相模南「過去との和解」 (54)

早めに家を出たつもりだけど、体育館内には、すでに大勢の生徒が詰め込まれていた。

館内の後ろの方に車輪のついた、移動式の掲示板。その前には人。人。人。

加えて、雑音にしか聞こえない四方八方からの話し声。不本意ながら、生徒の群衆の後ろへと加わる。

欲を言えば一人でに静かに見たかった。一年に一度しか味わえない、手に汗握る瞬間だから。

「よっ、南」

声がして、遥がじゃれつくようにぶつかってくる。

「おはよ南っ」

逆方向からまた。今度はゆっこ。二人に挟まれながら挨拶。

いやらしい話じゃないけれど、二人の温もりは、冷風が吹きすさぶ外からやってきた私には心地よく感じられた。

でもすぐに離れてしまう。

目の前の人だかりは、まだ崩れる様子はない。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1446769803

「ねぇ、前行こうよ前」

ゆっこがはしゃぐ様に言う。私は笑って返事を濁した。

正直、人ごみに入ってもみくちゃにされるのはごめんだ。だけど遥も便乗。

「いや、ここは南を肩車しよう」

それはもっとごめんだ。高いとこ怖いし。結局、覚悟を決めて人ごみに飛び込んでいくことにした。

そう。ここは密林だ。

私たち三人は遭難者。絡み合い、ねっとりとした草木を掻き分け、出口を探して進む進む。

今思えば、断らなくてよかったかもしれない。空気の読めない奴。

そう二人に受け取られてしまうかもしれないから。

二年生の頃いろいろあって、私の立場が微妙なものになっているのは知っている。

今日だって、遥とゆっこは一緒に登校した様子だった。以前は私も加えた三人で登校していたのに。

群集を、おしわけおしわけ、掲示板が見える位置までたどり着く。

もうっ。見たんならさっさとどきなさいよ。

自分の鼓動が高鳴っているのがわかる。

空耳かもしれないけど、とくんとくん、と心臓の打つ音が自身の胸から聞こえていた。

今日、新学年が始まる。

どんなクラスになるかは重要だ。

一組から順に目を滑らせていく。汗が吹き出た掌を、ぐーぱーぐーぱーさせながら、

見落としがないよう丁寧に。

「南、どうだった?」

ゆっこの探るような口調。後ろにいる遥も同じ顔をしていた。

「そっちは?」

二人の表情がぱっと華やぐ。私はそれで全てを察した。

「うちら同じクラスだったよー」

「そうだったんだ。よかったじゃん」

ゆっこと遥が同じになったというクラスに目を移す。意味のないことだとわかっていても。

やっぱりないか。そりゃそうだよね。私はすでに、一組の項目で自分の名前を見つけていたのだ。

「離れちゃったねークラス」

ゆっこはそう言いつつも、残念そうには思っていないのがありありと伝わってくる。

そうだね、と相槌を打つ。遥とゆっこは雑談を始めた。二人の顔はもう私には向いていない。

この瞬間から、二人にとっての私は、他のクラスの人でしかないのだ。

「じゃあ先いくね」

その場にいるのが辛くなって、私は割り当てられた教室へ向かう。

群集はまだ消え去っていない。今度は一人で、この密林の中を歩いていかねばならない。

女子同士の友情ってこんなにも脆いものなんだね……。

なーんてちょっと感傷に浸ってみたけど。

私も新たなグループをつくっちゃえばいいだけの話。だからゆっこや遥の振る舞いは責められない。

人の波を掻き分け進む。

女子は察しがいいからそうでもないけど、男子には気を利かせてどいてくれる人はいない。ほんと馬鹿。

もう一息で出られる、ってところで

太り気味のめがねをかけた男子が、兄弟なのかと思うほど似た風貌の男子とじゃれついていた。

私は巻き添えを食う形で、群衆から弾き飛ばされた。

足がつんのめり、転びそうになったところを、とっさにショルダーバッグでガード。

なんとか顔面を打ちつけずにすむ。

「ちょっと! 危ないじゃない」

そう注意してもあのクソオタク野郎、下品な笑い声を響かせて、素知らぬ顔で談笑している。

ぜったい許さない。むかむかっとした思いを積もらせて、立ち上がり歩き出す。

前方から見知った顔。あの子とは、二年生の頃いろいろと関わった。

雪ノ下雪乃。

細身の体型。流れのいい黒髪。大きな瞳、薄い唇。

彼女は女の子が欲しがるものを全て持っている。

目を合わせないようにしていたのに、視線がぶつかる。

雪ノ下さんは無表情そのままに。私もそのまま無視して素通り。

私は彼女に多大な迷惑をかけた。その負い目がないわけでもない。

でもどうしても、彼女に対して悪感情を抱いてしまう。謝罪することを躊躇わせてしまっている。

いや。心中でかぶりを振る。もうあのことを思い出すのはやめよう。

雪ノ下さんとのことも比企谷のことも全部全部、南風に乗せて大きく飛ばそう。

私には私の道があるのだ。新しく人間関係をつくるのはそう難しいことじゃない。

期待と希望を持ちながら、体育館の扉を開く。

曇り空だった空はいつの間にか小雨に変わっていた。その雨でさえ、なぜか気分を高翌揚させる。

今日は始業式ともあって午前中で終わりだ。

指定されたクラスで自己紹介を行い、その後に始業式。

三度目だから緊張感のかけらもなく知り合いのいる子は話も聞かずにおしゃべりを続けていた。

式典をテキトーに過ごし、割り当てられた箇所を掃除するとあっという間に下校の時間となる。

合間合間の休み時間に、何人かと言葉を交わしたけど、

私と同じ境遇の子は結構いて、そのせいか、そこそこ会話は弾んだ。

ひゅう、と冷風が吹き、反射的に傘でガードする。

今はたった一人での下校だけど、一週間後には私のそばにはきっと誰かがいるはずだ。

そうなってくれると嬉しいな。

緩んでしまう頬を隠そうと差している傘を前へ傾ける

今日はアルバイトも休みだし、まっすぐ家に帰るのももったいない。

久々に、行こうかあそこへ。

依然、雨はしとしと、しつこく降り続けている。傘をくるくる回しながら目的の場所へ歩を早めた。

しばらくすると緑のネットが視界に入る。

歩いていると、かぁん、と金属音が飛んできた。それなりに車も往来している道なのに、鮮明に聞こえる。

フォルム的には長方体。コンクリート造りの外観に小さな窓が等間隔。

そこにマシンとネットをくっつけた感じの小ざっぱりとした雰囲気がある。

いつからか私はときどき、ふらりとバッティングセンターに立ち寄るようになっていた。

大体、心にモヤモヤとしたものがあるときだ。

錆つきの激しい扉をスライドし中へ。レジでお金をメダルに交換。

目当ての100Kmマシンのケージは別の人が使っていたので座って待つ。

ケージ内は、マシンが置かれ、四方がネットで囲まれている簡素なもの。

けれど私は知っている。夜になると、ここは変わる。

あちこちに散らばった星が真っ暗な空を彩って、照明の光がバッターボックスをきらきら照らす。

BGMには金属音。そんな神秘的な風景に変わる。

プロ野球選手は毎晩こんな風景を見れるんだと羨ましく思ったりもする。

「南ちゃん」

首を捻ると、見知った顔の男の人。

彼は。よっ、と言いながら小さく手を挙げた。

微笑みを浮かべ歩み寄ってくる。ぺったんぺったん、サンダルの音を響かせて。

「南さん、こんにちは」

座ってる私はぺこっ、と軽く頭を下げる。

彼こそ、私の見たい風景を毎日みたであろう人だ。

もう引退したらしいけれど、総武の男子の誰よりも高い背丈

半袖シャツ越しからでもわかる分厚い胸板をみれば、そうは思えない。

「終わるの早いね。今日は始業式かい?」

「はい。ねえ、南さん聞いてくださいよー」

クラス分けで友人と別れてしまったこと、新しいクラスには知り合いが一人もいないことを話す。

彼は相槌を打ったり、時にはぎゃはは、と相好を崩す。

絶対に上から目線のアドバイスや説教をしないところが私は好きだ。

年齢も全然違う私たちが、意気投合できるのは名前のせいかもしれない。

名前と名字の違いはあれど、同じミナミを持つもの同士の気安さが。

「打たないの?」と南さんが聞く。

使いたいケージが使われているんだ、と説明する。

「なら別のボックスを使えばいいさ」彼は悪戯っぽく笑った。人差し指を中空でゆらりゆらりと動かし、

「あそことか」

南さんが指差したのは140kmマシンだった。南さんはニヤニヤと笑っている。そんな彼にちょっとむっとした。

傘をベンチに立てかけ、立ち上がる。

「打つのかい」

「駄目ですか?」

「いや」

彼の視線は私の脚へ。

「見えちゃうよ?」

頬が緩む。少しだけスカートをたくし上げて見せた。南さんの顔は納得の色に変わる。

ケージ脇にあるバットを持つ。たとえ親しい間柄でも、話せないことはある。

本心はバッティングで発散させるんだ。

なぜかモヤモヤする気持ちをボールと一緒に、南風に乗せて大きく飛ばそう。

メダルを入れると、ギギギギギ、と古めかしさを感じさせる機械音。

構えてから、そういえば140kmなんだと気づく。

空気を切り裂くような音がしたかと思うと、後方の壁を直撃した。

いつもより始動を早くするんだ。脚は踏み込んだままでいよう。スタンスを広くする。

がしゅ、と球が発射された。バットを始動。二度目だから今度はよく見える。真ん中高めのコース。

振りぬくと、衝突音がした。耳あたりのよい、金属音。

スポーツに関しては、コツをつかむのは早いのだ。

次の球も次の球も、カキンカキンと上手くはじき返せた。ライナー性の打球が飛んでいく。

雪ノ下さんは……。閉じ込めていた思考が浮かび上がってきた。

雪ノ下さんにバッティングをさせたらどうなるだろうか。負けそうな気がする。

私が汗を飛ばし、歯を食いしばって打っている横で、涼しい顔して何本もホームランを叩き込む。

きっとそうなる。

今日だってなんだか、あんたは私より劣っているんだって言われた気がした。

記憶はまた遡る。二年生の頃だって…。

文化祭の頃、彼女は私の傍にいた。

役職的には私を補佐する立場なのに、私のイメージを貶めることでしかなかった。

今更それに対して怒りを感じたりしない。もう終わったことなんだから。でもなんだか…。



カキィ、と音が鳴る。指の先まで伝わる心地よい痺れ。

打球はぐんぐん伸びていき、後方のネットを直撃した。

でもなんだか、すっきりしない。

このSSまとめへのコメント

このSSまとめにはまだコメントがありません

名前:
コメント:


未完結のSSにコメントをする時は、まだSSの更新がある可能性を考慮してコメントしてください

ScrollBottom