前に誰かいる……女の子?)


「……よし」ぺたぺた

京子「あのー」

「っ!」ぴくっ


京子「えっとー、誰かな? 何貼ってるの?」

「あ……お客さんですか?」

京子「えーとなになに? 『臨時休業のお知らせ……マスター体調不良のため、まことに勝手ながらしばらくの間臨時休業とさせていただきます』」

「あの、そうなんです」

京子「ふんふん……ええええぇぇえええぇえええっ!?!?///」がーん

「ど、どうしました!?」

京子「いやこれ何! 臨時休業……体調不良って本当なの!?」

「はい……」

京子「あれ、ってか君は誰!? なんでこの紙を……?」

「まりは……じゃないや、私はここのマスターのいとこです。今日はおねえちゃんにこのお知らせを貼ってきてって頼まれて、それで……」

京子「ちょっと待って聴きたいことがありすぎるんだけど……とりあえず何か飲みながら詳しく聞かせてくれない!?」がちゃっ

「ちょっ、勝手に入っちゃだめです!」




結衣「……ぅ……うん……?」ぱちっ


結衣(うぅ……つらいなぁ……)はぁ


結衣(まりちゃんはまだ帰ってないか……まあお知らせ貼って薬買ってくるだけだし、大丈夫だと思うけど……)


がちゃっ


結衣(あ、帰ってきたかな)


まり「ただいま、お姉ちゃん」

結衣「おかえりまりちゃん、ありが……」

京子「おいーっす♪」いぇーい

結衣「…………」


まり「あ、あのね、お店の前にいたらこの人が話しかけてきて……」

京子「ちょっとマスターびっくりしたよ~、風邪引いちゃったんだって? まったくもういい大人なんだから気を付けないとさ~」

結衣「……嘘だろ……」ばたっ

まり「あああっ、おねえちゃん!?」

京子「マスターしっかりしてよ! 今ウイスキーのポカリ割り作ってあげるから!」

結衣「普通にポカリ寄越せ! ……ってこれアクエリアスじゃねえか!」ばっ

京子「なんだ元気じゃん」

結衣「元気じゃないよ……まったくなんでこんなことに……」はぁぁ

京子「まあまあそう言わないでさ」




京子「まりちゃんはマスターのいとこで、マスターが一人で風邪引いちゃってどうしようもないからってことで来てくれたんだね」

まり「うん」

京子「偉いなーまりちゃんは。制服見る限り高校生だよね」

結衣「あの……世間話なら違う部屋でやってくれないか……? ってか帰ってくれないか?」ごほごほ

京子「そんな冷たいこと言わないでよ~。私まりちゃんと相談してここに来てるんだから」

結衣「相談……?」


京子「まりちゃんは学生でしょ。明日は月曜日だし、聞いたら明日も普通に学校あるっていうじゃん」

結衣「あぁ……」

京子「それにマスターは病人なわけだし、一応人とあんまり関わっちゃだめじゃん? まりちゃんにうつっちゃうのはマスターだって避けたいでしょ?」

結衣「……た、確かに」

京子「だから京子ちゃんにお任せってわけよ。私しばらく仕事ないし、つきっきりで看病してあげるから」


まり「あのね、今日来てみたらお姉ちゃんの様態が思ったよりよくなかったから、まりももっと一緒にいてあげたいんだけど……明日も学校だしお泊りはできなくて。それならこの人にお任せした方がいいのかなって……」

結衣「まりちゃん……」

まり「色々お話聞いたけど、この人はお姉ちゃんのことよく知ってるみたいだし……看病も自信あるんだって。お薬選ぶのとかもすっかり手伝ってもらっちゃった」

結衣「…………」


まり「まり、明日も学校終わったらこっちにくるから。だからそれまでこのお客さんにお姉ちゃんをお任せする……いい?」

結衣「……そっか、そうだよね。わかった……ありがとうまりちゃん。遅くならないうちに帰りな? おばさんによろしくね」

まり「うん!」

結衣「京子、まりちゃんを駅まで送ってほしいんだけど……頼めるか?」

京子「あいよっ」




京子「ただいま~、行ってきたよ」

結衣「ありがとう……まりちゃん何か言ってたか?」

京子「『おねえちゃんをお願いします』ってさ。さすがマスターのいとこだ、良い子だね」

結衣「はは……まあ、な」


京子「さーて……そんじゃいっちょ作りますか!」

結衣「……? 何を?」

京子「やっぱ風邪のときはおかゆでしょ。マスター昨日から何も食べてないって聞いたしさ」

結衣「あー……悪いんだけど、私今はちょっと何も食べれそうにないんだ……」

京子「だーめ、一口でもいいから何か食べること。おいしいの作ってあげるから」きゅっ

結衣「……ふふっ」

京子「ん……なに?」

結衣「京子のエプロン姿……初めて見た」

京子「えへへっ、似合うでしょ?」

結衣「いやいや……私にとっちゃ不自然だよ」

京子「ゆっくり休んでていいよ。私風邪の看病には自信あるから!」

結衣「……あっそう。じゃあ色々任せるよ」

京子「おっけーい♪」


結衣(……はぁ……こんなことになるなんて)


結衣(でも……誰かがいてくれるってのは、やっぱり嬉しいな……)


結衣(なんでだろう……京子がこの家に来るのは初めてなのに、安心感がある……)


結衣(京子と二人きり……だからかな……)すぅ




結衣「……おいしい……///」

京子「おおっ、食べてくれてる!」

結衣「すごいな、京子……料理うまいんだ。こんなおいしいおかゆ食べたの初めてだよ」

京子「えへへ……どう? 食欲戻ってきた?」

結衣「あぁ。これなら食べられそうだよ」

京子「よかったよかった。いやーそれにしてもマスターが弱ってる所を見るのは初めてだよ」

結衣「私だって風邪くらい引くさ……たまにだけどな」

京子「いつも頑張りすぎなんだって。もっと自分の身体も大事にして?」

結衣「っ……///」ぷっ

京子「……え、なに?」

結衣「なんだよそれ……京子がそんなこと言うと不自然……」くくく

京子「こらー! 笑うな!///」

結衣「ふふ……悪い悪い。ありがとな」

京子「私だってこういうことくらいできるんだからね……ったく」ちゃぽん


結衣「……ところでそれ、何してるんだ? 洗面器とタオル……」

京子「なにって? マスターの身体拭こうと思ってさ」

結衣「いやいいよそんなことまで……!」

京子「だってマスターお風呂入れるほど元気あるわけじゃないでしょ? 汗もたくさんかいてるだろうし」

結衣「大丈夫だってば……」

京子「病人は遠慮しちゃダメ! 今日は私の言うこと聴きなさい!」

結衣(遠慮とかじゃなくてさ……///)


京子「……マスターに、いろいろしてあげたいんだよ。私だって」

結衣「えっ……?」

京子「いっつも私を受け入れてくれて……居場所をくれて、お酒もくれて。私はマスターに色んなことを毎日してもらってるじゃん」

結衣「それは……お客さんだから……」

京子「お客さんでもなんでも。……私はマスターに恩返しがしたいって常々思ってたんだ」

結衣「京子……」


京子「……脱がせるよ?」すっ

結衣「……うん」


結衣(京子がそんなこと思ってくれてたなんて……考えたことなかったな)


結衣(いっつもただ飲んで喋ってふざけてるだけのやつだと思ってたけど……)


結衣(こんなに温かいことができるんだ……)


京子「温度はどう? 熱くない?」

結衣「……大丈夫」

京子「マスター……やっぱり、身体綺麗だね」

結衣「やっぱりってなんだよ」

京子「んーん。いつも見てて思ってたから」

結衣(…………)


結衣(いつも……か……)



<深夜>


京子「…………」うとうと


「ぅ……うぅ……」


京子(ん……?)はっ


結衣「……っはぁ、はぁ……」ぐったり

京子「マスター……大丈夫!?」

結衣「うぅぅ……暑い……苦しい……」

京子「うわ、氷枕がもうこんなにぬるくなって……! 待ってて、すぐ変えて来るから!」ばっ


京子(くそっ……マスターの風邪がこんなに重かったなんて……)


京子(うっかり寝てる場合じゃないよ、ちゃんと見ててあげなきゃ……!)


京子「大丈夫マスター? 冷たいもの飲む?」

結衣「うっ……ん……」

京子「すごい熱だ……本当にただの風邪なのかな……」

結衣「いつも……こうなんだ。たまにしか風邪引かないけど、引くときは一気に具合悪くなっちゃって……」

京子「無理してしゃべらないでいいよ……」さすさす

結衣「苦しい……うぅぅ……」はぁはぁ

京子(マスター……)ぎゅっ


結衣「京子……きょうこぉ……!」

京子「マスター……大丈夫。私はここにいるよ……」


結衣「う……ん……」

京子(ずっと……ここにいるよ……)ぎゅう


――――――
――――
――

<翌朝>


結衣「………う…」


結衣(朝だ……熱も引いてる……)


結衣(どうやら峠は越えられたみたい……よかった……)


結衣「……ん」ぴくっ


京子「…………」すぅすぅ

結衣(京子……)


結衣(そうだ、昨日一回苦しくて起きたとき……ずっと看病してくれてた……)


結衣(私はそのあと眠っちゃったけど……きっと京子は寝ずにいてくれたんだ……)


結衣(京子がいなかったら私……どうなってたかな……)


京子「…………」

結衣(ありがとう……京子……)なでなで


結衣(なんでこいつ……こんなに私にしてくれるんだ……?)


結衣(恩返しとか言ってたけど……私は京子への恩の方が大きい気がするよ……)


結衣(京子がいなかったら私の店はうまくいかなかった……京子がいなかったら私は……夢を諦めざるを得なくなってたかもしれないんだ)


結衣(京子……お前は……私の命の恩人かもな)

京子「ん……ましゅたー……?」むにゃ

結衣「!」

京子「ん……うぁ、朝か……」んーっ

結衣「おはよう、京子」


京子「はー……どうよマスター、体調よくなった?」

結衣「ああ。昨日よりだいぶ楽になったよ」

京子「よかったよかった……一時はどうなることかと思ったよ。昨日の夜なんか汗もすごくてさー」

結衣「ごめんな、心配かけて……」

京子「脱水症状にならないように……その、いっぱい頑張っちゃったりしてさ。えへへ」

結衣「頑張るって?」

京子「だから……いわゆる、経口保水的な?」

結衣「えっ」

京子「だってマスター起きれないほど辛そうだったし、ストローもだめっぽかったし……だからマイマウスを使わせてもらいました」ちゅっ

結衣「は、はぁ!?」

京子「まあまあそれが功を奏したってことだよね。よかったー」

結衣「ちょおま、そんなことしてたのか!? それってお前、き、キ……///」

京子「仕方ないでしょー。人工呼吸みたいなもんよ」

結衣「だからって……!」

京子「そんなに気にすることかな? もしかして……初めてだったとか?」

結衣「っ!」ぽっ

京子「え、マジ?」

結衣「う、うるさいな……悪いかよ……///」

京子「悪かないけど……ま、まあ人工呼吸はノーカンってよく言うじゃん! だから気にしないで♪」

結衣「うぅぅ~……」


京子「……マスターの唇……すごく熱くて、柔らかかったよ?」

結衣「変なこと言うな!! ……っ、ごほっ……けほっ!」

京子「あーあー無理しちゃだめだって」

結衣「むっ……無理させてんのは、誰だよ……」はぁはぁ


京子「さて……じゃあ私色々片付けたら、仕事いくから」

結衣「えっ? 京子……昨日仕事無いって言ってなかったか?」

京子「急に入っちゃってさ。どうしても外せないんだ……ごめんね」

結衣「いや……まあいいけど」

京子「寂しい? なるべく早く帰ってくるから」なでなで

結衣「さ、寂しくなんかないさ」

京子「ほんとかなぁ……昨日マスター、私の手握って離さなかったよ」

結衣「…………」

京子「……ふふ。夕方にはまりちゃんも来るだろうし、早くよくなってね」たっ

結衣(な、なんだよ……京子……)


結衣(そんなこと言われたら……意識しちゃうだろ……///)




まり「お姉ちゃん、来たよ」がちゃっ

結衣「まりちゃん……ありがとう」

まり「具合は大丈夫? あれ……京子さんは?」

結衣「昨日よりもだいぶ楽になったよ。京子は急な仕事が入って、そっちに行っちゃった」

まり「え……仕事無いって言ったからお任せしたのに……」

結衣「まあ仕方ないよ。それに京子のおかげでここまでよくなれたんだ……だからいいんだ」

まり「そう……?」

結衣「うん……あいつがいてくれて、よかった」

まり「……なんかお姉ちゃん、京子さんへの態度が昨日と違う気がする」

結衣「うぇえっ!? そ、そんなことないよ……?///」

まり「ふーん……」じとー


ぴんぽーん


まり「あっ、誰か来た」

結衣「京子かも。仕事終わって戻ってきてくれたのかな」

まり「まりが出て来るね」たっ

結衣(意外と早かったな……ってか今更だけど、京子って何の仕事……)


「おじゃましますぅ~~♪」

結衣「!?」びくっ


ちなつ「わぁここがマスターのおうちですか!? 綺麗に整ってる~」がちゃ

あかり「まりちゃん久しぶり~。大きくなったねぇ」

まり「おねーちゃん、あかりお姉ちゃんたち来たよ」

結衣「あかり……! それにちなつちゃんまで……!」

あかり「お見舞いに行くんだけどちなつちゃんも来る? って聞いたら慌てて駆けつけてくれたんだよぉ♪」

ちなつ「も~心配しましたよ! バーに行ったらお休みの紙が貼ってあるんですもん! 具合はどうですか?」

結衣「ああ、だいぶよくなってきたんだ。近いうちに復帰できそうだよ」

あかり「よかったぁ。お見舞いの品いっぱい持ってきたから冷蔵庫にいれとくねぇ」

ちなつ「なにか欲しいものとかされたいこととかありませんか? 私なんでもしますよ……?」

結衣「ありがとう。でも大丈夫だよ」


ちなつ「あれ……枕元にあるこれはなんですか?」ぱさっ

結衣「あ……京子のリボンだ。忘れてったのかな」

ちなつ「え!? あの人ここに来たんですか!?」

まり「来たっていうか……昨晩はずっとおねえちゃんの看病してくれてたの」

あかり「ええっ、京子ちゃんが?」

ちなつ「あんのアマぁぁーー!! こともあろうに弱ってるマスターに夜這いをかけるとはぁぁーーー!!」むきーっ

結衣「ち、ちなつちゃん落ち着いて……普通に看病してくれてただけだよ」

ちなつ「本当ですか!? 変なこととかされてませんか大丈夫ですか!?」

結衣(き……キスはされちゃったけど……///)


あかり「京子ちゃんさすがだねぇ。真っ先にかけつけてくれたんだ」

結衣「お店に行ったとき偶然まりちゃんに会っただけっぽいけど……まあ、京子がいてくれて助かったよ」

ちなつ「マスター、今度からはまず真っ先に私を呼んでください!? 出張ナースチーナはたとえお仕事中でもマスター最優先で駆けつけますから!」

結衣「はは……ありがとう、今度から覚えとくね」





あかり「それじゃ結衣ちゃん、またねぇ」

ちなつ「どうかお大事に~!」

結衣「ありがとう二人とも。早く治すからね」


ぱたん

結衣「はぁ……そういえば、私があのバーを始めてからこうして風邪引くのは初めてだ……お客さんがお見舞いに来てくれるなんて、ありがたいな」

まり「お姉ちゃんのお店、人気なんだね」

結衣「そんなことないよ。決まったお客さんはよく来てくれるけど……ぼちぼちって感じ」

まり「でも京子さんは、おねえちゃんのお店は世界一だって言ってたよ」

結衣「え……京子が?」

まり「うん。一日でもお店が閉まってるのが嫌だから、早く治って欲しいって」

結衣「そんなことを……///」

まり「あれ……おねえちゃん顔赤いよ。熱上がってきちゃった?」

結衣「えええ!? そ、そんなことないよ」

まり「そう?」

結衣(うぅぅ、京子のこと考えると……なんか変な気持ちになる……)


ぴんぽーん


結衣「あれ? また誰か来た……ちなつちゃんたちが忘れ物でもしちゃったのかな」

まり「見て来るね」たたっ


櫻子「こんにちは~~! マスター元気ですかー?」がちゃっ

結衣「あっ……ええ? 大室さん……?」

向日葵「具合はどうですか? マスター」

まり「おねえちゃん、またお客さん来たよ」


結衣「大室さんたちまで……わざわざありがとう」

櫻子「いえいえ! 日頃の感謝も込めてっすよ~♪」

結衣「それにしてもよくここがわかったね……それに風邪引いちゃったことも」

向日葵「全部歳納さんが教えてくれましたわ。是非お見舞いに行ってあげてほしいと」

結衣「え、あいつそんなことを……」

櫻子「マスターは寂しがりだから遊んであげてね! って言ってました」

結衣「そんなことないよ……ったく」

ぴんぽーん


櫻子「あれ? 誰か来た」

結衣「えぇ、また……?」

まり「まり見てくるね」すたすた


奈々「ようマスター、元気かー?」

りせ「…………」

結衣「りせちゃん、先生……!」

櫻子「先生たちもお見舞いですか?」

奈々「歳納に是非にと言われてな。仕事の合間に寄ってみたんだ」

結衣「わざわざあありがとうございます……にしてもあいつ、どれだけ声かけてんだ……///」はぁ

りせ「…………」

奈々「歳納さんに言われなくても来ました、だそうだぞ」

結衣「えっ?」

向日葵「マスターにはいつもお世話になってますもの。これくらいするのは当然ですわ」

櫻子「そうですよ! 私も日頃の感謝をこめてリンゴ持ってきましたから。リンゴは医者知らず!」がさごそ

向日葵「医者いらず、ですわ」

結衣「はは……風邪自体は一山越えたみたいなんだ。じきに治るよ」

奈々「まだいい年だからって無理はするなよな? ネギに首巻いとけ」

向日葵「首にネギ、ですわ!」

結衣「ははは……」





櫻子「じゃーねーマスター、またバーで会いましょう!」

向日葵「失礼いたします」

奈々「じゃあなー」

りせ「…………」ふりふり


ぱたん


まり「……いっぱいお客さん来るね」

結衣「うん……ありがたいのはありがたいけど……はは、こんなの初めてだなぁ」

まり「おねえちゃん大丈夫? 疲れちゃわない?」

結衣「大丈夫だよ。お客さんの相手は慣れてるから」

まり「でも……」

結衣「うん……じゃあ少し寝ようかな。もう一休みすればかなり楽に慣れるとおも」


ぴんぽーん


結衣「…………」

まり「……み、見てくる」


千歳「あっ船見さんどうも~。風邪引いちゃったんやって~?」

千鶴「……どうも」

結衣「池田さん……わざわざ来てくれたんだね」

千歳「ええよ~改まらなくて。もう他の皆さんもいらっしゃったんやって?」

千鶴「仕事で遅れて……すみません」

結衣「いやいや、来てくれるだけでもありがたいよ」

千歳「風邪のことなら任せてや~。いろいろ持ってきたから……」


まり(おねえちゃん……本当に、色んな人に囲まれてる)


まり(バーテンダーになりたいって言ってた時は……もっと必死で、自分の身を削って腕を磨いて……家族にも心配されてたっけ)


まり(お酒はまだしも人付き合いが苦手で……って言ってた時期もあったけど、それはきっと思い過ごしだと思う。だってこんなにたくさんお客さんが来てくれるんだもん)


まり(お姉ちゃん……よかったね)くすっ



<夜>


「……れでね……」

「……おねえちゃんが……」


結衣「ん……」

まり「あっ、おねえちゃん起きた」

結衣「あぁ……もう夜か」


「あら、おはようマスター」

結衣「あ……綾乃っ! 来てたの……!?」

綾乃「ちょっと前からお邪魔させてもらってたわ。ごめんなさいね、お仕事が遅くまであって……」

結衣「いやいや……何にもお構いできないでごめん」

綾乃「もう、お見舞いなんだからそんなの気にしないで。具合の方はどう?」

結衣「うん……今はもうかなり楽になってる。明後日くらいにはちゃんと仕事に戻れるかも」

綾乃「無理しないでね。やっぱりマスターいつも思ってたけど頑張りすぎよ……」

結衣「そんな、綾乃の方が大変じゃないか。仕事もあるのに頻繁にうちに来てくれて」

綾乃「もう何言ってるの。マスターにとってバーはお仕事の場かもしれないけど、私にとってのバーは一番安らげるリラックスの場所なのよ? あそこに行くのが一番の癒しなの♪」

結衣「……はは、そっか……///」


結衣「あ……っていうか、まりちゃん大丈夫? もう電車の時間が……」

まり「うん。それじゃあそろそろ帰ろうかな……お姉ちゃんはもう平気?」

結衣「おかげでかなりよくなったよ。あとは自分一人でもなんとかできるから」

まり「そっか。よかった……」

綾乃「駅まで送るの? 私が担当しましょうか」

結衣「いや、私も行くよ。せっかくだし」よいしょ

まり「だ、大丈夫? 無理はしないで……」

結衣「もう平気だよ。むしろずっと布団の中にいたから、今は少し涼しい所に行きたいくらいさ」

綾乃「じゃあちゃんと着込んでから行きましょうか」




結衣「ありがとねまりちゃん。すっかり助かっちゃったよ」

まり「ううん、これくらいは……いいお友達もたくさんできたから」

綾乃「マスターの人望がよくわかったって、さっきお話してたの」

結衣「はは、なんだか恥ずかしいな……まりちゃんもたまにはお店に遊びに来てよ。お酒飲めなくても楽しめるから」

まり「うんっ、そうする」

綾乃「まりちゃんは本当にいい子ね。マスターも学生時代はこんな感じだったのかしら?」

結衣「いやいや、まりちゃんの方が絶対いい子だよ」

まり「もう……///」


綾乃「あらら、電車が行っちゃうわ。急いで急いで」

まり「じゃあねおねえちゃん。ちゃんと風邪が治ったらまた電話してね」

結衣「うん。それじゃ」



綾乃「大丈夫マスター、寒くない?」

結衣「ん……大丈夫だよ。でもなんか……ずっと身体が暖かいんだ」

綾乃「あらあら、熱上がってきちゃった?」

結衣「そうじゃないと思う。なんだろう……みんなのこと考えると胸が温かくて、ふわふわした気分になって……嬉しいんだ。寒さなんて気にならないくらい」

綾乃「ふふ……だから私たちは、マスターが好きなのよ」ぎゅっ

結衣「わっ……綾乃……?///」


綾乃「ねえマスター、家に帰る前にちょっと寄りたいところがあるんだけどいいかしら」

結衣「どこ? コンビニ?」

綾乃「んーん。でもマスターびっくりしちゃうかしらね……」

結衣「?」




結衣「っ……!」びくっ

綾乃「うふふ……見えてきちゃったわね」


結衣「うそ……バーに明かりがついてる……!!」

綾乃「驚いた? まったく……マスターにまで秘密にすることはないのにねぇ」


がちゃっ

カランコロン……


京子「おーういらっしゃー……うわぇえええええええ!!///」びくっ

結衣「きょ、京子……っ!!」

あかり「いらっしゃいませ~!」

ちなつ「きゃー! 本物のマスター来ちゃった~♪」

櫻子「でも今日はお客さんでしょー?」

向日葵「さあさあ、お好きなお席へ」


結衣「ちょ、ちょっとなにこれ……どういうこと!? なんで……」

綾乃「マスターが風邪引いちゃったからってことで、臨時マスターが現れたらしいのよ。ねえ歳納京子?」

京子「ごめんマスター、制服借りてるよ! 私が着ると胸のとこスカスカで悲しいよ!」えーん

結衣「何やってんだよ……勝手に人の店を……」はぁ


あかり「結衣ちゃん、京子ちゃんすごいんだよ! 今日はもう何組も新規のお客さんが来たんだよぉ!」

結衣「ええ!?」

ちなつ「お酒作りもうまいんですよこれが……絶対バーテンの経験ありますよね?」

京子「ノンノン。私はマスターの真似してるだけ」ちっちっ

櫻子「でもマスターといい勝負ですよ! トーク力はこっちに分があるかも!?」

京子「あははは! さくっちゃんうまいね~♪」

結衣「あ、まさか……お前今朝の『急に入った仕事』ってこれか……!」

京子「あったりー♪」

綾乃「私にお店を乗っ取られたくなかったら早く風邪治せ、ですって。まったくいつもやることがハチャメチャよねぇ……」

あかり「えへへ、ほんとは京子ちゃん、マスターの代わりにお店を守りたかったんだよねぇ」

京子「あ、あかり!///」

結衣「えっ……」


ちなつ「一日でも営業してないのが嫌なんだそうですよ」

櫻子「マスターへの日頃の恩返しですよね?」

向日葵「皆さんも、歳納さんになら任せられると」

あかり「京子ちゃんはもうこのお店の一部だよぉ~♪」


結衣(…………)


京子「マスター……ごめんね? でも……私の気持ちは、こうでもしなきゃ伝わなんないよ!」

結衣「京子……」

京子「どれだけ長い月日をかけても返せないくらい、私はマスターに感謝してる……マスターのために何かしてあげたいって、いつも思ってたんだ」

結衣「……そっか」

京子「風邪はもう大丈夫? 何か温かいものでも作ろうか?」

結衣「…………」


結衣「……じゃあマスター、とっておきの一杯を頼むよ。病み上がりでも大丈夫そうなやつがいいな……あとお代はそっち持ちで」くすっ

京子「わっ……わかった任せて! 最高の一杯を作るから!///」

綾乃「ふふっ。私もいいかしら? 京子マスター」

あかり「京子マスター、注文入ったよぉ~!」

ちなつ「たまにはこんな日もいいですね」

櫻子「マスターお寿司まだー?」

京子「へいお寿司お待ち!」どんっ

向日葵「本当に作ってたんですの!?」

櫻子「わーすごーい♪」

結衣「すごいな京子マスターは。この店の勝手がもうそんなにわかってるのか」

京子「あったり前じゃん! 毎日見てたもんね!」

――――――
――――
――



綾乃「じゃあね京子マスター。ちゃんとマスターをおうちまで送ってあげてね」

京子「大丈夫。任せて」

結衣「ありがとう綾乃、今日はいろいろと」

綾乃「ふふ、早くよくなってね。京子マスターのお酒もよかったけど、マスターのお酒が恋しいわ」

結衣「はは、わかった」



京子「大丈夫? マスター」

結衣「ん……ちょっとフラフラする」よた

京子「やっぱりお酒なんか飲ませない方がよかったかな……ごめんね」

結衣「いいんだ。かなり楽になってたし……それに、どうしても京子のお酒を飲みたかった」

京子「……そっか」

結衣「うん……」


結衣「なあ、京子……」

京子「?」

結衣「……私……嬉しいよ」

京子「えっ……?」


結衣「今日のマスターは京子だったけど……今日という日は今までで一番、この店をやっててよかったと……心からそう思えてるんだ」

京子「マスター……」


結衣「寒い……」ぶるっ

京子「大丈夫?」

結衣「京子……」ぎゅっ

京子「!」


結衣「……早く帰ろう?」

京子「う……うん……///」



<結衣の家>


結衣「はぁ……やっと帰ってきた。もうこんな時間か」ぽすん

京子「まだ本調子じゃないんだから、ちゃんと休んでね」

結衣「うん……なあ京子、明日はどうするんだ?」

京子「あ……一応明日も、京子マスターとして出勤しようかなって……だめ?」

結衣「ふふ……いいよ。私も調子よかったらまた遊びに行く」

京子「やった♪」


結衣「…………」ふぅ

京子「あ……えーっと……もう寝る?」

結衣「うん……」

京子「どうしよう、私がいたら気になる? もしあれなら自分の家に帰るけど……」

結衣「……ここにいてくれ」

京子「あ……」


結衣「今日は……どこにも行かないでほしい」

京子「ま、マスター……?///」

結衣「何言ってんだ……マスターは京子だろ。今日も明日も……今の私は、普通のお客さんだ」

京子「え、じゃあ……」


結衣「……結衣って、呼んで」

京子「!!」どきっ


結衣「……お願い……京子……」ぎゅっ


京子「ゆ……結衣……」


結衣「風邪……うつっちゃったら、ごめんな」

京子「へっ?」


ちゅっ


京子「っ――!///」

結衣「……昨日の夜はノーカンだっけ。だからこれが最初ってことかな……」くすっ

京子「ちょっ、マスター酔っぱらってる!? こんなの……!」

結衣「ああ、酔っぱらってる……風邪で弱ってるのにお酒なんか飲まされて、まったくもって正常じゃないんだ……」ちゅっ

京子「わぁぁ……!」とさっ


結衣「なあ京子……聞きたいことがあったんだ」

京子「えっ……」


結衣「京子は……どうして毎日、私のもとに来てくれるんだ?」

京子「……それは……」


結衣「お酒が好きだからか……? お店の居心地が好きだからか……?」

京子「そ、そうだけど……」


結衣「頼む……一番の理由を、ちゃんと京子の口から聴きたいんだ……」

京子「…………」ごくっ



京子「……結衣が、好きだから……だよ……///」



結衣「京子……ありがとう……」ぱたっ


京子「ああ、結衣っ?」

結衣「…………」すぅ


京子(ね……寝ちゃった……?)


京子「…………」

結衣「…………」


京子「ふふ……おやすみ……///」ちゅっ

結衣「ん……」



京子「大好きだよ……結衣……」ぎゅっ


結衣(京子……私も……大好きだ……///)



~fin~

ありがとうございました。


このシリーズは3月にスタートし、各話アンケートを取って次回のメインにする子を投票してもらい、そこでメインのキャラクターが決まってから話を作るという企画でした。

原作の設定から年齢も背景も変えているのでゆるゆりSSかすら怪しいですが、書いていてとても楽しかったです。

長々と申し訳ありませんでした。約9ヶ月に渡って応援してくれた皆様に感謝します。

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