周防桃子「喫茶店のホットケーキ」 (24)

アイドルマスターミリオンライブのSSです。
地の文多めです。

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「ホットケーキが食べたいな」

仕事終わり、車で事務所に帰る途中。

窓の外を見ていると、ふと、そう思って、桃子は言った。

本当に何気ない、特別な理由のない言葉。誰かに届かせようとすらしていない独り言。

ぽつりと、口の中でだけ響くような大きさの声だったから、前で車を運転しているお兄ちゃんの耳に入っているとは思ってなかった。ちょうど、真さんと雪歩さんのラジオを流しているところだったし、その声に紛れたものだとばかり思っていた。

でも、桃子の言葉の数秒後、お兄ちゃんは言った。

「じゃあ、行くか?」

「え?」

「だから、ホットケーキ。食べに行きたいんじゃないのか?」

どうやら聞こえていたらしい。それが信じられなくて、思わず聞き返してしまった。

――でも、お兄ちゃんのそういうところは、褒めてあげてもいいかも。

「? 桃子、なんでちょっと笑ってるんだ?」

「えっ?」その言葉をすぐに飲み込めなくて、声を出してしまった。「桃子、笑ってた?」

「ああ。なんか、嬉しそうに」

嬉しそうに? 桃子が? 
……なんだか、いきなり恥ずかしくなってきた。その恥ずかしさを紛らわすため……ってわけじゃないけど、絶対に違うけど、話を変えようと、桃子は言った。

「お兄ちゃん、運転に集中しなくちゃダメだよ」

「今は赤信号だし、信号機は視界に入ってるから問題ない」

桃子が話を変えようとしていることに気付かずに、お兄ちゃんは言い切った。……もう。

「……やっぱり褒めるのはなしね」

「は? まず、褒められてないような気がするんだが」

「とにかく!」桃子はお兄ちゃんの言葉を遮って言った。「ホットケーキ、食べさせてくれるの?」

「いきなり話が戻ったな……」ミラーに映るお兄ちゃんは困ったような笑みを浮かべた。「まあ、そうだな。桃子が行きたいなら、そのつもりだ」

「じゃあ、連れて行って。今すぐ」

「今すぐか? ……あー、そうだな。適当なコインパーキングに停めて、行くか。まずは事務所に車を置いてから電車で、って思ったんだが、車でもそんなに時間は変わらないしな」

その言い方に桃子は少しだけ違和感を覚えた。だから聞いた。「どこか、お店、決まってるの?」

「ああ。……桃子が他に行きたいところがあったり、どこでもいいって言うなら、他のところでもいいんだが」

「そう、なんだ」行きたいところ……春香さんや奈緒さんが言っていた店を思い出す。あそこに行きたいと言えば行きたいけれど……。「ううん、お兄ちゃんが行こうとしているお店でいいよ。お兄ちゃんが桃子にオススメするお店、って、気になるし」

「それはハードルが高そうだな」

お兄ちゃんは笑いながら言った。だから、というわけでもないけど、桃子も笑って返した。

「桃子のハードルは高いよ? 満足できなかったら、怒るから」

「それはこわいな」

お兄ちゃんは言った。

信号が青に変わった。


――

「ここだ」

コインパーキングに車を停めてからちょっと歩いたところに、そのお店はあった。

「ここは……喫茶店?」

ドラマなんかの撮影でよく見るような、今の時代にはあんまり見ないタイプの喫茶店だ。こんなところに、本当においしいホットケーキなんてあるの……? 

「ああ。まあ、喫茶店だな。桃子は初めてか?」

「初めてじゃないけど……こういうところは、撮影以外では、初めてかも」

「そうか。確かに、最近はあんまり見ないからな。こういうこじんまりした喫茶店。……入るか」

「うん」

お兄ちゃんがドアを開けると、カランコロン、とドアに付いていたベルが鳴った。昔からある店なのかな。まあ、この時代に新しく喫茶店を、っていうのもなかなかないとは思うけど。

店の中は、外と同じように、まるでドラマで見るような……『喫茶店』って感じの喫茶店だった。まるで、ここだけ、時間が止まっているかのような……そんな、静かな雰囲気があった。

……こういうところも、いいな。

桃子は思った。明るくて騒がしい事務所の雰囲気も嫌いじゃないけど、こういう、落ち着いた雰囲気の場所も、たまにはとても恋しくなる。今の時代、こういうお店こそが求められているのかもしれない。案外、ニーズにあってる、ってやつなのかも。

その証拠とばかりに、このお店にはそこそこにお客さんが居た。満員とは言わないし、席もいっぱい空いているけれど、この時間でこの立地ということを考えると、客入りが悪い、ってわけでもないと思う。

「2名様ですか?」

店員の男の人がお兄ちゃんに話しかけてきた。桃子は咄嗟にお兄ちゃんの背中に隠れる。「はい、2人です」お兄ちゃんが答えると「では、こちらへ」とすぐそこのテーブル席にまで案内される。

「ご注文がお決まりになったら、そちらのベルを鳴らしてお呼び下さい」

店員さんはそう言って、カウンターにまで下がっていった。……何と言うか、こんなところで、あんな接客は意外かも。若い男の人だったけれど……このお店は、アットホームな雰囲気なんて目指していないのかもしれない。こじんまりしたお店はアットホームな雰囲気がある、なんてイメージがあったけど、それは間違いだったのかも。

「桃子。桃子は何にする?」

メニューを開いて、お兄ちゃんは言った。手書きの、とてもきれいな字で書かれたメニュー。でも、『何にする』と言っても、ホットケーキを食べに来たんじゃなかったのか。桃子はそう思ってお兄ちゃんを見る。するとお兄ちゃんは何かに気付いたように「ああ」と声を上げ、「言葉が足りなかったな。ホットケーキは頼むとして、それ以外。飲み物の話だ」と言った。

「飲み物……」飲み物と言われて、色々な飲み物が思い浮かぶ。ホットケーキに合う飲み物はなんだろう……。そんなことを考えてから、桃子は言う。「お兄ちゃんは、何にするの?」

「俺か? 俺は、まあ、ブレンドか……とにかく、コーヒーにするだろうな」

「じゃあ、桃子もそれで」

「は?」お兄ちゃんが驚いたように声を上げた。「いや、桃子……お前、コーヒー、飲めたっけ?」

「む」その言い草はまるで桃子をバカにしているみたいで、ちょっとだけ、癇に障った。「大丈夫だよ。ミルクと砂糖を入れたら、桃子でもコーヒーは飲めるもん」

「そうか? ……いや、まあ、そうか」お兄ちゃんは少し考えてから納得したようにつぶやいた。「じゃあ、コーヒーにするか。コーヒーにも色々あるが……」

「お兄ちゃんと一緒のにするよ」

「そうか。じゃあ、決定だな」

お兄ちゃんは机に備え付けてあったベルをチリンと鳴らした。思った以上に小さな音だったけれど、この静かな店内では、その小さな音でも十分だった。むしろ、これくらいの音がちょうどいいのだろう。

店員さんが来て、注文して……ホットケーキとコーヒーが来るまで、桃子たちはなんでもないようなことを話して待った。

話が亜利沙さんに対することで白熱してきたところで、まずはコーヒーが運ばれてきた。

「砂糖とミルクはどれくらい入れるんだ?」

「……どれくらい入れたらいいかな」

「んー……桃子の好みにもよるが」お兄ちゃんは角砂糖とコーヒー、それから桃子の顔を見てから言った。「まずは角砂糖を二、三個からじゃないか? ミルクは、まあ、そこにあるのをとりあえず入れておけばいいんじゃないか」

「ミルクは、ぜんぶ?」

「ああ。……って言っても、桃子の好みがわからない以上、試しにミルクなしで飲んでみてもいいかもしれないけどな」

「……じゃあ、そうしてみる」

何も入れずに……ちょっとこわいけど、お兄ちゃんはよく飲んでるし、大丈夫、だよね?

カップを持って、ゆっくりと唇を近付ける。湯気が立ち上っていてとても熱そう。
ずず、とほんの少しだけ啜ろうと、唇をコーヒーに付ける。

「熱っ」

唇に触れただけで思った以上に熱くて、一度、カップから唇を離してしまう。

「熱いか」

お兄ちゃんが微笑みながら言う。お兄ちゃん、まだ手を付けてない……これが、わかってたんだ。

「……お兄ちゃんの意地悪」

「いや、熱いっていうのはわかってただろ?」

「それでも、だよ」

「……そうだな。先に言っておけばよかったな」お兄ちゃんは言った。「で、どうだった? 苦かったか?」

「えっと……」桃子はコーヒーの味を思い出そうとする。でも、そもそも唇に触れただけで離してしまったから、味なんてわかってない。「まだ飲めてないから、わからない」

「そうか。じゃ、まずは冷ますところから、か」

「うん」

そうしていると、足音と、いいにおいが近づいてきた。店員さんがホットケーキを持ってきたのだ。店員さんはホットケーキが乗ったお皿と、それから、何かのシロップが入っている容器を置いて、また戻っていった。

「これが、ここのホットケーキ?」

「そうだな。うん、まさしく『喫茶店のホットケーキ』って感じ。これが食べたかったし、食べさせたかったんだよ」

あまり大きくない、ふんわりとふくらんだホットケーキ。思ったよりも、薄くて、でも、ぺったんこってわけでもなくて、控えめにふくらんでいる、シンプルなホットケーキ。

バターがちょこんと乗っているだけで、他の装飾は何もない。あとで置いてあるシロップ? をかけるんだろうけれど、最近はあんまり見ないくらいシンプルなホットケーキだ。

「バターを塗って、それから、この蜂蜜をかけて食べるんだ」

「蜂蜜?」ホットケーキと言えばメープルシロップという印象だったから、なんだか意外だった。「ここは、蜂蜜をかけるんだ」

「ああ。何か特別な蜂蜜を使ってるとかって聞いたこともあるが……蜂蜜によくあるような、癖のある感じはそこまで強くないから、そこまで気にすることじゃあないがな」

「そう、なんだ」

そんな特別な蜂蜜を使っているということは、こだわっている、ということだろうか。……ちょっと、楽しみかも。

バターを塗って、それから、蜂蜜をかけて……。

「じゃあ、いただくね、お兄ちゃん」

「ああ。たっぷり……はないが、どうぞ、召し上がれ」

フォークでホットケーキを支えて、ナイフを入れる。サクッ、と食べる前からおいしそうな感触が手に伝わり、すっとナイフがホットケーキの中に沈む。

ぎっしり詰まっているタイプの生地じゃないんだろう。そのままナイフで切って、フォークで刺して持てるサイズにまで小さくする。

「じゃあ、いただきます」

ホットケーキを口に持って行って、口に入れる。

「んっ」

サクッ、と想像通りの心地良い食感がして、香ばしさが鼻を抜けた。それだけじゃなくて、中はふわふわで、しっとりしていて……。

「おいしい……」

思わず、そうつぶやいてしまった。本当に、おいしい。とってもシンプルで、何も変わったことはないはずなのに……今まで食べたホットケーキの中でも、一番か、それくらいにはおいしい。

表面はサクッと香ばしくて、中はきめ細かく、しっとりふわふわ。ぎっしりつめ込まれた生地じゃなくて、軽くて、食べるのが気持ち良い感じ。

味も、本当においしくて……なんでだろう。特別な味じゃないはずなのに、とても、おいしい。ほんのりとバターの塩気がする、優しくて、どこか懐かしい味。それなのに、ほっぺたが落ちるんじゃないか、って思うほどにおいしい。

蜂蜜のかかった部分を食べると、しっとりとしていて、とても甘い。お兄ちゃんの言っていた通り、蜂蜜の独特の甘さじゃなくて、もっと優しい、でも、じんわりと広がるような甘さ。口に入れただけで口いっぱいに甘さが広がるような、そんな、心地良い味。

「どうだ、桃子」お兄ちゃんが言った。「このホットケーキは、お気に召しましたかな?」

「……うん」桃子はうなずいて言った。「おいしいよ、お兄ちゃん。とっても……とっても、おいしいよ」

そんな桃子の反応が意外だったのか、お兄ちゃんは一度、目を丸くして桃子の顔を見ていた。でも、すぐにそれはほころんで、「そうか。それは良かったよ」と言った。

「それで、コーヒーはどうだ? そろそろ、冷めていると思うが」

「あ、そうだね。早くしないと、ぬるくなっちゃうか」

ちょうど喉が乾いているところだったから、桃子はコーヒーを口に運んだ。苦味が口いっぱいに広がった。

「……苦い」

「あ、そう言えば、砂糖もミルクもまだ入れてなかったか」

「……うん」

「ここのコーヒーは結構うまいと思うんだがな。香ばしくて濃い、酸味がほとんどない、苦味の強いコーヒー。俺の好みのコーヒーだ」お兄ちゃんはコーヒーに口を付けて、啜った。「……まあ、大きくなったら、桃子もわかるようになるさ」

「……その言い方、なんか、むかつくけど」桃子はコーヒーに砂糖とミルクを入れながら言う。「いつか、お兄ちゃんよりも濃いコーヒーを飲んでやるんだから」

「ああ」お兄ちゃんは嬉しそうに笑った。「楽しみにしてるよ」


――

喫茶店から出ると、また、カランコロンとドアのベルが鳴った。

「じゃあ、帰るか」

お兄ちゃんは腕時計をちらりと見て言った。

「今、何時なの?」

「4時くらいだな」

「そうなんだ。じゃあ、そろそろ帰らなくちゃね」

「ああ」

桃子が隣に並ぶのを待ってから、お兄ちゃんは歩き出した。

事務所に帰ったら、どうしようか。桃子は考えた。このことを誰かに言うか、言わないか。言ったら、ずるい、って言われるのかな。でも、あれは誰かに話したい味だった。それくらい、おいしいホットケーキだった。

「……お兄ちゃん」

「なんだ?」

「また、いつか、ここに連れて来てね」

「ああ。言ってくれれば、時間があれば、連れて行くよ」

「約束だよ?」

「ああ、約束だ」

「それじゃあ……」桃子はお兄ちゃんに小指を差し出した。「指きりげんまん、ね」

「……そうだな」

喫茶店から少し歩いた、誰も居ない路地。

そこで桃子たちは小指を重ねて、あの歌を歌った。

「「ゆーびきーりげんまん、うーそついたら針千本飲ーます――」」



終わりです。

周防桃子さん、誕生日おめでとうございます。

読んで下さってありがとうございました。

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